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Nara Women`s University Digital Information Repository

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Title
「小説の主人公のように幸福だ」-サルトル『嘔吐』-(3)
Author(s)
三野, 博司
Citation
三野博司 : 人間文化研究科年報 (奈良女子大学大学院人間文化研究
科) , 第23号 , pp. 1-11
Issue Date
2008-03-31
Description
URL
http://hdl.handle.net/10935/2888
Textversion
publisher
This document is downloaded at: 2017-03-29T19:53:48Z
http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace
「小 説 の主 人公 の よ うに幸福 だ」
一 サ ル トル 『嘔 吐 』一(3)
三
第1部
序
第2部
第3部
第3部
博
司*
章
第1章
デ ・フ オー
第2章
バ ルザ ッ ク
第3章
ヴ ァ レ リー
第4章
ジッド
第5章
マル ロー
第6章
ブ ル トン
第7章
プルー ス ト
終
野
章
へ の序
「小 説 の 主 人公 の よ う に幸 福 だ」
北 フ ラ ンス の 地 方 都 市 に住 む孤 独 な 独 身 者 ロ カ ン タ ン は、
あ る 日 、 日記 に この よ うに 書 き記 す 。 この 言 葉 が 示 して い る よ うに 、 実 存 主 義 小 説 で あ るサ ル ト
ル の 『嘔 吐 』 は 、 同 時 に 「小 説」 と 「幸 福 」 につ い て の 物 語 で もあ る 。 しか しな が ら、1930年 代
に お い て 、小 説 や 幸 福 につ い て の 言 説 を 批 評 意 識 な しに もの す る こ とは で き な い だ ろ う。 サ ル ト
ル は さ ま ざ まな小 説 ジ ャ ンル をパ ロ デ ィー 化 しなが ら、 そ こ に彼 個 人 が抱 え て い た 問 題 を も忍 び
込 ませ て 、 エ ク リチ ュー ル に よる 解 決 を は か ろ う と した の で あ る。
私 た ちは 、本 稿 の 第1部 第1章
か ら第3章
に お い て1、 『嘔 吐 』 が デ ・フ ォ ー 『ロ ビ ン ソ ン ・ク
ル ー ソー の 冒 険』 の パ ロ デ ィ と して 姿 を あ らわ す こ と、次 に 、 こ こ に はバ ル ザ ッ ク な どの 写 実 主
義 ・ さ ら に は 自然 主 義 小 説 的 描 写 が取 り込 ま れ て い る こ と、最 後 に、 ヴ ァ レ リー の 野 心 を真 似 よ
う とす る 意 図 が 見 られ る こ とを論 じた 。
続 く第2部
の 第4章
と第5章
にお い て は2、 『嘔 吐 』 とジ ッ ドの 日記 体 小 説 お よ びマ ル ロ ー の 冒
険小 説 との 比 較 考 察 を お こ な っ て、 サ ル トル の作 品 が 先 行 す る小 説 ジ ャ ンル を批 評 的 意 識 の も と
に模 倣 しつ つ 、 小 説 に つ い て 考 察 す る小 説 と な っ て い る こ と を 明 らか に した。
こ う した視 点 の も とか ら、 引 き続 き第3部 で は 、 サ ル トル に先 行 す る20世 紀 小 説 の 書 き手 で あ
る ブ ル トン と プル ー ス トを取 り上 げ る 。
第6章
ブ ル トン
『嘔 吐 』 に は ブ ル トンお よ び シ ュ ル レ ア リス トた ちの 作 品 との 関 連 も見 出 され る。 ア ンセ ル は 、
詩 集 の な か に 電 話 帳 か らの 抜 粋 を挿 入 した シ ュ ル レア リス トた ち の 手 法 を真 似 て 、 サ ル トル が
*比 較 文 化 学 専 攻
欧米地域文化情 報学講座
一1一
『嘔 吐 』 の な か に あ ら ゆ る 種 類 の 断 章 を挿 入 し て い る こ と を指 摘 して い る3。 まず ロ ル ボ ン侯 爵
に 関 す る も の と して は 、 ジ ェ ル マ ン ・ベ ル ジ ェ の 歴 史 書(P.18)4、
(p.21)、
ロル ボ ン 自身 の 回想 録 の 断片(p.70)、
か らの 引 用 と して は 、 『大 百 科 事 典 』(p.36)、
セ ギュ ー ルの伝 える挿話
ド ・ジ ャ ン リ夫 人 の 言 葉(p.116)、
次 に書 物
『ウ ー ジ ェニ ー ・グ ラ ンデ 』(p .58)、 『ブ ー ヴ ィ
ル 出 身偉 人 小 辞 典 』(p
.109)、 新 聞記 事 と して は 、 少 女 強 姦 の 記 事(p.120)、
の 三 面 記 事(p.190)、
歌 の 歌 詞 と して は 『い つ か近 い 日 に』(p .29)、 バ ー ・ ド ・ラ ・マ リー ヌ
で 聞 く恋 歌(p.122)、
さ ら に は レス トラ ン 「ボ タネ亭 」 の 献 立(p
.124)等
『ブ ー ヴ ィ ル紙 』
々で あ る。 ロカ ン タ
ンは 日 々 の大 半 を ブ ー ヴ ィル の 市 立 図書 館 で 過 ごす の だ が 、 『嘔 吐 』 とい う作 品 自体 が ま る で図 書
館 の よ うに さ ま ざ ま な文 書 を収 蔵 して い る と い え る だ ろ う。 そ して 、 ロ カ ン タ ン と同様 に この 図
書 館 を生 存 の 場 と して い る独 学 者 が ジ ャ ンル を問 わず 雑 多 な書 物 を読 み 進 め る よ う に、 『嘔 吐 』 に
挿 入 され る テ クス トも、 じつ に多 岐 に わ た っ て い る。 ライ ヤ ール は 、 次 の よ う に述 べ て い る 。 「『嘔
吐 』 そ れ 自体 が 図 書 館 の よ う に構 成 さ れ て い る。 一 読 して 、 『嘔 吐 』 の 文 体 の多 彩 さは 明 らか だ 。
