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Instructions for use Title 1965年札内川なだれ調査報告

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Instructions for use Title 1965年札内川なだれ調査報告
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1965年札内川なだれ調査報告
清水, 弘; 遠藤, 八十一; 渡辺, 興亜; 山田, 知充
低温科學. 物理篇 = Low temperature science. Series A,
Physical sciences, 24: 221-238
1966-03-22
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/18045
Right
Type
bulletin
Additional
Information
File
Information
24_p221-238.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
HiromuSHIMIZU,Y
a
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c
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iENDO,OkitsuguWATANABEandTomomiYAMADA
1
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aAvaJanche,1965 LowTemperatureS
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.2
1
9
6
5年 札 内 川 な だ れ 調 査 報
清水
.fu*
口
弘・遠藤八十一
(雪害科学部門)
(応用物理学部門)
渡辺興亜・山田知充
(気象学部門大学院j
(昭和 4
0年 1
0月受理)
1
.
まえがき
1
9
6
5年 3月 1
4日 頃 , 北 海 道 日 高 山 脈 中 央 部 の 札 内 川 上 流 部 で 大 規 模 な な だ れ が 発 生 し
偶 々 附 近 の 雪 洞 で 露 営 中 の 北 海 道 大 学 山 岳 部 部 員 6名(リーダー:沢田義一)が全員遭難(埋没)
9
6
5年 札 内 川 な だ れ " と 名 付 け ら れ た 。 こ
死 亡 し た 。 こ の な だ れ は , 第 1次 捜 索 隊 に よ っ て “ 1
れ に 対 し て , 北 大 山 岳 部 は 3月 26日(沢田隊の最終下山予定日の翌々日)から大,小編成の捜
索隊を数次に亘り現地に派遣して捜索を続け, 6月 20日 全 遺 体 を 収 容 す る こ と が で き た 。 北 大
低 温 科 学 研 究 所 は , 雪 害 科 学 部 門 を 中 心 に 山 岳 部 の 協 力 を 得 て 5月
1
9
6
5年札内川なだれによる遭難の捜索および調査
第 1表
日時[
行
昭4
0
/
3
/
1
4, I 作-1-~ ~車伴|
2:o
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?) I .~,~い珂エ 1
/円 /
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1
4
5
/
2
4
6
/
1
6
/
7
キャンプ推定地からデプリ末端にかけて発細作業(トレンチ 7,ピット
4
2
)遺品は殆んど発見されず。
(
4
0名)
L
. 木崎甲子郎
稜線ルートの捜索。測量。デプリの断面観察。
I偵察隊(4名! I第 2次捜索隊の入山コース偵察
IL . 安 藤 久 男 (
表面磁雪量測定
第 2次捜索隊
(
1
7名)
L.木崎甲子郎
捜索隊
J パ建設 t
t
t
調査隊: 測量,表面融雪量,水流量
デプリの表面および内部構造
断面観測,ボーリング,気象観測
I第 1次調査隊
(3名)
L 清水弘
捜索(デプリ末端でストック発見)アパ保守
表面融雪量,水流量,気象観測
健 │ ボーリング, トレンチ,稜線ノレート綬索
マトロール 1
(4名
L.古瀬
動
北大山岳部沢田隊 6名(Ltt沢田義一)埋設
第 1次捜索隊
3
/
2
6
4
/
5
6月 お よ び 7月にこのな
I
*北海道大学低温科学研究所業績
第 754号
低 温 科 学 物 理 篇 第 24輯 昭 和 4
1年
222
清水
弘・他
,
.
