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Vierzig Hadite
40のハディース イマーム・アンナワウィー 編 黒田壽郞 訳 Original : An-Nawawi’s Forty Hadith English Translation by : Dr. Ezzedin Ibrahim Denys Johnson-Daves 慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において 訳者の序文 歴史的、文化的にみて、日本とイスラーム世界はほとんど没交渉であったといっても決し て過言ではない。交渉が始められたのは最近のことであり、それも不幸にしてもっぱら経済 的なものに終始しているのが現状である。研究の領域においても、近来真撃な研究者たち の多方面にわたる成果が徐々に発表されつつあるが、研究の伝統の浅いわが国において は、いまなお基本的な文献の研究、紹介が不可欠な段階にあるといえる。 イスラーム世界の根幹をなす宗教イスラームそれ自体についても事情は同様である。イ スラームの第1の基礎はもちろん『聖クルアーン』である。幸いにしてこれにはすでにいくつ かの翻訳があるため、一般の読者にも原典にあたることが容易になった。しかし言語的に もまったく異なったアラビア語で、預言者ムハンマドを介して啓示されたこの聖典は、異質 の発想、奇異な表現を多く含んでおり、環境、発想を異にする日本人には、適当な注釈書 なしにはなかなか理解しにくい。このような努力は、残念ながらこれまで尐しも払われなか ったのである。『クルアーン』以外にもイスラームにはその礎となり、その聖典理解の鍵とも なる預言者ムハンマドの言行を記した伝承(hadith)があるが、厖大な量にのぼる預言者の 言行録も、これまでほとんど紹介の労がとられていない。このような事情が、わが国におい てイスラーム理解の大きな障害となっているのは否めない事実である。 千数百年前、日本でいえば聖徳太子の時代に啓示された『クルアーン』を基幹とするイス ラームという宗教が破竹の勢いで中東地域を中心に広がり、今なお7億あまりの人々に信 奉されている秘密は一体何であろうか。ムスリムが多数を占めるイスラーム世界において、 イスラームはたんにわれわれの理解するかぎりでの宗教にとどまらず、あらゆる分野にお ける知的活動の発想の根元ともなっているのである。イスラーム精神の現代の状況への適 用という点では、意見に相違が見られるものの、その源であるイスラームにたいして、人々 は確固とした忠誠心を持ちつづけているのである。この秘密を知るにはとにかく原典にあた るしかない。『クルアーン』の翻訳がすでに存在する今、さしあたり必要なのは、単に宗教的 な側面ばかりでなく、社会的・文化的・道徳的といったすべての側面を包含するイスラーム という宗教の本質を端的に指示し、説明するような原典の翻訳であろう。このような観点か らすると、同じ趣旨に基づき編まれたアンナワウィーの『40の伝承集』の翻訳は、時宜にか なったものといいうるのである。 ここで伝承と訳されたハディースは、アッラーから啓示『クルアーン』を下された預言者ム ハンマドの言行を伝えた記録である。この類いまれな、世に容れられた預言者は、そのイス ラームに関する深く正しい理解に基づいて、『クルアーン』の精神を日々の言動のうちに見 事に結晶させている。このような観点からムスリムは、アッラー自身の言葉である『クルアー ン』の内容に厳密に従うと同時に、その精神の正しい具体化といえる預言者ムハンマドにま つわる伝承の内容に従うことを要請されているのである。ちなみにこの伝承の内容は、信 者により「踏み従われるべき道」という意味で、アラビア語ではスンナ (sunnah) と呼ばれて おり、本書においては簡単に「言行」と訳されている。信者たる者がこの言行に従うべき根 拠としては、『クルアーン』が次のように指摘している。 『使徒があなたがたに与えるものはこれを受け、あなたがたに禁じるものは、避けなさい。』 (第59章7節) おりにふれて信者たちに示された預言者の言行は、聖典『クルアーン』の精神の適切な 具体化として、簡明にして強い説得力を持つものであった。それは信者たちにとりやや難解 な『クルアーン』を真に理解するための鍵となったのである。先にあげたような理由から、イ スラームにおいては伝承のかたちで後代まで伝えられた言行は、『クルアーン』を補足する 位置にある。したがって伝承に関する正しい理解は、ムスリムが自らの信仰を完成するた めに必須のものであると同時に、一般識者がイスラームならびにイスラーム世界に正しい 認識をもつ上で、必要不可欠のことなのである。 イスラームにとり基本的な資料である伝承研究は、イスラーム学の中で一専攻科をなし ており、その蒐録にあたっては、古来それ以上期待しえないほどの厳密な配慮がなされて きた。口伝的な性格をもつものは、えてして伝承者の恣意により勝手な改竄が行なわれる 可能性が強い。しかし学者たちは本文(matn)の前に必ず長い伝承の鎖(sanad)を付し、本 文の内容がイスラームの精神に合致するものか否か、伝承の鎖が完全か、個々の伝承者 に人格的な欠陥はないか等々の問題を多くの角度から検討して、一々の伝承の信憑度を 定めている。これまで個人の言行に関してこれほど厳密な研究がなされた例を知らないが 、本書に引かれた諸伝承はとりわけ信憑性の高いものであり、疑念の余地をさしはさみえ ない。 先にも述べたように、預言者の伝承集成は厖大な量にのぼっている。アルブハーリー、 ムスリム等の碩学が生涯をかけて蒐集した伝承集成には多種あるが、ここでは煩を避けて 言及を控えておくことにする。とまれ浩翰なこれらの集成は、決して一般の人々が読み進め る点で便利なものではない。したがって原著者が序論で指摘しているように、多くの学者た ちが小冊子の伝承集を編んでいるが、僅かな伝承をもとにイスラームの総合的な理解を意 図した本書は、さしあたり格好の翻訳の対象といえよう。ちなみに本書の著者はイマーム・ ヤフヤー・イブン・シャラフッディーン・アンナワウィーで、ヒジュラ暦676年に他界している。 13世紀に編まれたこの伝承集は、その簡明にして綜合的な性格のゆえに、以後ひろくイス ラーム世界で愛読されつづけている。本書は1976年にI・イブラーヒーム・D・ジョンソン=ディ ヴィス両訳者の手によりダマスカスから英訳が出版されているが、翻訳、註の点でこの訳 書を活用したことを付記しておく。 最後に翻訳の技術的側面に関して若干付記する。翻訳にあたっては、なるべく原義に沿 うように努めたが、それが不可能な場合、カギカッコで補足した。 なお、註は煩雑を避けるため最小限にとどめた。またイーマーン、イフサーン等適当な訳 語が見つからず、原語がイスラームのキイ・タームとして重要なものである場合、アラビア 語をそのまま転記するにとどめた。 本訳書が正しいイスラーム理解のための一助となれば望外の幸せである。 黒田 壽郎 up ↑ イマーム・アンナワウィーの序文 讃えあれアッラー、万世の主、諸天と大地をくまなくしろしめし、万物を宰べられる御方。 まぎれもない徴、明白な証をもって正しい導きを広め、宗教の掟を説くために遣わされた御 使いたちの派遣者。アッラーよ、これらすべての御使いに祝福と平安を授けたまえ。また私 は、その恵みたもうすべての恩籠のゆえに心からアッラーを讃え、いやます恩恵、慈愛を乞 い願う者である。またアッラーの他に神はなく、アッラーこそは並びない唯一の神にして、凌 威この上もなく、惜みない恩恵と赦しの与え手であることを誓言するとともに、われわれの 長ムハンマドがアッラーの下僕、御使いであり、その賞で愛したまう者であると証言する。 ムハンマドはいつの世までも奇蹟たりつづける尊きクルアーンと、導きを求める者みなに光 明を投げかけるその言行のゆえに、格別の栄誉を授けられた、よろずの被造者に優る者で ある。われわれの長ムハンマドは、その確たる言葉、宗教的実践に示した寛容の精神にお いて比類のない者である。