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熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository System

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熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository System
熊本大学学術リポジトリ
Kumamoto University Repository System
Title
戦時体制下の高等教育と徴兵 : 制度の変遷
Author(s)
薄田, 千穂
Citation
熊本大学五高記念館叢書第1集 : 第五高等学校の学徒出
陣: 9-14
Issue date
2012-03-31
Type
Departmental Bulletin Paper
URL
http://hdl.handle.net/2298/25042
Right
一.戦時体制下の高等教育と徴兵
一、戦時体制下の高等教育と徴兵 ︱制度の変遷︱
近代日本における徴兵制度は、戸籍法の適用を受ける二〇才以上
の男性に対して徴兵検査を受ける義務を課し、兵役に服することを
定めていた。兵役への徴集と学業の継続についての規定を設けてい
たのが、一九二七︵昭和二︶年四月一日公布の法律第四七号﹁兵役
り高等学校が二五歳、大学が二七歳まで徴集を延期されていた。こ
法﹂である。その四十一条では、中学校以上の在学者に対し徴集を
本章では、後に掲載する手記・座談会の背景として高等学校の生
徒及び大学の学生が徴集され、﹁学徒出陣﹂に至った過程を、制度
のため、ほぼ全員が大学へ進学する高等学校の生徒にとって、兵役
薄田千穂
の変遷から記述する。なお、
﹁学徒出陣﹂は、昭和一八年の徴兵猶
への徴集はまだ先のことであった。
注1
年短縮され、高等学校が二二歳、大学が二四歳︵医学部が二五歳︶
学徴集延期期間﹂が短縮された。これにより延期期間はおおむね三
かで、一九三九︵昭和一四︶年三月﹁兵役法﹂が一部改正され、
﹁在
一九三七︵昭和一二︶年日中戦争がはじまり、一九三八︵昭和一
三︶年には国家総動員法が公布されて戦時体制が強化されていくな
延期することを定めており、﹁兵役法施行令﹂第百条、百一条によ
予停止によりいっせいに入隊したことに限定して用いられることが
多いが、本報告書では、それ以降の在学中入隊も含めて﹁学徒出陣﹂
とした。
﹁中等学校令﹂・﹁高等学校令﹂・﹁大学令﹂
昭和初期の日本では、
により、修業年限が、中学校五年・高等学校三年・大学三年︵医学
部は四年︶と定められていた。
超えて在籍する者も少なくなかった。卒業生に聞くところによると、
人して受験勉強に費やすことのないよう促すものであった﹂
。同様
通りに行なうよう強制するもので、上級学校進学のために何年も浪
によると、
﹁こ
までとなった。蜷川壽惠﹃学徒出陣
戦争と青春﹄
の時の改正の意図は、兵役服務のために学業の修了をなるべく規定
同じ学年は二年までしか在籍できないという規程の中で、勉学に精
に留年についての抑制力ともなりえたと考えられる。戦時体制強化
高等学校の入学試験は熾烈で、中学校四年修了時から数回受験し
て入学するものも多数存在した。また、入学後、修業年限の三年を
進する年を﹁表﹂、部活動や校友会活動を中心とする年を﹁裏﹂と
の影響は高等学校生活に影を落とし始めていた。
する件﹂が公布された。これに基づき、文部省令七九号で昭和一六
日米開戦を目前にした一九四一︵昭和一六︶年一〇月一六日、勅
令第九二四号﹁大学学部等の在学年限又は修業年限の臨時短縮に関
呼び、高等学校生活を謳歌する生徒もいたという。高等学校には中
学四年修了で入学した一六才を最年少として、二〇才を超えた生徒
も在学していた。また、大学では多くの学生が二〇才以上であった
ということになる。
9
第五高等学校の学徒出陣
公布日
表1
徴集 ・ 入 営 延 期 期 間
法令
兵役法施行令︵昭和
昭和二年一一月
二年勅令三三〇号︶
生月日
一月一日
一月二日∼
一月二日∼
兵役法施行令中改正
四月一日
