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かわら版 - あうん
企業組合あ うんのいま を伝える ババちゃんとの関わりの中で考えたこと 2003 年からあうんにかかわってきた馬場信一さん(通 通 称ババちゃん)が、8 月 16 日亡くなりました。享年 60 0 歳でした。 かわら版 特に山谷界隈の団体にとって、ババちゃんはかなりの の 有名人です。一般的な言い方をすれば、軽度の知的障害があり、精神障害も 障害があり、精神障害も あり、といわれる人でしょう。いつのまにかあうんのメンバーになり、給料 メンバーになり、給料 が出ようが出な かろうが、あうんが休みでない限り、誰よりもあうんに通った人でした。た んに通った人でした。た まに来ないと、 「バ バちゃんはどうした?何かあったんじゃないか?」と心配されるほど。とに されるほど。とに かく良くも悪くも ババちゃんはあうん一の個性の強いメンバーだったと言えます。そんなババちゃんの存在が、あうんに が あうんに とって、どんな意味を持つのかを考えたいと思います。 斎場で、今は退職したメンバーが言った一言が忘れられません。 「ババちゃんがいられるあうんがすご かったんだよな。」ここ2−3年のババちゃんは、体調を崩していたこともあり、仕事は一切していませ んでした。生活保護で生活を維持していましたが、その管理、病院へのつきそい、ババちゃんの生活全 般に渡って、あうんで責任を持っていたと言っても過言ではないと思います。 「お腹が痛い」と大騒ぎを して、救急車を呼び入院になるけれど、ちょっと良くなると無断で出てきてしまうババちゃん。何度病 院に頭を下げたことでしょう。それでもババちゃんはあうんのメンバーでした。元気に働いていた時は、 もちろん同じ時給が出ていました。そんなババちゃんですが、途中から入ってきた若者もババちゃんと はごくごく普通に会話していましたし、ババちゃんがいることが当たり前のあうんだったと思います。 3年前くらいに、共同連(障害者と健常者が共同で働く場を目指した団体)の方々が見学に来たとき、 「あ うんの障害者率はどのくらいですか?」という質問が出ました。当時、手帳を持っている人間は誰もい ない、逆に言えば、障害者福祉制度に乗れる人間は誰もいないということです。でも、ババちゃんに限らず、 この人はこんなところが苦手で、そこをやらせると失敗する等、ともに働く中でそれぞれが体得していく、 そんなことを答えたように思います。ババちゃんが手帳を持っていないこと、これはババちゃんの生い 立ちにも関係があるでしょう。たぶん経済的にも家庭的にも恵まれていなかった彼にとって、制度につ ながることは難しかったと思います。では、ババちゃんにとって、障害者として制度に乗れたほうが良かっ たのか?そこは本当に難しい。でも、ババちゃんは確かにあうんのメンバーとして存在していました。 そして、あうんのメンバーもそんなババちゃんを時には困りながら、時には怒りながら、時にはともに 笑いながら受け入れていました。そこが、あうんのあうんたるところだったと思います。 ババちゃんは、ある意味あうんにとって、象徴的な存在だったと言えるでしょう。そんなババちゃん を失った今、あうんのこれから進むべき道は何なのか?1人1人に問われていると思います。 【荒川 茂子】 1 ババちゃんを追悼する 11年間のかかわりの中で 【荒川 茂子】 ババちゃんが死んだ!!病院からもう長くは生きられないと聞いてからも、なんだかババちゃんだったら いつまでも生きるような気がしていた。又、あうんに戻って来るような・・・・・・・・・・・ <野宿者運動そしてあうんへ> ババちゃんは、どうも新宿闘争の頃からその周辺にいたらしい。となると 1996 年くらいからか。その後、 上野や隅田川で野宿をし、会館の炊き出しを手伝っていた。彼は、1 人ではテントを立てることができない。 空き缶も 1 人では集めたり売ったりすることができない。だから運動周辺にいて、面倒見てくれる人をさ がす。その生きる力、洞察力はすごい。 2003 年 4 月頃、当時面倒を見ていた人がババちゃんをあうんに連れてきて、なんとなく毎日来るように なった。当時、まだババちゃんは若くて元気だったから、けっこう重いものも運べたりしていた。