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ルシ伝 - タテ書き小説ネット

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ルシ伝 - タテ書き小説ネット
ルシ伝
キルナ
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
ルシ伝
︻Nコード︼
N9047U
︻作者名︼
キルナ
︻あらすじ︼
ルシは自分の出生の秘密を探るため﹃古の大魔道師﹄を探す旅に
でる。
旅の途中で、一国の王女を助けるが、その王女は他国へ嫁ぐことに。
ルシはギルドで知り合った仲間と共に砂漠の塔を目指すことになる
が⋮⋮。
第二章に入りました。よろしくお願い致します。
1
フェンリル︵前書き︶
短編として投稿していた﹁外伝﹂ですが、この度此方に移動する事
にしました。ややこしくてすみません。
2
フェンリル
神獣フェンリル。口から炎を吐く巨大な狼で、その爪牙は鋼鉄を
も斬り裂き、輝く純白の体毛は如何なる武器をも弾くといわれる。
ルシはカイロ村の北西にある、コーディス山を訪れていた。ここ
は標高4000メートル級の山々が連なる大陸最高峰のアルファー
ド連峰の一角にあった。
その山は硬い氷壁と深い谷に覆われ、年中雷雲が立ち込め、吹雪
が山肌を襲う。前人未踏の地として古くから神々の住む山とされて
いた。
その山の麓に小さな村があった。その村の名は﹃フェンリルの村﹄
その村ではフェンリルを神と崇め、その使徒たる狼によって、他
者の侵略を一切許さず、豊かな森の恵みで、自治村として成り立っ
ていた。
そんな村にルシは立ち寄っていた。
村では滅多に余所者を目にすることは無く、稀に訪れる旅人や冒
険者などは、歓迎されるのである。悪意を持って訪れる者は、村に
入る前に必ず狼により排除される。村に入ることが出来たというこ
とは、悪意の無い証でもあった。
3
そしてルシは訪れたその晩、ある家に泊めて貰うことになった。
その家には娘が一人いて名前はリン。9歳だという。綺麗な髪は首
筋辺りで結わえられ、肩から前に垂らしていた。白い小袖に白袴と
いう、村人の衣服とは思えない格好だった。
村はフェンリルに守られる代償として、年に一度、10歳未満の
少女を生贄として捧げるのだと言う。そして今年生贄に決まったの
がこの家の娘リンだった。
ルシはこの村に着くと、なぜかリンに懐かれた。
︵こんなオレのどこがいいのだ?︶などと思うが、懐かれるのに慣
れていないルシは戸惑いながらも、旅の話を聞かせたり、馬に乗せ
てやったりと色々相手をしていた。自分がそれを楽しく感じてるこ
とにさらに戸惑いながらも。
この時点では、まさかこの娘が生贄になるなど知る由もなかった。
﹁あんた達は自分の娘が生贄にされるのを黙って見ているのか?﹂
ルシはその生贄にされる少女の親に、静かに聞いてみた。
娘は母親に抱かれ、体を震わせて、声を出さずに泣いている。
﹁仕方がないのです⋮⋮うぅ﹂
母親は一言だけ発すると嗚咽を漏らしてしまった。
﹁そう決まったのだ。決まりに逆らえば、わしら一家は村を出なけ
ればならん﹂
父親は呪詛を紡ぐように囁いた。
﹁オレには判らない﹂
ルシのそう言って首を振る。
﹁うむ、その村にはその村の掟があるもんじゃ。もし生贄を拒否す
れば、村はフェンリル様の加護を失い、瞬く間に余所者に侵略され
4
るのじゃ﹂
娘の祖父らしき老人が、ルシに諭すように淡々と述べる。
﹁だから、幼い娘を生贄か⋮⋮﹂
ルシの口から呟くような言葉が漏れていた。
ルシは感情に乏しい。幼いころの数年間を洞窟に幽閉され、一切
の人との関わりを絶たれていた所為で、怒りや悲しみを表すことが
出来なかった。だがそんなルシでも、村の意思で娘が生贄にされる
ことを漠然と許せなかった。
﹁お前は、それでいいのか?﹂
ルシは優しく、そしてゆっくりと少女に聞いて見た。
﹁み、んな、の、ため、だから⋮⋮﹂
少女の声は震えていた。ルシにはそれが、自分に言い聞かせてい
る言葉のように思えた。
﹁そうか⋮⋮﹂
それ以降誰も口を開くことは無かった。
翌朝早くに、生贄を捧げる為の輿にその娘は乗った。そしてその
輿は、コーディス山の山頂付近にあると言われる、氷冠に向かった。
一年中天候が回復することが無いと言われるコーディス山である
が、その日の生贄が登る時間帯だけは、雷雲が消え吹雪も止むと言
う。
ルシはその輿について行くと言ったが、反対する村人は居なかっ
た。
﹁儀式の邪魔はせんでくだされ。輿には狼も着いて行きますじゃ。
邪魔をなされば、狼が黙っていませんのでな﹂
村長がそう言っただけだった。
5
﹁オレは、この娘の意思を見たいだけだ。娘が助けてと言えば助け
るが、言わなければ一切手出しするつもりは無い﹂
村の者すべてが見守る中、輿は数十匹の狼に囲まれて、真っ直ぐ
山頂へ向かった。辺りは刻一刻と雪化粧に変わり数刻後には、あた
り一面雪が銀世界と化していた。その先は道が無いはずだが、綺麗
に整地され一切の障害物の無い道が続いていく。前方を見れば自然
と積もった雪が左右に分かれ、今この場で道が形成されているのだ。
その雪の壁に挟まれた道を、一度も休憩することなく登り、氷冠
に着いた時には、あたりは薄暗く、空には巨大な月が朧げに見え始
めていた。
﹁生贄を置いて、すぐこの地を離れよ﹂
どこからともなく、尊厳な声が響く。
輿を担いできた一行は、少女を降ろすとすぐさま去って行った。
残ったのは小刻みに体を震わす少女とルシだけだった。その少女の
震えが、極寒の所為なのか恐怖の所為なのか、ルシにはわからなか
った。
そこは、あたり一面巨大な氷河で、地吹雪のため視界は狭い、そ
の前方から巨大な純白の影が姿を現した。月の光に反射されたのか
神々しく輝いて見える。
その輝きが、だんだん此方に近づいてくる。かつて味わったこと
の無い程の、凄まじい精神的圧迫がルシを襲う。
﹁去れと言ったのが、聞こえなかったのか?﹂
先ほどと同じ尊厳な声だった。その声は巨大な純白が発している
6
ものだった。
﹁お前に指図される覚えは無い﹂
ルシは圧倒的な圧力に耐えながら、そう答える。
﹁ほぅ まぁよかろう。だが、我に用があるなら、はようせい。我
は今からその娘を食さねばならん﹂
一瞬少女の体が、ビクッっと震えた。
﹁別に、お前に用は無い。⋮⋮今のところはな﹂
﹁ほう、では食した後で、また聞こうかの﹂
フェンリルの目が少し細められ、その大きな口の端が少し持ち上
がった。まるで笑っているかのように。
そしてゆっくりとフェンリルの前足が持ち上がり、その爪がリン
の体めがけて、振り下ろされようとしていた。
﹁リン! いいのか!? ﹃助けて﹄と言えっ!﹂
ルシは慌てて少女に向かって叫ぶ。しかし少女は答えない。
﹁リーーン!﹂
ヒュン!
ズブッ!
風を切る音の後に、何かが身体を突破る様な音が響く。
︵わ、たしは、みん、なの、た、めに⋮⋮︶
微かにリンの声が聞こえた様な気がした。
ヒュゥーーっと一陣の風が吹く。
リンの髪が風にそよぎ純白の衣装が真っ赤に染まっていく。
7
リンは、フェンリルの爪に身体を貫かれ絶命していた。
そしてその小さな体が、フェンリルの巨大な口の中に消えていっ
た。
﹁オ、オレは、なにしに、ここにきたんだ⋮⋮﹂
ルシの体が震えている。
﹁さぁ、食は済んだ、用があるなら言ってみろ﹂
﹁な、ぜ、だ?﹂
﹁なぜ、殺した?﹂
﹁契約だ﹂
﹁契約だと?﹂
﹁そうだ、100年前あの地に村が出来た。あの地は我の物。我は
出て行けと言った。だが村の者どもは﹃他に行くとこがないから、
ここに住まわて欲しい﹄などと言いおった。だから住まわす代わり
に条件を出した。年に1人、生贄を我に貢げとな﹂
﹁だが、もうそれも終わりじゃ﹂
﹁終わりだと?﹂
﹁うむ、100年の間あの村を守ってやった。だが、奴らは守られ
るだけだった。誰一人として、自らの命を懸けて戦おうとしない。
村の中で一番弱い者を生贄として、弱いものの犠牲の上で、生きて
おるだけじゃ﹂
8
﹁そんな、くだらん生き物を守るのは、もう飽きたと言う事じゃ﹂
﹁くだらん、だと⋮⋮﹂
﹁あの娘が、リンが、なぜ﹃助けて﹄と言わなかったのか、お前に
は判らないのかぁっ?﹂
ルシの静かな声音は語尾で叫びに変わっていた。
そんなルシに対しフェンリルは嘲笑うように答えるだけだった。
﹁恐怖で声が出なかっただけであろう?﹂
﹁リンは、命を掛けて戦った﹂
﹁?﹂
﹁リンは生贄にされたんじゃない! 自らを生贄に選んだんだ 村
のみんなの為に、自分の命を懸けてな!﹂
﹁ま、さか⋮⋮﹂
﹁フェンリル、話は終わりだ。オレはオレの用事を遂行させてもら
うぞ!﹂
﹁うおぉぉ!﹂
突如ルシの殺気が膨れ上がった。大気を震わすほどの殺気である。
神獣のフェンリルでさえ、後退しそうになるほどの圧力であった。
そして腰の剣を抜き、猛然と突っ込む、瞬時にフェンリルを間合
いに捉えると、上段に構え、そこから一気に剣を振り下ろした。
バキィィン!
