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一、 はじめに
日本中國學會報 第五十六集 元 雜 劇 テ キ ス ト の 明 代 以 降 に お け る 繼 承 に つい て 土 ヨ 一六 四 屋 育 か 宮 廷 に多 く 集 め ら れ て い たと 言 わ れ て いる 。 子 實 演 の場 で はと のよ う な演 劇 か 行 わ れ て いた のか。 それ は 、南 曲 と 呼 明 代 の宮 廷 内 では 主 に雜 劇 か 上 演 さ れ て いた の てあ る か 、宮 廷 外 の ばれ る、 雜 劇 と は異 な る劇 種 てあ った 。 南曲 か雜 劇 と 異 な る のは 、 主 一、 は じ め に 元 雜 劇 は、 中 國 古 典 演 劇 史 にお い て、 具體 的 な 姿 を う か か う こと の に音 樂 面 と 形 態 面 にお い て てあ る。 兩 者 の違 いを舉 げ る と 次 のよ う に ハユ リ テキ スト であ る ﹁元刊 古 今 雜 劇 三 十 種 ﹂ (以 下 、 元 刊本 と 略 稱 ) は 、 出 來 る最 も 早 い劇 種 で あ る。 と いう のも 、 元 雜劇 の現 存 す る最 も早 い が、 は っき り し た こと は不 明 てあ る。 元代 に お け る雜 劇 のあ り方 に關 にし か載 せ て い な い た め、 解 釋 には し は し ば 困難 か 伜 う。 元刊 本 の用 ぞ 途 に つい ては 、 ﹁觀 劇 に便 す る た め の册 子 ﹂ で あ った と いう 説 も あ る 殘 念 な こと に、 こ の元 刊 本 は主 に曲 辭 を收 録 し、 臺 詞 や ト 書 は部 分 的 者 に限 ら れ る點 が 特 徴 であ る。 一方 の南 曲 は 、南 方 の音 樂 が 使 わ れ 、 か 一般 的 であ るか 、 雜劇 の場 合 に は、 唱 い手 か主 役 に扮 す る 一人 の役 け る調 性 に類 似 し た も の) か ら な る組 曲 、 す な わ ち套 數 を 四 つ蓮 ね る ハ ん こと に より 構 成 さ れ てい る。 ま た 、 中 國 の傳 統演 劇 ては 歌 唱 を 拌 う の 雜 劇 は、 北 方 の音 樂 てあ る北 曲 を 用 い、 一つの宮 調 (西 洋音 樂 にお な る。 し て は多 少 議 論 の分 か れ ると こ ろ てあ る か、 元代 に は お そ ら く祭 祀 ・ 二 十 か ら 五 十 の部 分 か ら な る長 篇 てあ り 、 登 場 す る役 者 の誰 も が 唱 う 中 國 古 典 演 劇 の現 存 す る最 も 早 い テキ スト でも あ る か ら であ る。 た た 商 業 いず れ の場 にお い ても 上 演 さ れ、 廣 く民 聞 で行 わ れ てい た こと は こ のよ う に雜 劇 と 南曲 は異 な る劇 種 ては あ る か、 演 目 の中 には 同 し こと か 出 來 る。 の關 係 は 一體 如 何 な る も の な のか 。 題 材 を 扱 ったも のか み られ る。 それ て は、 雜 劇 と南 曲 と いう こ の兩 者 はも っぱ ら 宮 廷 内 や王 府 にお い て のみ 行 わ れ る よ う に な ってお り、 元 確 か であ ろう 。 明 代 に入 ってか ら も雜 劇 は作 ら れ續 け てい る か、 上 演 キ ス ト のう ち 最 も 大 部 なも の てあ る 脈 望館 抄 本 は、 そ の多 く か宮 廷 と 南 曲 の テ キ ス トを 仔細 に檢 討 す ると 、 雜 劇 か南 曲 に取 り 込 ま れ る現 代 と は状 况 か 變 化 し て い る點 は 庄 意 す へき であ ろ う。 現存 す る雜 劇 テ 何 ら か の關 係 を 持 つと 考 え ら れ 、 ま た當 時 の記録 か ら は雜 劇 テ キ スト 係、 ま た南 曲 相 互 聞 の比 較 に つい て考 察 さ れ る に と と ま り 、 雜 劇 か 南 象 か起 き てい る。 し か し、 從 來 の研 究 ては、 雜劇 テキ スト 聞 の繼 承 關 にも と つい て いる 。 元 刊本 と 比 べる と 、 曲 の數 か減 少 し てい る 一 雜 劇 テキ ス トと 推 定 さ れ る) と い った 、 明 の宮 廷 で の上 演 用 臺 本 方 で、 臺 詞 ・ト書 か詳 細 に書 き 込 ま れ て いる 點 が特 徴 と し て擧 げ ・ ︹脈 ︺ ら れ る。 系 に分 類 す る こと か 困難 てあ るた め 、 はじ め に置 く。 ⑤ ∼ ⑳ は散 齣 南 曲 テ キ ス ト (③ ④ に つい ては 、 ⑤ ∼ ⑳ のよ う な崑 山腔 ・弋 陽 腔 アリ 曲 へと のよ う に繼 承 さ れ て い る のか と いう 問 題 に つい ては 、 ほ と ん ど 皿 明 ら か に され て い な い。 こ の問 題 は中 國 古 典 演劇 史 にお い て、 重 要 な 意味 を持 って い る はす てあ る。 集 (一幕 も のを 集 め た も の) てあ る) 本 稿 ては雜 劇 と 南 曲 の關 係 を 明 ら か にし 、 明 代 以 降 、 雜 劇 か と のよ う に繼 承 さ れ たか を 考 察 す る こ とを 圭 な 目 的 と し た い。 サ ンプ ルと し 嘉 靖 三十 二年 (一五 スペ イ ン ・エ ス コリ ア ル圖 書 館 藏 。 戲 曲 の節 略集 。 出 版 售氏進賢堂重刊本 ③ ﹃風 月 錦 嚢 ﹄ 徐 文 昭編 五 三) ては 、 元 刊本 が殘 って お り、 か つ、 南 曲 の テキ スト も 存 在 す る も のか ふ さ わ し い。 そ こ て、 以上 の條 件 を 滿 た す 、 ﹁追 韓 信 ﹂・﹁東 窗 事 犯 ﹂・ ス ト てあ る 。 ⋮ ⋮ ︹風︺ 年 代 か 比 較 的 早 く 、 明代 初 期 の演 劇 の樣 相 を 知 る には重 要 な テキ 唐振吾刊 止 雲居 士 編 輯 嘉慶 五年 (一八 〇 白雪山人校點 冲和居士編 ︹ 萬︺ 刊 刻 者 不明 崇碵年 雜劇 天啓 四年 (一 大 英 圖 書 館 藏 。 本 文 は 弋 陽 腔系 に近 い。 ・ ・ 萬暦 三十 年 (一六 〇 二 ) 序 秦 准 墨客 (紀 振 倫 ) のよ う に繼承 さ れ てい る た ろ う か。 ︹ 群︺ 一六 五 ⑧ ﹃群 音類 選﹄ 明胡 文煥 編 。萬暦 年 闖 刊本 。北 曲 な とも 收録 す る ・ ⑦ ﹃賽 徴 歌 集 ﹄ 六 卷 。 明 無名 氏 編 。 萬 暦 間 刻 巾 箱 本。 :・ ︹ 賽︺ さ れ るも のと 一致 す る ため 校 勘 表 か ら は 省 く ) ︹ 怡︺ 聞刊本 ( 卷 四 に收 録 さ れ る演 目 の ほと ん と は ﹃萬壑 清 昔 ﹄ に收 録 ⑥ ﹃新 鐫 出 像 點 板 怡 春 錦 ﹄六 卷 由 來 の演 目 の他 、 南曲 の有 名 な 段 も 收 録 す る 。 ・ 六 二 四) 序 本 にも と つく抄 本 。 京 都 大 學 人 文 科 學 研究 所 藏 ⑤ ﹃萬 壑 清 音 ﹄ 八 卷 (1 ) 崑 山 腔 ︹紅 ︺ 〇)積秀堂覆刻本 選輯 ④ ﹃新 刊 分 類 出 像 陶 眞 選粹 樂 府 紅 珊 ﹄ 十 六 卷 ﹁單 刀 會 ﹂ の三 種 を 取 り上 げ る こと にす る。 各 々 は 南 曲 テ キ スト へと 二 、 テ キ スト ハヨロ ・も と は それ ぞ れ別 々 に刊 主 に使 用 す る テ キ スト の 一覽 を次 に掲 げ る (各 テキ ス ト の末 尾 は 本 稿 て使 用 す る略 稱 )。 雜 劇 テキ スト ① ﹃元 刊古 今 雜 劇 三 十 種 ﹄ (元 刊 本 ) 1 る。 元 代 に刊 行 さ れ た 雜劇 テキ ストと し ては 現 存 す る唯 一のも の 行 さ れ た テキ スト てあ る か 、 現 在 てはま と め て こ のよ う に總 稱 す ︹ 元︺ てあ る。 元雜 劇 本 來 の姿 を 留 め てい ると 思 わ れ るか 、 臺 詞 ・ト書 を ほと ん と收 録 し て いな い。 いす れも 刊 行 年 は不 明 。 ハほ ロ 趙 碕 美 が 萬 暦 四 十∼ 四十 五 (一六 一二∼ 一七 ) 年 の間 に抄 寫 し た 雜 劇 テキ ス ト。 多 く は内 府 本 ・于 小 穀 本 ( 于小穀 ②脈望館抄本 (于 小 谷 と も 表 記) は本 名 于 緯 。 