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第1章

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第1章
目 次
まえがき …………………………………………………………………(塚田 泰彦)
講座内容の概要 …………………………………………………………(吉田 裕久)…… 1
第1章 国語教科書研究小史 ……………………………………(吉田 裕久)…… 7
はじめに
1 教育学研究から国語教育学研究へ(研究領域のシフト)
2 概観・展望
3 教科書史研究
4 教材史研究
5 地域教科書(史)研究
6 比較研究
7 受容・学習史
8 批評・評価
おわりに
第2章 教育文化史としての「国語教科書研究」
―イソップ寓話「ウサギとカメ」の場合― ………………(府川源一郎)…… 19
1 日本へのイソップ移入史概観
(1)江戸から明治へ
(3)『通俗伊蘇普物語』の「兎と亀」
2 明治期の教科書の中のウサギとカメ
(1)徳目や教訓を教える素材
(2)様々な学習活動の工夫
(3)姿を消すあからさまな教訓
3 国定読本の中の「ウサギとカメ」
第3章 成立時における国語科の教科内容
―教材の変遷からのアプローチ― …………………………(甲斐雄一郎)…… 31
はじめに
1 研究の目的と方法問題
2 話題・題材の推移
3 口語文体の推移
4 出典の推移
5 検定内容の推移
6 まとめ
おわりに
参考文献
第4章 宮沢賢治童話の教材史
―文学作品と小学校「国語」教科書との関連― …………(牛山 恵)…… 45
はじめに
1 「国語」教科書における宮沢賢治童話の教材化の歴史
(1)昭和20年代
(2)昭和30年代
(3)昭和40年代
(4)昭和50年代・60年代
(5)平成の教材史展望
2 教科書における伝記教材と組み合わせた単元設定の問題
(1)教育出版の伝記教材
(2)東京書籍の伝記教材
(3)光村図書の伝記教材
3 画一的な読解に導く学習課題の問題
(1)学習の手引き
(2)教師用指導書
4 活動主義的、教養主義的な単元学習指導の問題
―平成16年版教科書における賢治教材の扱い―
(1)教育出版
(2)光村図書
(3)大阪書籍
(4)学校図書
(5)東京書籍
おわりに
あとがき …………………………………………………………………(吉田 裕久)…… 61
執筆者一覧
まえがき
全国大学国語教育学会理事長 塚 田 泰 彦 公開講座ブックレット①「国語科授業分析研究の方法」(平成23年3月)の刊行に続いて、
ここにブックレット②「国語教科書研究の方法」を刊行する運びとなった。本学会が研究部
門を立ち上げて、その企画の新機軸として打ち出した「公開講座」の第一回が開催されたの
は、2008(平成20)年11月21日(北九州国際会議場)である。第二回も同じテーマで2009(平
成21)年5月29日に秋田大学で開催され、これがブックレット①としてすでに刊行されてい
る。研究大会への学会員以外の参加者も回を重ねる度に増え、公開講座への関心が高まるな
か、この「国語教科書研究の方法」も二回セットで開催された。卒業研究から博士論文の作
成まで、多くの研究者が研究対象とする「国語教科書」の研究方法は、また日々これを手に
とって国語教室を運営する教員にも、貴重な情報と視野を提供するものである。このため、
多くの参会者を得ての開催となった。
開催日程と会場は次のとおりである。
前半(第三回) 国語教科書研究の方法 第117回全国大学国語教育学会愛媛大会(平成21年10月18日、愛媛大学)
後半(第六回) 国語教科書研究の方法―国語教科書のいまとこれから―
第120回全国大学国語教育学会京都大会(平成23年5月29日、京都教育大学)
(なお、後半の企画は、新版の小学校国語教科書の採択時期との関係で日程調整が行われ、
次の公開講座のテーマである「文学教材研究の方法(1)」(第四回)・「同(2)」(第五回)
の実施後となっている。)
本ブックレットは、この二回の公開講座の前半をまとめたものである。引き続き、ブック
レット③として後半も刊行予定である。
本公開講座の企画責任者(世話人)として吉田裕久氏(広島大学)には多大なご尽力をた
まわった。理事長と研究部門委員を兼ねての推進役として、また国語教科書研究のエキスパ
ートとして本公開講座の企画実施から本ブックレットの編集刊行まで、一貫してご助力を惜
しまれなかった。深く感謝申し上げる次第である。
なお、このブックレット②も、ブックレット①と同様に、学会ホームページに掲載し、研
究成果として広く公開するとともに、記録・保存用に冊子体のブックレットも作成した。
ご高覧いただき、忌憚のないご意見、ご助言をたまわれれば幸いである。
平成24(2012)年2月1日 講座内容の概要
公開講座「国語教科書研究の方法(1)―国語教材の変遷を考える―」は、次のよう
な日時、場所、主題、趣旨、パネリストで行われた。
1.日時:2009年10月18日(日)13:30~16:30
2.場所:愛媛大学城北キャンパス 共通教育棟・グリーンホール
3.主題:国語教科書研究の方法(1)―国語教材の変遷を考える―
4.趣旨
教科書は教材の代表であり、これに対する関心は一般的にも、また時代を超えて高
いものがある。そこで、第1回(本大会)は、「国語教材の変遷を考える」というテ
ーマのもと、国語教科書研究に携わる研究者から、歴史・比較・原典・教材化、反応・
反響など様々な観点からの知見をいただき、国語教科書について、また国語教科書の
研究方法について広く考え合いたい。
5.パネリスト
横浜国立大学 府川源一郎
筑波大学 甲斐雄一郎
都留文科大学 牛山 恵
広島大学 吉田 裕久(コーディネーター)
6.時間配分
13:30 開会の挨拶:吉田(「国語教科書研究小史」を含む)
13:45 府川:教育文化史としての「国語教科書研究」―イソップ寓話「ウサギと
カメ」の場合―)
14:10 甲斐:成立時における国語科の教科内容-教材の変遷からのアプローチー
14:35 牛山:宮沢賢治童話の教材史―文学作品と「国語」教科書との関連―
15:00 休憩
15:10 質疑応答
16:10 まとめ:府川・牛山・甲斐
16:25 閉会の挨拶
なお、公開講座に先立って、次のような参考資料を作成し、学会当日配布の『国語科
教育研究 第117回愛媛大会研究発表要旨集』にも収録した。
― 1 ―
〔公開講座〕
2009年10月18日(日)
国語教科書研究の方法(1)
―国語教材の変遷を考える―
横浜国立大学 府川源一郎
筑波大学 甲斐雄一郎
都留文科大学 牛山 恵
広島大学(コーディネーター)吉田 裕久
1.企画の趣旨
教科書は教材の代表であり、これに対する関心は一般的にも、また時代を超えて高いもの
がある。そこで、第1回(本大会)は、「国語教材の変遷を考える」というテーマのもと、
国語教科書研究に携わる研究者から、歴史・比較・原典・教材化、反応・反響など様々な観
点からの知見をいただき、国語教科書について、また国語教科書の研究方法について広く考
え合いたいというのが趣旨です。
2.提案内容
○吉田裕久:国語教科書研究小史
これまで教科書研究、とりわけ国語教科書研究がどのように展開してきたか、国語教科書
研究の変遷(秋田喜三郎、井上赳、唐沢富太郎、田坂文穂、中村紀久二、牛山恵、府川源一
郎、甲斐雄一郎など)のアウトライン・動向についてミニ報告ができればと考えている。
○府川源一郎:教育文化史としての「国語教科書研究」
―イソップ寓話「ウサギとカメ」の場合―
国語教科書は、学習者にどのようなことばの力をつけるのかという教育的な観点から編
纂されたテキスト集である。そこには、その言語集団が蓄積してきた言語文化財が、「教
材」として、選択されて編成されている。それぞれの「教材」は、どのような視点から選
ばれ、また修正をうけてきたのか、それを考えることは、それぞれの時代の教育状況、文
化状況、あるいは社会状況などを考えることと重なる。つまり、国語教科書に掲載され
た「教材」は、それぞれの時代の教育や文化、あるいは社会の様相を写し出す鏡なのだ。 今回の発表では、イソップ寓話と教科書との関係を考えてみたい。発表者は、対象とす
る資料のほんの一部しか視野に入れていないので、ラフスケッチを提示するに過ぎないが、
おそらくそこには、次のような問題が、伏在しているはずである。すなわち、西欧の読み物
とその受容の問題、欧米の教科書と日本の教科書との関係、文学教材と道徳教材との関係、
さらには、国語教科書研究のあり方の問題、などなど。時間の関係で話題を「ウサギとカメ」
― 2 ―
の題材に絞るが、おそらくそこからは、日本の国語教科書とそれを包含する教育文化に関す
る様々な問題が見えてくるだろう。
○甲斐雄一郎:成立時における国語科の教科内容
-教材の変遷からのアプローチ
「国語教材の変遷を考える」というテーマのもとで、
「国語教材の変遷から見えてくること」、
「国語教材の変遷を突き動かすもの」、「どうすれば国語教材の変遷は見えてくるのか」、とい
う問題を織りまぜつつ考えることにしたい。
第 一 次 小 学 校 令( 明 治19年 ) 下 か ら 国 民 学 校 令( 昭 和16年 ) 下 に い た る ま で、 我 が
国の初等教育用国語教科書は、検定制もしくは国定制であった。それは教科書教材が
教則に記された国語科の教科内容の具体的実現であることについての文部省による認
可の表明を意味する。国語教育史研究は、目標と方法をめぐる議論については相当の 蓄積がある。この現状に教科書教材の研究に基づく教科内容に関する知見を加えられたなら
ば、これまで整合的な説明が得られていない事象を理解する上で有効な解釈の仕方を導くこ
とが期待される。たとえば国語科の成立、明治10年代から30年代までの初等教育・中等教育
間における教科名称の一致及び乖離、明治後期の読み方教授における「内容主義」と「形式
主義」との往還、随意選題論の普及、国語教科書をめぐる文体の変化、「話シ方」教授の盛
衰などについてである。
これらの事象に整合的な解釈をもたらすためには、国語教材にどのような意味付けを施す
のが有効なのか。今回は「国語科の成立」を中心的なトピックとして取り上げ、説明上有効
と考えられる方法を具体的に提示し、意味付けの実例を展開する。
○牛山 恵 :宮沢賢治童話の教材史
―文学作品と「国語」教科書との関連―
1,「国語」教科書における宮沢賢治童話の教材化の歴史
1946(昭和21)年の文部省暫定教科書に、「どんぐりと山猫」が収載されたのを初めとして、
賢治童話は今日に至るまで、小学校の全ての「国語」教科書に教材として収載されてきた。
その実際を年代的に見るなら、昭和40,50年代は、賢治童話の多様性に応じて、多くの作品
の積極的教材発掘が行われた。しかし、平成に入ると、教材とされる作品数は減少し、3~
4編に絞られてきた。原因としては以下のことが考えられる。
①教科書制作者の側に教材の定番化の意図がはたらいている(と思われる)。
②人権への配慮がはたらいて教材選択の幅を狭めている。
③教科書教材として分量の少ないものが求められている。
以上のような事情により、多様に展開する賢治童話であるにもかかわらず、近年における
教科書収載の賢治教材の幅は狭められ固定化する結果となっている。
2,教科書における文学作品の教材化の問題
― 3 ―
文学作品は、教科書教材として採録されることになると、何らかの学習指導の意図に応じ
て教材化される。すなわち、収載された賢治童話の扱いを、文学の読みの観点から見るなら、
そこには次のような問題点が見出される。
①教科書における伝記教材と組み合わせた単元設定の問題
・指導計画における伝記を前提とした単元構成(賢治ワールドなど)の問題
・授業における賢治の伝記を下敷きにした読みの問題
②画一的な読解に導く学習課題の問題
・教訓的・テーマ主義的な読みの指導の問題
③活動主義的、教養主義的な単元的学習指導の問題
3.提案者のプロフィール:
府川源一郎(ふかわ・げんいちろう)
○所属:横浜国立大学教育人間科学部教授
○専攻:文学教育論・国語教育史
○著書 :『消えた「最後の授業」―言葉・国家・教育―』大修館書店 1992年
『「ごんぎつね」をめぐる謎―子ども・文学・教育―』教育出版 2000年
○論文:「近代子ども読み物の開拓者としての鳥山啓」『読書科学』204号 2009年
○本テーマに関わるもの
「イソップと明治の教科書」『図説児童文学翻訳大事典』第4巻 大空社 2007年
「ウサギとカメの教育文化史―教科書の中のイソップ寓話」『神奈川県教育文化研究
所・所報』2003年
甲斐雄一郎(かい・ゆういちろう)
○所属:筑波大学・大学院人間総合科学研究科教授
○専攻:国語科教育史、国語科教育課程論
○著書:『国語科の成立』東洋館出版社、2008年
○論文:「『台湾教科用書国民読本』における国語教科書からの継承の様相」(台湾日本語文
学会『台湾日本語文学報』第22号、2007年)
○本テーマに関わるもの
『第一期国定国語教科書の編集方針の決定過程についての調査研究』 (平成16~17年度
科研費(萌芽研究)研究成果報告書、2006年)
「国語教材を決める論理-第一期国定国語教科書の編集方針から考える」(中央教育研
究所『教科書フォーラム』第4号、2005年)
牛山恵(うしやま・めぐみ)
〇所属:都留文科大学文学部教授
― 4 ―
〇専攻:文学教育、「国語」教科書研究
〇著書:『国語教育における宮沢賢治 その1 教科書教材』(私家版)1988年 『「逸脱」の国語教育』東洋館出版 1995年 等
〇論文:「宮沢賢治『やまなし』を読む」(『文学研究のたのしみ』鼎書房 2002年) 「小学校国語教材とジェンダーⅠ・Ⅱ」(『都留文科大学研究紀要第61・62集』とも
に2005年)等
〇本テーマに関わるもの
『国語教育における宮沢賢治 その1 教科書教材』(私家版)1988年 「宮沢賢治『オツベルと象』研究」(『教材研究論集』教育出版 1983年) 「賢治教材の現在」(『授業に生きる宮沢賢治』図書文化社 1996年) 「異界との交歓の物語―童話
『雪渡り』
の世界」
(
『文学の力×教材の力』
教育出版 2001年)
「子どもが読む『よだかの星』―擬制を撃つー」(『日本文学』vol52 2003年)等
吉田裕久(よしだ・ひろひさ)
○所属:広島大学・大学院教育学研究科教授
○専攻:国語教育史、国語科授業論
○著書:『戦後初期国語教科書史研究』(風間書房、2001年)
○論文:国語教科書における教育内容の史的推移、実践国語教育情報第18号、教育出版セ
ンター、1985年
○本テーマに関わるもの
「国語教科書史研究の課題と方法」
(全国大学国語教育学会「国語科教育」第42集、1995年)
4.メッセージ
府川源一郎
イソップ寓話でおなじみの「ウサギとカメ」の話は、どのように学校教育の中に入り込
んだのか、またそれがどのような変容を遂げたのか、その一端を国語教科書を中心に、ウ
サギのように駆け足でたどって見ようというのが、本発表の目的である。あまりにつまら
ない発表だということで、集まった方がウサギのように居眠りすることのないよう、資料
を準備したいと思っている。
甲斐雄一郎
国語科成立の前後における教科書教材、教科書検定内容、小学校・中学校間の関連、他
教科(とくに地理・歴史・理科)と国語科、いわゆる内地の国語教科書と新たに日本の版
図に組み込まれた地域の国語教科書、それぞれの対比の検討などを通して、国語科の成立
に関する解釈の可能性を提示するとともに、第一期国定国語教科書の編集方針の決定過程
に新たな光をあてたいと思う。
― 5 ―
牛山 恵
宮沢賢治の作品がどのように教材化されてきたか、その歴史をたどることで文学作品の
教材化のあり方が見えてくる。例えば、人権と教材といった問題や伝記と組み合わせる教
材化の問題、画一的な読解に導く学習課題の問題などである。ここでは、それらの問題を
明らかにし、今後の課題について考察を加えたい。
吉田 裕久
提案者の提案によって、教科書研究には、こういう魅力的で、わくわくした新生面があ
ることを知ることによって、国語教科書研究がさらに促進されることを期待している。
