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三宅剛一 - 比較思想学会

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三宅剛一 - 比較思想学会
︿ 特 集 ﹁ 近 代 日 本 と 西 洋 思 想 の 受 容﹂ 3 ﹀
三 宅 剛 一
小 論 に 与え ら れ た 課 題 は 、﹁ 三 宅 剛 一 ﹂︵一 八九五 ∼一九 八二︶と
い う 、昭 和 初 期 か ら 中 後 期 に かけ て 我 が 国 の 学 界 で 活 躍 し た 哲 学
はじ め に
酒 井 潔
口 郡 鴨 方 町 に生 ま れ た。 彼 は 、 同じ 岡山 県 出 身 の 大 西 祝 ︵岡山市︶
三 宅 剛 一 ︵み や け ・ ごう い ち ︶ は 、 明 治 二 八 年 一 月 一 日 岡 山 県 浅
における三宅剛一の位置︱︱
︱︱近代日本の哲学の展開
を 通 し て 、 シン ポ ジ ウ ムの テ ー マ﹁ 近 代 日 本 と 西 洋 思 想 の受 容 ﹂
者 が 、西 洋 哲 学 の 伝 統 と 取 り 組 ん だ そ の 過 程 を 明 ら か にす る こ と
に つ い て 可 能 な 考 察 を 試 み る こ と で あ る 。 た だ し 小 論 で は、 紙 幅
よ り 三 一 歳 、 綱 島 梁 川 ︵上 房郡 有 漢町 ︶ よ り 二 三 歳 若 い 。
が い四 つ の時 期 に分 け 、 そ の な かで 三 宅 が 占 める 位 置 の そ の 特 徴
こ こ で 三 宅 に至 るま で の 近 代 日 本 の 哲学 の発 展 を 、 管 見 に し た
の 制 約 上 、 三 宅 剛 一 の 生 涯 と 哲 学 の 全 体 を 網 羅 す る こ と は断 念 し 。
と 意 義 を 予 め測 定 して おこ う 。
大 き く 三 つ の 時 期 に 区 分 さ れ る三 宅 の 哲 学 活 動 から 各 代 表 的 著 作
を 一 点 ず つ取 り 上 げ 、 西 洋 哲 学 と の 関 わ り 方 を 具 体 的 に検 証 し 、
を ﹁哲 学 ﹂ と 訳 し た
西 周 を 代 表 と し 、実 証 主 義 や 百 科全 書 的 な 傾 向 の 哲 学 思 想 が 紹 介
ま ず 第 一 期 と も い う べ き は 、phi
l
osophy
それが日本の近代哲学の発展のなかでどのような特徴と意義をも
つ か 、 を 確 認 す る 作 業 に重 点 を お き た い 。
スペ ン サ ー、 モ ン テ ス キ ュー 、 ヴ ォ ルテ ー ルな ど の 抄 訳 や ア ソ ソ
さ れ た 時 期 で 、 明 治 一 〇 年 代 ま でで あ る。 主 にベ ン サ ム、 ミ ル 、
そ の 研 究 自 体 に も ま だ アカ デ ミ ッ クな 性 格 は 薄 か った 。
た め の 理 論 的 道 具 と し て 、 あ る い は経 済 思 想 と し て 主 に 見 ら れ 、
ロジ ー が 出 版 さ れ た 。 哲 学 は 、 と も す れ ば 文 明 開 化 、 富 国 強 兵 の
よう。一九二〇年代、大正から昭和初期にかけて、ヨーロッパで
こ こ で 後 進 の 研 究 者 達 の よ って 進 む べ き 規範 が示 さ れ た と も い え
れ て いる 哲 学 研 究 の方 法 と理 念 を 或 る 意味 で 確立 し た時 期 で あ る 。
理 の 探 究 ︶ が 展 開 さ れ る よ う にな る 。 大 西 祝 や 綱 島 梁 川 はこ の 第
今 日 わ れ わ れ が 哲 学 に 要 求 す るも の ︵人 生 論 や 世 界 観 を 含 ん だ 真
い伝 統 に 接 し 、 三 宅 は フ ライ ブ ル クで 現 象学 の最 先 端 を 学 び 、 そ
に ドイ ツ ︶。 出 は オ ク ス フ ォ ー ド で 文 献 学 的 古 代 哲 学 研 究 の 分 厚
他方で新カント主義、現象学、解釈学等の潮流が生じていた︵主
は一 方 で 古 典 文 献 学 の 隆 盛 が 見 ら れ ︵主 に イ ギ リ スと ド イ ツ ︶、
二 期 に 属 す る 。 と く に 大 西 の 没 後 明 治 三 六/ 三 七 ︵一九〇 三/ ○
第 二 期 は 、 明 治 二〇 年 代 に入 り 、 ドイ ツ 哲 学 が 本 邦 に伝 え ら れ 、
四︶年 に 編 集 ・ 出 版 さ れ た ﹃西 洋 哲 学 史﹄︵ 上 ・ 下 ︶ は 、 日 本 人
論 争 し 、 批評 主 義 ・ 理 想 主 義 ・ 自 由 主 義 の 姿 勢 を 著 し た 。 大 西 や
批 判 的 に 解 釈 し た 。 ま た 大 西 は 井 上 哲 次 郎 と 教 育 勅 語 を め ぐ って
分 野 ︵数 理 哲 学 、 現 象 学 ︶ にお け る ア カ デ ミ ッ クな 研 究 に 貢 献 し
さ ら に 発 展 さ せ た う え で 、哲 学 史 の 自 立的 ・ 批 判 的 解 釈 及 び 個 別
の 哲 学 ︶ の 研 究 地 盤 を 、西 田 によ る 深 化・ 徹 底 を 介 し て 受 け 継 ぎ 、
こ の よ う に見 ると 、 大 西 や 綱 島 に よ って 用 意 さ れ た ︵ 学 と し て
れ ぞ れ 我 が 国 の ギ リ シア 哲学 研 究 、 現 象学 研 究 の 礎 を 築 いた 。
綱島らにより、学としての哲学研究のための地盤が我が国にも創
た の が ま さ に 三 宅 の 歴 史 的意 義 で あ る と いえ るの で はな い だ ろ う
