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第1章 危機を乗り越え,新たな成長期へ(PDF 507KB)

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第1章 危機を乗り越え,新たな成長期へ(PDF 507KB)
特集
『元気な中小企業』訪問記Ⅱ
第1章
危機を乗り越え,
新たな成長期へ
∼秩父の老舗下着製造会社∼
鈴木
啓
東京支部中央支会
埼玉県・秩父地方にて創業し,社歴が6
0年
昭和3
5年にはメリヤス工場設立,婦人肌着
近くに及びながらも現在は3代目社長の下で
製造を開始。戦後の復興期から高度成長期に
平均年齢3
6歳と若返り,活気に溢れる下着製
かけての発展にともなって,順調に事業を拡
造業,島崎株式会社。今回は,代表取締役の
大していき,昭和3
9年には,皇太子,美智子
嶋
妃両殿下(当時)のご視察をお受けになった。
博之社長にお話をうかがった。
創業者の嶋
義孝氏は後に,秩父商工会議所
の会頭を務め,地元秩父の発展にも貢献した。
2
日本の小売流通業の発展とともに
昭和4
4年には織物部,昭和5
6年には経編部
も廃止して,縫製加工に特化していく。以前
より手がけてきた婦人肌着製造は,デザイン
島崎株式会社
嶋
博之社長
企画から縫製までを手がけ,そのほとんどの
製品は,新たな業態として生まれた GMS 向
1.沿革
1
けに販売していった。
GMS の誕生により流通革命が起こり,販
創業
売先の店舗拡大とともに需要が爆発的に拡大
秩父地方は古くから絹織物の産地として有
したこともあって,当社は相手先ブランドで
名であり,絹織物生産の起源は一説によると
の製造卸業,婦人下着の OEM メーカーとし
崇神天皇の時代にさかのぼる。養蚕と機織り
て発展していった。まさに「つくれば売れる
の技術が伝えられ,明治中期以降から最盛期
時代」であり,営業の必要がなかったという。
を迎えた。
そのような土地で,昭和2
8年に織物業とし
て当社は設立された。姓と社名の字が異なる
理由を嶋
社長にお聞きすると,「その理由
3
突然の社長交代∼奮闘,発展
そういった中,昭和5
8年に嶋
義孝氏が病
に倒れ,経営が困難になったとき,ほかに後
洋子氏を
について残っている物があるわけではないの
継者がいなかったため,長女の嶋
ですが,公私を混同せず,事業を行うという,
急遽,社長に指名した。それまで専業主婦で
創業にあたっての思いを込めたのだと理解し
あり,ビジネス経験もないまったくの素人だ
ています」との答え。嶋
ったため,義孝氏から洋子氏への遺言,指示
社長の経営観が反
映された発言のように思えた。
は,会社を無事に清算することだった。
企業診断ニュース 2
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0
9.
7
5
特集
しかしながら洋子氏は,幹部や社員,取引
となる。ピーク時には2
4億円あった売上が急
先の強い要望や協力に支えられて,経営を継
続することを決心した。嶋
んだという。
博之社長は当時
速に減少し,最悪期には約1
0億円まで落ち込
のことを語る。「扱う製品が婦人下着であっ
赤字決算が続いたうえ,時代の変化と,取
ても,同業者や販売先のバイヤー,業界団体
引先との年代的なギャップを痛感してきた洋
やその他取引先もすべて男性の社会であり,
子氏は,社長交代を視野に入れて,当時取引
相当苦労したと聞いています。商談もそうで
先の伊藤忠商事に勤務していた博之氏を呼び
すが,宴会などで平気で裸踊りをしていたよ
戻した。1
9
9
9年のことである。博之氏の入社
うな時代ですから,付き合いでも辛い思いを
後から現在に至る施策と経緯については後ほ
したのでしょう。帰宅した母がときおり泣い
どとして,次に業界特性について触れてみる。
ているのを,小学生だった私もうっすらと覚
えています。一方,努力家であり勉強家でし
2.市場と業界の特性
たので,周囲の方々に認められ,多くの方に
支えられたのも事実でしょう」
1
商品分類
その後,洋子氏は才覚を発揮し,現在の発
婦人用のインナーウエアは商品分類的には
展に至る布石となるいくつかの重要な決断を
いくつかに分かれ,ブラジャー,ショーツな