― 6 ―
第1章
国語教科書研究小史
吉 田 裕 久
はじめに まず「国語教科書研究の方法(1)」として、「国語教材の変遷を考える」ことを通して国
語教科書研究がこれまでどのように展開してきたか、その概要を見ておきたい。国語教科書
研究の変遷(唐沢富太郎、秋田喜三郎、井上赳、田坂文穂、中村紀久二、牛山恵、府川源一
郎、甲斐雄一郎など)について、その内容・特色、及び動向と課題等について そのアウト
ラインを報告したい。換言すれば、公開講座という場面なので、研究というよりは、 「国語
教科書研究のガイド」になればとの思いである。
1 教育学研究から国語教育学研究へ(研究領域のシフト) 国語教科書研究は、まず教育学研究、教育史研究の領域において先行して行われた。
(1)唐沢富太郎『教科書の歴史―教科書と日本人の形成―』(1956、創文社)
「教科書が人間を作った」「教育の目的は人格の完成(人間形成)」という立場から教科書
研究に取り組まれたもの。したがって国語教科書に限られず、修身教科書なども大きく取り
上げられている。教科書研究の始祖と言っても過言ではない。教科書研究は、唐沢富太郎『教
科書の歴史』から始まったのである。また、「教科書が人間を作った」とは、教科書の性格
をよく言い当てた蓋し名言である。
(2)海後宗臣・仲新『日本教科書大系』(第4巻~第7巻が国語)(1964、講談社)
教科書研究資料として複製・復刻・文字化したもの。明治初期から昭和戦後までの教科書
が収められている。多くは文字化されたものであるが、教科書本文が見られる点は貴重であ
る。「所収教科書解題」(各巻)、「国語教科書総目録」・「国語教科書総解説」(ともに第9巻)
も研究的にはありがたい。
(3)海後宗臣・仲新『教科書でみる日本の教育100年』(1963、東京書籍)
明治から戦後初期に至る近代教育史を教科書を中心に見たもの。教科書の歴史として概観
できる。
(4)海後宗臣・仲新『教科書でみる近代日本の教育』(1979、東京書籍)
(3)を改訂増補したもの。近代日本教育史が教科書を通して概観できる。近代日本教育
史、近代日本教科書史の入門書としてありがたい。
(1)
(2)
― 9 ―
(4)
(5)古田東朔 『小学読本便覧』 (1978~、武蔵野書院)
尋常
国語教科書の複製である。明治初期から『小学国語読本』(通称ハナハト読本)に至る代表的
な国語教科書を複製している。
(6)中村紀久二『復刻 国定教科書(国民学校期)』(1982、ほるぷ出版)
(7)中村紀久二『復刻 墨ぬり教科書』(1985、芳文閣出版)
(8)中村紀久二『文部省著作暫定教科書』『文部省著作戦後国語教科書』(1984、大空社)
(9)『復刻 国定高等小学読本』(1991、大空社)
以上四冊は、国立教育研究所(後に教科書研究センター)の中村紀久二氏による一連の教
科書の複製。これらの複製・復刻によって、「実物」による研究が展開できるようになった。
その点で、これらの複製・復刻は大きな意義が認められる。中でも、暫定教科書の復刻は貴
重である。公的機関において、ほとんど所蔵されていないからである。『高等小学読本』の
所蔵も多くなく、貴重である。
(5)
(6)
(8)
(9)
(7)
2 概観・展望
(10)井上赳『小学読本編纂史』(1937、岩波書店) 著者の井上赳は、
『小学国語読本』、通称サクラ読本の編纂者で、読本の神様とも呼ばれた。
明治からサクラ読本に至るまでの国語教科書史の変遷について記したもの。国語教科書の変
遷としては最初のものである。
(11)井上赳・古田東朔編『国定教科書編集二十五年』(1984、武蔵野書院)
― 10 ―
「国定読本の編集」(「実践国語」誌に昭和34年から35年にかけて10回に渡って連載された
もの)、「読本編集三十年」
(刀江書院『国語教育講座』第五巻「国語教育問題史」、昭和26年」)
と、(10)の三編を合わせて編集・刊行されたもの。サクラ読本、アサヒ読本などの編集に
ついて、具体的なことが述べられている。
(12)秋田喜三郎『初等教育国語教科書発達史』(1977、文化評論出版)
第五期国定国語教科書(通称「アサヒ」読本)の編纂にかかわった。本書は大著(p. 817)で、
内容的には先の井上の著書をさらに具体的な教材などを引用しながら、明治初期からアサヒ
読本に至るまでの国語教科書の変遷について述べている。
(10)
(11)
(12)
(13)井上敏夫『国語教育史資料 第二巻 教科書史』(1981、東京法令)
明治初期から昭和三三年までの代表的な国語教科書について、教材本文、特色・意義・解
説などがまとめられている。近代国語教科書史研究として位置づけられる。本書は、後に、
『教科書を中心に見た国語教育史研究』(2009、渓水社)に所収された。
(14)中村紀久二『教科書物語』(1984、ほるぷ出版) 中村圭吾(中村紀久二氏のペンネーム)の旧著『新評判 教科書物語―国家と教科書と民
衆―』(1950、ノーベル書房)を増補訂正したもの。国語教科書に限定したものではないが、
教材と原典との比較、教材と史実との関係など、教材を見ていく視点の設定など、興味深い。
(15)中村紀久二『教科書の社会史―明治維新から敗戦まで―』(1992、岩波書店)
「岩波新書」の一冊に収められることによって、中村氏の多くの著作の中でも最も広範囲
に読まれるものになるであろう。最新の墨ぬり教科書研究にも触れてあって、教科書研究と
して多くを示唆される。
(16)全国大学国語教育学会『国語科教育学研究の成果と展望』(2002、明治図書)
最新の国語教科書研究を知ることができる。昭和60年以降今日に至る20年間の国語教科書
に関する研究論文の実態、及び国語教科書研究の動向がまとめられている。これから国語教
科書研究に着手する人にも必読の参考文献である。橋本暢夫氏執筆。
― 11 ―
(13)
(14)
(15)
(16)
(17)鳥居美和子『明治以降教科書総合目録(小学校篇)』(1967、小宮山書店)
明治以降、戦後初期に至る教科書の所蔵目録である。教科書ごとに、国立教育研究所、東
書文庫、国会図書館等の所蔵状況が分かる。現在のようにインターネットで把握できる前に
は、貴重な目録であった。戦前の教科書の所蔵状況は大学の図書館等でも行われるようにな
ったが、これだけまとまって所蔵状況を知ることができる目録はない。
(18)永芳弘武・中村紀久二・加藤宗晴『教科書検定総覧』小学校篇・中学校篇・高等学校
篇上・下巻(1968~1971、小宮山書店)
戦後検定教科書の検定・発行状況が分かる。検定番号が記されているので、検定状況まで
分かる。本書は昭和43年までだが、著者の一人である加藤氏によって小・中学校(平成7年
使用)の「続編」(2006年)が補足刊行された。
(19)『東書文庫蔵 教科用図書目録 1~3』(1979、東京書籍)
東京書籍付設の「東書文庫」所蔵の教科書目録。明治期から戦後の検定教科書に至るまで
13万冊を所蔵している。近代国語教科書を研究するに当たって、教科書の実物を見ようとす
るなら、まず調査対象とする機関である。所蔵は国語教科書だけでなく、すべての領域の初
等・中等教科書が収蔵されている。『近代教科書の変遷・東京書籍七十年史』は、基本文献
である。
(17)~(19)は今日となってはいささか旧時代に属するかもしれない。が、かつて教科書
研究の基本資料であった。今でも、これらの情報はここにしか得られないものがある。
(20)田坂文穂『旧制中等教育国語科教科書内容索引』(1984、教科書研究センター)
中等国語教科書、及び国語教材に関する研究は小学校に比して少ない。一つには小学校が
この時期国定で限られた教科書数であったのに対して中等学校は検定教科書で夥しい教科書
が発行されたからである。本書は、その中等教材の一つ一つについて、出典、作者、表題か
らそれぞれ所収教科書を知ることができる。中等教材史研究には必読・必備の基本図書であ
る。なお小学校版としては国立教育研究所附属教育図書館編『国定教科書内容索引尋常科修
身・国語・唱歌篇―国定教科書内容の変遷―』(広池学園出版部、1966)がある。
― 12 ―
(17)
(19)
(20)
(21)『中学校国語教科書内容索引』(国立教育研究所附属教育図書館)
戦後の中学校検定国語教科書の目次一覧である。昭和24年度~同61年度使用の中学校国語
教科書610冊とこの期間に発行・使用されたほぼすべての国語教科書が対象となっている。
題名、著者名、人名、詩、漢詩、和歌(短歌)、俳句、川柳・狂歌、格言・故事成語、等、
諸索引が設定され、どこからでも採録教材が調べられるようになっている。戦後中等国語教
材史研究がこれによって極めて効率的に展開されることになった。なお、これに続く時期を
補足しようとして作成したのが、吉田編『昭和59(1984)年度版~平成18(2006)年度版 中学校国語教科書教材目録』(広島大学国語教育研究室、2007)である。
(22)『高等学校の国語教科書は何を扱っているのか』平成9年度用・平成12年度用(1997・
2000、京都書房)
高等学校国語教科書の数は多い。平成9年度用及び平成12年度用の教材目録である。教材
ごとに所収教科書が分かるようになっている。この時期、どんな教材が、どの教科書に掲載
されたかが引き出せる。
(23)阿武泉『読んでおきたい名著案内 教科書掲載作品13000』(2008、日外アソシエーツ)
(24)
『読んでおきたい名著案内 教科書掲載作品 小・中学校編』
(2008、日外アソシエーツ)
国語教科書に掲載された教材目録としては最大規模の目録である。教科書掲載作品を「読ん
でおきたい名著」と捉えて、その書名としている。
(21)
(22)
― 13 ―
(23)
3 教科書史研究
以下は、それぞれの教科書・教材を個別に取り上げた論文である。どの教科書・教材が研
究者の誰によって取り組まれ、明らかにされつつあるかについて注目したものであるが、あ
くまで管見の範囲である。また中には、現在継続中のものもある。
(25)明治初期・『小学読本』(明6、ウィルソンリーダー)―高木まさき、西本喜久子
(26)明治中期・『読書入門』(明19)―吉田
(27)明治中期・『国語読本 尋常小学校用』(坪内雄蔵、明33)―府川源一郎
尋常
(28)大正期・『小学国語読本』―高木市之助・深萱和男(1976、中央公論社)
(29)昭和初期・『小学国語読本』(サクラ読本)―井上赳・前掲書、藤富康子『サクラ読本
追想』(1985、国土社)、同『サイタサイタサクラガサイタ』(1990、朝文社)
(30)昭和前期・岩波『国語』―余郷裕次
(31)昭和戦時期・
『初等科国語』等―中村紀久二、田近洵一等『復刻国定教科書(国民学校期)』
(1982、ほるぷ出版)
(32)昭和戦時期・『中等国文』―内藤一志
(33)昭和戦時期・墨ぬり教科書 ―中村紀久二(前出)
(34)昭和戦後期・暫定教科書―中村紀久二(前出)
(35)昭和戦後期・西尾「国語」(筑摩書房)―余郷裕次等
(36)昭和戦後期・
『新国語』(三省堂)―佐藤泉『国語教科書の戦後史』(2006.5、勁草書房)
(28)
(29)
(36)
4 教材史研究
国語教科書が改訂されても何度も採録される教材がある。安定教材と呼ばれたり、典型教
材と呼ばれたりする。それらが、どの国語教科書にどのように掲載されてきたのかという歴
史的側面から研究にアプローチしたものも多く認められる。例えば、次のようなものがある。
(37)古事記―棚田真由美「古事記の教材研究」ほか。
(38)源氏物語―一色恵里『『源氏物語』教材化の調査研究』(2001、渓水社)
(39)大きなかぶ、かさこじぞう、一つの花、ごんぎつね、大造じいさんとがん、雪わた
り、川とノリオ
― 14 ―
『小学校国語教科書における文学教材の史的研究』(田近洵一・上谷順三郎・松崎正治・
三好修一郎・府川源一郎・関口安義・萩原昌好・東和男・中村元千)、(1995、教育出版)
(40)オツベルと象、トロッコ、サーカスの馬、走れメロス、故郷、夕鶴
『中学校国語教科書における文学教材の史的研究』(田近洵一・牛山恵・大田勝司・堀
泰樹・足立悦男・府川源一郎他)、(1992、教育出版)
これら2冊に共通の分析・検討の視点として、1教科書掲載史、2教材文変遷史、3作品
成立史・受容史、4作品研究史・教材研究史、5教材観史、6単元構成史、7実践史、8受
容史の八項目が設定されている。教材史研究の視点として興味深い。
(41)最後の授業―府川源一郎『消えた「最後の授業」』(1992、大修館書店 )
(42)稲むらの火―府川源一郎『「稲むらの火」の文化史』(1999、久山社)
(43)ごんぎつねー府川源一郎『「ごんぎつね』をめぐる謎―子ども・文学・教科書―』
(2000、
教育出版)
(44)宮沢賢治作品―牛山恵『国語教育における宮沢賢治 その1 教科書教材』(1988)
(39)
(40)
(41)
(42)
(43)
(44)
5 地域教科書(史)研究
地域で発行された特色ある国語教科書についての研究も見られる。
(45)北海道読本(『北海道用尋常小学読本』、1897)―小泉弘
(46)沖縄読本(『沖縄県用尋常小学読本』、1897)―甲斐雄一郎
(47)沖縄ガリ版印刷「読方」(1946)―吉田
― 15 ―
(48)信濃教育会(信教「国語」、1954)―齊籐文男
(46)
(47)
6 比較研究
世界の教科書に関する研究も見られる。これまでも比較教育研究の中でも多く試みられて
きたものであるが、ここでは比較的最近の、しかも国語教科書に限定して取り上げてみる。
(49)フィンランド―北川達夫、渡邊あや
(50)デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、スウェーデン
中嶋博『北欧の教科書に関する総合的研究』(教科書研究センター、2007)
(51)アメリカ、イギリス、ロシア、ドイツ、フランス、フィンランド
松本修・石塚修・藤森裕治・小林一貴・吉田裕久・二宮皓・新井淺浩・澤野由紀子他
(藤村和男『初等中等教育の国語科の教科書及び補助教材の内容構成に関する総合的、比
較教育的研究―学力の基礎をなす言語能力の形成を中心として―』、教科書研究センター、
2008)
(49)
(50)
(51)
7 教科書受容史
教科書を学習者がどのように受けとめたのか、また教師がどのように受けとめたのか。大
変興味深い研究領域であるが、この領域の研究が最も遅れている。資料の確保が難しいとい
うのが最大の理由である。学校史(設立記念誌)などに回想として触れられていることもあ
― 16 ―
るが、少量である。
8 批評・評価
これも、最近の二点だけを取り上げておく。こうした批評的・評論的視点からの国語教科
書研究も貴重である。
(52)石原千秋『国語教科書の思想』(2005、筑摩書房)
(53)石原千秋『国語教科書の中の「日本」』(筑摩書房、2009)
(54)小森陽一『大人のための国語教科書』(角川書店、2009)
(55)二宮皓『こんなに違う!世界の国語教科書』(メディアファクトリー、2010)
(55)
(54)
おわりに
教科書研究ガイドを目指し、国語教科書研究の先行研究の概要について取り上げてみた。
これまでの国語教科書研究がおよそどうであったのか、これから国語教科書研究に取り組む
ためにはどのような文献を求めればよいのか、またどんな研究内容・方法があるのか、そう
した教科書研究に取り組むに当たって参考になればよいと思っている。
しかし、当然取り上げるべき多くの文献を省略してしまっている。その意味では全く私見
に基づく、恣意的な取り上げ方になっていることをご寛恕願いたい
なお、今日的傾向として、各種「教材データベース」が図書館等のホームページで検索す
ることができるようになってきている。これらを活用した教科書研究も、これから多く試み
ることができることになろう。
― 17 ―
第2章
教育文化史としての「国語教科書研究」
―イソップ寓話「ウサギとカメ」の場合― 府 川 源一郎
1、日本へのイソップ移入史概観
(1)江戸から明治へ
イソップ寓話が日本へ持ち込まれたのはかなり早く、1593(文禄2)年、イエズス会が天
草で活字印刷したものが最初である。これは、
『エソポノハブラス』
