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No.3 - 青山学院大学山岳部
発行 NO.3 昭 和 52年 7月 1日 ヶ ll l11岳 会 卓↑ 事 会 発 ′ 緑 1)東 京 都 中央 区 日本オ喬3213 Ji務 几 中 条 F‖ 刷 内 803(274)4670 緑 ヶ丘 通 信 OB会 j 青 山学 院 大 学 体 育 会 山岳 部 52年 度 OB総 梅雨 入 りを ま じか に して、 そ ろそ ろ蒸 し暑 さを 感 ず る よ うにな った 6月 6日 東京 の ど真 中、 日本 ‖ ‖ 橋 の いづみ屋 で 52年 度 の総 会 が 開催 され ま 会 開 催 され る 御協 力を さらにお願 い しま す。 理 事長 あ い さつ な らび に新 年 度幹事 長・ 監督 指命 ・……・…・…… 鈴木 弘 旧年度 の役 員諸 氏 の ご協 力に お 礼 申 し上 げ した。 例 年 で す と、 母校 のキ ャ ンパ スに あ る青学 会 館 で 開 かれ ま すが 、 久 々の集 りな の で、 “くつ ろい ‖ だ会 に した い とい う声が多 か ったた め と、 昨年 の組織 改正 で、総 会 の 議事 が簡略 化 されたた め に ‖ たか も宴 会 風に “とい う期待 を も って高級料 あ 亭 (?)で 行 な うことにな った もの で あ ります。 昨年秋 の ネパ ー ル行 以来、 ヒ ン ドゥー の神 々の 民 にかか つた小 島隼 太郎 氏、 厚生年 金 で ヒマ ラヤ や台湾 の 山歩 きに余 念 がな い 平野勲氏、 孫娘 の写 真 を懐 中 に しなが ら も、 ヒマ ヤ ラ・ トレッキ ング ます。 3月 の理 事会 (出 席 理 事 :鈴 木 弘、小 島、 栗林 、草 野 、 中村 )で 協 議 し、新年 度 の幹事 長 として西村久志氏 (留 任 )、 監 督 として角 田 健氏 (留 任 )を 決 め ま した。 会則 4条 5項 に したが い 指命 いた しま すので 、会 員の了承 を い た だ きた い と思い ます。 昨年秋、 ヒマ ラヤを 見に ネパ ー ルにでか け て き ましたが、 ヒマ ラヤ遠征 は もち ろんの こ とで すが 、 本 年 は トレッキ ングを是非や って の計 画 を進 め る鈴 木 弘氏 な どの老 い て ますますさ かんな長 老 をは じめ として、本 年新 OBと な って み た い とい う声 が あ り、 会 と して この計 画 を 初 めての総 会 に腰 の落 ちつ かな い 石 黒信幸 氏 まで、 の 中 に気軽な準備 会 み た い な もの を作 って計 と りあげ てみたい と考 え てお ります。 幹事 会 また、 また OB達 の さわ ぎか げんに少 々あ され顔 画 し、 だ れ で も参力‖で きる ものに した い と思 の学 生 6名 を加 え 29名 が 出席 し、 630∼ 930 い ます。御 期待下 さい 。 まで、 厳粛 にか つ破 目をは ず して飲 み語 らい ました。 会長 あ い さつ (坂 岡会長 が病気療 養中 のた め理 事 長が代 行 )… ……… …………… … …… …鈴木 弘 昭和 52年 度会費納入のお願い 木年度 も別紙 ご案内の通 り、年会 費5000円 、 賛助会 費 1回 5000円 とな りますので、会 員の 一 昨年 の 秋 に組織 を 改 正 し、 一年 間新組織 皆様 には絶大な る ご協 力を切望 いた します。 議 ★ 事 で会 が 運営 され て きま したが 、 理 事会、幹事 会、監 督会 の三本 の柱 が よ くかみ あい 、 と く に問 題 な くここに 至 った こ とは、 会 員諸氏 の 御協 力 に よる ところが大 で あ る と考え ま す。 旧年 度 は 特 別な事業 は あ りませ んで したが 、 新体 制は大 きな 事業 を進 め るた め 考え られた ものであ り、 新年 度 には 、新 たな 事業 を計 画 して もらい た い と期待 してお ります。 