︵ 昭 和 一 四 年 勅 令 七 昭和一四年三月 四月二日∼
五号︶
在学徴集延期期間の
四月一日
短縮に関する件
昭和一六年一〇月 ︵昭和一六年陸軍文
四月二日∼
部省令二号︶
一月一日
修学継続のための入
一月二日∼
営延期等に関する件
四月一日
︵ 昭 和 一 八 年 陸 軍 省 昭和一八年一一月
四月二日∼
令五四号︶※理科系
のみ
一月一日
修学継続のための入
一月二日∼
営延期等に関する件
四月一日
︵ 昭 和 二 〇 年 陸 軍 省 昭和二〇年二月
四月二日∼
令六号︶※理科系の
み
一月一日
高等学校 大学学部 大学医学部
二七
二五
二七
二四
二五
二二
二六
二四
二五
二三
二三
二一
二五
二三
二四
二二
二二
二四
二一
二三
二三
二二
二一
二二
年度大学卒業生の在学年限が三カ月短縮された。また、同日公布さ
した﹃大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ
文部省計画室が作成
注2
臨時短縮ニ関スル件﹄に、臨時措置を必要とする理由が次のように
記載されている。
一、勅令第九百二十四号大学学部等の在学年限又は修業年限の
臨時短縮に関する件説明
︵前略︶今次ノ臨時措置ヲ必要トスル理由ノ第一ハ軍事的理由
デアリ、第二ハ労務対策上ノ理由デアル。第一ノ軍事的理由ハ
急速ニ軍隊ニ於ケル下級幹部ノ教育養成ヲ行ッテ軍ノ要員充員
上遺憾ナキヲ期セントスルモノデアル。︵中略︶近年労務ノ給
源ハ著シク逼迫シ、各種計画産業ニ於ケル要員ノ充実ハ誠ニ容
易ナラヌモノガアリ、加フルニ応召者ノ補充モ亦緊急ヲ要スル
ガ故ニ、学生生徒ノ卒業期ヲ繰上ゲ上級進学者以外ハ総ベテ、
国民皆労ノ一翼トシテ技術、事務及労務ノ大量需要ヲ速カニ充
足シ以テ時局ノ要請ニ応ヘネバナラヌ事態ニ立至ッテ居ルノデ
アル。︵後略︶
この措置が二か月後の日米開戦に備えてのものであり、大学、専
門学校卒業者を﹁下級幹部﹂として﹁教育養成﹂する意図が明らか
受けて翌年初めに入隊することになっていたが、一六年度の大学卒
れた。それまでは、三月の卒業後四月以降に実施される徴兵検査を
一九四二︵昭和一七︶年には三月と九月、二回の卒業生を送り出す
象から外された高等学校にも適用された。そのため、高等学校では
さらに、一一月一日公布の文部省令八一号により昭和一七年度卒
業生の在学期間は六カ月短縮された。これは勅令第九二四号では対
である。
業生は一六年内に臨時徴兵検査が実施され、一七年初めには入隊す
こととなった。これに対して、大学側は一〇月入学の措置を取り、
れた陸軍省文部省第二号でさらなる在学徴集延期期間の短縮が行わ
ることとなり、軍隊に入るのが一年早くなった。
10
一.戦時体制下の高等教育と徴兵
昭和一八、一九年度についても在学年限六カ月短縮の省令が出され
た。この中で国民動員の徹底を図ることが示され、兵役に関する徴
これは﹁当分ノ内在学ノ事由ニ因ル徴集ノ延期ハ之ヲ行ハズ﹂とい
集延期を停止することが発表された。そして、一〇月一日、勅令第
また、高等学校の理科系生徒の大幅な増募が昭和一七年四月入学
生から実施された。その後さらに文科の生徒削減の方針により、昭
う短いものであった。但し、理科系については、一一月一三日公布
たため一〇月の入学となった。
和一六年の入学生までは半々だった文科と理科の生徒数のバランス
の陸軍省告示第五四号、陸軍省令第五四号により、表1のような入
高等学校入学
昭和一四年三月
高等学校卒業
三年
三年
在学期間
同
同
昭和一七年四月
昭和一六年四月
昭和一五年四月
昭和一四年四月
大学入学
昭和一九年九月
︵昭和二〇年一二月︶
昭和一八年九月
︵昭和一九年一二月︶
昭和一七年九月
︵昭和一八年一二月︶
昭和一六年一二月
︵昭和一七年一二月︶
大学卒業︵医学部︶
三年︵三年六カ月︶
二年六カ月︵三年六カ月︶ 昭和一八年文部省令八〇号
二年六カ月︵三年六カ月︶ 昭和一七年文部省令六八号
二年六カ月︵三年六カ月︶ 昭和一六年文部省令八一号
二年九カ月︵三年六カ月︶ 昭和一六年文部省令七九号
とられた。
営延期期間が定められ、徴兵検査を受けたのちに入営延期の措置が
七五五号﹁在学徴集延期臨時特例﹂が公布され、即日施行された。
は大きく理科に傾くことになった。
