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絵本における画像イメージと言語表現 - プール学院大学・プール学院短期

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絵本における画像イメージと言語表現 - プール学院大学・プール学院短期
プール学院大学研究紀要 第54号
︱宮沢賢治﹃注文の多い料理店﹄考︱
絵本における画像イメージと言語表現
はじ め に
西
宣
尾
明
言語表現における文芸ジャンル、すなわち小説・詩歌についての読解方法について概観する。一般に、これらは、読む人の年齢や生きている時
代によって解釈が、さまざまになることが想定される。ある小説を、二〇歳で読んだ時の印象と四〇歳で読んだ時との印象に変化が生じることを、
私たちはしばしば経験する。ある小説に対する評価が、読者が生きている時代によって変化することも当然であろう。読者自身の生活感覚や価値
観もその時代や社会に影響を受けるからである。つまり、文芸作品とは、読者と作品言説との関係性によって解釈は多様なものとなる言語表現体
だといえる。そのため、いわゆる名作とされる作品は、読解の方法を変化させながら読み継がれ、いくどもの再評価をへて古典的作品となってい
くのである。つまり、文芸研究においては、まずそうした読解の多様性を肯定したうえで解釈を考えなければならない。
に自覚的になることである
ぞれの方法そのものにも、流行した時代との影響関係を指摘できる。大切なことは、自分の読解の結果を絶対化することなく、その方法のあり方
学的方法、歴史社会学的方法、文芸学的方法、テクスト論、ポストモダニズム、ポストコロニアリズム、ジェンダー論など多種多様である。それ
それゆえ、文芸作品の読解方法については、アカデミズムの分野でも数多くの方法が提示されてきている。昭和二〇年代以降に限っても、文献
2013年,15∼26
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されるということである。小説を原作とする映画やテレビドラマ、また、アニメーションや劇画、絵本は数多いだろう ︵1︶
。児童文化の分野では、
つぎに、小説や詩は自立した言語表現体であると同時に、それらのテクストは別のメディアに表現媒体を変換され、しばしば再生産・再構築
小説作品の絵本への変換がその典型の一つである。
ついて考察する。
本稿では、宮沢賢治の﹃注文の多い料理店﹄について、いくつかの絵本などの作品をとりあげ、それらの画像イメージと言語表現との関係性に
一、﹃注文の多い料理店﹄の成立とその時代性
文芸作品としての﹃注文の多い料理店﹄が成立した時代背景について、整理しておく。
宮 沢 賢 治 が、 岩 手 県 稗 貫 郡︵ 現、 花 巻 市 ︶ に 一 八 九 六 年︵ 明 治 二 九 年 ︶ に 生 ま れ、 盛 岡 高 等 農 林 学 校 を 卒 業 し、 そ の 後 も 農 業 問 題 に 取 り
組み、また、仏教思想に影響を受けていたことはよく知られている。詩人としてまずその文学的生活を出発する。童話の本格的な執筆は一九二一
年︵大正一〇年︶からである。そして、﹃どんぐりと山猫﹄﹃水仙月の四日﹄など九編の童話を収載した﹃イーハトヴ童話
注文の多い料理店﹄︵光
原社︶を単行本として賢治が自費で刊行したのは、一九二四年︵大正一三年︶一二月のことである。
のも、これと同じ一九二四年であったことは注目しておいてよい。賢治童話が刊行されたのは、﹁新感覚派﹂の誕生と同じ年のことである。
文芸史的にいえば、都市生活を基調としたモダニズム文芸のはじまりだといえる同人雑誌﹁文藝時代﹂を、横光利一や川端康成たちが創刊した
は、富国強兵と脱亜入欧のスローガンのもと近代化の道をひた走る。明治初期の日本は、極東の貧困で軍事力も十分ではない農業国家であった。
そこで、作品を読む前提として、まず日本近代の歴史的展開をおおざっぱに概観しておきたい。一八六八年︵明治元年︶の明治維新から、日本
しかし、日清戦争︵一八九四年∼一八九五年︶と日露戦争︵一九〇四年∼一九〇五年︶という二つの対外戦争に勝利し、一九一〇年代つまり明治
