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P283-299

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P283-299
海の研究(Oc
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(6),283- 29
9,2
01
0
― 2010年度 日本海洋学会賞受賞記念論文 ―
沿岸海洋生態系における動物プランクトンの機能的役割に関する研究*
上
真一†
要
旨
生物海洋学における研究目的の一つは,植物プランクトンから魚類などの高次栄養段階
動物に至る食物連鎖の中でのエネルギー転送過程や物質循環過程を解明することであるが,
人間活動の高まりが海洋生態系の変化を引き起こしている現在では,食物連鎖構造に及ぼ
す人間活動の影響を解明することも主要な研究テーマとなる。本稿は著者がこれまで行っ
てきた動物プランクトン(特にカイアシ類)の生産生態研究とクラゲ類大発生機構解明研
究を概説し,魚類生産が持続するための沿岸生態系の保全と修復の必要性について述べる。
食物連鎖の中枢に位置する動物プランクトンの生産速度の推定を目的として,まず分類
群別に体長-体炭素重要関係を求め,動物プランクトン現存量測定の簡素化を図った。次
に最重要分類群であるカイアシ類の発育速度,成長速度,産卵速度などと水温との関係か
ら,本邦沿岸産カイアシ類の平均日間成長速度は冬季では体重(あるいは現存量)の約
10
%,夏季では約 40%であることを明らかにした。瀬戸内海全域を対象とした調査航海
を行い,現場のプランクトン群集の生産速度を求めた。その結果,植物プランクトンから
植食性動物プランクトンへの転送効率は 2
8%,さらに肉食性動物プランクトンへの転送
効率は 26%と,瀬戸内海は世界トップレベルの単位面積当りの漁獲量を支えるにふさわ
しい優れた低次生産構造を示した。
1990年代以降瀬戸内海の漁獲量は急減し,一方ミズクラゲの大発生が頻発化し始めた。
さらに 2002年以降は巨大なエチゼンクラゲが東アジア縁海域に毎年のように大量発生し
始めた。両現象に共通するのは人間活動に由来する海域環境と生態系の変遷(例えば,魚
類資源の枯渇,富栄養化,温暖化,自然海岸の喪失など)であり,両海域はいわゆる「ク
ラゲスパイラル」に陥っているようだ。クラゲの海からサカナ溢れる豊かな「里海」の創
生に向けた海域の管理が必要である。
キーワード:カイアシ類,魚類生産,クラゲ大発生,ミズクラゲ,エチゼンクラゲ,
人為的影響,瀬戸内海,東アジア縁海域
*2010年 6月 17日受領;2010年 8月 16日受理
著作権:日本海洋学会,2010
†広島大学大学院生物圏科学研究科環境循環系制御学専攻
〒739-8523 広島県東広島市鏡山 1丁目 4-4
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1. はじめに
生物海洋学あるいは海洋生態学における研究目的の一
つは,植物プランクトンなどの一次生産者により合成さ
28
4
上
真一
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g.1
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れた有機物エネルギーが,食物連鎖を経由して魚類など
陸上生態系における昆虫類に匹敵する。カイアシ類はイ
の高次栄養段階動物に転送される過程を,定性的かつ定
ワシ類などの動物プランクトン食性魚類のみならず,あ
量的に解明することにある。Fi
g.1に模式的に示すよう
らゆる魚類の仔稚魚期の餌として重要な役割を果たして
に,海洋漂泳区には 2つの食物連鎖が共存している。生
いる。またカイアシ類の体は米粒の形をしていることも
食食物連鎖は植物プランクトンが植食性動物プランクト
あり,しばしば「海の米」にも例えられる。それ故に,
ンにより摂食され,さらに植食性動物プランクトンが肉
植物プランクトン-カイアシ類-魚類で構成される生食
食性動物プランクトンにより捕食されることで形成され
食物連鎖こそ,魚類生産を支える最も効率的な食物連鎖
る古典的な食物連鎖である。一方,微生物食物連鎖は溶
である。一方,カイアシ類はクラゲ類(一般には刺胞動
存有機物を基質として増殖する細菌を出発点とし,従属
物門と有櫛動物門に属する肉食性ゼラチン質動物プラン
栄養性ナノ鞭毛虫類や微小動物プランクトンを経由して
クトンを指す)の餌としても利用されることから,魚類
中・大型動物プランクトンに至る比較的新しい概念の食
とクラゲ類は餌を巡って競合関係にあると同時に,両者
物連鎖である (Pome
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oy,1974;Az
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.
,198
3)。
は相互に餌-捕食者として敵対関係にもある(Fi
g.1
)。
小さなサイズレンジ(0.