行っていくが,その1つは平成元年の岩手県
ど,肌に密着する「ファンデーション」
,ア
陸前高田市への工場進出。安価な労働力を求
ウターの下着としてのスリップやキャミソー
めての進出であったが,知人の地元で自然と
ルなどの「ランジェリー」
,そしてナイトウ
気候が気に入ったこともあって決めたという。
エアの3つに大別される。
今では唯一の国内工場である。
これらは,素材や規格および製造設備やノ
もう1つが,平成7年からのベトナムでの
ウハウも異なるため,大手を除く多くのメー
海外生産開始である。多くの企業が中国へ進
カーはどちらかの専業であり,業界団体も別
出していく中,巡り会ったベトナムの女性経
だったが,現在は「日本ボディファッション
営者の勤勉さに触れ,同じ母子家庭という境
協会」として統合,発展している。
遇に共感して決めたという。今も取引があり,
新規参入が少ない業界で,当社では過去に
当初は小さな縫製工場であった同社も,今で
ファンデーションへの進出を図ったが,取引
は現地で大成功している。
先から認知されず,目標は達成できなかった。
「素人」が社長となり長きにわたって継続
発展できたのは,先々代から受け継がれた人
2
市場とシェア
との縁,信用を引きつける資質があり,かつ
婦人用インナーウエアの2
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0
7年の小売市場
努力と運もつねに味方してくれていたのだろ
規模は7,
2
5
0億円(㈱矢野経済研究所推計)
,
う。
日本ボディファッション協会の同年の統計で
は,会員全体での供給額は2,
4
4
1億円。内訳
4
業績の悪化と博之氏の入社
は,ファンデーションが出荷数7,
9
2
5万枚で
順調に成長してきた当社は,バブル崩壊後
出荷金額が1,
2
8
4億円と,商品カテゴリーで
の長期不況においても大きな影響はなかった。
は最大である。一方,ランジェリーの出荷金
普及価格帯の女性下着,肌着は生活必需品で
額は1
4
7億円,ショーツ4
2
5億円,肌着が3
9
7
あったためである。ところが,平成1
0年頃か
億円で,出荷枚数は8
2
2万枚。ナイトウエア
ら下着に関する消費者嗜好が変化し,主力と
の出荷数規模は1
9
2万枚となっている。
してきたスリップなどのランジェリー類の市
近年の傾向としては,インナーウエア全体
場が縮小したために営業赤字を継続する事態
の販売傾向に大きな増減はないものの,消費
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第1章 危機を乗り越え,新たな成長期へ
者の嗜好の変化により,ランジェリーの市場
してきた当社では,工場は稼働率を重視して
は落ち込んできているという。
生産を続けていた。ピーク時の売上2
4億円が,
業界におけるシェアは,圧倒的に知名度の
一時は1
0億円まで落ち込んでいたが,その時
高いワコールでも1
0%程度だという。アパレ
点での在庫が3億円もあった。衣料品はシー
ルやスポーツブランドなど,異なるカテゴリ
ズンを過ぎると,価値が激減する。嶋
ーからの新規参入は多く,最近ではユニクロ
はこの在庫を徹底的に絞り込み,最終的には
がブラなしインナーなどのヒットにより,シ
およそ2億円分の在庫を処分した。
ェアを急速に伸ばしている。ブランド間の競
争とは別に,OEM メーカーとしての新規参
入は非常に少ないという。
3
3
社長
工場閉鎖と生産設備の集約
在庫処分と並行して,以前からの懸案事項
であった生産効率および資産効率の向上のた
自社ブランドと OEM
め,本社工場の閉鎖を断行。生産拠点を岩手
大手スーパーや通販会社では,ブランド以
の子会社と海外への委託に集約した。生産ラ
外にノンブランド品も多く扱ってきた。中小
インを閉鎖した一方,今後の競争力を高めて
メーカーはほとんどが OEM であり,当社も
いくため,デザイン企画部門は強化していっ
同様である。
た。
当社では当初はほとんど GMS 向けだった
ところ,最近は通販ルートへの販売にも力を
入れており,現在,GMS 向けが約3
0%,通
国内で唯一となった岩手の生産子会社,㈱
販向け約7
0%となっている。
4
工場のムダとり
シェリールであるが,生産効率の低迷が悩み