1日給 与500円の時代。大好きなタバコが2個買える。そこから、ババちゃんとあうんのかかわりが始まった。 最初は両国のテントから通ってきていたババちゃんだったが、しばらくして、あうんの近くにボロボロ の長屋を倉庫替わりに借りて、その 2 階に住むことになった。その後、何回か住まいは変わっているが(そ の度に大騒ぎをしたが)あうんの寮に住むことになる。 <地域の人たちとの関係> ババちゃんはご機嫌がいいときは、ニコニコしているが、体調が悪かったり、自分の思ったようにいか ないと大騒ぎをする。お腹が痛い時は、 「ウーワー」と大声を上げてのたうち回るし、怒ると部屋の中のも のを外に投げ出す。だから、地域との関係を円満にするために、必ず寮には誰かに住んでもらっていた。 一緒に住んでいた石岡さんから、 「ババちゃんが大騒ぎしているぞ。部屋の中で大暴れしてる。 」と何度電 話が入ったことだろう。ところが、ババちゃんは気に入った人にはちゃんと挨拶するのだ。1 番最初に店 を出したところのお向かいのお兄さん(軽度の知的障がいの人)とは、とても仲が良かったし、朝早くあ うんに来て、お店の周りを掃除して、上に住んでいるおばちゃんに「いつもありがとうね。」とお土産をもらっ たり、近所の中華屋さんのおばちゃんには、大好きな餃子を多めにもらったり・・・・・・この地域の人 たちにどんなに助けられたことだろう。 <ババちゃんと仕事> まだ元気な頃は、数は少ないけど便利屋仕事にも行っていた。一番印象深かったのが、ゴミ屋敷状態に してしまった知的障害を持つ若い女性の家の掃除である。トイレが使えなくて、紙おむつを使って用を足 していた彼女は、終わった汚物をトイレにうず高く積み上げてしまった。そこでババちゃんの登場だ。 2 素手でガンガン片付けていく。途中でさすがに手袋をさせたが、1人でトイレをきれいにしてしまった。 彼女の担当の職員が驚いて、ババちゃんをほめちぎっていたことを思い出す。その後は、「ぼくは洗いを やるんだ」といって、主に洗い担当のうめちゃんとコンビでやっていた。うめちゃんがいない時に1人 でやって、傷つけてしまうこともあったり、調子にムラが有り、汚いのに「洗った」と言いはり、若い 子が洗い直しているのを見るとキレたりと困ったことも多かったけど・・ <ババちゃんと病気> ババちゃんは、あうんに来てからずうっと便秘に悩まされていた。「うんち出たの?」があいさつのよ うになっときもあったなあ。病院に行こうといっても決してウンとは言わず、生活保護なんて嫌だと言 い続けた。しかし、2006 年くらいに、ついにダウン。食べることもできなくなり、本人が納得して病院へ。 これ以降、生活保護を利用する。ババちゃんの主な病名は胃潰瘍。何回か血を吐いたこともあった。病 院へはいつも救急車。そして、楽になると脱走。こうなると 1 回使った病院は受け入れてくれない。彼 は何枚の診察券を持っていたのかと思うほど、病院は渡り歩いた。退院したら、薬も飲まないんだから 良くなる訳もなく、最後はあうんに来ようとして途中で倒れたらしく、地域の人が救急車を呼んでくれ たらしい。亡くなる2日前に、私が病院に行った時のババちゃんは、声も出ず、身振りでテレビカード が欲しいことを訴え、私の手をいつまでも離さなかった。その手の感触がいつまでも忘れられない。 あうんは 2009 年に井上さん(*)を失い、そして今ババちゃんを失った。あうんの創成期に頑張っ た仲間が 1 人づついなくなるのは本当にさみしい。お棺の中のババちゃんに語りかけた。「寄り道しな いで、井上さんのところに行くんだよ。」井上さんはぼやいているだろうか?「なんだよ。又ワシに押し 付けるのか」と。 *井上さん あうんの初期からのメンバーで、2009 年に脳梗塞により亡くなる。 3 あうんの立ち上げ時のメンバー岩本さんから、 馬場ちゃんへの追悼のメッセージをいただきました。 馬場ちゃんと出会ったときのことが忘れられません。3人の仲間 たちは厩橋テラスからあうんまで自転車通勤でしたが、馬場ちゃん のことを「ちゃりんこ暴走族」と呼んでいました。脚力抜群の彼は 障害物を排除しながら、時には怒って追いかける人も居たそうです が、山谷で鍛えた彼に勝るべくもなく、なんなくゴール。