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王朝人の和歌生活

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王朝人の和歌生活
王朝人 の和歌生活
- 恋愛贈答 の種 々相
序
和 歌は、王朝 の貴族達 にと ってど のよう なも のだ った のだ ろ
ると思われためであ る。
山
代
水
緒
そ の際、用例数は贈答そろ って いるも のも、贈歌 のみ、答歌 の 一
み のも のもそれぞれ l例と し てカウ ントし、そ の結果、古今集 1 1
そ の用例を ふたり の関係 や詠 ま れ る状況 ごと に次 のよう に分
〇九、後撰集六八四、拾遺集 二三三 の計 一〇二六例 が抽出された。 一
の歌番号 であ る (
用例 数 は 、 「
身 分遠 い」 か つ 「
変心を恨 む歌 」
類 した。そ の下に記した のは'三代集中 の用例 の数と、そ の 一部
うか。額 詠歌 、歌合 や犀風歌など様 々な歌 のうち、私が特 に興味
て伝えるとはどう いう ことな のか、芸術的鑑賞 の対象と し てでは
不遇を串 孟
1 身分差 のある贈答
-天皇と臣 下
2上下関係
9 後 撰 t35_3 ・l
077禦
079 ・1
to91
11。 ・
1 1
38
1、 拾遺S ・32。禦 5
¢
On
フ 0
29 古 今 997、後 撰56・37
=3日
日
〓 38
=
である場合など'重複 し て いる部分もある)
0
を ひかれる のは、詠 み交わす贈答歌であ る。自分 の思 いを歌 にし
な -、和 歌 が生活 の中 でど のよう な役割 を 果 た し て いた のか、
恋愛生活を みて いきた い。
様 々な贈答歌 の 「
場」を検討す ること によ って王朝 の貴族たち の
こ の論 で対象とす る贈答 歌は、古今 ・後撰 ・拾遺 の いわ ゆる
三代集から、詞書 や他出文献を元 に抽出した。勅撰集を対象とし
た のは、なる べ-様 々な人物 の様 々な状況を見たか ったと いう こ
と、また多分 に文芸化され ているとは いえ '作品形成 のために歌
が使われる物語 や日記よりも、生 の歌 がそ のまま の形 で残 って い
3恋
同性 の贈答
4・
・9
5 4
e
19、拾遺 444 ・5745
1 ・1
-2
4 古 今 8 ・914叩 後 挟 l
=l
‖'拾
.。6 鐘
挨拶
遺 331 ・338
男が高位
12 後 撰 756757 ・758讐 諾
k ・t1-
女が高位
古今 S ・371、拾遺322
禦
S・
5
、
古今 S ・轡
遺
=
4
09
1
08
l
4
3
後 撰6
626
3
6
′
L
U7
2 後撰 4
04
0
日
日
日
〓
5 後撰
つ
▲ 後 撰 卿9
後撰 51
1
三
異 性 の贈答
-求婚
2
結婚
3変心
4昔 の恋人
四 家族 の贈答
-親子
2姻族
謎 かけ
父と息 子
父と娘
息
子
母と
母と娘
妻 の家族
夫 の家族
9 拾遺513
-523
51
2㌍
530 53t
7
62
S ・ ; ・拾遺
S ・i ・
t
2-
t71 古今 476477、後撰 707
撰
後 撰 6
-7
86 後撰 ='拾遺 7
_
78
29 後
0
- 鐘
撰
e
・ S ・9 ・ E ・ = ・
叫 拾遺 = ・to-0
6 古今38 82 卿g'拾遺 473
0
8
後
- 鐘
8
11
以 上 のよう な分け方をす ると 、 「
異性 の贈答」 が圧倒 的 に多 い。
仝 贈 答 歌を ふたり の関係 から 分類 し た左 上 のグ ラ フを見 ると 、
1
8
二
離別
男 同士
女 同士
男 同士
女 同士
優劣問答
a
470 1
141
1
142
1
223 ・
1
259
1
2
95 1
260
1
2
96
-挨拶
2恋敵
3恋 歌
4問答
3
0
これを踏まえ 、実際 の男女 の関係 がど のよう にな って い- の
い- ことがよくわかる。
ふたり の仲が進む に つれ て、女 から の働き かけが多-な って
恋愛進行産別 贈 り手
か、歌 のやりとりからみていこう。
- 19-
カ 、ら
□ 女
カ ゝら
■ 男
昔の恋人
離別
変心
結婚 中
新婚
求婚 中
最初
異性間 の恋歌 の贈答が、
実 に七割近-を占めていることがわかる。
ある。
使者を送 ってはたらきかけ て いるかを示した のが'下のグラフで
そ こで、恋愛 の進行 に従 い、各 場面 で男女どちらから手紙 や
そこには様 々な人間模様 が見え て-る。
想像が つ- こと ではあるが、ひと つひと つの用例を見 て い-と、
