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第一部「お母さん、それは悩むことではありません」

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第一部「お母さん、それは悩むことではありません」
年1回の森の講演会。
今年で4回目。
今年の講師はどなたにしようか?
私の一押しは柴田愛子さんしかいなかった。
子育ては迷いの連続である。
子育てはわからないことだらけである。
なので、私は書籍に答えを求めることが多い。
その中で、直感的に
「この人の話を信じたい。この考え方が好きだ」
という方に出会う。
柴田愛子さんも
そういう思いを感じさせてくれた人だった。
12月7日金曜日。
最高気温が10度という寒い寒い日だったが、
幸い好天。しかも風はほとんど無い。
やった!これなら、そんなに寒くない!
天気も見方をしてくれた!
今年も記録係としてお話しをメモしながら聞いていた。
お話が進んでいく中、メモを取りながら、
今までにはない違和感があった。
その違和感がなんなのか、途中でわかってきた。
「このお話し、ただ単に記録しても、この楽しさは、全然伝わらないぞ~」
そう、後でふと気付いたのだが、愛子さんのお話しは、まるで「落語」なのだ。
落語の筋を、要点をかいつまんで書かれてもまったく面白くもなんとも無い。
だから落語の本は落語家が話している言葉を一言一句全て書き記してある。
読み手はそれを読みながら、その落語家の声、口調、表情、身振り、手振りを想像しながら読む。
そうすると、噺家が頭の中でちゃんと落語を噺す。だから、文字を読んでも面白い。
さて、愛子さんのお話し、
どこまでこの雰囲気を伝えられるような記録が書けるのか・・・・ま、無理だな、こりゃ、
と、お話しを聞き始めて20分ぐらいであきらめた(笑)
含蓄あるお話し、気付かせてくれるお話し、やっぱりそうなのか、と思わせてくれるお話し、
たくさんのお話しをしていただいたが、とにかく、楽しかった。なによりも、お話しを聞いていて楽しかった。
これが、感想の一番。本当に愛子さんに来ていただいてよかった、と心から思った。
これなかった方には申し訳ないが、
この記録では、その楽しさは残念ながら伝わらないだろう。
その楽しさを知りたい人は、愛子さんのお話を聞いてください(笑)
本を読むこともお薦めします。
でもね、落語も講演会もやっぱり「生」です。
故古今亭志ん朝師匠がお亡くなりになった時、
今は故人である立川談志師匠がこう言った。「噺家は芸も一緒に天国にもって言っちまう・・・」
そう、その人がいなくなると、芸もこの世からなくなるのだ。
記録は残る。確かに残る。でもそれは、単なる記録。
芸や話しの面白さが伝わるのは、生にはかなわない。
と、ここまで言えば、私の記録で面白さが伝わらなくても、許してもらえるでしょう(笑)
第一部「お母さん、それは悩むことではありません」
寒い寒い日にもかかわらず、
森に集まってくれた母たちはなんと100人以上!
過去最高の人数!本当にありがとうございました!
母たちに囲まれて、場の雰囲気をみながら、
愛子さんがポツリポツリと
笑顔で語りかけはじめてくれた・・・。
○ 子どもに「させよう」としすぎている?
子どもに「何度言ってもできない」と悩む親は多いんじゃないかしら。
では、ネコにドアを閉めなさい!と言ったら閉める?
子どもはまだまだ人間以前の動物に近い存在なの。
そんなに急いで「人間にしよう」としなくてもいいんじゃないかと思うの。
子どもは自分の力で人間に成長していくもの。
何度言っても出来ないことは、この際あきらめましょう。
○ 愛子さん自身、保育のあり方に迷い続けた人生
「子どもの心に沿う」と言うことを大事だと話していますけど、
どうしてそう思うようになったのか、
私の経験から話し始めましょうか。
20代で最初の幼稚園に勤めたの。
そこは要は普通の一般的な幼稚園。
ワークブックがあったり、壁には「かわいらしいモドキ」の絵が貼ってあったり、
「トントンまーえ」と言って並ばせたり・・。
私ね、こういうのって、なんか文字通り「子どもだまし」みたいで、なんか好きじゃなかったのよ。
大人が勝手に「子どもが喜ぶであろう」とイメージしたものとでも言うのかしら。
壁にお花や落ち葉の絵を貼ったりするでしょう?