アッラーよ、彼とその余の預言者たち、御使いたち、ならびに彼 らの一族のすべてと他の敬虔な信者たちに祝福と平安を授けたまえ。 次に引くアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―の言葉は、アリー・ イブン・アブー・ターリブ、アブドッラーフ・イブン・マスウード、ムアーズ・イブン・ジャバル、ア ブッ=ダルダーウ、イブン・ウマル、イブン・アッバース、アナス・イブン・マーリク、アブー・フラ イラ、アブー・サィード=ル=フドリー ―アッラーよ彼らすべてを嘉したまえ―の権威に基づき、 さまざまな伝承の鎖を経て種々のかたちで伝えられている。 「われらが民のため、その宗教に関する40の伝承を記憶し、伝えた者は、審判の日にアッラ ーにより法学者、宗教学者の一員に加えられるであろう。」 他の伝承によれば〔後半の部分は〕、「アッラーは審判の日に彼を法学者、宗教学者とな されるであろう」、となっている。またアブッ=ダルダーウの伝承では、「審判の日に私は彼の とりなし手、証人となろう」、イブン・マスウードの伝承では、「彼は伝えられるであろう。『望 みの門から楽園に入れ』」となっている。イブン・ウマルの伝承は、「宗教学者の一人として 登録され、来世において殉教者として生れかわるであろう」としているが、伝承学者たちは、 この伝承には数多くの鎖があるが、信憑性の弱いものであるという点で意見が一致してい る。 宗教学者たち―アッラーよ彼らを嘉したまえ―は、このような趣旨から無数の著書を著し ている。私の知る限りでは、最初にこのような著作〔40の伝承の編著〕をものしたのはアブド ッラーフ・イブヌ=ル=ムバーラクであり、ついで神性について通暁した学者イブン・アスラム・ アットゥーシー、アルハサン・イブン・スフヤーン・アンナサーイー、アブー・バクル・アルアー ジュッリー、アブー・バクル・ムハンマド・イブン・イブラーヒーム・アルイスファハーニー、アッ ダーラクトニー、アルハーキム、アブー・スアイム、アブー・アブドッラフマーン・アッスラミー、 アブー・サイード・アルマーリーニー、アブー・ウスマーン・アッサーブーニー、アブドッラーフ ・イブン・ムハンマド・アルアンサーリー・アブー・バクル・アルバイハキー等、上代、後代を通 じて無数の人々がこうした著述を行なっている。 私は、これらイスラームの卓越した指導者、宗教の護り手を模倣して40の伝承を編むに あたり、至高のアッラーの良き導きを求めた。 宗教学者は、それが善行に関わるものである限り、信憑性の弱い伝承をも実行に移すこ とを許している。ただし私はそのような伝承によらず、御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を 与えたまえ―の正しい伝承にのみ依拠した。〔その中には次のような言葉がある。〕「なんじ らの証人には、その場に居合せぬ者に〔真実を〕伝えさせよ。」また御使い―アッラーよ彼に 祝福と平安を与えたまえ―の言葉には、つぎのようなものもある。「アッラーよ、私の言葉を 耳にしてそれを心に誦んじ、耳にしたそのままを伝える者〔の顔に〕輝きを与えたまえ。」ま たある宗教学者たちは、宗教の基本要項またはそれから分れた諸細目、例えば聖戦や禁 欲的修行、あるいは立居振舞いの規範、説教といった特定の問題に関して40の伝承を編 んでいる。これらの著述はすべて正しい意図のもとに成されており、このような意図をもつ 者はアッラーの御心にかなう者といえよう。ただし私は、この40の伝承の編著を先にあげた ものよりー層重要であると考えている。40の伝承は上述の趣旨すべてを包合し、同時にそ の一々の伝承は、宗教学者が「イスラームの要」、「イスラームの大半」、「イスラームの3分 の1」等と述べたような、偉大な宗教的礎の一つに当るものでなくてはならない。さらにこの 編著においては、各々の伝承は真正疑うべからざるものであり、その大半がアルブハーリ ーとムスリムの『サヒーフ』から引用さるべきであろう。引用にあたり私は、アッラーの御心 のもとに暗誦を容易ならしめ、その利益をさらに一般的なものとするために、〔煩雑な〕伝承 の鎖を記すことをせず、後に難解な表現を明らかにする註釈を付した。 来世に心を至す者はすべて、ここに引かれた諸伝承に精通しなければならない。これらはきわ めて重要な事柄を含んでいるとともに、〔アッラーにたいする〕従順の諸相に関する警告を備え もっているのだから。問題を熟慮する者にとっては、ことは明白である。ひとえにアッラーを信 じ、アッラーのみに縋り、帰依したてまつる。讃嘆と恩寵の主にして、成功と〔誤謬を許さぬ〕清 浄さの源たる御方に。 第1の伝承 信者たちの長1[1]、アブー・ハフス・ウマル・イブヌ=ル=ハッターブ2[2]―アッラーよ彼を嘉 したまえ―の権威3[3]による。彼は伝えている。私はアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝 福と平安を与えたまえ―が言われるのを聞いた。 行為とは意志にもとづくものであり、人はみな自らの意志した事柄の所有者である。した がってアッラーとその御使いのために聖遷に参加した者は、アッラーとその御使いのため に聖遷4[4]を行なったのであり、現世の利益、結婚相手の女のために聖遷に加わった者は 、それらのために聖遷を行なったにすぎない。 この伝承は、伝承学の大家である2人のイマーム、アブー・アブドッラーフ・ムハンマド・イ ブン・イスマーイール・イブン・イブラーヒーム・イブヌ=ル=ムギーラ・イブン・バルディズバ・ア ルブハーリーと、アブ=ル=フサイン・ムスリム・イブヌ=ル=ハッジャージ・イブン・ムスリム・ア ルクシャイリー・アンナイサーブーリーの各『サヒーフ』5[5]中に記載されている。ちなみにこ の両『サヒーフ』は、著述6[6]の中でももっとも信憑性の高いものという評価をうけている。 註: 11 アミール・ル・ムウミニーン/信者たちの長とは、カリフたちに与えられる呼称。 12 第二代目正統カリフ 3 直接預言者から伝承を耳にしている人物を権威とした。伝承は普通以下のような鎖(伝承27註(3)参照)を持って いる。「この伝承はEにより伝えられ たものである。EはDから、DはC、CはB、BはAから伝え聞き、A は預言者が言われるのを聞いた。」この場合、もちろんAが権威となる。ち なみに本書では煩雑を避け、多く の場合B以下は省略されている。 14 聖遷はマッカ(メッカ)からアルマディーナ(メディナ)へのムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)の移住を指 す。 5『サヒーフ』は「真正伝承大成」の意。本文中にあるように、アルブハーリーとムスリムの『サヒーフ』は伝承 学中で欠かすことの出来ない重要な集大成。 16 ここでは伝承集成の著述をさす。 up ↑ 第2の伝承 この伝承もまたウマル1―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 ある日われわれがアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―と一緒 に坐りこんでいると、真白な服を身にまとい、真黒な髪をした男がこちらにやってきた。この 男には旅をしてきたという風情は尐しもなかったが、われわれは誰も彼を知らなかった。彼 は預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―の前に膝と膝をつきあわせて座り、両 の掌を両腿の上に置いた姿勢でこう訊ねた。「ムハンマドよ、イスラームについて説明願い たい。」するとアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は答えた。「イス ラームとは、アッラー以外に神はなく、ムハンマドはアッラーの御使いであると証言し、礼拝 を行ない、喜捨2を払い、ラマダーン月に断食し、可能な場合に〔アッラーの〕家3に巡礼を 果すことです。」すると男はいった。「その通りだ。」われわれは預言者にこのような質問をし 、その答えに肯く男に驚きの眼をみはった。 