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農業の将来展望を切り開く農業経営者を求めて

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農業の将来展望を切り開く農業経営者を求めて
現地レポート
農業の将来展望を切り開く農業経営者を求めて
──長野県飯島町(株)田切農産 代表取締役 紫芝勉氏ヒアリング
(社)JA総合研究所 基礎研究部長 主席研究員
吉田 成雄
( よしだ しげお)
1.日本農業のこれからを誰が支えるのか
注 1)以上のデータは、
農 林 水 産 省「 農 林 水 産
基 本 デ ー タ 集 」( 同 省
Web サ イ ト、2009 年 8
月1日現在)による。
「人多地少」の時代からとっくの昔に「人少地多」の時代に変わっているなかで、
昭和ひと桁世代の大量リタイアで人が足りない、農業後継者がいないと言われ続け
ている。農業就業人口は、ピーク時の 1960(昭和 35)年の 1454 万人から 2009 年に
は 290 万人(概数)と5分の1に激減している。しかもその 61%は 65 歳以上である。
そして新規就農者は 2009 年にわずかに 5.2 万人(概数)、うち 39 歳以下は 0.9 万人(概
数)のみである。
しかし、そうであるならば農業経営の規模を拡大する絶好のチャンスが到来した
と考えることもできないことではない。問題は数が足りないことではなく、「農業経
営者」という人材が絶対的に不足していることではないのだろうか。
現在、地域農業は、1 万 3436 もの集落営農(2009 年 2 月、概数)を組織するなど
さまざまな工夫をしながら、農政の大転換の時代に立ち向かっている。しかし、高
齢化がさらに進む5年先、10 年先を考えるとどの地域でも極めて大きな不安を抱え
ているのである注1)。
これからの農業・農村政策を考えるときに、表面的な数合わせをし、当面をしの
び ほうさく
ぐといった弥縫策ではすぐに限界と破局が来るだろう。
そこで、まず、根本に立ち戻ってみたい。単純な問いである。これまでなぜ農家
の子弟が自営農業を継ぐことなく他産業に流出してしまい、その結果、「後継者」不
足となったのだろうか。給与・所得の問題などさまざまな理由が挙げられるし、そ
れはそのとおりであろう。だが答えを出すことを急がずに、もう少し根本に迫って
その理由をきちんと整理しそこに通説とは異なった答えを見つけ出すことはできな
いのだろうか。そこにきちんとした政策を組み立てるためのヒントが見つかるかも
しれないではないか。これは、「日本農業のこれからを誰が支えるのか」を考える上
で最も基本となることなのだから。
2.(株)田切農産と紫芝勉代表取締役について
以上の問いを抱きつつ、2009 年 8 月 25 日、長野県上伊那郡飯島町の田切地区に
し し ば つとむ
ある(株)田切農産の代表取締役紫芝 勉 氏を訪ねた。
現在、飯島町管内において、当研究所の星勉主席研究員と富山大学酒井富夫教授
らが「飯島町営農センター・地区営農組合に関する調査研究」で詳細な調査を実施
している。この調査の過程で、今村奈良臣研究所長と筆者が田切地区営農組合の設
立した田切農産の紫芝勉代表取締役と今年 6 月に出会ったことが今回のヒアリング
のきっかけだった。
い な だに
飯島町は天竜川に沿った伊那谷の河岸段丘にあり、標高差は 550 ~ 850 mに及ぶ。
田切地区は天竜川から段丘を登って行く縦に細長い地域で、230ha の農地が中山間
地に広がっている。
まず(株)田切農産の特徴と業務内容を見てみよう。
(1)集落出資法人──田切地区(かつては分校があった小学校区)の田切地区営農
組合の組合員全戸が出資して設立した会社である。これは、「他人事(ひとごと)の
12 《現地レポート》農業の将来展望を切り開く農業経営者を求めて
JA 総研レポート/ 2009 /秋/第 11 号