そんな体 力に恵まれた彼が、今いないことは信じられない。馬場ちゃんはあ うんに出会って幸せだっただろうか。聞いたことはないが、今分か ることは私にとって印象的で、様々なことを教えてくれた人。貴重 な 10 年間でした。時には叱られたり、救急車を共にしたり、初めて 入院された時は、何故今まで病院嫌いだったのか、理由を教えても らったものです。仲間から聞いたエピソードで微笑ましいと思った ことの一つで、馬場ちゃんの小屋を仲間が作っていた時のこと、彼はコーヒーを作っていたそうです。 皆は「俺たちの分を作ってくれている」と。結果は自分の分だけ、実に彼らしかった。 馬場ちゃん沢山のことを有難う。同じ釜の飯を分かち合ったことを誇りに思います。 岩本寿 (2012 年 3 月退職) 2009 年あうん忘年会の様子 少しお酒もはいって楽しそうな馬場ちゃん 2009 年群馬県での稲刈りの様子 集団行動が難しいときもあったけれど、 この時は一緒に稲刈りを頑張りました。 4 NPO法人 わっぱの会 に研修に行ってきました 2013 年 4 月から 2014 年 3 月の年度で結構黒字が出そうな見込みとなり、お金の使い道につ いて会議で議論している中で、一度外の団体に研修に行ってみてはどうかという話になり ました。その際、共同連という障害者の全国団体の中心的メンバーである「わっぱの会」 を訪問しようという結論になりました。 共同連は、障害のある人もない人も対等な立場で働くことを理念としている NPO で、障 害者を含 「わ っ ぱ の む就労困難者の働く機会増大を目指して「社会的事業所」の制度化を提唱しています。 会」は名古屋で 30 年以上活動している団体で、製パン・リサイクル・介護などの多様 な事業を行っていて、現在 200 名ほどが働いており、障害のあるなしに関係なく皆が平等な賃金を得てい ます。 あうんで勉強会を開いたときに共同連のことを取り上げたり、共同連の大会に報告者として呼ばれたりす るなど、ここ何年か深い関係を持つようになり、生活困窮者の「仕事づくり」や事業売上の分配の平等性 などの点で、あうんとも考え方が似ている団体です。 2011 年夏に慰安旅行に行ってから久しぶりの団体での外出であり、 「研修」ということになると初めて の試みでした。当初は名古屋なので泊まりで行く案だったのですが、仕事の関係で日帰りとなり、13 名が 参加して 3 月 11 日(火)の午前から見学が始まりました。 名古屋の駅前でレンタカーを 2 台借りて、まずわっぱの「就労開拓校」というところへ行きました。そ こはうどんの製麺工場とうどん屋を運営していて、一般企業への就職を目指す障害者の方が訓練を受けて います。昼食もそこでいただきました。大変美味しかったです。 午後の最初は、ペットボトルのリサイクル工場へ行きました。名古屋市から受託を受けて一般家庭から 収集してきたペットボトルのリサイクルをやっており、黙々とペットボトルを処理している様子は、あう んの倉庫での分別・解体の状況と似ていて、親近感を強く覚えました。 次に弁当事業を行っている場所を訪問し、そこに併設されているグループホームも見学させてもらいま した。わっぱの各事業所やグループホーム向けに毎日弁当を製造・配達しているそうです。 最後にわっぱの事業の発祥であるパン工場 2 ヶ所を訪問しました。パン工場では非常に重度な 障害者も多く働いていて、外部の人から見れば職場とは到底思えない混沌とした雰囲気なので すが、その中でも美味しいパンが不思議と製造されていて、色々なことを考えさせられました。 見学の後には夕方からあうんとわっぱのメンバーとで交流会の席を設けてもらいました。非常 に豪勢な食事を用意してもらい、 本当に楽しいひと時を過ごすことができました。交流会が終わっ て東京へ帰るころには 9 時を越えていました。次の日に仕事がない 2 名はグループホームに泊ま らせてもらい、翌日に足を伸ばして知多にあるわっぱの農場にも見学に行きました。 5 1 日でわっぱの様々な事業を見学したので大変でしたが、本当に充実した研修でした。外の事業所を 見てあうんのやり方と比較するというのは初めてだったので、貴重な機会となりました。4 月末には研 修に行ったメンバーで振り返りを行い、わっぱで見聞きしたことを話し合いました。