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山本七平著『現人神の創作者たち』ちくま文庫(2007年 - ioj
山本七平著『現人神の創作者たち』ちくま文庫(2007年10月10日)を読んで 2010年12月11日 連載の第3回分掲載:IOJ 会員 鈴木 弥栄男 宮健三氏)-HP の巻頭言より引用 新たなる展開を目指して(IOJ 代表・宮健三氏)-HP の巻頭言より引用 「原子力のガラパゴス化」の解決には、背景にある「原子力の風土」にも目を向けなければなりません。我 が国のエネルギー問題における政策の立ち遅れや、未だに根強い一般国民の原子力アレルギーといった問題 を考える時、歴史を振り返ってみるという視点が欠かせません。戦後、民主主義の導入に伴い、それまでの 伝統を否定してきた事実は重大で、その結果、一般国民は、経済的な繁栄は得たものの精神的基軸を失って しまいました。確固たる信念を持てなくなり、いわゆる「空気」に左右されて状況判断をしているだけに止 まっています。 第3回はⅠ部の⑧売国奴と愛国者のあいだを取上げたい。(23ページ分を3ページに短縮しているので、意 味が通じない点があればご容赦願いたい)なお、ここに記載した青字の文章は引用したことを示す。 前回の第2回から取上げる‘章’を急激にジャンプして趣を変えてみたい。 筆者も少々横道に逸れて、岸田秀氏との対談『日本人と「日本病」について』(文藝春秋刊)の岸田秀氏のプ ロローグから引用していることを明らかにしている。 この本を薦めてくれた宮健三さんから、「鈴木さん、この本は実に内容が濃くて、少なくとも三回くらい読まない と理解できないですよ!」といわれ、更に「今読んでいるなら、売国奴と愛国者のあいだの章を読みなさいよ! 今の日本の状況をぴたり予測しているのが分かりますよ!」との助言を頂いた次第であることを告白します。 ・・・・岸田氏は、日本軍の行動と神経症に罹った鼠と対比して、「私には、この鼠と日本軍がダブって見える」 と結論されている。一体なぜ、そう見えるのであろう。・・・・・ 鼠をT字路のスタートラインに置き、突き当たって一方に曲がれば餌があり、他方に曲がれば電気ショックを 受けるというようにしておく。・・・・・このようにして形成された鼠の条件反応には臨機応変性、柔軟性があって、 必ず右側(または明るい側)へ曲がるように条件づけられた鼠を、今度は、左側(または暗い側)に餌があるT 字路においてやれば、そのうち左側(または暗い側)へ曲がるようになる。反応形式を状況に応じて変更でき るわけである。 ところが、餌と電気ショックが、ときには右側、ときには左側、ときには明るい側、ときには暗い側という具合に、 一切規則性を欠いたT字路に鼠を置くと、その鼠は、状況を無視した固定的、強迫的反応を示し始める。例 えば、餌があろうがなかろうが、右側なら右側へ曲がる反応が固定する。・・・・右側へ曲がり続けるのである (消去抵抗)。この鼠の行動を擬人的に解釈すれば、鼠は、何ら規則性が発見できない状況に放り込まれてど うしていいのか分からず不安になり、しかし、腹が減ってくるから何らかの行動は起こさざるを得ないので、不 安から逃れるため、とにかく根拠はないが右側なら右側へ曲がるという方針を決定し、一旦決定すると、何度 失敗しても断乎として方針を変えないわけである。私には、この鼠と日本軍がダブって見える。 大分長く引用させて頂いたが、確かに日本軍はそうであった。「状況は全く分からなくなった。分からないは 分からないで致し方がない。断乎、自分の行き方を貫くまでだ。それで全滅するなら、全滅して本望だ」とば かりに、何度失敗しても、同じことを全滅するまでやるのである。その点では確かにネズミ的である。だが日本 -1- 軍とは日本人であり、日本人とはその歴史の産物である。・・・・そのため以後は専ら左に曲がり続ける。状況 が変化しないなら、これは上手くいくであろう。だがひとたび状況が変化すれば、左に曲がることによって右に 曲がったと同じ結果を生じる。・・・・・ そう考えてみて以上のことを幕末・戦後の日本に当てはめてみると面白い。戦前の日本人は、ある行為をす れば亡国になり、その逆をすれば必ず勝者となって安全であると信じ込んでいた。勿論、何によって信じ込ま されたかは忘れたか、消したかしてしまった。従ってそれは一種の呪縛のようになり、誰もこの行き方をどうする こともできない。これは全日本的態度で、軍隊はただそれが鮮明に出ているに過ぎないのである。では何が日 本人をそうしたのか。簡単にいえば浅見絅斎が「謝枋得」編で長々と記した宋滅亡の経過とそれへの朱子の 批評である。ここでは北方の金と講和を策する和平派は全部売国奴でその象徴が秦檜であり、李綱や尽忠報 国の岳飛に象徴される軍人はみな愛国者なのである。