と し て 初 め て 、 古 代 か ら 近 代 ま で の 西 洋 哲 学 を 、 自 分 の 立 場 から
設されたのである。
本 と 派 生 と いう 濃 淡 の あ る、 屈 曲 を も つ 哲学 史 が 現 われ た ので あ
一五︶ によ り 大 西 の ﹃西 洋 哲学 史 ﹄ は さ ら に 超 え ら れ 、 こ こ に 基
か 。 三 宅 の 不 朽 の 労 大 作 ﹃学 の 形 成 と 自 然 的 世 界 ﹄︵一 九四〇・ 昭
九一一:明四四︶があげられる。ここで東洋の伝統︵禅仏教︶と西
第 三 期 の 代 表 的 業 績 と し て は 、 西 田 幾 多 郎 の ﹃ 善 の 研 究 ﹄︵一
洋 哲 学 と の 総 合 が 真 剣 に試 み ら れ る 。 西 田 はさ ら に 京 都 帝 国 大 学
る。
旧制第六高等学校在学中︵一九一三︰大二-一九一六︰大五︶のこと
三 宅 が 初 めて 哲 学 に 立 ち入 って 触 れ た の は 、岡 山 市 内 にあ っ た
︱︱その概観︱︱
第 1 章 三 宅 剛 一 の 生 涯 と 業 績
在職中︵一九一〇︰明四三∼一九三三︰昭八︶に三宅をはじめ多くの
弟 子 を 育 て た 。 ま た 西 田 は 原 典 に依 拠 し た 西 洋 哲 学 の 本 格 的 な 紹
そ し て 次 の 第 四 期 こ そ 、 三 宅 が 、同 じ く 岡 山 県 ︵津山︶出 身 で
介 にも 功 績 が あ った 、 と い わ ね ば な ら な い。
三 歳 上 の 出 隆 ︵一八九二 ∼一九八〇︶ら と と も に、 ヨ ー ロ ッ パ の 哲
学の動向を精確にふまえながら、今日日本の哲学界で広く行な わ
を めぐ る 西 田 の 思 想 的 格闘 に 接 し 。 ま た 当 時 の 現 代 哲 学 の 諸 問 題
︵大五 ∼八︶
。 西 田 の 下 で は 、 講 義 や 講 演 を 通 して ﹁ 直 観 と 反 省 ﹂
京 都 帝 国 大 学 哲 学 科 に 進 学 し て西 田 幾 多 郎 に師 事 す る こ と に な る
し て 、 立 澤 に 勧 め ら れ て 読 ん だ ﹃善 の 研 究 ﹄ に 感 動 し た 三 宅 は 、
り 、 三 宅 は と く にデ ィ ル タイ と フ ッ サ ー ル を 知 る よ う に な る 。 そ
で あ る 。 当 時 ド イ ツ 語 教 官で あ っ た 立 澤 剛 と 高 橋 里 美 の 薫 陶 に よ
き る よ う に思 わ れ る ︵ た だし 、 こ の三 つ の時 期 は 、 部 分的 に は互
学 活 動 を いま 大 き く 前 期 、中 期 、後 期 と いう 三 つ の 時 期 に区 分 で
以 上 の 著 作 と そ の 年代 を概 観し た うえ で わ れ わ れ は 、三 宅 の哲
11 ﹃経 験 的 現 実 の 哲学 ﹄︵一九八〇 ︶
10﹃哲 学 概 論 ﹄︵一九七六︶
9 ﹃時 間 論 ﹄︵一九七六︶
い に重 な った り 、 前 後 し て い る所 も あり 、 単 に排 除 し あ うも ので
ま ず 前 期 の 中 心 に あ る も の は現 代 哲 学 の 研 究 で あ る 。特 に フ ッ
は な い︶。
サー ル 及 び ハイ デ ッ ガー と 直 接 親 交 を 結 ん だ 一 九 三〇 ︵昭五︶年
ニッッやスピノザ等の西洋古典哲学の伝統にも親しんだ。卒業後
ま も な く 新 潟 高 校 に 赴 任す る が 、 こ の 頃 か ら リ ッ カー ト 等 の 新 カ
︵ 新 カ ン ト 派 、 現 象 学︶ に 誘 わ れ 、 同 時 に 演 習 を 通 じ て ラ イ プ
ン ト派 と 対 決 し 、 さ ら に 大正 一三 年 か ら は 東 北 帝 国 大 学 理 学 部 助
イ ム パ クト を 与 え て い る。﹃ ハイ デ ッ ガ ー の 哲 学﹄ の 第 一 部 ﹁ ハ
イ デ ッ ガ ー哲 学 の 立 場 ﹂ は 、 元 は 帰 国 後 ま も な い 一 九 三 四 ︵昭
五 月 から 翌 年 八 月 まで の フラ イ ブル ク留 学 が 三 宅 自 身 に決 定 的 な
九︶年 二、 三 月 に東 北 帝 国 大 学 の ﹃文 化 ﹄ に連 載 さ れ た も の で 、
教 授と して ﹁ 科 学 概 論﹂ を 担 当す る な かで 少 し ず つ 自 分 の方 向 を
も す べて 割 愛 せ ざ る を え な い 。 た だ 。 三 宅 六 十 年 余 の 哲 学活 動 の
模 索し て ゆ く 。 だ が小 論で は そ う し た 歴 史 的 経 緯 の 詳 細 に つ いて
な かで 公 刊 さ れ た 著 書 の リ ス ト を 次 に示 す ︰
4
3
2
﹃現 代 に お け る 人間 存 在 の 問題 ﹄︵一九 六八、編著︶
﹃人 間 存 在 論 ﹄︵一九六六︶
﹃十 九 世 紀 哲 学 史﹄︵一九五一︶
﹃ ハイ デ ッ ガー の 哲 学﹄︵一九五〇︶
﹃数 理 哲 学 思 想 史﹄︵一九四七︶
界 ﹄ で あ る 。﹃数 理 哲 学思 想史 ﹄︵一九四七︶は謂 わ ば そ の 続 編 で 。
一 九 四 〇 ︵昭一五︶年 出 版 さ れ た 著 書 こ そ ﹃学 の形 成 と 自 然 的 世
イ ツ から 帰 国 後 ま も な く 執筆 に着 手 し 、七 年 余 の 努 力 が 結晶 し て
叙 述 し たも ので 、 執 筆 は 一 九五 〇 年 で あ る︶。
た哲学思想﹂ は
t
i
oi
z
we
ge にお け る ハイ デ ッ ガ ー の 後 期 思 想 を
5
数 学 論 を 含 む 各 哲 学 の基 本的 モ テ ィ ー フを 古 代 ギ リ シア から カ ン