9
剣が岩でも弾いたかのような音が響いた。
フェンリルの純白に輝く体毛に弾かれ、剣が折れてしまったのだ。
ルシはフェンリルを蹴り、そのまま体を回転させて着地。
﹁お前に剣が通じるはずは無かったか﹂
忌々しくそう呟くとルシはその折れた剣を捨てた。
フェンリルは、その一瞬の攻撃に対応出来なかった。人間ごとき
と、完全に油断していた所為もあっただろうが、それでも、驚くほ
どのスピードに対応が遅れたのだ。
﹁お前には、一切の遠慮はしない。 オレの全力で倒す!﹂
ルシはそう言うと、呪文をの詠唱を始めた。
その呪文を聞いてフェンリルが驚愕の表情をしめした。
﹁なっ! その呪文は⋮⋮ ま、まてっ またぬかぁぁ!!!﹂
呪文は完成し、魔法陣が出来上がっている。あとはそこに魔力を
注入すれば、魔法はその効力を発動する。
フェンリルの叫びに、ルシは魔力を注入する寸前で止まっている。
﹁なんだ? 今更命乞いか!﹂
﹁仮にもこのフェンリル、神の独りぞ、命乞いなどはせぬ。 だが
お前のその魔法はこの山を破壊する。いいのか? ここを破壊すれ
ば、あの村も雪崩で壊滅するのだぞ?﹂
﹁あんな村、どうなろうとオレのしったことじゃない!﹂
﹁リンと言う娘が命を賭けて守った村でもか?﹂
10
﹁⋮⋮﹂
ルシは言葉を失った。魔法は解除され魔方陣も消えていた。そし
てだた呆然と立ち尽くすだけだった。完全に成すすべを失っていた。
﹁小僧、名はなんと言う?﹂
﹁ルシだ⋮⋮﹂
︵ルシか、敬意を込めて名前で呼んでやろう︶
﹁ルシよ、あの娘、リンはもう元には戻らん。我の力では、死んだ
ものは生き返らせることは出来ん⋮⋮ だが、まだリンの魂は我の
内にある﹂
ルシは︵なにがいいたいんだ?︶と、その視線をフェンリルに向
けた。
その時、フェンリルの陰から一匹の小さい狼が出てきた。その純
白の子狼の頭に、フェンリルが前足を掲げると、前足からその子狼
に淡い光のようなものが、入っていった。
﹁これは、我が娘だ。名はまだ無い。この子に今、娘の魂を送った。
この子をお前に預ける﹂
﹁どういう意味だ?﹂
﹁別に意味は無い。ただリンと言う娘の魂までも、死なせたくなか
っただけだ﹂
﹁なぜ、オレに預ける?﹂
﹁リンの魂が、そう言ってるからだ。お前と行きたいと﹂
11
﹁あの村に返せと言う事か?﹂
﹁さぁな、それはリンが、我が子が決めるであろう﹂
﹁そうか、わかった⋮⋮﹂
﹁では、もう行け。我が娘をよろしくな﹂
フェンリルがそう言うと、子狼はポンッという音とともに姿を変
え、その尻尾だけの姿とになった。そしてその尻尾が、スゥーっと
ルシの懐に入っていった。
ルシはその尻尾が入った胸あたりに、そっと手を持って行った。
その感触を確かめるように
ルシは、フェンリルに黙って背を向け歩き出す。その背に向かっ
てフェンリルが声を掛けてきた。
﹁言っとくが、お前のあの魔法でも、我を倒すことは出来んかった
ぞ﹂
ルシは、首だけを回し、そのフェンリルの顔を見る。その顔は少
し笑っている様に見えた。
﹁それと、帰ったらあの村に伝えてくれぬか?﹂
﹁なにをだ?﹂
﹁毎年の生贄は、家畜にする、とな﹂
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﹁わかった﹂
ルシとフェンリルはお互い視線を交わし別れの挨拶をした。
ルシが村に帰りついたのは、翌朝のことだった。コーディス山は、
また雷鳴が轟き吹雪が舞う、人を寄せ付けぬ神の山と化していた。
ルシが戻ると、村人が集まってきた。来年以降の生贄は家畜にな
ったことを教え、ルシは﹃フェンリルの村﹄をあとにした。
︵あの村に残らないで良かったのか?︶
︵⋮⋮︶
︵やはり、お前の名前はリンでいいか?︶
︵⋮⋮︶
返事は無いが、ルシにはなんとなくわかった。
今フェンリルの村は﹃リンの村﹄と改名されている。
そして村人の間でリンは﹃村を救いし巫女﹄として語り継がれて
いく。
13
創造と伝説
神々は闇の中に光を生み出した。
神は天と地を創造した。
⋮⋮
神は天と地の間に大地を造った。
大地は混沌としていた。
神は大地に海を造り、陸と海に分けた。
神は天に神の使徒を創った。
神は地に悪魔を創った。
神は大地に精霊を創った。
神は大地に植物を創った。
神は空に住む生き物、陸に住む生き物、海に住む生き物を創った。
⋮⋮
神は大地に人間を創った。
神は人間に大地を支配させた。
神は神の使徒に天を支配させた。
神は神の使徒に無力な人間を導かせた。
⋮⋮
﹃人間は未熟だった﹄
⋮⋮
﹃人間はどこまでも愚かであった﹄
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
14
今から500年前、魔界の王は、この地上を支配しようと、魔界
よりエプソニア大陸に向けて進軍を開始した。その数10万、魔人
と魔獣の軍団である。
魔界より現われし魔人や魔獣の群れは各地で猛威を奮った。魔人
は人間以外の種族、亜人間達を次々と傘下に加え、その数をさらに
増やす。押され気味だった人間側もエルフ族やドワーフ族を味方に
し、戦況は人間族優位の方向へ進んでいった。
しかしここで思わぬことが起きた。エルフ族とドワーフ族が叛旗
を翻したのだ。
この裏切りは、人間達を混乱させた。その混乱は如実に戦況に現
れた。
さらに軍勢を大幅に増やした魔族側は、戦況を一気に覆し、各地
で次々と人間側の砦を落として行き、人間族は劣勢を極めた。
この状況を良しとせず、エプソニアの王達は共に力を併せること
を決意。各国の切り札とも言うべき勇者を一堂に会した。その5カ
国の5人の勇者達を転移魔法で、戦線に飛ばし次々と戦況を覆して
いく。
しかし、それでも辛うじて戦況を維持、膠着状態居を保つのがや
っとだった。
そんな均衡が破れるときが来た。魔王自身が戦線に立ったのであ
る。
魔王が率いる軍勢は脅威となって大陸を押し進めた。5人の勇者
15
達がそれを迎え撃つが魔王の軍勢は留まる事を知らず。もはや人間
族の敗北は目の前まで迫っていた。
しかしここで奇跡が起きた。天より無数の隕石が魔王軍を襲った
のである。古の大魔道師という2つ名だけが知られる謎の男。その
者だけが使えるという隕石招来魔法だった。
魔王軍はその一撃でほぼ壊滅、残るは魔王ただ1人。
だが魔王の力は絶大だった。手に持つ魔剣一振りで数百人を切り
裂き。その魔法は一撃で城を破壊した。
しかし、大魔道師を加えた5人勇者は、果敢にも魔王に立ち向か
う。勇者達の剣と大魔道師の魔法が、魔王を追い詰め、とうとう魔
王を倒すのだった。
魔王を失った魔人の軍勢は、見る見る戦意を失い、各地で人間側
に勝利をもたらす。
大魔道師と5人勇者。そして数多くの魔法使い、騎士、戦士、傭
兵、冒険者達によって魔人を絶滅。
その十数年に及んだ聖戦は終わりを告げた。
その後生き残ったエルフ達は森の最奥に隠れ、ドワーフ達は迷宮
の最奥に潜み、それ以外の亜人や魔獣も山や森に消えていった。
それらの種族の数は半分にまで激減していたという。
しかし、人間達は聖戦に勝利はしたが、その傷は深く、聖戦で失
ったものも計り知れない。
辛うじて5人勇者と大魔道師は生き残ったが、数多くの者が命を落
16
とした。
その後各国の王達で会合がもたれ、5人の勇者を新たな王に据、
そしてその年を大陸の名にちなんでエプソニア暦元年とした。
そして、その勇者王達の名を
ガイアス・ルシア・シャプニ1世
ルテ・アンドリュー・カノン1世
ヨンサ・アイリス・ビズルトラ1世
オレイモ・ジュリアナ・トエック1世
ジャスティ・スレイ・モリリス1世
として史実に書き残す。
当初、5大王国は、その立ち位置を公国に変更し、その上に1国
を設け、大魔道師を国王とする意思を示したが、大魔道師はそれを
拒否。大陸中央のパナソニ・ロックと言われる巨大な岩に立つ塔に
隠れた。
そして
その大魔道師の名を知るものは居なかった。
ーーーーーーーーーーーーーー
魔人、なかでも魔王クラスの力を持つものを魔神という。
その存在は上位魔人のさらに上を行く。魔人は、もともと寿命がな
い。殺されない限り死ぬことはない。しかし、魔神と言われるほど
の力を持つ者は、魂まで死ぬことがなく、500年で生まれ変わる
ことが出来るのであった。
17
そのことを知る者は﹃古の大魔道師﹄のみだったかもしれない。
18
創造と伝説︵後書き︶
ここまでお読みくださった方、ありがとうございます。
よろしければ続きもどうぞ。
19
ルシと王女
カノン王国からビズルトラ王国へ向かう国境付近、ディーエス山
脈を流れる渓谷沿いの山道を、2頭立ての馬車が土煙をあげ疾走し
ている。
渓谷沿いを走るには危険すぎる速度だ。1歩間違えれば谷底にま
っ逆さまである。にもかかわらず、御者は鞭を振るう。
馬車はさほど大きくはないが、少々の飾りが施され、多少の金持
ちが乗っているであろうと推測できるが、紋章などはなく、下級貴
族あたりか成金の商人あたりだろうか。
走る速度もおかしいが、ほかにもおかしな点がある。護衛の姿が
全く見当たらないのだ。
普通このような馬車には多少なりとも護衛の騎士なり、腕利きの
傭兵なりが前後左右を固めるものである。
ほどなく馬車の後方から蹄の音が幾重にも響いていきた。
土煙をあげる数頭の馬、その背に乗る男達の手には山刀や手斧など
の武器が光り、服装は簡素な服に胸甲を付けている。このあたり一
帯を根城にしている山賊である。
護衛の騎士や傭兵は逃げてしまったか、この山賊達に途中で殺ら
れてしまったのかもしれない。
﹁追え!逃がすな!﹂
馬車をあやつる御者の顔は血の気も失せ冷や汗を流している。
馬車の中では豪奢なドレスを着たお嬢様と、その両脇の侍女2人が
震えていた。御者は必死の形相で手綱を操り山間の道を疾走してい
20
る。しかし馬車が、背に1人しか乗せない馬の速さに敵うはずもな
く、すぐにでも追いつかれて囲まれるのは目に見えている。
﹁キャノ姫様、もう少しのご辛抱です。この山を越えれば国境があ
るはずです。そこまで逃げ切れれば国境警備隊が居るはず、もう少
しご辛抱下さい﹂
馬車の中のお嬢様は1国の姫君であった。
御者は馬車の中の姫君を励ましていた。馬車の中から﹁はい﹂と
消え入りそうな声がしたが、御者には聞こえなかったであろう。し
かし実際に国境の砦までは、まだ馬車でも半日近くはかかる距離で
ある。山賊達と馬車の距離は、見る見るうちに縮まっていく。とう
とう山賊達は馬車のすぐ後ろの位置まで追い上げてきた。
﹁とまれっ!!﹂﹁とまりやがれーっ!﹂
山賊の1人が馬車に併走してきた。馬車に乗り移ろうとしている
のである。
御者は馬車を山賊が乗る馬にぶつける様に手綱をあやつり、なん
とか山賊を馬車に近づけないように操縦する、馬車に乗り移られた
ら、そこで終わりなので必死である。
山賊としても、ここで手荒な真似は出来ない、御者を切り殺すな
ど造作もないが、しかし下手すれば馬車は谷底である。
金目のものは馬車の中にある、馬車の中のお嬢様も身分によれば、
結構な身代金が取れるかもしれない。とれなくても若い女であれば
奴隷として高く売れるであろう。
﹁御者ーーー! 馬をとめねーかぁぁ!﹂
﹁止めねーと、命はねーぞ!!﹂
﹁おとなしく止めれば、てめーの命は助けてやる!﹂
山賊達が御者に怒鳴る。
21
所詮、御者なぞ貴族に使われているだけ、脅して、命の保障をす
れば、すぐ止めるであろうと判断したセリフである。
しかし。
﹁このボルゾー、命ある限り馬車を止める気はないわぁ!﹂
御者も怒鳴り返す。
馬車を止める気などない。
山賊の約束など、まったく信用していない。
というか、この御者は︵自分の命を捨ててもお姫様をお守りする︶
と心に決めていたのである。自分だけでも助かるつもりなら、とっ
くに馬車をとめて山の中に1人逃げればよかったのである、山賊達
の目当ては馬車のなかの人間と金目のものだけなのだ、御者なんか
に用はない。わざわざ馬で追えない山中を追ってまでは来ないはず
だ。
この馬車に乗るお姫様、キャノ・フォレスト・カノン。
カノン王国、カノン王の第1王女であった。御歳14歳。
ビズルトラ王国へ養女として向かう道中であった。実際には人質
である。
現在、カノン王国とビズルトラ王国は犬猿の仲であり、小競り合
いが続いている。
力関係は圧倒的にビズルトラ王国が上で、本来なら攻め落とした
いところであるが、500年前の5大大国不可侵条約の所為で、余
程の大義名分でもなければ他の5大大国も黙ってはいない。
そんな折、カノン王国に対し、ビズルトラ王は、﹁伝説の5人勇
者の末裔たる自分達が争うのは可笑しい、怨恨を無くし対等の和平
を結ぼう﹂と言ってきたのである。その為にも血縁を結び、より一
層親睦を深める為に、ビズルトラ国王子とカノン国王女の縁談を持
ち掛けて。しかも両国の仲裁として5大大国の一角モリリス王が入
ったのである。
22
強国から弱国への和睦案。しかも強国であるビズルトラ王国が折
れた形である、さらには仲裁としてモリリス王家まで絡んできては、
さすがにこれを拒否することは難しい。
なぜモリリス王が?と思うが、ビズルトラは大陸最大の勢力を持
つ王国である。致し方ないのかもしれない。
カノン王としては、仕方なく王女を差し出すしかなかった。
しかし、まだ14歳だという理由で、まずは養女として、そして
15に成った折に﹁縁談を進めたい﹂という形にしたのである。
カノン王国で嫁入りは15歳からという法律があるため、なんと
か切り抜けた形であるが、ここでもう1つの問題があった。
国民の声である。キャノ王女は国民に大変人気があった。
カノン王国史上もっとも可憐な王女として。
そして、その優しさも人気を高めた。
市街視察の折には、常に国民に笑顔で手を振り、よくお声もかけ
ている。それも平民貴族の区別無く、優しいお声を。
それをこんな形で、ビズルトラ王国に差し出すなど国民が黙って
はいないだろう。下手をすれば、暴動が起きるかもしれない。
そこで、国民や騎士達には知らせず、内密に隣国へ御連れするこ
ととなった。
下級貴族程度が乗る馬車に、一応腕利きではあるが、護衛も少な
めにし、出来るだけ目立たぬように計らったわけである。
御者は王家に仕えて数10年、キャノ姫が生まれたときから、な
にかと面倒をみてきたのである。キャノ姫は大の動物好き、その中
でも特に馬が大好きで、よくお城を抜け出し、馬房に遊びに来て、
この御者とも顔見知りであった。王族のお姫様としては珍しく王族
23
としての驕りなど皆無で、この御者に対しても﹁おじいさん♪﹂と
呼び、名前を知ってからは﹁ボルゾーさん♪﹂と呼び捨てなどはぜ
ず、いつも可憐な笑顔で接していたのである。
御者のボルゾーとしても、自分の孫のように思うほど、可愛がっ
ていた。
もちろん、王女と御者という身分差、口に出すことはなかったが⋮⋮
御者の手綱さばきは、たいしたものであった、山賊達は馬車の前
に出ることが出来ない状態が続いている、前にでれば馬車は止めら
れてしまう。道が狭いこのも功を奏した。馬車の横は馬一頭が通る
のがギリギリの隙間しか開いていなかったからである。馬車の右が
あけば、左は通れない、逆もしかり。
そんな状態がどのくらい続いたか、山道右の、谷底に流れる渓谷
は、前方が滝になっている。滝の先には、もう谷はない、ただの緩
やかな川だった。馬車の前方の視界が急に広がった。山道右は、谷
が消えたかわりに、川原が一面に広がっていた。馬車が滝の横を過
ぎると、山賊は一気に、川原から馬車の前にでる。馬車は山賊に囲
まれてしまった。
﹁﹁﹁キャーーーーーー!﹂﹂﹂
﹁おらー!馬車から降りろぉぉーー!!﹂
﹁姫様に触るんじゃない!﹂
馬車の手綱が山賊によって切られ、とうとう馬車が止まってしま
う。数人の山賊に囲まれ、馬車の中から王女と侍女2人が引きずり
出された。御者は御者台から飛び降り、王女をかばう様に立つ。
馬車の中には金銀財宝、隣国への高価な贈り物が積まれていた。
﹁﹁﹁﹁﹁﹁うっひょー!﹂﹂﹂﹂﹂﹂
24
山賊達から歓喜の声があがる。
﹁こりゃー上玉だぜぇ!﹂
﹁まだ小娘だが高値で売れるぜぇ!﹂
キャノ姫は、歳はまだ14だが金髪碧眼、流れるような金髪は腰
までとどき、肌は雪のように白い、病弱な白さではなく健康的な白
さである。すっきりとした鼻腔、丸く大きな瞳、小さく薄紅をさし
た唇。まだあどけなさが残る美少女であった。絶世の美少女と言っ
てもいいだろう。
キャノ姫と2人の侍女は震えて抱き合っている。御者はキャノ姫
たちの前に立っているが首には山賊が山刀をあてていた。
﹁お頭ぁー、御者は殺しちまっていいですかい?﹂
御者の首に山刀をあてている山賊が、聞いてきた。
山賊の頭が答える前に、姫君が叫ぶ!