会社ではなく、株主となって自分の会社という意識を持ってもらいたかった。経営
所得安定対策などの補助金を会社が受け取り、株主にも分けることができるという
メリットがある」(紫芝氏)と考えたからである。
【図1】地区営農組合と担い手法人の2階建て方式
(2階)
( 株)田切農産(農業生産法人)
・ 地区営農組合員の全戸が出資(株主260人)
・ 資本金330万円、代表取締役 紫芝勉
連携・補完
(1階)田切地区営農組合(任意組合)
<地区内の全農家(260人)が参加>
* 営農組合は、農地利用調整、農業機械の所有・貸し付け、作業とりまとめを実施。
田切農産に農機をリース、作業委託を行う。
* 田切農産は取締役会のほか、10 株以上の株主が参加した経営会議を設置。
* 取締役は、紫芝代表取締役ともう 1 人の取締役(JA理事、地区営農組合長) の合計2人のみであるため意思決定はすばやい。監査役は2人。従業員 20 人(常
勤社員4人、パート等 16 人)。
* 田切農産は次の5つの部で業務を実施。①機械作業部(作業受託・普通作物) ②野菜栽培部(野菜・園芸作物) ③果樹部 ④施設乾燥部 ⑤総務部(経理・
直売所)
(2)会社の目指す農業(経営理念)──田切農産の経営理念は、「会社案内」のチ
ラシに次の2点が掲げられている。
①「永続できる農業」
:地区の農業者が5年後、10 年後も同じように農業を続けて
いくためにサポートする農業
②「環境にやさしい農業」:自然環境に配慮したやさしい農法、厳しさを増す農業
環境に対応しサポートする農業──田切農産の農産物生産はすべてエコファー
マーの認定(土づくり、化学肥料・化学農薬の低減を一体的に行う農業 生産
方式を導入する計画を立て、知事が認定した農業者)を受けている。
(3)主な事業
①米、麦、大豆、ソバ等の穀物を中心とした生産・販売
(経営面積)水稲:25ha、大豆:18ha、ソバ:8ha(東京のそば屋、地元など特
定の売り先を対象に玄ソバを販売、販売用種子採種圃場も含む面積)
②野菜などの生産・販売
(ネギ委託栽培面積)3ha、ネギ出荷プラントの運営
③農業生産に必要な資材の製造販売
地元の酢醸造会社から買い取ったコヌカ、酒かす等を原料としたペレット肥料
(窒素分5%、20kg で 900 円〈予定〉)、および堆肥の製造・販売
④農作業の受託
水稲作業全般、乗用管理機による防除作業、ネギ収穫作業
(水稲作業延べ 80ha、大豆刈り取り・大豆防除など 30ha)
⑤大豆調製プラント(乾燥調製施設)の運営
(2009 年受け入れ量 120 t〈40ha 分〉)
紫芝勉氏は、2005(平成 17)年の田切農産(有限会社)設立時に経営者募集があり、
それに応募して、当時 42 歳という若手でありながら代表取締役に就任している。 JA 総研レポート/ 2009 /秋/第 11 号
《現地レポート》農業の将来展望を切り開く農業経営者を求めて 13
【図2】転作作物の栽培受委託の仕組み(営農組合と田切農産の役割)
組合員
営農組合
田切農産
○ 転作計画の提出
○ 利用調整
○ 栽培計 画 の 立 案
○ 委託契約書の提出
○ 転作の確認
○ 栽培の 実 施
けいはん
○ 畦畔などの管理
○ 生産物 の 販 売
○ 配分金の受け取り
○ 配分金 の 支 払 い
出典:田切農産資料(株式会社田切農産実践報告「地域における仕事興しと多様な人達との連携」2009年8月5日、JA全中・JA人づくり公開研究会資料)
【表】主な販売先および作物等の売上構成比
販売先
売上構成比
(%)
作物等
売上構成比
(%)
JA
49
水稲
33
契約栽培(JA経由)
27
ネギ
25
直売
18
作業受託
25
業者
6
大豆
10
100
ソバ
5
計
その他
2
計
100
出典:図2と同じ。
3.ネギの委託栽培
田切農産が新たな取り組みを始める際には、紫芝氏のアイデアが生かされている。
とりわけ、ネギの委託栽培は、今村奈良臣研究所長が「土地利用型農業と集約型農
業の新結合であり、地域農業再建の新路線となり得る」と注目している取り組みで