=
r
r
日
6
/
7(
6
/
1
3
}
6
/
1
3
マトロール:
(5名)
L 庵谷晃
動
I鵬 ア パ 削 氷 蜘 跡 表 而 融 雪 量 水 流 盈
気象観測,デプリ上流部調査
遺体(沢田)発見,札幌 K通報
第 3次 捜 索 隊
(
6
4名)
6
/
1
4
6
/
2
0
6
/
2
1
6
/
2
7
(遺族その他)
1
4名を含む
L.橋本正人
第 2次 調 査 隊
(
4名)
L 清水弘
第 3次 調 査 隊
(
4名)
7
1
L.清水弘
f
也の日遺体発見,茶毘 K附す。
表面融雪量,氷板追跡,水流量,気象観測j
分岐点沢調査
表面融雪量,デブリの消耗過程
気象観測,観測機材搬向
f 沢田遺書による推定日時。
t
t L
.: リーダー。
t
t
t アパ. 遺体,遺品の流失を防ぐための水中柵。
だれの調査を行なった(第 1表
)
。
調査はなだれ発生後かなりの時日を経てから開始されたため,推定困難な問題が多かった
が,なだれの発生,種類,規模,流動様式についての考察がなされ,デブリの構造観察がねーな
われた。叉,デブリの消耗過程の考察と観測が行なわれた。
I
I
. なだれの規模
なだれは札内岳分岐点 (
1
8
8
5m) の南東斜面で発生し,
一旦分岐点沢に収蝕し,
札内川本
谷にデブリ(なだれ雪の堆積)を押 L出した(第 1図,第 2図)。なだれが発生した南東斜面は平
0
均傾斜約 3
5,なだれの通路となった分岐点沢は約 1
50,札内川本谷は約 6
であった。
0
の走行は全長約 3kmに及び,
なだれ
なだれ発生源と思われる稜線からデブリ末端まで、の標高差は約
900mであった(第 3図
)
。
3月および 5月の測量結果によれば,なだれ発生当時札内川本谷に堆積したデブリの量は
約 4x lO'トンと推定され,長さ約 1km ,幅 30~100 m に亘って谷を埋め,その平均厚は約 1
0
m であった。
なだれの階級 1) としては,
質量階級は M
本国内のものとしては最大級に属するものと思思、われる。
2
2
3
1
9
6
5年札内JIlなだれ
λ
第 2図
実私苅ぜ必滋鐙滋滋滋絞懇務総総会
以岬同時点'
なだれ現場(撮影:北海道新関社)
a
. 分岐点沢 b
. なだれ風に吹き払われた斜面
沢出合(札内 j
l
l本流) d 十 の 沢 e
. 雪洞地点
点テラス
g
. デブリ末端(札内 j
!
1本流)
C.
分岐点
f.屈曲
2
2
4
清水
弘・他
到
4F
しー主d
A
7
第 3図
つ
なだれ通路の断面図
I
I
I
. なだれの発生と流動に関する考察
1
. なだれの発生
なだれ発生の日時について,沢田遺書*は“ 3月 1
4日午前 2時ごろ"と推定している。後
3日で、終って居り,
日発見された他隊員の行動記録が 1
沢田以外の遺体が就寝状態で発見され
たこと等から考えて,沢田遺書の推定はかなり正しいものと思われる。
なだれ発生前後の気象状況と一般情報を第 2表に示す。これによると, 1
2日は快晴に恵ま
れ,当時稜線にあった他隊料は“雪は一般にしめり"と報じている。これに従うと, 1
2日夕刻
には積雪表面は融解一再凍結によるクラスト(氷膜)を生じたことが想像される。
しかし帯
広,広尾,浦河の気温から推定すると,海抜 1800mの稜線の日中気温は,当時少なくとも
C前後と推定されるから,積雪表面の融解は困難であろう。
-lOO
吉田 2) は,札幌附近の春さきの快晴日に於ける日射条件で,
日射による積雪の内部融解を
理論的に考察した。それによると, 4時間の日射時間に対して,最初の雪温が _goC以下のと
きは内部融解は起き得ない。 1
2日早朝の稜線推定気温は約一 2
0Cであり,内部融解は期待で
0
きない。
しかし
内部には,
1日間の快晴は南東斜面の表面附近の雪温を上昇させたであろう。その結果積雪
表面ではーlOoC伎で深さに従って高くなるような温度勾配が生じ,やや深部から
の昇華水蒸気 3) が表面附近で凝結し,一種のクラストが生じたことが考えられる。
1日午前 3時(だなれ発生の約 2
4時間前と推定される)の地上天気図を示
第 4図に 3月 3
4年までの 3
6例についてなだれ発生時の天気図をしらベ,結
す 。 久 米 4) は,昭和 2年から同 3
局 7種の気圧配置型に分類した。これによると,第 4図は典型的な Tns型(又は谷川型)と呼
ばれる気圧配置型である。つまり,太平洋と日本海とに低気圧があり,上層には深い気圧の谷
がある。この場合,谷の前面では上層に強い南風が入って気温が上昇し,谷の通過後は風は西
に変って気温は急降する。山岳地帯は全土に亘って大量の降雪を見る型である。当時附近にあ
った各隊の情報によれば
(
1
) 稜線は 1
2日は快晴であったが, 1
3,1
4日は猛吹雪となり行動不能であった。 前半,
* 沢田のみは,埋波後数時間デプリの底の雪洞中に生存し,脱出を試みていた。
ら推定した日時が記録されていた。
料東京都立大学山岳部
その遺書 I
Cは腕時計か
225
1
9
6
5年札内川なだれ
なだれ発生前後の気象状況と一般情報
第 2表
ト
帯広
浦河
1 2日
1
0
1
0
1φて
¥
o~
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ぷ
2
。-2 -2
0
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2~
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情
幸R
快
快日青
吹
雪
H
青
炎
{
うすぐ、もり
璽
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"都
立
動大
ま円
E
1
4:O
O
i
l
¥問隊は十の沢
ド付近の雪洞,附近にデブ
雪
無
j
氏
リなし (~t 大 111 スキ一部)
大雪
、
隊 曇時々雪
J
快晴
快 H
青
なだれ音
気浪上昇
0.1-4.2 頻 発
2
.