﹁待ってください!! お願いです。どうかわたくし以外の者には
手を出さないで下さい。なんでも言うことを聞きます。どうか、ど
うか!﹂
眼に涙を浮かべ必死に訴える。
この言葉に嘘はない。
自分の所為で他の者が殺されるのだけは耐えられない。
もしそれが、たとえ命と引き換えであってもそれに従う。
その覚悟はある。
﹁﹁キャノ姫様⋮⋮﹂﹂
2人の侍女が涙を浮かべながら、あっけに取られたような顔で呟
く。
﹁⋮⋮﹂ 御者は声にならなかった。ただ涙が流れた。
25
﹁やさしいお姫様じゃねぇかぁ、だがそれは無理ってもんだぜぇ﹂
お頭らしい男が、王女に近づいて言い放つ。
山賊には、慈悲の心など、欠片もなかった。
﹁金はもう俺達のもんだ!、もちろん、おめーらの命もなぁ、わっ
はっはっはっはっ!﹂
﹁まぁ、お姫さんは、大事な売りもんだぁ、殺しゃーしねーよ!、
そっちの女2人も、なかなかの上玉だしなぁ、へっへっへっ!﹂と
嫌らしく笑う。
﹁だが、じじぃは役に立たねぇなぁ、がっはっはっ!﹂
﹁﹁﹁﹁﹁わっはっはっ!﹂﹂﹂﹂﹂
お頭らしい男のセリフが終わると、他の山賊達も一斉に声をあげ
て笑い出した。
御者はその場に跪き、両手を胸の前で組み天を仰いだ。
﹁大地母神マーラよ、どうか姫をお助け下さい。どうか⋮⋮﹂
御者は胸の前で腕を組み、涙ながらに訴えた。
﹁神など、いないぞ﹂乾いた声が川の方から聞こえてきた。
皆が声の方に振り向くと、1人の男が、こちらに歩いてくるのが
見えた。
カノン王国からビズルトラ王国へ抜ける国境付近。ディーエス山
脈を流れる渓谷。
一人の異様な男が川原で魚を焼いていた。川原に薪をくんで火を
おこし、串にさした30センチ前後の魚を火であぶってるのである。
26
そのすこし離れたところでは黒毛の馬が雑草を食べている。馬の背
には鞍がとりつけてあり、マントの様なものが掛けられていた。そ
の鞍には布の袋がぶら下げてある。どこにも繋がれているようには
見えないが、この男の馬なのだろう。
その魚を焼く男は今は腰をおろしているが立ち上がれば身長17
5センチメートル程度はあるだろう。肌の色は少し白く中肉中背で、
身なりは薄手のシャツに皮のジャケット、同じく皮のズボン。高価
な服装には見えないし、傭兵や戦士のような装備でもない。ごく一
般的な平民の服装に見える。
では、どこが異様なのか、その服装には似合わない長剣を所持し
ていること、そしてこの世界では、まずあり得ない髪と瞳の色。髪
が白金、瞳は虹彩異色で赤と金。そして鋭く人を寄せ付けない雰囲
気をかもし出す眼光も異様の度合いを上げているかもしれない。
その異様な男は魚を食った後、横になり寝転んでいた。
べつに眠っていたわけではない。旅を始めて2年半、もうすぐ目
的地に着く、その後のことを思案していたのかもしれない。
そんな時、馬車の走る音が聞こえた。それも、こんな山道であり
えない速度で走ってるような音だ。音が聞こえるほうを見ていると、
ほどなく馬車が姿を現した。すぐ後ろには数10頭の馬に跨る男た
ち。馬車の豪奢さに比べ、男達はいかにもガラが悪い。傭兵か? とも思えるが、騎士風の護衛が居ないのもおかしい。まして速度が
速すぎる。男達の手には山刀や手斧が握られている。
︵山賊に追われているのか?︶
男がそう思ったとき、その馬車は山賊に囲まれ止められた。
寝転がっていた男は、おもむろに起き上がり、剣を片手に馬車に
向かって歩き出した。
山賊達は、此方に気付く風でもなく、豪奢なドレスを着た少女と
27
メイド風の少女2人を馬車から引きずり出した。
少女達の悲鳴と山賊の馬鹿笑いが重なる。
そして、跪き大地母神に祈る男。
﹁神など、いないぞ﹂
その男は、そう言いながら山賊達に向かってその歩を進める。
山賊達が怪訝な表情で一斉に振り向く。キャノ姫も侍女2人も御
者も、一瞬恐怖を忘れたように、声のほうに視線を向けた。男はそ
んな視線を気にすること無く、どんどん山賊達のほうに近づいてい
った。
﹁なんだ、てめーわっ!!﹂
一人の山賊が、訝しい表情で男に近づき、﹁ぶっ殺されたいのか
ぁ!!﹂と恫喝してきた。
その刹那、銀色の軌跡を残し、男の右手が上に持ち上げられ、そ
の手には銀色に輝く長剣が握られていた。誰の眼にも男が剣を振る
う動作が見えなかった。気がついたら持ち上げた手に剣が握られて
いた、そういう感じである。
その男は、山賊の横を普通に通り過ぎる。その恫喝して来た山賊
はまったく動く気配が無い。しばらくして、山賊の体がゆっくり傾
いで、そのまま崩れ落ちた。そして首から上が地面に転がった。
そこにいた、すべての者、その異様な男以外が呆気にとられて身
動きひとつしない。
一瞬、自分達を助ける為に来てくれたのかと期待したキャノ姫や
御者達は、その考えを打ち消した。助けに来てくれたと思った男に
山賊以上の恐怖を覚えたのだ。
﹁選べ、この場で死ぬか、逃げるか﹂
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静かな声音だが、地の底から響いてくるような、その声音には、
身を震わせるほどの重圧感があった。
﹁⋮⋮﹂
﹁まぁ、逃げても殺すがな﹂
男は右手に持った剣を肩に担ぎ、まるでゴミを見るような眼で山
賊達を眺めていた。
対する山賊達、とくに山賊の頭は、この男が只者ではないことを
肌で感じている。ただ、此方は10人、それに対してこの男は1人
なのだ、ただ一人の男に10人の山賊が殺られるとは思えない。し
かし理由がわからない不安に駆り立てられる。この男は危険だとい
う不安に。
だからといって部下の手前、びびる訳にはいかない。だが少し時
間を稼げば、護衛の騎士達を片づけている仲間がやってくるはずだ。
﹁⋮⋮て、てめぇは、な、なにもんだ?﹂
山賊のお頭は、ゆっくり、静かに聞いた。
その顔には恐怖が浮かんでいる。
今まで後ろで、声も出せなかった仲間が、一斉に男に罵声を浴び
せようとしたとき、お頭が、とめた。﹁てめーらは黙ってろ!!﹂
とにかく、冷静に時間を稼ぎたかったのだ。
﹁オレは質問しろとは言ってない﹂
ビュン!
耳元で風を切る音が聞こえた。その手に握られた剣が首筋に当て
られていることに気付く。その男の動きが全く見えなかった。
山賊の頭は立ってるのがやっとだった。膝が笑っている、走って
逃げ出したいが、動けない。
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﹁オレは気が短い、選べないなら今すぐ殺すが⋮⋮﹂
そう口にした男の顔に、一瞬凍てつく笑みが浮かんだ様に見えた。
山賊の頭は理解した。
︵普通に考えれば、オレを殺せるはずがない。殺せば部下が黙って
いない。これはただの脅しだと。しかし、こいつは違う、脅しなん
かじゃない、ほんとにオレを殺す。なんの躊躇いもなく殺すだろう
と︶
そういう風に理解してしまったのだ。
と、その時、馬の蹄の音が聞こえた、それもかなりの数が、此方
に向かっている。
馬の数およそ70頭が、あっというまに馬車の周りにやってきた。
どうやら山賊の仲間のようだ。しかし、異様な雰囲気の男によって、
お頭の首に剣をあてられている光景に驚愕の表情を表す。
﹁お、お頭⋮⋮﹂
﹁て、てめぇ、いったい何のつもりだぁ!!!﹂
新たにやって来た山賊が、お頭に剣を向けている男に、怒鳴りつ
けた。
怒鳴りつけられた男は山賊のお頭に向けていた剣を離し、馬上で
怒鳴っている男の方に歩き出した。
﹁や、やろーどもぉ!、こいつをぶっ殺せー!﹂
山賊のお頭が、自分から剣が離されたことで、気を持ち直したの
か、部下を叱咤する。
﹁﹁﹁﹁おぉぉぉ!!﹂﹂﹂﹂
異様な男の、周りにいた5,6人が、一斉に切りかかった。
﹁﹁﹁キャァーーーーー﹂﹂﹂
キャノ姫と侍女達の悲鳴が静かな森に木霊する。
30
シュバー!