一九四三︵昭和一八︶年九月二二日、閣議で決定された﹁現情勢
下に於ける国政運営要綱﹂が東条英機首相の演説で全国に放送され
昭和一一年四月
昭和一五年三月
三年
同
昭和二〇年九月
︵昭和二一年六月︶
表2
高等 学 校 ・ 大 学 在 学 年 限 変 遷 表
昭和一二年四月
昭和一六年三月
三年
昭和一七年一〇月
昭和一九年九月
二年
昭和二一年勅令一〇二号
昭和一八年勅令三八号
二年六カ月 昭和一八年文部省令八〇号
昭和二三年四月
昭和二二年四月
昭和二〇年四月
昭和二六年三月
昭和二五年三月
昭和二三年三月
昭和一九年一〇月 昭和二二年九月
四年
四年
三年︵四年︶
三年︵四年︶
三年︵四年︶
同
同
大正七年勅令三八八号
昭和二〇年文部省令第三号
法
令
昭和一三年四月
昭和一七年三月
二年六カ月 昭和一六年文部省令八一号
昭和一七年四月
昭和二〇年三月
三年
同
在学期間︵医学部︶
昭和一四年四月
昭和一七年九月
二年六カ月 昭和一七年文部省令六八号
法
令
昭和一五年四月
昭和一八年九月
昭和一八年四月
昭和二二年三月
三年
大正七年勅令三八九号
昭和一六年四月
昭和二一年九月
昭和一八年一〇月
︵昭和二二年︶
昭和一九年四月
昭和二三年三月
同
昭和二二年法律二六号
昭和二〇年四月
11
第五高等学校の学徒出陣
それ以前の高等学校では、徴集延期年齢を越えたものか、志願し
たものが徴兵検査を受けて徴集されたが、この法令によって、文科
述べられている。この時に志願した生徒は一カ月余り遅れて昭和一
願させる結果になった。﹂とあり、実際行われた志願の強制の例が
じめ、親類縁者を動員しての勧めは適格者をほぼ強制に近い形で志
では二〇歳以上のもの、理科では徴集延期年齢を越えたもの、文理
九年一月二〇日に入隊した。
加えておく。
ここでは後出する第五高等学校﹃徴集者名簿﹄に記載されている
﹁海軍予備学生﹂﹁陸軍特別甲種幹部候補生﹂について若干の説明を
くいた。
別甲種幹部候補生などが募集されたため、受験し入隊するものも多
れていった。また、海軍予備学生、陸軍特別操縦見習士官、陸軍特
昭和一九年以降は、昭和一八年のような一斉入隊は無かったもの
の、徴集年齢に達して徴兵検査を受けた生徒たちがそれぞれ徴集さ
を問わず志願したものが徴兵検査を受けて徴集されることとなった。
これまで大学卒業の二四歳まで徴集延期となっていた生徒たちにと
って徴集が現実のものとなり、中には高等学校生活半ばにして兵役
につかなければならない事態となった生徒もいたわけである。
﹁在学徴集延期臨時特例﹂を受けて、臨時徴兵検査が一〇月二五
日から一一月五日までの間に実施されることになり、それぞれの本
籍地で受検することが義務づけられた。徴兵検査により、甲種・第
一乙種・第二乙種に振り分けられたものは現役兵として、第三乙種
注3
は補充兵として徴集された。徴兵検査の時に徴兵官に対し陸・海軍
年一〇月二〇日、
陸軍省令第四八号﹁陸軍特別志願兵臨時採用規則﹂
鮮・台湾出身者も軍隊に入隊できる制度ができていたが、昭和一八
一方、朝鮮、台湾出身者は、戸籍法の適用を受けていなかったた
め、兵役は課されていなかった。昭和一三年には特別志願制度で朝
陸軍には一二月一日、海軍には一二月一〇日、それぞれ指定され
た部隊に入隊した。
三〇人前後、一〇期から一二期が一〇〇人前後であったのに比べ、
年三月に二二〇人、五月に一七〇人が採用された。六期から九期が
月に第一次三六八人、九月に第二次一九三三人、一六期は昭和二〇
た。一四期は昭和一九年二月に三三三四人、一五期は昭和一九年八
う予備要員として募集された。昭和一八年九月入隊の一三期では繰
の志望申告ができたものの、多くは陸軍に振り分けられている。
が公布され、高等教育機関に在学する生徒・学生を対象とした特別
大幅な増加である。なお、昭和一八年勅令七九〇号﹁海軍予備員任
海軍予備学生は、昭和一六年一〇月二一日海軍省令第三七号﹁海
軍予備学生規則﹂によるもので、海軍における正規将校の不足を補
志願兵制度による臨時採用が始まった。蜷川壽惠﹃学徒出陣﹄によ
用臨時特例﹂により大学予科、高等学校、専門学校に在学中のもの
り上げ卒業者を対象とした大量募集が行われ、五二〇〇人が入隊し
ると、