3
1
0
2
6 4027
1 6日
本谷
4-1.2
0
.
2一2.
2
.
0.7-3.8 0.3-3.7
1
0
2
0
3
附近
ぜ
z
o
ぷ
0-3
1 5日
札内川
1
0
1
0
←
1
0
0
2
1 4I
l
稜線
-3.6
.
5
0
.
7
3
.
6
2
.
2 8
1
0
0
9
0
6 猛 (
1
.2
6-1
1 3日
広尾
S027
。
H
主
~l
後
うすぐもり
-3-2 -8.0-2.
4 5.2-1
.6 ガス
1
0
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9
1 71
]
1
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日
主
円
ー 3-2 -5.9-1
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l-0.5
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1 8日
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L
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池-01
。-3
0.9~
司
壬
ヨ
司
三
ヨ
手
.
1の沢附近に巨大なデ
ブリ発見(帯広畜大隊)
-2.5-4.3 1
.
2-2.8
浦河,帯広,広尾の気象資料は午前 9時のもの。
天 気 気象庁表示法による
気
圧 各欄上段の 4桁の数字 (mb)
気
温
各欄中段の数字 (
OC
)
日気温変化
各欄下段の数字 (
OC
)
稜線附近および札内川本谷の気象状況は,当時附近 K あった他隊からの情報による。
東風により国境稜線の西側に発達していた雪庇は,
消失(埋没)し,
風向の変化(東風→西風)に従って
後半には稜線東側に巨大な雪庇が新しく成長した(東京都立大山岳部,
北 大 第 1次捜索隊)。
(
2
) 札内川の谷(稜線からの標高差は約 900m) では
13 日正午ごろから無風状態で豪雪
となり, 14日朝まで降り続いた(北大山スキー部,沢田隊行動記録)。
前記の旧雪表面と新積雪の情況から考えて,当時この附近斜面の表層積雪は極めて不安定
で,大規模ななだれを起し易い状態にあったと考えられる。
今 回 の な だ れ を 発 生 さ せ た 直 接 の き っ か け と し て , 次 の 2つの機構が考えられた。
a
. 稜線東側に張り出した雪庇の崩落。
b
. 不安定な斜面積雪に直接作用した強風。
2
2
6
清水
弘・他
-IXなr:: 札 I~士号
第 4図
3月 1
3日(なだれ発生の前日)
午 前 3時の地上天気図
強い風雪下で成長する雪庇は,それを構成する雪粒聞の結合が充分強化されない中に雪庇
の本体が急速に発達し,構造的に脆弱なものとなる(し、わゆる風成雪)。第 1次捜索隊の観察に
よれば,稜線沿いに張出し 20mを越す雪庇と,その崩落の跡が見られ,
叉,なだれ斜面を横
4日午前 3時の天気図によれば,この時刻には気圧の谷
切っているクラックが見られた。 3月 1
は既に北海道東方海上に過ぎ去って居り,稜線での西風が強まっていたと考えられる。これら