会 員 の -1- 会事 :L::I:::二 :il 繁茂 罐 翼 非 己 0自 中 條 好 司 (会 社 rEL 03-274-4670 1関 嚢 讐里 良 (倉 譴f]l:::;::ダ :::7 な お お 振 込 先 は下 記 に お 願 い し ま す。 富 士 銀 行 八 重 洲 口支 店 No 124-548478 中條好 司 青 山学 院大 学 緑 ケ丘 山 岳 会 者 を得 て、 来春 2月 には 、 ネパ ー ル の方 ヘ ト レッキ ングにでか けた い希 望 を もってお りま 幹事長報 告 ………… … ……………… ……西村久 志 御 期待 い た だ きなが ら、 思 うよ うに活動 で きず おわ び 申 し上 げ ます。親 睦 の方 では 秋 に ゴル フの コ ンペ を計 画 しま したが 、参加 希望 す。 理事 会 か らの指命 が あ りま した ので、本 年 もつづ い て監 督 をひ き受 け させ て いた だ き ま すが 、 コー チ 3名 は 、昨年 と同様 の メ ンバ が少 く流会 にな りま した。 そ の 他新 年会 を し ま したが 、 これは した。 25人 の参加 を得、盛 会 で ー で組織 しま すの で、御 了承 下 さい。 50年 史は、 鋭意 努 力 して 戦前 の もの につい ては ま とまって きて お ります。海 外登 会 長 山 の方 は委 員会 の会合 は少 なか らず あ りま し 副会長 たが 、計 画 として、具体 的 な もの をr/Fれ ませ 理事長 んで した。 "緑 ケ丘 通信 "は 年 3回 172ど 出 す 理 事 予 定 で したが 、 春 と秋 の 2回 に終 りました。 理 事 そ して会計 で すが 、 よる こば しい もの とは い 理 事 え ませ ん。 と くに徴 収 の ア クシ ョ ンを起 さな 理 事 か った ことが 理 由 で す。 申 し訳 けな い ことで 理 事 あ りま す。 会計収 支 は 別記 の とお りで、 先 の 理 事 52年 度 役員 坂 岡奈保 志 (大 (昭 福 島 昌夫 弘 (昭 鈴木 小 島隼 太郎 (昭 栗林 一 路 (昭 鈴木 敏 夫 (昭 室町 庄 一郎 (昭 (昭 草野 順夫 中村 賢次 (昭 15師 卒 ) 4商 卒 ) 19商 卒 ) 7商 卒 ) 19文 卒 ) 22土 卒 ) 26建 卒 ) 29経 卒 ) 30経卒 ) 理事 会 の了承 を得 てお ります。 ご了解下 さい 。 ともあれ 、昨年 度 につい ては 深 く反 省 して 監 幹事 長 西村 久志 お り、 本 年 は 努 力 に徹 した い と考 え ま す。 別 幹 事 北村 護行 記 の よ うな幹事諸 氏 の力 を借 りてがんば りま九 督 会 ……… …… …… … ……………角 田 健 幹 事 白井 茂 幹 事 中條 好司 男子 では 4年 生不在、 入 部者 な しとい うき 幹 事 藤沼 裕司 事 二 原 日出夫 わめ て この ま し くな い状 態 で活動 して き ま し 幹 (昭 35経 卒 ) (昭 37商 卒・ 50年 史 ) (昭 37経 卒・ 会計 ) (昭 39経 卒・ 事務 局 ) (昭 46経 卒・ 会報 ) (昭 48経卒・ 瀞秒旧山 ) (幹 事会 は担 当幹事 の も とに委 員会 を もち ま す ) たが 、 それだ けに よ く考 えた山登 りをや って き ま した。 年 度 の 仕 上 げ に明神東稜 か ら前 穂 高 の合 宿 に成功 してい ま す。 本年 は 5名 の新 入 部 員を得 て 9名 とな り、 さらに活気 の あ る 活動 を続 け て い ま す。 女子 は、 昨年 も着 実 に 基礎 的 力を つ け てお り春 には大 天丼 を独 自で 監 督 コー チ 角田 健 桜井 稔己 コー チ 土田 紘介 コー チ 藤田 文明 (昭 (昭 (昭 (昭 35経 卒 ) 39経 卒 ) 43法 卒 ) 50経 卒 ) やれ る よ うにな りま した。