肉を切り裂く音の後に血飛沫が舞った。
その男は少し膝を落とし、剣を水平に腕を伸ばして立っているが、
その体は真っ赤に染まっていた。綺麗な白金だった髪は、今や真っ
赤に染まり、顔も体も、どこもかしこも元の色が判らないほどの血
で染められた。
切りかかった山賊達が、みなその場に崩れ落ちた。先に殺された
山賊の時と同様に、誰もその男の動きが見えなかった。人間の動体
視力では、捉えきれない剣筋、足裁きだったのだ。
山賊達はその男の顔を見た。血で真っ赤に染まった顔に、2つの
異様な光、開かれた虹彩異色の赤と金の光に恐怖する。
さらにその男は、なにやら魔法の呪文を唱え、右腕を持ち上げた。
その腕を一気に下ろすと、山賊達の頭上に突如出現した魔法陣が
眩く光る。そして雷鳴とともに幾筋もの閃光が走り、ドカドカドカ
ン!と激しい爆発音が辺り一帯に響き渡った。その閃光が走った先
には、数10人の黒こげ又は炭化した山賊が倒れていた。
﹁﹁﹁うわぁぁぁ﹂﹂﹂
﹁﹁﹁ば、ばけもんだぁぁぁぁ﹂﹂﹂
残りの山賊達は、みな背を向け逃げ出した。
山賊達の逃げ足は速かった。あっという間に、馬車の周りには、
キャノ姫と侍女2人と御者しか居なくなった。
シーンと静まり返る川原。
﹁あ、あの⋮⋮﹂
震えるような小さな声に、その男の赤と金の瞳が、王女の目を見
31
据える。
︵怖い、声がでない。たぶんこの方は私達を助けて下さったのだと
思う、お礼を述べなくては︶ キャノ王女はそう思うのだが、恐怖
で声が出ない。
男の目が少し、ほんの少しだけ悲しそうに見えた気がした。
気のせいだったのかもしれないが。だが、一瞬で、もとの鋭い氷
のような眼にもどっていた。
そして男は、川に入り全身の返り血を洗い流すと、そのまま立ち
去ろうとした。 ﹁あのー、もし、宜しければお名前を聞かせてもらえませんか?﹂
そこで御者が、恐る恐る声をかけた。
振り返った男は、御者を一瞥して﹁そっちは?﹂と一言発した。
名を聞くなら、まずそっちから名乗るべきだろう、という態度で
ある。
﹁失礼しました。私は然る貴族の屋敷で御者をしております、ボル
ゾーと申します。あちらに居られますのは、そのご令嬢でキャノ様
といわれます﹂
御者は恭しく頭を下げると、そう説明した。さすがに王女とは言
えなかった。
﹁ふーん⋮⋮まぁいい、オレはルシと言う。一応冒険者だ﹂
ルシと名乗った男は、なにかいい含むような物言いで、少し眼を
細めた。
一瞬御者の体が、ぶるっと震えたが、気にしない。
﹁先ほどは誠に有難うございます。キャノお嬢様に成り代わりお礼
申し上げます﹂
32
またも、恭しく頭をさげる御者。そのこめかみには1筋の汗が流
れている。
﹁べつに、助けた訳じゃない﹂
﹁え、いや、あの⋮⋮ しかし⋮⋮﹂
御者は、そう言われてしまうと、次の言葉が見つからなかった。
﹁用が無いなら行くぞ﹂
そう言って、ルシと名乗る男は立ち去ろうとした。その時。
﹁お待ち下さい﹂
震えは収まったのか、凛としたそれでいて透き通る様な声で、ル
シの足を止めた。
﹁ん?﹂
﹁先ほどは私共を助けて頂き、誠に有難うございました。﹂
深々と頭を下げるキャノ。
﹁わたくしは、キャノと申します。訳あって詳しい素性は申し上げ
られませんが、もし宜しければ、ビズルトラ国王都ディアークまで
お供願えませんでしょうか?﹂
そう言って頭を下げた後、ルシの眼をしっかり捉えた。先ほどの
怯えなど微塵も感じない ルシはほんとに、さっきと同じ少女かと
訝しむほどだった。
﹁護衛と言うことか?﹂
回りくどい言い方が出来ないルシはあっさり聞いた。
﹁はい、もし宜しければですが⋮⋮﹂
﹁あぁ、どうせビズルトラ王国に行く予定だったし、別に構わない
が⋮オレが怖いんじゃないのか?﹂
﹁あっ、申し訳ありません。先ほどは、つい⋮⋮その、今でも、亡
くなった方達を見ると脚が震えて、そちらを見ることも出来ません
が、その⋮⋮﹂
はっとして、少し頬を朱に染めながら、しどろもどろになるキャノ
﹁いや、いい。じきに血の匂いに誘われて狼がくる。早く行こうか
?﹂
33
﹁はいっ!ありがとうございます﹂
そしてお姫様一行は、ルシと名乗る男と、その場を後にビズルト
ラ王国に向かった。
34
シェラとキャミ
真っ暗な闇、静寂の無。
⋮⋮ここはどこ?
あれ、声がでない。
怖い。
誰か助けて。
おかーさん助けてー!
怖いよーーーーーーーー
はっ!と目を覚ます。
あたりを見回して夢だと気付く。
﹁夢か⋮⋮﹂
久々に見た忌まわしい夢、いや忌まわしい過去。
ふと御令嬢一行のことを思い出し、馬車を確認する。
︵異常はなさそうだな︶
ルシは自分のシャツがびっしょり濡れていることに気がついた。
全身汗だくだった。
焚き火は消え、あたりはまだ暗く、月明かりしか無い、夜明け前
のようだ。
あまりにもビショビショなので水浴びしたい気分だが、街道が川
から少し外れて水浴び出来るような水場は見当たらない。とりあえ
35
ず着替えることにした。
普段は長袖、長ズボンに手袋の為、肌の露出は顔だけなので判ら
ないが、こうして衣服を脱いでいくと、忌まわしい過去が思い出さ
れる。月明かりに照らされて全身に刻まれた古代文字が発光してい
るように見えた。
あれは幾つのことだろう。
物心ついた時からずっとか⋮⋮
山間の小さな村、オレが生まれた村、村の名はカイロ。
そこでオレは村人から悪魔と蔑まれていた。
そう、髪が銀色だった所為で。
いつも、苛められていた。友達もいなかった。家からでると、石
を投げられた。
父親は居なかった。母親と2人暮らしだった。
母親はいつも泣いていた。
母親はオレを殺そうとした。
そして母親も自ら、その命を絶った。
オレは死に切れなかった。
心臓に短剣を突き立てられたにも関わらず。
7歳のころ村に﹃古の大魔道師﹄とかいうローブを纏った男が現
れた。
その魔道師に封印の為だと、体中に文字の様なものを刻まれた。
あまりの激痛に、気が狂いそうだった。
その封印が終わった時の、村長の驚愕の表情は今でも覚えている。
その時に髪の色が銀から白金に変わった。
黒だった目の色も、右目が赤、左目が金になっていた。
36
肌の色も血の気が失せたように青白くなっていた。
その後すぐに、魔道師と村長に連れられ、洞窟に幽閉された。
﹁お前は呪われている、この洞窟で一生を過ごすのだ﹂と。
洞窟の入り口の扉は鍵が掛けられ、一切出ることを許されなかっ
た。
洞窟には昼も夜もなかった。
洞窟の中は真っ暗で松明の明かりもない。
一日一回パンと具のないスープが届けられた。
その時、扉の小窓が開くが、外はいつも暗かった。たぶん夜だっ
たのだろう。
どのくらいの時を洞窟で過ごしたのだろう。
相変わらず洞窟は真っ暗な闇だった。
しかし見ようと意識すれば微かに見えるようになっていた。
それからほどなく、意識すれば洞窟の内部がはっきり見えるよう
になった。
意識を切れば相変わらず闇だった。
自分の中に、今まで気がつかなかった力の様なものをハッキリ感
じていた。
そう、魔力を、それも膨大な魔力。
同時に、魔法が使えることも⋮⋮
魔法で洞窟の扉は、簡単に壊せた。
自由になった喜びもあった。
自由を奪われた恨みもあった。
だが、悪魔と罵られ、母親が自害し、幽閉されたことも必然に思
えた。
判らないのは、この体の文字の様なものと、髪と眼の色だった。
37
すぐ村に向かい、村長の家に行った。
村長の目には驚愕と忌避の色が浮かんでいた様に思う。
村長に尋ねた。
この体の文字の様なものが、なんなのか。
この髪と眼の色はどうしてか。
なぜ洞窟に幽閉したのか? なぜ殺さなかったのか?
村長の答えは、この文字の様なものが古代文字だということ、そ
れ以外は魔道師の言に従っただけで何も判らない。魔道師に聞いて
も教えて貰えなかったと、ただ絶対に死なせず、洞窟から出すなと、
そう言って魔道師は去ったと言う。
そして魔道師はビズルトラ王国に住んでいるといった。
オレが洞窟に幽閉されていたのは6年間だった。
自由になれた喜びは少しあった様に思う。しかし自由になったか
らと言って、なにをすればいいのか、なにをしたいのか判らなかっ
た。別に生への執着もなかったが、死にたいとも思わなかった。こ
の村にオレの居場所がないのはハッキリしていた。この容姿だと、
世界中どこにいってもオレの居場所がないと想像するのも容易かっ
た。
行くあてはない、しいて言うなら、魔道師を探し出し、謎を解く
くらいか。
それもどうでもいい事という気もしたが⋮⋮
それからすぐに旅立った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
村を旅立つときは、たしか春だったきがする。冬は2回越した。
もうすぐ3回目の冬が来る。随分と寄り道をしたが、ビズルトラ王
38
国の王都まではもうすぐだった。昨日は国境も越えた。あと数日で
王都に着くだろう。
そして今、王都に向かう街道を、昨日出合った御令嬢の共として、
その馬車の横を愛馬のブライに跨っている。
今までの旅で意外に思ったのは、この異様な容姿だが、カイロの
村ほど忌避されることはなかったということだ。まぁ多少驚く程度
だろうか?
