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災害医療支援で 感じたこと、学んだこと
TMAT MEMBER'S VOICE 災害医療支援で 感じたこと、 学んだこと 髙力俊策 知らされました。 茅ヶ崎徳洲会総合病院 外科部長 TMATでの主な活動 日々交 渉を繰り返し日 焼けしていくメンバーの勇 2010 年 1 月ハイチ大地震 同年 3 月チリ大地震 タル測 定 から始 める 姿 や、TMAT 事 務 局 の 必要がありました。わ 昼夜を問わない対応など れわれの活 動はある から、医師や看護師が医 言葉について 意 味、押し売りの 医 療 活 動を行うためには、 診療対象が初期の外傷である場 療であり、まずはでき いかに多くのサポートが 合は、学 生 時 代に培ったバックパッ ることから始め、その 欠かせないかを教えられ カー英語でも、それほど支障なく診療 後の活 動 へとつなげ ました。迷 惑をかけた 留 を行えました。ですが、ハイチはフラ ていくべきだと再認識 守中の病院職員や患者さ ンス語、チリはスペイン語で通訳を介 しました。 ん、家族に抱いた感謝の しての診察。後期に徐々に増加した 日常業務への影響 念は、帰国後の日常業務に対するさ 内 科 や 慢 性 期 疾 患、PTSD など へ 言葉によるコミュニケーションが難 らなる精進への意欲となりました。 の対応は、非常に困難でした。 しい 現 地 の 医 師 やスタッフに対し、 私にとって TMAT の活 動は、病 多 国 籍の医 療 団が混 在し、自己 外科処置で技術を見せつけ信頼を 院の垣 根を越えて得 難い大 切な仲 主 張をぶつけ合って活 動 する状 況 獲得していくことで、さらなる活動の 間をつくれ、自分の立ち位置を再認 下では、活動範囲を確保するために 場を得ることができました。日常業務 識でき、周囲に対する感謝、自己反 も交 渉できる英 語 力や医 学 用 語 が での日々のトレーニングこそが重要で 省とスキルアップへの意 欲が得られ 必 須。英 語に対 する積 極 的な訓 練 あって、整形・形成分野で何が自分 る場です。 の必要性を、あらためて痛感させら に足りないスキルであるのかを思い れました。 TMAT の活動姿勢 医 療チームより多 人 数のメディア 池原康一 中部徳洲会病院 外科部長 クルーを伴い、多企業の協賛を受け ながら活動する韓国チームや、オペ 室を奪い合う欧米チーム。人のいい TMATでの主な活動 2010 年 1 月ハイチ大地震 日本 人には足りないしたたかさや力 30 強さ、ずるいほどの自己主張の必要 TMAT への参加もハイチ大地震 性を目の当たりにして、学会発表やメ での医 療 支 援 活 動 への参 加も、本 ディアへの広報活動もTMAT にとっ 当に偶然によるところ。昨年 1 月、当 て大切であることを学びました。 院で TMAT の 災 害 救 護・国 際 協 これまで活動に際し、スマトラ沖地 力ベーシックコースが行われました。 震・インド洋津波では入院患者さん くしくもその 3日前にハイチ大地震が の清 拭、台 湾 921 地 震ではトイレ掃 発生したのです。コース受講は、 「当 除、そしてチリ大地震では ER でバイ 院で行われるから」という受動的な DOCTOR’S NETWORK 理 由 からで、ハイチ 大 地 震に対 す 免れた、おそらく地元では資産家と を完 結できる状 況をつくる手 助けを る医 療 支 援 活 動 への参 加は、当時 いえるような方のご自宅で、その庭先 することではないでしょうか。災害医 四街道徳洲会病院(千葉県) の院長 を貸していただけました。水も十分に 療のようにそのとき、その場限りの援 だった原 野 和 芳・TMAT 監 事( 現・ あり、トイレやシャワーに困ることもな 助ではなく、継 続して行う支 援が必 モーリタニア医務官) に誘われ、断れ く、ただ毎日の災害医療に全力を注 要でしょう。徳洲会は、以前からその ずに「はい」と返事をしたという次第。 ぐだけ、という素晴らしい環境。しか ような活動をしており、この組織の一 私が積極的に希望したものではあり し、現地で被災された方々は病だけ 員として働けることに感 謝していま ませんでした。