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オ ランダ The Netherlands Cancer Institute(`12)

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オ ランダ The Netherlands Cancer Institute(`12)
2012 年マイコースプログ ラム活動 報告
書
0601218482
医学部医学科 4 回生
荒井宏之
↑オランダ、世界遺産キンデルダイクの大風車群。
2012 年 8 月 14 日より 10 月 19 日まで、オランダ、アムステルダムにある NKI (the
Netherlands Cancer Institute)にてマイコースプログラムを実施しましたので報告させて
いただきます。教務のレポートの方に研究内容の詳細は書きましたので、このレポートで
は出発までの準備や現地での生活、私が現地で感じたことなどについて主に書かせていた
だきます。これからマイコースで海外に行く人で、何かわからないことがある人は気軽に
連絡ください。
0.はじめに
私は大学入学以前から海外留学することに憧れており、このマイコースプログラムでは絶
対海外で研修しようと心に決めていました。また、私は海外の文化や人などにも昔から興
味があったので、この機会に医学の勉強だけでなくいろいろなことを体験してみようと思
いもありました。それに加え 5 回生から臨床実習が始まるとそれ以降何年かは臨床に没頭
することになるため、学部生としてこの時期に基礎研究の世界を体感しておくことは将来
研修医を終えた後の進路を考えるうえで有益であろうとも感じていました。以上のような
理由から、海外の基礎の研究室でマイコースを行う以外自分に選択肢はありませんでした。
3 回生の春学期、武田先生の授業で留学先を紹介していただけるという話を聞き、すぐに友
人と先生のところに話を聞きに行きました。先生は様々な留学先を提示してくださりかな
り迷ったのですが、結局オランダのアムステルダムにある NKI で研修することに決めまし
た。この研修先を選んだ理由としては、自分がガンの研究に興味があったこと、日本人の
研究者が研究室にいないこと、マイコースで京大生が初めていくところだったので興味を
ひかれたことがあります。これからマイコースで海外に行くことを考えている方は、せっ
かく日本を離れて海外に行くのですから、日本人がいないところに行くことを強くお勧め
します。私は日本人がいると自分の中に甘えが出てきてしまうと思ったので、不安もあり
ましたがあえて日本人の全くいない、かつ誰も行ったことのないところに行くことにしま
した。日本人がいないと自分からしゃべっていかないと生きていけないので、英語や度胸
の点で本当に成長できた気がします。
受け入れていただくよう先方に武田先生からメールを送っていただいてからしばらくして、
3 回生の 12 月ごろに研究室の秘書さんにメールを送り、宿舎の予約などをお願いしました。
研究室の持っている宿舎(後述)は早めにとらないとすぐに満室になるそうです。その後
は Supervisor の Marit(PhD student)と連絡を取り、読んでおいたほうがよい論文や身
につけておいたほうがよい手技などを教えてもらいました。
1.渡航前の準備から出発まで
『基礎の研究室で研修しよう!』と意気込んでいたものの、私自身それまで研究室に長期
間通い実験をするという経験があまりなかったので、部活の幹部を引退する直前の今年 3
月終わりから出発直前の 8 月頭まで放射線生物研究センターの古谷先生の研究室にお世話
になり、基本的な実験技術を教えてもらいました。学部の授業が終わった時間から、しか
も毎日伺えるわけでもないのに、古谷先生には本当によくしていただきました。また、出
発直前にはわざわざ研究室の方々と送別会を開いてくださり、感謝してもしきれません。
この場を借りて心からお礼申し上げます。現地では、日本で実験の手技を勉強していった
のが本当に役に立ちました。が、やはりラボによっていろいろなことが違うので、慣れる
まではなかなか大変でした。これからマイコースを海外で行おうと考えている人は、日本
である程度実験に親しんでおくことをお勧めします。基本的にいるだけで邪魔になるので。
ただ、どのみち向こうに行ってから新しく覚えることもたくさんあるので、日本ですべて
完璧にしてから行こうと気負いすぎないことも大切かと思います。
渡航前に準備したものとしては、パスポートは持っていたのでほかに現金 1000 ユーロ、ク
レジットカード、新生銀行のキャッシュカード、Travelex、航空券などです。宿代の支払
い方がこの時点ではわからなかったので現金を多めに持っていきました。
(結局現金払いで
した。)クレジットカードは便利なので絶対持って行きましょう。(たまにスーパーや駅の
