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Page 1 Page 2 子どもの道徳性の発達 (3) ー大人の強制と道徳実在論
\n Title Author(s) Citation 子どもの道徳性の発達(3) −大人の強制と道徳実在論(ピ アジェ)(上)− 関口, 昌秀; Sekiguchi, Masahide 神奈川大学心理・教育研究論集, 31: 105-118 Date 2012-03-31 Type Departmental Bulletin Paper Rights publisher KANAGAWA University Repository 子 どもの道徳性の発達 (3) 一 大人の強制 と道徳実在論 ( ピアジェ) ( 上)- 関口 「 観 念 論 」 とは i d 6ali s meの 訳 語 だ が , は じめに i d 6 ali s meには 「 理想 主義」 とい う訳 もあ る。 ピアジェ 『子 どもの道徳判断』l)の第 2章は, La cont ra i nte 昌秀 a d ul t ee t e r6a sm emor al l l i 「 大人の強制 と道徳実在論 」 と題 され ている。 一般 に 「 理想主義」 に対す る 「 現実主義」 と し てr 6ali s meを訳す ことは可能 である。 ピアジェ が使 う r 6ali s meの 中に も, その よ うな意味 が いま r 6 al i s mem o r alを 「 道徳実在論」 と訳 込 め られているよ うに も見 える。小 さい子 ども したが, この点 について一言述べてお く。 ピア の 「 道徳 的現実 主義 」 ( r6ali s memo r al) が成 ジェのい う r 6 al i s meは, 中世哲学 で論 じられ 長す るにつれ て ,「 正義」 とい う理想 主義的 な たn o mi n ali s me (唯名 論 ) 対 r6ali s me (実在 規範 を受 け入れ るよ うになる。道徳性発達の筋 請 ) とい うときの r 6al i s meに近 いO 子 どもは 道 として, ピアジェの念頭 にその よ うなイ メー 言葉 を現実 ( r 6al i t 6) と受 け とる. そ うい う ジがあることはまちがいない。 しか し, ピアジェ 意味で,言葉は実在 してい るものなのである。 は 「 道徳 的現実主義 」 ( r 6ali s mem o r al) の進 あるいは,子 どもに とって現実 を構成す るの は む先 を 「 理想 主義 」 ( i d 6ali s n l e ) と名 付 けて 言葉 であるといって もよい。子 どもの思考や判 はいない。 「 正義 」の規範 も理想 主義 的 な規範 断については,そのよ うに理解で きる とい うの と呼ぶわけではない。それ を 1つの理由 として, が, ピア ジェの い う r 6al i s meで あ るO その よ ここでは 「 現実主義」 とい う訳 を とらなかった。 うな中世哲 学で使 われ た意味での r 6 al i s meを 理 由は も う 1つある。 使用 しては じめて, ( 現在 の大人か ら見れ ば不 道徳論 において 「 理想 主義 」対 「 現実主義」 合理 と思 え る) 子 どもの思考 ・判 断 も適切 に とい う構図は,カン トのそれ を思い起 こさせ る。 ( つ ま り合理的 な もの と して) 理解 され るよ う ピアジェの理論的背景の中に,カン トがあるこ になるとい うわ けである。 とはまちがいない。 カ ン トはデ ュル ケ- ム との 現在 のわた した ちか らすれ ば ,「 客観 的実在 対抗 関係 の中で ,「 カン ト vs デ ュル ケ- ム」 論」対 「 主観 的観念論 」 とい うよ うに ,「 観念 問題 と して ,「 カ ン トかデ ュル ケ- ムか, あ る 論」に対置 して 「 実在論」 を理解す るのが 自然 いはカ ン トお よびデ ュル ケ- ム」の問題 として, であ る。 しか し, ピア ジェが r 6ali s meとい う ピアジェ理論の骨格 をな していることはまちが 言葉 で問題 に しているのは,その よ うな文脈で いない。 しか し,す ぐあ とで見 るよ うに, この はない。 そのよ うな文脈 で理解 したのでは,道 第 2章において ピアジェは,カン トとデ ュルケ- 徳 とは観念 以外 の何物 で もないのだか ら,「 道 ムの どち らで もな く,彼 らに対抗す るもの とし 徳実在論」 とい う表現は形容矛盾 とな り,意味 てパ レー トの方法的意義 を強調 している。パ レー をな さな くなって しま う。 トの強調は,無意識 的な もの,意識化 され てい - 1 05- 神奈 川 大乍 心 E J !.教 育研 究 詣 i Ji m'317 r l -( 20I 2年 3ノ 」31口) る道徳規範 に対 して意識化 され ない人間行動原 r 6al j s men o mi n al) そ の初 期 に名 辞 実在 論 ( 。 そ う主張 してい る点で, ど 則 の強調 である 2) や言語実在論 ( V e r b al i s me )・概 念 実 在 論 ア ジ ェの い う子 ど もの r 6ali s me m o ralは , ( r 6al i s m ec o n c ep t u el ) が 現 れ る とい うの で 「 理想 主義」 に対 置 され る 「 現実 主義」 とは言 1 9 3 2 年)が書 ある。本書 『子 どもの道徳判 断』 ( 6al i s meを 「 実在論 」 と し いが たい. これ が r かれ た時点 で,す でに ピアジ ェは,知性 ・思考 た 2つ 目の理 由 である。 の領 域 にお け る研 究 を 『子 ど もの言 語 と思 考 ( L el an g a g ee tl ap e ns 6e c h e zl ' e n f a nt )』 道徳実在論 ( 1 9 2 3 年), 『子 どもの判断 と推理 ( L ej u g e me nt e tl er ai s o l l n e n l e nt C l l eZ l ' e nf an t)』 ( 1 9 2 4 ピアジェの言葉 を引用 しよ う。 年), 『子 どもの世界観 ( L ar e p r 6s e nt at l Ond u 「 理 論 理性 の 局 面 にお いて 「 名 辞 実在 論 m o n d ec h e Zl ' e n f ant ) 』( 1 9 2 6年 ),『子 どもの ( r 6al i s me n o mi n al )」 お よび 言 語 実 在 論 1 ac a us al i t 6p h ysi qu ec h e z 物 理 的 因果 性 ( ( Verbalisme )す な わ ち概 念 実 在 論 l ' e n f a nt )』 ( 1 9 2 7年 )と して ま とめて いた。 先 ( r 6 al i s me c on c e p t u el) が 語 られ るの と の 引用 箇所 ( p. 82) で, ピア ジ ェは , 実在 論 同 じよ うに,私 た ちは,価値判断の局 面に の意味について 『子 どもの世界観』第 1部の参 r6al i s mem o r al )」 お いて 「 道 徳 実在 論 ( 照 を求 めてい る。 について語 ることがで きる。」 ( p.82) 理論理性 の局面す なわ ち子 どもの知性 ・思考 の発達 にお いて名 辞実在論や 言語 実在 論が現れ 「 名 辞 実在 論 ( r 6al i s men o mj n a] )」 とは , るの と同 じよ うに,それ に似 て,価値判 断の 局 o mi n al i s meと r 6al i s meの対抗 関 中世哲 学 の n 面にお いて道徳 実在 論が現れ る。 つ ま り,子 ど 係 の 中でい えば ,r 6all S meの方 を指 して い る. もの道徳判断の発達 をみ る と,その発達 の初期 それ は名 辞 ( n o mi n a ) の実在 性 を主 張 して い r6ali s memo r al )」 と呼 ばれ に 「 道徳 実在 論 ( るか らで あ る。 一 見 す る と誤 解 しそ うだ が , 『子 るべ き現象 がみ られ る, とい うのが本章 ( r 6al l S men O ml nalは n o mi n al l S meでは な いの で 大人の強制 と道徳 実 どもの道徳判断』第 2章 「 ある。 在論 」) にお け る ピアジ ェの主張の眼 目とな る。 ヒア ジェはまた次 の よ うに も言 う。 そ して さらに,子 どもの知性 にお いて名 辞実在 論 な どが現れ た原 因が,子 どもの 自己中心性 と 「 一般 に実在 論 は主観 と客観 の混 同 (した 大人の知 的強制 の 2つの要因 が合 わ さった結果 が って 自己中心性)の結果であると同時に, であ るの と同様 に,子 どもの道徳判 断 にお いて ( c o nt r ai n t e 道徳 実在論 が現れ る原 因は,子 どもの 自己中心 大 人 に よ る知 的 強 制 i nt el l e c t uel l e ) の結 果 で もあ る。 それ 性 と大人の道徳的強制 の 2要 因が合わ さった結 と同 じよ うに,道徳実在 論 もこの 2種 の要 果 であ る, と主張 したいので ある。 6al i s meとい う用語 に まつ わ る議 論 を この r 同) 因の干渉 した結 果 であ るC」 ( それ 自体 と して行 うとやや こ しくな るが, ピア 理論理性 の局面 とは,知性 ・思考 の局 面 を さ ジェが挙 げてい る事例 を見 る と,それ ほ ど難 し してい る。 それ ゆえ,「 理 論理性 の局面 にお い いわけではない。問題 とすべ きなのは, ピアジェ て名辞 実在論 と概念実在 論が語 られ る」 とい う 6g o c e nt ri s m e ) の用 語法 で あ る. 自己 中心性 ( のは,子 どもの思考 にお いて名辞実在論 と概念 とい う用語 と同様 ,r 6ali s meも言葉 自体 と し 実在論 が現れ る とい うことであ る。 ピアジェの ての問題 を引き起 こ して しま うやや こ しい用語 主張 に よれ ば,子 どもの思考の発達 をみ る と, で る。 -1 0 6- f ・ ど} t )a) 道徳他 の 誰達 (3)-大 人の強制 と道 始 実在 論 (ヒア シェ)( 上)- しか し,先の 2番 目の引戸 削こある 「 主観 と客 道 徳 実在論」 とい う したが 3),それ に似 て ,「 観 の混同 (したが って 自己中心性)」 とい う表 表現は,子 どもが意識 できない側面 を言語化 し 現 をみれ ばわか るよ うに, ピアジェが 自己中心 よ うとした ことに伴 う表現の難点 と理解すべき 性 とい う言葉 で表現 しよ うと した事態 は ,「 主 よ うに も思われ る。 観 と客観 の混同」 とい うことであるO少 な くと も自己中心性 の中核 には,「 主観 と客観 の混同」 カン トのカテ ゴ リー 区分 との相違 といわれ る事態 が あ るC 人間の子 どもの 中に 最 初 の 引 用 に あ る よ う に , 「理 論 理 性 「 主観 」 あるいは 「 意識 」 ない し 「自覚」 とい ( r ai s o nt h 6o ri q u e )」 に対 して , 「価 値 判 断 うものが成 立す るのは,生まれ て しば らく ( 敬 ( J u g e me nt sd ev al e u r)」 が対置 され る。 カ ン 年後)であろ うことは疑 う余地がない。 主観 と 実践理 トのカテ ゴ リー 区分 では, 「 純粋理性 」「 客観 の区別 は, 自覚的な成 人の立場 である。 そ 性 」「 判断力」 となるか ら, この点では ピアジェ の よ うな ものが生 まれ て間 もない子 どもにない のカテ ゴ リー区分はカ ン トと異なる。 ことは明 らかだ。朝起 きがけの寝 ぼけ眼では, ピアジェは 「 理論理性」 と 「 価値判断」 と区 夢か うつつ ( 現実)か も定 ま らない。 自他の区 分 し, 「 価値判 断」 の 中に 「 道徳判断」 を位置 別がつ くので さえも,生 まれてか らある一定期 づけた。 この よ うに,理論 と価値 を対置 させ る 間を過 ぎたの ちである。 このよ うに,主観 も客 のは,常識 的 でわか りやす い。 「 理論 は価値 を 観 もまだ成立 していない主客未分化 な状態 を指 含まないのか」 とい う哲学的 な議論 も可能だが, して, ヒアジェは 自己中心性 と表現 した。 それ それ をやや意識 していえば, ここでの 「 理論的 は, 自己 もまだ明確 でな く,当然他者 もまだ明 な もの」 と 「価値 的 な もの」 とい う対 置 は, 確でない 「 人々の合意 を得 られやす い もの」 と 「 合意 を 。 この 用 語 に は 「自己 」 あ る い は 「自我 」 得に くい もの」 とい う,直線状 に並んだ ものの ( ag o) が含 まれ てい るが , 当然 そ の ときの ( - 程度 の差 を,カテ ゴ リー として断 ち切 った もの どもに 自我 があるとは言 い難 い。少 な くとも, とい うのが よいO 「 客観 的 な理論」 が片方 にあ 大人 を念頭 にお いた 「自我」 とは言 えない。 だ り, も う一方に 「 主観 的な価値 」があると言 え か ら, 自己中心性 ( 6g oc c nt ri s me) とい う言 ば,合意の得 られ易 さと得 られ に くさの両極端 い方は,誤解 を与 えやすい もの とな ってい る。 が示 され る。 常識的な見方 では,客観 とは,合 おそ らく日本語の 「自己中心性」 とい う訳語 よ 意の対象外 の もの,合意 とい う人間の意志的営 りも,原 語 の 6g o c e nt ri s meの方 にお いて, 誤 為で ど うに もな らない もの,誰が見て もそ こに 道徳 解 を与 える余地 は大 きい。 同 じよ うに ,「 あって同 じに見 えるものの こ とを指す とされ て 実在 論 ( r 6a] i s memo r al )」 とい う言 い方に も いるか ら, 「 合 意 を得 られ 易 い ものが客観 であ 誤解 を生む素地がある。 ヒアジェが 「 道徳実在 る」 とい う言い方には抵抗 があ るであろ う。議 論」 と名づけた事態は確 かに存在す るのだが, 論を複雑 にす るのは適 当でないか らこの議論 は それ をはた して 「 道徳実在論」 と表現す るのが ここでや めてお く。 適 当か ど うか。 一考の余地はある。 ともか く, ピアジェの理論 と価値 とい う対置 あ るいは,それ は,言語化 できない側面 を無 の方が常識的でわか り易い。 