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スポーツの価値とは何か、そしてスポーツの未来像は

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スポーツの価値とは何か、そしてスポーツの未来像は
主旨 昨年、我々は「オリンピックがもたらすレガシー(遺産)
」について考える機会を持つことができた。
経済効果、インフラ整備、国内スポーツの強化・発展、そして環境問題が話題にあがった。期待された
2
016年の夏季オリンピックの東京への招致は実現することができなかったが、スポーツを柱としたオリン
ピック後の東京の未来を想像することができたことは、招致活動が我々にもたらしたレガシーの一つかも
しれない。
2016年のオリンピック招致に参加した各国は言う。
「オリンピックは子どもに夢を与え、未来を明るく
するものだ」と。実際に2016年の招致に参加したリオデジャネイロ、マドリッド、シカゴにおける招致へ
の国民支持率はそれぞれ8
4.
5%、84.
9%、67.
3% と高いものであった。日本においてはどうだろうか。日
本の支持率は5
5.
5% に留まった。他国と日本との差がある理由の一つに「スポーツの価値」の考え方に差
があるのではないだろうか。実際に、日本以外の立候補国には、スポーツのための法的・予算的基盤が既
に整備されているという。
この現状に対し、日本スポーツ界も大きな転換期を迎えつつある事実がある。2000年のスポーツ振興基
本計画(文部科学省)からはじまり、これまでに国内スポーツの強化拠点(NTC,JI
SS)の整備、エリ
ートアスリート育成のための強化プログラムが開始された。そしてこれから、スポーツ振興のための法的
基盤となる「新スポーツ基本法」が国会に提出されようとしている。
東京では、現在2020年の夏季オリンピックの候補地として立候補するという検討が始まった。2016年の
立候補以上に招致の可能性が高いとも見込まれている。我々はもう一度、オリンピック、そしてスポーツ
の価値を考えるチャンスを得ることができた。そこで、本シンポジウムでは、国内スポーツの動向を踏ま
え2
016年のオリンピック招致活動について再考するとともに、これからの日本におけるスポーツの価値を
学生の手によって考えていく。
日程 平成21年12月16日(水) 4・5限内(15:00~17:30)
対象 専修大学学生・公開講座講習生・専修大学教職員
目次
基調講演
オリンピック招致のレガシー(遺産)とは
河野一郎 (東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長)
パネルディスカッション
スポーツの価値とは何か、そしてスポーツの未来像は
パネリスト
馳 浩 (衆議院議員/元文部科学副大臣/文学部卒)
河野一郎 (東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長)
宮杉理紗 (早稲田大学大学院/文学部卒)
沢柳賢二 (文学部4年)
第一部・基調講演
オリンピック招致のレガシー(遺産)とは
演者:河野一郎 (東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長/ JOC常任理事)
られ、名称が申請都市から立候補都市となりました。これがひとつ目の
3つのキーファクターで招致活動のレガシーを残した
ターニングポイントでした。そして北京オリンピック・パラリンピック
の開催も大きな転機となりました。そのあと、日本体育協会のプレゼン
ちょうど1年前に、こちらで(専修大学で)お話させていただきまし
テーションを行なって2009年2月12日に立候補ファイルを提出いたしま
た。残念ながら日本は2016年のオリンピック開催地には選ばれませんで
した。2009年4月の評価委員会を経て、6月と10月にプレゼンテーショ
した。今回は、2016年東京オリンピック・パラリンピック招致のレガシ
ンを行ない、結果としてはリオデジャネイロが開催にこぎつけたわけで
ーということでお話をさせていただきます。
す。いくつかのターニングポイントを経てきた中で、ゴールにいたる前
オリンピック・パラリンピック両方あわせてそのレガシーを考えます
に、どういうかたちでこの招致活動が日本のためになったのかをお話し
と、招致活動そのものが大きなレガシーではなかったかと思います。ま
ます。
た「全力で取り組めた」こともレガシーではないかと思います。戦略的
招致するにあたって、まずひとつは招致するかの意思決定、山登りに
なレガシー、想定しなかったレガシーもあります。36ヶ月、ほぼ3年に
たとえるなら山に登るかどうかの決定をすることが大きな関門でした。
わたる招致活動でした。私自身は34ヶ月ほど、東京都庁の41階が主な仕
国際的にもそうですが、まず都市が開催の意志について決断し、そして
事場でした。
JOCが I
OCに申告をします。山を登る決断をし、どの部分から上るか
いろんなことがありましたが、いくつかのターニングポイントについ
を見極めていく、ということになります。そして、登るにあたってどの
てお話しします。整理するとまず、申請の態度を表明したのが2008年で
ような装備、戦術を持っているのかも重要なポイントです。
ありました。そして、2008年6月に申請都市7都市のうち4都市にしぼ
当初、想定した招致のキーファクターは3つです。「今後、招致活動
-3-
招致活動の戦略
今回、申請都市は、東京、マドリッド、シカゴ、ドーハ、リオデジャ
ネイロ、プラハ、バクー以上7都市でしたが、状況を分析した結果、お
にもう一度手を挙げることを考えたときに、キーファクターを3つにし
そらくプラハとバクーは個人的に落ちると思っていました。そうすると、
ぼっておけばよかっただろうか、あるいは他の技術があったかどうか」
この5都市の中でどのような基準で選ばれるかということは、ここに書
などそれぞれの状況で検証することが重要であろうと考えた末、今回の
いてあるとおり、都市力をはじめとした総合力についてです。マドリッ
東京は「都市力」、「国力」、「スポーツ力」がキーファクターであると結
ドはスペイン出身であるサマランチ元会長の力が大きいと予測しました。
論づけました。
シカゴはアメリカオリンピック委員会が力を持っている影響で有力候補
都市力については、強い財政力とインフラ、国力については世界第2
になっていました。ドーハは経済力があるけれども、開催時期をずらさ
位の GDPが影響するでしょう。スポーツの位置づけについてはすこし
なければいけないという問題がありました。リオデジャネイロは、この
他の国と違うところがあるかもしれません。「スポーツ力」、これはメダ
時点では、次点になるだろうという憶測がありました。案の定、バクー
ルをとる、とらないということよりも仮に開催が決まったときにどうい
とプラハは落ち、我々の関心があったドーハはレポートでの順位は上で
うスタイルで開催するのかが焦点になります。スポーツ関連以外の総合
したが、ドーハは開催時期を10月にせざるを得ない事情があり、理事会
力も関係します。こういったものが基礎となっていきます。
決定で落とされ、リオデジャネイロがくり上がりました。
東京オリンピックはこの3つがしっかり揃っていないと、まず目標を
残ったのはシカゴ、東京、マドリッド、リオデジャネイロの4都市で
達成しにくいかなと思います。ステークホルダーがオリンピック開催と
す。「リオデジャネイロは治安等の問題があり、まず1番に落とされる