(ESOPONO FABLAS)
と題されたローマ字本で、日本で最初の翻訳文学書だといわれている。(『キリシタン版エソ
ポ物語』大塚光信校注・角川文庫、ほかに翻刻)この後、『伊曾保物語』と題した古活字本
や写本が江戸期に普及し、近世の読書人に迎
えられた。(『日本古典文学大系・仮名草子集』
所収「伊曾保物語」、『万治絵入本 伊曽保物
語』武藤禎夫校注・岩波文庫、など)江戸期
に普及したイソップ寓話は、町人の華美を戒
めるかのような「教訓」が添えられたりして
いて、興味深い。しかし残念ながら、これら
江戸期までの翻訳のなかには、「ウサギとカ
メ」の話は入っていない。おそらく翻訳底本
に、この話が収録されていなかったのであろ
『通俗伊蘇普物語』の口絵
う。
明治に入ってから、新たな翻訳作業が行われる。その嚆矢は福沢諭吉の手になるもので、
どう もう をしへ ぐさ
英語の読本を翻訳した『童蒙 教 草』1872(明治5)年のなかにイソップ寓話10編が紹介さ
たずね
れている。続いてイソップ寓話の全体像を紹介したのは、渡部温の『通俗伊蘇普物語』6巻・
1872~75(明治5~8)年だった。これは、Thomas James の Aesop's Fables 1848年、を翻
訳したもので237編が紹介されていた。平明洒脱な訳文で、訳者独自の味付けもされており、
近代口語文体の創造という観点からも、注目すべき仕事である。明治から昭和戦前期にかけ
て、この本が教育に及ぼした影響は大きかった。というのも、この後、小学校の「修身」や
「唱歌」さらに国語読本などの素材として、この翻訳が大いに利用されたからである。
明治初期には、渡部の『通俗伊蘇普物語』は、実際に小学校の「修身」の教科書としても
使われたらしい。もっとも、これは子どもたちが直接に読むためではなく、教師が「口授」
ギョウギ ノサトシ
する材料として使われたようである。明治5年の「小学教則」を見ると「修身口授」という
科目がある。この渡部の伊蘇普物語は、明治9年の千葉県下等小学の「修身口授」の教師用
講述資料としてあげられている。さらに、当時の諸府県における「小学教則」には、下等小
学の低学年用読み物として『通俗伊蘇普物語』の名も見える。したがって、実際に子どもた
ちが読むための教材として扱われていた可能性もある。1)
(2)『通俗伊蘇普物語』の「兎と亀」
この『通俗伊蘇普物語』に出ているウサギとカメの話を、次に紹介する。2)
― 21 ―
うさぎ
かめ
兎と亀の話
あるきかた
ばかに
き
かけつこ
おれさま
なん
兎。亀の行歩の遅きを笑ひ。愚弄して「コウ。こゝへ来や競争をしやう。乃公の足は何で
い
ば
出来てると思ふゾ」と威張れば。亀は迷惑には思へども一ツ処へおし並び。サアと云れて
ちつと
のそりのそり
いだ
もと
あなどつ
を
いつかう
寸分も猶予せず。例の通り遅々とあるき出す。されど兎は固亀を侮て居る事なれば。一向に
せき
おれ
ひとねいり
い
いそい
やん
じき
とろり
遽もせず。うさぎ「吾はマア一睡して往くから。急で往なせへ。直に追越すよ。と云て微睡
みえ
きも
つぶ
はねだ
いつ
とする内に。亀の影が見なくなつた故。兎肝を消し。急に躍出して約束のところへ至て見れ
あくび
ば。亀は先刻到着して。欠伸をして居たりけると
ゆるやか
たゆま
おこた
遅緩なりとも弛ざるものは。急にして怠るものに勝つ
会話部分は、江戸の庶民の姿を彷彿とさせるような訳文である。
この話はウサギがカメに、競争を仕掛け、高慢のあまり恥をかくというトーンになってい
る。ウサギとカメの話は、つまるところ二匹の動物の競争の話だから、ウサギの側からいえ
ば、怠けたり油断したりしたから負けたということになるし、カメの側からすると、まじめ
にがんばったから勝ったということになる。したがって、そこに添えられる教訓も、どちら
かの側に立って、メッセージを強調するという形になる。この渡部訳の場合は、ストーリー
そのものはウサギ側からの語りになっているが、教訓はカメに寄り添って「たゆまず努力す
れば、怠け者に勝つ」となっていて、両者の間には若干のずれがある。とはいえ、どちらか
の立場に立つといっても、それはコインの裏表で、どちらかを肯定的に言えば、その逆を否
定することになるのだから、内容としては同じ方向にあるといっていいだろう。
先にも触れたように、おそらくこうした文章を、教師が本を片手に読み聞かせたのであろ
う。くだけた庶民風の会話を、教室でどう取り扱ったのかは気になるところだ。もしかする
と、教師が事前に本を読んでその内容を自分のものにしておき、その場に応じた口調で子ど
もたちに伝えたのかもしれない。
いずれにしても、この渡部温の『通俗伊蘇普物語』が原点となって、日本における「ウサ
ギとカメ」文化史の扉が開いたのである。
2、明治期の教科書の中のウサギとカメ
(1)徳目や教訓を教える素材
子ども自身が読むための読み物の歴史、すなわち、日本児童文学史の記述は、1890年前後
つまり明治20年以降から書き起こされることが多い。明治20年代以前にも、様々な子どもの
読み物が存在し、それが普及していたことも近年話題になってきたが、子どもの読み物が商
業出版として大規模に流通し出したのが、明治20年以降であることは動かないであろう。3)
イソップ寓話は、先の渡部の『通俗伊蘇普物語』を始めとして、明治期に20種類以上の翻
訳があるが、明らかに子ども読者にむけたものでは、1893(明治26)年の西村酔夢『イソッ
プのはなし』や、1911(明治44)年の巌谷小波『イソップお伽噺』などがある。これら子ど
も用の読み物も子どもに読者たちに親しまれただろうが、教科書類を通してイソップ寓話に
― 22 ―
触れた子どもの数の方が間違いなく多いはずだ。というのは、明治10年代半ばからは、子ど
もが自力で読むために編まれた修身教科書が登場し、それにイソップの話が翻案されて数多
く出ているからである。修身ばかりではなく、今日の「国語教科書」にあたる読み方の教科
書(読本)にも、たくさんのイソップ寓話が採択されていた。
そのうちここでは、国語教科書に載せられたもののいくつかを紹介する。なお、学校で取
り扱われる教科書は、明治初年、つまり渡部温が『通俗伊蘇普物語』を出版したころには、
まだ未整備だったが、文部省が1873(明治6)年に編纂した二種類の『小学読本』を皮切り
に、徐々に整備されていく。教科書制度も、開申制、認可制を経て、1886(明治19)年から
は、現在と同様、文部省による検定制度になり、多くの民間会社が教科書の作製に手を染め
ていた。したがって、文部省が作製したもの以外にも、かなり多くの民間国語教科書(読本)
が出回っていた。
そのうちからまず、1883(明治16)年の、『小学読本 初等科』(原亮策編述・金港堂)の
巻四に載せられたウサギとカメの話を見てみよう。
第一課 亀とうさぎ
あゆむこと。おそしといへども。怠らず。ゆくときは。つひに千里の遠きにも。いたるべ
し。むかし兎と亀とありて。はしることをば。たくらべしが。兎は。己が足のはやきにほこ
り。亀の歩みのおそきを侮りて。途中に。ひとねふりし。やがて目をさましてみれば。亀は。
はや定めたる処につきて。勝ちをとりしとぞ。
現在でいうと、小学校二年生の後期用に使われる教科書の冒頭の教材である。文章は文語
文で、同じ巻に収められた他の教材文もおおむねこうした文体である。渡部の翻訳が、会話
を交えて、臨場感のあるものだったのに比べて、この教材はまるで筋だけになってしまって
いるが、要点だけは押さえられている。
この教材文では、始めに一般的な「努力」の重要性が述べられ、その実例として「ウサギ
とカメ」の話が展開されている。つまり、「教訓」が最初にあげられて、その後に本体の話
が例示的に掲げられているのである。まさしく寓話が教訓を教えるためのものであることを
如実に示している。それはまた、この教科書自体が、徳目や教訓を重視し、それを前面に出
していることの表れでもあった。
もっとも、それは何もこの教科書だけのことではなかった。例えば1887(明治20)年の、
『新
読本』巻五第九課に載せられている「兎と亀」には、直接読み手に呼びかけた次のような教
訓が添えられている。
子供よ。此の兎と亀とを見よ。兎は能にほこりて。恥をかうむり。亀はにぶけれども。怠
たらずして勝ちを得たり。にぶきものとて。侮るべからず。にぶきものも。怠らざれば。能
者となるなり。
― 23 ―
また、同じ年に刊行された『小学読本』(竹下権次郎編纂)
の巻三下の第三五課には、「油断大敵」という題で、この話が
採られていて、次のような教訓が付けられている。
人モ才智アリトテ油断スレバ此兎ノ如ク遂ニ遅鈍ナル者ニモ
及バズ 諺ニ油断大敵ト 誠ニ慎ムベキ事ナリ
この教科書では、努力を奨励することよりも「油断大敵」を
戒めるというところに主眼を置いていたようだ。
同じように「油断」を戒める教訓は、1887(明治20)年の『幼
学読本』
(西邨貞・金港堂)の第五巻第九課にもある。ここでは、
子どもの日常生活の実際と直接に結びつけ、さらに一歩踏み込
『小学読本』竹下權次郞 M20
んだ教訓になっている。
児童等 ヨ、如何 程 賢キ ウマレツキ ニテモ 之レ ヲ 恃ミテ、勉ム 可キ 業
ヲ 怠ル 時 ハ、遅鈍 ニテモ 勉強スル 人 ニ ハ 劣ル 可シ。「油断大敵。」ト云
フコト ハ 常常 忘ル 可カラズ。 高慢 ハ 必ズ 戒ム 可シ。
修身の教科書ならともかく、「国語読本」がこういう状態なのである。もともと、イソッ
プ寓話が教訓を伝える目的だったという来歴を最大限に利用して、日常の心がけを教え諭す
という教材化をしているのだ。「寓意」や「下心」をそれとなく感じさせるというのではな
くて、あからさまな形で教訓を示すことこそが、教育的だと考えられていたのである。
(2)様々な学習活動の工夫 今見たように、この時代の教科書は、「イソップ寓話」を,教訓を注入する素材として
十二分に活用していた。しかし、明治も30年代に入ると、国語読本の内容や形式にも様々な
工夫が凝らされるようになってくる。それは、子どもの話しことば(談話文)を多用し、日
常の言語生活を拡充する方向に、イソップ話材を活用しようという方向である。
その一例として、1900(明治33)年の、『尋常国語読本』甲種・巻一(金港堂)を見てみる。
タロー ノ ハナシ
アル トキ ウサギ ト カメ ト、カケクラベ ヲ イタシ マシ タ。
カメ ハ、ユダン ナク、アルイ テ ユキ マス。ウサギ ハ、アシ ガ、ハヤイ ノ
デ、キット カツ ト オモッテ トチュー デ ネ マシ タ。
カメ ハ、ソ ノ アヒダ ニ、ウサギ ヲ オヒコシ マシ タ。
ウサギ ハ、メ ガ サメ テ カラ、キューニ ハシリ マシ タ ガ、トートー カ
メ ニ マケ マシ タ。
― 24 ―
つゞき
はゝさま けふ は、おもしろい しょーか を ならひ まし た。
たゞいま うたっ て、おきかせ まうし ませう。
はしる に はやき うさぎ すら /ねむれ ば かめ に おひ こさる。
まされる ひと も おこたれ ば /おとれる ひと の あと に なる。
はげめ や はげめ わが こら よ/はげめ や はげめ わが こら よ
小学校の一年生前期用の教材で、単語分かち書きになっている。また、片仮名文に平仮名
文が連続しており、教材文をそのまま教えるという形から、寓話を言語生活の中に取り入れ
るという形が出てきたことが分かる。つまり、太郎の話と題して、実際に小さい子どもがお
話を語るという設定にして、子どもの話しことば(語りことば)の文体で「ウサギとカメ」
の話を提示しているのである。子どもの直話という設定だから、平易な語彙と、比較的単純
な文体で構成されている。教訓も子どもの話の中には直接出て来ない。つまり、ウサギトカ
メの話の部分は「寓話」ではなく、「物語」になっているのである。
しかし、そこは明治の教科書である。
「物語」を単純に楽しむだけでは終わらずに、教訓が「唱
歌」という形で付け足されている。「唱歌」は文語体が採用され、異なった文体を提示する
という意図もあったのだろうがその内容は、「教訓」を韻文形式にしただけで、太郎のいう
ような「面白い唱歌」とはいいかねる。まるで、欧米列強に追いつき追い越せとばかりに、
教育活動に「はげめやはげめ」と拍車をかけているようだ。
このように学習活動を豊かにしようという工夫は、「統合主義」を唱えたことで知られる
樋口勘次郎が編集した国語教科書にも見られる。1901(明治34)年に、同じ金港堂から出さ
れた『尋常国語教科書』の巻五の第一三課に「かめとうさぎ」という話があり、そこでは、
次のような展開になっている。
うさぎはかめの歩みのおそきを見て、「君の足はなかなか早いね、あの小山のみねまでか
けくらをせぬか。」と、からかひしに、かめはわらひながら「それは面白からう。」と、いひ
て、一しょに出立せり。
うさぎはしばらく走り行きしが、はるかにかめのおくれたるを見て、「あの足で、かけく
らとは、なまいきだ。かれがここまで来るには、まだよほど間がある。ここらで一休せう。」
といひて、道ばたの石にこしをかけ、そのまゝひるねせり。
しばらくして、うさぎは目をさまし、後を見しに、かめのすがた見えざれば、急ぎかけ出
して、定めのばしょにいたれば、かめははやそこにつき居て、
「君も思ったよりは早いことね。」
と、いへり。
このほどはきみのあゆみのおそきをあなどり、わたくしよりかけくらをいひだしながら、
ゆだんして ねむりたるまに、おひこされたるは、まことにはづかしきかぎりなり。この
― 25 ―
のちはさるしつれいなる ことは、きっとまうすまじければ、まへにかはらず、なかよく
おつきあひのほど、ねがひたし。
うさぎ
かめどの
この教材の特徴は、冒頭のウサギの挑発のことばに対して、最後のカメのせりふがそれに
呼応して、若干皮肉めいた口調になっているところであろう。これはおそらく、小学校の三
年生のための素材ということが念頭にあり、単純なストーリーにちょっとひねりを入れたか
らではないかと推測される。さらに興味深いのは、手紙の形式で、和議を求める内容が添え
られていることである。手紙文の学習は、明治時代の作文教育の中心的な内容であり、おび
ただしい教材例もあるが、それらはどれも実用的、あるいは日常生活に適用することを前提
として考えられており、この文例のように仮構の手紙文は珍しい。内容的には、ウサギとカ
メのレースの後日談であり、自分の非を認めて、これからの交友を求める趣旨になっている。
ここまでこの教科書は、かなり「教訓」から自由な編成になっているといっていいかもしれ
ない。
だが、この話題はまだ終わらない。それは、続く「第一四課」に載せられている「かめと
うさぎとの歌」である。
かめとうさぎとかけくらに おそい歩みのかめかちて
早いうさぎのまけたるは いかなるわけかよく思へ
かめが後をも見もせずに 急ぎて行きしその間
うさぎが休んで居た故ぞ ゆだんをするな何事も
形式的には別の課という扱いになっているが、当然、前の課と連続して取り扱うべき内容
である。おそらく、物語形式、手紙形式、韻文というように、いくつかの文体を取り合わせ
たところに編者の工夫があったのだろう。だが、読者に「油断をするな何事も」と戒めを伝
える内容は、やはり教訓臭さから免れていない。どうしても「教訓」から、「ウサギとカメ」
の競争は、逃れられないようだ。
しかしここで重要なのは、ことばの教育が唯一絶対の「読本」を聖典としてそれを押し頂
くのを目的とすることから、子どもたちの言語生活を豊かなものにする方向に向けられるよ
うになったことである。それは「読本」の内容を教えるという地平から、「読本」に書かれ
ていることを中心にして、自分たちの言語生活を見直したり、その中に読本で学んだことを
取り入れたりするような学習活動となって表れてくる。
(3)姿を消すあからさまな教訓
― 26 ―
一方、1897(明治30)年の『国民新読本 尋常小学校用 巻二』、1901(明治34)年の『尋
常 日本国語読本 巻三』、1902年(明治35)年の『尋常 国語教科書 巻三』、『扶桑読本
尋常科用 巻二上』などに出ているウサギとカメの話には、教訓そのものが付けられてい
ない。また、『扶桑読本 尋常科用 巻二上』では、最後にカメがウサギに向かって「かめ