それ に比べれ ば, 理や り言語化 しよ うと した ことに伴 う必然的産 カン トのカテ ゴ リー 区分 の方 がわか りに くい。 物 と理解すべ きなのか も しれない。 マイケル ・ 価値が実践理性 と判断力 に分断 され てい る。 こ ホラニーは 「 人の顔 の どこを知覚 した ら,その の点,カ ン トの方が非常識 といえな くもない。 人 だ とわ か る か 」 とい うフ イ ジ オ ノ ミ- カ ン トでは道徳 は,法 とともに実践理性 の中に ( p h y si o g n o my ) にお け る暗黙知 の作用 を指 摘 位置づ く。美的判断や政治判 断 とは区別 して, - 1 07- 神奈川大学心理 ・教育研究論姓 第 31号 (2012年 3ノ 」31ロ) 道徳規範 を法則 として定立 したい, 自然法則の 認められ る。だか ら,善 とは,厳密に従属によっ よ うに絶対的で普遍的な法則 として定立 したい て定義 され る。 とい うカ ン トの課題意識 か ら, このカテ ゴ リー この ことか ら,規則 を字義通 りに守 られ なけ は立て られた。 しか し, ピアジェは,その よ う ればな らない ことが導かれ る。他律 の道徳 で規 な道徳理論 をめ ざすわけではない。 その点で, 則の精神 を云々す ることも考 えらな くはないが, それは実在論 ではない。規則 の精神 を云 々す る ピアジェはカ ン トと異なっている。 態度は,すでに合理性 と内面性-向か う傾 向を 道徳実在論の 3つの性格 示 している。子 どもの道徳性発達の出発点では, このよ うに して, ピアジェは 「 道徳実在論 」 を次のよ うにま とめる。 大 人 の強制 が一種 の 「 字義 実在 論 ( r6ali s me de l al ett re)」 を生み出す。 客観 的fi l任概 念 ( c oncepti onobj ecti ve de 「 義務や価値 について, それ らが意識 とは l ares pons abilit 6) とは,行 為の善悪 をその 無関係 にそれ 自体 として存在す ると考 え, 結果によ り判断す ること,いいか えると,行為 自分たちが置かれた状況がどんなものであっ 者 の意図が良か ったか悪か ったかを,善悪の判 ても,義務や価値は義務的な もの として押 断基準 としない ことである。 単純 に為 された行 しつ け られ るものであるとす る。 この よ う 為の内容だけか ら,善悪が判断 され ることであ に考 える子 どもの傾 向を 「 道徳実在論」 と る。 呼ぶ 。」 ( p. 82) そ して,「 道徳 実在論 」 が次の 3つの性格 を 第 1節 方法 について 調査方法 もつ とす る。 ここで ピアジェが とった方法は,小学生 を対 「 第 1に,道徳 実在論 に とって,義務 は本 象 として,調査者が 子ども 1人ひ と りに道徳行 質的に他律 な ものである。」 ( p.8 3) 為 に関す る簡単な 2つの物語 を話 し,それ ぞれ の行為が よいか悪いか質問 し, さらに 2つの行 「 第 2に,道徳 実在論 に とって,規則 は字 為の うち どち らが よ り悪いか尋ね る。 義通 りに守 られなければな らないものであっ 第 1章では ビー玉遊びの規則 に関す る子 ども て,その精神 を守れ ばよい とい うもので は の考 えだけでな く,規則 を どの よ うに実行 して ない。」 ( 同) い くかについても調べた。第 2章で調べるのは, 大人 ( 調査者)の許 した内容 に関 しての判断で 「 第 3に,道徳 実在論 は,責任概 念の客観 ある。 それ は具体的な場面での遺徳判断ではな 性 を導 き出す。」 ( 同) い。第 2章の研 究は この よ うな制約 をもってい る。 他律であるとは,規則ない し大人の命令に従 っ 質問調査の対象者が小学生 となっているのは, た行為であれば,その行為が良い とされ,逆に 物語の内容 を理解できる とい う前程があるか ら 規則 に合 わない行為はすべて悪 い とされ ること である。物語の内容に関す る判断が,子 どもの である。規則は,意識によって判断 された り解 具体的生活の中での判断 と一致す るか, とい う 釈 された りす るものではな く,意識の外 にある 問題 があることはまちがいない。第 1章でみ た 実在物 と して与 え られ る。規則 は,大人に よっ よ うに, ビー 玉遊 び の規則 につ い ての考 え方 て啓示 された ものない し押 しつけ られ た もの と ( 質 問に対す る回答) と,実 際 に ビー玉遊 びで -1 0 8- + どもの道徳性の発達 (3)-大人の強制 と道徳 実在論 (ピアジェ)( 上)- 実行 され る規則 との間には,「 ずれ」があった。 ると,道徳的省 察 と道徳 的行為のあいだに一定 規則 について考 えは規則の実行 よ り数年遅れ る, の関係 を認 める立場 と,認 めない立場がある。 とい うのが第 1章での結論 であった。 「 意識 は 前者 の立場はカ ン トやデ ュル ケ- ムが とる立場 実行 よ り遅れ る」 とい うのが,子 どもの道徳性 である。道徳 についての省察が道徳 的行為 に役 発達 の基本的筋道である。 ここで調査 した事柄 立つ とす るか,あるいは道徳 的省察 とは行為 を は,すべて 「 意識」 に関す るものだか ら,具体 意識化す ることだ とす るか, どち らにせ よ両者 的場面での子 どもの道徳判断 とは 「 ずれ」があ は道徳的な省察 と道徳的行為 のあいだに関係 を る, とい うのが前章の結論 を踏 まえた妥 当な推 認 めてい る。 定であろ う。 それ に対 して,パ レー トはそ うでない。個人 の行動 は あ らゆ る批判 を免 れ る もの で あ り, 言葉化 した判断 と実際の判断 「 道徳」とい うものは存在 しない とす る。 パ レー 話 された内容 に関す る判断 と実際の具体的場 ト 『一般社 会 学概 論 ( Trait6 de s oci ol ogi e 面での判断 との問題 は, ピアジェに よれば,道 g6n6ral )』 ( 1 91 6年 )に よれ ば,行 為 には 「 論 徳的思考に限 らない。 それ は知的思考にも当て 理的行動 ( acti ons l ogi ques)」 と 「 非論理的 はまる方法論的問題 である。 行動 ( act i ons nonl ogi ques)」 の 2つ が あ る ピアジェは, この問題 を言語 間題 として組み 立 て て い る。 そ れ は だけであ る。 「 非論 理的行動 」 は 「 本能的 な行 「言 葉 化 した 判 断 動 ( acti ons i nsti ncti ves)」 あ るいは 「 感情 ( j uge mentverbal)」 と 「 具体的場 面での実際 的行動 ( acti ons t ei nt 6es d'affecti vit 6感 の判 断 ( prati que effecti ve d el a pens6e 情の混 じった行 動)」 といって もよい。 それ は, 実際 に ど う考 え るか)」の問題 であ る。 質問 は 行動 を強化す るために一貫性 のないお しゃべ り 言葉 を介 して発せ られ る。 とい うことは, ここ を付加す るものにす ぎず,その内容の中に知的 での子 どもの思 考 ・判断は,すでに言葉 によっ に理解可能な意味な どない。 