の情報から判断すると,なだれのきっかけは機構 a,つまり稜線の東側(札内川側)に張り出し
た雪庇の崩落で、あった可能性が強い。
2 なだれの種類と流動様式
なだれの種類,流動様式を推定する手がかりは複雑であったが,次のようにまとめられた。
(
1
) 当時の積雪状況 (
1
2日のクラストの上に多量の新雪が積ったこと),およびなだれ風に
よったと思われる風倒木地帯がなだれの通路に沿って極めて広範囲に拡がっていたことから,
高速度の新雪表層なだれが発生したと考えられる。
もので,その前端に雪煙を噴きあげつつ進み,
これは,新雪がなだれる場合に見られる
運動形態としてはけむり型5)に該当するであ
ろう。
(
2
) デブリは,
なだれる以前の自然、積雪層を保ったままの大小の雪塊(以下ブロックと呼
2日のクラストよりかなり深い,かたいしまり雪層
ぶ)を無数に含んでいた(第 7図)。これは 1
まで、なだれたことを示している(但し,
クラスト以下の旧雪層内部に,
当時しもざらめ雪層が
1
9
6
5年中L
内川なだれ
第 5図
227
なだれ風に吹き払われた嵐倒木斜
iJn(分岐点沢出合附近の本流左岸)
第 8図
第 7図
なだれ風で折られた樹幹
デブリの表面l
己主苦出したブロック
あったか夜かについては,情報が得られていなし、)。これを!日雪表層なだれ*と呼んでおく。運
動形態としては,速度のおそいながれ型 5) に属するであろう。
(
3
) デブリは全体に多泣の土砂を含みラデブりの融解分に含まれていた土砂はラデブリ表
0
1
刻。土砂の混入はヲなだ
面に堆積しいわゆる“黒なだれ"の様相を呈していた(第 7,第 1
れが地盤を削ることによっておきるが,なだれ発生地域はノ、イマツ又は溌木のブッシュ地帯で
ありラ
0
l中平均気温は -10_-15C位と推定されるからラ
当時の f
考えられない。
全扇なだれが発メドーしたとは
ヴ了ラなだれの通路に沿って,小尾根や原曲部外側の地殺が著しく剖られてい
*r
日
'
4
,
'
:
1
丹なだれ : ζ の 名 称 は 仮 称 で あ り , な だ れ 分 類 委 員 会 の な だ れ 発 生 分 類 K於 け る 考 え 万 を 参 考 に し
慢なだれではないという芯:味であり,表面的近だけとは限
た 。 つ ま り , こ の 場 合 の 表 門 と い う の は , 会1
らない。
2
2
8
清水
弘・他
ることから,やはり極めて強力な“ながれ型の旧雪表層なだれ"があったと考えられる。
“黒なだれ"は異常暖気のもと,異常に多量の降雨があったとき,ふだんはなだれない場
所に発生すると L、われるが 6) 今回のなだれでは,平地に於ける気温は平年並であり,
降雨の
記録は全くない。むしろ従来なだれたことのない場所で始めて発生したなだれが,なだれ道の
できていない地形を烈しく削ったため黒なだれを生じたものとえ考られる。
以上を総合して考えると,このなだれは
a
. 発生的には“面発生乾雪表層なだれ"
b
. 運動形態は“けむり型の新雪表層なだれ"と“ながれ型の旧雪表層なだれ"
から成っていたと考えられる。然し,この 2種類のなだれが別個に発生したとは考え難い。全
体的には,厚い表層なだれ Cが発生し,滑落中,その
、c
径路をとって滑落し,分岐点沢に一旦収飲されたて、あ
旬
をとりながら,地形的,時間的にいくつかの異なった
‘‘
ような流動様式 (2種類の表層なだれに分離すること)
MLf?