石を投げられることなど一度もなく、たまに﹁なんで、そんな色
してるんだ?﹂と聞かれることはあるが、﹁判らない﹂と答えると
﹁そうか﹂と笑うだけだった。
なかには、﹁綺麗な髪をしている﹂と言って﹁触らせて欲しい﹂
と言うやつまで居た。なぜか、そういうやつは女ばかりだったが⋮⋮
ただ、騎士や警備兵などは別である。砦や都への出入り口でも必
要以上に詰問されることが多い。忌避はさてれないようだが、やた
らと警戒される。どうも普通の人間とは思ってもらえず、魔人族や
獣人族かと疑われる。
たしかに、普通の人間ではないんだろうが⋮⋮
それ以外にも旅で色々知りえた事は多い。
魔法については、あまり使わないほうが良いという事もわかった。
遠い昔、この大陸は魔法文明が栄え、大勢の魔法使いがいたそうだ
が、今はほとんど居ないらしい。たまに居ても使える魔法は下位魔
法のみ。つまり使うとしても下位魔法のみがいいだろう。別に忌避
されるという訳ではなく、魔法使いは、危険人物として各国で警戒
されのだ。魔法使いは時として、騎士数十人にも匹敵するからだ。
たしかに、攻撃魔法一つで盗賊団を壊滅したこともあった。
まぁそういう事情で魔法は出来るだけ控え、剣を持つようになっ
たのだが、剣についても興味深い話が聞けた。魔法文明が栄えたこ
39
ろに作られたもので、魔力を剣に付与した、魔剣というものが、ま
だこの時代にも残っているらしい。その魔剣は付与された魔力にも
よるらしいが、とにかく切れ味が抜群で、刃こぼれも滅多にないら
しく、中には特別な力がある剣もあるらしい。
少し興味があるので、魔道師探しが終われば、魔剣探しでもして
みようかと考えている。ちなみに、自分で剣に魔力を付与しようと
したが出来なかった。
とにかく、ほとんど洞窟に幽閉されていたので、なにも知らない
のと同じだった。
旅は、そういう意味でもいい勉強になる、大陸の文化、歴史、伝説
など、色々と知識も増えた。
もう一つ判ったことは、魔法はともかく、剣術や格闘術、馬の乗
り方など、体を使うことは、なぜか普通にこなせた事だ。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
平原を北から南にゆっくりと流れる川に沿って街道は続いている。
国境の砦で聞いた話によれば、砦から王都までは馬車で3日程だと
いう。
貴族のお嬢様が一緒なので休憩も多くなり、あれから結局4日か
かったが、何事もなく無事にビズルトラ王国の王都ディアークに到
着した。
ほぼ4日御令嬢達と旅をしたわけだが、殆ど口を利くことも無く、
途中山賊等に出会うことも無く、無事到着となった。
そして別れ際。
﹁本来は、お礼として金銭を御渡しするべきなのでしょうが、今は
持ち合わせが有りません。どうかこれをお受け取り下さい﹂
40
そう言って、御令嬢は自分の首に掛けられたペンダントを外し、
一瞥してから一度しっかり握り締めて、そっと手を差し出してきた。
﹁﹁﹁お、お嬢様⋮⋮それは⋮⋮﹂﹂﹂
﹁いいのです﹂
それは各所に宝石を散りばめ、なにか意匠を凝らした見事なペン
ダントだった。
一目見ただけでも、そうとうの値打ち物だとわかる品。
﹁相当な値打ち物だな、こんな物を貰うほどの仕事はしていない﹂
﹁いいえ、わたくし達4名の命をお救い下さいました。なんのお礼
もしない、という訳にはまいりません。それに、わたくしにはもう
必要の無い物⋮⋮どうか御受け取り下さい﹂
御者が心配そうに見守り、メイドはオロオロとしている。
そんな物を渡してしまっていいのか?という表情である。
﹁わかった、ありがたく貰っておく﹂
まぁ本人が良いと言うのなら、無理に断る必要も無いだろうと、
受け取った。
そうして、そこで御令嬢達と別れた。
しかし、受け取ったはいいが、こんな物、オレにも必要ない。
渡された時の表情を思い出せば、さすがに売り払うことも躊躇す
る。オレはいったい何をやっているんだと、呆れた。
さすがに大陸1,2を争う王国、その王都ディアークは、美しい
街並みだった。
その大通りは石畳で舗装され、通り脇には露店や様々な店で賑わ
っている。通行人も髪の色、肌の色も色々で、服装も多種多様の体
を示していた。人間以外の種族も普通に暮らしているのかもしれな
い。時折、馬車や馬に乗る人も居るが、ほとんどが徒歩である。
御令嬢一行と別れたルシは、ふと見つけた宿屋兼酒場﹃山猫亭﹄
の扉を開けた。店内を見渡すと、4人から6人ほど座れるテーブル
41
が5つほど、あとカウンターにも椅子が10ほどあり、大勢の客で
賑わっていた。客を見ると、獣人やエルフ、ドワーフと言った種族
もいる。給仕は猫の獣人のようだ。
﹁いらっしゃーい﹂と女将らしき、中年女性の声が店内に響く。
女将に、軽く会釈してカウンターの椅子に腰を下ろし﹁エールを
一杯﹂と注文する。
すぐにカウンター内に居た店主らしき、恰幅のいい中年の男がエ
ールを差し出してきた。
﹁見かけない顔だなぁ、冒険者か?﹂
﹁へぇ綺麗な髪をしてるねぇ、あら、眼も素敵じゃないかい?﹂
店主らしき男と、女将らしい女に声を掛けられる。
これはいつものことだ。あまりにも奇異な容姿のため、こういう
酒場ではすぐ声をかけられる。最初はそういうことを嫌ったが、今
では情報集めには、こういうきっかけを相手から持ちかけてくれる
のはありがたいと思ってる。
いつもされる質問に適当に受け答えし、本題の質問をこちらから
してみることにする。
﹁ところで、この国には﹃古の大魔道師﹄が居るって聞いたんだが
?﹂
﹁あぁ、エンムギ様のことかい?﹂
﹁エンムギ様?﹂
﹁あぁそうさ、数年前までは、お城に宮廷魔術師として御仕えして
たんだけどねぇ、今はこの国の西にあるパナソニ砂漠の古代遺跡に
行ってるって話だねぇ﹂
意外にあっさりと情報を得られたことに少し驚いたが、﹃古の大
魔道師﹄なら有名人なのだろうから当然なのかと適当に納得した。
﹁パナソニ砂漠の古代遺跡?﹂
パナソニ砂漠のことは聞いたことがあった、大陸の中央に位置し
42
最大の砂漠、昼間は50度を楽に超え、夜には氷点下まで下がり、
サンドワームという巨大な魔獣が住むという。冒険者さえあまり足
を踏み入れない危険な地域だと。しかし古代遺跡があるという話は
初耳だった。
﹁あぁなんでも古い遺跡らしくてねぇ、あまり人には知られてない
し、エンムギ様は従者の人と調査してるらしいよ﹂
﹁調査?﹂
﹁って、あんたエンムギ様になんか用なのかい?﹂
﹁いや、用って程じゃない。有名な大魔道師なら話を聞いてみたい
と思っただけだ﹂
と、誤魔化す。
﹁まぁそりゃ大魔道師様だからねぇ、誰でもそう思って当然だねぇ、
あっはっはっ﹂
うまく誤魔化せたようだ。
まだ、聞きたいことはあるが、とりあえず、食事を注文した。
あまり一つのことに固執して聞くと警戒されやすい。質問を変え、
街のこと、どんな店が何処にあるか等を聞くことにした。
ある程度街の事は聞けたし、食事も済んだので、今日はここを宿
とすることにした。
ルシは宿帳に名などを記入する時に、カウンターの男は、ここの
店主で、女はその女房だと教えられた。
店の奥にある階段を2階に上がりながら、ふと店主と女将に眼を
向けた。
︵まぁ明日もう少し深く聞いてみるか⋮⋮︶
翌朝、﹃山猫亭﹄の女将に聞いていた冒険者ギルドに向かってみ
た。
この街もそうだが、各国の街には色々なギルドが存在する。
冒険者ギルド、傭兵ギルド、商人ギルド、魔法師ギルド、暗殺者
ギルドなど。まぁ暗殺者ギルドは公けに運営されている訳ではない
43
が⋮⋮
その各ギルドは組合という組織下に置かれ、その組合を統括して
いるのがギルド連合組合、その総元締めが商業都市フェールベンに
ある。
商業都市フェールベンは近年栄えてきた街で、肥沃な大地と温暖
な気候に恵まれ、豊かな産物、産業に支えられ、高い軍事力をも備
えていた。その中心がギルド連合組合で、各ギルド組合の長から選
出される長老は、大国の王と同等に扱われる存在である。
それらのギルドは全て共通して登録制になっていて、どこの街の
どこのギルドで登録しても、すべて商業都市フェールベンのギルド
連合組合で管理される。
ちなみに、ルシはすでに別の街で登録を済ませている。旅をしな
がら各街でギルドの依頼をこなし、日銭を稼いでの旅をしていたの
である。
目的の冒険者ギルドは﹃山猫亭﹄から歩いて数分で見つかった。
扉を開け中に入ると、冒険者なのだろう、雑談をしている数人の
男たちと2人組の女が居た。奥のカウンター内には20歳位だろう
か、なかなか上品な顔立ちの女性が独り、なにやら読書中のようだ。
受付係りだろう。
どこのギルドでも同じだが、出入りは自由、仕事が欲しければ、
壁等に張られている依頼の用紙を剥がして、カウンターの依頼受け
付け係りまで持っていけば良いだけである。
まぁランクにより、なんでも受けれるわけではないが、自分のラ
ンク以下の仕事ならなんでも受けられる。ルシはCランクである。
ちなみにランクとはAからJまであり、Aが一番上とされている、
最初の登録時はJから始まり、仕事をこなせば上がる仕組みである。
44
ランクにより報酬も変わり、ランクが高ければ報酬も高いが、危険
度、難易度が高くなる。ランクCともなれば、結構な高ランクで、
各都市に十数人しか居ない。ランクBなどは、各都市に数人、Aと
もなれば大陸内にも数人しかいない。
とりあえず、持ち金が少ないので、短時間で出来るだけ報酬の高
い依頼を探すことにした。まぁCランクの仕事なら、相当額が期待
出来るのだが、高ランクの依頼は中々少ないのも現状である。
ランクD以下なら壁に貼り付けられるのだが、C以上の依頼を受
けたい場合は依頼受付係りに直接聞くしかない。高ランクの依頼は、
基本的に高難度で、公けに出来ない依頼が多いということである。
ちなみに、ランクD以下でも公けにしたくない場合、依頼者より
の申し出で壁に張られることはない、その分目に付きにくくなるの
ため、受けるものが中々いないのだが。
とりあえず、出来るだけ高ランクの依頼を受けたいので、受付で
聞いてみる。
﹁あーランクCの、出来れば討伐系の依頼があればいいんだが﹂
自分のギルドカードを提示しながら聞いてみた。
﹁はい、少々お待ち下さい﹂
受付係りが少し驚いた表情を見せたが、すぐ後ろの扉に消えた。
他の冒険者達も同じような表情でルシの方を見ていた。ルシの見
た目の若さとランクのアンマッチに驚いたのか、見た目の異様さで
驚いたのかは不明であるが、いつもの事なので気にもならない。
﹁申し訳ないのですが、ただ今ランクCの依頼は一件もございませ
ん﹂
奥から戻ってきた受付係りが、申し訳なさそうに頭を下げる。
﹁そうか、仕方ないな。ランクDで探してみる﹂
45
そう言って壁の依頼を探していると、後ろから声をかけられた。
﹁ねぇあなた、私達この依頼受けたんだけど、一緒にどう?﹂
振り返ると2人連れの冒険者らしい女だった。
片方の手を腰にあて、もう片方の手は依頼書を突きつけていた。
少し胸を逸らすようにして薄ら笑いを浮かべている女、たぶんこい
つが声をかけてきたんだろう。
その背には隠れるようにもう一人の女が少し俯き加減で自信無さ
げに立っている。
年の頃は2人とも10代後半だろうか。声をかけて来たと思しき
方は、栗色の髪に、赤い瞳。少しウェーブの掛かった髪を肩より少
し下まで垂らしている。少しつり上がった瞳は値踏みするように、
ルシを観察し、まったく遠慮がない。美人なのだが、少し高慢な女
というイメージだろうか。
方や後ろに隠れる女は、艶のある綺麗な金髪を短く揃えてカット
しているが、薄碧色の瞳と相まって、何処かしら高貴な感じである。
後ろに隠れるしぐさも遠慮深く大人しい令嬢をイメージできる。此
方は品のある美人だ。こうやって首から上だけを見ていると2人と
も冒険者には見えない。
しかしその体は、すらっとしていて、かなり引き締った感じに見
える。栗毛の女は腰に剣をぶら下げ、金髪の方はレイピアを挿して
いる。2人とも皮の膝上ズボンに皮のシャツ、小さな胸当にマント、
膝下までのブーツという、冒険者らしい装備をしている。
その突きつけられた依頼書を見てみる。
依頼ランク D
依頼内容 グリフォン一匹の捕獲
地域指定 無し
人数制限 無し︵推奨人員6人以上︶
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期限 依頼受託より3日
ペナルティ 無し
成功報酬 金貨3枚︵30万︶
依頼者 オッペン卿
備考 無傷で捕獲︵針などの小さな傷ならOK︶対象のサイズ制
限は無し。
ルシは猜疑の表情で、少し首をかしげた。
︵推奨人数6人なのに人数制限無し? そのうえペナなし? ⋮⋮
まぁランク付け、条件等はギルドの判断だ、どうこう言うつもりは
ない、ランクD2人じゃきついだろうとは思うがオレのしったこと
ではないか︶
﹁報酬が30万、1人当たり10万か、遠慮させてもらう﹂
そう答えると、栗毛赤眼の瞳が大きく開かれ、その口も半開き、
いかにも信じられないという表情をみせた。
﹁1人10万が不服だっていうの? ここらじゃ平民の1日の稼ぎ
は、多くても1000あるかどうかよ? ランクC様は1日10万
じゃ足りないってわけ? あんた普段どれだけ稼いでるっての? ちょっとなんとか言いなさいよ! すましてんじゃないわよ! て
いうかぁぁ、その歳でランクCーー? ごまかしてんじゃないの?
白状しなさいよ! えぇ? 黙ってちゃわかんないわよ! 口が
きけないの? どこまで偉そうなのよ!﹂
﹁ちょ、ちょっと、シェラってば、落ち着いて!﹂
栗毛赤眼が、すごい剣幕でまくしたてると、後ろの金髪薄碧の女
が、慌てて諌める。
﹁スゥハァースゥハァースゥハァースゥハァー﹂
﹁肩で息してるし⋮⋮﹂
﹁返事する間をあげないと⋮⋮﹂
47
他の冒険者風の男達が口にすると、﹁キッ!﹂という音が聞こえ
そうな眼で睨まれて、皆しらん顔。
﹁まぁ、おまえには関係ない﹂
﹁な、な、な、な、むぐぐっ﹂
シェラと呼ばれた女はプルプルと肩を震わせている、怒り心頭だ
ろうか。
そのシェラという女が、なにやら喚きそうだったが、すぐさま後
ろの金髪薄蒼の女が、ガバッ!と口を押さえると羽交い絞めにし、
バタバタと暴れるシェラを引きずり、そのままギルドを出て行った。
出て行く際に﹁ごめんなさい﹂と、頭をさげていた。
カラン。
ドアベルの軽い音だけがあとに残る。
シーーーン
そのあとに部屋は静まり返った。
﹁⋮⋮なんだったんだ?﹂
﹁⋮⋮なんだったの?﹂
と他の冒険者と受付係りが、呆れたように呟いていた。
ルシも思わず頷いてしまった。
気を取り直して壁の依頼を見ていたが、ふと疑問に思い受付係り
に、聞いてみる。
﹁このあたりにグリフォンの生息地でもあるのか?﹂
﹁はい、この街の北東に位置するエルフの森と呼ばれる樹海がある
のですが、ご存知ですか?﹂
﹁あぁ、知っている﹂
﹁その森に昔からグリフォンの生息地があります。ただ、最近にな
って、その道中の沼地にヒュドラが出るという噂もありまして、最
48
近はグリフォンの素材も不足気味ですし、もともとグリフォンは軍
や貴族の方のペットとしても人気があるのですが⋮⋮﹂
受付係りの声が尻つぼみになっていた。
噂? ⋮⋮なるほどな
﹁てか、ヒュドラが出るなら、それに関する依頼があってもいいと
思うが?﹂
﹁えぇ確かにあります。でも決まりなので詳細は言えませんが﹂
﹁ヒュドラっていやぁ、﹃炎瘴石﹄だろ?﹂
﹁え、えっと、その、決まりなので詳細は⋮⋮﹂
﹁まぁ他にあるわけも無いからいいが、で、もう一つ聞きたいんだ
が?﹂
﹁はい、なんでしょう?﹂
﹁仮にだ、仮に、依頼主の要求が﹃炎瘴石﹄だとしてだ、ギルドの
依頼を受けずに、それを取ってきた場合、ギルドはどういう対応を
する?﹂
﹁えっと、それは、時と場合によるというか、とにかく前もって、
どういう対応になるかは申し上げられません﹂
﹁そりゃそうか、まぁ﹃炎瘴石﹄なら素材屋や宝石屋に持って行っ
ても100万は下らないか﹂
﹁はぁ⋮⋮あの、どういうことでしょう?﹂
﹁いや、いい、邪魔したな﹂
﹁ちょ、ちょっとまって!﹂
ギルドを出て行こうとしたら、受付係りに呼び止められた。
﹁ん?﹂
﹁まさか、ヒュドラを討伐に行くのですか? ヒュドラ討伐はラン
クBで最低5人以上なんですよ?﹂
﹁そうか? まぁオレの敵じゃないし、金になるならなんでもいい﹂
﹁え、ええええええ⋮⋮まさか倒したことあるんですか?﹂
49
﹁ん? ⋮⋮そういや無いな﹂
カラン!
