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タイムトラベル ⑥

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タイムトラベル ⑥
⑥
タイムトラベル 16世紀のようす
イラスト解説 教科書p.88〜89
建設中の城下町
城の近くは重臣の屋敷が取り
囲み,その外側に町屋と武家屋
敷が計画的に配置されることが
多かった。
小舞(土壁の下地) この後,土を塗り重ね
る。耐火性に優れている。
廃城となった山城
中世には平地や丘の城以外
に,山の上を利用した山城も
多数つくられたが,近世には
しだいに利用されなくなる。
とくに元和期の一国一城令以
来,大半が廃城とされた。
教のマークに続くページは,
平成24年発行 帝国書院
『社会科 中学生の歴史 日本の歩みと世界の動き』
におけるページをあらわしています。
湊
水運の便がよいこと
も近世の城下町には重
要なことだった。
大手門
(表門)
基礎石垣を作成している。攻めこまれること
を想定して,曲がった位置につくられている。
普請
(土木工事)
中の三の丸
肥だめ
門のまわりの石垣づくり
来城者によく見える部分
のため,意図的に大きな石
を用いることも多かった。
普請が完成した
二の丸
作事(建築工事)中の本丸
天守の柱を組み上げてい
る。
炊き出し
工事にかり出されている
人々に食事がふるまわれて
いる。
井戸
生活に欠かせない井戸も,
城の各所に掘られた。
土塀づくり 「版築」の
技法でつくっている。
新しくつくられた堤防
多くの大名は川の治水
工事を行って,城下を洪
水から守ったり,新田を
開発したりしようとし
た。川を城の守りに利用
していることも多い。
(→ 教 p.112図①)
用水路の排水口
皮加工を行う被差別民
(皮多)たち 死んだ家畜
の処理を権利として得て
いた彼らは,家畜の皮を
加工し,太鼓などへ利用
した。この絵では構図上,
城下町のすぐ近くに描い
ている。
かわ た
は さ
稲架
藁を使った細工仕事
わらじ・みの・笠・俵
など日用品から注連縄な
ど祭具までさまざまな用
途に使われた。
し
畜舎
地域によっては,馬や
牛は家の土間で飼われた。
め なわ
頭に物をのせて運ぶ女性
湊に近いので,塩や魚
を行商することができ
る。頭にのせるのは,力
の弱い女性。男性はまげ
などもあり,そうした行
動はとらなかった。
藁葺屋根
明治時代以後も民家の
屋根の主流であった。
農具
まだ中世と大きな変化がない。
鉄は貴重なので,先端だけ鉄製。
備中鍬など(→ 教 p.112図④)が現
れるのは江戸時代に入ってから。
刀狩
猟師の銃など,実際に
はすべての武器が取りあ
げられたわけではなかっ
たが,こうした布令が出
たことが,人々の意識を
規定した。
寺の僧侶
寺を対象とした刀狩が
行われている。中世には
寺が強力な武装勢力とな
ることも多く戦国武将た
ちを悩ませたが,織田・
豊臣政権によって,のき
なみ武力をうばわれた。
死んだ牛を運ぶようす
検地
不定形の田も長方形に
おき換え,出入りが同じ
になるようにして計算し
た。(検地のようすや用
具は江戸時代の史料『検
地絵巻』玄福寺→ 教 p.92
図①,藤沢市文書館の『丸
山家文書』などから推定)
寺内の祠
とくに農村では,寺に
神社が併祀されているの
が一般的であった。
枡を示す役人
秀吉の時代には,
人々の服装
枡改めにより規格が
木綿が普及したが,着物 定められた枡で年貢
を何枚ももっているという を量るようになった。
ことはなく,つぎはぎする (→ 教 p.92図②)
など,できるだけ長く着れ
るように工夫をしていた。
(『 町 田 本 洛 中 洛 外 図 屛
風』
『舟木本 洛中洛外図屛
風』など)
村絵図
検地によって調べ
られた地図が各村ご
とにつくられた。
帯刀
いわゆる
「二本差し」
はこの時期から見られ
た。
地車(荷車)
検地尺
検地のためのものさ
しを持つ役人。各地で
違いのあったものさし
を 秀 吉 が 統 一 し た。
(→ 教 p.92図③)
しゅ ら
石垣のための石を運ぶ人々
(石運びのようすはいず
れも『築城図屛風』参照)
修羅
とくに大きな石を運ぶときは,はやし手
が上にのって景気をつけた。
菜園