このお しゃべ りは, て表象 となった水準を前提 としているとい うこ 非論 理 的行動 の感 情 的 な r 残基 ( r6si dus)」 とであるC 実生活での判断は,行動 している最 を元につ くられ た多様 な形 の悉意的な 「 派生体 中に感 じた水準 での判断である。言葉化 され て ( d6ri v ati ons)」 であ る。 それ が道徳理論 とい 発せ られた思考 は,現実生活での思考 を意識化 うものなのである。 した ものなのか。それ とも,それ とは何の関係 子 どもが質問に対 して回答 した ものは,遺徳 もないのか。言葉は思考 と関わ るのか否か。 ピ 的省察なのか,それ ともたんな るオ ウム返 しに アジェの大 きな関心は ここにある。 す ぎないのか。 この問題 に決着 をつけるのは, 知的思考 については,言葉以前における認知 観察である。 しか し,観 察が最終的な決着 をつ 能力の発達が考 え られ る。感覚運動段階の認知 けるもの となるためには,子 どもが もっている 能力である。 しか し,道徳判断に限っていえば, 道徳 についての言語観念が何 であるかを知 って 道徳 とい う事柄 自体の性質か らみ て,すでに言 いなけれ ばな らない。 それ を知 るとい う点にお 葉 を前提 と している。道徳 とは言葉 を前提 と し いて, ピアジェた ちの調査は有用 な もの となる た ところでは じめて成 立す るもの と考 えられ る とい う。 か らである。 価値判断 と道徳的行為の関係 道徳 についてのパ レー トの見方 1つの問題 は, L r -どもが回答 した価値判断 と 子 どもの道徳性の発達 ではな く,成人の人間 その子 の実際の道徳的行為 との関係 である。兄 を前提 とした一般の道徳論の レベル で考 えてみ 弟の した悪 い行 いを父親 に告 げ 口す るのが正 し - 1 09- 神奈 川大学心理 ・教 17研 究 論 蝦 第 31号 ( 20L 2年 3ノ 」31n) い と回答す る子 もいれ ば,反対 に告げ 口す るの 子 ども自身の習慣 とい うよ り,大人の習慣 とい は行儀 が悪 い と回答す る子 もいる。 問題 になる う側面が強い。 これ は,知的領域 よ りも道徳 的 のは,その 2人の子が実際の生活で どうす るか 領域 での方がは るかに予測 され る事態である。 とい うことであ る。嘘 aの方が嘘 bよ り重大だ 私 たち大人が子 どもに期待 しているのは,物事 と回答 した子が, 日常生活でも同 じよ うに判断 を独創 的に考 えることよ り,道徳 の教 えを忠実 す るかはわか らない。 ここでは子 どもの現実生 に守 ることの方 であ る。 た とえば,告 げ 口の道 活 での道徳判断 を問題 に していない。 それ を知 徳的価値 を主張す る1 0才の児 がいたが,私たち ることは重要なのだが, ここの方法では不明な 大人 ( 調査者)がその意見に賛成 でない ことを ままになってい る。 知 ると,その子はす ぐに 自分の意見を変更 した。 質問-の回答 で示 され るよ うな言葉化 された この よ うな反応 を した子 は多か った。 これ らの 判断 と,子 どもの具体的生活での判断 との間に 子 どもたちの本 当の考 えは,大人の考 えに従 い は, 1つの相関関係 があると考 え られ る。知的 たい とい う彼 らの欲求のせ いで,彼 ら自身の 目 領域 では,子 どもの言葉化 された思考は,行為 か ら覆 われ ていたわけである。 によって作 られ てい く認識 図式 ( シェ-マ) を この事態は,子 どもは大人か らいつ も聞いて 徐 々に意識化 してい く。言葉化 された思考は具 いることと自分の考 えとを分離 していない, と 体的思考 よ り遅れ て現れ る。具体的水準で実行 い うことを示すのであろ うか。 子 どもの 中の言 され た操 作 を言 葉 とい う新 しい水 準 で象徴 化 葉化 され た思考は,大人の思考の繰 り返 しとそ ( 象徴 と して再構 築)す る とい う問題 があ るか の変形 で しかな く,実際生活での評価 とは何の ら,言語的思考 は遅れ るわけである。 したがっ 関係 もないものなのであろ うか。 これに対 して, て,行為の水準 において克服 され たかつ ての困 ビー玉遊びの研 究が参考になる。 自己中心的に ビー玉遊びを実行す ることに対 しては,大人に 難 が,言語 の水準 で再び現れ る。 この よ うに,知的領域 においては,具体的局 対す る尊敬感情が並行 して伴 っている。 また, ( 「 神 面 と言語化 の局面の間には 「 ずれ」がある。 同 規則 を変更不可能 な神秘 的超越 的 な もの じよ うに,道徳 の領域 において も,子 どもがす 様 か ら与 え られ た もの」) とす る判 断 も並行 し る具体的局面での価値判断 と,質問に対す る回 ている。 ただ し,規則実行の 自己中心性 と,大 答 として与 えられ る言葉化 された判断 との間に 人-の尊敬感情 ,お よび神秘的な規則意識 は, は,簡単な 「 ずれ」があると考 え られ る。 た と 当然ずれ るO なぜ な ら, 自己中心性 は無意識的 えば,道徳的行為の評価 において,行為者 の意 ( i nconsci ent) な もの であ るの に対 し, 行 為 図 を考慮せずに,語 られた言葉 の字面だけで評 をす るときに子 どもが もっていると信 じている 価す る子 どもが いる。 しか し,その子の個人的 尊敬 は意識的な ものだか らである。規則 の合理 体験 について質 問 してみ る と,意図を考慮 して 的な実行 には,相互的な尊敬感情が伴 ってお り, 判断 していたこ とがわかる場合がある。 この よ 規則 は 自分 たちの考 えによって変更可能 な もの うな場合,言葉化 された判断は,実際生活 での とす る判断一 規則 は外か ら与 え られ た ものでな 判断 よ り遅れた発達段階の もの となる。言葉化 く,それ 自体 と していわば 自律的に存在 してい された判断は,行為の局面で克服 され たかつ て る とす る判断- が,対応 していた。 の段階 を表明 しているわけである。 この よ うに,遊びの場面にお いては,言葉化 され た判断は,行為 に対応す るのではな く,行 ビー玉遊び研究の結果か ら 為 中の意識 に対応 している。 言葉 で表現 され る 質問に対す る子 どもの回答 には,大人の見方 判断は,行為中の実際の判断 よ り出現が遅れ る, が反映 している面がある。子 どもが答 えたのは, とい うことを承認 しなけれ ばな らない。子 ども - 11 0- ( -どもの道徳性 の 発達 (3)一大人の強制 と道悼 実在論 (ヒア ジェ)(ヒ)- の中に 自律の考 えが現れ るのは遅 く,協同行為 2a :ジ ュール はお父 さんが 留守 の とき, お 父 と自律意識 がほぼ対応 している。 さんのイ ンクスタン ドで遊んでいて,机の テーブル クロスに小 さな染みを付けて しまっ 嘘 と正義についての仮説 嘘や正義 の領域 についていえば,次の仮説 が 提示 できる。質問に対す る回答 と して示 された た。 2b :オー ギ ュス トはお 父 さん のイ ン クス タ ン 言葉化 され た判 断は,大筋 において,質問 当時 ドが空だ ったので.お父 さんが留守の とき よ り数年前 に子 どもが実際の行動 の中で具体的 イ ンクを詰 めてや ろ うと して,イ ンクぴん に判断 した ことに対応 している。 を開けた ら,机 のテーブル クロスに大 きな 染み を付 けて しまった。 