2-200μm)では分かれていた
今日,地球上における人間活動はこれまでになく強大
両食物連鎖が結合するのが中・大型動物プランクトンで
となり,人間の生活圏である陸域から遠く離れた外洋域
あり,この動物プランクトン群集の平均約 7-8割をカ
や深海においてさえもその影響が及んでいる。人間活動
イアシ類(Cope
poda)が占めることから,カイアシ類
に起因する様々な要因は,例えば富栄養化などを通して
は海洋食物連鎖の中核的な生物群である。
プランクトン食物連鎖構造に影響するのみならず,例え
カイアシ類は体長数ミリ以下の小型甲殻類で,地球上
ば漁業活動を通して魚類資源を枯渇に追い込むなど,高
で最も個体数の多い多細胞動物と言われ(Har
dy,1
95
6)
,
次栄養段階の大型動物にも直接及んでいる。今や全海洋
沿岸海洋生態系における動物プランクトンの機能的役割
2
8
5
の魚類資源の 75%が過度にあるいは強度に漁獲された
状況にあり,海洋での年間漁獲量は 8千万トン余りで頭
打ちとなっている(FAO,2005)。一方,世界各地の海
域からクラゲ類の大量発生や異常発生が近年報告される
ようになった(Ar
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,2001;Gr
aham,2001;Br
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,2009)。 瀬戸内海ではミズクラゲ
(Aur
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.
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.
) が 1990年代以降顕著に増加し
(上・上田,2
0
04
),また東アジア縁海域(渤海,黄海,
東シナ海, 日本海) では巨大なエチゼンクラゲ
(Ne
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manomur
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)が今世紀を境にほぼ毎年のよ
うに大発生を繰り返し,深刻な漁業被害をもたらしてい
る(Kawahar
ae
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.
,2006;Uye
,20
08)。クラゲだらけ
の海は魚類生産の低い不毛の海となるので,このまま事
態を放置しておけば食料不足の危機につながる。海をど
のように管理し利用するのかの重要課題が,私達に突き
つけられている(Uye
,2010)。
本稿では,これまで私が行ってきた動物プランクトン
の機能的役割に関する研究の中から,カイアシ類を中心
とする動物プランクトンの生産生態と,近年大発生して
問題化しているクラゲ類の生態的インパクトに焦点を当
てて解説する。私は学生時代,福山市鞆町仙酔島にあっ
た広島大学水畜産学部(現在の生物生産学部)附属水産
実験所で,瀬戸内海の最高級魚であるキジハタの種苗生
産に取組んだ。結局,親魚は産卵しなかったのだが,そ
れが私の運命を変え,幸いした。急遽,遠部
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(Uye
,19
88)
.
卓先生の
指導によりカイアシ類の大量培養に関する卒論研究を開
瀬戸内海に出現する動物プランクトンの生産速度の測定
始した。大学院修士課程時代はカイアシ類の休眠卵に関
を目的として研究を開始した。そのためには,まず動物
する研究を行いながら,1年間スクリップス海洋研究所
プランクトンの現存量の測定が必須となる。プランクト
に留学する機会を得た。当時,動物プランクトン生産生
ンネットで採集したサンプル中には植物プランクトンや
態学の第一人者だった M.M.Mul
l
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n教授が指導教員に
デトライタスなどが混在するので,その中から動物プラ
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alOc
e
anogr
aphyの講義
なってくれた。 彼の Bi
ンクトンだけを分離し,各分類群に分け,それらの重量
の中で教わった海洋生態系内でのエネルギー輸送と物質
を測定していたのでは膨大な時間がかかる。そこで,私
循環におけるプランクトンの役割が私の研究基盤となり,
は動物プランクトンの体長から炭素・窒素重量を推定す
動物プランクトンの機能的役割の解明がその後の私の研
るための関係式作りから始めた。来る日も来る日も動物
究目的となった。
プランクトンを採集しては実験室に持ち帰り,視力と体
力を駆使してそれらを分類群別,発育ステージ別,性別,
2. 動物プランクトン現存量の測定
1
97
8年に広島大学水畜産学部の助手の職を得た私は,
大きさ別に分離を繰り返し,CHNコーダーにかけては
それらの炭素・窒素重量を測定した。カイアシ類ノープ
リウスの場合には,1サンプルとするために千個体以上
28
6
上
真一
も集めなければならなかった。単調で多くの時間を消費
する作業であったが,瀬戸内海の主要動物プランクトン
分類群について体長-体重関係式を導くことができた
(Uye
,1
98
2
)。一例として,カイアシ類Cal
anuss
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c
us
のノープリウス期,コペポダイト期(成体含む)の体長-
炭素重量関係を Fi
g.2に示す(Uye
,1988)。
その結果,動物プランクトンの現存量測定作業は今日
では非常に効率化された。今では一定量のサブサンプル
を実体顕微鏡下に置き,CCDカメラを通してモニター
上に映し出される各個体の体長を画像処理システムを介
して炭素体重に換算し,各種個体群の体長・体重組成,
現存量,そして全動物プランクトン群集の現存量を短時
間で求めることが可能となった。
3. カイアシ類の個体レベルでの生産速度
瀬戸内海などの本邦沿岸域に出現する主要なカイアシ
類は約 10種程度に限られる。それらの個体レベルの生
産速度,すなわちノープリウス期,コペポダイト期での
体重増加速度,成体雌による産卵速度を測定した。成体
雄による精子や精夾の生産量も厳密には生産活動である
が,それらは一般に無視できるほど小さいので,あえて
測定する必要性はない。各種の成体雌を大量に採集して
実験室に持ち帰り,翌朝までに産出された約千個の卵を
Fi
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(Uye
,19
88
).
