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食文化ツーリズム論 - 日本観光振興協会

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食文化ツーリズム論 - 日本観光振興協会
平成23年度 早稲田大学 商学部 寄附講座
『ツーリズム産業論』
食文化ツーリズム論
京懐石 柿傳
(社)国際観光日本レストラン協会
副会長/関東支部長 安田 眞一
平成23年5月19日
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社団法人 国際観光日本レストラン協会とは
所管庁 国土交通省
正会員
241
賛助会員
49
計
290(平成22年12月31日現在)
主な事業
■ ビジット・ジャパン・キャンペーンへの協力
■ 社団法人 日本能率協会との共催事業
「HOTERES JAPAN/国際ホテル・レストランシヨー」の開催
「Foodex Japan/国際食品・飲料展」の開催
■ 親子体験食味学習会の開催 34店開催 583名参加
■ 調理師・マネージャーセミナーの開催
■ 経営者と女将のトップセミナーの開催
■ 食味研修会
■ 情報交換会
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弊店のこと
父、安田 善一(平成14年8月8日 88才逝去)
川端康成との出会い 軽井沢藤屋旅館にて
「美の店」のこと 昭和43年10月17日ノーベル文学賞受賞
「京懐石 柿傳」(昭和44年6月27日開業)
谷口吉郎設計 安与ビル(昭和43年10月13日竣工)6階から9階
京都柿傳は、柿屋傳右衛門 享保5年(1720年:吉宗の時代)三井家出入りの料理人
千家への出入り4代目は与謝蕪村の娘と結婚。明治になって表千家と武者小路千家の専属となる
新宿柿傳は、京都柿傳とビルオーナー安田家とのコラボによる店舗
「柿傳ギャラリー」 (平成20年4月リニューアルオープン)柿落としは「細川護煕展」
「茶の湯同好会」 (昭和48年~発会 前身は「柿傳懐石の会」3年間
当時会長は、細川護貞、理事谷川徹三、大河内風船子、数江教一、安田善一)
会長 細川 護煕、専務理事 庭山慶一郎、
理事 西山 松之助、中村 昌生、林屋 晴三、熊倉 功夫、竹内 順一、安田 眞一
「郷土料理くらわんか」 (昭和51年10月18日開業) 「手打そば 大庵」 (平成13年9月4日開業)
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2
食文化とは
食にまつわる文化を総称する概念であり、そこには食材、調理法といった
食品に関わるものから、食器、マナー、外食産業、それぞれの家庭、個人
個人に至るまで、多くの物事のあり方が含まれ、千差万別に存在。
現代社会は、グローバリズムの中で、それぞれの食文化は均一化の方向へ
向かっている。欧米企業を主体としたファストフード店が、世界各国の地
方都市にまで展開し、インスタント食品やスナック菓子などが流通してい
る。
しかし一方では、郷土料理の見直し、地産地消、スローフード運動などが
起きている。
食文化は、天候の変化、宗教、生活環境の違い、民俗支配の変化、経済状
況などの要因により、時代と共に変化していく。
そこで、日本固有の「茶の文化」から、話を進めて参ります。
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茶の湯は日本文化の究極
茶室や茶道具における絵画や書などの美術、
焼き物や漆などの工芸、点前に見られる
パフォーマンスアート、懐石や茶菓子と日本料理、
花を生けることをはじめとする自然との共生感覚、
そして、茶道具や菓子につけられた「銘」を通して
学ぶ日本の古典、こうした茶の湯に接することに
よって、日本文化の多くの側面に触れられる。
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茶の製法
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不発酵茶───抹茶・煎茶
半発酵茶───ウーロン茶
発酵茶────紅茶
後発酵茶───プーアール茶
茶の木 4月頃 新芽「新茶」7月頃「二番茶」
その後晩く摘む「晩茶」
新芽が出たときに、覆いをして太陽光線を遮る → 葉緑素が増加
