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工 業 化 の 要因 に つ い て ー後進国開発問題を

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工 業 化 の 要因 に つ い て ー後進国開発問題を
 工業化の要因について
ー
後進国開発問題を中心としてー
松 坂 兵 三 郎
一、後進国開発間題、いわゆる南北問題の本質
ハーバード大学のR・T・ギルはその著﹃経済発展論﹄のなかで次の如く述べている。﹁現在の低開発国に特
有な新しい現象はなにかといえば、それはこれらの諸国が貧しいという事実ではなく、・。一みずからの貧しいこと
を意識するようになり、それにたいしてなにかしなければならないという決意をしだいに固めてきたという事実
である。﹂︵ゴチック原文︶と。いうまでもなく、貧困は何も戦後だけに特有な現象ではなかった。大げさにいうな
らば、有史以来一貫した経済と政治の悪であったが、とりわけ、ここ二・三世紀の間に欧米ならびに日本などい
わゆる先進工業国で経験された﹁産業技術の革新を伴った歴史的発昆﹂︵E・0・ライシャワ士は、このよう
な歴史の流れに取り残された主として南のいわゆる後進低開発諸国との間に大きな経済力の格差を生み出した。
工業化の要因について
−―
一37
さらに、このような格差の拡大に拍車をかけたものは戦中戦後にかけて先進諸国で著しく推進された革新的技術
の開発と導入であるといわれる。第二次大戦終了後、いち早くこのような顕著な格差を是正し、ひいては国際的
な意味での社会的緊張を緩和しようとする動きが主として先進諸国の側から出てきたのはむしろ当然とさえいえ
よう。この間、くしくも東西両陣営の対後進国援助や借款という形で対後進国開発間題つまり南北問題が処理さ
れたのは、一見いわゆる東西問題が南北問題の基底をなすという錯覚を人々に与えたかもしれない。また先進国
自体の国内問題としては、南北︵後進地域開発︶問題が政策的に比較的容易に解決への道を発見できたという意
味で、余り重要な間題となりえなかったにもかかわらず、特に国際的になぜかくも問題視されねばならなかった
のか、に思いをいたすならば、現実的にはやはり国際的な南北問題の底に東西間題がひそんでいるように思われ
るかもしれない。しかしながら、こと経済的次元に関するかぎり、戦後における南北問題の出発点は先進国・後
進低開発国間に横たわる冷厳な激しい格差の存在に求められねばならないし、さらにこの拡大した格差を説明す
るものが世界経済の発展不均等であってみれば、南北問題の本質はまさに世界経済の構造的矛盾にあるのであっ
て、必ずしも社会経済体制の相違に求められるわけではないのである。それかあらぬか、慈善的な恩恵の臭みの
強い単なる格差是正の方策は、その芳しからざる実績にてらして、その後、南の諸国に﹁不足の要因﹂を補うと
いう形へ積極的な移行を示した。これに後進低開発国側の国民的・民族的経済体制移行への目ざめと向上意欲が
プラスされて、最近では後進国自らの﹁工業化﹂への発足と推進が南北問題の重要なテーマとなりつつある。
ここで、工業化への方向が改めて認識されるに至ったのは重要である。後進国開発の問題はとどのつまり外か
ら与えられるものではなく、後進国自らの力で斗いとるものであり、自らの力で工業化を推し進めることにより
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一一-38
解決しなければならない間題だからである。それに、先進諸国がこれまでになしとげてきた工業化の偉大な成果
に決して超然とはしていられないし、また先進諸国における工業化の成果そのものが、自由主義か計画主義か、
個別企業活動か国家活動か、の二者択一に必ずしも帰しえないからである。今日、工業化は資本主義や社会主義
の体制をむしろ超越した普遍性をもって進展するといいうるであろう。普遍性はまた同質化・平準化の性質ない
し方向といいかえることもできる。われわれの問題に即してみるならば、工業化の進展は当然、格差の是正やキ
ャッチ・アップの過程を含むであろう。ただ問題は後進国側にこのような工業化への契機が必ずしも存在しない
という点にある。余りにも著しい格差の存在や高度の技術革新を与えられたものとするかぎり、また広義の教育
やマスコミの発達が結局工業化の基本的要因であるとみるならば、かつて一九世紀の世界に支配的であった比較