札内岳分岐点南東斜面に発生したなだれは上記の
一
怜
図
)
。
.叫ノ﹄
だれ B" に先行する形をとったものと思われる(第 8
、
&
吋 an
速度差に従って“新雪表層なだれ A" が“旧雪表層な
Lぎク t聾
ろう。分岐点沢周辺の破壊,倒木状況から見ると,な
だれの主力部は前記斜面の東半分から落下して来たよ
うに思われる。分岐点沢の右岸斜面は殆んど沢筋全長
に亘って,斜面距離 1
0
0m (標高差60m) 以上の高さ
まで,なだれ風による倒木地帯がひろがっていた(第 2
第
8図
2種類の表層なだれ
図
)
。
札内川本谷は分岐点沢の出口から約 7
0 右に折れ,更にここから 700m下流で殆んど直角
0
0
であった。又,当時この谷は深い新雪で、おおわれ,
に左折して居り,この聞の平均傾斜は約 6
なだれの走行抵抗は全体としてかなり大きかった筈て、ある。
このような条件下を約 1km走っ
ているなだれの走行機構は,多くの問題を含んでいるであろう。なだれの流動様式の推定およ
びデブリの観察結果から,このなだれの流動系列を前期,中期,後期の主流に分解して考察した。
A. 前 期 主 流
高速の新雪表層なだれを主体とする最先駆部で,強力ななだれ風による破壊を伴ったと考
えられる。
なだれ風で当時の雪面附近から切断された樹幹は最大直径 70cm
,樹齢 1
1
0年に及
ぶものがあった(第 6図)。この種の破壊はなだれ自身の流動速度だけでは説明することができ
ない。爆発的ななだれ風の発生機構について,
小笠原
大きな気体として取扱い,その降断f
庁[熱圧縮及び膨脹によつて説明している。これによると,この
0
0m
/
sの爆風を発生し
種のなだれが障壁によって密度が 4倍まで圧縮された時は,膨脹時に 3
得る。
2
2
9
1
9
6
5年中L内)11
なだれ
B.中期主流
ながれ型の I
fJ雪表屠なだれを主体としそれ
n身の慣 i
主力によづて破壊を行なうものであ
主任 90cm,樹齢 200年以上)を根元から引き抜き,倒木を這か下流まで運搬し
るο 巨木(最大 F
ている(第 9悶
,
苅瓶 I
I,I
I
I
)。デブリの表面融雪に従って露出してきた 1
'
1樺,岳樺の L
i
.
木
は
ラ
1
:流布¥
1の沢筋沿いから運ばれた
この間近の札内川水谷の河原には見られないものでラ分岐点沢 f
ものと考えられる。叉,途t
'
の小尾根ヲ原点部外側斜 r
f
iの地盤を烈しく削って土砂を混入し
'
全体に黒ずんだ外観を足したいわゆる“黒なだれ"となっている。更に版 lm}~T,では巨大な雪堤
を外縁に作り,デブリ内部には部隊~破壊的L 摺出などの溝造を形成している。
第 9図
C
.
なだれで根元からおし流された樹木
後期主流
そのI'.休は r
j
'期主流と I
I
'
1
Jじものであるがう出 j
設な破壊を行なった,*, j
切と流の後に続くなが
~L~~ の 1[-] j~tf表府なだれで、ある。
t克に倒*を合支す、ラ縞模様(第 101羽)ヲ
を作りながら右岸寄りに流動したと忠われる(第 11凶
)
。
t
)
、kの流動系列をまとめて,第 3表にぷす。
第1
0図
デブリ友商の縞模様(分岐点沢 H
:
¥合}
33 断破壊[札間曲など
2
3
0
清水
第1
1図
第 3表
弘・他
デプリの表面構造(5月下旬)
1
9
6
5年札内川なだれの発生と流動系列
雪
新
のれ
量だ
多な
の層ヨ
に層
上表
ス崩生
ト落乾
ラ庇発
ク雪面
発生
運
Lまり雪
動
形
L'
e
e
'
らめ雪麿
(')1
ー
ー
ー
ー
も
l
1
1
8雪妻層など;fl
一‘一ー ーー J ,
→ーー
(なが;fl~) _
ー
ー
ー
ー
‘ ノ
態
流
前期主流│新雪表層なだれ│な戸れ,風による破壊
(けむり型) I
ー
1t
,
fU M .
:
r
:
.1
1
11
.