大根やかぶ・
青菜など,自家
用に食材をつく
っていた。
用水路
画面手前の上流で取
水している。
物売り(納豆)
こ の 時 代 の 商 い は,
人々が店に買いに行く形
式 で は な く, 物 売 り が
家々をまわって売るとい
う形式だった。藁づとに
包まれているのが納豆。
16世紀のようす
⑥
タイムトラベル ■タイムトラベル⑥ シチュエーション別活用例
教科書p.88〜89
イラストの各部分から,通史の授業でこのように活用できます。
読み解き解説
イラスト該当部分
導入として
このイラストには,新しい城と城下町づくりのよう
全国的に行った太閤検地は,検地役人が実際にその土
教科書p.94 姫路城の写真を参照し,イラストの築城中の天守(天守
す,そして近世初期の農村の姿が描かれています。ま
地に入り,決められた基準で検地を行うようになりま
閣,1)と放棄された山城(2)を比較して,城の役割の変化に気づか
ず,画面上方3分の1ほどの部分,遠景に描かれてい
した。これを丈量検地といいます。検地と関係して,
せる。織田信長・豊臣秀吉の時代には,単なる戦闘のための城ではなく,
るのが城と城下町づくりです。中世の城では主に土塁
枡の統一もこの絵には描かれています。武士が百姓に
支配の象徴として豪華な天守と美しい石垣がつくられている。そして,
がつくられましたが,近世の城では石垣を積むように
枡を渡していますが,
「年貢を計るときはこれからこ
そのまわりの城下町には塀に囲まれた武家屋敷が建設された(6)。
なります。大きな石をどのように運んだかを,当時の
れを使え」
と指示している場面です。
しゅら
じょうりょう
ます
1天守の建設
『築城図屏風』などを参考に再現してみました。修羅と
ところで,画面の左端,河原の周辺に注目してくだ
いわれる木のそりの下に丸太をおき,大人数で引っぱ
さい。そこには,革づくりを行っているようすが見え
ることで巨石が運搬できますし,車で運んだり,何人
ます。当時は,町や村から少し離れた河原で,こうし
教科書p.92 検地のようすや,「京枡」
(3)
「検地尺」
(4)など統一され
かでかついで運ぶことも行われました。
た革づくりが行われていました。革づくりに従事する
たものさしを使っているようすから,豊臣秀吉の全国統一について考
石垣の上に建築中の建物にも注目してください。こ
人を皮多といいましたが,死んだ牛馬の皮をはいだり
えさせる。イラストの場面は,農民に「京枡」を使うように指示を出し
れは天守(天守閣)をつくっているところです。織田信
することから,次第に差別されるようになりました。
ているところである。それまで全国各地で独自の枡が使われていたが,
長が安土城に「天主」を建ててから,豊臣秀吉の大阪城,
右端は,寺に対する刀狩のようすを描いたものです。
当時国内最大の市場である京都で使われ,一番普及していた「京枡」が
徳川家康の江戸城など,豪華な天守がつくられるよう
豊臣政権は,有名な
「刀狩令」
によって,百姓から武器
採用された。
になりました。天守は籠城のときの最後の拠点となる
を取りあげましたが,寺社勢力からも取りあげていま
よう位置づけられていましたが,むしろ,豪華に築く
す。それは,中世の大きな寺院が,比叡山の延暦寺や
教科書p.92 寺に対する刀狩(5)のようすから,豊臣秀吉の「刀狩令」
ことで相手を圧倒するとともに,権力の象徴としての
紀州の根来寺のように,たくさんの僧兵をかかえ,一
は,百姓たちからだけでなく,寺社勢力からも武器を取りあげている
意味合いの方が強くなっています。
大勢力となっていたからです。政治権力との関わりを
ことに気づかせる。
城が築かれるのと同時並行で,まわりに城下町がつ
否定する政策が推進されました。
くられます。ここでは一軒ごとにかなりの広さをも
最後にもう一か所,画面の右下を見てください。そ
教科書p.110〜111 城下町の町割りや河畔に住む皮革業の人々をイ
ち,塀に囲まれた武家屋敷を描きましたが,そのさら
こには,魚などを頭にのせたり,天秤棒に商品をぶら
ラストから探し,人々の身分が町なみにどのように表れているかに着
に外側に職人や商人が住む町人町が形成されます。こ
さげて売り歩いている男女が描かれています。城下町
目させる。近世初期の城下町の建設では,大名は都市計画を行い,直
