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2006年3月、インド訪問中のブッシュ米大統領は

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2006年3月、インド訪問中のブッシュ米大統領は
Yoshida Osamu
2006 年 3 月、インド訪問中のブッシュ米大統領は、インドのマンモハン・シン首相との共
同声明において、
「米印両国間およびインドと国際社会全体との間での、完全な民生用核エ
ネルギー協力というわれわれ共通の目的に向かって前進する」ことが可能になった、と述
べた(1)。これは、インドが国際原子力機関(IAEA)の保障措置等を受ける民生用の核施設を
軍事用から区別する案を、米国側が受け入れた結果であった。この区別はインドが一義的
に決定するが、原子力総発電能力の 65 パーセントを、核燃料供給についての保証を条件に、
恒久的に保障措置の下に置くという内容である。
1998 年に 2 度目の核実験を行なったインドは、それ以来、核不拡散体制の反逆者とみなさ
れてきた。その一方で、インド(とパキスタン)が核兵器を放棄する現実的見通しがほとん
どないこと、ブッシュ・ジュニア政権の反テロ政策にとって印パ両国が重要な位置を占め、
また経済自由化を進めるインドの成長が著しいことなどから、米国や日本などが印パ核実
験後に始めた「経済制裁」も 9 ・ 11 米同時多発テロ事件直後に解除されるなど、両国の核保
有国としての既成事実化が進行していた。
米印間の民生用核合意は、この矛盾を、インドを核兵器保有国と実質的に認めるかたち
で最終的に解決するものとして、少なからぬ論争を内外に引き起こしてきた。本稿は、こ
の米印核合意について、その意義と射程および問題点を、特にインドの内政および国際関
係に焦点を当てつつ論じるものである。米国による核保有国としてのインドの承認は、イ
ンドがどのような外交的オプションをもつなかで、どういう影響力として機能したのか、
複雑で起伏の激しい米印関係史のなかでこれはどのような意味をもつのか、そして国際社
会は、この史上初の米印蜜月によって、いかなる利害を被るのか、こうしたことを考えて
みたい。
1 核をめぐる米印関係と民生用核協力
1998 年の核実験後、インドは現行の核不拡散条約(NPT)への加入を一貫して拒否し、核
ドクトリンを策定するなど、核兵器国としての体裁を整えてきた。その一方、包括的核実
験禁止条約(CTBT)については、核兵器国としての加入に向けた国内のコンセンサス作り
に努め、核実験についても一方的モラトリアムを宣言するなどして、
「責任ある核兵器国」
であることを演出してもきた。米国は、インドのそうした努力に応え、またその著しい経
済成長により深くかかわることができるように、段階的に「制裁」を縮小していった。
国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 17
米印核協力と核不拡散の課題
2000 年 3 月のクリントン米大統領訪印では、そうしたプロセスの完成が期待され、インド
側は「責任ある核兵器国」にふさわしい処遇として、米国による商業用原子炉等のインド
向け輸出解禁を求める方針を固めつつあった。実際には、クリントン訪印は両国関係のい
っそうの強化を謳ったのみで、
「制裁」は解除されなかった。前年 10 月に CTBT 批准を上院
に拒否されたクリントン政権は、インドに CTBT 加入を求めることができず、両国は、合意
による制裁解除の契機を失ったのであった(2)。制裁解除はブッシュ政権の下で、9 ・ 11 直後
に一方的に行なわれた。米国はこのとき、インドの核兵器保有を実質的に承認した。
しかしながら、NPT 上の「核兵器国」ではないインドにとって、制裁解除は核実験前の
状態、すなわち、非核兵器国として核拡散封じ込めの対象であるという地位に戻るにすぎ
ない。それゆえ、インドは「核兵器国」としての地位をより積極的に主要諸国、特に米国
に承認させるため、民生用核エネルギー協力、すなわち核技術の商業的輸入に力を入れ始
める。
2000 年にインドは、米国の援助で建設されたタラプル原子力発電所に対する核燃料の供
給を、ロシアから受けるための覚書を交わす。さらに翌年、両国はインドがロシアから 2 基
の原子力発電所を購入する正式の契約を結ぶ。これらは、核供給国グループ(NSG)が全面
的保障措置を受け入れていない国に対する非協力を申し合わせた 1992 年のガイドラインに
反していたにもかかわらず、強行された(3)。2003 年には、インド政府の安全保障担当顧問の
ブラジェッシュ・ミシュラが米国の外交関係評議会で講演し、米印間のパートナーシップ
を新たな段階に進めるためには、ハイテク分野や宇宙開発と並んで、民生用核エネルギー
の分野での協力が重要であることを強調した(4)。
こうしたインド側からの働きかけに対して、インドとの戦略的パートナーシップを重視
する米国のブッシュ政権は 2004 年 1 月、ミシュラが強調した 3 分野における協力の深化を謳
った「戦略的パートナーシップの次のステップ(NSSP)」に両国が合意したと発表した。イ
ンドが総選挙に突入する直前に行なわれたこの発表は、インド人民党を中心とするインド
