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国語問題
(27-立) 7 受検番号を解答用紙の決められた欄に記入しなさい。 6 答えを直すときは、 れいに消してから、新しい答えを書きなさい。 。や「などもそれぞ 一字と数えなさい。 5 答えは特別の指示あるものほかは'各間のア・イウ工のうちから'最も適切なのを 4 答えは全て解答用紙に明確 記入し、解答用紙だけを提出しなさい。 3 声を出して読んではいけません。 2 検査時間は五〇分で、終わ-は午前九時五〇分です。 -問題はE]から@まで 、T.<-ジにわたって印刷してあ-ます. それぞ一つず選んで、その記号を書きなさい。また、答えに字数制限がある場合には',や 2 71立 注 意 国 語 かっこわるい。(朝川J利別憩習「 気がしてくる。 そうい ふうに自分を正当化しようとするのは、ものすごください。 ひじにふれた。ひんやりと冷たい。 「もうすぐだね。」 オーブンのタイマーは残-三分を示している。姉のひじが、わたしの うか'もっと大き-根本的な問題が、わたしの前に立ちはだかっている 純に'ひとりばっちの誕生日がさびしいと うだけではない。 んとい ればするほど、なにもか うま-いかないような気分にとらわれる。単 がんばっているのに。 顔がほてる。 はなかった。 それにひきかえ本人は達観したもので'家族のむだな試みに加わる気配 と抹していたありに'言つ・てみればわたしの限相があったのだろう。 いつめながらも、ざまあみろと笑い飛ばせず、好意的な見をこそ ても、そうせずにはいられなかった。は矧引見山引潮河滴り.日野別封劇 祝うほどのものでもない。 毎年必ずめぐって-るのだから'子どもの頃ならともかく、大騒ぎして ケーキを準備する必要もないかもしれない。たかが誕生日に過ぎない。 たっぷ-のせて'まるごとたいらげるのはどうだろう。いや'わざ 考える。ふっ-らしたスポンジケーキを焼いて' ちごと生クリームを つら と思いめぐらせつ も'立ちあがれない。オーブンの熱気で たいしたことじゃない。-よ しな-てい 。自分を励まそうとす ネットを駆使して、世間の反応を確かめた。意味はないとわかってはい 同じように床へうずぐまる。 二作目の発売後'両親はこっそり専門誌を買い集め、わたしはインター らしている。 姉には'泣きたくなるときなんてないのだろう。 「いいにおい。」 かわりに汗が一粒、あごを伝って床にこぼれた。 振-向と'姉がキッチンをのぞいて た。わ しの横に寄ってき ' わたしはキッチンにとって返し、オーブンの前にしゃがんで中をのぞ か- それよりもまず、大切なものって一体なんだっけ- 鼻の奥がつんと痛む。いっそ泣いてしまいた のに'涙は出てこない。 ロ いた。ガラス窓の向こうで、オレンジ色の光がクッキーをじり と照 この際、バースデ ケーキも手作-して まおうか。やけくそ気味で' 器用に立ち回っても'大切なものは結局なにも手入らないんだろう の評価をめぐって友人と仲たがいをして'いら していた。 香ばしいバターのにおいがリビングのほうまで漂ってくる。 ねようとしたころで'しょせんは自己満足なんだろうか- そつなく 拭った。 ふいに'泣きた-なって-る。姉にできないことをこつ と積み重 詩集はい評価を受けなかった。高校生の 「わたし」はその 「姉」の詩集 きりなしについた-消え している。わたしは汗ばんだ額を手の甲で 「姉」は十七歳で詩の賞を受賞し'第一詩集は高く評価されたがへ第二 字も書けていないのだから。 ぐおん、とオーブンがうなった。温度を調節するためなのか'炎がひっ ㈱ 森林を濫伐してはならない。 ㈲ 辛殊な批評を受ける。 ㈱ 戴冠式に出席する。 には、本文のあとに 〔注〕 がある。) 川 式が厳かに挙行された。 価 歴史を遡って考える。 次の各文の - を付けた漢字の読みがなを書け。 次の文章を読んで、あとの各間に答えよ。(*印の付いて る言葉 いひがみっぼくなってしまうのはどうしてだろう。 姉の詩 評判がよ-ても悪-ても関係ない。わたしなんて、ただのT文 ㈱ 湖畔のホテルにトウシユクする。 十七歳で、姉は詩人になった。片や'わたしはなに もなれていな 。 ㈲ 刑可引引犬を飼う。 ㈱ 子供には引錠が飲みやすい。 ㈱ 立てフダを読む。 ㈲ 機嫌をTF7Tねる。 け。 次の各文の - を付けたか なの部分に当たる漢字を槽書で 一立-2- 一立-1- かっこわるい。(朝川J利別憩習「 気がしてくる。 そうい ふうに自分を正当化しようとするのは、ものすごください。 ひじにふれた。ひんやりと冷たい。 「もうすぐだね。」 オーブンのタイマーは残-三分を示している。姉のひじが、わたしの うか'もっと大き-根本的な問題が、わたしの前に立ちはだかっている 純に'ひとりばっちの誕生日がさびしいと うだけではない。 んとい ればするほど、なにもか うま-いかないような気分にとらわれる。単 がんばっているのに。 顔がほてる。 はなかった。 それにひきかえ本人は達観したもので'家族のむだな試みに加わる気配 と抹していたありに'言つ・てみればわたしの限相があったのだろう。 いつめながらも、ざまあみろと笑い飛ばせず、好意的な見をこそ ても、そうせずにはいられなかった。は矧引見山引潮河滴り.日野別封劇 祝うほどのものでもない。 毎年必ずめぐって-るのだから'子どもの頃ならともかく、大騒ぎして ケーキを準備する必要もないかもしれない。たかが誕生日に過ぎない。 たっぷ-のせて'まるごとたいらげるのはどうだろう。いや'わざ 考える。ふっ-らしたスポンジケーキを焼いて' ちごと生クリームを つら と思いめぐらせつ も'立ちあがれない。オーブンの熱気で たいしたことじゃない。-よ しな-てい 。自分を励まそうとす ネットを駆使して、世間の反応を確かめた。意味はないとわかってはい 同じように床へうずぐまる。 二作目の発売後'両親はこっそり専門誌を買い集め、わたしはインター らしている。 姉には'泣きたくなるときなんてないのだろう。 「いいにおい。」 かわりに汗が一粒、あごを伝って床にこぼれた。 振-向と'姉がキッチンをのぞいて た。わ しの横に寄ってき ' わたしはキッチンにとって返し、オーブンの前にしゃがんで中をのぞ か- それよりもまず、大切なものって一体なんだっけ- 鼻の奥がつんと痛む。いっそ泣いてしまいた のに'涙は出てこない。 ロ いた。ガラス窓の向こうで、オレンジ色の光がクッキーをじり と照 この際、バースデ ケーキも手作-して まおうか。やけくそ気味で' 器用に立ち回っても'大切なものは結局なにも手入らないんだろう の評価をめぐって友人と仲たがいをして'いら していた。 香ばしいバターのにおいがリビングのほうまで漂ってくる。 ねようとしたころで'しょせんは自己満足なんだろうか- そつなく 拭った。 ふいに'泣きた-なって-る。姉にできないことをこつ と積み重 詩集はい評価を受けなかった。高校生の 「わたし」はその 「姉」の詩集 きりなしについた-消え している。わたしは汗ばんだ額を手の甲で 「姉」は十七歳で詩の賞を受賞し'第一詩集は高く評価されたがへ第二 字も書けていないのだから。 ぐおん、とオーブンがうなった。温度を調節するためなのか'炎がひっ ㈱ 森林を濫伐してはならない。 ㈲ 辛殊な批評を受ける。 ㈱ 戴冠式に出席する。 には、本文のあとに 〔注〕 がある。) 川 式が厳かに挙行された。 価 歴史を遡って考える。 次の各文の - を付けた漢字の読みがなを書け。 次の文章を読んで、あとの各間に答えよ。(*印の付いて る言葉 いひがみっぼくなってしまうのはどうしてだろう。 姉の詩 評判がよ-ても悪-ても関係ない。わたしなんて、ただのT文 ㈱ 湖畔のホテルにトウシユクする。 十七歳で、姉は詩人になった。片や'わたしはなに もなれていな 。 ㈲ 刑可引引犬を飼う。 ㈱ 子供には引錠が飲みやすい。 ㈱ 立てフダを読む。 ㈲ 機嫌をTF7Tねる。 け。 次の各文の - を付けたか なの部分に当たる漢字を槽書で 一立-2- 一立-1- たにはわからないかもしれないけれど'生き残-たいと思うなら自力で 目標に向けて'身を削って真剣に書いてる。大切に守られてきたあな からってへこたれるなんて甘い'と。みんな決死の覚悟で‥それぞ の んですけど、行き過ぎたことをして まって'反省しています。 彼女は姉に、ちょっとしたお説教をしたらしかった。多少た かれた を追いつめてしまったのかもしれません。はっばをかけるつもりだった みがえった。 番だった。唐突に'さっき思い出していた編集者との電話 '続きがよ 「いら してたほうが、よ-書けるってこともあるらしいよ。」 もうふだんの穏やかな声に戻っている。今度はわたしがぽかんとする 申し訳あ-ません。彼女は深刻な声で謝っていた。わ しがお姉さん LT.- I-1 を開いた。 いな感傷はない。退屈も、憂密も。 「ねえ、書きなよ。いっぱ さらにたみかけた。ぽかんとして聞い た姉が、真顔になって口 もそうしてくれたように。 気がした。散歩中にな かおもしろそうなものに出くわしたとき、いつ 姉の声だった。文字を迫っていると'耳もとでさ やきかけられている わたしが読む限-では、二冊の詩集どちらにのっている詩も'等しく し'正直に言って'姉の詩がどう優れているのかも説明できない。ただ' 「元気が出て-るような、おいしいやつ。」 ない気がして、クッキー差し入れるよ、とつけ加える。 