于 愼 行 の養 子 ) か所 持 し て いた 元 雜 劇 テ キ スト の明 代 以降 にお け る繼 承 に つい て 明鋤蘭 忽人 選輯 日本中國學會報 第五十六集 ︹ 玄︺ ⑨ ﹃ 新鐫繍像評點玄雪譜﹄四卷 末刊本 ︹ 歌︺ 媚花香史批評明 ⑩ ﹃ 新鐫樂府清音歌林拾翆﹄初集、二集 。明無名氏編。清奎壁齋、 寶聖樓、鄭元美等書林 覆刻本 ︹ 醉︺ 周之標編 明末刊本 曲 ⑪ ﹃ 新刻出像點板時筒崑 腔雜曲醉怡情﹄ 八卷。明青溪菰蘆鈞叟編。 清初古呉致和堂刊本。 ・ : ⑫ ﹃ 新刻出像點板増訂樂府 珊珊集﹄四卷 ︹ 珊︺ : ︹ 納︺ 乾隆五十七年 (一七九二) 鴻文堂梓行 乾隆 四十二年 (一七七七) 辭 たけを收録した テキ スト ︹ 綴︺ ⑬ ﹃ 綴白裘﹄玩花主人編選 校訂重鐫本 納書楹 原刻 曲辭たけを收録 した テキ スト ⑭ ﹃ 納書楹曲譜﹄葉堂編 刊本 崑曲 の臺本集。曲 辭 に工尺 ( 唱 い方 の記號) か付 せられ ており、編集目的 の 一つか ⑮ ﹃ 六也曲譜﹄光緒三十 四年 (一九 〇八)刊本 瀛賓郡綉 : 書林敦 ︹ 六︺ 襲正我編 歌唱 に供するため てあ った ことかうか かわれる ( 2)弋 陽腔系 ⑯ ﹃新刊徽板合像滾調樂府官腔摘錦奇音﹂六卷 玄明黄文華選輯 睦堂張三懷刻 萬暦三十九 (一六 一一)年刊本 内閣文庫藏 ︹ 摘︺ ⑰ ﹃新刻京 板青 陽時調詞林 一枝﹄ 四卷 ・ ・ ︹ 枝︺ 聞建書林葉志 元綉梓。 ﹁ 萬暦新歳 孟冬 月葉 志元綉梓﹂ の 内閣文庫藏 甫同纂 刊記 ・ ︹ 大︺ 冲懷朱鼎臣集 闡建書林金魁繍 刊刻年不明 尊經 閣文庫 藏 ⑱ ﹃ 鼎 鏤徽池雅 調南北官腔樂府點板曲響大明春﹄六卷 扶搖 程萬 里 選 殘 本 (目録 、前 一六六 ⑲ ﹃梨 園會 選 古 今 傳 奇 滾 調 新 詞 樂 府萬 象 新 ﹄ 八 卷 刊刻年不明 テン ・ ︹ 新︺ 劉齢甫梓 安 成 阮 禪 宇編 マー ク ・コペ ン ハー ケ ン王 立 圖 書館 藏 集 卷 一∼ 前 集 卷 四) 編 オ ー スト リ ア ・ウ ィー ン國 立 圖 書 館藏 。 ・ : ・︹ 天︺ ⑳ ﹃新刻 彙 編 新 聲 雅 襟 樂 府 大 明 天 下春 ﹄ 卷 四か ら 卷 八 のみ 現存 ムロ 者 刊刻 年 不 明 曲選 ( 北 曲 の曲 辭 の み收 録 し た テキ スト。 編 纂 段 階 て書 き換 え ら 京劇 館藏 ︹ 盛︺ 正 徳 十 二 年 (一五 一七 ) 刊 。 編 者 不 明。 北京 圖書 北京 圖書 嘉 靖 年聞 、郭 勣 選輯 。北 京大 學 圖 書館 藏 ︹ 艶︺ 嘉 靖 四年 (一五 二五 )劉 楫 序。 張 祿 か ﹃ 盛世新聲﹄ ︹ 謔︺ ⑳ ﹃詞謔 ﹄ 李 開 先 (一五 〇 二 ∼ 六 八) 撰 。 嘉 靖 年 聞 刻 本 ︹ 雍︺ ⑬ ﹃ 雍 煕 樂 府﹂ 二十 卷 ロヨね を も と に編 集 。 北 京 圖 書 館 藏 ⑳ ﹃詞 林 摘艶 ﹄ 館藏 ⑳ ﹃盛世 新 聲 ﹄ に近 い テ キ ストを 參 照 し て いる 可 能性 も あ る。) と か ら、 宮 廷 に集 め ら れ て いた てあ ろ う元 刊 本 乃 至 は元 刊 本 に非常 な い點 は 庄 意 す へき てあ ろ う 。 な お、 ﹃雍 煕 樂 府 ﹄ は官 版 てあ る こ れ た 箇所 もあ る と思 わ れ 、 も と の雜劇 の曲 辭 を 殘 し て い るわ け ては 皿 W 上海書店 一九 九 〇 年 ︹ 戲︺ ⑳ ﹃戯 考 大 全 ﹄ (原 名 ﹃戲 考 ﹄ 全 四 〇 冊、 一九 一五 ∼ 二五 年 出 版 ) H に擧 げ た南 曲 に は大 き な 二 つの流 れ かあ り 、 一覽 ては崑 山腔 と弋 崑 山 腔 は、 嘉 靖 年 聞 、 魏 良 輔 か そ れ ま て の演 劇 に改 良 を加 え る こと 陽 腔系 と いう よう に示 し た 。 によ り 成 立 し たと 言 わ れ 、 受 容 暦 は 主 に上 流 階 級 と さ れ る。 一方 弋 陽 と い う のは、 北 曲 の曲 辭 たけ を 收 録 し た も の であ る。 完 本 と い う の は ﹁追 韓 信 ﹂ にお い て は、 雜 劇 の テキ ス ト は元 刊 本 の み であ る。 曲 選 汲 古閣 六 十 種 曲 ﹃千 金 記 ﹄ 第 二 十 二折 完本 ・ 富 春堂 刊 ﹃韓 信 千 金 記 ﹄ 第 二 十 二折 發 鮮 の地 と す る。 そ の上 演 にお い ては打 樂 器 を 俘奏 にし て、 非 常 に騒 長 篇 南 曲 の こと であ る。 ﹃千 金 記 ﹄ に は、 複 數 の テキ スト か 存 在 す る 腔 は、 崑 山 腔 以 外 の劇 種 の中 て最 も勢 力 を持 った も の で、 江西 弋 陽 を かし く 粗 野 な感 し のす るも の てあ った よ う であ る。 し た が って、 受 容 むロ 暦 は圭 に崑 山 腔 よ り下 暦 の人 々 てあ った。 弋 陽 腔 は當 時 大變 な人 氣 を か、 筆 者 が目 睹 し得 た の は、 こ こ に擧 げ た 富 春堂 本 と汲 古 閣 本 の 二種 に、 も と は雜 劇 の 一場 面 であ る ﹁追 韓 信 ﹂ か 取 り 込 ま れ て お り、 南 曲 ハ ソ 類 のテ キ スト てあ る。 長 篇 化 し た 南 曲 であ る ﹃千 金 記﹄ の第 二十 二折 か長 篇 化 す る際 の過程 の 一端 を 示 し て いる よ う て大 變 興 味 深 い。 ロロ な劇 種 を 生 ん て い る。 こ こ て は、 そ れ ら を 總 稱 し て弋 陽 腔系 とす る。 博 し た た け てな く、 各地 に傳播 し て更 に變 化 を 邃 げ、 地名 を 冠 した樣 々 弋陽 腔 系 は、 こ れ 以後 の中 國 傳 統 演 劇 に大 き な 影響 を 與 え た と考 えら い る か、 南 曲 テキ スト て は、 南 曲 によ る蕭 何 の唱 な と か つけ加 えら れ 元 刊 本 ﹁追 韓 信﹂ は、 正 末 か 扮 す る 韓 信 一人 の唱 た け て構 成 され て れ てお り、 そ の實 態 に つい て今 後 さ ら に解 明 を 進 め て いく 必要 か あ る と思 われ る。 ま す 、 ﹁追 韓 信 ﹂ ( 元 刊 本 題 ﹁蕭何 月 下 追 韓 信 ﹂) の場 合 を 見 てみ た す る と お ほし い曲 辭 か 用 いら れ て い る の てあ る 。 ︻沈 醉 東 風 ︼ を 例 に な さ れ ては い る のだ か、 韓 信 の唱 の歌 詞 には 、 元 刊本 と系 統 を 同 し く てお り、 南 曲 ら し い改 變 かな され て い る。 し か し、 南 曲 ら し い改 變 か い。 雜劇 テキ スト 第 二 折 ・第 三折 か 、 南 曲 テ キ スト にも 收 録 さ れ て い の位 置 を 粗 ・勉 擧 げ て比 べてみ よう。 (■ は 到 讀 不 能 。 異 體 字 は正 字 體 に直 す 。 臺 詞 三 、 ﹁追 韓 信 ﹂ る。 こ こ ては 第 二 折 を 取 り 上げ た い。 第 二折 のあ ら す し は、 劉邦 の陣 のた め省 略 ) 泪 眼。 就月朗回頭 把劍 彈。 把劍 彈。 把劍看。 x × x搗 百忙里捏 百般韵媼 凱百 忙 里 闘 一六 七 把 劍彈。 ﹃詞 林 摘 艶 ﹄ は ﹃盛 世 新 聲 ﹄ と 、 ﹃珊 珊 集 ﹄ は ﹃萬 壑清 音 ﹄ と ほ ほ同 文 : で示 し 、 曲 辭 の後 にま と め て記 す 。 以 下 同 し 。 營 を 逃 げ 出 し た 韓 信 を 蕭 何 が追 いか け て蓮 れ 戻 す と い うも の てあ る。 元刊本 英雄 泪 眼。 ︹謔 ︺ 不 覺 的 赧 色 羞 顏 。對着這月朗星輝 不 住 我 這英 雄 ︹ 雍 ︺ 不 覺 的 皓 首 蒼 顔 。對着這月朗風清 不住 x ︹ 盛 ︺ 不 覺 的 皓 首 蒼顏 。封着這月朗回頭 涙 眼。 ︹ 元 ︺ 不 覺 的 皓首 蒼顏 。 ﹃六 也 曲譜 ﹄﹃納 書 楹 曲 譜 ﹄ 英雄 不乾 我 崑山腔 ﹃醉 怡情 ﹄ ﹃賽 徴 歌 集﹄ ﹃歌 林 拾 範 ﹄ 崑 山 腔 ⋮ ﹃萬 壑 清音 ﹄ ﹃怡 春 錦 ﹄ ﹃群 音 類 選 ﹄ ﹃珊 珊集 ﹄ ﹃詞林 一枝 ﹄ 弋 陽 腔 ・ ﹃樂 府 紅珊 ﹄ ﹃萬 象 新 ﹄ ﹃摘 錦 奇 音 ﹄ ﹃天下 春 ﹄ 曲 選 ・﹃盛 世 新 聲 ﹄ ﹃詞 林 摘 艷 ﹄ ﹃雍 煕 樂 府 ﹄ ﹃詞 謔 ﹄ 明代 散齣集 ・ 雜劇 テキ ス ト の現 存 状 况 は 次 の通 り。 