の終わりごろには、日本は世界的な帝国へと変貌していくのである。工業が盛んとなり、産業構造も変化していく。そして、都市の人口が急増し、
大衆化社会がはじまるのが一九二〇年代である。そして、このことは、都市と非都市︵農村︶との地域間格差を助長していくことも同時に意味し
ていた。
都市生活において、一九二〇年代は、アメリカ的な生活をモデルとするモダンライフが東京や大阪などを中心に広がっていく。大正中期ごろの
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ことである。サラリーマン、ボーナス、昇給、ユニオン、ラッシュアワーなどの言葉が一般化する。たとえば、この時代の流行語をあげてみると、
﹁恋愛の自由﹂︵一九二二年︶、﹁コンビーフ・アイスクリーム﹂︵一九二四年︶、﹁モガ・モボ﹂︵一九二五年︶、﹁銀ブラ﹂︵一九二六年︶などであり、
タクシーをもじって﹁歩く﹂という意味の﹁テクシー﹂︵一九一八年︶や、無線をもじって﹁無銭飲食﹂を意味する﹁ラジオ﹂︵一九二六年︶と
いった言葉遊びも盛んとなる。ナンセンスの時代である。
文芸の分野でも、萩原恭次郎などの都会的で虚無的なアナーキズムの詩が登場する。これらの文化のあり方をまとめて言えば、風土や地域に固
定されない、換言すると、日本固有のものではない無国籍で、世界同一的で都会的大衆的な生活感覚を人々がもちはじめた時代だと考えられるだ
ろう。そして、それは、現在の私たちがもつ生活感覚のはじまりを告げる時代でもあった。文芸の世界では、こうした時代背景のもとに生まれた
ものが、先にも触れた﹁新感覚派﹂であり、小説では横光利一の﹃頭ならびに腹﹄や川端康成の﹃伊豆の踊子﹄などがこれにあたる ︵2︶
。
う。こうした時代性を背景に、賢治の﹃注文の多い料理店﹄は創作されたのである。この点からも、大正期の﹁赤い鳥﹂童話で、鈴木三重吉や小
こうした都市部におけるモダニズム文化の隆盛に反して、一九二〇年代は、とくに東北地方の農村が経済的に疲弊していったことは周知であろ
川未明らが提唱した童心主義的世界観と賢治童話との差異は意識しておかなければならないだろう。
二、﹃注文の多い料理店﹄の読解
︵3︶
。﹁注
﹃注文の多い料理店﹄の梗概は、簡単に述べれば都会からやってきたハンター二人が、山猫にひどい目にあわされるという物語である
文﹂という言葉の罠を山猫が仕掛け、それにかかっていく﹁紳士﹂の物語である。最後にハンターたちが帰る都市は﹁東京﹂である。よく知られ
ているように賢治自身もこの作品についてつぎのように述べている。
こどもらが都会文明と放恣な階級とに対する止むに止まれない反感です。︵﹁﹃注文の多い料理店﹄広告ちらし﹂一九二四年︶︵4︶
二人の青年紳士が猟に出て路を迷ひ﹁注文の多い料理店﹂に入りその途方もない経営者から却つて注文されてゐたはなし。糧に乏しい村の
この一文から、﹁東京﹂に代表される都会文明に対する作者・賢治の強い反感と嫌悪が、その創作の根源にあったことが確認できる。
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軒﹂にいたるまでの言説から、﹁紳士﹂たちの人物像はすでに明確である。
作品は、イギリスの兵隊の姿をした二人の﹁紳士﹂が、狩猟を目的に山奥を歩いている場面からはじまる。作品の中心となるレストラン﹁山猫
﹁ぜんたい、ここらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やってみたいもんだな
あ。﹂
狩猟の獲物がいないのは山︵自然︶に問題があり、﹁紳士﹂たちは絶対的に優位な意識で自然と対峙しているのである。まず、案内してきた
﹁ 専 門 の 鉄 砲 打 ち ﹂ が 姿 を 消 し て も 二 人 は 気 に も と め な い。 さ ら に、 連 れ て い た﹁ 二 疋 ﹂ の﹁ 犬 ﹂ が 突 然 死 ん で し ま う と、﹁ じ つ に ぼ く は、
二千四百円の損害だ﹂、﹁ぼくは二千八百円の損害だ﹂と動物の命を金銭に換算するのである。イギリス人の姿は西洋を信奉する都会文明の象徴で
