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鰈震災復興ボランティア参加後記 …4 病院の仕事紹介

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鰈震災復興ボランティア参加後記 …4 病院の仕事紹介
日田祇園山鉾集団顔見世にて
■全体研修会 …………………………2
■聖陵ス トリー ム施 設長紹介 ………3
深見博也先生
■聖陵 トビックス
………………… 7
花 月グ ラ ウ ン ドゴル フ大会 。芸 能 隊
バ ス遠 足 ・聖 涼 祭
■かん たん レシ ピ n O . 3 …… … … … 3
白玉粉で簡単おはぎ
■ 日田漫歩 ○
鰈震災復興ボランティア参加後記 …4
■病院の仕事紹介 ……………………6
隕今後の行事 …………………………8
第3回
医療事務
……………………8
- 輸 咲 いても …
ク リスマ ス会
7 月 2 日 ( 土) 聖 陵会の平成 2 3 年 度全体研修
会がパ トリア 日田の小ホ ー ルで開催されま した。
今 回は 一 般 の方 々 にも公 開 しての研修会 とな り、
聖陵岩里病 院の院長 山田和典先生が座長を務め ま
した。
① 」R E 「 嚇下 り八ビリの効果につ しヽ
て」
∼谷口初子、桑野早苗
②安全管理 「
身近に潜む危険につ しヽ
て」
∼藤田弘美
題 し特別請演を して頂 きホ した。
先生 は 「
人が人と して成長する にはまず挨 拶か
ら」 と挨拶の大切さを繰 り返 し説かれ、まず は家
③感染対策 「
院内感染症事例の研究」
∼小南達矢先生
庭 内で朝家族 に 『
おはよう』と挨拶するの がす べ
と聖陵会よ り3 つ の演題につしヽ
て発表があ りまし
う」 というの はこく当た り前の風景ですが 、最近
た。
ではそれす ら実践できてしヽ
な しヽ
う
家庭もあるとしヽ
さらに、特別講 師として九州ルーテル学院大学
ての基 本 と言われていま した。朝起 きて 「
お はよ
ことです 。
客員教授をされている大畑誠也先生に来てしヽ
ただ
家庭での挨拶を徹底 して行 つた ところ、家庭 外
き 「
挨拶が一番 ∼すべ てはここから始まる ∼」と
の人間関係 と能力の開花 に繋がつたとのことで し
た。
挨 拶 を す る と しヽう の は お 互 しヽを 認 め 合 う こ
と ・・・私たち は一 番大切な ことを 日常生活の中
に埋没 させ て しヽ
る ことが 多 いよ う に感 じま した。
大畑先生す ばらししヽ
講演を いただきま して、本
当 にあ りがとうこざいま した。
また、当 日こ来場頂 しヽ
た 一 般の方 々しご参加頂
きあ りがとう己ざしヽ
ま した
特別講師
大畑誠也 ( プロフ ィー ル)
1 9 4 7 年 熊本県生まれ。
1 9 7 2 年 熊本大学法文学部法学 科卒業後、熊本県立天草農 業高校 へ 社会
科教論 として赴任。
同県大津産業高校、教育庁 学校人事課教育審議員を 経 て、 1 9 9 5 年 熊本
県立天草東高等学校長 に就任。
その後、菊池 高等学校、熊本商業 高等学校、八代 高等学校、第 一 高等学
校の学校長を歴任 され、2 0 0 7 年 に熊本県立盲学校長 に就任。 「
挨拶」 と
「
挑戦」を揚 げ、指導開始。朝の挨拶 │ ま
ほぼ 1 0 0 % と な り、「
挑戦」 ではアンサ ンブル 部が熊本、九州、