わたしには専門的なことはよ-わからない。姉をかばうつもり ない 姉はたぶん、目に映ったものを無心に綴っているだけ 。そこによけ 「いっぱい書きなよ。」 「おいしい、おいしい。」 なにかせきたてられるように、わたしは言った。それだけでは足- 弱々しい口ぶ-にぎょっとした。姉らしくもない。 深-考えてひと-暮らしをはじめたとも思えない。でも、自分と自分の がんばるしかない。詩でも'なんでも。 るハートや星をほおばっている。 わりに横幅の広い口をさらに大き-開 、まだかす に湯気を立て い 音が'キッチンに響き渡った。 に思い出したの。ずうっと昔のことなのに'はっき-覚えてる。」 ー姉が目を細め3てしめく-つた。クッキーの焼きあが-を知らせる電子 こんがりと焦げめのついたクッキーを'姉はも-ちと食べた。顔の 「よく晴れて '暑くて'だけど空が青-て気持ちよかった。今朝'急 「でも'今日みたいな日だったんだよ。」 と続けた。 だって'すごくうれしかったから。 「わかってるよ。もうすぐだね、つて言ったでしょ。」 「しかも今日じゃないし。来週だよ。」 ものじゃない、とついさっきまで心の中で唱えていたにもか わらず。 「蚊のせいで妹の誕生日を忘れるって、どうなのよ。」 「それを言いに、来たんだった。蚊にさ れて忘れてた。ごめん。」 わたしはつぶやいた。声がかすれていた。 かが誕生日、祝うほどの 姉は弁解Lt 「お誕生日。」 「おめでとう。」 「え-」 困ったように首をかしげ'姉は続ける。 健気に一秒ずつ小さ-なってい-。 けなげ 「うん。」 わたしは下を向き'まばたきして息をと のえた。デジタルの数字が 姉がいきな-言った。 い食べて'力つけて'どんどん書きまくりなよ。」 つづ * 〔注〕編集者との電話 「え-」 案の定'姉は狼狽した様子で日を泳がせた。 「そういえば、プレゼントは- お祝いに来てくれたんでしょ-」 そらした。 なことを口にしてまったのが急に気恥ずかし-なって、わたしは話を があったほうが、見えてくることもあるのかな-」 「そうなの- よ-わかんない。」 姉はあっけな-受け流し'クッキーをかじっている。なんだか抽象的 彼女に聞きそびれたことを、わたしは姉に言ってみる。 「現状に満足できない-ら がちょうどい ってこと- 足ないもの 詩を慕う編集者の声が'まった-届かな ったはずもないだろう。 姉はひとの話を聞かない。常に本能を頼りに動く。だから'そこまで 「あんま-'かなあ。」 「ええと。」 姉の声が小さ-なった。 「詩、書いてる- 最近。」 姉が差し出した牛乳をひと口もらって'言い直す。 「違うよ。」 ふきだした拍子にクッキーの粉がのどにつかえ'わたしは軽-むせた。 た。赤みはだいぶひいている。 「掻いてない。」 姉はもぐ と口を動かしつ '手の甲を顔の前にかざして胸を張っ 「書いてる-」 ・刀 わたしは姉に聞いてみた。 それとも他のなにかに'なれるのだろうか。 てくるよ。」 わたしも'いつか、なにか なれるだろうか。詩人か、お菓子職人か、 ろうばい てた。 だと勘違いして、早-詩を書くように言い立 -編集者は、電話に出た「わたし」を「姉」 (瀧羽麻子「ぼりば-」による) 一立-4- 一立-3- 「そうかな、 れると思うけどな。このクッキー'おいし-て元気が出 の場でひらめいた思いつきに過ぎないと承知もしている。 とだ。 それでも心のどこかで、本当になれるように思えて-るのは奇妙なこ りもしない。特にお菓子屋さんにな-たいわけではないし'たま こ い。中学生の頃 ように'適当なことを言わないでよと食ってか った 「なれないって。」 わたしはもう'小学生の頃 ように、姉のほめ言葉をうのみにはしな れる'と独断で言い切る。 「ねえ'お菓子屋さんになれば- なれるよ、これは。」 姉の得意技だ。おだてるでもな-'喜ばせようというのでもな-' 上機嫌で言う。 たにはわからないかもしれないけれど'生き残-たいと思うなら自力で 目標に向けて'身を削って真剣に書いてる。大切に守られてきたあな からってへこたれるなんて甘い'と。みんな決死の覚悟で‥それぞ の んですけど、行き過ぎたことをして まって'反省しています。 彼女は姉に、ちょっとしたお説教をしたらしかった。多少た かれた を追いつめてしまったのかもしれません。はっばをかけるつもりだった みがえった。 番だった。唐突に'さっき思い出していた編集者との電話 '続きがよ 「いら してたほうが、よ-書けるってこともあるらしいよ。」 もうふだんの穏やかな声に戻っている。今度はわたしがぽかんとする 申し訳あ-ません。彼女は深刻な声で謝っていた。わ しがお姉さん LT.- I-1 を開いた。 いな感傷はない。退屈も、憂密も。 「ねえ、書きなよ。いっぱ さらにたみかけた。ぽかんとして聞い た姉が、真顔になって口 もそうしてくれたように。 気がした。散歩中にな かおもしろそうなものに出くわしたとき、いつ 姉の声だった。文字を迫っていると'耳もとでさ やきかけられている わたしが読む限-では、二冊の詩集どちらにのっている詩も'等しく し'正直に言って'姉の詩がどう優れているのかも説明できない。ただ' 「元気が出て-るような、おいしいやつ。」 ない気がして、クッキー差し入れるよ、とつけ加える。 わたしには専門的なことはよ-わからない。姉をかばうつもり ない 姉はたぶん、目に映ったものを無心に綴っているだけ 。そこによけ 「いっぱい書きなよ。」 「おいしい、おいしい。」 なにかせきたてられるように、わたしは言った。それだけでは足- 弱々しい口ぶ-にぎょっとした。姉らしくもない。 深-考えてひと-暮らしをはじめたとも思えない。でも、自分と自分の がんばるしかない。詩でも'なんでも。 るハートや星をほおばっている。 わりに横幅の広い口をさらに大き-開 、まだかす に湯気を立て い 音が'キッチンに響き渡った。 に思い出したの。ずうっと昔のことなのに'はっき-覚えてる。」 ー姉が目を細め3てしめく-つた。クッキーの焼きあが-を知らせる電子 こんがりと焦げめのついたクッキーを'姉はも-ちと食べた。顔の 「よく晴れて '暑くて'だけど空が青-て気持ちよかった。今朝'急 「でも'今日みたいな日だったんだよ。」 と続けた。 だって'すごくうれしかったから。 「わかってるよ。もうすぐだね、つて言ったでしょ。」 「しかも今日じゃないし。来週だよ。」 ものじゃない、とついさっきまで心の中で唱えていたにもか わらず。 「蚊のせいで妹の誕生日を忘れるって、どうなのよ。」 「それを言いに、来たんだった。蚊にさ れて忘れてた。ごめん。」 わたしはつぶやいた。声がかすれていた。 かが誕生日、祝うほどの 姉は弁解Lt 「お誕生日。」 「おめでとう。」 「え-」 困ったように首をかしげ'姉は続ける。 健気に一秒ずつ小さ-なってい-。 けなげ 「うん。」 わたしは下を向き'まばたきして息をと のえた。デジタルの数字が 姉がいきな-言った。 い食べて'力つけて'どんどん書きまくりなよ。」 つづ * 〔注〕編集者との電話 「え-」 案の定'姉は狼狽した様子で日を泳がせた。 「そういえば、プレゼントは- お祝いに来てくれたんでしょ-」 そらした。 なことを口にしてまったのが急に気恥ずかし-なって、わたしは話を があったほうが、見えてくることもあるのかな-」 「そうなの- よ-わかんない。」 姉はあっけな-受け流し'クッキーをかじっている。なんだか抽象的 彼女に聞きそびれたことを、わたしは姉に言ってみる。 「現状に満足できない-ら がちょうどい ってこと- 足ないもの 詩を慕う編集者の声が'まった-届かな ったはずもないだろう。 姉はひとの話を聞かない。常に本能を頼りに動く。だから'そこまで 「あんま-'かなあ。」 「ええと。」 姉の声が小さ-なった。 「詩、書いてる- 最近。」 姉が差し出した牛乳をひと口もらって'言い直す。 「違うよ。」 ふきだした拍子にクッキーの粉がのどにつかえ'わたしは軽-むせた。 た。赤みはだいぶひいている。 「掻いてない。」 姉はもぐ と口を動かしつ '手の甲を顔の前にかざして胸を張っ 「書いてる-」 ・刀 わたしは姉に聞いてみた。 それとも他のなにかに'なれるのだろうか。 てくるよ。」 わたしも'いつか、なにか なれるだろうか。詩人か、お菓子職人か、 ろうばい てた。 だと勘違いして、早-詩を書くように言い立 -編集者は、電話に出た「わたし」を「姉」 (瀧羽麻子「ぼりば-」による) 一立-4- 一立-3- 「そうかな、 れると思うけどな。このクッキー'おいし-て元気が出 の場でひらめいた思いつきに過ぎないと承知もしている。 とだ。 それでも心のどこかで、本当になれるように思えて-るのは奇妙なこ りもしない。特にお菓子屋さんにな-たいわけではないし'たま こ い。中学生の頃 ように'適当なことを言わないでよと食ってか った 「なれないって。」 わたしはもう'小学生の頃 ように、姉のほめ言葉をうのみにはしな れる'と独断で言い切る。 「ねえ'お菓子屋さんになれば- なれるよ、これは。」 姉の得意技だ。おだてるでもな-'喜ばせようというのでもな-' 上機嫌で言う。 エ 姉の詩は紛れもな-姉の心 言葉だと思い'姉が行き詰まっている様 り 姉が詩を書けないのが自分せいのような気分にり、がんばらせる ためにお菓子を作ろうと決意する心情。 子を見て応援せずにはいられない心情。 ある詩作へと姉を導きたいと願う心情。 〔間4〕ーさらにた みかけた。