どうして貼るんですか?って、園長聞いたのよ。そしたら、
「季節を感じるためですよ」だって。「季節なんて、外で感じろ!」と思たっわよ(笑)
どういう保育がいいのか、保育のあり方に迷って、
昔はおおらかな時代でしたね、近所の夜間大学にもぐりこんで(笑)
改めて保育の勉強をしたの。大学って、フラフラっと入れちゃうのよ。
そんな生徒?なのに、なぜかある教授に気に入られちゃって(笑)、
たくさんの勉強会に連れて行ってもらったの。
保育についてのいろんな考えに触れた。
こっちを聞けば、フムフム、そうねえ。あっちを聞いても、フムフム、そうねえ。
どれもこれも「これがいい」「これが正しい」という理論や考え方がたくさん。
いろいろな考え方に触れて、
ますます、わけがわからなくなっちゃった。
だからね、
「あなたの子育ては?」
なんて、皆さん聞かれても、分からないでしょう?
だって、数年ぐらいしか子育て経験が無いんだから。
2歳ぐらいは、どんな子でも
「この子、天才じゃないかしら?」と思うようなことがあるのよ。
そうすると「この子のために、なにかやらせた方がいいかしら・・・」
と思ったりするでしょう?
いやいや、子ども時代は思いっきりあそんでいれば大丈夫!と思って、いっぱい遊ぶ時間をとっても、
本当にこれだけで大丈夫なんだろうか・・・って悩んだりするでしょう。
親になってまだ数年。わからなくて当然、悩んで当たり前。
だから、私も、
「どんな保育がいいのか?」
「保育はいろんな考えが多すぎてわけがわからない」
といろいろ聞いたら、とまどっちゃって、
分からなくなって、5年で最初の幼稚園を辞めちゃった。
それで、今度はOLに転身。
OLは保育者と全然違います。
まず、職場がきれい(笑)そして、服がきれい(笑)さらに、給料がいい!
でもね、なんか飽きちゃって、OLもやめたの。
そして、また地域にある幼稚園に務め始めたの。
今度は制服がある幼稚園だった。
制服は結構考えものでね、子どもの表情からしか子どもの様子が読めないので、個性を掴みづらかった。
着ている物も個性が出るの。ここもなんか馴染まなくて、また5年でやめた。
ここまでの保育経験、通算10年。
その中で、わかってきたこと。
「こうすれば、こう育つ、
こうすればいい、これが正しい、
という考え方は無い」
これが結論。
どの人の話も、なるほど、と思う。
どれにも一理ある、と思う。
それなりに権威があると、なおさら「なるほど~」
と思ってしまう。
でもね、どの方法も魔法じゃないの。
これだけやってれば大丈夫、なんて方法はない。
正しいものなんて、ないんじゃないの?
と思い始めたの
時代によっても相当考え方が違います。
産湯:昔は生まれてすぐに必ず入れたものです。
でも今は、急激な体温の変化があるといって、入れない
らしいのよ。
あせも:昔はシッカロールをつけたわね。
今は、汗腺が詰まるからと言って、つけないの。
でもね、今、汗腺が詰まって大変な人、ここにいます
か?(笑)
抱き癖:昔は泣いても抱き癖がつくと言って、
すぐに抱かなかった。
今は、抱いても癖にならないし、
むしろ子どもの心を落ち着けるから抱いた方がいい、
とも言われている。
虫歯菌:離乳食が面倒くさければ、
自分の食事を噛んであげちゃえばって、言ったの。
そうしたら「虫歯菌が移るから、出来ません!」って言われて。
私、歯医者さんに言って聞いたの。虫歯菌って、うつるの?って。
本当にいるらしいのよ、虫歯菌。
でもウィルスと違って感染するものではないから、
大人が噛んだ者を子どもにあげて、
すぐに虫歯になるわけじゃないらしいわ。
ゆびしゃぶりにいたっては、
歯医者さんは、出っ歯になるとか、あごの形が変わるとか、いうらしいの。
ある専門家に聞くと、愛情不足では?と言われてしまう。
そういわれるとねえ、親としてはどこか心当たりがあるから(笑)
「ごめんね~」と思ってしまう。
最初は許そうと思うけど、でも元々気になるから、
そのうちやっぱり我慢が出来なくなってくる。
最近の専門家に聞くと、子どもが安心するならしゃぶっててもいいでしょう、と言っている。
もう、何がなんだかわからないわけよ(笑)
思わず、多数派の人が支持することが正しいと思ってしまいがち。
後で困るんじゃないか、違っていたらどうしよう、と思ってしまうでしょう?