全国大会で金 賞を受賞、マスコ三に大き く報道される。
2 0 0 8 年 4 月 よ り、九州ル ー テル学院大 学客員教授 に就任。
一
g″
W
深見
博也先生
診療科 目 : 外 科
歴 : 慶 応義塾大学医学部卒
略
ドイツ留学
老人保健施設長 ( 平成 9 年 ∼ )
‐
‐ ││││││ず
専
ア
=中
■
‐
│││
││・
・・‐
私たちの源は一つ の卵です。一つの細胞が 分裂 して数が増えて、同時に機能分化 して、身体の諸器
宮が形成されて生まれてきます。そいうわけで人は細胞の塊であるわけですが、その全身の細胞の一
つ、一つは、原貝」
と して、発生 した時に神様から 「
分裂の回数券」を受け取つています。
回数券は50枚 つづ りで、細胞が分裂する度に 1枚 ずつ切 り取られてゆきます。約 2年 に 1回 細胞分
裂すると、100年 で回数券はな くな り、細胞は分裂できな くな り、人は寿命にな ります。
さて、細胞分裂は、細胞が傷ついたとき、あるいは年老いたとき、健康な細胞が分裂 して、傷んだ
細胞を置き換えるのが目的です。夕lえば、心臓から続 く大動脈は、弾力筋繊維が管状に連なつてお り、
上皮が覆っています。高血圧や高脂flll症
内側をflll管
など生活習慣病 (メタボ)に なると、血管の構成
組織に負担がかか り、内皮細胞は傷害され、隙間からコレステロールなどが侵入、動脈硬化症とな り、
flll管
に演瘍が発生 します。これは一大事と健康な内皮細胞分裂 して、血管内皮を修復 します。
ヒ トが不摂生 して、メタボが毎日持続すると、内皮細胞の 「
回数券」はほとんど消費されて しまい
ます。回数券が無 くなると、血管内皮の損傷は修復されな くな り、血管は手を入れないガタガタ道路
にな ります。脳動脈にこれが起こると、脳梗塞、脳出血が起こります。
みなさん、回数券を無駄使い して、寿命が早 く来ることがないようにして ください。
3骰 饉徊ン玲 晰雛隧ぎ
「 儡懸
二
(tt#+)tt++6{Er}
1
1
炊 いた ご飯 … 8 0 9
オ( …8 0 ∼ 9 0 0
自玉 粉 … 8 0 g
i帆
)
「鳳
霰
1
一
︱
︱
︱
︱
︱
︲
︲
︲
︲
︲
︲
︲
﹁
餡子 (市販 の如で小豆使用)409
きな こ 適量
練乳ずんだ
茶 (枝)豆 200(皮 を除いて)
練 乳 79
一
∪″
7 月 1 0 日 ∼ 1 7 日 の間、聖陵ス トリー ムの職員 3 名 が、宮城県石巻 市 へ 震災復興 / 1 k ラ
ンテ ィアに参
加 しき した。現地では、主 に瓦礫の撤去や住宅 内に溜まつた泥の掻 き出 しなどを行 い、ニュー スで聞
しヽ
てしヽ
る現状よ りし悲惨な場面も多 々あ つた ようです。
私たちが行 つて 来た所 は、宮城県の 「
石巻市
りたい」 という思 しヽ
が、ポランテ イアとしヽ
う形
市街」 「
女川町」の 2 ヶ 所 だ けで したが、それ
で動 くことがで きま した。誰 が何 と言 お うと、
でも地震や 津波の被害 に遭われた範囲からする
本当に行 つて良か つた と、良 しヽ
体験 ・
経験 にな つ
とほんの 一部です。
たと思 しヽ
ます。今まで は、募金 という形で しか
独特 の空気、 トラ ツク に巻 きあ げられた砂埃、
支援 出来 ませんで したが、今 は自分の中に実感
デ コ/ 1 k コ
の道路、魚の腐 つた ようなあの生臭 しヽ
があ ります。 まだまだ復興 には多 くの時間がか
