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Silk_naze kasho[2]

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なぜ迦葉は
大乗経典の主要登場人物になったのか・
ジョナサン A
.シルク
(平岡聡訳)
初期大乗.経典の作者逮が試みた一つの挑戦は,聖典の範囲を広げようと
試みるものなら誰でもが試みるものと同じである o 彼らはその創作がその
根本においては全く創作ではなししたがって実際には自分達の新しい経
典の提示は,そこに新たな考えが横溢しているにもかかわらず,すでに確
立し受け入れられている聖典の枠を現実には少しも越えていないことを,
その聴衆に納得させなければならなかった。さらにその新しさは純粋に実
質的な古さを装っていな砂ればならない。周知のどとし大乗経典の作者
達が,当時すでに普及していた聖典の集成と自分遠の新たな作品とが連続
性を持ち,また首尾一貫していることをその聴衆に納得させるために用い
た方策の一つは,新たに構築された話を馴染みのある舞台に置くというこ
とであった。少なくとも我々に入手可能な初期大乗経典,即ちおそらく紀
元後一・二世紀に遡る経典の場合,その舞台は常に初期仏教経典以来馴染
みのあるもので,聴衆の多くもプッダの対告者の多くも同じである。言う
までもなくプツダ・シャーキャムニが中心に位置し,シュラーヴァスティ
ーやラージャグリハというお決まりの場所で,シャーリプトラ,マウドガ
リヤーヤナ,アーナンダ,そしてスプーティといった弟子達に閉まれなが
ら説法をするが,このような馴染みの環境の中に新たな話を入れるこーとは,
同じ状況にある旧来からの馴染みの話に帰せられるのと同じ権威と信憲性
とが,この新たな資料に帰せられているのだということをその聴衆に示し
ていることになるのである。新たな話も,同じプッダが同じ場所で,少な
くとも部分的には同じ聴衆に対して説法しているので,聴衆にはすでに馴
染みのある教えと同様に真正であり正統であることになる。
しかし実際にはそれ以上のことがここで起こっている。初期仏教経典の
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なぜ迦葉は大乗経典の主要登場人物になったのか(シルク)
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登場人物は大乗経典の作者に借用されているが,それは自分達の経典に権
て我々の世界に出現するというのは,大乗や小乗に関係なく広く仏教徒の
威を持たせるだけではなく,自分達の経典が古い教えの枠組みを越え,従
聞に受け入れられていた考えであり,したがってすでに確立していたシャ
来の経典よりも優れていることを示すためでもある o 時にこのような過程
ーキャムニの権威を,ある使者を通してマイトレーヤに繋ぐことは難しい
は極めて明白である。維摩経のような文献で高僧のシャーリプトラがピエ
ことではなかった。すでに認められている二つの権威の源泉を繋ぐ生きた
ロ役を演じさせられたり,また法華経の第四章では,偉大な弟子であるス
環としての使者は,その権威の一翼を担うようになり,かくして彼の存在
プーティ,カーティヤーヤナ,カーシャパ,そしてマウドガリヤーヤナが
は多くの意味を帯びる可能性を持つようになった。シャーキャムニとマイ
プッダの法華経以前の教えを理解するのに限界があったり,あるいは全く
トレーヤとを橋渡しする使者とは,もちろん(マハー)カーシャパをおいて
間違っていたととを告白しているからである。これにより,大乗経典こそ
他にない。正統性やその他の点で彼は直ちにシャーキャムニ・プツダの後
本物で純粋にプツダの教えであるというだ貯でなく,実際には万人に知ら
継者となったばかりでなく,マイトレーヤを待ち,またマイトレーヤに自
れ受け入れられている既存の聖典よりも大乗経典の方が正しく信頼性があ
分の恩恵を伝えるシャーキャムニによって特別かつ格別に代理を命じられ
り,正真正銘の聖典であることを示す意図を持つ。
たのである。大乗経典における対告者の地位にカーシャパを置くことによ
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確かに大乗経典が制作されるに到った経緯や論理を完全に説明すること
り,その作者達はシャーキャムニが将来のためにカーシャパに委ねた教え
は永遠に不可能のままであろうが,しかしある場合には,これらの文献に
の正統性と権威とを自分達の経典に注ぎ込んだ。換言すれば,大乗経典の
見られるある特徴がどのように展開したかということに関して何らかの理
作者達は一組の r事実」から出発した。即ちそれまでに知られていたシャ
論的根拠を示唆することは実のところ理に叶っていると恩われる。このよ
ーキャムニの教えはもちろん実際に仏教徒達によって権威があり信頼でき
