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第1 話完全版 - GA info. 印刷表現を追求するクリエイターのために by
21 biz.toppan.co.jp/gainfo 美澤 修 M I S A W A O S A M U クリエーターズファイル No. vol.42 Apr.28, 2008 C R E ATO R ' S F I L E 美澤 修 のデザイン論 みさわおさむ アートディレクター 1968 年福井県生まれ。89 年渡米し NY School of VISUAL ARTS を卒業後、Javier Romero に師事。フリーのアートディレクターと して NY を拠点に活躍し、CBS、Neiman Marcus、MoMA 等を手掛ける。98 年帰国後「美澤 修デザイン室」設立。企業やプロダクト におけるブランディング、クリエイティブディレクション、グラフィックデザインを中核に、ファッション、コスメティック、ジュエリーか ら出版、ホテルまで様々な分野の広告・カタログ・DM・WEB サイト・インテリア・エディトリアルをワンプロジェクト・ワンストップでトー タルにアウトプット。主なクライアントに CHANEL、FRANCK MULLER、Kanebo、DAMIANI Japan など。JAGDA、ADC、ブルー ノ・グラフィックデザイン・ビエンナーレ、NY ADC 入選。東京造形大学准教授。www.omdr.co.jp 第1話 「ニューヨーク育ちのデザイナーとして」 若くしてアメリカに渡り、ニューヨークの美術系大学を卒業し、デザイナーとしてのキャリアをスタートさ せた美澤 修氏。日本においては異色ともいえる経歴をバックボーンに、独自のスタンスでさまざまな分野 のグラフィックデザイン、アートディレクションを手がけている。その美澤氏にデザイン論を語っていた だいた。 生い立ち 父の仕事の関係で小さい頃から引っ越しを繰り 返して育ちました。中学、高校の頃はずっと所沢 でしたが、それでも家そのものは何度か引っ越し の執着は薄いかもしれませんね。 ています。そのせいか、どこかに定着することへ 高校は普通校でしたが、美術や音楽の方面に進 む人が比較的多い学校でした。僕も友人に誘われ るままに、美術系の予備校に通って、そこではじ めて美術大学という進路、デザインという仕事も あるということを知ったくらいです。 そして武蔵野美術大学の短大で学び、いざ就職 という時。デザインの世界は実力さえあれば、ど んどん上に行けると思っていたのに、四年制大学 を出ていないという理由で、書類選考で跳ね返さ れてしまう現実に直面し、だったらこんな国を出 て憧れていたニューヨークに行こうと考えました。 G A i n f o . / C R E AT O R ' S F I L E v o l . 4 2 A p r. 2 8 , 2 0 0 8 この時、僕を動かしていたのは怒り。もう日本 はいいと。何のつてもなかったけれど、自分でい ろいろ調べて向こうの学校への編入手続きを進め、 ニューヨークに渡りました。実は海外旅行も飛行 機に乗るのもこの時が初めてでした。 ニューヨークでデザインのおもしろさを知る ニューヨークでの最初の3ヶ月はニューヨーク大 学の日本語学校に通いながら英語を勉強しました。 。 と に か く 毎 晩 通 っ て、 あ と は 夜 の バ ー︵ 笑 ︶ 1 © 2 0 0 8 T O P PA N / G A C 何もしゃべらない変な東洋人の常連ということで 認知されると、店の人が話しかけてくるようにな り、酔っぱらいのおじさんが話しかけてくるよう になり⋮ということで、その3ヶ月で日常会話程 度はなんとかしました。 その後、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュ アル・アーツ︵SVA︶で本格的にデザインを学 びはじめます。ここはMTVのクリエイティブ・ ディレクターやソニー・ミュージックのクリエイ ティブ・ディレクターのクリストファー・ストッ プチャックなど、第一線でバリバリに活躍してい る超一流のクリエイターが先生として教えている ところでした。 たとえば、クリストファー・ストップチャック の 授 業 で は、 ﹁ 今 度、 マ ド ン ナ が 新 し い ア ル バ ム を出すんだけど、ちょっとやってみようか﹂とい う感じ。それでCDジャケットなどを作ってみて も﹁マドンナはこういうの好きじゃないから﹂な どと言われてしまうわけです︵笑︶ 。 そ れ ま で は 日 本 で〝 お も し ろ い 〟 と か〝 き れ い〟とかいうレベルのことしか言われなかったし、 やってもこなかったけれど、デザインとはクライ アントがいて、ターゲットがいて、さらにその先 にオーディエンスがいて、そこに届くものを作ら なければならないんだということを、また単に絵 作りをすればいいのではなく、社会との関わりの 中でビジネスとして動いているんだということを、 リアリティを持って感じることができました。 また、向こうではグラフィックデザインとアド バタイジングはまったく別物で、学ぶ内容も違い ます。