の与党連合「国民民主連合」に対する支援とみなされ、また実現するのは何年先のことか
と揶揄された(5)。しかしながら米国は、核技術保有国とインドとの間の民生用核協力が他国
主導でなし崩し的に進むことを放置せず、速やかに事を進める意志を示した。
同年の総選挙でインドの政権が交代し、首相には野党であったインド国民会議派からマ
ンモハン・シンが就任したが、両国は 9 月には、米側の輸出認可制度の見直し等を行なって
NSSP の第一局面を完了したとする共同記者声明を出し、政権交代にもかかわらず実務的な
協議は進行していたことを示した。他方で、他国の対印核技術輸出は、核不拡散政策を担
保しながら輸出規制を削減していくという米国の厳密な政策枠組み形成の阻害要因となる
ので、圧力が加えられ、周到に排除された。同年 12 月にロシアは、タラプル原発への核燃
料供給は 2001 年の 1 回限りで 2 度目はないこと、原発建設についても、建設中の 2 基を超え
ての建設は難しいこと、これらの事情は NSG におけるロシアへの圧力行使のゆえであるこ
とをインド側に伝えた(6)。こうしてインドは、核技術の商業的輸入という政策を掲げ続ける
限り米国との合意を進めざるをえない、という局面に追い込まれてゆく。
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米印核協力と核不拡散の課題
2 米印核合意とイラン
(1) インドのエネルギー外交とイラン
米国によるイラク戦争開始後、石油価格が高騰し始めると、インドは多面的なエネルギ
ー外交を模索し始める。インドの石油自給率は 1980 年代の大半は 60 パーセントを超えてい
たものが、90 年代の経済自由化後に急速に低下し、世紀転換後は 30 パーセントを切るに至
っていた。こうした事情に対応するため、石油天然ガス省と外務省を中心に「エネルギー
安全保障のための石油外交常設委員会」が設置され、2004 年 11 月に最初の会合が開かれた。
そして、同委員会によって世界の広範な地域がインドのエネルギー開発の対象とみなされ
るようになるなかで、イランからパキスタンを通過してインドに至る天然ガス・パイプラ
イン構想が、脚光を浴びつつあった。
年が明けると、インドはイランとの間で天然ガス・パイプラインの建設を進めることを
決定し、さらに 2 月に両国は投資の促進に関する協定などを交わした。イラク戦争でサダ
ム・フセインの政権が倒された 2003 年以降、米国等が次の標的としてイランの核開発に圧
力を行使しようとするなかで、インドはイランとの関係を深化する決定を行なったのであ
る。
これに対し、米国のコンドリーザ・ライス国務長官は 3 月に訪印してナトワル・シン外相
と会談し、イランとのパイプライン計画に対する強い懸念を示した。同長官の帰国後、ブ
ッシュ大統領はインドのマンモハン・シン首相と電話で会談し、NSSP の継続として、パキ
スタンに供給する F-16 よりも新型の戦闘機である F-18 やミサイル防衛システム、核協力な
どを含む、広範な分野にわたる提案をインドに申し出た。しかしながら、4 月に訪米したナ
トワル・シン外相は、インドの外相としては初めて大統領執務室で米大統領と会談すると
いう待遇を与えられながらも、両国間の兵器供給やエネルギー協力問題などで具体的進展
(7)
を得ることはできず、「手ぶらで」
の帰国を余儀なくされた。ブッシュ政権は、インディ
ラ・ガンディー時代の外交官であったナトワル・シンを、米国に批判的な非同盟主義者と
みて、2 国間関係の前進はマンモハン・シン首相に直接期待する姿勢を示し始めた。ライス
国務長官を通じて伝えられたブッシュ大統領の招待に応え、マンモハン・シン首相は 7 月に
訪米する。
その間も、米国はインドに対してガス・パイプライン計画への懸念を表明し続けた。他
方、イランでは 6 月に大統領選挙が行なわれ、強硬派と目されたマフムード・アフマディネ
ジャド = テヘラン市長が、穏健派の支持を受けたラフサンジャニ元大統領を破った。米国や
イスラエル、あるいはユダヤ人一般に対する激しい批判を行なうアフマディネジャドの当
選は、より対話的な方法で核疑惑に対処しようとする西欧諸国を困惑させ、欧州連合(EU)
はイランへの対応について、米国との相違を狭めて強い態度に出るようになるのではない
かという見通しを生んだ(8)。
(2) 首相・外相の二重外交
マンモハン・シン首相の訪米では、7 月 18 日、両国は 2004 年 1 月に合意した NSSP の完了
国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 19
米印核協力と核不拡散の課題
を宣言し、
「グローバル・パートナーシップへの移行の決意」を共同で声明した。その中心
は、インドが民生用と軍事用の核施設を分類し、前者については IAEA に届け出てその保障
措置を自発的に受ける、また追加議定書にも署名し遵守する、とのインド側の約束であっ
た。そのほか、①核実験の一方的モラトリアムの継続、②核分裂性物質カットオフ条約締
結へ向けての米国との協力、③濃縮・再処理技術移転の自制とそのための国際的努力の支
持、④包括的輸出規制立法やミサイル技術規制レジーム(MTCR)および NSG ガイドライン
の遵守を通じた核物質・技術の安全確保に必要な手段をとってきたことの確認、の 4 点につ
