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ハイチ大地震における 災害医療の経験

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ハイチ大地震における 災害医療の経験
TMAT
ハイチ大地震における
第 2 陣隊長 清水徹郎
(南部徳洲会病院 高気圧酸素治療部長)
災害医療の経験
現地2010年1月12日
(日本時間同13日)、死者が31万人を超える
大地震に見舞われたハイチ共和国。
TMATはただちに先遣隊を現地に送り、
本隊も3隊(計31人)派遣した。現地医療支援で何を見たのか。
ハイチ大地震発生の翌日、TMAT
われていますが、TMAT でフランス
も悪路を走行しなければならず、物資
は、先遣隊 2 人をハイチに派遣しまし
語を話すことができる隊員はほとんど
を含めた移 動は困 難を極めました。
た。現地からの情報を東京事務局で
いません。隣国はドミニカ共和国で、
われわれ第 2 陣は直接ポルトープラン
検討した結果、本隊派遣を決定。先
公用語はスペイン語。メンバーにスペ
スに入り、日本からの総移動時間は
遣隊からは、まったく治療されていな
イン語に堪能な者がいたので事前情
約 26 時間を要しました。
い新鮮外傷を数多く目撃したとの報
報を収集したところ、ハイチは非常に
告があり、TMAT は急 性 期の災 害
治安が悪い国、
そして西半球最貧国
医療支援活動を展開することになっ
とのことでした。
現地に入り私がまず目にしたのは、
たのです。メーリングリストやファクス、
ハイチの首都ポルトープランスにあ
どの病院でも患者さんがあふれ返っ
耐震構造の概念がない建築物
電話で全国のメンバーに情報を流し
る国 際 空 港 がまるで 機 能しておら
ている光景。救急車ではなく、通常の
たところ、多くのボランティア希望者が
ず、TMAT はニューヨーク経由で隣
トラックで大量の患者さんが次々と運
手を挙げてくれました。今 回の活 動
国のドミニカ共和国に入りました。本
ばれてきており、多くのエリアでトリ
(図 1)では、先遣隊と本隊 3 隊で計
隊第 1 陣は、当初ハイチ国境に近い
アージが必須でした。遺体は病院の
33 人、ボランティアの総人数は事務
同国のブエンサンマリターノ病 院で
外に放置され、ひどい悪臭を放って
局を含めると37 人に上りました。
活動していましたが、約 200 人の医
いる状況。ハイチは、建築物に構造
ハイチ 大 地 震は、現 地 2010 年 1
療スタッフが到着し増員されたことで
的な問 題がありました。耐震 構造の
月12日に発 生し、マグニチュードは
ハイチ国内へ。ポルトープランスで診
概念がまったくなく、コンクリート内の
7.0。ハイチは日本から非常に遠く、公
療を行うため、国連のベースキャンプ
鉄筋が細い上に、その量も非常に少
用語は主にクレオール語で、英語は
を目指し移 動しました。
ドミニカ共 和
ないようでした。特に貧しい人々の家
ほとんど通じません。かつてフランス
国 からハイチまでは、小 型 バスを
はレンガを単純に積み上げたもので、
統 治 下にあったためフランス語も使
チャーターしての移動。10 時間以上
ほぼ壊滅状態。震源地周辺は、道路
日本時間
ハイチ大地震活動報告
(1/13∼2/3)
図1
第3陣
第2陣
第1陣
先遣隊
1月
2月
14
DOCTOR’S NETWORK
3
陣派遣
ブエンサンマリターノ病院
(ドミニカ共和国)
第
2
陣派遣
陣派遣
1
第
第
本隊派遣決定
先遣隊派遣
地震発生
13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 … 3
ハイチアン
コミュニティ病院
写真 1 瓦礫で覆い尽くされた道路
写真2 パンケーキクラッシュ
が れき
が瓦 礫で覆い尽くされ交通網が寸断
し、トリアージされた中・軽症患者さ
化が非常に早い上に、必要なものは
されていました(写真 1)。橋が崩落
んを中心に診察。震災時のケガの後
ラップフィルムだけです。しかし、この
し、人や車は直接川の浅瀬を横切る
遺症により、明らかに四肢の切断が
治療法はグローバルスタンダードでは
ことを余儀なくされていたのです。
必 要なケースが少なからずありまし
ないようで、他国からは批判的な意
私 がこれまでに経 験した地 震で