はさきにとどきて、其のをこたりを、わらひきとぞ」となっており、1897(明治30)年の『国
民新読本 尋常小学校用 巻二』では、
「ウサギサン、イママデ、ナニヲシテヲリマシタカト、
ワラヒマシタ」と、
「笑い」で話が締めくくられている。「笑い」といっても非難や冷笑から、
相手を受け入れる笑いまで様々なニュアンスはあるが、少なくとも「教訓」をむき出しにす
る結末よりは軟化している。このように明治期後半になると、教材に直接の教訓を付けてメ
ッセージをそのまま読み取らせようとするよりも、物語それ自体から間接的に「下心」を感
じ取らせようという方向へ教材化が進んでいくように見える。
1902(明治35)年の『尋常国語教科書』
(小林義則・文学社)の巻三第四課の「うさぎとかめ」
は、話そのものは、簡略ではあるが、すっかり「物語化」され、教訓めいた文章はどこにも
ない。
あるとき、うさぎとかめとが、であひました。
うさぎは、「かめさん、ここから、あの山の上まで、かけくら を しませう。」と いっ
て、かめにすすめました。
そこで、かめは、いっしょーけんめいに、かけだしましたが、足が おそいので ずっと、
あとに なって しまひました。
さきに たった うさぎは、かめを ばかに して をりましたから、とちゅーで、ひと
やすみ して、つひ、うとうとと、ねむって しまひ ました。
しばらく たって、うさぎは 目をさまし、すぐに、かけのぼりましたが、あひては、も
う とうに 山の上に、ついて をりました。
もちろん、この教材を読んだ後、教室でどんな話し合いが進行するかは、教師の導き方に
かかっている。ストーリー展開を楽しむ方向に進むか、あるいは教訓を読み取ることを専一
にするか、それはそれぞれの教室の状況によって若干は異なるだろう。だが、教訓に全く触
れないということは考えにくい。明治時代の教室で、この教材を扱うのだとすれば、やはり
「努力」や「油断大敵」といった着地点に向かって、学習が収斂すると考えた方が無理がない。
ここからは少なくとも、明治末年には、教材文にむき出しの教訓がそのまま附載されること
が少なくなってきたということだけは確認できるように思う。しかし、それは教育にとって
訓言が必要でなくなったということを意味しているわけではない。あからさまな教訓がテキ
ストの中から消されたのは、学習者がそれを物語中から掘り起こすべきものになったという
ことであり、そうした探索行為自体が国語学習の目的になったということなのだ。すなわち、
国語科の学習の中で、学習者が脳裏に生成させるべきものは、「ウサギとカメ」の話の「下心」
― 27 ―
のようなものであることが期待されていたのであり、現在でも依然として、文学教材を読む
ことの学習の現場では、それがかなり大きな指導の柱になっている。
3,国定読本の中の「ウサギとカメ」
明治検定期におびただしい数の「国語読本」が出されたが、それは結局、国が作製した唯
一の教科書「国定読本」へと収斂する。
1903(明治36)年、小学校の教科書は国定制へ移行し、翌1904(明治37)年の4月からは、
国定読本が使われるようになった。しかし、ほどなく1907(明治40)年3月に小学校令が改
正され、義務教育の年限が6年に延長されたことにともなって、新しい国定教科書の改訂が
要請される。第二期国定読本の登場である。第一期国定国語読本(イエスシ読本)に比べて、
この第二期国定読本は、日清日露戦争で大きく盛り上がった国家主義的な風潮を反映してい
た。すなわち、第一期に比べて軍事教材が増え、言語表記の面でも旧来の表記法にもどり、
復古的なにおいの強い教科書になっていた。
ハタタコ読本の後を継いで、1918(大正7)年度から使用されたのが、第三期国定読本『尋
常小学国語読本』(ハナハト読本)である。この本が公刊された当初は、ハタタコ読本を修
正した『尋常小学読本・修正本』も並行して発行されていたので、教育現場はどちらの読本
を選択してもよいことになっていた。が、結局、新しいハナハト読本の方が、大方の支持を
得ることになる。この第三期国定読本は、それまでの教科書に登載されていた実学的な教材
を残しているものの、文学的な教材をさらに増加させたことで、国語の教科書として、一歩
前進したと評価された。
第一期から第三期までの国定読本には、イソップから採られた話材がいくつか採られてい
る。とりわけ第一期国定読本には、その数が多い。主に低学年の教材で、例えば「よくばり
いぬ」「ネズミの相談」「二人の旅人と熊」「ライオンとネズミ」などで、それらは国定期以
前から国語読本の教材としておなじみだったものである。「ウサギとカメ」は、検定期に引
き続き国定修身教科書の教材にもなったが、国語読本には、1933(昭和8)年の第四期国定
『小学国語読本』(サクラ読本)で登場した。また、1910(明治43)年に出た国定修身教科書
『尋常小学修身書』の巻一には、「ベンキョウセヨ」というタイトルに対応して、ウサギがカ
メに追い越される絵が描いてある。
この第四期国定国語教科書『小学国語読本』は、「教科書の神様」と称された井上赳が編
纂官として関わったもので、子どもたちの心性を重視した画期的な教科書だといわれている。
文学的な教材が多く盛り込まれており、口語常体の文章が中心的になった色刷りの教科書で
あった。イソップ寓話からは、ほかに「獅子と鼠」「金のをの」「ねずみのちゑ」などが教材
化されている。
この「サクラ読本」の「ウサギとカメ」は、巻一に載せられている。 アル日、ウサギト カメ ガ、カケッコ ヲ シマシタ。ウサギ ハ アノ ノロイ カ
― 28 ―
メ ニ マケル コト ハ ナイ ト オモヒマシタ。ウサギ ハ、トチュウ デ、ユック
リ ヒルネ ヲ シマシタ。カメ ハ、スコシモ ヤスマナイデ、ハシリマシタ。トウトウ、
カメガ、ウサギ ニ カチマシタ。 おそらく一年生の九月頃に習うことになる教材で、ストーリーをむだなく追った文章であ
る。ところが、同じ井上赳が関わった、第五期国定国語教科書『国民科国語教科書』(アサ
ヒ読本)になると、同じ素材が次のような形で教材化されている。掲載されているのは、
1941(昭和16)年度から使用された「ヨミカタ 二」である。
ウサギトカメ
ウサギ「カメサン、コンニチハ。」
カ メ「ウサギサン、コンニチハ。」
ウサギ「ナニカ、オモシロイ コトハ ナイ カナ。」
カ メ「サウ ダネ。」
ウサギ「カケッコヲ シヨウカ。」
カ メ「ソレハ オモシロイ。」
ウサギ「デモ ボクノ カチニ キマッ
テヰルナ。」
カ メ「ソンナ コトハ ナイヨ。」
ウサギ「デハ ヤラウ。ケッショウテン
ハ、アノ 山ノ 上 ダヨ。」
『ヨミカタ 二』(アサヒ読本)S16
カ メ「山ノ 上。イイトモ。」
ウサギ「ヨウイ、ドン。」
ウサギ「オソイ カメサン ダナ。アンナニ オクレテ シマッタ。コノヘンデ、ヒル
ネ ヲ シヨウ。グウ グウ グウ。」
カ メ「オヤ、オヤ、ウサギサン、ヒルネヲ シテ ヰルゾ。イマノウチニ オヒ コ
サ ウ。急ゲ、急ゲ。」
ウサギ「アア、イイ キモチ ダッタ。マダ、カメサンハ ココマデ 来ナイ ダラウ。
ドレ、出カケヨウカナ。オヤ、山ノ 上ニ ダレカ ヰルゾ。」
カ メ「バンザイ。」
ウサギ「ヤア。カメサン ダ。シマッタ、シマッタ。」
1941(昭和16)年、小学校は国民学校と改称された。一億国民の総力を挙げて大東亜戦争
― 29 ―
を遂行するための教育を徹底するためである。国語教科書にも時局を濃厚に反映した教材が
増えた。またこのアサヒ読本では、音声言語教育が重視されたことが特筆される。文字・文
章の指導に偏した国語教育を、話しことば中心に組み立て直そうとしたのである。発音・発
声の指導、標準語教育の徹底、対話・劇教材の重視などがその具体的な方策である。しかし、
厳しい戦局は、全国の子どもたちが十分に学習できるだけの時間を保障することが出来なか
った。また、音声言語を前面に立てた国語教育も、やはり戦争と無関係でいられるはずはな
かった。
もっとも、「ウサギ」と「カメ」の会話劇からは、そうした緊張感は感じられない。だが、
会話こそ一見のんびりしているが、挿絵を見ると、山の頂上にはカメの姿よりも大きい「日
の丸」の旗がへんぽんと翻っている。つまり、ウサギとカメの国籍は、当然のように「日本
人」だとされている。戦時下という極限化した状況のもとで、ヨーロッパから移入されたイ
ソップの話は、国定読本の中で文字通り「国粋化」されてしまったのである。
1) 『日本教科書大系第3巻 修身(3)』講談社 1962(昭和37)年 572頁
2) ここでは、『通俗伊蘇普物語』渡部温訳・谷川恵一解説、平凡社(東洋文庫)2001年9月 P50、によった。日本教科書大系「近代編・修身」にも,その一部が翻刻されている。
3) 鳥越信編著『はじめて学ぶ日本児童文学史』ミネルヴァ書房 2001年4月,などが,新しい研
究の動向を伝えている。
― 30 ―
第3章
成立時における国語科の教科内容
―教材の変遷からのアプローチ―
甲 斐 雄一郎
はじめに
第一次小学校令(明治19年)から国民学校令(昭和16年)にいたるまで、我が国の初等教
育用国語教科書は、検定制もしくは国定制であった。それは教科書教材が教則に記された国
語科の教科内容の具体的実現であることについての文部省による認可の表明を意味する。
国語教育史研究は、目標と方法をめぐる議論については相当の蓄積がある。この現状に教
科書教材の分析に基づく教科内容に関する知見を加えられたならば、これまで十分な説明が
得られていない事象を理解する上で有効な解釈の仕方を導くことが期待される。たとえば国
語科の成立、明治10年代から30年代までの初等教育・中等教育間における教科名称の一致及
び乖離、明治後期の読み方教授における「内容主義」と「形式主義」との往還、随意選題論
の普及、国語教科書における文体の変化、「話シ方」教授の盛衰などについてである。
これらの事象に整合的な解釈をもたらすためには、国語教材の推移にどのような意味付け
を施すのが有効なのか。ここでは国語科の成立をトピックとして取り上げ、その教科内容の
決定過程について説明上有効と考えられる観点法を提示し、意味付けの実例を展開する。
1 研究の目的と方法
(1)問題の場
成立時の国語科の要旨は小学校令施行規則第3条において次のように規定されている。
国語ハ普通ノ言語、日常須知ノ文字及文章ヲ知ラシメ正確ニ思想ヲ表彰スルノ能ヲ養ヒ
兼テ智徳ヲ啓発スルヲ以テ要旨トス
ここからは「普通ノ言語、日常須知ノ文字及文章」に関する理解・表現のための知識や技
能と、「啓発」すべき「智徳」との二つの教科内容を指摘できる。そして「智徳」の実質は、
教科書(読本)の材料を規定した次の部分によって想定される。
読本ノ文章ハ平易ニシテ国語ノ模範ト為リ且児童ノ心情ヲ快活純正ナラシムルモノナル
ヲ要シ其ノ材料ハ修身、歴史、地理、理科其ノ他生活ニ必須ナル事項ニ取リ趣味ニ富ム
モノタルヘシ
すなわち国語科は、「国語ノ模範」に関する知識や表現・理解の技能を養うとともに、修身、
歴史、地理、理科、等の材料が担う「智徳」を啓発する教科として成立したのである。
ここでは国語科成立時において、国家が国語科に託したねらいを明らかにするための基礎
作業として、第一期国定国語教科書にいたるまでの国語科(明治33年より前は読書科)用教
科書群について、選択された出典、話題題材、また文体などの観点からそれぞれの特色を明
らかにすることを目的とする。そのために国定教科書に先行する検定教科書、文部省が編集・
刊行した教科書、また台湾における日本語教育のための教科書等における編集方針の広がり
を国定教科書編集に際しての選択肢としてとらえることにする。
(2) 調査資料
本研究が対象とする期間(小学校ノ学科及其程度(明治19年)以降、小学校令施行規則(明
治33年)まで)において検定を通過した読書科用教科書は、小学校ノ学科及其程度下におい
― 33 ―
て140種、小校教則大綱下においては尋常小学校用が54種、高等小学校用が41種に達する。
小学校令施行規則下においては明治34年3月までに検定を通過したものに限っても尋常小学
校用が14種、高等小学校用が20種に及ぶ(1)。それらのうち本研究では、小学校ノ学科及其
程度のもとで文部省が編集・刊行した「尋常小学読本」「高等小学読本」に加え、国定教科
書の使用開始直前における検定教科書のうち、もっとも広く使用されていた文学社、普及舎、
金港堂、集英堂、冨山房の五社を選び(冨山房は国語科成立時の尋常小学校用、高等小学校
用の二種のみ)、それぞれの出版社が以下の各期に刊行した尋常小学校用、高等小学校用教
科書、さらに第一期国定国語教科書(「尋常小学国語読本」「高等小学国語読本」)の、計46
種を用いることにする(2)。
A類 小学校ノ学科及其程度下(明治19年~23年)に刊行したもの
B類 小学校教則大綱前期(明治24~29年)に編集・刊行したもの
C類 小学校教則大綱後期(明治30~32年)に編集・刊行したもの
D類 国語科の成立(明治33年)に合わせて新たに編集・刊行したもの
E類 B類の教科書を小学校令施行規則に即して改訂し、刊行したもの
この間、文部省が編集・発行した教科書のうち、『沖縄県用尋常小学読本』『北海道用尋常小
学読本』はC類の時期に刊行され、台湾で刊行された『臺灣教科用國民讀本』
(台湾総督府編、
明治34~36年刊)はD・Eの時期ということになる。このためそれぞれの類に位置づけてあ
わせて検討対象とする。
他教科との関連、また中学校等上級学校における国語及漢文科のための教科書との関連を
視野におさめる本研究の目的にしたがって、原則として入門期対象と判断される教科書は調
査対象から省くこととし、尋常小学校第二学年以上用のものを用いた。
(3)調査の観点
上記の教科書について、以下の観点から分析を行った。
① 話題・題材の推移
A、B、D、各類の同時代の教則、当該教科の教科書等を参照しつつ地理的題材、歴史的
題材、理科的題材等に分け、当該教科との異同を検討するための基礎資料とする。
そのための枠組みは以下の通りである。一つの教材は、一つの分類項目に入れた。
地理的教材(地理一般、交通、日本地理、外国地理)
歴史的教材(古代、中世、近世、近代、通史、外国史) 理科的教材(植物、動物、金石、生理、天文・地文、物理化学) 実業教科的教材(農業、商業、工業、貿易、等)
(1) 文部省編『自明治十九年五月至明治三十一年三月検定済教科用図書表(小学校用)』中村紀久
二編(1985 年)
『教科書研究資料文献第三集 検定済教科用図書表(一)』所収、芳文閣)による。
(2) 教科書国定制に至るまでに府県が採用した教科書については中村紀久二編(1996 年)『教科書
変遷研究資料5明治検定期教科書採択府県一覧』(平成 7 年度文部省科学研究補助「教科書の
変遷・発行等教科書制度の変遷に関する調査研究」)によった。
― 34 ―
国民教科的教材(皇室、軍事、制度)
なお、地理的教材、歴史的教材については、教則の記載との一致を図るために、検討対象
は日本地理、日本歴史に関する内容に限定した。
② 文体の推移
A類からE類までの尋常小学校第二学年から第四学年までの教科書を用いる。指標とする
のは口語文体と文語文体の別である。候文は文語文体として数える。
③ 出典の推移
A類からE類までの高等小学校用教科書を用いる。近世以前の作品を出典とする教材が全
教材に占める比率とその変化を明らかにする。
近世以前の作品をその出典を明記して教材として取り上げる際には、その伝統的な文化的
価値を重んじる編者の意図がはたらいているといえるだろう。すなわち読書科、国語科の教
科内容として、伝統的、文化的価値をどの程度重視しているかを判断するための資料である。
④ 検定内容 検定制度は明治19年に開始されたものの、具体的な検定の規準は井上毅が明治26年に文部
省図書課に対する内訓として示した以下の検定不許標準によってはじめて明らかになったと
いえる(3)。
一 国体ニ乖キ又ハ直接間接ニ憲法ノ旨ニ戻ル者
二 明治二十三年十月三十日ノ勅語ノ旨ニ合ハザル者
三 政論ニ渉リ又ハ国交上ノ誹毀ニ渉ル者
四 理論偏僻ニ渉ル者
五 著シキ疎漏又ハ誤謬アル者
六 教則又ハ教科書ノ体制ニ合ハス又ハ全ク教科ノ程度ニ応セサル者