とあるが ア 姉の詩 どこが優れているのかは分 らないけれども'そのよさを見 イ 姉が詩を書けずに弱々しい口調になっているのに同情し、生きがいで エ 誕生日は重要な意義を持つものな に、それよ-考えるべき大 -梶 「わたし」 には思えること。 きわめて姉を励ましたいと考える心情。 本的な問題があるのだと自分を意識しすぎることがかえって不幸だと 「わたし」 には思えること。 したいと考えるのが自分を意識しすぎることに直接つながっていると 「わたし」 には思えること。 ばっているのだと考えることが自分で を意識しすぎているのだと 〔閏-〕(それこそ自意識過剰だと頭では理解しているのに、ついひがみっ ア 姉が詩人として世間で広-認められているのを羨まし-感じるため イ 姉のようには世間の評価を受けていな けれども、悩みながらもがん り 姉が詩人として成功しているのに対して'自分も菓子作-の道で成功 「わたし」 には思えること。 に、自分も姉のように有名なるということを意識しすぎているのだと 過剰」 の説明として最も適切なものは、次のうちではどれか0 して最も適切なものは'次のうちではどれか。 ぼくなってしまうのはどうしてだろう。とあるが'こ での「自意識 -■l 4._1一_. _ このときの「わたし」 の心情と 工 豊かな感性を持ち'独善的になら いように他の人々 批評を受け入 傾けている。 れながらも、自分の理想とするもの全てを詩に注ぎ込もうと情熱を り 自分のことばか-にあくせと苦労するような平凡人間ではなく、 書いている。 超然としてい 自分の思いに素直に従って行動し'無心になって詩を 作っている。 気にかけて、自分を取-巻全てのも に深い愛情を注ぎながら詩を 努めている。 工 姉のことを嫌いだと考え、姉などいなければい と思いながらも、 ついつい自分よ-姉の幸せの方を考えてしまうこと。 受け入れることもせず、かた-なに世間と隔た-を保ちながら詩作に 切なものは'次のうちではどれか。 一立-6- 〔間3〕(姉が目を細めてしめ-つた。とあるが、なぜ「姉」は「目を細め」 〔間5〕 「わたし」から見た「姉」 の様子について述べたものとして最も適 ア 自分の決めたことにだわることなく、そうかといって他人の意見を イ 頑固で融通がきかないが'温かい思や-を持って周囲のことを常に たのか。その理由を五十字以内で書け。 つい 姉に対する愛情が行動に表れてしまうこと。 〔間2〕ー姉さえいなければ'と皆々と思いつめながらも'ざまあみろと ア 姉のことを考えて、その詩 才能に注目していこうとしながらも' イ 姉のことを好きだと思い、その気持ちを隠そうと努力しながらも、 り 姉のことをうとましいと思い、自分には関係ないと思いながらも、 ついつい姉のことを無視できずに考えてしまうこと。 ついつい自分の将来のことばか-考えてしまうこと。 界」 の説明として最も適切なものは、次のうちではどれか。 a 一立-5- てみればわたしの限界があったのだろう。とあるが、「わたしの限 笑い飛ばせず、好意的な意見をこそ と探していたあ りに、言っ 2■_ エ 姉の詩は紛れもな-姉の心 言葉だと思い'姉が行き詰まっている様 り 姉が詩を書けないのが自分せいのような気分にり、がんばらせる ためにお菓子を作ろうと決意する心情。 子を見て応援せずにはいられない心情。 ある詩作へと姉を導きたいと願う心情。 〔間4〕ーさらにた みかけた。とあるが ア 姉の詩 どこが優れているのかは分 らないけれども'そのよさを見 イ 姉が詩を書けずに弱々しい口調になっているのに同情し、生きがいで エ 誕生日は重要な意義を持つものな に、それよ-考えるべき大 -梶 「わたし」 には思えること。 きわめて姉を励ましたいと考える心情。 本的な問題があるのだと自分を意識しすぎることがかえって不幸だと 「わたし」 には思えること。 したいと考えるのが自分を意識しすぎることに直接つながっていると 「わたし」 には思えること。 ばっているのだと考えることが自分で を意識しすぎているのだと 〔閏-〕(それこそ自意識過剰だと頭では理解しているのに、ついひがみっ ア 姉が詩人として世間で広-認められているのを羨まし-感じるため イ 姉のようには世間の評価を受けていな けれども、悩みながらもがん り 姉が詩人として成功しているのに対して'自分も菓子作-の道で成功 「わたし」 には思えること。 に、自分も姉のように有名なるということを意識しすぎているのだと 過剰」 の説明として最も適切なものは、次のうちではどれか0 して最も適切なものは'次のうちではどれか。 ぼくなってしまうのはどうしてだろう。とあるが'こ での「自意識 -■l 4._1一_. _ このときの「わたし」 の心情と 工 豊かな感性を持ち'独善的になら いように他の人々 批評を受け入 傾けている。 れながらも、自分の理想とするもの全てを詩に注ぎ込もうと情熱を り 自分のことばか-にあくせと苦労するような平凡人間ではなく、 書いている。 超然としてい 自分の思いに素直に従って行動し'無心になって詩を 作っている。 気にかけて、自分を取-巻全てのも に深い愛情を注ぎながら詩を 努めている。 工 姉のことを嫌いだと考え、姉などいなければい と思いながらも、 ついつい自分よ-姉の幸せの方を考えてしまうこと。 受け入れることもせず、かた-なに世間と隔た-を保ちながら詩作に 切なものは'次のうちではどれか。 一立-6- 〔間3〕(姉が目を細めてしめ-つた。とあるが、なぜ「姉」は「目を細め」 〔間5〕 「わたし」から見た「姉」 の様子について述べたものとして最も適 ア 自分の決めたことにだわることなく、そうかといって他人の意見を イ 頑固で融通がきかないが'温かい思や-を持って周囲のことを常に たのか。その理由を五十字以内で書け。 つい 姉に対する愛情が行動に表れてしまうこと。 〔間2〕ー姉さえいなければ'と皆々と思いつめながらも'ざまあみろと ア 姉のことを考えて、その詩 才能に注目していこうとしながらも' イ 姉のことを好きだと思い、その気持ちを隠そうと努力しながらも、 り 姉のことをうとましいと思い、自分には関係ないと思いながらも、 ついつい姉のことを無視できずに考えてしまうこと。 ついつい自分の将来のことばか-考えてしまうこと。 界」 の説明として最も適切なものは、次のうちではどれか。 a 一立-5- てみればわたしの限界があったのだろう。とあるが、「わたしの限 笑い飛ばせず、好意的な意見をこそ と探していたあ りに、言っ 2■_ だ正しい見方であるとして'略画的見方、より平たく言うなら日常的な ると多-の人が考えていることも事実です。 化によるすべてのも 死物化であ-'もう一つは、密画化のみが進ん れるのは当然であ-'これを否定しても意味がありません。(日羽uJl 密画的世界のみを追い求める現代の科学技術社会はどう見ても問題があ る社会になっています。人間に知的探究心がある限り'密画化が求めら 日本にもそれは入り、今では密画的な見方こそ進歩を支える源だと信じ いうのが大森の考え方です。 ました。この流れは、科学という形で主として西欧で始まり したが' ます。基本的に科学は密画を措-ものであ'世界を密画化していくと な限り最小の単位まで還元し、分析的にものを見ていく見方を指してい かい描写で精密に対象を措いた絵」とされていますが、こ では、可能 描き方を、大森は「密画的」と呼んでいます。「密画」は、辞書では「細 近代以降、人間の世界観は略画的世界から密画的世界へと変化してき 私は'問題は二つあると考えています。一つは、大森が指摘する密画 るということでしょう。 時には葉の裏に卵を産む様子を観察するという場合は、略画を措いて と呼びます。たとえば、チョウが花からへと飛びまわる姿を楽しみ、 う形で外界と接している時に私たちが描く世界像を'大森は「略画的」 それに対して、近代科学が生まれたことによ-可能になった世界像の E]次の文章は、哲学者の嘉覇郡の著書をもとに,近代の世界観 画的」な見方と「密画的」な見方です。 日常、自分の眼で物を見、耳で音を聞き'手で触れ、舌で味わうとい 人間が自然をどう見るか'大森の考え方のキーワ ドがあ-ます。「略 (*印の付いて る言葉には、本文のあとに〔注〕がある。) について述べたものである。これを読んで'あとの各間に答えよ0 め E]は次のページから始ま-ます。 べきだとしてきました。 の感覚的性質を主観の例に分けました。そして科学は「客観」を追究す 科学の思想を明確に示したデカルトは'形や運動を客観に、色や音など であって'これこそ科学であるとされるのです。 ず、近代以降の科学は、明らかに二元論に拠って立ってきました。近代 匂いや手触りなどは主観的なものであ-'細密描写の対象ではない」 の の時間的変動、つま-幾何学と運動学で語られるものである。色や音 います。つまり'「細密描写は世界の客観的描写であり、形と位置 そ です。そしてこ での科学は、ガリレイとデカルトの考え方に縛られて が科学化という言葉で正当化されることによって、急速に進んでいくの こで語られているのは、明確な主客二元論です。ガリレイのみなら そして大森は、これ そが「死物化」だと言っているのです。幾何学 小さかった-する世界が細密化、科学化には向いて るのです。 のできない世界、日常のスケールから見るとてつもなく大きかったり 細密化においては、日常の感覚とは別の次元で分析が進められ、そ を密画化しました。 