うな観点から,私はここで数多の可能な聞いの中からただ一つを選ぴ,そ
るものとして受容されていたし,また未来仏マイトレーヤの教えも同様に
れに対して実験的な答えを提示しようと思う。即ちそれは「なぜ比丘カー
権威を持ち,信頼できるものであった。大乗経典の作者逮は,この二つの
シャパが数ある大乗経典の中であのような突出したプッダの対告者となっ
信頼すべき教えの聞に通底する権威の流れが表出するように,両者を繋ぐ
たのか」という聞いである。私が提示する仮説はつぎの通りである。カー
管に穴を開けることによってシャーキャムニからマイトレーヤへと流れる
シャパは仏弟子から成る旧来の僧伽を代表する人物というに留まらず,彼
権威,認可,正統性を自分達の聖典作成に付与することができたのである。
はさらに大乗経典の創作という鎖を正統なものとして繋ぎ止める,さらな
かくして彼らの提示する大乗の教えは,ただ単に初期仏教以来,馴染みの
る決定的な環を提供することになるのである o もしも大乗経典の作者遠の
ある場所でこれらの教えが提示されるように粉飾するという修辞的な工夫
目標の一つが,自分達のことを神聖な,そして実際に優れ卓越している権
によってのみ権威づけられているのでも正統化されているのでもないし,
威の担い手であると認めてもらう聴聞の機会を自分達の文学的所産に保証
また昔ながらの役者を舞台に所狭しと配することによってでもない。大乗
することであると解釈するならば,まず最初の段階でその作者達は自分達
経典というドラマで主役を演じる一人としてカーシャパが選ばれたのには
の新たな創作のために,簡素なものであっても権威と正統性とを獲得して
さらに重要な意味がある。
おかなければならなかった。
カーシャパの選出は,たとえそれが潜在意識的であったとしても,これ
何人かの経典作者達はある方策を通してそのような権威の認識を獲得し
らの経典作者の側の意図的な選択を反映しているということ,また,ヵー
ようと努めたが,それはシャーキャムニ・プッダ及び彼の教えと,言うま
シャパの性格と歴史,そして彼の存在と活動とが経典作者とその聞き手の
でもなく彼の説法や教えも完全に信頼性があり権威のあるマイトレーヤ・
心の中に引き起こすイメージとが大乗経典の作者をしてカーシャパを自分
プッダとを結合させることによってであった。このプッダが未来世におい
違の教えの語り手として選ぽしめたということは,フロイト以降の現代の
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なぜ逝葉は大乗経典の主要登場人物になったのか(シルク)
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学者が抱える証明のできない前提である。
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はカーシャパが死んだ時,彼のことを「第二の仏」と呼んでいるのであふ
カーシャパという人物を完全に研究することは,確かに仏教史の様々な
プッダには「イ曽伽の上首」という意味での後継者はいないーーその役目は
問題を解明することになるが,それは現在の課題ではない。我々は初期大
法が果たすことになる一ーということが数多くの文献に明確に述べられて
乗経典におげる彼の役割を明らかにするために,恐らくはカーシャパとい
いるが,またとりわ砂第一結集の招集者であるカーシャパは多くの点でま
う登場人物の諸相および大乗経典と初期仏教の伝統との関係を考察するこ
さに僧伽の長となり,自然な流れとして彼が第二の仏となったことも同様
とに焦点、を絞るべきであろう。
に明らかである。
すでにニカーヤや阿含経文献においてカーシャパは仏弟子の中で頭陀行
今生においてカーシャパが大いに興味を引カ亙れる人物であるのは確かだ
第ーと性格づけら払人々を教導するという仕事に関しては,常に未来仏
が,彼の死後,あるいはむしろ来世において,再び彼は極めて重要な役割
マイトレーヤを補佐する資質の備わった弟子としてさえ描かれている。雑
を果たすことになる。カーシャパは仏法を護持し伝達するだげでなく,広
阿含ではプッダがカーシャパに苦行を放棄する機会を与えるが,カーシャ
く普及した伝説によれば,彼は仏法という衣を運び,それをこの世に出現
パは阿蘭若に住し,乞食し,糞掃衣をまとい,三衣しか所有しない等の行
する未来仏マイトレーヤに手渡すことを誓っている。これにより,我々は
を続貯ると主張すふ総体的に見れば,初期仏教文献に見られるカーシャ
カーシャパとマイトレーヤとの関係を考察するに到るのであぷ。
パ像は,厳格で禁欲的な出家者と言っても過言ではない。
カーシャパが好んだ苦行は,修行に関する仏教の教義においては反動的
初期仏教文献によく見られる物語によれば,この世にお貯る自分の生涯
が終わる時,カーシャパはマイトレーヤの到来を待つため山に入り,シャ
で極端ともいえる傾向とある程度結びつくが,この事実はカーシャパが修