わっぱが障害者の 事業所として様々な補助金をもらいながらも、理念を貫き徹底した平等性を維持している点や、重度な 障害を持った人々とともに働きながら、事業体として何億もの売上を達成している点などが議論になり ました。 今後も就労が難しい人たちが継続的・安定的に働ける「仕事場づくり」を実践している団体と、こう いう機会を設けて連携を図っていくことができればと思っています。 【若畑】 まず、驚いたのは規模が大きいこと。様々な事業所を運営しており、約 200 名の方が障が いあるなしに関係なく働いており、その中でも若者がたくさん活躍していました。 もともとわっぱの会について少し知識はありました。障がい者と健常者が対等に働き、賃金 も平等に分配しているとのこと。さて、それは実際どのように働いているのかを今回見学させ ていただきました。 一番の衝撃はパン工場です。初めて見る人が大勢来てしまったためなのか、日常 的にそうなのかはわかりませんが、なんと口で説明していいか…。とにかくカオスです。 ものすごく一生懸命にパンに黄身を塗っている労働者やずっと袋詰めをしている労働 者、私たちが見学に来て嬉しいのかずっと話しかけてくる労働者、ケンカしている労働者。それぞれが めちゃくちゃなことをやっているように見えて、それが一つの美味しいパンになり出荷される。そのパ ンがまたウマイ!!ここまで能力の違う労働者たちが集まり、平等な賃金を生み出していることに感動 しました。 また、生活共同体も見学させていただき、「働く」ことだけでなく、「生活」そのものが一体となって いることはあうんとは違うところでした。あうんは「働く」ことを通じて支え合い、それぞれが持って いる能力関係なく皆が賃金平等で対等な関係作りという理念で運営しています。わっぱの会は「共に生 きる」ということが一番の前提にあり、そのための取り組みとして生活共同体や協同労働、職業訓練校 があるのだと実感しました。 そして、わっぱの会で働く方の高齢化が進んでいるため、定年制度をつくったうえで高齢の障がい者 たちが集える場をつくっていくことを考えているそうです。それは、私たちあうんや山谷の取り組みの 中でも問われていることで、働けなくなった後でも集えたりするような場がこれからますます必要になっ てくるのだと思います。参考にできることは参考にし、協同労働という共通点がある団体同士、これか らも交流を続けていけたら嬉しいです。 大人数で押しかけてしまったにもかかわらず、温かく迎えてくれた皆さまに感謝感激です。どうもあ りがとうございました。 【荒川 朋世】 6 ここは、新国家かッ!! 今回わっぱの会を訪れて私は、2 回目になります。1 回目は、斉藤縣三さんの 話を聞きパン工場を見学させていただきました。1 回目で印象に残ったことは、 困窮者支援法の詳細もなく、賛否が色々世の中で飛び交う中、斉藤さんの「困 窮 者 支 援 法 は、自 分 た ち が 使 い な が ら 変 え て い け ば い い」と い う 言 葉 で す。 「ふーぁー!!」と驚きました。待ってる姿勢ではなく、自分たちが対象者のためにどう使うかという 当事者として構えている姿勢に「ふぉーぉ!」と思いました。そして今回またわっぱの会を訪れる機 会に恵まれ楽しみにしていました。今回は、多種多様の職場、住居、そして、わっぱの会を支えてい る多くの人たちにお会いできました。そして、思ったことは題名の通り「ここは、新国家かッ!!」です。 まず、ここでいう国家とは、 政治 ・経済・ 外交 ・民の暮らしです。司法はあるのかないのかわかり ません。まず、 政治 は、だれでも参加自由の各部署の会議があり、そして運営会議をして、わっぱ の会を治めています。そして、経済は、障がい者の介護事業所や市からの委託事業を主な収入とし、 パンやうどんを作ったり、農場で野菜を作ったり。お弁当も自分たちのところで生産し、自分たちで 消費をしていました。多くの NPO や 慈善団体 は、資金繰りにすごく苦労しているのにもかかわらず、 お金がスムーズに回っていました。 外交 とは、名古屋市と対等な関係です。時には協力、交渉相手、 仕事の取引先 ( ペットボトルのリサイクル事業 ) となっています。こうなるには、想像もつかないほど 大変な根気と時間が必要だったと思います。 