う小さな世界であるというこに注目したいと思ます。直接触ること リスの生理学者W・ハ-ベイが、それまで教科書とされてきた人体地図 どと次々に新しい密画を描いて きます。同じ頃人体についても、イギ イが望遠鏡を用いて、月面観測、太陽の黒点発見'新星の距離測定な の軌道が不等速の楕円であることを示しま た.しかもこの楕円運動は' 面積速度一定という規則性を持つことまで示したのです。その後ガリレ 十七世紀の初め、ドイツの天文学者ケプラーが、観測データを基に火星 こ で、まず細密化が進んだのが遠い天体であ-'次いで体の中とい 見方を否定することです。 年以上にわたって'惑星は円運動をしているとされていたのですが、 密画化の始ま-は、まず天文学に見られます。天文学の発祥以来二千 だえん * よ * * 一立-8- 一 立-7- だ正しい見方であるとして'略画的見方、より平たく言うなら日常的な ると多-の人が考えていることも事実です。 化によるすべてのも 死物化であ-'もう一つは、密画化のみが進ん れるのは当然であ-'これを否定しても意味がありません。(日羽uJl 密画的世界のみを追い求める現代の科学技術社会はどう見ても問題があ る社会になっています。人間に知的探究心がある限り'密画化が求めら 日本にもそれは入り、今では密画的な見方こそ進歩を支える源だと信じ いうのが大森の考え方です。 ました。この流れは、科学という形で主として西欧で始まり したが' ます。基本的に科学は密画を措-ものであ'世界を密画化していくと な限り最小の単位まで還元し、分析的にものを見ていく見方を指してい かい描写で精密に対象を措いた絵」とされていますが、こ では、可能 描き方を、大森は「密画的」と呼んでいます。「密画」は、辞書では「細 近代以降、人間の世界観は略画的世界から密画的世界へと変化してき 私は'問題は二つあると考えています。一つは、大森が指摘する密画 るということでしょう。 時には葉の裏に卵を産む様子を観察するという場合は、略画を措いて と呼びます。たとえば、チョウが花からへと飛びまわる姿を楽しみ、 う形で外界と接している時に私たちが描く世界像を'大森は「略画的」 それに対して、近代科学が生まれたことによ-可能になった世界像の E]次の文章は、哲学者の嘉覇郡の著書をもとに,近代の世界観 画的」な見方と「密画的」な見方です。 日常、自分の眼で物を見、耳で音を聞き'手で触れ、舌で味わうとい 人間が自然をどう見るか'大森の考え方のキーワ ドがあ-ます。「略 (*印の付いて る言葉には、本文のあとに〔注〕がある。) について述べたものである。これを読んで'あとの各間に答えよ0 め E]は次のページから始ま-ます。 べきだとしてきました。 の感覚的性質を主観の例に分けました。そして科学は「客観」を追究す 科学の思想を明確に示したデカルトは'形や運動を客観に、色や音など であって'これこそ科学であるとされるのです。 ず、近代以降の科学は、明らかに二元論に拠って立ってきました。近代 匂いや手触りなどは主観的なものであ-'細密描写の対象ではない」 の の時間的変動、つま-幾何学と運動学で語られるものである。色や音 います。つまり'「細密描写は世界の客観的描写であり、形と位置 そ です。そしてこ での科学は、ガリレイとデカルトの考え方に縛られて が科学化という言葉で正当化されることによって、急速に進んでいくの こで語られているのは、明確な主客二元論です。ガリレイのみなら そして大森は、これ そが「死物化」だと言っているのです。幾何学 小さかった-する世界が細密化、科学化には向いて るのです。 のできない世界、日常のスケールから見るとてつもなく大きかったり 細密化においては、日常の感覚とは別の次元で分析が進められ、そ を密画化しました。 う小さな世界であるというこに注目したいと思ます。直接触ること リスの生理学者W・ハ-ベイが、それまで教科書とされてきた人体地図 どと次々に新しい密画を描いて きます。同じ頃人体についても、イギ イが望遠鏡を用いて、月面観測、太陽の黒点発見'新星の距離測定な の軌道が不等速の楕円であることを示しま た.しかもこの楕円運動は' 面積速度一定という規則性を持つことまで示したのです。その後ガリレ 十七世紀の初め、ドイツの天文学者ケプラーが、観測データを基に火星 こ で、まず細密化が進んだのが遠い天体であ-'次いで体の中とい 見方を否定することです。 年以上にわたって'惑星は円運動をしているとされていたのですが、 密画化の始ま-は、まず天文学に見られます。天文学の発祥以来二千 だえん * よ * * 一立-8- 一 立-7- 方を科学と引き離さないことが大切だと思っています。 解のしかたはあると指摘します。非科学的という一言でこのような考え や未開の人々のも として まうのは誤りで'私たちにもこのような哩 私に擬して理解していたのでしょう。(大森はこのような理解を'太古 ります。 は'人間だけではあ-ません。飼っている犬や猫の気持ちはわか-ます Lt 大事に育てた花はいっしょうけんめい咲ているなと思い愛し-な 恐ら-略画的世界そのも を生きていた太古の人は'自然のすべてを ことを思い出し'それと同じように痛いのだろうと想像し'痛みを共有 してそれを癒す努力をします。 んと言って知らん顔している人はいな でしょう。自分が痛かった時の ことだからです。 ません。ど なに近しい人の心だって、本当にはわか-ません。けれど も'友人がお腹が痛いと言っている時、私はあなたの痛みはわか-ませ ただしこれは自分の心に限るのであって、他人の心はまった-わかり 大森はこれを「私に擬した理解」と言います。この理解ができる対象 化を生んだ現代的な思想の中で自分の心を考えるという矛盾から離れる に生きている」ということをそのま 受けとめる姿勢だからです。死初 こむのではないでしょうか。 のことが' ても重要なのだと改めて思います。とにか-「自分がこ ることを大切にしません。そのために、心は最もわからないものと思い 答えるのがよいと う風潮があ-ますので、答えのない問 を問い続け のですが'科学はすべてに答えがあるとするものです。しかも最近は、 同じです。恐ら-この基本的問いには答えがないのではないかとも思う らないと思こみます。人間とはなにか'生命とはなにかという問ち のを見る癖がついて ると、客観的な形でその答えが出てこないとわか たらきを調べるという生命科学の方法で見ているチョウは'花の蜜を求 めて飛んでいる可愛いチョウと同じものであるというあたりまえのこと に聞こえそうですが'そうではありません。(DNAやタンパク質のは ないとする必要があります。 常と科学とを対立させるのでなく、一体化させる方法はないだろうか。 き」 です。なんだかとても新しいこと、難しいことを提案しているよう この問いに対して、大森がみごとな提案をしているのです。「重ね描 大森が'「自分の心はすっき-見える」とサラリと書いて ることそ ないことは明らかなのですから'科学だけで世界を理解することはでき 二つを縦に並べて優劣をつけることです。 たような二元論に基づ-「科学」では'痛みや美しきの感じなどが語れ 科学も日常も捨てないとしたらどうするか。自然に素直に向き合う日 -'日常的感覚での世界理解は遅れていると受け取ることです。この ではな-'気をつけな ればなら いのは'科学による理解が優れてお たりかねないものです。 残念ながらそれは'科学は全面的に否定すべきだという極端な結論にい しか'科学が明らかにする事実を否定する必要はあ-ません。そう 科学が明らかにしてきた知は放棄しない。しか 同時に'大森の示し いるということはわかります。やはりこれはおかしい。 が進んだ見方だと多-の人が思うよ にな-、この世界観に立脚した近 代科学・科学技術が、世界中を席巻しました。 -とも私は生きていることは明らかで'それを死物化するのは間違って 十七世紀に始まった科学の世界観は機械論的であ-'しかもそれこそ 今、こうした科学や科学技術のあ-方に疑問が出されてはいますが、 2 こ では人間も死物化されることにな-ます。難しいことはわからな 戊 的な形と運動変化だけで世界を捉えようというのですからまさに死物で いや なか かわい (中村桂子「科学者が人間であること」による) せっけん * .i. 3 いと います。 〔注〕 ガリレイー 画化」に依拠しすぎた現代社会の最も大きな問題の一つではないかと 明ではないと思う人が多-なっているようにも見えます。これ そ「密 の心であり、心の動きだというのです。近年自分の心が自分に対して逮 いようでありながら最もすっきりと理解できるものがある、それは自分 では細部が見えない'不透明で見えないのが普通だが、(一見 えな 大事なのです。 ところで、大森はこ で興味深いことを教えて-れます。略画的世界 私って何だろうという問いは誰もが持ちます。ところが科学の眼でち 機械論 という考え。 主客二元論 デカルトー -ものごとを主観と客 いう二つの原理をもっ フランスの哲学者。近世哲学の祖。 うことです。蜜画を措こうとする時に、略画的世界観を忘れないことが れてきます。科学はこの日常の問いを解こうとして始まるのです。 なわけでも、密画さえ描ければ自然の真 姿が措けるわ でもないと の一部が変化して赤い花になるのはどうしてだろうと、次々問いが生ま 重要なことは、「科学的」だからといって、密画のほうが略画よ-「上」 のだというのです。 