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Page 1 37 シモーヌ・ド・ボーヴォワールの作品における 旅行体験の記述

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Page 1 37 シモーヌ・ド・ボーヴォワールの作品における 旅行体験の記述
3
7
シモーヌ・ド・ボーヴォワールの作品における
旅行体験の記述と語りの諸相
一一アメリカと中国の記述をめぐって一一
伊ヶ崎泰枝
シモーヌ・ド・ボーヴォワールは, 1
9
4
7年のアメリカ旅行, 1
9
5
5年の中国旅行について,
それぞれルポルタージ、ユ『アメリカその日その日』を 1
9
4
8
年に,中国紀行『長い歩み Jを
1
9
5
7年に出版している
O
この二冊の執筆は,数多く訪れた国の中で政治体制の異なるこの
二つの国が彼女の関心をヲ i
いたことを示している。
アメリカ訪問以前のこの国に対する印象については,回想録『女ざかり』において,若
きサルトルとボーヴォワールがドス・パソスやへミングウェイの小説技法に傾倒し,また
ジャズやハリウッド映画にアメリカを見出していた様子が描かれている。その一方で、,左
翼知識人らしいアメリカ資本主義体制への嫌悪も表明しており
1
) 憧れと反感が入り交じっ
た複雑な感情を読み取ることができる。これに対して,中国についての言及は稀であり,
ボーヴォワールはアジアの発展途上国であるこの国の異国性を強調し,
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理解しようと努
めながらも入っていけない国 J(
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7
9
) であると述べている。毛沢東政権に対する
情報がほとんどなく,神秘と誤解に満ちたイメージが先行する当時の状況から,この国を
アメリカとは違った風に描き出すこととなる。
本論では,アメリカと中国の旅行体験をボーヴォワールが自身の作品にどのように反映
させたかを,それらの記述の語りに注目しながらみていきたい。
1.書簡『サルトルへの手紙J
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ネルソン・オルグレンへの手紙 j にあら
わ れ た ア メ リ カ の 印 象 と 『 ア メ リ カ そ の 日 そ の 日 J執筆過程
1
9
4
7年から 1
9
5
1年にかけての計 5回のアメリカ旅行の度に ボーヴォワールは起こった
9
4
7
年の 1月から 5月にかけての最初の
ことの詳細をサルトルに書き送っている。中でも 1
滞在の折には,アメリカで受けた印象,歓喜と発見を生き生きと書面で伝えている。
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とりわけボーヴォワールはニューヨークの街に魅了され,書面はニューヨークの文字で
8日の手紙では,
埋め尽くされている。また 2月2
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唯一のアメリカの思い出なので手紙を
なくさないで、ほしい J(
LS
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.
3
1
8
) とサルトルに注意を f
足している。帰国後,ボーヴォワー
ルはアメリカについてのルポルタージ、ュを 1月2
5日から 5月2
0日の日記という形で書くこ
とを決意し,
r
メモはなかったが,サルトルあての長い手紙や手帳に書き込んだ面会の約
束が記憶を助けた J(
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1
8
0
) と後の回想録の中で、語っている。したがって,サルト
ルに書き送った手紙は,フランスに帰ってから回顧的に書いた日記である『アメリカその
日その日』の第一の草稿であると位置づけることができる。
一方,最初のアメリカ滞在中シカゴで恋愛関係となったアメリカ人作家ネルソン・オル
9
4
7年から 1
9
6
4
年まで文通が続くことになる。彼にあてた書簡のプラ
グレンとの聞には, 1
イベートな一人称の語りの中で,例えば,ボーヴォワールはオルグレン以外には決して使
わなかった「私の夫」という呼びかけを用いて,周囲の人々との関係,日常生活,後の回
想録に書いたような幼少期,思春期の思い出の断片を語っている。最初の滞在からの帰国
直後,時に日に二回ものペースで書かれた手紙の中で,ボーヴォワールは自分の仕事の現
場をオルグレンに語っており,
r
アメリカその日その日』の執筆過程を窺うことができる。
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また,同書に知っていること全てを語ることができない事情を説明し,これに関する見
解と対応策を述べている O
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オルグレンとのシカゴでの出会いの部分の記述を『アメリカその日その日』の中で省略す
ることについては次のように書き送っている。
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このように作家同士の相互理解を前提として,執筆過程における制約や自らの文学観を
書簡で伝えている。したがって,この時期のほぼボーヴォワールの日記にも相当するサル
トルへの手紙とオルグレンへの手紙の中の一人称の語りの中で,アメリカ体験の第一印象
およびルポルタージ、ユ執筆過程の舞台裏を見出すことができる。
r
2. アメリカその日その日 j (
1
9
4
8
)
上述したように,ボーヴォワールは第一回目のアメリカ旅行からの帰国後,ルポルター
ジ、ユ『アメリカその日その日 Jに着手し,その執筆途中の同年 1
9
4
7
年に,オルグレンに再
会するために二週間ほどアメリカに再び滞在し,この二度目の体験をも同書に織込んで、い
るO ボーヴォワールがこの作品に用いた日記形式は,作品構成の不在,および物語の論理
の欠如によって特徴づけられる。 2) 例えば,列車の中での黒人の寝台車係との会話につい
て「このような細細としたことが,ここでは人々との関係を暖かく楽しくし,旅行を活気
づける J(LS
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.