しかし、この活動を体 でなく、衣食住さえ確保できないとい す。 験できたことは、大きな財産です。 う問題を抱えていました。 お世話になった原野監事は、昨年 ハイチでの活動は、私が初めて体 今回、医療の格差は貧富の格差 医 務 官としてアフリカの貧しい国に 験する災害医療で、 日常の救急医療 でもあると気づきました。日本のように 行かれました。原野監事が医務官と とはまるで違うものでした。救急医療 医 療 資 源が豊 富にある国は、一 部 いう仕事を選択された理由が、少し では、豊 富な医 療 資 源( 人・モノ・ の地域で災害が起きても、国内の別 わかる気がするというのは大げさか 時間など) を、一人の患者さんに与え の地 域から援 助を得られます。しか もしれませんが……。 られるのに対し、災害医療は限られ し、貧しい国ではもともと医療資源が これからも徳洲会や TMATを通 た、あるいは僅かな医療資源を適切 不足しており、国内での相互援助が して、災 害 医 療に携わり続けたいと に分配し、できるだけ多くの患者さん 不可能。他国からの援助に頼らざる 思います。最後に、私の派遣にご協 を助ける。同じ医療でありながらまっ を得ないのです。 力いただきました中部徳洲会病院の たく反対の位置にあると、TMAT の 援助する側も自分が与えたいもの 職員、および家族に心より感謝いた 講義で学んだことを実体験しました。 を一 方 的に与えるのであって、そこ します。 それでも私たちは、恵まれていまし には自己満足の側面があります。本 た。キャンプ地は地 震による崩 壊を 来の援 助は、その国が国 内で医 療 當麻俊彦 八尾徳洲会総合病院 整形外科医長 TMAT、TDMAT での主な活動 2004 年 新潟県中越地震 06 年 インドネシア・ジャワ島中部地震 10 年 ハイチ大地震 ハイチでは銃を持った兵士が警備に りょうが 私は ER 担当と整形外科医として かに 凌 駕 する の経験があるものの、当初、単に“熱 多 数の傷 病 者 意のある素人”として大規模災害の に対処しなけれ 現場に入りました。現在、もはやそれ ばならず、それ は許されることではありません。医療 に は 知 識と経 サービスは、警察、消防や救急隊と 験が必要です。 同様に、高度な指揮命令系統と通信 これまで経験し 体制を構築し、プレホスピタル環境で たことをフィード の経 験も備えていなければなりませ バックし、同じ失敗を繰り返さないよ ければなりません。 ん。もちろん、災害下の混乱した状況 う、さらには効果的な活動が行えるよ 事 故や災 害は、いつでもどこでも の中では、限られた医療資源をはる うに、常にブラッシュアップしていかな 起こり得るものです。身の回りで発生 DOCTOR’S NETWORK 31 したときには、自分が医師としてどう いか、当院では掲示していただけま 少なくなっていますが、折を見てベー 動くべきか、それをTMAT の活動の せんでした。TMAT の活 動につい シックコースを受講し、自身の能力を 中でシミュレーションしていくものだと ては、一部のメンバーに偏っている感 高めたいと考えています。 考えています。 も否めません。もっと皆さんに関心を 最 後になりましたが、監 事を務め 私は、TMAT の認 知 度 がまだま もってもらいたい、もっと多くの医師に TMAT の中心的存在だった原野和 参加していただきたいと感じています 芳先生が、外務省在モーリタニア医 だ高まっていないと感じています。ち なみに、他病院でよく見かけるハイチ (特に整形外科医)。 務官として赴任されました。とても残 大地震の活動報告パネルは、私の力 日々の多忙な診療にかまけて、最 念ですが、残ったメンバーとTMAT 不足のためか病院の関心が低いせ 近 TMAT の活動に参加することが を盛り上げていければと思います。 中村幸司 手で気道確保しながら 鹿児島徳洲会病院 ICU看護主任 の呼 吸 管 理になりまし た。日本なら機 械で呼 TMATでの主な活動 2006 年インドネシア・ジャワ島中部地震 10 年ハイチ大地震 吸回数・様式などを確 認 できます が、ここで は自分の目で注意深く ハイチは第1陣、ジャワ島には第 ことをあらためて学びま 観 察をしなければなら 2 陣 で 参 加。