ると、あの黒い粒のような種子の中に何があったのだろう、緑の葉 中 識の世界であ-、科学は常識に密着して展開する「よ-精しいお話」な 同じものと見ればよいではないかと提案します。略画的世界は日常の 種子をまけば芽が出て最後には美しい花が咲-という植物の成長を見 イタリアの天文学者・物理学者・哲学者。 くわ 4.■_. -_ 一立-10- 一 立-9- 調べていくので、ついこ で 「活きた自然」 のことを忘れがちです。し せん。ところが、密画化する時は、脚を壊して中からと-出した物質を のを見ている時に「活きた自然との一体感」があることは間違いありま を認め、両方の描写を共に大事にするということなのです。 密画化によっても失われる必要はなかったというのです。チョウが舞う 大森は、略画的世界観の時に存在した「活きた自然との一体感」は' -生命は物理・化学的法則によ-説明しつ-される、 て説明する考え方。 かし大森は、日常生活の風景と、科学者が原子・分 などで描く世界を 方を科学と引き離さないことが大切だと思っています。 解のしかたはあると指摘します。非科学的という一言でこのような考え や未開の人々のも として まうのは誤りで'私たちにもこのような哩 私に擬して理解していたのでしょう。(大森はこのような理解を'太古 ります。 は'人間だけではあ-ません。飼っている犬や猫の気持ちはわか-ます Lt 大事に育てた花はいっしょうけんめい咲ているなと思い愛し-な 恐ら-略画的世界そのも を生きていた太古の人は'自然のすべてを ことを思い出し'それと同じように痛いのだろうと想像し'痛みを共有 してそれを癒す努力をします。 んと言って知らん顔している人はいな でしょう。自分が痛かった時の ことだからです。 ません。ど なに近しい人の心だって、本当にはわか-ません。けれど も'友人がお腹が痛いと言っている時、私はあなたの痛みはわか-ませ ただしこれは自分の心に限るのであって、他人の心はまった-わかり 大森はこれを「私に擬した理解」と言います。この理解ができる対象 化を生んだ現代的な思想の中で自分の心を考えるという矛盾から離れる に生きている」ということをそのま 受けとめる姿勢だからです。死初 こむのではないでしょうか。 のことが' ても重要なのだと改めて思います。とにか-「自分がこ ることを大切にしません。そのために、心は最もわからないものと思い 答えるのがよいと う風潮があ-ますので、答えのない問 を問い続け のですが'科学はすべてに答えがあるとするものです。しかも最近は、 同じです。恐ら-この基本的問いには答えがないのではないかとも思う らないと思こみます。人間とはなにか'生命とはなにかという問ち のを見る癖がついて ると、客観的な形でその答えが出てこないとわか たらきを調べるという生命科学の方法で見ているチョウは'花の蜜を求 めて飛んでいる可愛いチョウと同じものであるというあたりまえのこと に聞こえそうですが'そうではありません。(DNAやタンパク質のは ないとする必要があります。 常と科学とを対立させるのでなく、一体化させる方法はないだろうか。 き」 です。なんだかとても新しいこと、難しいことを提案しているよう この問いに対して、大森がみごとな提案をしているのです。「重ね描 大森が'「自分の心はすっき-見える」とサラリと書いて ることそ ないことは明らかなのですから'科学だけで世界を理解することはでき 二つを縦に並べて優劣をつけることです。 たような二元論に基づ-「科学」では'痛みや美しきの感じなどが語れ 科学も日常も捨てないとしたらどうするか。自然に素直に向き合う日 -'日常的感覚での世界理解は遅れていると受け取ることです。この ではな-'気をつけな ればなら いのは'科学による理解が優れてお たりかねないものです。 残念ながらそれは'科学は全面的に否定すべきだという極端な結論にい しか'科学が明らかにする事実を否定する必要はあ-ません。そう 科学が明らかにしてきた知は放棄しない。しか 同時に'大森の示し いるということはわかります。やはりこれはおかしい。 が進んだ見方だと多-の人が思うよ にな-、この世界観に立脚した近 代科学・科学技術が、世界中を席巻しました。 -とも私は生きていることは明らかで'それを死物化するのは間違って 十七世紀に始まった科学の世界観は機械論的であ-'しかもそれこそ 今、こうした科学や科学技術のあ-方に疑問が出されてはいますが、 2 こ では人間も死物化されることにな-ます。難しいことはわからな 戊 的な形と運動変化だけで世界を捉えようというのですからまさに死物で いや なか かわい (中村桂子「科学者が人間であること」による) せっけん * .i. 3 いと います。 〔注〕 ガリレイー 画化」に依拠しすぎた現代社会の最も大きな問題の一つではないかと 明ではないと思う人が多-なっているようにも見えます。これ そ「密 の心であり、心の動きだというのです。近年自分の心が自分に対して逮 いようでありながら最もすっきりと理解できるものがある、それは自分 では細部が見えない'不透明で見えないのが普通だが、(一見 えな 大事なのです。 ところで、大森はこ で興味深いことを教えて-れます。略画的世界 私って何だろうという問いは誰もが持ちます。ところが科学の眼でち 機械論 という考え。 主客二元論 デカルトー -ものごとを主観と客 いう二つの原理をもっ フランスの哲学者。近世哲学の祖。 うことです。蜜画を措こうとする時に、略画的世界観を忘れないことが れてきます。科学はこの日常の問いを解こうとして始まるのです。 なわけでも、密画さえ描ければ自然の真 姿が措けるわ でもないと の一部が変化して赤い花になるのはどうしてだろうと、次々問いが生ま 重要なことは、「科学的」だからといって、密画のほうが略画よ-「上」 のだというのです。 ると、あの黒い粒のような種子の中に何があったのだろう、緑の葉 中 識の世界であ-、科学は常識に密着して展開する「よ-精しいお話」な 同じものと見ればよいではないかと提案します。略画的世界は日常の 種子をまけば芽が出て最後には美しい花が咲-という植物の成長を見 イタリアの天文学者・物理学者・哲学者。 くわ 4.■_. -_ 一立-10- 一 立-9- 調べていくので、ついこ で 「活きた自然」 のことを忘れがちです。し せん。ところが、密画化する時は、脚を壊して中からと-出した物質を のを見ている時に「活きた自然との一体感」があることは間違いありま を認め、両方の描写を共に大事にするということなのです。 密画化によっても失われる必要はなかったというのです。チョウが舞う 大森は、略画的世界観の時に存在した「活きた自然との一体感」は' -生命は物理・化学的法則によ-説明しつ-される、 て説明する考え方。 かし大森は、日常生活の風景と、科学者が原子・分 などで描く世界を エ 人間の心やその動きは客観的な形では捉えられないが'痛みや美しき ま 受け入れると、自分の心が理解できるということ。 といった自分の主観を'「自分がこ に生きている」事実としてありの はすっき-見える」と言い聞かせて'自分と冷静に向き合い'客観的な て、いつでも即座に自分の心が理解できるということ。 にデータ化・数値化されるようになったので、「よ-精しいお話」とし 〔間4〕(一見、 えないようでありながら最もすっきりと理解できるも ア 人間の心やその動きには形がないので見えないとあきらめ'限界を受 イ 人間の心やその動きが、心理学や統計学の急速な発展にともない瞬時 り 人間の心やその動きは透明でないと う思い込みを捨て'「自分の心 形のある存在として自分の心が理解できるということ。 き方を肯定すれば、自分の心は理解できるということ。 次のうちから最も適切なものを選べ。 〔間6〕 しかも最近は'答えるのがよいと う風潮があ-ますので、答え 工 生態系の破壊が私たちの身近な場所でどのように進んでいるのかを観 察し、客観的なデータを集め、周囲の環境を知ろうとする。 出しや改行の際 空欄もそれぞ 字数に えよ。 例を挙げて二百字以内で書け。なおごや。 「などのほか'書き ない問 を問い続ける」ということに対するあなたの考えを、具体 のない問 を問い続けることを大切にしません。とあるが、「答えの 然に負けることのない堅固な都市の開発を目指そうとする。 を自分 身のも として想像し、問題に向き合おうとする。 のがある、それは自分の心であ-、心の動きだとはどうい ことか。 〔間3〕 (DNAやタンパク質のはたらきを調べるという生命科学の方 エ 人間が、主観でしか物事を認知できない存在だと軽視され'普遍的な 形ある物質の方が上位にあるとみなされているということ。 ます。とあるが'「このような理解のしかた」 の例として、次のうち うのは誤りで、私たちにもこのような理解のしかたはあると指摘し 5_1.,l 内で書け。 に大事にするということなのです。とはどうい ことか。四十字以 と同じものであるというあたりまえのことを認め、両方の描写を共 31 法で見ているチョウは'花の蜜を求めて飛んでいる可愛いチョウ り 人間が、他人との外見や運動能力の差にこだわり、自分が客観的にど う見えるかば -を競い合う社会になっているということ。 う見ても問題があると多-の人が考えていることも事実です。とあ 一立-ll - ‖ 〔間2〕(こ では人間も死物化されることにな-ます。