こ の 前 期 の代 表 作 と い え る ︵ た だし 同 書 の第 二部 ﹁近 著 に現 われ
6
﹃道 徳 の 哲 学﹄︵一九六九︶
I ﹃学 の 形 成 と 自 然 的 世界 ﹄︵一九四〇 ︰昭一五︶
7
中 期 を 代 表 す る も の は西 洋 哲 学 の歴 史 的 研 究 で あ る 。す で にド
8 ﹃芸 術 論 の試 み ﹄︵一九七三︶
卜 ま で 歴 史 的 に解 明 し たも ので あ る。 同 書 は 、三 宅 自 身 が 二十 年
ガーについての大方のモノグラフィーとも異なり、ニつの大きな
学 の 方 法 と 西 洋 哲 学 の 歴史 的研 究 と が総 合 さ れ た 、 お そ ら く 我 が
す る 独 自 の 体 系 を三 宅 が構 築 して ゆ く時 期で あ る 。 そ れ は 、 現 象
以 降 、 前 期 と 中 期 の 仕 事 を 踏 ま え た うえ で 、﹁ 人 間 存 在 論 ﹂ と 称
い た だけ に 、 三 宅 が引 い て い る いく つ かの 証 言 は 。 哲 学 的 にも 歴
に 関 わ る ﹁ 現 象 学 の 最 終 問題 ﹂ に、 フ ィ ン クと 共 同 で取 り 組 んで
時 の フ ッ サ ー ル は 、 超 越 論 的主 観 の 存 在 身 分 と い う 現 象 学 の 立場
交 わ し た対 話 の 果 実 が 豊 富 に見 出 だ さ れ る こ と で あ る 。 とく に当
そ の 第 一 は 、 フッ サ ー ルや ハイ デ ッ ガー や べ ッ カ ー ら と三 宅 が
特 徴をもつ。
国 最 初 の独 創 的研 究で あろ う 。そ の 体系 の 宣 言 の 書 が ﹃人 間 存 在
ハイ デ ッ ガー の 一 々 の 議 論 を精 密 に理 解 す る と い う だ けで なく 、
史 的 に も 第 一 級 の 資 料 的 価値 を も つ 。 そ の 第 二 は 、 フッ サ ー ルや
後 期 は 。 と く に 一 九 五 四 ︵昭二九︶ 年 京 都 大 学 文 学 部 に 転 じ て
余 り 在 職 し た 東 北 帝 国 大 学 理 学 部 時 代 の ﹁記 念 ﹂ と も いえ よ う 。
論 ﹄ で あ る。 以 後 堰 を切 っ た よ う に 続編 ﹃道 徳 の 哲 学﹄、﹃芸 術 論
か に しよ う と す る 三 宅 の 姿勢 が 一 貫 さ れ て い る こ とで あ る。 こ の
そ の 哲 学 自 体 の 拠 って 立 つ 立場 の 、 そ の ︵ 隠 さ れ た ︶ 前提 を明 ら
の 試 み ﹄ が 刊 行 さ れて ゆ く 。
そ こ で 、 次 章 に お いて は 、 いま 提 示 さ れ た前 期 、 中 期 、 後 期 の
体 に まで 及 ぶ 、 つ ま り 哲 学 は自 ら の 立 場 性 に真 摯 で な け れば なら
立場 ﹂ で 三 宅 は 、 哲 学 は 反省 を 本 質 と し 、 反 省 は 哲 学 す るこ と 自
こ の 論文 の 内 容 を 見 る と、 ま ず 第 一 章 ﹁ 反 省 の 歴 史 性 と哲 学 の
姿 勢 は三 宅 の 中 期 や 後 期 にな って も 変 わ ら な い 。
各 代 表 作 に即 し なが ら 。三 宅 にお け る西 洋 哲学 の受 容 の 実態 と 特
徴 を 。 具 体 的 に分 析 し評 価 し て み ょ う。
第 Ⅱ 章 三 宅 の 主 著 に お け る 西 洋 哲 学 の 受 容
第一節
サ ー ル の 現 象 学 で は立 場 へ の反 省 が 不 十 分 で 、 こ の 点 へ の 批判 が
ず 、 自 己 の 立 場 を 絶 対 化 す べき で な い、 と 主 張 す る 。 そ して フ ッ
﹃ ハイ デ ッ ガー の 哲 学﹄
同 書 の 第 一 部 ﹁ ハイ デ ッ ガー 哲 学 の 立 場 ﹂ は 一 九 三〇 年五 月 か
ハイ デ ッ ガ ー哲 学 の 動 機 にな って い る と言 う 。 第 二 章 ﹁ 現 象 学的
ら 一年 半 近 く フ ラ イ ブ ル クに 留 学 し 、 フ ッ サ ー ル 邸 の 演 習 に 出 席
し 、助 手 オ イ ゲ ン ・ フ ィン クの私 的 授 業 を 受 け 、 こ れ と 並 行 し て
こ と は 現 象 学 で は 無 意 味 で あり 。明 証 な現 象 につ き ま と う 相対 性
や 素 朴 性 を 振 り 切 って 絶 対 を要 求す る のが 理 性 で あ る が 、 こ のと
還 元 へ の 自 己 還 帰 ﹂ で は 、現 象 学的 還 元 そ のも の を エポ ケーす る
き フ ッ サ ー ル の い う 理 性 が既 に歴 史 的 に制 約 され て いる ので は な
ま た大 学で ハイ デ ッ ガ ーの 講 義 を 聴 き 、 オ ス カ ー ・ べ ッ カー か ら
二 年 も た た ぬ う ち に ﹁ 一 種 の 熱 を 持 って 書 き 上 げ た も の ﹂で あ る
個 人 的 に ﹃存 在 と 時 間 ﹄︵一 九二七︶ の解 説 を 得 た 三 宅 が 、 帰 国 後
こ の 論文 は い わ ゆ る ハイ デ ッ ガー 哲 学 の 紹 介 と も 、 ま た ハイ デ ッ
い か 、 と三 宅 は指 摘 す る。 第 三 章 ﹁ ハイ デ ッ ガー 哲学 に おけ る 立
︰昭一〇 ︶
︵ と く に 第 一 章 ﹁ 風 土 の 基 礎 理 論﹂︶ な ど に おけ る ハイ
デ ッ ガー 理 解 の及 ば ぬ と ころ で あろ う 。 和辻 に は ﹁ 志向 性 ﹂ と か
つ め る 姿 勢 は 、 例え ば同 時期 に出 た 和 辻 哲 郎 の ﹃風 土 ﹄︵一 九三五