いても、インドはこの共同声明で合意した。これらは、タラプル原発への核燃料供給を含
むインドとの核協力のために、ブッシュ大統領が米議会や NSG などに必要な法や国際レジ
ームの修正を求めるうえでの前提条件となっており、インドのエネルギー安全保障の文脈
で提起されていた。
「濃縮・再処理技術移転の自制とそのための国際的努力の支持」がイランの核疑惑を指し
ていることは、明らかである。さらにマンモハン・シンは、
『ワシントン・ポスト』紙のイ
ンタビューに答えて、イランとのパイプライン計画は予備的な協議が始まったばかりだと
述べたうえで、
「イランの状況の不確実性をすべて考えて、多くのリスクがあることに気づ
く程度には私は現実的だ」と語った(9)。首相のこの発言は、訪米の結果としてのパイプライ
ン計画からの後退であると懸念され、閣外協力をしているインドの左翼諸政党は、強く反
発した(10)。マンモハン・シンは翌 8 月末に、インドの首相としては 29 年ぶりにアフガニス
タンを訪れるが、そこではタリバーン時代に米国のエネルギー会社が構想したアフガニス
タンを経由するトルクメニスタンからのガス・パイプラインに、インド政府として初めて
公式の関心を示した。イランとのパイプラインについては、
「われわれには両方のパイプラ
インが必要である」と述べた(11)。
9 月になると、ナトワル・シン外相は、インドの閣僚としては初めて、アフマディネジャ
ド新政権下のテヘランを訪れた。同外相は、イランのマノウチェル・モッタキ外相との会
談の後、パイプライン計画の枠組み協定に至る詳細なロードマップを示し、年末までにイ
ンド、パキスタン、イランの 3 国協定締結にもっていけると述べた。マンモハン・シン首相
が米国やアフガニスタンで示した、イランからのパイプラインへの消極的とも言える姿勢
に対しては、ナトワル・シンは、アフガニスタンで首相がこの計画へのインドのコミット
に繰り返し言及したことを強調した(12)。ロードマップの期限である「年末」とは、ブッシ
ュ大統領が訪印して米印核合意をさらに進展させることが予定されていた時期であり、イ
ランからのパイプライン計画と米印核合意との競合関係は、いよいよ明確になりつつあっ
た。
このような、首相と外相による対イラン二重外交は、9 月 24 日の IAEA 理事会におけるイ
ラン問題に関する決議をめぐって、さらなる論議を引き起こす。決議は EU の英、仏、独 3
ヵ国の提案で、イランがウラン濃縮処理を止めない限り、問題を国連安全保障理事会に付
託する、というものであった。他方、イランに原子炉などを供給しているロシアは、NPTや
IAEA 憲章によってイランはウラン濃縮の権利を有している、という立場を示した(13)。
『ニュ
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米印核協力と核不拡散の課題
ーヨーク・タイムズ』紙によれば、ナトワル・シンのテヘラン訪問後、インドはロシアと
ともに決議阻止の立場をとっていたが、イラン問題で協力しなければ核エネルギー合意は
米議会に拒否されると警告され、イランに対する「対決」に加わった(14)。そしてここでも、
最終的なインドの立場の確認のためには、国連総会に出席するマンモハン・シン首相とブ
ッシュ大統領との首脳会談が必要だった。決議は安保理への付託を直ちに求めるものでは
なかったが、インドを含む賛成 22、棄権 12 で採択され、ロシアや中国は棄権し、反対はベ
ネズエラ 1 国だけであった。インドの連立政権に協力している左翼諸政党は対米従属を非難
し、伝統的な友好国であるイランに反対する決議を二度と支持しないよう求めた(15)。
このように、首相と外相との二重外交は、米国の核協力合意をめぐる圧力によって、
徐々に首相側に一本化されつつあった。イラク情勢や米国の需要増による天然ガス価格の
高騰で、ガス・パイプライン計画に疑念を示す論説がインドで出始めるのも、この時期で
ある(16)。そして、ヴォルカー委員会の最終報告書が、この一本化プロセスの最後の一押しと
なった。
ヴォルカー委員会とは、湾岸戦争後の対イラク経済制裁による犠牲が最も弱い層に集中
したことに鑑みて国連が行なった「イラク・石油・食糧交換計画」について、国連高官が
かかわった不正が行なわれていたという疑惑が浮上したために、安保理決議に基づいて、
国連事務総長が 2004 年 4 月に設置した委員会であり、委員長のポール・ヴォルカーは、米連
邦準備制度理事会(FRB)の元議長である。その最終報告書の付属文書として、委員会は 8
つの表を公表し、そのひとつ、
「非契約受益者による石油販売の要約」に、
「非契約受益者」
として、政党としてのインド国民会議派とともに、ナトワル・シンの名が挙げられていた
のである。ナトワル・シンは疑惑を否定したが、激昂した彼は、報告書の情報源のひとつ
となったイラク新政府について、
「世界で信用されていない」とまで言い、同政府を支持す
るインドの公式の立場とは異なる見解を吐露した(17)。
故ラジーヴ・ガンディー首相の妻であったソニア・ガンディーの集票力に依存する会議
派は、ネルー・ガンディー家に最も近い政治家の一人であるナトワル・シンを内閣から排
除することが難しかったが、彼の外相にあるまじき発言は、マンモハン・シンに理由を与
