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明治期における商法会計制度論

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明治期における商法会計制度論
社会情報学研究, Vo
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明治期における商法会計制度論
松尾俊彦・
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Toshihiko Matsuo.
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e(財産評価規定),
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n (債権者保護)
1.はじめに
わが国の商法会計制度が
を受けてきたことは
ドイツから強い影響
わが聞において初めて制定
よぴ株式会社の計算規定からも,窺い知ることが
できょう"
そこで,本稿においては
明治期における商法
3年商法の注釈害総論に「濁逸ノ商
された,明治 2
会計制度において,どのような形で債権者保護が
8
6
1年ニ制定セラレ我岡商法ハ之ニ倣ヘルナ
法ハ 1
担保されてきたのか整理,検証してみたい.
リJ1)と,書かれていることからも明かであろう.
このことは,
ドイツ商法の属する大陸系商法が,
また,大正期以降における商法会計制度論につ
いては,稿を改め,整理・検証したい.
財産目録,貸借対照表を中心にした会計システム
をとっていたと同様に
わが岡商法においても,
初期のものは財産日銀貸借対照表を中心にした
会計システムをとっていたことからも理解できょ
日商法制定前の会社会計制度
1.近代会社制度の繁明期
ドイツを中心にし
明治政府により押し進められた産業の近代化の
た大陸系商法の基本的理念の一つが債権者保護で
ためには,巨額の資本が必要であった.この巨額
あることは周知のことであるが,それは,商法に
の資本を調達するために多人数から資本の集中・
設けられている樹人一般に対する商業帳簿規定お
集積を可能ならしめる近代的会社一株式会社一制
う.また,わが国商法を合め,
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)
'呉大学社会情報学部 (
1
2
4
明治期における商法会計制度論
。
度の擁立が不可欠であると考えられた 2)
そこで,政府は,産業の近代化における会社制
これらの啓薬害の刊行により,
r
会社 Jに関する
知識は…般に広まり,会社設立の気運も高まった.
r
合社弁j に脅かれている「会社 Jは
度の創設にあたって,金融制度(特に銀行)の創
なかでも,
設・整備を急務と考え,会社制度の導入を金融会
会社とは替えども,主には「銀行Jのことを平易
6
8
)
社(制度)に依ったと思われる.明治元(18
に解説したものであったため
年に,その最初のものとして,金札(不免換紙幣)
類似の会社を設立せんとする請願が増加した.こ
を発行し,これを貸し付け殖産資金を調達すると
うした状況のもとで,明治政府は商事に関する規
ともに,この調達した殖麓資金を太政官札として
則の必要性を認め,同時に諸外国との条約改正交
民間に貸し付ける機関である,商法司が京都に設
渉において,法体系の不備が列国の条約改正版否
立された.問時に,そのもとに商法会所が各地に
のー悶となっていることを痛感させられた.しか
設置されたベしかし,金札の発行が殖産資金調
し,体系的な商法典の繍纂をはじめとする法体系
達の目的を果たしえなくなったため,商法司と商
の整備は容易なことではなく,まずは書籍を通じ
法会所は廃止された.
て国民に立会結社の主旨を会得させることを期待
銀行もしくは銀行
18
6
9
) 年に,商法司の廃止と前後して
明治 2 (
し,啓蒙書を官版したと思われる.民聞からの銀
通商司が設置された.当時,わが国は開港後聞が
行もしくは銀行鎖似の会社設立の相次ぐ申し出に
なく外聞貿易に不慣れで,経営基盤も脆弱で,か
対し,政府は新たに条例を設け,完成された銀行
っ金融機構も未整備であったため,貿易よの利誰
(金融)制度の確立を検討した 11) 貨幣・金融制
は大半が外国人により占められ,貿易による政府
度の調査研究のため渡米していた伊藤博文は,帰
収入はままならない状況であった.こうした弊害
国後アメリカのナショナル・パンク制度にならい
を除去し,貿易事務の管理を目的として通商南が
閣立銀行設立を建白した.同じ頃イギリスから帰
設けられた 4にその通鞠問の指導監督のもとに,
闘した古悶清風は
通商会社と為替会社が設立されたが,両会社とも,
制度にならった銀行制度を提案した 12) 度重な
社中(会社の構成員)の責任は無限責任であっ
18
7
2
) 年にアメリカ紙幣
る議論を経て,明治 5 (
た 5)通商会社は,囲内の商業振興と貿易の振起
条例を基本に欧米諸国の貨幣法を参酌し,かつわ
させることを業務とした.他方,為替会社は,通
が閣の閣内状況を加味した
商会社の運営に必要な資金の供給と広く一般に金
施行細則である『悶立銀行成規jが,わが国最初
融制度を周知させることを目的とし,政府の資金
の銀行法規として制定された.この条例は,わが
借り入れおよび商業資金の貸付,その他為替,両
閣で初めて社員(株主)の有限責任制を明示した
替などを業務とした 6)これらの会社は,政府の
形(国立銀行条例第五条第五節に「銀行の株主等
進める殖産興業政策に合致していたが,政府の過
は誰彼の差別なく其の営業に付いての損授は株高
度の干渉と経営相当者の会社についての知識の欠
) で株式会社組織を法
に騰して之を負搬す可し J
如により,多額の亦字を抱えることとなり廃止さ
認したもので 13) わが閣の金融制度の出発点で
れた。7l
あり,株式会社発達史上,会社法発達史上大きな
イギリスのゴールド・パンク
I
岡立銀行条例 j と問
政府にとって会社制度一特に,株式会社制度一
意義を持つものと考えられた.明治 6 (
18
7
3
)年
の導入は,殖産興業政策の重婆な一環であると考
に,国立銀行条例にもとづいて,江戸時代から為
えられていたため,会社知識の普及に勢め,明治
替・阿替等の金融事業を営んできた三井組・小野
4(
18
7
1
) 年には,株式会社に関する啓蒙替を官
組が共同して改組し,社員(株主)の有限賞任制
版するにいたった.その代表的なものとして,加
を担保した,わが間最初の株式会社である第一国
f
交易心得草後編 J
8), 福 地 源 一 郎 訳
立会略則 J がある.
『会社弁j9)と渋沢栄…著 f
立銀行が創設された 14)
藤祐一著
10)
こうした有限責任制を特徴とした株式会社の出
1
2
5
松尾俊彦
現により,わが国においても「株主有限責任制の
融史上重大な事件となった 18)
この事件を契機
もとでの債権者保護Jという問題が懸念されるこ
として,政府は同意銀行条例第 1
7条にもとづき,
ととなった.