活 動 内 容 は 違 います した。 ず、フィジカルアセスメ が、診察場所の変更やハードな移動 ハイチでは手 術の介 ントの重 要 性を感じま など、目まぐるしく変化する状況の中 助につくことがありまし した。 で、私を含め隊員は自分のことで精 た。しかし、麻酔器が故 このように海外の医 いっぱいになっていました。会 話は 障していて挿管ができないため、鎮 ほとんどなくなり、時間だけが過ぎて 静 剤 投 与のみでの開 腹 手 術に。患 の振り返りができました。自分が院外 いく。ハイチのある夜のミーティング 者さんは処置ごとに声を上げ体を動 で活動できるのは、院内スタッフや、 時、「 君ら、基 本を忘 れてないか。 かし、そのたびに鎮 静 剤を早 送りし 家族のおかげだと深く感じました。諦 CSCATTT( 災 害 発 生 時における て対処。その結果、薬の効果が強く めるのは簡単ですが、やり続けること 現場の体系的対応の略)の S や。S 出て呼吸状態が悪化してしまい、徒 が大事だと思えるようにもなりました。 療 支 援 活 動に参 加し、看 護の原 点 の意 味をもう一 度 考え直 せ。S は安 全を意味する。自分自身の安全もあ るが、隊員全体の意味でもあるんや ぞ。危 険な思いをして帰ってきたの に、お帰りやお疲れさんの言 葉もな く、どうゆうことや」と怒られました。 32 板脇典子 四街道徳洲会病院 看護師 TMATでの主な活動 2010 年チリ大地震 普 段なら時 間をか けてコミュニ 昨年のチリ大地震での医療活動 ケーションを図り、人 間 関 係を構 築 に参 加しました。現 地に到 着した翌 できますが、派遣されるチームのメン 日から、活動場所を探すため震源地 バーはほとんどが初対面。現場で非 近くの町や、津波の被害にあった町 日常 的な生 活を送る中、使 命 感だ へと向かいました。津波が押し寄せ けではなくそれぞれが積極性を出し た町は、海 岸 線 から何 十 mも離れ て全員が共通認識をもたなければ、 た場所にまで砂が打ち上げられ、家 チームとして円滑な活 動ができない も倒壊。その様子は、自然災害の恐 DOCTOR’S NETWORK ろしさを物語っており、言葉ではいい かねません。 があり、その狭間でどうしたらいいの 表せません。 そこで私たちは、救急外来の患者 かを考えさせられました。この経 験 TMAT は、震 源 地に近いカウケ さんのバイタルサインを測定し、診療 を、今後の活動に生かしていきたい ネスの 病 院で活 動を開 始。病 院 の 録に書き込む作 業をしました。その と思います。 半分は地震で壊れており、通常 120 間、現 地スタッフは時 間をかけ 床あるところ40 床しか稼働していま て処置したり、ほかの仕事をす せん。私たちは、通常の業務に戻れ ることができます。実際、来院す るまで援助することにしました。 る患者さんのほとんどが内科系 看 護 師にできることがないかと病 疾患でした。地震によるストレス 棟を視察しましたが、看護にはその で、腹痛や目まいを訴える人が 国の生 活 背 景や医 療 体 制によって 多く、地震の後片づけでケガを さまざまな形 があり、介 入 するのが 負った人も多く来ました。 特に難しい仕事。チリの看護や生活 今 回 のように病 院 で 現 地ス 習 慣について知 識 がない上に、言 タッフとともに働くのは、災 害 医 葉の壁があればなおさら誤解を招き 療と国際協力という2 つの側面 宿営地の設営(チリ) 宮坂善之 湘南鎌倉総合病院 薬剤部主任 TMAT、TDMATでの主な活動 2004年 新潟県中越地震 04~05年インドネシア・スマトラ沖地震 06年インドネシア・ジャワ島中部地震 当 初、「 薬 剤 師に何 ができるの 災地に持ち込む医薬品の管理の徹 か?」という思いがありましたが、これ 底を検討していましたが、 その矢先に まで 3 回の活 動に参 加し、多くの経 インドネシア・スマトラ沖地震が発生。 験をすることができました。 再び多くの医薬品を持参・輸送する 初めて参加したのが 04 年の新潟 ことになりました。結局このときも大半 県中越地震。