一つの集団として,培養した植物プランクトンを潤沢に
与えながら成体になるまで飼育した。定期的にそれらの
長速度と水温との関係を得た(Fi
g.4,上,1997)。いず
発育ステージ組成(卵,ノープリウス期 6期,コペポダ
れの種類においても,成長速度は水温上昇につれて指数
イト期 5期,そして成体)を追跡することで,各ステー
関数的に増大した。成長速度は種類によって大きく変動
ジでの滞留時間を求めた。
し た が , 浮 遊 性 ハ ル パ ク チ コ イ ダ の Mi
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瀬戸内海に出現する最大級のカイアシ類で,しかも現
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aの成長速度は極めて低かった。また,小型サ
存量の卓越する C.s
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usの卵の孵化時間,ノープリウ
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の成長速度はより大型
イクロポイダのOi
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ス期滞留時間,コペポダイト期滞留時間と水温との関係
のカラノイダに比較すると相対的に低く,小型種ほど成
を Fi
g.3に示す(Uye
,198
8)。水温上昇につれてそれ
長速度が高い傾向は見られなかった。なお,これらの値
らの日数は指数関数的に短縮し,水温 20℃では孵化か
は餌供給量が潤沢な実験条件下で得られたものであるの
ら成体に発育するまでに要した日数は最短の 16日であっ
で,各水温における最大成長速度と見なすことができる。
た。本種のノープリウス期・コペポダイト期での炭素重
本邦沿岸産カイアシ類の平均的な日間成長(あるいは生
量の増加分は Fi
g.2より求められるので,各期におけ
産)速度は,低水温の冬季では体重(あるいは現存量)
る成長速度を算出することが可能となる。
の約 10
%,高水温の夏季では約 4
0%と大まかには推定
同様の飼育実験をその他のカイアシ類についても行い,
これまで 9種のカイアシ類のコペポダイト期における成
される。クロロフィル濃度が 3μgL-1以下の場合には
一部のカイアシ類において成長速度が低下することが観
沿岸海洋生態系における動物プランクトンの機能的役割
2
8
7
Fi
g.4
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(上,1
997
).
察されているが(UyeandShi
buno,1992),富栄養な
アシ類の個体密度(ノープリウス期は除く)では最高で
温帯沿岸域では一般に餌供給量の影響よりも水温の影響
nd.m-3,現存量では 1
47mgCm-3にも達し,
6.
4
0
×105 i
が重要である。
福山港はあたかもカイアシ類の培養槽のような状態であっ
た(Fi
g.5)。各種カイアシ類個体群は顕著な季節変動
4. カイアシ類の個体群レベルでの生産速度
本邦のように温帯に属する沿岸海域では,季節的な環
境変動がカイアシ類の個体群動態に大きく影響している。
を示し,C.abdo
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とA.omor
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は低水温期に優占
し,一方,O.davi
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ae
は高水温期にはほぼ独占状態で出
現した(UyeandLi
ang,1
998
)。
O.davi
s
ae
は東京湾など本邦富栄養内湾域に卓越する
そのため,個体群レベルでの定量調査を行うには少なく
小型サイクロポイダであるが(Uye
,19
94),体の小さ
とも 1年間を通じて,しかもなるべく高頻度に行う必要
さが支障となって,本種の詳細な個体群動態や生産速度
がある。また種類によっては分布様式が潮の干満や昼夜
の測定に挑む研究者はいなかった。個体群(ノープリウ
の光周期の影響を受けるので,それらを最小にする採集
ス期は除く)の現存量を測定し,次に成体雌による産卵
方法が求められる。そこで,1987年 11月から 19
88年
速度(UyeandSano,19
95)とコペポダイト期の成長
11月までの 1年間,3-5日の間隔で,しかも夜間の満
速度に基づき,個体群レベルでの生産速度を推定した
潮時前後 1時間以内に,広島県福山市福山港において,
98
)。本種は福山港におけるカイア
(UyeandSano,19
目合 6
2μm のプランクトンネットで海底付近から表面
シ類群集の年間生産速度の 2
6%を占めた。
まで傾斜曵きすることで,全発育ステージを含む(ただ
最重要分類群であるカイアシ類個体群の生産速度測定
し,一部の小型種ではノープリウス期は抜けているが)
の基礎が確立したので,私は次に動物プランクトン群集
カイアシ類個体群の定量採集を行った。これだけ高頻度
全体を対象とした生産速度測定研究に発展させたいと願っ
の採集例は稀である。
ていた。そしてその機会が 1
99
3年に訪れた。
福山港にはPar
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などが出現し,カイ
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hiandYanagi
,1
99
7).