え、ナトワル・シンは 11 月 7 日、外相の任を辞すことを余儀なくされた。
「疑惑が晴れるま
で」との理由で、当面はマンモハン・シン首相が外相を兼任することとなった(18)。こうし
て、二重外交は人格的にも一本化されることになった。
(3) 米印核合意への道
イランか米国か、という二重外交の裏側では、米印両国の実務レベルが民生用核協力
のための協議を続けていた。2005 年 7 月のブッシュとマンモハン・シンとの間の合意では、
インド側に具体的な行為の実行が求められており、米政府の側は、議会や NSG などの合
意を求めたり促したりする責任を負うにすぎない。それゆえ、ニコラス・バーンズ政治
問題担当国務次官が米上院外交委員会の公聴会で述べたように、「インド政府がそのコミ
ットメントのなかでまず間違いなく最も重要なこと―すなわち民生用と軍事用の核施
設の分類―に取り組んでいるという証拠なしに、米議会にそのような重大な決定を行
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米印核協力と核不拡散の課題
(19)
なうよう求めることは賢明でもなければ公正でもない」
のであった。しかしながら、米
国務省は公式非公式に米議会と接触し、また議会の公聴会では、たとえばトム・ラント
ス下院議員の「イランの核兵器製造活動を国連安全保障理事会に付託する米国の意欲を
インドは支持しないというインド外相の最近の発言に対して特に懸念をもっている」、そ
して米国に対する「完全な支持がなければ、米国のニューデリーとの核や安全保障の協
(20)
力拡大は危機に晒されるだろう」
といった発言を議会から引き出し、7 月の合意が明示
的には定めていない行動をインドにとらせようとした。
そもそも 7 月の合意は、いくらかの曖昧さを含んでおり、実務的な詰めが必要になって
はいた。核心的な部分である「民生用および軍事用核施設・計画を特定、分離し、民生
用核施設についての公示を IAEA に届け出」て、「その民生用核施設を IAEA の保障措置の
下に自発的に置く」という点についても、その具体的態様については、「先進的核技術を
もつ米国のような他の主要先進国と同様の責任と実践を引き受け、同じ利益と利点を享
受する」と述べるのみで、NPT 上の 5 つの「核兵器国」の場合のような、まったく一方的
かつ自発的に民生用施設を IAEA の監視の下に置けばよいのか、それとも、「軍事用」を
狭く定義し、大半の核施設を保障措置の対象にするのかは、当然に論争になりうる点で
あった。
しかしながら、ロバート・ジョセフ軍備管理・国際安全保障担当国務次官は、バーン
ズ次官とともに出席した米上院外交委員会公聴会において、次のように述べた。
インドの民生用および軍事用核インフラの分離は、信頼できかつ透明なやり方で行なわ
れなければならないし、また不拡散の立場から弁明可能でなければならないと期待して
おり、インド政府にそう伝えてもいる。言い換えれば、分離とその結果としての保障措
置は、わが国の不拡散上の目的に資するものでなければならない。わが国の国際パート
ナーの多くも同様に、これが必要な前提条件であり、そうでなければインドとの民生用
核協力を支持することはできない、と伝えてきている。インド政府もこれは理解してい
ると信じる。
そしてジョセフ次官は、インド政府のシャイアム・サラン外務次官も「インドが国際
協力をできる限り広範に得たいと本当に願っているなら、その民生用施設のいくつかを、
保障措置を目的とした公示から故意にはずすということは、意味がない」と述べたこと
を紹介した。さらに、これに関連して、インドが NPT 上の「核兵器国」として法的にも
事実上も扱われることはないということを、ジョセフ次官は強調した。
多くの国は、国際的に承認された 5 核兵器国が行なっているような形の「自発的提示」
をインドに認めることは受け入れられないと、伝えてきた。わが国は最近の主要 8 ヵ国会
議や NSG の会合で、自発的提示取極は不拡散の立場から弁護できないし、共同声明とも
整合しない、それゆえそれが受け入れ可能な保障措置取極とはならないと信じる、と述
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米印核協力と核不拡散の課題
べた。そのようなやり方はおおよそ NSG の支持を受けられない。逆に、インドが信頼で
き弁明可能な計画を示せば、多くの国々はより強固に支持するようになるだろう(21)。
このように、7 月の米印合意は、米政府が米議会や NSG に支持の条件を問うことを通じ、
インドにとってより制約的な形で、そして 5 核兵器国との差別化を図るかたちで、具体化
が求められることになった。米国は、双務的に自国を拘束するはずの、米議会や NSG な
どの支持を求めるというコミットを、逆にインドに圧力を行使する手段として使ったの
である。
この一般的な圧力は、インドが 12 月に保障措置下に置かれるべき民生用核施設リスト
の案を米側に提示し、1 月に米側がそれに対する不満を示す(22)と、リストに特定の核施設
を含めよ、という圧力に変わる。すなわち、米国からは、高速増殖炉を民生用施設に含
めよという主張が高まり、除外すべしとするインドの核科学者らと対立することになっ