ある。
紫芝氏としては田切農産でネギを作りたいという気持ちを持っていた。だが、ネ
ギ栽培は手間がかかるので、田切農産の社員を使って作るのは難しかった。
そこで地域のためになることで、それが会社だけではできないのなら、地域の人
に栽培を委託して任せようと発想を変えた。そうすれば、会社も利益が出て、地域
も儲かる。「自分ではできないことでも、人に任せることができることは任せればよ
いということに気付いたことは大きかった」(紫芝氏)
紫芝氏は、このネギの委託栽培農家には、個人で作るよりもかなり有利な収益が
確保できるようにしている。もちろんそのためには、田切農産の営業がポイントと
なる。販売リスクは田切農産が負う。高く売るのは田切農産の仕事だと考えている。
その仕組みは次ページ図解および図 3 に示すとおりである。
紫芝氏はこの取り組みをネギ以外の野菜についても広げようとしている。
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JA 総研レポート/ 2009 /秋/第 11 号
【図解】借地大規模土地利用型経営と集約管理型農業経営の併存、展開の論理
地区営農組合
X集落の人々
a
b
c
k
d
株式会社
(A)
田切農産
e
Y集 落の 人 々
W集 落の 人 々
l
f
j
i
h
g
Z集落の人々
注:X、Y、Z、Wの集落の人々とは、高齢技能者や女性たち、または新規就農者たち。
出典:JA総研・今村奈良臣研究所長作成
○田切農産(A):借地、大規模、土地利用型、雇用依存大経営
(米、大豆、ソバ、 大型機械化体系)
○集落の人々(a~ℓ):
(ネギ経営)
借地(田切農産が一括借地したもの)
機械化作業=田切農産が作業受託
ネギの肥培管理=高齢農業者(男性:平均 62 ~ 63 歳、別に手伝いが必要であれ
ば個人の負担・責任で自由に手配)
【図3】ネギ(白ネギ)の委託栽培の役割分担
10a
出典:図2と同じ。
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《現地レポート》農業の将来展望を切り開く農業経営者を求めて 15
4.田切農産の使命、そして地域づくり・人づくり
伊那谷という中山間地域であるため、田切農産が引き受けることができる農地面
積は、1人当たり 15ha、社員4人で合計 60ha が限界だという。
だが、標高差が 300m 以上あることから、作業期間の幅も広い。米の品種も多く
作れる。こうした地域の特性を生かした農業を展開したいと紫芝氏は考えている。
田切農産と地域とのかかわりで一番大事なことは、農地を守ることだという。作
物をただ作っていればよいわけではなく、次につなげるために守ることが必要だと
思っている。有機農業も土づくりが農業の基本であるから取り組んでいる。また、
きれいな水資源を守ることも大切である。
田切農産に農地を預けていた人が、それを戻してもらって農業を始めようとして
も、その土地でソバ(地力収奪作物)を連作したために痩せてしまっていて、その後、
地力回復に1年かかりすぐに農業を再開できない、といったことではいけないと思っ
ている。
また、それ以上に基幹となる人を育てることも大切なことである。農業経営者が
必要なのである。すなわち主体的に自ら切り開く農業経営に携わる人を1人でも多
く育てたいと考えている。
「農産物を売るための拠点が田切農産だと考えている。売ることを覚えた人が集ま
ればスキルが上がると思う。どう作るか。どうすればおいしくなるか。
これが例えば、カントリーエレベーターに集荷し他の人の米と混ざってしまうと
誰が作った米か分からなくなる。それではカントリーの米の質は上がらない。農家
自身が自分の米の味を知らないでいる。それが、自分の作った米を他と混ぜずに食
べると、これがおいしい米だと自覚できる。それならもっとうまい米を作ろうとい
う考えにつながる。そして、それをどうすれば売れるだろうか、と工夫や努力する
ことにつながる」