この仮説 の成否は将来わか ることだが,研 究 の価値はある。 この よ うな ことは,大人社会の 生活で もいえることであ り,パ レー トの著作が 3a 二マ リー は, スカー トの布 地 を裁 断 してお 母 さんを驚 かそ うとしたO けれ ど,-サ ミ その ことを示 している。 を上手 く使 えなか ったので, 自分 の服 に大 第 2節 客観 的責任性 ( 1)一 失敗 と盗み きな穴をあけて しまった。 3b:マル ゲ リー トはお母 さん が留守 の とき, 失敗に関す る質問 お母 さんのハサ ミで遊んでいた。 けれ ど, 失敗 に関す る質問 と しては, 次の 3組 (la, -サ ミを上手 く使 えなか ったので,服 に小 l b),( 2a,2b),( 3a,3b)を用 意 した。 それ ぞれ の さな穴をあけて しまった。 組の一方は, よい意図でな された行為の結果あ るいは意図 しない結果が重大な損害 を生 じた も 盗み に関す る質問 のである。 も う片方は, よくない意図でな され 盗 み に 関す る質 問 は , 次 の 2組 ( 4a,4b), た行為の結果だが,その損害が小 さな ものであ ( 5a,5b)であ る。 ここで も,失敗 についての質 る。 ひ とつの行為 につ いてそれが良いか悪 いか 問同様 , aとbのそれ ぞれ につ いて 良いか憩 い 質問 し, さらに a と bを比較 して どち らが よ り か質問す るだけでな く, aと bを比較 して どち 悪 いかについて質問す る。 らが よ り悪 いかについて も質問す る。 I a:ジャンは, 夕食のために食堂-向か った。 4a :アル フ レッ ドは貧 しい友 人 がそ の 日何 も その とき,食堂の ドアの後 ろにたまたまイ 食べていないのを知 り,パ ン屋 に行 った。 だ スが置 いてあって,そのイスの上に 1 5個 の け ど,アル フ レッ ドはお金 をもっていなかっ カ ップをのせた トレイがあった。 ジャンは た。 そ こでパ ンをこっそ り盗んで急いで外- その ことを知 らなかったので, ドアを開け 出て,そのパ ンを友人にあげた。 た ら トレイ にぶつか って,1 5個 のカ ップ全 4b :ア ン リエ ツテ は , お店 で 自分 の月 別ことて も似合 うかわいい リボンを見つけた。 そ して 部が床 に落 ちて割れ て しまった。 店員が後 ろを向いたす きに リボンを盗んです l b :ア ン リはお 母 さんが留守 の とき, イ スに ぐに逃 げ出 した。 のぼって棚 の中のジャムを取 ろ うとした。 ジャムは高 い ところにあってなかなか取れ なかった。 そ うしている うちに,カ ップに 5a :アルベ ル テ ィー ヌの友 だ ちが小 鳥 を飼 っ 手がふれて 1つのカ ップが床 に落ちて割れ ていた。 アルベルテ ィー ヌはその小鳥が可哀 て しまった。 そ うだ と思い,いつ も友 だ ちに小鳥 を逃が し - 1 11- 神 奈 川 大 乍 心 理 ・教 育 研 究 論 貼 節 3ユ号 ( 20j 2年 3月 31日) てあげ るよ うに言 っていた。 で も友だ ちはそ 「1番 目の子 は何 を したのかな」 うしなか った。 ある 日友 だちがいない ときに, 「 11 個 のカ ップ を割 った 」 アルベル テ ィーヌは鳥か ごごと盗 んで,小鳥 「2番 目の子 は 」 を逃 が してや った。鳥か ごは使 えないよ うに, 「 カ ップ を 1個割 った 」 屋根 裏部屋 に隠 して しまった。 「1番 目の子は どうしてカ ップを割 っちゃっ たのかな」 5b:ジュ リエ ッ トは,お母 さんが留守の とき, 「ドアにぶ つか って 」 お母 さんのお菓子 を こっそ り盗 んで食 べた。 「2番 目の子 は ど うして 」 以上 が質 問事項 であ る。 質問す る前 に,子 ど 「ジャムを さが していて,カ ップを落 と し た」 もにaとbの話 を言 わせ て, 話 の 内容 の大筋 を 「どっちの子の方 が悪 いかな」 理解 してい るこ とを確 認 した。 具体的には,回 「1番 目の子。 1 2個 のカ ップ を落 と したか 答例参照。 ら」 客観 的責任性 と主観 的責任性 「も し君 がお父 さんだ った ら, どっちの子 1 0才までの子 どもの回答 は 2つの タイ プに分 の方 を強 く叱 るか な 」 かれ る。 1つの タイ プは,行為 の善悪 は引 き起 「1 2個 のカ ップ を割 った子 」 こ した結果 の大 きさで判断 され る。行為者 の意 「ど うして彼 はカ ップ を割 っちゃったのか な」 図は考慮 され ない。 も う 1つの タイ プは,行為 「 強 く ドアを閉めて, ドアが 当ったか ら。 者 の意 図だ けを重要 とす る回答 であ る。 わ ざと じゃない」 ただ し,同 じ子 どもがあ る話では前者 の タイ 「2番 目の子 は ど うしてカ ップを割 ったの プで回答 し,別 の話 には後者 で回答す る とい う かな」 場合 もあった。 大筋 にお いて ,客観 的責任性 の タイプは年齢 「 彼はジャムを取ろ うと した。その ときカ ッ プに さわ って落 と しちゃ った」 が上昇す る とともに減少す る。 ただ し, これ は 「ど うして彼 は ジャムを取 ろ うと したのか 1 0才までで,それ以後 については不 明であ る。 平均す ると 7才 くらいが客観 的責任性 で, 9才 な」 くらいにな る と主観 的I h T 一 任性 の回答 をす る。 6 「 彼 はお母 さんの いない 臼を利 用 した 」 才以下は,話の 内容 を理解 できない とい う知的 「 君 に兄弟 はい るかな」 理 由か ら,質問 できない。 「 妹 な らい るよ」 この 2つの タイプは,おそ らく継起的発達段 「じゃ,もし君が食堂に入 るとき1 2 個のカ ッ 階 とみ るべ きだ ろ う。 そ うでない とすれ ば,別 プ を割 って,君 の妹 は ジ ャムを さが してい 個 の プ ロセ ス とみ るべ きで,部分的 に共時的 に てカ ップを 1個割 っちゃった とした ら,どっ 両方の性格 を示 す と考 えるべ きであろ う。 ちの方 が強 く叱 られ るか な」 「 ボ クの方。 多 くのカ ップ を割 ったか ら」 客観的責任性の事例 ( 失敗) 客観 的責任性 の例 は,次の よ うな ものだ。 この他 に, シュマ (6才), コンス ト (7才, 女子) の例o 1)カ ップ を割 った話 6才) ジョ ( 2) イ ンクの染み を付 けた話 コンス ト (7才,女子) 「 お話 わか った 」 「うん 」 イ ンクの染み についての話 の内容 を次の - 11 2- + どもの道徳性の発達 (3)-大人の強制 と追悼 実在論 (ピアジェ)( 上)- 以上の事例 はすべ て,失敗 の結果 の大 き さだ よ うに繰 り返 した。 「 男の子がお父 さんのイ ンクス タン ドが空 けを評価 している。彼 らはすべて行為者 の意図 になってい るのを見つ けて,イ ンクぴんを を知 っている。 しか し,それ については評価 し 取 ろ うとしたOだけ ど.つかむのに失敗 し ていない。 て大 きな染み を作 っちやった」 「も う 1人 の子は」 大人の場合,法的制裁 と道徳的制裁 を区別す 「 その子は何 にで も手 を出す子 で,イ ンク る。 また,刑事罰 と民事的制裁 ( デ ュルケ- ム を取 ろ うと して,小 さな染み を作 っちやっ のい う 「 復元的制裁 ( s anctl OnreS tlt uti ve) 」 ) を区別す る。