男はまた訊ねた。「それではイーマーン4〔信仰〕について説明して欲しい。」すると預言者 は答えた。「それはアッラーとその諸天使、〔啓典の〕書と使徒たち、審判の日、善悪二つの 相をもって〔アッラーが定めたまう〕宿命を信ずることです。」男は「その通り」と繰り返してか ら訊ねた。「それではイフサーン5〔善行〕について話して欲しい。」預言者は答えた。「それ は貴方がまじまじとアッラーを見るように彼を敬い崇めることです。貴方が眼にしていなくと も、アッラーは貴方を見ておられるのですから。」そして男が件の時〔最後の審判の日〕につ いて訊ねると、預言者は答えた。「その問題については、訊ねられた者も訊ね手以上に知っ ている訳ではありません。」男がさらにその〔時がやってくる〕徴候について訊ねると預言者 はこう答えた。「奴隷女が女主人を産み6、また貴方は、はだしで素っ裸の文なし牧童ども が、競って豪華な殿堂を建てる姿を見かけるでしょう。」そこで男は立ち去り、私はそのまま 暫らくじっとしていたが、預言者がこう訊ねられた。「ウマルよ、いろいろものを訊ねたあの 人が誰だか解るかね。」私は答えた。「アッラーとその御使い〔だけ〕が御存知です。」すると 預言者は言われた。「あの方は天使ジブリール7だよ。お前たちにお前たちの宗教につい て教えるためにいらっしゃったのだ。」 これはムスリムにより伝えられた伝承である。 註: 1 上述の2代目正統カリフ、ウマル・イブヌ=ル=ハッターブのこと。 2 「救貧税」とも訳されるが、信者の富に応じて課され、貧者に分け与えられる一種の税。 3 マッカにあるカアバのこと。 4 イーマーンは通常「信仰」と訳されるが、イスラームにおいて基本的な用語であるため、アラビア語のまま記 す。 5 イフサーンは一応割註として善行という訳を付しておいたが、特殊の宗教的意味合いがあるため、言語のまま にしておく。この語の訳としては辞 書中に「善行」「善」「慈善」「誠意」等の語が見られるが、語根は「・・・に精通 する」「・・・に熟達している」の意味を持ち、本書中の伝承17にこの用法が見ら れる。 6 この表現には種々の解釈がある。例えばアンナワウィーは注釈中で次のような解釈を記している。つまり奴隷 女たちがのちに自由の身となる息子や娘を産み、したがって子供たちが親の主人となる。また普通 ’amah とい う言葉は「奴隷女」を意味するが、われわれ人間は全てアッラーの奴隷、しもべであるという点で、全ての女性 をも意味する。その場合この個所は「子供たちが少しも母親を尊敬せず、彼女らを奴隷のように扱うときが来 るであろう」という意味になる。註釈者たちによれば rabbah という語は女主人のみでなく rabb つまり男の主人 の意をも含むと言っている。 7 ジブリールは主天使、一般にはガブリエルの名で親しまれている。 第3の伝承 ウマル・イブヌ=ル=ハッターブの息子、アブー・アブドッラフマーン―アッラーよ彼ら両名を 嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 私はアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―がこう言われたのを聞 いた。 イスラームは5つの〔柱の〕上に建てられている。つまりアッラー以外に神はなく、ムハンマド がアッラーの使徒であると証言すること。ならびに礼拝を行ない、喜捨1を払い、〔アッラー の〕家2に巡礼し、ラマダーン月に断食することである。 この伝承は、アルブハーリーとムスリムの2人が伝えている。 註: 1 第2の伝承の註(2)参照 2 第2の伝承の註(2)参照 第4の伝承 アブー・アブドッラフマーン・アブドッラーフ・イブン・マスウード―アッラーよ彼を嘉したまえ ―の権威による。彼は伝えている。 つねに真実を語り、その言葉が正しいと信じられていたアッラーの御使い―アッラーよ彼 に祝福と平安を与えたまえ―は、つぎのように述べられた。 お前たちが創られるおりには、母親の腹の中で40日間精子が宿り1、それから同じ期間凝 血となり、ついで同じ期間肉塊となる。その後天使が遣わされて霊を吹きこむが、この天使 はさらに4つの仕事2をするよう命ぜられている。つまり〔生れてくる者の〕生業3、命の長さ、 行為、幸・不幸を書きとめることである。ところで唯一無二の神であるアッラーに誓っていう が、お前たちのある者は、楽園の徒の行為にいそしみもう尐しで天国というところで、この 帳簿に記されたこと4に災いされ、劫火5の徒の行為に耽って地獄におちる。だがまたある 者は、劫火の徒の行為に耽りすんでのところで地獄行きというところで、帳簿に記されたこ とが幸いして、楽園の徒の行為にいそしみ天国に入る。 この伝承はアルブハーリーとムスリムの2人が伝えている。 註: 1 原文では「創造が精子として集められ」となっているが意訳した。 2 原文は「言葉」となっているが意訳した。 3 rizqという語は、この語以外に「日々の糧」「財産」「現世における運」「アッラーから授かる糧」などの意味がある。 4 天使は上記の四つの事項を帳簿に書きとめておく。そこに既に来世の命運が書き記されているわけである。 5 劫火とは地獄の劫火であり、それはしばしばそのまま地獄を意味する。 up ↑ 第5の伝承 信者たちの母1、ウンム・アブドッラーフ、アーイシャ―アッラーよ彼女を嘉したまえ―の権 威による。彼女は伝えている。 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は申されました。 われわれのこの問題2について、それに相応しくないことを主張する者3がいるが、そのよう な連中の考えは拒否しなければならない。 この伝承はアルブハーリーとムスリムの2人が伝えているが、ムスリムはつぎのような伝 承も記載している。 われわれの事柄4と反する行為を行なう者があるが、そのような連中の行為は拒否しな ければならない。 註: 1 預言者の妻を指す呼称。 2 すなわちイスラームの宗教上の問題。 3 本来それに該当しない、もしくは由来しない新たな主張を唱える者の意。 4 註(2)と同じ。 第6の伝承 バシールの息子、アブー・アブドッラーフ・アンヌアマーン―アッラーよ彼ら両名を嘉したま え―の権威による。彼は伝えている。 私はアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―がこう言われるのを聞 いた。 許されたこと1は明らかであり、禁じられたこと2もまた明瞭であるが、その中間には多くの 人々が知りえないさまざまな疑わしい事柄がある。したがって疑わしい事柄を避ける者は、 自分の宗教、名誉に関して〔過ちから〕免れるが、それに足を踏み入れる者は禁じられた行 為を犯すことになる。これはちょうど聖域のまわりで動物を飼う牧童3が、聖域の中で動物 に草を食ませる危険を冒すようなものである。まことに王者は誰しも聖域をもっているが、ア ッラーの聖域とはそのさまざまな禁令である。まことに肉体の中には一片の肉があり、それ が健全な場合肉体はすべて健全だが、それが腐ると肉体もすべて腐ってしまう。その〔一片 の肉〕とは心のことに他ならない。 この伝承は、アルブハーリーとムスリムの2人が伝えている。 註: 1 原語ハラールとは宗教で許されたこと、許された行為を指す。 2 原語ハラームとは宗教で禁じられたこと、禁じられた行為を指す。 3 聖域中で動物に草を喰ませてはならないが、えてしてその周囲で動物を飼う牧童は知らぬ間にその禁を破って しまいがちである。 第7の伝承 アブー・ルカイヤ・タミーム・イブン・アウス・アッダーリー―アッラーよ彼を嘉したまえ―の 権威によれば、預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう述べられた。 「宗教とは誠実さ1のことである。」そこでわれわれは訊ねた。「それは誰に対する〔誠実 さ〕でしょう。」すると預言者は答えられた。「アッラーとその御使いたち、ムスリムの指導者 たち、一般のムスリムに対してである。」 