ではグラフィックデザインは絵を描いてい ればいいのかといえば、そうではなくて、ゼロか らカタチを作らなければいけないんだけど、必ず 相手がいて、最終的にアウトプットされたものの 裏側には、何層にもコンセプトがあるんだという ことを学びました。つまり、手を動かす前に頭を 使えということを徹底的に叩き込まれたわけです。 こうして超一流のプロフェッショナルな先生た ちに触発されるようにして、デザインのおもしろ さにのめりこんでいきました。 初仕事で知った、読解力の大切さ S V A を 卒 業 し て か ら ハ ビ ア・ ロ メ ロ と い う アートディレクターの事務所に就職しました。彼 はロサンゼルス・オリンピックのポスターを手が クライアントを多く持っている人です。 けるなど、スポーツやエンターテインメント系の こ こ で は 本 当 に い い 経 験 が で き ま し た。 エ ン ターテインメントとは決して軽いものではないし、 本当に深いコミュニケーションが求められる。そ れにニューヨークはエンターテインメントの本場。 その華やかさ、厳しさ、すごさというのはあちこ ちから伝わってくる。仕事を通じてそういうもの に触れるのはやはり刺激的でした。 入社初日にマネージャーから﹁これが君のプロ ジェクト﹂と書類の束を渡されたのですが、こち らは新卒だし、何をどうすればいいのか、まった くわからない。とりあえずその書類を読んで、次 にどうしたらいいのか聞きにいったら、アポを取 れと言われ、言われるままにアポを取ったはいい © 2 0 0 8 T O P PA N / G A C G A i n f o . / C R E AT O R ' S F I L E v o l . 4 2 A p r. 2 8 , 2 0 0 8 2 第1話 美澤 修 no.21 School of VISUAL ARTS(NY)在学時代の作品 Magazine AD AD:Javier Romero AD insert for Neiman Marcus Agency:Robert Valentine Group けれど、何を打ち合わせすればいいの⋮? とい う 感 じ で し た。 マ ネ ー ジ ャ ー と し て は 半 分 か ら かっていたらしいんですけどね。 そ れ は、 あ る 映 像 系 の プ ロ ダ ク シ ョ ン の C I の仕事でした。まずはロゴマークをデザインしな きゃということで、初回の打ち合わせに行ったら、 言葉の壁もあって、正直、クライアントが何を言っ ているのか、まったくわからなかった。学生時代 は僕が外国人という前提で相手も接してくれたけ れど、仕事に入った瞬間にそれはありませんから。 マネージャーも一緒に来てくれるものかと思って いたら、僕一人でしたし。 帰ってきて、どうだったと聞かれて、何もわか らなかった、ごめんなさいと返事したら、さすが にマネージャーもあきれていました。 くらいのカンプを作りました。 そ れ で も 何 度 か 打 ち 合 わ せ を さ せ て も ら っ て、 自分なりにこういうことなんじゃないかと、 案 るほどの読解力もなかった。それでも 案も出せ もよくわからないし、わかったとしても核心に迫 としてはドキドキものです。向こうのリクエスト ハビアもクライアントも﹁こいつ、やる気ある な﹂くらいに思っていたかもしれないけれど、僕 50 相手に対して一発ギャグが言えるようなロゴマー 会 社 の 方 向 性 と か 将 来 性 み た い な 理 屈 で は な く、 でコミュニケーションのきっかけになるわけです。 今にして思えば、たとえば名刺を渡した時に﹁こ こに 〝Z〟が隠れているんですよ﹂と説明すること ただきました。 社名の頭文字の 〝Z〟が隠れている案を採用してい ばさすがに数打ちゃ当たるで、ロゴマークの中に 50 KEYSTONE LIGHT(BEER) AD:Javier Romero US Military Web Site Agency:Bates USA Identity & Stationary for Business Video Package for Independent Film Maker Apple Multi Media AD:Javier Romero Poster for TV Program AD:Javier Romero © 2 0 0 8 T O P PA N / G A C G A i n f o . / C R E AT O R ' S F I L E v o l . 4 2 A p r. 2 8 , 2 0 0 8 3 第1話 美澤 修 no.21 クで、しかも、それがデザインとして消化されて いる、とてもいいアプローチだったと思います。 ただ、 それも今だからわかることで、 当 時はもっ と表層のところで、かっこいいかなとか、どうい う説明をしようかとか、悩みながら作っていたん じゃないかな、忘れてしまいましたが。 けれど、 それもまたよかった。 プレゼンテーショ ンって自分がうまく説明するとか発表するとかだ けでは済まない。相手のことを考え、笑わせたり、 納得させたり、響くことを実行しなければならな いということも肌で理解できたように思います。 ニューヨークスタイルのデザイナーのスタンス ニューヨークでは日本のセンセイ事務所での 丁稚奉公みたいなことはありません。