た。後者にとって、インドが自力で開発した高速増殖炉は、世界で 2 番目の埋蔵量を誇る
トリウムを用いた独自の核燃料サイクルを完成させるうえで、戦略的に重要なステップ
であり、エネルギー安全保障と最小限核抑止に必要な核物質生産との 2 つの意味をもって
いるからである(23)。
インド政府原子力委員長アニル・カコドカルは『インディアン・エクスプレス』紙と
のインタビューで、こうした米側の姿勢を「ゴールポストの変更」と批判し、「インドの
戦略的利害はインドによって決定されねばならず、他者によって決定されるべきではな
い」と主張した。「7 月 18 日の米印核合意の立役者」を自認する彼にとって、「民生用核施
設」とは外国から輸入した施設や核燃料のことであって、それらを保障措置の下に置く
というのが合意事項であった。「われわれは過去にそうやってきたし、だから、またそう
することができる」にすぎないのである(24)。
カコドカルに呼応する形で、インドでは野党のみならず政府に閣外協力している左翼
諸政党や外交関係の識者からも、厳しい批判が示された(25)。特に、民生用と軍事用の核
施設分離案が、米国政府のみならず米議会関係者等にも示されながら、インド国内では
明らかにされていないことに批判が集中した。また、1 月 24 日にデイヴィッド・マルフォ
ード駐印米大使が、2 月 2 日に予定されていた IAEA 理事会でインドがイランの核開発に
反対する投票をしなければ、米印核協力構想は「米議会で死ぬだろう」と述べた(26)こと
も、インド側の強い反発を生み、結果的に米国の交渉上の立場を弱めた(27)。
こうした状況の展開を受け、インドのマンモハン・シン首相はブッシュ大統領訪印の
前夜、核科学者の意見を全面的に受け入れ、インド上院での演説で、7 月 18 日の声明は戦
略プログラムに関するものではない、と言明した。
高速増殖炉プログラムや、再処理・濃縮の必要性のような核燃料サイクル能力など、核
プログラムのいくつかの側面が、公の討論の場において、いろいろな解釈に晒されてい
る。われわれが保障措置の外と考えざるをえない戦略的施設の性質と範囲もまた、その
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米印核協力と核不拡散の課題
もうひとつの例となっている。しかしながら、われわれは対話の相手方に対し、(民生用
と軍事用核施設の)分離計画を議論するに当たって、戦略的要請のなかにはわれわれが
彼らに明かすことのできない性質と内容の詳細があることを伝えてきた。われわれは、
国家安全保障上の重要性をもつ情報が、交渉の過程で漏れることを許しはしない(28)。
こうして、民生用核施設のリストについての米印間の合意には曖昧さを残したまま、
ブッシュ大統領は 3 月 1 日、国賓としてニューデリーに到着した。ブッシュにとって初の
訪印であり、米大統領としてはクリントン以来、6 年ぶりの訪問であった。
3 米印核合意の成立
「本質において歴史的」な米印首脳会談は 3 月 2 日午前に行なわれ、12 時 26 分には記者会
見が始まった。バーンズ次官によれば、7 月から始まった交渉はこの首脳会談当日朝 10 時半
まで続いていたので、首脳会談は一時間程度であり、両首脳が直接、未解決の問題を解決
したということもなかったようである(29)。この首脳会談で両国は、インドの民生用と軍事用
の核施設の分離計画について合意し、したがって、7 月 18 日の合意後の第一の段階は完了し
た。それゆえ、これ以降は米政府が米議会や NSG に対し、インドとの核協力が可能なよう
に、1954年原子力法やガイドラインを修正するよう求める番となった。
核施設の分離計画については、マンモハン・シン首相のインド議会への報告は、どれが
民生用核施設であるかを決定する権利はインドにのみあることを強調した。そのうえで、
稼働中ないし建設中の 22 の原子炉のうちの 14、インドの原子力総発電能力の 65 パーセント
が、2014 年までに段階的に保障措置の下に置かれることとなった。また、将来の発電用原
子炉や増殖炉で民生用に分類されるものはすべて保障措置の下に置く。他方で、バーバ原
子力研究センターは「国家安全保障上、高度な重要性のある核施設」であるとして、
「侵入
的な査察」を認めず、同センター内にあるカナダの援助によって建設された原子炉は閉鎖
し、インド最初の原子炉「アスパラ」のフランスから購入した炉心は他所へ移す。カルパ
ッカムにある高速増殖原型炉と同実験炉、再処理・濃縮など戦略的プログラムのための核
燃料サイクルに関する技術や施設は、保障措置の対象外とした。
以上の点を踏まえ、インドは IAEA との間で、特にインドに向けた保障措置協定の交渉を
行なうことになった。これは、民生用からの核物質の抜き去りが生じないように保障する
一方、民生用原子炉への外国からの燃料供給が妨げられたときに、インドが矯正手段をと
ることを認めるものである。これを考慮したうえで、インドは民生用核施設を恒久的に、
「特にインドに向けた保障措置」の下に置く、とした(30)。
米国は、この「恒久的保障措置」を特に強調した。たとえば、米国が IAEA との間で結ん
でいる自発的保障措置協定においては、米国が同機関に提出する「直接の国家安全保障上
の重要性をもつ活動にかかわらない諸施設のリスト」に対して、米国が「適切と考えるな