ドアベルの音に続いて、ギギィーと重厚な木製ドアの音がギルド
内に響く。
白金虹彩異色の男が出て行った。
大通りに出て、あたりを見回し、地図屋がどこだったか、昨日の
﹃山猫亭﹄の女将との会話を思い出してみる。
そのまま大通りを東に歩いて、路地のある角を右に曲がり、少し
歩くと地図屋が見えた。
﹁いらっしゃいませー﹂
小さな女の子が、元気よく挨拶をしてくる。
まだ7,8歳だろうか? 店番をしているのだろう。
﹁あー、エルフの森に関する地図はないかな? 出来るだけ詳細な
地図﹂
あまり小さな子と話した事が無いので、すこし言葉使いに戸惑う、
できるだけ、怖がらせないように勤めたつもりだが⋮⋮
﹁え⋮⋮えっとー、あ、ありますぅー、ちょっと待ってくださーい﹂
女の子は少しだけ驚いた表情をみせるが、すぐ笑顔に変わり、カ
ウンター内の棚を、ゴソゴソしている。
少し待つと、大きな羊皮紙を2枚出してきて、カウンターの上に
広げて見せてくれた。
﹁うちにあるのは、この2枚なんだけど、あ、2枚なんですけど。
えへへ⋮⋮ で、こっちはあんまり詳しく書いてないけど、安いん
です。でもこっちは、すごい詳しいんだけどちょっと高いんですぅ﹂
困った様な表情で説明してくれる。
さっと見ただけでも、高いという方の地図は、たしかにびっしり
50
と文字が書き込まれているようだ。
﹁いくらなんだい?﹂
﹁えと、これが1000で、こっちが、その⋮ご、5000です⋮
⋮でも、これお父さんが一生懸命作って、その⋮⋮﹂
5000と言う金額を、実に言い難そうに、最後は声が擦れてい
た。
﹁じゃその5000の方を貰えるかい?﹂
﹁え⋮⋮、あ、ありがとうございますぅーー﹂
ぱぁーっと笑顔になり、実に嬉しそうに、なんども頭をさげるの
で、思わず頭を撫でてしまった。
﹁えへへっ﹂っと首を少し傾けて笑顔を向けられたのは、なんとも
くすぐったい。
こんな感情は初めてだ、自分の顔が引きつっているようで、どう
も可笑しな気分だった。
銀貨で5枚を渡し、さっそく地図で確認する。森中央部は強力な
魔獣が生存する為立ち入り禁止区域となっている。森の外周は結構
細かく、洞窟、崖、沼、谷、川等の地形、そこそこ弱い魔獣や通常
の獣の生息状況、薬草、山菜、樹木の分布等も書いてあり、よくこ
こまで調べたものだと関心する。
さすがにヒュドラのことは書かれていないが、最近住み付いたの
ならしかたがない。しかしグリフォンの生息地は書かれている。目
的地はその左したの大きな沼だろう。
地図をたたみ、バックパックにしまい込み、少女に礼を言って店
をあとにする。振り返ると、笑顔で手を大きく振っている姿が、な
んともくすぐったい。
大通りまで戻ると立ち止まり、口笛を吹く。
﹁ピィィィーーーーーーーーーー!﹂
右手の親指と人差し指で円を作って、それを口に銜えて吹くだけ
51
だ。
そのまま大通りを東門に向かって歩いていると、すぐにブライが
走ってきた。
ブライは、﹃山猫亭﹄の前に繋いでいたのだが、口笛を聞いて、
起用に綱を外し、走ってきたのである。
走ってきたブライに飛び乗ると、﹁ごくろう﹂と首筋を撫で、そ
のまま東門に向かう。門を出て馬首を北に向けると、一気に加速。
街の北東、エルフの森を目指した。
52
魔獣ヒュドラ
ビズルトラ王国の王都ディアーク。北東にエルフの森、南には広
大な平原、西にミツビ川と、水と草木に囲まれた、大陸でもその大
きさなら1,2を争う大都市である。
その北東に位置するエルフの森は別名魔界の入り口とも呼ばれる。
エルフの森の名の由来は、古の聖戦で大陸中のエルフ達が逃げ込
んだことからその名前で呼ばれるようになったらしい。実際は森の
奥は魔獣が闊歩し、古龍と呼ばれる地上最強の魔獣が住むとされる
がそれは単なる噂だろう。さらに森の中央部にはエルフ達が隠れ住
むと言われる。
魔界の森と言われる所以は、聖戦の折、この地より魔人が出現し
たことで、森の何処かに魔界に通ずる道があると噂されたことによ
るものだった。
ただ真実は定かではないが⋮⋮
今、その森を目指す2人組の冒険者の姿があった。
前を歩くのは栗毛赤眼の気がきつそうな美少女、名前をシェラ。
その手には荷馬車を引っ張る馬の手綱が握られている。その後ろを
ついて歩くのが金髪薄碧の令嬢風美少女、名前をキャミ。両手で地
図を広げていた。2人ともランクDという、なかなか優れた冒険者
であった。
その2人の冒険者はディアークの東門をでて北に進み半時ほど進
むと、北と東に街道が分かれる分岐を街道から逸れて森の中に入っ
て行った。
53
森に入ると、世界が一変したような異様な雰囲気に包まれている。
木々は生い茂り、昼間だというのに日の光は、そのほとんどが葉
に遮られ、あたり一面薄暗い。先ほどまで聞こえていた小鳥のさえ
ずりも聞こえず、たまに聞こえるのは獣か魔獣の呻き声、あとは木
々や草葉が風で擦り合う音のみ。
森を知らない人々なら、その異様な雰囲気に居た堪れなくなり、
すぐ引き返すのだろうが、ある程度経験を積んだ冒険者なら、どう
ってことはない。実際にこのあたりなら、冒険者でなくとも、マタ
ギや、キコリ、採集や採掘目的の者も訪れる。
しかし、2人の冒険者は、さらに奥に進んでいった。ついさっき
冒険者ギルドで請け負ったグリフォン捕獲の依頼の為である。流石
に少し危険な地域だ。
グリフォンは鷲の頭と翼、胴は獅子、尾は蛇という魔獣である。
大きさも体長2メートルから3メートル、その身から採れる牙や皮
等の素材も貴重だが、それ以上に貴族のペットや、軍の騎乗部隊と
して人気なのである。
魔獣ということで、少し危険な生き物であるが、頭脳は優秀で魔
法を持って制御できれば、短距離なら人一人を乗せて空を飛べるし、
走る速度も馬並みと、非常にすぐれた性質をもっていた。
﹁シェラーほんとに2人で大丈夫かなぁ⋮⋮﹂
﹁キャミはほんっと心配性だねー、なんとかなるんじゃないのー♪﹂
不安そうなキャミに対して、あっけらかんと答えるシェラ。鼻歌
など歌っている。
﹁それよりキャミー? 森にはいってから、小一時間たつよ、グリ
フォンの生息地はまだぁ? ちゃんと地図みてるの?﹂
﹁そんなこと言うなら、シェラが地図みてよー﹂
54
﹁無理! 私は地図見れないの、どっちが上か下かわかんなくなる
から、えっへん!﹂
そう言って得意げに胸を張るシェラ。
﹁自慢しないでよ⋮⋮﹂
呆れ顔のキャミである。
﹁今、この沼地を迂回してるから、もうすぐだと思うよー﹂と地図
を指差してシェラに見せていた。
そのとき、沼の中央部がぼわっと盛り上がった。
2人の視線は瞬時に、それを捉え、すぐさま戦闘体制にはいった
あたりは流石である。
シェラが腰の剣を抜き中段に構え、その後方でキャミは、なにや
ら呪文を唱える。
しかし、沼から姿を現した魔獣を見て、2人は目を疑った。
シェラは剣を落としそうになり、キャミは呪文の詠唱を途中で止
めてしまっている、それほど、その魔獣の出現に驚愕しているので
ある。
﹁え、え、え、え、あ、あ、あ、あぅ、あぅ﹂
驚愕の表情で、泣きそうな、悲鳴のような声を上げるのは、キャ
ミ。
﹁ちょっと! 発生練習してる場合じゃない! 逃げるよ!﹂
言下にもと来た道を一気に走り出す。もちろんキャミの手を引い
て。この際、荷馬車は諦めるしかなかった。
2人を恐怖に怯えさせたその姿は、5つの首を持ち、その胴体は
犬の様で、背には翼の様なものもある。それはドラゴンの眷属とも
言われるヒュドラであった。
55
ヒュドラの持つ毒気で、この辺りの空気が薄っすらと瘴気を帯び
ている。
沼から姿を現したヒュドラは、2人に視線を向けると、5本ある
首のうち、真ん中のそれが、 ぐおぉ!っと息を吸い込んだ。
そして、ボワァァァァァ!とけたたましい咆哮とともに炎のブレ
スを吐きだした。
2人は一瞬早く逃げ出していたので、そのブレスは回避出来たが、
荷馬車が、もろに炎のブレスを受けて燃え上がった。辺りには異臭
が広がる。
ヒュドラが、次のブレスを吐こうとした時には、2人はもう走り
去っていた。
2人は息も切れ切れ、なんとかヒュドラが見えないとこまで命辛
々逃げてきた。追ってくる気配がないので、その場で座り込んでし
まう。
﹁ひぇー、まじびびったよー、あの5本の首見たら、5回は死んだ
気がしたよ﹂
﹁シェラは5回くらいじゃ死なないって﹂
﹁あんた、私をなんだと思ってるのよ!﹂
相も変わらず、シェラがぼやけば、キャミが突っ込む。
﹁馬⋮⋮ 可哀想なことしちゃったね﹂
﹁うん、まぁね。でも仕方ないよ⋮⋮﹂
﹁うん⋮⋮﹂
2人の間に沈黙が流れる。
﹁でもさ、これからどうしようかぁ?﹂
56
﹁荷馬車も無くなったし、グリフォンの生息地はあの沼の向こうだ
よ⋮⋮﹂
﹁いくらペナなしっつってもさぁあ、受けた依頼をこなせないって
のは冒険者の沽券にかかわるよ﹂
﹁そ、そうだけどー、荷馬車がないと、捕まえても運べないよ?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ねぇどうする?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ねぇってばぁ!﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁生きる屍のようね⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
2人が息も消沈、生きる屍の真似をしていたとき、足音が聞こえ
た。
音の方を見てみると、先ほどギルドであった男が、こちらに歩い
てきた。
﹁﹁あ﹂﹂
2人が男を見つけて、2重奏で反応する。
﹁あ、あんた⋮⋮今頃何しに来たの!﹂
さっきのことを根に持っていたので、いきなり喧嘩腰で食ってか
かるシェラ。
﹁まさか、今頃手伝いたいとか言うんじゃないでしょうね!﹂
﹁ちょっと、シェラーやめなよー﹂
﹁ついでが出来たんで、手伝ってもいいが?﹂
ルシはシェラの態度に、気にも留めない様子で答える。
﹁はぁ? なに? 上からなわけ? ランクCってそんな偉いの?﹂
﹁いらないなら、別にいいが⋮⋮﹂
57
またも、ルシは素で返事する。
﹁うぅぅぅぅ! こいつむかつく!!!﹂
﹁シェラの負けだって⋮⋮﹂
俯いて泣きまねをするシェラの頭のキャミが撫でる。
﹁で、ついでって、何しに来たの? どんな依頼? ランクは? 報酬は?﹂