非常に強い関係となり、アプローチができるのかどうか。JOC、I
OC、
でしょう。マドリッドは、サマランチさんの後押しもあって1回目の投
I
F(国際競技連盟)、メディア、そのほかとの関係も重要です。
票では残ります。となると、シカゴが強いでしょう」。この時点では
戦略を決定していく中、ターニングポイントで非常に大きな力とエネ
我々のシナリオはこのようなものでした。しかし、北京オリンピックで
ルギーと人の力を借りてきました。東京招致はかないませんでしたが、
国際キャンペーンを開始した時点ではある程度イーブンの状態でした。
それに携わってきた人が招致活動をプラスにして変化したのなら、なん
オリンピック招致というのは、スポーツに関連したものだけではなく、
らかのレガシーが残ったということです。たとえば招致の申請ファイル
やはりいろんな目で見られているのだと感じたのは、8月24日の日本経
の作成については、東京都の本部プラスひっぱってきた人間に変化を与
済新聞の革新というコーナーで岡部さんという方が書かれた記事です。
えます。
「東京五輪へ」というタイトルで、1964年以降、日本の成功体制が崩れ
評価委員会という組織がありますが、これは東京都招致委員会に残っ
ている、そして、バブルがはじけてどうも気持ちが下降気味になってい
ています。プレゼンテーションでは、プレゼンをした人間、あるいは関
る。そういう国の雰囲気を総合的に改善するためには東京にオリンピッ
わった人間にレガシーが残っています。最終のプレゼンテーションがせ
クをもってくることだ、という話が書かれていました。
まっていた段階でも直前にどういうことが起きるかわからないわけで、
このあと、実はリーマンショックがおきて戦況が大きく変わりました。
状況を読むことも大事なことでした。重要なことは、戦略を決定するポ
北京オリンピックの期間中から I
OCに対するスポンサーシップのこと
イントのところにあります。重要なレガシーが残っていると思います。
で、アメリカと I
OCとで若干の軋轢がおきました。リーマンショック
以来、世界金融の不安が起き、シカゴは財政保障を保険会社からもらっ
ていたという背景があり、だんだんとシカゴに対する信頼が薄らいでい
ました。この時点でも我々はシカゴが強いだろうと言っていました。
そのような中でも、シカゴがリーマンショックにおける対応の失敗に
よって自滅するのならば、次はどこがくるか、というのが我々の関心事
でした。I
OCとしては、いろいろな事情があれ、まず放映権の問題、そ
してそこで生まれる財政面も重要視するだろうということを考慮すると、
やはり南米初ということがあるので、I
OCはリオデジャネイロをプッシ
ュするのではないかと我々は考えていました。
案の定、I
OCのプレゼンテーションではリオデジャネイロが相当高い
評価を得ていました。2009年以降のシナリオではシカゴが最後になると
考えていましたが、リーマンショックの影響で最初に落ちるであろうと
いう戦略に切り替えていきました。マドリッドはサマランチさんががん
本学図書館に寄贈された申請ファイル
-4-
ばるだろうから、1回戦はまずシカゴを落とし、そのクリアした段階で
マドリッドに競り勝つという戦略を練りました。リオデジャネイロにつ
いては依然治安などの問題がありましたが、結果的にはリオデジャネイ
ロが開催地となりました。
プレゼンテーションの戦略についても、おおよそこのようなあらまし
で変えていきました。当初はシカゴが有利という予測のもと、シカゴに
対する日本の優位性を出そうとしました。特に2012年の招致合戦でロン
ドンがパリに勝って以来、プレゼンテーションのシナリオ性が非常に重
要視されていました。このシナリオ性をどのようにつくっていくか。ひ
とつひとつのプレゼンテーションのシナリオに対し、流れをつくってい
くことが我々の関心事でありました。我々としては日本人のよさをアピ
ールするために、固定観念をどうやってつくりかえるかということに思
いをめぐらせていました。
日本人の概念を破る試みとして2008年10月のバリのプレゼンテーショ
ンでは議論の末、現地の衣装を着て臨みました。しかし、それに対して
は相当な批判もあり、11月のイスタンブールでのプレゼンテーションで
は定番のブレザーに切り替えをしましたが、実はここで一番日本人らし
く面白くなかったという評価となってしまいました。
情報戦略のレガシー
10月の最終プレゼンテーションでは、鳩山由紀夫総理大臣に出席いた
だきました。これはオリンピック招致活動では初めてのことです。シカ
ゴはオバマ大統領がくるだろうという情報をつかんでいました。その情
報については外務省よりも早い段階でつかんでいたかもしれません。ど
うやったのかというと、空港でエアフォースワンの動きについて細かく
チェックしており、我々はオバマさんが来たとしてもそれを想定した上
でプレゼンテーションを行なうことができました。
リオデジャネイロについては、「南米で初のオリンピックを開催した
い」という思いを訴え、サッカーのペレ、大統領が出席しみんなで盛り
上げムードをつくっていました。マドリッドはサマランチさん、ロイヤ
ルファミリーもいらっしゃいました。
申請ファイルでの評価はとても重要になってきます。招致活動そのもの
結果は、第1回の投票で28から22の間に4都市が入ってくる結果とな
がレガシーになっていますので、東京都と招致委員会では、現在報告書
りました。シカゴについては16票と予想していましたが、18票でした。
をつくっています。なるべく忠実に、時系列にあわせてレポートを書い
ここでシカゴが落ち、3都市による2回目の投票では5票くらい我々の
ています。
読み違いがありましたが、マドリッドに我々の想定の票が流れてしまい
ました。結果的にはリオデジャネイロが46票、マドリッドが29票、東京
国ぐるみで招致活動を応援できた
が20票となり、日本が落選。
投票前には、マドリッドと5票程度の奪い合いになるであろうと予想
次に、前例となるレガシーがいくつかあります。ここでは、2つのレ
していましたがリオデジャネイロに相当な票が集まったことには変わり
ガシーがあります。ひとつは、最終プレゼンテーションでの総理大臣の
がないので、この段階で勝敗が決まっていたのかもしれません。振り返
出席。もうひとつ大きかったのは2009年3月にデンバーで行なわれたス
ってみると、リオデジャネイロはチームワークと、大統領の率先した行
ポーツアコード(スポーツ総合国際会議)で、外務副大臣橋本聖子さん
動が印象的で、I
OC側からみても目立っていたと思います。
に出席いただいたことです。その当時の総理大臣が麻生太郎さん。モン
今申し上げたプロセスの中でノウハウなどを構築したおかげで、招致
トリオールオリンピッククレー射撃に出場したオリンピアンです。橋本
活動そのものがレガシーとなりました。したがって、ヒューマンパワー、
聖子さんもスピードスケートと自転車競技の2種目で7回出場を果たし
ノウハウについては一番力が入っていたと思います。
ています。
たとえば、I
OCに提出する立候補ファイルのことがあります。票を持
「なるほど、日本はオリンピアンがこんなに要職につくような国なの
っているのは I
OCの委員ですが、いろんな節目で評価をしてレポート
か」と、親近感を持っていただいたと思います。それと、国会と付き合
に上げていくのは事務局の仕事です。ですから、評価委員会のときには
っていく上で「クエスチョン・アンド・アンサー」にしっかり応えるこ
「なるほど、ここまで読み込んでいるのか」という質問が来ることがあ