本 年 は 3名 の 入 部 (51514∼ 5265) 昭和 5■ 年度 会計 報告 会計 1 2 3 4 5 6 収 前 期繰 越金 0B会 費 (22名 分 ) 賛助 会 費 (14名 分 ) 中村 賢次 OB寄 附 金 臨事会 費 (4回 分 ) 受取利 息 計 138,279 108,000 65,000 10,000 185,000 2,212 ¥508,941 1 2 3 4 5 6 7 8 出 支 51年 度監督会 費 緑 ケ丘 通信 102号 印刷発 注 費 印刷 お よび発送 費 記 念 品代 現役 賛助 金 雑 費 (コ ピー 代 ) 会議 費 (4回 分 ) 次 期繰 越 金 計 -2- 中條 好 司 100,000 32,130 18,400 10,000 16,000 2,300 221,220 108,441 ¥508.941 ヒ マ ラ ヤ の 山 々 を み た .″ 鈴木 弘 ヒマ ラヤの 山 を 自分 の は ……、 な どと話 は して くれ るのだが 、 そ の方 向 この 目で 見る。 この ことは私 に とって永年 の夢 で は雲 ばか り、 さ っば り面 白 くな ぃ。空 は晴 れ て も あ った。 しか し最 早 どこか に挑 戦 で き る年 令 で も な い し、 トレッキ ン グに も自信が な い のだか ら、 山 の あ る ところは雲 に 覆 われ てい る とぃ う感 じで、 紺碧 の空に 輝 く峰 々 とにか くヒマ ラヤの 見え る ところに行 くことを 目 暗 くな りは じめ る と、 急 に冷 え こん で くるので早 々に引揚 げて しまった。 カ トマ ンズに いて ヒマ ラ 標 に して いた。 そ してそ の夢 を私 はつ い に果 して ヤを 見よ うとすれば 、 こ うした い くつ か 見る とこ 来た。 ろが あ る由、 が ぃず れ に して も遠 景 にな る こ とは 11月 21日 、小 島氏 を含む我 々― 行 は羽 田を 発 って バ ン コ ッ クに飛 びそ こで一 泊、翌 22日 バ ンコ ッ クか ら カ トマ ンズに向けて 出発 した。 カル 止む を得 な ぃ。 カ ッ タに 寄 ってい よい よカ トマ ンズ まであ と 1時 飛行機 は とぶ のか と思 うほ どで あ った。 ポ カラは カ トマ ンズか ら飛行 機 で西 へ 30分 の ところにあ 間余 り、私 は そ の頃 か ら窓 外 の変化 を 見逃 す まい 機上 か ら ヒマル チ ュ リと対 面 翌 日、待望 の カラ の ポ 入 りであ る。 この 日 朝 も濃 霧、 はた して とじっ と 見詰 めて いた。 やが て 右側 に 白い山な み る。 YSllを 少 し小 さ くした よ うな プ ロペ ラ機 が 見え は じめた。 どの山 な のか は判 らな か ったが 、 で、 ポ カラヘ 向 う。 飛 びた って雲 を抜 け る と、 右 とにか く ヒマ ラヤには違 いな い。 これ が私 の 見た は じめ ての ヒマ ラヤで あ った。 空 は 青 く、山 は 白 側 は ヒマ ラヤ連山 で あ った。 マ ナ スル、 ヒマル チ ュ リを中心 と して、 遠 くゴザ イ ン タ ンも 見えた。 く輝 い てい る。 カル カ ッタか ら来 た機 上 で 見るの と異 り、 もっ と やが て着 陸 のた め飛行 機 が下 降 をは じめる と、 身近 に山 は あ った。 飛行機 か らみ る ヒマ ヤ ラは 、 そ の山な み も視界 か ら消 え、 は じめて の ラ ンデ ブ 横 か ら眺 め る とい った 感 じで、 素晴 ら しい眺望 で ー もま った くわず かな時 間 だ った。 あ る。 ほ ん と うに 楽 しませ て くれ る。 が もっ とり 11月 の 天候 は きわ めて 安定 してい る と聞 い て いたの で、 まず この調 子な ら ヒマ ヤ ラの山 は、 大 い に満 喫 で きそ うだ との 期待 に夢 をふ くらませ て、 カ トマ ンズ の空港 にお りた った。 