(保障措置協定第一条
(b)
)が、今回の
らば施設を加え、あるいは施設を除くことができる」
インドの保障措置では施設の分類は「持続的であって、撤回されない」からである。これ
国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 24
米印核協力と核不拡散の課題
によって「一定の透明性の確保と監視が可能になり、インドの核プログラムに対してイン
(31)
パクトを与えることに成功した」
。インドを「核兵器国」とは認めないという立場からす
ると、
「核兵器国」との差別化という点で、重要な論点であった。
しかしながら、インド側にとって「特にインドに向けた保障措置」の核心は、燃料供給
が妨げられたときの「矯正手段」の存在である。特定の核施設を保障措置から自由に離脱
させることができるわけではないという点では、
「核兵器国」と同じ水準であるとは言えな
いが、過去 30 年間インドを悩ませてきた核燃料供給問題において、保障措置からの離脱の
権利を示唆しつつ、供給途絶が生じないように、3 段階に及ぶ具体的な保障策(32)を米国に約
束させた意味は大きい。
このように、民生用および軍事用核施設の分離案については、ほぼインド側の主張どお
りとなったと言ってよい。これについては、マンモハン・シン首相が首脳会談後の記者会
見で「大統領のイニシアティヴに感謝する。彼の指導力なしには、この日はたぶんこれほ
(33)
ど早くはこなかったであろう」
と述べているが、額面どおりに受け止めてよいのではない
か。両首脳の直接会談が相違点を解決したのではなく、ブッシュ大統領によるインド側提
案の原則的受け入れが、両者の相違点を消滅させたのであろう。同大統領は、
「特に原子力
〔これまでとは〕違った考え方をすることによって、われわれはいくつか重要な目
について、
(34)
的を達成することができる」
と考え、30 年以上にわたって米印関係をこじらせてきた問
題に終止符を打つことを最優先としたのである。
それらがどのような目的であるのかは、必ずしも明らかではない。急成長する経済、軍
事協力の可能性、エネルギー問題、米国核関連産業への影響、イラン核開発問題など、い
くつか考えられるものの、どれも決定的とは言えない(35)。しかし、国内の、しかも閣外協
力諸政党の反対にもかかわらず、IAEA 理事会でイラン核問題を国連安保理に付託する決議
に賛成したインド政府(36)を、ブッシュ大統領が高く評価したことは間違いなかろう。つま
りブッシュ政権は、米国とのグローバルな戦略上の立場の共通性を重視するがゆえに、よ
り多角的なレジームとして曲がりなりにも維持されてきた核不拡散上の原則を棚上げし、
最大の核兵器国であるにもかかわらず、インドに関しては妥協したのである。
自前で核兵器能力を開発し、またその技術を他国に伝播することもまったく行なってい
ないインドは、
「平和利用から軍事利用への転用」という狭い意味での「拡散」の範疇には
収まりきらない。むしろ、その核兵器開発能力の「不拡散」の実績をこそ評価すべきであ
り、そのうえで、米国の自発的な同盟者として処遇することが、米国の、そしてブッシュ
政権の利益にかなう、このような考えこそが、米印間の核合意をこれだけ短期間のうちに
可能とした要因であろう。
おわりに
2006 年 3 月の米印合意を受けた米印核協力促進法案は 7 月 26 日、大きな修正もなく、359
対 68 の大差で米下院を通過した。審議の過程では、インドの核兵器開発を制約するいくつ
かの修正案が示され、それらがインド国内の反発を生んだが、そうした修正案はすべて否
国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 25
米印核協力と核不拡散の課題
決された。米議会がブッシュ政権の「グローバル・パートナー」としてのインドという認
識を共有していることが示された、と言ってよかろう。
最大の核兵器保有国である米国が、6 番目の核爆発国であるインドを、NPT の枠外で核協
力に迎え入れる準備が、着実に進んでいる。すでにフランスやロシア、中国などは、イン
ドやパキスタンに核物質や核施設を供給してきた。したがって、米印核協力は、NPTが、い
かなる国家であれコストを度外視する意志と能力があれば、条約外での自前の核開発をし
ようとすることを阻止できないこと、そうした国家が、核抑止の考え方に忠実であり、核
不拡散にも熱心であれば、また時間の経過とともに一定の信頼が獲得されれば、実質的に
核不拡散レジームに招き入れられること、それゆえ、同条約は不平等な核抑止体制は構築
できても、核廃絶には結びつかないことを、またもや示すものとなった。
しかしながら、唯一の超大国である米国がこの現実を裏書きする意味は非常に重い。西
欧諸国はこれを支持し、より積極的にインドとの核協力を進めようとするであろう。米国
の積極的な姿勢の下で、中国や日本の反対がどの程度持続できるかも、未知数である。
さらに問題であるのは、こうした核不拡散レジームの侵食が、米国の世界戦略に起因す
る石油価格の高騰と、その結果としてのエネルギー安全保障という文脈で進んでいること
である。石油価格の高騰と供給の不安定は、相対的に原子力発電のコストを引き下げ、イ
ンドのように、総発電量の 3 パーセントしか原子力に頼っていない国では、より安定的で