生産費説的自由貿易理論がそうであったからといって、目下のところ先進国・後進国間の結合関係には何らの理
論的必然性も発見しえないのである。したがって、﹁援助よりも貿易を﹂のスローガンの下に、後進国側から提示
された﹃プレビッシュ報告﹄が新しい援助や一次産品補償の理論を展開しても、それは必ずしも新たな貿易理論の
建設を意味しない。そして以上の点に、まさに南北間題のむずかしさがあり、またここにこそ後進国開発間題の政
策的課題を発見しうるのである。と同時に、南北間題はこれまでみられた先進国の工業化の進展過程に即して、い
わゆる資本主義的発展方式に対する反省と社会主義的発展方式に対する批判を併せもつことを指摘しておこう。
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一一39
二、後進国開発問題ーその問題の所在
さて、後進低開発国援助の問題の本質が世界経済の構造的矛盾にあり、その解決のいと口が単なる援助や短期
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的な格差是正の方策にあるというよりはむしろ後進国における一般的な工業化の基盤を育成ないし確立するにあ
る、ということについてはすでにふれた。したがって、われわれの間題の所在はただ工業化への言及をもって足
りるわけであるが、この際、先進国の歴史的発展の歩みにてらし、工業化の規定とその作用についてふれるのは
有意義であろう。
︵1︶ 工業化の作用、その歴史的規定
伝統的・前期的社会が技術革新の洗礼を受け、経済の仕組が製造業を中心に飛躍的な変化をとげたのは、いわ
ゆる産業革命として局知のところである。それは過去の歴史的発展過程に即してながめるかぎり、資本と労働の
結合関係における資本の論理の貫徹、つまり資本主義経済の発展とシノニムであった。またそこでは、鉄と石炭
の新たな使用・家内手工業から工場制機械工業への移行・生産要素の新結合による物的生産力の上昇や極大利潤
の追求が主として強調されたであろうが、およそ何らかの意味で、伝統的社会に対する抵抗とか近代的な意欲と
いうのは、合理化や合理性の追求を離れて論じえなかったであろう。物的生産力の面で、これまでよりも良質か
つ大量の財貨・サーヴィスが生産され、かつそれとならんで一人当り所得水準や消費内容に顕著な改善をみたの
は、経済の発展ないし成長としてこれまでいわゆる近代化された諸国の一大特徴をなしていたのである。
もっとも、その後の歴史的発展過程はこのような成長の実績をいわゆる社会主義国にもまたもたらした。ここ
に至って世界経済は、完全に自由な経済組織をもつ一方の極に対して、他の極に同じような生産力の向上と産業
構造の高度化・一人当り所得水準の上昇を目指す完全に統制された経済組織をもつこととなった。しかしなが
ら、これら両極端はあくまでも体制理論の上での抽象的な典型で、現実は両極の中央に向って広く分布するのが
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普通である。完全自由経済は個人の経済選択の自由や創意-daを大きく容認しながらも、経済外的な与件の働
きかけに対して経済をよりよく適応させるためにも国家の介入を許さざるをえなかったし︵いわゆる二重経済な
いし混合経済︶、完全な社会化や統制経済を特色とする社会主義国といえども、個人の選択や創意を完全に否定し
去ったとはみられないからである。とくに後者の性質については、かつて支配した民族社会主義や全体主義の国
国についてもまた例外ではありえなかった。この意味では、理論的典型としての資本主義や社会主義は、現実に
あっては、そのどちら側からも程度の差こそあれ修正を余儀なくされているといえよう。われわれの問題に即し
て、社会経済体制を資本主義か社会主義か、そのどちらかに帰さなければ気のすまない趣好の持主や、あれかこれ
か二者択一的な体制選択をこととする人々に対しては、R・ヌルクセの次の如き結論的叙述を紹介しておこう。
﹁西欧個人主義の発展においては、生産過程に資本を適用することは大抵個々の企業家の手中にあった。今日の
若干の産業的社会は、原理上この秘訣を拒むか又はそれを適用不可能だと考えるかもしれない。しかしながら、
世界が経験してきた最大の経済的拡張の奮斗期における中心的特徴に対して眼をつむることは不当であろう。計
画主義者と反計画主義者との間の論争は、ここでわれわれの関知することではない。そのうえ、われわれは問題