臭いと、汚水 とか汚物の嫌な臭 いを掛 け合わせ
か ります。そ して、まだまだたくさんの 「
人の
たような何ともいえな い臭 さ。誅た、たくさん
手」が必要だと思 いホす 。 こういつた大 きな災
の瓦礫の山や基 礎が剥 き出 しにな つて壊れてい
害であ つても 、時P B 5 が
経 つ につ れて人の記憶や
る家や、傾 しヽ
た家した くさんあ りま した。 一 見
気持ちは薄れてきます。 これからも微力ではあ
何ともなさそうな家でも床下 には大量の泥が 溜
りますが、義援金としヽ
う形での支援を続 けてしヽ
まつていま した。車の残骸が山のように積 まれ
きたいと思 います。聖 陵会でも毎月義援金を集
た所や、 田ん ぼの中に誅だ撤去もされていな い
めてい誅すので、皆 さん にも応援 していただき
車が何台も残 されてしヽ
た所もあ りました。
た しヽ
と思 つてい ます。
/1kラ
ンテ ィア に参加 し、 実 際 に行 くこ とが 出
今回、年齢も違 う、職 業も違 う人たちが、復興
来て、新聞やテ レビで しか見たことがなか つた
支援としヽ
う一 つ の 目的のため に震災/ 1 k ラ
ンテ ィ
光景や、凄 しヽ
、惨 い、憎 しヽ
、津波としヽ
う大 自然
アとしヽ
う形で集 誅つてきま した: そ の中で、 一
の驚異を現実のものと して 目の当た りにしま し
人ひと りが、誰か に言われるわ けでしな く、そ
た。/ 1 k ロ
ボ ロで何しかし無 くな つて しまつた家
れぞれ に自分の出来ることを 出来る範囲でや つ
並みや学校、 本当に何も無 しヽ
、見渡す限 り何も
て、 いろんな意 味で協力 してよ くまとまつたな
、本 当に ・・・何も ・・・。人間の無力さ
無 しヽ
∼ と感 じま した。 こうや つて 、災害 / 1 k ラ
ンテ ィ
を思 しヽ
知 らされ ま した。 しか し、同時に、 この
アヘの手配を してくださった 日本救急援助隊の
国を、 この 町を復興させようという人 間の力強
皆様、関係者の皆様 に深 く感謝 しヽ
た します。 「
復
さや底力みた しヽ
なものも見 てきたように思 いま
興」としヽ
う言葉の意味を 初めて本当に現実 に感
す。
じ、大変貴重な経験 ・体験 をすることが出来た
今回の活動 では、 自分の中の 「
少 しでも力 にな
旅で した。本当 に有難 うこざいま した。
井上
旭
一
り物
今回は、避難所での生活支援/ 1 k ラ
ンテ ィアが
主な 活動 内容で した。避難所 にはク ー ラ ー が無
< 、 扇風機だ けの暑 しヽ
環境の中、家での生活が
できな い方や家族をな くされた方やお年寄 りの
方達が不安な想 いを抱えて毎 日過ごされていま
した。避難所 に居 られる方達 はとても明る く、
前 向 きで、 中 には 「震 災 の こ とを思 い 出す と
涙が出てくる けど、これか ら先のことを考えな
いとね。泣 しヽ
てばか りでも仕方がな い し、吹つ
切 つて 頑張 らな いと / / 」 と笑顔で話 して くだ
さる方もお られ、逆 に私の ほうが泣 きそうにな
りま した。活動最後の 日には、避難所 にいる方
達を集めて折 り紙や工作を楽 しむことが出来ま
した。帰 り際 に│ ま「
別れ じやな いか らね」 「
私
達のことを忘れな いでね 」 と抱 き合 いながら泣
しヽ
て別れを惜 しみき した。1 週 間はあつという
間で、も つと も つと 自分 に出来ることがまだま