とが重要であると感じました。翌日にすぐ回答を出すことが重要である
ります。気を抜くことができません。それを考えると、立候補ファイル、
ので、相当なマンパワーが必要になるとは思います。日本では、決定事
-5-
最後の最後でやったことは非常に厳しいものがありましたが、すくなく
ても今回はおいでいただいたという事実そのものがレガシーであろうと
思います。
余談ですが、スピーチの際にプロンプター(電子的に原稿や歌詞など
を表示し演者を補助するための装置)を使うことが常識となっています
-6-
項をすすめる上でいろんな場所からハンコを(許可を)もらってこない
が、当初鳩山さんは「プロンプターを使わない、自分で原稿をみて話す
といけなくなります。しかし、そればかりやっていては、間に合わない。
と一番力強く伝わるんだ」とおっしゃっていましたが、プロンプター経
で、いまお話したように麻生先生、橋本先生はオリンピアンですのでス
験者から言えば、これほどしゃべりやすいものはないくらいで、一応用
ムーズに話が進みます。
意をしておきました。
今回、多くの方にご尽力いただき最終プレゼンテーションで鳩山総理
総理が最初スピーチしたときには、最初は原稿をみながらのスピーチ
に出席していただきました。特に当時は総理になられた直後でしたので、
でしたが、だんだんと目線が上がってきていたのでプロンプターを使っ
なかなか実現できるものではありません。タイトな時間の中での行動で
ておられたと思います。しばらく経ってから官邸から「あのプロンプタ
したので、少なくとも招致委員会からもお願いしていただき、官邸、官
ーはどこの会社のですか」と問い合わせがありました。つまり、鳩山総
僚とのやりとりもしっかりとご了解をいただきました。この次あるとす
理に使いやすさを実感してもらったと思います。
れば、今後も総理大臣に来てくださいというお願いをすると思いますの
政府の財政保証については、政治家のみなさんにたくさんのご協力を
で、これらの段取りについてはレガシーになります。
いただきました。日本国政府が東京オリンピック組織委員会に財政赤字
同時に、日本国にとっても重要な問題ですが、総理大臣に出席いただ
が生じた場合、関係国内法の規定に従い最終的に赤字を補填することに
くにあたってスピーチ原稿をどうするかについては事前にやりとりがあ
なっています。以前「日本政府は東京オリンピック組織委員会に財政赤
りました。長さについても、1分、2分、4分、7分を用意。今後この
字が生じ、東京都がかかえることができない赤字を補填できない場合は
ようなときには同様にスピーチについてやりとりをする必要があります。
どうするんだ」という問題提起があり、財政保証書とともに立候補ファ
それぞれそのスピーチで、強弱をどのようにつけるか、そのやりとりを
イルが I
OCに提出された経緯がありました。
ふまえた上で映像を作成するなどします。今回は、これらのやりとりを
「日本国政府が東京オリンピック組織委員会の財政赤字が生じ、東京都
が赤字をかかえることができない場合は、関係国内法及び予算による東
京都への財政支援を通じて最終的に赤字を補填する」
。この文言が大き
なレガシーになると思います。
オリンピックだけではなく他の競技にとってもレガシーになるように
と思いを強くしながら、先生方にご無理をいって最後にお願いしました。
いろんな後援をいただき、官邸含めてやりとりをしました。おそらくこ
の文書は、麻生太郎というサイン入りのものが I
OCに提出されていま
すが、もちろんしかるべきところにはそれが残っていますから、こうい
ったことは前例として残せたということです。
招致活動を今後どのように生かすか
オリンピック招致は千載一遇のチャンスであったことから、政治家の
先生方に働きかけ「スポーツ庁を設置できないか」という話し合いを行
ない、レガシーとして残していきたいと思っています。これについては、
みれば、祖国が何をするか、というよりも祖国に何ができるか、という
進行している段階であり、今後に期待したいところです。オリンピック
考えをかみしめているところです。
招致という事実がなければ注目を浴びず、なかなかスポーツ界としても
話すことができなかった問題です。アンチドーピング研究施設の設立も、
東京都の配慮をいただいて日本分析センターというところにできつつあ
学生からの質疑応答
みんなで考える東京オリンピック招致
ります。
――河野先生が日本でオリンピックを開催したいと思ったきっかけを教
嘉納治五郎先生(講道館館長)が日本人で初めての I
OC委員になっ
えてください。
て100年になりました。嘉納治五郎センターをつくろうということで話
河野 子どものときに体育の先生に出会いました。その先生がオリンピ
をすすめ、財団法人として成立しました。嘉納治五郎先生はかつて大日
アンでした。したがって、頭の中にオリンピックに関して何かやりたい
本体育協会(現・日本体育協会)の創立とストックホルムオリンピック
という気持ちが小学校2年生くらいからありました。2つ目は、オリン
大会に参加するための趣意書をつくっています。大変名文です。オリン
ピックをみる機会があったこと。3つ目は、日本経済新聞の例をあげた
ピックに参加するだけではなく、国におけるスポーツの価値、体育とス
ように、この日本列島に何かを提案したいと思いました。4つ目、最後
ポーツの重要性、国民の健康まで幅広くつづっています。嘉納治五郎先
ですが、この仕事を請けるにあたって周りがみんな「やめろ、やめろ」
生がいかに先見の明があり、なおかつ行動力を持っている方だというこ
と言いました。みんながやめろというなら逆にやってやろうと思いまし
とがよくわかると思います。
た。
嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センターは、オリンピック教
――最終のプレゼンテーションで4都市の投票が行なわれた際、日本は
育研究というテーマをひとつの柱とし、くわえてアンチドーピング国際
1回目22票、2回目20票でした。3都市で行なわれた2回目の投票でな
協力、スポーツ国際教育を含めこの3つの柱で動き出すことができまし
ぜ日本の票が減ってしまったのか、気になったので教えてください。
た。3月中には、ジュニア指導のアジア地域に対するフォーラムを開き
河野 私も大変気になるところです。基本的に1回目に票を入れたとこ
ます。さらに、3月には国際的なシンポジウムを開催する予定で、これ
ろに、連続で入れるとは限りません。1回目に投票をしてくれた人たち
もレガシーとして残っていくと思います。
と、2回目に投票を入れた人たちはまったく違う可能性もあります。気
もうひとつ、招致活動で予想以上のでき事がありました。オリンピア
になるところではありますが、そこは選挙の怖さですね。今のところは、
ンとパラリンピアンが手をしっかりと組んだということです。立場をこ
入れてくれた人たちに感想を聞くこともできませんので、難しい問題で
えて集まっていただいて、みんなに話をしたときに文部科学省、それか
す。
ら財務省の方も、全部話をしました。オリンピック・パラリンピックの
――私は長野県出身で、冬季オリンピックをテレビで見た覚えがあるの
融合について考えています。私が最初に関わったのは「東京都オリンピ
ですが、もし東京以外でオリンピックを開催するとすれば、先生の中で
ック招致委員会」でした。この名称を「東京都オリンピック・パラリン
「ここで開催するなら」というお考えあれば教えてください。
ピック招致委員会」にしました。
河野 非常に難しい質問です(笑)。今、広島と長崎が手を挙げています。