当時、TMAT の災害 は使用しませんでした。 量を決定しました。ところが、対象とし 救 護・国 際 協 力ベーシックコースな 災害時の医薬品準備については、 て調査した記録は、主に巡回診療の どなく、十 分な知 識・技 能をもたな 一 般 的 に WHO( 世 界 保 健 機 関 ) もので、初期外傷治療などに十分対 いまま被災地へ。そこで感じたのは、 の Essential Medicines Model 応できていないため、見直しも必要と チームが持 参する医 薬 品の問 題で List や Interagency Emergency 感じています。 す。初期は種類・量ともに不足したり、 Health kit で概説されています。そ 06 年のインドネシア・ジャワ島中部 不要なものがあったりしましたが、発 の収載医薬品の種類と量はあまりに 地震では、撤収時に現地スタッフへ 災 後 1 週 間で医 薬 品は膨 大な量に も多いため、TMAT 独自の根 拠に の医薬品・資材物品の申し送りを経 なりました。これは、各自が使い慣れ 基づくリスト作成を検討しました。 験しました。2 度の海 外 活 動で得た たものを持ち込んだことが原因。そし 新 潟 県中越 地 震の 1546 件と、ス 経験の 1 つに、医薬品外箱表記の問 て、最終的に使用した医薬品は限ら マトラ沖地震の 309 件の診療録を精 題があります。約 7 割の医 薬 品は日 れたものでした。 査し、頻用医薬品 20 品目と発災後数 本語のみの記載で、現地スタッフが 活動終了後、数人のメンバーで被 日間で 1000 人くらいに対応できる数 内 容を理 解できないのです。現 状、 DOCTOR’S NETWORK 33 成分名などを英語で記載したラベル を貼付して対処していますが、国際 支援を行う上で大きな問題と考えて います。これまでの経験を踏まえ、今 後は湘南地区が被災した場合の対 策について、地域の薬局や病院と連 携することも考えています。 最後に、これだけの貴重な経験が できたのは、職場や後方支援をして くれた方々のおかげです。感 謝して おります。今後、発災時には、迅速か つ有効に対応できる体制を築いてい きたいと考えます。 ハイチでの第 1 陣と第 2 陣。引き継ぎ後、1 陣は 2 陣に見送られて帰国の途に 貴島幹三 2010 年ハイチ大地震での診療 松原徳洲会病院 栄養科主任 TMATでの主な活動 2010 年ハイチ大地震 私 は 過 去 に、陸 上 自 衛 隊レン ジャー課程のある第 1 空挺団に在籍 していましたが、災害派遣の経験は ありませんでした。海外の大規模災 感。極限の状態で自分の実力を知る、 害地での医療支援活動は、もちろん いい機会だったと今は思います。活 初めてで、そのときの気持ちの高ぶ 動経験の豊富なメンバーからのアドバ りを今も忘れることができません。正 イスや叱責などで、悔しい思いも数え られないほどしました。「まず経験し 直、足手まといになるのではないか、 管理栄養士に何ができるのか、とい と思います。その考えが多大な迷惑 なければ始まらない」、「走りながら考 う不安が大きかったのです。ハイチ をかけることは、TMAT の災害救護・ えて行動する」。当たり前のことです の空の下では、無我夢中で駆け回っ 国際協力ベーシックコースで教えられ が、しっかりと再認識できたのが、一 て……、目の前の人を助けたい、何 ていました。今回、一番気を使ったの 番の学びと感じています。 かしなければ。その思いだけでした。 は安全な水の確保。食器を洗う場合 災害医療と隊員の健康管理の重 しかし、自分が体を壊せば医療支 も、ペットボトルに入った水を利用しま 要性を踏まえ、栄養部会全体として した。 ベーシックコースの修了者を増やした 援どころではありません。私の仕事は 34 隊員の食環境を整えること。特に食 刻一刻と状況が変化していく中で、 いと考えています。そして、さらに貢献 中毒で活動できなくなることは、絶対 うまく動けたとはいい難いのが現 状 ができるように努力したいと思います。 に避けなければなりませんでした。食 です。