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エピローグ:かならず、人生の知的訓練になる!

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エピローグ:かならず、人生の知的訓練になる!
エピローグ(1)
エピローグ:かならず、人生の知的訓練になる!
イラストのイメージ(11-1):父から息子へのメモ
父:ちょっといいかなぁ。
息子:いいよ。
お父さんがぼくの部屋に来るなんて珍しいね。
父:あいかわらず、散らかっているなぁ。
ベッドのところにでも座らせてもらうよ。
息子:いいよ。
こっちは、お父さんに買ってもらった、居心地の良い椅子に座らせてもらって恐縮しち
ゃうけど…
父:「椅子はケチるな」は、父さんの信条だから。
息子:お父さんは、いろいろと信条を持っているんだね。
もしかして、先週、お父さんが僕に手渡してくれた『父が息子に語るマクロ経済学』の
原稿のことで来たの?
ゴメン、まったく読んでないよ。なんだか恥ずかしくて。
父:いや、督促しに来たわけじゃないんだ。
おっ、父さんたちが執筆した『New Liberal Arts Selection マクロ経済学』も、ちゃん
と本棚に置いているんだ。
息子:お父さんからは、「大学に入ったら読めよ」といわれたけど、あんまり読んでいな
いんだ。
やっぱり、専攻が経済学じゃないから。
経済学部の友達は、講義で使ってみるみたいだけど。
父:君の大学でも、使ってくれているか。ありがたいな。
700 ページの大部で、途中からは、フォントも小さくしているから、学生諸君からは、敬
遠されぎみって感じかな。
息子:でも、『マクロ経済学』を出している有斐閣(ゆうひかく)は、法律や政治学の学
生の間でもなじみがあるよ。
ところで、今度の本、なぜ、有斐閣からじゃないの。お父さんの教科書って、すべて有
斐閣からじゃなかった?
もしかして、有斐閣と喧嘩でもしたの? お母さんは、お父さんが出版社や新聞社の人
とよく喧嘩をして、困りもんだって、話していたことがあるから。
エピローグ(2)
父:母さんは、そんなこといっていたか…
今は、そんなことないけどなぁ。有斐閣とも、良い仕事しているよ。
息子:それじゃ、なぜ、勁草書房(けいそうしょぼう)なの?
父:勁草書房は、有斐閣とともに、父さんがぜんぜん無名のころから、長く付き合ってき
た大切な出版社なんだ。
息子:長くって、どのくらい。
父:1990 年代半ばごろからだから、かれこれ、20 年近くになるかな。
息子:僕が生まれたころからってこと?
父:そうなるな。
息子:それで、なぜ、勁草書房なの?
父:妙にこだわるなぁ?
「勁(つよ)い草」って、すばらしい社名じゃないか。
息子:「勁」って、「つよい」っていう訓なんだ。知らなかった。
父:『父が息子に…』は、父さんとしては、教科書っていう感じじゃないんだな。
だから、「教科書は、有斐閣から」っていうのと少し違うわけ。
息子:なるほど、その辺は、お父さんから講義を受けていたころから、何となく感じてい
たんだけど…
経済学部の友達からの受け売りだけど、マクロ経済学の講義で最初に習うのは、IS-LM
モデルってことになっているんだよね。
お父さんの講義には、そんなモデル、ちっとも登場しなかった…
お父さんたちの『マクロ経済学』でも、第 6 章で IS-LM モデルに何ページも割いている
じゃないか。
ほら、ここに。
父:だから、『父が息子に…』は、マクロ経済学の教科書じゃないんだよ。
確かに、経済学を専攻する学生であれば、IS-LM モデルをしっかりとマスターする必要
があると思うんだけど、君のように、経済学を専攻しない学生には、もう少し違うことを
語っておきたかったんだ。
息子:それにしても、なぜ、そうしたの?
父:その理由を詳しく説明すると、いろいろあるんだけど、あえて 1 つだけ理由をあげる
とすれば、IS-LM モデルは、大切だけど、退屈なんだな。
エピローグ(3)
息子:退屈???
