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鎌田一宏医師 レポート - 総合病院水戸協同病院

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鎌田一宏医師 レポート - 総合病院水戸協同病院
シンガポール レポート
加藤 幹朗
2013. 9~2013.11
この 9 月 2 日から、茨城県厚生連高橋惠一理事長、徳田安春先生、 Dr. Joshua Jacobs の御計らいによ
り、3 カ月の期間、National University Hospital Singapore(NUH)で 研修をさせて頂く運びとなりました。
この研修の機会を 与えてくださった筑波大学水戸地域医療教育センター・ 茨城県厚生連 総合病院水
戸協同病院の皆様に心より感謝いたします。
NUH 初の日本人との事であり、またこちらも不慣れな海外手続きにより、 研修開始となるまでの道の
りは煩雑・困難を極めましたが、やや早めの 8/20 に シンガポール現地入りし、携帯電話、インターネ
ット、居住の手配を済ませて 8/30 にはやっと念願の certification を手にする事が出来ました!これで晴
れて National University Hospital Singapore の一員です。本当に長くそして色々 大変でしたが、これを
乗り越えたら、世界中どこへでも行ける気がします。 そしていよいよ 9/2 から出勤、9/4 には就労ビザ
手続きがありますが、 まず大丈夫でしょう。
病院手続きの日、インドから来た医師も一緒に手続きをしていましたが、 彼は整形外科医で clinical
fellow をやるとの事でした。NUH で fellow、 しかも整形外科と言う事は「超」エリートなのでしょうが、
何でもインドでは 変形性膝関節症に対する人工関節置換術を保険でカバーしていないらしく、限られた
お金持ちしか手術できない、なので NUH で手技を習得するのが 目的なのだそうです。
色々な世界があるものだなーと感心しつつ、日本人が皆無かつ多国籍な この大病院で、これから先ど
のような刺激を得られ成長できるのか、 非常に楽しみです。
9 月 16 日
この 2 週間は、本当に大変でした! シンガポール人の言葉を殆ど聞き取れません。西洋人の言葉は
かなり細かいところまで、知らない単語も聞き取れるようになっているので、耳は出来ていると思うの
ですけど、男性シンガポール人の言葉は 30%くらいしか理解できません。発音の上手な女性シンガポー
ル人で 50%くらいです。 やはり、
ナマリなのでしょうか。ただ、西洋人も彼らに対して高率に「pardon?」
と聞いているので、やはり English では無く、Singlish なんだろうな、と思います。
先週は OPAT clinic を見学させて頂きましたよ。Outpatient Parenteral Antibiotic Therapy の略で、骨髄
炎、人工関節置換術術後感染、肝膿瘍などの、長期抗生剤治療が必要な疾患を外来で治療していました。
感染症専門医がいないと実施は困難とは思いますが、点滴抗生剤による慢性長期
治療を入院では無く、外来で行う事が出来れば、患者・病院双方にとっても非常
に好ましいものになるだろうと思われました。
そうそう、面白いものを発見しました。こちらは非常に蒸し暑いので、病棟に
補水機があります。写真のヤツですが、何時でも冷たい水を、紙カップで飲めて
しまえます。
また、多国籍なだけあって、病院食堂もマレーシア料理、インド料理、中華、
シンガポール食と非常に様々です。大量に注文しても 500 円には至らないため、
味・種類・値段・量と申し分ございません。今のところ、個人的にシンガポール
食い処で一番評価が高いのはなんとこの病院食堂と言い切れるくらい、美味しい
ですよ。
10 月 1 日
9 月は Infectious Disease(ID)を回らせて頂いたのですが、NUH では ID を 3 つに分けており、一般病
棟入院チーム、一般コンサルタントチーム、特殊コンサルタントチーム(腫瘍・ケモなど免疫不全&ICU)
の 3 チームで構成されています。
シンガポールは渡航の要所であるため、他国から HIV 患者が入院してきます。また中国・インドから
は多剤耐性菌(結核も含めて)が輸入されてきます。先週はマラリアとデング熱の入院もありました。
寄生虫、真菌、渡航・亜熱帯感染から各種ウイルス感染(HIV、サイトメガロ、肝炎など)、移植後感染
に至るまで NUH における彼らの守備範囲は非常に幅広く、膨大な知識と teaching skill が要求されます。
病院の朝は早く、僕も毎日 6 時には起きていますが、終わるのもやはり早く 18 時には皆さん一斉に帰
って行きます。
本当に、恐ろしい早さで逃げるようにして一斉に帰って行くので、余程の緊急でもない限り 8 時頃に
は誰も医局に居なくなります。9 時になると明かりも消えるため、残っている方が逆に不信がられてしま
いヤムナク退散。研修医たちはどうしているのだろうか?
