...

平成25年8月27日発行

by user

on
Category: Documents
16

views

Report

Comments

Transcript

平成25年8月27日発行
第109号
平成25年8月27日発行(1)
のっぽさん (写真提供:「ノッポさんの宮沢賢治制作委員会」)
草野心平さんのこと
八百板 洋 子
20代の初めに、わたしは詩を
勉強するため、ブルガリアのソ
フィア大学大学院に留学しまし
愛の挫折から3
6歳でピストル自殺した彼は、当
時のブルガリアでの国家的評価は低かったので
す。しかし、その詩は、フォルムも多岐にわたり、
音の響きが美しく、言語の壁を超えた普遍性が感
じられます。
ところが、実際に訳し始めると、凝縮された詩
た。
シベリア鉄道を経て、モスク
ワから飛行機でソフィアに行く
長旅でした。荷物の中に、わた
しは宮沢賢治と草野心平の本を詰めました。
の言葉を翻訳することの難しさに、悶々としてい
ました。
ある日、思い切って、2、3の訳詩を草野心平
さんにお送りしたところ、他の訳詩も見たいとの
お手紙をいただきました。感激したわたしは、一
ただ、好きだったということで。
後年、二人の詩人の繋がりを知りましたが、当
時わたしは何も知らなかったのです。
年あまり、何度か詩稿をお送りし、
1
9
75年の7月、
日赤病院入院中の草野心平さんを訪ねました。そ
れが、お互いの初対面です。
草野心平さんとの出会いは、20代の終り、わた
おそるおそるドアを開けると、大きな、がっち
りした背中が目に入りました。一瞬、わたしは、
しがブルガリアから帰国してしばらく経ってから
です。その頃、わたしは、留学中研究していた19
世紀の詩人、ペイヨ・K・ヤーヴォロフの詩を翻
この人は、あまりいい患者ではないようだと感じ
ました。
枕もとに書きかけの原稿が散らばっていて、
訳していました。
ノートに何か書いておられたようです。ベッドの
(2)
宮沢賢治記念館通信
第109号
下には、あやしげな瓶までが見えて、
「まさか」病
室でアルコールはないだろうと、頭がくらくらし
ました。
現代人の我々がドリームランドを
崩壊させてはならない
「ヤーヴォロフの詩の翻訳者です」
と声をかけると、
「あなたが、あの詩の訳者なのか」
と、戸惑ったような、はにかんだような表情をな
さいました。
高 橋 亭 夫
朝の光が病室のベッドに乱反射してまぶしく、
窓に背を向けて立つと、枕元のメモのような紙片
の文字が目にとびこんできました。槐多、槐多―
と。
とうとう、「村山槐多」をまとめられるのかと、
感慨深いものがありました。
翌年5月、未発表の詩や絵も収めた心平さんの
『村山槐多』が出版されました。
ヤーヴォロフ詩集『ふたつの情念』も6月に発
刊され、わたしは翻訳者として歩きだしました。
今から拾数年位前に、北上高
地の山あいの小さな中学校で
「皆さんが郷土のすばらしさ、
春夏秋冬の変化を気付かずにい
るでしょう。夏は暑く、秋には
紅葉になり、それが落葉し冬に
は雪が降るのが当然と想ってい
るでしょう。皆さんが高校は県内としても、大学
や社会人となり、ふるさとを離れたときに必ずふ
るさとのすばらしさが解ると想います。そのとき
はふるさとと親に感謝の念が出ますよ」と話した
ことがありました。
そして学校が全員に感想文を書かせると全員が
訳詩集にもかかわらず「序」をよせてくださっ
た心平さんの気持を思いおこすと、いまだに熱い
すばらしさが解らなかったという結果でした。人
間が住み続けていると、その場所のすばらしさが
忘れがちになります。
ものがこみあげてきます。
その後、福島県川内村の「天山文庫」に心平さ
私はこの地球上で、岩手の内陸部の県央から南
部にかけてと、長野県の一部地域等がこの地球上
んを訪ねるなど、亡くなられるまでの十余年、素
顔に触れる機会がありました。
「ここは設計は建築家だが、村のみんなが手伝っ
で特に四季折々の変化がすばらしく大好きです。