自動切符売り場で使えないこともありましたが。)キャッシュカードと Travelex は現金を
補充する目的で作りましたが、どちらか片方だけでいいと思います。Travelex には Master
card としての機能もあり買い物もできるので便利です。航空券は関西空港からアムステル
ダムスキポール空港への KLM の直行便を JTB で予約しました。航空券はネットでも生協
でも取れます。私の場合、出発がお盆にかぶっていたためか往復で 20 万円かかりました。
トランジットするのが面倒だったので私は直行便にしましたが、乗換ありだともう少し安
く済みます。飛行機の予約は早いに越したことがないので、早めに研修期間を設定するこ
とをお勧めします。
私自身実家が京都のため今回人生初一人暮らしが海外ということもあり、行く前はいろい
ろ心配していまいたが、現地の店でもある程度身の回り品はそろうのでそこまで心配する
必要はなかったです。ただ、コンセントのアダプター、パソコン、医薬品、お土産などは
日本から持っていきましょう。また、瞬間湯沸かし器はあると重宝します。それと個人的
にはスマートフォンは本当に便利だったのでガラケーの人は変更することをお勧めします。
海外では喫茶店とか駅とか列車の中に Wi-fi が飛んでいることが多く、旅先にパソコンを持
っていかなくてよいので便利です。ただ、設定を間違えるとパケット料金を高額に請求さ
れる(らしい)ので、事前に au ショップとかに話を聞きに行きましょう。
出発当日は記録的な大雨の日で、新幹線在来線すべて運休という事態になりました。仕方
ないのでタクシーに乗り換えたのですが、高速道路も通行止め、下の道も大渋滞で飛行機
に間に合うかかなり心配しました。結局離陸時刻の 1 時間 30 分ほど前に関西空港に到着し、
大急ぎでチェックイン、出国審査を済ませてゲートまで走り、気が付いたら飛行機に乗っ
てました。今となってはいい思い出ですが、その時は気が気じゃなかったです。皆さんも
空港には早めにいくようスケジュールを組んでおいた方がいいと思います。
2.NKI および研究について
NKI はオランダの首都、アムステルダムの郊外に位置しています。日本からアムステルダ
ムのスキポール空港まで 11 時間、そこからバスで 15 分ほどのところにあります。研究所
はかなり大きく、オランダ国内で最大のガン研究施設だそうです。また、研究所には病院
(AVL; Antoni Van Leeuwenhoek Ziekenhuis)が付属しており、私自身は見学する余裕
がなかったのですが Radiotherapy を積極的にやっているようでした。
↑NKI 外観。建物に書いてある顔は生物でおなじみのレーウェンフックさんです。実はオ
ランダ人です。
↑研究所の前には川が流れていて、晴れるととてもきれいです。
↑研究所エントランス付近。建物は新しくてとても広々としています。
私がお世話になった研究室はボスの Fred、ポスドクが一人、PhD student が二人、
Technician が一人、internship で来ている学生が一人の計 6 名のラボで、全員オランダ人
でした。同じフロアの他のラボにはスペイン人や中国人などいろいろな国の人がおり、時
折彼らと話す機会もあり面白かったです。NKI は大学に付属していない独立した研究施設
のため、年の近い学生が大学の研究室と比べると少なかったのは少々残念でした。どこの
研究室でもそうかとは思いますが、ラボの人達とは年が離れていること、自分が研究室で
教えてもらっているという立場であることから、対等な友達関係にはなりにくいです。(こ
れは海外日本問わずどこの研究室でも同じでしょう。もちろん仲良くはなります。)ただ、
その分研究者の生活スタイルをたくさん見ることができましたし、後述しますが現地の学
生とは別ルートで仲良くなれました。
このラボは Epigenetics 専門としており、Histone modification や Histone chaperone の機
能 な ど を 酵 母 を モ デ ル と し て 解 析 し て い ま し た 。 Group leader の Fred は histone
methyltransferase である Dot1 の機能を明らかにしたことで知られています。正直私自身
ガンの研究ができるのかなと思ってここに来たため、実際かなり基礎的な研究をすること
になり当てが外れた感じはありましたが、一生懸命やって結果が出てくると面白かったで
す。基本的には Marit が用意してくれたプロジェクトを進めました。割と自由に実験をさ
せてくれ、人手具足としてこき使われることもなく良かったです。初めの 2 週間ほどは
Marit について試薬の場所や手技・などを教えてもらい、それ以降は助言をもらいながら一
人で実験を進めるという感じでした。ラボの印象としては、『時間は有限なのだから無駄な
実験はせず、効率的にうまく実験をしよう。』という意識が強かった気がします。『ポジコ