私達が行 つてきた主 な作業 は、津波 によ り床
だあるん じゃな しヽ
かと、後ろ髪 を弓│ かれる思 い
上浸水 した家屋の床や壁を壊 し、床下 に溜ホつ
で帰 つて きま した。 これか らも、いろんな/ 1 k ラ
た泥や ヘ ドロを 除去 す る作 業 で した。 そ こで
ンテ ィア活動の機会を持ち、参加 した いと思 つ
も、津波の威力や恐ろ しさを 目の当た りにしま
て しヽ
ます。
した。そんな状況の 中で、私 はその家主 に対 し
武内
智加 子
て、どんな顔 して何を話せ ばいしヽ
のか分か らず
に複雑な気持ちでいま したが、意外 にも家主の
方 は明る く、私達 に対 して親切 に接 してくれま
した。私 は当初、ポランテ ィアに参加する にあ
たつて 「
被災された方たち に微力な/DNら
も何か
したい ・力 にな りたしヽ
ま した。 し
」 と思 つてしヽ
か し、現地の方達 に接 してしヽ
く中で、 しヽ
ろんな
ことを学び、感 じ、逆 にたくさんのモ ノや気持
ちをも らつたように思 いました。避難 所を後 に
する際、 どんな別れの言葉よ り先 に 「
あ りがと
うこざしヽ
誅 した」 という言葉が 自然 に出たのも
そのためなのかと思 います。
今回、このポランテイアを通 して多 くの ことを
経験することが出来ま した。再度 このまうな機
会があれ ば、 また参加 し、少 しでも 自分が出来
ることを積極的 に行つていきた しヽ
と考えていま
す。
松岡
重喜
一
∪″
輻 蛯辣
貪 巫 嬢
懸 趙 晰
参 冨 颯 駅 曹
卜蝙憑褥
量
医療事務とは
患者が支払 うべ き医療費の計算や、
厚生労働省が定める診療報酬‖
を基 に、
健康保険の
請求金額な どを計算 しレセプ ト( 診療報酬 明細書 ) を作成 ・
点検するのが主な仕事の
内容で政
レセプ ト作成 ・
医療機関での入院窓□、
点検の他、
外来受付窓□、
会計窓□などの受付業務や医師や看
ー
護師等の各分野のスタッフの活動を円滑になるようサポ トを行うのが医療事務の仕事で魂
鞣 蝙 鰊 繹 腋 鱚
③計算
[ ] [ ] [ ] ―朝 礼
診 察 が終 わ り降 りて きた
カル テ 順 に コ ン ピユー タ
ー 入 力 、処 方 せ ん 発 行 を
行う
その 日の報告事項、身だ
しなみチエツクを行う
④会計
【
担当分け】
①受付
計 算 が終 わ つた 順 か ら
会計 を行 う
電話応対、窓 口応対、カル
テ 作 り、カリ
レテ 上 │ プ
を行
つ
【レセプ ト】
月初 ∼ 1 0 日間残 業 し、レ
セ プ トに記載 されてしヽ
る
内容のチエツ
病名や診療
クを中心 と して記載内容
に不備がな しヽ
か確認 して
いる
②外来
カルテ処理や計算がスム
ーズ に行 えるよ うカルテ
の移動や 内容チエツク を
行う
【
病棟クラーク】
(聖陵岩里病 院)
わたしたちがSIB14です
入院患者 さんの治療 内
容の P C 入 力、カルテ整理 、
病 床 数 等 の 管 理 等 、看 護
師 と 情 報 を 共 有 し業 務
を行 う
¬F∼ 3Fい ろ加撼所で
見 か│ブ
ると思 いまりので 、
気軽 に声 をかljてください
下は22蔚 ∼ 上は?版 まで、姉妹のようむ仰
間と共 に、情には厳 しく、毎 日明るく業 務を
まり。
行つてしヽ
一
g″
岩 里病 5亮
の事む5何 でも気 軽にお尋 ねくだ
さい☆
Seiry。
花 月 グ ラ ウ ン ドゴ ル フ大 会