シャンド氏に銀行検査を行わせ,報告書を提出さ
せた.この検査が,今日の会計監査制度の基礎と
2
. 会計実務の傭立期
なったことは周知のことである.問時に,株式会
第一国立銀行をはじめとして相次ぐ国立銀行の
社制度の導入とともに懸念されていた「株主有限
明治 5 (
18
7
2
)年の
責任制のもとでの債権者保護J問題が,表面化す
創設に先立ち設けられた
f
閤立銀行条例 j には,国立銀行の会計制度 15) の
基礎をなす 3づの規定が設けられていた 16)
1.帳簿および定期報告書を作成すべきこと
(
f第1
2条 銀 行 ヨ リ 差 出 ス 報 告 書 計 表 ノ
手続ヲ明ニス J)
.
ることとなった.
0年にかけて,
明治 9年から明治 1
r
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国立銀行条
国立銀行報告差出方規
例 J 困立銀行成規j と f
則 jが改正された.その改正された
f
閤立銀行報
告差出方規則 jの「半期実際報告(今日の貸借対
2
. 定期決算および利益処分に関し株主と大蔵
省に報告すべきこと
照表と考えられる )
J の項に「此報告は其銀行本
文府練傾ノ資産権利ト負債義務トヲ分記スルモノ
(
f第1
3条 銀 行 利 益 金 分 割 ノ 手 続 ヲ 明 ニ
スJ.
)
ニシテ之ヲ記載スルニハ半季ノ決算ヲナシタル上
先ツ本脂ノ線、勘定元帳差引残高表ヲ製シ支Ji!iヨリ
3
. 大蔵省の銀行検査施行のこと
(
f第1
7条 銀 行 ノ 事 務 実 際 検 査 ノ 為 メ 紙
幣寮ヨリ検査役派出ノ手続ヲ明ニス J)
夫々ノ問表ヲ取集メ本応ト支府間ノ貸借蛇ニ支応
ト支庖間ノ貸借ハ之ヲ取除キ其他ハ本支脂綿鵠ノ
合計ヲナシ該報告罫表中設クル所ノ名栴ニ従ヒー々
こうした 3つの基礎をなす規定を実践する手段
之ヲ記載スヘシ(以下省略)J19) と規定され,会
1
. 簿記. 2
. 財務報告書, 3
. 監査の
計報告審は,会計帳簿(総勘定元帳)から誘導し
制度が設けられた.これらの制度を広め,銀行員
て作ることが要請され,当然そこでは元帳への記
18
7
2
)年
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の養成のため,明治 5(
帳は取得原価によるものと考えられた.また,先
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のシャンド氏による銀行検査報告書の第十四に
幹部行員であったアラン・シャンド (
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「銀行ノ凡テノ身代ハ成ルベキ丈ケハ市価ヲ以テ
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) 氏を迎え入れ,銀行簿記法を講述
算スヘシ.若シ公債証書滞貸附金地面家作及ヒ家
させた.ここに,アメリカのナショナル・パンク
財共ニ真債ナラサルトキハ利議ノ鷲部ヲ是ニ加工
制度とイギリスの銀行実務に範をとった,銀行簿
テ真償ナラシメサルベカラス J20) とする記述が
記会計制度が創設されることとなった 17}これ
あり,毎期の決算において資産の時価が原価より
r
国立銀行条例 j と f
国立銀行成規 j を
低いときは,時価で評価するという低価主義の必
会計制度に関する根本規定と定め,さらに国立銀
要性を説いている.言い換えるなら,当時は,取
行が貨幣寮に定期的に差し出す報告書の規則を定
得原価による記載が当時の会計慣行であったとが,
f
国立銀行報告差出方規則 j を設け,銀行実
取得原価による財産評価では債権者保護に対し限
として,
により,
めた
務が整備,実践されることとなった.
ところが,明治 7年に小野組破産事件が起こっ
た.事件は,第一国立銀行の初代顕取であった小
野普助が,個人的に経営していた小野組に当時の
金額で 1
3
0万円余りを融資し,
うち 7
5万円余りは
界があることが判り
それを補完するため時価を
考慮に入れた低価主義が示唆されたものではない
だろうか.
4年に大蔵卿となった松方正義は,
その後,明治 1
経済の混乱を整理するため,英・独・ベルギーに
無抵当による融資であった.その後,小野組は破
ならい中央銀行制度を導入し
産し,第一国立銀行は多大な損害を被り,明治金
た.これにより,紙幣発券業務は中央銀行である
日本銀行を創設し
1
2
6
明治期における商法会計制度論
日本銀行に移され,通貨・信用制度の整備がはか
財産評価に関する規定を備えていなかったことか
られた 21)。
ら,プランス商法より普通ドイツ商法の強い影響
ところで,先のシャンド氏の示唆した時価によ
り評価するとした考え方は
後年の商法制定にあ
を受けたと考えられる.さらに編別に見ても,
「ロエスレル氏起稿
f
商法草案J(以下,
r
商法草
たり大きな影響を持つものとなったことは注目す
案j という )
Jは
, ドイツのものに近いものであっ
べきであろう.ぞれは,株主有限責任制のもとで
た. 商法草案j は,破産手続や商事裁判手続規
の債権者保護においては,会社が所有する財産の
定など広範なものを含み,わが闘の商業慣習から
みが債権者にとって自らの債権問収を担保できる
すると旧慣宵にはない新しいものばかりであっ
ものであるため,会社の所有する財産の評価は震
た 26にこのように,ロエスレル氏が,従来から
要な関心事であったと思われる.
の日本の商業慣習を編入しないで
そこで,次章において,商法制定過程そして改
r
起稿した根拠としては
f
商法草案j を
r~ ハ日本ノ商業及ヒ物
正過殺における,財産評価に関する規定を中心に
産上確実ニシテ完全ナル基則アラシメーハ日本人
跡付けをしてみたい.
民ノ商業及ヒ物産上ノカヲシテ世界中各通商閣ト
平等ノ地位ヲ得セシメントスル J27)との考えを
目わが国商法の歴史的変避
持っていたことによる.
『商法草案jには,第3
2条以下第4
2条に条数と
わが国では,明治時代にはいり,近代化運動の
1条からなる商業帳簿規定が設けられた.第
して 1
気運が高まっていった.政府は,条約改正交渉に
3
2条から第3
5条までは帳簿の作成と保存について,
おいて,法体系の不備が列閣の条約改正組否のー
6条以下では帳簿の提出と証拠力について規定
第3
悶となっていることを痛感させられ,織法をはじ
している.取引の帳簿への記録(第 3
2条),開業
め民法,商法,刑法といった近代法制度を整備す
時及び毎年の財産目録・貸借対照表の作成(第3
3
ることを急、務とした 22)そこで政府は,商法を
条前段)とその際の財産評価の方法(第3
3
条後段)
制定するにあたり, ドイツから法律顧問として招
及び年 2凹以上配当を行う会社の財産目録・貸借
o
e
s
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)
いた,ヘルマン・ロエスレル (HermannR
4条)というような,決
対照表の作成の特則(第3
氏に商法草案の組稿を命じた 23) ここに,わが聞
算に関する規定が設けられたことは注目される.