の絵では田になっているところも,将来,城下町が拡
ができあがったようなところには,常設の店舗がで
交した道路や,整然と区画された武家屋敷と町屋が建設された(6)。
大されれば,田がつぶされ,町になるでしょう。
き,商人は店に客が来るのを待っていましたが,農村
一方,皮革業を営む人々は,町や村から少し離れた,田畑よりも低い
さて,画面下方3分の2は農村風景です。中央部分,
部ではまだこうした行商人たちによる売買が一般的で
河原に住んでいることにも気づかせる。このように,イラストからは
棹を立て縄を張っているようすが見えますが,これは
した。ただ,城をつくっているすぐ近くには,築城に
身分が分業と結びつき,前近代の秩序を形成し,身分差別として固定
検地をしている場面を描いています。編笠をかぶり刀
あたる人足たち相手の仮店舗のようなものもありまし
されていったことが理解できる。
を差している武士らしい人が何人か見えますが,彼ら
た。こうした仮店舗が次第に常設店舗になっていった
は検地役人です。戦国大名の時代の検地は,主にその
ものと思われます。
地の領主の自主申告による差出検地でしたが,秀吉が
さお
かわ た
ね ごろでら
てんびんぼう
(小和田哲男)
展開として
2放棄された山城
3京枡
5寺での刀狩
まとめとして
教科書p.110〜111 画面手前の農家から,農民の身分制度と生活の
ようすをまとめる。この農家に築地があること,牛馬を飼っているこ
● イラストのモデル ●
と(7)などから,この村を代表する村役人クラスの本百姓と考えられ
西日本の町をイメージしている。中世後期から畿内
関連 p.92 秀吉の国内政策
る。おそらく地域の信望を集める有力な農民として,日々の農業と村
を中心に海岸平野の開拓が進み,その動きは近世初期
ⓒ 寺で僧侶から刀狩をする
役人としての役割をこなしていたと思われる。
にかけて日本列島に広がっていく。その過程で,16世
関連 p.92 秀吉の国内政策
幕藩体制においては,年貢の徴収や村の中のさまざまな事件の処理,
紀後半から17世紀前半にかけて日本全国で山城が廃棄
ⓓ 大きな石を運ぶため,はやし手が景気をつけてい
人心の掌握などをこのような村役人に任せることで成立していた。検
され,平野部に城下町が形成された。現在の日本の主
要都市の多くが,この時代の城下町から発展している。
教 p.88
(上の絵の中から探してみましょう)解答
ⓐ 城門のまわりで石垣をつくっている
関連 p.94 戦乱の世の文化
ⓑ 検地を行う役人と彼に質問する農民
る
6区画された町なみ
地帳に基づく年貢の皆済は,村役人の高度な簿記・計算能力,年貢割
関連 p.94 戦乱の世の文化
りつけの際の本百姓同士の連帯と,村役人への信頼があって初めて可
教 p.89
(前の時代と比較してみましょう)
解答
能となる。また,この村役人を含め一般の本百姓は,検地で本百姓に
ⓔ タイムトラベル⑤においても,子どもは大人の手
登録された以上,子孫に至るまでずっとこの土地を耕し,年貢を皆済
ひ かく
伝いをしながら大切な働き手となっている。
ⓕ タイムトラベル⑤では,板張りで石や木で重しを
していて,茅葺の家は一般的でない。
し,家を存続させていくことが勤めとなる。
また,検地や刀狩を行う武士の中にも,指示をしている武士と彼ら
を手伝う武士がいて,武士にも身分制度があることに気づかせたい。
7牛馬の飼育
4検地尺
⑥
タイムトラベル 教科書p.88〜89
年 組 番 名前
16世紀のようす
(教
問 1 タイムトラベル④
p.46〜47)
の農村風景と比較
して,変わっている点,変
わらない点など,気づいた
ことを書いてみよう。
ⓗ
ⓑ●
●
ⓓ
●
ⓐ
●
ⓖ
●
問 3 検地で田の面積をは
かっている人に○をつけて
みよう。
問 4 イラスト中ⓔでは,
何かが起こり,これを見た
人が驚いている。何と思っ
たか,想像してみよう。
ⓔ
●
ⓒ
●
ⓕ
●
問 2 イラスト中ⓐ〜ⓓの人物は,何をしているのか,それぞれ書いてみよう。
ⓐ
ⓑ
(武士)
と人々はどのような会話をしているか,想像して書いてみよ
問 5 イラスト中ⓕ〜ⓗの役人
う。
ⓕ
ⓖ
ⓒ
ⓓ
ⓗ
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