紫芝氏は、これが経営者を育てることにつながっていくのではないかと考えてい
る。これから先の5年、地域づくり、人づくりに投資する。直売所を核にした展開
を考えている。
なぜ5年なのか。紫芝氏は、42 歳で田切農産の代表取締役に就任するに当たって、
社長は 10 年したら辞めると決意した。現在、48 歳の紫芝氏はあと5年足らずで後
継者をつくらなければならないと考えている。田切農産という社会性の高い会社は、
会社の存続が、地域の人に営農継続について安心感を与える。そのための人づくり
が重要だからである。
5.直売所── Kitchen Garden(キッチンガーデン)構想
単に直売所をつくるということを目標にしてはいない。
そこには若い人が立ち寄る場づくりをしたいといったことも含んでいる。また、
若い人たちが地域で暮らせる定業づくりも重要だ。
田切地区の人が参加しているみそ造りのグループがあるので提携を進め、田切農
産の販売力を生かすといった支援や協力をしたいという。田切地区の人が作った田
切農産の大豆を供給し、みそ造りグループに外注して大豆加工品を作ってもらい、
田切農産が販売する、という仕組みだ。
大豆の他にも小麦、米、ソバといろいろなものがある。小麦は、パンに適した品
種で長野県育成品種に良いものがあると聞いている。田切地区の人でパンを焼く人
がいる。ソバの実を使ったものや米粉を使ったパンを作ってもらうことも企画して
いる。
野菜も米も自分が作ったものを売る。直売所を核にして、作る人たちのネットワー
クづくりをしたい。また、この直売所を単にモノを売るだけの場にしたくない。人
=情報が集まる場づくりをしたいという。
16 《現地レポート》農業の将来展望を切り開く農業経営者を求めて
JA 総研レポート/ 2009 /秋/第 11 号
写 真 = J A 全 中・ J A
人づくり公開研究会で
発表する紫芝勉氏
それは、紫芝氏が、違う者同士が手を結
んで違うものを生み出す取り組みを「ハイ
ブリッド農業」と呼んでいることとも大き
く関係している。
「農業という狭い部門にとらわれるのでは
なく、農業の価値や知恵を生かし、ハイブ
リッド農業というコンセプトで大きな価値
を生み出したい」。これが紫芝氏の決意であ
る。
そ の 中 核 と な る も の と し て、「Kitchen
Garden(キッチンガーデン)構想」を進め
ている。このキッチンガーデン構想は、ハ
イブリッド農業とともに農業の多様性を目
指した取り組みである。
農産物直売所を核とした販売展開であるが、コンセプトはもっと幅広い。1つは、
地元の子どもたちをターゲットとした農産物の生産。2つは、自分の栽培した米を
自分で食べる。これはそうすることでどうしたら来年はもっとおいしい米を作れる
のか努力することにつながる。3つは、実需者との連携による産直市の開催である。
今も東京のおそば屋さんの店内で田切の野菜などを販売している。そして4つは、
田切の農業の発信基地づくりである。5つは、田切の人たちが用事がなくても集ま
る場づくり。さらに、家庭菜園ネットワークとか、通信販売などさまざまなアイデ
アがこの構想に潜んでいる。
キッチンガーデンの農産物直売所では、子どもを持ったお母さんもやってきて、
自分で野菜を収穫してもらい、かご盛り量り売り方式で野菜を販売する「野菜バイ
キング」ということをやってみたいと考えている。
「野菜バイキング」では、トマト、キュウリ、ナスなど収穫してかごに入れてきた
ものを野菜の種類に関係なくキログラムいくらで量り売りする。今これができるか
どうか検討中だ。
6.さらにその先に
注 2) 家 畜 福 祉 と は、
集約的畜産や工業的な
畜産を見直し、家畜の
立場に立って家畜を飼
育するというものであ
る。
紫芝氏は、田切農産の社長を辞めたあとの目標については、放牧を取り入れた畜
産をやってみたいと語る。家畜福祉注2)、林間放牧、オーガニック(有機)の組み合
わせだ。飼料も有機栽培のものを田切農産で生産しているからできる。
「これからは日本人の食生活も変わるだろう。脂肪の多いサシが入った肉ではない