あり、それはまた功利主義的な金銭至上主義と表裏一体のものであると賢治は認識し、﹁紳士﹂たちはそれらを体現する人物として造形されてい
る。
さて、帰り道を見失い、空腹の二人の前に﹁立派な一軒の西洋造りの家﹂が現れる。注意しておかなければならないのは、﹁立派な﹂と形容さ
れた﹁西洋造りの家﹂という表現である。そこには、この﹁紳士﹂たちの価値意識が表象されている。見栄えの良さと西洋文化を価値あるものだ
と考え、それを疑うことなく無批判に受けいれる意識である。﹁西洋料理店
山猫軒﹂という表現は、﹁紳士﹂たちを罠にはめるためにもっとも有
効な記号なのである。
は﹁このうちは料理店だけれどもただでご馳走するんだぜ﹂という。そして、二人はレストランの中で、いくつかの﹁扉﹂のところに記載された
まず、レストランのガラス戸のところに書いてある﹁どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません﹂という金文字を見て、二人
指示に従って身に着けているものを脱いでいくのだが、たとえば、牛乳のクリームを﹁顔や手足にすっかり塗ってください﹂という指示に対して、
﹁室のなかがあんまり暖かいとひびがきれるから、その予防なんだ﹂と解釈する。さらに、﹁早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてくだ
さい﹂という指示の後、その香水が酢であることがわかっても、二人はつぎのように解釈する。
﹁この香水はへんに酢くさい。どうしたんだろう。﹂
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﹁まちがえたんだ。下女が風邪でも引いてまちがえて入れたんだ。﹂
なほどの自己中心主義である。
二人の紳士の間抜けぶりは笑いを誘うが、その理由は、自分に都合のよい視点でしかこの二人が現象を解釈できないことに起因している。滑稽
﹁か
しかし、このレストランが﹁西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家﹂だと気づいたとき、
ぎ穴からはきょろきょろ二つの青い﹂山猫の﹁眼玉がこっちをのぞいて﹂いたことを、﹁紳士﹂たちははじめて認知する。自分たちの視点でしか
現象を解釈できない二人は、じつは山猫たちに見られる存在だったのである。そこで﹁紳士﹂たちはふるえだし、泣き出すのである。ここにい
たって、この物語は、人間のまなざしではなく山猫︵動物、自然︶のまなざしで進行していたことが解き明かされる。
する。二人の都会人は、非都会人の﹁猟師﹂に救済されるのである。結末部の一文はしばしば論考の対象となる。
最後に、この二人の﹁紳士﹂を救うのは、死んだはずの﹁二疋﹂の﹁犬﹂と消えたはずの﹁専門の猟師﹂である。二人はそこでやっと﹁安心﹂
しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。
た顔が﹁もとのとおりになお﹂らない点から、勧善懲悪的な道徳的な教訓性をテーマとした小説としても読むことができるだろう。いずれにして
︵5︶
原子朗は、この結末部について﹁放恣な階級﹂の﹁えせ紳士﹂の姿を読みとっている 。そして、その﹁えせ紳士﹂たちのくしゃくしゃになっ
も、近代における都市︵東京︶と非都市︵農村︶や、人間と動物︵自然︶との価値認識の転換を﹃注文の多い料理店﹄はモチーフとしているので
ある。
三、言語表現への対象感情の多様性
その言説を対象として読者がどのような感情を喚起させられる可能性があるかを考察する。まず、最初の場面である。
芸術作品などを鑑賞したとき、鑑賞者の内面に生ずる感情が対象感情である。本節では﹃注文の多い料理店﹄における言説のいくつかを示し、
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それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。︵中略︶
/風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。︵中略︶/その時ふとうしろを見ますと、立
派な一軒の西洋造りの家がありました。