たちは広島大学生物生産学部附属練習船「豊潮丸」に乗
船し,1993年 10月,1
994年 1月,4月,6月の 4回,
瀬戸内海全域の 21定点で観測調査した。植物プランク
トン,細菌,微小動物プランクトン,ネット(中・大型)
動物プランクトンの炭素現存量を測定した(Fi
g.6
)。
これら全群集の平均現存量は約 5gCm-2で,そのうち
植物プランクトンが 7
5%を占めた。
植物プランクトン一次生産速度は 13Cの取込み速度を
基準とした疑似現場法で,動物プランクトンによる二次・
三次生産速度は上述した各分類群の成長速度と現存量を
乗じて算出し, それらを累積して推定した (Fi
g.7,
Fi
g.5
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98).
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,1996
;UyeandShi
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97
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,19
9
7)。瀬戸内海の年間平均一次生産速度は 7
8
1mg
Cm-2d-1であり,沿岸域における一次生産速度として一
般的な値であった。無殻繊毛虫類,有鐘繊毛虫類,カイ
アシ類ノープリウスの 3分類群で構成される微小動物プ
ランクトンの二次生産速度は 7
9.
9mgCm-2 d-1,ネッ
5. 瀬戸内海のプランクトン群集レベルでの生
産速度
ト動物プランクトンの二次,三次生産速度はそれぞれ
瀬戸内海の環境と生物生産過程に関する総合調査を,
トン食性魚の生産速度も含めると,一次生産から二次生
広島,香川,愛媛,九州の各大学に所属する研究者が共
産への転送効率は 28%,二次生産から三次生産への転
同して行った(代表者:岡市友利元香川大学学長)。私
送効率は 26
%と計算され,これらは従来海洋生態系で
4.
6mgCm-2 d-1であった(Uye
141mgCm-2 d-1,5
andShi
maz
u,19
97
)。カタクチイワシなどのプランク
沿岸海洋生態系における動物プランクトンの機能的役割
2
8
9
えて漁の邪魔になる。何とかして欲しい」との苦情や要
望が舞い込むようになった。私たち海洋研究者が気付か
なかったところで海は変化していることを漁業者たちが
教えてくれた。クラゲ類はカイアシ類の敵であるが,同
じ動物プランクトンの仲間には変わりない。「敵を知り
己を知れば百戦危うからず」の孫氏の言葉に習って,カ
イアシ類研究からクラゲ類の研究に踏み込んだ。クラゲ
類もカイアシ類同様に,海洋生態系内で重要な機能的役
割を果たしているに違いないとの予感があったからであ
る。
従来クラゲ類はエネルギー輸送や物質循環の研究の中
ではほとんど無視されていた。だから誰も瀬戸内海での
Fi
g.7. Pl
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(Okai
c
hi
andYanagai
,1997;UyeandShi
maz
u,1997
).
クラゲ類の現存量など調査したことはない。それなら日
常的に漁に出て海の変化を目の当たりにしている漁業者
に尋ねようと,2
002年に瀬戸内海全域の漁協にアンケー
トを送付し,また漁村を訪問して,漁業経験 2
0年以上
一 般 に 受 け 入 れ ら れ て き た 転 送 効 率 (10- 20
%,
の 11
52人からクラゲ類の出現動向について聞き取り調
Ryt
he
r
,1
9
6
9)より高かった。このように低次生産過程
査を行った(上・上田,20
04
)。その結果,65
%の漁業
での転送効率が極めて高いことが瀬戸内海の食物連鎖構
者が最近 20年間(19
80年代以降)にミズクラゲが増加
造の特徴である。
0年代以降)に顕著に増
し始め,特に最近 10年間(199
瀬戸内海は地形的に東西に長く伸びた水路状で,海水
加し始めたと回答した(Fi
g.8)。また,偶然にも 2
0
0
0
は灘(あるいは湾)と瀬戸(あるいは海峡)の相互配置
年夏季には宇和海沿岸一帯に前代未聞のミズクラゲの大
により適度に撹拌され,内在する栄養塩を効率よく植物
発生が起こり,湾全体を白く染めるほど集群する光景が
プ ラ ン ク ト ン 生 産 に 提 供 す る (Yanagiand Okada,
空撮された。この時,全体で 9万トン(湿重量)余りの
1
99
3)。さらに動物プランクトンによる転送効率,すな
ミズクラゲが存在した(Uyee
tal
.