そ こ に この 小 説 の 弱 点 を見 た評 者 もい た が 、 他 方 で これ は意 図 に か な っ た巧 み な 翻 案 で あ り、 探
索 の 道 具 と して 有 効 な多 様 性 が は た ら い て い る と指 摘 した 評 者 もい る」5
と こ ろで 、 シ ュ ル レア リス ムへ の 目配 せ は 他 に もあ る。 ロ カ ン タ ンが 夢 の な か で モ ー リス ・パ
レ ス の ズ ボ ン を 脱 が せ て尻 を打 つ 挿 話 は 、 ブ ル ト ン とそ の 友 人 た ち が1921年 に お こ な っ た 虚構 の
パ レス裁 判 を想 起 させ る だ ろ う。 また 、 イ ッ トは 、 ロ カ ン タ ンが ム カデ や 蛾 や 焼 きパ ンで で きた
獣 た ち の夢 を見 た り(P.72)、
虫 に変 身 した 舌 の 夢 を見 る(P.188)と
き、 そ れ が 『ナ ジ ャ』
で 語 られ る ブ ル トンの 夢 を想 起 させ る と指 摘 して い る6。
『ナ ジ ャ』 は1920年 代 の パ リ を舞 台 と して い る。 第1次
大 戦 後 、相 対 的 に安 定 した時 代 を迎 え
て 、 経 済 的 ・軍 事 的 力 の 騎 りと対 応 す る よ う に 、 フ ラ ンス 、 と りわ け パ リの 文 化 の 華 や か さ が 世
界 の 注 目 をあ つ め る よ う に な る。 表 面 的 に は戦 後 復 興 と安 定 の 時 代 で あ った1920年 代 は 「狂 乱 の
歳 月(lesann6esfolles>」
術 家 た ち一
と呼 ばれ 、 ワ イザ ーが 『
祝 祭 と狂 乱 の 日々 』 で 描 く よ う に、 才 能 あ る芸
作 家 、 画 家 、 音 楽 家 、 舞 踊 家 、 デ ザ イ ナ ー一
が 綺 羅 星 の ご と くパ リ に集 ま っ て 、
華 麗 な活 動 を繰 り広 げ た 。 パ リ は ま さ し く 「巨 大 な縁 日市 」7で あ った 。
シ ュル レア リス トの 詩 人 が 妖 精 ナ ジ ャ と出 会 う の は そ う した時 代 の パ リで あ っ た。 この 出会 い
に つ い て 語 る前 に 、 ブ ル ト ンは次 の よ う に書 き記 して い る。
「い ず れ にせ よ、 以 上 に紹 介 した 観 察 と、 以 下 に紹 介 す る 観 察 とが 、 あ る 人 々 を して 、 自分 自 身
に つ い て な され た い わ ゆ る厳 密 な 計 算 や 、 ま た、 充 分 に前 もっ て考 え抜 か れ 、 首 尾 一 貫 し た実 現
を必 要 とす る行 動 が すべ て 空 無 で は な く と も、 お そ ろ し く不 十 分 な の だ と 自覚 させ 、 つ い に は彼
ら を して 街 の な か に飛 び 出 させ る よ う な性 質 の もの で あ れ ばい い と、 ぼ くは 思 う」8
こ う して 、 街 に飛 び 出 せ ば 、思 い が け な い 出 来 事 に 出 会 うの で あ る、1926年 の ブ ル トン 自身 の
よ う に...。 お そ ら く1920年 代 の パ リは 、 そ う した 出 来 事 との遭 遇 を可 能 にす る街 で あ っ た の だ 。
しか し、 ロ カ ン タ ンが 住 む の は20年 代 の繁 栄 が 過 ぎ去 っ た30年 代 の 田 舎 町 ブ ー ヴ ィ ル で あ る。 そ
こで 彼 が 出 会 うの は、 凡 庸 な市 民 た ちで しか ない 。
ブ ー ヴ ィル の街 を さ ま よ う ロ カ ン タ ン と、 パ リの 街 を彷 復 す る ブ ル トン の違 い は歴 然 と して い
る 。 『嘔 吐 』 に お い て 、 サ ル トル は、 通 りの 角 で 驚 異 と出 会 う こ と を主 張 した シュ ル レ ア リ ス トの
夢 想 を椰 楡 して い る よ う に 見 え る 。 す で に見 た よ う に 、 ロ カ ン タ ン に と っ て 、 冒 険 家 の企 て は む
一2-♪
な しい もの だ っ た 。 世 界 の果 て まで 出 か け て も、 もは や 冒 険 に出 会 う こ とは な い の だ 。 そ して 、
小 さな 町 の 定 住 者 と な っ た ロ カ ン タ ンは 、 日曜 日 の朝 、 浮 き立 つ 気 分 で街 へ と出 か け て い く。 繁
華 街 の雑 踏 に 身 を任 せ て 彷 裡 し、 夕 方 に な る と、 燈 台 の 明か りが 灯 るの を見 て 、 「自分 の 心 が 大 い
な る 冒険 の気 持 で い っ ぱ い にな るの を感 じる」(p.65)。
け て 、彼 は、 「ひ とつ の 冒 険 が 私 に起 き る[..り]私
さ ら に人 通 りの 無 くな っ た 通 りを歩 き続
は小 説 の 主 人 公 の よ うに幸 福 だ」(P.66)と
日記 に 書 きつ け る の で あ る。 や が て 日が 暮 れ て 宵 闇 が 落 ち る と、 ロ カ ン タ ンは 街 角 の 暗 闇 の なか
で 「何 か が 自分 を待 っ て い る」(p.66)と
信 じて 、 「
幸 福 の 絶頂 に触 れ たか の よ う に」(p.67>思
わ れ て 、 ゆ っ く り と町 を歩 く。 ま るで 至 る と こ ろで 驚 異 の 交 感 と徴 候 を見 出 す 『ナ ジ ャ』 の語 り
手 の よ う に。 とこ ろ が 、 彼 が ど こ まで 歩 い て も、 バ ス ・ド ・ヴ ィエ イ ユ通 りに も、 デ ュ コ トン広
場 に も、何 も見 い だ す こ と は で き ない 。 ブ ー ヴ ィル で は何 事 も起 こ ら な い し、妖 精 ナ ジ ャの代 わ
りに 、 ロ カ ン タ ン を待 って い る の は カ フ ェ ・マ ブ リー の 会 計 係 の 女 な の で あ る 。 「冒 険 の 気 持 ち
[_]そ
れ が行 って しま っ た と き、 い か に 私 は 白 々 しい 気 持 ち に な る こ とだ ろ うか!」(p.68)
そ れ ゆ え 、 ア ンセ ル が 指 摘 す る よ う に、 「『嘔 吐 』 は 『ナ ジ ャ』 の 辛 辣 なパ ロ デ ィで あ る[...]