異性間 にお いて最も贈答歌 の需要 が高か ったことは'容易 に
関係別贈答歌用例比率
一 結婚 ま で
恋がはじまるき っかけは、何だ った のか。三代集 には、男が
- 初 めての アプ ローチ
女 の姿を 「
ほのかに見 て」 「
か いま見 て」恋をし、歌を贈 ってい
か
ら
.それ以外
る例が五例あり (
古今 476、後撰 5 ・; ・987 拾遺 S)
の機会は詞書からは見 つ
な か っ た の だ が、垣間見 の用例も少
な-、 一目惚れが多か ったとは思えな い。た いてい、 「
人をみて
よみ人しらず
ふみ つかはせども返事もせぎりける女 のもと に つかは
しける
あやし-も いと ふにはゆる心かな いかにし てかは息ひやむ
るのはむしろはしたな いことで、何度も言われてよう や- 一度返
べき
(
後撰 S)
い-ら文を や っても何 の返事もな- ても、簡単 にはあきらめ
(
2
)
な い。小町谷照彦氏が論考されたよう に、求婚 の歌にすぐ反応す
れ続けるとしびれをきらす。返歌があるかどうか、またその頻度
事をすると いう程度が普通だ ったのだ。しかし、あまりに無視さ
物 いひ侍りける男 いひわづらひて、いかがはせむ、いな
が'女が自分にどれ-ら い興味を持 っているかのバロメーターに
なるからである。
思 ふ思ひもあるも のを空 にこふるははかなか-け- (
後撰 g)
」
とまだ見ぬ人 に初めての文を贈るのである。男は自分 の従者 や、
その女性 の父や兄から噂を聞き、色 々と想像していた のだ ろう。
だ ったり (
後撰 S)
'ただ 「
見ました」と いう素 っ気な い返事だ
し、求婚 の贈歌に対して返事があるも のはわずかで、それも白紙
探 ろうとした (
もちろん文を受け取る女 の方も同様だが)
。しか
と贈り、その返事から、少しでも相手 の人柄や才覚、脈 の歪 盲
だが、ともか-も返事を迫り、それは果たしたわけであり、また
もあ った。そしてよう や-得た女 の歌は、「
私 の心 の中は明かし
(
後撰 g)
このよう に、だ めならだめとは っきり言 ってくれと言う こと
小山田のなはしろ水はたえぬとも心 の池 のいひははなたじ
とも いひはなち てよと いひ侍りければ よみ人しらず
高貴 であるほど、その人を見ることはもちろん、直著 すことな
ったり (
後撰 智 と、前途は多難そう である。
女 から声をかけ て-ることはほとんどな い。あると したら斎
「
否」と言 っているわけでもな い。女 の心が男 の熱心さにほださ
れかか っているよう に思える。
どできなか ったので 「
噂 に聞-貴女に直接逢 いた い」と歌を次 々
木泰孝氏の言われE
る
ような 「
宮仕 え人」と呼ばれる宮廷女房たち
1
︰
凸
くら いだ っただろう。
3 応酬
女 のもと につかはしける
源中正
返事が返 って-るよう になると、 いわゆる応酬が始まる。
ません」と いうは っき-しな い答えである。ず いぶん思わせぶ-
2 求婚中
求婚中 の恋歌 の内'返歌がある のは約半分 であるよう に、恋
の進行はなかなか難し い。
20
下野
あ ふみぢをしる べなく ても見 てしがな関 のこなたはわびし
かりけり
返し
道しらで止みやはしなぬ逢坂 の関のあなたは海と いふなり
(
後恩 義)
このよう に、女は逢 った後 の心変わりを恐れ て拒絶す ること
。
が多 い。体 のいい口実ともとれるが、男を嫌う のではな-、深 い
伸になる前 に釘を刺しておこうと いう意図だろう
男 のことを心から嫌う場合も、先行き に不安 があり踏 み切れ
な い場合もあるだろうし、安-見られた-な いとか、少し焦らし
て本心を見極めよう、等 の理由もあ っただろうが、女 の拒否は、
一種 のポーズ であり、冷た-していたら本当 に男があきらめてし
ま ったので慌 てて贈 った 「
忘れねと言ひしにかなふ君なれどとは
ぬは つらきも のにぞあ-ける (
後挟 撃 」と い、
妄 勝手 な歌もあ
る。相手が凡庸な歌を詠んで-る内は逢おうと いう気 にならな い
りな い、別れ難 いと いうも のである。これが 「
常よりも起きう
次 に多 いのが、「
逢ひ見 ての後 の心に-
かり つる暁は露さ へかかるも のにぞありける (
後撰 =)
」 のよ
うに、別れなければならな い朝が-るのが恨めし いと いう表 現
になる。
B「
恋心が つのる」
らぶれば昔は物も思はぎりけり (
拾遺 OF)
J のよう に逢 って恋
心が募ると いう歌である。
C
「
夜が待ち遠 し い」
別れてしま ったら、次 に逢え るそ の
夜が待ち遠し いと 「
あふことを待ちし月日のほどよりも今日の
-れこそひさしかりけれ (
拾遺 :)
Jと言う.