とはどうい こと ア 科学が、心や感覚といった主観を考慮せず'形態や運動的側面だけで、 イ 科学が、一人 の人間の個性の違いを無視して'誰もが同じ色や音 などを感じ取る、均質な存在だとみなしているということ。 るが、筆者がこのように述べるのはなぜか。次のうちから最も適切 生きものとしての人間を捉えようとしているということ。 か。次のうちから最も適切なものを選べ。 かわい 一 立-12- もの 見方を求める気持ちは、否定できないものだから。 なものを選べ。 排出量削減に向けた効率のよい取り組みを広げようとする。 から最も適切なものを選べ。 進歩をめざす現代社会のあ-方とは矛盾するものだから。 〔間1〕(しか '密画的世界のみを追い求める現代の科学技術社会はど ア 知ることや考えることは人間の持つ基本的な欲望であ-'よ確実な イ 日常生活の中で、自分の身体で世界を感じ取ろうとする姿勢は幼-、 り 主として西欧で始まった科学技術の発展を'後ろから日本が追いかけ てきたことを忘れ、進歩の先頭に立った意識でいるから。 .4_l1-】 〔間5〕(大森はこのような理解を、太古や未開の人々ものとしてま ア 温暖化の主因が二酸化炭素の排出量の増大にあるという知識を持ち、 イ 漁獲高の減少は海や魚の悲鳴ではないかと考え'自然の痛みや悲しみ り 異常気象の増加は今後も避けられそうにないと考え'どんな時にも自 エ 世界を細分化し、新たな知をもたらす近代科学ばかりがもてはやされ、 人々の生きる実感や日常感覚が軽んじられているから。 け入れることによ-、「活きた自然」よりも無力な存在として自分の生 2_ エ 人間の心やその動きは客観的な形では捉えられないが'痛みや美しき ま 受け入れると、自分の心が理解できるということ。 といった自分の主観を'「自分がこ に生きている」事実としてありの はすっき-見える」と言い聞かせて'自分と冷静に向き合い'客観的な て、いつでも即座に自分の心が理解できるということ。 にデータ化・数値化されるようになったので、「よ-精しいお話」とし 〔間4〕(一見、 えないようでありながら最もすっきりと理解できるも ア 人間の心やその動きには形がないので見えないとあきらめ'限界を受 イ 人間の心やその動きが、心理学や統計学の急速な発展にともない瞬時 り 人間の心やその動きは透明でないと う思い込みを捨て'「自分の心 形のある存在として自分の心が理解できるということ。 き方を肯定すれば、自分の心は理解できるということ。 次のうちから最も適切なものを選べ。 〔間6〕 しかも最近は'答えるのがよいと う風潮があ-ますので、答え 工 生態系の破壊が私たちの身近な場所でどのように進んでいるのかを観 察し、客観的なデータを集め、周囲の環境を知ろうとする。 出しや改行の際 空欄もそれぞ 字数に えよ。 例を挙げて二百字以内で書け。なおごや。 「などのほか'書き ない問 を問い続ける」ということに対するあなたの考えを、具体 のない問 を問い続けることを大切にしません。とあるが、「答えの 然に負けることのない堅固な都市の開発を目指そうとする。 を自分 身のも として想像し、問題に向き合おうとする。 のがある、それは自分の心であ-、心の動きだとはどうい ことか。 〔間3〕 (DNAやタンパク質のはたらきを調べるという生命科学の方 エ 人間が、主観でしか物事を認知できない存在だと軽視され'普遍的な 形ある物質の方が上位にあるとみなされているということ。 ます。とあるが'「このような理解のしかた」 の例として、次のうち うのは誤りで、私たちにもこのような理解のしかたはあると指摘し 5_1.,l 内で書け。 に大事にするということなのです。とはどうい ことか。四十字以 と同じものであるというあたりまえのことを認め、両方の描写を共 31 法で見ているチョウは'花の蜜を求めて飛んでいる可愛いチョウ り 人間が、他人との外見や運動能力の差にこだわり、自分が客観的にど う見えるかば -を競い合う社会になっているということ。 う見ても問題があると多-の人が考えていることも事実です。とあ 一立-ll - ‖ 〔間2〕(こ では人間も死物化されることにな-ます。とはどうい こと ア 科学が、心や感覚といった主観を考慮せず'形態や運動的側面だけで、 イ 科学が、一人 の人間の個性の違いを無視して'誰もが同じ色や音 などを感じ取る、均質な存在だとみなしているということ。 るが、筆者がこのように述べるのはなぜか。次のうちから最も適切 生きものとしての人間を捉えようとしているということ。 か。次のうちから最も適切なものを選べ。 かわい 一 立-12- もの 見方を求める気持ちは、否定できないものだから。 なものを選べ。 排出量削減に向けた効率のよい取り組みを広げようとする。 から最も適切なものを選べ。 進歩をめざす現代社会のあ-方とは矛盾するものだから。 〔間1〕(しか '密画的世界のみを追い求める現代の科学技術社会はど ア 知ることや考えることは人間の持つ基本的な欲望であ-'よ確実な イ 日常生活の中で、自分の身体で世界を感じ取ろうとする姿勢は幼-、 り 主として西欧で始まった科学技術の発展を'後ろから日本が追いかけ てきたことを忘れ、進歩の先頭に立った意識でいるから。 .4_l1-】 〔間5〕(大森はこのような理解を、太古や未開の人々ものとしてま ア 温暖化の主因が二酸化炭素の排出量の増大にあるという知識を持ち、 イ 漁獲高の減少は海や魚の悲鳴ではないかと考え'自然の痛みや悲しみ り 異常気象の増加は今後も避けられそうにないと考え'どんな時にも自 エ 世界を細分化し、新たな知をもたらす近代科学ばかりがもてはやされ、 人々の生きる実感や日常感覚が軽んじられているから。 け入れることによ-、「活きた自然」よりも無力な存在として自分の生 2_ を踏まえ、そしてこに見える真実を -たとえば困難な旅という手段 言いかえれば生活に必要なものだけに価値を認めるような価値観の転換 が「花」となるのだと言ってよいと思います。人間の側 世俗的価値観、 「をのれが心をせめて」'つま-'苦心し、苦心して、はじめて「像」 の事は於に習へ'竹の事は竹に習へ」というのがありますが'この言莱 もその意味に解釈することができるのではないでしょうか。 そのため 努力を指していると思います。ー芭蕉の有名な言葉に、「松 体的な苦痛を意味するのではなく、「物の実」を知るための困難な試み' 言葉に次のようなものがあります。 「をのれが心をせめる」というのは、単に'旅 出たときに味わう身 やぶれがさまこと ろこべ-。 破笠に霜露をいとふて、をのれが心をせめて、物の実を知る事をよ 古しへよ-風雅に情ある人々は'後に笈をかけ'草軽に足をいため、 かにあ-'芸術はそれを模倣するだけであるという主張のようにも見え ますが'決してそうではないと思ます。芭蕉が門人森川許六に贈った けて言いますと、それは一見、自然美一元論、つまり真の美は自然のな か。 れとなり」という言葉からも'日本の芸術が伝統的に'自然から創作の 原動力を汲み取ろうとしてきたことが読み取れるのではないでしょう のです。その境位を脱して、四時を友とするとき、「像」が自ずから花 とな-'心が花で満たされると言うのです。詩はそこに生まれ す。 生活を支えるもの、生活の糧です。 この芭蕉 「夷秋を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ'造化にかへ そのような態度を、先ほどの芸術美か'自然美かという議論と結びつ ーこ ころ*おひわらぢ ばし 「風雅」という言葉を便いました。それはまず何より俳譜、つま 本の芸術の特徴があると思います。 ならぬ自然から芸術の原動力を汲み取ってこようとする点に'東洋や日 ば、芸術と自然とがそこでは一体のも として捉えられています。ほか 位置づけは、著し-異なったものであるように思われます。簡単に言え な-、自然美への関心は希薄になっていきました。 の意味で、芸術作品は、自然のなかにある美よ-も、はるかに高い価値 を有するとされました。 近代では'このような見方が力をもつように です。それに対して'自然はただ単に存在するにすぎないものです。そ 通するものをもつとされます -、芸術美はその精神の所産であるから ています。それは'人間が精神的存在であり - その点で人間は神と共 した芸術美は'自然美よ-も' 高いものである」とはっきりと述べ はベルリン大学で行った 『美学』 講義のなかで、「精神と が産み出 は'十九世紀はじめに活躍したドイツの哲学者ヘーゲルです。ヘーゲル で低いと う考えが有力になりました。そうい 考えを明確に示したの それと比較したとき、日本の、あるいは東洋の芸術のなかでの自然の 具体的に考えるために、芭蕉を手がか-にしてみましょう。芭蕉はし 芭蕉は'詩を生みだすためには、そこからの転換が必要であると言う 離れては考えられないものであったのです。 こから詩を作った-、楽器を演奏した-すること'つま-ポイエーシス' 創作活動が生まれて-るとアリストテレスは考えました。芸術は自然を のは「自然」 です。古代ギリシアのミメ-シスとはもと '自然が作 -だすもの、自然なかにあるものを模倣Lt 再現することでした。そ しか 近代になると、自然の美は、芸術が生みだす美よ-も価値の上 芸術が「模倣」'あるいは「表現」する対象として、まず考えられる には、本文のあとに 〔注〕 がある。) 次の文章を読んで'あとの各間に答えよ。(*印の付いて る言葉 もほう .