「ひぇー」という感じです。また、 外交 とは少し違い ますが、パン屋さんも地域に根付いているようでした。わっぱん ( わっぱのパンのこと ) は、国産小麦・ 無添加のパンです。種類も豊富でジャムもあり、とてもおいしかったです。さて、最後に民の暮らしです。 わっぱの会は、「共に生きる」という考えが中心にあります。住居は見せて頂きましたが、一緒に暮ら していないので「共に生きる」はあまりわかりません。職場見学をして、パン工場もお弁当工場も自 分たちの表現したいやり方で自己表現ができ、それでも安心していられる場所。工程 1 つ 1 つ分業になっ ていて個人の役割がある。これこそ生きているということなのかな?と思いました。そして、生きる、 生活するを突き詰めると、確かに国家に近いような仕組みが必要なのかなと帰ってきてから考えまし た。 最後に「共に生きる」「共に働く」…。そう掲げなければ働けない、働くのが難しい、生きられない、 生きるのが難しい世の中、現実があるということが強く心に残った。 【やまぐち さき】 7 ル チリュニューア プ が ん う あ プ ッ リサイクルショ ちょっとひと休憩が ちょっとひと休憩ができるお店に! あうんのお店は約 30 坪。2 階まであり、洋服、雑貨、家電家具等さま ざまな物が置いてあります。店内を回るだけでかなり体力消耗をし、 特に夏場はとても暑くお客さんも店員も汗だくになりながら店内にい ました。 それが…なんと!今年の春から店内にエアコンを設置し、休憩できる 場所をつくりました。そして、最近の流行にのり珈琲などの飲み物も 出せるように ( 一杯 100 円 )。私たちにとって高価なエアコンは、本当 にきくかどうか心配でしたが、実際エアコンをつけてみると快適な店 内に。去年の暑さが懐かしく、お客さんからも大好評です。 カフェスペースには協力団体の あうんのお店は、主に中高年層のお客さんが多かったですが、最近子供 リーフレットなどが置いてあります。 連れのお母さんや、外国人の若者たちが買い物に来てくれるようになり、客層が少しずつ広がっていま す。三ノ輪周辺は、地域の小さな工場がつぶれマンション建設が進んでいます。それはとても寂しいで すが、新しくできたマンションに住む方にもあうんのお店を利用してもらうためにより快適な店舗を目 指し邁進中です。 また、休憩できるスペースには椅子が 3 つあり、珈琲を飲みながら本を読んだりできるようになって います。休憩しながら店内を散策できるためお客さんの滞在 時間が長くなり、お客さん同士が仲良くなったりする場面も。 あうんの近辺には、中高年層の一人暮らしの方が多く暮らし ており、あうんに来て 50 円や 100 円の商品を見て、私たち とお話をして帰っていく方が多いです。普段、近所の方とお 話する機会はないけれどあうんに来たら誰かしらとお話をし て帰れることが、お客さんにとったらとても重要なことなの ではないかと感じます。物を売ったり買ったりするだけでは なく、交流できる場としてもあうんが地域の受け皿になれる ように、これからも地域に根を張った店舗づくりを進めてい きます。応援よろしくお願いします。 【荒川 朋世】 8 1杯 100 円でコーヒー・ココア・紅茶 などを用意しています。 介 その 1 紹 フ ッ タ ス 新 あうんの す。 ) と申しま 0 (4 織 堀 す内 って居りま な に 話 世 物をほぼ完 でお う ん 云 う と あ 界 り よ 外の世 昨年 11 月 うか自分の 云 と 等 外 の していた事 ど無く家 り 殆 た が し 験 講 経 座を受 私は社会 誠さんの講 浅 湯 前 運な 以 のですが したので幸 な ま 間 い 人 て い っ 心を持 全に知ら無 然とした関 漠 は て い 出来て居る つ 続 に 持 動 所 活 の の うん て現在 も有って あ さに救われ 広 の 量 度 の活動等に 囲の方々の 谷 周 山 、 ば き れ 頂 て 様で有 流れで拾っ 事が出来る る け 続 に も更 。 ます。今後 い致します い 願 て お く し し 謝 ので宜 事に感 って居ます 思 と ば れ て頂け も参加させ 内堀 織 日本が軋む音が聞こえる中で、何ができるか 日本の終焉が云々という話は数十年前からされているような気がするが、ゆっくり、しかし着実に歩ん でいるだろう。