ンもネガコンもしっかりとって実験しないとあなたの実験結果は biologically interesting
にすぎないんだよ』という Fred の言葉が印象に残っています。
↑ラボの風景。酵母を扱う部屋です。この他に普通のオープンラボもあり、そこのデスク
を割り当てられました。かなり開放的な空間でした。
研究内容については教務提出のレポートに詳しく記載しましたので、ここでは概略のみ述
べさせていただきます。私のプロジェクトは histone chaperone である Chz1 と Nap1 の機
能を明らかにすることでした。
Chz1 と Nap1 はともに酵母における Histone H2A の major
variant である Histone Htz1 の核内輸送や incorporation に重要な役割を果たしています。
これらの histone chaperone は機能的に似通っており(functional redundancy)、各々がど
れほど specific な役割を持つのか、ほかのタンパク質とどのような functional relationship
をもつのかなどはいまだに明らかになっていません。私が行った実験は大きく KO strain
の作成とその分析の二つに分けられます。まず Chz1 と Nap1 の single KO strain と double
KO dtrain を PCR や transformation の手法を用いて作成します。その後、この研究室で
開発された RITE(Recombination Induced Tag Exchange)という手法を用いて細胞内に
元々存在していた histone と新しく合成された histone との tag を切り替えて別々に follow
できるようにし、それらを Western blotting, FACS, Plating assay, Spot test などの手法
を用いて分析するというものでした。実験系自体は理解しやすいもので、結果的には Chz1
single KO strain は WT とあまり違いがみられなかった一方、Nap1 single KO strain は
Double KO strain よりもいっそう histone turnover が低下し、かつ Cell cycle にもより多
くの障害を持つという興味深い結果が得られました。時間的な都合上実際に細胞内で
histone の発現量にどのような変化が起きているのか RT-PCR などによって解析すること
はできませんでしたが、キリの良いところで実験を終えることができたので個人的には満
足でした。
最後のラボミーティングでは自分が 2 か月間やってきたことについて 30 分∼40 分ほどプ
レゼンテーションをする機会があり、本当に勉強になりました。旅行から帰った翌日の月
曜日でかなりハードだったのですが、Fred には”Great presentation!”とほめてもらえたの
で本当にうれしかったです。小さなことでも自分がやったことを発表してほかの人に聞い
てもらい意見をもらうというのは楽しく、研究をすることの大きな魅力の一つなんだなぁ
と感じました。
また、NKI ではいろいろなセミナーが毎日のように開かれていました。毎週月曜日は 10 時
からラボミーティング、火曜日と木曜日の 12 時からは若手研究者が実験の進行状況を 1 時
間ほどプレゼンする informal meeting が開かれており、できる限り出席しました。また、
不定期に研究所外から研究者を招いて講演が開かれることも多々ありました。どのセミナ
ーや講演でも、多くの人がどんどん質問をとばしてディスカッションしている様子が本当
に新鮮でした。日本と大違いです。
毎週金曜日には Borrel(オランダ語らしいですがいい日本語が見つかりませんでした)と
いう研究所主催の飲み会が開かれ、ただでビールやおつまみにありつけました。私も結構
な頻度で参加しましたがいろいろな人と話すことができ楽しかったです。ただ、向こうの
人はありえないぐらいのスピードでビールを消費するので、ちょっと遅れていくとビール
が残っていないこともありました。
↑ラボのメンバーとのホームパーティーにて。青い服を着た男性がボスの Fred、その右隣
が supervisor の Marit です。
3.現地での生活、その他について
<生活リズムについて>
平日は基本的に朝 7 時起床、9 時すこし前に研究室につき 12 時まで実験、昼食をはさんで
再び 18 時前まで実験、その後スーパーにより 19 時ごろ帰宅、夕食をとり本を読んだりし
て 23 時前には就寝という生活をしていました。やはり日本にいるときと疲れ方が違うので、
なるべく睡眠時間を長くとるようにしていました。
実験が早めに終わったときは街に出てうろうろしたり、気がむいたらコンチェルトへボウ
(世界屈指のオーケストラです)でコンサートを聴いたりしてました。コンチェルトへボ