この伝承はムスリムが伝えている。 註: 1 アラビア語の原語はnasihahであるが、この語には多くの意味がある。一般には「忠言」の意であるが、この文 脈には妥当でない。ちなみにこの語には「ある人間に対し、もしくはある状況に於いて正しく振舞うこと」「廉直 さ」「高潔さ」等の意味がある。 第8の伝承 ウマルの息子1―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威によれば、アッラーの使者― アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう語られた。 私は人々が、アッラー以外に神はなく、ムハンマドがアッラーの御使いであると証言し、 礼拝を行ない、喜捨を払うようになるまで彼らと戦う2よう〔アッラーの〕命令を受けた。これら を行ないさえすれば人々は生命3、財産を保証されるのである。ただしイスラームの理念に 照らして〔罰を受けるに相応しい行ないをした場合は〕別だが。とまれ彼らは、至高のアッラ ーにより評価を受けるのである。 この伝承は、アルブハーリーとムスリムの2人が伝えている。 註: 1 第2の伝承註(1)参照 2 イスラームは、確信による改宗を主張している。『聖クルアーン』はいっている。「宗教に強制があってはなら ない。」また次のような個所もある。「英知と正しい誘いを持ってあなたの主の道に誘え。人々に対し最も妥当 な説得を行うことだ。」 聖戦はムスリムの土地に攻撃を仕掛ける敵、穏健な手段によりなされるイスラームの宣教活動を妨害する者、背 信者といった特殊の範疇に入る人々に対してのみ行われる。具体的な歴史的事実に照らしても、俗にいう「コー ランか剣か」といったイスラーム理解が誤っていることは既に学会でも通説となっている。古来被占領地の異教 徒も人頭税を払いさえすれば、生命、財産と信教の自由を保障されていたのである。 3 原語は「血」。ここでは意訳した。 第9の伝承 アブー・フライラ・アブドッラフマーン・イブン・サクル―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威 による。彼は伝えている。 私はアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―がこう言われるのを聞 いたことがある。 私がお前たちに禁じたことを遠ざけよ。そして私が命じたことに全力をつくせ。先人たちが 滅びたのは、無闇にあれこれと訊ねまわり1、自分たちの預言者に背いたからである。 この伝承は、アルブハーリーとムスリムの2人が伝えている。 註: 1 原文では「彼らの多くの質問が」となっている。預言者たちの言葉を信用せず、根掘り葉掘り質問するだけの態 度を指す。 up ↑ 第10の伝承 アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。 至高のアッラーは善であり、善しか受け入れない。まさにアッラーは信者にたいし、使徒た ちに命じられたことと同じことをなすよう命ぜられているのである。至高のアッラーは申され ている。 「使徒たちよ、美味いもの1を遠慮なく食べてよい。そして善行をなすのだ2。」また至高のア ッラーはこうも申されている。「信仰する者よ、われらがなんじに特に備えてやった美味いも のを充分に食べるがよい。3」それから彼は長旅で髪とり乱し、埃だらけの男の話をされた。 男は両手を空高くかかげ、「あゝ主よ、あゝ主よ」と〔助けを求めて叫んでいる〕。だが彼の食 べもの4は宗教で禁じられたものであり、飲みもの、衣服についても同様で、〔要するに〕禁 じられたもので食いつないでいるのである。こんな男の願いがどうして叶えられようか。 この伝承はムスリムが伝えている。 註: 1 美味しいものtayyibaatは、前出の善tayyibと同根の語である。本来は善い食べ物の意。 2 『クルアーン』第23章51節。 3 『クルアーン』第2章172節。 4 原意は「栄養を与えられている」の意 第11の伝承 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―の孫でアリー・イブン・アブ ー・ターリブの息子にあたり、御使いに特別の愛情を寄せられた1アブー・ムハンマド・アル ハサン―アッラーよ彼とその父を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 私はアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―の〔口から聞いた〕つ ぎのような言葉を覚えている。 お前の疑いを誘うものを遠ざけて、疑念の余地のないものをとれ。 この伝承はアッティルミズィーとアンナサーイー2の2人が伝えているが、アッティルミズィ ーはこれを優れた正しい伝承だとしている。 註: 1 原文にはrayhanah薫り高き花という表現が用いられている。この表現は預言者が特に孫のアルハサン、アルフ セインに用いた呼称。彼らの父は、預言者の娘婿で第4代正統カリフのアリー・イブン・アブー・ターリブで ある。 2 アッティルミズィーとアンナサーイーは、正統派で公認されている6人の伝承編者に入る。ちなみに彼ら以外に 公認されている編者は、上述のアルブハーリー、ムスリムのほかに、アブー・ダーウードとイブン・マージャ である。 第12の伝承 アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。 関わりのない問題を放っておくことは、良きムスリムたること1の一部である。 アッティルミズィーその他が伝えている優れた伝承である。 註: 1 原文では「男がイスラームを信ずる美点」といった意味になっている。 第13の伝承 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―の従僕アブー・ハムザ・ア ナス・イブン・マーリク―アッラーよ彼を嘉したまえ―が、預言者―アッラーよ彼に祝福と平安 を与えたまえ―から聞いたという伝承。それによれば預言者はこう言われている。 自分自身を愛するように兄弟を愛すまでは、誰一人信者ということはできない。 この伝承は、アルブハーリーとムスリムの2人が伝えている。 第14の伝承 イブン・マスウード―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。 つぎの3つに該当しないかぎり、ムスリムの血を流すことは許されない。結婚した男が姦通 した場合。一人の生命にたいする一人の生命1。宗教を棄て〔ムスリムの〕共同体を離れた 場合。 この伝承は、アルブハーリーとムスリムの2人が伝えている。 註: 1 いわゆる「目には目を」の同態復讐法のケースである。ある親族、味方の一員が不法に殺された場合、それに報 復する権利があるが、これは避けうる限り避けるべきだとされている。原文では「一人に対する一人」となって いるが意訳した。 up ↑ 第15の伝承 アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威によれば、アッラーの御使い―アッラ ーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。 アッラーと最後の〔審判の〕日を信ずる者は、口をひらけば良き言葉を語り、さもなければ 口をふさいでいるべきである。アッラーと最後の日を信ずる者は、隣人に対し寛大であらね ばならない。アッラーと最後の日を信ずる者は、客を遇するに寛大でなければならない。 この伝承は、アルブハーリーとムスリムの2人により伝えられている。 第16の伝承 アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 ある男が預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―に言った。「なにとぞ私に助 言を与えて下さい。」すると預言者は言われた。「腹を立てぬ1ことだ。」男はまた何度か〔同 じ言葉を〕繰り返した。