我々としては、レガシーとして残したものは数多くあります。さらに
現実的にどこがいいかというのは I
OCが決めるので私がどこがいいと
これを先へつなげてレガシーとして残したいと思います。私がひっかか
申し上げるのは難しいものですが、現時点で考えるといろんなレガシー
っているのは、2008年8月24日の日本経済新聞に「このチャンスを逃す
が残っている東京が手を挙げるのが自然ではないかと思います。夏季オ
と将来落としかねないぞ」という警鐘をスポーツ界以外からいただいて
リンピックは大きな都市で、首都で行なうことが多くなっています。基
いることです。これをスポーツ界だけで解決していく空気がありますが、
本的には大都市での開催でないとインフラの整備が難しいし、会場設備
政治や経済など、他の分野からの力を借りる必要があるでしょう。でき
など財政的負担が大きいのではないと思います。スピリットとしてはい
れば日本としては、今回招致活動をしたことがどんな意味があるか、と
ろいろあると思いますが、現実的にはある程度上の規模の都市を選ぶこ
考えることがレガシーになると思います。オリンピックという視点から
とかなと思います。
-7-
第二部:パネルディスカッション
スポーツの価値とは何か、そしてスポーツの未来像は
パネリスト
河 野 一 郎 (東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長/ JOC常任理事)
馳 浩 (衆議院委員/元文部科学省副大臣/専修大 OB)
澤 柳 賢 二 (専修大文学部学生)
宮 杉 理 紗 (専修大卒業・早稲田大大学院学生)
司会
久木留 毅 (専修大文学部准教授/ JOC情報戦略部会長)
-8-
ッカーくじ法案を議員立法でつくりました。わが国のスポーツ振興のた
スポーツの歴史と新しい法律を考える
めに使う予算を、自らつくるためにヨーロッパのサッカーくじを見習っ
てやろうという意図があります。当時の大蔵省、自治省は反対しました
久木留 今回、スポーツの価値を学生と考えることをテーマに、2人の
が、最終的には大蔵省、自治省側の族議員を説得してサッカーくじの法
すばらしいゲストをお招きしました。まず、馳先生から国政報告会とい
案をつくった歴史がありました。
うかたちで、今の国会の事情について、自民党の事情や民主党の動き、
この1
0年、自由民主党という政党の中にはスポーツ界出身の国会議員
そしてスポーツに関する話をしていただき、そのあと河野先生を交えて
が数多くいましたので、日本体育協会も JOCもスポーツの予算、スポ
のお話、パネリストの学生とのシンポジウムをすすめていきたいと思い
ーツをとりまく環境整備について胸をはって言えるパイプができていっ
ます。それでは馳先生、よろしくお願いします。
たのかなという印象を持っています。ちなみに国会でスポーツに理解の
ある議員は、森喜朗さん(早大ラグビー部出身)、町村信孝さん(東大
馳 ご紹介いただきました、衆議院議員の馳浩です。本学は昭和5
9年
ラグビー部出身)、麻生太郎さん(モントリオール五輪クレー射撃日本
1984年3月に文学部国文学科を卒業しました。実は久木留さんは本学レ
代表)、遠藤利明さん(中大ラグビー部出身)、橋本聖子さん(オリンピ
スリング部の出身で、志を持って JI
CA(青年海外協力隊)のメンバー
ック日本代表・自転車競技、スピードスケート)、荻原健司さん(オリ
として、シリアでスポーツの指導者をしていました。帰国後、私と相談
ンピック日本代表・ノルディック複合)、神取忍さん(女子プロレス出
して秘書になってもらった経験があります。彼は私の政策のブレーンの
身)らがいます。
一人です。
現場ではいろんな競技、地域、立場でトップレベルになった人たちが
スポーツ基本法を河野先生、久木留先生にお願いしていろんな情報収
います。しかし、その多くが特定の指導者または個人が、特定の個人、
集や素案をつくってもらいながら昨年の12月にとりまとめ、今年に入っ
特定の企業に援助を受けなければトップレベルを保てません。それでは
て通常国会、今回の臨時国会において議員立法として国会に提出できま
おかしいのではないかと思います。
した。しかし残念ながら自民党は野党になってしまったので、議員立法
昭和3
6年にスポーツ振興法という法律ができました。なぜ昭和36年に
としてのスポーツ基本法は廃案になりました。通常国会で民主党の政権
この法律ができたのでしょうか、久木留先生。
が正規として提出する、このような流れになっております。来年か再来
年には、わが国にスポーツ基本法が成立すると思いますが、その99パー
久木留 1
964年に東京オリンピックをひかえておりました。
セントは河野先生、久木留先生が原案、草案、条文を含めてつくりまし
た。先生方は当事者であります。シナリオライターの振り付けを受けて、
馳 そうです。1
964年に東京オリンピックをひかえていたから、あわて
私が代議士としての仕事をしています。
てスポーツ振興法という法律ができました。その中身としてはどうでし
さて、議員立法と政府成立法案の2つを申し上げました。スポーツを
ょうか。
なんとしても日本の国策のひとつにし、人生のあらゆるチャンス、場所
において(北海道から沖縄まで、どの地域に住んでいても)「スポーツ
河野 当時は、日本の競技目線でスポーツ関係の法律ができました。実
を楽しみたい」と思ったら楽しめる施設、指導者、いわゆる環境整備を
行できたかは別として、現在国立スポーツ科学センターですとか、ナシ
したいと思っています。子どもから高齢者まで、楽しめる施設です。地
ョナルトレーニングセンターのような施設についての青写真を書いてい
域スポーツクラブという考え方でもあります。近年、学校のクラブ活動
ました。
や企業スポーツ、大学スポーツに負担をかける傾向があります。そのた
めの政策についてロビー活動をするのが大事だなと思います。
これは昔の話ですが、私が出場したロサンゼルスオリンピックは政治
にスポーツが翻弄されました。歴史の話をすると、1978年、79年と当時
の東側を代表するソ連が南下政策でアフガニスタンに軍事侵攻しました。
アメリカがアフガニスタンをバックアップし、アフガン戦争が起こって、
その2年後にモスクワオリンピックがありました。当時東側はワルシャ
ワ条約機構に入っていて、西側が NATOに加盟していました。日本は
アメリカとの同盟があり、モスクワオリンピックをボイコットしたので
す。当時のスポーツ選手は泣きました。その4年後にロサンゼルスオリ
ンピック。ソ連はアメリカに対抗して、ワルシャワ条約機構に加盟して
いた13の国の内12の国がボイコットしたんですね。ともかく、スポーツ
が政治に翻弄される時代がありました。
それ以降、スポーツ選手が日本体育協会や JOCが「予算をくださ
い」「スポーツに関する法律をつくってください」「国がしっかりやるべ
きだ」という声を政治に上げづらい関係ができてしまいました。この20
年は、スポーツ界にとって不毛な時期だったと思います。このままでは
いけないだろうということで、私も提案者になりましたが TOTOのサ
馳 浩/はせ・ひろし
1
96
1年、富山県生まれ。専修大卒業。ロサンゼルス五輪レスリング日本代表。教員を経
てプロレスラーの道へ。I
WGPジュニアヘビー級王座、I
WGPタッグ王座など。1
995年
に参議院議員選挙に立候補、当選。200
0年には衆議院議員選挙に当選(4期)。専修大
レスリング部監督
-9-
生涯スポーツ課の関係や、JOCと(日本)体育協会の関係が背景にあ
るのですか?