ーキャムニから受け取った衣を彼に手渡すという o 桜部が指摘したように,
した頭陀行の幾つかが,デーヴァダッタに提唱されたが総ての比丘に命じ
この物語はカーシャパという媒体を通してシヤ}キャムニの教えとマイト
るには厳しすぎるという理由でプッダが退けた行と一致することによって
レーヤの教えとが関連し連続することを強調していよこの説話における
強調される。この特色だけでも充分に我々の興味を引く。というのも大乗
「衣」はシャーキャムニの教えを象徴し表象する役割を担っているようで
経典の作者が自分達の代弁者として曹少なくともある集団にとっては,反
あり,実際に雑阿含に対するプッダゴーサの注釈ではそのように理解され
動的ともいえる考えと結びっく人物を選んだにちがいないということは,
ている。プッダはこの長老を自分の地位に就げたいと思ったため,彼は最
確かに意味のあることだからである。しかし私はその傾向乙そ,まさに重
初の出会いでカツサパと衣を交換することを望んでいえ Mahavamsaに
要で特徴的なものとしてとらえるべきであると考える。つまり苦行の守護
も同様の記述が見られる。即ちカッサパは「プッダは私に衣を下さったが,
者であるカーシャパは,少なくとも初期大乗思想のー支流を代表している
プツダーそれによって彼自身と私とを同等に見なして下さったのだJ と考
かもしれないのである。なぜなら,まさに彼は出家僧院主義の原則に極端
えている。これにより,カーシャパがシャーキャムニの衣を貰い受けたと
なほど献身しているからだ。
いう物語がその重要性をさらに強めることを我々は期待するのである o
さらにプツダの現世の後継者としての役割に関連して言えば,プッダの
カーシャパがプッダの衣を貰い受砂たというこの話は,パーリの相応部
教えを護持し伝達する務めを引き受仇また教えが明確に伝達されるのは
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雑阿合経』およびその他の文献を通じてよく知られていざ。それによ
マハーカーシャパによってでありs
' かくしてプツダ入滅後,直ちに第一結
ると,カーシャパは出家し,百千金もの価値がある衣を取ると,その布を
集を召集するのも彼なのであるが,この仕事により彼は仏教経典の編纂史
ばらばらに引き裂いて上衣を作る。後に彼はパフプトラカ塔で世尊に出会
の中で最初に経典を裁定した最高者の地位に置かれることになるのである。
うと
ある資料は彼をそれ以上の存在として描く。たとえば根本説一切有部雑事
う。プツダはカーシャパを受砂入れ,そして二人が一緒に座っていた時,
rあなたは私の師匠であり,私はあなたの弟子でございます J と言
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プッダは自分の手でカーシャパの衣を撫でて rヵーシャパよ曹この衣は軽
この鹿皮はまた L
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普曜経』に現れるぷ,山
くて美しい。この衣は柔らかくてしなやかだ」と言うので,カーシャパが
伏はこの典拠に気づいたらわくわくするに違いないだろう。
それをプッダに差し出すと,その時プッダは「カーシャパよ,お前は私の
カーシャパがプッダのぽろ着を手に入れたという話は,ただ単に,カー
組末なぽろの衣を受付取るのだ。そうすれば私はお前の上衣を貰い受けよ
シャパが後にマイトレーヤに手渡すことになる衣の正当な起源をこの話が
う」と言う。こうして彼らは衣を交換するのである。多くの資料で,プッ
証明するのに役立つているという理由だけではなしこの話がカーシャパ
ダの衣を着るためにはカーシャパがある霊力を有していなげればならない
自身の苦行生活の象徴になっているという理由でも重要なのである。カー
が,彼が苦行者であるにもかかわらず,そのような上等な衣を着る乙とが
シャパがプッダと交換して手に入れるものが糞掃衣であるということがこ
できるのはプッダの力のおかげであると彼は注意されている。
こで重要なのである。
こ乙には清浄性と霊力とのダイナミックスの典型的な例がある。比丘あ
しかしながら,このような議論は衣に関する別の伝承があるために複雑
るいは出家を望む者として,カーシャパは上等な衣を着るべきではないし,
になる。聖典としての仏教文献にはプッダの叔母であり養母でもあるマハ
最も質素な衣以外は全く着るべきではない。同時に精神力と浄化力とが偉
ープラジャーパティーが自分自身で作った上等の新しい一対の衣をプッダ
大なプッダは自ら定めた規則を破ってそのような衣を着ることができるの
に贈ろうとする有名な話がある。との話のほとんどの平行話は,その衣を
であるが,それによって潜在的に自らを堕落させるような影響を受けるこ
金糸や素晴らしい刺繍の施された衣服と呼んでい
とはない。これはよくあるパターンで,プッダは他の比丘達ができないこ
ば,プッダ自身はその衣を受げ取ることを拒否するが,その代わりにその