﹁A . 時 代 的 傾 向 ﹂ に 言 及 す る 。 そ し て ハ イ デ ッ ガ ー が 当 時 の ド
念 が そ も そ も 前 提 して い る 立 場 、と い うも の へ の 洞 察 は 見ら れ な
﹁ 気 分 ﹂ な ど の 概 念 へ の 言 及 だ け で 、 そ うし た ハイ デ ッ ガー の 概
場 の 問題 ﹂ で は 。そ う い う 哲 学 の 立 場 と い う 見 地 か ら 三 宅 は ま ず
イ ツ の 青 年 層 の 精 神 的 傾 向 ︵J
ugen dbewegung ︶ に 相 通 ず る 要
第 二 節 ﹃学 の 形 成 と 自 然 的世 界 ﹄
いのである。
素 を も つ こ と 、 ま た 哲 学 的 に は キ ル ケ ゴ ール と ニー チ ェに 通 じ る
問 題 意 識 ︵近 代 の 合 理 主 義 の 文 化 や 生 活 が 実 は 本 源 的 で は な い の
で は 、 と い う 疑 い ︶ を 持 つ と 言 う 。﹁ B . 哲 学 に お け る 前 提 と 哲
こ の 書 は 、 そ の ﹁ 序 ﹂ 冒 頭 に 、﹁西 洋 の 古 典 的 哲 学 の 歴 史 的 研
究 で あ る ﹂ と 宣 言 さ れ て い る。 執 筆 の 外 的 な 動 機 は 、 一 九 三 三
学のジツアチオン﹂では、ハイデッガーが真理性の標識を外的標
準 に 求 め ず 、 解 釈 そ の も の の 実 存 的 ︵ex i
st
enzi
el
l︶ 性 格 に 置 く
︵昭 八︶年 の ﹁岩 波 講 座 哲 学﹂ の た めで あ っ た が 、 内 的 に は 先 の
か く し て 哲 学 の 前 提 は 、 哲 学 の 中 で 初 めて 現 わ れ て く るも の で は
成 と自 然 的 世 界 ﹂ と 称 す る の は、 そ れ が西 洋 の哲 学 史 の 中 心 問 題
ゆ く と いう 作 業 に三 宅 を 向 かわ せ た ので あ ろ う 。 表 題 が ﹁ 学 の形
反 省 が 一 層 徹 底 さ れ 、 西 洋 哲 学 の 立場 全体 を 歴 史 の 中 に 検証 して
論 文 ﹁ ハイ デ ッ ガー 哲 学 の 立 場﹂ で 出 され た ﹁ 哲 学 の 立場 ﹂ へ の
という点に三宅は注目する。存在論的解釈は、もともと現存在の
な く 、 現 存 在 が 常 に 前 提 し 、 生 き て し ま って い るも の の 顕 在 化 に
だ から で あ る。 部分 と 全 体 、 あ る い は 有 限と 無 限 と いう 本 質 的 問
存在的性格を基とし、これを存在論的可能性に企投するのである。
は、 哲 学 は或 る確 固 と し た 立脚 地 を とら なけ れば 、 言 い換 え れば
過 ぎ ぬ 、 と 言 わ れ る 。 さ ら に ﹁c . 実 存 の 真 理 と 有 限 的 自 由 ﹂ で
な っ た の が西 洋 哲学 史 の特 色 で あ る 。 三 宅 の場 合 、 そ の よ う に 無
題 を め ぐ って 世 界 と い う も のが 考え ら れ 、 学 を 形 成 す る よ う に
限 へ の関 係 から 世 界 を 考え るよ う に な っ た動 機の 一 つ は、 数 学 に
に飛 び込 む と いう こ と が な け れ ば 不 可 能 で あ る 、と 結 論す る 。 有
つ いて の 哲学 的 考察 ︵ 例え ば 集 合 論 ︶ で あ っ たし 、 数 学 的 研 究 を
見 方 の 一面 性 を 知 り つ つ、 自 己 の 真実 を 生 かす た め に 、そ の 立 場
イデ ッ ガ ー哲 学 の 立 場 の 特 色 を 認 め 、 こ れ に 強 く同 感 して ゆ く 。
は 、 過 去 の 哲 学 の歴 史 的事 実 性 を 忠 実 に再 現 し た うえ で ﹁ 過 去 の
し か し歴 史 研 究 へ の沈 潜 は そも そ も 何 の た めで あ ろ う か。 三 宅
基 礎 に も つ 点 も 本書 の 強み で ある 。
限 な 真 理 を 有 限 的 実 存 と し て 生 か そ う と す る と ころ に 、三 宅 は ハ
現 実 の人 間 と し て 立ち う る 立 場 の 自 覚 の う え に哲 学 的分 析 を展
開 し よ う と す る ハイ デ ッ ガ ー ヘ の こ の よ う な 評 価 は 、 ま た 三 宅 自
身 の哲 学 観 にも な って ゆ く 。 こ う し た 哲 学 の 立 場そ の も の を 問 い
想 の伝 統 に出 会 うこ と によ って 自 己 の 思 想 を 錬 磨 し 、 真 の反 省 を
哲 学者 の 認 識 を 認 識 し た い﹂ と 考え た 。 そ し て そ れ は 、 異 な る 思
れ は ﹁事 象 そ の も の の 要 求 ﹂ に よ って 、 ライ プ ニ ッッ の元 々 の形
め る た め に 最 晩 年 に 提 示 し た ﹁ 実 体 的 紐 帯 ﹂︵vi
ncu lum
ニ ッツ が 、 生 命 体 な ど の 合 成 実 体 に も 何ら か のリ ア ル な 統 一 を 認
而 上 学 的 非 連 続 観 が ﹁譲 歩﹂ ま た は ﹁緩和 ﹂ せ し め ら れ た も ので
su b
st
anti
al
e︶ こ そ 、 モ ナ ド 論 の 急 所 だ と 三 宅 は 見 る 。 そ し て こ
あ ろ う と 言 う 。 ポ エ ムの 歴 史 的 説 明 や デ ィ ル マ ンの 解 釈 も 押 さ え
得 る た め で あ り 、﹁ 自己 に甘 え た 節 制 な き 主 観 性 に 陥 る 危 険 か ら 、