やわらかい甘みのある茶葉 → 玉露、抹茶
茶壺に詰め冷暗所で保管 初冬に「口切」の茶
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茶の湯の歴史
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平安時代
鎌倉時代
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南北朝時代
室町時代
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桃山時代
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江戸時代
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明治時代
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最澄 比叡山延暦寺「唐より茶の伝来」
12世紀臨済禅を学んだ栄西(ようさい)が源実朝に薬用として茶を献上
明恵(みょうえ)上人(高山寺)「喫茶文化スタート」
足利尊氏「闘茶 武士階級で流行」
足利義満 外来の道具「唐物・高麗物道具」「書院茶会」
足利義政、一休宗純、村田珠光「侘び茶の芽生え」
武野紹鴎(堺の豪商)、織田信長、豊臣秀吉「侘び茶の発展」
千利休 楽茶碗「茶の湯の大成」
千利休 秀吉の命により切腹
利休七哲、古田織部、小堀遠州「大名茶人の活躍」
千宗旦、宗左、宗室、宗守、川上不白「家元制度の確立」
松平不昧、出雲松江藩主 道具蒐集の成果
「古今名物類聚(るいじゅう)」
井伊直弼 「茶の湯一会集」
益田純翁(三井物産創始者)「近代数寄者の隆盛」
跡見花蹊 明治8年跡見学園開校「学校教育へのカリキュラム化」
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家元の歴史
千利休 ─ 少庵 ─ 千宗旦 ─(三男)江岑宗左「表千家」“不審庵”
(千宗淳)
現家元:而妙斎宗左
(四男)仙叟宗室「裏千家」“今日庵”
現家元:千宗室 ─ 鵬雲斎玄室
(次男)一翁宗守「武者小路千家」“官休庵”
現家元:不徹斎宗守
山上宗二
織田有楽
古田織部 ─ 小堀遠州
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わび茶
新古今集 定家朝臣の歌
「見わたせば花も紅葉もなかりけり
浦のとまやの秋の夕ぐれ」
村田珠光の教え「御尋の事」茶の心
一、所作は自然に、すべて目立たぬようにするがよい。
一、花の事、座敷のよきほどに軽々とあれ。
一、香をたく事、きわだった様子に焚かぬようにせよ。
一、道具も、年寄りの人、若き人、それぞれにふさわしいものがよい。
一、席入りをしてからは、亭主も客も共に心をこめてのむかい合いで
あるべきで、ゆめゆめ他のことに心をうばわれるようにことが
あってはならない、これこそ茶の湯で一ばん大切な心得である。
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利休と茶花
「利休七則」
1. 花は野にあるように
2. 炭は湯の沸くように
3. 刻限は早めに
4. 降らずとも雨具の用意を
5. 相客に心せよ
6. 茶は服のよきように
7. 冬暖かく、夏は涼しく
朝顔のはなし
川端康成のノーベル賞受賞記念講演のこと
「雪月花」道元禅師
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪冴えて涼しかりけり」
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「一輪の花は百輪の花よりも花やかさを思はせるので
す。開き切った花を生けてはならぬと、利休も教へて
ゐますが、今日の日本の茶でも茶室の床にはただ一輪
の花、しかもつぼみを生けることが多いのであります。
冬ですと、冬の季節の花、たとへぱ「白玉」とか「侘
助」とか名づけられた椿、椿の種類のうちでも花の小
さい椿、その白をえらび、ただ一つのつぼみを生けま
す。色のない白は最も清らかであるとともに、最も多
くの色を持つてゐます。そして、そのつぼみには必ず
露をふくませます。幾滴かの水で花を濡らしておくの
です」。
一輪の花は百輪の花よりも花やかさを思はせるという