子 どもが 「 悪い」 とい うときにも, た」 「2人 は同 じくらい悪 いかな,それ ともち それ に似 た区別 を しているのだろ うか。行為者 が うかな」 の意図が どこにあろ うと,ある種 の物理的損害 「 ちが う」 を与えたことが 「 悪い」 とい うことであろ うか。 これ については,す ぐ後で見 るよ うに,物理 「どっちの子の方が悪 いかな」 「 大 きな染み を作 った子」 的損害 を与えない 「 嘘」 の事例 を見 ることによ 「 なぜ」 り,子 どもの判断が客観 的責任性 を示 している 「 それ は染みが大 きいか ら」 ことがわか る。子 どもに とっては,規則 に従 う 「どうして,その子 は大 きな染み を作 った か否 か よ り,物理的損害の大 きさの方が気 にか か る問題 であるのだ.子 どもが民事的責任 と刑 のかな」 「 イ ンク入れのお手伝 いを しよ うとして」 「2番 目の子は,どうして小 さな染みを作っ 事的責任 に当るもの を区別す る度合 いが低 いほ ど,客観 的責任性 を示すC少 な くとも,私 たち が対象 とす る子 どもの言葉 の水準 では, この よ ちゃったのかな」 「 それ は,彼が何 にで も手 を出 していたか うな区別が心にのぼることはないよ うに見 える。 ら。それで小 さな染み を作 った」 「じゃ, どっちの子の方が悪いかな」 主観的責任性の事例 ( 失敗) この問題 を分析す る前に,上の例 とは反対 に 「 大 きな染み を作 った子」 答 えた子 どもの事例 を紹介 してお こ う。 この他 に, ジ ョ (6才)の例o 1)カ ップを割 った話 3) 穴をあけて しまった話 ジ ョ (6才) シュマ (6才半,知的発達の早い,外見が 8才 くらい見 える女 の子) 2つの話 を次の よ うに繰 り返 した。 「 最初の女 の子は,お母 さんのお手伝 いが 2人の男の子 の話 を繰 り返 して, 2人 と したかった。それで大きな穴をあけて しまっ も 「 同 じよ うに悪い」, 「 同 じよ うに叱 られ た。 も う 1人の女 の子 は,遊んでいて小 さ るべきだ」 とい う。 な穴をあけて しまった」 「 私 ( 調査者) には,片方の子が も う片方 「この女の子 2人 を くらべ る と, どっちの の子 よ り悪い子 に見 えるけ ど, どっちの子 かな」 子の方 が悪 いかな」 「 お手伝 い しよ うと した子の方 が悪い。 そ 「 両方 とも同 じ」 の子の方が大 きな穴をつ くったか ら。彼女 「 君はカ ップを割 った ことはないの 」 のお母 さんはその子 を叱 った」 「 全然 ない。弟は割 った ことあるけ ど」 「 何 を割 ったの」 この他 に, コンス ト (7才)の例o - 1 1 3- 神 奈 川 大 学 心 理 ・教 布 研 究 論姓 第 3L7 L 3 -( 201 2年 3ノ 」31ロ) 「 カ ップ 1個 とバ ケツ」 彼 は遊 ぼ うと した。 も う 1人の子 はお父 さ 「ど うい うふ うに して 」 ん を喜ばそ うと した 」 「 喜ばそ うと した子 は大 きな染み を付 けた 「 魚釣 りに行 きた くて,私 のバ ケツを少 し の,それ とも小 さな染み かな」 こわ したの。そのあ とで私 を困 らせ よ うと, わ ざとも う少 しこわ したの」 「 彼 は大 きな染み を付 けた。 も う 1人の子 「 彼 はカ ップ も割 ったの」 は小 さな染み」 「 カ ップを拭 こ うと して,テー ブルの端 に 「1番 目の子が大 きな染み を付 けた ことは, 大 した ことではないかな 」 置 いたの。 そ した らカ ップが落 ちちゃった 「 同 じ。 も う 1人 の子 はむ しろ悪 い こ とを の」 「 バケ ツを こわ した とき と,カ ップを割 っ しよ うと した。 小 さな染み を付 けた子 の方 た とき とで, どっちの方が悪 いかな」 が, も う 1人の子 よ り悪 い ことを しよ うと 「 バケ ツの方 」 した 」 「 なぜ」 この他 に, グ ロス (9才), ニ ュス ( 1 0才) 「 わ ざ と私 のバケ ツを こわ したか ら」 の例o 「 カ ップは 」 「 わざとじゃない。端に置いたから割っちゃっ 3)穴 をあけて しま った話 スキ (6才) た」 「じゃあ,お話 しした物語 のなかで, 1 5個 次の よ うに話 を繰 り返 して。 「1番 目の子 はお母 さん に喜 んで も らお う のカ ップを割 った子 と, 1個のカ ップを割 っ た子 では, どっちの方 が悪 いかな」 と して,-サ ミで 自分 の服 に大 きな穴 をあ けちゃった。 2番 目の子 はお母 さんの もの 「 ジャムを食べた くて,取 ろ うと してカ ッ プ を割 った子の方」 で遊 ぼ うと して,- サ ミで服 に小 さな穴 を あけちゃった」 この よ うに, シュマ 自身 の体験 を思い起 こす respons abili t6 こ とに よって, 主観 的責任性 ( 「どっちが悪 いか な」 s ubjectl V e) に したが って判断す るよ うにな っ 「 ハサ ミで遊 ぼ うと した子の方。彼 女 は小 さな穴をあけちゃった。 彼 女 の方 が悪 い」 た。 この他 に,モル (7才), コル ム (9才), グ 「 君 だ った ら,小 さな穴 をあけた子 と, も う 1人の子 の どっちを強 く叱 るかな 」 1 0才) の例o ロス (9才),二 ュス ( 「 大 きな穴 をあけた子 は叱 らないO彼女 は 2) イ ンクの染み を付 けた話 お母 さん を喜 ばそ うと した 」 スキ (6才) この他 に, コル ム (9才) の例o 「1番 目の子 は何 を したの 」 「 お父 さん を喜 ばせ よ うと した。 イ ンクス この よ うに,小 さな子 で も,行為者 の意図 を タン ドが空 だ ったか ら,イ ンクを詰 め よ う 考慮 に入れ て判断 できる。 したが って,次の仮 と した ら,服 に大 きな染み を付 けちゃった」 説 を提示 で きる。物理的損 害 のみ に基づ く評価 「じゃ , 2番 目の子 は 」 は,子 どもの大人 に対す る尊敬 を媒介 に して屈 「 彼 はお父 さんのイ ンクス タン ドで遊 ぼ う 折 され た大人の強制 の産物 で あ る。 それ は,チ と して,小 さな染み を付 けた」 どもの 自発的 な心理現象 とい うもの ではない。 「 悪 いのは どっち」 一般 に,大人 は失敗 とい うもの を厳 しく扱 う。 「 イ ンクス タン ドで遊 ぼ うと した子 の方。 親が ( 子 どもの意 図 を含 めた)具体的状況 を理 - 11 4- 子どもの遣徳性 の発達 (3)一大人の強制 と道徳 実在論 (ヒアジェ)( 上)- ないか な」 解せず に,子 どもが した物理的損害 によって不 機 嫌 にな って しま うことが多けれ ば多い程 ,千 「うん。 男 の子 は,弟 に あげ るためにパ ン どもは この よ うな親 の態度 を見て,その態度が を盗 んだ。 その子 を強 く叱 らな くちゃいけ 押 しつ ける規則 を言葉通 りに適用 しは じめ る。 ない。 小 さいパ ンの方が値段 が高いか ら」 親 が正 しく公平 であれ ばある程 ,そ して何 よ り この 他に, シュマ (6才), ジ ョ (6才) の も,子 どもが成長 とともに大人の反応 に対 して 例。 