を国家活動と個別企業の間のたった一つの選択の問題として論ずることは現実にはできない。﹂と。
︵2︶ 工業化は社会経済体制を超越して進展する
しかしながら、この際それにもまして注目されねばならないのは、経済の発展ないし成長が、こと純経済面だ
けでなく、文化・社会面にも影響を及ぼすということであり、さらにそれが工業活動を中心とする産業組織全体
の紐帯を物的・資本的な面だけではなく人的な面でも一そう累密にするであろうということである。しかもこの
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ような動きは、かつての産業革命伝繙の時代とはことなって、先進国・後進国、資本主義国・社会主義国という
如き経済発展段階の相違や社会経済体制の差異を超越して、次第に全世界共通の間題となりつつあり・、かつはか
なり強い同質化の作用を及ぼしつつあるが故に、とくに﹁産業化﹂ないし﹁工業化﹂と称して、かつての産業革
命とは区別されている。
(3) 工業化の作用、その理論的規定
ところで、近代的経済発展がはじまる前の時代の経済的特徴としては、経済の絶対水準の低位と共にその成長
率の低さをあげることができよう。そこでは、低い生産力そして最低生存水準すれすれの低生低水準や低福祉水
準が支配的であったばかりでなく、低水準における長期停滞ないし貧困の悪循環︵生産力の低さと有効需要の欠
除が相互に因となり果となって、経済循環の軌跡を極度に縮めていること︶がみられたのである。これに対して、
近代的経済発展は伝統的社会における長期停滞・貧困の悪循環を断ち切るための﹁離陸のためのビッグ・プッシ
ユ﹂を転機とし、また離陸の三条件︵︵イ︶一〇%以上にのぼる生産的投資率、︵ロ︶指導的製造工業部門の出現、︵ハ︶政
治的・社会的・制度的枠組という外部経済効果︶を踏石として自律的成長を展開することをいう。自律的成長は
人口・生産力・福祉をあらわす諸指標の量的拡大や構造の高度化・主体的態度の進化を含みながら発展段階を成
熟期・高度大衆消費時代へと推し進めるのである。われわれはW・W・ロストウにならって、前期的・伝統的社
会の長期停滞と近代的経済成長の中間に過渡期︵離陸のための先行条件が発展させられる時期︶を挿入すること
ができる。これらの各発展段階と成長率の高低を結びっけると、伝統的社会はほとんど常に近い成長率で長期停
滞、過渡期は漸次的な成長率、そして近代になってから急激な成長率がみられる、という風に段階的にとらえる
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ことができよう。もし現時点を固定して類型的にみるとき、工業化の特徴である急激な成長率は世界の約三分の
一の人口に直接関係することであり、残り約三分の二の人口にとっては必ずしも現在の間題ではないかもしれな
い。しかしこれら後進国の人々も、今後一〇〇年の間には好むと好まざるとにかかわらず工業化進展の過程にさ
らされるであろうということ、つまり工業化は現在もなお進行中である、しかも前述の如く同質化・平準化の傾
向をもって前進中であるということは十分注目に値しよう。したがって、いわゆる国際的デモンストレーショ
ン効果は、後進国内における資本蓄積面である難点を指摘されながらも、後進国の人々の向上意欲と結びつき、
後述する後進国に﹁不足の要因﹂が何がしか補充され、かつまた﹁発展の障害﹂が若干でも緩和されるかぎり、
工業化への意義ある一つの契機となりうるのである。
︵4︶ ただし後進国の工業化は一元的に進行するとはかぎらない
もっとも、現在の後進国を先進国とくらべて発展段階の一つないし数段階後れて進んでいる国とみる必要は必
ずしもない。かつての後進国日本がそうであったように、イギリス・フランス・ベルギーに後れること一〇〇年、
合衆国ドイッより五〇年も後れて工業化への離陸をはじめた日本がひとり非西欧社会にあって比較的短期間に一
応の工業化をなしとげた例もある。そこでは段階経過の時間的節約やある意味で飛躍もあったはずだし、外部経
済の整備や生産的投資本向上への貢献を含む政府の役割りが早くから民間企業心に先行した例もいくつか発見で
きるのである。もちろん当時の日本と現在の後進諸国がおかれている国際環境はかなりの相違をもっているし、
また工業化の準備段階にも多くの異質性がみとめられる。それ故、現在開発途上にある国々が既述の如き成長段
階に従って一元的に工業化を推進するとは必ずしも考えられない。しかしそうであるからこそ、現在の後進国開
