...

私の宝 私の宝 私の宝

by user

on
Category: Documents
71

views

Report

Comments

Transcript

私の宝 私の宝 私の宝
絵の中で人生を楽しむ
私の宝
会員交流のページ
今回は、
所沢支部
株式会社 住協
(株式会社 住協ホールディングス 取締役)
小坂 雅俊 さんの投稿です
粋な祖父の思いを受け継ぐ名前
生も疎開先として近所に住んでいた。そんなことか
ら私もご指導いただいた。
私には2つの宝物がある。1つ目の宝物は、
「雅
俊」と命名してくれた祖父の思いである。祖父は自
身の名前を「新六」から「雅一」と名を変えた。さ
作品が天皇陛下のご高覧に
らに祖父は私の名前を命名するとき、「人情溢れる
1
9
6
8年(昭和4
3年)、出品の公募展で特選を受賞し
家系」を作るようにと、家名を継ぐ者には「雅」の
た。その絵は、伯母の勤務していた御殿場の「一休
一文字を託したのである。明治生まれの粋な祖父の
荘※」に飾っていただき、天皇陛下のご高覧の絵とな
思いを受継ぐべく、私の息子にも「雅彦」と名付け
った。(※天皇陛下がご宿泊された宿)
た。戦後70年、名に恥じぬよう趣味に仕事に全力投
このときいただいた絵の礼金がきっかけとなり、
球してきた。
その後、銀行から“絵に限り売買を許可する”との
承認をいただいた。
疎開先で習った油絵
絵を描き始めて5
0年、受賞歴は1
9回、主な賞は、
「NHK支局賞」
、
「文部大臣賞」
、
「埼玉県議会議長
2つ目の宝物は趣味の油絵である。家業は江戸時
賞」
、
「埼玉新聞社長賞」
、
「武者小路実篤賞」、「経済
代から続いた芸者相手の染物屋で、祖父は経営者で
新聞社長賞」
、今年(2
0
1
5年)「内閣総理大臣賞」を
あり絵師であった。戦時中、難を逃れ、親戚を頼り、
受賞した。現在、二元会(にげんかい)委員で東京
飯能市吾野(あがの)に疎開していた私は、3歳の
支部長をしている。
ころから祖父に絵を習い、5歳の
掲載本には、美術年鑑社の「美術年
時、生涯の師匠となる内田晃先生
鑑」
、
「画家が描いたヨーロッパ」、「日本
にお絵かきを教わった。高校時代
の四季」のほか、稲垣滋子著「1
00さいの
は書道に熱中、絵は中断していた
ゲスセス!ドン!」の挿絵等がある。
が、絵のことが忘れられず、銀行
に就職したころから油絵を描きは
じめた。隣に住む看板絵師の内田
先生に油絵のご指導を本格的に受
けるようになった。吾野には内田
先生の師匠で「一水会(いっすい
かい)」の常岡卯三郎先生、
「白日
会(はくじつかい)」の石崎五郎先
Fly UP