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杉浦江梨花さんの作品
大東文化大学 文学部 英米文学科主催 第4回 高校生翻訳コンテスト 優秀賞受賞作品 1893 年 9 月 4 日に、ビアトリクス・ポターはノエルという男の子のもとへ手紙を送りました。 その時ノエルは5歳で、ビアトリクスは 27 歳でした。ビアトリクスはスコットランドのイーストウッド・ ハウスで、両親と弟と夏休みを過ごしました。ノエルはビアトリクスの家庭教師をしていたアニー・カー ターの息子で、ロンドンで病魔と闘っていました。ビアトリクスが彼に送った手紙には、 「この手紙に何を 書いたらいいのかわからないの。だからフロプシー、モプシー、コットンテール、ピーターという名前の 4羽の子ウサギのお話を書くことにしたわ。 」と書かれていました。この手紙には、マクレガーさんの庭 に入ってはいけない、という母親の忠告を聞かずに、危うくパイの中に入れられそうになったいたずら 好きな子ウサギのお話が書いてありました。ビアトリクスは、この絵手紙でノエルが元気を出してくれる ことを願いました。 その絵手紙を見た友だちに後押しされ、ビアトリクスはピーターラビットのお話を 絵本として発表 できるかどうか試してみることにしました。しかし残念ながら、誰も彼女を助けようとはしてくれませ んでした。そこで彼女は、自分でその本を出版する決心をしました。1901 年 12 月に、 「ピーターラビッ トのお話」は 250 冊出版されました。絵本に出てくるさし絵は白黒でしたが、一つだけ白黒ではないも のがありました。 突然、ビアトリクスに運が向いてきました。彼女の本が出版されたまさにその日に、ロンドンの出版 者、フレデリック・ウォーンは、絵本のさし絵すべてに色をつけてもいいなら、彼女の本を出版すると 申し出ました。ビアトリクスは同意しましたが、次の3つの条件は絶対に譲りませんでした。 1.子どもの手にぴったりの大きさであること。 2.子どもが自分のお小遣いで買える値段であること。 3.仕上がった絵本のさし絵の色には、絶対に妥協しないこと。 1902 年 10 月、青いジャケットを着たピーターが登場する「ピーターラビットのお話」の第一刷が ロンドンの書店に並びました。すぐにもっとたくさん印刷しなければならなくなりました。ビアトリクス の小さな本はこんなふうに成功したのです。瞬く間にビアトリクス・ポターは子ども向け絵本のベスト セラー作家になりました。 NAME(ローマ字): Sugiura Erika 氏名:杉浦 江梨花 所属高校名: 中京大学附属中京高等学校 学年:1 年