預言者はまた「腹を立てぬことだ。」と言われた。 これはアルブハーリーにより伝えられている伝承である。 註: 1 アンナワウィーはその註釈の中で、怒りが人間の本性に基づくものであるとし、この伝承がそのような感情に 負けぬよう人々に促していると言っている。 第17の伝承 アブー・ヤアラー・シャッダード・イブン・アウス―アッラーよ彼を嘉したまえ―の構威によれ ば、アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。 まことにアッラーは、あらゆる事柄にたいしイフサーン1〔善処〕を命ぜられた。したがって お前たちは人を殺す時にも良く殺し、動物を屠る時にも良く屠らなければならない。お前た ちは刃をよく鋭ぎ、屠られる動物の苦しみを和げるべきなのである。 これはムスリムの伝えている伝承である。 註: 1 第2の伝承註(5)参照 第18の伝承 アブー・ザッル・ジュンドゥブ・イブン・ジュナーダとアブー・アブドッラフマーン・ムアーズ・イ ブン・ジャバル―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威によれば、アッラーの御使い―ア ッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。 どこにいようとアッラーを畏れよ。悪行を犯したあとには、それを拭い消すような善行に努 めよ。また他人とは良い付き合い1を保つこと。 これはアッティルミズィーの伝えている伝承である。彼はこれを優れた伝承だと言ってお り、また他の版では優れた正しい伝承としている。 註: 1 原文では「良き性質をもって他人と付き合え」となっている。本文のように意訳した。 第19の伝承 アッバースの息子、アブ・ル・アッバース・アブドッラーフ―アッラーよ彼ら両名を嘉したま え―の権威による。彼は伝えている。 ある日私が預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―の後ろ1に座っていると、 預言者は私にこう言われた。「いいか若者よ、お前にいくつか教訓2を与えてやろう。〔いつ も〕アッラーを念ずるのだ。そうすればアッラーはお前をお護り下さるだろう。アッラーを念ず れば、お前はアッラーを眼の前に見ることができる。願いごとがあればアッラーにお願いし、 頼みごとがあればアッラーに助けを求めるのだ。いいか、もしも人々が集まってお前を何か の手段で助けようとしても、結局彼らはアッラーがお前のために予め定められた3手段で助 けるにすぎない。人々が寄り集ってお前に何か害を加えるにしても、アッラーが予め定めら れたことで危害を与えるだけだ。〔定めを記した〕ペンはすでになく、〔それが書かれた〕頁は もう乾いてしまっている。4」 これはアッティルミズィーの伝えている伝承であるが、彼はこれが優れた正しい伝承だと している。 アッティルミズィー以外にも〔これに類する〕つぎのような伝承がある。 アッラーはお前がいまだに苦境にあると認めて下さるであろう。いいか、お前にふりかか ったことはお前を苦しめるためのものではなかったし、お前を苦しめたことはお前にふりか かるためのものでもなかったのだ。勝利は忍耐と共にあり、安堵は悩みと共に、楽は苦と共 にあることを胆に銘じなければならない。 註: 1 同じ乗り物の後ろの意 2 原文は「言葉を教える」となっている。意訳。 3 原文は「書かれた」となっている。 4 すでに定められてしまったことは変更がきかないという意味。 up ↑ 第20の伝承 アブー・マスウード・ウクバ・イブン・アムル・アルアンサーリー・アルバドリー―アッラーよ 彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。 人々が認めている最初の預言1の言葉に、つぎのようなものがある。「お前が恥かしいと思 わないならば、好きなことをするがよい。2」 これはアルブハーリーの伝えている伝承である。 註: 1 ムハンマド以前の預言者たちの言葉。 2 この伝承には二つの解釈が可能だとされている。A)羞恥心を感じない限り、人間は良心の命ずるままに過ちを 犯すことなく行動することが出来る。B)羞恥心を持ち合わせぬ者に対しては、好き勝手なことを止めさせる手 段はない。 第21の伝承 アブー・アムル―彼はアブー・アムラとも言われている―スフヤーン・イブン・アブドッラーフ ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 私は言った。「アッラーの御使いよ、貴方以外の誰にも訊ねることのできないような、イス ラームに関する話をきかせて下さい。」するとこう答えられた。「私はアッラーを信じますと言 い、それから行ないを正すことだ。」 これはムスリムの伝えている伝承である。 第22の伝承 アブドッラーフ・アルアンサーリーの息子、アブー・アブドッラーフ・ジャービル―アッラーよ 彼ら両名を嘉したまえ―の権威による。 ある男がアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―に訊ねて言った。 「貴方は、もし私が定めの礼拝を務め、ラマダーン月に断食を行ない、許されたものを許さ れたもの、禁じられたものを禁じられたものとしたら、それ以上何をしなくとも楽園に行ける と思われますか。」すると御使いは「その通り」と答えられた。 これはムスリムの伝えている伝承である。 第23の伝承 アブー・マーリク・アルハーリス・イブン・アースィム・アルアシュアリー―アッラーよ彼を嘉 したまえ―の権威による。彼は伝えている。アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安 を与えたまえ―はこう言われた。 清潔さは信仰の半分である。アルハムドリッラー〔讃えあれアッラー〕という言葉は秤を満 たし、スブハーナッラー〔完全無欠のアッラーよ〕とアルハムドリッラー1〔讃えあれアッラー〕 の2つの言葉は天地の間すべてを満たす。礼拝は光であり、施しは明らかなる証拠、忍耐 は明り、そしてクルアーンはお前のための証拠もしくは反証2である。人はみな1日を朝から 始め、自分の魂を売る3。ただしその結果魂を自由にする者もあれば それを破滅に導く者 もある。 これはムスリムの伝えている伝承である。 註: 1 二つともアッラーを賞賛、賛嘆する表現。ここではこれらの言葉を唱えることの宗教的価値を説いている。 2 善悪の基準であることを意味している。 3 この部分は文学的表現だが、一日は一生の比喩として理解されよう。生涯を通じて人は魂をアッラーに引き渡 すか、それ以外のものに売り渡す。 第24の伝承 アブー・ザッル・アルギファーリー―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は至大 至高の主1が預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―に語られたこととして、預 言者からこの伝承2を伝え聞いている。主はこう申された。 わが下僕らよ、私は不正を私自身に禁じ、お前たちの間でも禁じた。それゆえたがいに 不正を働いてはならぬ。 わが下僕らよ、私が手ずから導いた者を除いてはすべて迷いの道を行く者である。それゆ え私に導きを求めれば、正しい導きを得られよう。 わが下僕らよ、私が自ら養う者を除いてはすべて飢えに悩む者である。それゆえ私に糧を 求めれば、糧食を授かるであろう。 わが下僕らよ、私が衣服を与える者の他はすべて生れたままの裸である。それゆえ私に衣 服を求めれば、願いは叶えられよう。 わが下僕らよ、お前たちは昼も夜も罪を犯すが、私はすべての罪の赦し手。それゆえ私に 赦しを求めれば、罪も赦されよう。 わが下僕らよ、私を損なおうとしてもそれはかなわぬこと。私のためになろうと努めてもそれ もかなわない。 わが下僕らよ、もしもお前たちの最初の者、最後の者、人間やジンがみな、仲間のうちで一 番敬虔な心の持主のようであったとしても、それで私の王国に何ひとつ付け加えることはで きない。 