でも、正しいことなんてないのよ。
それならば、子どもが元気に育っていればいいんじゃない?
子どもが機嫌よく、私も機嫌よく、でいいんじゃないか、って思うの。
国によっても違うことがいっぱいあるみたい。
タンザニアの旦那さんと国際結婚した人が、生まれたばかりのこの手を持ってぶら下げて、
ブラブラ振っていたの(笑)
周りのみんなは、肩が外れるから、やめなさい!って言うじゃない?
でも、タンザニアにいる旦那さんから、
子どもの手を握って、ブラブラ振れって言われているんだって。
タンザニアでは大事な習慣らしいの。
そうしたら、乳幼児健診で
「どうしてこんなに腕に筋肉がついているのか?」って、聞かれたんだって。
周りの子に比べて、腕の筋肉があるから、
ジャングルジムもガンガン登っちゃう(笑)
幼稚園に行ったら、危ないから、そんなに高く上っちゃダメ!とか先生に言われるらしいの。
ほかの子とは腕の力が違うから、登れちゃうだけなんだけど。
話がそれるけど、
最近はジャングルジムに色がついていて、何歳はここまで、
ここから上は何歳、とか決まっているところがあるらしいの。
決めるのは子どもなのに。遊具が遊ぶためにあるんじゃなくて、
ルールを覚えるために、遊具が使われているの。
絶対おかしいよね?
そして、旦那さんの故郷に行ってみてわかったの。
タンザニアでは、遠くの水場まで20分歩いて、
必要な水を汲んでくる。一杯のバケツで体全身を洗う。
これが出来ないと、タンザニアでは生きていけないの。
この力をつけるために、子どもの時から腕力が必要らしいの。
だから、生まれた時から腕力を鍛えるのね。
子どもをブラブラ振るのがタンザニアの常識。
日本とは全く違うことが、大事にされている。
日本で必要とされる「力」は
「知力」に偏りすぎているように思う。
日本の地域によっても考え方の違いがあるわね。
「公園の水のみ場で子どもが水遊びを始めた。さて、子どもを止める?」
関東近県では、「止める」が圧倒的に多い。止める理由はなんですか?
「服がぬれちゃうから?」
でもね、服は乾きますよ~(笑)
そんなに困ることかしら?
他に止める理由は?
「周りの人にご迷惑だから?」
でもね、周りの子どもはご迷惑ではないです~
むしろ喜びます(笑)
確かに子どもの後ろにいる大人にはご迷惑でしょう。
親は、子どもが嬉々としている顔はちょっと見逃して、
周りの人の目が気になってしまう。
親は、子どもの顔よりも、周りの人の顔を見ながら、
気にしながら育てている。そんな社会なんですね。
これが関西になると、
「止めない」が圧倒的に多い。
止めないは、
「公共の水でしょ?うちの水は大切にしてね」だって(笑)
関西以西は止めない傾向が強くて、
静岡あたりは半々らしいの。
ね、自分が思っている
「子どもにこうしなくちゃ」ということは、
地球上の、日本の、せまいせまい一点の常識に過ぎないの。
国によって、地域によって様々。
専門家の言い分も様々。
専門家の専門はせまいの。
狭い範囲のことに詳しいから専門家。
世の中のこと、人間のことはわからないことや、わかっていな
いことだらけ。
専門家の言うことが全て正しいと思わないほうがいい。
やってみて、合わなかったら、パスすればいいの。
専門家の意見や考えに合わないわが子と自分が悪いわけではない
の。
自分に都合よく選んでいけばいいと思うの。
親は頭で子育てしているように思うの。
食べ物にしても、喜んでいるか、喜んでないか、ではなく、
親が必要だと思う食べ物を口に突っ込んでいない?
食が細い子は食が細い。いっぱい食べられない。
食べない子がいたら、食べなくていいんじゃない?
燃費がいいって思えばいいの。
親ががんばって食事を用意したのに、食べてくれない。
要は、親のがんばりを受け入れてくれない子どもに頭が来ちゃう。
頭で子育てしてもだめ。
子どもが元気ならいい、と思えばいいのではないでしょうか?