議な世界に迷い込んだことを意味する。現実世界から異世界への空間の移行である。ここまでの場面は、現実から別の世界へのいざないだといえ
﹁山奥﹂は、﹁紳士﹂たちにとっては異界である。さらに、自然もまた不気味である。そこに﹁西洋造りの家﹂があること自体がもはや不可思
る。
恐怖のはじまりだとも捉えることができる。つまり読者がもつ対象感情は、期待感と不安感といった対立的感情が予想される。
レストランの登場は、空腹の﹁紳士﹂たちには喜ばしい出来事である。一方で、﹁二疋﹂の﹁犬﹂の突然の死や自然描写の表現を考え合わすと、
の開き戸﹂がある。廊下を進むとつぎは黄色の文字で指示が記された﹁水いろのペンキ塗りの扉﹂がある。﹁赤い字﹂の指示などが続き、つぎに
つづいて、二人はレストラン﹁山猫軒﹂の奥へ奥へと進んでいく。玄関は﹁白い瀬戸の煉瓦﹂でできており、金文字で指示が記された﹁硝子
﹁黒い扉﹂がある。そこは、貴金属類を入れる﹁黒塗りの立派な金庫﹂のある部屋である。そして、いよいよ﹁香水﹂の指示がある﹁扉﹂まで進む。
﹁金色﹂から﹁黒﹂への色彩イメージの変化も含めて、これらの﹁扉﹂は、﹁紳士﹂たちとそれに感情移入した読者を次第に恐怖の世界へと導く役
割を果たしている。
﹁料理はもうすぐできます。/十五分とお待たせはいたしません。/すぐたべられます。/早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけて
ください。﹂
﹁紳士﹂たちは、﹁たべられます﹂の助動詞﹁られ﹂を可能の意味に理解し、﹁たべることができる﹂と考えている。しかし、この表現には仕掛
けがあり、山猫の側からは﹁られ﹂は受身の意味で用いられ、二人の﹁紳士﹂が﹁食べられてしまう﹂ことを示している。物語の視点が逆転する
ことの暗示である。壺の塩を身体にもみ込めという指示で、二人はようやく﹁どうもおかしいぜ﹂と感じ、﹁たくさんの注文というのは、向うが
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こっちへ注文して﹂いることだと気づくのである。
﹁これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが⋮⋮。﹂がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。/﹁その、ぼ、
ぼくらが、⋮⋮うわあ。﹂がたがたがたがたふるえだして、もうものが言えませんでした。/︵中略︶お互いにその顔を見合せ、ぶるぶるふる
え、声もなく泣きました。/中ではふっふっとわらってまた叫んでいます。/﹁いらっしゃい、いらっしゃい﹂︵中略︶/二人は泣いて泣い
て泣いて泣いて泣きました。
きつづける二人の心情に感情移入して読解すれば、強い恐怖を読者は感受することになるだろう。文芸構造論的にいえば、喜劇的要素とホラー的
このレストランの中での二人の﹁紳士﹂の一連の行動は、一面では笑いを喚起させるものであり、滑稽な感覚を読者に生起させる。一方で、泣
要素の二律背反的内実性を認められる作品が﹃注文の多い料理店﹄なのである。
最後は結末の箇所である。前節でも述べたように、二人は﹁二疋﹂の﹁犬﹂と﹁猟師﹂にこの危機を救われる。
そして猟師のもってきた団子をたべ、途中で十円だけ山鳥を買って東京に帰りました。/しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人
の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。
﹁新感覚派﹂の横光や川端が関西から上京し都会で新たな文芸思潮を主張しようとした姿勢と、賢治のそれとは対極的であろう。
﹁東京﹂という言葉が作品にはじめて明記され繰り返されることは、印象深い。﹁東京﹂は批判されるべき都会文明の象徴である。この意味で、
さて、結末部で﹁十円﹂で﹁山鳥を買って東京に帰﹂る﹁紳士﹂たちの価値意識は、レストランでの恐ろしい体験をへてもまったく変化してい
ない。まったく反省しないのである。そこには、都会人の退廃性をこの二人の様相を通じて感受することができ、読者には都会人への嫌悪感を生