七 行文艱渋拙劣又ハ結構疎雑ニシテ教科ニ適セサル者
本調査で用いたA類からE類までの教科書はすべて検定を通過している。しかし少なくな
い修正意見が附され、編者たちはそれらに対応して改訂版を編集している。そして検定を通
過したのは改訂版なのである。そこで本調査ではB類、D類の尋常小学校用教科書のうち、
普及舎版の二種に限って小学校教則大綱下と小学校令施行規則下とにおける検定不許標準に
基づいた検定事項の異同を明らかにしようとした。具体的には検定申請本(見本本)に付箋、
または書き込みという方法で加えられた教科書検定官による修正の指示と、その個所につい
ての供給本における修正結果を明らかにし、その内容と理由を検討することによって、検定
の観点を明らかにしようとするのである。
調査資料は東書文庫所蔵の以下の教科書によった。
B類 今泉定介・須永和三郎 『尋常小学読書教本』巻3~8
(3) 梧陰文庫文書B 3003、中村紀久二編(1986 年)「解題」『教科書研究資料文献第三集の二 検
定済教科用図書表』芳文閣、所収。
― 35 ―
D類 普及舎 『国語読本尋常小学校用』巻3~8 2 話題・題材の推移 ※いずれも上段が教材数、下段が比率
(1)教材数において
尋常小学校用教科書(A類)
文部省
2 日本地理
(1.1)
32 日本歴史
(17.4)
41 理科
(22.3)
4 実業
(2.2)
8 国民教科
(4.3)
その他
97
合計
184
文学社
10 (7.3)
6 (4.4)
33 (24.1)
13 (9.5)
7 (5.1)
68
137
尋常小学校用教科書(B類)
普及舍
10 (8.1)
13 (10.5)
34 (27.4)
6 (4.8)
4 (3.2)
57
124
金港堂
10 (7.4)
15 (11.1)
42 (31.1)
7 (5.2)
6 (4.4)
55
135
文学社 普及舍 金港堂 集英堂
7 16 7 18 日本地理
(5.3) (10.7) (5.0) (10.0)
24 25 24 41 日本歴史
(18.2) (16.7) (17.0) (22.8)
25 19 34 32 理科
(18.9) (12.7) (24.1) (17.8)
5 13 10 11 実業
(3.8) (8.7) (7.1) (6.1)
17 16 12 16 国民
(12.9) (10.7) (8.5) (8.9)
その他
54
61
54
62
合計
132
150
141
180
尋常小学校用教科書(D類)
集英堂
2 (1.1)
9 (5.2)
61 (35.1)
4 (2.3)
8 (4.6)
90
174
沖縄県 北海道
11 15 (8.1)(10.1)
25 25 (18.4)(16.9)
20 21 (14.7)(14.2)
6 14 (4.4) (9.5)
17 15 (12.5)(10.1)
57
58
136
148
文学社 普及舍 金港堂 集英堂 冨山房
18 16 16 8 13 日本地理
(12.0) (10.7) (11.8) (6.7) (8.9)
18 25 24 29 17 日本歴史
(12.0) (16.7) (17.6) (24.2) (11.6)
15 20 18 11 25 理科
(10.0) (13.3) (13.2) (9.2) (17.1)
13 8 15 6 12 実業
(8.7) (5.3) (11.0) (5.0) (8.2)
14 21 14 13 8 国民
(9.3) (14.0) (10.3) (10.8) (5.5)
その他
72
60
49
53
71
合計
150
150
136
120
146
― 36 ―
文部省
15 (11.5)
13 (10.0)
29 (22.3)
10 (7.7)
13 (10.0)
50
130
高等小学校用教科書(A類)
日本地理
日本歴史
理科
実業
国民
その他
合計
文部省
18 (7.2)
82 (32.7)
75 (29.9)
4 (1.6)
14 (5.6)
58
251
文学社
19 (7.9)
50 (20.8)
69 (28.8)
10 (4.2)
13 (5.4)
79
240
普及舍
10 (4.4)
37 (16.4)
66 (29.2)
4 (1.8)
4 (1.8)
105
226
金港堂
5 (3.1)
40 (24.5)
26 (16.0)
2 (1.2)
10 (6.1)
80
163
集英堂
10 (6.8)
20 (13.7)
58 (39.7)
4 (2.7)
6 (4.1)
48
146
高等小学校用教科書(B類)
日本地理
日本歴史
理科
実業
国民
その他
合計
文学社
8 (3.3)
72 (30.0)
21 (8.8)
2 (0.8)
18 (7.5)
119
240
普及舍
24 (12.0)
46 (23.0)
25 (12.5)
7 (3.5)
38 (19.0)
60
200
金港堂
17 (9.4)
43 (23.8)
29 (16.0)
10 (5.5)
26 (14.4)
56
181
集英堂
21 (8.8)
76 (31.7)
14 (58.3)
8 (3.3)
34 (14.2)
87
240
文学社
12 (6.0)
58 (29.0)
31 (15.5)
11 (5.5)
24 (12.0)
64
200
普及舍
12 (6.0)
42 (21.0)
23 (11.5)
12 (6.0)
32 (16.0)
79
200
金港堂
15 (8.4)
37 (20.8)
18 (10.1)
14 (7.9)
31 (17.4)
63
178
集英堂
17 (10.6)
46 (28.8)
22 (13.8)
12 (7.5)
15 (9.4)
48
160
高等小学校用教科書(D類)
日本地理
日本歴史
理科
実業
国民
その他
合計
冨山房
16 (8.6)
23 (12.4)
32 (17.3)
5 (2.7)
16 (8.6)
93
185
文部省
15 (9.3)
32 (19.8)
34 (21.0)
6 (3.7)
18 (11.1)
57
162
これらの表から指摘できることは以下の四点である。
① A類、B類、D類、いずれの教科書も比率に差異はあるものの、日本地理、日本歴史、
理科、実業、国民教科的題材を教材として掲載しており、国語科成立前後において、顕著
な差異を見出すことはできない。
― 37 ―
② 比率においてA類を特徴づけるのは理科的教材、B類を特徴づけるのは国民教科的教材、
日本歴史的教材の増加である。D類の比率はB類と比べて顕著な差異は見出せない。
③ 『沖縄県用尋常小学読本』『北海道用尋常小学読本』の題材は、いずれもB類の検定教科
書の比率から大きく逸脱していない。
④ 第一期国定国語教科書における題材の比率は、D類の検定教科書と比べるならば、日本
歴史的題材においてやや少なく、理科的題材においてやや多い。それ以外の題材について
は検定教科書における比率と大きくは変わらない。
(2)当該教科の教科内容との関連において
日本地理、日本歴史、理科等に関連したものとして分類された教材であっても、実際には
関連のあり方に広がりがある。そこで以下の二つの観点を用いて、当該教科との関係のあり
方を、網羅、摘録、保管という三種の類型に分類することとした。
一、読書(国語)科用教科書における地理的教材、歴史的教材、理科的教材の範囲は、小
学校ノ学科及其程度以降の教則、また関連諸規定において示された当該教科の領域の全
体に及んでいるか部分にとどまるか。(全体/部分)
二、読書(国語)科用教科書としての各教科関連教材は、当該教科に求められている教科
内容と一致しているか、別の内容を付加しているか。(一致/付加)
この二つの観点から「全体」にわたって「一致」しているならば網羅、
「部分」について「一
致」しているならば摘録、全体であっても部分であっても、別の内容を「付加」しているも
のと判断されるならば補完、というようにそれぞれの関係のあり方を分類したのである。
その結果が以下の表である。
なお、尋常小学校には地理、歴史、理科に関わる教科は独立していなかったため、一致・
付加という関係は存在しない。
尋常小学校用教科書 高等小学校用教科書
A類
文部省 文学社
日本地理 摘録 網羅
日本歴史 網羅 摘録
理科
網羅 摘録
普及舎
網羅
網羅
網羅
金港堂
網羅
網羅
網羅
B類
文学社 普及舎
日本地理 網羅 網羅
日本歴史 網羅 網羅
理科
網羅 網羅
金港堂
網羅
網羅
網羅
集英堂
網羅
網羅
網羅
D類
文学社 普及舎
日本地理 網羅 網羅
日本歴史 網羅 網羅
理科
網羅 網羅
金港堂
網羅
網羅
網羅
集英堂
網羅
網羅
網羅
集英堂
摘録
摘録
網羅
冨山房
網羅
網羅
網羅
文部省
摘録
網羅
網羅
文学社 普及舎 金港堂
網羅 摘録
補完
補完 網羅
補完
網羅 (補完) 摘録
文学社
摘録
補完
網羅
普及舎
補完
補完
網羅
金港堂 集英堂
補完 網羅・補完
補完 網羅・補完
網羅
摘録
文学社
補完
補完
網羅
普及舎
補完
補完
網羅
金港堂
補完
補完
網羅
― 38 ―
集英堂
補完
補完
網羅
集英堂
摘録
補完
網羅
冨山房
補完
補完
網羅
これらの表から指摘できることは以下の二点である。
① 尋常小学校用、高等小学校用、いずれもA類では方針が拡散しているものの、D類にお
ける方針は共通のものとなっている。そしてそのような方針はB類の方針の延長上に位置
づけられる。この意味で題材選択の方針は、B類においてほぼ定まっていたといえる。
② B類以降、尋常小学校用教科書は、日本地理、日本歴史、理科などを網羅している。こ
のことは読書(国語)科が、それらの教科に関わる知識も含むことを示すものである。一
方、当該教科が独立している高等小学校用教科書において、理科との関連が「網羅」に収
斂した理由はこの領域に関わる読書(国語)科としての固有の教育内容を見いだせなかっ
たとみることもできる。
3 口語文体の推移
上段:口語文体教材数/全教材数、下段:比率
A類
B類
C類
D類
E類
国定一期 (明治37年~)
国定一期 (含、高1~4)
国定二期 (明治43~)
国定三期 (大正7年~)
国定四期 (昭和8年~)
文学社 普及舍 金港堂 集英堂 冨山房
文部省
沖縄県 北海道 用
用
23/137 0/124 0/135 0/174 0/184 -
-
-
(16.8) (0) (0) (0)
(0)
11/132 10/150 12/141 12/180 -
-
-
-
(8.3) (6.7) (8.5) (6.7)
12/150 13/150 15/180 13/162 40/156 65/136 9/148 -
(8.0) (8.7) (8.3) (8.0) (25.6)
(47.8) (6.1)
19/150 58/150 45/136 51/120 49/146 -
-
-
(12.7)(38.7)(33.1)(42.5)(33.6)
11/132 10/150 8/130 50/128 -
-
-
-
(8.3) (6.7) (6.2) (39.1)
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
102/130 (78.5)
142/210 (67.6)
138/262 (52.7)
209/267 (78.3)
213/257 (82.9)
台湾 教科用
-
-
-
-
-
-
-
149/149 (100)
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
この表から指摘できることは次の四点である。
① 口語文体はおおむねA類からD類にかけて増加している。しかしそのあり方は漸増では
なく、C類とD類との間に飛躍が認められる。ここでその飛躍をもたらした一つの要因と
して想定されるのが『沖縄県用尋常小学読本』において口語文体が占める比率と同時代の
他の検定教科書における比率との間の差である。
② ①の結果をふまえるならば、D類と第一期国定国語教科書との間の飛躍の要因の一つと
― 39 ―
してD類の時期に刊行された『台湾教科用国民読本』の編集方針を間において検討する必
要がある。
③ 文学社版教科書における文体の推移は、他の検定教科書と同調しているわけではない。
E類、またD類中の文学社版の方針をみるならば口語文体の比率は国語科成立時の検定方
針を通過するための絶対条件ではないことが明らかである。
④ 第一期国定国語教科書における口語文体の比率はもっとも高い。しかし明治43年以降使
用された第二期では、その比率は下がっている。なお第一期中〈高1~高4〉は高等小学
校一・二年用教科書(巻1~4)であることを示す。第一期まで、尋常小学校は四学年で
あったものが、第二期以降六学年となったため、ここでは両者を示した。 4 出典の推移
上段:教材数/全教材、下段:比率
A類
B類
C類
D類
E類
国定教科書
文学社
29/240 (12.1)
77/240 (32.1)
39/200 (19.5)
9/200 (4.5)
74/240 (30.8)
普及舍
45/226 (19.9)
50/200 (25.0)
41/211 (19.4)
19/200 (9.5)
35/200 (17.5)
金港堂
73/162 (45.1)
48/181 (26.5)
44/190 (23.2)
11/178 (6.2)
13/155 (8.4)
集英堂
0/146 (0)
103/240 (42.9)
42/224 (18.8)
3/160 (1.9)
55/165 (33.3)
冨山房
-
-
-
-
-
文部省
16/251 (6.4)
-
-
-
-
0/185 (0)
-
-
-
-
0/166 (0)
この表から指摘できることは以下の三点である。
① A類においては教科書によって、近世以前の作品を出典として明示する比率は0から
45.1%までひろがっているものの、B類においてはその差がやや縮まり、全体としてみる
ならば小学校ノ学科及其程度から第一期国定教科書までの間でもっとも多く取り上げられ
ている。なお、集英堂版A類における「0」は教材それ自体がないことを意味するのでは
なく、出典の明示がないということである。
② B類からD類、さらに国定国語教科書までの間に近世以前の作品を出典とする比率は下
がっている。しかしかならずしもC類とD類の間においてのみ下がっているわけではなく、
とくに文学社と集英堂においてはB類とC類の間での減少も顕著である。
③ E類のうち、とくに文学社版はB類との間の大きな差異が認められない。このことから、
近世以前の出典が占める比率の多寡が国語科成立時の検定方針を通過するための絶対条件
ではないことが理解される。
― 40 ―
5 検定内容の推移
B類とD類に対する検定方針の異同から指摘できることは以下の四点である。
① 事実との相違、語法・異体字・表記法、仮名遣等に関する誤謬の指摘・修正はB類にお
いてもD類においても見出すことができる。
② 量的には少ないが「国交上ノ誹毀」に関わる問題の指摘もB類D類ともに見出すことが
できる。
③ D類においてはじめて見出される修正指示のうち顕著な事項は語句、文、文章について
の問題である。
④ D類においてはじめて見出される別の指摘は、それぞれ量的には少ないが、一般的な常
識や文章の規範についての修正意見、学習上の難易度に関する指摘である。それはこの間
に、一般的な常識や文章の規範に関する価値の転換が起こった可能性を示唆する。
※は他の教科書にその指摘が認められることを示す。 一 明治二十三年十月三十日ノ勅語ノ旨ニ合ハザル者
二 国体ニ乖キ又ハ直接間接ニ憲法ノ旨ニ戻ル者
三 現在ノ政論ニ渉リ又ハ国交上ノ誹毀ニ渉ル者
常識との乖離
四 理論偏僻ニ渉ル者
文章の規範
事実との相違
五 著シキ誤謬多キ者
語法・異体字・表記法
仮名遣い
六 教則ニ合ハズ又ハ全ク教科ノ程度ニ応セザル者
七 行文艱渋又ハ拙劣又ハ結構 語句
疎雑ニシテ教科ニ適セザル者 文・文章
八 その他
B類
0
0
3
0
0
10
13
19
0
0
0
3
D類
0
0
※ 0
3
1
12
12
14
1
29
13