日本国内の貧困が、大きく可視化されることは以前では考えられなかった。それに対する 動きも様々出てきていて、私も反貧困(というか私の場合は生存・反富裕)運動にもかかわったりしたが、 十分かと問われると答えに窮する。一つ大きな力として感じるのが、国家・国益主義への絡め取られである。 これについては、全体の問題となっているとは言いがたいが、様々な指摘が出ているのでここでは多くは 書かない。別の問題としてあるのが、代替を創り出すはずの運動が、ある個人がヘゲモニーを握るために 利用されたり、運動の中でマッチョが礼賛されたりといった、問題の再生産という事柄である。これも根 が深く、 「その指摘は大事だが、今はそれを言っている時ではない」といった文言がよく聞かれる。 「今は その時ではない」という言葉には注意した方がいい。 これまで私が正気を保っていられたのも、ひとえに運動の中で出会った人々のおかげである。しかし、 そんな人々も、 日本が軋む音にさいなまれたり、 上記の運動内問題に失望したりして、 関係が途絶えてしまっ た。もっとも私の方から関係を絶った場合もあるのだが。そのたびに、悔しい思いをしたり、しなかった りしたが、ある時、人を救おうなんて大それたことを思わないようにしたら、割と気分が楽になった。そ んなタダの一人の人が、新しい労働形態なるものの中で、何をするのか、おいおい考えていくこととしたい。 9 鳥山 敦 紹介 その 2 フ ッ タ ス 新 の あうん 皆様初めましてでしょうか?インターンシップに昨年来て、あうんにお世話に なり、今年の 4 月から新人としてお世話になっている加藤海生です。私は週一日水曜日に 勤務させて頂いております。私が大学 4 年生の頃、世間は就職氷河期で、今でも就職浪人してい る友人がいて、こうやってあうんにお世話になっている私は幸せ者だと思います。 私があうんに関わる様になり、私自身も様々な問題に出会いました。例えば、1964 年の東京オリンピッ クと今度 2020 年の東京オリンピックについて。64 年のオリンピックの時にも色々な家が潰されて、若者 の労力が使い捨てられて、色々な特に在日の方々やホームレスの方々など弱い立場の人々が追い出され て、町が壊されてしまった事を今度のオリンピックでも言えると私は思います。私はその事をフー ドバンクの作業日と越年闘争の時に出会ったおじさんたちに聞きました。今回は更に東日本大 震災の事も葬り去る事になると思うと私は怒りで心がいっぱいになります。 私は他に、ロックバンドを友人とあうんで働いたお金でしています。私のパートは 作詞作曲とボーカルです。そのバンドの曲でも山谷で出会った問題や日常も書いてお ります。例えば『空き缶ひろいのおじさんのうた』とかです。空き缶を拾い集めてそ れで生活をしているおじさんの日常の曲です。 なんだか長くなってしまいましたが、これからも何卒、宜しくお願い致します。こ れからもがんばって勉強して、いつか何かの集いを私自身でがんばって皆様と 協力して開きたいと思います。そして、その会で皆様がハッピーにな れたら幸いです。 加藤 海生 10 あうんでの体験労働の感想 一橋大学大学院修士課程 2 年 岡田やすき 8 月 1 日から 12 日の期間に合計 8 日間、あうんで体験労働をさせていただきました、大学院生の 岡田やすきと申します。読者の方々に対してはもちろん、あうんの中にも、誰だっけとか、何だった んだあいつは、と思われている方々がいらっしゃるはずなので、自己紹介をさせてください。私は労 働を勉強していて、経営者に雇われて命令を受けるという力関係のない働き方に関心があります。あ うんではそのような働き方である協同労働をしていると知り、若畑さんの論文を読んでさらに興味を 持ち、実際に雰囲気に触れて働いている皆さんのお話をお聞きできればと思い、夏休みにお邪魔させ ていただきました。 体験労働ではリサイクルショップに混ぜていただきました。衣類の仕分け、家具拭き、家電の点検、 値付け、家電パック販売の見積もり・配達、レジ対応など様々な仕事があり、メンバーの皆さんが緩 やかな分担をしてお店を作り上げていました。何人かの方々からお聞きした、 「得意なところを生か す」 、 「支え合う」 、 「チームワーク」の働き方というものを肌で感じました。