,2
003
)。また,聞き
わち魚類の餌の生産効率,が高いことから,瀬戸内海の
取り調査では, ミズクラゲ以外にもアカクラゲ
単位面積当りの年間漁獲量(20.
6t
onkm
-2
yr )は北
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(Chr
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a me
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), オ ワ ン ク ラ ゲ (Ae
quo
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海より 3倍以上も高い世界トップレベルにあることが納
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),カブトクラゲ(Bol
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nops
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smi
kado
)な
得される(Take
oka,1997)
。
どが大量発生することが明らかになった。
漁業者からの情報や私たちの調査結果に基づくと,
6. クラゲ問題の顕在化
2
002年以降のミズクラゲの出現量は年や海域により変
化したものの,特に顕著な増加傾向は示していないよう
適度な海水混合をもたらす灘と瀬戸の交互配置による
09年の冬季に瀬戸内海西部にお
だ。しかし,20
08-20
地形特性,並びに高効率のプランクトン生産過程は瀬戸
いて,大量のミズクラゲが越冬する現象が起こった。従
内海への天与の恵みであり,それらが漁場としての瀬戸
来,瀬戸内海のミズクラゲは年間単世代で,主として春-
内海の豊かさを支えている。しかし,19
70年代から 80
夏季にメデューサとして出現し,秋季には消滅していた。
年代中頃までは平均約 40万トンであった年間漁獲量は
ミズクラゲの複世代化はメデューサとしての出現期間の
その後減少の一途をたどり,2007年には 20万トンを割
長期化を招くことから,今以上の漁業被害の拡大が危惧
り込むようになった(中国四国農政局)。一方,19
90年
される。
代になってから瀬戸内海各地の漁業者から「クラゲが増
2
90
上
真一
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(UyeandUe
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a,2004).
後,日本海各地の網漁業に被害を与えながら北上し,1
0
7. 東アジア縁海域のエチゼンクラゲ大発生の
頻発化
上記の聞き取り調査を行っている最中の 200
2年,日
本海にエチゼンクラゲが大発生した。成長すると傘径
月には一部の成クラゲは津軽海峡を通過して太平洋側へ
抜け,房総半島にまで南下する。冬の到来による水温低
下とともにクラゲは活性を失い,1年未満の一生を終え
て日本近海で大量死する(Kawahar
ae
tal
.
,2
00
6
;Uye
,
2
0
08)。
2m,体重 20
0kgを越える世界最大級のこのクラゲの
雌雄異体であるエチゼンクラゲが成熟するのは秋で,
大発生は,19
2
0,1958,1
995年に起こり,かつては約
体重約 50kgの雌は約 3億個の卵を孕む。海水中に放出
40年に一度の珍事だった(岸上,1992;下村,19
5
9;安田,
された卵は受精してプラヌラ幼生に発達し,海底の岩な
2
00
4)
。それが 200
3年も連続して大発生したのはただ事
どの固い基質に付着してポリプへと変態する。成ポリプ
ではなかった。私たちは直ちにエチゼンクラゲ研究に着
はポドシストと呼ばれる細胞塊を産出し,ポドシストか
手し,以後,謎だらけだったこのクラゲの生活史や再生
ら新たなポリプが出芽して無性的に増殖する。一定期間
産特性などを明らかにし,大発生の原因究明と漁業被害
の低水温を経験することによりストロビラへと変態し,
対策の研究を継続している。
数日で先端からエフィラを放出する。エフィラはメテフィ
エチゼンクラゲの発生場所は,朝鮮半島と中国本土に
ラを経由して 1ヶ月余りで傘径約 1
0c
m のメデューサ
囲まれた東アジア最大の湾(渤海,黄海,東シナ海)で,
に成長する。野外では 7
-8月に傘径約 50c
m に成長し,
晩春-初夏に海底に付着するポリプからエフィラと呼ば
秋 に は 1m を 超 え る 成 熟 ク ラ ゲ と な る (Fi
g.9,
れる仔クラゲが水中に放出される。一部の幼若クラゲは
Kawahar
ae
tal
.
,200
6)。餌が潤沢に存在すれば体重は
長江低塩分水塊へ取り込まれ,その水塊の沖合への張り
200kgを超えるまで成長するので,その場合の孕卵数
出しにより韓国済州島付近へと運搬され,さらに南から
は優に 10億個を超えるだろう。そして,ポリプが足跡
北上する対馬海流により日本海へと輸送される。対馬海
のように残す固いキチン質の殻に包まれたポドシストは,
峡に若クラゲの先頭集団が達するのは 7月である。その
少なくとも 4年間は耐久して休眠可能である。一連の研
沿岸海洋生態系における動物プランクトンの機能的役割
2
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(Kawahar
ae
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.
,2
00
6).