た。そのほかには、創傷縫合後のトラ
見もありました。小児のガーゼ交換で
は、1 階部分が損壊していても、上層
ブルなどが目立ちます。ハイチアン病
は子どもが 泣き叫び、ニューヨーク
階は温存されていることが多かった
院にある超 音 波 診 断 装 置は使いも
チームの看護師が血相を変えて飛ん
のですが、ハイチでは全てのフロア
のにならず、もちろん CT などもありま
できて、「痛がっているじゃないの! がペシャンコに崩壊していました。こ
せん。携帯用の超音波診断装置が
モルヒネをなぜ投与しないの!」と絶
れはパンケーキクラッシュ現象と呼ば
あれば、診療の質は上がったかもし
叫。処 置をほとんど 終えていました
れ、
この光景を至るところで目にしまし
れないと思いました。その後、ハイチ
が、圧倒されてモルヒネを筋肉注射
た(写真 2)。
入りした第 3 陣は、入 院 患 者さんの
してしまいました。いろいろな分野で、
ポルトープランスでは災害医療支
治 療や手 術などを担当しました。今
お国柄の違いがあることを実感しま
援活動を展開すべく、
カウンターパート
回のハイチでの医 療 支 援 活 動で診
した。
(現地での受け入れ担当機関)を模
察・治療した患者さんは、計 551 人
最後に感じたのは、政府機能の回
でした(図 2)。
復が最も重要課題だということです。
索。OCHA
(国連人道問題調整事務
所)と連携を図るため、ポルトープラン
スの国 際 空 港に設 営された広 大な
いろいろな分野でお国柄の違い
私は、ハイチの人々が一日も早く元の
暮らしを取り戻せるよう祈ってやみま
国 連キャンプエリアを訪 問しました。
日本では、開放創や熱傷に対する
せん。これを現実のものとするには、
OCHA のオフィスを探すのは非常に
密封閉鎖療法が広まっています。こ
各 国 政 府の努 力が不 可 欠だと思っ
困難でしたが、なんとか見つけること
の方 法を用いると肉 芽 形 成や上 皮
ています。
ができ、彼らは宿営地と援助を必要と
している病院を紹介してくれました。
OCHA の 勧 めによりTMAT は、
ハイチアンコミュニティ病院(以下、ハ
イチアン病院)で医療支援活動に当
たりました。ここには、世界各国から
のボランティアグループが集まってお
り、リーダーはニューヨークのチーム。
ミーティングで、ハイチにあった 10 病
院のうち 4 病院が完全に倒壊したこ
とを知らされました。
当初、TMAT は外来部門を担当
現地時間
(2010年1月)
人数
18日 8:00∼14:00
20
18日 19:00∼翌7:00
22
19日 9:00∼12:00
19:00∼翌1:00
20∼21日
22日 8:30∼17:00
10
30
23日 8:00∼17:00
52
24日 8:00∼17:00
午後
(クリニック)
25日 8:00∼17:00
26日 8:00∼17:00
21
13
53
37
29
27日 8:00∼17:00
65
28日 8:00∼17:00
29日 8:00∼17:00
30日 8:00∼17:00
合計人数
65
54
80
551
内訳
開放骨折、
四肢切断術後、
臀部坐滅創に対するデブリ、
大腿骨骨折に対する固定、
頸椎損傷に対する処置
入院患者さんの回診、
骨折患者さんの固定処置、
外傷患者さんの創傷処置手術2件
(腹膜炎および骨盤骨折、
デブリ)
入院患者さんの回診8人、
新規2人
(大腿骨骨折)
回診および外傷の創傷処置、
骨折固定など
ポルトープランス情報収集および移動・設営
男性10人、
女性19人、
術後の患者さんの回診
(主に包交)
外来トリアージエリアで活動、
依然として未処置の新規患者さんが来院
※CPA1件あり。
水が汚いため下痢症状が増えてきた
外来患者さん減少のため入院患者さんの包交・創部洗浄
内科系を中心に診療
外傷に対する包交・洗浄、
内科系疾患が増加傾向
内科系疾患が増加 ※薬目当ての市民増加
手術1件、
手術補助2件
※外来は再診患者さんや震災による疾患と異なる症例が増加
手術3件、
ほか65人の診察
外来診療および全身麻酔6件
外来診療および手術1件、
病院前トリアージ実施
手術
(執刀・麻酔・助手)
15件
図 2 診療人数
DOCTOR’S NETWORK
15
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