何歳になったら何が出来るはず、という考えも同じ。
情報のものさしで子どもを計ってしまうのね。
早いと無条件でうれしくなってしまうでしょう?
でも、なぜか遅いと不安になってしまうのね。
10ヶ月で歩くと「すごい!早い!よくなったね!」と周りの人みんなで喜ぶでしょう?
でも1歳9ヶ月で歩くと、「やっと歩いた。心配かけてまったく!」って、喜ばない(笑)
オムツはずしも同じね。
お尻たたいても、トイレに閉じ込めても、子どもの膀胱は育ちません。
ちょっとぐらいオムツが取れるのが遅くなったって、
小学校にオムツして行く子なんていないんだから。
「おう、お前、オムツ何歳に取れた?」
なんて、小学生同士の話題にもならない(笑)
その子なりのペースではずれれば問題ない、と思いましょう。
ちょっとしたことでも、自分の成長を喜ばれて育つか、
みんなはできているのに、なんであんたは出来ないの?
と言われて育つか、
子どもにとっては大きな問題なんです。
子どもが自分を「よし!」と思う気持ちが全然違う。
否定されて育つと自己肯定感が薄くなります。
自分に自身がもてなくなっちゃうのね。
保育について一生懸命勉強したけど、
結局どれも、大人の言い分ばかりじゃないかと思ったの。
どういう子に育てたい。
誰が?社会が?先生が?大人が?
元気で、明るく、たくましく
集中力があって、協調性があって、やる気があって
お題目は確かにいいし、聞こえもいい。でもちょっと待って。
これは大人の気持ちばかり。肝心の子どもはどこにいるの?
子どもはどう育とうとしているのか、子どもはどう感じているのか、誰が見ているの?
なので、私は「子ども」に原点をもどしてみたの。
しかも、「子ども」と言われる集団ではなく。
子どもはそれぞれ違うことが多いでしょう?
だから、「目の前のこの子」に集中してみたい、
「目の前のこの子」をもっとよく見てみよう、と思った。
これが、幼稚園に10年勤めて、OL数年やった後で
りんごの木を始めるときに大事にしようと思った思い。
いろいろ長続きしなかったけど、「目の前のこの子」をもっと
よく見てみよう、
という思いの保育は30年続いています。
○ 「子どもの心に沿う」とは
「目の前の子」をもっとよく見て、
「子どもの心に沿う」ということは、
実は生まれてすぐ~乳児の間、
親や周りの大人はみんなやっていることなんです。
子どもが泣いて何かを訴えるでしょう?そうすると、
お腹すいたの?おしっこが出たの?暑いの?寒いの?眠い
の?
と必死になって子どもの気持ちを確かめようとするでしょ
う?
子どもの心に沿う、とは、
子どもの気持ちを大人が言葉にしてあげること。
「お腹すいたねえ」「眠いねえ」
「痛いねえ」「おしっこが出て、気持ち悪いねえ」
乳幼児期は、無意識にやっています。
ところが、子どもが言葉を覚えると、とたんに「ちゃんとしゃべりなさい!」になるのよ。
子ども「お水!」
親「お水、ください、でしょ!」
泣く、笑う、体をばたばたする・・・・
子どもは言葉を覚えても、まだ気持ちをうまく表現できないから、
体全身で感じていることを表現しているの。
特に「泣く」は、心に直結する表現。
感情や体験が言葉と結びつくのは4歳からようやく始まる、と言われています。
せっかく、子どもは顔の表情や行動で気持ちを訴えているのに、
言葉が話せるようになると、
まわりの大人がだんだん顔や表情を見なくなってくる。
泣きじゃくっている子どもがよく言うでしょう?
「あのね、あのね、あのね・・・・」
って、気持ちが言葉にならない。
そんな時、親は「あのね、じゃわからないでしょう!」
って、自分の気持ちが分からないから泣きじゃくって
「あのね・・・」しかいえないのにねえ・・・
こどもは歩くのが下手でしょう?
その姿を見て、大人は思わず
「あぶない、あぶない!」「ほら、転ぶよ!」
って言いますよね。
でも、子どもはそんな言葉、全然耳に入っていない。
歩けるのがうれしくって、しかたが無い。
で、やっぱり、転ぶのよね。
さて、転んで泣いている時、子どもはどう思っているか?