とができるし,プッダ自身の卓越した偉業のために,自分の弟子達を拘束
衣を僧伽に布施するようマハーブラジャーパティーに指示している'0 他の
すべく制定した規則に縛られることもないのである o 相応部の注釈である
資料にはこの話に続きがあるが,結末は曲解されている。つまりマハープ
samtthappakasiJによれば,プツダの衣は女奴隷プンナーの死体を覆っ
ラジャーパティーはその衣を受げ取ってくれる比丘を求めて僧団の中を歩
ていた布であり,その時,彼女の死体は死体捨て場に捨てられていたので
き回るが,全員が受け取りを拒否する。ただしマイトレーヤを除いぞ。ヵ
あえこの物語りには少なくとも他にもう一つのヴァージョンがあり,そ
ーシャパを完全に省略するこの伝承はシャーキャムニとマイトレーヤを,
こではカーシャパが死の床でプッダから受け取った衣をマイトレーヤに手
より直接的に結びつ砂ている。この伝承は,少なくとも部分的にではある
渡している。
が,中阿含の伝承に基づいている可能性があり,そこでは最初プッダはア
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。これらの記述によれ
プッダとカーシャパとの間で衣が交換される話,およびその重要性は,
ーナンダに衣を取ってこさせ,それをマイトレーヤに手渡すように命じて
プッダ自身が最初に袈裟衣を手に入れた話と照合する乙とによってのみ正
いるが,実際はプッダがマハ}プラジャーパティーから受け取った金の衣
確に評価されうる。古典的なインドの偉人伝の記述のほぽ一致した伝承に
を直接マイトレーヤに手渡しているのであよ『阿毘達磨大毘婆沙論』の記
よれば,プッダ自身,出家者の生活に入ろうとした時,粗末な衣と引き替
述も同様にこの伝承に基づいてい
えに上質の衣装を放棄している。少しだげ主要な資料を挙げれば,パーリ
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根本的に異なる解釈は玄突によって提示されているが,彼によれば,マ
idanakathaやサンスクリットの Mahavastu,B
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ノ、ープラジャーパティーが布施した金衣をプッダはカーシャパに与えてお
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a,そして根本有部律において,偉大なる出家の後に森に入った菩薩
り,そしてカ}シャパがマイトレーヤに贈るのはこの衣なのであ
は神々が化作した猟師と出くわすが,その時,彼はカーシ産の絹の上質な
阿含経』にはさらに別の改変が見られ,そこではカーシャパとアーナンダ
衣服と猟師の粗末な袈裟とを交換する。基本的に同じ話は玄笑の r
大唐西
の二人が教えを護持する役を担っていよ。この話に衣を関連させる必要は
全くないかもしれない。 r
仏本行集経』や r
大智度論』においてはカーシヤ
域記』において再説されるが,そこでは菩薩が鹿皮の衣を手に入れている。
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パの舎利あるいは骨格だけが乱されることなし上衣を着た状態で残って
研究の領域を越えてしまうことになるが,忘れてはならないことは,基本
いるのであ 20 根本有部律から直接説話を借用した D
ivyavadanaではさ
的に同じ話が様々に違った形で提示されることによって,各文献および各
らに一歩進んだ内容が見られる。そこではマイトレーヤが出会うのも,ま
学派のそれぞれの教義的立場の重要な諸側面が明らかにされるのではない
た彼がカーシャパの入った山を聞けた時に露わにするのも,カーシャパの
かという仮説を,友松が説得力ある形で論証したことである o
遺骨のみであることが説かれ,全く衣に言及するととはない。
ここまでくれば我々は興味深い記述に注目しでもよいだろう。それは,
我々が問題としたのは,なぜカーシャパがある初期大乗仏典の作者に傑
出した人物として選ばれたのかということであった。カーシャパの存在は,
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シャーキャムニからカーシャパを経てマイトレーヤへと続く法の未来世へ
苦行主義の本道と全く清浄な僧院の理想とを証明するというだげでなく,
の相続に関連するものの,我々がすでに見てきた幾つかのパターンを逆転
権威と正統との継続性が保証されるのではないかという仮説を私は提示し
させている記述である。『摩詞迦葉経』では,カーシャパは自分の能力の限
たのである。仏教徒の歴史観,または仏教徒にとって何が歴史的に重要な
界を知っている弟子として描かれており,来るべき濁世の時代に法を護持
のかという問題は興味深くまた複雑であるが,しかし次の一点だけは少な
すべきプッダの責務を断わっている。その代わりカーシャパは,自分が行