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発問題にはますます国家の役割りや計画的要素が強くなってくるであろう。これにとくに政治的次元が加わる
と、いわゆる政経不可分の関係が打出されて、経済的には南北結合の可能性があったものが、政治的に遮断され
てしまうわけである。ライシャワー大使が主として現在の先進国間の関係について展開した﹁政治的分極現象﹂
はそのまま先進国対後進国の関係にも妥当するというのが現実である。このような現象は今日の南北問題に一そ
うの困難性と複雑性をつけ加えている。
三、後進国工業化への途
とはいえ、世界人口のおよそ三分の二にひろがる貧困をなくすためには、何といってもこれら一人当りの所得
水準を引き上げるほか手はないであろう。しかも所得水準の上昇が結局工業化の結果であってみれば、とどのつ
まり後進諸国自体の工業化を推し進めることに帰着せざるをえない。これら後進諸国が工業化へ離陸の一歩を踏
み出すならば、これまで先進諸国の工業化進展の歴史的過程でみたような工業化の同質化作用がかなり働いて、
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生産力の向上ひいては一人当り所得水準の上昇をもたらし、少なくとも貧困の悪循環の鎖を解きほぐすことがで
きるであろう。しかしながら、現在の後進国には工業化という近代的発展方式を導入するに当って既に大きな障
害が存在するのである。いま、後進諸国にとって﹁発展の障害﹂とみられるものをあげてみるならば、(イ︶工業化を
導入する場合の準備段階とか先行条件がない、︵ロ︶資源が少い、(ハ︶技術水準が低い、(二︶本源的生産要素である労働
力が過少かないしは過剰で、しかも近代的生産方式にたえうる熟練労働力が不足している、(ホ︶資本蓄積が極度に
低い、︵ヘ︶一九世紀とは国際環境が違って、現在の後進国には一般的に不利である、等々の条件が指摘できるであ
ろう。これらは現在の先進国にあって後進国に存在しないという意味では﹁不足の要因﹂と裏腹の関係にある。
もっとも今日の先進国がかつて不足の要因に全く苦しまなかった、あるいはそれほど完全であったとみるのは早
計である。例えば、日本の工業化は資源の貧困と過剰人口・低資本蓄積水準・ほとんどとるに足らぬ海外援助の
下に推進された。近代的な形の技術水準といってもはじめからそれほど高かったわけではない。当時の先進国の
発展方式を比較的抵抗少なく導入したにしかすぎない。不足の資源は特産物の輸出と見返りに輸入したし、その
間産業構造のたてなおしに努め、比較的早くから一次産品の依存度から脱却しえた。低資本蓄積水準はその後の
高貯蓄率や財政・金融政策を通じて高蓄積率に転化しえたし、その結果としての高生産力は一応曲がりなりにも
過剰人口問題を解決したといわれる。そしてこれらはすべて日本の工業化の果実なのである。一九世紀の国際環
境が日本に幸いしたことも恐らくたしかであろう。日本が植民地でなかったことも工業化を助けたかもしれない。
しかし、例えばインドやパキスタンの如く、母国によって行なわれた投資や制度的基礎など当時の日本にはなか
った遺率を・もって出発した国々もあった。﹁帝国主義勢力が横行していた当時、より強力な諸国に対して多額の
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債務を負うことを危険であると見た日本は、巨額の借款を受けようとしなかったのです。ところが今日では、政
治的な危険をともなうことなくばくだいな額の借款が提供されるばかりか、純然たる無償の供与さえ工業諸国に
よって与えられるようになっています。このような理由から、今日近代化の途上にある諸国は十九世紀後半の日
本よりもさらにすみやかに発展するだろう、と考えるものが多いのです。しかし世界が戦後に味わった大きな幻
滅感の一つは、この信念がくつがえされたことでした。事実わたしたちが近代化と呼ぶ、より高度の技術水準に
対して経済的だけでなく、政治的意味においても順応することが、多くの時と大きな努力を要するきわめて困難
な業であることは今も変っていません。﹂日本の工業化の例は、くしくも既述の不足の要因が必ずしもそのまま
発展の基本的な障害だりえないことを実証している。間題はむしろ、近代的発展方式を導入する場合の準備段階
や先行条件に欠けるところかおるとか、内発的・自生的指導と創造的企業心の欠如に求められねばならない。工