3
1
5
) と 2月2
8日にサルトルに書き送っており,このエピソードを『アメ
3日の出来事として記述している。このように気紛れな
リカその日その日』の中では 2月2
順序をなす日記形式は一見なんでもない些末なエピソードを書き加えることを可能にして
おり,回顧的に書かれた『アメリカその日その日』はその日その日に受けた印象と感動の
直接的な伝達を模倣していることがわかる O
また,この作品はボーヴォワールの最初の自伝的作品であり,
r
読書契約」を序文の中
に見出すことができる。 3)
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事実,この日記の中の一人称はところどころでボーヴォワールの自伝的要素を誘い込み,
とりわけ,外国に身を置くことで受けた感覚から,自身の中の記憶の連鎖によって幼少期
の思い出がいくつもの場面で喚起されており,この作品に叙情性を与えている点は見逃せ
ない。一例をあげよう。 4) 飛行機の着陸に際して,語り手は次のような感想を綴っている。
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在を体験を通して,日記形式によってその印象を書き写すことで,語り手であるレポーター
自身の自伝的な要素を巻き込み,主観的,感覚的な表現をもたらしているのである。自身
の目で見たものを,主観的となる危険を冒しながら忠実に証言するというこの態度こそが
異色のルボルタージ、ユを生み出しており,ボーヴォワール独特の手法であるといえよう。
『アメリカその日その日 Jの一人称の語りは,ルボルタージ、ユに要求される客観的なリア
リスムと,自己を投入することによってもたらされる主観性との混合によって特徴づけら
れているといえる O
r
3. レ・マンダラン J(
1
9
5
4
) における恋愛体験の小説化
1
9
5
4
年に出版された小説『レ・マンダラン』もまた,ボーヴォワールのアメリカでの体
験を違った形で映し出している。この小説は,フランス知識人階層の戦後直後からの数年
を描き出し,左翼知識人アンリの意識に内的焦点化された三人称の語り 5)と精神科医アン
ヌによる一人称の語りのほぼ章ごとの交替の形をとっている。精神科医であるアンヌは第
6章において精神分析学の国際学会のためにはじめてアメリカを訪れる。ボーヴォワール
がオルグレンに出会ったのと同じようにアンヌは作家ルイス・ブローガンに出会い,第 8
章
, 1
0章にて彼と再会するために再び大西洋を渡る O
この自伝的作中人物アンヌとアメリカ人作家ルイス・ブローガンとの恋愛は,回想録
『或る戦後』によれば,ボーヴォワール自身のオルグレンとの恋愛体験を数多くの部分に
おいて反映するものである。ところで,先程引用したオルグレンへの手紙にもあったよう
に,この小説に語られているアメリカでの体験の大部分,すなわちオルグレンとのシカゴ
での出会いは,ルポルタージュ『アメリカその日その日 Jの中で語ることを避けた部分に
他ならない。回想録『或る戦後』の中でボーヴォワールは次のように証言している。
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この恋愛体験の小説化の過程で, 1
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9
5
1年にかけてのボーヴォワールの計 5回
9
5
1年の最
のアメリカ旅行は小説においてアンヌの 3回の旅行に凝縮されている O また, 1
後のアメリカ滞在から小説刊行の 1
9
5
4
年の聞の,この体験を結晶化させた時の作用も指摘
しなければならないであろう。
さて,いうまでもなく小説に描かれた恋愛物語は作家の想像力で発展させたものである。
例えば回想録の中では,ボーヴォワールがオルグレンとの恋愛の終りを,
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3
4
3
) と非常に簡潔に語り,シカゴでの思
しかなかった。私はけりをつけた J(FC
い出を不景気と左翼の分裂という行き詰まった時代の中で葬り去っている。一方,小説に
おいては,この大西洋横断の恋愛の終局の悲嘆とフランス左翼の挫折はアンヌを自殺未遂
2章にて,友人ポールのハンドバッグから奪った毒薬の小瓶を
へと導いている。最終章第 1
片手にアンヌは内省にふける。数ページに及ぶ彼女の独自を通して,彼女の人生への無関
心,疲労,老いへの恐怖,孤独が読み取れる一方で,人生のさまざまの時期の幸福も反す
うされ,自殺をあきらめる直前までの幾多の矛盾した思索の跡を読み取ることができる。
このように,作者自身の経験から出発しながらも,アンヌの一人称の語りによって,ア
メリカでの体験は小説的変形を伴って表現されている。作者の分身ともいえる主要登場人
物の一人称の語りが,
I
自伝的欲動 J
6
)によって自伝的な要素の流入を,すなわち,他の作
品で語らなかった部分をもたらしたとも指摘で:きる。ともあれ,ボーヴォワールは自由な
想像力に委ねた虚構の一人称の語りの中で自らの恋愛体験を生き返らせているといえる。
4.回想録『或る戦後 j (
1
9
6
3
) への恋愛体験の記述
さて,
r
アメリカその日その日』の中で言及を避け,小説『レ・マンダラン』の中で
「不正確に J(FC
,1
,p
.