くとも明らかである。つまり我々が慣れ親しんでいるタイプの直線的な歴
も智慧も限られた声聞であり,また仲間もおらず,この世に長く留まるこ
史比一般的に言って,宇宙的で精神的な時間の経過ほどには重要ではな
ともできないと言主法の護持者という役目を自ら引き受けることを拒否
いということである。ここではプツダ・シャーキャムニの現世とプツダ・
したカーシャパが,自分の代わりに菩薩マイトレーヤを指名すると,マイ
マイトレーヤの未来世の統治との結びつきが決定的に重要である。菩薩マ
トレーヤはプッダから直々に手渡された任務を受貯入れ,未来世にお砂る
イトレーヤは未来にプツダになるけれども,菩薩という立場で今も現世に
法の護持という役目を担うのである。最初はその矛盾に驚くかもしれない
関わっている。もちろん,ある意味では彼とシャーキャムニとを結びつけ
が,ここには興味深い事実があり,それはある意味では我々がすでに考察
ているのはこの事実であるが,伝承はまたプツダ・シャーキャムニの教え
した他の物語と実際によく符合するように見えるかもしれないのである。
と未来仏の教えとを結びつける別の手段を提供してくれる。即ち両者を関
というのは,プッダは自分の教えを直接マイトレーヤに委ねたことになっ
連づげる役割を担うのが他ならぬカーシャパであり,関連づける媒体とな
ているが,しかしその伝承を促した人物は依然としてカーシャパのままで
るのがシャーキャムニの衣なのである。
あるからだ。『摩詞迦葉経』は面白く,また様々な点で恐らく特異な文献で
今日の我々にとって未来に位置している時代,即ちこれからやってくる
はあるが,しかしシャーキャムニとカーシャパとマイトレーヤの扱いが異
「救世主のJ 時代という点からのみマイトレーヤの時代について考えるこ
なっている点を除けば,すでに確認したパターンがここでさえも根本的に
とは確かに可能かもしれない。そしてこれは実際にあらゆる時代と地域と
破られているとは考えられない。
における仏教徒自身の中で広〈流布しているマイトレーヤ物語の解釈なの
プッダとカーシャパとマハープラジャーパティーの,そしてマイトレー
ヤも関連するかもしれない衣の話が,私がこ乙で強調するために選んだ観
である。しかしこの物語は興味深いいくつかの可能性を提示しているが,
ここではそのうちの一つを考えてみようと思う o
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点に加えて,他にも多くの異なった観点から扱われうるということは,お
我々は次のように考えることができょう o つまり,初期の大乗教徒達は
ぞらく一考の価値があるだろう o たとえば友松円諦は,仏教文学の異なっ
自分遠の教えが旧来の仏教を改訂したもの,あるいは旧来の仏教の反動的
た階層において解釈されてきたマハープラジャーパティーによる衣の布施
な改訂であることにも気づき始めた。彼らは自分達の教えを普遍的に承認
の経済的意味という問題を詳細に議論するのに 2
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ページ以上も割いてい
された権威ある正真正銘のプツダの教えと,教義的にというだけではなし
るのであま。このような研究領域に少しでも足を鰭み入れることは現在の
歴史的にも伝説的も,神話的にも,関連があるか,あるいは全く同一でな
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ければならない必要性さえ感じていたに違いない o 彼ちが選択した一つの
断固として立ち向かう厳格な正統性の保証人であると同時に,その正統性
方法は仏弟子カーシャパの神話を用いることであった,というのが私の提
を遥か先のマイトレーヤが出現する未来世にまで引き継ぐ特使でもある。
案である。ただ単にカーシャパが頭陀行の支持者達の中で最勝であるとい
我々はまだマイトレーヤ自身の時代には生きていないが,シャーキャムニ
う彼の地位によって僧伽における厳格主義的な傾向を代表しているという
がマイトレーヤに向かつて張った線の端で揺れ動いているマイトレーヤの
だけでなく,彼はまたその本質においてプッダの現世の後継者であり,プ
存在によって,我々は未来世のためにとシャーキャムニが用意してくれた
ッダの認可を得た者であり,あるいは一つの資料が明らかに説いているよ
教えの幾つかに接することができるのである。というのも,シャーキャム
うに,彼は第二仏でさえある。そして未来仏マイトレーヤに仏法の核心を
ニからマイトレーヤへと一本の線が通るのはカーシャパを経てであり,ま
伝えるのも彼なのである。とすれば,シャーキャムニがマイトレーヤだけ
た我々は未来世で待っている仏たるマイトレーヤにはまだ接していないが,
ではなく未来におげる総ての仏法の宣流に正統性を付与することになって
彼の代理を務める伝達者カーシャパには確かに接しているからである o