ウは特にお勧めで、研究所からトラムで 20 分程度でホールに行くことができ、かつコンサ
ートの開始が 20 時 15 分からのため実験が終わってからでもいけます。また、5000 円程度
で一番いい席が取れます。そしてなんと休憩時間には飲み物(ハイネケン、ワイン、コー
ヒー、紅茶など)が飲み放題!生の演奏は何度聞いても感動したので、アムステルダムに
行く機会があったらぜひ聴いてみてください。また、アムステルダムはいろいろな意味で
夜の街なので、せっかく来たなら夜の街を歩いてみることをお勧めします。ありとあらゆ
るところにバーやパブ、ディスコがあり、活気がすごいです。ライトアップされた運河沿
いもきれいです。
↑Concertgebouw(コンチェルトへボウ)外観。
↑Brown café(オランダ版居酒屋)内部。町中にはこんな店が無数にあり夜には大賑わい
です。ちなみに Coffee shop はマリファナを売る店なので注意してください。
週末は完全にフリーなのですべて旅行にあてました。今から思うとあそこまでアクティブ
に動けたのが不思議なほどです。結局 2 か月ちょっとで 8 か国行くことができました。何
をしに行ったんだといわれても文句が言えないぐらいヨーロッパを満喫してしまいました。
持って行ったヨーロッパとベネルクスの地球の歩き方はボロボロになりました。もちろん、
月曜日にアムステルダムに帰ってラボに行くときは本当にしんどかったですが、今しかで
きないと思ってがむしゃらに旅行しまくりました。土日 2 日間をフル活用しようとしたた
めに土曜日早朝出発日曜日夜遅く帰宅という感じで、しかもありえないようなスケジュー
ルで歩きまわって走り回ったので、本当に若い今しかできなかったと思います。今年はマ
イコースでヨーロッパに来ている友人が大勢いたので、よく一緒に旅行しました。可能な
ら日本で一緒に旅行する計画を立てておくと楽かもしれません。また、アムステルダムは
ヨーロッパのどこからもアクセスしやすいので、平日にもよく大学や高校の友人がアムス
テルダムに遊びに来ており、ラボが終わってから遊びに行ったりしていました。とにかく
どの週末も本当に楽しく、夢のような日々でした。
ただ、ブリュッセルではイタリア人の 3 人組に財布の中身 100 ユーロほどをすられました
(笑)クレジットカードと現金は分けて持っておくことをお勧めします。
以下、参考までに旅程と写真を載せておきます。
8/18, 8/19;
パリ、モンサンミシェル(友人と)
8/25, 8/26; ブリュッセル、ブリュージュ(友人と)
9/1, 9/2;
ライデン、デルフト、デン・ハーグ、アムステルダム(一人旅)
9/8, 9/9; ロンドン(友人と)
9/15, 9/16; ウィーン、ワッハウ渓谷(一人旅)
9/22, 9/23; ユトレヒト、キンデルダイク、ザーンセスカンス、アントワープ(友人と)
9/29, 9/30; ハイデルベルグ、フランクフルト、ライン川下り、ケルン(友人と))
10/6, 10/7; グリンデルワルト、ユングフラウヨッホ、ベルン、モントルー、ローザンヌ(友
人と)
10/13, 14; プラハ(一人旅)
↑モンサンミシェルの夕暮。オムレツが名物なのですがぼられました(笑)
↑ロンドンにて。道行く人はみんなジェントルマンでとても親切でした。イギリス英語は
初め全く別の言葉のように聞こえましたが、やはりかっこいいです。ちょうど私が行った
日がパラリンピックの最終日で、町中でマラソンが行われていました。また、帰りの飛行
機の窓からは閉会式の様子を見ることもできました。
ちなみに全然関係ないですが、外国人に何か頼むときは thank you と please だけは忘れな
いようにしましょう。あと笑顔。これだけで対応が全然違います。また、男性に呼びかけ
るときは sir をつけると若干喜ばれる気がしました。
↑フランクフルトにて。ヨーロッパ組に加え日本のマイコースメンバーも合流して結局 10
人弱集まりました。フランクフルト自体にはあまり見るものはありませんが、交通の便が
良いです。また、この時期にはミュンヘンでオクトーバーフェストが開かれており、そこ
に行った友人たちも楽しそうでした。
↑プラハにて。百塔の街といわれます。大戦で戦災を受けていないから昔の建物が残って
いるんだよ、と地元の人。通貨もチェココルナといってユーロと異なるため、かなり物価
が安いです。旧東欧圏は産業が西欧圏に比べて少ない(失礼)ためか、移民の姿を全く見
かけませんでした。古き良きヨーロッパがうまく保存されています。
印象としては、列車でほかの国にいけるというのがとても新鮮で、また飛行機での移動費
も安いのでありがたかったです。格安航空会社の Easyjet などを使うと往復 6000 円ぐらい
だったりします。国によって街並みや文化、人々が異なり、本当に興味深かったです。個
人的には、60 年ほど前には戦争をしていた国同士が EU(ノーベル平和賞とりましたね)