1
7
6
),すなわち小説的変形を伴って語られた,作者の「生涯の中の
唯一の本当に情熱的な恋愛 J7)であるシカゴでのネルソン・オルグレンとの出会いのエピ
9
6
3
年刊行の回想録『或る戦後』の中で再度記述されることになる O この
ソードは,後の 1
恋愛物語をもう一度とりあげ,事実を記述することで, 1
9
6
3年の時点から見た自らの過去
の総括を行っている。ところで,一連の回想録の中でボーヴォワールはサルトルとの二人
の関係のいわば修史官としての役割をも果たしている。 8) このアメリカでの体験は,生活,
思想を常に共有するサルトルとの関係においてという,小説とは異なる文脈の中でとらえ
4
2
られている。
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このように,アメリカでの恋愛体験の記述は何十年と続いてきたサルトルとの関係を見
直しその問題点を説明する機会となっていることがわかる。すなわち,二人の関係を必然
的な結び付きとし,しかし同時にそれぞれの偶然的な恋愛にも余地を残すという,作者が
回想録の中で「私たちのシステム J(FC
,1
,p
.
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7
7
) と呼んでいる関係の欠点は,互いの相
手がそれ以上の関係を望む時に常にこの第三者が代価を支払うという結果としてあらわれ
てくるのである。
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2
2
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2
2
5
)
「この点についてはやむをえない遠慮から記述の正確さを貫けなかった J(FC
,1
,p
.
1
7
7
)
と同回想録で、語っている通り,率直な自伝は,作者とサルトルに深くかかわる人々の私生
活をも巻添えにする。例えば回想録の中で <<M>>と呼ばれているドロレス・ヴァネッテイ
をはじめとするサルトルの数多くの女性関係について,彼女の回想録では事実関係を省略
したり,簡潔な記述にとどめている。『或る戦後』の序文における読書契約,すなわち,
「率直さ」という読者との契約にしたがって,オルグレンとの恋愛を忠実に描くことによっ
て,それまでに起こった類似の問題点をも照らし出し,サルトルとの関係を読者によりよ
く理解させる意図が窺える 09)
シカゴでの出会いから 5回のアメリカ滞在と,恋愛の終局の記述は間接的にボーヴォワー
ルの自伝における,彼女とサルトルという一人称複数「私たち」の語りの重要性を示す結
果となっている。アメリカでの体験は一人称複数の語りの中に取り込まれ,この恋愛の人
9
6
3
年という時点から振り返り,自己検閲を受けた形で記述されている
生に占める位置を 1
といえる。
4
3
5.中国紀行『長い歩み J(
1
9
57
)
1
9
5
5
年の 9月から 1
1月にかけてのこケ月間ボーヴォワールはサルトルとともに中国政
府の招待を受けて中国に滞在している O この公的で、政治的色彩の濃い旅行から戻った後で
西洋社会にとって根本的に未知の国である中国について執筆に取りかかっている。『長い
歩み』の紹介丈の中で著者は共産党政権下のアジアの国中国の特殊性を強調している。
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日記体の『アメリカその日その日 Jとは異なり,いくつかの主題ごとに書き分けられた
文章から成る『長い歩み j は,社会革命をたどり続ける新生中国の長い歩みの段階を説明
,I
I,p
.