河野 競技スポーツ課と生涯スポーツ課ができたのはそれなりの理由が
あります。競技スポーツのことは JOC、生涯スポーツは日本体育協会
馳 気になっているのは、スポーツ振興法の第6条に書いてある国民体
といいましたけれども、しかし、よく考えると、子どもや一般の人から
育大会のことです。
の目線で考えれば「今、私は生涯スポーツをやっています」といった枠
組みでは考えていません。トップと一般の境界線がありません。ケンカ
河野 国体は昭和21年から続いており、当時のことですからまだプロは
はしていませんが両者の取り組みがかぶってきているかもしれません。
視野にいれておらず、アマチュアのみを対象としていました。
国体競技は生涯スポーツ、国民スポーツの高揚のために行なわれていま
したが、現在はトップスポーツに対する重要な役割を担っているように、
馳 戦後、国体ができて開催地は各都道府県の持ち回りとなりました。
役目が変わってきていています。
各地域のスポーツ振興に貢献しようというのは建前。政治の本音を言う
と、当時の日本人はスポーツを楽しみたくても楽しめない環境にありま
馳 トップレベルの競技スポーツが生涯スポーツをリードしていく考え
した。仕事がなかった。そこで、国の予算を使って国体を開催しました。
方は、スポーツ基本法を我々がつくりましたが、JOCも日本体育協会
スポーツ振興には施設と指導者が必要ですから、47都道府県の基盤整備
も合併して、日本スポーツ協会なるものに生まれ変わって、政府と歩調
をしようということで、施設で言えば運動公園。あれは建設省のお金で
を合わせるのもいいかなと考えているのですが。
どんどんつくりました。指導者は文部省のお金で教員を採用しました。
その教員のみなさんが地元のスポーツ少年団など地域のスポーツを支え
河野 それはいろんな方が考えていることと思います。合併するとすれ
るボランティア役員の基盤をつくりました。その流れで、スポーツ振興
ば、いい方向へコントロールする力が必要なのではないかと思います。
法を基盤とし、国としてオリンピックの強化を行なう方向になりました。
昭和36年にスポーツ振興法がつくられたのですが、スポーツ基本法の条
馳 私は、文部科学省の息がかかった回答よりも民間の人や JOCがリ
文まで立ち上げましたが、民主党に政権が変わってしまいました……。
ードして、トップレベル強化、マイナースポーツや地域のスポーツクラ
戦後、我々をとりまくスポーツの環境と、今現在の環境と違う概念があ
ブ、指導者の育成一環システムを含め基盤である政府政治も含めてそこ
りますから、それを書き込んだのです。
へ一元化できたらいいかなと思います。その背景として、スポーツ基本
法の役割を果たしたいと思っています。話は変わりますが、ドーピング
競技スポーツと生涯スポーツ
は昭和36年、東京オリンピック前の時代にもあったのですか?
河野 戦後のスポーツ界は環境が変わりました。昭和39年の東京オリン
河野 東京オリンピックの時代には、ようやくドーピングという言葉が
ピックを境にトップスポーツ(競技スポーツ)へ傾倒する動きがあった
浸透しはじめていましたが、I
OCが注目をしはじめた時期です。あるオ
のに対し、国民スポーツに行くべきだという意見もあって多少の乱れが
リンピックの自転車競技で死亡事故があり、それを契機に I
OCとして
ありました。その後、モスクワオリンピックを経てスポーツ界が声を上
も取り組むべきだという話がもちあがってきました。1964年のときに、
げること自体があまりよくないという時期がありました。しかし、現在
国際スポーツ科学会議が開かれて、そこでの提案を経て196
7年に I
OC
はもう政策としてトップスポーツと生涯スポーツをわけて考える時代で
の中に医事委員会が設置され、そこからドーピングコントロール検査が
はなくなっています。生涯スポーツとトップスポーツが対極のところに
行なわれるようになりました。まさに、東京オリンピックはドーピング
位置づけられていて、トップスポーツについて国が取り組むべきという
に対する活動の原点にちかい存在です。
位置づけがないままに今日まできてしまいました。これが世界では勝て
ないだろうという思いがスポーツ界にありました。2012年にロンドンオ
馳 話題は変わりますが、プロとアマチュアに関する話をします。日本
リンピックがありますが、参加国の多くが生涯スポーツを軽視するので
のスポーツ界の中でプロとアマの交流を考えたときに、一番複雑になっ
はなく、トップスポーツが生涯スポーツをひっぱるようなかたちで成り
ているのは野球だと思っています。他競技ではプロアマの交流がありま
立っています。日本では競技スポーツと生涯スポーツの対立構造をその
すが、日本学生野球協会などでは学生野球憲章は金科玉条のようにプロ
ままにして、ときにはトップスポーツに力を入れ、ときには生涯スポー
とアマチュアのあいだをつないでいくのでしょうか。
ツに力を入れるような不合理な状況がありますが、トップスポーツをひ
とつの基軸としてやっていくという流れがあります。
河野 野球は統括組織がいっぱいあります。たとえばドーピングという
目線から言えば、いったいどこがコントロールをしているのかわかりに
馳 そのような不合理がある背景には、文部科学省の競技スポーツ課と
-1
0-
くい。プロ野球は、他の野球連盟よりも先駆けてつくられた野球の連盟
ですので、同じ野球でもちがった位置づけになる。そういった面があり
かアマかという問題はあまり意味がない。
ます。
馳 アマチュアでも、プロの選手と交流する、プロの選手がアマチュア
馳 今現在もそうですね、私はプロレスをやっていましたがプロレスラ
の指導もできる、という流れが必要ではないでしょうか。トップレベル
ーであってもアマチュアの大会に出られたのは、アマチュアの選手もプ
の水準を高める、そのために協力しあうようなあり方が望ましいと思う
ロの大会に出られる、相互の交流をもちながらやっているからです。ス
のですが。
ポーツ基本法の新しい規定の中でも、プロとアマの交流を促進すること
を規定してバックアップすることになっています。
河野 そのとおりだと思います。種目によっては、プロとアマの線をひ
いていないところがあって、ラグビーでは業界が契約して出向してもら
河野 プロとアマという枠組みがあまり意味を持たなくなっているよう
うというかたちをとっています。日本国内でもプロアマが複雑な仕組み
な気がします。
になっていますので、あまりプロアマと固執せず、先生がおっしゃった
ようにトップアスリートと若い人がしっかり交流することは行なわれる
馳 いわゆる、プロ野球の「プロ」のような意味ではなく、ノンプロ的
べきことと思います。
な意味でしょうか?