■ * 3 もりかわきょろく おの 二つに分かれているからです。物から分かれた我が「私意」です。「私 づる」ものでなければだめ と言うのです。そのときには'我と物 が です。芭蕉は巧みな言語表現という観点から詩の良し悪を考えていま せん。 ことを語っています。「私意」によって「作為」した句が「する句」です。 それに対して、顕わになった物の 「微」をそのま 写すのが「なる句」 となる」というのです。 -自然の微妙な生命を感じ取ることです。そうることではじめて「句 います。 存在する「私意」を否定して'物のなかに入-込み'その 「微」'つま ちの 「赤冊子」 のなかに出てくる言葉です。そこで次のように言われて ています。いま「桧の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」という言葉を 引用しまたが、これは芭蕉の弟子服部土芽が著した 『三冊子』 のう いう考え方でもあ-ません。芭蕉は-り返し「作為」ということを退け です。 つまり、「をのれが心をせめる」というのは、頑強に私たちのなかに 芭蕉は 「赤冊子」 のなかで' 不至。私意のなす作為也。 たとえ(すぐれた表現になってい も、「そのも より自然に出 いたらず しか他方'それは、人間精神の営みを自然美よりも高く評価すると り自然に出づる情にあらざれば、物我二つに成-て'その情誠に 句と成る所也。たとへば'ものあらはにいひ でても、そのも よ はざるなり。習へといふは、物に入てその微 顕れて情感ずるや、 はなれよといふ事也。此習へといふ所を己がま にとりて、終に習 はいかい を通して - 追求することによって、はじめて美が として輝き出るの けを見ています。そうい ときに見える自然は決して 「花」 ではなく' よい地位を得るために - 生きています。そうい 目的に必要なものだ 活のために」 -たとえばより多くの収入を得るために、あるいはより たその結晶である俳譜の本質をも言い表していると思います。 「像」はたいて の場合、「花」 ではありません。私たちはふつう、「生 生みだされる俳語でもあ-ますが'造化に従って生きる 方をも、ま るときに詩が生まれるということが言われています。「風雅」はそこで 秋、つま-野蛮な人間、あるいは鳥獣の境遇を脱して、造化と もにあ 花とな-'思うものがすべて月になるというのです。それができない夷 化に応じて移り変わってい-万象と もにあるとき、見るものがすべて こ では、後者の意味で言われています。心が四時つま-春夏秋冬の変 て造-出されたもの、いわゆる森羅万象という二つの意味があ-ます。 う言葉にも'万物を創造・化育する者、つまり造物主とその働きによっ ら「自然」を考えましたが'それとちょうど同じように、「造化」とい スピノザは 「生みだす自然」と 「生みだされた自然」という二つの面か たオランダの哲学者スピノザの「自然」概念に近いところがあ-ます。 (「造化」というのは'非常におもしろ言葉です。十七世紀活躍 のような一節があります。 2 松の事は松に習へ'竹の事は竹に習へと師の詞 あ-しも、私意を 出'鳥獣を離れて、造化にしたがひ'造化にかへれとなり。 いで ざる時は夷秋にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類す。夷秋を らずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあら り俳句を意味しますが、しかそれにとどまらないものがそこに込めら 風雅におけるもの'造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあ あかぞうし じねんい れていると思います。たとえば 『笈の小文』 と呼ばれる芭蕉の文章に次 もちろん'普段の生活なかで私たちが目にしているもの'つま- lJ,・ いてきたぐひ あら なりこのあのつひ ぎうかしいじところ 俳句に(「なる句」 おいこぶみ I はっとりどほうさんぞうし いりびあらは 4_ 1 ,-_. ことば と 「する句」がある あ かたち - 立-14- 一立-13- を踏まえ、そしてこに見える真実を -たとえば困難な旅という手段 言いかえれば生活に必要なものだけに価値を認めるような価値観の転換 が「花」となるのだと言ってよいと思います。人間の側 世俗的価値観、 「をのれが心をせめて」'つま-'苦心し、苦心して、はじめて「像」 の事は於に習へ'竹の事は竹に習へ」というのがありますが'この言莱 もその意味に解釈することができるのではないでしょうか。 そのため 努力を指していると思います。ー芭蕉の有名な言葉に、「松 体的な苦痛を意味するのではなく、「物の実」を知るための困難な試み' 言葉に次のようなものがあります。 「をのれが心をせめる」というのは、単に'旅 出たときに味わう身 やぶれがさまこと ろこべ-。 破笠に霜露をいとふて、をのれが心をせめて、物の実を知る事をよ 古しへよ-風雅に情ある人々は'後に笈をかけ'草軽に足をいため、 かにあ-'芸術はそれを模倣するだけであるという主張のようにも見え ますが'決してそうではないと思ます。芭蕉が門人森川許六に贈った けて言いますと、それは一見、自然美一元論、つまり真の美は自然のな か。 れとなり」という言葉からも'日本の芸術が伝統的に'自然から創作の 原動力を汲み取ろうとしてきたことが読み取れるのではないでしょう のです。その境位を脱して、四時を友とするとき、「像」が自ずから花 とな-'心が花で満たされると言うのです。詩はそこに生まれ す。 生活を支えるもの、生活の糧です。 この芭蕉 「夷秋を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ'造化にかへ そのような態度を、先ほどの芸術美か'自然美かという議論と結びつ ーこ ころ*おひわらぢ ばし 「風雅」という言葉を便いました。それはまず何より俳譜、つま 本の芸術の特徴があると思います。 ならぬ自然から芸術の原動力を汲み取ってこようとする点に'東洋や日 ば、芸術と自然とがそこでは一体のも として捉えられています。ほか 位置づけは、著し-異なったものであるように思われます。簡単に言え な-、自然美への関心は希薄になっていきました。 の意味で、芸術作品は、自然のなかにある美よ-も、はるかに高い価値 を有するとされました。 近代では'このような見方が力をもつように です。それに対して'自然はただ単に存在するにすぎないものです。そ 通するものをもつとされます -、芸術美はその精神の所産であるから ています。それは'人間が精神的存在であり - その点で人間は神と共 した芸術美は'自然美よ-も' 高いものである」とはっきりと述べ はベルリン大学で行った 『美学』 講義のなかで、「精神と が産み出 は'十九世紀はじめに活躍したドイツの哲学者ヘーゲルです。ヘーゲル で低いと う考えが有力になりました。そうい 考えを明確に示したの それと比較したとき、日本の、あるいは東洋の芸術のなかでの自然の 具体的に考えるために、芭蕉を手がか-にしてみましょう。芭蕉はし 芭蕉は'詩を生みだすためには、そこからの転換が必要であると言う 離れては考えられないものであったのです。 こから詩を作った-、楽器を演奏した-すること'つま-ポイエーシス' 創作活動が生まれて-るとアリストテレスは考えました。芸術は自然を のは「自然」 です。古代ギリシアのミメ-シスとはもと '自然が作 -だすもの、自然なかにあるものを模倣Lt 再現することでした。そ しか 近代になると、自然の美は、芸術が生みだす美よ-も価値の上 芸術が「模倣」'あるいは「表現」する対象として、まず考えられる には、本文のあとに 〔注〕 がある。) 次の文章を読んで'あとの各間に答えよ。(*印の付いて る言葉 もほう .■ * 3 もりかわきょろく おの 二つに分かれているからです。物から分かれた我が「私意」です。「私 づる」ものでなければだめ と言うのです。そのときには'我と物 が です。芭蕉は巧みな言語表現という観点から詩の良し悪を考えていま せん。 ことを語っています。「私意」によって「作為」した句が「する句」です。 それに対して、顕わになった物の 「微」をそのま 写すのが「なる句」 となる」というのです。 -自然の微妙な生命を感じ取ることです。そうることではじめて「句 います。 存在する「私意」を否定して'物のなかに入-込み'その 「微」'つま ちの 「赤冊子」 のなかに出てくる言葉です。そこで次のように言われて ています。いま「桧の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」という言葉を 引用しまたが、これは芭蕉の弟子服部土芽が著した 『三冊子』 のう いう考え方でもあ-ません。芭蕉は-り返し「作為」ということを退け です。 つまり、「をのれが心をせめる」というのは、頑強に私たちのなかに 芭蕉は 「赤冊子」 のなかで' 不至。私意のなす作為也。 たとえ(すぐれた表現になってい も、「そのも より自然に出 いたらず しか他方'それは、人間精神の営みを自然美よりも高く評価すると り自然に出づる情にあらざれば、物我二つに成-て'その情誠に 句と成る所也。たとへば'ものあらはにいひ でても、そのも よ はざるなり。習へといふは、物に入てその微 顕れて情感ずるや、 はなれよといふ事也。