冒険 は 、 世 界 の 果 て に も、 街 角 に も ない 。 そ れ は く 書 物 の な か 〉 に しか 、 言 葉 や く 頁 の背 後 〉 に
しか な い の だ 」9。
『ナ ジ ャ』 も、 『嘔 吐』 も と もに 同 時 代 の 政 治 的 ・社 会 的事 件 には ま っ た く触 れ て い な い 。前 者
は ひ たす ら シ ュル レア リス ム の深 遠 な る美 学 を 開 陳 す る だ け で あ り、 後 者 は存 在 に関 す る哲 学 的
思 弁 を長 々 と繰 り広 げ る 。 しか しそ こ に はや は り、 パ リ と田 舎 町 の 相 違 に基 づ きな が ら も、1920
年代 と1930年 代 が 刻 印 され て い る よ う に見 え る 。 物 語 の 最 後 で 、 ロ カ ン タ ンは ブ ー ヴ ィ ル を去 っ
て 、 パ リに 移 住 す る決 心 をす る 。 しか し、 そ の パ リ は もは や ブ ル トンが ナ ジ ャ と出 会 っ たパ リで
は な い だ ろ う。
第7章
プル ー ス ト
『嘔 吐 』 と 『失 わ れ た 時 を求 め て 』 との類 似 点 は 、 た び た び指 摘 さ れ て きた 。 まず 、 『嘔 吐 』 の
冒頭 に置 か れ た 「日付 の な い紙 片 」 は、 『
失 わ れ た 時 を求 め て』 の不 眠 の夜 と同 じ よ うな序 奏 の役
割 を果 た して い る。 さ ら に、 ゴ ル ドン に よれ ば 、 ロ カ ン タ ンの マ ロニ エ 体 験 は 、 プル ー ス トの小
説 の 語 り手 が コ ン ブ レー に お い て マ ロニ エ の 下 で読 書 をす る場 面 を想 起 させ る 。 また ロ カ ン タ ン
の小 石 は 、 ゲ ル マ ン トの館 にお け る 敷 石 につ まつ く体 験 に、 さ ら に カ フ ェで マ ドレー ヌ とい う名
の女 給 が ビ ー ル を運 ん で くる場 面 は 、 プチ ッ ト ・マ ドレ ー ヌ の体 験 と呼 応 して い る とい う こ と に
な るlo。
だ が ゴ ル ドンの これ らの指 摘 は 、 い さ さか 深 読 み の き らいが あ る よ う に も思 わ れ る。 い っ そ う
顕 著 な類 似 点 と して は 、 マ ロニ エ 体 験(あ
る い は小 石 体 験)と
マ ドレー ヌ体 験 、 ア ニ ー の完 壁 な
瞬 間 と プ ル ー ス トの 特 権 的 瞬 間 、 ジ ャズ 音 楽 とヴ ァ ン ト ゥイユ の ソナ タ、 そ して小 説 の結 末 に お
け る創 作 へ の意 志 表 明 を あ げ る こ とが で き る。
まず 、 プ ー レは 、 ロ カ ン タ ン に よる マ ロ ニ エ 体 験 を驚 異 的 な一 節 で あ る と して 、 これ を プ ル ー
ス トの マ ドレー ヌ 体 験 と と も に、20世 紀 文 学 の もっ と も有 名 な場 面 で あ る と述 べ だ1。 た しか に 、
小 石 か らマ ロ ニ エ に至 る 「吐 き気 」 の 体験 は 、 『失 わ れ た時 を求 め て』 の語 り手 に よる無 意 志 的 記
憶 の体 験 と類 似 関係 にあ る だ ろ う。 セ ス ラ ンは 、 ブ ー ヴ ィル は 「反 コ ンブ レー」 で あ る と述 べ て 、
-3一
ブ ー ヴ ィル で は事 物 の 背 後 に虚 無 が 発 見 され る の に 対 して 、 コ ン ブ レ ー で は そ こ に充 溢 が 見 出 さ
れ る こ と を指 摘 す る 。 そ して 、 こ の 二 つ の 小 説 にお い て は 、 「サ ル トル が存 在 と呼 ぶ もの と、 プ ル
ー ス トが 時 間 と名 づ け る もの
、 そ の 両 者 に たい す る 人 間 の勝 利 が 主 題 とな っ て い る」 夏2。
この よ う
に、 マ ロ ニ エ 体 験 とマ ドレー ヌ 体 験 、 そ して ブ ー ヴ ィル と コ ン ブ レ ー を対 比 させ る こ とは 可 能 で
あ るだ ろ うが 、 た だ コ ン ブ レー は プ ル ー ス トの 長 大 な小 説 の 冒 頭 の 一 章 を な して い る に す ぎな い 。
次 に は 、 『嘔 吐 』 と 『失 わ れ た 時 を 求 め て』 全 体 の 関係 を問 う こ とが 必 要 だ ろ う。
『嘔 吐 』 で は 、 冒頭 の小 石 と終 結 部 の マ ロ ニ エ との 間 に、 種 々 の 出来 事 が 整 理 され 、 順 序 立 て て
展 開 さ れ る 。 まず は じめ に小 石 が 問 題 を提 起 し、 最 後 に樹 木 の根 が 解 答 を あ た え る の だ が 、 そ の
間 に知 的 探 求 が 展 開す る 。 「
種 々 の 物 体 、感 情 、 場 面 は解 読 すべ き シー ニ ュ と して ロ カ ン タ ンの前
に現 れ 、 最 終 的啓 示 にお い て そ の意 味 を見 出 す の で あ る 」13とビ ア ンコ は述 べ て い る 。 こ う した シ
ー ニ ュ解 読 の 過 程 は
、『
失 わ れ た 時 を求 め て』 の 展 開 と相 同で あ る。 平 井 啓 之 は ドゥル ー ズ に倣 っ
て 、 『嘔 吐 』 も 『
失 わ れ た 時 を求 め て 』 も と も に 「シー ニ ュ の 習 得 の 物 語 」14であ る と指 摘 す る 。
そ う した観 点 に立 て ば 、 到 達 点 の マ ロ ニ エ 体 験 で は な く、 む し ろ出 発 点 と して の 小 石 の 体 験 が マ1
ドレ ー ヌ体 験 と比 較 で き る だ ろ う。 小 説 の 冒 頭 で は 、 〈 小 石 〉が プ ル ー ス トの く マ ドレー ヌ 〉 と
同 様 に特 権 的 シ ー ニ ュ と して現 れ る。 た しか に小 石 は 吐 き気 と不 快 を伴 い 、 そ れ が 導 くの は偶 然
性 と虚 無 で あ り、 他 方 で マ ドレー ヌ は幸 福 へ の 予 兆 に彩 られ て 、 最 後 に は 「見 出 さ れ た 時 」 の発
"一/学
」
見 へ と至 る 。 両 者 の導 く方 向 は反 対 の よ う だが 、 しか し、 『嘔 吐 』 に も、 あ とで 述べ る よ う に 、文
的 エ ク リチ ュ ー ル に よ る救 済 が 暗 示 され て い る の で あ る
。
アニ ーが 求 め る 〈 完 壁 な瞬 間 〉 は プ ル ー ス トの特 権 的 瞬 間 に類 似 して い る 。 た だ 、 よ り厳 密 に