いるのもカーシャパという媒体を通してである o 未来仏マイトレーヤはま
我々は古くて部分的で不完全な教えに満足する必要はない。大乗経典はま
だ出現しておらず,また我々はシャーキャムニとマイトレーヤの統治の中
さしく新しい体系,即ちより多くてより完全な真理を含んでいるのである。
間地点にいるのは確かだが,我々は未来世で待ち受けているマイトレーヤ
このような理由から,仏教一般の伝承中に確立されたカーシャパの歴史
の存在に影響を受けていないわげではない。要するに私が言いたいのは,
や伝説を引き合いに出す様々な大乗経典においてカーシャパはプツダの対
シャーキャムニ滅後の仏法の正統性と正当性とを保証する代理人,あるい
告者として現れ,また行の清浄性と,一方では僧団の指導力,他方では来
はシャーキャムニ自身の代理人であるカーシャパ乙そが,仏法の未来を代
来との繋がりを象徴する人物として広く理解されたのではないかという仮
表する最高者であるということである。大乗経典の作者達は,カーシャパ
説を私は提示したのである。大乗経典の作者達は,厳格な頭陀行の実践者,
を登場させることによって,真正性・正統性・信葱性を持つ彼の香気と,
プツダが直々に選んだ後継者,そして未来世における真正の仏法を確約す
自分達の仏教が正統であり真正であることを証明するために彼の権威とを
る代理人であるカーシャパが「語った,聞いた」とすることで,自分遠の
利用しようとしたのである。大乗経典に先行する聖典において,すでにカ
声明に正統性を付与するような文脈を盛り込んだと考えられるのである。
ーシャパはマイトレーヤに仏法の正統性の伝達者の役割を果たしているが,
より正確に言えば,正等覚者マイトレーヤの正統性は自発的に発生してい
るので,彼はシャーキャムニの承認と認可との伝達者の役割を果たしてい
るのである。これに関して大乗的なものは何もない。大乗経典の作者達が
行ったことは,この神話を利用して,これが真正でお墨付きの仏の教えで
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古希記念集J (東京:春秋社):1
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に沿って考えると,大乗経典においてカーシャパに教えられるものとして
提示された教えは,シャーキャムニが未来世の乙とを考えて送り出した教
えと同じである乙とを実は暗示しているのである。大乗経典の作者達は自
分達の教えが従来から知られていた文献の教えとは違っていることを認め
ていたが,しかし彼らは自分遠の教えが真に未来世のための教えであると
考えていたのである。カーシャパは不正な改変を含意するものに対しては
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なぜ迦葉は大乗経典の主要畳場人物になったのか(シルク)
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論文を要約したものである。紙面の都合上,数多くの出典並びに総ての引用を割愛せざ
るを得なかった。しかしながら,ここで扱う主題はかつて桜部建教授が考察されている
ので,このような形で発表しでも教授が本論に何らかの興味を示されることを期待する。
なお日本語に翻訳してくれた友人の平岡聡氏に心より謝意を表する。
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ダの後継者であり,例え民彼がプツダの葬儀をやり直さな貯ればならないのムの
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うな理由からである。例えば根本有部律の B~ajyavastu (
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なぜ迦葉は大乗経典の主要登場人物になったのか{シルク)
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0
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0
8
a
7
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ibcoml
d
a
n .~白 gn戸s khonayo昭~ s
umyangan
チワークであるととが指摘されている。同じ用語は道宜の著作にも見られる。例えば T
.
l
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s'
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府s
osnyamsemst
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.