の商法制度の第一渉が踏み出されることになった.
第3
2条では,取引記録と併せて家事費用の記載
を要請している.これは
1.明治 1
7(
1
8
8
4
)年ロエスレル氏起稿 f
商法革
記録された個々の取引
内容から財産の不当処分または浪費を読みとるこ
とができ,債務者の財産の隠僚による詐欺破産を
業』
口正スレル氏は,商法草案の起稿作業に当たり,
見つけだす手がかりになり,詐欺破産の防止に役
ヨー口ツノ T
諸国の商法を調査した.その結果, 1
8
0
7
3条前段では,
立つものと考えられる.他方,第 3
年フランス商法と 1
8
6
1年普通ドイツ商法を参考に
財産目録の作成を要請している.これは,商人が
しかし,フランス商法は,
自己の財産状態を把握し,資力に応じた取引を可
その運用上,仰の特別法,裁判判決や法律学をもっ
能にするためであり,過怠破産の防止に役立つも
て解釈され,商法に規定なき事項については民法
3条の設定理由には
のと考えられる.しかし,第3
を参酌することが必要とされたが,当時わが閣に
f
(前略)商人ニシテ其目録番及比較表ニ記載スル
は未だ民法は整備されていなかったこと,またフ
ニ方リ不賓ナル債位殊ニ之ヨリ多キ償位ヲ付セン
4
8に対し,普通ドイツ商法の
ランス商法の条数6
欺娃レ自カラ欺クモノナリ故ニ此ノ如キ厳構詐欺
1
1にものぼり商事全体を網羅していると
それは 9
ノ作矯ハ法律ノ明文ヲ以テ之ヲ禁スルヲ良シトス
考えられたこと 25)
(以下略)J28) とする記述があり,不実なる財産
したといわれる 24)
さらに,フランス商法は,
松
俊彦
1
2
7
価値の記載を禁じることで,詐欺による破産の防
条において「法律命令ニ依リ官鹿ノ許可ヲ受ク可
止に資すると考えられた.これらから推測して,
キ管業ヲ矯サントスル曾杜ハ其許可ヲ得ルニ非サ
当時は詐欺破産の防止を主目的とした,債権者保
32) と規定された.
レハ之ヲ設立スルコトヲ得ス J
護を図ろうとしたものではないだろうか.破産に
さらに株式会社に対しては, ["商事曾社及ヒ共算
関する罰則規定としては,第1
1
0
4
条に詐欺破産罪,
5
6条において「株式
商業組合株式曾社総則」第 1
1
0
5条に過怠破産罪が設けられていた.
第1
曾杜ハ七人以上ヲ以テシ立政府ノ免許ヲ得ルニ非
サレパ之ヲ設立スルコトヲ得ス J33) と規定され
財産評価に関する規定としては,第3
3条に
「各商人ハ開業ノ時及ヒ爾後毎禦年三月以内ニ動
た.これにより,株式会社設立については,免許
産不動産ノ線、目録並ニ貸方借方ノ比較表ヲ製シ雨
主義が採られることとなった.また,商業帳簿規
帳簿ニ記入シテ署名スヘシ財産目録
ナカラ別冊ノ l
1条以下第4
1条に条数にして 1
1条からな
定は,第3
及ヒ比較表ヲ製スル時ハ線、テノ商品及要求権利並
1条から第3
4条までは帳
る規定が設けられた.第3
ニ其他線テノ財産物件ニ首時ノ相場又ハ時償ヲ附
5条以下では帳簿の
簿の作成と保存について,第3
スヘシ排償ヲ得ル事ノ憾カナラサル要求権利ニ在
提出と証拠力について規定している.取引の帳簿
テハ其推知シ得ヘキ損失ヲ控除シテ之ヲ記シ又
1条) 開業時及び毎年の財牒日録・
への記録(第3
到底損失ニ蹄スヘキ要求権利ハ全ク記スヘカラ
2条 1項)とその際の財産
貸借対照表の作成(第3
29) と規定された.この規定は,
1
8
6
1年普通
スJ
評価の方法(第3
2条 2項)及び年 2回以上配当を
1条の「その作成の時にそれらに附
ドイツ商法第3
行う会社の財産自録・貸借対照表の作成の特則
すべき価値によって記載されねばならない Jを指
3条)というような,決算に関する規定が設
(
第3
したものと思われる.しかし
けられたことは注目される.
ここで注目すべき
点は,普通ドイツ商法において「附すべき価値J
f
商法草案j と同様に,第3
1条では,取引記録
の指す具体的価値については何も明らかにしてい
と併せて家事費用の記載を要請し,詐欺破産の防
なかったが 30), 商法草業jでは「当時ノ相場又
2条 1
項では,財産自録の
止を図ると同時に,第 3
ハ時価」と,指すべき価備を具体的に明示したこ
作成を要請し品怠破産の防止を岡ったものと考
とである.これは,当時のドイツにおいて,普通
えられる.しかし,第3
1条の冒頭に「各商人ハ其
1条「附すべき価値Jの解釈につい
ドイツ商法第3
管業部類ノ慣例ニ従ヒ完全ナル商業帳簿ヲ備フル
て議論が分かれ,度重なる各種判決が出され混乱
寅アリ(以下略)J
34) と規定された.これは,完
した時期が続いた.それらを考慮し,より具体的
全なる商業帳簿を記載し備えさせることにより,
表現を選んだものと考えられる.
商人の過怠による破産の防止に資するものと考え
r
普通ドイツ商法第2
1
9条に明記されていた株主
の有限責任制については
られたからであろう.これらから推測して,当時
わが国においてもドイ
は過窓、破産の防止を主目的とした,債権者保護を
ツに倣い,国立銀行条例第五条第五節に明記さ
図ろうとしたものと考えられる.破産に関する罰
れ,それに続いて
f
商法草案j においても,
[
"
株
7
8条に「株式曾社ノ義務ニ就テ
式会社総則」第 1
ハ曾社財産ノミヲ以テ之ニ光ツヘシ(以下略 )
J
と明記された 31)
。
則規定は,第 1
0
5
0条に詐欺破産罪,第 1
0
5
1条に過
怠、破産罪が設けられていた.