﹁ 学 徒 を 対 象 と し た 特 別 志 願 兵 の 臨 時 採 用 が 始 ま る と、 そ の
が志願できる海軍予備生徒の採用が昭和一九年から行われた。第一
注4
勧誘は凄まじいものがあった。学校や地域ぐるみの執拗な勧誘をは
12
一.戦時体制下の高等教育と徴兵
館山海軍砲術学校、土浦海軍航空隊、横須賀海軍航空隊にわかれて
期は二二〇八人、第二期は五七四人が採用された。海軍予備学生は
も春になると学徒出陣第二陣としての昭和一九年度徴兵検査が
せられて、落ち着いて勉強するという情況には遠かった。しか
られていた。それも昭和一九年に入ると勤労動員が断続的に課
備学生の募集も開始されて、講義に出席していた顔も一人二人
入隊し、訓練を受けた。
昭和一九年五月六日勅令三二七号﹁陸
陸軍特別甲種幹部候補生は、
軍兵科及経理部予備役将校補充及服役臨時特例﹂により創設された。
と減っていって、そのうち自分もと思うと気もそぞろであった。
残留した生徒も学業の継続が保証されたわけではなかった。昭和
一九年八月に勅令﹁学徒動員令﹂によって学徒の勤労動員が一年を
始まり、陸軍特別操縦見習士官・特別甲種幹部候補生、海軍予
昭和一八年七月操縦要員予備役将校確保のために創設された﹁特別
ための制度である。特別甲種幹部候補生の受験対象者は、大学学部、
通して行えるようになり、学生・生徒が学校を離れて農村や工場に
操縦見習士官制度﹂に次いで航空以外の分野での予備役将校補充の
予科、高等学校、専門学校、高等師範学校、青年師範学校などの在
労働力としてかり出された。
№ 二二
一九九八年
八八頁
一九八〇年
一一八頁
注3
﹁海軍予備学生の思想・素描﹂山口宗之
﹃久留米工業大学研究報告﹄
注1 蜷川壽惠﹃学徒出陣 戦争と青春﹄吉川弘文館 歴史文化ライブラリー
一九九八年 三二頁
四三
注2
福間敏矩﹃学徒動員・学徒出陣︱制度と背景﹄第一法規出版株式会社
注
したのである。
れることになった。ここにおいて学問・教育はほとんど活動を停止
綱﹂により、四月から一年間、国民学校初等科以外の授業が停止さ
昭和二〇年二月には表1のように理科系の入営延期期間がさらに
短縮され、昭和二〇年三月一八日閣議決定された﹁決戦教育措置要
学者とされ、入隊後は陸軍予備士官学校もしくは陸軍経理学校、そ
の他の部隊に入校・入隊し、概ね一年兵科または経理部の将校とし
ての教育をうけることとなっていた。
さらに、昭和一八年一二月一四日公布の﹁徴兵臨時特例﹂により、
昭和一九年一二月から兵役年齢は一九歳に引き下げられ、多くの学
注5
この頃の大学の様子を蜷川壽惠は次のように述べている。
生・生徒が徴集されることとなった。
学園は急速に静かになっていった。理科系の学生が残っては
いたが、大きな集団であった文科系学生のいないことはポッカ
リと穴の空いた感じを学園にもたらしたことは否めなかった。
文科系学部は閉鎖されるのではないかという憶測も広まったが、
この年の十月に入学した学年で徴兵年齢に達しない学生が文科
系でも三分の一程度残っていたので、即日帰郷などとなった僅
かの二・三年生と共にこれらの学生を対象に講義や演習が続け
13
第五高等学校の学徒出陣
注4
蜷川 壽 惠 ﹃ 学 徒 出 陣
戦争と青春﹄吉川弘文館
歴史文化ライブラリー
四三
一九九八年
一〇二頁
注5
蜷川 壽 惠
右同
一四〇頁
参考文献
﹃学徒 出 陣 と 学 徒 動 員 ︱ 制 度 と 背 景 ︱ ﹄ 福 間 敏 矩
一九八〇年
﹃海軍飛行科予備学生・生徒史﹄海軍飛行科予備学生・生徒史刊行会
一九八八 年
﹁学徒 出 陣 の 検 証 ﹂ 蜷 川 壽 惠
﹃日本歴史﹄第五七八号
一九九六年
﹃東京 大 学 の 学 徒 動 員
学徒出陣﹄東京大学史資料室編
一九九七年
﹃学徒出陣
戦争と青春﹄蜷川壽惠
吉川弘文館
歴史文化ライブラリー
四三
一九九八年
﹁海軍 予 備 学 生 の 思 想 ・ 素 描 ﹂ 山 口 宗 之
﹃久留米工業大学研究報告﹄
№二二
一九九八年
﹁﹁高校生出陣﹂の検証﹂木崎弘美﹃日本歴史﹄第六六四号
二〇〇三年
﹁第三高等学校における﹁学徒出陣﹂﹂西山伸﹃京都大学文書館研究紀要﹄
第六号二 〇 〇 八 年
14
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