の旗のもと、移動の自由や通貨の統一を成し遂げている様子に感銘を受けました。また、
列車などで一緒になった人と会話する機会が本当にたくさんあり、日本が他の国からどう
見られているのか実感できたのも大きな収穫です。単に海外旅行でヨーロッパに来るので
はなく、勉強を目的としてきたうえで限られた時間をフルに活用しようとしたことにより
充実した時間が過ごせました。
そのほかに面白かったこととしては、別のラボにインターンに来ていたスリランカ人の学
生からユトレヒト大学で行われている日本語の授業を紹介されて 2 回ほど参加したことが
あります。ユトレヒト大学の学生と交流を持つことができ、とても刺激を受けました。彼
らは専攻が日本文学でないのにもかかわらず(建築やバイオサイエンス、ゲームクリエイ
ティング etc.)、本当に熱心に日本語を勉強していました。私も日本に帰ったら第 2 外国語
を本気で勉強しようと思いました。また、2 回目の授業では 2 時間ほど日本語の授業を担当
することになり、英語のみならず日本語の勉強にもなりました。この学生たちは来年京大
に留学する予定らしく、一緒に遊ぶ約束もできたので楽しみです。
<食事について>
朝食は宿舎でシリアルを食べるか、研究所に付属している病院のカフェテリアで食べてい
ました。カフェテリアでは Wi-fi が使えるので、宿舎でネットが使えなかったころはよくこ
こで食べてました。
昼食はラボメンバーと一緒に研究所の食堂で食べます。この研究所では昼食をラボメンバ
ーととるのが当たり前のようで、皆昼食の時間を考えて実験スケジュールを組んでいたほ
どでした。また、オランダの料理はまずいまずいといろいろな人から聞いていたので覚悟
していったのですが、食堂のご飯は日本と変わらないレベルでした。しかも異常に安く、
私は基本的にクロワッサンとスープとサラダを食べていたのですがこれで 2.5 ユーロ程度
でした。ほかにもパスタなど暖かい食べ物も用意されています。ちなみに昼食代を払うに
は個人用のカードにお金をチャージする必要があり、現地銀行のバンクカードがないとで
きないためラボの人にお願いしてチャージしてもらっていました。
夕食は基本自炊でたまに外食していました。アムステルダムはヨーロッパでは珍しく、
Albert Heijn や Dirk といった大型スーパーが至る所にあり、かつ夜 10 時まであいている
場合が多いのでとても便利です。また、物価が安いため、自炊のできる人は食費をかなり
節約できます。(外食は日本並みの値段です。)自炊好きな人にとってはたまらない環境か
と思います。食材も豊富なので見ているだけで楽しめました。ただ私の場合本当に見てる
だけで、自炊能力が低かったため毎日パスタばっかり作って食べてました。また、ビール
が水より安いのも衝撃的でよくいろんなビールを買ってきて試し飲みしたりしていました。
日本食に関しては日本から持ってきたものとたまたま知り合った研究室の事務員さん(旦
那さんが日本人!)が分けてくれたもの、そして明治屋(なぜかありました。18 時に閉店
してしまい、かつ自転車で 30 分かかりますが。)などのスーパーで買ったものとあいまっ
て全く不自由しませんでした。むしろかえって日本食が余りすぎてしまい、帰国直前の一
週間は毎日インスタントみそ汁ばかり飲んでいました。それでも大量に余ってしまい、宿
舎においてくるはめになり結構もったいなかったです。
<住居について>
現地では秘書さんに紹介してもらった研究所付属の宿舎(Louweshoek といいます)に住ん
でいました。月 309 ユーロと破格に安く、かつ研究所から徒歩 5 分(自転車を貸してもら
ったので実質 1 分)のところにあり非常に便利で、交通費が浮いたのも大きかったです。
部屋は一人部屋でベッドと机、いす、クローゼットなどがあり、結構広かったです。ゴッ
ホ美術館やアムステルダム中央駅などの市内中心部まで家の前からトラムに乗り 20 分∼30
分程度でアクセスできます。また、研究所自体がスキポール空港に近いため、宿舎からバ
スで 15 分程度で空港に行くこともできます。このように宿舎の立地が良かったため、週末
に旅行に行くときや友達と遊びに行くときには本当に便利でした。
ただ、安いのにはそれなりの理由があり、シャワー、トイレ、キッチン、冷蔵庫が隣部屋
の人と共有で、洗濯機がなかったのでトラムで 15 分ほどのところにあるコインランドリー
に洗濯に行かなければなりませんでした。家賃が安いためかヒスパニック系の人が多く、
また夜は廊下など暗いところが多いのでどきどきします。私が帰国する直前には、宿舎の
どこからかアスベストが漏れているらしい(!)ということで緊急会議に呼び出されたこ
ともありました。(実際は何ともなかったようですが
。)
↑宿舎の建物。
↑帰国当日の部屋の様子。手前にベッドとクローゼットがあります。暖房は窓際の温水ヒ
ーター(?)みたいなのが使えます。宿舎の周りの庭には野ウサギがなぜかいっぱいいま
した。