ものが好まれるという変化もあるのではないか。もちろんサシ入りの高級肉は残る
だろうが。サシがなくても和牛はうまい」(紫芝氏)
北海道の旭川で、ホルスタインを冬でも放牧している人もいる。この飯島町で林
間放牧は十分可能である。牛の排泄物は森林の栄養分にもなる。牛が歩く道もでき、
クヌギの木を原木シイタケのほだ木にするといった森林資源利用もできる。
とらわれず、こだわらず、変化をよく見て、さらに「自ら変化をつくり出し」、実
に素早く果敢に行動する人だと感じた。
こんな話を聞いた。飯島町の特産品開発では、芋焼酎、養殖「アルプスサーモン」
ば
料理、馬肉を使ったコロッケ「馬ロッケちゃん」(商標登録済み)などさまざまなも
のが作られている。馬ロッケで使う馬肉は残念ながら輸入肉であるが、野菜は地元
産を使う。キタアカリという品種のジャガイモを田切農産に作ってほしいという要
請が紫芝氏に来た。「頼まれたらやってくれるのが紫芝社長だから」(商工会の特産
品開発担当の飲食業経営者)。
紫芝社長は、その続きを話してくれた。「キタアカリの生産を引き受けることにし
JA 総研レポート/ 2009 /秋/第 11 号
《現地レポート》農業の将来展望を切り開く農業経営者を求めて 17
て、田切農産に帰って社員にその話をしたら、『誰が作るの?』と言われた。いつも
のことだとあきれているような気もするが、その後、すぐにどこの畑でどうやって
栽培するか、みんなで話し合って進めてくれた。新しいことにチャレンジすること
ができる会社だと思う」
田切農産は、他のやらないことをやる。企画は社長が出すが、その前に合意形成
をする。これが紫芝流の経営だ。
今村奈良臣研究所長は、たとえがうまい。分かりやすいので記しておこう。
【田切農産の発展絵解き】
○城(田切農産)→ ○内堀(ネギの委託栽培)→ ○外堀(直売所+もぎ取り・
量り売りのキッチンガーデン構想)→ ○出城(林間放牧による牛・羊の活用)
7.“旅”は人を育てる
紫芝氏は、地元の普通科高校を卒業した後、父親の勧めで、長野県諏訪郡原村に
ある八ヶ岳中央農業実践大学校(専修科2年)で酪農を学んだ。
八ヶ岳中央農業実践大学校を卒業後、アメリカ農業研修に参加した。農友会(長
野県国際農友会)の1年のコースに応募しカリフォルニアに渡った。カリフォルニ
アでは酪農と肉牛の農業経営を行う酪農家の会社で研修した。ホルスタイン種がほ
とんどの搾乳牛 2500 頭を 24 時間3交代で搾乳していた。母牛は長くて5年で廃牛
となり食肉となっていた。
会社では、1年間のうちの最初の4カ月は、飼料作物(デントコーンなど)生産
部門で働いた。その後の4カ月は、搾乳部門(ミルクパーラー方式)で働いた。最
後の4カ月は、アメリカ人が働く繁殖の牧場部門で働いた。最後まで頑張ればチー
フになれると言われていた。そのころボス(社長)から、何を学びたくて研修に来
たのかと訊かれたので、マネジメントを学びたいのだと言ったら、自分の後をつい
て回れと言われて、ボスの運転手となった。
研修の最後の時期であったが、社長に密着してアメリカの農業経営者の仕事と生
活ぶりを直接肌で感じることができた。社長がトラクター導入のために銀行との融
資交渉をする場にも立ち会った。
ボスの父親は2つの会社を経営している。飼料作物生産部門と搾乳部門の2部門
を分離しそれぞれ別の会社としている。そしてボスは別の1つの部門(繁殖部門)
の会社を経営していた。これは若いころどこかで働いて資金を貯めて、農場を父親
から購入し、それを別会社として経営しているものだ。子どもに「後を継がせる」
のではなく、親が農業経営をしたいという子どもに農場を売ることが当たり前のア
メリカ農業の姿である。
また、時間の使い方が日本とはずいぶん違うと感じたという。とにかく、仕事の
密度が高い。お金にシビアでもある。作業工程をきちっと計画して、労働者の無駄
な時間がないように設計されている。
少しの間ではあったが、アメリカの大規模農場の経営者の行動に直に触れること