起させるだろう。また、先に述べたように﹁紙くずのようになった二人の顔﹂が﹁もとのとおりになお﹂らないことからは、善でない者は罰せら
れるという倫理的道徳的な教訓性を読者は対象感情として抱くだろう。
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四、絵本における画像イメージと読解
ここで、﹃注文の多い料理店﹄の冒頭部分を画像化した三つの異なる絵を比較してみる。最初のものは、絵本﹃注文の多い料理店﹄︵偕成社、
一九八四年六月︶のもので、島田睦子の版画作品である。二つ目のものは、絵本﹃宮沢賢治童話集
注文の多い料理店﹄︵たくみ書房、一九九二年
四月︶のものである。森本三郎の作品で、一九八〇年前後に賢治の童話をこれも版画化したものである。三つ目のものは、紙芝居仕立てになって
いる︵厳密にいえば絵本ではないが、絵本化されている︶DVD作品﹃名作の風景
絵で読む珠玉の日本文学七
宮沢賢治Ⅱ﹄︵コロムビアミュー
ジックエンタテインメント株式会社、二〇〇七年︶に収録されているもので、フクハラヒロカズの作画である。本稿では、島田の作画をA、森本
の作画をB、フクハラの作画をCとして ︵6︶
、以下、考察を試みる。また、紙幅の関係で、例示は最初のページの画像のみとする。
画像B
画像C
ところで、画像作品の特質を考察するとき、芸術論的にいえば、それぞれの作画作家特有の様式をそこに見出しそれを論ずることも可能である。
画像A
絵本における画像イメージと言語表現
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しかしながら、本稿の目的は作家独自の芸術様式を解明することにあるのではなく、絵本における画像が﹃注文の多い料理店﹄という文芸作品読
解のイメージ形成にどのように関与しているかを検証する点にある。そのため、本稿での考察はその点にとどめる。
いという点である。作家論的に賢治の言述からいえば、作品の舞台を東北の山奥と考えることは容易であるが、それぞれの絵にはそのことを明示
最初に確認しておきたいことは、A・B・Cいずれの画像にも、一九二〇年代の日本における都会文明のあり方を否定的に捉えるイメージはな
するような描写はない。つまり、﹁糧に乏しい村のこどもらが都会文明と放恣な階級とに対する止むに止まれない反感です﹂︵7︶という賢治の意図
は、これらの作画には反映されていない。
このことを踏まえたうえで、まずAの画像から検討する。﹁イギリスの兵隊のかたち﹂をした二人の﹁紳士﹂の姿は、比較的リアリテイをもって
描かれ、そのイメージが明確な絵となっている。さほど、恐怖感を喚起させるイメージではなく、作品の内容を忠実になぞって描かれている。最
後まで、﹁紳士﹂の顔についての造形も大きくは変化しない。この絵本の最終ページの絵は、一人の﹁紳士﹂はスーツ姿で会社のデスクで電話を
かけている画像である。それは、上司や同僚とおぼしき四人が、いぶかしげに皺ばかりの﹁紳士﹂の顔を見ている様子の画像である。つまり、結
末部の島田の絵は、﹁もとのとおりになお﹂らない﹁顔﹂という﹃注文の多い料理店﹄が有する勧善懲悪的な教訓性が強調された画像となってい
る。
つぎに、Bの画像である。最初のページで、すでに﹁二疋﹂の﹁犬﹂の死が描かれている。また、﹁紳士﹂たちの描写については、﹁イギリスの
兵隊﹂や西洋人のイメージは希薄である。さらにいえば、都会から来た﹁紳士﹂のイメージすら画像からは読みとれない。この絵本では、レスト
ラン﹁山猫軒﹂での二人の行動を描いたいくつかのページで、黒い影のように描かれる山猫たちが、恐ろしいまなざしで二人をいつも見つめてい
る様子が描出されている。これが森本の絵の特徴である。さらに、他のページのものも含めBの絵本の画像で特徴的なことは、風や木々など、自
然がふんだんに描かれている点で、人知の及ばない自然の恐ろしさをイメージさせる。つまり、森本の絵による作品世界は、異世界や恐怖感と
いったある意味でホラー的な物語イメージが形成されている。また、最後のページには﹁東京﹂に帰った場面は描かれず、二人の﹁紳士﹂がとぼ
とぼとさみしそうに山を下る後ろ姿を描いたシーンで終わっている。そのため、Bの絵本では﹁紙くずのようになった﹂ままの二人の﹁顔﹂は強