「お母さんの言うとおりにしなかったから、転んじゃった」
「まだうまく歩けないのに、走ったから転んじゃった」
なんて、思っている子、いると思う?(笑)
「だから、いったでしょう」「さっさと立ちなさい」
なんていわれても、全然心に言葉が届くはずがない。
「転んで痛い~!」でしょ、子どもの気持ちは。
だから、大人は「痛かったねえ」でいい。
「痛くない、痛くない」って、言われても、痛い時は痛いのよ(笑)
だから、「痛かったねえ」でいいの。
泣き虫な子はずっと泣き虫なの。
大人でもすぐ泣く人、いるでしょう?
「いつまでも泣いてない!」って言われるけど、
どうして子どもだけ泣き虫はいけないの?
心の中がぐちゃぐちゃで、わからないから泣いている。
感情が大揺れになっている時は、気持ちは言葉にならない。
泣いて治まるから、泣くしかないから泣いている。
本人の気持ちが「治まる」ことが大事なのであって、
人が「治める」ことではないんです。
なき方もいろいろあります。
怒っている泣き方、悲しい泣き方、体調がわるい時の泣き方、
それぞれ様子が違います。
その様子を感じ取って、
「怒ってるんだね」「悲しいんだね」「お腹が痛いね」
って、声をかけるのが大事。
原因なんてどうでもいい、気持ちによりそう。
そうすると子どもも「うん、うん、うん」とだんだん治まってくる。
大人はせっかちだから、すぐに原因を問いただしたくなります。
でも子どもは感情ありき。原因なんて分からない。
どうしてか分からないけど、
怒っちゃう、悲しくなっちゃう、お腹が痛くなっちゃう。
だから、泣いちゃうし、泣くしかない。
大人はすぐに原因を指摘するの。
「あなたが、○○したからでしょう!」とかね。
でもそんな言葉で子どもの感情は治まりません。
逆の立場になって考えてみると、すぐ分かります。
母親が台所で料理中、ちょっとした手違いで、包丁で指を切ってしまった。
「痛い!やっちゃった~。」と思っているときに・・・
「お母さん、ぼやっと、してたね?
それが悪いんだよ~。やっちゃったね~。大丈夫、大丈夫、
そんなの、痛くないよ、舐めときゃ直るよ」
なんて子どもに言われたら、はっ倒したくなる(笑)
「お母さん、大丈夫?痛かったね?バンドエイド持って来ようか?」
なんていわれたら、思わず涙して子どもを抱きしめちゃうでしょう?
子どもも、して欲しいことは同じです。
○ 言葉より、行動の方が感情をすばらしく表していることも多い
母親は自分の感情に無防備に子どもにぶつかっているって、思いません?
頭なんて通っていない。心で感じたことが、すぐに口から出ちゃう。
そういう時は、誰にも見せられない顔で
子どもにぶつかっているでしょう?
私ね、親が怒っている顔の写真集を出したいと常々おもっているの(笑)
それを見れば、自分だけじゃないんだって、みんな安心するでしょう?(笑)
でもね、なかなかそのチャンスに写真を撮れないのよね(笑)
子どもは自分の付属物的な、無防備な関係のことが多いです。
親の願いはいろいろあります。
たくましい子に育って欲しい、とか。
でも、そういう思いは、実は子どもにご迷惑です。
子どもは、子ども自身が言った言葉通りに
実は思っていないことも多いです。
そして、子どもは「言葉」を聴いていません。
だから、言ってもムダ。何を見ているか、感じているか、というと、
親の「表情」と「態度」です。
母が疲れている様子、子どもはよくわかっています。
子ども達に、お母さんの機嫌って、分かる?