で、紫芝氏の「経営者」像の確立に大きな影響があったことは間違いない。
また、紫芝氏は、南フランス、スイス、ドイツを実際に旅して回ったことがある。
その体験から紫芝氏は「いずれの国も農村の景観、つくり方が美しい」と感じたと
いう。こうした体験が紫芝氏に、水源地域の農業の環境への配慮や責任を強く意識
させている。
8.独立——農業経営者の誕生
もちろん帰国後、しばらくの間、両親が経営する肉牛経営を手伝った期間があり、
和牛生産の奥の深さに触れることになった。その時に、やはり日本のやり方は日本
18 《現地レポート》農業の将来展望を切り開く農業経営者を求めて
JA 総研レポート/ 2009 /秋/第 11 号
のやり方として合理性があり、大規模農場のアメリカ農業をそのまま日本に持ち込
むことは無理であることを実感したという。
父親の和牛肥育経営を手伝っていた時には、儲かったら給料をくれるということ
だったが、いつも儲からないからといって給料をもらえなかった。だがアメリカで
は息子に給料を支払うのが当たり前だった。
こうしたなか、規模拡大をするに当たって、両親と経営を分離した。両親は和牛
の繁殖・肥育経営を行い、自分は水田経営(15ha)をすることにした。
現在、紫芝氏の両親は、和牛 60 頭の一貫経営を行っている。繁殖母牛 12 〜 13 頭
と肥育牛 40 数頭である。田切農産からワラを供給している。また、輪作体系にソル
ゴー(飼料用ソルガム)、採草地を組み入れている。紫芝氏の両親の和牛経営から田
切農産には堆肥が供給されている。
こうした経営の分離は、自分の仕事の評価と収益がはっきりするのでよかったと
いう。これは紫芝氏が結婚した時期と重なる。
9.「地域の経営者」へ
紫芝氏は自分が経営者になったと自覚した経験が2回あったという。
1回目は、田切農産という会社を設立した前後のことだった。紫芝氏を含めて3
人の中心となる人間がいた。その中から自分が代表取締役に選ばれた。そして社員
を集めた設立総会の場で、会社に何かあったときのリスクは社長(代表取締役)が
負うと宣言した時である。
2回目は、3年目になって会社の基盤が固まった時のことだ。会社設立後1〜2
年目は夢中でやってきた。3年目になってようやく落ち着いてこれまでのことをい
ろいろと振り返って思い出す機会があった。いろいろと新しいことも始め、横やり
も入ったがそれは思っていたよりも少なく、みんなが好意的・協力的にやってくれ
たことを思い返していた。そして若い自分がどうしてこうもうまくやってこられた
のか、と考えたとき、周りの先輩たち(田切地区歴代の営農組合長たち)が守って
くれたからだ、ということに初めて思い至った。「その時ハッと気付いた。今、感謝
している」。これまで身の回りで起こっていたいろいろな断片的なことがその時、す
べてつながって、そういうことだったのか、と理解できた。60 代から 70 代の人た
ちが防波堤になってくれていたのだ。
その時、紫芝氏は、地域のなかに恩返しができる経営者にならなければと思った
という。このことが、紫芝氏を単に1つの会社の経営者という枠組みを超えて、少
し大げさな表現だが「地域の経営者」へと変貌させた瞬間だったのだろう。
10.リスクを自分で背負う覚悟——「後継者」から「経営者」へ
紫芝氏にインタビューすると、親がやっている農業を長男だからというだけの理
由で継がなければならない「後継」者ではなく、経営リスクを考えながら積極的な
農業を行う「農業経営者」が必要なのだという考えを強めた。だが、誤解されない
ようにあらかじめ断っておきたいが、この「農業経営者」は、法人経営・大規模経
営者だけではなく、兼業農家であっても、定年退職後の帰農者であっても経営のリ
スクを考えながら自分自身が選択した形で農業に取り組む人であればみな「農業経
営者」であるということだ。
経営者は、リスクを自分で背負う、という精神を持っている。
紫芝氏の経営者哲学は、リスクをいかに取るか、その覚悟を持って経営に臨むか