2
6 まとめ
国語教科書の教材編成が国語科の教育課程を実体化した存在であるととらえ、国家が国語
科に託したねらいを明らかにすることが本調査研究の目的であった。量的な調査に限定した
ため限界があるものの、いくつかの点は本研究の成果として挙げられると考えられる。
第一期国定国語教科書(『尋常小学読本』)の編纂趣意書は、編集方針の解説に際して「形式」
(第二章、
「文字及符号」「文章」「分量」)と「材料」(第三章、
「材料ノ選択」、
「材料ノ排列」、
「分量」、「挿画」)に分けて解説している。これは『高等小学読本』の編纂趣意書においても
共通している。この分類にしたがい、「形式(文章)」、「材料(題材)」に即して本研究をま
とめるとするならば以下のようになる。
(1)形式(文章)
① 口語文体の飛躍的増加はC類とD類の間、またD類と国定国語教科書との間に見出せる。
その飛躍をもたらした可能性として想定されるのは、『沖縄県用尋常小学読本』『台湾教科
用国民読本』である。このためこの二種の教科書における編集方針を探究することが、国
― 41 ―
語科成立前後における文体選択の論理を明らかにすることに役立つことが期待される。
② B類とD類とにおける教科書検定の観点からみるならば、文章表現それ自体についての
指示が加えられるのはD類からである。このことは国語の「模範」についての評価規準の
必要性が文部省において共有されたのが明治30年以降であったことをうかがわせる。
③ 第一期国定国語教科書における口語文体の比率は第二期国定国語教科書において継承さ
れてはいない。したがって第一期国定国語教科書における編集方針はかならずしも以後の
国語科の教科内容を決定したとはいえない。
(2)材料(題材)
① 読書科(国語科)用教科書教材として、地理、歴史、理科に関する題材を掲載すること
は小学校ノ学科及其程度(明治19年)以降一貫して規定されていた。それを量的な比率に
おいてみるならば、国語科成立時における各教材の比率はB類においてほぼ決定している。
ただし国定国語教科書においては理科的教材の増加が認められる。
② 国語科成立時における地理、歴史、理科に関わる教科との関係のあり方もまたB類にお
いて決定している。
③ 近世以前の出典の占める比率は、B類から時間を追うにつれて漸減し、国定国語教科書
において明示されるものは0になっている。そしてその比率の推移が結果としては口語文
体の比率の増加と重なるものの、かならずしもC類とD類、またD類と国定国語教科書と
の間に大きな断層が認められるわけではない。このため口語文体の増加とは異なる要因を
も見出す必要がある。それはこの教材群の機能についての検討の重要性を示唆する。
おわりに
この小論は、国語科の成立時における教科内容選択の観点という問題について、教科書教
材の内容分析などによる教科内容に関する知見を加えることによって、新たな解釈を導くこ
とをねらいとしたものであった。実際には十分な成果を挙げたとはいえないものの、探究の
ための問いを、より具体的に分割することはできたのではないかと思われる。
二例を挙げてみよう。
① ともに学習の容易化をねらったようにみえながら、近世以前の出典の減少と口語文体増
加とでは時期にずれがある。このことは二つの変化を促した条件を共通のものとして考え
ることが困難であることを示す。ではそれぞれの要因は何によってもたらされたか。
② B類の時期に他教科との関連のあり方はほぼ決定しているが、その方針は何によっても
たらされたか。
これらの問いについて、関連領域・教科、他校種、そして他地域の教科書分析などと重ね合
わせた検討を通して、所期の問題の解決にせまることになるのである。
参考文献
有沢俊太郎(1998)『明治前中期における日本的レトリックの展開過程に関する研究』風間
― 42 ―
書房
イ・ヨンスク(1996)『「国語」という思想』岩波書店
井上敏夫(2009)『教科書を中心に見た国語教育史研究』渓水社
小笠原拓(2004)『近代日本における「国語科」の成立過程―「国語科」という枠組みの発
見とその意義』学文社
梶山雅史(1988)『近代日本教科書史研究―明治期検定制度の成立と崩壊―』ミネルヴァ書
房
唐澤富太郎(1956)『教科書の歴史』創文社
高森邦明(1979)『近代国語教育史』鳩の森書房(文化書房博文社、1982)
滑川道夫(1977)『日本作文綴方教育史 1 明治編』国土社
古田東朔(1973)「教科書から見た明治初期の言語・文字の教育」『覆刻文化庁国語シリーズ
Ⅲ 国語改善と教育』教育出版
安田敏朗(1997)『帝国日本の言語編制』世織書房
山根安太郎(1966)『国語教育史研究―近代国語科教育の形成―』溝本積善館
山本正秀(1965)『近代文体発生の史的研究』岩波書店
― 43 ―
第4章
宮沢賢治童話の教材史
―文学作品と小学校「国語」教科書との関連―
牛 山 恵
はじめに
宮沢賢治童話の教材史に関しては、すでに拙著『国語教育における宮沢賢治 そのⅠ教科
書教材』[私家版1988(昭和63)年]で取り上げている。しかし、平成年間の教材について
は取り上げていない。本稿は、前者をふまえ、主として平成年間に重点を置いて、小学校国
語教科書における宮沢賢治童話の教材としての収載を史的にたどり、その教材化の意義と問
題点とを、次の観点から明らかにしようとするものである。
1、「国語」教科書における宮沢賢治童話の教材化の歴史
2、教科書における伝記教材と組み合わせた単元設定の問題
3、画一的な読解に導く学習課題の問題
4、活動主義的、教養主義的な単元的学習指導の問題
1 「国語」教科書における宮沢賢治童話の教材化の歴史
1946(昭和21)年11月から、翌1947(昭和22)年3月まで、墨塗り教科書にかわって、折
りたたみのままの暫定教科書『初等科国語』が使用された。その4年生用の教科書『初等科
国語四』に宮沢賢治の童話「どんぐりと山ねこ」が収載された。これが、賢治童話の、国語
教科書における最初の教材化である。
暫定教科書の使用は半年に満たず、4月からは第六期国定国語教科書(「みんないい子読
本」)が使用されることになった。「どんぐりと山ねこ」は、『国語第四学年・下』(『国語第
四学年』は「上・中・下」の三分冊である)に「どんぐりとやまねこ」という題名となって、
引き続き収載されている。
第六期国定国語教科書は、1953(昭和28)年7月発行まで、1947(昭和22)年、1949(昭
和24)年、1951(昭和26)年と2年毎に4回発行されたが、1949(昭和24)年には検定教科
書の使用が始まった。
検定教科書になって初めて賢治童話が収載されたのは、日本書籍(『太郎花子国語の本』
6年)の「べご石物語」である。これは「気のいい火山弾」の教材化である。
(1)昭和20年代
「べご石物語」は、1950(昭和25)年に教材化されてから、1952(昭和27)年、1954(昭
和29)年の2度の改訂を経て、1960(昭和35)年まで「物語ーベゴ石」と改題されて収載さ
れ続ける。次に教材化されたのは「どんぐりとやまねこ」教育出版『国語Ⅳ』、1952(昭和
27)年である。これは、第六期国定国語教科書(「みんないい子読本」)の最終発行が1953(昭
和28)年7月20日であるから、同時期に教材化されたものであり、学年も同じく4年生であ
った。「どんぐりとやまねこ」の教材化は1960(昭和35)年まで続く。この時、教育出版は「伝
記を読みましょう」という伝記教材を、童話と組み合わせて収載している。
昭和20年代に教材化された賢治童話は、日本書籍の「気のいい火山弾」と教育出版の「ど
んぐりと山猫」のみである。また、教育出版の伝記教材は、賢治童話と伝記の組み合わせ教
材の最初のものとなった。
― 47 ―
(2)昭和30年代
昭和30年代は、20年代から引き続く日本書籍「物語ーべご石」、教育出版「どんぐりとや
まねこ」の他に、5編の賢治童話が教材化された。
まず、1955(昭和30)年には、中教出版が第6学年に「風の又三郎」を脚本として収載した。
1958(昭和33)年、教育出版は、新しい教科書『標準小学国語』を刊行し、その第6学年に
「よだかの星」を収載した。また、二葉も1959(昭和34)年、第5学年に「よだかの星」『国
語』を脚本として収載した。二葉は1961(昭和36)年には、同じく第5学年に「オッペルと
象」『国語』を読書教材で収載している。1961(昭和36)年には、大阪書籍が第5学年に「祭
りのばん」『小学国語』を収載し、教育出版が第6学年に「けんじゅう公園林」『標準国語』
を、信濃教育が第5学年に「セロひきのゴーシュ」『国語』を収載している。
30年代に教材化された賢治童話は、
「気のいい火山弾」、
「どんぐりと山猫」、
「風の又三郎」、
「よだかの星」、「オッペルと象」、「祭りの晩」、「虔十公園林」、「セロ弾きのゴーシュ」の8
作品になる。
その他、伝記教材は、学校図書が第6学年に「宮沢賢治」『小学校国語』を、教育出版が
第4学年に「宮沢賢治」『標準小学国語』を、学校図書が第6学年に「ソウイウモノニワタ
シハナリタイ」『わたしたちの国語』を、中教出版が第6学年に「宮沢賢治」『小学国語』を、
それぞれ収載している。伝記教材は4編である。この中で学校図書は伝記教材のみであるが、
教育出版は童話との組み合わせ、中教出版は詩との組み合わせになっている。
(3)昭和40年代 昭和40年代は、20年代・30年代と教材化されてきた「どんぐりと山猫」が姿を消す。また、
「よだかの星」、読書教材の「オッペルと象」も40年代には教材化されていない。しかしなが
ら20年代から教材化されてきた「気のいい火山弾」、30年代から教材化されてきた「風の又
三郎」は教科書を変えて再登場することになる。
まず、30年代から引き続く教材が3編ある。それは、教育出版第6学年の「けんじゅう公
園林」『新版標準国語』・『新訂標準国語』・『新版標準国語』・『改訂標準国語』である。「けん
じゅう公園林」は、昭和49年版からは「虔十公園林」と原作の漢字表記を使うようになる。
また、日本書籍も「虔十公園林」を第6学年(『小学国語』・『小学国語』)に収載している。
他には、信濃教育第5学年の「セロひきのゴーシュ」『国語』・『国語』、大阪書籍第5学年の
「祭のばん」『小学国語』がある。その他、教科書を変えて再登場したのが、学校図書第5学
年の「気のいい火山弾」
『小学校国語』
・
『小学校国語』と、光村図書第6学年の「風の又三郎」
『小
学新国語』・『小学新国語』である。これは読書案内として収載されている。40年代から新し
く教材化されたのは光村図書第6学年「やまなし」『小学新国語』・『小学新国語』と、学校
図書第6学年の「グスコーブドリの伝記」『小学校国語』である。「グスコーブドリの伝記」
は読書教材である。
40年代に教材化された賢治童話は、「虔十公園林」、「セロ弾きのゴーシュ」、「祭りの晩」、
「気のいい火山弾」、「風の又三郎」、「やまなし」、「グスコーブドリの伝記」の7作品になる。
― 48 ―
その他、伝記教材は、30年代から引き続いた学校図書第6学年の「宮沢賢治」『小学校国
語』がある。また、教育出版は、新たに第6学年に「宮沢賢治小伝」『新版標準国語』・『新
訂標準国語』を、「けんじゅう公園林」と組み合わせて教材化している。40年代から新しく
賢治教材を取り入れたのは東京書籍である。東京書籍は第5学年に伝記教材「宮沢賢治」
『新
しい国語』・『新訂新しい国語』を収載した。40年代の伝記教材は、以上の3編である。
(4)昭和50年代・60年代
はじめに、40年代から50年代にかけて教材化されたものを示すと、40年代で紹介した、学
校図書第5学年「気のいい火山弾」、日本書籍第6学年の「虔十公園林」、教育出版第6学年
の「虔十公園林」、光村図書第6学年の「やまなし」、読書教材「風の又三郎」、そして伝記
教材の東京書籍第5学年の「宮沢賢治」である。
1977(昭和52)年に新しく教材化されたものは、東京書籍第5学年の「注文の多い料理店」
『新編新しい国語』である。東京書籍の「注文の多い料理店」は、これ以降、平成16年検定
版『新編新しい国語』・『改訂新しい国語』・『新編新しい国語』まで教材化が引き継がれる。
また、教育出版も第5学年に「雪わたり」『小学国語』を収載した。これも平成16年検定版
『改訂小学国語』・『新訂小学国語』まで引き継がれる。日本書籍は第6学年に「オツベル
と象」『小学国語』を収載したが、これは1期限りであった。日本書籍は、第5学年に「お
いの森とざる森、ぬすと森」を収載し、これは1980(昭和55)年版『小学国語』と1983(昭
和58)年版『小学国語』の2期、教材化される。日本書籍は、1986(昭和61)年版では、教
材を第6学年「注文の多い料理店」『小学国語』にかえている。光村図書は40年代からの引
き続きで第6学年に「やまなし」『小学新国語』を収載し、これも、平成16年検定版『国語』
まで引き継がれることになる。その他、学校図書は、作品そのものではなく、1977(昭和
52)年から「宮沢賢治の童話」として童話の説明文を第6学年に収載している(『小学校国語』
・
『小学校国語』・『小学校国語』・『小学校国語』)。同じく学校図書は1980(昭和55)年から2
期にわたって、賢治童話の擬音を扱った「ワンワンとコロコロ」『小学校国語』
・
『小学校国語』
という教材も収載している。
50年代に教材化された賢治童話は、「気のいい火山弾」、「虔十公園林」、「やまなし」、「風
の又三郎」、「注文の多い料理店」、「オツベルと象」、「狼森と笊森、盗森」、「雪渡り」の8作
品であった。それが、60年代(61年使用から)に入ると、「雪渡り」、「注文の多い料理店」、
「やまなし」の3作品にしぼられることになる。
60年代は昭和63年検定版のみである。賢治関係の教材は激減するとともに定番化していく。
40年代半ばに「祭のばん」を教材化して以来、50年代に賢治教材のなかった大阪書籍だが、
「注文の多い料理店」『小学国語』を第5学年に収載した。教育出版は第5学年に定番化し
た「雪わたり」『改訂小学国語』を、東京書籍も第5学年に「注文の多い料理店」『改訂新し
い国語』を、光村図書も第6学年に「やまなし」『国語』を収載している。この3社に関し
ては平成16年検定版まで、収載作品は変更していない。
学校図書は、題名はかわったものの、50年代から引き続いた野村純三による「宮沢賢治ー
― 49 ―
人と作品」『小学校国語』という説明的な文章を第6学年に収載している。
(5)平成の教材史展望
平成3年の検定で、ほぼ賢治教材の定番が定まったと見られる。以下、出版社別に展望し
てみよう。
まず、大阪書籍だが、平成3年版では賢治教材を採っていない。平成7年版で第6学年
に「宮沢賢治の童話」という説明的文章を収載したが、平成11年版、13年版、16年版ともに
第5学年に「注文の多い料理店」を収載している。「宮沢賢治の童話」は、平成11年版にお
いてのみ、同じく第6学年に形を変えて「宮沢賢治の童話を読む」として取り上げられてい
る。大阪書籍は第5学年に「注文の多い料理店」が定番化したと見られる。
次に学校図書だが、平成11年版のみ1期だけ第6学年に「いちょうの実」を収載している。
その他、平成3年、平成7年、平成13年、平成16年とも第5学年に「注文の多い料理店」を
収載している。学校図書は40年代の「気のいい火山弾」以来、作品を教材化してこなかった
ので、平成になって第5学年の「注文の多い料理店」が定番化したと見られる。
教育出版は、昭和55年より、第5学年に「雪わたり」を収載し続けている。「雪わたり」は、
教育出版にとって、息の長い定番教材となっている。
東京書籍は、平成3年の検定版以来、平成16年検定版まで、第5学年の「注文の多い料理
店」の他、第6学年に「宮沢賢治」を収載し続けている。この2編ともに、東京書籍の定番
教材となっている。
日本書籍は、50年代後半に、第5学年に「おいの森とざる森、ぬすと森」を教材化した
が、昭和63年検定版では賢治教材を取り上げなかった。しかし、平成3年版から、国語教科
書発行をやめる前の平成13年版まで、「おいの森とざる森、ぬすと森」を収載している。定
番化していたと言えよう。