4月 9日 (土)中 城グラン ドにて、花月ク リニ ッ
ク患者さん対象の第 10回 花月クリニ ック杯グラウ
ン ドゴルフ大会が開催されました。
総勢 42名 の患者さんに参力
□して頂き、楽 しい―日
を過こす事ができました。
1位 を獲得したのは、森山喜八郎さんと河津輝幸さ
んの 2名 です。ス コアもホ ールインワンの数も同
等で、2人 ともグラウン ドゴルフの達人です。
難隊
菖f i 鴇
r
9■
き観光祭での 際 能囲
は、足元の悪い中、皆様か らお花や温かいこ声援を
いただき, い
よ りおネし
申 し上げます。
雨に打たれま したが、沢山のこ声援のおかげで頑張
ることができま した。
皆様からいただいたお花代の益金は震災被害 を受け
た地域への寄付金とさせて頂きま した。
こ支援、こ協力ありがとうございま した。
:撃 畢蝙旱旱華撃輩雪
:=1鷺
琳孟
バ ス遠 足
6 月 5 日 ( 日 ) 、外来患者さんと病院職員で、長崎
県 佐 世保市 ヘバ ス
旅 行 に行 つて き ま
した。
雨が降る中での
出発 とな りま した
聖涼祭
毎 年 恒 例 とな って い る、聖 涼 祭 が 8月 6日
聖 陵ス トリー ム で開催 され ま した 。
( 土)
今年の テ ー マ は 『
風 神 ・雷神 』 ∼ 相馬 に吹 く風 ∼ 。
風神 ・
雷神 は 『
人 間が 太 刀打ち で きな い 自然の 脅 威 』
とい う意 味で 、理事 長が と りあ げま した 。相馬 に吹
初の目的地であるバ ールシ ー リゾ ー トで遊覧船に乗
したが、夜には雨もあが り、盆踊 り、抽選会は屋外
り、九十九島めぐりをすることが出来ま した。お昼
は、九十九島観光ホテルで豪華な昼食を頂き、皆さ
ん大満足です。昼食後には、佐世保市を一望できる
で行う事ができ、大いに盛 り上が りま した。屋台で
は、福島の郷土料理である天ぶ ら饉頭を販売 したと
ころ即完売。また、福島県から日田市に避難 してい
弓張岳の展望台に登 り、景色を堪能 しま した。帰 り
のバスでは、今回の 観光地が舞台の 『
つ リバカ日誌
16』 を観ながら、実際に行つた観光地の話で盛 り
るこ夫婦も招待することができま した。
お足元の悪い中、多 くの方にお越 し頂きあ りがとう
こざいま した。
なお、バザ ー、屋台の売 り
上げの ― 部を福島県相馬市
上が りま
へ寄付させて頂きます。
巡炒
初の 予定通 り、最
く風は未曾有の災害にあわれ、復興の道を進んでい
るすべ ての方に 『
何か出来ることが したい』という
世界中が馳せ ている想いを風に込めま した。
当日は、あいに くの雨でイベ ン トは屋内で行われま
が、長崎 に着 く頃
には雨 も止み、当
一
[
]
︺
﹀
物
一
:鼈饂綽蟷。
ダルマ は9年 」
軍は 8年 の…」 と言 いか けるや、 「
とヤ ジ を飛 ば した。高橋 の あだ名 の 「
ダルマ 」
と達 磨大 師 の 「
面壁 9年 」 の故事 を もじった 当
― 輪咲いても …
楢 原 義 則
意即妙 は あ ま りに も有名。
■■l l 綺 欝 ■■
日田 の林業 ・木材業界 が華 や か な りし ころ、
芸者遊び もまた盛 んだ った とい う。
隈、豆 田両地 区 に ( 芸者 を取 り
あ る長老 は 「
次 ぐ) 検 番 が あ つた。妾 宅 を構 える旦那衆 も多
夫婦
く、遠 く別府 や 博 多 に通 う人 もいた 」 。 「
若 い夫