は 、 ラ イ ヤ ー ル が 述 べ て い る よ う に 、 ア ニ ー の 完 壁 な 瞬 間 とは 「失 わ れ た 時 間 の 探 求 で は な く、
特 権 的 状 態 とい う形 態 の な か で と らえ られ た 時 間 の結 晶化 で あ る」15。ア ニ ー か ら手 紙 が 来 て 、 ロ
カ ン タ ン は彼 女 が 瞬 間 を意 の ま ま に支 配 す る こ と を夢 み て 、 「〈完 壁 な 瞬 間 〉の 実 現 をつ ね に欲 し
て い た」(P.75)こ
と を思 い 出 す 。 そ れ は 、 ロ カ ン タ ンの か つ て の 冒 険 の 日 々 と結 び つ い た ロ マ
ネ ス ク な体 験 の 記 憶 で あ る 。
や が て ロ ル ボ ンの伝 記 執 筆 を放 棄 し、他 人 の 過 去 も 自分 の過 去 も蘇 生 させ る こ と に失 敗 した ロ
カ ン タ ンは 、 救 済 へ の 期 待 を こめ て 、 パ リで ア ニ ー と再 会 す る。 こ う して ロ ル ボ ンの 第 二 の死 に
続 い て 、 ア ニ ー の完 壁 な瞬 間 につ い て の議 論 が 提 示 され る こ と に な る 。 歴 史 とは時 間 に統 一 性 を
あ た え る こ とで あ る が 、 ロ ル ボ ン の伝 記 執 筆 が 挫 折 して 、 そ う した統 一 性 探 求 の有 効 性 が つ い え
た あ と に 、今 度 は生 の 体 験 の な か で時 間 を管 理 支 配 す る試 み が 語 られ る の で あ る。 再 会 した ア ニ
ー は 自分 の 完 壁 な瞬 間 の 体 験 が どこ か ら来 た か を語 る。 『失 わ れ た 時 を求 め て 』 の語 り手 が書 物 や
幻 灯 の 絵 に よ っ て世 界 の 最 初 の 啓 示 へ と導 か れ た よ う に 、 ア ニ ー は ミシ ュ レの 歴 史 書 の 挿 絵 の な
か で 類 似 の 学 習 体 験 を行 っ た 。 挿 絵 は テ クス トの 持 続 か ら切 り離 さ れ た 瞬澗 を提 示 し、 そ こ には
現 実 が 凝 集 して 、存 在 が 光 を放 っ て い る よ う に見 え た 。 しか し、 こ う した 試 み もむ な しか っ た 。
再 会 した ア ニ ーが 次 に語 っ た こ と は 、幻 滅 で あ り、 「完 壁 な瞬 間 は 存 在 しな い」(p.170)と
いう
こ とで あ る。 そ して ロ カ ン タ ン も確 認 す る 。 「そ うだ 、 た しか に そ うだ 。 冒険 は ない の だ一
完壁
な 瞬 間 は な い の だ 。[...]私
た ち は 同 じ幻 影 を失 っ た、 同 じ道 を た ど った の だ」(P.177)
今 度 こ そ 決 定 的 に アニ ー を失 っ た ロ カ ン タ ンは 、 ブ ー ヴ ィ ル に戻 っ て くる。 ペ ー ル ・ラ シ ェ ー
ズ の 丘 か らパ リ を 眺 め る ラス テ ィ ニ ヤ ッ ク に も似 て 、 ロ カ ン タ ン も また 丘 か ら町 を見 下 ろ して 、
-4-
.
そ こ に住 む 「ろ くで な し」 た ち を憎 悪 し なが ら、 自分 の 人 生 の や り直 しを考 え る 。 しか し彼 の 場
合 、 そ れ は ふ た た び襲 っ て くる だ ろ うく 吐 き気 〉 にお び えつ つ 、敗 北 を確 認 す る こ とで しか な い 。
「私 の 過 去 は 死 ん だ。 ド ・ロ ル ボ ン氏 は 死 ん だ。 アニ ー は も どっ て きたが 、 そ れ は 私 か らあ
らゆ る希 望 を剥 奪 す る た め だ っ た」(p.185)
だが 、 あ りとあ ら ゆ る扉 を叩 い て も答 が 得 られ ず 、 い っ さ い の希 望 が 失 わ れ た と思 った そ の 瞬 間 、
不 意 に 一 つ の 扉 が 開 くの で あ る。 『失 わ れ た時 を求 め て』 にお い て 、 ゲ ル マ ン ト大 公 邸 の午 後 の パ
ー テ ィ に出 席 す る た め 馬 車 か ら降 り立 っ た と きの 主 人 公 が そ うで あ っ た よ う に
。 こ う して ア ニ ー
との 再 会 に失 敗 した ロ カ ン タ ンは ブ ー ヴ ィル に戻 っ て くる の だが 、 そ こで 音 楽 に導 か れ て 芸術 創
造 に よる 救 済 を予 感 す る。
『嘔 吐 』 で は 、 な に よ り も音 楽 が もた らす 啓 示 が 救 済 の 予 兆 とな る 。 『嘔 吐 』 にお け る音 楽 の 果
たす 役 割 は 、 プ ル ー ス トにお け る ヴ ァ ン トゥ イユ の ソ ナ タや 七 重 奏 曲 の そ れ に近 い もの だ が 、他
方 が 貴 族 の サ ロ ンで演 奏 さ れ る 室 内 楽 あ る い は ソナ タ で あ る の に対 して 、 こ こで は場 末 の カ フ ェ
で 聴 か れ る ジ ャ ズ で あ る 。 他 方 が 名 手 た ち に よる 生 演 奏 で あ るの に対 して 、 こ こで は擦 り切 れ た
レ コ ー ドか ら流 れ て くる 再 生 音 楽 で あ る。 そ して 、 こ の ア メ リ カの 黒 人 の歌 は 、 ヨー ロ ッパ の貴
族 あ る い は ブ ル ジ ョワ の音 楽 とは 、 は っ き り と時代 と世 界 の違 い を主 張 して い る 。
ポ トゥ ロは 、 「私 た ち は ヴ ァ ン トゥイ ユ の作 曲が 示 す 変 貌 か らは 遠 い 地 点 に い る」 と述 べ る。 「ヴ
ァ ン トゥイ ユ の 曲 は 、 プ ル ー ス トの 語 り手 に対 して 、 流 動 す る さ ま ざ ま な 印 象 や 、 あふ れ で る解
釈 や 説 明 を 呼 び 起 こす 。 と こ ろが こ こで は、 隠喩 は 際 だ っ て単 純 で あ り、物 語 の 意 図 と一 致 し、
本 質 と存 在 の 間 の 対 比 を強 調 して い る 」16。
『嘔 吐 』 。
『お い て 音 楽 は三 度 語 られ る 。 まず 第 一 回 は・ カ フェ で ロ カ ン タ ンが い つ も愛聴 して い
る ジ ャズ の レ コ ー ド 『い つ か 近 い う ち に』 を か け て くれ る よ うマ ドレー ヌ に依 頼 す る場 面 で あ る。
彼 女 が 間違 っ て 『カバ レ リ ア ・ル ス チ カ ー ナ』 を か け なれ ば い い が 、 とロ カ ン タ ン は思 う。 ポ ト
ウ ロ は、 こ の ロ カ ン タ ンの 懸 念 の な か に、 社 会 的 に認 知 され た ブ ル ジ ョワ趣 味 の 華 美 な音 楽 と、