1 I
│なだれ本体による破猿
動[中期主流倒木,土砂運搬
雪堤,勇断面,摺曲
一一一一一一一│旧雪表層なだれ│
I'-;::-:;-~~I~'- 倒木,土砂を含まず
系
I
(ながれ型) I
I
J
U
後期主流
樹木(雪面から切断)
樹木(根こそぎ),小尾根
~~:iぎ議長野
))タ))
2
3
1
1
9
6
5年札内川なだれ
I
1
I
. デブリの構造に関する考察
1
. デプりの雪質
デブりの雪質調査は,トレンチ(ざんごう)T9の壁およびボーリングによって行なわれた
(
第 11図)。叉,比較のため,なだれをかぶらなかった自然積雪の断面観測が屈曲点テラス附近
で行なわれた。 5月下旬の観測結果を第 12図に示す。
なだれをかぶらなかった自然積雪は,全層ざらめ化して(粒径 1-4mm)
,薄い氷板(厚さ
1mm程度)及びぬれざらめ雪層を含んで,きれし、な成層構造を示していた。密度は 0.
4
4-0.55
2
g/cm3 の範囲におさまり,木下式硬度計による硬度は 1kg/cm 以下の標準的な春期積雪状態で、
あった。
一方デブリは成層構造をもたないぬれざらめ雪の中に大小のブロックが無秩序に混入され
.
3
0
.
5g
/
lの土砂を極めて均質に含み,粒径は 1ていた。ブロックを埋めていたざらめ雪は 0
2mmであった。このざらめ化は融雪水の浸透によってひき起されたものと考えられるへ
ブロックを形成している雪粒は,粒径 1mm前後のこざらめ雪で成層構造をかなり明瞭に
。
1m
2m
第1
2図
デプリと自然積雪の断面観測
232
治水
弘・他
示しラ融雪水はブロックの外縁に治って流下しブロック内には殆んど浸透しなかったようで
ある。
ブ口ツクの雪の密度は 0
.
4
5g/cm3 {に硬度は1.2kg/cm2程 度 で, r~ì 然、積雪に近い偵を示し
ていた。
Rめていたざらめ雪部分は密度 0
.
5
3
0
.
6
7g/cm"
一方,ブロックをJ:f
硬度は 3~8.5
kg/cm2
と 高 い 値 を 示 し な だ れ の 流 動 停 止 時 の 強 いJ
E縮作用を示唆していた。その強い J1
:縮作用ドで
尚ブロックがなだれ以前の日然積雪層を保持していたのはラ吋時, 1
2日のクラスト以下の旧雪
が堅牢なかたしまり雪であったことを示しているといえよう。
2 氷 板
5月下旬の調査時,デブリ内部に少なからぬ氷板が観察された。氷 i
阪の序さは数 m mから
10cm以1::に及ぶものがありヲ浮い部分は f
延々限球構造状の小雪塊を含んでいた(第 1
3ラ第 1
4
[sz])。追跡によるとヲこの氷板は昂部的に存み:するもの
ではなく,デブリ内に大きな樋状の氷殻を形成してい
ることがわかった(第 1
5ラ第 1
6閃
)
。
この氷板は;)
月の捜索時には観察されす¥眼球構造を含む部分の雪
(
1:
1線) (デブリ末端附近の左岸)
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汁品目制 略
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3
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デブリ表部での氷板の追跡
第 14図
デブリ内部の氷板 (
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品百一司
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4
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第1
3図
30
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2
3
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9
6
5年札内川なだれ
質は極めて堅く,微粒な帯状構造を示して
L、
T
こ
。
この氷板形成の機構は実験室での追試
I
I節 , 第 2項に述べ
が必要であるが,第 I
たなだれの流動様式から,ある程度の想像
ができそうである。つまり,なだれの前・
中・後期の各主流,又はその中の幾つかの
ピーク相互間に大きな差動運動があったと
すれば,その界面に強い勇断力が生じ,界
面附近の雪を臼でひくように微細に砕くこ
とは可能であろう。
融雪期に入って,デプリ内に浸透して
来た融雪水は,毛管現象によってこの界面
第 1
6図
微粒層に吸収・保持され,デブリ上部の荷
デプリの構造模型(屈曲点
の下流部)
重によってこの徴粒層の結晶成長が促進され氷板化したことが考えられるわ。
尚,眼球構造は地質学に於いて,例えば片麻岩中でカリ長石が結晶成長をする場合,ある
いは既に結晶が含まれている場合,母体の片麻岩内に大きな勇断歪が生じたときなどに見られ
る構造で,かつて勇断歪を起したことの証拠として取扱われる。このデブリ内に見られた眼球
構造も,その成因は地質学に於けるものと類似に考えられよう。従って,この氷板を挟んで隣
合った部分は夫々異なった運動単位として大きな差動運動をなしたと考えられる。
I
V
.