2
1
2
2(
L
I
II
)5
6
0
b
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.
B
両者の関係については何度も詳細に研究されてきた。とくに豊富な注記のある
Lamotte(
19
4
4
1
9
8
0
:1
9
0
1
9
6
) や桜部(19
6
5
) を見よ o 他にもマイトレーヤ一般に関す
る研究は多いが,紙面の都合上,その詳細は割愛する。
曹とのような内容の話は数多く見られる。『増ー阿合経J (
T
.1
2
5(
4
8
.
3
)(
1
1
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)= r
調勃下生経J (
T
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3(XIV).
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2
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根本説一切有部雑事J (
T
.
1
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阿育王伝J (
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阿育王経J (
T
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I
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g
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雑阿合経J (
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) (n)3
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14
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i
.
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1 (XVI
.
I
I
.1
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品
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伽
, S
enart1
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0,
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1
4
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経J (
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8
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.
)
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悌本行集経J (
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1
)
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a
r
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一切有部玄調尼毘奈耶J (
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φaniT
h
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A
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{
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0,特に Woodward1
9
5
9
:1
3
4
.
3
1
.
J
ゅura似 Walleser1
9
2
4
:1
8
2
.
1
4
2
9(
I
.
XIV.A.4),和訳は及1
1
1(
19
8
7
:2
0
).
1
3
5
.
8
),Manorat
また次の資料も見よ。 r
大智度論J (
T
.1
5
0
9(XXV) 2
2
5
a
4
5
),仏訳は Lamotte(
I9
4
4
1
9
8
0
:1
3
9
9
)
;Ra
初a
r
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S
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V
I
I
.
1
8
,校訂と英訳は S
i
l
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9
9
4
:3
7
8
9,4
9
6,6
3
1
)
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大迦葉本
経J (
T
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9
6(XIV)7
6
1
a
I
8
f
f
.
)
.
1
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oodward1
9
3
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:1
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9
.
2
7
・
2
0
0
.
9(XVl
.
l
1
)
.
15 以下の資料と比較せよ。 Manorathゆ街'"a~i IV
.
I
I
I
.
8,Kopp1
9
3
6
:4
8
.
2
4
;Suma必
g
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l
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l
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I
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.
I
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3
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7
)
.
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s
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9
0
2
1
9
0
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:2
6
5
.
1
6
2
2
)ではプッダはスジャーターから彼女の女
20
標準的な一節は M N C
i
i
i
.2
5
3
,
4
) および (
s
u
t
t
a1
4
2,D
a
k
k
h
i
:
μvibhangasutta) に
u
s
s
a
y
u
g
aである。漢訳資料の用例は次の通り。
見られるが,そこで用いられる用語は d
『中阿含め (
T.26 (
18
0星曇葡経) (
I
)7
2
l
c
2
5
f
f
)r
新金綾黄色衣J
r
分別布施鐘J (
T
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4(
I
)9
0
3
b
2
9
f
f
)r
新髭衣」
『菊沙塞部和誼五分律J (
T
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4
2
1(
X
X
I
I
)1
8
5
b
1
9
f
f
.
)
.
r
根本説一切有部雑事J (
T
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4
5
1 (XXIV) 3
9
1
b
2
0
2I
)r
上新細鎮黄金色髭J {これに相
当する蔵訳 (
D
e
r
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eKanjur6
,'
d
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lb
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,da2
6
0
a
b
)は r
a
sb
c
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rpag
s
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rg
y
imdog
l
t
a
rs
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rとする)
21
たとえば『出曜経J (
T
.
2
1
2(
IV
)6
9
1
b
I
4
1
6
)では,プツダが全僧伽のー構成員
にすぎないという理由から,その衣が自分一人に布施されるべきではないことを,プツ
ダはマハープラジャーパティーに明言している(夫欲施者賞詣大衆。何爵猫向我耶。吾
亦是大衆之一致)。友松(19
3
2
:1
0
4
) によれば,これは化地部の影響であることを示して
いるという(また友松 (
1
9
7
0
:8
7
f
f
) も見よ)。しかし r
菊沙塞部和盛五分律J (
T
.