北曲 南曲 明代 清代 元 雜 劇 テキ スト の明代 以 降 にお け る繼 承 に つい て 不住 × 涙眼。 日本中國學會報 英雄 英雄 涙恨。 第五十六集 ︹ 紅 ︺不覺的皓首蒼顏。 封着這月朗回頭 不住 x 泪眼。 ︹ 天 ︺ 不 覺的 皓首 蒼 顏 。 對 着 這 月 朗 回 頭 英雄 英雄 涙眼。 ︹ 富 ︺ 不覺 的 皓 首 蒼 顔 。 對 着 這 月 明 回 頭 不住 × 不住 × 英雄 涙眼。 ︹ 萬︺不覺的皓首 蒼顏。對着 這月朗回頭 不住x ぬね 把劍彈。 粧百忙裡楹 牲百忙裏膃 把劍鋼。 百忙裏膃 把劍彈。 把劍彈。 百忙裡榲 × × x楹 ︹ 六 ︺ 不 覺 的 皓 首 蒼顔 。 封 着 這 月 朗 回 頭 只 是 把 劍 彈 。 英雄和那泪眼。 一六 八 スト に取 り 込 ま れ てし ま った姿 な の てあ る。 雜劇 の明 代 にお け る繼 承 ら れ る の てあ る か 、 これ こそ雜 劇 テキ スト の曲 辭 か そ のま ま 南曲 テキ の パタ ー ン の 一つは 、雜 劇 を そ のま ま 取 り 込 ん た上 に、 南 曲 によ る唱 を 増 補 す る と いう 方 法 を と るも のか あ った のてあ る。 四 、 ﹁東 窗 事 犯 ﹂ ﹁東 窗 事 犯 ﹂ は ﹁追 韓 信 ﹂ と は 異 な る パタ ー ノの例 と し て取 り上 げ た い。 ﹁東 窗 事 犯 ﹂ は 有 名 な 嶽 飛 に 關 す る 物 語 を 扱 った 芝 居 て、 元 刊 雜 劇第 二折 は 、 秦檜 か嶽 飛 を 謀 殺 し た後 、 贖 罪 の ため に靈 隱寺 を 訪 れ た と ころ、 地 藏 王 か 姿を 變 え た 風和 尚 と い う僣 に責 め ら れ る と いう内 容 てあ る 。 ﹁東 窗 事 犯 ﹂ 劇 に關 し て は、 ﹃南 詞 敍 録 ﹄ の 記述 (﹁宋 元 舊 目録 ﹄ に ﹁東 窗 事 犯 ﹂ と いう 劇 名 か見 え る こ とか ら、 宋 元南 戲 に由 來 篇 ﹂ と し て ﹁秦 檜 東 窗 事 犯 ﹂ と いう 演 目 か 見 え る)、 ま た ﹃永 樂 大 典 不住 × 粧 ︹ 元 ︺ 忽 然 傷感 、 默 上 心 來 。 す る と も言 わ れ て い るか 、 宋 元南 戯 の テ キ ストか 現 存 し な いため こ の 粧 ︹ 紅 ︺ 默然 感 想 上 心 來 。 粗 ︹ 天 ︺ 默然 傷 感 、 不 覺 泪 零。 南 曲 系 :﹃風 月 錦 嚢 ﹄・﹃群 音 類 選 ﹄ ﹃萬 壑 清 音 ﹄・﹃綴 白 裘 ﹄・﹃納 書楹 曲 譜 ﹄・﹃戯 考 大 全 ﹄ 北 曲 系 ・元 刊 ﹁東 窗 事 犯﹂ 第 二折 點 に つい ては こ こ て言 及 し な い。 現 存 す る テキ ストは次 の通 り てあ る 。 急 に も の悲 し さ が 心 に こ み上 げ る ) (元 刊 本 譯 :氣 付 か ぬ う ち にす っか り年 老 い て、 月 明 の も と 振 り 返 って劍 を 見 る。 (せ り ふ と っさ に は我 が英 雄 の涙 を ぬ く い盡 く す こと は てき ぬ 。) こ のよ う に多 少 の改 變 を 生 し ては い るか 、 元 刊 本 の曲 辭 か 清 代 の テ こ の芝 居 に は、 元 刊 本 の曲辭 の系 統 を 引 く 北 曲 系 と、 南 曲 に よ る曲 キ ス ト にま て受 け繼 か れ てい る こと は、 特 に庄 目 す へき てあ ろ う 。 曲 辭 か ら な る南 曲 系 の 二種 類 の テキ ストか 併 存 す る 。 た た し、 元 刊 本 以 汲 古 閣 六十 種 曲 ﹃精 忠 記 ﹄ 第 二十 八齣 ﹁誅 心 ﹂ の曲 辭 に影響 を 與 え て おら す 、 ま た、 元 刊 本 に 見 え る せ り ふ か 、 多 少 完 本 ・富 春 堂 ﹃東 窗 記 ﹄ 第 三 十 一折 ﹁秦檜 遇風 和 筒 ﹂ の改 變 は あ るも の の ﹃樂 府 紅 珊 ﹄ や弋 陽 腔 系 テキ スト に も 類似 し た 形 トも 、 南 曲 と し て上 演 (あ る い は繼 承 ) され て いた點 には庄 意 か 必 要 外 は いず れ も 南 曲 テ キ ス ト てあ り、 元 刊 本 の曲 辭 の系統 を ひ く テキ ス 選 は 南曲 の諸 テ キ スト よ り早 い時 期 に成 立 し て いる か 、 南 曲 テキ スト て見 え てい る こと か ら 、 曲 選 と は別 の經 路 て南曲 テ キ スト に受 け繼 が てあ る。 北 曲 系 の テキ ス ト の中 て特 に注 目 さ れ る のは、 京 劇 の脚 本 集 れ て い った可 能 性 か 高 い であ ろう 。 こ のよ う に南 曲 テキ スト の曲 辭 ・せ り ふ に元刊 本 の影 響 か濃 厚 に 見 であ る ﹃戲 考 大 全 ﹂ に收 録 さ れ て い る こ と てあ る (京 劇 で の題 名 は ︹ 納 ︺恁 可 也 悔 當 初 錯 聽 恁 大賢 妻 。 也曾屡屡韵 他也曾屡屡的 ︹ 綴 ︺ 恷可 也 悔 當 初 錯 聽 了恁 那大 賢 妻 。 他 也 曾 屡 ヒ的 便誘 珎。 便誘 侏。 誘 祢。 ハ ﹁瘋 僣 掃 秦 ﹂)。 つま り、 元 雜 劇 最古 の テキ ス ト てあ る元 刊 本 の曲 辭 か 、 恁 大賢 妻 。 祢 可 便 索 索計 。 若 信 我 言 、 昔 日休 聽 不 賢 妻。 ︹ 富 ︺ 我從 頭 至 尾 。 珎 可 須 索 榮 記。 若 信 我 言 、 昔 日休 聽 不 賢 妻。 ︹ 風 ︺ 我從 到 、 省 略。) 南曲 系 ︻品 令 ︼ 第 七 ∼九 句 ( 富 春 堂 本 は ︻三臺 令 ︼ に作 る。 臺 詞 は ︹ 戯 ︺恁 可 也 悔 當 初 錯 聽 は曲 辭 の 一句 の長 さか ほ ぼ揃 った齊 言 體 の スタ イ ルを と る 詩讚 系演 劇 現 代 に行 わ れ てい る京 劇 にま て繼 承 され て いる の てあ る。 本 來 、京 劇 てあ り、 雜劇 や南 曲 なと 長 短 句 か ら な る樂 曲 系 演 劇 と は 形 式 面 な と で ︹ 汲 ︺ ×從 頭 至 尾 。 珎 ×須 索 牢 記。 若 聽 吾 言 、 昔 日休 聽 大 賢 妻。 異 な って いる 。 し か し、 崑 曲 ( 崑 劇 ・崑 山 腔 ) の演 目 か京 劇 にそ のま ま 取 り入 れ ら れ る こと も少 な く な い。 ﹁東 窗 事 犯﹂ 劇 の場 合 も 、 崑 曲 は、 曲 牌 の配 列 、曲 辭 に違 い か見 ら れ る。 しか し 兩 者 か 全 く 無 關 係 か ﹁東 窗 事 犯 ﹂ ては、 粗 筋 は ほ ほ共 通 す る も の の、 北 曲 系 と南 曲 系 て 定 てあ る。 ﹃綴 白 裘 ﹄ ﹃納 書 楹曲 譜 ﹄ ﹃戲考 大 全 ﹄ ﹁お ぬ し は な んと ま あ そ 同 内容 てあ り 、 元 刊 本 と ﹃萬 壑 清 昔 ﹄ ては 秦檜 の妻 は善 人 と いう 設 ( 嶽 飛謀 殺 を やめ る よ う に) 諌 め て いた の に﹂、 ﹃萬 壑 清音 ﹄ も お お よ 元 刊 本 ﹁そ のか み優 れ た 賢 妻 の 言 う こと を 聞 か す 、 彼 女 は し き り に いす れ も風 和 尚 か秦 檜 に向 か って言 って いる と ころ。 北 曲系 の譯 は、 か ら 京 劇 に取 り 入 れ ら れた 例 に な る わ け た か、 元 雜 劇 か 崑 曲 を 經 由 し と いう と 、 簡 單 に割 り切 る こと か出 來 な い。 北 曲 系 ・南 曲 系 そ れ そ れ て現 在 の京 劇 の中 に繼 承 さ れ て い る と いう の は大 變 珍 し い。 か ら 本 文 を 引 い て見 てみ よ う。 ては 悪 人 と いう 設 定 てあ る 。南 曲 系 の譯 は ﹁わ し か は し め か ら おし ま しきりと ( 嶽 飛 を 謀 殺 す る よ う に) お ぬし を 唆 し た ﹂ と な り、 こち ら そ のか み か の大 し た 賢 妻 の言 う こ とを う っか り 聞 い てし ま い、 彼 女 も ︻粉 蝶 兒 ︼ ① 休 笑 我 垢 面 風 癡 。 ② 恁 參 不 透 我 本 心 主 意 。 ③ 子 與 世 いま て話 す から 、 お ぬし は し か と 心 に留 め ら れ よ 。 も し わ し の言 う こ ○ 北 曲 系 ・元 刊 ﹁東 窗 事 犯 ﹂ 第 二折 人 愚 不 解 禪 機 。 ④崩 轡 着 短 頭髪 、⑤ 胯 着 个 破 執 袋 、 ⑥ 就 裏 敢 包 羅 と を 信 し る なら 、 そ のか み 愚 か な妻 の言 葉 を 聞 く べき ては な か った﹂ 天 地 。 ⑦ 我 將 這 吹 火筒 却離 了 香 積 。⑧ 我 泄 天 機 故 臨 凡 世 。 と な り 、秦 檜 の妻 は悪 人 てあ る。 汲古 閣 本 では ﹁大 賢 妻 ﹂ と な って い ﹃風 月 錦 嚢﹄ によ る るか 、 意味 は同 し てあ る 。 一般 的 に秦 檜 の妻 は、 南 曲 系 に見 ら れ る よ ○南曲系 ︻園 林 好 ︼ 祢 笑 我 風 魔 蠢 ( ①) 、 我 和珎 其中 見識 、參 不 透吾 心主 曾苦 苦 地 勸 侏 。 一六 九 のテキ ストの影 響 を 受 け たも のと 考 え ら れ る。 こ の よう に曲 辭 が異 な ﹃戯 考 大 全 ﹄ て秦 檜 の妻 か惡 人 と い う 設定 に な って いる の は、 南 曲 系 し い。 し か し、 元 刊 本 の系 統 を 引 く 北曲 系 の ﹃綴 白 裘 ﹄ ﹃納 書 楹 曲 譜 ﹄ 音 ﹄ のよ う に嶽 飛 謀 殺 に反 對 す る善 人 と いう 設 定 てあ る のは 非常 に珍 う な 嶽 飛謀 殺 を 唆 す 惡 人 と いう 設定 か普 逋 てあ り 、 元 刊 本 と ﹃萬 壑 清 (② )。 不 解 我 這 禪 識 (③ )。 試 聽 我 端 細 。 曲 牌 ・曲 辭 は異 な って いる か 、 同 し 番 號 を 付 け た句 か 類 似 し てい る 當 時 不信 大 賢 妻。 他 こ と か わ か る。 ま た次 に擧 げ る箇 所 も み てみ よ う。 ︹ 元︺ 珎 那 大 賢 妻。 他也 曾 屡 屡 的 可 便 勸 弥 。 北 曲系 ︻石 榴 花 ︼ 第 三 ∼ 四句 ︹ 萬︺祢可也悔當初不聽 元 雜 劇 テキ スト の明代 以降 にお け る 繼承 に つい て 日本中國學會報 第五十六集 る にも か か わ ら す 、 内 容 的 に影 響 關 係 か 見 ら れ る點 も 興 味 深 い。 こ こに 擧 け た 箇 所 にと と ま らす 、 北 曲 系 と 南 曲 系 で は曲 辭 ・臺 詞 と 第 四折 一七 〇 元刊本 ・脈望館抄本 珊﹄(いずれも明刊本) 雜劇 明代 ﹃風月錦嚢﹄﹃樂府紅珊﹄﹃ 萬壑清音 ﹄﹃怡春 錦 ﹄﹃玄 雪 譜﹄ ﹃珊 珊 集 ﹄ ま 南曲 る 。 こ の こと と 版本 の成 立 時 期 と を 考 慮 に 入 れ れ は、 ﹁東 窗 事 犯 ﹂ の 肩 代 ﹃綴 白 裘 ﹄ ﹃納 書 楹 曲 譜 ﹄ ﹃六 也 曲 譜 ﹄ (いす れ も に 類似 し た部 分 か あ り、 兩 者 の聞 に影 響 關 係 か あ る こと か う か か え 明代 以降 の繼 承 は次 のよ う に考 えら れ る 。 明 代 に は相 互 に影響 關 係 に も 崑山 腔 ) ︻雁 兒 落 ︼、 合 計 十 曲 に及 ふ 。 特 に缺 損 の度 合 い か甚 た し い のは 、 ︻柳 第 四折 ︻新 水 令 ︼ ︻駐 馬 聽︼ ︻風 入 松 ︼ ︻胡 十 八 ︼ ︻慶 東 原 ︼ ︻沈 醉 東 風 ︼ そ の範 園 を曲 牌 て擧 げ る と、 第 三 折 の末 尾 ︻柳 青 娘 ︼ ︻道 和 ︼ ︻尾 ︼、 實 は元 刊 ﹁單 刀 會 ﹂ の原 本 に は缺 損 かあ る のであ る ( 圖 版 參 照 )。 あ る北 曲 系 と 南 曲 系 の 二系 統 か 併 存 す る と いう 状 况 か 見 ら れ た。 そ の 後 、 膚 代 以降 に は南 曲 系 かす た れ 、 北曲 系 か 主 と な って、 そ れか 現 代 の京 劇 に ま て受 け繼 か れ て い ると いう こと にな る の であ ろ う。 五 、 ﹁單 刀 會 ﹂ 青 娘 ︼ ︻道 和 ︼ ︻尾 ︼ ︻風 入 松 ︼ の四 曲 てあ る 。 そし て こ のう ち ︻尾︼ を 除 く 三 曲 は 、他 の テキ スト に繼 承 され て いな い。た と え は ︻風 入 松 ︼ ﹁單 刀 會﹂ の場 合 を 見 てみ た い。 ﹁單 刀會 ﹂ は 三國 志 物 語 の 一場 面 を 扱 った 芝 居 てあ るか 、 そ のあ ら す し は、 呉 の魯 肅 か劉 備 に貸 し た 荊 州 は 次 のよ う にな ってい る。 文學徳行與⋮ ( 八 字 原 缺 ) ・國 能 謂 不休 読。 一時多 少 豪 傑。 人生 を 取 り 戻 そう と し て、 關 羽 を 酒宴 に招 い て話 を 付 け よ う とす るか 、 關 羽 は 逆 に魯 肅 を 脅 し て悠 々と 引 き揚 げ て い く、 と いうも の てあ る 。 百 年 ・ (七字 原 缺 ) ⋮ 不 奢 。 元 刊 本 ・脈望 館 抄 本 れ は何 を意 味 す るも の であ ろ う か。 お そ らく 、 缺 損 によ って文 意 か不 こ のよ う に文 意 か不 明 確 にな ってい る部 分 か繼 承 さ れ て いな い。 こ 雜劇 弋 陽 腔 系 : ﹃天 下 春 ﹄ ﹃樂 府 菁 華 ﹄ ﹃大 明 春 ﹄ ﹃樂 府 明 確 に な った た め に、 後 代 の テキ スト に繼 承 され な か ったと 考 え ら れ ﹁單 刀 會 ﹂ 劇 各 折 の現 存 す る テキ ス トを 擧 げ て みよ う 。 第 一折 南曲 紅珊﹄ る てあ ろ う 。 つま り、 ﹁單 刀 會 ﹂ に お け る 繼 承 は 、 缺 損 箇 所 を 含 む テ 曲 も缺 損 か多 い か、 こ の曲 の場 合、 折 の末 尾 に必 要 な曲 てあ る た め、 (﹃樂 府 紅 珊 ﹄ は弋 陽腔 系 テキ スト に近 いた め 、 ここ では 弋 陽 例 外 的 に補 わ れ たも の てあ ろ う。 先 に擧 げ た 三曲 以外 の曲 は いす れも キ スト をも と に し て いる と推 測 さ れ る のてあ る。 第 三折 末 尾 の ︻尾 ︼ 元 刊本 ・脈 望 館 抄 本 (雜 劇 テキ ス ト のみ ) 缺 損 か少 な く、 缺 損 部 分 か補 わ れ てい ると 見 なす ことか てき よ う。 腔 系 に分 類 し た。 第 三折 も 同 じ ) 第 二折 南 曲 ・崑 山 腔 ・ ﹃綴 白 裘 ﹂ ﹃納 書 楹 曲 譜 ﹄ ﹃六 也 曲 譜﹄ (い 雜 劇 :元 刊 本 ・脈 望 館 抄 本 見 て み よ う。 (傍線 は異 同 、 点 線 は缺 損部 分 を示 す 。 以 下 同 じ ) そ れ ては 、 缺 損 部 分 か と の よ う に補 わ れ て い るか 、 ︻尾 ︼ を 擧 げ て 第 三折 ﹃天 下 春 ﹄ ﹃萬 象 新 ﹄ ﹃大 明春 ﹄ ﹃樂 府 紅 すれも庸刊本) 弋陽腔系 第 三 折 ︻尾︼ (抄 本 は ︻尾 聲 ︼、 六 ・納 本 は ︻嫁 尾 ︼ に作 る。 弋 陽 腔 楚覇王。行 系 の ﹃天 下 春﹄ ﹃樂 府 紅 珊 ﹄ は前 曲 ︻鮑 老 催 ︼ か ら の續 き) 又無那宴鴻門 秦穆公。 ×XX× 又無 那 (以下 原 缺 ) 先鋒將。 那 一塲攘 。 [ 下] 甥 XX 楚 覇王 。 小 可 如 X萬 鴻門會楚覇王。捌 (八 字 原 缺 ) ・ ・ 侏 前 日上 。 放 心 、 小 可 如 我 萬 ・(七字 原 缺 ) ・公。 ・ 滿 筵人 都 ︹元︺ 須 下 軍中 下 馬 刺 滿 筵 人 X列 着 ︹ 脈︺ 須無那會臨潼 圏倒 軍 × x x刺 顔良 時 XX × X X百 萬 鴻門宴楚覇王的行 俺也曾百萬 軍中 楚覇王。 俺 也 曾 百萬 軍中 楚 覇王 。 小可的百萬軍中 那 里有 宴 鴻 門 ×X ×X 那裏 有 宴 鴻 門 那 一塲 喫 。 [ 同下] 英雄將。 ××XX ︹ 綴 ︺ 雖 不 比 ×臨 潼 會 上 秦 穆 公 。 滿庭前折磨 了 x ×斬 顔 良 ︹ 納 ︺ 雖 不 比 x臨 盧 會 上 秦 穆 公 。 X X× × 那 一塲 驪 。 滿 眼前 折 沒 了 個英 雄 將 。 x×斬 顔 良 X× 那裡有宴鴻門 X×XX 秦 穆 公 志 量。 怎 比 得 那 一場 攘。 英雄將。 ︹ 六 ︺ 雖 不比 ×臨 潼會 上秦 穆 公。 滿筵前捌磨 了 x ×斬 顔 良 ︹紅︺ 他 沒 有 ×臨 潼 會 紅 好 一似 白 馬 坡 前 誅 文 丑。 X X × × ×× x × ×百 萬 鴻門宴楚覇王的行 教侮 一塲 空 想 。 [ 重] 粧好 一似 白 馬 坡 前 誅 文 醜。 × × × x 秦 穆 公 志 量。 怎 比 得 軍中 x ×刺 顔 良 。 魯 子 敬 呵 敏 祢 一塲 空 想 。 劇。 測。 ︹ 天 ︺ 他 沒 有 ×臨 潼 會 軍 中 × x刺 顏良 。 魯 子 敬 (杠 ・粗 の臺 詞 は 省 略 ) ( 元 刊 本 譯 ・ (臨 潼 會 の秦 穆 ) 公 ては あ る ま い し、 ま た 鴻 門 會 の 元雜劇 テキ スト の明代以降における繼承 に ついて 楚 覇 王項 羽 ても あ るま い。 宴 席 中 の者 に下 知 し て (先 鋒 將 を竝 へ た と て) 祢 前 日上 ( 意 味 不 明)。 安 心 せ よ 、 一萬 の軍 中 て馬 を 下 ( 天 下春譯 や つ (魯 肅 ) は臨 塵 會 の秦 穆 公 ほど の器 量 なく 、 鴻 り (?) (顏 良 を ? )刺 し た こ のわ し には か な う ま い。) 門 の宴 て の楚 の覇 王 ほど の振 る舞 いにも 及 ば ぬ。 白 馬 坡 て文 醜 を 殺 し 、 百萬 の軍 中 て顔 良 を刺 し た よ う にし てや ろう 。 魯 子敬 よ、 あ だ な 謀事 てあ った な。) 元 刊 本 ︻尾 ︼ に は 三箇 所 に缺 損 か あ る か、 第 一句 の缺 損 は第 二 句 の ﹁楚 覇 王 ﹂ か ら の類 推 て補 った と 思 わ れ る 。 第 三 句 の缺 損 部 分 に は ﹁列 着 先 鋒 將 ﹂ か 補 わ れ、 そ の あ と の ﹁侮 前 日上 。 放 心 ﹂ は、 意 味 か わ か ら な く な り削 ら れ た と 考 え ら れ る。 末 句 ては、 ﹁刺 顏 良 ﹂ と い う の缺 け て いる 字 數 分 を 埋 め よ う と し た こ と か ら、 ﹁顔 良 時 那 一塲 攘 ﹂ 言 い方 か 小 説 ・戯曲 てよ く使 わ れ る こと 、元 刊本 原 本 で ﹁刺 ﹂ 字 以 下 の句 か補 わ れ た と 思 わ れ る 。 ﹁下馬 ﹂ の 二字 は、 單 に削 ら れ て し ま っ た の てあ ろう 。 こ のよ う に ︻尾 ︼ 曲 にお い て、 元 刊 本 の缺 損部 分 と脈 望 館 抄 本 の異 同 を 見 てみ ると 、 現 存 す る缺 損 か あ る元 刊 本 にも と ついて脈 望 館 抄 本 別 の例 も擧 げ て みよ う 。 別。不付能 見也。 立 勳 業。 咲 一夜 。 却 又早 老 開懷 的 飮 數 杯 。 兩朝相隔 ⋮( 八 字 原 缺 Y・ : 老也。 那里 也 舜 五人 、 漢 三 傑。 却又 早 二朝阻隔 ( ﹃風 月 錦 嚢﹄ は ︻那 叱 令 ︼ に作 る) に見 え る曲 辭 か 作 ら れ てい る可 能 性 か 考 え ら れ る。 第 四折 ︻胡 十 八 ︼ 關 羽 の唱 六年 ︹ 元 ︺ 恰 一國 興 、 早 一朝 滅 。 那 ・ : ( 八字原缺) :⋮ 心兒 別 。 不 付 能 見者 。 ︹ 脈︺ 想古今、 數年 一七 一 柘 日本中國學會報 老也。 翩 朝 ×隔 開 懷 暢 飮 、劃へ 那 劉蜀 舜 虱廻 、漢 三傑 。 第五十六集 立勳業。 盡 心 兒 待 醉 ]夜 。 絡 ︹ 風︺ 想古今、 却又早 一七 二 を 補 った た め と考 え ら れ る てあ ろ う。 元刊 本 の缺 損 部 分 に本來 存在 し て いた 句 は、 脈 望 館 抄 本 に見 え る 曲辭 と は異 な った も の であ った のか も し れ な い。 元 刊 本 第 七 句 ﹁却 又 早老 ﹂ 以 下 の缺 損 に つい ては、 末 句 ﹁心 兒 哄 一夜 ﹂ か ら 類 推 し て、 脈 望 館 抄本 ては ﹁(老 ) 也。 開懷 的 飲 數 杯 。 盡心 兒 待 醉 一夜 ﹂ と し て いる と思 われ る。 そ の他 の南 曲 テ キ スト 數 年 聞 別 。 不 ×能 轂 會 也 。 負懽悦。 立 勳 業 。 粍 × x x舜 五人 、 漢 三傑 。 貌翩 朝柑 隔 ては、 樣 々 な異 同 か 見 ら れ る か、 基 本 的 に は脈望 館抄 本 に見 え る曲 辭 ろ う。 以上 の諸 點 を 總 合 す る と、 脈 望 館 抄 本 に見 え る曲 辭 は、 今 日傳 存 し てい るた った 一册 の缺損 のあ る元 刊 本 を も と に し て、 缺 損 部 分 を 補 っ て作 られ た 可 能 性 か 非常 に高 いと 考 え ら れ る てあ ろ う。 明 本 で は、 元 開 懷 x飮數 盃。 ﹁也 。 開懷 韵 飮 數 杯 。 盡 ﹂ の影 響 を受 け て い る と考 え る のが 爰 當 てあ 老 也 。 鷲且 開 懷 暢 飮 、刻貿 開懷處飲數盃、 莫放金杯歇。 給 別 。 不復 能 見 也 。 想却 又 早 ︹紅 ︺ 想 古 今 、 數年 懽悦 。 略 老也。級 立 勳 業 。 紅 那裏 有 舜 五人 、 灘 ヨ傑 。 粗翩 朝椡 隔 別 。 不 ×能 會 也 。 却 又 早 ︹ 萬︺ 想古今、 數年 不覺的盡心醉也。昭 副朝椡隔 刊 本 よ り曲 牌 數 か 減 少 す る例 か 多 い か、 ﹁單 刀 會 ﹂ の場 合 は お そ ら く る へき て あ ろ う。 元 刊 雜 劇 三 十 種 の中 て は他 にも 、 ﹁任 風子 ﹂ 第 二 折 それ と は 異 な る パタ ー ン てあ って、 缺損 に よ って曲 牌 か 減 少 し た と 見 開懷來 只待 盡心 見可便 醉也。 招 ( 萬 ・怡 ・玄 恰 又 早 這 般 老也 。 糧 立 勳 業 。 粧那 里 有 舜 五 人 、 漢 三傑 。 大夫某 別。 不獲能個會也。 ︹ 綴 ︺ 想 古今 、 只這數年 飮數 杯。 % ・珊 は同 じ 。 綴 ・六 は 同 し) (一五 五 三) の刊 記) と ﹃樂 府 紅 珊 ﹄ (萬暦 三十 年 (一六 〇 二)序 ) は、 う 。 南 曲 テキ スト のう ち成 立 年 代 か 早 い ﹃風 月 錦 嚢 ﹄ (嘉 靖 三十 二年 次 に ﹃風月 錦 嚢 ﹄ を はじ め と す る南 曲 テキ ス ト への繼 承 を 見 てみ よ 小 穀 本 と す る) か成 立 す る段 階 て補 わ れ たも の てあ ろ う 。 乃 至 は そ れ に非 常 に 近 い テキ ス ト (以下 話 を 單 純 化 す るた め 、 單 に于 そ の本 文 は 脈望 館 抄 本 の抄 寫 時 期 に先 立 つこと にな る の て、 于 小 殼本 ロレけ ︻呆 古 朶 ︼ か 缺 損 に よ り 明本 に繼 承 さ れ て いな いと 思 わ れ る。 な お、 ・( 原 缺 ) : 二 つの國 か 相 (元 刊 本 譯 : 一國 興 る や 、 一朝 滅 ぶ。 ﹁單 刀 會 ﹂ の脈 望 館 抄 本 は、 そ の體 裁 な ど か ら 于 小 穀 本 と考 え ら れ、 古 今 勳 業 を 立 て し こと に思 いを 馳 せ れ は 、 舜 の (原缺 ) :心 ゆ く ま て 一晩笑 って過 ご そう そ。) 隔 た ってよ り六 年 の別 れ 、 よ う やく 會 え た と思 った ら、 な んと は や年 老 い て (脈 望 館 抄 本 譯 五 人 、 漢 の三傑 な ど ど こに いよ う か。 兩 國 か相 隔 た ってよ り 數 年 の別 れ 、 よう や く會 え た と思 った ら、 な ん と は や年 老 い てし ま っ た 。 お お ら か に杯 重 ね、 心 ゆ くま て飮 み明 か そう そ 。) 元 刊 本 第 三句 の缺 損 部 分 て は、 脈 望 館 抄 本 や そ の他 の テキ スト に 脈 望館 抄 本 の抄 寫 (]六 一二∼ 一七 ) より 早 い時 期 に成 立 し てお り、 二句 ﹁恰 一國興 、 早 一朝 滅 ﹂ も 他 の テ キ スト で は ﹁想 古今 、立 勳業 ﹂ 二 種 の南 曲 テキ ス ト の成立 に つい ては、 于 小穀 本 か 何 ら か の經 路 て民 脈 望館 抄 本 か ら 直 接 影 響 を 受 け た と は考 え にく い。 し た か って こ れ ら ﹁里 也 舜 五 人 、 漢 三傑 ﹂ と い う 句 を 補 ってい る か、 元 刊 本 第 一句 ・第 に改 め ら れ て いる のは、 缺 損 部 分 に ﹁里 也 舜 五 人 、 漢 三傑 ﹂ と い う 句 あ ろ う。 ﹃風 月 錦 嚢 ﹄ は、 そ の成 立 を 永 樂 年 聞 と す る 説 も あ るか 、 現 閲 に流 出 し 、 南 曲 テキ ス ト成 立 に影響 を與 え た と推 測す る のが爰 當 て あ る。 