また、ネット環境がなかったので初めの 3 週間ほどは研究所にとんでいる Wi-fi をひろった
り、研究室のパソコンを使ったりしていました。ただ、私の場合ラッキーなことに 9 月の
頭から隣部屋のホンジュラス人の放射線技師さんが Wi-fi を 1 か月半 20 ユーロほどで貸し
てくれたので、それ以降は日本にいるときと変わりなく生活できました。
(研究所の人に聞
くところによると,この宿舎ではルームメイトや隣部屋の人に Wi-fi を share してもらうよ
う頼むのが当たり前のようです。)この技師さんにはコインランドリーの場所を教えてもら
ったりいろいろとお世話になりました。また、9 月半ばからはご両親を連れてきていて、ス
ペイン語しかわからないお母さんとしゃべったりすることになり、貴重な経験になりまし
た。ただ、ラボのボスもこの宿舎は古くて best place ではないといっていて、来年からは
近場のホテルを斡旋することも考えるといっていました。
とにかく、生活環境に関しては日本で住んでいるところよりいい場所に住めることは絶対
にないのでどこかで妥協することが必要かと思います。私の場合も慣れてしまえばなんて
ことなかったです。
<費用について>
旅行代を除いて航空機代 20 万円、宿代 8 万円、食費 8 万円、その他生活費 4 万円程度でし
ょうか。とにかくオランダは物価が安いので外食さえしなければ安く済みます。ただ、私
は上記のようにいろいろなところに旅行したので旅行代が全部で 35 万円ぐらいかかりまし
た。。。クレジットカードの請求が怖いです。ただ、日本から個別の国に行くよりは段違い
に安く済みますし、本当にいい経験ができたので全く後悔していません。
<アムステルダムについて>
アムステルダムはヨーロッパ大陸のかなり北の方に位置しているので、朝は結構冷え込み
ます。上着は必ず持っていきましょう。私は革ジャン一枚だけ持っていきましたが 10 月後
半はそれでも寒かったので、ヒートテックとかあるといいかもしれません。(服はファスト
ファッションショップなどが無数にあるので現地でも買えます。
)また、一日に一回は必ず
雨が降るので折り畳み傘は必須です。
アムステルダムの街には自転車が多く(京大近辺と同じぐらい)
、みんな日本人の 2 倍ぐら
いのスピードで走っています。それに加えトラムもバンバン猛スピードで走っているので
道を渡るときには気を付けましょう。私は自転車、トラム、車各々に少なくとも 1 回はひ
かれそうになりました。
関係ないですが、オランダ国内のバス、トラム、国鉄では OV チップカールトという日本
の ICOCA みたいなカードが共通で使えます。空港や中央駅の自動販売機で買うことができ、
切符を買う手間が省けるので便利です。ちなみにトラムの運賃もめちゃめちゃ安いです。
(2
ユーロでどこでも行けた気が。
)そしてオランダの自転車のほとんどはハンドブレーキでは
なく足でブレーキをかけるタイプなので慣れるまでは注意してください。
治安に関しては、日中は全く問題ありませんでした。移民が多いのでほかのヨーロッパの
都市とは雰囲気が若干異なりますが。夜中も人気の少ないところや危ないところ(中央駅
周辺、Red light district など)に行かない限り大丈夫です。トラムの中も人目がある限り
安全かと思います。ただ、私は一度ラボの飲み会の後に中央駅周辺で迷子になってしまい、
深夜の町中で 2 時間ほど自転車をこぎ続けるはめになりました。このときはさすがに焦り
ました。いかがわしいところに迷い込んだり黒人につきまとわれたりして結構ヤバかった
です。アムステルダムの街はどこにも運河と橋があって風景が似ており、かつ運河の流れ
る向きが場所によって変わるので方向感覚が狂いやすいです。地図と方位磁石を持ってい
くことをお勧めします。
話はずれますが、オランダはマリファナ、売春、同性愛などなどいろんなことが合法の国
です。オランダに行かれる方はそういった異文化を体験してみるのも一興ですが、自分の
身は自分で守りましょう。
(ちなみにオランダ人の友人によると、オランダの人口の 11%は
ホモセクシャルで、バイセクシャルを合わせるともっと多いそうです。身に覚えのある人
は注意しましょう。私も何回か絡まれました。
)
<オランダ人について>
オランダ人に関しては、まずでかいです。ガリバー旅行記に出てくる人のイメージです。
平均身長もなぜか年々伸びていて、何十年後には 2m に達するとか達しないとか。身長が伸
びすぎて困るから成長ホルモン阻害剤(?)を飲んでいる人もいるんだよとラボの人は言
っていました。そして年齢問わず誰でも流暢に英語が話せます。研究所の人はもちろんの
ことタクシーやバスの運転手、スーパーに買い物に来てるおばちゃんなどありとあらゆる
人が話せます。(通じなかったのは 80 歳ぐらいのおじいちゃんに道を尋ねたとき一度きり
でした。)オランダ人同士が会話しているときにオランダ語がわからないというと一瞬で会