であった。かねてより地元秩父の企業トップ
3.3代目社長としての改革
として親交のあったキヤノン電子㈱の酒巻久
社長の好意で,2
0
0
4年に生産現場での改善指
呼び戻されるまでは経営にかかわることも
なく,会社の状況をほとんど把握していなか
った嶋
社長が,現在に至るまでに行った改
1
酒巻氏は,キヤノン㈱を経てキヤノン電子
㈱の社長に就任した後,わずか5年間で経常
利益率を約1
0倍にした実績を誇る。
革と施策をみていく。
導を受ける機会を得た。
現在当社では,酒巻氏による㈱シェリール
意識改革と組織改革
での指導をはじめとして,元キヤノン電子㈱
洋子氏は,博之氏に経営を任せるにあたっ
て会長に退くとともに,旧経営陣にも退任を
から迎えた監査役の指導の下,経営改善と効
率化の追求を続けている。
求め,新社長の博之氏は経営陣を刷新した。
その後,嶋
社長は,数値や在庫管理を徹
4.島崎株式会社の強み
底した効率的な経営を目指すため,社員への
方針説明を丁寧にくり返し,浸透を図った。
当社は,コアな技術力やカリスマ的な経営
方針を理解し,積極的な者は若手であっても
トップの存在が大きかったというわけではな
登用し,経営を強化する人材の補強では,古
いが,いくつかの強みを活かして比較的順調
巣の伊藤忠商事時代の上司に出向で来てもら
に成長してきたように思われる。
うこととして,経営体制を固めていった。
2
1
在庫管理
先進性
第1に,創業時の織物製造からの多角化か
創業以来,取引先の事業拡大とともに成長
ら通じる先取の精神が活きている。昭和3
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9.
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特集
のメリヤス工場設立は,創業期の成長のきっ
そのため,経営の立て直し,多額の不良在庫
かけを得るとともに婦人肌着製造の布石とな
処分を実施する余裕があった。
現在は,含み益は減少したものの,管理会
り,現在に至る発展の礎を築いた。
第2に,成長期の GMS への販路確保。
計を徹底することで,資産効率の向上を目指
婦人肌着製造の販売先としては,流通革命
しており,嶋
の旗頭 で あ っ た GMS へ の 納 入 を は じ め,
GMS の急速な発展,拡大の波に乗って,事
業規模を拡げていった。
社長がいうところの,筋肉質
な財務体質に近づいている。
4
企画提案力
第3には海外生産の成功があげられる。多
下着の業界でも,パリなどで展示会が行わ
くの企業が進出していった中国を飛び越え,
れ,トレンドが形成されていく。当社はそう
後に海外生産拠点として注目されることとな
いった展示会や海外市場を自ら視察し,直接
るベトナムにいち早く進出した。
収集した情報から今後の流行や嗜好を読みと
第4に,事業承継の成功と若返りが考えら
り,デザイン,企画を行う。OEM 生産でも
れる。当社では業績の変調期にいち早く社長
企画提案力,商品開発力は重要で,当社は企
交代と社員の若返りを図り,数年で今の体制
画部門の強化に力を入れている。
に切り替えることができた。これも1つの先
進性ではないだろうか。
企画力が定評になったのは,2代目の嶋
洋子氏が社長になってから。女性ならではの
「人」と「信用」を大事にする
視点での企画提案,商談となり,これがまた
2
当社の強みとなっていった。本社工場閉鎖に
当社では,歴代社長が「人」と「信用」を
ともないデザイン部門を強化したことは,強
何よりも大切にしてきた。3代の社長が皆,
みの再強化であり,経営資源の集中,効率化
従業員,地元の方々,業界関係者,取引先な
につながった。
ど,かかわるすべての方々との関係を良好に
保ってきたように思われる。人員削減をとも
なうリストラにおいて大きなトラブルがなか
ったというのも,それまでの構築された人間
関係とともに,リストラの際には何度も説明
会を開き,会社の財務情報を開示し,説明を
重ねていくという姿勢,丁寧な対応が認めら
れたのであろう。
2
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0
7年からは,従業員の成果に報いるため,
5
人材
また経営への参画意識を促すため,持株会を