民 衆 の音 楽 とが 対 比 され て い る と述 べ る 。 そ して 、 「ニ ュー ヨー ク生 ま れ で 、英 語 の歌 詞 の この 曲
は 、 別 の 社 会 、 別 の 社 会 階級 、 ひ と こ とで 言 え ば異 国 性 を喚 起 させ 、 そ して ロ カ ン タ ン に とっ て
は消 え て い くく 冒 険 〉 の香 気 の よ う な もの を思 い起 こ させ る の で あ る」17。や が て レ コー ドか ら音
楽 が 流 れ 出 て 、 そ の 幸福 感 の な か で ロ カ ン タ ンの く 吐 き気 〉が 消 え る。 「私 の 外 部 に 、 あ の鋼 鉄 の
帯 の よ う な もの 、 音 楽 の 緊 密 な持 続 が あ る[_]別
タ ンは 、偶 然 性=吐
の 時 間 が あ る」(p.28)。
こ こで まず ロ カ ン
き気 に対 抗 しう る 時 間 と して の音 楽 を発 見 す る の で あ る。
そ して第 二 回 目 は、 ロ カ ン タ ンが 物 語 の 冒 頭 部 分 につ い て の さ ま ざ ま な試行 を繰 り返 しなが ら、
同 時 に ジ ャズ の歌 へ と想 念 を転 化 す る場 面 で あ る。
「黒 人 の 女 が歌 う と き、 ど ん な に か 私 は 幸 福 で あ ろ う。 も し私 く 自身 の生 活 〉が 旋 律 の 素 材
とな っ て い た ら、 ど ん な頂 点 に も私 は 達 した こ とだ ろ う」(P.48)
こ こで ロ カ ン タ ンは 実 際 に音 楽 を耳 に して い る わ け で は ない が 、 自分 の幸 福 につ い て 考 え なが ら、
あ の ジ ャズへ 、 そ して そ れ を歌 う黒 人 歌 手 へ 、 さ ら に旋 律 の 素 材 へ と思 考 を差 し向 け る。 こ の幸
福 につ い て の 記 述 は 、 続 い て語 られ る 「小 説 の 主 人 公 の よ う に幸 福 」 で あ る とい う一 文 の バ リエ
ー シ ョ ンで あ るが 、 ロ カ ン タ ン は、 自分 の 生 活 が 芸 術 の形 式 の な か に取 り込 ま れ て 、 そ こで く偶
然 性 〉 か ら脱 却 して 一 つ の 統 一 を獲 得 す る こ と を夢 想 す る 。 彼 の 生 活 は他 者 の手 に よ って 旋 律 の
一5一
丁
・
素 材 とな り、 さ ら に他 者 に よ っ て 歌 わ れ る こ とに よっ て 救 済 され る の で あ り、 こ こで は他 者 へ の
依 存 が 顕 著 で あ る。
以 上 の二 回 は 、 第 三 回 目、 す な わ ち物 語 の 最 終 部 分 で も繰 り返 され 、 確 認 され る。 ブ ー ヴ ィ ル
を 出 立 す る前 日、 「鉄 道 員 さ ん の 店 」 で 、 ロ カ ン タ ンは 最 後 に も う 一 度 『い つ か近 い 日 に』 を聴
く6こ こ で ロ カ ン タ ンは 、 ジ ャ ズ を聴 き なが ら 、 「芸 術 に慰 安 を求 め る な ん て 、 そ ん な 馬 鹿 者 た ち
が い る 」(P.205)と
、 ブ ル ジ ョ ワ音 楽 や 、 気 取 っ た コ ンサ ー トへ の 嫌 悪 を 隠 しは しな い 。 ロ カ ン
タ ンが 音 楽 に求 め る の は 美 が もた らす 慰 安 で は な い 。彼 が 必 要 と して い る の は 、 音 楽 を作 り出 す
人 た ちへ の想 像 力 な の だ 。
「彼 ら、作 曲家 と歌 手 は 、 私 に とっ て 、 い く らか 死 者 の よ うで あ り、 い くらか 小 説 の 主 人 公
た ち の よ うで あ る 。..」(p.209)
再 び 、 小 説 の 主 人 公 の 幸 福 が 想 起 さ れ る 。 そ う した音 楽 の 効 果 と同等 の もの を小 説 の な か に求 め
る こ とが 期 待 され る の で あ る。 す な わ ち 音 楽 とは 冒 険 と同 じ よ う に、 吐 き気 に対 抗 し うる もの で
あ り、 そ れ は 時 間 に 一 つ の 秩 序 をあ た え る 。 そ して ロ カ ン タ ン 自身 の 生 活 を 素 材 と して旋 律 が つ
くられ る こ と を彼 は 空想 す る。
「私 に試 み る こ と はで き な い だ ろ うか...も
ち ろ ん 、 そ れ は歌 の 旋律 と は な らな い だ ろ う...
しか し他 の ジ ャ ンル で で きな い だ ろ うか?...そ
れ は一 冊 の本 で あ るべ きだ ろ う 、 そ れ 以 外
の こ と は な に も私 に はで き な い か ら。 しか し歴 史 の 本 で は な い 。 歴 史 は存 在 した もの につ い
て語 る
[...]た
存 在 す る も の は 、 他 の 存 在 す る もの の 存 在 を 絶 対 に 正 当 化 す る こ とが で きな い
とえ ば 一 篇 の 物 語 、 あ りえ ない よ う な一 篇 の 冒険 。 そ の物 語 は 鋼 鉄 の よ う に美 し く
硬 く、 人 々 に彼 らの 存 在 を恥 ず か し く思 わせ る ほ ど の もの で な け れ ば な ら ない[_]一
冊の
、
書 物 。 一 篇 の 小 説 」(pp.209-210>
こ こで 、 い か に もた め らい が ち に ロ カ ン タ ン は語 る 。 否 定 の 疑 問形 と条 件 法 を用 い て 、彼 は、 自
信 な げ に 、 お ず お ず と 自問 し始 め る。 こ の 逡 巡 の方 向 定 め の あ と、 よ う や く一 つ の言 葉 が 発 せ ら
れ る一
小 説 、 と。 こ う して ジ ャズ 音 楽 につ い て の想 念 は 、 つ い に は み ず か ら小 説 を書 く決 意 へ
と至 る こ と に な る。
過 去 を 蘇 らせ る こ と に失 敗 した ロ カ ン タ ン は 、 あ りえ ない よ うな 冒 険 の物 語 を夢 想 す る。 冒 険
は 書 物 の な か に しか 、 そ して物 語 の な か に しか存 在 しない 。 とす れ ば 、 ロ カ ン タ ンは 、 自分 自 身
を 素 材 に 、 み ず か ら小 説 を書 く しか な い だ ろ う。 す な わ ち、 自分 自身 が み ず か ら書'く小 説 の主 人
公 に な る こ と。 こ う して 、 ロ ル ボ ンに つ い て の本(歴
史 書)を 書 く試 み か ら出 発 した ロ カ ン タ ン