究を通して,エチゼンクラゲは凄まじい成長力と繁殖力,
を中心に,広島県呉市の音戸の瀬戸に出現するミズクラ
そして生残力を備えている脅威の生物であることが明ら
ゲの単位重量当りのカイアシ類の捕食速度を推定し,現
かとなった。
場 の カ イ ア シ 類 密 度 と の 関 係 を 求 め た (Uyeand
Shi
mauc
hi
,2
0
05)。 ミズクラゲの捕食速度はカイアシ
8. クラゲ類による動物プランクトンに対する
捕食インパクト
類密度の上昇に伴って直線的に増大し,天然の餌密度条
件下では飽和することはなかった (Fi
g.1
0)。 また,
199
2年 5-7月のミズクラゲ個体群の平均炭素現存量は
ミズクラゲの主要な餌はカイアシ類などの中型動物プ
66
.
0mgCm-3,そしてそれらによる動物プランクトン
ランクトンである(UyeandShi
mauc
hi
,20
05
)。エチ
捕食速度は 6
.
07mgCm-3 d-1であった。同期間中のネッ
ゼンクラゲも体は巨大であっても餌は同様にカイアシ類
ト動物プランクトンの平均炭素現存量が 23
.
7mgCm-3
などである(Uye
,2008
)。クラゲ類は魚類のような機
であったので,ネット動物プランクトン群集現存量に対
能的な目を持たないので,餌生物を視覚的に認識して捕
するミズクラゲ個体群による日間捕食インパクトは 2
6
食するのではない。体の周囲に存在する餌生物に毒液の
%であった。これは Fi
g.4に示すカイアシ類の平均生
入った刺胞を発射してそれらを麻痺させ,口腕で捕食し
産速度(体重あるいは現存量の 27
%)に相当する。す
て胃腔内に運び,消化している。19
91,19
92年の夏季
なわち,カイアシ類による生産分のほぼ総てがミズクラ
292
上
真一
には,その場に存在する動物プランクトンを食い尽くし,
クラゲ群が通過した後の海は動物プランクトンの存在し
ない砂漠状態になることを示している。これでは魚類は
たまらない。
9. クラゲ類大発生の原因
東京湾のミズクラゲは 196
0年代に大発生し,火力発
電所の取水口を塞いで首都圏を停電に陥れた(桑原ら,
1
969
)。それ以降,ミズクラゲは東京湾の動物プランク
トン現存量において最優占している (Omor
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,20
05
).
199
5;Toyokawae
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.
,2
00
0;石井,2
00
1)。瀬戸内海の
ミズクラゲは,19
90年代以降顕著に増加した(上・上
田,2
004
)。そして今世紀を境にエチゼンクラゲが大発
生し始めた。これらのクラゲ類の大発生が頻繁化した原
因は,沿岸海域の環境変化あるいは生態系変化に由来し
ゲに捕食されたことになり,これでは魚類に回る餌は存
ていることは明らかであるが,必ずしも個々の要因の特
在しないことになる。
定はできていない。エチゼンクラゲの大発生には,本種
20
05年 7月に対馬近海に出現したエチゼンクラゲ個
体群についても同様の捕食インパクトの推定を行った
(Uye
,2
00
8)。この時期のクラゲの平均体重は 3
.
0kgと
小型で,それらの平均個体密度は 2.
5me
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0
0m ,
-3
の発生源である中国沿岸域における下記の要因が複合し
ていると推定される。
1)魚類資源の乱獲
乱獲による東アジア縁海域の漁獲量の低下が顕著であ
平均個体群現存量は 40.
7mgCm であった。呼吸と成
る。渤海の単位努力量当りの漁獲量(すなわち,資源量
長をまかなうために, クラゲ個体群は 2.
45mgC m
の指標)は 195
9年から 1
998年にかけて 95
%も減少し
-3
-3
d の餌を要求すると計算された。この海域でのネット
た(Tange
tal
.
,20
03)。また,黄海での韓国漁船による
動物プランクトンの現存量を東シナ海中央部での現存量
魚類年間漁獲量は 19
80年代中頃には約 1
3万トンあった
と等しい 1
0mgC m と仮定すると,ネット動物プラ
が,1
990年以降急減し,最近では盛期の約 1
/3にまで
ンクトン群集に対する日間捕食インパクトは 25
%とな
減少している(韓国国立水産科学院)。さらに,日本海,
り,カイアシ類の生産速度とほぼ等しくなる。
東シナ海における日本漁船による年間漁獲量は,1
9
8
0
-1
-3
クラゲ類の出現パターンの特徴は時に顕著な集群を形
年代に豊穣であったマイワシ漁獲量を差し引いても近年
成することであるが,とても集群状態はいえない上記の
はひどい落ち込みようで,盛期の 1/3以下になってい
出現条件下でも動物プランクトンに対する捕食インパク
る。餌をめぐる競合相手の魚類の資源量が減少すれば,
トは高かった。2000年夏季に宇和海でミズクラゲが大
余った動物プランクトンはエチゼンクラゲに利用される。
発生した時,同一湾内において密集したミズクラゲ集群
2)地球温暖化
内(平均ミズクラゲ個体密度:2
50me
dus
aem )と集
黄海の平均水温は 1
97
6-2
000年の 2
5年間に 1
.