スポーツと産業・健康問題について
河野 ここで話を原点に戻しましょう。アマチュアの定義とはなんでし
ょうか。
馳 これはスポーツ基本法をつくるときにとても苦労した話です。産業
と健康の問題です。産業から話をします。昭和60年代、スポーツを産業
馳 それでお金を稼いでいないことです。
として金のなる木として考えた時代だったでしょうか。
河野 でも、オリンピックに出る場合では競技をすることでスポンサー
河野 そのような時代ではなかったですね。
シップについてもらい、生活を成り立たせる人もいます。
馳 象徴的だったのが1984年のロサンゼルスオリンピック。このときに
馳 浅田真央さん(フィギュアスケート)はそうですね。
ピーター・ユベロス大会委員長がテレビ放映料などで莫大なお金を産み
出しました。アメリカの夕方からのゴールデンタイムに世界中に発信し
河野 そうですね。では、プロとアマはどこが違うのでしょうか。しか
ました。
し、このような議題は現場ではあまり用を成さないと思います。競技ス
ポーツと生涯スポーツのすみわけから考えるとあまり意味がないのかな
河野 まず、否定はできませんがその前のモントリオールオリンピック
と思います。むしろ、子ども目線でみたら、トップアスリートはプロで
が莫大な負債をかかえており、オリンピック自体の存続に黄色信号が出
あろうがアマであろうが「ああなりたい」と思うものです。子どもたち
ていたときにロサンゼルスオリンピックで復活をしました。テレビ放映
がその種目をやりたいと思ういいきっかけになります。その際は、プロ
権とオリンピックは切っても切れないものです。ただ、ロサンゼルスオ
リンピックが商業主義のきっかけであることはまちがいなく、大きな議
論を呼びました。
馳 現在、スポーツと産業はいろんなかたちでつながっています。スポ
ーツ基本法の中に見るスポーツ、やるスポーツ、つくるスポーツという
概念を盛り込みました。日本の中でも、ナイキやアディダスなどのファ
ッション性のある服を着る方いますよね。スポーツをファッショナブル
に、あるいはスポーツをつくる側にまわるなど、スポーツ界側からアプ
ローチがいろいろ行なわれています。そういった環境はどうでしょう、
もっとバックアップしたほうがいいでしょうか。
河野 競技者側からいえば、表現力の一部だと思います。否定をすれば
逆にマイナスになると思いますし、これをポジティブにとらえていい方
向にすすめていければいいのかな、と。ただ、ある種の方向性を位置づ
けないと、水泳の水着の問題など外れた方向へと産業が向いてしまう可
河野一郎/こうの・いちろう
1
946年、東京都生まれ。東京医科歯科大卒業。日本ラグビーフットボール協会強化推進
本部長、日本アンチ・ドーピング機構理事長などを歴任。2
0
16年夏季五輪招致委員会事
務総長をつとめた。日本オリンピック委員会理事。筑波大人間総合科学研究所スポーツ
医学専攻教授
能性がありますので、これは要注意ですね。
馳 私はスポンサーなくしてアスリートの競技力は維持できないと思い
ます。そうかといって、スポンサーに左右されるようになってしまうと、
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1-
っていますね。そのあたりは、日本の中でもそのような大会が増えると
いいですね。
馳 最後に、スポーツ基本法を作り上げた中で一番苦しんだのが「健康
とスポーツのあり方」です。厚生労働省と文部科学省の管轄がかぶって
きます。結論だけ申し上げますと、障害者スポーツを競技スポーツと同
じスポーツ基本法の中で実現しようという方向性を見出すことができま
した。その後、予防医療、リハビリという観点から健康を維持する、病
気にならない、病気や怪我をしたあとに日常生活に復帰するためのスポ
ーツと健康、スポーツの役割、リハビリテーションなどの分野は、私た
ちは案を練りながら、国民生活はさけては通れないところだろうと思い、
ぜひスポーツ基本法に盛り込もうとしていたのです。これは、実は盛り
込めなかったのです。
河野 先生がおっしゃったように、すでに文部科学省、厚生労働省でさ
まざまな発表がされています。国民の目線からみれば、リハビリテーシ
ョンあたりは難しいところですが、メタボリックシンドロームは厚生労
働省が担当していますが、生活習慣病になると日本体育協会になります。
両方が中高年を対象にして、健康の基準値、ものさしを出しています。
選手がスポンサーの冠大会に無理して出場し怪我を悪化させるなどのケ
国民からすれば、どちらを信用したらいいのかわからない。これはどう
ースがあるかもしれません。産業とスポーツの関係の中で選手が巻き込
したらいいものでしょうか。
まれないように、できれば休憩部分にスポンサーが協力するようにやっ
てくれればいいなと思いますが。
馳 ここは絶対に私もどうにか解決したいところです。健康は厚生労働
省、スポーツは文部科学省、と言っている時点で税金の使い道としても
河野 そう思います。その点、特にレスリングの選手たちは効率的にス
ったいない。事業仕分けをしないといけませんね。たとえば、個人の体
ポンサーシップを持っておられるようにみえます。
力や病状に合わせて指導やメニューを組むとして、そのトレーナーを育
成するための資格制度を組んでいく。その資格をとればスポーツあるい
馳 昨日レスリングの福田富昭会長という傑出した度胸と愛嬌にあふれ
はリハビリの分野でも通用できるような人材育成をどこかの管轄で一元
た方とお話しました。スポンサーのことを言わなければ、年間1億3000
化して、総括的な資格をとればどちらでも働けるという仕組みをつくっ
万というお金を企業も協会に出せません。ということを考えると、スポ
ていければと私は思っています。
ーツのロビー活動、スポーツのクリーンなイメージなどをコーディネー
これは政治の話。各省庁で審議会を開く場合、たとえば「スポーツと
トする必要があると思います。そのコーディネーターには、JOCがリ
健康」「予防医療」「リハビリのあり方」など厚生労働省、文部科学省な
ーダーシップをとれると思うのですが。
どが同じようなテーマで同じ先生方を呼んで、同じことを話し合い、そ
こにそれぞれ予算がついている。このような矛盾を整理するのが政治の
河野 大変貴重なご意見です。少なくとも、柔軟な考えで対応してスポ
仕事だと思います。このあたり、自分なりに取り組んでいるつもりです。
ンサーとの関係を築きたいものです。前にやったことのないようなこと
でないとスポンサーを動かすことができないものです。
河野 国民がダブルスタンダードで悩むという状態はさけたほうがいい
と思います。健康については、特にですね。
馳 世界的企業が冠になったスポーツの大会は多々ありますが、日本で
いえばトヨタ、味の素、ソニーなどがそのスポンサーに挙げられます。
馳 私もそう思います。最近は区立、都立のスポーツセンターよりも民
そのような環境整備の点で言えば、昭和36年の時点と現在では違います
間のほうがトップレベルの人が近所の人たちにいろんな要望を聞いてか
ね。
なえる施設があります。そういうのを役所が見習ったほうがいいと思い
ます。国民からしたら区立でも民間でもどちらでもいい。利用する人は
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河野 そうですね。企業もいろんなことを考えていると思いますが、こ