わが下僕らよ、お前たちの最初の者、最後の者、人間やジンがみな、仲間のうちでもっとも 邪悪な者のようであったにしても、それで私の王国から何ひとつ減ずることはできない。 お前たちの最初の者、最後の者、人間やジンがこぞってひと所に立ち、ものをせがみ、私 がみなに望みのものを分け与えたとしても、それで私の持ちものが何ひとつ減る訳ではな い。減るとしても大洋に針を入れ〔その分だけ水がなくな〕るようなもの3。 わが下僕らよ、私が数えあげるのはお前たちの行ないばかり。いずれそれに相応しい報酬 を与えることにしよう。 それゆえ善きこと4を見出す者には、アッラーを讃えさせよ。それ以外のものしか見出せぬ 者にはわれとわが身を非難させよ。 これはムスリムの伝えている伝承である。 註: 1 アッラーのこと。 2 この種の伝承はHadith Qudsiつまり聖なる伝承と呼ばれている。これは預言者がアッラーから直接聞いた言葉と して伝えているものである。一般の伝承の内容は預言者の言葉であるが、聖なる伝承の内容は必ずしもアッラ ー自身の語られた言葉そのままである必要はないが、とにかくアッラーのお言葉であるため、一段と価値が高 いとされている。ただし「クルアーン」の一部とみなされるようなことはない。 3 全ての被造物に対するアッラーの超越性を示唆している。 4例えば来世における善きこと。 up ↑ 第25の伝承 これもまたアブー・ザッル―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―のある教友1たちが預言者 ―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―に言った。「アッラーの御使いよ、裕福な連中が 〔アッラーの〕報奨を独り占めにしてしまいます。あの連中はわれわれ同様礼拝し、われわ れ同様断食したうえに、施しのためにたっぷり富を分け与えているのですから。」 すると預言者は答えられた。「アッラーは君たちにも、施しとして分け与えるものを創られな かったかね。実際、どのタスビーハ2も施しであり、どのタクビーラ3、タフミーダ4、タフリーラ 5もすべて施しなのである。善行を勧めることも施しなら、悪行を戒めることも施しであり、君 たちの性の営みの中にすら施しがあるのだから。」 そこで教友たちが言った。「アッラーの御使いよ、われわれの誰かが性欲を満足させたとし ても、そのために報奨が得られるのですか。」それに答えて預言者は言った。「どうだね、も し誰かが禁じられたやり方でそれをしたら、罪を犯すことになりはしないかね。同様に許さ れたやり方でするなら、報奨にあずかるのが道理だろう。」 これはムスリムの伝えている伝承である。 註: 1 教友とは預言者と直接面識があり、彼を信じ、ムスリムとして他界した者を指す。アラビア語ではsahabi、複数 はashabもしくはsahabahである。 2 スブハーナッラーと唱えること。第23の伝承註(1)参照 3 アッラーフアクバル(アッラーは至大なり)と唱えること。 4 アルハムドゥリッラーと唱えること。第23の伝承註(1)参照 5 ラーイラーハイッラッラー(アッラー以外に神はなし)と唱えること。 第26の伝承 アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた。 あらゆる人間のすべての手足の骨は、陽が昇ったら毎日施しをしなければならない。相手 ときちんと付きあうことも施しなら、人が乗り物に乗るのを助けたり、そこに抱きあげてやっ たり、持ちものを渡してやることも施しである。優しい言葉も施しなら、礼拝に赴く一歩一歩 も、道路から危険なものを取り除くことも施しである。 この伝承は、アルブハーリーとムスリムの2人が伝えている。 第27の伝承 アンナウワース・イブン・サムアーン―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威によれば、預言 者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われたとのことである。 高潔さは良き徳性である。〔それに引きかえ〕悪事は魂に染み付き、お前は他人にそれを 詮索されることを嫌うだろう。 これはムスリムの伝えている伝承である。 他にもワービサ・イブン・マアバド―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による伝承がある。 彼は伝えている。 〔預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた〕「お前は高潔さについて 訊ねるためにやって来たのかね。」私は「はい、その通りです」と答えた。すると預言者は言 われた。「自分の心に訊ねてみるがよい。高潔さとは魂が満ち足り、心も満足を覚えるよう なものだ。だが悪行は魂にしみつき、他人が繰り返し「お前が法的に正しい」と言ってくれて も、胸さわぎを覚えさせずにはいない。1」 これは2人のイマーム、アフマド・イブン・ハンバルとアッダーリミーのムスナド2の中に収 められた由緒正しい伝承の鎖3を持つ優れた伝承である。 註: 1 伝承の編者は上記の二つの伝承を一緒に記載しているが、これは両者が主題、文章の点で類似しているためで あろう。 2 主題別ではなく、預言者から伝承を伝え聞いた人物別に編まれた伝承集。 3 伝承を聞き伝えた人々の系列をisnad(伝承の鎖)と呼ぶ。たとえばCはBから、BはAから、Aは預言者からか くかくの話しを聞いたとある場合、C・B・Aを伝承の鎖という。これらの人物が宗教心、人格、識見ともに優 れていればいるほど、伝承自体の価値も高い。 第28の伝承 アブー・ナージフ・アルイルバード・イブン・サーリヤ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威 による。彼は伝えている。 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は、われわれの心を畏怖 の念で満たし、眼から涙を溢れさせるような説教をなされた。そこでわれわれはお願いした 。「アッラーの御使いよ、いまのお話はまるで訣れの説教1のようでした。何とぞ私どもに良 き忠告をお与え下さい。」すると御使いは言われた。「私は忠告しよう。至大至高のアッラー を畏れ敬い、たとえ卑しい奴隷がお前たちの長となっても、耳を貸し、従うのだ。お前たちの うちで〔長〕生きする者は、いずれさまざまな意見の相違を眼のあたりにするであろう。だか らお前たちは私の言行2、正しい導きを受けて正道を行くカリフたち3の言行を離れてはなら ない。是が非でもそれに縋りついていることだ4。新たな創りごとには気をつけねばならない 。新しい創りごとは〔異端者の〕勝手な考え5であり、それはみな道を踏み迷わせるものなの だから。あらゆる誤謬は地獄の劫火のものなのだから。6」 この伝承はアブー・ダーウードとアッティルミズィーの2人が伝えている。アッティルミズィ ーは、これが優れた正しい伝承だとしている。 註: 1 この世に永遠の別れを告げる者の最後の説教の意。 2 言行と訳したsunnahは、本来「道」「踏み従われるべき道」の意。イスラームにおいて、例えば預言者の語った言 葉、行った行為は特に後のムスリムの規範となる重要なものであるため、そのような意味を込めた「言行」と 訳される。 3 正道を行くカリフたちとは、一般に預言者を継いだ四人の正統カリフをいう。この場合「正統」という訳は適切 でないため、原義を取った。 4 原文では「歯でしっかりと食らいついていろ」の意。 5 bid’ahは悪い意味での「改革」、そこから「異端」「異端者の教義」の意がある。 6 原文は「道を踏み迷わせる者は劫火の中にある」の意。 第29の伝承 ムアーズ・イブン・ジャバル―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている 。 私は言った。「アッラーの御使いよ、私を楽園に導き、地獄の劫火から遠ざけるような行 ないについて教えて下さい。」