カ トマ ンズか ら山 は 見えな い と聞 い ていたが 、 ソ リテ ィ・ オ ベ ロイの 部屋 に通 され て外 をみ る と、 っ くりとか 、 腰 を落 着 け て とい うこ とが で きな ヽ だか らやた らに カメラの シ ャ ッター を押 す、 山 プ 眺 め てい る時 よ り、 フ ァイ ンダー をのぞ いて ヽヽっ 時 間 の方が長 いの だ か らゆ っ くりと した 気持 には ど うして もな れな い。 ポ カラ空 港 に近 け くと、 また雲 の中 に飛行機 が 自い山が 一 つ は っき りとみ えた。 ラ ンタ ンヒマー 入 って しま う。 きわ めて原始 的 な空 港 にお りた っ ルだ と聞 いたが 、大 分遠 くだ し、 それ ほ どの感激 もなか ったが 、 見え た こ とは次 へ の 期待 で もあ っ た時 に も、山 は何 も 見え なか った。 そ の時 は まだ 23日 機 上 の展 望 の興奮 もい くらかあ って、 山 の 見え な 、 目を覚 ます と、 カ トマ ンズ い こ とには あ ま り気 を とめる ことはなか った。 そ は深 い霧 に 覆 われ ていた。1,300メ ー トルの 高原 の 日の午後 は まった く ヒマ ラヤは 姿 を 見せ ず、 翌 だか ら、 ち ょ うど夏 の軽井 沢 の よ うに、朝 は霧、 日も また 同 じよ うに空 は晴 れ て 暑 い 日射 しが 照 り 昼 は晴 れ とい うことだ と思 って いた が 、霧 が晴 れ て も何 か すっき りしな い。 昨 日 見えた ラ ンタ ンヒ つ け てい るのに、 山 の 姿 は何処 にあ るのか さっば た。 ところが マ ー ル も 姿 を 見せ ず、 これは 困 った こ とにな る り見当 もつ かな か った。 ポ カ ラでの ホテルは ニ ュー ク リスタル、空港 の かな とい う不 安 が で て きた。 す ぐそ ばで、 ホテル の前 庭 に芝生 が あ り、 そ こに この 日の 午後、 ヒマ ラヤの 夕景 をみ るため、 古 都 バ ドガ オ ン の さらに先 にあ る ドウ リケルの丘 は十 数 脚 の椅 子が お いて あ る。 ポ カラは 小 さな町 へ行 く。 この丘 に 4時 半 頃着 いた で あろ うか。 こ の方 向 には エ ベ レス トが 見え る とか、 この方 向 に -6- だ し、 そ う出掛 け る ところ もな い。 山 が 見えな ぃ とま った くな すすべ が な ぃ とい った 具合 で、 この 日も夕方 か ら、 そ の椅 子 に腰掛 け て、 コー ヒー を 飲 みなが ら、 一 体 どこに ア ンナ プルナが あ るのか 、 た。次第 に な どと他愛 のな ぃ こ とを しゃべ って ヽヽ の 赤 い 色を大 き くして ゆ く。 マ チ ャ プチ ャ レの頂 き も赤 くな りは じめ て来 た。 暗 くな る。 暗 くな る と寒 くな る。 私 は 風呂 に入 ろ い くら眺 めていて も飽 きる こ とはなか った。 写 うと椅 子 か ら 立上 って 部屋 に戻 った。 そ して文 字 真 や絵葉 書 で この 光景 を 見た ことは あ るけれ ど、 通 リー 風呂浴 び てぃた 時、「 山が 見え る」 とい う それ らか らは まった く想像 す る ことので きな い ス 声 が した。 私 は 慌 てて タオルを腰 に まいて、 部屋 ケー ルの大 きさで あ り、山 が 迫 ってい る とぃ う言 の窓 を開けはな った。 すで に周 囲は真 暗 で あ った 葉 が そ の ままであ った。 コー ヒーが運ば れて きた。 が 、 思 って いた よ りは るか 高 い ところに、薄 く赤 椅 子 に腰 をおろ し、 カ メ ラ もお い て、山 を じっ く りと眺 めなが ら熱 ぃ コー ヒーを飲 む。 冷 えて ぃ た く染 まった ア ンナ プル ナの 3峯 あた りで あろ うか そ の 頂 きが 見えた。 