こと、色のない白は最も清らかであるとともに、最も
多くの色をもつということ、この言葉はわびの美の秘
密を実に鋭く指摘しています。
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「茶事」のこと
季節に応じ、又一日の時刻に応じて「茶と懐石」の組み合わせで
客をもてなす法が「茶事」
11月
12月
1月
5月
8月
10月
・
・
口切の茶事 新茶を使い始める初冬の時期
夜咄(よばなし)
初釜、暁の茶事
初風炉
朝茶
名残の茶事 前年の茶の残りを心おしみつつ 晩秋の時期
正午の茶事
不時の茶事 不意に来訪したお客を茶事でもてなす
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「茶事」の当日
「寄付(よりつき)」 客は衣服をとととのえ、亭主の補佐役の半東(はんとう)の運ぶ「さ湯」を頂く。
「外露地へ」
亭主の案内で、露地草履に履き替え、外露地の腰掛けで円座を敷き、亭主の
「迎え付け」を待つ。
「迎え付け」
客は一同腰掛けを立って、中門へ進み、客と亭主が,お互いにつくばって黙礼。
「つくばい」
順に手を洗い、口をすすぎ、茶席へ入る。
「拝見」
床の間の掛物、炉と釜、棚飾を拝見し、床の間を上座に正客より順次席につく。
「席入りの完了」
末客は少し音を立てて、戸口を閉め、全員の席入りが終わったことを亭主に知ら
せる。
「初炭」
席入りが済み、亭主が客と挨拶を交わし、炭手前(濃茶の時にちょうど良い湯相、
湯加減となるように)炭をつぎ、香を焚いて、香合の拝見をする。
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「懐石料理」
次に亭主は「懐石料理」をもてなす。
もっとも正式な茶の料理が「懐石」と呼ばれます。
「懐石」とは、禅僧が修行中のひもじさを我慢するために、温めた石を
懐に抱いたという伝承にもとづき、質素な料理を意味する言葉です。後
で出されるお茶を味わうため、あくまでも薄味が基本です。
通常「一汁三菜」(汁一種、向付、煮物椀、焼物)を基本としています。
汁一種には、赤白の合わせ味噌の味噌汁に、野菜とか麩を入れ、
「向付」には、白身の刺身が使われますが、正油は使わず、煎り酢にわ
さびを合わせます。
「煮物椀」は、懐石のメインディッシュとも言われるもので、季節によ
り旬の野菜や魚のお吸い物になります。
「焼物」も、茶事の時期に合ったもっとも味の良いものが使われます。
最近では、内容を増やし、野菜などの炊き合わせや、八寸(酒の肴2種、
海のものとして“なまぐさ”と山のもの“精進”)が出されます。
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「懐石料理」の順番は
「折敷(おしき)」という低い膳に、飯と汁、「向付(むこうづけ)」をのせて
亭主が客へ渡します。「飯」は炊きたての、まだ蒸れていないご飯を一口
盛り(お客様のお越しを待ちかねていた心を表現する為)
そして、「煮物椀」「焼物」と続きます。一つの料理を食べ終わると、
すぐに出来たての次の料理が運ばれるという、心のこもった配膳が行われ
ます。
「強肴(しいざかな)」「八寸」は、さらにお酒をすすめる為の料理で、主客と
客どうしが打ち解けて話がはずみます。
最後に、「湯桶」に湯(おこげに湯を入れたもの)と、「香の物」が出され、
客は器を「懐紙」で清め、ご馳走様の気持ちで一斉に箸を膳に落として、
水屋にいる亭主に食事の終わったことを知らせます。
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「初座」の終わり
懐石が終わると、亭主は「主菓子」を客にすすめ
ます
茶事では「主菓子」は、縁高と言われる重箱に
盛られ、黒文字の楊枝が1本ずつ用意されます。
客は、主菓子を懐紙にとり、いただきます。
「中立ち」
客は茶室を出て、通常内露地の内腰掛けに戻り、
しばらく休息します。
亭主は、茶室の掛物を替え、床の間正面の壁に、
「掛け花」を生けます。炉の炭の火の様子(火相)や
釜の湯のたぎることを確かめ、水指や茶入を飾り、
濃茶の用意を整えます。
亭主は銅鑼(どら)や換鐘(かんしょう)で客に入室を
うながします。
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「濃茶」
客は内腰掛けから二度目の席入りをします。