AとBを 一緒 にしたような 「日 のう ち に物を 二度思 ふかな
っ
と-明けぬると遅--るると (
拾遺 rm)
」などもあり、少しでも
良- 一緒 にいた いと いう想 いが伝わ てくる。
中務
後朝 の歌は、求婚 の歌と同じ-男から贈るも のだが、女から
贈ることも皆無ではな い。
男のもと に つかはしける
返し
源信明
はかな-て同じ心 になりにLを思ふがごとは思ふらんやぞ
わびしきを同じ心ときくから に我 が身をす てて君ぞかなし
とある。逢 った後 で男 への愛を覚え、自分と同じほど相手が想 っ
結婚
かもしれな いが'このよう に応酬が続き、だんだん気心が知れて
くるのだろう。
二
ているか心配にな った。珍し い相思相愛 の後朝なのだが、女から
き
(
拾遺 3L
nS
S
)
r
信明集︼ 92の詞書 に 「
はじめてのつとめてか へりたる、女」
歌 のやりとりが進む内、 いつ実際 に逢う こと になる のだ ろう
と いう のは、
後朝 の歌も寄越さな い男に催促したのかもしれな い。
- 初夜
か。勅撰集 には っきり状況 のわかる歌はな いが、その後朝 の歌は
1番多 いのが、物足
多 い。その内容は三タイプ に分かれる。
A「
飽かぬ別れ」 ・ 「
朝が恨めし い」
21
2 両想 い
源信明
男 の懸想 の歌は数多 いが、女 が素直 に答え て恋心を 歌う歌は
月明かりける夜、女 の許に つかはしける
本当 に少なか った。
恋しさは同じ心 にあらずとも こよひの月を君見ざらめや
3
9こ と男を革 っ歌もある。 この歌は贈 ったも のではな いかも し
れな いし、恋愛関係 でもなんでもな い男 に恋していた のかもしれ
な いが、女 の方 の片想 いはこの他 にあまり見あたらな い。
4 忍 ぶ恋
恋 人 の中 には、正 々堂 々と公表 でき な い人 たちも大 勢 いた。
身分 の問題や、世間的 に認められた夫が いるとか、好き者と いう
中務
さやかにも見 るべき月を我はただ涙 に曇る折りぞ多かる
返し
(
拾遺 78
7響
男 の恋心 に女 は切 々と答え る。 この歌を貰 った信明はき っと
浮気な男と恋仲 にな って男 の言葉をす べては信じられず、 いつ
飛んで い ったことだろう。
貞数 の親王
喪服-
橘清樹
を着られるよう にな-た い、忍 ぶ仲はもう
満が底には流れている気 がする。
意味 になる。それが表 の意味 ではな いとしても、忍ぶ関係 への不
は、昼に着るのは慎もう、 つまりは公表する つもりがな いと いう
嫌だと いう こと ではな いか。すると清樹 の一
貫っ 「
夜 に着よう」と
と藤衣 -
め
(
古今 4
65響
この贈答 は戯れあ いにも見え るが、彼女 の本心は、正 々堂 々
泣き こふる涙 に袖 のそほちなば脱ぎ か へが てら夜 こそは着
返し
思 ふどちひとりひと-が恋ひ死なば誰 によそ へて藤衣着む
橘清樹 が忍び にあ ひ知れりける女 のもと より、を こせ
たりける
また、男 の方が名を惜しむ例もある。
噂を厭うなど、ここにもさまざまな理由があ った。言 い寄る男性
0
0
に惹かれ ていても、人目を気 にして拒絶している女 (
後撰01
1)や'
ことを公 にしようと女 に寧 喜 男 (
後撰 E)などが勅撰集 にみら
れる。
飽きられるだろうかと心配する歌 (
後撰 S)もあ るよう に'結婚
は、婚姻届を出すわけでもなく、通 っている間だけ のも のだ った
ので、いつ心が離れてい-か常 に心配していたことがよくわかる。
3 片想 い
気色なりければ
桂 のみこに住 みほじめける間 に、か のみこあ ひ息はぬ
人知れず物思 ふ頃 の我が袖は秋 の草葉 におとらざりけり
(
後撰 g)
こ のよう に、関係を持 ってからも打ち解けな い女性 に贈 った
と いう歌が い- つもあ-、相思相愛 でな- ても ふたり の関係が始
ま ってしまう こともあ ったことがわかる。
ま た珍 し い例だ が、 「
泊ま れと思 ふ男 の出 で てまかりければ
しひてい-駒 の脚折る橋をだ になどわが宿 に渡きざ-けん (
後撰
2
2
三 心変 わ り
- 浮気
異女 に物言 ふときき て'元 の妻 の内侍 のふす べは べ好古 の朝臣
る
つけ て、言ひなどして、 つとめ て
よみ人しらず
神無 月 の ついたち頃、妻 のみそか男 したりけるを、 み
(
後撰 珊)
今はと て秋ほ てられし身 なれどもき-たち人をえ やは忘 る
間男 の現場をとりおさえ た のか、 「
言ひなどし て」とは、夜じ
ゅう女を責め続け喧嘩して いた のではな いだろうか。それで言 い
ければ
過ぎたと思 って、翌朝 この歌を贈 った のだろう。
恨 みや嫌みであり、男 のほうも 歓心を買うより、苦し い弁解、嫌
みな返事をすることが多くなる。
いかと不安 になることだ ろう が、
歌 に表れ てくるのは不安 よりも、
もせず、手紙すら寄越さな いとなると、女は忘れられた のではな
多くなるのはグラフにも見られる通- である。男がしばらく訪問
心変わりをす る ころにな ると、女性 から歌を贈 ること が俄然
2 無 沙汰
い訳 の歌、それぞれ歓心を買うような表現になることが多 い。
他 の人 に心を移 し、元 の人をなだ める歌、新 し い恋人 への言
し
中将内侍
目も見えず涙 の雨 のしぐ るれば身 の濡れ衣 は干 るよしもな
返し
(
後撰 955響