カ メ ラに収 め るにはあ ま りに も暗 くあ きら めて 、暗闇 の 中 の山 の姿 を 見失 うま 故 か 、 この景 観 のた めか、 おそ ら く一 生 忘 れ る こ との な い一 杯 の コー ヒーの 味 で あ った。 矢張 り山 い と 目を こ ら して い た。 そ して慌 てて服 を着 て 庭 は大 地 を踏 み しめ て、 ゆ っ く りと眺 め る ものだ。 に 出た時 は 、 も うほ とん ど 見る ことは で きなか っ 。 た。 明 日は カ トマ ンズに戻 らな くて はな らな 、ヽ ポ カ ラは 休 むため と山 を 見るた め の ところだ と聞 ぃてぃ たが 、 ほん と うにそ の通 りであ った。 明 日の 午前 中が 最後 の チャ ンス、 これ を逃 した ら やが て東 の空か ら真 赤 な太陽が のぼ りは じめて 一 体 何 んのため に ここまで来 た のか とい うこ とに い た。 私 は ホテルの屋 上 にあが った。 そ こには 東 な って しま う。 それが 、 とにか く 見えた のだか ら 京 タ ワーな どにお い てあ るの と同 じ望遠鏡 が おか 大 きな希望 にな って きた。 れ てい る ことを知 って いた か らで あ る。 50パ イ 26日 白き神 々の 目覚め 、 6時 前 に 目が 覚 サ (約 12円 )を 入れ る と 1分 ぐら い 見え る。 早 めた。 外 には人 が すで に い る気配 な ので、慌 てて 速 これ で 山 を の ぞ くと、「 ヒマ ラヤ ひだ Jと 呼 ば とび お きて庭 に出た。 も う 10人 以 上 の人が椅 子 れ る雪 の波(aが 手 に とる よ うに は っ き りと 見え る。 大 きな ク レバ ス も 見えた。 マ チ ャ プチ ャ レには登 に腰 をお ろ して、真 黒 な中 にぼ んや りと白 くみ え る山 々を眺 めていた。 次第 に 明 る くな って くる。 マ ッタホー ンを思わせ るマチャプチャレとア ンナ プ る ルー トが あ るのだ ろ うか。 望遠鏡 でみ る山 は 、 ル ナの全 容 が だ んだ んは っ き りと して来 た。 神 々 の 山 と言 われ てぃ るが 、 高 く厳 そか で、 そ してそ 私 は写 真 で しか 見た ことのな ぃ ヒマ ラヤの山、 そ してひ だ、 ク レバ スを 今、現 実 に 自分 の 日で 見て の姿 は あ ま りに も美 しい6 い るのだ とい うこ とを、 自分 自身に言 い きかせな また 異 った 興味 を持 たせ て くれた。 しか し今 まで が ら いつ まで も望遠鏡 を の ぞ いていた。 やが て ア ンナ プルナの 頂 きが 赤 く染 ま りは じめ フ ィナー レは最 高 峰 工ベ レス ト そ の 日の午後、 カ トマ ンズ に戻 り、 翌 27日 の朝、 今度 の旅行 の て来 た。 見る人が 思わず 息 を呑 む瞬 間 であ る。 そ して あ くまで も静 か に、 山 は生 きてい る よ うにそ ★ 第 5回 OB会 総 会 の 席 上 、青木 利夫氏 (昭 ゴ ル フ・ コ ン ペ こ 案 内 33卒 )よ り、 昨年流 会 とな った GOLFを ぜひ 開催 しよ うとの 提案 が あ りま した。 早 速、 以下 の よ うに企 画 しま したの で、 ご案 内 申 しあげ ま す。 日 時 場 7月 16日 所 (土 曜 日 ) アジア下 館 カ ン トリー クラブ (茨 城 県下 館市 ) なお、 金曜 日の宿泊代 は青木 氏 の ご好意 に よ り無料 。 16日 の夜 は宴 会 を行 な いた い と 思い ます。 (詳 細 未定 ) 参加 ご希望 の方 は事務 局 (中 條好 司 )274-4670 自宅 765-5828)迄 現在 の参加者 は、鈴木 白井 また は、 平野興 一 (会 社 551-6111、 ご連絡下 さい。 