7
8
) と位置づけられる O
するための「現地で気紛れなしに行った研究 J(FC
さて,この中国に関するエッセイの中で,語り手の古い中国文化に対する一貫した視線
を指摘することができる O 例えば天地を抱擁する意図のもとに建てられた紫禁城を「世界
を誰かの個人生活のばかばかしい次元に縮小し,世界を否定するものである J(LM
,p
.
6
2
)
と否定的に紹介しており,同様に,故宮をとりまく小宇宙を模した庭園についても,
I
言
葉とそれをあらわす対象との距離が大きすぎ,言葉であらわされた対象がばかげたものに
,p
p
.
7
0
7
1
) と評している。西太后の宮殿については「一刻も早くこう
なっている J(LM
いう貴族趣味の醜悪さから逃げ出したかった J(LM
,p
.
7
3
) と語っている
O
この中国文明
に対する印象とその印象を受けた理由を説明している部分がある。
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,p
p
.7
1
7
2
)
このように,ボーヴォワールが民衆の生活からあまりに分離された「官僚と宮廷人たち
4
4
の文化J(FC
,I
I,p
.
7
8
) である中国の過去の遺産を評価していないことは明らかである。
しかしながらこのあまりに断定的な拒絶の視線にはその美が「特権者のためのものであ
り人間の人聞による抑圧と切断からなる J(LM
,p.
4
6
3
)古い中国文化に対する,一種の
イデオロギー的な断罪が含まれていると推測される。というのも
1
9
6
6
年にボーヴォワー
ルが旅行したもう一つのアジアの国日本についての記述では彼女は個人的な好みをより自
然に表現しているからである。回想録『決算の時』第 5部の中で,サルトルとともに行っ
た数多くの国の旅行のうち,日本への訪問は「政治的な態度決定を伴うものではなく
J(
TCF
,p
.
3
4
3
) 気ままな旅に近いものであったと述べている。そして日本旅行においては,
桂離宮の美しさを称え上述した中国の庭園と同じように小宇宙を象徴している周囲の庭
園についてもその魅力を書きとめている。 11) 同様に貴族町民文化に起源をもっ日本の伝統
演劇についても魅了され,文楽については「私は子供のころから人形劇が好きだった J(
TCF
,p
.
3
61)という幼少期からの好みに言及している。ところが『長い歩み Jにおいて
は,語り手が中国演劇,なかでも「民衆的であると同時に封建的であるというあいまいな
性質をもった京劇 J(LM
,p
.
3
2
7
) について語る時,語り手の関心はこの演劇鑑賞の個人
的な感想を書き綴ることではなく,読者に京劇の今日の中国での論争,すなわち,近代的
テーマへの適用への改革の困難とジレンマを照らし出すことにある。このように,くつろ
いだ,観光的な日本訪問の記述の文体と,厳密で、個性のない『長い歩み』の文体とは対照
をなしていることがわかる。加えて
ルへの言及がまったくなく
『長い歩み Jの中では一緒に中国を訪問したサルト
中国の説明に対して一切の脱線を許さない厳格な語りがこの
ことより窺える。
また,
r
長い歩み』の中では,語り手は中国人の試みに共感し,しばしば楽観的な未来
への展望を述べている。例えば,北京の古い地区の取り壊しについて,語り手は「ピトレ
スクなものを軽蔑し,未来へ信頼を置く姿勢に,進歩しつつある国に来たことを確認する」
(LM
,p
.
l
l
) と感想、を述べている。また,北京の街についても次のように語っている。
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o
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.(LM,p
.