1
4
2
1
(XXI
I
)1
8
5
b
2
4
) によると,プツダは彼に差し出されたこつの衣のうち一つを受砂入れ,
もう一つは僧伽のものとなっている。これは「プッダは単に比丘の一人にすぎないので
あるから,布施されたものは僧伽全体の所有となる J という化地部の考えと著しく矛盾
1
9
3
2
:8
8
f
f.)を見よ。
するように見える。友松 (
22 乙れが r
賢愚経J (
T
.2
0
2(
5
7
)(
I
V) 4
3
4
a
6
2
5
)と r
雑費議経J (
T
.2
0
3(
5
0
)
(
IV) 4
7
0
a
I
5
2
2
) における決断である。
T.26 (
6
6読本経) (
I
)5
11bl-5= r
古来世時経J (
T
.4
4(
I
)8
3
0
b
2
6
2
9
)
.
24 T
.1545 (XXVI
I
)8
9
4
a
1
7
2
8
.桜部(l9
6
5
:4
2
) はこの文献が経名を出さないが,
長々と引用されていることを指摘している。香川 (
1
9
6
3
:2
2
5
) も参照せよ。桜部(19
6
5
:
4
2
) は『大毘婆沙論J (
8
9
4
a
2
6
) にある「悌上首借J という表現を「仏と上首の僧」とい
23
奴隷ですでに死んでいるラーダーの麻の衣を手に入れているが,パーリ・ジャータカの
うように異なったこつのものと理解している。しかしこれが budd
J
u
ψramukha[bh
均u
]
.
Nidana
・
k
a
t
h
aではスジャーターの女奴隷がプンナーと呼ばれている (
F
a
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s
b
訓1 1
8
7
7
:
s
a
明 h
aの訳であるとするなら
6
9
)点に注意せよ。
16 r
菊勅大成僻誕J (
T
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6(
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5
)
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.
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7.
4=vi
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6
)
;Lefmann1
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・
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6
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3
.
1
6(
D
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g
eKanjur1
,'
d
u
lba
,nga14bl-15bl;T.1450(XXIV)
1
1
7
c
2
7
1
1
8
b
l
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衆許摩詞帝経J (
T
.1
9
1(
I
I
I
)9
4
7
b
1
2
c
8
)
. また次の資料も見よ。 r
梯本
行集経J (
T
.1
9
0(
I
I
I
)7
3
7
c
2
2
7
3
8
a
1
9
)
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菊沙塞部和酷五分律J (
T
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4
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1 (XXII
)1
0
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b
8
9
)
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修行本起鰹J (
T
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4(
I
I
I
)4
6
9
a
2
6
b
4
)
.
18 T
.2087(
L
I
)9
0
3
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8
1
6
=季 1
9
8
5
:5
3
2
5
3
3
;和訳は水谷 (
1
9
8
8
:1
4
7
)
.
19 r
普曜経J (
T
.1
8
6(
I
I
I
)5
0
8
b
5
)および r
太子瑞鹿本起経J (
T
.1
8
5(
IU
)4
7
5
c2
7
2
9
)
.後者は Matsuda(
19
8
8
)によって,実際に部分的には普曜経に基づく中国製パッ
に思われる。
25
26
r
仏を上首とする〔比丘〕僧伽」と訳す方が自然なよう
r
大唐西域記J (
T
.
2
0
8
7(
L
I
)9
1
9
b
2
9
c
2
1
)=季(19
8
5
:7
0
5
7
0
6
),水谷(19
8
8
:2
1
4
).
T
.1
2
5(
3
5
.
5
)(
I
I
)7
4
6
a
2
1
c
2
4
.
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悌本行集経J (
T
.1
9
0(
I
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7
0
a
2
4
b
2
5
)
;r
大智度論J (
T
.1
5
0
9(XXV)7
8
c
2
7
7
9
a
I
6
)
.なお r
悌本行集経』の一節は桜部(19
6
5
:3
9
) が言及している。
28
D
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6
:6
1
.
2
2
2
9
)= r
根本設一切有部毘奈耶薬事』
(
T
.1
4
4
8(XXIV)2
5
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2
>
.実 質 上 聞 は 謎 は 鳴 勤 下 生 成 働 経J (
T
.4
5
4(
X
I
V
)4
2
5
c
2
1
3
) に見られる。また『調勅下生経J (
T
.4
5
3(
X
I
V
)4
2
2
c
4
) も見よ。
29 蔵訳:L
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gdkonb
r
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g
ミc
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6
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2
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2
3
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写,
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1
.
2
3,dkonb
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