それを賢治さんは当時は勿論テレビやパソコン
て建てた。庭もみんなが、自分の家の庭木を持ち
よってつくったんだ」
天山文庫をとても気にいっておられ、心平さん
は、うれしそうに顔をくしゃくしゃにして話され
もなく、ラジオの電波も盛岡から発信されていな
い時代、1
9
2
3年(大正1
1)
「注文の多い料理店」で
地名として、イーハトーヴ、ドリームランドなど
と呼び、その場所は日本岩手県と明記していま
す。ところが近年その理想郷の地球が年毎に猛
たものです。夏になると、文庫のまわりの木々が
涼しい木陰をつくって、心地よい風が吹きぬけて
暑、局所豪雨、竜巻、多量降雪、寒波等々気候変
動による自然災害、気象災害等が前年に見られな
いました。
今でも、わたしの訳詩集に「序」をよせてくだ
さるとき、心平さんがおっしゃった言葉が鮮やか
に思い出されます。
かったものが年毎に多発傾向にあります。
私はその自然災害等に最近は人災が多く加担さ
れているように想います。この自然災害の中でも
「20世紀も後半となると、すべての詩は普遍の場
に立たされる。ヤーヴォロフの詩もそうだよ」
と。
まだ多くの人に知られていなかった宮沢賢治の
詩と童話に、深く共鳴し、高い評価を与えた草野
心平さんの、たしかな眼光を見た思いがいたしま
す。
(翻 訳 家)
温暖化現象の進行は想像を上回るハイペースで進
行しております。そこでこの温暖化現象について
多少述べさせていただきます。
私は賢治さんの没年の19
3
3年(昭8)花巻市
(旧湯本村)に生まれ、定年退職まで花巻市内に
勤務しました。第二次大戦後の昭和2
0年代後半に
山好きの同好会的な花巻山岳会に入会しました。
そして東京上野のアメ横から米軍の放り出し用具
等を買い求め、早池峰山などを始め県内の冬山等
の山行が始まりました。勿論食料、装備も現在と
は比較になりません。カメラは2∼3人位が持っ
宮沢賢治記念館通信
第109号
(3)
ていました。私もやっとカメラも持つようになっ
たときの喜びは今でも忘れません。そのカメラで
モノクロではありましたが以前の冬山の写真と比
が年毎に増大し被害を拡大しています。また、冬
季では一時的に多量の降雪量と寒波の襲来などが
あります。
較して変化に気付きました。それが19
80年代前半
で温暖化が岩手にも始まっていました。
その後ヒマラヤでのアイスハーケンのテスト等
を行い、そして冬の北海道に関心を持ち、19
8
6年
より冬の渡道が始まりました。
これらの根源の多くは温暖化を作りだした我々
先進国の人々の生活によるものであり、大きな
ファクターになっていると思います。
今日我々は豊かな物質社会に落ち入り、資源の
ない我が国でありながら、浪費を美化する時代も
冬の北海道では、きびしい気象条件で本州では
体験出来ないすばらしい雪と氷の造形美を毎回異
なるものを堪能出来ました。
過去にはありました。明日からでも生活を改める
位の心構えが必要です。資源は無限ではなく有限
です。現代人だけで使い切りはできません。
定年退職後は道東を中心に冬季には2∼3週間
位道民の多くの方々のご協力をいただき定点撮影
9
0年前に賢治さんが求めたふるさと「理想郷」
は決して我々現代人のものではなく、後世の人々
等を20
10年まで行いました。それらを道東の紋別
市の道立オホーツク流氷科学センターで2回写真
展を行い、この現象を訴えました。
からの前借物です。この地に生まれたことを誇り
に思いふるさと「理想郷」の大地を決してこれ以
上痛めたり、崩壊させてはなりません。
ここではまず温暖化による雪氷の造形変化、海
面水温の上昇による流氷の減少化(漁業との関連)
最後になりますが、あの東日本大震災の1
1年7
月1
0日より翌年12年5月31日まで長期間イーハ
や暖冬傾向などで温暖化現象は緯度の高い程、つ
まり極地に近い程その現象がよく解ります。
トーブ館に於いて、
「雪と氷の造形美と温暖化、賢
治の視た氷霧」というタイトルで賢治記念館の皆