席入りが終わると、亭主は障子の外に掛けられていた
簾を取り外し、茶室は一転して明るくなります。
ここで、亭主によって、濃茶の点前が行われます。
茶事の眼目は、この濃茶の一服にあります。
一碗の濃茶を客一同で飲みまわします。
正客は、亭主の心入れに礼を述べます。
「後炭(ごずみ)」濃茶点前が終わり、茶入、茶杓(ちゃしゃく)、
仕覆(しふく/茶入れをおさめる袋)など三器の拝見を
します。
「薄茶」
再び炉の炭を直し「後炭(ごずみ)」、薄茶を点てて
客に勧め、道具の箱書付なども拝見に出しつつ、
茶事が終わります。
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「一期一会」のこと
山上宗二記
「特に改まったというわけでもない、ふつうの茶の湯
であっても露地に入るより出るまでの二刻 (4時間)
を一期に一度の会のように思いなして、亭主を敬い、
心を込めてつきあわなければならない。世間の雑用は
無用のこと」
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彦根藩主 江戸幕府大老
井伊直弼
「茶の湯一会集」
「今日の会は今日かぎりで、二度とかえらぬのである
から、今日のこの会こそ、わが一世一度の尊い会だと
思わなければならない。
それゆえに主人は万事に心をくばり、もてなしにいさ
さかの粗末も無きよう深切実意をつくし、客のほうは
この会が終われば、もう二度とこの亭主には逢いがた
きことをわきまえ、亭主の趣向と心入れに感じ入って、
実意をもって交わらなければならないのだ。
つまり一期一会の覚悟である。
必ず主・客ともに、いい加減な気持ちで一服の会を催
してはならぬこと、すなわちこれが一会集の極意であ
る」
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亭主は、なお客の姿が見えなくなるまで見送るのだ。客が退出し
たからといって、中潜り、猿戸、その他の戸、障子などを早々に
閉め立てするのは、まことに不興千万のことで、せっかくの饗応
も無になることであるから、客の姿が見えなくても、決して取り
片つけを急いではならない。
そこで亭主はいかにも心静かに茶席に立ちもどり、このとき躙口
より席に入り、炉の前に独坐して、『いましばらくお話もあるべ
きに、もはやどの辺りまでお帰りになられたことか』と、二刻を
共にした客のことを偲び、今日の一期一会がすんで、もはや永久
にかえらぬことを観念して、あるいは独り茶を点てて喫むこと、
これぞ一会極意の習いである。
この時あたりは寂寞として、釜の湯の煮える音がわずかに聴こえ
るのみだ。これは教えられればすぐできるというものではなく、
自得しなくては至りがたい境界である。
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お茶事の懐石料理と
数寄屋橋「次郎」の鮨
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スローフード運動
1985年~1986年、ローマの中心、スペイン広場の階段のすぐそば
に、マクドナルドが開店。このことから、イタリアの食文化がやられると
いう危機感を生み、スローフード運動が産まれた。
1986年、イタリア北部ピエモンテ州BRA(ブラ)の町からスローフード
運動は始まった。
当時、「ゴーラ」という食文化雑誌の編集者であったカルロ・ペトリーニ
さんが、「アルチ・ゴーラ」という美食の会を作ったことから始まり、
スローフード協会はイタリア各地に2万人、世界に8万人の会員をもつ
NPOとなった。
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イタリア
トリノ
スローフード世界大会
「テッラ・マードレ」世界の食のコミュニティー会議
「サローネ・デル・グスト」世界中の食の見本市
ブラ
スローフード協会本部
アルバ
イタリアワイン「バローロ」の里
世界3大珍味の一つ「トリュフ」
パルマ
チーズ「パルミジャーノ・レッジャーノ」
生ハム
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「食育基本法」
2005年7月に施行
食育を生きる上での基本であって、知育、徳育及び
体育の基礎となるべきものと位置づけると共に、
様々な経験を通じて食に関する知識と食を選択する