調されず、倫理的道徳的な要素を作品に認めるのはむつかしいものとなる。
いては、恐怖感を喚起するイメージ画像は皆無といってよい ︵8︶
。また、都会文明などを否定し批判する要素もさほど強調されない。絵のイメー
Cの画像の検討に移る。Cのものの特質は、コミカルにデフォルメされて描かれている点につきる。作品理解に関しては、このDVD作品にお
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ジからリアリテイのある生々しさは排除され、笑いを誘う喜劇性を有したメルフェン的な物語として作品は進行するのである。すなわち、フクハ
ラの絵は、作品の寓話性 ︵9︶を印象づけるものとなっている。
ことが理解できる。
以上のように、言語表現体としての小説に、画像イメージが付加されたとき、物語イメージは限定的なものとなり、読解の視点が固定化される
まと め
三つの絵本などから画像イメージの違いと、それが作品読解に与える影響について考えてみた。これらの画像作品からは、文芸作品に対する画像
文芸作品は言語表現体であるが、それらはさまざまなメデイアに変換され、再生産・再構築される。前節では、﹃注文の多い料理店﹄について
作家たちの解釈がそこに投影されていることが理解できる。そして、その画像のイメージが、作品言説の解釈の多様性を抑制し、読者の作品理解
を限定的なものにし固定化しているのである。
﹃注文の多い料理店﹄は、小学校国語教科書の教材としても採択され日本近代文学では広く知られた作品である。最初に述べたように、文芸作
品はつねにその解釈に多様性を有しており、そのことを前提に作品にはアプローチする必要がある。一方で、一般に文芸作品における言語表現は
解釈に多様性を認められるが、映像や画像などの視覚的イメージはその認識が固定され限定的なものになる傾向が強いのである。
幼児教育や初等教育における絵本教材やアニメーション教材の重要性はいうまでもないことだろうが、それを教授する立場にあるものは、それ
ぞれの画像が与えるイメージ形成の特質と言語表現との異質性を十分に認識しなければならないのである。
଑
︵1︶ 小説や漫画作品を原作として、テレビドラマや映画などそのメディアが変換された事例は数多いだろう。さらに、監督や演出家が替わり、何度も同じ作品が
リメイクされることもある。本稿が対象とする﹃注文の多い料理店﹄は、童話作品として発表されたものだが、後にさまざまな画像を付した絵本として出版
されている。
︵3︶﹃注文の多い料理店﹄は賢治の代表的作品であり、多くの研究者の調査・研究がある。
﹃文藝時代﹄創刊号に掲載され﹁新感覚派﹂文芸のはじまりを告げる小説だとされる。
︵2︶﹃頭ならびに腹﹄と﹃伊豆の踊子﹄は、ともに一九二四年一〇月、
絵本における画像イメージと言語表現
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その中で、杉浦静﹁
﹃注文の多い料理店﹄ノート ︱これらは決して偽でも仮空でも窃盗でもない﹂
︵
﹃国文学﹄一九九二年九月号、学燈社︶は、特筆しておい
てよい。大正一〇年の﹁岩手日報﹂を調査し、当時の岩手県が狩猟家たちにとって魅力的な狩猟場であり、また、狩猟家は高額な狩猟税を負担しうる階層の
人々であることを実証している。さらに、この当時イギリスでは上流階級の遊びとして狩猟が盛んであったことも証明している。西洋文化に感化された、都
会に居住する裕福な階層の人々の遊びである狩猟を、菜食主義者の賢治が嫌悪したことは疑いない。
注文の多い料理店﹄
︵光原社︶刊行時の、
﹁広告ちらし﹂に賢治が記したものである。また、その冒頭部には、﹁イーハトヴは
︵4︶ 一九二四年の﹃イーハトヴ童話
一つの地名である。︵中略︶実にこれは著者の心象中に、この様な状景をもつて実在したドリームランドとしての日本岩手県である。﹂と記されている。
宮沢賢治﹄角川書店、一九八一年六月。
︵5︶ 原子朗編﹃鑑賞日本現代文学⑬
︵6︶ 作画の引用文献は、左記のとおりである。
A=宮沢賢治・島田睦子﹃注文の多い料理店﹄偕成社、一九八四年六月。
B=宮沢賢治・森本三郎﹃宮沢賢治童話
