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学芸員寄稿:映像で学ぶ昭和史

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学芸員寄稿:映像で学ぶ昭和史
平成 23(2011)年
10 月1日
第 49 号
昭和の出来事を後世に伝え残していきましょう
映像で学ぶ昭和史
川崎市民ミュージアム 学芸員
昭和 15 年~26 年まで、映画館で上映されていた
日本ニュース映画をご存知でしょうか?
濱崎 好治
幾つかの新聞社や通信社の個別のニュース映画部門を国策により統
合して設立した社団法人「日本映画社」が「日本ニュース」を制
作。川崎市市民ミュージアムには 1951 年までの「日本ニュース」
が所蔵されている。
太平洋戦争は当時、大東亜戦争という名称であっ
たことや「昭和 16 年 12 月 8 日未明、西大西洋に
おいて、対米英軍と戦闘状態には入れり」という大
本営陸海軍部発表の意味を理解できるでしょうか?
インドシナに進軍していた陸軍部隊が英国領のあ
るマレー半島に上陸し、その 1 時間 20 分後に、海
軍がハワイの真珠湾を攻撃しはじめました。日本ニ
ュース映画第 82 号特報で、ハワイ大空襲を報じま
す。「以下は決死的激闘の合間に我が勇敢なる戦士
の手に依って撮影された貴重なる歴史的記録であ
る」という文字からはじまりました。
この撮影は、海軍の撮影班によるもので、極秘に
日本ニュース映画社に渡され、編集したのでした。
しかし、プロのカメラマンではないのでピントがあ
っておらず、ニュース映画として使える部分は少な
かったので、戦果をアニメーションで説明するしか
なったそうです。
どのように戦闘状態に入ったのかは、米国側で撮
影した映像を見ることで、鮮明に状況を知ることが
できます。日本の爆撃と雷撃で沈没する戦艦ウエス
ト・ヴァージニアと、救助活動する米国海軍水兵た
ち、撃沈される米国の 5 隻の戦艦が記録されてい
ます。
「日本ニュース」のタイトル
ハワイ大空襲タイトル
特報の文字
ハワイ大空襲戦果アニメ
日本ニュース映画 第 82 号からの映像
昭和 16(1941)年 12 月 30 日
昭和 18 年 10 月 27 日 日本ニュース映画、第
177 号「学徒出陣」というと文字が写しだされ、
21 日に明治神宮外苑競技場に 77 校の出陣学徒壮行
会のようすを伝えますが、この日は小雨で、足元の
地面に水たまりがあり、学生の後ろ姿は、帽子から
肩まで雨に濡れていることがわかります。
出陣学徒の代表が、次のように決意を誓う声も記
録されています。
か
「学徒出陣の勅令、公布せらる。予 ねて愛国の衷情を僅
歴史書では、山本五十六大将が指揮した奇襲攻撃
の戦果として「真珠湾攻撃」は記されますが、特殊
潜航艇5隻 10 名のうち 9 名は戦死、空襲で亡くな
った搭乗員 55 名の話しは、戦果の前に打ち消され、
ほとんど話題にされません。また、撃沈した 5 隻
のうち、3 隻は引揚げ、修理の後に戦列に復帰した
ことは、あとになって知ることになります。
ほとば
せい
かに学園の内外にのみ、 迸 しめ得たりし 生 らは、ここに
ゆうあく
優 渥 なる聖旨を奉体して、勇躍軍務に従うを得るに至れる
あに
なり。豈 、感奮興起せざらんや。生ら今や、見敵必殺の銃
ことごと
剣をひっ提げ、積年忍苦の精進研鑚を挙げて 悉 くこの光
栄ある重任に捧げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。生らもとよ
り生還を期せず。誓って皇恩の万一に報い奉り、必ず各位
の御期待に背かざらんとす。決意の一端を開陳し、以て答
辞となす。昭和 18 年 10 月 21 日、出陣学徒代表。」
新聞は 12 月 8 日から天候の記述がなくなります。
軍事上秘匿ヲ要スル気象上重要ナル事項及図書物件
は禁じられていたからです。決戦下以降の新聞とニ
ュース映画は、国家意志を代弁し、国民の戦争生活
の指針となるよう、思想戦の弾丸となるべしとされ
ますが、ニュース映画のカメラは天候の状況を写し
ています。
4
(ルビは筆者)
この言葉だけでは、意味がわかりません。この学
徒壮行会のために競技場のスタンドを埋め尽くす女
子学生、大学の校旗を先頭に行進する男子学生たち
を、ニュースカメラマンは、どのような思いで撮影