すると御使いは答えられた。「それは大変〔重要〕な質問だ。 至高のアッラーのおかげで、〔難しいことでも〕簡単にしていただいた者には手易いことだが 。アッラーを主として敬い、アッラーに似たものがあるなどと言わぬこと。また礼拝を行ない 、喜捨1を払い、ラマダーン月に断食し、〔アッラーの〕家に2巡礼すること。」それからこう付 け加えられた。「お前に幸福の門について教えてやるかな3。まずは断食だ。これは盾とい えよう。つぎに施し。これは水が火を消すように過ちを消す。それから真夜中の礼拝だ。」そ れから彼はクルアーンのこの部分を唱えた。『そのような人々は寝る間も惜しく起きあがり、 怖れつつ、願いつつ、一心に主に祈り、われらの授けた結構なものを心おきなく主の道に 使う。この人たちのしてきたことの報いとして、どれほどの楽しみが秘かに用意されている か、誰一人知る者はない。4』それから彼は言った。「お前に問題の核心、その柱、そのもっ とも際立ったものについて教えてやろうかな5。」そこで私は答えた。「はい、アッラーの御使 いよ、どうかお願い致します。」すると彼は言った。「問題の核心とはイスラームだ。その柱と は礼拝で、もっとも際立ったものとはジハード6だ。」それからこう付け加えた。「ところでお前 がこうしたことをどうして統御したらよいか、教えてやろうかな。」私は答えた。「アッラーの御 使いよ、何とぞお願い致します。」すると彼は舌をつまんでいった。「これを慎しむのだ。」私 は尋ねた。「アッラーの預言者よ、私たちは口にしたことで評価される7のでしょうか。」する と彼はいった。「ムアーズよ、お前もお袋泣かせだな8。人々の舌が収穫したもの以外に、一 体彼らを地獄に逆落し9にするものがあるだろうか。」 これはアッティルミズィーが伝えており、優れた正しい伝承だとしている。 註: 1 第2の伝承註(2)参照 2 第2の伝承註(3)参照 3 原文では相手の関心を喚起するような「・・・教えてやるまいかな」といった否定形が取られている。ただしこ こでは肯定的に訳した。 4 クルアーン第32章16-17節。原文ではクルアーンより長い部分を引用する際にムスリム著述家がよくするよう に、引用の冒頭の部分と最終の部分のみが記されている。 5 原文では問題の頭、その柱、そのこぶの上となっている。こぶはもちろんラクダのこぶのこと。ここでは意訳 した。またこの文も註(3)の場合同 様「・・・教えてやるまいかな」と否定形になっており、その答えも「いえ いえどうか・・・」となっているが、肯定的に訳した。次に同様な例が続く が、これも肯定的に訳した 6 アラビア語のジハードは一般に聖戦と訳されているが、これはいささか誤解を招きやすい。本来この言葉は戦 闘行為のみでなく、イスラーム発展のためのあらゆる努力を指している。従って原意を尊重してアラビア語の ままとした。 7 評価とは、最後の審判における評価のこと。 8 原文では非難を込めた慣習的表現「おまえのお袋はおまえに死なれるぞ」となっている。特殊な表現なので意訳 した。 9 逆落としと訳した部分には異版がある。原典も「顔を真下にして」「鼻面を真下にして」の両説をそのまま記載し ている。 up ↑ 第30の伝承 アブー・サアラバ・アルフシャニー・ジュルスーム・イブン・ナーシル―アッラーよ彼を嘉した まえ―の権威によれば、アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこ う言われた。 至高のアッラーは種々の宗教的義務を定められた。したがってそれを蔑ろにしてはなら ない。またさまざまな限界を設けられた。したがってそれを踏み越えてはならない。ある種 のことがらを禁止された。したがってその禁を破ってはならない。アッラーが言及されていな いものもあるが、それはお前たちにたいする憐れみの心からでたもので、決してうっかり忘 れていたからではない。だからそのようなことを追い求めてはならない。 アッダーラクトニーその他が伝えている優れた伝承である。 第31の伝承 アブ=ル=アッバース・サフル・イブン・サアド・アッサーイディー―アッラーよ彼を嘉したまえ ―の権威による。彼は伝えている。 ある男が預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―のところにやって来て言った 。「アッラーの御使いよ、私がそれをすれば、アッラーも人々も私を愛するような行ないにつ いて教えて下さい。」すると預言者は言われた。「現世から身をひけば、アッラーはお前を愛 されるだろう。人々が所有しているものから身をひけば、人々はお前を愛するだろう。」 これはイブン・マージャその他が、優れた伝承の鎖とともに伝えている伝承である。 第32の伝承 アブー・サイード・サアド・イブン・マーリク・イブン・シナーン・アルフドリー―アッラーよ彼を 嘉したまえ―の権威によれば、アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ ―はこう言われたとのことである。 危害を加えること、たがいに危害を加えあうことのいずれもあってはならない。 これはイブン・マージャ、アッダーラクトニー等がムスナド1として伝えている優れた伝承で ある。マーリクはその著『アルムワッタウ』2の中に、アムル・イブン・ヤフヤーから彼の父、 預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―へと遡る鎖をもつムルサル3の伝承とし てこれを記載している。ただし彼はアブー・サイードの名を記していないが、アブー・サイー ド〔の権威に関して〕はたがいに他の信憑性を強めあう多くの伝承の鎖がある。 註: 1 預言者自身から最後の伝承者まで完全な鎖を持つ伝承。 2 アナス・イブン・マーリクの著した伝承と法学に関する古典的な書。 3 上代のムスリムを区別する手段として「教友」と「第二世代」の別がある。教友は第25の伝承註(1)で指摘した ように、預言者と直接面識のあるいわゆる第一世代のムスリムである。これに対して「第二世代」は教友の誰か と面識のあるムスリムをいう。アラビア語ではtabi’i複数はtabi’unである。 ところでムルサルの伝承とは、伝承の鎖が最後の伝承者から第二世代の人々にまでさかのぼるだけで、預言者と の中間に教友の名が挙げられていないものである。従ってムスナドより価値は低いが、ほかに異なる伝承の鎖が あれば信憑性は一段と高まるとされている。 第33の伝承 アッバースの息子―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威によれば、アッラーの御使 い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われたとのことである。 人々が望むだけのものを与えられるとするならば、彼らは他人の財産や生命まで要求す るだろう。ただし要求する者には明らかな証拠が必要であり、拒絶する者には誓いが必要 である1。 アルバイハキー等はこの伝承をこのまま伝えている。またこの一部は2つの『サヒーフ』2 中に記載されている。 註: 1 要求する側、拒否する側いずれにも正しい根拠がなければならないの意。 2 アルブハーリー、ムスリムの伝承集成の題名。 第34の伝承 アブー・サイード・アルフドリー―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えてい る。 私はアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―がこう言われるのを聞 いた。 お前たちの誰でも、悪行1を見かけたら自分の手でそれを変えるようにするがよい。それが できなければ自分の舌で。それもできなければ心で。だがそれしかできない者は、もっとも 信仰の弱い者2。 これはムスリムの伝えている伝承である。 註: 1 「忌むべきこと」「宗教的観点から避けられるべきこと」の意。 2 原文では「最後の場合は信仰心の最も弱い現れ」といった意。 