次に冬期以外では海面水温の上昇により、発達
した低気圧が発生しやすくなる。また以前は台風
さんのご協力で写真展を行うことが出来ました。
またご来場の皆様からは、お礼のお言葉、そして
は主に赤道付近で発生したが最近は北上し、我が
国に近い大平洋で発生し、直ぐ台風が襲来する。
そして何といっても、猛暑と局所豪雨の降雨量等
貴重なアンケート等も賜わり、皆様に厚くお礼申
し上げます。
(雪氷造形写真家)
トピックス①
高見のっぽ さん
宮沢賢治の一人芝居に初めて挑戦
∼多くの観衆を魅了する∼
去る6月2日(日)宮沢賢治没後80年記念事業と
して、宮沢賢治イーハトーブ館ホールで高見のっ
ぽさんの一人芝居「ノッポさんの宮沢賢治」が公
演され、多くの観衆にたのしい一時をプレゼント
してくれました。
ノッポさんの宮沢賢治制作委員会の方から宮沢
賢治没後8
0年記念事業として朗読を依頼された
が、
「それだけでは十分に伝えられない。賢治さ
んが大好きなので大変ではあるが自分なりに表現
しよう。」と思い今回の公演に望んだようです。
のっぽさんのひとり芝居は公演内容が ①「雪
渡り」②「注文の多い料理店」③「狼森と笊森、
写
真
提
供
﹁
ノ
ッ
ポ
さ
ん
の
宮
沢
賢
治
制
作
委
員
会
﹂
盗森」の3部で構成され、5月8日
(水)
から予約
を開始しましたが一週間ぐらいで予約が満席とな
る公演もあり、当日もキャンセル待ちのお客様も
たくさんあったりと、本当に主催者としてうれし
い悲鳴をあげていました。
宮沢賢治記念館通信
(4)
第109号
のっぽさんが、賢治の童話を、ひとりでどのよ
うに演ずるか、賢治ファンにとってはとても楽し
みな部分もあり、賢治作品の魅力とのっぽさんの
ざいました。
○弘前の小学校で「読み聞かせ」をしています。
今年は「宮沢賢治」を特集しています。タイ
演技力の相乗効果が生んだすてきな公演に仕上が
りました。
歌ありダンスあり踊りあり墨絵ありと、そのひ
とつひとつのパフォーマンスに観客は引き込ま
れ、温かい幸せな雰囲気でいっぱいの空間となり
ムリーに新聞記事で今回の芝居を知りまし
た。
しかも懐かしいのっぽさん。楽しみました。
○とてもすばらしいおしばいでした。心が豊か
になる幸福な一日でした。
ました。
次の日は花巻市内の桜台小学校で「狼森と笊森、
盗森」の公演を行い、たくさんの児童に喜ばれ、
○みんな賢治さんの夢の中にはいれたようでと
ても楽しかったです。
○とても楽しみにしていました。期待以上に感
一緒に記念写真を撮って花巻を後にしました。
動しました。うまいもんですね。また来て
ね。ありがとうございました。
観賞された方々の感想から
○墨で絵を描く、のっぽさんの姿を見て幼い頃
見ていた「できるかな」を思い出しました。賢
○とても一人でやっているとは思えないお話の
雰囲気が広がるノッポさんのおはなしぶりで
した。ちょっとむずかしい賢治さんのおはな
治のお話は語りで聞くとまた違った味わいが
あるし、とても楽しく聞きました。ほかのお
しもすごく楽しく聞くことができました。さ
いごに子どもたちに頭をよせていた場面、涙
話も聞いてみたいので、ぜひまた岩手に来て
ください。すてきなひとときをありがとうご
がこぼれました。
トピックス②
賢治のワークショップ・セミナーから
みんな つながっている
∼星と音楽と私たちをつないで
宙先
(そらさき)
案内人 高橋真理子 ピアニスト・作曲家 小林 真人 去る6月18日
(火)、山梨県立科学館天文アドバ
イザーの高橋真理子さんとピアニストの小林真人
さんを講師に迎え「みんな つながっている∼星
と音楽と私たちをつないで」と題して、賢治の
ワークショップを午後7時からイーハトーブ館
ホールで開催しました。
ひょっとして多くの人々は生きる自信や希望を
なくしていないでしょうか。 多くの人々は家族やふるさと、地域や自然との
この世に生きている人々で星の嫌いな人に出
会ったことがありません。