憎からぬ人 の着せけん濡れ衣は思ひにあ へず今乾きなん
源景明
女 のもと にまかり にけるを、もと の妻 の制 し侍りけれ
このような言 い合 いを歌 でしている。
ば
風を いた み恩はぬ方 に泊ま-す る海人 の小舟も か- やわ ぶ
らん
(
拾遺 o
S)
彼女も、夫 が他 の所 に行- のを阻む。夫を愛す る ゆえ の嫉妬
な のに 「
激し い風 に思わぬ所に停まる海人 の小舟も これ程わびし
りけり」と葉 の色 の変化を心変わ- に喰え て恨むと、男は 「
時わ
例えば女 が 「
高砂 の松を緑と見 し ことは 下 の紅葉を知らぬな
同居 の夫婦 ではな-、通 い先 のひとり であ った女 性 が 「
ほか
い思 いをするも のか」と言われては立 つ瀬もな い。
かぬ松 の緑も限りなき思ひにはなは色 やも ゆらん」と紅葉 の赤き
紀乳母
影だ にも見えずなり ゆ-山 の井 の浅き よりまた水 や絶え に
はしける
あひまちける人 の、 ひさしう消息 なかりければ、 つか
を想 いの火だと逆手 にと って返し て いる (
後撰集 834撃 。うま返したも のだとは思う が、誠実さ に欠けるのではな いだろうか。
の瀬は探-なるらし飛鳥河昨日の淵ぞわが身な-ける」と恨む の
に、男が 「
淵瀬とも いさ やしら浪立ち騒ぐ わが身 ひと つは寄
と
る方もなし (
後撰 525S翔)
」と l蹴するような歌もあり、男も恨ま
れたら機嫌を取り結ぶ は限らず、開き直 っていることもある。
ま た、浮気 はもち ろん男だけ ではな い。女 が他 の男 に気を移
す こともよくあ った。
23
し
ひと の心かはり にければ
4 忘 れる
右近
おもはんとた のめし人はありとき - いひしこと のは いづち
平定文
浅し てふことを ゆゆしみ山 の井は ほりし濁り に影 はみえ ぬ
いにけん
(
後撰 S)
r
大和物語」 に 「
わす れじと よ ろづ のことを かけ てち かひけ
返し
ぞ
(
後撰 。
これは完全 に開き直り、屈理屈を言 って いると しか思え な い
53響
が、彼女はこれ で納得した のだ ろうか。 ふたり の気持ち に溝がで
「
わすらるる身をば思はずちかひてし人 の命 のおし-もあるかな
れど 、わす れ にける のち に いひや-ける」 の詞書 で同じ右近 の
る のに、来 ていな いのだから、誓 い自体がどこかに行 ってしま っ
んでしょうね。生き ているならそ の誓 いは破られていな い事 にな
あなたは健在と聞きましたが、あ の言葉はどこに行 ってしま った
れるか心配ですよ」 「
ず っと思 い続けると誓 った (
-せ に破 った)
いを立 ててくださ ったけれど、約束を破 ったあなたが生き ていら
と、 「
忘 れられてしまうなんて思わず に、ず っと愛し続けると誓
いるが、 F
大和物語」を信用した上 で後撰集歌と の関連 で考える
心配したと いう説と、皮肉だと いう説と解釈が古-から分かれ て
(
拾遺 S)
Jが入 っており、明記はな いも のの、相手は同じ敦忠 で
あると思われる。百人 一首 で有名な この歌は、相手 の命を素直 に
き、義務感 のみで付き合 っている感じでさえある。
3 長年 の無沙 汰
何 日か来な いのが つもり つも って、何年も音沙汰な し にな っ
てしまうこともあ った。
年ごろあり て、人き て帰り て
ころも だ に へだ てしよひはう らみLにすだれ のうち のこゑ
返し
ぞかなしき
(
中務集 慨)
内外な-馴れもしなまし玉すだれ 誰年月を隔て初めけん
ど
女 のもと より忘 れ草を文 に つけ てを こせ ては べ-けれ
たんでしょう」、とどちらも皮肉 にとれる。
拾遺 898には 「
年を経 て信明 の朝臣まう で来た-ければ、簾越
しにす へて物語し侍りけるに」の詞書 で中務 の歌だけ入 っている。
思 ふとは言 ふ物 から にともす れば忘 るる草 の花 にやはあら
よみ人しらず
仲 のよさそうだ ったふたりも破局を迎えた のだ。これは関係が絶
え て何年か経 って、信明が中務 の許 に行 ったとき の歌 である。制
大輔 の御と いふ入
(
後撰 55S)
植 ゑてみる我は忘 れ であだ人 にまづ忘 らるる花 にぞありけ
返し
ぬ
ことな-信明は帰-、それを恨 んでの贈答な のだが、か つての夫
裁 の つもりか、年老 いた姿を見せた-なか った のか、簾中 に入る
婦も、年を隔 てると夜を共 にしな-なる のだ。
る
24
こ の二人は'実際 に疎遠 にな った のではなさそうだが'忘 れ
られることを いつも気 にしていた のだろう。
5 別れ
恋人たち の別れは'自然消滅も多 か ったらし いが'絶縁宣 言
を している場合もあ った。
なぞ山守 のあ るか
これひら の朝臣 の女 いまき
守り置き て侍りける男 の心かはり にければ、そ の守り
を返しやると て
世と共 になげき樵り つむ身 にしあれば
ひもなき
(
後撰 g)
護符 のか いもな-、嘆きを つむ身 にな ってしま った ので、用
なし のお守りはお返ししますとち-りと皮肉を入れている。この
場合は、相手 の男が置 いてい ったも のを返す こと でけじめを つけ
右大臣住まずな- にければ、か の昔 お こせたりける文
ているが、次もそう である。
典侍藤原因香朝臣
どもをとり集めて、返すと て、よみてお-りける
返し
近院右大臣
頼めこし言 の菓今は返し てむ わが身 ふるれば置きど ころ
なし