デザイナー として採用したのだから、その仕事をしろという ことが求められるだけ。もちろん聞けば教えてく れるけど、教わるところではなく、仕事をすると ころだということで、それに対してギャランティ も発生するわけです。失敗したらすぐにクビにな るし、厳しい部分はもちろんある。でも、逆に自 分の能力以上のことをする必要もない。その分の ギャラはもらってないわけですから。こういうド ライな考え方はすっきりしていて、自分には合っ ていたかなと思います。 日本にいたら 年くらいかかって学んだり身に つけたりということを、僕はニューヨークで、2 年くらいでやり終えたんじゃないかという感触が あります。 思い出に残るビッグプロジェクト 大きな仕事の醍醐味を知ったのもハビアのとこ ろにいた頃。NBAのロゴマークの仕事で、社内 競合で僕の案が採用され、その後、いろいろなア プリケーションに展開されることになりました。 NBAといえばアメリカの国技みたいなもので すから、その露出のボリュームもスケールも、ハ ンパではないのですが、中でもハイライトといえ るのが、 年オールスターゲーム。それはバスケッ めて、深く思い出に残る仕事になりましたね。 たりもしました︵笑︶。そんな個人的なことも含 なってしまい、生まれて初めてサインを求められ 子にあのロゴをデザインしたのは僕だという話に るお客さんがたくさんいて、たまたま、何かの拍 その時に僕がいたニューヨークのバーにも、僕 がデザインしたNBAのキャップをかぶってい ナーや旗が飾られていて、壮観でした。 も ち ろ ん、 そ の 時 期 の ク リ ー ブ ラ ン ド は オ ー ルスターゲーム一色。街中に僕がデザインしたバ ているシーンを見たときには本当に感動しました。 など、名だたるスーパースターたちがバッと散っ て、その周りにマイケル・ジョーダンやピッペン ターに僕がデザインしたロゴマークが描かれてい 真俯瞰になるんですね。その時に、コートのセン ジャンプボールでゲームが始まる時に、カメラが クリーブランドで開催されたそのゲームを、僕 は ニ ュ ー ヨ ー ク の バ ー の テ レ ビ で 見 て い ま し た。 かった時のゲームなんだそうです。 トの好きな人に言わせると、NBAがもっとも良 97 © 2 0 0 8 T O P PA N / G A C G A i n f o . / C R E AT O R ' S F I L E v o l . 4 2 A p r. 2 8 , 2 0 0 8 4 10 第1話 美澤 修 no.21 NBA ALL-STAR GAME 1997 Logomark AD:Javier Romero VULCAIN Shopping Bag VULCAIN Poster PH:塚田直寛 LES TEMPS DE RIEN(Exhibition)Poster 刺激的だったニューヨーク・ライフ ハビアの事務所には2年間お世話になり、その 後はフリーで仕事をしました。フリーといっても、 ニューヨークではクリエイティブに特化した人材 派遣の会社があり、そこに登録して、プロジェク ト単位であちこちに呼ばれて仕事をするというス タイルです。 その頃のことで印象に残っているのは、スイス 人のおじいちゃんのクリエイティブディレクター と組んで、雑誌﹃フォーチュン﹄と、ナショナル・ ヒストリー・ミュージアムから出すという雑誌の フォーマットデザインを手がけた仕事です。 そ の 人 は 雑 誌 の 世 界 で は 有 名 で、 世 界 を 駆 け 回って雑誌の立ち上げを専門にやっている方でし 固で、それだけにあまりスタッフが長続きしない。 た。すごく変わった方だったな。ストイックで頑 でも僕はうまが合うと思われていたらしく、4ヶ 月くらい一緒に仕事をしました。 それが終わってしばらくしてから、突然その人 から電話があって、今、パリなんだけど、明日の 飛行機に乗って来い、チケットを押さえているか らと、便の指定までしてくるんです。 さ す が に そ れ は お 断 り し た の で す が、 そ ん な、 まるでスパイ映画みたいなことが自分の人生に起 きるなんて、それまで思ってもみなかった。 他 に も、 ヘ ッ ド ハ ン テ ィ ン グ さ れ た り、 自 分 の 関 知 し な い ト ラ ブ ル で 突 然 ク ビ に な っ た り と、 ニューヨークではいろいろな経験をさせてもらい ました。 © 2 0 0 8 T O P PA N / G A C G A i n f o . / C R E AT O R ' S F I L E v o l . 4 2 A p r. 2 8 , 2 0 0 8 5 第1話 美澤 修 no.21 C R E AT O R ' S F I L E vol.42 2008年4月28日発行 発行・企画・編集 凸版印刷株式会社 情報コミュニケーション事業本部 グラフィック・アーツ・センター 〒112-8531 東京都文京区水道1-3-3 TEL.03-5840-4058 http://biz.toppan.co.jp/gainfo 取材:福田 大 沼田徳樹 中村仁美 野崎優彦 撮影:西村 広 文:野崎優彦 編集:福田 大 中村仁美 野崎優彦 デザイン:福田 大 interview:2008.2