業化への契機を欠くといわれるゆえんである。﹁いかなる国民といえども一台の機械の包みを解いて、それを動
かすような具合に産業革命を外国から輸入することはできない。熟練とか施設あるいは貨幣の一部は外国から輸
入することができよう。外国からの圧迫は伝統的な経済を改造する必要を押しつけることができよう。外国の実
例は生産力と経済的福祉を引上げる欲求を刺激することもできよう。しかし変質の真の原動力は内部から発現し
てくる指導と創造的な企業心から生ずるものでなければならないo I・I外部の世界はただ﹃不足の要素﹄missing
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印るだけ︵﹂にしかすぎない。工業化とはとどのつまり産業技術の革新を件う社会経
済の変化であるから、右の自律的指導と創意を与えられたものとした上で、後進国自体がこのような近代的発展
方式を素直に受け入れるか否か、その抵抗の度合いかんに依存するであろう。問題は格差の是正や単なる﹁一次
一一― 47
産品問題﹂の領域をはるかにこえて、工業化の基礎につながる。南北問題の本質が世界経済の構造的矛盾にある
ということについては既に再三ふれた。そして間題の焦点が、このような構造上のアンバランスを完全に払拭す
る︵これは事柄の性質上不可能である︶というよりはむしろいかに調整するか、に合わされるのは右の二つの引
用例からも容易に理解されるであろう。次に産業構造調整の問題に移ろう。
四、国際分業の再編成
今日、先進国・後進国間にみられる産業構造のアンバランスは、前者が重化学工業を主導とする高度な産業構
造をもち、後者が農業や低生産性の伝統的産業に低迷していて、この間に比較優位の結びつきを少しも保証しな
いというのである。先進国間では工業化の同質化作用が強く働いて、生産力の平準化傾向がむしろ横断的分業と
いう形で相互の結びつきを強め、その地理的な距離の遠近にかかわらず、時間的な距離を著しく縮めてきている
のであるが、対後進国の関係ではかつて一九世紀に支配的であった垂直的分業をさえ著しく阻害しているのであ
る。それ故、もし生産力を基準として世界地図をかきかえてみるならば︵ライシャヮl︶、一応各国の表面積とは
無関係に、日米ならびに欧米に関する限り太平洋と大西洋ははるかに狭まり、東南アジア・アフリカそれに中近
東や南米の一部は現在の位置よりはるかに遠ざかってしまう筈である。南北問題の政策的課題は実はこのように
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書きかえられた世界地図を、特に後進諸国における生産力の向上を通じて再び書き改めるにあるが、後進諸国の
工業化もさることながら、現状における余りに異質の産業構造をいかに調整するか、ということであろう。ある
いは、先進国・後進国間の経済的な結びつきをいかに自然に可能ならしめるか、つまり国際的な分業体制をいか
に再編成するか、といいかえてもよい。
このような国際的分業の再編成については、もしそれが︵一九世紀的︶垂直的分業の復活を意味するならば、
effectsが注目される。すなわち、先進工業国の成長が貧しい国々におけるより低能率
次のような厳しい批判にさらされるかも知れない。いわゆる帝国主義論がそれであり、またG・ミュルダールの
﹁逆流効果﹂rckwash
の工業にマイナスの効果を与えたというのである。なるほど、母国が植民地産業の発展を抑圧する措置に出た例
をいくつか発見できようが、かつての欧米の発展の影響が後進国にとってすべてマイナスであったとみるのは余
りに一方的であろう。むしろ植民地や後進低開発地域がかなりの長期間にわたって一次産品の時化状態に停滞し
ていた、したがって、先進工業国側の技術革新や原材料需要の減少による交易条件の悪化が間題である。とりわ
けエネルギー資源の転換とか合成代替品の出現は一次産品時化の後進国にとってまさに致命的かも知れない。し
かし技術・資源を与えられたものとする限り、一次産品は冷厳な収穫逓源法則の支配から逃れえない。この法則
は先進国からの技術の導入、つまり輸入によってはじめて修正されるのである。工業化の波及がこのような輸入
の増大︵相手国すなわち先進国の資本財の輸出増加︶を通じて達成されたことは、産業革命伝播の歴史がこれを
物語る通りである。この際むしろ後進国側が﹁不足の要素﹂を理由に収穫逓減法則の修正に無関心であったこと
が責められねばならないであろう。あるいは近代的発展方式の導入に対する強い民族的抵抗に帰せられねばなら