up ↑ 第35の伝承 アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた。 たがいに妬みあってはいけない。値をつり上げあってもいけない。憎しみあい、背を向けあ ってもならない。値を下げあってもならない。アッラーの下僕たちよ、お前たちはたがいに兄 弟でなければならない。ムスリムたる者は他のムスリムの兄弟なのだから。兄弟を虐げた り、見捨てたり、騙したり、軽蔑してはならない。敬虔さはここにあるのだ。―こういいながら 御使いは自分の胸を三度指差された― 一人前の男にとって、ムスリムの兄弟を軽蔑する などということは、悪行以外の何であろうか。すべてのムスリムは他のムスリムにとり侵す べからざるものである。彼の血も、財産も、名誉も。 これはムスリムによって伝えられた伝承である。 第36の伝承 アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威によれば、預言者―アッラーよ彼に 祝福と平安を与えたまえ―はこう言われたとのことである。 信者からこの世の悩みを一つでもとり除いた者には、アッラーが審判の日の悩みを一つ とり除いて下さるだろう。気の毒な人を優しく面倒見た者には1、アッラーが現世と来世で優 しく面倒を見て下さる。ムスリムをあつく庇護した者には、アッラーが現世と来世であつい庇 護を与えて下さる。アッラーはその下僕が兄弟を助けるかぎり彼に援助の手をさしのべられ る。また知識を求めて道を歩む者には、アッラーが平坦な楽園への道を用意して下さる2。 アッラーの家の1つに集まってアッラーの書を朗読し3、たがいにそれを学びあう者たちの上 には、かならず静けさが訪れ、慈悲が彼らをつつみ、天使たちにとり囲まれた彼らの名は、 アッラーが自らの近みにとどめおく者4として読みあげられるであろう。自分の行ないで道5 を進めない者は、血筋をもってしても急ぎ行くことはできない。 ムスリムはこの伝承を、このままの形で伝えている。 註: 1 原文は「生活に苦しむ人を楽にしてやる者には」の意。 2 原文は「楽園への道を容易にして下さる」の意。 3 アッラーの家は例えばマスジドを指す。アッラーの書は「クルアーン」のこと。 4 アッラーは気に入られた者を自分の側にとどめおかれる。 5 例えば「楽園への道」。 第37の伝承 アッバースの息子―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威による。彼は至大至高の主 が預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―に語られたこととして、預言者からこ の伝承1を聞いている。栄誉かぎりなき至高の主はこう申された。 アッラーはさまざまな善行、悪行を定め、ついでそれを詳しく説明された。そして善行をし ようと思ったがそれを果さなかった者のためには、完全な善行を1つ行なったものと〔帳簿に 〕書きとめ、善行をしようと思いたちそれを実行した者のためには善行を10、その700倍、さ らにはそれ以上行なったものとして書きとめる。また悪行を思いたったが、それを実際に行 なわなかった者のためにも、完全な善行を1つ行なったと書きとめるが、悪行を思いたちそ れを実行した者には、悪行を1つ行なったと書きとめるだけである。 これは、アルブハーリーとムスリムの2人がこのままの形でおのおのの『サヒーフ』中に記 載している伝承である。 註: 1 これも聖なる伝承である。第24の伝承註(1)参照。 第38の伝承 アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた。至高のアッラ ーはこう申された。 私の友に敵意を示す者には、自分は誰に対しても戦いの宣言をする。私の気に入ることを して私に近づこうと望む下僕1は、自分に課された宗教的義務をきちんと果すことだ。定め られた義務以外の良い行ないに努める下僕は、ますます私に近づき、ついには私の愛を かちうるであろう。そして私が彼を愛するようになれば、私は彼の聞く耳、彼の見る眼、彼の 打つ手、彼の歩く足となろう。彼に願いごとがあれば私はかならず叶え、彼が避難所を求め ればかならずそれを用意してやるだろう。 この伝承は、アルブハーリーの伝えているものである。 註: 1 アッラーの下僕、つまりムスリムのこと。 第39の伝承 アッバースの息子―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威によれば、アッラーの御使 い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた。 アッラーは私のために、私の民の過ち、怠慢、気のりのなさをお赦し下さった。 イブン・マージャ、アルバイハキー等によって伝えられた優れた伝承である。 up ↑ 第40の伝承 ウマルの息子1―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は、私の肩に手をかけて言 われた。 この世においては、異邦人か旅人のように暮らせ2。 またウマルの息子1―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―は、よく次のような言葉を口にし ていた。 朝にはタベを期待するな3。タベには朝を期待するな。病いのために健康をふりあて、死の ために生をふりあてよ。 この伝承はアルブハーリーが伝えている。 註: 1 第2の伝承中(1)参照。 2 束の間の現世に執着せず、永遠の生である来世にこそ執着せよ。 3 善行を一日延ばしにしてはならない。朝思い立ったことを夕方すればよいなどと後回しにしてはならない。こ の伝承は全て善行を主題としている。「病のために・・・」は次のように解釈される。健康な時には様々な宗教 的義務をきちんと果たすことが出来る。だからその間に来世の報奨を期待できる善行を積んでおけ。 第41の伝承 アムル・イブヌ=ル=アースの息子・アブー・ムハンマド・アブドッラーフ―アッラーよ彼ら両 名を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた。 愛着までもが私のもたらしたものに相応しくならないかぎり、本当の信者とはいえない1。 これは、『キターブ=ル=フッジャ』2からとった正しい鎖を持つ正しく優れた伝承である。 3 註: 1 愛着と訳した語hawanは、愛情、欲望、快楽等の意味がある。愛着は訳語でも一番控えめなもの。とにかくそ れは人間の意志で統御しにくいものであるが、愛着までがイスラーム精神にかなっていない限り、本当の信者 とは言えないの意。 2 アブ=ル=カーシム・イスマーイール・イブン・ムハンマド・アル=イスファハーニー〔ヒジュラ暦535年没〕の 著書。証明の書の意。 3 著書、アンナワウィーは本書の題名を「40のハディース」としているが、更に2つの伝承を付け加えている。 第42の伝承 アナス―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。 私はアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―がこう言われるのを聞 いた。 至高のアッラーは申された1。 アーダムの息子よ2、お前が私を呼び求め、私に〔心から〕願うかぎりは、お前のしでかした ことを赦し、大目にみてやろう。アーダムの息子よ、お前の罪が空の雲に届く程であっても、 私に赦しを求めさえすればお前を赦してやろう。アーダムの息子よ、お前がこの地球と同じ ほどの大罪を犯して私のところにやってきても、私の姿を見て私に似たものは存在しないと 思うなら、それ3と同じ赦しを与えてやろう。 これはアッティルミズィーにより伝えられているが、彼によれば正しく優れた伝承である。 註: 1 これも聖なる伝承である。第24の伝承註(1)参照。 2 アーダムは人類の始祖といわれるアダムのこと。アーダムの息子はアーダムの裔、すなわち個々の人間を指す 。 3 それは地球を指す。アッラーの赦しの寛大さを示す伝承である。