リストラを行ったにもかかわらず,新たに
開始して家族経営からの脱却を図っている。
部門長を任せられる若手の人材が育ち,残っ
3
ていたことは,中小企業では珍しいことかも
財務状況
しれない。また,古巣の伊藤忠商事や,地元
長期間の安定的な成長による内部留保資産
のキヤノン電子㈱から,経営支援のために出
の積み上げがあったこと,バブル期にも不要
向,転籍された幹部が揃っており,人材に恵
な財テクに走らず,不良資産を持たなかった
まれた点も当社の強みである。
こと,古くから取引先の持株会に参加し,優
良な株式の含み益が多かったことと,それを
5.今後の展望∼自社ブランドの確立
担保にした運転資金の融資枠に余裕があった
ことなど,財務的にはきわめて健全であった。
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当社は,今後安定成長を図るうえで,次な
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第1章 危機を乗り越え,新たな成長期へ
る事業の柱として自社ブランドの確立を目指
して商品開発を行い,商品カテゴリーは女性
している。
と子供の肌着に特化。「Fleep」という独自ブ
1
ランド商品を開発し,2
0
0
7年に販売を開始し
過去の失敗
た。
博之氏が社長に就任する前に当社は,ファ
販売戦略の構築においては,高品質商品の
ンデーション市場への参入を狙って自社ブラ
販路を限定的に開拓することを選び,また取
ンドを立ち上げた。小売店への販路開拓はで
引条件のリスクを回避することも重要視した。
きたものの,代金回収や返品の取り扱いに問
その結果,自社でのネット通販と百貨店販路
題が多発し,在庫が積み上がったため,結果
に絞り込み,リアルショップでは現在,伊勢
は失敗。1年で撤退した。
丹新宿店と阪急梅田店という東西でのステイ
初めての挑戦は失敗したものの,小売も含
タスの高い売場の確保に成功した。
めた業界の中で,当社がファンデーションも
手がけているとの認知度が高まり,以前は障
6.現在の経営方針と今後の展望
壁に阻まれたファンデーション製品のその後
の取引拡大に貢献することとなった。また,
社長就任直後からは,それまでの負の遺産
失敗を通じて得られた経験,知識が,後の自
を解消し,勝負できる機動力をつけるために
社ブランド再挑戦に活きてくる。
改革を進めてきて,ようやく自社ブランド立
2
ち上げなど,次の一手を打ち始めることがで
生地との出会い
きるようになってきた。
一度は撤退した自社ブランド構築であった
前期の経営目標は,①営業利益率5%の達
が,ある特殊な生地と,展示会で出会ったこ
成,②「見える化」の推進。今期は①自社ブ
とが再チャレンジのきっかけとなる。
ランドの構築,②効率化の追求である。現在,
その生地とは,三重の㈱スマイルコットン
全社員,パートタイム従業員もすべて本社に
が開発,製造した「スマイルコットン」であ
集めた経営方針会議を,年2回行っている。
る。天然素材の綿でつくられ,ふんわり,柔
その場では,経営方針の浸透を図り,経営陣
らかで女性や子供の肌にもやさしい素材。特
の意図するところの理解を深めるために,十
殊なだけに,縫製技術や,商品開発力がポイ
分な説明を行っている。
嶋
ントとなる。
3
社長はリストラによって企業体をスリ
ム化し,少数精鋭で高効率,筋肉体質の経営
再チャレンジでの戦略
を目指してきた。数値と在庫管理に長けて,
当社のノウハウ,経験と企画開発力を活か
若く意欲的な3代目社長と,それを支える有
能な幹部。そして,若く活発な社員。当社は
活力にあふれ,新たな成長のスタートを切っ
た。今後の発展に大いに期待したい。
鈴木 啓
(すずき
Fleep ホームページより
http://www.smzk.co.jp/fleep/index.html
ひろむ)
立教大学卒後,大手印刷会社にて販促,
事業企画に従事。その後,音楽配信事業,
大手自動車会社の IT サービス事業,地
域活性事業を企画プロデュース。平成1
9
年度中小企業診断士登録。1級販売士。
㈱プライムネット取締役,C3マネジメ
ント代表。
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