財産評価に関する規定としては,第 3
2条に
「各商人ハ開業ノ時及ヒ爾後毎年初ノ三ヶ月内ニ
又合資曾社及ヒ株式曾杜ハ開業ノ時及ヒ毎事業年
2
. 明治2
3(
1
8
9
0
) 年商法(旧商法)
明治 1
7年にロエスレル氏により起稿された
度ノ終ニ於テ動産不動産ノ線、目録及ヒ貸方借方ノ
f
商
法草案j を基に,明治2
3
年に公布された商法では,
「商事曾社及ヒ共算商業組合商事曾社総則 j第6
8
封照表ヲ作リ特ニ設ケタル帳簿ニ記入シテ署名ス
ル寅アリ
財産自録及ヒ貸借劉照表ヲ作ルニハ綿、テノ商品,
1
2
8
明治期における商法会計制度論
債権及ヒ其他線テノ財産ニ館時ノ相場又ハ市場償
れたのは,商法に先立ち民法か淵行されたことと,
夜ヲ附ス排償ヲ得ルコトノ確ナラサル債権ニ付テ
明治3
2年商法には
ハ其推知シ得ヘキ損失額ヲ控除シテ之ヲ記載シ又
とにも依ると思われる.これに伴いすでに一部施
到底損失ニ蹄ス可キ債機ハ全ク之ヲ記載セス J35)
3
年商法は,第三綱破産法の規
行されていた明治2
と規定された.ここで替われている「館時ノ相場
定を除いてすべて騰止された 40)。
又ハ市場価直Jは,当時ドイツにおける「附すべ
また,
わが国の旧慣習が酌まれたこ
r
商法草案j において「株式会社総則 J
き価値Jの判例的解釈であり,その解釈が,わが
第1
7
8条に明記されていた株主の有限責任制につ
国の商法条文の上に結実したものと考えられ
る36)。
いては,この明治2
3
年商法においても「株式会社
5
4条に「曾杜ノ資本ヲ株式ニ分チ其義
総則」第 1
ところが,明治2
3年商法は施行直前の第 l帝困
務ニ封シテ曾社財産ノミ責任ヲ負ブモノヲ株式曾
議会において反対意見多数により,その施行が明
。
社ト矯ス Jと明記された 41)
治2
6
年 1月 l日へ延期されることとなった.主な
の第 3帝闘議会で再度「民法商法施行延期法案J
3
. 明治3
2(
1
8
9
9
)年商法(新商法)
明治2
3
年商法に対する度重なる審議を踏まえ,
2年
新たに公柑・施行されることとなった,明治3
商法(新商法)1:は,明治2
3年商法において会社
が可決され,民法・商法ともにその施行は,明治
設立について採られていた免許主義を廃止し,準
2
9年1
2月3
1日まで延期されることとなった.こう
則主義を採ることとなった 42) また,商業帳簿
した状況のもと経済界からは,商法の中でも特に
規定は,第 2
5条以下第 2
8条に設けられた.帳簿の
会社,手形,破産に関する部分の早期施行を望む
5条),
作成に関しては,取引の帳簿への記録(第 2
6年 7月 1日から「商事会社及
荷があがり,明治2
開業時及び都年の財産目録・貸借対照表の作成
ヒ共算商業組合Jのうち,商業帳簿に関する規定
6条 1項)とその際の財産評価の方法(第 2
6
(
第2
反対意見としては,公布から実施までが性急すぎ
ること,規定の多くが旧来からの商業習慣になじ
まないこと,が挙げられていた.その後明治初年
と「手形及ヒ小切手J 破産Jの一部分が修正の
r
条 2項)及び年 2回以上配当を行う会社の財産目
うえ,一部施行されることとなった. ところが,
録・貸借対照表の作成の特則(第2
7条)というよ
当時は日清戦争の勃発により社会状況は一変し,
うに,決算に関する規定に重点が置かれたことは
企業熱が高まり日本経済は飛躍的に発展を遂げ,
、注目される.
産業資本の確立期を迎えるにあたり,経済界から
明治2
3年商法と同様に,第2
5条では,取引記録
は商法の早期全面見直しのうえ完全な施行が望ま
と併せて家事費用の記載を要請し,詐欺破産の防
れた.しかし,政治情勢の不安定な中,帝国議会
6条では,財産目録の作成
止を図ると同時に,第2
の審議未了が続くという異常な事態が続いた 37)
を要請し,過怠破産の防止を図ったものと考えら
政府は,日本経済の発展を背景に,民法・商法の
2年商法では,第 1
7
4条で
れる. しかし,明治 3
6年,政府内に日本人だけ
修正に乗り出し,明治2
r
(前略)曾社財産ヲ以テ曾社ノ債務ヲ完済スルコ
により構成された法典調主義会が設置された 38)
ト能ハサルニヨミリタルトキハ取締役ハ直チニ破産
この法典調査会において
『商法草案 j は根本的
に見直されることとなり,その際わが国の旧慣習
を参酌することにも努めた 39)
しかし,明治 2
3
43) と規定された.
宣告ノ請求ヲ矯スコトヲ要ス J
ここで初めて,債務超過を原因とする破産に関す
る規定が設けられ,債権者の破産への関心は,債
年商法は,全体で 1
0
6
4条もの条数があり,見直し
務超過を原悶とする破廉に向けられるようになり,
2年 6月に全面見直しを
は困難を楓めたが,明治3
資産と負債の関係を示す貸借対照表に関心が集ま
8
5条からなる新たな商法として公布,
終え,全6
るようになった.債務組過状態にあるか否かを知
施行されることとなった.ここまで条数が整理さ
るために,評価額を付した貸借対照表に関心の重
松
点が置かれることとなったと考えられる.
財産評価に関する規定としては,第 2
6条に
「動産,不動産,債構,債務其他ノ財産の線目録
及ヒ貸方借方ノ封照表ハ商人ノ開業ノ時又ハ曾社
ノ設立設記ノ時及ヒ毎年一間一定ノ時期ニ於テ之
1
2
9
俊彦
業報告書
四損益計算書五準備金及ヒ利益
ノ配歯ニ閥スル議案J
46) と規定され,
ここに初
めて「損益計算審Jが商法の条文に用語として明
記された.