は 、 次 に ロル ボ ンに つ い て の小 説 を書 くべ き だ っ た と考 え、 最 後 に 自分 自 身 を素 材 に 一 編 の小 説
を書 く こ と を想 像 す る 。 こ こ に は二 つ の 転 換 が あ る 。 一 つ は対 象 が 他 者 か ら 自 己へ と移 行 す る ご
と。 他 者 を語 る こ とは 不 可 能 で あ り、他 者 の 存 在 を正 当 化 す る こ と はで きな い か らだ 。 も う一 つ
は ジ ャ ンル の 変 更 で あ る。 歴 史 書 か ら小 説 へ 。 ノ ン フ ィ ク シ ョ ンか ら フ ィ ク シ ョ ンへ 。
『嘔 吐 』 の 終 結 部 は しば しば プ ル ー ス トの パ ロデ ィだ と言 わ れ て きた。 ロ カ ン タ ンは 、小 説 を書
くこ と に よ る救 済 を ほ の め か す 。 しか し、 「鋼 鉄 の よ う に美 し く硬 い」 物 語 とは どの よ うな物 語 な
の だ ろ うか 。 こ こ で は 書 物 の 中 身 は 問題 と は な らな い こ とに注 意 して お く必 要 が あ る だ ろ う。 ロ
カ ン タ ンが何 を書 こ う と して い る の か 、 私 た ち に は わ か らな い 。彼 に とっ て重 要 なの は書 物 の 内
容 よ り もそ の 効 果 で あ る。 自 分 の 書 い た もの が他 者 に よ っ て読 まれ 、 自分 が 書 物 の 作 者 と して 世
一6一
で
間 に 認 め られ る こ と
そ れ が 彼 の 望 ん で い る こ とな の だ 。
「そ の 小 説 を読 め ば つ ぎの よ うに い う ひ とび とが い る だ ろ う、 『これ を書 い た の は ア ン トワ ー
ヌ ・ロ カ ン タ ンだ 、 あ の男 は カ フ ェ を う ろつ き まわ って い た赤 毛 の奴 だ っ た』 と。 私 が あ の
黒 人 の 女 の生 活 を考 え る よ う に、 彼 らは 私 の 生 活 を考 え る だ ろ う」(P.210)
ロ カ ン タ ン に とっ て は 、 書 物 を書 くこ とに よ る 自己 救 済 よ りも、 そ れ が 読 者 に受 け 入 れ られ て 、
読 者 に と って 彼 の生 活 が 意 味 を もつ こ とが 重 要 で あ る 。孤 独 な生 活 を 送 り、 他 者 を嫌 悪 してい た
ロ カ ンタ ンで あ る が 、救 わ れ るた め に は他 者 が必 要 なの で あ る 。 プ リ ンスが 言 う よ うに 、 「書 か れ
るべ き小 説 は、 ロ カ ン タ ンが 集 団へ と 回帰 し、 社 会 へ と定着 す る た め の修 行 過 程 に他 な ら ない だ
ろ う」i8。こ う して 、 ロ カ ン タ ンは最 後 にあ れ ほ ど嫌 悪 して い た他 者 の構 成 す る社 会 へ と向 か う こ
とが 暗 示 され る。
他 方 で プ ル ー ス トの語 り手 が 読 者 に期 待 す る もの は これ とは 異 な っ て い る。 そ もそ もそ れ を読
者 と呼 ぶ こ と は不 正 確 で さ え あ る 。
「なぜ な ら私 の考 え で は、 彼 らは 私 の読 者 で は な くて 、 自分 自 身 の こ と を読 む読 者 だ か らで
あ る 。 私 の 本 は 、 コ ン ブ レ ー の 眼 鏡 屋 が お 客 に差 し出 す よ う な 、一 種 の 拡 大 鏡 にす ぎ ない の
で あ る か ら。 私 の本 、 そ れ に よ っ て私 は彼 ら に 、 自分 自身 の こ とを読 む 手 段 を提 供 す る だ ろ
う」19
ロ カ ン タ ンが 読 者 に 「私 の 生 活 」 を 考 え る よ う求 め る の に対 して 、 プ ル ー ス トの語 り手 は 読 者 が
「自分 自 身 の 内部 」 を読 む よ う に、 そ して そ こで 読 まれ る言葉 が 、 「ま さ し く私 の書 い た言 葉 か ど
うか 」、 そ れ を言 っ て くれ る よ う に望 む の で あ る。
ロ カ ン タ ンの 小 説 執 筆 へ の 決 意 は 「お そ ら く」 と い う語 に まつ わ りつ か れ て 、 そ れ が 実 現 に至
るか ど うか は 不 確 か な ま まで あ り、彼 の 小 説 は計 画 だ け に と ど ま っ て い る 。 プ ル ー ス トの 語 り手
が 、 長 い 人 生 経 験 を集 大 成 して 語 り終 え る の に対 して 、 ロ カ ン タ ン の 日記 は 中断 され て 、 未 来 に
開 か れ た ま まで あ る。 物 語 の最 後 の場 面 で 、 彼 は ブ ー ヴ ィル を立 つ 電 車 を待 って い る。 「明 日、 ブ
ー ヴ ィ ル に は 雨 が 降 る だ ろ う」(p .210)。 こ れ が ロ カ ン タ ンの 日記 、 す な わ ち 『嘔 吐 』 の 結 びで
あ る。 明 日雨 が 降 る とい う予 測 は立 て ら れ て も、 ロ カ ン タ ンが 小 説 を書 き上 げ る とい う予 測 につ
い て は不 確 定 な ま まで あ る 。 結 局 、彼 が 書 くこ とが で きた の は 「日記 」 と 「日付 の な い紙 片 」 だ
け で あ り、刊 行 者 は こ れ を18世 紀 小 説 の 手 法 を真 似 て 差 し出す の で あ る。
そ して 、 も う一 つ 、 不 確 定 な こ とが あ る。 そ れ は ロ カ ン タ ンが 意 図 した小 説 が 、果 た して 『嘔
吐 』 なの か ど うか とい う こ とだ 。 『失 わ れ た 時 を求 め て 』 の語 り手 が 書 こ う と した 小 説 は、 そ の ま
ま読 者 が 読 ん で きた 物 語 で あ る こ とが 暗 示 さ れ 、 そ れ ゆ え に そ の 姿 が 鮮 明 で あ る。 他 方 で 、 ロ カ
ン タ ンが 書 こ う と して い る小 説 は不 分 明 な ま ま 、彼 の 日記 は 中 断 す る。 サ ル トル は 、 プル ー ス ト
の よ う に、 物 語 の 終 わ りで予 告 さ れ る 本 を、 読 者 が これ ま で読 ん で き た本 で あ る と思 わせ る よ う
な仕 掛 を ほ ど こ して は い な い 。
しか し後 年 に な って 、1967年 来 日時 の イ ン タヴ ュ ー の なか で 、 サ ル トル は 次 の よ うに 述 べ て い
る。 「プ ル ー ス ト以 後 、 フ ラ ンス小 説 に ひ とつ の傾 向 が あ る」20。そ れ は作 家 が 、 作 品 が完 全 な全