各国チームとTMATメンバー 派 遣を承 諾していただいた病 院 四 中毒……自分だけは大丈夫だという への自己アピールや決断のスピードな 役、支援してくださったスタッフ、さま 気持ちをもっている人が意外に多い ど、全ての面で未 熟だったことを痛 ざまな方々に深く感謝します。 DOCTOR’S NETWORK 感謝の声 駐日ミャンマー大使 ラ・ミイン閣下からTMAT へのメッセージ(2008 年) サイクロン「ナルギス」の被災者の 被災した地域を訪れ、25日には TCG 救援と復興にご支援をいただき心よ (ASEAN、国連、 ミャンマー政府の 3 り感 謝いたします。ナルギスは 2008 者による協議)の調整により、ヤンゴン 被災者は短期的長期的計画の下 に寄せられた寄付は 5870 万円に達 しました。 年 5 月2 ~ 3日、ヤンゴンの 40 の町と で ASEANと国連の会議が開かれ、 で、家や農業用と漁業用の機械を供 エーヤワディー管区の 7 つの町を襲 51カ国と24 の国連組織、国際復興 給されています。橋、道路、学校、病 い、13万人以上の死者と行方不明者 開発銀行(世界銀行)やアジア開発 院などは現 在 建 設 中です。強 固な を出し、250 万人の家を奪い、4000 の 銀行、22 の NGO(非政府組織)が参 シェルターの建設や沈没したボートを 学校、80%の保健関連施設、60 万 ha 加しました。この TCG はミャンマーに 引き揚げる計画におけるJICA(国際 の農地を破壊しました。 おける支援活動の調整や管理を行う 協力機構)の調査も始まっています。 サイクロンのすぐ後、3日には内閣 機関です。 多 大なご支 援をくださった日本 国 の緊急会議が開かれ、サイクロンの 日本からは 18日、外務省の木村仁 政府と国民の皆さん、TMAT の皆さ 被 害を受けた町それぞれに担当大 副大臣がミャンマーを訪れ、日本政府 んにあらためて厚くお礼を申し上げま 臣が任 命され、首 相 管 理の下に国 に代わって 1 億 700 万円を寄 与して す。このことは忘れられることなく心に 立 防 災中央 委 員 会が設 立されまし くださいました。続いて国 連を通じ、 残り、友好的な関係は一層深まってい た。ASEAN( 東 南 アジア 諸 国 連 総額 3100 万 USドルの支援もいただ くでしょう。現在被災地で行われてい 合 )の諸 外 相は、被 災 者に対 する きました。また TMATを含む NGO、 る活動に、引き続き支援をいただけま 人 道 調 査 特 別 委 員 会を設 置しまし NPO、政府関係者、国会議員らも被 すことをお願いいたします。 た。国連事務総長は 22日と23日に、 災地を訪れました。ミャンマー大使館 TMAT のハイチ支援活動に感謝状 2010 年 3 月27日に 幕 張メッセ 国 ATの医療支援活動に謝意を表する 一 翼を担う必 要があると考えていま 際会議場(千葉県)で開催された徳 とともに「ハイチへ人道支援をしてく す。これからもTMATを支援してい 洲会グループ医療経営戦略セミナー ださった徳田虎雄理事長には、心か ただきながら、皆で世界へ最善の医 の懇親会の席上、ハイチのジャン・ク ら感謝いたします」と話した。 療を届けられるグループにしていきた ロード・ボード駐日臨時代理大使か 代 表して 感 謝 状 を 受 け 取 った いと思います」と語った。 ら、TMAT のハイチにおける医療支 TMAT 理事長の徳田哲・徳 援活動に対して感謝状が贈られた。 洲 会 副 理 事 長は、「TMAT クロード・ボード臨 時 代 理 大 使 がハイチで活 動できたのは、 は、「ハイチ大地震の被災者に対し 日本に残った徳洲会グループ 名 誉ある医 療 活 動をされたことは、 の全 員が全 国の施 設を支え TMAT の国際医療協力という長い ていたからです。いつでも、ど 歴 史の 1 ページに刻まれるでしょう。 こでも、誰でもが、最 善の医 ハイチ国民を代表して、支援いただ 療を受けられるような社会にし いたことに御礼申し上げます。ありが たいという理事長の思いを世 とうございました」と挨拶。それに先 界の国々に届けるためには、 立つセミナーでも大使は登壇し、TM TMAT のような組 織 がその 感謝状を贈られた徳田・TMAT 理事長とクロード・ボード臨時代理大使 DOCTOR’S NETWORK 35