光村図書は、40年代後半から第6学年に「やまなし」を収載し続けている。全賢治教在中、
もっとも息の長い定番教材である。そして、平成13年版からは「イーハトブの夢」という伝
記的教材と組み合わせて教材化されるようになった。
こうして、平成年間の賢治教材を見てみると、各社が教材を定番化したことが明確である。
大阪書籍は第5学年に「注文の多い料理店」、学校図書は同じく第5学年に「注文の多い料
理店」、教育出版は第5学年に「雪わたり」、東京書籍は第5学年に「注文の多い料理店」と
第6学年に「宮沢賢治」、日本書籍は第5学年に「おいの森とざる森、ぬすと森」、光村図書
は第6学年に「やまなし」と「イーハトブの夢」である。作品別に見ると、
「注文の多い料理店」
の収載がもっとも多く、大阪書籍、学校図書、東京書籍の3社である。
〈教材化の歴史をふり返って〉
賢治童話が初めて国語教材として取り上げられたのは、戦後教育の出発点の時点におい
てのことだった。すなわち、石森延男のリードによって成立した暫定教科書において、賢治
童話は、国家主義的な徳目あるいは教訓から解放された純粋の児童文学として、さらに言う
なら民主主義の時代の新しい教材として国語教科書の上に登場した。それから60有余年、賢
― 50 ―
治童話が国語教科書から姿を消すことはなかった。それは、中学校、高等学校の教科書に目
を広げても他に例を見ることのない事実である。
しかも、賢治童話は、取り上げられた作品の数を見れば明らかなように、極めて幅広く教
材化されてきたのである。それは、賢治童話が小学校の児童に出会わせるだけの価値のある
文学作品として認められてきたことを意味していよう。賢治童話のどこに価値が見出された
かについては、改めて論じられなければならないし、軽々しく言うべきではないかも知れな
いが、少なくとも賢治童話には、子どもにとって文学の読みのおもしろさを体験させ、言語
力としての文学的な基礎素養を高めていく上で教材価値が見出されてきたことは間違いのな
いことだろうと思われる。
しかも、くり返すが、様々な作品の教材化は、賢治童話の多様な側面に教材価値が見出さ
れてきたことを意味するものだったのだが、それが平成になると「やまなし」
・
「雪わたり」
・
「注
文の多い料理店」が定番教材となってきてしまった。それは教材価値がしぼられてきている
ということではないだろうか。思い切った教材の発掘あるいは教材化の研究がなされなくな
っていることを意味する。国語教科書における教材数の減少や現場における定番教材への支
持という現実もあるが、賢治童話の多様性に目を向け、新しい視点から教材開発がなされる
ことを望むものである。
2 教科書における伝記教材と組み合わせた単元設定の問題
ここに「やまなし」の実践がある。子どもたちは「やまなし」を読む前に、賢治の一生を
描いたテレビ番組のビデオを見た。そのことで教師は「賢治の生き方・考え方が、
『やまなし』
の話の底に流れているということを、子供達が自然につかんでいった」と言って評価する。
そして、教師は「なぜ『やまなし』という題をつけたのか」と問う。子どもたちは、次のよ
うに答える。
・作者は、世界が平和になるのを願っていたから…
・賢治さんは人の命を大切にする人だから…
・作者は平和が一番好きな人で…
そもそも「作者は」と問うているのだから、子どもたちが賢治を想定するのは仕方のない
ことで、この問いそのものが作品から作者へ関心を向けてしまうという点では問題ではある。
そして、子どもたちは作品から読み取ろうとするのではなく、賢治の伝記から答えを見つけ
ようとした。これが、伝記と組み合わせたときの読みのあり方のもっとも大きな問題である。
(1)教育出版の伝記教材
前述したが、教材史的に見れば、作品と伝記を組み合わせた教材作りの最初のものは、教
育出版の4年「どんぐりとやまねこ」と「伝記を読みましょう」(昭和27年)である。この
伝記は、小学校国語教材として伝記が収載された最初のものでもある。
その内容は、次のように始まる。
「『どんぐりとやまねこ』は、宮沢賢治という人の書いた童話です。宮沢賢治は、 短
い一生の間に、すぐれた童話や、りっぱな詩や歌をたくさんのこしています。詩人とし
― 51 ―
て、また、童話を書く人として、すぐれていただけでなく、人間としても、実にけだか
い一生でした。
そして、次のように終わる。
賢治が、私たちに書きのこしていることばがあります。
「世界全体がこうふくにならないうちは、ひとりびとりも、けっしてこうふくにはなら
ない。」
宮沢賢治を「けだかい」と評して讃えている。教師用指導書にも「少年の頃から思いやり
が深く、成長するにつれて、子どもたちや百姓たちの役に立つ人になろうと努力し、一生を
世の人のために働きぬいた宮沢賢治の伝記である。」とあって、賢治を献身的な賢人として
描き出そうとしている。
その後、教育出版は第4学年に「宮沢賢治」という伝記を収載し、第6学年に「よだかの星」
を収載した(昭和33年使用版)。「宮沢賢治」は、伝記の最後に「雨ニモマケズ」の詩を掲載
し、「この詩にこそ、宮沢賢治の生がいが最もよく表れています。」と結んでいる。この伝記
を学習してから「よだかの星」を読むので、作品の後につけられた「『よだかの星』を読んで」
という感想文の例には「四年生のとき、宮沢賢治の伝記を読んでから、この人の人がらに強
くひかれるようになった。『雨ニモマケズ』の詩はもう暗記してしまった。」という文章が採
用されている。感想文の内容は、伝記に影響されたものとはなっていない。また、第6学年
「けんじゅう公園林」にも「宮沢賢治小伝」という伝記を組み合わせている(昭和40年使用版)。
「宮沢賢治小伝」は、わずか3頁の短いもので、一生を簡潔にまとめた記録的な内容である。
「けんじゅう公園林」との組み合わせについては、手引きに「『けんじゅう公園林』で、宮沢
賢治は何を言おうとしたかを考え、ノートにまとめましょう。まとめたことについて、話し
合ってみましょう。」という課題のみ、伝記と作品の関連が考えられるところである。
これらの伝記教材について、筆者は、かつて次のように述べたことがある。
「伝記を読みましょう」は、賢治が「じぶんのためではなしに、人のために働く人」 であったという点を強調した伝記であった。その後の「宮沢賢治」は、「雨ニモマケズ」
の詩を引用し、「この詩にこそ、宮沢賢治の生がいが最もよく表れています」と結論して
いる、谷川の系譜に入る伝記であった。「宮沢賢治小伝」は、六年の教材であるから、活
字のポイントは小さいのだが、わずか三頁の伝記である。しかしながら、文章は「伝記を
読みましょう」や「宮沢賢治」とは違って、著者の主観を抑えた記録的な文章で簡潔であ
る。引用してある作品も、「春と修羅第三集」の「春」で、これも「雨ニモマケズ」とは
違って賢治の実人生を淡々と語っている詩である(拙著『国語教育における宮沢賢治その
Ⅰ教科書教材』。なお、「伝記を読みましょう」は古屋綱武の作であり、谷川というのは谷
川徹三のことである。)
教育出版の伝記との組み合わせ教材は昭和40年代で終わり、その後は作品のみの収載とな
る。
― 52 ―
(2)東京書籍の伝記教材 50年代に入って東京書籍が、1期だけ、「注文の多い料理店」と 「宮沢賢治」という堀尾
青史による伝記とを組み合わせて教材化した。ただし、「注文の多い料理店」は5年上で、
「宮沢賢治」は5年下の収載である。
この伝記については、前掲拙著で次のように評価した。
それまで、信仰の人として、信仰から生まれる無欲さや献身が強調されることはあって
も、科学者としての面はあまり紹介されないできた。ようやく、宮沢賢治という人間の多
様性に目が向けられてきたと言えるのではないだろうか。
伝記教材としては、宮沢賢治の伝記にありがちな、偉人、賢人、求道の人という描き方で
はなく、どちらかと言えば記録的であり、その点を認めたものである。しかしながら、伝記
の手引きに「『注文の多い料理店』を読み返してみましょう。また、賢治の他の作品を読ん
でみましょう。」とあるのは、伝記の影響下に作品を読み返すことの指示になるだろう(も
ちろん、「注文の多い料理店」の学習は第5学年上で行われているのだから、その学習は伝
記を下敷きにして作品を読むということにはなっていない。しかし、読み返しは伝記を下敷
きにして行うことになる)。
東京書籍の伝記教材は平成に入って復活する。第5学年で「注文の多い料理店」を、第6
学年で「宮沢賢治」という伝記を学習することになっている。初めに作品を読んで、そのあ
とで伝記を読むというパターンは50年代と同様である。
東京書籍の「注文の多い料理店」については、後で触れることにして、西本鶏介の「宮沢
賢治」を取り上げてみよう。これは、年代的に見て、西本鶏介著、講談社の『少年少女伝記
文学館23宮沢賢治』[1989(平成1)年]を底本にしていると推定される。「余筆」で次のよ
うに述べられている。
賢治は童話によって人間の正しい生き方を説こうとしたのではない。人間が心底、動物
や自然と友だちになることのたいせつさをしめそうとした。
ここで西本が言っているように、教材「宮沢賢治」も賢治の自己犠牲や献身、求道性を強
調してはいない。最後は次のように結ばれている。
宇宙にあるすべてのものが仲間になることを願い、誰もが幸せになれる新しい世界を求
めて、自然と心ゆくまで語り合う独自の文学を作り出したのだ。そして、賢治は、みごと
宇宙にかがやく小さな星となったのである。
しかし、「てびき」に「賢治の生き方は、賢治の作品に、どう表れているか。」を問う問題
があり、5年生で自由に読んだと考えられる「注文の多い料理店」も、賢治の伝記と読み合
わせることで、読み替えられるという可能性も出てくる。つまり、前述したように、伝記を
下敷きにした読みが行われるということである。
平成13年版の教師用指導書にも、単元設定の意図として「本単元では、宮沢賢治の伝記を
取り上げ、賢治の行動や考え方、生き方を読みとり、さらに他の賢治の作品と関わらせて読
むことで、その考え方や生き方をより深く理解していくことを意図している。」とあり、また、
― 53 ―
指導計画にも、「賢治の作品を読み、賢治の生き方と関わらせて感想を書く。」とある。伝記
と作品の読みとは重ねられている。
そのことを示す実践例がある。少し長いが、次に引用してみよう。
六年生になると、子どもたちは伝記教材 「宮沢賢治」(西本鶏介作)に出会う。これは、
まことの幸せを探し続けて献身的な生き方をし、自らもまた真の農民として生きながら詩
や童話を書き、独自の文学を創り上げた宮沢賢治の生涯を描いた伝記である。
この伝記から賢治の童話には彼の理想の世界である「まことの幸せ」が描かれていること
を学んだ子どもたちは、五年で学習した『注文の多い料理店』には賢治の理想が描かれてい
るのだろうかと検証しながら再読したり、賢治童話に対するこれまでの読書経験を話し合っ
たりしていく。そして、子どもたちは賢治の理想と重ねながら彼の他の童話や詩、伝記など
を読み進め、読書の世界を広げていくのである。[神原一郎「人物の行動や物語の展開をま
とめ、その意味を考える」田近洵一編『読みのおもしろさを引きだす文学の授業』国土社
1996年]
前述した「やまなし」を実践した教師ともども、教師は、伝記を読むことで作品の読み
が深まると信じて止まない。まるで、作品だけの読みではとらえどころがなかったものが、
賢治の伝記によって納得のいく世界が開かれるとでも言いたそうである。しかし、作品の読
みとはそういうものではないだろう。作家の実人生と作品とは別物として読まれるべきであ
る。特に、作家研究を行うのでない限り、宮沢賢治の作品は伝記とともに読まれることで、
その世界を狭め、偏ったものにしてしまいかねないからである。
(3)光村図書の伝記教材
光村図書第6学年教材の「イーハトーヴの夢」(平成13・16年版)は、『教師 宮沢賢治の
仕事』という著書のある畑山博が書いた伝記である。内容は単なる伝記ではなく、作品紹介
や作品の舞台となったイーハトーヴの地図(畑山作)が掲載されている。賢治が描き出した
世界をイーハトーヴの地図で視覚化し、子どもたちが親しみやすいように工夫されていると
言えよう。平成13年版の教師用指導書によると、「複合単元で深い読書を」とあり、作品や
作家に触れることで読書の幅を広げることを目標としていることが示されている。つまり、
指導書の意図としては、伝記を読むことで作品の読みを深めるということをねらっているわ
けではなく、同じ作家の他の作品や他の作家への視野を広げることが目指されているようだ。
畑山の文章については、次のような記述の主観性が気になる。
賢治がイーハトーヴの物語を通して追い求めた理想。それは、人間がみんな人間らしい
生き方ができる社会だ。それだけでなく、人間も動物も植物も、互いに心が通じ合うよう
な世界が、賢治の夢だった。(中略)
けれども、時代は、賢治の理想とはちがう方向に進んでいた。さまざまな機会の自動化
が始まり、鉄道や通信が発達した。何でも早く、合理的にできることがよいと思われるよ
うな世の中になった。そんな世の中に、賢治の理想は受け入れられなかった。
これでは、賢治は、機械化や鉄道や通信の発達とは、また合理性とは、相いれない理想の
― 54 ―
持ち主だったということになる。賢治が近代を否定的にとらえていたかどうかは議論のある
ところである。
その点、
畑山の文章は子どもに誤解を与えるような書きぶりではないだろうか。
ところで、光村図書の場合、「やまなし」を学習した後、すぐに「イーハトーヴの夢」の
学習に入る。いわゆる手引きにあたるものは「イーハトーヴの夢」につけられている。
○「やまなし」は、どんな特色を持った作品だろうか。次のことを考えながら、こ れまでに読んだ作品と比べて、話し合おう。
・ことばづかいのおもしろさ ・「五月」と「十二月」のちがい
○「イーハトーヴの夢」を読んで、次のことを話し合おう。
・宮沢賢治の理想はどんなことか。 ・賢治の考え方や生き方についてどう思う
か。(後略)
この手引きからは、作品と伝記とを関連させて読むような指示はされていない。しかし、
「や
まなし」という象徴的散文詩のような作品は、ここにあげてある二つの課題(この課題自体
に問題はない)では読み切れるものではないから、
「賢治の理想」や「賢治の考え方や生き方」
に関連させて読み解く可能性は高くなるだろう。そうすると、「イーハトーヴの夢」の次の
文章にあるように、「やさしさ」の象徴として「やまなし」も読まれるのではないだろうか。
暴れる自然に勝つためには、みんなで力を合わせなければならない。力を合わせるため
には、たがいにやさしい心が通い合っていなければならない。そのやさしさを人々に育て
てもらうために、賢治は、たくさんの詩や童話を書いた。「風の又三郎」「グスコーブドリ
の伝記」「セロ弾きのゴーシュ」そして「やまなし」。
残念ながら手元には、作品と伝記とを組み合わせた教材での、作品の読みを確かめる手が
かりはないが、「やまなし」のみの感想文があるので、取り上げてみよう。いずれも光村図
書で「やまなし」を読んだ六年生の感想文である。
・今の世の中は、平和かなと思います。カニの親子の住んでいる、水のそこのように平
和になったら、お父さんのカニがいっていたとおり、やまなしからおいしいお酒が出来る
のなら、一度でも作ってみたいなとあと思います。平和にするためには、もう、争いごと
などはなくして、宮沢賢治のねがっているような平和で、おだやかな、世の中にしなけれ
ばならないなあと思いました。(K・N 1984年 花巻市の文集より) ・私は、「やまなし」を学習して、宮沢賢治の世界に今までより一歩入れたような気が
します。賢治の性格や考えがこれまで以上にわかったからです。賢治は、やさしく、平和
を求めて生活していたと思います。(Y・I 1984年 花巻市の文集より)
・二ひきの子がには、とっても仲がいいなあと思いました。それに水の底って、なんか、
不思議な国みたいな気がしました。子がにたちのあわが浮いたり、きらきら輝き、美しい
岩が伸びたり縮んだり、金色の光がくちゃくちゃになったり、まぶしいくらい光っていろ
いろ流れてきたり、天上では、青い炎を上げるし、月光は、にじのようだし、とてもすて