此習へといふ所を己がま にとりて、終に習 はいかい を通して - 追求することによって、はじめて美が として輝き出るの けを見ています。そうい ときに見える自然は決して 「花」 ではなく' よい地位を得るために - 生きています。そうい 目的に必要なものだ 活のために」 -たとえばより多くの収入を得るために、あるいはより たその結晶である俳譜の本質をも言い表していると思います。 「像」はたいて の場合、「花」 ではありません。私たちはふつう、「生 生みだされる俳語でもあ-ますが'造化に従って生きる 方をも、ま るときに詩が生まれるということが言われています。「風雅」はそこで 秋、つま-野蛮な人間、あるいは鳥獣の境遇を脱して、造化と もにあ 花とな-'思うものがすべて月になるというのです。それができない夷 化に応じて移り変わってい-万象と もにあるとき、見るものがすべて こ では、後者の意味で言われています。心が四時つま-春夏秋冬の変 て造-出されたもの、いわゆる森羅万象という二つの意味があ-ます。 う言葉にも'万物を創造・化育する者、つまり造物主とその働きによっ ら「自然」を考えましたが'それとちょうど同じように、「造化」とい スピノザは 「生みだす自然」と 「生みだされた自然」という二つの面か たオランダの哲学者スピノザの「自然」概念に近いところがあ-ます。 (「造化」というのは'非常におもしろ言葉です。十七世紀活躍 のような一節があります。 2 松の事は松に習へ'竹の事は竹に習へと師の詞 あ-しも、私意を 出'鳥獣を離れて、造化にしたがひ'造化にかへれとなり。 いで ざる時は夷秋にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類す。夷秋を らずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあら り俳句を意味しますが、しかそれにとどまらないものがそこに込めら 風雅におけるもの'造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあ あかぞうし じねんい れていると思います。たとえば 『笈の小文』 と呼ばれる芭蕉の文章に次 もちろん'普段の生活なかで私たちが目にしているもの'つま- lJ,・ いてきたぐひ あら なりこのあのつひ ぎうかしいじところ 俳句に(「なる句」 おいこぶみ I はっとりどほうさんぞうし いりびあらは 4_ 1 ,-_. ことば と 「する句」がある あ かたち - 立-14- 一立-13- エ 「桧の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」という言葉は'さまざ な う言葉と同じ意味に解釈可能だということ。 苦心を重ねて旅行を続けることを示した、「をのれが心をせめる」とい 値観を乗り越えて物の中 真実を兄いだすことによって、美の本質に到 な努力という意味に解釈可能だということ。 肉体的な苦痛を意味すると もに'物の中に真実を兄いだすための困難 〔間3〕 (芭蕉の有名な言葉に'「桧の事は松に習へ、竹の事は竹に習 ア 「桧の事は松に習へ'竹の事は竹に習へ」という言葉は'松や竹とい イ 「於の事は桧に習へ、竹の事は竹に習へ」という言葉は、徒歩旅行の ウ 「松の事は松に習へ'竹の事は竹に習へ」という言葉は、日常的な価 達するという意味に解釈可能だということ。 達するという意味に解釈可能だということ。 それが「する句」 です。 〔注〕 アリストテレス ー 古代ギリシアの哲学者。 う物質を謙虚に見つめる修練を積むことで'自然を超えた精神にまで到 なものを選べ。 釈することができる」とはどうい ことか。次のうちから最も適切 できるのではないでしょうか。とあるが'「この言葉もその意味に解 意」からは詩 自然に生まれ せんから'「作為」するほかはありません。 へ」というのがあ-ますが、この言葉もその意味に解釈することが 3_I,. 笈 - 身のまわ-の品物を入れて背負う箱状の入れ物。 おひ (藤田正勝「哲学のヒント」 による) 〔間5〕(すぐれた表現になってい もに相当する箇所を、本文中の古文 工 自立語と付属語 り 仮定形と連体形 イ 自動詞と他動詞 〔間2〕(「造化」というのは'非常におもしろい言葉です。とあるが、筆 〔間4〕 ア 自発と使役 エ 古代では自然が芸術や創作活動を支えると考えられていたが'近代で する理念は弱まっていった。 からそのま 抜き出して書け。 したものはどれか。次のうちから最も適切なものを選べ。 5 (「なる旬」 .4一■- _ 者が「おもしろい」と考える理由を、六十字以内で説明せよ。 は芸術 精神活動が生み出す価値の高いものと見なされ、自然を大切に 芸術美は衰退していった。 美の評価は低減していった。 の評価は低-なっていった。 は自然よ-も精神的存在である人間の価値が高いと見なされ'自然美へ 適切なものを選べ。 2_ _ ■ と「する旬」とあるが'「なる」と「する」 の違いを表 一立-16- れていたが'近代では自然よ-人間の精神の方が価値が高いと見なされ、 られていたが、近代では芸術 人間の創作活動の一種と見なされ'芸術 〔間-〕ー近代では、このような見方が力をもつようにな-、自然美への ア 古代では自然の模倣から芸術が生まれると考えられていたが、近代で イ 古代では自然の再現であるポイエーシスから芸術が生産されると考え り 古代ではミメ-シスが自然の内部美を取り出して再現すると考えら 一立-15- 然美への関心」が希薄になったと述べているか。次のうちから最も 関心は希薄になっていきました。とあるが'筆者は、どのように「自 =リ エ 「桧の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」という言葉は'さまざ な う言葉と同じ意味に解釈可能だということ。 苦心を重ねて旅行を続けることを示した、「をのれが心をせめる」とい 値観を乗り越えて物の中 真実を兄いだすことによって、美の本質に到 な努力という意味に解釈可能だということ。 肉体的な苦痛を意味すると もに'物の中に真実を兄いだすための困難 〔間3〕 (芭蕉の有名な言葉に'「桧の事は松に習へ、竹の事は竹に習 ア 「桧の事は松に習へ'竹の事は竹に習へ」という言葉は'松や竹とい イ 「於の事は桧に習へ、竹の事は竹に習へ」という言葉は、徒歩旅行の ウ 「松の事は松に習へ'竹の事は竹に習へ」という言葉は、日常的な価 達するという意味に解釈可能だということ。 達するという意味に解釈可能だということ。 それが「する句」 です。 〔注〕 アリストテレス ー 古代ギリシアの哲学者。 う物質を謙虚に見つめる修練を積むことで'自然を超えた精神にまで到 なものを選べ。 釈することができる」とはどうい ことか。次のうちから最も適切 できるのではないでしょうか。とあるが'「この言葉もその意味に解 意」からは詩 自然に生まれ せんから'「作為」するほかはありません。 へ」というのがあ-ますが、この言葉もその意味に解釈することが 3_I,. 笈 - 身のまわ-の品物を入れて背負う箱状の入れ物。 おひ (藤田正勝「哲学のヒント」 による) 〔間5〕(すぐれた表現になってい もに相当する箇所を、本文中の古文 工 自立語と付属語 り 仮定形と連体形 イ 自動詞と他動詞 〔間2〕(「造化」というのは'非常におもしろい言葉です。とあるが、筆 〔間4〕 ア 自発と使役 エ 古代では自然が芸術や創作活動を支えると考えられていたが'近代で する理念は弱まっていった。 からそのま 抜き出して書け。 したものはどれか。次のうちから最も適切なものを選べ。 5 (「なる旬」 .4一■- _ 者が「おもしろい」と考える理由を、六十字以内で説明せよ。 は芸術 精神活動が生み出す価値の高いものと見なされ、自然を大切に 芸術美は衰退していった。 美の評価は低減していった。 の評価は低-なっていった。 は自然よ-も精神的存在である人間の価値が高いと見なされ'自然美へ 適切なものを選べ。 2_ _ ■ と「する旬」とあるが'「なる」と「する」 の違いを表 一立-16- れていたが'近代では自然よ-人間の精神の方が価値が高いと見なされ、 られていたが、近代では芸術 人間の創作活動の一種と見なされ'芸術 〔間-〕ー近代では、このような見方が力をもつようにな-、自然美への ア 古代では自然の模倣から芸術が生まれると考えられていたが、近代で イ 古代では自然の再現であるポイエーシスから芸術が生産されると考え り 古代ではミメ-シスが自然の内部美を取り出して再現すると考えら 一立-15- 然美への関心」が希薄になったと述べているか。次のうちから最も 関心は希薄になっていきました。とあるが'筆者は、どのように「自 =リ (27-立) 7 受検番号を解答用紙の決められた欄に記入しなさい。 6 答えを直すときは、 れいに消してから、新しい答えを書きなさい。 。や「などもそれぞ 一字と数えなさい。 5 答えは特別の指示あるものほかは'各間のア・イウ工のうちから'最も適切なのを 4 答えは全て解答用紙に明確 記入し、解答用紙だけを提出しなさい。 3 声を出して読んではいけません。 2 検査時間は五〇分で、終わ-は午前九時五〇分です。 -問題はE]から@まで 、T.<-ジにわたって印刷してあ-ます. それぞ一つず選んで、その記号を書きなさい。また、答えに字数制限がある場合には',や 2 71立 注 意 国 語