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まとわりつく国家と再埋め込みされる越境者

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まとわりつく国家と再埋め込みされる越境者
まとわりつく国家と再埋め込みされる越境者
――なぜ行進の群衆は星条旗を掲げたのか――
一橋大学
町村敬志
2006 年3月、ロサンゼルスのダウンタウンの街路を、50 万人(警察発表)の群衆が埋め尽くし
た。
「不法」滞在者の再入国を制限し国境線警備を強化する「2005 年国境警備・反テロリズム・不
法移民統制法」
(以下「移民法」
)の成立に異議を申し立てるラティーノなどの大デモンストレーシ
ョンは、越境者の存在を抜きにしてはもはや語れないアメリカ社会の現実を映し出していた。だが、
10 数年前、同じロサンゼルス都心を埋め尽くした類似のデモと比較したとき、そこには変化が起
きていることに気がつく。1994 年 10 月、
「不法」移民への公共サービス提供を制限する「住民提
案 187」に反対するデモは、10 万人という当時としては例を見ない規模へと膨れ上がった。2つの
デモンストレーションは、移住・越境労働者の権利を求める運動として共通性をもつ。だが、両者
にはいくつかの違いがあった。
第1に、1994 年と比べ 2006 年の運動は圧倒的に参加人数が多い
(06
年 5 月の全米行動には 1200 万人が参加した)
。第2に、しかし 1994 年と比べて 2006 年の場合、
その隊列は整然とし服装は白い T シャツで見事に統一されていた。そして第3に、メキシコ国旗が
目立った 1994 年の群衆風景に対し、2006 年の参加者はその多くが星条旗を手にしていた。
両者の違いを、たとえば「9.11」のような出来事に帰着させることは誤りではない。国家主義の再び
台頭する兆しのなかで、越境的に生活空間を構築しようとする移民たちもまた、ナショナリズムのゲー
ムのルールを習得しながら、居場所を確保することを迫られる。「国境警備・反テロリズム・不法移民
統制」法にアメリカ国旗で異議を申し立てることは、一見奇妙なようにもみえる。しかし、そこには、
「脱埋め込み」からさらに「再埋め込み」の局面に差しかかりつつある越境者たちの置かれた現実
と戦略が潜んでいる。まつわりつく国家といかにつきあうか。短期間のうちに、デモでの大衆動員
が可能となった背景には、越境者たちがアメリカ国内で作り上げてきたスペイン語メディアの厚み、
そして劣悪な労働条件を克服するために声を上げた社会運動型ユニオンの成果があった。だが、こ
うした越境的な社会空間をつくる営みじたいが、消費やメディア、社会運動といった回路を経て、
新しい「国家」の外縁をつくるのに貢献してしまう。ことほどさように、国家は越境者にもまとわ
りつく。本報告は、このパラドクスについて考察を深める。
国境を越えて移動する民は、権利擁護・獲得を目指して社会的・政治的な活動を強めており、そ
れは社会のトランスナショナルな再編の一過程として位置づけられる。だが、「脱埋め込み」され
ていく関係・空間はすぐさま、ローカル/ナショナルな関係・空間の中へと埋め込み直されていく。
現実は、グローバル対ナショナルの単なる二分法的対立としてあるのではない。そうではなく、両
者は相互に他方を参照しながら、つねに「不完全」で「不純」なまま終わるしかない。たとえば、
9.11 以降乱舞した「星条旗」は、ナショナリズムの素朴な象徴としてあるだけではない。中国を初
めとして海外で製造された膨大な数の「星条旗」はそれ自体グローバルな産物であった。グローバ
リゼーションの下で自己増殖を遂げる「国旗」とは、国家的なものの「根強さ」を体現すると同時
に、国家的なものがきわめて便宜的・戦略的に「偽装」されていく風景を映し出す。こうした緊張
と衝突はポスト・グローバルの社会に何を生み出すのか。具体的に検討していきたい。
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