51
)
これらの観点は,下町の光に詩情を見い出すか,あるいは労働者の貧困を見出すかとい
う小説『レ・マンダラン』の中での左翼知識人たちの議論を想起し,小説『美しい映像』
のなかでギリシャの現実の貧困に目をつむり,古代遺跡のみに興味を示す主人公の父親の
懐旧趣味的な視線と対照をなしている。ボーヴォワールにおける「ピトレスクなものへの
45
抵抗
i2)が『長い歩み』でははっきりと打ち出されていることがわかる。ピトレスクなも
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のの裏にあるものを暴き出すこの視点はボーヴォワールにおける一つの<<e
engagee沖に他ならない。
後年,ボーヴォワールが伝記作者にこの『長い歩み』について「実際に見聞しなかった
ことについてたくさんの嘘
i3)を書いたと語っていることからもわかるように,このエッ
セイは,中国の公式の楽観論を取り入れた一種のプロパガンダの側面を持つと指摘するこ
とができる O すなわち,
r
アメリカその日その日 Jのように自己を投入した形でのルボル
タージ、ユを書くことが目的ではなく,当時のフランス人にとって神秘と偏見に覆われた国
中国についての啓蒙の書を書き,反共産主義者達に対して新生中国とその未来への闘いを
擁護することが問題であったと推測される。ボーヴォワールがその政治体制に共感を示す
中国は,個人的な要素が排除され,新左翼的な視線が偏在する一つの特徴的な語り,すな
eengage沖をもたらしている。
わち,中国寄りの政治的立場をとった引 j
結
呈dト
日間
アメリカの 5回の滞在が,書簡,ルポルタージ、ユ,小説,自伝といった大部分の作品に
その足跡を残した 14)のに対して,公的な訪問である中国は一冊の政治的立場をはっきりと
とった,説明・啓蒙の書をもたらしている。アメリカ資本主義体制への反感にもかかわら
ず,作品への影響を考慮するなら,ボーヴォワールはアメリカびいきであると結論できょ
う
。 15) いずれにせよ,本論でみてきた複数のテキストにおける旅行体験の記述の一人称の
語り,いわゆる「自己物語世界的 j な16)語り手のそれぞれの肖像が異なる事実は大変興味
深い。すなわち,同じ旅行体験から出発しながらも,書簡のプライベートな一人称から,
ルポルタージ、ユ,小説,自伝の一人称,また個人的な要素を抑えた政治的な立場をとった
エッセイの一人称にかけて,その体験の記述の配分・変形が行われていることは,語り手
と実際の作者ボーヴォワールとの距離がそれぞれの語りにおいて異なることを示している。
全作品を通じて自伝的な要素を反映させることの多いボーヴォワールであるが,ジャンル
や政治的立場に応じて同じ一人称における自己投入の度合を加減している事実は,この作
家の他の作品の語りを論じる際にも指標となるであろう。
言
主
作品の引用を次のように略記する。
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91
.
1)FA,p
.
1
6
2参照。
2) B
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ournali
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e,PUF,1
9
7
6,p
.
1
4
0
参照。
3) JacquesDEGUY,Lαq
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.
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6および P
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“P
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9
7
5,p
.
8
参照。
4)その他の場面については次ページ AJJ
,p
.
2
8,p
.
1
4
8,p
p
.
1
7
7
1
7
8,p.
4
0
4
参照。
5) GerardGENETTE,F
i
g
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s1
1
1
,S
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u
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l,1
9
7
2,p
p
.
2
0
6
2
1
1参照。
0
6) E
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eLECARME-TABONE,Anne
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2,N 1
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.
91
.
7) DeirdreBAIR,Simoned
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r,Fayard,1
9
9
1,p
.
3
9
8
.
8) JacquesLECARME,E
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eLECARME-TABONE,Autobiogr
α
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e, 1
9
9
7,Armand
.
1
21
.
C
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n,p
9)この部分の記述にオルグレンからの手紙を引用し,彼の孤独や愛する女性を独占でき
9
6
3年
ない失意を描き出したこの本の出版に際して,ボーヴォワールはオルグレンへの 1
.
6
0
6
) これに対してオルグレンは遺憾の
の手紙で,あらかじめ予告している。 (LNA,p
念を隠そうとはせず,文通は跡絶え,
r
彼女のしたことは嘆かわしいことである j
後年のインタピューにも答えている
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9
4,p
.
8参照。) フ イ リ ッ プ ・ ル ジ ュ ン ヌ が Le Pαc
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eの中で触れている,自伝の真性さと他者への遠慮という問題,すな
わち,ジイドが述べた「自伝よりも小説の方がより真実に近い」というあのー種の神話
の所以を思わせるものがある。
1
0
) Claude FRANCIS, Fernande GONTIER,Les E
c
r
i
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s de Simone d
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L
r,
Gallimard,1
9
7
9,p.
17
9
.
1
1
) TCF
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.
3
6
9
参照。
1
2
)C
l
a
i
r
eCAYRON,Lαnαt
u
r
ec
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e
zSimoned
eBe
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v
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i
r,Gallimard,1
9
7
3,p
.
2
0
3
.
1
3
) DeirdreBAIR,o
p
.c
i
t
.,p
.
5
2
7および LNA,p
.
5
6
2
参照。
1
4
) アメリカでの見聞は『第二の性.1(
19
4
9
)にも影響を与えているが,本稿では割愛する。
1
5
)KornelHuvos,
Cinqmir
α
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g
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sαm
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sLesEtαt
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7
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9
7
2,p
.
3
4
6
参照。
1
6
)G
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2
5
3
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