体 性 に な る た め に、 作 品 の な か に 、 自分 が そ の本 を書 く とい う事 実 を正 当 化 す る もの を提 示 しな
け れ ば な ら な い こ と を意 識 し始 め た こ とで あ る 。 そ して、 実 際 、作 品 は小 説 を書 くとい う決 意 に
よ っ て終 わ らな け れ ば な ら ない 。 サ ル トル 自身 、 『嘔 吐 』 を書 い た と き、 た しか に こ の こ とを意 識
一7一
して い た の で あ る 。 そ して 、 当 時 彼 は、 究 極 的 に は 、根 源 的 で絶 対 の 価 値 は文 学 の価 値 だ と考 え
て い た 。 ロ カ ン タ ンの書 こ う と した小 説 が 『嘔 吐 』 な の か ど うか は分 か らな い 。 「しか し実 の と こ
ろ 、 『嘔 吐 』 は 彼 の書 き う る唯 一 の 小 説 で は な い か」21と、 サ ル トル は言 う。
プ ル ー ス トは 一 生 をか け て 小 説 を書 い た が 、 サ ル トル は 『嘔 吐 』 の あ と、 『自 由へ の道 』 を 未完
の ま ま 残 して 小 説 か ら去 っ て しま う。小 説 を放 棄 した サ ル トルが 書 き続 け た の は伝 記 で あ る。 ボ
ー ドレー ル
、 ジ ュ ネ、 そ して畢 生 の 大 作 フ ロ ー ベ ー ル 、 さ ら に 自分 自 身 の 伝 記 ま で も。 ロ カ ン タ
ン は伝 記 を放 棄 して 小 説 に手 を染 め よ う とす る 。 しか し、 サ ル トル は そ の 逆 の 道 を歩 ん だ 。 そ し
て 、70歳 の サ ル トル は 、 自伝 『言 葉 』 が 、 『嘔 吐 』 や 『自 由へ の道 』 以 上 に真 実 で な い わ け で は な
く、 「『言 葉 』 と い うの も一 種 の小 説 で あ り、 私 が 考 え る と ころ の 小 説 、 そ れ で もや は り小 説 と言
え る 小 説 な ん だ 」22と、 言 うの で あ る 。
終章
私 た ち は 『嘔 吐 』 が 小 説 史 の パ ロデ ィ で あ る こ と を見 て きた。 これ まで 取 り上 げ た作 家 以 外 に
も・ カ フ カ との 類 似 や フ オー ク ナ ー な どの ア メ リ カ小 説 の 影 響 が 指 摘 され て きた し、 ま た 、 エ ピ
グ ラ フ に セ リー ヌ 『教 会 』 か らの 引 用 が 使 用 され て い る こ とが 示 す よ う に 、 『夜 の果 てへ の旅 』 と
の 関 連 も議 論 され て きた 。 ま た 、作 家 以外 に も、 『嘔 吐 』 の な か に は 、 パ ス カル 、 デ カ ル ト、 ミシ
ュ レ 、 ル ナ ンな どの 名 が 現 れ る。 す で に 「ブ ル トン」 の 章 で 述 べ た よ う に、 『嘔 吐 』 自身が 「図 書
館 」 に よ っ て構 成 され て い る の で あ る 。
『嘔 吐 』 は さ ま ざ まな小 説 の ス タ イ ル を パ ロデ ィ化 しつ つ 、 反小 説 の 身 振 りを見 せ なが ら、 実 の
と こ ろ は か な りロ マ ネ ス ク な構 成 を もっ て い る 。物 語 は 絶 え ず 逸 脱 しな が ら も 、全 体 と して は探
偵 小 説 を まね た探 求 物 語 の 展 開 をみ せ る し、 非 冒 険 者 と して の ロ カ ン タ ンは 実 は 内 面 の 冒険 者 で
あ り・ 反 ヒー ロ ー の ヒー ロ ー で もあ る。 ヴ ァ レ リー や ブ ル トン と同 様 に ロ マ ネ ス ク の 罠 に警 戒 を
怠 ら な か っ た サ ル トル は 、 ロ マ ネ ス ク の パ ロ デ ィ を通 して も う一 つ の ロ マ ネ ス ク な世 界 を作 りあ
げ た とい え る。 「ま っ た く文 学 的 な観 点 か らす る とあ れ は私 が 書 い た な か で 、 一 番 良 い もの だ ろ う
な」23と、 老 境 に入 っ た サ ル トル は 回 想 す る 。
ロ カ ン タ ン は小 説 を書 き上 げ 、 そ れが 他 人 に よ っ て読 まれ る こ とで救 わ れ る と考 え た。 しか し、
残 さ れ た彼 の 日記 は ど うな の だ ろ うか 。 彼 は これ を 人 に読 ま れ る こ と を期 待 して 書 い た の だ ろ う
か 。 実 は 、 「日記 」 を書 くこ とで 、 そ して そ れ が 読 まれ る こ とで救 わ れ る の は 、 ロ カ ン タ ンで は な
くてサ ル トル で あ る。 一 人 の サ ル トル が 日記 を書 き、 そ して も う一 人 の サ ル トル が 、 巧 妙 な 手 つ
きで 、 こ の 日記 の刊 行 者 に な りす ま し、 「緒 言 」 を書 く。 ロ カ ン タ ンの 小 説 は 書 か れ な い 。 しか
し・ す で に 「ジ ッ ド」 の章 で 述 べ た よ う に 、 サ ル トル は 、 ジ ッ ドの 手 法 を真 似 て 、 不 可 能 な 小 説
の代 用 品 と して ロ カ ン タ ンの 日記 を差 し出 す の で あ る 。 こ う して 、 サ ル トル は他 者 を見 出 した 。
しか もベ ス トセ ラ ー と な っ た 『嘔 吐 』 に よ っ て 、 予 想 以 上 の 多 くの他 者=読 者 を獲 得 した の だ 。
救 わ れ た の は ロ カ ン タ ン で は な く、 サ ル トル な の で あ る 。
自伝 『言 葉 』 の な か で 、 サ ル トル は 『嘔 吐 』 執 筆 時 を振 り返 っ て 、 次 の よ う に書 い て い る 。
「私 は30歳 の と き、 う ま い や り方 を見 つ け た 。 つ ま り 『嘔 吐 』 の な か に、 私 の 同族 の正 当 化
さ れ な い 不 快 な 実 存 を書 き一
信 じて も らっ て よ い が 、 私 は本 気 だ っ た一
私 の実存 を将外
に置 い た 。 私 は ロ カ ン タ ンだ っ た。 私 は 自 己 満 足 もな し に、 ロ カ ン タ ンの うち に 自分 の 人 生
一8一
の概 略 を示 した の で あ る。 そ れ と 同 時 に 私 は私 だ っ た 。 選 ばれ た 人 、 地獄 の 年 代 記 編 集 者 、
私 自 身 の 原 形 質 液 の 上 に か が み こ ん だ 、 ガ ラ ス と は が ね で で き た 写 真 顕 微 鏡 だ っ た 。[...]