す 以 前 にお け る 元 刊本 の流 傳 に つい て、 明 ら か にさ れ て いな い状 况 て と の よう てあ る 。 と は い え、 現 時點 て は、 明代 中 期 李 開 先 の所 藏 に歸 (本 稿 て は脈 望 館 抄 本 を指 す) のも と にな った テ キ スト てあ った の て し か し 、 元 刊 ﹁單 刀會 ﹂ か 、 明 の内 府 を 經由 し てき た雜 劇 テキ ス ト 存 す る ﹃風 月 錦 嚢 ﹄ の ﹁單 刀 會 ﹂ の成 立時 期 に つい ては、 少 な く とも 于小 穀 本 よ り後 れ ると 見 て よ い てあ ろう。 于小 穀本 の主 要部 分 の成 立 を 成 化年 閲と す る小 松 氏 の推 越 とも 矛 盾 し な い。 たと い う可 能 性 が 考 え ら れ る。 そも そも 雜 劇 を め く っては、 元 か ら 明 への繼 承 か如 何 な るも の てあ った のか と い う こと は重 要 な 問題 てあ る。 あ れ は、 元 刊 ﹁單 刀 會﹂ は明 の宮 廷 に集 め ら れ て いた テ キ スト てあ っ も し も 、 實 際 に元 刊 本 か 明 の宮 廷 を 經 由 し て いた の てあ れ は、 それ は この よう に ﹁單 刀 會 ﹂雜 劇 の場 合 にお い ても、 明代 以降 の ﹁單 刀會 ﹂ 元 刊 本 ﹁單 刀會 ﹂ 原 本 に缺 損 が 存在 し、 缺 損 部 分 に該 當 す る 明 本 の部 の繼 承 は、元 刊 本 を 起 點 と し てい るよ う に見 え る 。特 に注 目 す へき は、 分 か後 補 さ れ た も の てあ ると 推 測 てき る こ と か ら 、 現 存 す る元 刊 本 雜 劇 の繼 承 過 程 にお い て、 明 の宮 廷 か 非 常 に大 き な役 割 を 果 た し て い 六、﹁ 單 刀會﹂ にお ける崑 山腔 と弋 陽腔 系 た こ とを 改 め て示 す こと に な る であ ろ う。 ﹁單 刀會 ﹂ か 明 本 のも と にな った 可 能 性 は非 常 に高 い と 思 わ れ る。 も し こ の こと か 事實 てあ れ ば 、 これ は文 字 テキ ス トを 介 し た 繼 承 と い う こと にな り、 直 接 的 に上演 を介 し た繼 承 て はな いと いう こと を 示 ﹁單 刀 會 ﹂ にお け る崑 山 腔 テキ ス ト と弋 陽腔 系 テキ スト の異 同 状 况 し てい る こ と に な る 。 と す れ ば 、 ﹁單 刀會 ﹂ の實 演 の傳 統 か、 こ の時 點 て途 切 れ て いた 可 能 性 も 想 定 でき る てあ ろう 。 も し か り に別 系 統 の の點 に ついて述 へてみ た い。 か ら、 明 代以 降 の雜 劇 繼 承 の 一つの パ タ 1 ンを 見 る こと か出 來 る。 こ 先 に擧 げ た第 三 折 ︻尾 ︼ ては、 脈 望 館 抄 本 に見 え る 曲辭 か崑 山 腔 と ﹁單 刀 會 ﹂ 劇 か 存 在 し て い たと し ても、 こ の ﹁單 刀 會 ﹂ か宮 廷 外 へ流 弋 陽 腔 に繼承 さ れ て いた 。崑 山 腔 テ キ スト は脈 望 館 抄 本 に近 く 、 弋 陽 出 し、 主 流 にな ってし ま った と 考 え ら れ る。 上 演 を 介 し た 繼 承 て はな か った と し た ら、 元 刊 本 は、 明代 以降 と の し た よ う に、 弋 陽 腔 系 の テキ スト は いす れ も明 代 に刊 行 さ れ て い る の よ う に傳 えら れ てき た のか 。 明 代 初 期 にお け る元 刊 本 の所 在 は明 らか に封 し 、 崑山 腔 テキ ストは清 代 の刊行 てあ る のて、 現 存 す る テ キ スト に見 え る。 し か し、 ﹁單 刀 會 ﹂ 第 三折 に お い ては 、 テキ ス ト 一覽 で示 李 開先 ﹃詞 謔 ﹄ に見 え る ﹁追 韓 信 ﹂ に關 す る 記 迹 な と か ら、 嘉 靖 年 聞 の刊 行 年 代 を 見 る 限 り、 崑 山 腔 テキ スト か 弋陽 腔 系 テキ スト に影 響 を 腔系 テキ スト は脈 望 館 抄 本 と崑 山 腔 テキ ストか らか け 離 れ てい る よ う の李 開先 か こ の書 を 所 藏 し て い た こと か あ った と推 定 し てお ら れ る。 與 え て い ると は考 え に く い。 こ の こと を曲 牌 か らも 確 認 し てみ る と、 にさ れ てお ら す 、 明 代 中 期 にな ってよ う や く手 か か り と な る 記遮 か現 李 開 先 の後 は、 孫 楷 第 ﹃也 是 園 古 今 雜 劇 考 ﹄ によ れ ば、 清 の何煌 ( 字 元 刊 本 と 脈 望 館抄 本 に見 え る ︻快 活 三 ︼ ︻鮑 老 兒 ︼ ︻剔 銀 燈 ︼ ︻蔓 菁 菜 ︼ れ る。 岩 城 秀 夫 氏 は そ の論 文 ﹁元 刊 古 今雜 劇 三十 種 の流 傳 ﹂ の申 て、 心 反 、 號小 山 、 長 洲 人 ) か實 際 に目 睹 し 、 所 藏 し て いた 脈 望 館抄 本 と 一七 三 元 刊 本 と の校 勘 を行 ってお り、 そ の後 、 黄 丕 烈 の手 に渡 った と いう こ 元 雜 劇 テキ ス ト の明 代 以 降 に お け る繼 承 に つい て 端 的 是 三分 英 勇漢 雲 長 。 怒 開 豪 氣 三千 丈 。﹂ (※ の句 は元 刊 本 ・脈 一七 四 (脈 本 は ︻蔓 菁 菓 ︼ の曲 牌 表 示 か な く 、 曲 辭 の 一部 だ け か存 在 す る) 本 ︻鮑老 兒 ︼ 曲 中 に見 え るか 、 ︻鮑 老 兒 ︼ 曲 は省 略 し た) 第 五十六 集 の四曲 か、 崑 山 腔 テ キ ス ト て は繼 承 さ れ て いな い。 一方 、 弋 陽 腔 系 テ (元 刊 本 譯 ・ ︻剔 銀 燈 ︼ た と え や つか戰 い の場 に勇 ま し い軍 を な 日本中國學會報 キ スト では曲 牌 こ そ異 な って いる も の の、 こ の三曲 の言 葉 が 異 な る曲 この大 將 軍 のす ばら し さ はあ の孫 臭 の兵法 (呉 のや つら ) の上 だ。 ら へよう と も、 陣 幕 のまわ り に威 勢 のい い兵 を 駐屯 させ よ う とも、 具 體 的 な 例 と し て、 元 刊 本 ・脈 望 館 抄本 ・﹃天 下 春﹄ (弋 陽 腔 系 テキ 馬 は龍 の よ う人 は仁 王 のよ う 、 そ れ こ そ頼 り 。 わ し は す ご く彊 い 牌 に使 われ てい る。 スト) の三 種 を 擧 げ てみ よ う (元 刊 本 の本 文を 適 宜 か き 括 弧 て區 切 っ と言 って、 無 理 に事 を 起 こそ う とす る ても な いか 、 いざ戰 いと い う の なら や る氣 は十 分 し ゃそ 。 て番 號 を振 り 、 番 號 は脈 望 館 抄 本 ・﹃天 下 春 ﹄ と 對 應 し て い る。 異 同 箇 所 に傍 線 を 付 す )。 矛 や旗 、 槍 を なら べよ う と も、 いざ 手合 わ せ と な れ ば、 三國 に名 ︻蔓 菁 蘂 ︼ や つにた と え 手 強 い兵 、 戰 にな れ た 將 か いよ う と も 、 ︻剔 銀 燈 ︼ 折 末 他 ﹁① 雄 糾 糾 軍 排 成 殺 場 。 威 凛 凛 兵 屯 合 虎 帳 。 大 高 い英 雄 漢 の雲 長 、 げ にも豪 氣 は三 千丈 。) 到讀 不能 ) 將 軍奇 鏡 在 孫 呉上 。﹂ ﹁②倚 着 馬 如 龍人 似 金 剛 。﹂ ﹁③ 不 是 我十 分 強 。 ○ 元 刊 本 (日 硬 主 仗 。﹂ ﹁④ 題 着 厮 殺 去 摩 擧 擦 掌 。﹂ う てあ っても 、 戰 い の場 に勇 まし く 出 て こよ う と も、 威 風 堂 々た (﹃天 下 春 ﹄ 譯 ・ ︻鮑 老 催 ︼ た と え彼 か 馬 は龍 のよ う 人 は 仁 王 のよ る兵 器 か 虎 や 狼 にも ま さ ると も、立 依 な男 た る わ か心 意 氣 は孫 呉 ︻蔓 菁 菜 ︼ 他 便 有 快 對 付 能 征 將 。 排 戈 戟 列 ■ 倉 ( 當 作 旗 鎗 )。 ﹁⑤ 野 嶂 。 三 國英 雄 漢 雲 長 。 端 的 豪 氣 有 三 千 丈 。﹂ ︻剔 銀 燈 ︼ 折 莫 他 ﹁① 雄 糾 糾 排 着 戰 場 。 威 凛 凛 兵 屯 虎 帳 。 