自分 の感 情 をぶ つ け るよ うになれ ばなる程 ,客 5)鳥か ご とお菓子 の話 観 的責任性 の重 要度 は下が ってい く。 デザ (6才) 客観 的責任性の事例 ( 盗み ) 「 小 さな女 の子 の友 だちは,か ごの 中に小 次に盗み の例 を見 るが , 6才か ら10才の同 じ 鳥 を 1羽飼 っていた。 その子は小鳥が可哀 年齢段階の子 どもで も,成長す るにつれ て,主 そ うだ と思 っていた。 鳥 か ごを友 だ ちの家 観的責任性の方が大きな比重を占めるよ うになっ か ら取 って来 て,小鳥 を逃 が してあげた」 「も う 1人 の子 は」 てい く。 「 も う 1人の子はお菓子 を盗んで食べちゃっ た」 4) パ ン と リボ ンの話 「2人 とも同 じくらい悪 い子かな。 それ と スキ (6才) も, どっちかが悪 いかな 」 彼 は,失敗 に関 しては,主観 的責任性 を 立証す る事例 だが,盗み に対す る態度 は異 「 鳥 か ごを盗ん じゃ った子 の方 が悪 い」 な ってい る。 「 なぜ 」 「 鳥 か ごを盗んだか ら」 「 男の子 が友だ ち と一緒 にいた。彼 は友 た ちにあげるために,小 さな- ンを 1個盗ん 「も う 1人の子 は」 だo 女の子 は リボ ンが欲 しか った。 リボ ン 「も う 1人の 子はお菓子 を盗 んだ 」 を服 に付 けてきれ いにな りたか った 」 「 その子 は前の子 よ り悪 いかな。 それ とも 前の子 の方 が悪 いかな」 「 比べてみ て, よ り悪 い子 はい るかな 」 「うー ん, 2人 とも同 じだね」 「 そんなに悪 くない。 お典子の方 が鳥か ご よ り小 さいか ら」 「1番 目の男の子は,なぜ小 さなパ ンを盗 んだのかな 」 「も し君 がお父 さんだ った ら, どっちの子 「 彼 の友 だ ちがバ ンを食べたか ったか ら」 の方 を強 く叱 るかな」 「 鳥か ごを盗んだ十 の方 」 「 女 の子の 方は,なぜ リボ ンを盗んだのか 「 なぜ その 7・ は鳥か ごを盗 んだのかな」 な」 「リボ ンが欲 しか ったか ら」 「 小鳥 が可哀 そ うだ ったか ら」 「 君だ った ら, どっちの子の方 を強 く叱 る 「も う 1人の子は,なぜ お菓子 を盗んだの かな」 かな」 「 食 べ るため」 「 男の子の方。彼 は 自分のため じゃな く, 弟 にあげ るためパ ンを盗 んだ」 以上の客観 的f r i i 任性 の例 は,すべ て 6才の子 「 パ ンをあげ るのは悪 い ことかな」 であ る. 7才以上 にな る と, この話 で客観 的責 「 いや。彼 の気持 ちはいい。彼 は弟 にパ ン 任性 を示す事例 はなか った。 をあげた 」 「どっちの子 の方 を強 く叱 らな くちゃな ら - 11 5- 神森川 大学 心理 ・教育研 究論 処 主観的責任性の事例 ( 盗み) 罰 31号 ( 201 2年 3ノ 」31日) 要性が増 してい く。 したが って,両者 が部分的 同 じ盗みの話 で主観的章任性 を明瞭に示す も のは,ほ とんどすべて 9才か ら1 0才の子である。 に干渉 して,主観的責任性 が客観的責任性 に対 して優位 してい く過程 が問題 となる。 失敗の話 に比べて,盗みの話では,責任 につい 主観的責任性が優位 してい く過程 ての考 え方 が年齢によ り明瞭に分かれ る。 責任 につ いての客観 的考 え方は,大人に よる 4) パ ンと リボ ンの話 道徳 的強制 の結果 であるよ うに思われ る。 ただ コル ム (9才,女子) し, この 「 強制」 とい う言葉 の意味 を明瞭に し 「どんなお話かわか ったかな」 ておかなければな らない。 失敗及び盗みの場合 「1番 目の男の子は盗ん じゃいけなかった。 と,嘘の場合 とでは,大人の強制 は異なる。失 お金 を払わな くちゃいけない。 2番 目の女 敗や盗み では,大人は子 どもに制裁 を加 える。 の子 も リボ ンを盗ん じゃいけなか った 」 ピアジェが調査 したのは中流層 の子 どもたちで 「どっちの子の方が悪いかな」 ある。その子の母親たちは, 1個のカ ップを割 っ 「 女の子の方は, 自分のために欲 しかった。 た時 よ りも,1 5個 のカ ップを割 った時に激 しく 男の子 の方 も欲 しかったんだけ ど,朝 ごは 怒 り出す。 それ は,ある程度 まで,割った子 ど んを食 べてない友だちにあげるためにパ ン もの意図に関係 ない。大 まか にいえば,子 ども が欲 しかった」 の客観 的責任性 が生 じるのは,子 どもの意識 に 「も し君が学校 の先生だった ら, どっちの 子 の方 に大 きな罰 を与 えるかな」 とって大人の命令が外在的であ り,その大人が 客観 的責任性 を示すか らであ るo 「 女の子の方 」 これ と反対に, 嘘の場合は,後 で見るよ うに, この他 に,ニ ュス ( 1 0才)の例o 子 どもの客観的点任性 は,大人の意図 とはまっ た く無関係 である。 5)鳥か ごとお菓子の話 大人が失敗 を物理的な結果 によってばか り評 スキ (6才) してい る と,社 会通念 ( c ons ci e ncec omun e 「どっちの子の方が悪いかな」 共通意識)上は 当然,そ うい う評価の仕方が公 「 お菓子 を盗んだ子。彼女は盗んだ。最初 平でない とされ ることになる。 他方 で,意図の の女の子が鳥か ごを取 ったのは,小鳥 を自 道徳 で教育 している親の子 どもは, きわめてす 由に してあげるため」 みやかに意図の道徳 を見につ けてい く。 6才 と この他 に, コル ム (9才), グロス (9才) 7才の子の主観的責任性の例が示す通 りである. では, 9,1 0才の子が客観的責任性 を示す場合, の例o どの よ うに して子 どもは客観 的貢任性 の基準 を これ らの例か らわか るよ うに,子 どもの道徳 認めるのか. 大人は法 と道徳 を区別す るが , F - 的態度 は 2つの タイプに分かれ る。 1つは,物 どもは区別 していない。 1 0才以下のほ とん どす 的結果 によって行動 を判断す るタイプ。 も う 1 べての子は,パ ンや鳥か ごを盗 んだ行為 につい つのタイプは意志だけを考慮す る。 この 2つの て,行為者 の意図 を高 く評 価 しつつ も,刑事的 形は,同一年齢 の子に見 られ る。 また同 じ 1人 観点だけでな く道徳的観 点で も盗んだ行為 を悪 の子の中に も併存す ることもある。 しか し,平 い と考 える。 目的のいかんに関わ らず盗み を批 均的にみ ると,共時的に併存す るものではない。 判す るのは よくわか る。 しか し,意図の似 てい た しかに,客観 的責任性 は年齢の上昇 とともに ない 2つの行為 を比べた とき,子 どもの評価基 減少 してい く。 それ に応 じて主観 的責任性 の重 準が物質的基準だけ とい うのは奇妙な ことであ -1 1 6- + どt ) の道徳性の発達 (3)-大人の強制 と道抵 実在論 (ピアジェ)( 上)- る。 ピア ジェが 自分の子 どもた ちを観 察 した とこ ここか らひ とつの問題 が提起 され る。子 ども ろでは,子 どもの責任感 は,意図せず に偶然失 の客観的責任性 は,広 さと強度 において,大人 敗 した場合 で も,引き起 した結果の大 きさに比 が子 どもに言 った ことや した ことをはるかに超 例 していた。 ピアジェ夫婦は子 どもが意図せず えている。 