骨 ま で詐 術 の 犠 牲 と な り、 か つ が れ た私 は 、 われ わ れ の 不 幸 な条 件 に つ い て 楽 しげ に書 い て
い た 。 独 断 的 で あ っ た 私 は す べ て を 疑 っ た が 、 懐 疑 す べ く選 ば れ た 人 間 で あ る こ と は 疑 わ な
か っ た 。 私 は 、 片 方 の 手 で 破 壊 し て い た も の を 、 一 方 の 手 で こ し ら え 直 して い た の で あ る 。
そ し て 不 安 を 私 の 安 全 の 保 証 と 見 な し て い た 。 私 は 幸 福 だ っ た 」24
こ う して作 家 は 、 自分 自身 を安 全 圏 に置 きな が ら、 自分 が 生 き る時 代 の不 快 な 実 存 と不 幸 な条 件
を作 中 人 物 に 課 し、 そ れ を 書 く こ と で み ず か ら は 救 わ れ る の で あ る 。 ロ カ ン タ ン に と っ て は 小 説
を書 く こ と に よ る効 果 が 重 要 で あ っ た よ う に 、 サ ル トル に と っ て も 、 『嘔 吐 』 執 筆 は 美 学 的 と い う
よ り倫 理 的 問 題 で あ っ た 。 こ.れ は 、 ジ ッ ドが
「中 心 紋 の 手 法 」 に触 れ て 、 作 品 が そ れ を 書 く 人 に
及 ぼ す 影 響 を論 じ た こ と を 想 起 さ せ る 。1893年9月9日
の
『日記 』 で ジ ッ ドは 、 「作 品 は わ れ わ れ
か ら 生 ま れ る も の だ が 、 同 時 に わ れ わ れ を 変 え 、 わ れ わ れ の 生 の 歩 み を 変 え る 」25の だ と 書 い た 。
サ ル トル が
『嘔 吐 』 を 生 み だ す こ と で 得 た 効 果 も 、 同 様 の も の だ っ た の で は な い だ ろ う か 。 「私 は
幸 福 だ っ た 」 と 、 『嘔 吐 』 執 筆 時 を 回 想 し て サ ル ト ル は 言 う 。
「小 説 の 主 人 公 の よ う に 幸 福 」 だ っ た の は 、 結 局 サ ル トル な の で あ る 。
注
1.三
野博 司
「
小 説 の 主 人 公 の よ う に幸 福 だ
サ ル トル
『嘔 吐 』(1)」
年 報 』、 第21号 、 奈 良 女 子 大 学 大 学 院 人 間 文 化 研 究 科 、2006年
2.三
野博司
「
小 説 の 主 人 公 の よ う に幸 福 だ
サ ル トル
4.『
〈危μ∫6θ4θノ顔 η一
、P伽1∫oが7ε,Bordas.1982,p.80
嘔 吐 』 に つ い て の 指 示 は 、Jean-PaulSartre,(翫w郡Ro'πoη
Gallimard,1981に
7.ウ
。
.
ε5卯ε∫,《Biblioth6quedelaPl6iade》
〈硫配∫48漉 ゐP∫ απだ,《Coll.Pochecritique》,Hachette,1972
,p.74。
代 パ リ』、 河 出 書 房 新 社 、
、p.285.
8.Andr6Breton,1>oの
9.YvesAnsel,ρ
α,in(翫w65co砲
ρZ2'651,《Biblioth6quedeIaP16iade》,Gallimard,1988,p.681
∫46》,inB那 〃ε伽4εZα
50c観64ε ∫o履548ルZα7cθ ムPm配 ∫∫ε'48307π ∫546Co配 わ㎎y,No31,1981,pp.323-330.
11.GeorgesPoulet,E砺4ε
∫5配〃 ε∫
ε彫ρ∫加 〃τo加3,EditiondeRocheち1964
12.R6myGSaisselin,《Bouvilleoul賢anti-Combray》inηz6」F陀
13.Jean-FrangoisBianco,Lα
井啓之
.
ρ.c肱,p.90.
10・PaulineNewman-Gordon,《SartrelecteurdeProustoulestylede加1>磁
14.平
,
ハぬ配5464θ5α π形,《Profild'une㏄uvre》,Hatier,1971,p.14.
ィ リ ア ム ・ワ イ ザ ー 、 岩 崎 力 訳 、 『祝 祭 と狂 乱 の 日 々1920年
1986年
、 『人 間 文 化 研 究 科
よ り、 当 該 箇 所 のペ ー ジ数 の み を記 す 。
5.GeorgesRaillard,Lα
6.Genevi色veIdt,加
。
『嘔 吐 』(2)」
年 報 』、 第22号 、 奈 良 女 子 大 学 大 学 院 人 間 文 化 研 究 科 、2007年
3.YvesAnsel,Lα
、 『人 間 文 化 研 究 科
,p.229.
ηc乃Rεv∫8w,No33
、
∼ね房566485α πκ,Bertrand-Lacoste
,1960,p.237.
,1997,p.27.
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15.GeorgesRaillard,(功.c瓦,p.54.
16.Jean-LouisPautrot,《Roquentindanslamusique》,inLα
-9一
ル短5'g昭oめ1∫4θ ,Droz,1994,p.35.
.}
17.1わ'4.,p.43.
18.GeraldPrince,《RoquentinetIelangagenaturel》,in50π
泥 θ"α
ηz'∫θ6η ∫'8ηθ,6dit6parIssacharoffet
Vilquin,Klincksieck,1982,p.113.
19.MarcelProusちA1αR6c乃
θ励
ε4〃
ε即5ρ
επ1配1罵
《Bilblioth6quedelaPl6iade》,Gallimard,1989
P.610.
20.加
2!.乃
藤 周 一 他
『サ
ル
ト ル
と の 対 話
』、
人 文 書
院 、1967年
、p.70.
∫4.
22.Jean-PaulSartre,《EntretiensurMoi-meme》,in5枷
α∫∫oπ5X,Gallimard,1976,p.155.
23.1わ'4.
24.Jean-PaulSartre,乙
25.Andr6Gide,」
θ∫ ル10'3,Gallimard,1964,PP.209-210。
∂配rηα1乙
《Biblioth6quedelaPl6iade》,Gallimard,1996,Pユ71・
-10-
1
« Je suis heureux
comme
un héros de roman
»
— La Nausée de Sartre (3) —
MINO Hiroshi
Latroisième
partie
consiste
endeuxchapitres
etuneconclusion.
Au6echapitre,
autraversde la comparaison
dela flânerie
de Roquentin
à Bouville
avecla
promenade
dunarrateur
deNadjadanslesquartiers
deParis,nousarguons
queSartreparodie
larêverie
desSurréalistes
quivoulaient
rencontrer
lemerveilleux
aucoindesrues.
Au7echapitre,
noustraitons
desressemblances
entreLaNausée
etA la Recherche
dutemps
perdu: le vertige
de l'existence
sousunmarronnier
et la scènedela petitemadeleine,
les«moments
parfaits»
prêtés
à Annie
etlestempsprivilégiés
chezProust,
lachanson
dejazzécoutée
aucaféetla sonate
deVinteuil
jouéedanslessalons,
etladécision
delarédaction
d'unroman
à lafindurécitchezRoquentin
etchezlenarrateur
deLaRecherche.
Cependant
malgré
cesressemblances
il y a unedifférence
définitive
:
la réalisation
duroman
queRoquentin
souhaite
écrireresteincertaine,
et le lecteur
nepeutsepersuader
queLaNausée
qu'ilvientdeliresoiteffectivement
leroman
écritparRoquentin.
Dansla conclusion,
nousinférons
quec'estSartrequia étésauvé
parl'écriture
du«Journal
de
Roquentin»,
etquec'est.lui-même
quiétait«heureux
comme
unhérosderoman».
—11—
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