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ないであろう。しかし自明のことながら、海外からの継続的な資本の流入がない場合、離陸期において引続き輸
入が可能となるためには、たとえ自国の特産物でも農産物でも家内工業力に根ざした製品でも、とにかくこれら
の輸出力が基礎をなさねばならない。ここで再び日本の工業化の過史的過程をふりかえってみよう。
日本の離陸期における発展が、生糸・茶・海産物・銅等の特産物やその後下って紡織工業を中心とする輸出産
業の急激な上昇によって支えられたことは余りにも有名である。しかしそれと同時に、われわれの忘れてならな
いのは次の点である。﹁産業発展に必要な資本財︵建設資材や機械設備或は機械生産に必要な原料︶の輸入は明
治に遡るほど国内の資本財生産に比べて割合が大きくなっている。従って日本経済が一方市場という側面で輸出
貿易に依存していただけではない。他方経済発展の原動力としての資本財の供給源という側面でも輸入貿易に依
一一-
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I
存していた。加工貿易に必要な原料についても同様である。﹂赤松要教授によって指摘された﹁産業発展の雁行
的形態﹂もかつての後進国日本が当時の先進国に対する異質の産業構造から出発して、自らの産業構造を高度化
しながら、先進国への産業同質化の過程を歩んだ有意義な例を物語っている。明治初期以降、綿糸・綿布・紡織
機・機械器具についてそれぞれ輸入・生産・輸出の動きを描いてみると、輸入が第一に起り、次に生産増そして
輸入の減退それから輸出増となり、しかも輸出入線の交点は綿糸・綿布︵消費財︶から紡織機・機械器具︵生産
財︶ へと時間の進行につれて右へ ︵後期ヘ︶ずれてゆくというのである。以上とくに貿易関係を重視するならば
工業化の国際的波及ならびにその同質化と産業構造調整のみ事なサンプルを提供するであろうし、また現在の後
進国の工業化にとって有益な範例となるであろう。
五 むすび、南北間題と新たな地域主義
しかしながら、現時点で改めて国際分業の再編成が問題となるとき、日本をも含めた先進国の産業構造はその
与件に適合しながら今日迄自然に出来上ったもので、必ずしも今日の後進国の工業化にとって好都合な形に作り
変えられるものでない、といわれるかも知れない。これに対して、われわれは多少とも楽観論のそしりを甘受し
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ながら、経済的には﹁軽工業は現在の先進国では斜陽産業であるから、比較優位の法則からして、自然に整理さ
れてゆくであろう。したがって、この点は先進国に必ずしも多くの犠牲を強いるものではない﹂という主張に一
応讃意を表明しておこう。とはいえ、政治的には依然として大きく間題を残している。工業化はとどのつまり同
質化の傾向をもって進展するのであるが、﹁政治的分極現象﹂は先の生産力を基準に書きかえられたライシャワ
ー地図の歪みをある部分でむしろ拡大するかにみえる。南北間題の難点は実はこの点にあるといえる。経済体制
としての資本主義・社会主義はある程度歩み寄りの可能性をもつにもかかわらず、政治体制としての資本主義と
社会主義が旗色を鮮明にするのはまたこの点である。そして、この間題自体は既に経済理論や経済政策の紀聞を
こえるであろう。最近、国連を中心に浮び上ってきた新たな﹁地域主義﹂regionalism.はこれまでの﹁後進国開
発﹂を止揚して、南北問題の政治的解決への散歩前進と理解されるが、先のライシャワー・地図とにらみ合わせ、
国連を頂点とし、各ブロックにおける生産力の担い手を一応の指導国とする世界経済の一大ピラミッド型の開発
機構は、各地域ひいては世界の工業化を推進する一試金石となるのではなかろうか。
付記 本稿は成城大学経済学部、昭和四〇年度共同研究﹃近代資本主義の生成と社会経済政策﹄のうち、松坂
担当課題﹁工業化と労使関係﹂に関する研究成果の一部である。なお昭和四〇年十一月開催の日本学生経済ゼ
ミナール・東京部会第五回大会︵於成城大学︶における﹁一般討論﹂。現代資本主義分析l南北間題を中心と
して″の講師として筆者が報告した草稿に若干の加筆訂正を加えたものであることを、おことわりしておく。
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