この客観的f7 i 一 任性の優位 は, どこか に偶々失敗 した ときには大 きな声で非難す るこ ら生 じるのだろ うか。 それ に対す る説明は,唯 となど全然 しなかった。 しか し,それでも,偶々 一つ しかない。 「 盗ん じゃ駄 目。 壊れやす い物 物 を壊 した ときな どに子 どもの算任感 を取 り払 は大事に しな さい」な ど言葉に よって,あるい うのに非常に苦労 した。 は怒 りや罰 な ど物的な形によって,大人か ら押 そ こで仮説 と して,次の ことを承認 できるだ しつけ られ る規則が,子 どもに とっての断固 と ろ う.質問中に観察 され る判 断の客観的責任性 した義務 となるのである。 それ らの義務が実際 は,実際の生活 にお け る体験 の残基 ( r6si d u ) に適用 され るか ど うかは,当座 の ところ, ど う に基づ くものである。新 しい現実は子 どもの道 で もよい。 それ らの義務は 「 お決 ま りの必然的 徳意識 を豊かに し,主観 的責任性 を弁別 できる 価値 ( v al e u r .d en 6c e s sj t 6sri t u el l e s )」 を よ うす るけれ ど,それ以前の経験 が新 しい経験 獲得 し, この義務 で守 られ たものはタブー的な の度 に道徳実在論 を再現 させ ,その恒常的な基 意味 をもつ。 このよ うに して,原初的な形 の大 礎 となる。子 どもの思考 は行動 よ り常に遅れ る 人に対す る一方 的尊敬 と大人による強制 との複 のだか ら,理論的問題 の解決が現在構築 中の巧 合的産物 として,道徳実在論が現れ るのである。 妙 な認識 図式 ( シェ-マ) にではな く,古 くか これが,必然的 出現か偶然かは,嘘 の ところで らの習慣 となってい る認識 図式 に助 けを求める 確認す る。 のは, 当然の ことである。 あま り一般化す る前 に, ここでの子 どもの反 応が現実の行為 に対す る ものでな く,物語 に対 主観的責任性は どの よ うに現れ るか す る回答 であることを思い起 こそ う。すでに確 主観 的責任性 は どの よ うに現れ発達 してい く 認 した よ うに,子 どもの評価 は年齢 とともに変 のか。子 どもが近親者 の見方 で行動す る習慣 を 化 し,それ は何 らかの系統立った影響の結果で もつ よ うにな り,人に従 うよ り人 を喜 ばそ うと あるよ うに見える。 だがそれは,大人の言葉の す る時,意図を考慮 した判断 をす るよ うになる。 単なる理論的派生物 ( d 6ri v ati o n st h 6 orl q U e S ) この よ うに意図 を考慮す る前提 には,協同行為 とみ なすべ きなのか。 それ とも,大人に対す る ( c o o p 6r ati on ) と相 互 尊敬 ( r es p e ctmu t u el ) 一方的尊敬 によって加工 されてはいるが,現実 がある。 しか し,親 が この よ うにす るのは難 し の行動 を決める態度に対応するとみなすべきか。 い。親 は子 どもに対 して圧倒 的 に優越 している い くつかの事例で見た よ うに,物語 に関す ると ので,親が望む ことは法的効果 を もつ ことにな きよ り, 自分の思い出に関す るときの方が ,行 り,道徳 実在論 を生み 出す。 当然の ことだが, 為の意図を考慮 して子 どもは回答 した。 子 ども 子 どもは道徳実在論 とは関係 な く,実際に望む の客観 主義的な態度が どんなに理論的に純正な ことを実現 しもす る。道徳 実在論 の痕跡 を消す ものだ としても,その態度が実際に行 うときの ためには,子 どもと同 じ水準 になって,その 手 何 らかの現実に対応 している, と仮定す るな ら の義務 と弱点 を強調 して平等感情 を生み 出 さな ば , これ ら 2つ が 現 れ る間 隔 に は 「 ずれ 」 ければな らない。 「 お もちゃを片付 ける」 とか, が あ る は ず で あ る。 理 論 的 態 度 ( at t it u d e 「 服 を汚 さない」 とかの 日常生活 の 中の義務 を t h 6o ri q u e )は,実際の態度 ( at ti t u d ep r atl q u e ) 通 して,子 どもにその必要性 と難 しさを強調 し, よ り一定程度遅れ て現れ る。 それが出来ない時の結果の重大性 を感 じさせて, - 11 7- 神 奈川 大' ' r J : 心理 ・教育研 究 論張 第 31号 ( 201 2年 3) 」31日) 助 け合 い と相 互理解 の雰囲気 をつ く りだす。 そ ジャネ であ る。 ジャネ は フ ロイ トほ ど有名 で のなかで,子 どもは,相互尊敬 の ゆえに, で き ないが, フロイ トと同時期 に無意識 ( ジャネ る限 り同一 の義務 に従 う人間関係 の 中- と入 っ の用語 では下意識) を発 見 し理論 的 に定式化 てい くよ うにな る。服従か ら協 同-の移行 は, 6al i s meの意 味 した者 で あ る。 ピア ジェの r ビー玉遊びの規則の進化発展 と類似 してい るの を考 える点で フロイ トの 「 現実原則」 と比較 である。 す るの も有益 に思 われ るが, ここでは,それ 両親 が配慮せ ず軽率 に命令 し罰 を加 えた りす を課題 と して残 した ままに してお くC る時 は,子 どもは道徳 的強制の故 にではな く, 3)Mi c h aelP ol a n yi ,T h eT a ci tDi me ns i o n, 道徳 的強制 に反抗す ることによって,意図 を考 1 966. マイケル ・ボ ラニー 『暗黙知 の次元』 慮 す る ことを発展 させ てい く。子 どもが喜 んで 003年O ち くま学芸文庫 ,2 もらいたい と思 って した行為 なのに,それ で何 か を壊 して しまい,その ことに よ り親 か らガ ミ ガ ミ言 われ た り した時,あ るいは一般 に, 自分 の行為 を 自分の判断 とは ちが うよ うに判 断 され た時,少 な くとも子 どもはそれに従 うだろ うが, それ を不正 と感 じる。 これ と反対 に,兄弟や友 だ ち との中で,子 どもは協 同行為や相 互共感 の 関係 を発展 させ てい く。 ここに新 しい形 の相互 性 の道徳 がつ く りだ され る。 これ が意 図 と主観 的責任性 の真 の道徳 である。 簡単 に言 えば,家族 に順応 して道徳 を実現 さ せ るにせ よ,反抗 して道徳 を実現 させ るにせ よ, 道徳実在論 を生 じさせ て しま う言葉通 りの字義 尊重 と大人-の一方的尊敬 とに対 して,意 図の 方 をよ り優位 に させ るのは常に協 同である。 当 c ol a b o r at i o n ) の 2つ の態 然 , 服 従 と協働 ( 度 の間には, 中間状態 が存在す る。 しか し,服 従 と協働 の対立 を強調す ることは,分析上 は有 益 であ る。 ( つづ く) 【 註】 1)pi a g e t ,Leju ge me ntmo ralc Ae zl' e nfa nl L , 1 9 92,P. U. ド.7 e6d. (1er6d. ,1 93 2). 引用 文のペー ジは 同書 に拠 る。 2) 意識化 され ない ものの強調 とい う点で,パ レー トの強調 は フロイ トを思 い起 こさせ る. ピアジェが挙 げてい るのは, フロイ トではな く同 じフランス語文化圏 に属す る ピェ-ル ・ - 1 1 8-