オリンピック選手から近所の人までさまざまですが、楽しめる場所、指
のような大会は露出が高いというのもあります。日本の国内、国外では
導できる人を確保することが大事。医療、介護、健康などの分野と有機
若干手法が違います。国外に出ると日本の大きな会社がスポンサーにな
的に結びつけることが、本当の政治の仕事と思っています。
久木留 今、河野先生、馳先生に話していただいたことは大きなレガシ
河野 国はスポーツに責任があることを、オリンピックで勝つことと同
ーです。我々としてはスポーツ基本法をなんとか具現化したいと思って
じ目線で紐解いたので、スポーツ権があったのなら、環境整備する責任
います。
が国にあるということになります。そこで議論をしないと難しい。
馳 今文部科学省の副大臣でスポーツ基本法の担当をしているのが鈴木
学生と考える社会とスポーツ
寛さんといいます。スポーツ基本法は河野先生、久木留先生、馳、そし
て遠藤利明先生と2年間にかけてまとめあげました。国会では超党派の
久木留 学生2人を交えてディスカッションをしたいと思います。澤柳
議員連盟でスポーツ議員連盟というのがあります。スポーツ族議員の住
賢二君(専修大)と宮杉理紗さん(専修大卒業・早稲田大大学院)です。
処です。そこで、この法案について社民党も民主党も自民党も国民新党
宮杉さんは、専修大学では体育会水泳部に所属し、オープンウォーターと
もみんな「(まだ粗い内容でしたが)この内容でいいですよ」という返
いって北京オリンピックから正式種目として採用された競技の学生チャ
事をもらいましたので「では各政党にもちかえって、条文にまで落とし
ンピオンでした。澤柳君は体育会には所属していない、一般の学生です。
込んでもちかえってください」と、いったんはそのようにまとまりまし
た。しかし、そのあとで馳浩、鈴木寛、民主党でもめました。もめた内
馳 その前に、私から質問させてください。この間、事業仕分けでスポ
容のひとつが、「スポーツ権」という言葉です。国民は等しくスポーツ
ーツ振興予算が削減されました。どのように思いますか?
をする権利があります。スポーツ権という言葉をつくりましょう、と。
ヨーロッパにもスポーツ憲章の中にスポーツ権を盛り込んでいます。ス
澤柳 正直、僕はスポーツの部外者です。部外者から申し上げると、今
ポーツ権という「権利」に疑問を持っています。スポーツ権という言葉、
現在、スポーツ界の状況がみえない中で財源を切られたといってもスポ
基本法に書き込んでもいいものでしょうか。
ーツ関係ではない人間からすると変化がないように感じます。
河野 書き込んで悪いということはないと思いますが……。我々もだい
宮杉 私はスポーツと教育について質問をしたかったのですが、スポー
ぶ議論をしましたが、スポーツ権の「あらゆる場所で、あらゆる機会
ツの価値が日本の社会にあまり理解されていないように感じました。
に」という言葉については書くべきだろうという話になりましたが、ス
ポーツ権という言葉は使いませんでした。
馳 私が思っているスポーツの価値は、自分のことをわかってほしい、
誰かに理解してほしいというコミュニケーションの中での自己表現、ツ
馳 なぜ鈴木さんがスポーツ権という言葉にこだわるのかなと疑問を持
ールであると思っています。小学校、中学校では集団活動でのルールを
っていたところ、先日鈴木さんのブレーン集団である日本スポーツ法学
覚えるという目的がありますが、そのうちのツールのひとつに体育があ
会の方から「スポーツ基本法にスポーツ権という言葉が入らないでしょ
ります。そのようなプロセスを経て健康を維持する、ストレス発散をす
うか」という話がありました。「国民であればあらゆる機会、あらゆる
る、生きがいのひとつになる、など自分を表現する力になります。
場所においてスポーツに親しむ環境を整備するものとすることと書いて
スポーツをする場合には、寄り添う人、指導する人、見てくれる人が
いますよ、スポーツ権そのものではないですか」と返事をしたところ
いないと、なんとなく自己満足で終わり、モチベーションが高まりにく
「いくつかのスポーツに関わる事件や事故や紛争を常に調停し、監視を
い部分があります。国民にとって生活権の一部、生存権の一部ではない
する役割が日本のスポーツ界には必要ではないでしょうか」と言われた
かと私は感じますが、サポートするために必要最小限の予算が、国費だ
ので、それはどうかと……。
「国民は等しくスポーツを楽しむ権利があ
と思います。すべてにおいてカバーするのは難しいでしょう。事業仕分
る。その権利が侵害された場合はスポーツ仲裁機構というものがあって、
けは、一人歩きができるためのサポートをするものです。その予算に対
そこで仲裁をする」というものです。そこに疑問を持っているので、議
しての考え方が、事業仕分けでは反映されなかったなあという気持ちを
論をしようと思っているところです。
持っています。
久木留 先生方がおっしゃったように、スポーツ権はスポーツをする権
河野 スポーツと教育の観点から、格差について質問します。
利です。ヨーロッパでもスポーツ権を実際に掲げている国は多くありま
せん。ヨーロッパ以外ではオーストラリア、シンガポールはスポーツに
宮杉 スポーツをしている人、競技者は裕福な人が比較的多いのかなと
関する整備が進んでいる国ですが、スポーツ権は盛り込んでいない。し
思います。
かし、ヨーロッパではスポーツ憲章の中にはスポーツ権がうたわれてい
ます。ただ、オリンピック憲章の中にもスポーツ権が入ってきます。し
馳 私は世の中不公平だと思っています。スポーツはルールがあるから
かし、スポーツをする権利は、日本国憲法で言えば憲法13条の中に幸福
格差がなくても、同じルールの中でも、柔道、空手、剣道の形などで同
追求権があり、それをつきつめればスポーツ権になりえます。あえて入
じ動作をしても明確に差が出てきます。一人ひとり違うものです。筋肉
れるのであれば、かなり時間がかかります。
隆々の人もいれば、痩せ型の人もいる。格差はあって当たり前ですが、
スポーツを見る人、楽しむ人は格差を埋められる可能性を持っています。
馳 スポーツ権を入れた場合、内閣法制局が OKを出すでしょうか。
私はそこが好きです。
久木留 難しいと思います。議員立法で出すしかないと思います。
河野 ルールで言えばまったく格差がないので、もって生まれた才能、
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3-
いうかたちでスポーツに対する教育を身につけます。そのときの指導の
あり方によって、スポーツに対する見方が変わってしまうものです。
昭和36年のスポーツ振興法から39年かけてやっと平成12年にスポーツ
振興基本計画をつくり、さらに翌13年に見直しをしました。そのときに、
数字的な目標をつくろうということで、
「国民全体が週に2回はスポー
努力で埋められない差、ここから格差が生まれると思います。勝った、
ツに親しむパーセンテージを30パーセント、週に1回親しむパーセンテ
負けたがあるから教育にも価値があります。
ージを50パーセント」としました。澤柳さんの話を聞いて、スポーツに
対する子どもたちの見方について、義務教育の中でのアプローチの仕方
宮杉 勝った、負けたもそうですが、そのスポーツをやる上でのプロセ
について我々は反省点があると思いました。ところで、宮杉さんはなぜ
スで教育的価値が生まれると思います。
スポーツをやろうと思いましたか?