また,明治 2
3年商法において「株式会社総則J
ヲ作リ特ニ設ケタル 1
帳簿ニ之ヲ記載スルコトヲ要
第1
5
4条に明記されていた,株主の有限責任制に
ス
ついては,この明治3
2年商法においては明治2
3年
財産目録ニハ動産,不動産,債構其他ノ財産ニ
商法とは表示場所を変え
「株式会社
株式」に
其目録調製ノ時ニ於ケル債格ヲ附スルコトヲ要
項を移し,第 1
4
4条として「株主ノ責任ハ其引受
スJ44)
ケ又ハ譲受ケタル株式ノ金額ヲ限度トス(以下
と規定された.この第 2
6条 2項の財産評価に関す
略)J47)と明記された.
r
る規定は. 商法草案j と明治 2
3年商法を参考に
の過程で,わが国商法も,その表現が普通ドイツ
4
. 明治4
4(
1
9
11)年改正商法
明治4
4年の改正商法において,商業帳簿規定は,
商法第 3
1条「附すべき価値Jのような具体的価値
第2
5条以下第 2
8条に設けられた.帳簿の作成に関
規定されたものと思われるが商法の見直し作業
r
が何であるか示さない. 其日録調製ノ時ニ於ケ
しては,取引の帳簿への記録(第 2
5条).開業時
ル慣格Jという抽象的表現に改められてしまった.
及び毎年の財産目録・貸借対照表の作成(第 2
6条
これにより,わが国においても普通ドイツ商法に
釈について混乱を招いたと思われる.それは,明
1項)とその際の財産評価の方法(第 2
6条 2項)
及び年 2回以上配当を行う会社の財産目録・貸借
対照表の作成の特則(第 2
7条)いうように,決算
治3
5年大審院により出された,明治3
2年商法にお
に関する規定に重点が霞かれたことは注目される.
ける第 2
6条の財産評価に関する判決の中で「商法
破産に関する規定は,明治3
2年商法の規定を継
第2
6条第 l項ニ於テ商人又ハ会社ニ対シ定時ニ財
続しており,引き続き債務超過による破産の防止
産目録ヲ調整スルノ義務ア jレコトヲ規定シタルハ
に力点が置かれいると考えらる.それは,破産に
他人ヲシテ其時ニ於ケル資産ノ情態ヲ知悉セシム
関する法律を単行法一破産法…として整備するた
ルノ趣旨ニ外ナラス故ニ其第 2項ニ於テ其目録調
めの準備がされており
製ノ時ニ於ケル価格ヲ附スルコトヲ要スト定メタ
は,明治3
2年商法の破産に関する規定が適用され
ルハ転換ヲ目的トセサル財産ナルト否トヲ問ハス
ることとなっていたからである.
おける「附すべき価値J同様に,具体的価値の解
客観的ノ価格即チ其際ニ於ケル交換価格ヲ附スヘ
破産法が施行されるまで
財産評価に関する規定としては,第2
6条に
キコトヲ指スモノナルコト法文上明カナルノミナ
「動産,不動産,債権,債務其他ノ財産の織目録
ラス財産目録ノ調製ヲ命シタル律意ニ照シ議モ疑
及ヒ貸方借方ノ封照表ハ商人ノ開業ノ時又ハ曾社
ヲ容ルヘキ余地ナキモノトス J
45) とされ,財産
ノ設立登記ノ時及ヒ毎年一回一定ノ時期ニ於テ之
評価における具体的解釈が,司法の判断によるこ
ヲ作リ特ニ設ケタル帳簿ニ之ヲ記載スルコトヲ要
ととなったことからも明らかなことであろう.こ
ス
の判例により,わが聞において「其目録調製ノ時
r
財産目録ニハ動産,不動産,債権其他ノ財産ニ
…於ケル償格Jとしては. 交換価格 Jをもって
償額ヲ附シテ之ヲ記載スルコトヲ要ス其償額ハ財
財産評価を行うことが要請されることとなった.
産目録調製ノ時ニ於ケル,償額ニ紐ユルコトヲ得
さらに,第 1
9
0条では「取締役ハ定時綿会ノ曾
スJ48)
日ヨリ一週間前ニ左ノ書類ヲ監査役ニ提出スル 3
と規定された.ここで初めて,第2
6条 2項に「時
トヲ袈スー財産目録二貸借封照表三事
価以下」による財産評価が要請されることとなっ
1
3
0
明治期における商法会計制度論
8
9
7
年ドイツ商法における財産評価
た.これは, 1
する債務の弁済は,会社財産の範閣内での弁済に
に関する一般的解釈を示したものと考えられる.
とどまってしまうため,債権者保護を担保するた
1
8
9
7
年ドイツ商法では 第4
0条に商人一般に対す
めには,会社財産…資本金…を維持する必要があっ
る財産評価規定を設け,そこでは「時価Jによる
た.ここでいう会社財産の維持とは,単に財産の
6
1条には株式会社に
評価を要請した.他方,第 2
存在だけを維持するのではなく,財産の価値を維
対する特別規定を設け,そこでは「時価以下Jに
持するものでなけらばならない.債権者にとって,
よる評価を要請していた.しかし,商人一般を対
会社財産の範囲内での弁済となれば,その可能範
象とした「商業帳簿Jにおける財産評価規定にお
聞はいくらになるのかという財産評価に関する規
いても,株式会社に対する特別規定の影響を受け,
定が,重要な関心事となろう.国立銀行条例にお
その解釈として時価以下主義とする見解が一般的
いては,イギリスの銀行実務に範をとった,取得
こうした背景を
原価主義による会計制度が採られた.ところが,
受け,わが国では,商人一般を対象とした財産評
小野組破産事件を契機に明治 8年に実施された,
価規定に,
第一国立銀行の銀行検査におけるシャンド氏の報
になっていたと考えられる 49)
r
時価以下Jによる評価を規定したの
ではなかろうか.これについて安藤教授は「当時,
告書には,預金者保護を前提にした銀行検査であ
我が聞の繭法学者がいかにドイツの学説及び判例
りながら,時価一低価主義ーによる財産評価の必
を究めていたかは驚くばかりであり,したがって,
要性が替われていた.
ドイツの通説がまず我が国の学者によって受け容
この報告替の 1
5年後
明治2
3
年商法が『商法草
れられて,やがてそれが我が閣の通説あるいは少
案jをもとに制定されたわけであるが,ここでは
なくとも多数説となり,評価規定改正への庄力に
2条において f
歯時ノ相場又ハ市場償直ヲ附ス J
第3
なったことは間違いないJと見られている 50)。
に時価による財産評価が要請された.確かに,
また,明治3
2年商法において「株式会社株式J
第1
4
4条に明記されていた
普通ドイツ商法を範にすれば,時価による財産評
株主の有限責任制に
価であったとしてもなんら違和感はなかろう.し
ついては,この明治4
4年商法においても明治3
2年
商法と同様に,
r
株式会社株式 J第 1
4
4条に「株
5年間も悶立銀行条例に基づいて,広く取
かし. 1
得原価主義を採用した余計制度が確立されていな
主ノ責任ハ其引受ケ又ハ譲受ケタル株式ノ金額ヲ
がら,商法制定と問時に取得原価主識から時価主
51) と明記された.