従って、軍人の言う通りにしていれば、謝太皇太后が 国を元に献じて滅びるような事態にはならなかったであろうという結論が一応でてくる。こういう図式を頭の中 に叩き込まれていれば、李鴻章は狙撃され、小村寿太郎は売国奴とされ、東大に「バイカル七博士」が出現し、 講和反対の焼打ち事件が起こっても不思議はない。何しろ「譲歩は敗北への道だ」になるから、軟弱外交否 定、決裂も辞せず一歩もひくなと、断固主張するのが勝利と国家保全の道であり、これを突き詰めれば、譲歩 妥協して他国と条約を結ぶことさえ悪になってしまう。 日本は大体そのようにし、そうしていれば国は保持できるという呪縛にかかっており、軍人だけでなくマスコ ミも世論も、三十四年前の八月十五日までそれを主張し続けた。ところがこの考え方・行き方により、大変に 「痛い目」より「餌の方」へと曲がって、近代化という成功を克ちとった。ところがこれが固定し、客観情勢が変 わっても同じように右に曲がり続け、大変に「痛い目」にあった。そこで左に曲がって意外な戦後的成功を克 ち得た。すると今度は客観情勢が変化しても左に曲がり続けよと主張される。ところが今になってまことに規則 性のない国際情勢の中に放り出された。もっとも過去にも国際的環境は戦場と同様元来規則性はないのだ が、自らのうちに呪縛化した規則性に基づき、その通りやったり、その逆をやったりして、その成功と失敗を規 則性としてきたわけである。・・・・・・ 実際は別として少なくとも発想で「戦後」とは「戦前」の「反世界」であり、それを主張しさえすれば、その人間 が「義」であることは事実であった。これはちょうど戦前において「謝枋得」編の宋滅亡の経過の逆を主張して いればそれが「義」であったのと似ている。例えば戦前は強大な陸海軍を持ち、全ての国を敵としたから戦後 はその逆の非武装中立で全ての国と仲良くしようとなり、そうすればあのようなことはないという発想になる。こ の種の「戦前=悪、その逆をすれば義」的な考え方は、戦前は「親共」が悪、戦後は「反共」が悪といった裏返 し状態を例にあげるまでもなく、新聞の投書その他の到る所にある。それを要約すれば「逆コース」という批判 の内容になるであろう。この言葉を、岸田氏のネズミと対比すれば、戦後の「コース」は戦前を基準とすれば 「逆コース」ということになり、戦後を基準とすれば戦前が「逆コース」ということにもなる。従ってこの言葉の背後 にあるものは、通常使われるのは後の意味だが、この「逆コース」を悪とするなら。戦前の逆をやれば宜しいと いうことなのである。・・・・・最終的には、非常に把握しにくい客観情勢の変化が入る余地がなくなってしまうの である。 ところが・・この「逆コース・コース・逆コース」を共通する浅見絅斎的発想が一貫してあり、それは一言でい えば「攘夷」なのである。「攘夷」などと言うと何やらもう過ぎ去ったことのように思われるが、「靖献遺言」が一種 の革命思想として機能し得たのはそこにある攘夷的発想の故であり、これは日本の革新的思想に常に内在す る問題だからである。一体、「尊皇」は体制変革の契機になり得たのであろうか。・・・・そうなれば幕府が率先し て「尊皇」であっても少しも不思議ではない。特に「尊」を儀礼的な意味にとれば、勅使に対する幕府の態度な どはまさに「尊皇」の一語に尽きる。妙な言い方だが、幕末に於ける「尊皇」は戦後の「民主主義」のようなもの で、全員がこれを口にし、これを主張し、自らがその体現者として振舞っており、こうなると「尊皇」というスロー -2- ガンは「倒幕」にはならず、変革を招来することも不可能になってくる。これをみるとその状態は、「民主集中制 共産党」から「民主自由党」に至るまで、全てが「民主」を「主」「義」としても、「私は民主主義に反対し、これも 否定する」と主張する人間が皆無に等しい戦後の日本に似ている。いわば保守も革新も「民主」を主張するよ うに、当時は幕府も反幕府も「尊皇」を主張していた。こうなれば「尊皇」だけでは、戦後の「民主」同様、変革 の契機ならなくても不思議ではない。 だが「攘夷」となるとこれは少々事情が悪い。・・・・・・幕末から現代まで、日本では「革新」はほぼ同時に「反 米」であった。コースは何回も逆転しているように見えて、ここは実に興味深い「攘夷的継続性」とイデオロギー の結合があると言わねばならない。・・・・・ 「口で民主主義をとなえても、米帝と結託している政府は民主主義ではない」と同じように「口で尊皇をとな えても、洋夷と結託している幕府は尊皇ではない」し、「鬼畜米英と妥協しようとする政府は国賊」なのである。 ・・・・・・ 朱子は浅見絅斎にとって「神の如き人」であり、従ってこの言葉は神託のように絶対的になってくるからであ る。・そしてこれは「靖献遺言」をバイブルとした幕末の志士にとっても絶対的拘束力があった。