私も多くの仕事を経験さ せていただきましたが、特に値付けでは、一部の家電には基準の表があるものの、新米の私も含めそ れぞれが自分で考えて値段を付けるやり方は新鮮でした。 もう一つの事業である便利屋については、メンバーの方々が朝早くから連れだって現場へ出発した り、戻ってきて荷物を倉庫にたくましく運び入れる様子を見たり、壮絶な現場を片付けてきたお話を 聞いたりしました。それらに加えて、便利屋のことで特に印象に残っているのは、大変な仕事である 生ゴミ処理を、輪番制にしようとみんなで決めたというお話で、すごいなと思いました。 また、皆さんが集まる事務所の雰囲気として、感じたことがいくつかありました。まず、年齢や勤 めている期間にかかわらずタメ口でくだけた会話が多いなということです。また、昼食では、石岡さ んお手製のバラエティー豊かな料理がテーブルにたくさん並んでいて、それをみんなが好きなように 取りながら食べるというスタイルが自由だなということです。 私は元々働き方に関心があってあうんに伺ったということもあり、恥ずかしながら山谷の労働者の 歴史と現在についてほとんど知りませんでした。いろいろとお話をお聞きしたり、山谷夏祭りも参加 させていただいたり、ホルモンを食べさせていただいたりして、私の知っている世界はほんの一部な んだということが身に染みました。楽しいことがあまりないと言った私に対して、うめさんが、自分 は「どん底まで落ちたから少し上がれば幸せ」なんだとおっしゃったことは忘れられません。 最後になりましたが、一緒に働き、食べ、飲み、お話を聞かせてくださった、あうんの皆さん、本 当にありがとうございました。また伺うことがあった時にはどうぞよろしくお願いいたします。 11 リサイクルショップあうん へ 寄付をお願いいたします。 雑貨 ● ※ 新品・箱入りのモノのみ受付させていただきます。 説明書があるものは添付した状態で、お送りいただけると助かります。 ※ 割れているもの、シミなど汚れのあるものはご遠慮ください。 食器(瀬戸物) ※ 箱に入っているもの(引き出物など)のみの受付となります。 ※ 単品の食器はご遠慮ください。 ● 日用品 例:洗剤/ティッシュペーパー/トイレットペーパー/シーツ/カーテン/タオル/ タオルケット/スリッパ/石鹸 等 ● その他 小型家電 例:CD コンポ/ハンディクリーナー/電気スタンド/等 /掛け軸/スチールラック/等 衣類 秋・冬物 受付中 傷み・シミ・カビなどご確認ください。 ※春・夏物は来年までお待ちください。 リサイクルショップで販売できないものは破棄しなくてはなりません。 処分費用がかかってしまいます。ご理解ください。 受付品目 ■ 男性用・女性用・子供用 共通 ※大きめのサイズも大歓迎です。 長袖ポロシャツ / 長袖 T シャツ / 長袖カジュアルシャツ /セーター/ネルシャツ/ 厚手ジャンバー /コート(ダウンコート)を含む/ ズボン / スカート / カジュアルジャケット(背広不可)/ 作業着(新品に近い状態のもの) ■ 和服 着物 / 帯 / 浴衣 / 和装小物(草履・帯揚・バック 他) ■その他 ※ 靴下・下着・ハンカチ・タオルは新品に限りますのでご注意ください バック/ 靴 / 帽子 / エプロン / 靴下 / ベルト/パジャマ /スカーフ /マフラー/下着(男女) / 財布 / ハンカチ /タオル /アクセサリー × 受付不可 傷み・汚れのひどいもの/背広/白いワイシャツ/キュロット/ガウン/スキーウェア/ 水着/制服/事務服/柔道着/ドレス/布団 あうんは非営利活動で野宿者の支援を行っています。 毛布が ご不要な男性衣類(カジュアルなもの)がありましたら、洗濯をしてお送りください。 必要です。※布団は受け付けておりません。ご注意ください。 25 号 ・ 2014 年 11 月発行 発行元 :企業組合あうん 〒116-0014 東京都荒川区東日暮里 1-36-10 TEL:03-5604-0873 FAX:03-6458-3907 E-MAIL:[email protected] / HP:http://www.awn-net.com/ ※同封の振込用紙は企業組合あうんの非営利部門にて使用させていただきます。