この世で生きている人々で音楽の嫌いな人は誰
もいません。いつの時代にも星があり、音楽があ
「つながり」をなくしてしまっていないでしょう
か。 地球や宇宙との「つながり」をも失いつつある
ように感じます。こんな時に宇宙映像と音楽と語
りのライブを開催できたことは、良いタイミング
りました。
星を見たり、音楽を聴くことで、心が
清らかになったり、癒されたり励まされたりしま
した。音楽と共に、星を通して、壮大な宇宙のス
ケールの大きさに感嘆しながら、案内人の高橋真
理子さんのお話をじっくり聞きながら自分をしっ
であり、より多くの方々に観賞して欲しかったと
思うワークショップでした。
かり見つめることができました。
「自分たちがこの世に生を受けることは、奇跡
第109号
宮沢賢治記念館通信
(5)
に等しいこと。自分の両親から十代さかのぼると
1
024人の人の関わりがあり、たくさんの人々のつ
ながりの中で自分が誕生したこと。その中の一人
自分の命が生まれてくる前には何千人何万人
という人が関わってきて、ぼくが生まれてきた
ことが分かりました。
でも違う人がいれば、間違いなく自分が誕生しな
いこと。自分が生きていることが奇跡と話してい
る言葉にはっとさせられました。
この講演とコンサートは宇宙の壮大さを体感し
ながら、私たちは小さな存在ではありますが、一
賢治さんと嘉内さんは、星空を見上げて約束
をしたと聞いて、ぼくも一度してみたいと思い
ました。ぼくは宇宙の映像を見て、地球は磁場
で囲まれていて、そのおかげで安全にくらせる
ことが分かりました。
人ひとりがかけがえのない大切な存在であるし、
そして私たちはお互いにつながっていること、さ
らに、一人ひとりが宇宙の根の部分とつながって
小林真人さんの曲は心にしみる曲で、また聞
いてみたいと思いました。ぼくは、詩や童話を
書くことは、あまりないけれど、好きなことを
いることを感じられる、本当に心豊かになれる有
意義なひとときを過ごすことが出来ました。
見つけて、賢治さんのような尊敬される人にな
りたいと思いました。
終了時には雲の切れ間から星がみえは
じめ、イーハトーブ館屋外にて観察会も
実現しました。
次の日は大迫の亀ヶ森小学校へ出向
き、出前授業を行ったときの生徒の感想
文をここに載せます。
○ ぼくは、今日の賢治の世界セミナー
のお話を聞いて、地球は宇宙のほんの
一部でしかないということが分かりま
した。
その中の亀ヶ森でけんかをしている
ことがバカバカしいと思いました。
語を聞かせてくれた。私は小学校二年生だった。
今思えば、それは「銀河鉄道の夜」だった。
それから4
0年ほど、賢治は特別な存在ではな
かった。件のコンサート以来「特別」になった。
宮沢賢治を改めて感じたのは30年くらい前のこ
と。敬愛するバリトン歌手佐藤光政氏の花巻での
「佐藤光政・宮沢賢治を歌う」というコンサート
だった。(板谷英紀氏が尽力)
岩手が好き、賢治が好きが昂じて、とうとう盛
作品に詳しいわけではない。賢治さんの吸った
空気、触れた風、眺めた空や雲、聴いた鳥の声を
身近に感じていたいのが希いである。
大陸生まれ、福井育ち、埼玉暮らしの私の気持
を最も和ませてくれるのが岩手であり賢治さんで
岡に家を求めて二十数年。終の棲家とすべく、増
築もし、ギンドロの幼木のある庭も作った。
旧満州から引き揚げた後の昭和22年の冬、北陸
の寒村の小さな分教場で、教師の父は慣れないオ
ルガンを弾き、不思議なミュージカルのような物
ある。
今年の賢治祭には、厳しいが朗らかに闘病して
いる佐久の友人を伴って参加したいと思ってい
る。
宮沢賢治記念館通信
(6)
第109号
ことが思い出深く残っております。また、川原坊
での星ガラスとの出会いもファンタジック的な賢
宮沢賢治記念館との出会いは、子供がまだ小さ
い頃、早池峰山に登ってみようと思ったのがきっ
かけでした。家族と途中に立寄った記念館では、
治の世界に触れたような気がして忘れられない一
コマとなっております。賢治は、「セロ弾 き の