注文の多い料理店﹄たくみ書房、一九九二年四月。
なお森本光子による同書の﹁あとがき﹂に﹁いまから十数年前、あるきっかけが三郎に賢治の童話を版画にすることを思いたたせました。そして
選ばれたのが﹃注文の多い料理店﹄だったのです。その頃、数ヵ月の病院生活を余儀なくされた彼は、病院の個室に道具をもちこんで、絵筆のかわ
りに版木を彫ることに熱中しました﹂と記されている。作画は、一九八〇年前後のものであると推定される。
C=製作・著作 NHK・ピーマンハウス﹃名作の風景 絵で読む珠玉の日本文学七 宮沢賢治Ⅱ﹄コロムビアミュージックエンタテインメント株式会
社、二〇〇七年。
﹃注文の多い料理店﹄は、朗読・千葉裕子、
なお、このDVD作品には、賢治童話が四編収録されており、朗読、絵の担当者はそれぞれ異なっている。
絵・フクハラヒロカズで、音楽は田ノ岡三郎が担当している。
︵7︶ 前掲︵4︶と同じ。
︵8︶ 追記すれば、朗読を担当している千葉裕子の語りも全体に穏やかであり、画像イメージと音声イメージはいずれも残忍さや恐ろしさを感じさせない。
た見解は、賢治童話の本質を寓話性に求めている。
﹃国文学
︵9︶ 賢治童話に寓話的な世界を見る考え方も多い。たとえば、伊藤真一郎﹁賢治とルイス・キャロル﹂︵
解釈と鑑賞﹄一九八四年一一月号、至文堂︶の
﹁日常的な意識から解放されて、感覚の世界に出現してくるさまざまなものと自由に遊び戯れる、そういう仕方で彼の童話は成り立っているのである﹂といっ
︿付記﹀① 本稿における宮沢賢治作品等の引用は、
﹃新校本 宮澤賢治全集﹄
︵筑摩書房︶による。ただし旧字体は新字体に改め、ルビ等も省略している。
②
本稿は、プール学院大学短期大学部幼児教育保育学科・二〇一三年度開講科目﹁言語表現﹂の講義内容の一部をまとめたものである。
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(ABSTRACT)
Visual and Verbal Representation in Children’
s Picture Books:
The Case of Miyazawa Kenji’
s‘Chumon no Ooi Ryoriten’
NISHIO Nobuaki
There are many picture books based on children’
s literature. The aim of this thesis is to
discuss influences on readers when written media of children’
s literature is transformed into
media with visual images. First, I interpret Miyazawa Kenji's‘Chumon no Ooi Ryoriten’is
interpretted in terms of verbal expression. Miyazawa’
s work critically depicts social conditions
in Japan in the 1920s from a perspective of the margins. The work shows relationships
between people and nature or animals as well as relationships between urban and rural areas.
Then Visual representations are compared in three picture books based on‘Chumon no Ooi
Ryoriten’
, examining how reading comprehension of literary works gets confined or fixed by the
addition of visual images or media transformation.
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