医局からの夕焼けはいつも綺麗ですよ。
ところでシングリッシュで有名なのが、
彼らはやはり語尾に lhr をつけますよ。
OK lhr(オッケーら)で、日本語で言うと「オッケーよ」あたりかな?とにかく
語尾に(ら)をつけるので、
「紹介状はもう、書いといたのら」みたいに使って
とても可愛いんです。コワモテのオッサンが使うとより一層可愛いです。
また今回は ID consultant の Dr.Nicholas に、隣接する NUS(National University
of Singapore)の研究室を見学させて頂きました。
(彼は HIV が骨代謝に及ぼす
影響について研究をしています。
)
前まで東京大学のチームが一室を借りて研究していたとの事ですが、今も日本
人がいて何やら研究をしていました。
人目をハバカリ、恐縮しながらも一枚写真を撮らせて頂きました。
ここ NUH に来て一番感動し、驚いた事。それは、実は抄読会でした。何気ないただの抄読会.。
①**な症例を経験したので、少し調べてみました。
②引っ張ってきたのは**な論文で、これによると云々
③統計の事について少し議論。ここまでは普通でした。
しかし、ここから思わぬ展開を見せます。
④この論文のここがこうだから、これはこうやってみてウチで study 組んでみま
すか。仮定はどうしたら良い?ここで、議論が非常に盛り上がりました。
論文の吟味云々ではなく、もはや study をやる前提である事に非常な衝撃をうけ
ました。ここが NUH だからというのを差し置いても、これは大変な事と思います。
リハ室にすら簡単な study のポスターが貼ってありました。
ICU では最低でも月 1 ペースで雑誌に色々投稿しているのを、これ見よがしに
ボードに張っていました。
別の ID consultant からは「今、study 組んでいて、コントロールの健常人が欲
しいんだ。採血させてくれよ。
」と頼まれ、献血。
この activity の高さは、さすがだなーと思います。
この 10 月は、General Medicine と Respiratory&Critical Care Medicine を回らせて頂きました。生活ス
タイルが全く違うので、少し大変です。
こちらでも、患者さんはまず初めに Family medicine を受診するので、Family medicine, General
medicine, Geriatric medicine が日本よりは発達しています。
ただ、オランダが General medicine に非常に強い力点を置いているのに比して、西洋文化の濃いシ
ンガポールでもやはり日本と同じく specialist に強い力点が置かれているのは興味深く感じられます。
少し雑学。
シンガポールでは、著しい経済発展に伴って、物価特に地価が異常に高騰しているため夫婦共働き、
結婚するまでは親と同居が普通な様です。
共働きで子供の教育を誰がするのか、そして少子高齢化は、日本と同じくシンガポールの深刻な社会
問題となっています。高齢化社会における総診の社会的役割は決して少なくないと感じています。
また、10/25~27 にかけては特別に Malaysia-Singapore Infectious Disease Meeting に参加させて頂
きました。 マレーシアのマラッカで、シンガポールとマレーシアの ID Dr 集合です。
テーマは antimicrobial stewardship program 、HIV 、Mycology/MRSA/Acinetobacter baumannii など
につき色々。 特にカテーテル関連 UTI のセッションでは、カテーテ
ル UTI に対する医師達の奮闘の歴史が論文を基に分かりやすく説明さ
れ、非常に面白かったです。
その他、ASP は予後を改善するのか、合併症のある HIV 患者で
HAART をいつ始めるのが良いのか、MRSA の MIC と抗 MRSA 薬の使
い分けについての提言など、盛りだくさんな内容でした。
セッション後は NUH グループでマラッカへ繰り出し。 採れたての
魚を料理してもらい、屋台で食べております。美味しかった!