ゴーシュ」
「よだかの星」などの作品にみられるよ
うに、決っして社会の表舞台に出る事のないよう
な素朴な人達に思いを寄せ、本当は素晴らしい人
夫と、まだ小学生だった長男や長女、次女と家族
そろって、
「よだかの星」のモミュメントの前で楽
しく記念写真を撮ったり、記念館で熱心に見入っ
ている家族の姿が印象的でした。そして緑に面し
達だと言っている賢治の温かさ優しさに心が惹か
れます。賢治の人を思いやる人柄と賢治記念館な
どでの家族との情景は、今でも時間が止まったま
ま私の心に棲み続けています。家事をしながら、
た館内喫茶店で美味しいコーヒーを味わい、稗貫
川路へと向ったのです。美しく澄んだ渓流に魅せ
られながら、早池峰山登頂に望みましたが、登山
口を間違え、険しい河原坊から一生懸命に登った
ふと、心の落し物、忘れ物を見付けたくなった時、
夫や子供達に声をかけます。
「記念館にコーヒー
を飲みに行きましょうか」
、
「稗貫川を見に行きま
しょうか」と…
結
婚2
4年目を迎えました。宮沢賢治が好き
で、この地に来たいと言い出した私の願
いを夫が聞いてくれました。今日は三重県から
やって来ました。
次にいつ来られるかわかりませんが来られて本
当に良かったです。良き思い出を本当にありが
とうございました。
No. 307
30
数年前東京人となり、初めての主人との
旅行は花巻温泉でした。
北上川のイギリス海岸を見て感動したことを思
い出します。
今日は息子と友人家族と思い出の地を楽しんで
います。
主人は岩手が大好きで老後は住みたいと言って
いますが、冬は寒くて夏は暑い地方とか……考
えてしまいました。
でもこの風景をいつまでも大事にしたいもので
す。
農
学者を目指すものとして宮沢賢治は大変
参考になる人物だということをつくづく
認識しました。今日ここで見たことをこれから
生かせるようがんばります。
亡
き妻と来てはや10数年経ってしまった。
この館の中には今でも妻の温もりを感
じ、命あるかぎり何度でも足を運びたい。
は
るばる大阪岸和田から夫婦できました。
新緑がまぶしく、雨の風景もいいもので
す。チェロの音が心にしみ、自然が心にしみ、
心のせんたくができました。
宮
沢賢治の世界にどっぷりとひたれて日常
のあわただしさから解放され、とても癒
されました。
No. 308
山
口県より夫婦にて、あこがれていた賢治
記念館に来ました。感激、感動の一言で
す。記念館のすばらしさに感服です。子どもに
も是非見学するようすすめます。素晴らしい1
時間3
0分でした。このような気持ちを持った記
念館は私にはありません。
宮
沢賢治のように心やさしい人になりたい
です。とても良かったです。皆がやさし
い思いやりの心を持ったら楽しいでしょう。
No. 309
胸
がいっぱいになって涙が自然に流れるよ
うな……
「信仰と科学が同じになる」これこそ本物の信
仰の照明であります。
言葉にはできない感動で、とても一日では足り
ません。
北上川を遠くに見て、すばらしい風景ですね。
宮沢賢治記念館通信
第109号
(7)
宮沢賢治没後80年記念
宮沢賢治
「尋常高等小時代学籍簿」
特別公開展
◆期間 公開中∼平成25年9月30日(月)
◆会場 宮沢賢治記念館
常設展示室 第7コーナー
宮沢賢治の花城尋常高等小(現・花巻小学校)
時代の「学籍簿」がこの度発見されました。学籍
簿の内容は、既に新校本『宮澤賢治全集』
(筑摩書
房)
「年譜」に記載されておりますが、原本の所在
はわかっていませんでした。成績はすべて3段階
のうち最高の「甲」です。宮沢賢治没後80年を記
念して現物を本年9月30日(月)まで特別公開いた
します。
なお、これまで「年譜」において、小学4年生
(写真1) の「身体の状況」について、
「耳疾禹」と掲載され
ておりましたが、学籍簿原本(写真2)のように
(写真2) 「歯牙禹」であることが判明いたしました。 主な開催事業のお知らせ
■開館記念行事