限度トス(以下略)J
義への変更は,大きな混乱を招いたであろうこと
は容易に推測される.しかし,当時の商法制定に
N
.おわりに
r
n
Jで跡付けをしてきたように,わが岡にお
関する国会の議事録・速記録,各地の商工会議所
が出した意見書等を調べる限り,財産評価基準設
定に関する混乱よりも
むしろ施行が延期された
いては,商法制定以前に有限責任社員からなる株
ことによる混乱のほうが大きく,のちに法典論争
式会社について,岡立銀行条例にすでに規定され
へと発展していった 52)これらから推測して,
ていた.当然,商法制定過程において,わが岡の
商法制定以前からすでに,経済界では有限責任制
商法の原点とも言うべきロエスレル氏により起稿
のもとで債権者保護を担保するためには,シャン
f
商法草衆j にも,第 1
7
8条で株主の有限
ド氏が示唆していた,時価主義評価に対する認識
資任制が明記された.これにより,わが国商法も
が少なからずあったのではないだろうか.第一回
大隈系商法同様に,商法の有する碁本理念のーっ
から第三回帝閣議会の議論の記録の中で,商業帳
として,有限賞任制における債権者保護思考がと
簿規定について,当時のわが国の商業習慣では
られることとなった.これにより,有限責任社員
「少シテモ匿シタト云ブ方ノ側テ御座リマス.斯
のみからなる株式会社において,会社債権者に対
ウ云ウフ事情カ日本ノ商人農人ノ顕ノ中ニ在リマ
された
松
俊彦
1
3
1
ス,此ノ顕ノ真中ニ在ル潤慣ヲ一般ニ斯ノ如ク出
価以下主識なのか,ニ様に解釈される余地があり
シテ響現ハシテ仕舞其ノ I
帳簿ハ常ニ人々ニ見セル
実務が混乱してしまい,本来の立法趣旨を明らか
モノテハ御雌リマセヌ J53) と意見され,大小す
にするために,商法改正作業の過程でこうした答
べての商人が「完全なる商業帳簿Jをつけること
弁が行われたと考えられる.しかし,もともとこ
は到底できることではないことが強調された 54)
うした混乱の始まりは,明治 3
2年商法において,
しかし,これは「完全なる商業帳簿 Jについて,
財産評価に関する規定を抽象的な表現にしたこと
「完全なる Jの修正を求める意見であって,財産
にあったのではないだろうか. i
商法草案 Jの第
評価基準を合む商業帳簿規定のそのものの廃棄を
3
3条設定理由に r
(前略)商人ニシテ其目録番及
日清戦争
比較表ニ記載スルニ方リ不賓ナル債位殊ニ之ヨリ
(明治2
7年)の戦費に基づく消費の拡大と戦勝に
多キ債依ヲ付セン欺是レ自カラ欺クモノナリ故ニ
よる賠償金により,景気は上向き,企業への関心
此ノ如キ虚構詐欺ノ作矯ハ法律ノ明文ヲ以テ之ヲ
は高まっていた.しかし,景気は長続きせず,企
禁スルヲ良シトス況ンヤ此ノ如キ事商業上ニ生ス
業熱は下がり恐慌を組え
日清戦争後の企業熱に
ル頻々ナルニ於テヲヤ此規則ハ濁逸商法ヨリ抄出
よって設立された,経営基盤の脆弱な会社は大き
スル慮ニシテ虚構ノ償殊ニ賞償ヨリ高キ償ヲ付ス
な打撃を受け,倒産するものもあった.そこで,
ルヲ禁スル者ナリ Jと普かれている.つまり,口
経済界からは,株式会社制度を維持しつつ債権者
エスレル氏が起稿した「商法草案Jの時点におい
保護を担保するために,早期の商法制定が望まれ,
てすでに,財産評価について「時価以下Jによる
そのための財産評価基準として,時価主義が要請
評価も視野に入っていたと考えることができょう.
されたことは自然な流れと思われる.
他方,学説の中には「其目録調整ノ時ニ於ケル償
求めたものではなかった 55)
また,
i
f
f
i
J で跡付けをしてき
格トハ即交換償格ヲ謂ブモノニシテ例ヘハ商品ニ
たように,今日の商法の原型と言われる明治3
2年
付テハ其普通償格或ハ市場償格ヲ云ピ J57
)
と
,
商法が,施行されることとなった.ところが,財
厳格な時価主義を主張するものもあった.こうし
産評価に関する規定においては,その表現が明治
た状況を考慮するならば
2
3年商法の「営時ノ相場又ハ市場債直ヲ附ス」か
ような財産評価に関する抽象的表現は,理解しが
ら「其目録調製ノ時ニ於ケル債格ヲ附ス Jに改め
たいものがある.
こうした状況のもと
2年商法における
明治3
この表現の指す具体的価値
その後,明治 3
7(
19
0
4
) 年に勃発した日露戦争
が何であるかという問題が生じ,司法による判断
を契機に,囲内産業は急速な発展を遂げたが,一
にまで発展した.さらに,明治4
4年商法改正に向
方では泡沫企業も相当な数に遼した.しかし,戦
けての作業にあたり,財産評価に関する規定につ
後の恐慌により,泊沫企業は倒産,整理・統合さ
2年商法
いて,次のような議論が行われた.明治3
れ,大企業へ吸収されていったが,同時に会社法
第2
6条 2項の財産目録に記載する財巌評価の基準
制度の不備・欠陥も明らかになった 58) こ う し
について,政府委員の斉藤十一郎氏は r
(前略)
た企業倒産,整理・統合・合併等における会社法
財産目録ニ附スベキ償額ハ現行法ノ解釈ニ依リマ
制度の不備・欠陥を補正することをはじめとした
スレパ,時償以上タルコトヲ得ナイコトハ議論ハ
商法改正作業を進めるため
ゴザイマセヌガ,必ズ時価タルコトヲ要スルカ,
置された.委員会では,度重なる恐慌の中での企
時価以下ニ記載シチモ差支ナイノデアルカ,欺ウ
業倒産から,企業の健全性を維持することが強調
云ウ貼ニ付キマシテ説ガニツアリマスヨウニ思ヒ
され,保守主義会計が重要視されたものと思われ
マス(以下略)J
56) と班べられている.これは,
る.それは,有限責任制もとでは,債権者にとっ
第2
6条 2項の表現が抽象的なものであったため,
て担保になるものは会社財産のみであり,会社財
財産評価に関する規定が時価強制主義なのか,時
産がいくらあるかといっ財産評価額への関心が商
られた.これにより
法律取調委員会が設
1
3
2
明治期における商法会計制度論
く,財産評価規定が設けられた.ところが,有限
か.また,会社設立の準則主義化も,会社財産一
責任制において,弁済の担保になるものは会社財
資本金一の維持問題に拍車をかけ,時価以下基準
産一資本金ーのみであり,時価で財産評価を行う
採用を後押ししたと考えられる.その結果,明治
ならば,未実現利益である評価益が計上される恐
4
4年商法改正においては,
れが生じてくる.評価益を排除する観点からすれ
産評価が明記されたものと思われる.