今はと て返す言 の葉 ひろひおき てお のがも のから形見と や
は心変わりした人から昔もら った甘 い手紙など見たくな いと いう
気持ちが潜 んで いるよう に田甘える。も っと勘ぐれば、 「
昔はあな
でさえあ ったかもしれな い。本当 に見た-な いなら自分 で捨 てて
たこんな に愛 の言葉を書 いていたのよ、見なさ いよ」と いう嫌み
ってほし いと い っている のではな いだろうか。そして能有 の方は、
しまえばよ いわけで、後生大事 にと ってお いた私 の気持ちもわか
元良 の親王
たまさか に通 へる文を こひ返しければ、そ の文 に具 し
絶縁宣言を受け入れたと いう形 になる。
てつかはしける
やれば惜 しやらねば人 に見え ぬ べし泣-泣-も猶返すま さ
3
れり
(
後撰 1
_4)
忍 ぶ恋 の相手 から、文を返し てほし いと言われた。 それが見
つか ったら身 の破滅だと いう。女は r
元良親王集l によれば京極
変だと泣-近-返した のであろう。
御息所 である。宇多院 の愛妃と密通していることが露見 しては大
このよう に、夫婦 の関係を解消す る時 には装束 や鏡など 互 い
の持ち物 や贈り物、手紙すら相手 に戻す ことがあ ったらし い。そ
なか った のだ ろうか。 r
源氏物語」 に、出家を控え た源氏が文を
う いう物 にはそ の人 の魂がこめられて いるから、勝手 に処分 でき
焼-場面があるが、手紙はず っとと ってお-も のだからこそ、返
最後通牒 ではなか ったかと いう こと である。相手 の真心 に訴え る
こ の別 れ の歌を見 て思う のは' これ が離縁状と いう より は、
却を求めることがあ った のだ。
見む
(
古今 67
近院右大臣源能有が因香 のもとを訪 れな-な ってしま った の
言 い寄 って-るのでは、と淡 い期待を抱 いているのではな いだ ろ
最後 の手段として歌を贈 っているよう に思う。これで慌 ててまた
7373)
では 「
盛-を過ぎ た女性 の嘆きを謙虚 に訴え た」と いうが、私 に
で、女は昔もら った手紙を みな返した。小学館 の 「
古典文学全集」
2
5
う
か。
四
昔 の恋 人
- 思 い出 す
忘 れた人 のことを思 い出し、「
打ち返し君ぞこひしき ゃまとな
思う歌は、別れた時は多少恨 んでいたとしても、もう良 い思 い出
だ ったと いう ことは、 いい付き合 い方をしていたのだろう。昔を
こう見 て- ると、 一度別れた恋人同士がよ-を戻す ことはあ
とな っているからこそ詠 めるのだろう。
まりな いよう に田やっ。どちらかが望 んでも相手がはね つけてしま
的に言 い寄 っているのに、結婚した後は女が嫌み ・恨みを贈ると
異性 の贈答を関係を追 って見 て い-と、求婚ま では男が情熱
ようだ。
う例がほと んど で、あとはもう親友 のようなやりとりをしている
った。しかした いてい 「
秋 の田の稲 てふ事をかけしかば思ひ出づ
る布留 の早稲 田の思ひ いで つつ」などと連絡をす ることもままあ
るがうれしげもなし」とけんもほろろな答え が返 ってき てしまう
いう パター ンが非常 に多 い。
るも のではな い。
求婚す るとき にせ っせと歌を贈 ってきたよう に'
方もそれを承知していただろうが、嫉妬は自分 の心 でどう にかな
ひとりしか持たな いと いう人が いた のかどうかすら疑問だ。女 の
心変わりはよくあ ること、と いう よ-も この時代、生涯妻を
(
後捷 512誓 喧嘩別れ、または自炊消 滅した仲だと関係修復は難
し いらし い。
別れるには やむをえな い事情もある。 「いにL への野中 の清水
2 懐古
っと逢えた のに、期待はずれだ ったと いう こともよ-あ った のだ
実さを恨む のだ ろう。
だが男からす ると 、 一生懸命 アタ ックして気を持 たされ てや
き っと今頃あ の女 にもそんなことを言 っているに違 いな いと不誠
書 いてあ った のを見 て、贈 ったも のであ る。 「
野中 の清水 」 は
見 るから にさしぐむも のは涙なりけり (
後撰 8-3)
」は不本意 なが
ら別れ てしま った相手 の昔 の手紙 に、「
年月を経 ても逢おう」と
「いにL への野中 の清水 ぬるけれど元 の心を知 る人ぞ-む (
古今
始めてしまう平安貴族達 の恋が長続き しな- ても仕方な いのかも
さ て、 ここで少 し視点を変え 、男女 の間 に横 たわ るさまざま
五 恋 の障 壁
しれな い。
ろう。現代 でも離婚が絶えな いのだから、本人と実際 に会わず に
轡 」から来 ていて、 つまり、昔を知る人なら想 いを-んで-れ
る、と恋しくな ったと いう ことだ ろう。
また、久し-来な い男が、 「いかにぞ、まだ生き たり や」と聞
いてきた ので、 「つら-ともあらんとぞ思 ふよそ にても人や消 ぬ
るときかまほしさに (
後撰 S)
」、あなたが死んだと聞きた いから'
生きながらえ ていますと 答 えると いう、詞書 の 「
戯れ て」 がなか
ったら随分物騒な歌もある。だが、このような冗談を交わせる仲
26
町 の歌はかなり激し い愛情表現であり、それはやはり相手が 「
高
な問題を考え てみた い。
貴な人」だから出せたも のなのだろう。事実'女が素直 に恋心を
り見られな いのだ。この作者も女房 の 一人であろうが、彼女や小