「クリーン」なエネルギーとして、核への依存を高めたいという志向が生まれつつある。そ
の結果、イランとのガス・パイプライン計画が米印核協力と競合させられたように、西ア
ジアの反米的なエネルギー富裕国からインドを引き離す手段として、核合意が使われてき
た。
これらは、核の問題が単独の問題として国際政治のなかで議論されることが、ますます
少なくなることを意味している。言い換えれば、
「良い核」と「悪い核」があり、問題なの
は「悪い核」だけである、という考え方である。これまでの核不拡散レジームは、この点
で微妙な曖昧さがあった。しかし、今回の核合意が国際的に承認されれば、実はこれこそ
が核不拡散条約の考え方そのものであったことが白日の下に晒されることになる。それで
核戦争の危機は、大きくはならないかもしれない。しかし、核廃絶の契機は確実にダメー
ジを受けるであろう。かつての核廃絶提唱国、インドと、最大の核兵器国、米国の間の核
合意は、核をめぐる国際社会の方向性を根底からくつがえす可能性をもっている。
( 1 ) “U.S.–India Joint Statement,” March 2, 2006(http://www.state.gov/p/sca/rls/pr/2006/62418.htm)
.
( 2 ) インド側は CTBT 加入の条件として商業用原子炉の輸出解禁を求めたと思われるが、米上院によ
る CTBT 批准拒否の後は、より一般的に、こうした技術規制の解除を求めるようになった。2000 年
7 月 27 日のインド上院における外務担当国務大臣アジット・クマル・パンジャの書面答弁を参照。
Parliament Questions(Rajya Sabha)
, Unstarred Question No. 547 answered on 27. 07. 2000(http://rajyasabha.
nic.in/)
.
( 3 ) 原発 2 基の建設については、ロシアは NSG 加入前のソ連時代の協定に基づくとして正当化した。
( 4 ) Brajesh Mishra, “India, United States and the New World Order: Prospects for Cooperation,” Speech at the
国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 26
米印核協力と核不拡散の課題
Council of Foreign Relations, New York, May 7, 2003(http://www.indianembassy.org/indusrel/2003/nsa_cfr_
may_7_03.htm)
.
( 5 ) たとえば、“Editorial: Dual-use Terminology,” The Times of India, 15 January 2004, あるいは “Editorial:
Implications of a Partnership,” The Hindu, 15 January 2004, 参照。
( 6 ) Amit Baruah & R. Ramachandran, “Russian fuel for Tarapur ruled out,” The Hindu(Online Edition)
, 6 Dec.
2004, 参照。
( 7 ) Chidanand Rajghatta, “Natwar returns empty handed,” The Times of India(Online)
, 15 Apr. 2005.
( 8 ) “US, EU sweat over Iran,” The New York Times, June 27, 2005.
( 9 ) “Interview: Indian Prime Minister Singh,” The Washington Post, July 21, 2005.
(10) “Pipeline: Left concern over Manmohan’s remarks,” The Hindu(Online Edition)
, 23 July 2005.
(11) Siddharth Varadarajan, “Manmohan, Karzai moot gas pipeline project,” The Hindu(Online Edition)
, 29 Aug.
2005.
(12) “Indo–Iran pipeline by year end,” The Times of India(Online)
, 3 Sep. 2005.
(13) A. G. Noorani, “Volte-Face on Iran,” Frontline, Nov. 18, 2005, p. 8.
(14) Steven R. Weisman, “India Balks at confronting Iran, Straining Its Friendship With U.S.,” The New York
Times, Sep. 15, 2005.
(15) “All deals with India are on: Iran,” The Times of India(Online)
, 28 Sep. 2005.