「今井雅子(脚本家)講演会」
9月21日(土)午後1時30分∼
演題 「石ころを宝石に∼おじゃる丸スペシャ
ル『銀河がマロをよんでいる ふたりの
願い星』が生まれるまで∼」
会場 宮沢賢治記念館ホール
■賢治の世界セミナー
黒田京子(声楽家・ピアニスト)
ピアノコンサート&朗読会
「没後80年の賢治作品」
(仮題)
1
1月1
6日
(土)午後1時3
0分∼3時
(予定)
会場 宮沢賢治イーハトーブ館ホール
入場 無料(申込必要)
入場 無料(申込必要)
■宮沢賢治没後8
0年記念事業
■市民講座
「石井正己(東京学芸大学教授)講演会」
11月9日(土)午後1時30分∼
演題 「宮沢賢治の対話力」
会場 宮沢賢治イーハトーブ館ホール
入場 無料(申込不要)
■賢治の世界ワークショップ
「没後80年 宮沢賢治と佐々木喜善を訪ねて」
9月29日
(日)9時∼16時(予定)
訪問先 遠野市(伝承園、遠野市立博物館他)
参加料、入館料、詳細は記念館まで。
シンポジウム
「世界における宮沢賢治」
1
2月1日
(日)時間未定
会場 花巻市文化会館大ホール
■次回企画展
「イーハトーヴォ海岸と賢治」
展
平成2
5年1
0月1日
(火)
∼平成2
6年9月2
9日
(月)
東日本大震災から2年半―宮沢賢治がイーハ
トーヴォ海岸と名付けた三陸海岸の復興への思
いを込めて、三陸海岸における賢治碑や関連す
る作品等を紹介します。
(8)
宮沢賢治記念館通信
第109号
宮沢賢治記念館ホールにおいて8月10日(土)
∼
1
1月24日(日)までの予定で、故 北田吉正さんの
思われます。
北田匠さんは吉正さんの長男で東京芸術大学彫
彫刻作品と北田匠さんの写真作品が展示されてい
ます。
刻科を卒業し、現在東京芸術大学大学院に在籍
し、インスターレーション、パフォーマンス、写
吉正さんの作りたい彫刻は、いつも同じところ
にあって決して動かない。世代が変わっても同じ
真が主な活動です。ものの捉え方、見え方という
ものは快々として変化しているもので、その変化
場所にあって、同じ姿でそこに立っている彫刻、
そこに立てば同じものを見て、さわることの出来
る、世代を越えて共有するにふさわしい彫刻、つ
の瞬間にものごとの本質をつかめるように考え、
そんな瞬間を追求して製作に励んでいきたいと
思っているようです。
まり大木のような彫刻だったそうです。宮沢賢治
の世界に惹かれて平成17年に岩手県の大迫に転居
しましたが、同年急逝されました。これからの活
躍を期待された方で、その死は非常に悔やまれま
すが、石の彫刻は永遠に、この世に残っていくと
まだ若いので豊かな感性で素晴らしい作品をこれ
からたくさん制作していくと思います。
立体的な展示となりとてもすてきな空間が出来
ました。多くの方々に観賞していただきたいと
思っています。
編 集 後 記
三つ目は、百メートルくらい前で、
「障がい児を
連れた父親がいる」と、ちらっとこちらを見て、
知的障がいの娘さんを持つ父親が、娘さんが小
学生の時、3年間その子どもさんと手をつないで
公園を散歩した体験を書いていました。
その3年間に、たくさんの母親と公園で通り過
ぎましたが、その親子を見る目には3種類あった
まったく目を合わせないで、自分の子どもとお
しゃべりし、通りすぎていく人。
どの目が一番温かいとおもいますか。
父親として三つ目の目が一番温かかったと書い
てます。障がいのある子を連れて歩いていても自
そうです。
一つ目は、いやなものを見る目、怖いものを見
る目、
「あなたたち、生きているのが楽しくないよ
ね」というような目。
二つ目は、思いやりと同情に満ちた目。「かわ
然体という感じで、淡々とした表情で通り過ぎて
くれるのが、一番温かかったそうです。
賢治記念館にもたくさんの方々が入館してくだ
さいます。人と接する時には、どんな時でも、ど
んな人にも同じ態度で接することが大切であると
いそうに、大変でしょうね」という目。
思うこのごろです。
Fly UP