結婚はた いて い同じ-ら いの身分 の相手とするが、身分 の違
少な-、天皇 への歌でも 「
数ならぬ身 に置-宵 の白玉は光見えさ
0
ノ
6)
」 のよう に自分を卑下する歌はあま
す物 にぞありける (
後撰 t
う相手と恋 に落ちる例は多く'特に男性 の方が高位 の場合が目立
詠む僅かな例 の内、身分 のわかるも のでは、必ずと言 っていいほ
- 身 分差
つ。 一番多 いのは、公卿と宮廷女房、次が親王など皇族と女房 の
一方、女が高位 の例は非常に少な い。
ど女性の身分が男性より低か った。
つき合 っているように見える。中級貴族 の娘 にと って玉 の輿に違
女四の親王 にをくりける
らまし
(
後撰 756757)
出世頭の藤原師輔も、内親王勤子を雲 の上 の人として見 ている
あしたづ の雲 ゐにかかる心あらば世を へて沢 にすまずぞあ
返し
葦たづ の沢辺に年は へぬれども心は雲 のう へにのみこそ
右大臣
組合せである。歌 の上では、彼らは特 に身分を意識せず、対等 に
いな い相手 にも、かなり辛妹な返事を しているし (
後撰 讐 女
から贈る場合も、 一般的な例と変わらず恨み つらみを述 べている
いくと いう のはよ-わかる。歌から見ると、恋には身分や年 の差
も のが多 い。ふたり の関係が進めば、自然と対等な関係 にな って
など関係な いと言うと ころだろう。
のがわかる。実際、「
継嗣令」 の規定によへ 賜姓されな い内親王
しかし、実際 の関係とは少し違う のではな いだろうか。大臣と
でも対等な口をき いているよう に見える歌では、女は伊勢や大輔
が師輔だ った。しかも後 に彼は彼女 の妹 ふた-とも結婚した。皇
女を、それも姉妹を三人も妻にしたのはおそら-師輔だけだろう。
と臣下と の結婚は禁止されており、それを実質的に破 った第 一号
っているからであり、色 々な男性との交際は、当時 の宮廷女房 に
そ の上、妹 ・雅子 の所から、「
並みたてる松 の緑 の枝わかずを
最後 に康子内親王と結婚した時 にはひど-非難を浴びたと いう。
と いった名前が並 ぶのである。彼女達は 「
亦多 さ女」 のように考
は普通 のことだ った のだろう。 つまり、どちらかと いうと遊び の
えられているが、それは彼女達が優れた歌人で、その歌が多-残
相手と見られると言うこと であり、それから自分を守るにはせめ
轡
り つつ千代を誰とかは見む (
後撰 1 」と勤子 に贈 っている。 ふ
た-とも愛してるけれど本当 に長- 一緒 にいた いのはあなたの方
です、とはどちらに対しても失礼ではな いか。雲上人とも思 って
さて、小町集 の 「
思ひ つつぬれば や人 の見え つらん 夢とし
て歌で突 っぱねる姿勢を見せる必要があ ったのではな いだろうか。
りせばさめざらまLを」等 の 一連 の恋歌は、「
歌それ自体 の発散
へ
3
)
する異様な慕情」と いったことから、人目をしのぶ高貴な相手 へ
女性が安心して恋心を伝えられる のは高位 の相手 にだけだと
いた人も妻にしてしまえばもう対等 の関係な のだろう。
贈 ったも のだと古くから言われてきた。女から恋心を述 べる歌は
27
いう ことな のか。女性が つれな いのは、必ずしも相手が気 に入ら
だ ろう。
ったからではなく、母親は娘 の代弁をする存在だ ったと いう こと
三条右大臣
実状だ ろう 。しかし、男が通 ってこな いとなるとそ の家族、特 に
に自分 の男兄弟 の通う女 など いち いち干渉しては いられな いのが
そ の後 ろにある家や家族 の思惑を気 にせず にいられるし、また逆
あ った三首 4
.
(- 、 9 , 6 )とも,男 の訪れがた女とそ の費
妹 の贈答 である点は呂を引-。
男が自分 のもと に通 って-る内は、
諭す (
後撰 響 ことはあ っても、間に立ちはしなか ったようだ 。
しか し、夫 の姉妹と のやりとりはあ った。 しかも、後撰集 に
やりとりは三代集中 に見 つからなか った。結婚 に関しては、男 の
′
U
親が結婚 に反対したり (
後撰 ■
ot 、
ll
■
▲) 女 の元 にきち んと通うよう に
一方 、女と夫 の両親と の つなが-は希薄だ ったらし-、歌 の
な いからと いうばかりではな いのは、先 にも述 べた通りだが、気
心も知れた高位 の相手 には、
もともと下の身分と いう こともあり'
真情をさらけ出す ことができ た のではな いだ ろうか。
親は、 ふたり の間 に立 つと いう意 味 でも、家柄 や財政力など
2 家族
による相手 の選択と いう こと でも、結婚 に大きく関わる。年端 の
行かな い娘 には、まず親 に歌を贈る例 (
後撰 2' 9)がみられる
し、父 の方から娘 に言 い寄 る男を牽制することもある。
しにさすと て
相撲 の還饗 の暮 つ方、女郎花をとり て敦慶親王 のかざ
女郎花 花 の名ならぬ物ならば 何かは君 のかざ しにもせ
はプ ライド の問題もあろうし、かと い って男兄弟は、 いや下手を
これが相手 の親 や男兄弟 でな いのはなぜか。姑 に訴え た ので
姉妹 に連絡を つけることがあ った のだ。
年 頃、家 の女 に消息通は し侍けるを 、女 のため に軽 々
ん
式部日記 の帥宮 のよう に 「
ではよ-似 て いる私が代わり に」など
留守 で妻 ふたりが仲良-同居す るなどと いう特殊な例は除 いて
女性同士 にはあまりな い。 r
大和物語1 1四 一段 のよう に、男が