と聞くと「分かる!分かる!」と言います。
何でわかるの?と聞くと、今日は顔の表情が違うな、声のトーンが違うな、すぐ怒るな・・・・
とか、言葉ではなく、表情や態度から感じ取っているんです。
言葉よりも、顔の表情や体の表現、行動の方が
感情をすばらしく表していることが多いです。
これは、子どもも同じ。
言葉だけに頼らないで、子どもから出ているサインを読み取りたいですね。
例えば不登校の場合。
言葉で「学校に行きたくない」と言う前に、必ず、態度にサインがでます。
・食欲がなくなる
・笑顔が減る
・玄関で靴を履く時間が長い
・もどし始める
全部、態度に表れる。
実は「学校に行く?」と聞くと「行く」というケースが多い。
先生は、引きずってでも着てください、くればどうにかなる、と言います。
そういう子は、確かに学校へ行けばどうにかがんばっちゃう。
確かに、どうにかなっているように見えるんだけど、
本人の辛さは、全く何も変わっていない。
だから、余計につらいんです。
「学校に行きたくない」と言えない、言わない、けど、
心の底では行きたくない。
そのサインが出ているはずなのに、
そのサインと気持ちを受け止められないと危ない。
子どもは、言葉で自分の事情を言えません。
実は、人間はみんなそうかもしれません。
特に子どもはそういうものなんです。
元気ならね、放っておけばいいんです。
なんか変だ、元気が無いな。
これが1週間も続いたら、その時おかしいと思えばいいんです。
子どもの中に何かがあると、
なにかしらサインが出ます。
そうではなく、子どもを見ないで、「こう育てないと」と思っていると、そのサインを見逃します。
子どもは教えなくても、人間の子に育ってきます。
人間に育つ能力を自分自身で持って生まれているんです。
○自分がやりたいことはキラキラしている
今、自分が育つために必要なこと、
やりたいことは、目の前でキラキラしている。
そのキラキラしたことをとことんやり抜いて、
卒業して、次のキラキラへ行く。
指が一本だけで動くことがうれしくてたまらないと、
スイッチをパッチン出来るのがうれしい。
ところ構わず、スイッチと言うスイッチを押しまくる。
親指と人差し指でつまめるのが楽しくなると、
ティッシュが最高。何枚でもつまみ出す。
私はティッシュに「最高のおもちゃ」と書き込みたいぐらい(笑)
もったいない、と思うでしょう?
でも、出し続けても最高2箱ぐらいよ。
5箱やり通す子はなかなかいない。
2箱つまみ出せば、もうキラキラしないの。
水をこっちの器から、あっちの器に移すのがうれしい。
これもよくやるわよね。家の中が水浸しになるから、大人はすぐに止めたがる。
「いたずら」や「いやがらせ」にしか見えないことを
やめさせるのではなく、やりたいことをとことんやれる環境を
作ってあげることが大事。やめろ、と言っても、やめないんだから。
お水遊びにはまったら、お風呂場でとことんやれるようにする。
どろどろ遊びが大好きだったら、汚れてもいい服でとことんあそべるようにする、とかね。
何か「はまっている」ことが出たら、やれるところで、とことんや
ると、早く卒業する。
だから、すべり台を下から上ることがキラキラする時もあるの。
その時は、普通にすべることなんて、全然興味が無いの。
基本的にうれしいと人は跳ねる。
集合住宅でドンドンするな!と言っても、うれしいとはねちゃう。
バレーボールの選手も点が入ると跳ねまくっているでしょう?
跳ねるな、は喜ぶな!と一緒。
今自分にとって必要なこと、キラキラしていることは
子ども達は自分で見つけてきます。与えられるものではありません。
○ 自分の人生を子どもに接ぎ木しない
自分の子どもだから、ちゃんと育てなくちゃ、
って思ってしまうもの。でも、私は私らしく生きているから、
なにか私から持っていってください、でいいのでは?
子どもが何を糧に育っているか、
実は親は保証できないし、責任も持てないんです。
なぜなら、親が「育てよう」とする力よりも、
子どもが「育とう」とする力の方が圧倒的に強いから。
ご飯食べさせて、寝てもらって、泣いたらたまにそばに行って、
親がやることは、それでいいんです。
もっと大人が素直に生きていい。
子どもは今を生きている。
大人は先を見てしまう。
大人も、今を生きて欲しい。
自分の人生の主役は自分。
あなたの人生を子どもに接木しないでくださいね。
日本最初のプレーリーダーである天野さんの有名な言葉を送ります。
子どもは悪(AKU)である。
A:あぶない
K:きたない
U:うるさい
どれか一つでもかけても、子どもではなくなるんです。
それが、子どもなんです。
子どもは自然物。
意のとおり大きくなっていきません。意のままにしようとすると、
形ばっかりの、人間の心をなくしてしまったマネキンみたいになってしまいます。
子どもは一人で生きていけない危機感をみんな持っています。
保護してくれる、守ってくれる、と言う人が確かにいる、
と言う安心感がある気持ちが健康な心。お母さんが怒ると怖いの。
なぜなら、棄てられるかもしれない、と思ってしまうから。
子どもを怒ってしまっても、
「大丈夫、棄てないからね」と言えばそれでチャラ。
怒ることもしょうがない。そして子どもは、元気そうなら、それだけで、よし。
子どもの遊びは子どもにまかせておけばいい。
子どもは勝手に育っていくから。
質疑応答コーナー
母
寒い日でも半そで短パンの次男がいます。
慢性疾患をもっているので親としては心配。
やりたいように、やらせていいものでしょうか?