河野 勝った、負けたという事実がモチベーションにつながりますか。
宮杉 きっかけは、母が水泳のコーチだったからです。他のスポーツの
経験はありません。現役中は、他のスポーツをやろうとは思いません。
宮杉 つながると思います。
馳 いま「現役中は」という言葉が出ました。実はスポーツには現役も
澤柳 勝った、負けたに価値があるというお話でしたが、スポーツ部外
引退もありません。ここの感覚に個性が出ます。私は3年前にプロレス
者としての質問をさせてください。スポーツに興味を持つきっかけは中
を引退しました。しかし、プロレスを見る、書く、プロレスの裏方に関
学や高校の部活動などになると思います。部活での指導では勝負に勝つ
わるというかたちで携わっています。澤柳君も、そういったプロとアマ
ことがメインになると思います。勝つためのチームをつくることになり
の垣根について言いたかったのですね。
ます。有能な人、そうではない人にわかれ、有能な人が注目されがちで
す。チームが円満にならないのなら、指導者不足が原因だと思います。
澤柳 一部の卓越した選手だけのスポーツではなく、国民全体が参加で
格差を埋めるのなら、個人個人の力を伸ばしてあげることも必要だと思
きるスポーツがいいと思っています。
います。
久木留 澤柳君は東京オリンピック招致に携わっていたことがあります。
馳 スポーツを通じてふれあえる子どもたちに、スポーツはどのような
ものか、どのような点がすばらしいかということを伝える能力が指導者
澤柳 視察団が来日したときに拍手で出迎えるなどの仕事をしました。
に求められます。詳しい指導者がいなかったらなかなか深く追求できな
い。それは仕方がないことでもあります。この指導者と、同じ時間を共
河野 ありがとうございました。重要な仕事をやっていただきましたね。
有するとすごく楽しい、いろんなことを聞いてみたい、工夫して認めら
東京オリンピック招致では、トップ選手も国民のみなさんも参加できる
れたい、などの気持ちを引き出すのが指導者の役割だと思います。
ということが重要であると思います。
河野 勝ち負けの話でしたが、基本的に大会が行なわれれば勝つのは一
久木留 話はつきませんが、最後にスポーツの未来像についてお話をい
人。ほとんどが負けとの戦いです。
ただきたいと思います。
馳 99パーセントの人間が負けるわけで、そこをどう受け止めるかが競
馳 みんなでやろうぜ(笑)! 終わります。
技スポーツで一番大事なところです。
澤柳 スポーツは競技者だけではなくて一般の方のものでもあると思い
河野 格差というのはそこで表れてきます。競技スポーツの指導者、監
ます。会場のみなさんがオリンピックについて、何かしら残せるように、
督は1位を除いて負けこみます。つまり、ほとんどの指導者がいい思い
みんなが楽しめるスポーツをめざしていきたいと思います。
をしません。ですから、勝つときよりも負けたときにどうするかが教育
的なこだわりが必要だと思います。
河野 賛成!
馳 スポーツはトップレベルの人たちもいますが、同時に国民のための
宮杉 私は早稲田大大学院でスポーツを勉強していますが、スポーツが
ものでもあります。ここでリードをしてあげることが私たち政治家の役
もっと盛り上がるように私も応援していけたらと思います。
目でありますし、スポーツ基本法を成立させたいのですが、本当は義務
教育なんです。小学校、中学校には誰もが通いますが、体育、部活動と
-1
4-
久木留 先生方、学生の2人、ありがとうございました。
編集後記
おかげさまを持ちまして、公開シンポジウムはのべ1,
000名の参加者を迎え盛会のうちに終えることができました。本シンポジウムにあたり、ご
多忙の中お越しいただきました河野一郎事務総長、馳浩衆議院議員に深く感謝申し上げる次第です。また、大塚製薬株式会社のご賛同とご協力をい
ただけたことも申し添えさせていただきます。
本年は、昨年のシンポジウム「オリンピックがもたらすレガシー(遺産)」に引き続くテーマとして、「スポーツの価値とは何か~学生と考える、
スポーツの未来像~」を掲げました。それは、これまでに我々を育ててくれたスポーツにもう一度目を向け、つい忘れがちなスポーツの本当の価値
を再認識する必要があると考えたからです。そしてそれは、国や中央競技団体が考えるのではなく、近未来を担う学生が考えるべき課題と考えたか
らです。
このシンポジウムにおいて河野氏からは、東京はオリンピック・パラリンピック招致活動を通して、スポーツだけでなく、環境、経済、少子化、
教育、共存など、様々なことを考える機会を得たことが語られました。また、馳氏からは、価値あるスポーツをさらに発展するためには、現在の国
内のスポーツ基盤の脆弱さ、他国と比較したときのアスリートの教育システムの未熟さ、そして国内におけるスポーツの価値、社会的評価の低さな
どを解決すべき、と語られました。両氏は、このことも招致活動によるレガシーであると強調しました。そして学生からは、人間教育におけるスポ
ーツの価値についての疑問や、一部のトップアスリートだけでなく国民全体が関わっていけるようなスポーツ文化を作り上げる必要性などが語られ、
未来へつながる大変有意義なシンポジウムとなりました。
今回のシンポジウムで語られたことは、本学のみならずこれからの日本のスポーツへの大きな示唆になると考えています。その第一歩として、こ
のムーブメントは、流通経済大学、仙台大学など、他の大学に引き継がれることになったことも申し添えさせていただきます。
最後になりましたが、本学学務課、教務課をはじめとした大学関係各位の多大なるご支援とご協力に感謝申し上げます。
専修大学社会体育研究所所長 長島 博
専修大学社会体育研究所
長島 博
佐藤 満
前嶋 孝
飯田 義明
野呂 進
久木留 毅
安川 通雄
齋藤 実
佐藤 雅幸
渡辺 英次
吉田 清司
平田 大輔
佐竹 弘靖
時任真一郎
社会体育研究所所報5
7号(別冊)
平成22年3月20日発行
発行者 長島 博
発行所 専修大学社会体育研究所
〒214-8580 神奈川県川崎市多摩区東三田2-1-1
電話・ファクシミリ 044-911-103
2
EMai
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t
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sc.
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j
p
写 真 笹井孝祐
構 成 栁田直子
デザイン ㈱石山組版所
印 刷 美研プリンティング㈱
製 作 ㈱小林事務所
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