1番 の障壁が恋敵 であ る. しかし火花 が飛 ぶような歌は実 は
3 恋敵
は姉妹 に弱 いと いう こともあ った のではな いだ ろうか。
た い同年代 で境遇も近 いので同情も引き やす いし、た いていの男
と言 い出しかねず、危険 である。そして何より'姉妹ならばだ い
すれば父親も 「
お兄さんが来な いんです」と泣き ついたら、和泉
しなどと言ひてゆるさぬあ いだ になん侍ける (
後撰 S)
こ の場合 は、美方がプ レイボーイ の敦慶 に釘を指 したと言う
)
と ころだが、
ぱ っとしな い男を親が認めな いこともある (
後撰 = 0
こう し てみると親は反対ばかりし て いるよう だが、大切な婿
がねに ついては後押 しもする。特 に、 r
伊勢物誌巴 十段や、 r
婦輪
日記」など のよう に、父親がしぶ っても母親 が積極的 に動-こと
はしばしばあ ったらし い。そして、母親は娘 の代わり に男と やり
とりすることがあるのだ。 これは結婚してからも同様 で、心変わ
りした-' つむじをまげ て来な-な ってしま った男と女 の母親が
- 0
4 、 g;)
や-とりする例 が見られる (
後撰 1
t
l
一 l 。 これは特別過保護だ
2
8
も、妻や愛人が故人をとも に偲んでいる (
後撰 l
4051
棚1
4)くら いで
ある。
したと下を つけ てきた。後 でこれを聞 いた兼家が 「
食 いつぶして
知らんぶりしているあなたの薄情さが今日こそは っきりわかりま
葵祭 に出た道綱母が時姫 の向 か いに車を停めさせ、あなたは
とや いはざりし」と て、 いとをかしと思ひけり
たとえば、r
購蛤日記Jで道綱母が兼家 の正妻時姫 に歌を贈 っ
たのは、兼家が町小路 の女と通じて足が遠 のいていた時期に、時
かるとは淀 の沢なれや根をとどむてふ沢はそことか」
と返歌する。
ふなる真菰草 いかなる沢に根をとどむらん」 に、時姫も 「
真菰草
できな-ともど こかで通じ合う部分があ った のではな いだ ろう
確かに道綱母に負けていな いとは田やっ。だが、ふた-は仲良-は
姫 の言動からするとそう言 いかねなか ったのか。歌を見 ていると
しま いた い」とは言 ってなか ったか'と言 っているが、普段 の時
立花 のよう に知らんぶりして立 っていますねと贈ると'時姫は、
姫もまた同じ状態だと知 ったからである。 「
そこにさ へかると い
結婚したての頃は自分 の所にだけ来てほしいと願 っていた道綱母
r
源氏物語」 でも、落葉宮 に入れあげ ている夕霧 に愛想を つ
か。それは嫉妬心、浮気な夫を共有する気持ちと いう悲しいこと
だ ったにしろ。
の所にも行 っていな いと知 ってこのような歌を贈る辺り、少 々嫌
みではな いだろうか。だがどちらにしても'どちらの女からも男
も、そ の時 の時姫 の気持ちがよう や-わか ったのだ。しかし時姫
が離れていることは確かな ので、寵を争うよ-慰め合 っているよ
と贈 っている。雲居雁は 「
人 の世 の憂きをあはれと見しかども身
「
数ならば身 に知られまし世の憂さを人のためにも濡らす袖かな」
にか へむとはおもはざりLを」と返歌した。典侍は時 々文を送 っ
ていたが、雲居雁が返事をした のは初めてだ ったかもしれな い。
かして里帰-した雲居雁にあ て、夕霧 のもうひと- の妻藤典侍 が
とふ風ゆゆし-もおもはゆるかな」も、考えよう によ ってはキ ッ
「
憂さなんて他人事と思 っていた」雲居雁には、典侍 の存在は許
うだ。数年後 の道綱母からの 「
ふ-風に つけてもとはむささがに
祭り見 に出でたれば、か の所 にも出 でたりけり。さな
い贈答だが'親近感が感じられる。そして十年後。
せなか ったが、夕霧と自分は幼なじみだし、結婚するまで色 々経
の通ひし道はそらにたゆとも」 「
色かはるこころとみれば つけて
めりと見 て、むかひに立ちぬ。待 つほど のさうざうし
だ。探-合 いつつも互 いの心に触れ合 った瞬間である。源氏物語
男を挟んでしか見 ていなか った人を、ダイ レクトに感じた の
典侍 の心を理解 できた のではな いか。
思 っていた妻 の座 の脆さと人心 の変わりやすさを知り、よう や-
いう凍りがあ っただろう。それが皇女 の出現で、安住していると
緯もあるし、子供も大勢 いるし、何より自分 の方が身分が高 いと
ければ、橘 の実などあるに、葵をかけて、
あ ふひとかきけどもよそにたちばなの
と いひやる。ややひさしうあり て、
君が つらさを今日こそはみれ
r
今日Jとのみ言ひたらん」と言ふ人もあり.帰りてさ
とぞある。「
に-かるべきも のにては年 へぬるを、など
ありLなど語れば、「
r
食ひ つぶし っべき心ちこそすれ]
29
が元 々購蛤日記を意識している のだろうが、新たな愛人 の出現 で
人のめにかよひける、み つけられ侍- て 賀朝法師
だが次 の歌は、そんな悠長な場面 ではな い。
で、日頃から女 の取り合 いをしていたのかもしれな い。
女性どう し の恋敵 の贈答 は、嫌 みで皮肉なよう に見え る。し
がな
身 なぐとも人 にしられじ世 の中 にしられぬ山を しるよしも
急 に連帯感を持 つ、 エゴイ ストな女達 の関係はよ-似 ている。
かし歌が交わされる状況 になる過程を考えた時、やはり男 への愛
もと のおと こ
世 の中にしられぬ山 に身なぐとも谷 の心や いはでおもはむ
返し