ば,シャンド氏が銀行検査報告書の中で示唆され
また,債権者の破産への関心は,
r
時価以下 Jによる財
r
破産の形態J
ていた,低価主義による財産評価を行うことが妥
から「破産の原因 Jに向けられるようになり,債
当であると思われる.しかし,当時は商法制定後
務超過を原閣とする破産については,資産と負債
間もない頃で,商法の規定を普及,定着させるこ
の関係を示す貸借対照表に関心が集まることとなっ
6条 2
項で要請されてい
とが第一と考えられ第2
た.債務超過状態にあるか密かを知るために,評
た時価主義を謙ることは考えられなかったと思わ
価額を附した貸借対照表の評価論に関心の麓点が
れる.そこで,有限責任制のもとで債権者保護を
置かれ,都側碁準として時価が示されることとな
担保するために,会社財産一資本金ーを維持・充
り,貸借対照表を中心にした債権者保護が確立さ
実することが求められるが,従来の時価基準に拠っ
れることとなったと考えられる.
たのでは,会社財産一資本金一の維持・充実に余
裕が得られないところから,時価以下による財産
以上のことを要約すると,次のようなく表 1>
〈
表
2
>にまとめることができょう.
評価が要請されることになったのではないだろう
〈
表 1>国立銀行条例関係
破産への関心
明治 5(
18
7
2
)年
過怠破産
間立銀行条例
(小野組破産事件)
責任の形
商
有限責任
〈決算書中心〉
業
帳
簿
財産評価
取得原価主義
誘導法による報告書を
(低価主義を示唆)
作成
〈
表
2
>明治期における商法関係
破産への関心
賞任の形
商
業
帳
簿
財産評価規定
明治 1
7
(
1
8
8
4
)年
ロエスレル氏起稿
f
商法草案j
詐欺破産・
過怠破産
1
1
0
4条
詐欺破産罪
1
1
0
5条
過怠破産雛
有限責任
〈決算書中心〉
2・3
3条
【商業帳簿] 3
‘商業上ノ l
帳簿
-財産目録
-貸方借方比較表
3条
{商人一般] 3
-時価主義
当時ノ相場又は
時価ヲ附スヘシ
3
(
1
8
9
0
)年
明治2
商法(旧商法)
過怠破産・
詐欺破産
1
0
5
1条
過怠破産罪
1
0
5
0条
詐欺破産罪
有限責任
〈決算書中心〉
1・3
2条
{商業帳簿】 3
-完全ナル商業帳簿
-財産目録
-貸方借方ノ酎照表
2条
{商人一般] 3
-時価主義
当時ノ相場又ハ
市場価直ヲ附ス
松
明治3
2
(
1
8
9
9
)年
商法(新商法)
有限責任
債務超過
1
7
4条
1
3
3
俊彦
〈決算書中心〉
【商業帳簿
12
5・2
6条
{商人一般] 2
6
条
-時価主義
債務超過による破
-帳簿
財産目録調整ノ
産を規定している
-財産目録
時ニ於ケル価格
※破産に関する規定に
ついては、明治 3
2年
以降単行法へ移行す
る準備中である o
※破産法制定までは、
従来のものを制す i
る
。
-貸方借方ノ封照表
ヲ附スルコトヲ
要ス
9
0
条
※[会社の計算] 1
損益計算書の記載が
始まる
1
0
5
0
条
詐欺破鹿罪
1
0
5
1条
過怠破巌搾
明治4
4(
19
11
)
年
改正商法
※破産に関する規定に
ついては、単行法へ
移行する車備中であ
る
。
※破産法制定までは、
従来のものを適用す
る
。
有限責任
〈決算書中心〉
{商業帳簿] 2
5・2
6条
{商人一般] 2
6条
-時価主義
-帳簿
財産目録調整ノ
-財産目録
時ニ於ケル価額
-貸方借方ノ封照表
ニ超ユルコトヲ
得ス
1
0
5
0
条
※{会社の計算] 1
9
0
条
詐欺破産罪
損益計算書への記載
1
0
5
1条
過怠破産罪
(※破産法
大正 1
1年 4月制定)
1)坪谷欝四郎著『日本商法註縛全 j 東京博文館蔵版
明治 2
3
1
2頁.
1
4
)管 野 和 太 郎 前 掲 欝 2
9
5
2
9
6頁.
2
) 大塚久雄著『株式会社発生史論 j 岩波書脂
45
参照.
大塚久雄著作集第 l 巻
昭和
43~46貰.
3
) 菅野和太郎著 f
日本会社企業発生史の研究 j 岩波
書 脂 昭 和 6 115~ 1
2
0貰.
4
) 明治財政史編纂会編 f
明治財政史 j 古川弘文館
昭和 4
7 第1
2巻
3
2
8
3
2
9貰.
5
)菅 野 和 太 郎 前 掲 書 1
5
3頁.
1
5
)岡立銀行の余計制度については,片野一郎先生が
著書“『日本・銀行会計制度史j 問文館
昭和 5
2
"
においてすでに研究を極められておられる. ここ
では,それを参考参照させていただくこととする.
1
6
)片野一郎著 f
日本・銀行会計制度史 j 同文館
和5
2 1~ 3寅.
昭
6
)明 治 財 政 史 編 纂 会 前 掲 替 第 1
2巻 3
3
1
3
3
3頁.
1
7
)片野一郎稿「商法制定の日本会計史上の意義 Jr
日
本会計発逮史j 同友館 昭和 5
13
0頁.
7
)菅 野 和 太 郎 前 掲 書 2
2
9
2
3
4
頁.
8
) 菅 野 和 太 郎 前 掲 審 判50
頁を参照.
1
8
)片野一郎稿「日本財務諸表制度の展開 J r
近代会
35
6頁.
計百年 j 日本会計研究学会昭和 5
9) 菅野和太郎前掲害
50~57頁を参照.