シンガポールの医師制度はイギリスに似ており、ただ少しずつアメリカの影響も受けてきているようで
す。
彼らは 5 年制の医学校を卒業後、house officer として 1 年、medical officer として 2 年間の研修を行い
ます。この期間は日本の初期研修と同じく、各科をローテーションする事で一般研修としての役割を担
っています。これが終わると次の 3 年間を registrar(専門医)として働き、そして associate consultant
を経て権威ある consultant になります。これらの各区切りには非常にシビアなテストが設けられており、
特に専門医へと進む際にはイギリスにおける国家資格 MRCP(Membership of the Royal College of
Physicians)を取得する必要があります。
シビアと言えば、シンガポールでは主となる医学校が「1 つ」しかないため、医師となる道のりは果てし
なく険しく、し烈な競争を勝ち得なければなりません。
そのため、シンガポール人、または近隣の裕福なマレーシア人、インドネシア人などは一度オーストラ
リアやイギリスの医学校に入学し、卒業後に医師としてシンガポールで働く人も非常に多いです。
当然、イギリス・オーストラリア・アメリカの医師免許はシンガポールでも有効なため、各国から優秀
で多才な人材が流動的に集まり行く様は、まるで風が吹いている様にも感じられ非常に心地良いです。
気がつくともう 11 月になりました。見なれたクリスマスツリーですが、環境が違うとひと際綺麗に感じ
られます。日本でももうイルミネーションは始まっているのでしょうか。
10/12 には、シンガポールの歓楽街 Geylang での Health Serve を見学させていただく機会を得ました。
シンガポールでは高層ビルが目立ちますが、これら建築物における労働力としてバングラデシュなどか
ら安い賃金で働ける日雇い労働者が非常に多く集まってきます。彼らは過酷な環境での長時間労働を強
制され、当然まともな保障もありません。一旦ケガ・病気になると、雇い主からは簡単に解雇されます。
Geylang 地区では彼ら移民労働者や合法/違法売春婦たちが集まった大きなコミュニティーが形成され
ていますが、このいわばシンガポールの闇に対して、Health Serve は医療・食事支援、カウンセリング、
法律相談、社会支援などを行うため 2007 年にボランティアで設立された団体です。
先にシンガポールは人が流動的と記載しましたが、反面、こういった移民問題は日本にはない深刻な国
家問題として提起されているようです。
いよいよ、NUH での臨床研修も終わりに近づいてきました。
こ の 3 カ 月 間 で 私 が 回 ら せ て 頂 い た 診 療 科 は General Medicine,
Infectious Disease, Dermatology, Respiratory & Critical Care Medicine の
4 つ。いわゆる言葉の壁には随分と苦しめられましたが、筋道のない完
全にゼロの状態から信頼関係の構築に全力を注ぎ、最終的には、初診患
者を診察し、カルテ記載を行い、Consultant にプレゼンテーションをし
て方針決定を行うまでに成長する事が出来ました。
尊敬する恩師の一人から「国際人になるとは、英語を流暢に話せるようになる事では無く、自らを日本
人として自覚する事だ」との言葉を頂いた事があります。が、しかし医学という西洋文化、相手の土俵
で戦うには、やはり英語に習熟する必要性があると痛感致しています。
そしてこの NUH での研修で得られたもの、それは「World standard は何だろう?」という視点です。日
本の忙しい臨床で「当たり前」として、ともすれば反射的に行っていた医療行為が、こちらでは当たり
前でない事が多々ありました。これらの各事項に対して、自分の医療行為に対して「なぜその行為を行
うのか?」という事を逐一丁寧に調べる事で、今まで見えていなかった日本医療の特徴、他国との差異
が見えてくるようになりました。
こう書いてしまえば極めてあたりまえの事ではあるのですが、非常に大事な事の様に思えます。
また「日本で医学は、どうやって勉強しているの?英語なの?日本語なの?」という質問も良く受けま
した。日本の医療が非常に高度に洗練されている事は皆知っていて興味津津。しかし、日本人の英語下
手も皆知っている。つまり、西洋文化である医学を、どうやって英語下手な日本人が世界の最先端まで
持っていけるのか。本当に知りたいのだけれど、文献は日本語で解読不能、日本で医師として働いてみ
たいけれども不可能、という、いわば秘密の国、ミステリーとして彼らの目に映るようです。
「日本語をしゃべれるようになったら教えてあげる」なんて冗談を言い合っていました。
研修最終日には、お世話になって先生達と伝統的シンガポール料理、Peranakan 料理をごちそうになりま
した。ちなみに、看板の Makan はマレーシア語で「食事」です。言葉とは恐ろしいもので、3 カ月もい
ると自然と簡単なマレーシア語も口について出てくるようになっています。
Every end is a new beginning.
今回のこの経験を生かして、今後さらなる成長をはかり、日本の医学の発展そして、少しでも日本とシ
ンガポールとのかけ橋になる事が出来ればと思います。
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