7℃上
群外で動物プランクトンをネット採集し,両者を比較し
昇した。 これを冬季水温に限ると 2.
0℃の上昇となる
たことがある(Uyee
tal
.
,2003)。クラゲ集群内の動物
(Li
ne
tal
.
,20
05)。水温が上昇するとポリプの増殖速度
プランクトンは極めて少ない上にクラゲの刺胞毒により
が指数関数的に増大するので,より多くのエチゼンクラ
死亡個体が多く,生きた個体はほとんど残っていなかっ
ゲを生産する。
た。この事実は,クラゲが密集した集群を形成する場合
3)富栄養化
-2
沿岸海洋生態系における動物プランクトンの機能的役割
2
9
3
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Uye
,20
05a).
長江河川水は黄海や東シナ海への栄養塩供給に重要な
結果,魚類の資源回復は益々困難となる。このようにク
役割を果たすが,長江由来の窒素負荷量は 19
60年代か
ラゲがスパイラル状に増加し,一方,魚類はスパイラル
ら 19
9
0年代までの 30年間に約 2
0倍も増加した(Yan
状に減少する現象を「クラゲスパイラル」と名付けた
e
tal
.
,2
00
3
)。加えて長江由来の負荷量の約 6
0%に相当
(Fi
g.11
)。毎年のようにエチゼンクラゲが大発生を繰
する窒素量が大気を由来して供給されており
り返す現状は,中国沿岸でのクラゲスパイラルは相当程
(Nakamur
ae
tal
.
,2005),東シナ海の赤潮発生規模の
度に進行し,毎年大量のクラゲを生み出す環境条件が既
拡大などの富栄養化現象をもたらしている。これに伴い
にでき上がったことを意味している。そうなれば日本の
動物プランクトンも増加するので,エチゼンクラゲはよ
漁業者はエチゼンクラゲの来襲を,台風の来襲と同様に,
り多くの餌を利用可能となる。
毎年起こることを前提にして対策するしかない。
4)海洋構造物,プラスチックゴミ
エチゼンクラゲのポリプは固い基質に付着する性質を
示すことから,新たに設置された海洋構造物や海底に投
棄されたプラスチックゴミがポリプの生育場となる可能
性は高い。
上記の要因によりひとたびクラゲ類が増加し始めると,
クラゲ類はより多くの魚卵や仔魚を捕食するので,その
10. 漁業被害軽減のための対応策
エチゼンクラゲのエフィラは水温が約 15℃に上昇す
る 4-5月頃に放出され,成長しながら日本海へと輸送
されるので,6-7月の傘径 10-5
0c
m の若いクラゲの
出現量をフェリーのデッキから目視観測し,その多寡か
294
上
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ら発生規模の予測が可能である。私たちは日本と中国を
迫っていた。このような状況から,200
9年は間違いな
往来する国際フェリーを用いた目視観測を 2006年から
く大発生と予報し,関係機関を通して漁業者に通報した。
実施している。2009年は 2
005年を凌ぐ史上最大規模の
出現量や来襲時期などの出現パターンは異なるものの,
エチゼンクラゲの発生量であったが,大群が日本海に押
200
6,2
0
07,2009年はいずれも大発生年であり,これ
し寄せる前の 7月上旬に行った神戸-天津,下関-青島,
らの年の 7月における黄海での平均出現密度はそれぞれ
下関-大倉間の航路上での出現量を Fi
g.12に示す。エ
0
0
8
2.
1
7,3.
32,2
.
29me
dus
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0m-2であった。一方,2
チゼンクラゲは渤海,黄海,東シナ海のほぼ全域に分布
年はエチゼンクラゲがほとんど来遊せず漁業被害は皆無
し,特に韓国済州島付近の海域には最高で 33me
dus
ae
の例外的な年であったが,この年の 7月における平均密
1
00m ものクラゲが出現し,先頭集団は対馬に間近に
0であっ
度は 0
.