したのでしょうか。
平成 23(2011)年
第 177
177 号のタイトル
号のタイトル
第
出陣学徒行進映像
出陣学徒行進映像
出陣学徒の代表
スタンドの女子学生達
攻撃を受けた空母ホーネット
出陣する学徒の足下
日本ニュース映画 第 177 号からの映像
昭和 18(1943)年 10 月 27 日
この時、日本ニュース映画企画・制作部長であっ
た土屋斉さん(当時 36 歳)に、1989 年、当館で
行った『日本ニュース映画研究講座』にお越しいた
だき、当時の状況について証言してもらいました。
ニュース映画は、断片的な報告形式で表現力が不
足するものであることを課題としていました。戦時
中ゆえに戦争目的に総てのものが集約されます。戦
争と他のものとの有機的な結合を強調し、理解して
もらうように、関連する題材をなるべく一貫した主
題の基に統一して、それからうける印象を深くし、
啓蒙啓発的役割を果たそうとしたそうです。これは
一つのニュース項目だけではなく、トップニュース
から次のニュースへと編集される枠組みで、戦況と
今後の行く末を伝えるという意味です。
日本ニュース映画 第 177 号では、「学徒出
陣」の映像の前に、入手した米国側で撮影された
「決戦」と題した映像が使われています。それは米
国の空母ホーネットが、連続急旋回で日本軍の攻撃
より逃れんとするシーンです。まず、文字とナレー
ションでの説明があります。
せいそう か れ つ
「(前略)近代戦の凄 愴 苛烈なる様相に接すると共に、
みんめい
南 冥 の空遠く、護国の華と散りゆく勇士の崇高なる姿を眼
のあたりにし、吾が将兵の勇猛類なき攻撃精神に、襟を正
し、頭を垂れるものである。」
10 月1日
第 49 号
巨大な戦艦上での近代戦の現実を写し、国のため
に、その戦地に行かんとする若者というイメージで、
学徒出陣のニュースが編集されました。土屋さんは、
近代的な兵器と戦争の現実を国民の眼前にしめし、
腰弁、ゲートルとボロボロの靴を写す現実のショッ
トを対比してほしかったと話しました。資源の少な
い国が豊かな国と戦争する現実を映像で伝えようと
しますが、戦争の現実は、勇ましく、お国のために、
命を惜しまず戦争にいく勇士というイメージで、若
者たちを万歳三唱して送り出す熱気と、大東亜戦争
完遂という戦意高揚の空気に掻き消されてしまいま
した。
言葉は繰り返し口にすることで、一貫した精神を
保ち、同調して多くの人たちに共鳴していく呪文の
ような役割を果たします。戦時中の標語もその一つ
で、ニュース映画にも看板に描かれた文字が写され
ています。戦時下で募集された標語、「贅沢は敵
だ」「欲しがりません。勝つまでは」
これ以外にも、「さあ二年も勝ち抜くぞ」「たっ
た今、笑って散った友もある」「ここも戦場だ」
「がんばれ、敵も必死だ」「すべてを戦争に」「そ
の手をゆるめば戦力にぶる」「理屈言う間にひと仕
事」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」などです。
これらは当然、国家のため、大政翼賛会が募集し、
選定まで行ったもので、国民の真意は「贅沢は素敵
だ」とか「平和が一番」など、もっと別の言い方も
あったはずです。
さらに、愛唱歌、訓示、勅語などから、それらの
替え歌まで、けっしてニュース映画には登場しない
ものも存在していたと思います。海軍の歌で、「銃
後を守るこの非常時に次から次へと火事騒ぎ、どう
したわけかと尋ねたら、ケシズミがほしいといいま
した。へへのんきだね」というような、即興的に歌
う「のんき節」も人気だったという話を聞きました。
戦争の歴史を学び、伝えていくこと、戦争ばかりで
なく、昭和の時代に間違いなくあった出来事など、
記憶を記録に残していくことが、博物館の大切な役
割のひとつです。
川崎市市民ミュージアム友の会では、「映像で学
ぶ昭和史」という、月に1回、自主講座を行ってお
り、所蔵する映像を見ていただいています。日本ニ
ュース映画は、戦後 GHQ 占領下で検閲をうけるこ
とになりますが、言葉だけではなく、当時の状況が
映像に写っています。
昭和 20 年、敗戦から昭和 26 年までの占領下に、
川崎の出来事で取り上げたニュース映画は 13 個あ
りますが、これらの記憶のある方は、いらっしゃい
ませんか?
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