気を取り直してシェラがまた、質問攻めにする。
﹁シ、シェラ⋮⋮﹂
﹁依頼は受けてない﹂
﹁はぁ?、まじ何しに来たわけ?﹂
キャミもうんうんと頷く。
﹁ヒュドラ退治だ﹂
﹁はぁ? あんた、正気? 見た目も変だけど、頭も変なの? 病
院行く? それとも死ぬ?﹂
﹁いや、頭はお前よりマシだと思うが⋮⋮﹂
﹁うぅぅぅ!﹂
﹁ぷっくく﹂
泣くシェラと笑うキャミ。
ルシは、そんな2人の無視して、森の奥に進んでいく。
﹁ちょ、ちょっとー、ほんとにヒュドラ居てるんですよー。私達今
しがた、ヒュドラに遭遇して逃げてきたんですよ﹂
﹁だけどさーあんなとこにヒュドラがでるなら、なんで教えてくれ
なかったわけぇ? あとでギルドに文句いってやる!﹂
ルシは、自分には関係ないという態度で、そのまま振向きもしな
58
いで歩いて行ってしまった。
呆気にとられ、見詰め合う2人。そしてお互い頷きあい、ルシの
後を気配を消して歩き出す。もちろん気配を消しても、ルシには判
っているのだが。
沼地まで来て、ルシは足を止める、その瞳は沼をジッと見つめて
いた。
あたり一面に瘴気が満ちているのが判る。
ぼわっと水面が膨らんだと思ったら、ヒュドラが姿を現した。先
ほどシェラ達が見た5本首のヒュドラである。
﹁﹁ヒィッ!﹂﹂っと後方で小さな悲鳴が聞こえる。
後を付いてきた2人の声である。
ルシはすーっと腰の鞘から剣を抜き放つと、ジッとヒュドラを見
ている。
ヒュドラの口が大きく開かれた。その目がルシを睨みつけている。
ボワァァァァ!!けたたましい咆哮と共に、ヒュドラの開かれた
大口が、炎のブレスを吐き出す。
﹁﹁キャー!﹂﹂
後方で見ていたシェラ、キャミは同時に悲鳴をあげた。
ルシの体が炎に包まれたかと思うと、あたり一面の炎が舞う。
炎に包まれたと思われたルシの体がぶれて、ふっと消える。
残像を残しての神速の横移動。その後バックステップ。
しかし、ヒュドラは、さがるルシにめがけてどんどんブレスを吐
きかける。ルシはその全てを軽々サイドステップとバックステップ
で躱していく。
辺り一面、炎と瘴気で混沌と化していった。
ヒュドラは前進しながらルシめがけてブレス攻撃。その巨体が沼
から陸にでると、ルシは後退をやめ、一気に前進、一瞬の間にヒュ
59
ドラを間合いに捕らえる。
ルシは神速でヒュドラまで間合いを詰めると、ヒュン!という風
きり音の横薙ぎ一線。
銀の閃光を残しルシの一撃はヒュドラの首を薙いだ。
ジャキィィィィン!という金属同士がぶつかり合う様な音が響く。
ルシの剣撃をヒュドラの鱗が弾いているのだ。ヒュドラの強靭な
鱗には筋が入る程度で、血が出るほどには切れていない。
そこに、別の首が大口を開けてルシに襲い掛かる。
その大口の上顎と下顎が激しくぶつかり合う。今度こそヒュドラ
の大口がルシの体を捉えたかに見えた。が、その体が薄れ残像とな
り消える。
気がつくと、別の首まで神速でもって跳んでいる。そのまま強烈
な斬撃を繰り出す。そこから止まらず、第2撃、第3撃と続けさま
に浴びせる。同じ箇所に寸分たがわず右から左から上から下から斬
撃を繰り出す、その乱舞はまるで剣が何本もあるかのような神速の
連撃。
パキィィィィン! ガラスが割れる様な音が響いた。
超連撃の同一箇所への猛攻でもヒュドラの首には微かに血の様な
液体が流れる程度、首を落とすどころではない。しかもルシの剣が
折れてしまったのだ。
﹁チッ!﹂
微かにルシの表情が曇る。
﹁ちょっとーなんなのあいつ⋮⋮あれでランクC? てか、あれ人
間の動きなの?﹂
﹁う、うん⋮⋮﹂
後方で2人が驚愕の表情で見つめている。
ヒュドラの5本ある首が次々とルシめがけて襲い掛かる、残像を
60
残してルシは跳ぶ。そこに別の口が襲い掛かるが、ヒュドラの口が
捉えたのは残像である。また別方向から襲い掛かるが、これも残像、
全ての攻撃はルシの残像を捉えるばかりだった。ルシが距離をとっ
た。
魔法で倒そうと考え距離をとったのが、後ろで2人が見ている。
特にあの栗毛、あいつは五月蝿そうだと思い、その考えを消す。
そして、ヒュドラめがけて自分の間合いまで猛然とダッシュ。
2人の眼には、またルシが消えたように見えた。
またもヒュドラの大口が次々とルシに襲い掛かる。
ドカァ! 強大な物が落下したような衝撃音。ヒュドラの顎が大
地をえぐったのだ。
寸前で体を開きそれを躱す。と同時に拳を叩き込む。別の首がル
シに襲い掛かるが、バックステップで躱す。そしてまた拳を叩き込
む。あまりのスピードにルシの体が何人にも見える。
次々を襲い来るヒュドラの顎を全て躱し、躱しざまに拳を叩き込
んでいく。
﹁ちょっとーあいつ今度はなにしてるわけ!!!﹂
﹁あの人、いっぱいいてる⋮⋮﹂
﹁てか、あいつ馬鹿? 剣で切れないからって殴るか普通⋮⋮﹂
﹁ど、どうしよー﹂
﹁馬鹿はほっといて逃げよっか⋮⋮﹂
﹁で、でもー、そ、それは人として⋮⋮﹂
﹁だよねー⋮⋮﹂
だからといって、自分達が助けに入れるわけでもない。明らかに
力不足なのだ。いや足手纏いになる。2人で思案していると、キャ
ミが﹁そうだ!﹂っと自分の掌を拳で叩いて、今まで泣く寸前だっ
た表情に満面の笑みを湛える。
61
﹁シェラの剣だして!﹂
﹁え、剣? ⋮⋮あ、そっか! キャミ偉い!﹂
シェラも思い出したのか、頷いて腰の剣を抜くと、キャミの前に
差し出した。
キャミがその剣に両手を添えて魔法を唱える。すると、シェラの
持つ剣がボワーっと蒼白い薄い光に包まれた。
﹁できたよ!﹂
キャミがそう言うと、﹁よし!﹂っとシェラが頷く。
﹁おーい! そこの馬鹿ー! 剣投げるから受け取れよぉ!﹂
シェラが口に手を沿えて怒鳴り、力いっぱい剣をルシに向かって
投げた。
ルシが、シェラの声に反応して視線を向けると、今投げられた剣
が目に入った。
ヒュドラの攻撃を躱しながら、投げられた剣をジャンプして受け
取り、﹁たすかる﹂っと一言返す。
﹁その剣は、キャミが魔力を込めた即席の魔剣だよ! それなら多
分折れないし、ヒュドラの鱗でも切れるはず!﹂
ルシはその剣に目を落とし、少し驚いた表情を示す。微かに蒼白
い魔法のオーラを纏っている。確かに魔剣だ。
﹁でも、15分位しか持たないですよーー﹂
﹁問題ない﹂と真顔のルシ。
ふたたび、ヒュドラのブレスに襲われるが、すぐさまブレスの範
囲から跳び去る。
一気にヒュドラの首に跳びこみ、蒼白い閃光がその首を薙いだ。
風を巻き込む様な、その動きで次々とヒュドラの首にその斬撃を繰
り出す。
ザシューザシューザシューザシューザシュー!
鱗が切り裂かれる鈍い音が連続する。
62
それはまさしく刹那の出来事、ヒュドラとルシの動きが止まると、
5つの首が血飛沫をあげ、落下した。
2人の少女が固まっていることは言うまでもない。
ルシがヒュドラの首から﹃炎瘴石﹄を取り出した。
﹃炎瘴石﹄とは直径5センチから10センチくらいの大きさで、そ
れはヒュドラの固体の大きさに比例するらしく、透明な石なのだが、
中に炎が宿っている。
ヒュドラが炎を吐くことができるのは、真ん中の首だけで、その
首にのみ、その宝石が精製されるらしい。名は﹃炎瘴石﹄だが、そ
れ自体に瘴気を含んでるわけではなく、ヒュドラのもつ瘴気のため、
そう名づけられただけらしい。
宝石としての価値も相当なもので、また内に込められた炎が魔法
アイテムとしても大変な価値がある。ヒュドラという固体も少ない
ため、激レアアイテムなのである。
とりあえず目的を果たしたルシは、シェラに剣を返し、剣の礼と
して、グリフォン捕獲を手伝うことにした。
通常、魔獣の捕獲となると、眠らせるか、麻痺させるか、気絶さ
せるか等で、その体を完全に捕縛し、荷馬車等で運ぶものである。
もちろん2人も、そのために荷馬車を引いてきた。
当初の作戦は、グリフォンの群れから、出来るだけ少数を引き離
し、キャミが1匹に対し、魔法で眠らせ、シェラが他のグリフォン
を牽制するのである。
これを聞いたルシは少し呆れたものである。
実際、かなり無謀な作戦である。
まず、キャミが1人でグリフォンの攻撃を躱しながら、魔法詠唱
63
で眠らせるのは、かなり難しい。グリフォンほどの固体なら、下位
魔法1回では簡単に眠らないからだ。
そして、シェラの方もかなり難しい。群れから引き離した数にも
よるが、捕まえようとするグリフォン以外の、全てを引き付けない
といけない。一匹でもキャミの方に向かえば、キャミは魔法詠唱ど
ころではなくなるからである。
しかし、ルシが手伝うことによって、作戦は変更された。
群れから少数のグリフォンを引き離すというとこまでは同じであ
るが、その後が少し変更になった。
捕まえるグリフォンを決め、その固体の注意をシェラが引き付け
る。で、その固体に対して、キャミが魔法をかけていく。そのあい
だ、他のグリフォンの注意は全てルシが引き受ける。ルシの神速な
ら、問題ないだろう。
もう1つの問題は、捕まえたグリフォンの輸送だが、なんとルシ
が連れていた馬の背に乗せて帰るというものであった。
通常の馬がグリフォンを乗せるなど不可能であろうが、この馬は
平気な顔で乗せて帰ったのであった。
ギルド内の一室、部屋の片隅に机、中央にオーク材を用いた重厚
なテーブルとソファーしかない部屋。そこに3人の男女が腰を下ろ
している。
コンコン!
オーク材の扉がノックされる重厚な音に続き、開かれた扉から1
人の壮年男性が入ってきた。
その男性を見ると、すかさずシェラとキャミは立ち上がり、会釈
する。
シェラに袖を引っ張られルシも立ち上がる。2人に遅れて微かに
頭を下げる。ほんの数ミリ。
﹁あぁ、楽にしていいよ、私はこの冒険者ギルドの長を務めるアラ
64
ン=クロードだ﹂
そう言って軽く頭を下げ、3人に座るように促す。
ギルドの長と名乗る男は、荒くれ者の多いギルドを纏めるだけあ
って、落ち着いた威厳のある風体で、頭は半分ほど白くなってはい
るものの、その眼は鋭く一部の隙もうかがえないが、口元は笑みを
浮かべ、歓迎している風を装っている。
シェラとキャミの2人は﹁失礼します﹂と再び頭を下げ、腰を下
ろす。ルシは無言で座った。
横から冷たい視線を感じたが相手にする気もないようだ。
﹁今、お茶を用意させているので、話はお茶を飲みながら伺おうか
な﹂
そう言って笑顔を向けているが、その眼は3人を値踏みしている
ようだった。
コンコン!