02me
dus
ae10
0m-2と大発生年の 1/10
-2
沿岸海洋生態系における動物プランクトンの機能的役割
2
9
5
た。フェリーによる目視調査を少なくとも 10年間継続
け多量の餌を周囲の海水から摂取可能となり,またより
すれば,発生規模の予報精度は相当高くなるだろう。い
多量の液状代謝産物を海水中に放出することが可能とな
ずれにしろ目視調査に基づく早期予報により,漁業者は
る。本来,クラゲ類は海洋でのエネルギー輸送や物質循
時間的余裕を持ってエチゼンクラゲの来襲に備えること
環の主役となり得る機能を備えている分類群なのである。
が可能となる。
彼らがこれまで主役となり得なかったのは競合する魚類
エチゼンクラゲと漁業者との戦いの場は定置網などの
のインパクトが強大であったからに他ならない。魚類の
漁場である。クラゲ対策のために,定置網の垣網目合の
末裔とも言うべき人類の未曾有の繁栄により,魚類資源
大型化,バイパス網・仕切り網の設置などの改良が加え
の減少と魚類生産を支える食物連鎖構造の崩壊が起こっ
られている。これらの対策には多額の資金の投入を必要
ている。そしてクラゲ類は再び主役に躍り出てかつての
とするものであるが,従来網に比較するとクラゲの除去
繁栄を取り戻そうと企んでいるかのようである。
は効率的になり,漁業者の肉体的負担は大きく改善され
一方,増加する地球人口を養うために人類はより多く
た。しかし,一時に余りに大量のクラゲが入網する場合
の食料を必要とする。特に東アジア縁海域は世界の総漁
には,網を切ってクラゲも魚類も逃がすしか方法がない。
獲量の約 11
%の生産を支える優良漁場であり,この海
最悪の場合には破網である。
域の漁業生産の持続性は食料安全保障の上でも極めて重
10年前の先世紀末までは,漁業者はクラゲの来襲な
要である。クラゲ類は人類の食料としては高蛋白の魚類
ど気に掛けずに操業が可能であった。しかし,押し寄せ
にはるかに劣るから,クラゲだらけの海はほとんど人類
る大量のクラゲのせいで余計な体力や資金を使い,その
の役に立たない不毛の海になる。人類が存続できるため
上に漁獲量が減少している現状は漁業者にとっては理不
には海にはサカナが溢れていなければならない。そのた
尽極まりないことだろう。クラゲ大発生の根本原因は人
めには,効率的な魚類生産の行われていた 19
90年以前
間活動に由来するから,クラゲ問題は人災である。どう
の瀬戸内海で機能していた植物プランクトン-カイアシ
すればクラゲ大発生の根源を断ち,この現状を改善でき
類-魚類の食物連鎖が卓越する海の環境と生態系を取り
るのだろうか。今のところ特効薬はない。
)。しかし経済発展を優先
戻す必要がある(Uye
,2
010
する今の社会システムはすぐには変われないし,三峡ダ
11. おわりに:クラゲの海からサカナ溢れる
里海に
ム建設による長江河川水の流量や水質の変化がこの海域
の環境をさらに悪化させる可能性は高い。このような状
況の中で,クラゲ類は人類を試しているのだろう。人類
クラゲ類はカンブリア紀(約 5億年前)の海に出現し,
がこのままクラゲ王国の復興に手を貸してくれる有り難
繁栄した。魚類はデボン紀(約 4億年前)に出現し始め,
い身方か,東アジア縁海域をサカナ溢れる里海として復
次第に繁栄して海の支配者となり今日に至っている。魚
活させようとする手強い敵なのかを。
類繁栄の陰でクラゲ類は海の片隅に押しやられていった
が,長い地球生命史を生き抜いて来た彼らには,有性生
殖と無性生殖の併用による日和見的な個体群増殖能力の
高さと不適環境に対する個体群維持機構が備わっている。
謝
辞
広島大学理事・副学長(教育担当)としての大学運営
加えて体が海水分約 99%のゼラチン質で構成されるこ
用務と,20
09年度の史上最大規模のエチゼンクラゲ大
とに基づく,クラゲ類特有の生理・生態的利点がある。
発生の調査研究のただ中で,この度の栄誉ある日本海洋
例えば同一炭素量のカイアシ類などと比較すると,クラ
学会賞受賞の知らせを受けた。賞選考委員をはじめ,こ
ゲ類は約 50倍もの大きな体サイズを有することとなる。
れまで何からの形で私の研究と関係のあった多くの方々
しかし,クラゲの体は海水と同密度であることから,彼
に心より感謝申し上げる。過去を振り返ると,私はその
らの遊泳エネルギーはほとんどいらない。体サイズが大
時その時に必要とされた動物プランクトンの課題を私な
きくなれば接する海水量が多くなり,クラゲ類はそれだ
りに取り組んできただけだ。カイアシ類研究がまさかク
2
9
6
上
ラゲ類大発生研究に結びつくとは思いもよらなかったが,
海では予想もしなかった新しい現象が次々に起こる。海
の変化に対して確かな目を持つ漁業者同様に,私も生物
海洋学者として海の変化に常に目を向けていたいし,人
間にとってあるべき海の姿を常に追求したい。
真一
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Tokyo,329pp.
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