話がオランダ語から英語に切り替わり、そのままのテンションで会話が続いていきます。
これは本当に衝撃的でした。おそらくオランダはヨーロッパ大陸では最も英語圏の国に近
い国の一つでしょう。英語の勉強もしてみたい人はオランダなど北欧圏での研修も考慮し
ては如何でしょうか。
あと、個人的な注意点としては、オランダ人の女性はかなり直接的なものの言い方をする
ので日本的な女性観は捨てて行った方がいいです。私も初めはかなり戸惑い、『この人日本
人嫌いなのかな
?』と感じたほどでしたが、性別年齢身分関わらず誰に対してもそんな
感じでした。身長もめちゃめちゃ高く(175cm 以上がザラ)、かつめちゃめちゃ元気(自転
車で 40 分通勤もなんのその)でまるで違う生き物のようでした。ただ慣れてしまえば表裏
のない正直な人達です。(友人によると北欧人は冷たいように見えるが表裏がなく、南欧人
はフレンドリーに見えて裏で何を言っているかわからない、とのことでした。)かつ、オラ
ンダ人は移民を受け入れ慣れているためか義侠心(?)にあふれた人が多く、絶対に約束
を守ります。駅で切符の買い方がわからずあたふたしていると何人もの人が助けに来てく
れたり、先述のオランダ人の学生にユトレヒト大学への行き方がわからないというと時刻
表をすべて調べてくれ、かつ迎えにまで来てくれました。
4.帰国
帰国する一週間前に一通りの実験を終えて最終週の月曜日にプレゼンを行い、結局帰国す
る前日もラボに通ってレポートを書いていました。帰国当日はラボに顔を出して挨拶を済
ませ、宿舎のカギと研究所のカードキーを返却して空港に向かいました。このときは日本
出発の教訓から 3 時間前に空港に着くようにしたのですが逆に暇すぎました。飛行機も定
刻通り、天候も晴れで、行きとは大違いの快適な帰国でした。飛行機の窓から日本が見え
たときにはなんだかグッとくるものがありましたし、税関の職員さんがコテコテの関西弁
で話しかけてきたときには懐かしくてちょっと泣きそうになりました(笑)ああ日本に(とい
うか関西に)帰ってきたんだなあと感じました。
5. 感想
今回のマイコースプログラムは、自分に研究者としての適性があるのかどうか、将来留学
をするのかどうか、海外で働くのかどうか考えるうえで非常にいい経験となりました。平
日 5 日間毎日朝から晩までラボに通うという経験は初めてで、研究者の生活がどのような
ものか具体的なイメージを持つことができました。また、逆説的ですがこれから臨床の勉
強も頑張ろうという気にもなりました。私自身、生命の神秘を明らかにするために研究す
るというモチベーションよりは、臨床と関連があるから研究するというモチベーションの
方が強い気がしました。将来研究をすることになった場合は、研究のための研究ではなく、
病態生理の解明や新たな治療法につながるような研究をしてみたいなと強く感じました。
英語の勉強の点でも本当に役に立ちました。確かに発音やリスニングなどの勉強は日本で
もできますが、実際に外国人が英語を話している様子は教材とかニュース映像とは違いま
す。私は日常会話には不安はなかったのですが、飲み会などで外国人同士が英語で盛り上
がっているときや、セミナーなどで質疑応答が飛び交っているときはかなり厳しかったで
す。また、研究者独特の言い回しも初めは慣れず苦労しました(dilution の倍率とか試薬の
名前とかとか)。しかし、2 か月英語だけの環境で生活したことでフォローする能力は徐々
に上がってきました。ただ、やはり背景知識がない会話(ラボの人同士の世間話、全く知
らない分野のセミナーなどなど)は難しいままでした。これは日本語でも難しいので仕方
ないのかなあとも感じましたが。また、実験及びセミナー、発表などを英語のみの環境で
体験してみて、英語という言葉を用いるだけでこれほどフラットな地平で、相手が目上で
あろうがなんだろうがだれであっても自由に意見を交換できるのかと驚嘆しました。悔し
いですが、科学の分野においては敬語や丁寧語の区別のない英語が有利だなぁと感じまし
た。(日本語の方が確実に情感豊かな言葉であると思いますが。)英語が話せないというだ
けで自分の意見を外国人に伝えられないというのはもったいないですし、外国人と対等な
スタートラインからディスカッションするためにも、英語ぐらい話せないといけないと強
く感じました。これに加え、国籍性別身分問わずいろいろな人と話したことにより、誰が
相手でも、自分の英語が不十分でも物怖じせず英語を話すことのできる度胸がつきました。
この度胸は実際にある期間英語を使う環境で暮らしてみないと身につかないと思います。
マイコースで海外に行った人はほんとにしゃべらなきゃ損です。
また、日本人のいない環境下で 2 か月海外で暮らしてみたこと(私の場合人生初一人暮ら
し)で、自分的にはかなりたくましくなりました。
(自炊のスキルは上がりませんでしたが。
)
海外に旅行に行くこととそこでしばらく暮らすこととは次元が違います。困ったことがあ