簡 の な か で 、 哲 学史 研 究が ﹁ 後 追 い 的 思 惟 の 受 動 性﹂ に 陥 っ て は
わ れ わ れ の 哲 学 を護 る た め﹂ でも あ る 。 フッ サ ー ル も 三 宅 宛 の 書
な ら ず 、 自己 活 動 的 な思 惟 が 常 に 根 底 に な け れ ば な ら ぬ 旨 、 助 言
た う え で 、 三 宅 は 自 ら の こ の 見 解 を ﹁ライ プ ニ ッッ 哲学 に対 し て 、
ま た そ の 研 究 者 に 対 し て 提 出 し た い﹂ と 言明 す る 。 第 二 に 、 モ ナ
して いた。
と こ ろ で 、同 書 の出 版 直 後 に出 た下 村 寅 太 郎 に よ る 書 評 に は 、
ムの 伝 統 に 入 る が 、 ラ イ プ ニッッ の思 惟 は最 初 から 暗 黙 のう ち に、
互 い に 独 立 な無 限 ﹁多 ﹂ の ほ う に偏 向 し て お り 、 だ から こ そ 一と
ド論の思考枠は、多を一への分有の仕方に関係づけるプラトニズ
多 の 関 係 が 主 題 と な り 、exprim ere が 出 て く る の だ と 三 宅 は 指
し で 、 実 際 に 哲学 史 的 伝 統 を ほ と ん ど 持 た な か っ た 日 本 の学 界 の
特 質 が 批 判 さ れ て い る。 そ れ だ け に 、 流行 の底 に 本質 を把 握 し 、
摘する。この﹁表出﹂概念についても、マーンケやケーラーの史
﹁率 直 に い って 我 が 国 の哲 学 史 研 究 は 甚 だ 振 わ な い﹂ と の 書 き 出
国 哲 学 界 の近 来 の事 件 で あ る ﹂ と 評 価 す る ので あ る。
紀 オ ッ カ ム派 の自 然 哲学 ﹂、﹁ デ カ ル ト に お け る 延 長﹂、﹁ モ ナ ッ ド
る 宇 宙 論 ﹂、﹁ プ ラ ト ン以 後 の哲 学 に おけ る 無 限 の 思 想﹂、﹁十 四 世
八︶ 年 二 月 文 学 博 士 の 学 位 を 授 与 し た ︵審 査 委 員 ︰山 内 得 立、 田 辺 元 、
あ り 、 大作 で あ る﹂ 本 書 に対 し 、京 都 帝 国 大 学 は 一九 四 三 ︵昭一
る だ けで な く 、特 別 な 教 養と 努 力 を 要 求 し た文 字 ど おり の力 作 で
と も あ れ 、下 村 の 評し た よ う に ﹁十 年 の 思 索 と 読書 を 必 要 と す
質 的 な 動 機 や思 想連 関 を こそ 問 う べ き だ と 注 意 して い る。
的 考 証 も よ く見 た うえ で 三宅 は、 言 葉 を 辿 る だけ で は駄 目 で 、 本
西 洋 哲 学 を 歴 史 性 にお いて 理 解 し た三 宅 の同 書 を 、下 村 は ﹁我 が
同 書 の内 容 は以 下 の順 に 八 つの 章 に分 か れて い る ︰﹁ プラ ト ン
と 世 界 ︵ ライ プ ニ ッ ツ ︶﹂、﹁ カ ン ト に おけ る 時 間 、 空 間 、 お よ び
以 前 の 数 学 的 宇 宙 論 ﹂、﹁ イ デ ア と 数﹂、﹁﹃テ ィ マイ オ ス﹄ に お け
世 界 ﹂。 各 章 と も 精 緻 で 徹 底 し た 考 察 が 展 開 さ れ て い る が 、 いま
﹄
天 野 貞 祐︶。
﹃人 間 存 在 論
本 書 の 出 版 自 体 は 一 九 六 六 ︵昭 四 一 ︶ 年 で あ る が 、 そ の 構 想 は
第 三節
第 七 章 の ライ プ ニ ッッ 解 釈 を 取 り 上 げ 、 そ の 特 徴及 び ライ プ ニ ッ
ッ 研 究 史 へ の貢 献 と いう 観 点 から 、 二 点 に 絞 って 述 べ る。
第 一 に 、実 在 ︵実 体 モ ナド ︶ の 非 連 続 と い う 立場 に た つラ イ ブ
て 講 演 して い る し 、 京 都 大 学 文 学 部 教 授 在 任 中 ︵一九五四 ∼五 八︶
岡 山 大 学で 開 催 さ れ た 関 西 哲 学 会 で は﹁ 人 間 存 在 の問 題 ﹂ と 題 し
﹁ か な り 前 か ら﹂ 練 ら れ て いた 。 例 え ば 一 九 五 五 ︵昭三〇︶ 年 六 月
ア マチ ュ アで あ る こと が で き る ﹂ 点 を 喜 びと し て い た。 け だ し 、
視 点 から 統 一 さ れて い るこ と で あ る。 三 宅 は 生前 ﹁ 哲学 は万 学 の
が 蓄 積 さ れ 、 そ れ ら の多 様 な 素 材 が三 宅 の い う﹁ 経 験 的 現 実 ﹂ の
生 物 学 、 歴 史 学 、 社 会 学 等 の 異 な っ た分 野 に及 ぶ 膨 大 な 量 の 読 書
自 然 科学 や 社 会 科 学 と のイ ン タ ー・ デ ィ ス プ リ ナ リ ーな 対 話 を 、
う な 哲学 は 、 自己 閉 塞 に陥 る で あ ろ う 。 こ う して 三 宅 は、 哲 学 と 、
現 代 にあ って 自 然 科 学や 社 会 科 学 の 知 見と 働 き に無 関 心 で あ る よ
も 、﹁ 人 間 存 在 論 ﹂ と 題 す る研 究 講 義 を 連 続 して 行 な っ て い た 。
また学習院大学︵一九五八∼六五︶在職中の哲学概論講義の中でも
久 々に 書 き下 ろ し た 著 書 で あ り 、 自 ら の 体 系 構 築 の宣 言 書で あ る 。
換 言 す れ ば 異分 野 の 学問 成果 と の 比 較 な いし 比 較 思 想を 遂 行 す る
﹁ 人 間 存 在 論 ﹂ が 扱 われ て い た。 本 書 は ﹃十 九 世 紀 哲 学 史 ﹄ 以 来
こ の 時 期 す な わ ち 後 期 の 三 宅 は 、﹁ 歴 史 や 社 会 から ﹂ 考 え 始 め 、