大 將 軍 起 こ そう とす る ても な いか 、 (せ り ふ め る にも ま さ る (? )。 わ し はす ご く 強 いと 言 って、 無 理 に事 を の兵 法 (呉 の や つら ) の上 た。 只今 單 刀會 に ては、 齊 王 を 閉 じ こ 智 在 孫 呉上 。﹂ ﹁② 馬 如 龍 人 似 金 剛 。﹂ ﹁③ 不 是我 十 分 強 。 硬 主 張 。﹂ を 言 い出 し た ら )、 よ ろ いや 陣 羽織 を 身 に つけ 、 劍 や 刀 を 用 意 し ○脈 望 館 抄 本 ﹁④ 但 題 起 厮 殺 呵麼 拳 ■ 掌 。﹂ て、 一人 一人 や っ つけ て や る そ。) こ の よ う に、 ﹃天 下 春 ﹄ では 、 雜 劇 テキ ス ト の歌 詞 を 用 い な か ら、 や つか も し も荊 州 の こと ︻蔓 菁 菜 ︼排 戈 甲 列 旗 鎗 。 ﹁ ⑤ 各分 戰場 。我 是 三國 英 雄 漢 雲 長 。 端 的 是 豪 氣 有 三 千 丈。﹂ 話 の流 れ に大 き な 變 更 を 生 じ て い な い のは 、 雜 劇 テ キ ス ト の ︻上 小 パ ス ル のよ う に 順番 を入 れ替 え て いる。 それ にも か か わ ら す 、 雜 劇 の ︻鮑 老 催 ︼ 那怕 他 ﹁② 馬 如 龍 人 似 金 剛 。﹂ ﹁① 雄 糾 糾 推 乘 出 戰 場 。 ○ ﹃天 下春 ﹄ ︻鮑 老 催 ︼ の途 中 ま て 威 凛 凛 兵 戈 賽 虎 狼 。 大 丈 夫 志 在 孫 呉 上 。﹂ ﹁※今 日向 單 刀 會 裡 、﹂ て入 れ 替 え を 行 な って いる か ら てあ ろ う 。 ﹃天 下 春 ﹄ に見 え る、 こ の 樓 ︼ か ら ︻尾聲 ︼ ま てを 、 だ いた い前孚 と 後 牟 に分 け 、 そ れ ぞ れ の中 よ う な曲 辭 の入 れ替 え は、 第 一折 の弋 陽 腔 系 テキ スト にも 同 樣 に見 ら 勝 似鎮 齊 王。 ﹁③ 非 是 我 十 分 強 。 硬 圭 張 。﹂ ( 他 若 提 起 那 荊 州 呵 。) ﹁④ 准 備 着 貫 甲 披袍 、仗 劍提 刀 、 一個 個 磨擧 擦 掌 。﹂ ﹁⑤ 各 分 戰 場 。 文 であ る 。 し た か って、 こ の部分 か らも 、 先 に述 べた ﹁單 刀會 ﹂ の繼 第 一折 ・第 三 折 にお い て、 ﹃樂 府 紅 珊 ﹄ と ﹃天 下 春 ﹄ と は 、 ほ ほ同 ト の本 文 に近 い形 を 殘 し て いる のは、 何 故 な のだ ろう か。 こ の こと は、 を 繼 承 し て いる。 て は、 崑 山 腔 か 弋 陽 腔系 テ キ スト より も 雜劇 テキ ス 一方 、 崑山 腔 のテキ ス トは 、 元 刊本 や脈 望 館 抄 本 の系 統 に近 いも の 承 過 程 と 一致 し て いる と 言 え よ う。 す な わち 、 雜 劇 テ キ ストあ る いは る の ては な いと 思 わ れ る。 む し ろ崑 山 腔 は北 曲 の形 式 な ど を生 かす 方 崑 山 腔 の形式 か 雜 劇 を 取 り入 れ や す か った、 と いう こと のみ示 し てい れ る。 于 小 穀本 か 民 聞 に流 出 し、 そ し て南 曲 に取 り込 ま れ て入 れ 替 え か 行 わ れ 、 ﹃樂 府 紅 珊 ﹄ や、 ﹃天下 春﹄ 等 の弋 陽 腔 系 テキ ス ト にも 收 録 さ れ た も し れ な い。 明 代 中 期 以後 、 雜 劇 テ キ スト の刊 行 か盛 ん に行 わ れ て い 向 で、 崑 山 腔 に取 り 入 れ よ う とす る姿 勢 か あ った と 考 え る べき な のか と いう 著 作 か あ る。 弦 索 (絃 索 に同 し ) と いう のは、 弦 樂 器 (琵 琶 や の沈 寵 綏 ( 字 君徴 、號 適軒 主 人 、 萬 暦 江蘇 呉江 人 ) に、 ﹃絃 索 辨 訛﹄ むロ 當 時 の知 識 人 の著 作 か ら 、 北 曲 愛 好 を 示 す 例 を擧 げ て み よう 。 明 末 て愛 好 さ れ て いた ことを 見 逃 す こと は出 來 な い てあ ろ う。 る か、 そ の背 景 には 所謂 知 識 人 の聞 て、 雜 劇 か 高 尚 て雅 な る演 劇 と し と いう こと に な る の てあ ろ う。 こ のよ う に本 文 の異 同状 况 な とか ら 總 合 す ると 、 崑 山 腔 テキ スト か ら弋 陽腔 系 テキ スト か作 ら れ た の て はな い こと は明 ら か てあ る。 それ ては、 崑 山 腔 テ キ スト と弋 陽腔 系 テキ ス ト の異 同 か ら 、 ど のよ う な状 况 か考 え ら れ る て あ ろ う か。 七 、明 代後 期 におけ る北曲 の受 容 そ の要 因 に は、 文 字 テ キ ス トを 寫 す際 に生 じ た微 細 な違 い は かり ては 同し 芝 居 でも テキ ス ト によ っては か な り異 同 か生 し て い る場合 かあ り、 刊 本 の曲 辭 よ りも 南 曲 テキ スト の曲 辭 に近 いも の にな って いる の てあ 訛 ﹄ の ﹁追 韓信 ﹂ (﹃絃 索 辨 訛﹂ ては ﹁千金 記 ・追 賢 ﹂ に作 る) は、 元 記 號 か 付 さ れ てお り、 ﹁追 韓 信 ﹂ 劇 の歌 詞 も 收 録 さ れ て い る。 ﹃絃 索 辨 てあ る。 さ て この ﹃絃 索 辨 訛 ﹄ には 、 弦 索 用 に北 曲 の歌 詞 に唱 い方 の 三 弦 な と ) て伜 奏 を つけ 、 これ に合 わ せ て北曲 を 清 唱 す る と いう も の なく 、 實 演 か ら の影 響 も あ った と考 え られ る てあ ろ う。 弋 陽 腔 系 テキ る 。 つま り、 ﹃絃 索 辨 訛 ﹄ はす で に南 曲 化 し た 芝 居、 こ の場 合 に は長 弋 陽 腔系 テ キ ストは 實 演 用臺 本 に近 い姿 を 留 め てい ると 考 え られ る。 スト は散 齣 集 、 つま り 一幕 も の の寄 せ集 め と い う形 態 を 取 っている か、 そ れ か 著者 にと って の ﹁北 曲 ﹂ た った の てあ る。 知識 人 の北 曲 に對 す る意 識 か高 ま ったと は い え、 彼 ら か ﹁北 曲 ﹂ と 認 識 し ていた も の の中 篇 南 曲 の ﹃千金 記 ﹄ の中 か ら北 曲 部 分 を取 り出 し てき て いる のであ り 、 に は、 南 曲 の中 の ﹁北曲 ﹂ も か な り含 ま れ て いる 可能 性 か あ る こと か これ も 、 折 子 戯 (一幕 も の の芝 居) とし て行 わ れ る こと か 多 か った こ の よう な 改 變 か 爲 さ れ た の は、 雜劇 そ のま ま ては弋 陽 腔 と し ては 上 演 とを 示 し て い る のか も し れ な い。弋 陽 腔 系 テ キ スト にお い て入 れ 替 え し にく か った と いう 、 實 演 を背 景 と し た要 因 か 考 え ら れ る であ ろ う 。 う か か わ れ る。 一七 五 な ってい た こと か 要 因 の 一つに考 え ら れ る であ ろ う。 明 代 の い つごろ こ う し た状 況 には、 雜 劇 か 宮 廷 外 て は 一般 に芝 居 とし て行 わ れ な く これ は、 弋 陽 腔 と いう 劇 種 の性質 と し て、 も と の雜 劇 の ス タイ ルを 保 持 し よ う と いう 意 識 か 乏 し いと いう より は 、 次 か ら 次 へと 變 化 を 邃 げ てゆ く 生 命 力 の強 さ か あ る と いう こと な の てあ ろう 。 元 雜 劇 テ キ ス ト の明 代 以 降 に おけ る繼 承 に つい て 一七 六 注 第五十六集 ( 1 ) 本 稿 て は ﹁元 雜 劇 ﹂ を 、 元 代 に行 われ て い た雜 劇 に 限 って使 用 す る こ 日本中國學會報 と は っき り と特 定 す る こと は困 難 であ るか 、 少 な く と も 明 の後 期 に は 一九 七 三 ︺) 五 四七 頁 。 一九 五 三︺ に、 李 開 先 張 人言 (4) こ の套 數 を 雜 劇 ては普 通 ﹁折 ﹂ と 呼 び、 雜 劇 は 四折 か ら 構 成 さ れ る と ﹂ と 引 く。 憲 廟 好 聽 雜 劇 及 散 詞、 捜 羅 海 内 詞本 殆 盡 。 