(16) たとえば、Swaminathan S. Anklesaria Aiyar, “Imported gas can burn the finger,” The Times of India
(Online)
, 27 Aug. 2005 や、“Gas pricing dogs pipeline talks,” The Times of India(Online)
, 30 Dec. 2005 など
を参照。
(17) “I am quite capable of defending myself: Natwar,” The Times of India(Online)
, 6 Nov. 2005.
(18) “Natwar Singh relieved of External Affairs,” The Hindu(Online Edition)
, 8 Nov. 2005. ナトワル・シンは
辞任を拒否したため、解任されたと報じたものもある。Bhaskar Roy, “Volcker effect: Natwar Singh
removed as Foreign Minister,” The Times of India(Online)
, 7 Nov. 2005.
(19) Hearing on U.S.–India Civil Nuclear Cooperation Initiative; R. Nicholas Burns, Under Secretary for Political
Affairs; Remarks as Prepared for the Senate Foreign Relations Committee; Washington, DC, Nov. 2, 2005
(http://www.state.gov/p/us/rm/2005/55969.htm)
.
(20) “The US. and India: An Emerging Entente?” Hearing before the Committee on International Relations, House
of Representatives, 109th, First Session, September 8, 2005(http://www.state.gov/p/us/rm/2005/52753.htm)
.
(21) Hearing on U.S.–India Civil Nuclear Cooperation Initiative; Robert G. Joseph, Under Secretary for Arms
Control and International Security; Prepared Remarks before the Senate Foreign Relations Committee;
Washington, DC, Nov. 2, 2005(http://www.state.gov/t/us/rm/55968.htm)
.
(22) “State’s Burns Optimistic on U.S.–India Nuclear Cooperation Deal: Hopes to reach agreement before Bush’s
state visit to India in March”(http://usinfo.state.gov/sa/Archive/2006/Jan/20-426610.html)
. インド政府が提示
した民生用核施設のリストについて、デイヴィッド・マルフォード駐印米大使はインド・プレ
ス・トラストとのインタビューで、信頼性テストを満たしておらず、米議会が核協力に好意的に
行動するうえで「最小限必要とする水準」に達していない、と述べた。“India should vote against Iran
or Nuke deal will ‘die’: US,” The Times of India(Online)
, 25 Jan. 2006.
(23) Siddharth Varadarajan, “Question mark over Indo–U.S. nuclear deal,” The Hindu(Online Edition)
, 7 Feb.
2006.
(24) Pallava Bagla, “US shifting goalpost on n-deal: Atomic Energy chief,” The Indian Express, February 6, 2006.
(25) “Left hard on Iran, mum on FDI in retail,” The Times of India(Online)
, 25 Jan. 2006, and “Let people know
about nuclear deal with U.S.: former Ambassadors,” The Hindu(Online Edition)
, 7 Feb. 2006.
(26) “India should vote against Iran or Nuke deal will ‘die’: US,” op. cit.
国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 27
米印核協力と核不拡散の課題
(27) Chidanand Rajghatta, “Nuclear deal within reach, on US terms,” The Times of India(Online)
, 29 Jan. 2006.
(28) “Suo-motu Statement by Prime Minister Dr. Manmohan Singh in Parliament on Civil Nuclear Energy
Cooperation with the United States,” 27 Feb. 2006(http://meaindia.nic.in//speech/2006/02/27ss01.htm)
.
(29) Press Briefing in India by R. Nicholas Burns, Under Secretary of State for Political Affairs, New Delhi, India,
March 2, 2006(http://www.state.gov/p/us/rm/2006/62424.htm)
.
(30) “Suo-Motu Statement by Prime Minister Dr. Manmohan Singh on Discussions on Civil Nuclear Energy
Cooperation with the US: Implementation of India’s Separation Plan,” 7 March 2006(http://meaindia.nic.in/
speech/2006/03/07ss01.htm)
.
(31) Press Briefing in India by R. Nicholas Burns, March 2, 2006, op. cit.
(32) まず核エネルギーの平和利用に関する米印協定に核燃料供給についての保証を盛り込み、次に両
国が IAEA と特にインドに向けた核燃料協定の交渉を行ない、第三に、それでも供給停止が生じた
場合は、両国で友好的な供給国のグループを招請し、供給再開を追求する。
(33) “Bush, India’s Singh Sign Civil Nuclear Cooperation Agreement: President Bush praises pact, predicts
Congress will approve deal”(http://usinfo.state.gov/sa/Archive/2006/Mar/02-806725.html)
.
(34) 同じ記者会見でのブッシュ大統領の発言。Ibid.
(35) Siddharth Varadarajan, “Beyond the deal,” Frontline, Mar. 24, 2006, pp. 5―8.
(36) インド政府は、2005 年 9 月のみならず、06 年 2 月の IAEA 理事会でも、安保理への付託を求める
決議案に賛成した。
よしだ・おさむ 広島大学教授
[email protected]
国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 28
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