愛子さん
本人が自分から、暑いから要らない、ならいいと思う。
暑いなら暑い、寒いなら寒いと言うから。
でも、誰かに憧れて無理をしているなら、ちょっと話しは別かな?
憧れの人と話しができるなら、理由を聞いてみたり、話したほうがいい。
ところで、ぬれると風邪を引くのは本当でしょうか?
確かに短時間に体温が下がると風邪はひくらしいです。
りんごの木では雨の日でも外で遊びたければ、外で遊ぶので、ぬれます。
そんな日はお風呂に入ったり、暖かいものを食べたりすると、大丈夫。
これでみんなで風邪をひいた、と言うこともありません。
母
6歳と3歳の娘がの兄弟げんかが日常です。
3歳の子をかばうと「どうして妹ばかり!」と上の子に言われ、
どっちの気持ちにも寄り添うのが難しいのですが・・・。
愛子さん
兄弟げんかは原因があってなきがごとし。
親が事情聴取して裁いても、子どもからすると、何が正しい、正しくない、ではなく、
「親はどっちにつくのか?」しか考えない。
そして上はたいてい「やっぱりあっちか・・・・」となる。
これは兄弟が親の愛情を奪い合う関係になる。そして、兄弟の仲が悪くなります。
では、どうしましょうか?
けんかは、見ていないのがいちばんいい。
ケンカが始まったら、どっか行っちゃいなさい。
どうしても何か言いたいのなら、
「もうけんかやめて」「ママ、けんかきらい」「けんかしているなら、ママは出て行きます」
など、裁かない声かけが一番いいと思いますよ。
ちなみに、子どもをしかる場合の理由
8割:大人が自分の思い通りにいかない 1割:大人が対面を気にする
ほとんどが、大人の事情。
子どもに八つ当たりする時もありますね。
たいていの場合、第1子に八つ当たりする。
第1子は第2子に八つ当たりする。
第2子は第3子に八つ当たりする。
一番下の子は泣いてママに抱きつき行く。
これがちゃんとまわっているなら、実はその家族は健全。
誰かが我慢すると我慢した人が壊れる。
ありがたいことに、家族は八つ当たりが出来る関係。
それぞれが受け止めあう関係が回っていれば、
ケンカに関わらなくっていい。
このサイクルに、たまに父も入れてあげて(笑)
母親が父親に八つ当たりする、
父親は外で飲んで憂さばらしする。我慢しないのが大事ですね。
母
子どもの気持ちを聞いているつもりなんですが、
「どうせ言ったってムダだし、どうせ聞いてくれないし」
と小学生の娘に言われてしまうんです・・・・。
愛子さん
「私のこと、わすれてません?私のことみててよね!」
と言っているだけですよ。
「お母さん、ちゃんと見てるよ!」
って言ってあげましょう。
「あたしのこと好き?」と聞かれた時、
守って欲しい人に確認せざるを得ない心情にあるのでしょう。
「大好き、大好き、大好きだよ!」
「聞く聞く聞く!」
って、多少芝居かかったぐらいに言ってもいいですよ。
もう少しお子さんが大きくなって、
思春期に入った場合、
子どもの本音を聞こうとしたら2時間用意しろといわれています。
心が開くまで時間がかかるんですね。
そして、4年生は過渡期と言われています。
親の価値紺をぶっ潰してのり越えていく時期。そんな時期は多く望んではいけない。
まあ、生きていればいいか、ぐらいでいい。私は一応、すてないから、ぐらいでいい。
親も子を選べない。子も親を選べない。
親も子も選ばずして選んでます。お互いに取替えが効きません。
まあ、宝くじに当たった、と思ってください。
子どもだって、親の「少々難あり」を引き受けているから、
親だって子どもの「少々難あり」を引き受けましょうよ。
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