1
9
)片 野 一 郎 前 掲 寄 9
6
9
8
頁.
1
0
)菅 野 和 太 郎 前 掲 害
5
7
6
0頁を参照.
1
1
)明 治 財 政 史 編 纂 会 前 掲 欝 第 1
3
巻 1-2
頁.
1
2
)菅 野 和 太 郎 前 掲 審 2
9
0
2
9
4貰.
1
3
)明 治 財 政 史 繍 纂 会 前 掲 害 第 1
3
巻 3
1
1
0
0貨を
明治財政史編纂会編前掲響第 13~器
658--661
頁を参照.
2
0
)片 野 一 郎 前 掲 審 判 貰 .
2
1)杉山利雄稿「金融制度の創設 J r
日本経済史大系
1
3
4
明治期における商法会計制度論
5
J東京大学出版会昭和4
02
3
0
2
3
1頁.
3
6
) 安藤英義箸 f
商法会計制度論 j 国先番勝
2
2
)越智俊夫稿「明治前期の会社設立に関する立法主
8
3
頁.
3
7
)牧英lE,藤原明久編 I
日本法制史j背林書院
r
義J 法史学および法学の諸問題j 日本評論社
和4
2
昭
1
0
5
貰.
1
9
9
33
6
9-3
7
0
貰.当時の状況を著述されたもの
2
3
)ロエスレル氏は f
商法草案jの起草者であるとと
もに,
r
憲法草案jの起草者としても名を知られて
いる.口エスレル氏は,
1
8
7
8年ドイツ公使背木周
蔵の推騰により来日するまで,
ドイツの大学で行
法窓夜話j岩波書応
として, “穂積陳議箸 f
3
8
)穂 積 陳 濫 向 上 番 3
4
9
3
5
0
頁.
3
9
)志田鍋太郎著 I
日本商法論巻ノー j有斐閣
つきが強いことは当然のことである. しかし,ロ
エスレルの学位論文は「商事会社の資産の法的性
4
1)坪谷普四郎前掲瞥 2
4
1貰.
格について」であり,行政法の教授として勤める
4
2
)法典質疑会 f
商法修正案参考書 j 有斐閣
傍札商事法の研究や講義も行っていた.そのた
r
め,来日後,政府の法律顧問に就任した後. 難法
f
商法草案 j の起稿にも携わるこ
f
近代余計百年 j
「わが聞制度会計百年のあゆみ J日本会計研究学会
昭5
32
0
3
0質"がある.
2
4
)司法省訳 I
ロエスレル氏起稿商法草案 下巻 j
「商法草案脱稿報告書J明治 1
71
0
頁.
2
5
)司 法 省 向 上 書 4-8頁.
2
6
)司 法 省 前 掲 書 1
1頁.
2
7
)司法省訳『ロエスレル氏起稿商法草案 上巻 j
「商法立按ノ主義及ヒ其区域ノ緒雷 J明治 1
71
賞
参考文献として,
“黒沢清著
以下を参照.
2
8
)司法省訳 f
ロエスレル氏起稿商法草案
治1
7
上巻 j 明
1
2
8
頁.
3
0
)E
.Schmalenbach,DynamischeB
i
l
a
n
z,
6
.A
u
f
l
.,L
e
i
p
z
i
g,1
9
3
3,S
.
3
1
8
.
シュマ}レンバッハによると,
I
附すべき価傭 J
という表現は無色透明に近く,抽象的表現である
といわれている.
3
1)司法省前掲害 3
5
5
3
5
6
頁.
3
2
)坪谷普四郎著『日本商法註糟全 j 東京博文舘蔵版
1
2
3
1
2
4
貰.
3
3
)坪 谷 普 四 郎 同 上 書 2
4
2
2
4
3
頁.
3
4
)郎 谷 響 四 郎 前 掲 欝 6
8
6
9頁.
3
5
)坪 谷 普 四 郎 前 掲 書 6
9
7
0
頁.
明3
4
明治 3
1
6
頁
, 9
6頁.
4
3
)法 典 質 疑 会 問 上 書 第 二 編 1
6
3
頁.
4
4
)東京博文館蔵版 I
商法修正案理由書 j 東京博文館
2
2
2
3頁.
4
5
)大審院蔵版『大審院民事判決録
東 京 法 学 院 明 治3
5
第八号第五巻 j
5
5
貰以下.
商業帳簿の法律問制
参考資料とし,“大住逮雄 I
大 阪 厳 松 業 大 正1
4
1
0
4
頁がある.
4
6
)法 典 質 疑 会 前 掲 欝 第 二 編 1
8
2頁.
4
7
)法典質疑会前掲議事第二繍 1
2
9
1
3
1貰.
4
8
)法律新聞社繍 f
改正商法理由 j 法律新聞社
明治
4
48
5頁.
4
9
)安 藤 英 義 前 掲 瞥 1
4
7貰.
5
0
)安 藤 英 義 前 掲 審 1
5
0貰.
5
1)自治館編輯局編 f
商法賞用詳解 j 自治館出版 大
正4 4
6
4
4
6
9
頁.
2
9
)珂 法 省 向 上 書 1
2
6
頁.
明治2
3
第二編
1
明治3
ととなった.
1
9
8
0
3
2
8
3
4
3
頁がある.
9
6
頁.
4
0
)志 田 鍋 太 郎 同 上 審 1
0
0
1
0
2頁.
政法の教授として勤めており,憲法草案との結び
草案j とともに
昭6
0
5
2
)参考文献として,越智俊夫梢「商法典論争前史J
I
松山経専論集第 7
号j昭和 2
41
3
3
1
5
3貰.
r
熊谷開作稿「商法典論争史序説J 法史学及び法学
の諸問題j昭和 4
2 日本評論社
1
0
9
1
2
9頁.が
挙げられる.
5
3
)大日本帝国議会誌刊行会編 f
大日本帝国議会誌第
1犠j三 省 堂 昭 和 元 5
1
5
頁.
5
4
)大日本帝閣議会前、刊行会編前掲害 5
2
0
頁.
5
5
)熊 谷 開 作 前 掲 稿 1
2
5
1
2
6
貰.
5
6
)法務大臣官房司法法制調査部監修r(第二次)法律
日
取調委員会商法中改正法律案議事速記録一 J(
本近代立法資料叢書2
0
) 商事法務研究会
昭和 6
0
松尾俊彦
1
3賞.
5
7
) 丸山長渡著[改正商法要義 j 問文館
明治 3
2
4
5頁.
5
8
)松本思治著『商法争論j中央大学大疋 1
3 4
3貰.
1
3
5
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