父:退屈って表現が悪かったかな…
それでは、別のいい方をしてみると、IS-LM モデルの知識がなくても、「国民経済計算」
を正しく読み込むことができるんだな。
息子:こういう受け答えをするときのお父さんって、「もうこれ以上話さないモード」っ
て感じなんで、もうこれ以上聞かないよ。
父:どうも。
息子:さっきは、お父さんたちの『マクロ経済学』、あまり読んでいないっていったんだ
けど、お父さんの講義が「国民経済計算」について、これでもか、あれでもか、って感じ
で扱うんで、『マクロ経済学』の第 1 部だけは、けっこう丁寧に読んだんだよ。
父:そうか。それは、うれしいな。
息子:その最初のところに、「国民経済計算」は、10 の省庁が協力しながら、内閣府が、
膨大な時間と労力を投じて作成した経済統計ってくだりがあるよね。
その記述になんだか感動しちゃった。
父:「国民経済計算」の作成は、一大国家事業だな。
息子:ということは、「国民経済計算」を作成している官僚たちは、史官集団って感じか
な。
父:「しかん」?
息子:古代中国で文書の記録に従事していた役人たちのこと。
歴史の「史」と官僚の「官」で「史官」。
現代の史書を編んでいるイメージかな。
父:歴史好きの君らしい表現だな。
そのとおりだと思うよ。
息子:実は、お父さんの第 10 講が印象的だったんだ。
1955 年から現在までの「国民経済計算」を活用して、現代の日本経済が直面している国
際環境が浮き彫りにされたこと。
父: 終戦から 10 年で「国民経済計算」を作成する体制を整えたってところは、日本とい
う国の“律義さ”って、父さんは思っているんだよ。
息子:“律義”って言葉で、自分の国をほめるなんて、なんだか変なの。
エピローグ(4)
父:父さんは、この“律義さ”は、敗戦の教訓を踏まえていると思うんだ。
息子:どういうこと?
父:日本経済の活動が、長い期間にわたって「国民経済計算」に記録されているおかげで、
私たちは、日本経済のありようを、歴史的な文脈に置いてみて、あるいは、国際的な環境
に置いてみて、楽観もせずに、悲観もせずに、等身大のところで捉える事ができるんだと
思う。
息子:お父さんが、僕の前で、「私たち」って主語で語るのを初めて聞いたような気がす
る。
父:日本の戦前のことを考えてご覧よ。
日本の国力を客観的に判断するデータは、国民にいっさい公表されていなかった。
為政者の側も、そうしたデータに真剣に向き合っていたのかどうかさえ定かでないとこ
ろがあるね。
息子:「国民経済計算」が 1955 年からずっと公表され続けている状態っていうのは、それ
よりもはるかに素晴らしい状況ってことなんだ!
父:そうなんだ!
父さんたち、マクロ経済学の研究者も、「国民経済計算」という経済統計の怪物に、手
足を強く縛られているんだよ。
息子:それは、何となく感じてきた。
経済理論や経済モデルを語るときのお父さんは、まるでワンパク坊主。
でも、経済統計に向き合うときのお父さんは、禅宗のお坊さんが座禅を組んで、なんだ
か“畏れ多いもの”に対して正視しているって感じ。
父:我が家の宗派が、禅宗の曹洞宗ってことは知っているか?
息子:知っているよ。
去年の秋、お父さんは、能登半島の志賀原発視察の前に曹洞宗・総持寺祖院に立ち寄っ
たって、結構興奮気味に話していたから。
父:そんなに熱く話したかなぁ?
息子:お父さんは、こちらが聞きたくないことを熱心に話して、こちらが聞きたいことを
はぐらかすところがあるからね。
父:そうかなぁ…
息子:お父さんにしかられそうだけど、1つだけ、質問していいかなぁ?
父:それじゃ、はぐらかさないで答えるよ。
エピローグ(5)
息子:なにごとにつけ、「『何の役に立つの?』なんて聞かずに黙ってやれ」ってお父さ
んにいわれてきたので、なんだか聞きづらいんだけど、マクロ経済学ってなんの役に立つ
の?
父:そうか、そう来るか。
君が、これから社会に出ると、仕事の面でも、プライベートの面でも、さまざまな意思
決定を迫られると思うんだな。
そんなときに、自分の直面する社会や経済について、常に何らかの仮説を持って行動し、
新たな事実に出くわせば、その仮説を再検討する態度がぜひとも必要になってくるんだ。
息子:「常に仮説を持って行動する」って、どういうこと?
父:自分が向き合っている経済社会の状況について、その背後にどのような原因が働いて
いるのかに関して理屈を考えること。
息子:それじゃ、「仮説を再検討する」ってのは?
父:これまで考えていた理屈では説明できない現象にぶちあたれば、理屈を考え直すこと。
息子:仮説をめぐる人生態度のことは、なんとなく分かったようにも思うんだけど、それ
がマクロ経済学とどう関係するの?
父:父さんの考えでは、経済学をはじめとした社会科学を学ぶということは、自分を取り
巻く経済社会の環境に対して、「常に仮説を持って行動する」という態度を培う知的な訓
練だと思っているんだ。
息子:知的な訓練って?