きだなあ。それに、ダイヤモンドをはいているような底は本当に、想像しただけでもすて
きだな、と思いました。(E・A 1987年 青梅市の文集より)
― 55 ―
花巻の子どもたちは、おそらく宮沢賢治に関する情報を持っているのだろう。そうすると、
作品の読みは、やはりその作家の情報に引きずられるのではないだろうか。
賢治童話の感想文には、宮沢賢治の伝記の影響を受けた、作者の実人生と作品を重ねて読
むものが極めて多い。伝記そのものを否定するものではないが、宮沢賢治の場合、
「賢治菩薩」
のような、賢治を聖人視する描き方をした伝記もある。それを読むことが、作品への先入観
を作ってしまい、子どもの読み手は素朴に作品と向き合えなくなるのである。改めて言うま
でもないが、教材であっても文学作品は、それ自体として読まれなければならない。作家の
伝記を知った上で、それを前知識として作品に作者の姿を見ようとしたり、伝記を下敷きと
して作品を解釈しようとしたりしたのでは、作品そのものを読んだことにはならない。その
点で、伝記と作品との教材化には文学そのものの読みの成立を図る上で問題があることを十
分認識しておかなければならない。まずは、宮沢賢治の作品をいろいろと読んで、その世界
を楽しむという体験をさせるべきなのである。
3 画一的な読解に導く学習課題の問題 読み手を画一的な読解に導く顕著な例が主題を問う課題であろう。主題については、近年
さまざまに問題化されていて、考え方も一様ではない。
後藤恒允氏は、日本国語教育学会編『国語教育辞典』
[朝倉書店2001(平成13)年]の「主題」
の項において、平成10年版までの学習指導要領を引用しながら「例外的な記述以外に『主題』
の語は小中高いずれの学年にも使われなくなった。」とし、また井上一郎氏、田中実氏の論
を取り上げて、「『文学的な文章』の主題指導論は新しい展開をみせている。」と述べている。
また、寺崎賢一氏は、『国語教育指導用語辞典第四版』[教育出版2009(平成21)年]の「主
題」の項において、
「読み手の発達段階および上達段階(読みの力のレベル)に応じて『主題』
を中心に扱う学年(例えば中学2年生以上)があってもよいのではないか。」「指導者がテク
スト論の意義を認識して授業計画にのぞみ、かつ、主題を一つの答えに収斂させないような
〈主題創造の技術〉と〈授業スタイル〉とが解明されることが必要である。」と述べている。
いずれも主題指導の困難さを指摘するとともに、指導のあり方を模索するものだと考えられ
る。
学習指導要領に関して言えば、平成10年版以降「C読むこと」の指導事項に「主題」とい
う語は出てこない。また、『解説』の「文学的な文章の解釈に関する指導事項」にも「主題」
の語はない。
では、実際の学習場面ではどうなのだろう。東京書籍の「注文の多い料理店」を取り上げ、
学習の手引きと教師用指導書によって、主題が課題として提出されているかどうかを見てい
きたい。
〈学習の手引き〉 ・昭和60年版 記述なし ・昭和63年版 記述なし
・平成3年版 記述なし ・平成7年版 次のようなことを話し合ってみよう。
― 56 ―
・この作品を読んで、おもしろいと思ったこと。
・主題について考えたこと。
・平成11年版 物語の主題について、どのように考えたか。
・平成13年版 「注文の多い料理店」の主題についてどのように考えたか。
・平成16年版 記述なし
上記のように、平成7年版から平成13年版までは学習の手引きに「主題について考える」
とある。問題は、その主題を限定してしまうのかどうかということであろう。それについて
は、教師用指導書で確かめる。
〈教師用指導書の「主題」の項〉
平成3年版 (物語の内容を解説した後、童話集『注文の多い料理店』の宣伝用ちらし
を引用して)村の子どもらの止むに止まれない反感というのは、実は賢治自身の反感でもあ
り、文明社会におぼれた現代人のおごりに対する警鐘を、この物語を通して読み手に訴えて
いるのではないだろうか。
平成7年版 この作品では主題を固定的なものとしてとらえるのではなく、児童個々の
読み取りに委ねたい。
平成11年版 作者宮沢賢治は、この作品を通して、文明社会に対する警鐘をモチーフと
しながら、ひたすら便利さを追う都会生活への疑問や反感を読み手に訴えているように思え
る。
本教材ではそういった「主題」解釈を固定的に与えるのではなく、児童一人一人がこの作
品を通して感じたことや思ったこと、考えたことを、それぞれの「主題」として認めていく
ようにしたい。
平成13年版 平成11年版とほぼ同じ 本教材→本単元
平成16年版 生き物の命を平然と奪い、同じ生き物であることを忘れて文明におごる人
間を、山猫の「注文」を通して批判し、警告を発している作品である。
教師用指導書には、上記のように、年度によって多少の違いはあるが、主題が記載されて
いる。しかし、扱いとしては、いずれも主題を限定するのではなく、児童個々の読みに委ね
るとしている。主題が、学習指導要領から消えたことで、教師の読みの指針としての主題観
は教師用指導書に残されてはいるが、学習として画一的な読みに導くような課題設定はなさ
れなくなる方向ではないだろうか。 なお、他社の場合、主題に関する学習課題はどうなっているかを平成16年版の教科書で見
てみよう。
光村図書 「やまなし」「イーハトーヴの夢」ともに、学習課題として主題は設定されてい
ない。
教育出版 「雪わたり」の学習課題として主題の設定はない。
大阪書籍 「注文の多い料理店」の学習課題として主題の設定はない。
学校図書 「注文の多い料理店」の学習課題として主題の設定はない。ただし、平成13年
― 57 ―
版教科書の手引きに、「主題を考える」という課題を設定している。具体的には「この物語
が読者に伝えたかったことは何か、話し合いましょう。」というものである。
学校図書の場合、平成13年版の教師用指導書にも主題の項がある。その最後に、「そして
できれば、この作品に込められた、糧に乏しい村の人々の都会文明と上流階級に対する反感、
といった作者の考えにまで触れさせたい。」とある。これは、ほぼ、童話集『注文の多い
料理店』刊行の際に宮沢賢治自らが書いたとされる、宣伝ちらしの文言のままである。主題
を読み取らせる具体的な学習課題として、上記のような読みにたどりつくことを求めている。
子どもの読みが、主題に向かって収斂するように学習が組まれるとすれば、読みのあり方の
問題として問われなければならない。しかし、平成16年版の「注文の多い料理店」には手引
きがなく、主題の学習課題も設定されていない。
いずれも、教師用指導書では主題の項が設けられているが、学習課題としては設定されな
い方向である。教科書のあり方としては、主題を問うことで画一的な読みを導き出すという
学習は求められていないのである。しかし、実際の授業はどうであろうか。教師用指導書
に「主題」の項を設けることが、教師の学習プランに大きな影響を与えることになるとは言
えないだろうか。教師自身が、一人の読み手となって、指導書に示された主題を読みの指針
とするのではなく、自分の主題を求める読みを行うべきであろう。そして、子どもの読み手
にも、個々の読みの深まりとともに、これ以外は考えられないという個の主題にたどりつく、
そういう読みの学習をさせたいものである。
4 活動主義的、教養主義的な単元的学習指導の問題
平成16年版教科書の賢治教材の扱いを見てみると、次のようになっている。
・「雪わたり」教育出版 「読書の広場」に続き、「『読書発表会』をしよう」ということで、同じ作者の作品の紹
介を発表という形で行う学習である。
・「やまなし」「イーハトーヴの夢」光村図書 作品の感想を書いて発表し合う活動につなげている。 ・「注文の多い料理店」大阪書籍 「読書の世界を広げよう」ということで、読書指導へと発展させている。
・「注文の多い料理店」学校図書 「読書の楽しみを広げよう」ということで、読書指導へと発展させている。
・「注文の多い料理店」東京書籍 作品に関連させながら、「本のカバー作り」「解説ノート作り」「朗読発表会をする」
という学習方法の中から、一つを選んで、グループ活動を行うという学習。
教育出版の「雪渡り」は、平成11年版から読書発表会につなげる学習で、16年版ではブッ
ク・トークも指導されている。
光村図書の「やまなし」は、平成11年版では指導計画のB案として「やまなし」の影絵発
表会が設定されている。また、13年版では、
「作家と作品」展示コーナーを設け、絵本・人形劇・
― 58 ―
紙芝居・録音テープ・パンフレットなどを使って「作家と作品」を紹介する方法を指導して
いる。しかし、16年版では、「イーハトーヴの夢」は資料という設定となり、発展的学習で
はなく「やまなし」の読みを主とした学習に変更されている。
大阪書籍の「注文の多い料理店」は、平成11年版では、発展的に、朗読発表会、詩画集・
紙芝居作成、本の紹介カード作成という学習活動が設定されている。平成13年版と16年版で
は、説明文と組み合わせた教材となり、さらに平成13年版では思考法コラムと、平成16年版
では読書発表会とセットになっている。
学校図書の「注文の多い料理店」は、平成13年版、16年版ともに、発展として宮沢賢治の
他の作品に読みを広げることが設定されている。
東京書籍の「注文の多い料理店」は、平成11年版では、解説文を書く学習活動が設定され
ている。平成13年版では「話し合いを通して『注文の多い料理店』の主題について考えよう」
と「『注文の多い料理店』の解説ノート作りを通して、主題について考えよう」という二通
りの学習方法が示されていて、どちらかを選択して学習することになっている。学習プラン
としては、他に、関連する他の物語も読むという読書への発展も見られる。平成16年版では、
単元目標に「学習方法を選び、最も強く心に残ったことを紹介し合う。」とあり、「本のカバ
ー作り」「解説ノート作り」「朗読発表会をする」から学習方法を選び、発表会を開くことに
なっている。その後、主題に関連させて、「命を題材とした物語を読み広げる」という読書
指導へ発展させている。
このように、各社の宮沢賢治教材の扱いを眺めてみると、いずれも作品の読みにとどまら
ず、発表会という形で、読み取ったことを発信する学習や、賢治作品を読み広げる読書活動
に広げていっている。これが、読みの学習の充実を阻害しない形で行われるなら、問題はな
い。しかし、作品の言葉にこだわり、再読をくり返し、作品と格闘するような学習をさせら
れないままに、他の作品に読みを広げるのは、読みの学習が成立したことにはならないだろ
う。賢治の童話をどれだけ知っているかを問題にするような、単なる教養主義と言える活動
になってしまうおそれがある。また、多様な学習方法は、子どもにとっては魅力的で、これ
からも開発していくべきものではあろうが、活動の面白さだけを求めるものであれば、読み
の学習から離れた活動主義に陥りかねない。
賢治童話の教材化のあり方に関して、田近洵一氏は次のように指摘する。
賢治童話を教材化するに当たって必要なことは、その教材としての可能性を見いだす、あ
るいは引き出すことである。教材としての可能性を見いだすということは、基本的には〈読
み〉の可能性を掘り起こす、さらには〈読み〉のテクストとしての魅力を掘り起こす、とい
うことをベースとしてなされなければならない。どのような〈読み〉を生み出すことができ
るかということを基礎とし、その上に立って初めて、教材化の可能性はもちろんのこと、学
習活動の可能性も、また、子どもの〈読み〉の可能性をも見定めることができるのである。
[「賢治童話の教材としての可能性」日本国語教育学会編『授業に生きる宮沢賢治』図書文化
1996(平成8)年]
― 59 ―
この指摘にあるように、学習活動は、その教材の可能性を引き出す上での必須のものとし
て設定されるべきである。紙芝居作りや絵本作りは、言葉ではなく絵画として描き出された
とき、作品の何が見えてくるのかが問われなければならない。新聞やパンフレット作りは、
その表現形態を取ることで、作品の読みがどう変わるのかが問われなければならない。読解
は読解で行い、読み取ったことを発表するための表現活動が付け足されるというのではなく、
表現活動を取り入れるなら、そこまでが読みの学習として成立するように計画されるべきだ
ろう。また、なぜ、その活動が必要なのかは、その作品の特質をとらえた上で、検討される
べきことだろう。
「言語活動の充実」が特に強く求められるようになった今日、その言語活動のあり方が問
われねばならない。作品の読みの成立を促す言語活動でなければ、どんな楽しい活動であっ
ても活動主義の謗りを免れることはできないであろう。
おわりに
教科書教材は、あくまでも不特定多数の子どもたちを想定して作られた教材である。教室
にいる個別の子どもたちを意識しているわけではない。教師は、文学作品を教材として扱う
とき、個々の子どもたちと作品とがどのような出会いをするか、個別の出会いが成立するよ
うに、学習を仕組む必要があるだろう。
宮沢賢治の童話はこれまで多様な展開を見せて教材化されてきた。現在は作品が固定化し
た観があるが、それでもすべての教科書が賢治童話を収載している。前述したように、それ
だけ、教材としての魅力があると評価されてきたと言えるだろう。
賢治童話の教材史には、それと同じだけの学習史の積み重ねがあるはずだ。子どもたちが
どのような読みを展開してきたかは、別の機会に取り上げることとするが、実は、教科書や
教師用指導書を眺めているだけでは、学習の実態は明らかにはならない。これもまた、別の
機会に取り上げて検討する必要があるだろう。本稿において、教科書研究の意義と限界とが
見いだされるなら幸甚である。
なお、本稿は、その概要を「小学校国語教科書における宮沢賢治関係の教材史研究」とし
て『月刊国語教育研究№454』日本国語教育学会編、2010年2月号に掲載している。
― 60 ―
あとがき
国語教科書は、これまで常に国語教材の中心であった。国語の学びは、国語教科書の学び
であった。とりわけ国語教科書の冒頭はよく記憶されていて、
「ハナ ハト マメ マス」
「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」「おはなをか
ざる みんないいこ」などと暗唱されることによって、時代・世代の共有さえ行われてきた。
そうした国語教科書の研究をどのように進めていけば良いのか、公開講座という形で、今
回、国語教科書研究に固有の成果を上げていられる3名の研究者にその方法を手ほどきして
いただいた。
今回は、「国語教材の変遷を考える」というサブテーマで、国語教科書・国語教材の「こ
れまで」にスポットをあててみた。「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」と言われる。「こ
れまで」を見つめることはこれまでの営みを見つめることによって「いま」を見つめること、
そしてそれは自ずから「これから」を見つめることにつながっていく。そうした視点で、過
去の営みを見ていくことが歴史研究の要諦かと思われる。
本講座でいずれもユニークで、興味深い国語教科書研究の手法をご提案いただいた府川源
一郎、甲斐雄一郎、牛山惠の3名のパネリストに、改めて感謝の気持ちを表明したい。あり
がとうございました。
こうした優れた研究手法に学びながら、新たな国語教科書研究が生まれることを期待して
やまない。
公開講座「国語教科書研究の方法」担当 吉 田 裕 久
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執筆者一覧
牛山 恵(都留文科大学)
第4章
甲斐雄一郎(筑波大学)
第3章
塚田 泰彦(筑波大学)
まえがき
府川源一郎(横浜国立大学)
第2章
吉田 裕久(広島大学)
第1章、あとがき
全国大学国語教育学会・公開講座ブックレット②
国語教科書研究の方法
―国語教材の変遷を考える―
平成24(2012)年2月29日 発行
発 行 全国大学国語教育学会
印 刷 株式会社いなもと印刷
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