な かで 、彼 の ﹃人 間 存 在 論﹄ を 展 開 す る ので あ る。 いま 同 書 第 二
づけ ら れ ね ば な ら な い ︵
﹁ 自 然 ﹂ や ﹁ 道 徳﹂ な ど 他 の 諸 領域 も 同
諸 現 象 を 統 一 的 に 理 解 す る立 場 を 、 人 間 存 在 の 存 在 論 的 解 明 に
様で あ る︶。 歴 史 は 道 徳化 も 全 体 化 も さ れて は な ら ず 、 ま た 感 覚
章 ﹁歴 史 ﹂ を 例 に と って 三 宅 の 議 論 の 特 徴 を 見よ う ︰
ま ず 本 書 の 主 題 につ いて 、 なぜ ﹁人 間 存 在 ﹂ か と いえ ば 、 哲 学
的 雑 多で も な い 。 そ の 意 味で 三 宅 は ト ッ クヴ ィ ル 、 マル ク ス、 あ
﹁ 一 歴 史 の 領域 ﹂︰ま ず ﹁ 歴 史﹂ と い わ れ る も の の 領域 が 限界
で は人 間 の 存 在 そ の も の, し かも 現 実 の人 生と 呼 ば れて い る も の
る い は ウ ェー バ ー や リ ッ カ ー トを 批 判 し 、 む し ろ 歴 史 家E ・ マイ
よ って 基 礎 付 け 、 そ こ から 体 系 的 に 、道 徳 、 芸 術 、歴 史 、宗 教 の
が 全 体 的 根 本 的 に明 ら か に さ れ ね ば なら な い か らで あ る 。 諸 々 の
問 題 を 解 明 し よ う と 試 み る ので あ る。
経 験科 学 は抽 象 的側 面 に つ いて の 認 識し か与 え な い 。 さ ら に な ぜ
ア ー や 社 会 学 者G ・ ジ ムメ ル の方 を 評 価 す る 。 し か し 体 験 を基 に
連 関 を 歴 史 の 領 域 だ と す る ので あ る 。
す る デ ィ ル タイ と も ま た 違 って 、結 局 、 社 会 的 作用 をも つ行 為 の
﹁ 二 行 為 と 制 度 ﹂︰三 宅 は ウ ェ ー バ ー の よ う な ノ ミ ナ リ ズ ム
で き な い から で あ る 。 方法 に つ いて は ﹁現 象 学 的 方 法 ﹂ と い わ れ
るが 、 こ れ は特 定 の 方 法 を 必 ず し も 意 味 せ ず 、﹁ 開 放 的 作 業 的 方
﹁現 実 ﹂ かと い うと 、 わ れ わ れ は経 験 な く し て 現 実 を 知 る こ と は
法 ﹂ で あ る。 三 宅 は 本 書で も西 洋 哲 学 の分 厚 い 伝 統 を 受 け と め た
︵個人的行為への還元︶に反対して、ア メリカの社 会学者T・ パ
﹁ 三 学 説 史 的 考 察 ﹂二 二宅 の 膨 大 な 読 書 の 蓄 積 が 遺 憾 無 く 発 揮
ー ソ ソ ズ の い う ﹁ 制 度 ﹂ の概 念 に注 目 す る 。
うえ で 、 そ れ ぞ れ の 哲 学 の 主 張 が い か な る 前 提 に 基 づ き 、 い かな
る限 界 を も つ か を解 明 し よ う と す る 。
し かし 何 と 言って も 、 本 書 の 最 大 の 特 色 は 、 哲 学 の み な ら ず 、
思 わ れ る諸 学 説 を と り あ げ 、 そ れ ら を 論 評 し な が ら 考 え て ゆ く 。
さ れ て いる 箇 所 。 三 宅 は 、 自 分 の思 想 を明 確 にす る の に役 立 つ と
念頭 に お いて い る こ と は 間 違 いな い。
宅 が 、 彼 自身 の少 年 期 、 自分 の育 った 時 代 と 社 会 の 状況 を 回顧 し 、
わ れ わ れ の う ち に深 く 浸 み こ ん だ も の と し て も つ ﹂。 こ の と き 三
定 で き な い 。 特 定 の 史 観 はな い。 状 況 は いつ で も 特 定 の状 況 で あ
﹁ 四 歴 史 的 作 用 連 関 の 諸 相﹂︰諸 因 子 と 状 況 の 一 義 的 連 関 は同
ル タイ の姿 勢 を 評 価 す る 。
よ う な試 み は、 今 回 の 岡山 大 会 シ ンポ ジ ウ ムで ﹁大 西 、 綱 島 、 三
おけ る西 洋 思 想 の受 容 と い う 観 点 か ら 展 望 し て おき た い。︵そ の
岡 山 の精 神 的 風 土 に つ いて 、三 宅 哲 学 と の 関 係 、 ま た近 代 日本 に
山 と い う問 題 性 の前 に 連 れ出 され る。 そ こで ふ 論 の最 後 に 、近 代
世 界 の 岡山 、 精 確 に い え ば明 治後 半 期 か ら 大正 前 期 に かけ て の岡
こ う して わ れ われ は 、 三 宅 自身 が 生 ま れ 、 育 ち 、 学 ん だ歴 史 的
例 え ば 、 デ ュ ー イ の ﹁ 進 歩 ﹂ や ﹁ オプ テ ィ ミ ズ ム﹂ と い っ た形 而
り 、 そ の 折 々 に 相 対 的 に 制 約 さ れ るだ け で あ る。 歴 史 の作 用 連関
宅 ﹂ が 取 り 上 げ ら れ た こ と の趣 旨 にも 沿 うで あろ う︶。
上 学 的 独 断 を 批 判 し 、 こ の 方 面 で は、 現 実 の 分 析 に沈 潜 す る デ ィ
は ﹁ 果 て し の な い 行 き 掛 り の 過 程 ﹂ で あ る。 三 宅 は 、 人 間 の現 実
おわり に
を 鋭 く 透 視 して 、 社 会 革 命 が 人 間 を 根 本 的 に変 え る な ど と い う期
待も実現しがたいと結論する。
︱三宅剛一の学風、岡山の精神的風土︱
三 宅 の 学 風 と し て は 、 方 法 的 な 面 で は 、﹁ 学 と し て の 哲 学 ﹂ の