父:人生の予行練習というか、模擬演習みたいなものかな。
君のような若い人たちには、大学にいるときから、人生の予行練習のつもりで知的トレ
ーニングを受けてほしいと思っているんだな。
息子:じゃ、なぜ、マクロ経済学なの?
父:マクロ経済学は、「国民経済計算」をはじめとした経済統計がドシンと控えていて、
そうしたデータが取り持つように理論と実証が有機的に結びついた学問。
ちょっと言い方をかえてみると、データの作成もしっかりとしていて、そのデータが人々
の間で広く共有されていて、そのデータに向き合うための理屈もずいぶん洗練されている
学問っていえるんじゃないかな。
そうした学問の理論のパートが「仮説を立てる」に、実証のパートが「仮説を再検討す
る」にそれぞれ相当すると思うんだ。
息子:でも、「なぜ、マクロ経済学なの?」にきっちりと答えていないんじゃない?
エピローグ(6)
父:そうかもしれんな。
正直なところ、誰も彼もが、マクロ経済学を通じた知的訓練を必要とするとは思わない
な。
他の社会科学の学問分野でも、そうした知的な訓練は、十分に可能だから。
でも、政治、行政、経営の現場でリーダーとなっていく人には、マクロ経済学で知的な
訓練をしても「悪くないかな」っていう気もするけどね。
息子:お父さんは、肝心要のところで、なんだか、控え目だね。
お父さんが、もっと、“マクロ経済学の広報マン”みたいになってもいいんじゃないの。
父:人間には、得手・不得手があるわけだから…
広報的な仕事は、苦手だな。
息子:そういうものかなぁ…
父:実のところ、君のいいたいことはよく分かる。
父さんのような教師から、「マクロ経済学は人生の役に立つ」っていう言葉を引き出す
ことができれば、そう聞いた若い人たちは、どこかで安心してマクロ経済学を勉強すると
思うんだ。
でも、父さんとしては、そうした“威勢の良い”言葉で、若い人たちをマクロ経済学に
誘うということはなかなかできないんだよ。
息子:なぜ?
お父さんには、自信がないってこと?
父:そういうわけではなくて、若い人がある分野の学問に出会うっていうのは、外からと
やかくいっても仕方がないと思うし、あえていえば、そうした学問との出会いに干渉した
くない。
息子:…
父:だから、いろいろな理由があったと思うけど、君が自分で政治学を専門に選んだとい
うことは、父さんとしては、尊重したいんだな。
それでも、父さんが君にマクロ経済学を講じようと思ったのは、そんな講義をきっかけ
に、君自身の政治学への向き合い方が、リフレッシュされると思ったからなんだ。
だから、経済学に勧誘しようなんて気は、さらさらなかったよ。
息子:お父さんがそういうスタンスだったってことは、僕もなんとなく感じていたよ。
父:親としては、どんな分野であってもいいから、社会科学の一分野を一生懸命に学ぶこ
とで、君が生きている経済社会に対して、常に仮説を立てられるような人間、そして、自
分の仮説が間違っていたことに気が付けば、潔く新たな仮説を打ち立てる勇気を持った人
間になってほしい。
エピローグ(7)
息子:「社会科学を学ぶということが人生の予行練習だ」なんていう発想は、自分にまっ
たくなかったので、新鮮な気がします。
父:実は、世界の著名なマクロ経済学者だって、「マクロ経済学を学ぶことが、人生に必
要な知的訓練になる」という発想なんて持ってやしないと思うよ。
息子:そうなんだ…
僕は、『父が息子に…』の講義録を出版することに反対というか、なんだか照れ臭かっ
たんだけれど、お父さんが、「マクロ経済学を含めた社会科学を学ぶことが、人生の知的
訓練になる」っていうんだったら、出版する意味も少しはあるんじゃないかな。
父:君がそういってくれると、父さんはうれしいね。
息子:本の帯は、
かならず
人生の知的訓練になる!
だね。
父:どこかで見たような…
息子:僕も、どこかで見たように思うなぁ…
まぁ、いいじゃん。
父:じゃ、気にしないことにするよ。
主語が明らかでないところがいいね。社会科学のどの分野であってもいいわけだから…
息子:主語がなくても、文章になるところが、日本語のありがたさってことかな。
父:勉強中、じゃまして悪かったな。そろそろ、おいとまするよ。
息子:全然。
結構、楽しかったよ。
イラストのイメージ(11-2):本の帯は、
「かならず
人生の知的訓練になる!」だね。
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