武、山脇隆 夫、青木 利夫 、 西村久 志、平野 興 一 、皆藤 正 博、 茂、 中條好司 の 8名 で す。 -4- 大 きな 目的 であ り、 また総 決 算 ともい うべ き「 マ 機上 か ら も天 にそそ りた ってい る とい うことが 、 ウ ンテ ンフ ライ トJと な った。 朝 は 例 の通 り霧 が あ ったが 、 それ で駄 目にな る とは 思 ってはいなか は っき りわか るほ どそ の姿 は きび しい もので あ っ た。 その時 、「 前 へ ど うぞ 」 と案 内 され操縦 席 に った し、 期待 に胸 をふ くら ませ ていた。 入 った。 パ イ ロ ッ トの肩 1/aふ れ る よ うに して写 真 予 定 よ りお くれ る こ と 1時 間 、 かえ って霧 が 晴 れ て 明 る くな って きた。 飛行機 は ポ カ ラヘ行 った を撮 る。 窓 とちが って操縦 席 か らみ る ヒマ ラヤは また一段 と美 しか った。 パ イ ロッ トカゞ 「 カ ンチ ェ 40人 は どが 乗込 んだ。空 港 を ンジ ュ ンガJと 指 さ した方 向 に一 つ の 山群が あ っ 出 る と機 は グ ング ン高度をあげ、雲 を突切 り、 ま た 突切 って ゆ くと急 に視界が ひ らけ、 ヒマ ラヤの た。 そ こで機 は 左 に旋 回 した ので、 今度 は真正面 にエ ベ レス トが 目1/C入 った。 いい時 に旋 回 して く 連山が浮 かぶ よ うに 見えた。 ポ カラか らみた山 と れた もの で あ る。 違 って大 きい。 あ らか じめ 山 の姿 を頭 に入れ て き た つ も りだ ったが 、 どれが どの山か さ っば り判 ら そ して カ トマ ンズ に戻 りは じめた。 今度 は私 の 席 か らは山は 見えな い。 力ゞ 私 は エベ レス トを 見た な くな った。 しか し飛行機 は 思 った よ り山 に近 付 とい う感激 1/r浸 って深 く席 に身を沈 め て いた。 そ の と同 じ機 種 で、 かない。 山 のふ ところ に抱かれ る よ うに飛 ぶ のだ してほ どな く、私 は再 び操縦 席 に案 内 され る幸 運 とば か り思 っていた が 、 ち ょ うどポ カラ に行 った が あ って、 今度 は ゆ っ くりと眺 め る ことが で きた。 時 とあ ま り変 りが な い。 山 に迫 る とい う緊迫感 は まるでな く、 ヒマ ラヤの連 らる山 々の姿 の大 きさ 雲 の上 は まさに央晴 、 ヒマル チ ュ リまでは っき り を眺 め る とい った 感 じで あ る。 そ して 目は エベ レ 高度 を下 げは じめた。 そ して雲 の 中 に突込む。 こ ス トを求 め続 け ていた。 の時 が ヒマ ラヤ とのお別 れ であ った。 カ トマ ンズの空港 に着 陸 した時 、私 は 今度 の旅 その うち乗客 を少 しづつ操縦 席 に案 内 しは じめ 見え たの ではな いか と思 う。 席 に戻 った 頃、機 は た。 私 の席 か らは 幸 い山が よ く見えて いたが 、 ス テ ュアデ スが近 付いて、 ザ ッツエベ レス トと指 さ は すべ て終 った とい う気持 だ った。 ポ ラカで の山、 した。 あれが世 界 一 の 高峯 か 、私 の 見たか ざ りで ラヤの山 々は、 それ に十 三分 に応 えて くれ る もの は エ ベ レス ト特 有 の バ ン ドは認 め られな か ったが 、 で あ った 。 そ して この フ ライ ト。 期待 は大 きか ったが 、 ヒマ お し ら せ 新 入 会 員 紹 介 加藤 伸夫 (経 営学 部卒 ) 在学 中 に ヒマチャールプラディ ッ シュ ●ヒマ ラヤ踏査 、 ヒマル チ ェ リ遠征 と、2度 の海 外登 山 を経験 す る。 昨年 か ら田崎真珠 に勤務。 年始 の あ い さつ な どき れ いな真珠 の案 内をかね て よこ すので、奥 さん にせが まれ て弱 って い る人 も多 いはず。 