歴 史 を 通 じて 人間 性 は 変 わ ら な い! こ の 三 宅 特 有 の リ ア リ ズ
ムな い し ペ シミ ズ ム は 、﹃人 間 存 在 論 ﹄ で は 次 の 第 三 章 ﹁ 自 己 ﹂
容 的な 面 を み ると 、 三 宅 哲学 そ の も の の 拠 って 立つ 立場 と し て 、
的 心情 の混 入 へ の厳 し いま で の禁 欲 な ど が 挙 げら れ る。 し かし 内
そこに最初からリアリズム・ペシミズム・リゴリズムという傾向
理 念 の追 究 、 西 洋 の 原 典 の厳 密 な 読 解 、 そ して 論 理 の飛 躍 や 主 観
い る と いう 点 が 強 調 さ れ る 。 も ち ろ ん そ こ に は ﹃存 在 と 時 間 ﹄ が
が見 え 隠 れ し て いる こ とも ま た否 定 で き な い 。 そし て じ つ はこ の
の 所 で 主 題 的 に 表 現 さ れ て いる 。 そ の 詳 細 につ いて は いま は省 く
意 識 さ れ て は い る が 、 三 宅 は同 時 にそ の ハイ デ ッ ガ ー の存 在 論 の
よ うな 傾 向 こ そ 、 三 宅 哲学 と 岡 山 を 結 ぶ 接 点で も あ る。
他 は な いが 、 と に か く 自 己 は 既 に事 実 性 のな か に投 げ 入 れ ら れ て
中に、形 式化され たキリ スト教 的概念が 入りこんで いると 見て
実 父 の事 業 失 敗 のた め に少 年 三 宅 の 目 の 前で 没 落 し たこ と が 、 世
三 宅 の長 男 で あ る 三 宅 正 樹 教 授 に よ れ ば 、四 百 年 続 い た生 家 が 、
も い る 。 そ して 三 宅 自 身 は 、 事 実 性 によ る自 己 の 規 定 と いう 問 題
を 彼 な り に 考え て 、﹁ 土 俗 性 ﹂ と い う 概 念 を 提 示 す る ので あ る。
﹁われわれは、各自の少年期 を、自ら 選ぶこと なしに、 そうして
1 山 陽 道 等主 要 幹 線 に 位置 し 、京 都 ・大 阪 にも 近 い 。三 大 河
な い 。 た め に 経済 的 に も 豊 かで あ っ た 。
川 と 瀬 戸 内 海。 気 候 温 暖で 地形 も 穏や かで 、 自 然 災 害 が少
俗 的 な も の 一 切 へ の 嫌悪 感 や 死 の 意 識 を 三 宅 に植 え 付 け たと いう 。
そ こ か ら ま た 学 問 への 厳 し さ も 生 ま れ た の で あ ろ う。 徹 底 性 や 批
初 期 に お け る キ リ ス ト教 の 県下 へ の 迅 速 な 伝 播。
︵ 日 蓮 宗 不 受 不 施 派 ︶ の誕 生 。 法 然 、 栄 西 の出 身 地 。 明 治
4 新 興 の宗 教 ︵ 金 光 教 、 黒 住 教 ︶ や 宗 教 的 ラ デ ィ カリ ズ ム
支 配 層 の 民 衆 教化 重 視 、 民 衆 の 学 習 意 欲 の 増 大。
設 立 総 数 一〇 三一 は全 国 第 三 位 、 私 塾 の 数 一四 四 は第 一 位 。
3 江戸 後 期 約 百 年間 の備 前 備 中 美 作 三 国 に おけ る 。寺子 屋 の
︵ 情 報 の 交 換 と蓄 積 ︶
2 江 戸 後 期 の 瀬戸 内 海 、四 国 地 域 に お け る 寺 社 参 詣 の 流 行
判 性 は三 宅 六 十 年 余の 哲 学 研 究 に遺 憾 な く 発 揮 さ れ た。 師 西 田 幾
多 郎 も 、﹁中 々 に人 を うけ が わな い三 宅 君 ﹂ だ か ら こ そ 、﹁三 宅 は
ど の よ う に批 評 す る か﹂ を常 に知 り たが っ た と い う 。 し か し以 上
のこ と は、 単 に三 宅個 人 の事 情 や 性 格 にと ど まら ず 、 も う 少 し 広
く近 代 岡 山 の精 神 的風 土 にも つ なが って い る よ う に 、 私 に は 思 わ
岡山 県 ︵ 備前 十備中 十美作︶ は 、我 が 国 で も 、 ず ば ぬ け て 多 く の 、
れ る。
それ も 第 一 級 の 哲 学 者 、 思 想 家 、文 学 者 等 を 輩出 し て い る 。 大西
祝 や 綱島 梁 川 の 批 評 主 義 や 徹底 性 など は 、 三 宅 や そ の 他 の 岡 山 出
固 一 徹 、 人 好 き の 悪 さ 、 融 通 の 無 さ と い った 評 も あ るよ うだ 。 ま
県 ・ 学者 県 で あ る 岡山 は、 そ の 暗 い 政 治 史 ・軍 事史 の ゆえ 、 ま た
本 年 二 月 逝 去 され た司 馬 遼 太 郎 氏 に よ れ ば 、 日 本 有 数 の 教 育
︵明 治 四 一 年 時 点 で 高 等 女 学 校 一七 校 は全 国 第 一 位 ︶
時 点 で は県 立 中 学 三 校 、 私 立 中 学 四 校︶、女 子 教 育 の 充 実
た リ ア リ ズ ム に関 し て は 、﹁人 生 は そ う 大 し た も の で は な い ﹂ と
目 立 た ぬ 幕 末 ・ 維 新期 の 情 勢 の ゆ え に 、 と も す れば 冴 え わ た ら な
5 明 治 早 期 の 学 校 設置 の波 ︵明 治 七 年 岡 山 中 学 。明 治 二 八 年
いう 感 覚 を 岡 山 出 身 の思 想 家 や 文 学 者 は 程 度 の 差 こ そ あ れ持 つと
いイ メー ジ を 被 って い る。 し か し 明 治 に 入 って 学校 制 度 が こ の地
身 者 に も 多 か れ 少 な か れ 共 通 し て見 出 だ さ れ る の で は な いか 。 そ