・・・・・ 多事以来、この三説六端(戦・守・和と夫々の主張の両端)の者、冥々のうちに是非相攻め、可否相奪 う。・・・・天の理に循うにあらざることなくして、而して意、必、固、我の私にあらざるなり。請うまたその実を指 して、これを明らかにせん。 天高く地低く、人、中に位す。天の道は陰陽より出でず、地の道は柔剛より出でず。これすなわち仁と義を舎 てて、また以て人の道を立つることなし。然り而して仁は父子より大なるはなく、義は君臣より大なるはなし。是 を「三綱の要」「五常の本」という。人倫は天理の至り、天地の間に逃るる所なし。・・・・・・ 幕末から明治、更に戦前・戦中の日本を頭に浮かべ、その時々のスローガン、「尊皇攘夷」、夷狄に等しい 「蒋政権を相手にせず」「英霊に相すまないから撤兵できない」「鬼畜米英」「道義に基づく東亜新秩序」「撃ち てしやまん」「一億玉砕」等々、その本は全てここに登場する。 ・・・・・・・・・ ひとつの原則を基にしつつも、情勢の変化に対応しての「臨機応変性、柔軟性」があったということである。 と同時に明治の指導者は、自分たちの思想を意識的に把握していた。そしてその把握がある限り、それは無 自覚の絶対化にならず、この思想そのものに対しても柔軟に対応できたわけである。ところが昭和は、これが まるで潜在意識下から人びとを拘束しているような形になり、主観的には様々の理由を述べつつも、実際はこ れが絶対的ともいえる“神経症的原則”になってしまった。 ・・・・・・・・・ 確かに「変革」というものは、体制の外に絶対性を置き、それを基軸として体制の方を変えて行くのだという 発想がなければあり得ない。 ・・・・・・・・・ もしここに奇妙な人間が出て、例えば浅見絅斎が生れ出てきて、朱子学的体制を絶対化し、これを基軸に して日本の戦後民主主義体制を一変させようとするなら、これは確かに体制の外部に絶対性を置く変革であ る。しかし「民主主義」を絶対化するなら、これはすでに体制の中にあり、「本物・偽物」論争しか起こらない。そ してその判別用試験紙に、どの外国にどのような態度をとるかを使う、という考え方は、絅斎→攘夷の伝統で あろう。そしてこれが、日本人から外交能力を奪ってしまった。従ってチャーチルのような態度も、キッシンジャ ーのような態度もとれない。このことが、情勢の変化に対応できぬ状態を生み出し、これが岸田氏の指摘する 状態への転落を加速させているのである。・・・・・・・・ -3- 以上小生が読んで非常に気になり、「歴史認識」なるものの、ほんの僅かに理解?した内容である。 ここで論じている内容に多少関連するであろう問題を以下に披露したい。 卑近な事例を挙げれば、中国の漁船が尖閣諸島(中国では魚釣島諸島と呼んでいるそうな)の領海内に故 意的に侵入し、海上保安庁の巡視船に体当たりして船長らが身柄を一時期拘束された事件を思い起こす。ま たロシアの大統領が北方四島の一つに飛行機で乗り込み、住民らと会談してインフラ整備を約束するなど示 威行為をした事件もある。それぞれは領土権の彼らの強圧的な主張であろう。以前には竹島問題も韓国と日 本で問題が発生しているが、それも古くはなく、歴史認識の差異だと主張がぶつかり合う。更には靖国神社参 拝問題も歴史認識の差異から問題が発生している。 特に領土問題の一つ;尖閣諸島問題では、ビデオ映像の公開の是非、地方検察庁による船長の釈放に関す る非難などがある時期までテレビや新聞で報道され続けましたが、北朝鮮の砲撃事件でぴたりと取上げがなく なり、今では市川海老蔵事件と大きく変化しています。こと中国での反日運動の過激化したときには日本メデ ィアは報道していましたが、今現在は何も報道していません。沈静化したのか、中国政府の弾圧が強化された のかなどのその後の報道がやはりピタリ止まってしまっています。 報道が盛んな時期においては、それに対する行政府の対応や野党の非難、それを煽りたてるマスコミの報道 を見るにつけ、果たして情報が氾濫している現代で、どれが事実であり、どれが色を付け誇張拡大若しくは矮 小化しているのか報道を受ける側の国民には判断しにくい状況であったのではと、小生には映ります。 上述の領土問題は、何れにせよ、海底に埋蔵されている資源(エネルギーや鉱物など)問題や食料(魚介類 など)問題が背景に潜んでいるし、時の政権が次ぎを狙っての愛国心を煽り立てるという間接的な利得をも内 包している複雑なものであろうことは言うまでもない。 山本七平の謂わんとしている内容と、小生が事例をあげた現在の一例とを比較してみて、読者はそれぞれに 考えて頂ければ有り難く思います。 そして宮健三さんが言っている「戦後、民主主義の導入に伴い、それまでの伝統を否定してきた事実は重大」 の真意を掴みとっていただければと思います。 -4-