デプりの消耗過程
デブリの消耗は,次のような機構によって進行すると考えられる。
(
1
) 表面からの融雪(騎射,気温,風,降雨などによる)
(
2
) 底面からの融雪(水流,風による水蒸気凝結の潜熱による)
(
3
) 崩落(デプリの底面融雪によるトンネル成長の結果)
1
. 表面からの融雪
表面からの融雪は, 3月末 -5月下旬期間で,デブリ末端附近では約 2m (
4cm/日),分岐
.
7m (7cm/日)であった。
点沢出合附近では約 3
5月初め,偵察隊入山の時期には,デブリの上・中・下流部に 3本の雪尺が設置され,約
1
0cm/日の表面消雪が観測された。
5月下旬, 9本の雪尺がデブリ表面に設置され(第 1
1図),調査隊又はパトロール隊による
観測が行なわれた。しかし各隊の交替期間 (3-10日間の不在)中に倒れる雪尺が多く,連続
観測はできなかった。 9本の雪尺の中, Sl-S8はデブリの末端附近から上流に向って,中心
線に沿って約 100m間隔で設置された。
雪尺の根の深さは 50-100cm位 と し デ ブ リ 内 部 で
は融解は進行せず,従って雪尺自身がデブリ内に沈降することはないものとして,デブリの表
2
3
4
清水
弘・他
面沈下量を測った(今後は,雪尺の根をもっと深くする工夫が必要である )
0 S9は分岐点沢出
合の少し上流の,デブリをかぶらなかった自然積雪部で,地面までボーリングして雪尺を立て
7図に示した。
た。観測期聞を次のように分けて,期間平均の表面融雪量,気象条件を第 1
期間
1
5月 1
7日-23日: 第 1次調査隊
I
I
I
6月 3 日- 7 日: 第 1次パトロール隊
V
6月 10日-12日: 第 2次パトロール隊
VII 6月 20日-25日: 第 2次調査隊
期間 I
I,IV,VIは上記各隊の交替による観測休止期間である。
各期間毎の表面融雪の傾向をしらべると,
I
Iの平均日中気温が Iよりも少し高いに
期間 I
I
Iの方が少ない。平均風速は 1
,I
I
I共余り変らないが, I
I
Iは曇天又
も拘らず,表面融雪量は I
は雨天に終始したことから考えて,指射による融雪効果が大きく影響していると思われる。
O
期間 V,VIIは日中平均気温も約lQC上昇し,好天に恵まれたため,表面融雪量は 1
,I
I
I
にくらべて大幅に増加している。
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7
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デプリの表面融雪速度
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1
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回目
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1
9
6
5年札内川なだれ
S8は分岐点沢出合にあり,札内川本谷のデ
次に,場所的な融雪状況をしらべてみよう。
ブリの最高点である。この附近では谷幅も広く,南向きの緩斜面であり輯射を強く受ける場所
である。又,この出合に於いてデブリは鞍状の地形をなし,風が収鯨して通過するため,蒸発
あるいは水蒸気凝結潜熱による融解が最も活滋に行なわれるであろう。
S8での表面融雪が全
期間に亘って,殆んど最高値を示しているのは以上のような地形的条件によるものと思われ
叉
, S7以下の上・中流部では幅射条件は S8と余り変らないにも拘らず,表面融雪量が
る
。
S8よりもかなり小さい値を示している。
度一
密一
砂一一切一
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ゴ
一
面
酉一
一一
更にデブリの表面条件と融雪量の関係を注目しょ
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デ一
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く受けているためと思われる。
S8(分岐点沢出合)
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S 5(中流部)
9
0
0
S 2(デプリ末端附近)
1
2
0
0
これは S8が鞍部地形によって,風の融雪効果を強
,I
1
I
, V に於いては,一般に上流の方が下流
期間 1
よりも大きな融雪量を示した(但し, S9を除く)。一方,
デブリ表面をおおっている土砂の量は,下流に厚く上流
に薄いことが目視観察によっても明瞭に認められた。 6
月1
1日に於ける表面土砂密度を第 4表に示す。
表面が薄い土砂に覆われた雪は,土砂の薄層
による輔射吸収で表面融雪が促進されるが,厚い土砂層はむしろ断熱的に作用して融雪が抑制
されることは既によく知られている。この機構が札内川│なだれのデブリの表面融雪にもかなり
作用していると思われる。
表面融雪はこのような気象条件,地形条件,表面条件などの組合せによって進行するが,
.