地方 ヘ 4月 か ら三江物 産欄 に勤務。 臼井節子 (文 学 部卒 ) 彼 女が リー ダー の とき、女子 部 と しては初 め て冬 の 3千 mピ ー ク に全 員が登 つた 0も ち ろん 彼女 た ちだけで … …。 卒業 後 は 会社 勤 めで得 られ る微 々た る サ ラ リーな ど 目も くれず、 た だひ た すら花 嫁修業 に励 ん でい るそ うで す。 の長 期 の 出張が多 く、総 会 は 出 年史 委員 か らの お願 い 席 で きず。 最近 にな って、 また登 山 史 に 石黒信幸 関 す る文 献的書籍 が 刊行 され る (法 学 部卒 ) ヒマ ル チ ュ リ遠 征時 の最年少 よ うにな りま した。 いず れ も増 メ ンバ ー。 その後 、単 身 でイ ン 補改訂 もので すが、自水社 の「日 ドを放浪 す るな ど、 バ ガボ ン ド 本登 山 史」 (山 崎安治著 )、 四 精 神 は旺 盛。 昨年秋 は 、遠征 後 季 書 館 の「 近代 日本 登 山 史」(安 の 貴重 な体験 を生 か し、 カラ コ 川 茂雄著 )な どで す。 また 、雑 ル ムの奥深 くわけ入 り、世界 で 誌 「 山 と渓谷 Jな ども特集 記事 も屈指 の大 氷河 に足跡 を しる す。 に取 り上 げ られた りして い ま す。 -5- これ ら文 献類 に よ ります と、 我 部が 誕生 した 大正 の末期 は、 すで に「 アル ピニ ズム銀 の時代 」 と呼 べ る時代 で あ った そ うで す。 そ こでは 、 金 の時代 には触 れ て い ませ ん ので不 明 で すが、 さ し あた リマ ナ スル に登頂 の昭和 30 年代が そ の候補 か も しれ ませ ん。 ここ らは諸 説 あ りと思え ますが 、 それな ら今 日の時代 は 、後世 ど の よ うな呼 び方 を され る時代 な ので し ょ うか … …。 ☆ この ところ、年 史活動 は やや 停滞 ぎみ で す。 長期戦 のか まえ でや ってみ よ うと思 いなお して い る ところで す。 しか し、 あ ま りの んび りでは、 タイ トル も60 年 史、 70年 史 と変 わ りますので 困 ります。栗林 OBと こつ こつ とや つては い ますが、 そ うはか どる活 動 では あ りませ ん。 元気 づ け られ るのは 、時折 り寄 せ ら れ る OB各 位 の 資料 提供 で す。 部 に在籍 中「 こんな 出来 ごとが あ った 」 とか「 当時 こんな 考 え 方 で山 へ 行 っていた 」 な ど、 日 遠 征後 の我 々現役 も、海 外遠 征 に対 す る熱 意 は強 く、 来年度 の 氏 の中 で 消息 の不 明な方 が あ り ま すが 、 同 期 の方、 あ るいは そ 夏 あた りに近 くに氷河が あ る所 で合 宿 が で きれ ば 、 と研究 をつ づ け て い ます。 (西 脇 記 ) 非 、 ご一 報願 い ま す。 海外登 山委員会 ★ 昨年度 の女 子 の活動 の集大 成 の 前 後 の方 で、 ご存知 の方 は 是 昨年 は 具体 的な 目標 がな いが ゆえ に、 沈滞 気味 の まま終 って 記 や記憶 に頼 りなが らの メモ で す。 であ った大 天丼岳 も無事終 了 し、 本 年 度 は 期待 で きる 3人 の新人 栗 林 OBと みな さんの便 りを 楽 しみ に待 ってお ります。 あ て 先 は、栗 林 OBの 「 ア イ・ プ ロJ を迎 え、 4年 2名 、 3年 2名 、 2年 1名 の新 たな メ ンバー構 成 今年 は 、現役 の方 で、 男女 と もに海 外 を 目指 して研 究 を続 け てい ま す。 また小 島隼 太郎 、鈴 にて 部活動 に取 り組 む こととな りま した。 木 弘 の両 氏 が 、年末 か ら 2週 間 の予定 で トレッキ ングを計 画 し まで、 よろ し く。 山岳部か ら (北 村記 ) 昭和 51年 度 の 目標 であ った 春山合宿、 明神岳 東稜 よ り前穂 高岳 登頂 の計 画 も無事 天候 に恵 まれ成功 する こ とが で き ま した。 