力を習得し、健全な食生活を実践することができる
人間を育てる食育を推進することが求められている
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■ 家庭における食育の推進
■ 学校、保育所における食育の推進
■ 地域における食生活改善のための取組の推進
■ 食育推進運動の展開
■ 生産者と消費者との交流の促進
環境と調和のとれた農林漁業の活性化等
■ 食文化の継承のための活動への支援等
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「食文化は、魅力ある人が育てる」
日本の食文化の例
その1
□山形県庄内地方
料理人
奥田政行氏「アルケッチァーノ」
1994年11月末 山形へ帰郷
7年間の東京での修行を終了
山形大学農学部
当時24才
江頭宏昌氏との出合い
在来作物の研究
「種を採る文化」庄内特有の文化
サカタの種やタキイ種苗(長岡交配「耐病総太り大根」=青首大根
タキイ交配「桃太郎トマト」を発売)
F1(一代交配種) → 種苗メーカーの生産する種のこと
農家から自家採種の知恵と文化を奪い、ひいては全国にあった作物の
多様性をなくした。
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庄内地方
環境
羽黒山、月山、湯殿山の出羽三山、鳥海山を背後に控える
最上川、赤川、山々からの豊かな水→海へ
大地は肥沃、水も旨い、有数の農業地帯、庄内米 かつて江戸の鮨米として珍重された
夏は、湿気を伴って暑い、冬は極めて寒冷 温度差40度
地場野菜、在来作物、野菜の宝庫であり、春夏秋冬130種の魚類
酒田市
人口11万 最上川 鳥海山
西の堺 東の酒田
日本永代蔵 廻船問屋「鐙屋(あぶみや)」
1894年(明治27年) 庄内地震 8割が消失
1976年(昭和51年) 酒田大火 被災者3300人 しかし死亡は消防士一人が殉死
「初孫」、「上喜之」、「麓井」
鶴岡市
人口13万人 月山
「鶴乃湯」は廃業 庄内映画村へ移築
庄内町
人口2万4千人
「亀ノ尾」の発祥地
遊佐町
最北
三川町
人口8千人
人口1万6千人
鳥海山
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庄内映画村
鶴岡市 羽黒町
セディックインターナショナルの映画製作会社
月山山麓 88ha セディックが購入
黒土三男監督「蝉しぐれ」制作時IT企業社長の宇生雅明が参加
地元企業の協力でセディックが購入
時代劇のオープンセットを設備
「山桜」「おくりびと」「山形スクリーム」「座頭市 THE
LAST」「十三人の刺客」
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日本の食文化の例
その2
□滋賀県堅田「佐川美術館・樂吉左衞門館」のこと
□滋賀県比良山荘のこと
滋賀県大津市葛川坊村町94
ご主人 伊藤剛治さん
比良山荘の四季
初夏の鮎
秋の松茸
冬の月の輪熊のしゃぶしゃぶ
春 山菜
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日本の食文化の例
その3
□広島県大黒神島のかき
かなわ
三保達郎さん
沖永さんの蕎麦会
「達磨」の高橋蕎麦打ち名人
広島吉和村のわさび
植本・・・さん
「三國屋」の海苔
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日本の食文化の例
□唐津陶芸家
川島豆腐店
やすけ寿司
つく田寿司
銀すし
その4
「隆太窯」中里隆、中里太亀、中里花子さんのこと
銀座「きよ田」の新津武昭氏が中里
家のパーティーに喚ばれ、唐津のす
し職人を育てた
魚貝類の豊富な「呼子」の朝市など、
唐津は全国的に知られた
グルメスポットなっている
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東日本大震災で考えたこと
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27
映画「おくりびと」のこと
滝田洋二郎監督
小山薫堂脚本
久石譲 音楽
主演 納棺師 本木雅弘
その妻 広末涼子
社長 山﨑 勉
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28
Fly UP