6cm/日,平均約 10cm/日であった。
観測された融雪速度は,最大 15cm/日,最小 4
2
. デブリ底面からの融雪および崩落
デブリ底面からの融雪および崩落による消耗過程の観測は技術的に困難であった。しかし
6月
7月の調査によれば,札内川本谷のデブリは川筋部分が河原部分にくらべて沈下が著し
し 最 高 7 mに達する落ちこみがあり,川筋が明瞭に追跡できた。これは前記の機構 (
2
) によ
る底面からの融雪のため,水流に沿ってデブリ内にトンネルが成長し,薄くなった天井部分が
沈降したためと考えられる。尚,
トンネル成長の著しい部分の崩落による孔が 7月にはいくつ
か見られたが,いずれも水流の真上であった。
7月末,デブリ表面は既に厚い土砂 (1-3cm) および倒木類で密に覆われて居り,表面融
雪も短期間には余り顕著に認められない程度で、あった。 10月 1日に現場附近を通過した登山者
の報告によれば,当時デブリ本体は殆んど消滅し雪堤附近に残雪を少し認める程度であった
2
),(
3
) の底面からの融雪および
由である。従って 7月以降のデブリの消耗は,主として機構 (
崩落によって,活液に行なわれたことが窺われる。
5月
, 6月および 7月のデブリの輪廓と表面状況を第四図および図版 1
,1
1,I
I
Iに示した。
2
3
6
清水
弘・他
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第1
8図
デブリの消耗過程(輪廓)
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5年札内川なだれの調査は,なだれ発生後かなりの時日を経てから行なわれたため,そ
の発生,流動に関して推定困難な問題が多かったが,他方,興味ある情報も砂からず得られた。
このなだれは,発生的には面発生乾雪表層なだれと推定され,そのきっかけは雪庇の崩落
と推定された。運動形態としては,
クラストの上に多量につもった不安定な新雪を主体とする
高速度のけむり型新雪表層なだれと,
クラスト以下の固いしまり雪を主体としたながれ型の旧
雪表層なだれから成っていたと考えられる。なだれの走行は,全長約 3km,全落差 800m,札
内川本谷に堆積したデブリの量は約 4x10' トンであった。なだれの階級 U 分類によれば,質量
階級は M
デブリの構造観察カか通ら,前期・中期・後期の各主流から成る流動様式が推定された。又,
デブリ内に見られた巨大な氷殻群は,実験室での追試を必要とするが,差動運動に基づく菌防I
破壊面と解釈された。デブリの消耗過程は技術的な困難さのため,十分な結果は得られなかっ
たが,デブリ消耗に寄与する幾つかの量について定性的な傾向が得られた。融雪の機構につい
ては,今後実験的方法も加えて検討すべき問題が見られた。
今回のなだれ調査にあたって今面的協力を惜しまれなかった北大山岳部諸兄に厚く感謝の
意を表し,今後のなだれ調査にも積極的に協力されることをお願いしたい。
最後に,このなだれのため札内川に逝かれた沢田義一君ほか 5名の方々の御冥福を祈って
止まない。
1
9
6
5年札内川なだれ
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3
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文 献
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)
2
)
3
)
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6 なだれの階級.低温科学,物理篇, 24,2
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吉田順五 1
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0 日射による積雪の内部融解. 低温科学,物理篇, 19,9
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吉田順五・黒岩大助 1
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0 積雪内部の昇華
低温科学, ,
1
. 8
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1
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.
久米庸孝 1
9
6
0 雪崩と遭難. 雪氷, 22,2
7
なだれ分類委員会 1
9
6
4 なだれの分類名称. 雪氷, 26
,1
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5
1
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8
.
吉田順五・他 1
9
6
3 北海道日高の雪崩調査報告. 低温科学,物理篇,21,7
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9
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.
7
) 小笠原和夫未出版
8
) 若浜五郎 1
9
6
5 水を含んだ積雪の変態. 低温科学,物理篇, 2.
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