また その年 の冬山合 宿 は横 尾尾 根 か ら槍 ケ岳 を経 て 中崎尾根 を 下降 し、悪 天候 と凍 傷 で少 々 し ょっば い 思 い を しなが ら も無事 終 了 しま した。 そ して、 今年 度昭和 4月 ∼ 5月 の 男女合 同 の新人 合 宿、稲 子 岳南壁 での岩登 リ ト レー ニ ン グを経 て、6月 の分散 山行 (尾 瀬 ∼ 会津駒 、谷川岳、 飯 豊連峰 )と 、 当面 の 夏山合宿 をめ ざ して トレー ニ ン グに励 ん で い ます。 夏山合宿 には、再 び黒 部源流 域 に入 り、 上 級生 は沢 を組 み入 れた ヒバー ク ロン グ、下級生 は 52年 度 は 、積雪 期 の 目標 を穂 高連峰 か ら御 岳 へ と うつ し、冬 山合宿・ 周辺 部 の散 策 とい う形 式 で行 な い 、最 後 に槍 ケ岳 へ の縦 走 を計 画 して い ま す。 早 月尾根 か ら創岳 登 頂 “春山合 宿 "小 窓 尾 根、 も し くは赤谷 尾 根 か ら御 岳登 頂 "と い う積雪 期 また木年 度 は 、以前 か ら熱望 していた ネ パー ルヘ の トレッキ ン グを、来年 2月 ∼ 3月 にか け 創 岳 を中心 に展 開 す る事 にな り ま した。 そ して 夏山合宿 は北鎌 て実 現 させ よ うと、上 級生 を中 心 に話 し合 い を重ね てい ます。 尾 根 を中心 に、 千丈 沢上 部 での 定地 と卸岳 へ の縦 走 とい う形 を 事務 局か ら 考 え てい ま す。 今年度 は例年 に な く意欲的 な新 人 5名 を加 え、 男子 部 員一 同 今年 度 の制 岳 を中 心 と した 計 画 を意 欲的 に進 め て い ま す。 また 、 74年 ヒマ ラヤ (大 野 記 ) 昭 和 52年 度名簿 を同封 いた しま した。 今後、変 更 が あ りま した ら、 お 早 め に事務 局 まで ご連絡 願 い ま す。 また 、特 に戦前 の先輩諸 しまい ま した。 てい ま す。 取 りあえず は これ らの 身近 な 計 画 を積極 的 に支援 し、将 来 ヘ の地固 め に努 めた い と思 い ます。 会報 委員会 会報 な どとい うのは まことに 面倒 な もので、下手 すれば 編集 者 1人 で書 きま くらな けれ ばな らな い破 目にな る。 今 までの「 緑 ケ丘 通信 Jも 、 そ の例 に もれなか った よ うだ。 とは い うものの、 さほ どの名 案が あ るわ け はな く、 と りあ え ず は、 以下 の よ うな ご く常識的 な 目標 で編集 してい くこ とに し /_。 で きるだけ多 くの方 にご登場 願 い、特 に 日頃会 とのな じみ の な い方 な ど、 この紙面 を通 じて 父 わ りを復活 して いただ く。 また 今 までは紙数 の 関係 上 、 半分 は 事務 的な報告事項が 占め ていたが 、 今後 は少 しで も紙数 を増 や し、 楽 し く、 ゆ と りあ る 紙 面 を つ くりた い。 (藤 沼記 ) NEWS ヒマル チ ュ リ東尾 根 は つ い 登 られ て しまった。 思 い煩 っ いた ものが とれ て、 ホ ッ とし 第 4号 の発行 は 10月 1日 に予定 して い ま す。「 読 書 の 秋」 「 紅 葉 の山 」 な どと称 され る時節柄、 それ に因 んだ さわや かな も何 か一 抹 の さび しさが残 っ い る人 、胸 の うちか ら音 をた 紙 面 を と、 梅 雨 入 りしたばか りの 今か ら頭 をひね ってい ま す。 また、 昨秋 、 わが 部 で初 めて カラ コル ム入 りした石 黒新 OB に、 世 界 屈指 の大氷河 と、 そ こに生 活 する人 々 とを語 って もら て梁 が 崩れ て しま った人 、人 よって そ の感慨 は さ まざ まな う予定 で す。 ご期待 くだ さい。 -6-