れば自分で解決しなければいけないし、交渉も自分でしなければいけません。Wi-fi を貸し
てもらえるよう隣部屋の人とも交渉しましたし、旅行先では宿代をぼられそうになってホ
テルの人と口喧嘩したこともありました。外国では日本と違って自分からアプローチして
いかないと誰も何もしてくれません。日本にいてはこれほどアグレッシブにはなれなかっ
たと思います。自分の成長が実感できるという点でも海外でマイコースを行えてよかった
です。
以上留学のプラスの点について書いてきましたが、以下私が個人的に感じたことを書かせ
ていただきます。
オランダに行く前は『留学って楽しそうだな』とか『行くだけで箔がつくんだろうな』と
いったプラスのイメージが先行していましたが、実際にはそればかりではないんだなあと
も感じました。(もちろんいい点もたくさん体感できましたが。)日本という住み慣れた土
地を離れて外国に適応するには自分を売り込んでいくアグレッシブな姿勢が必要ですし、
食生活や文化的背景が違う国に適応するのはなかなか大変です。正直しんどいときはしん
どいです。また、この 2 か月間外国から日本を眺めてみたことで、日本ほど生活水準が高
く治安がいい国は他にないと痛感し、今まで当たり前に思っていた日本での生活がとてつ
もなく愛しく思えました。(マイコース中に友人たちと話してみても多くの人が日本は素晴
らしい国だという結論になってました。
)今本当に日本が好きで好きでたまりません(笑)
個人的に一番印象に残っているのは、隣のラボの中国人のポスドクと話す機会があったの
ですが、彼によると自分が中国を離れ海外で研究しているのは『中国には Position(地位)
と Facility(設備)、Salary(給料)がないからだ』そうです。こうした背景があるからこ
そ、国を捨てる覚悟をして海外に渡り、研究を続けるハングリー精神を保ち続けることが
できるのだと思います。(彼はいかなるセミナーの時も絶対に質問をしていました。)あく
まで個人的には、日本は 50 年ほど前とは異なりすでに国内の研究レベルや設備がある程度
のレベルまで達しているため、わざわざ日本を捨て海外で研究するメリットが薄れてきて
いるのではないかと感じました。帰国直前には山中先生のノーベル賞受賞のニュースを耳
にし、ますますこの思いが強くなりました。インターネットが発達し、世界のほとんどの
場所に 24 時間以内に行くことのできる現在、英語さえできれば日本にいても論文や学会で
自分の意見を世界に発信でき、かつ世界で何が起きているのかリアルタイムで知ることが
できる気がします。単に楽しそうだからとか箔がつくからといった理由で留学を試みるの
は(もちろんそれもいいのでしょうが)先のポスドクのような人達に失礼ですし考え物だ
なあと思いました。住み慣れた日本という国を離れるほどのメリットが海外での仕事や研
究にあるのかどうか。この問いには自分の中でまだ答えが出せておらず、今後の学生生活、
研修医生活の課題にしようと思います。この思いを払拭するほどの魅力的な研究、病院、
人間に出会えたときには私は喜んで将来日本を離れて留学するつもりです。(ただ、向こう
10 年は日本のために仕事をしようかと思います。)
いろいろ好き勝手に書いてしまいましたが、とにかくこの 2 か月間は 1 日も退屈したこと
がなく、毎日本当に充実していました。もちろん楽しいことばかりではありません。実験
の結果が出ないときは苦しかったですし、なかなか思いが伝わらずもどかしく感じる時も
ありました。しかし、こうしたことすべて含めて留学だと思います。私も行く前はたかが 2
カ月なんか留学と呼べないと思っていましたが、期待していた以上に多くのものを学べま
した。それはもちろん基礎医学の知識や実験手技でもありますが、それに負けないぐらい
たくさんの人の考え方、生き方に出会うことができました。マイコースで海外に行こうか
迷っている人は、迷うぐらいなら行ってしまうことをお勧めします。学部生の今だからこ
そ後先考えずにチャレンジできますし、思い通りにいかない中試行錯誤するのもいい経験
になります。また、本当にどうしようもなくなったときは必ず手を差し伸べてくれる人が
現れます。私もこの 2 カ月でいろいろな人と出会い、多くの人に助けてもらいました。行
かなかったときの後悔の方が行ったときの後悔より絶対大きいです。少なくとも私はこの 2
カ月で自分の将来に対する考え方や人生観ががらりと変わりました。
最後になりましたがこの留学先を推薦して下った武田先生、留学のための準備をすること
を快く許可してくださった松本先生、実験手技を一から教えていただき、かつ留学に関す
ることなど様々なことを教えてくださった古谷先生および古谷研の皆様、2 か月間お世話に
なった Fred、Marit および NKI の皆様に心から感謝申し上げます。本当にありがとうござ
いました。
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