情が薄ら いだからだと感じず に いられな い。言葉が悪 いならあき
に泣 こうと いう殊勝な歌は、恋敵 の立場を思う余裕が出 てきた、
らめと い っても いい。身をひけと いう脅しではな-、相手 のため
(
後撰 3
16=
湖リ
)
=
他人 の妻 に通 って いた男が、夫 に見 つか った。おそら-現行
犯だ ったのだろう。そこで詠 んだ このふた つの歌は、あまり技巧
一方、男同士 の方 が緊迫 した やりとりを し て いる。妻が多 い
つま-恋人 への執着心が減 ったことを意味するのだ ろう。
と い っても、女 の数が男より多か ったわけではな いので、女 のも
かんだことをそ のまま言 ったようだ。熟考した歌 ではな-、そ の
的 ではな い。 「
知る」を重ねた賀朝 の歌はともか-、夫は心 に浮
ま た、匂宮 のよう に、他人 のふりを し て女 の元 に忍 んで い-
と で鉢合わせすることも多 々あ ったらし い。
性もあるが、 「
誰 にも知られた-な い」と言 って いる-ら いだか
場 でのやりとりだからだ ろう。 この賀朝法師、出家前 である可能
おなじ少将 (
注 ・藤原義孝)かよひ侍りける所 に、兵
ら、この時す でに僧だ ったのではな いか。そうす ると彼がここま
ことも実際あ った のだ。
部卿致平 のみこまかり て、少将 のき みおはしたりと い
で恥じ入 っており、夫がこれほどなじる理由もわかる気がする。
と自由 に恋愛し ていたと言われ、確か に光源氏 のモデルのような
とが判明したと ころで騒ぎが起き ている。この時代は男も女も割
さ て'女 同士 の場合、ず っと互 いの存在を知 って いて何か の
はせ侍りけるを、 のち にきき侍り て、か のみこのもと
機会 に贈答が行われること になるが、男だと、他 の恋敵が いるこ
に つかはしける
みかさ の山を人 に
かられて
(
拾遺 _9
1)
義孝 の恋人 の所 に' 「
少将が来ましたよ」と忍び込 んだ致平親
より次から次 へと いう方 に近か った のだ ろう。他 の男が いるとわ
人物も多 いが、色 々な男性遍歴が伝えられる女性 でも、同時進行
あ やし-もわがぬれぎ ぬをき たるかな
王は官職も匂宮と同じ兵部卿 で'しかも三の宮 である。「
三笠山」
し いだけ の相手 には歌など贈らな いからだろう。何か連帯感 を持
恋敵 同士 の贈答 があまり残 って いな いのは、 やは-ただ憎ら
か って騒ぎ立 てるのはそう いう ことな のではな いだ ろうか。
は近衛 の異称 で、致平 のかた った近衛少将 の名を示すと同時 に、
のに、歌はず いぶん詠みなれ ているよう で、このクレームも戯れ
傘をとられて衣が濡れた、濡れ衣 にもかか ってくる。義孝は若 い
のよう に感じられてしまう。三歳年長 の致平とは親し い付き合 い
3
0
ったり、共通す ると ころを感じたりして初め て交流 でき る のだ。
そしてそれが歌 によるのは、さ-げな-何気な-、しかも嫌みま
でこめて伝えることができたからだ ったのだろう。
あわ り に
恋 歌は、 三代集 にお いてほぼ三分 の 一を占 める都立 であ る。
特 に後撰集は半分以上恋歌だと い ってもよ いほど多 い。 r
宇津保
物語J に 「
艶書 の和歌なきは、人あなづらしむるも のなり」と言
われるよう に、恋 には和歌が つきも の、と いうよ-な- てほなら
手 に返すようなも のではなか った のかもしれな い。
異性 の贈答を見 てき たが、だ いた いが恋仲 の贈答 で、友人関
係と一
首 っも のはあまり見あたらなか った。しかし皆無 ではな いの
で、機会があればさらに範囲を広げ て異性間の友情 に ついても考
え てみた いと思う。
(
(
注)
-)藤木春草 「
女房と女君 (
六)- 歌をよみかける女たちl
「
国語国文論集」 二五号 安田女子大学日本文学会 一九九
五
八
それは、歌と いう非日常的な形態をとること で、言葉 に呪力を
2)小町谷照彦 「
源氏物語の求婚 の贈答歌」 ﹃
王朝文学の歌こと
ば表現﹄ 若草章 居 一九九七 所収
な いも のだ ったのだ。
持たせ、相手 の心 に働きかけることができるからであ-、そし て
(
⊥ ﹃
平安文学論集﹄ 風間書房 一九九二 所収
(
やま しろ みね ・東京都立園芸高等学校司雷 )
3)後藤祥子 「
女流による男歌- 式子内親王歌 への 一視点-
生活 の中 で、和歌 は自 分 の真情を託すも のと し て機能 し て い
また和歌でこそ自分 の想 いを赤裸 々に訴えられるからでもあろう。
た。もちろん、必ずしも本心ばかりとは言えず、大げさに言う場
欠なも のだ ったことはまちが いな い。そして恋愛 の場面 でも っと
合も多 々あ ったことと思うが、貴族社会 の社交 の具とし ても不可
だ から こそ、恋愛 のど の場面 でも歌が詠まれ、心が や-とり
も重視されたことは言うま でもな い。
こと でもあ った。求婚 に返事をするのはそれを受け入れること に
されるのだ。そしてまた、贈答をすると いう ことは互 いを認める
つながるLtまた、恋敵どうLは連帯感を持 ったとき贈答す る。
と いう点 で、贈歌を つ-るより数段難し いので、どう でも いい相
答歌を詠む のは、贈歌を踏まえ、それに対抗しなければならな い
I
31
一
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