どうかが明確である。田切農産代表取締役に就任する際、友人の税理士から教えら
れたことが、会社は作るのは簡単だが辞めるときが大変である、だから辞め際をき
ちんと考えた上で、会社をつくらなければならないというものである。リスクを取
る覚悟とともに辞め際を考えていることが、経営者である以上必ず必要なことだと
JA 総研レポート/ 2009 /秋/第 11 号
《現地レポート》農業の将来展望を切り開く農業経営者を求めて 19
写真=ネギ畑と収穫作
業。美しい風景のなか、
黙々と作業が続いてい
た(2009 年 8 月 25 日)。
考えているという。
「経営者」は、
「リスクを取る(覚
悟がある)人」、つまり簡単には
泣き言を言わない、また、人のせ
いにしない人だ。だから「利益を
どうすれば出せるかを真剣に考え
て行動する」
では、そうした人材は「教育」
によって育てることができるのだ
ろうか、と紫芝氏に尋ねてみた。
──人材不足が指摘されるが、
真剣に探してもいないのではない
だろうか。確かに農業に人材は少
なくなっているのだと思う。だが、地域に若い人がいて、多少なりとも意欲がある
人なら、後は、地域の周りの人たちがどう育てるかにかかっている。
その地域や会社は人に恵まれていないという見方もあるかもしれない。だが、人
は人が支えることによってある程度育つものだということを忘れてはいけない。諦
めてはいけないと思う。
農家の子弟であれば、やはり農業についてのDNAがあると思う。だからできる
だろうと思う。「人を見つける人」と「人を育てる人」が大切だろう──
紫芝氏の知り合いで、有機農業をやっている人がいる。彼は自分の子どもに、農
業をやれとは言わない。いろいろ見て歩いてきて、それから自分で決めろと言って
いる。紫芝氏も考えは同じだという。
──「後継者がいない」と言って悲観する必要はない。農業でしっかり利益を挙
げている人はいる。これからは、農業経営の規模が大きくなるだろう。やはり「後
継者」ではだめで、「経営者」になることが求められる。
長野県内に(有)トップリバー(http://www.topriver.jp)という農業研修と農産
ほじょう
物販売を行う農業生産法人がある。遊休農地を借りて、研修生が担当する圃場・作
物を決め、レタスやキャベツなどの野菜作りによる農業研修制度を導入して新規就
農を目指す若者の研修をしている。この農業経営者を育て独立させる取り組みは参
考になるのではないか ──
これまで農家では、イエの後継者、とりわけ長男が跡を継ぐのが当たり前である
としてその子どもに圧力をかけた。その反対に、農業は苦労が多いばかりで儲から
ないから、子どもには農業以外に勤め口を見つけ外に出るように勧めた。だが、そ
のいずれもが農家の「後継者」「跡継ぎ」という前提に縛られていたのではないか。
農業は先代から受け継ぐものと思い込んでしまっていたのだとすれば。
言葉の持つ力は大きい。本当に必要なのは、生まれてきた時にすでに決められて
しまった「後継者」ではなく、自覚的な意思を持って農業経営に携わる「経営者」
なのだから。意識的に言葉を換えるだけで新たな方向が見えはしないだろうか。
それならば、農家の子どもであっても、いったん外に出て、「旅」をし、経験を積
ませて「経営者」に育てることが必要だということになる。
紫芝氏の軌跡をまとめながら、山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、さ
せてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」という言葉が自然に浮かんできた。誰でも
そうだ。見本となる先輩がいること、任せてくれ、陰で支えてくれる人たちがいる
こと、こうした人のつながりのなかでこそ人は育つのだと思う。
20 《現地レポート》農業の将来展望を切り開く農業経営者を求めて
JA 総研レポート/ 2009 /秋/第 11 号
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