も 言 わ れ て い る。 逆 に所 謂 理 想 主 義 、 例 え ば 白樺 派 の よ う な方 向
で い ち 早 く 整 備 せ ら れ るや 、 官 僚 、 軍 人 、 政 治 家 、文 学 者 、 芸 術
れは、玄人好みの専門性とか鑑識眼の鋭さであり、その反面、頑
ア文 学 に親 し み 、後 にも 同 郷 で 自 然 主 義 の正 宗 白 鳥 を 愛 読 し た 。
等 に対 し て は或 る距 離 が 見 受 け ら れ る。 三 宅 も 六 高 在 学 中 に ロ シ
形 而 上 学 的 と も い え る 日蓮 宗 不 受 不 施 派 を 生 む など 、岡 山 に は 独
家 、 哲 学 者 、 宗 教 家 を 続 々と 輩 出 し た 。 新 興 の 宗 教 を二 つ も 持 ち 、
われ われ は安 易 な 想 定 を 差し 控 え 、 自 然 ・歴 史 ・ 文 化 ・ 宗 教 ・ 教
特 な も の が あ る 。 こ のよ うな 形 で の 日 本 史 へ の 貢 献 と いう こ と が
それ にし て も 岡山 に これ だけ の 人 材 の輩 出 をみ た の は 何故 か 。
育 に関 す る以 下 の 事 実 だけ を挙 げ て おこ う ︰
言 え る と す れ ば 、 三 宅 剛 一 を 通 し て 、 あ る い は 大 西 や 綱 島 等 を通
して、岡山が近代日本における西洋哲学の受容にはたした貢献も、
確かなそれとして、決して忘れられてはならないであろう。
︵ 1 ︶ ﹁ 三 宅 ﹂ と い う姓 は岡 山 県 、 と く に 倉 敷 以 西 に 多 いと い わ れ て い
る。
︵ 2 ︶ 船山 信 一 ﹃ 日 本 の 観 念 論 者 ﹄、 英 宝 社 、 一 九 五 一 年、 第 一 章/ 高
坂 正 顕 ﹃ 明治 思 想 史﹄。 高 坂 正 顕 著 作 集 第 七 巻 、 理 想 社 、 一 九 七〇
年参照。
︵3 ︶ 大 西 祝 全 集 第 六 巻 ﹁ 思潮 評 論 ﹂、 警醒 社 。 一 九〇 四 ︵ 明 三 七 ︶ 年 。
五 五一 六 〇 頁 他/ 平 山 洋 ﹃大 西 祝 と そ の 時 代 ﹄ 日 本図 書 セ ン ター 、
一 九 八 九 年 、 一 七 五− 一 八八 頁 参 照 。
︵4 ︶ 出 隆 著 作 集 第 七 巻 ﹁ 出 隆 自 伝﹂、 勁 草 書 房 、 一 九 七 八 年 。 三 〇 二
頁 以下 参 照 。
若き
﹂、 山 陽 放 送 学 術 文
︵5 ︶ 酒 井 潔 ﹁ 岡 山 出 身 の 哲 学 者 三 宅 剛 一 の 生 涯 と 思 想 ︵ 一 ︶−
三 宅 に お け る ラ イ プ エ ッツ と 現 象 学 の 受 容−
化財団﹁リポート﹂第三五号。一九九一年、参照。
︵6 ︶ 酒 井 潔 ﹁ 大正 期 第 六 高 等 学 校 の 人 文 教 育 と 哲 学 ア カ デ ミ ズ ムの 形
成 ﹂、 両 備 樫 園 記 念財 団 ﹃ 学 術 。 文 化 、 芸 術 、 教 育 活 動 に 関 す る 研
究論叢﹄第七集、一九九四年、参照。
︵ 7 ︶ 大正 一 三 年 こ の ﹁ 科 学 概 論 ﹂ 担 当 教 官 と し て 赴 任 ︵ 前 任 者 は順 に 、
田 辺 元 、 小 山 鞆 絵 、 高 橋 里 美 ︶、以 来 昭 和 二 六 年 法 文 学 部 哲 学 科 教
授 に配 置 替 え に な る ま で 二 二 年 間 在 任 し た 。 そ れ に よ る 関 連 文 献 や
資 料 は 、研 究 室 が仙 台 空 襲 を うけ 、 大半 が失 わ れ た 。
ンタ﹃第六デカルト的考察﹄によせて︱﹂︵酒井潔訳、﹃思想﹄第
︵8︶ R・ブルジーナ﹁現象学的形而上学への問い︱オイゲン・フィ
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︵22 ︶ ︵23
︶ ﹃経 験 的 現 実 の 哲 学 ﹄、三 三 九頁 参 照 。
日付 、 西 田 幾 多郎 全 集 第 一 九 巻 。
︵24
︶ 西 田 幾 多 郎 、下 村 寅 太郎 宛 書 簡 、 一 九 三 八 ︵昭 一 三 ︶ 年 八 月 二 六
一 九 八 〇 年 一〇 月 一 一 日号 。
︵25
︶ 下 村 寅 太 郎 、 書 評 ﹁ 三 宅 剛 一 著 ﹃経 験 的 現 実 の 哲 学 ﹄﹂、 図 書 新 聞 、
片 山 潜 、 山 室軍 平 / 文 学 ・ 評 論 ︰森 田 思 軒 、 正 宗 白 鳥 、 薄 田 泣 菫 、
︵26
︶ そ の 他 の 主 な 岡山 出 身者 ︰ 哲 学 ︰津 田 真 道 、 近 藤 洋 逸/ 思 想 ︰
坪 田 譲 治 、内 田 百聞 、 木下 利 玄 、 阿 部 知 二/ 宗 教 ︰黒 住 宗 忠 、 赤 沢
文 治/ 絵 画 ︰竹 久 夢 二 、小 野 竹 喬/ 物 理 学 ・ 生 物 学 ︰仁 科 芳 雄 、 川
村 多 実 二/ 政 治 ︰犬 養 毅 、山 川 均
︵27
︶ ﹃経 験 的 現 実 の哲 学 ﹄、 三 三 九 、 三 四 二 参 照 。
一 九 八 八 年 、 一 九 一頁 以 下 、 秋山 和 夫 ﹃岡山 の 教 育 ﹄ 第 三 版 、 日 本
︵28
︶ ひ ろ た ま さき 、 倉 地 克 直 編 著 ﹃岡 山 県 の 教 育 史 ﹄、 思 文 閣 出 版 、
文 教 出 版 、 一 九七 九 年 、参 照 。
︵29
︶ 司 馬 遼 太 郎 ﹃歴 史 を 紀 行 す る﹄、 文 春 文 庫 、 一 九 七 六 年 、 一 五 五
︵さ か い ・き よ し 、 哲 学 史 、 学 習 院 大 学 教 授 ︶
︱一七四頁参照。
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