げんか が さぞ多 か った ? 」 と問 う と、 「
婦 は と もか く、 『
あれ は もう病 気』 と半 ばあ き
妾
戦後 の総選挙 の立会 演説会 。対立候補 が 「
を 4人 も持 つ 不徳義漢 に 国政 の 資格 はない」 と
事実 は 5人 」 と訂正 した上 で、
非難 。 三 本 は 「
「
今 日で は老来廃 馬だが、捨 て 去 る ご と き不人
情 はで きぬ 。皆、幸 せ だ」 と応 じ、会場 は大爆
笑 。正妻 は別扱 いで 大事 に した。今 な ら 1人 で
も首 が飛 ぶ 。 この逸 話、お か しみが あ る。
一
筆 者 は永 年 「
輪 咲 い て も花 は花
らめ顔 の老 妻 もいた」 な ど と、 い ろん なエ ピソ
一 夜 添 う て も妻
ー ドを聞 かせ て くれた。
は妻 」 は三 木 の 言
暑 い盛 りの居酒屋 。悪友 と中央 の政局 の話 に
な った。 「
最近 の 政治家 は小粒 ぞ ろいで 面 白味
葉 と思 っていたが、
調 べ る と、 添 田 唖
に欠 ける」 と悪友 。小生 も 「
そ うだ よなあ。混
沌 とした 時代 を背景 に した戦後、 ユニー ク な政
蝉 坊 の 明治 末 期 の
「ラ ッパ 節 」 に 出
治家が群 れ をな した。吉 田茂、大野伴 睦、河野
一 郎 … 」 と並 べ る うち、 ひ ょい と長老 の艶話 を
て きた 。 元 々 は 、
花柳 界 に 由来 か ?
思 い 出 し、 「
なかで も艶福 なの は三木」。
三 本武 吉。1 9 5 5 年
、 自由 ・民主両党 の保
三 本武吉
ヤ ジ将 軍 」 「
政 界 の 大 狸」
守合 同 の立 役 者 。 「
の 国会 で 高橋 是
な どの 異 名 が あ る 。1 9 2 0 年
陸軍 は1 0 年、海
清蔵相 が 陸海軍予算 につ いて 「
編 集 後 記
場の装飾や演芸などいろいろな催 しを準備 して います 。
今年も職員 一 丸 とな つてク リスマス会を盛 り上 げてい
日田で は 9 月 に高塚愛宕地蔵尊 の秋 の大祭や 日田放生会、
1 0 月 に は小 鹿 田焼 の民 陶祭や 鯛 生金 山 ま つ り、 1 1 月 に
は天領 ま つ りな どの行事が 目白押 しです ( ^ ― ^ ) 運 動会
きた いと思 いますので是非 ご来場お願い します。
シー ズンでもあ ります し、 しヽ
ろんなイベ ン トにお出か けで
忙 しくな りそうですね ♪
0医 療法人聖陵会
霧言 嚢髪 曇影 書警 菱毒 霞
聖陵会では 1 2 月 にク リスマス会を開催 しています。
毎年ク リスマス会で は職員が考えたテ ーマ に沿 って会
経歴 : 毎 日新聞記者。鹿児 島支局長、経済部長、
編集委員 を経て 2 0 0 0 年4 月 、 日田赴任 。
■ホームページ http://WWW.SeiryOu.o「
.jp/index.html
■E ― m a i l s e yi o「u @ s e i r y o u . o r . j p
救急指定 聖 陵 岩 里 病 院
介護老人楳健施設 聖 陵 ス ト リ ー ム
居宅介護サービスセンター
訪1間
介護サ=ビ スセンター
こ ど も発達 1支援 セ ンター銀 河
一
g″
・聖 陵花 月 ク リニ ック
ア ン コー ル 小 児 病 院 ( カンボ ジア)
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