武 宗 亦 好 之 、 有 進者 印 蒙 厚 賞 。 小 山 小 令 後 序 稱 ﹁供武 初 年 親 王 之國 、 必 以 詞 曲 一千 七 百 本 賜 之 (3) 孫 楷 第 ﹃也 是 園 古 今 雜 劇 考 ﹄ ︹ 上雜出版 瓧 瓧 (2) 岩 城 秀 夫 ﹁元 刊 古 今 雑 劇 三 十 種 の流 傳 ﹂ ( ﹃中 國 戯 曲 演 劇 研 究 ﹄ ︹ 創文 と にす る 。 北 曲 か 南 曲 と し て繼 承 され てい た状 况か あ った こと は、 庄意 す べき こ と と 思 わ れ る。 八、 おわ りに 元 刊 本 か 、 明代 以降 ど の よ う に⋮ 繼承 され た のか 、 これ ま て迹 べてき た こ とを ま と め てお き た い。 まず 、 ﹁追 韓 信 ﹂ に お い ては 、 雜 劇 の曲 辭 を そ のま ま 繼 承 し、 南 曲 の唱 を 插 入 す る パ タ ー ンか 見 ら れ た 。 ﹁東 窗 事 犯 ﹂ ては 、北 曲 系 と南 曲 系 と い う互 い に影 響 關 係 か 認 め ら れ る 二 八 六 頁 以 下 に詳 し く 遮 へら れ て いる 。 た た し 、 元 刊 本 に見 え る 折 と いう す る基 礎 概 念 の再 檢討 ﹂ (﹃中 國 戲曲 演 劇 研究 ﹄ ︹ 創文瓧 つの系統 があ り 、後 に北 曲 系 か京 劇 に繼 承 され て いる状 況か 見 ら れ た。 ﹁單 刀 會 ﹂ ては、 明 代 以 降 の テ キ スト は、 元 刊 本 の缺 損 部 分 を 補 う 形 の は ﹁ひ と しき り﹂ と いう 意 味 て、 明 本 の折 と は中 身 か 異 な ってい る。 ⑲ ⑳ は ﹃侮 外 孤 本 晩 明 戲 劇 選 集 ﹄ ︹ 上海古籍出版肚 ⑭ ・⑯ ∼ ⑱ は ﹃善 本 戲 曲 叢 刊 ﹄ ︹ 學 生 書 局 ︺、 ⑮ は臺 灣 中 華 書 局 影 印 本 、 一九 七 三 ︺) 四 で繼 承 し て い る可能 性 か高 いと 推定 さ れ る。 こ の こと は 、 現 存 す る元 (5 ) 各 テキ ス ト の底 本 は 次 の通 り。 ① と ② は ﹃古 本 戲 曲 叢 刊 四集 ﹄、 ③ ∼ 説 明 さ れ る こと か 多 い。 これ に つい て は、 岩 城 秀 夫 ﹁元 雜 劇 の構 成 の關 いう こと たけ てな く、 こ の元 刊 本 か 明 の宮 廷 と 何 ら か の密 接 な 關 わ り 刊 本 か明 の宮 廷 に由 來 す る テキ スト ( 脈 望 館 抄 本 ) のも と にな った と を 持 って いた こと 、 そ し て雜 劇 の繼 承 過程 にお い て、 明 の宮 廷 か 果 た 收 藏﹂ に、 趙 碕 美 に關 す る詳 し い考 證 が あ る。 二 〇 〇 一︺ 皿 ﹁明 代 にお け る元 雜 劇 ﹂ 第 三章 ﹁﹃脈 望 館 抄 古 今 雜 一九 八 三 ︺ の分 類 に よ (9) 庄 7小 松 前 掲 書 皿 ﹁明代 に お け る元 雜 劇 ﹂ 第 五 章 ﹁﹃元 曲 選 ﹄ ﹃古 今 名 る。 (8) 王 重 民 ﹃中 國 善 本 書 提 要 ﹄ ︹ 上侮古 籍出版瓧 劇﹄考﹂參照。 書院 ( 7 ) 脈 望 館 抄 本 と 于 小 穀 に つい ては 、 小 松 謙 ﹃中 國 古 典 演 劇 研 究 ﹄ ︹ 汲古 ( 6 ) 庄 3 孫 楷 第 前 掲書 二 認 め う る の て、 こ こて は崑 山 腔 に分 類 し た。 も含 ま れ て い ると 思 わ れ るか 、 本 稿 て扱 う ﹁ 單 刀會 ﹂ は崑 山 腔 の も の と な お ﹃怡 春 錦 ﹄ ﹃群 音 類 選 ﹄ ﹃綴 白 裘 ﹄ に は崑 山 腔 以外 の劇 種 に よ る演 目 一九 九 三︺ に よ る。 し た役 割 が非 常 に重 要 な も の てあ った ことを あ ら た め て示 し て い ると ま た、 雜 劇 は明 代 以 降、 民 聞 ては 上 演 さ れ なく な って い たと 言 われ 思 わ れ る。 るか 、 全 く上 演 さ れ な く な ってし ま った か と いうと そう で は なく 、 崑 山 腔 や弋 陽 腔 の中 の北 曲 と し て演 じ ら れ、 あ る い は長 篇 南 曲 の 一部 分 ワ と し て取 り込 ま れ 、 一部 に は現 在 に至 る ま て上 演 され 續 け てい るも の も 存 在 し て い た の てあ る。 し か も 、 そ の繼 承 のあ り方 は決 し て 一樣 で は な く、 崑 山 腔 と 弋 陽 腔 と て は異 な る展 開 を見 せ てい った の であ る。 本 稿 ては こく 一部 の例 を 擧 げ る にと ど ま った が、 今 後 更 に廣 く資 料 を 用 い て、 雜 劇 と 南 曲 の全 面 的 な關 係 を 明 ら か に し て いき た い。 劇 合 選 ﹄ 考 ﹂ 一七 三 頁 參 照 。 一九 七 九 ︺ 上 册 所 收 ) に詳 し い。 弋 陽 腔 の特 徴 と し て (10) 弋 陽 腔 に 關 し て は葉 徳 均 ﹁明 代 南 戲 五大 腔 調 及其 支 流 ﹂ (﹃戯 曲 小 設 叢 は、 ﹁滾 調﹂ と 呼 ば れ る特 徴 的 な 唱 の 插 入 か 擧 げ ら れ る が 、 本 稿 て扱 っ 考﹄ ︹ 中華書局 た ﹁單 刀會 ﹂ には ﹁滾 調 ﹂ の插 入 は見 ら れ な い ため 、 こ の點 は 特 に觸 れ な い。 ﹃海 外 孤 本 晩 明 戯 劇 選集 ﹄ に 三種 收 め ら れ てい る。 (11) 弋 陽 腔 系 の テキ ストと し て は、 注 4 に擧 げ た ﹃ 善 本 戯 曲 叢 刊 ﹄ に九 種 、 ( 12 ) こ の ほ か 、 ﹃綴 白 裘 合 編 ﹄ に も 收 録 され て いる よ う て あ る 。 根 ヶ山 徹 一 ( ﹃東 方 學 ﹄ 第 九 十 三輯 一九 九 七 ) の ﹃綴 白 裘 合 編 ﹄ 目 録 一覽 參 照 。 ﹁明 刻 清 康 煕 間 重 修 本 ﹃綴 白 裘 合 編 ﹄ 初 探 ﹂ 一 ﹃綴 白 裘 ﹄ の成 書 と轉 變 ( 13 ) 富 春 堂 本 と 汲 古 閣 本 と て は、 兩者 の本 文 は非 常 に共 通 し て い る か、 唯 一異 な って いる箇 所 は第 二十 六 折 ﹁登 拜 ﹂ てあ る。 ( 14 ) 元 刊 本 の ﹁默 ﹂ は 意 味 的 に は ﹁驀 ﹂ ( 急 に ) て あ る 。 ﹃樂 府 紅 珊 ﹄ や 一九 九 〇 ︺ ( 原 名 ﹃戯 考 ﹄ 全 四〇 冊 、 一九 一 ﹃天 下 春 ﹄ の ﹁默 然 ﹂ は元 刊 本 の ﹁默 ﹂ か 影 響 し て い る のか も し れ な い。 (15 ) ﹃戲 考 大 全 ﹄ ︹ 上海書店 五 ∼ 二 五 年 出版 ) を 使 用 。 刊 刻 者 不 明 ) か あ るか 、 ﹃珊 珊 集 ﹄ と 同 文 ( 版式 も全く同し) のここて (16 ) こ の他 、 ﹃樂 府 南 音 ﹄ 二 卷 ( 萬 暦 聞刻 、 洞 庭 簫 士 選 輯 、 湖 南 主 人 校 點 、 は省 く 。 兩者 に は直 接 的 な 關 係 か あ ると 思 わ れ る。 劇 ﹄ 考 ﹂ 一四七 頁 。 (17 ) 庄 7 小 松 前 掲 書 H ﹁明 代 に お け る元 雜 劇 ﹂ 第 三章 ﹁﹃脈 望 館 抄 古 今 雜 (18 ) 注 7小 松前 掲 書 參 照 。 (19 ) 底 本 に は ﹃中 國 古 典 戲 曲 論 著 集成 ﹄ を 使 用 。 て い る 事 例 を 見 出 す こ と か 出 來 る 。 たと え は、 ﹃抱 粧 盒 ﹄ (﹃元 曲 選﹄ 所 (20) 元 刊本 以 外 の雜 劇 テキ ス ト の場 合 も 、 南 曲 テ キ スト へ の影 響 を 及 ほし 收 )・﹃實 娥 冤 ﹄ ( 古 名 家 本 な と ) は、 南 曲 テ キ ス ト て あ る ﹃金 丸 記﹄・ 元 雜 劇 テ キ スト の明 代 以 降 にお け る繼 承 に つい て ﹃金 鎖 記﹄ の中 に 一場 面 と し て取 り 入 れ ら れ て い る。 一七 七 鑼 囎 蠶 囓聾 激 穰 亀鸞 讙 鑽 り W 轡雛 禽 聟 戸い 呂 ⋮ 恥 腎脅 鑾 }﹃ 碗 騨醒 巒 誨 雛飜 鷙 驟 ヤ ' 一疏 . 鷹 飾 慧 一谿 博 、 !マ ー 薦 慰斌 厨 齧 !冖へ 一 、爭 ︾ 輻、 煮 奪 暴 、 , 賢 奪 蠱 鷲 糠糶 夙 羈 靆螂 鸚 鞣驪 藤 驪脳 繰讖 鑼爨灘 爨 雛 難 韈 鞴 " } 甌