再びノックの音が響き、アランが﹁はいれ﹂と告げる。﹁失礼し
ます﹂と言って、メイド風の見た目10台の女がお茶を持って部屋
に入ってきた。
メイドは、お茶をテーブルに置くと、すぐ﹁失礼しました﹂と部
屋を後にした。
﹁では、お茶を飲みながら話させてもらおうかな?﹂
﹁んむ、何を話せばいいんだ?﹂
ルシがそうかえすと、﹁ちょっとー失礼よ!﹂と横槍が入るが、
アランは﹁気にしないで良い﹂と、2人に笑顔をむけた。
﹁まぁ聞きたいことは一つなんだよ。ことの成り行きはどうでもい
い、どうやって3人でヒュドラを倒したのか。それだけだな﹂
一瞬、ギルドの長、アランの眼光が鋭くなった気がしたが、すぐ
65
に元にもどる。
﹁首を切り落としただけだ﹂
ルシは相変わらず無表情で、説明にならない答えを返す。
ほかの3人は少し呆れ顔だが⋮⋮
﹁えっとですね、この娘、キャミが簡易の魔剣を作れるんです﹂
とっさにシェラがキャミを指差して説明をする。
﹁ほう、君はエンチャンターなのか?﹂
少し驚いた表情で、キャミに眼をやる。
﹁は、はい⋮⋮﹂
キャミは、恥ずかしそうに俯いてしまった。
﹁今の時代貴重な人材だな﹂
なにか納得したような表情で頷く。
﹁しかし、確かに魔剣があれば切ることは可能だろうが、簡易魔剣
なら、そう長くは持つまい? そんな短時間で、たった3人で倒せ
るものかね?﹂
﹁あぁ、問題ない﹂
ルシはまたも、愛想もくそもない表情で、一言で済まそうとする。
そこにシェラが割ってはいり、説明をしていく。
﹁えっとですね、キャミが後ろで支援魔法をしてくれるので、私が
キャミを守ってる間に、ルシが首を切り落としていったんです﹂
﹁んー炎のブレスは来なかったのか?あれを躱して、ヒュドラの懐
に入り込むのは、相当至難の業だと聞いているが?﹂
﹁問題ないと言っている﹂とルシ。
シェラは、︵もうあんたは黙ってて!︶と言わんばかりの表情を
ルシに向けた。
﹁えっと、ブレスが来る前にルシが切り落としちゃいました。正直
ルシの剣技、その動き、スピードはランクAにも引けを取らないと
思います﹂
多少誤魔化した部分はあるが、これは真実である。
66
﹁そ、そうなのか⋮⋮﹂
と、ギルド長アランはお茶を口に運び、少し考え込んだ。
﹁君達にひとつお願いがあるんだが?﹂
﹁は、はい、なんでしょう?﹂
ルシは無表情、キャミは俯いたまま、しかたなくシェラが返事を
した。
アランは立ち上がり、部屋の隅にある机の引出しから一枚の羊皮
紙を取り出し、テーブルの上に広げる、それはエルフの森の地図だ
った。
ルシは顔をしかめ、その地図み見入っている。
﹁この地図を見てもらいたいのだが﹂とアランが指差すその先、森
の一箇所。
﹁このあたりに洞窟があるのだが、そこに最近ゴブリン達が住み着
いたそうなんだが、そのあたりは、まだ街道に近く行商や旅人に、
いつ危害があるやもしれない﹂
そこで区切り、アランは3人の顔を見渡す。ルシが先を進めろと
言わんばかりに目配せをする。それを確認したのか、アランが話を
続ける。
﹁それを君達に退治して貰いたい。もちろん3人でとは言わない、
こちらからも専属の冒険者を出す予定だ﹂
専属とは、この街に住み、この街のみで依頼をこなす者のことで、
ルシやシェラ、キャミの様な旅をしながらのフリーの冒険者より信
頼度が高い。
﹁なるほど、俺達の腕を確かめたいと言う事か? だがゴブリン程
度でいいのか?﹂
﹁うむ、まぁ数が多いとだけ言っておこうか﹂
﹁条件がある!﹂
67
﹁ふむ、言ってくれ﹂
﹁1つ、ヒュドラ退治、これを正当に依頼扱いとして、その報酬を
貰いたい﹂
﹁2つ、﹃古の大魔道師﹄の情報がほしい。以上だ﹂
﹁うむ、なるほど⋮⋮﹂
﹁まず一つ目の条件だが、報酬は正規の金額を今すぐ払おう。しか
し、もしそれを正当扱いにすれば、君達3人はそれぞれランクBに
しないといけない、それはゴブリン退治の結果を見てからと言うの
では駄目かな? もちろん2つ目は問題ない、知ってることは全て
教えるし、なんなら会わせることも可能だが、ただしゴブリン退治
後ということでいいかな?﹂
一瞬ルシの眼が微かに光ったと同時に、2つ目の条件をあっさり
飲んだ事に疑問を覚えたが、まぁ断られないだけマシかと話を進め
ることにした。
﹁それでオーケーだ﹂
﹁ちょ、ちょっとー私達には相談もなしなわけ?﹂
シェラがルシに対して不平をもらす。
﹁ん? 嫌ならオレ1人で行くから問題ない﹂
﹁そ、そういう問題じゃないでしょ?﹂
﹁じゃどういう問題だ?﹂
﹁えっと、それは⋮⋮﹂
﹁シ、シェラ⋮⋮﹂
キャミがシェラの腕を引っ張り、︵べつにいいじゃない︶という
顔をしている。
﹁う、わ、わかったわよ、行くわよ⋮⋮﹂
3人の話が纏まったことに納得したのか、アランが話しを進める。
﹁では、まずはヒュドラ退治の報酬を払おう、報酬金額は150万
だ、問題あるかな?﹂
﹁いや、ない﹂
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﹁ふむ、ではゴブリン退治についてだが﹁その前に、これをみてほ
しい﹂﹂
アランが説明しようとしたとき、ルシがアランの説明を止めた。
そう言ってルシは自分のバックパックから羊皮紙を取り出し、広
げて見せた。
﹁ギルドなら、これくらいの地図を用意するべきじゃないのか?﹂
遠慮の欠片もなく、まるで押し付けがましいことを言っている。
しかし、ギルド長アランは気にした風でもなく、地図を凝視して
いた。
アランが出してきた地図とは、比較にならないほどの情報量が書
き込まれている。
﹁ほーこれは大した物だな、どこで手に入れた?﹂
ルシが地図屋で購入したこと、その場所、値段を教えた。
﹁うむ、これだけの地図なら、その値でも安いくらいだ。他の場所
の地図も見てみたいが持っているか?﹂
﹁いや、これしかない﹂
﹁そうか、わかった、此方で調べよう﹂
その後2人の専属ギルド員を紹介され、明日朝一番でゴブリン退
治に出かけることになった。1人はランクBで名をジーク、もう1
人はランクCで名をハスナーという。
ルシが教えた地図屋に各ギルドから大量に注文が入ったのは、そ
の数日後のことであった。
ちなみに、グリフォンの捕獲報酬は3等分されたが、ヒドラの討
伐報酬は、2人が断りルシ一人が貰うことになった。ルシは今日一
日で160万を稼いだことになる。
その代わり、2人はルシの旅に同行することを約束させたのだっ
た。まぁルシとしてはお荷物が2人増えるのは好ましくないとも思
69
ったが、簡易魔剣は役に立つと思い、その意向に受けた。もちろん
当分稼がないで済む、という考えも無きにしも非ずだが。
ギルドを出た3人は、後でルシの泊まる宿屋で合流することを決
め、一旦その場で別れた。
ルシは折れた剣の代わりを求め、武器屋を訪れていた。
店はさほど大きくは無いが、店の壁に、びっしりと各種武器が飾
られている。
長剣、短剣はもちろん、斧、棍棒等、サイズ、素材まで多岐にわ
たる。
奥のカウンター内に店主らしき男が座っているが、こちらを一瞥
しただけで、対応する気がないらしい。魔剣がないのは当然として、
少し金に余裕が出来たこともあり、ルシはミスリル製の剣はないか
と、武器屋の主人らしい男に聞いてみた。
武器屋の主人らしい男は、︵ガキの玩具じゃねーぞ?︶という顔
をしているが、ルシの異様な雰囲気を見て、さすがに口には出せな
かったようだ。しぶしぶ、2本の剣を出してきて、﹁今はこれしか
置いてねぇ﹂と一言うだけだった。
ミスリルは真銀とも呼ばれ、鋼以上の硬度と魔力伝導にすぐれ、
希少性の高い金属である。ミスリル製の剣となると、2本あるだけ
でも、さすが王都の武器屋と言えるかも知れない。
値段を聞くと、長剣が90万、短剣が60万だという。ルシが﹁
両方売って欲しい﹂と金貨を見せると、まさか買うとは思っていな
かったのか、主人の顔が一瞬鳩が豆鉄砲を食らったようになったが、
すぐに満面の笑顔に変わる。
急に愛想が良くなり、揉み手までして﹁他に入用なものがあれば、
なんでも仰って下さい﹂などと言葉使いまで変わっている。
ルシは︵現金なものだ︶と思ったが、まぁ愛想良く聞いて来るな
70
ら、ちょうど良いかと、魔剣がどこかで手に入らないか聞いてみた。
さすがに売れば一本数千万、いや億も下らないと言われる魔剣は、
大陸にも、数人しか持ってる者は居ないらしく、武器屋に流れてく
ることは無いらしい。
どうしても手に入れたいなら、古代遺跡や地下迷宮などで、人の
手が入ってない所を探すしかないという。
武器屋を後にして、石畳の大通りを歩き、宿屋﹃山猫亭﹄に向か
う。
︵とりあえず2本の剣を手に入れたが、また持ち金が底をつきそう
だ︶
﹃山猫亭﹄のドアをあけ、中にはいると﹁あら、おかえりー﹂と、
女将のハリのある声が店内に響き渡る。
すると、くだんの2人はもう来ていたようで、﹁こっちこっち!﹂
と手を振っている。2人はテーブルでワインを飲んでいた。
ルシが2人の座るテーブルに着いて注文をしようとすると、女将
がニヤニヤしながら聞いてきた。
﹁すみにおけないねぇ、此方のお嬢さんとは、どんな関係なんだい、
え?﹂
﹁別に、ギルドの依頼を一緒に受けただけだ、それよりエールを一
杯たのむ﹂
﹁ちょっとーそれはないでしょ!﹂
﹁そ、そうです、せめて仲間とか、と、友達、とか⋮⋮﹂
珍しくキャミまで反論したのには、シェラも驚いた。
﹁友達? それはないだろう。それにオレの仲間はブライだけだ﹂
あっさり否定されてキャミは、俯いてしまった。もちろん泣きそ
うな顔をしている。
﹁じゃなに? あたしら馬以下⋮⋮﹂
﹁ほらほら、この子ったら、なに照れてるんだよー﹂と、ルシの背
中を叩く女将。
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意味が理解できず、困惑するルシであった。
﹁で、今まで何処行ってたのさ?﹂
首を少し傾げ眼を細めて斜交いにルシを見つめる。
シェラはワインが入ってる所為か、少し顔が赤い。
もともとの白い頬に薄紅をさした様で、さらに眼までとろーんと
している。そのうえ、その仕草である。大抵の男なら、ドキっとす
るのだろうが、ルシは何も感じない。
まったく無反応のルシをみて、少しムッとするシェラであったが、
そこは我慢した。別に口説こうとしてる訳ではないのだろう。
﹁剣を買いに行っていた﹂
ドン! 机を両の手で激しく叩いて身を乗り出してくる。
﹁えええええええーーー!!!﹂
ルシが一瞬引いてしまったほどだ。
﹁なんで、それならそうと言わないのよー!! ついて行ったのに
⋮⋮﹂
﹁そ、そうですよ、私も武器屋なら見に行きたかったですぅ⋮⋮﹂
さすがは冒険者だろうか、服屋などより、武器屋などに興味があ
るのかもしれない。
﹁で、どんなの買ったの? 見せて!﹂
シェラは早く早くと言わんばかりに手をルシに指し出している。
キャミまで、眼を大きくして、興味津々といった感じである。
ルシが腰の剣を外し、長剣をシェラに、短剣をキャミに渡した。
受け取った2人は、そっと鞘から剣を抜いて繁々と剣を眺めてい
る。
﹁へぇーミスリルじゃん、高かったでしょ?﹂
﹁90と60だ﹂
﹁さすがいい値段するわねー。で、それって売値? 買値?﹂
ルシは眼を細め、首を傾げる。
﹁あーだからぁ、幾らで売ってたのを、幾らで買ったかよ!﹂
72
ルシが値引きのことかと理解して、﹁そのままの値段だ﹂と言う
と。
﹁はぁーあんた馬鹿? 2本で150なら、うまくやれば100ま
で値切れるわよ!﹂
﹁うんうん、シェラなら出来るね﹂
﹁あたしの色気にかかれば一発よ、えっへん!﹂
などと胸をはっている。胸当を外しているためか、胸の大きさが
目立った。その胸に、客の男達の視線が集中していたのは言うまで
も無い。
﹁お前も役に立つ事があるのか﹂
ボソッと呟く言葉に、キャミが苦笑い、あいにくシェラには聞こ
えなかったようだ。
そんな下らない会話と食事も終え、2人も﹃山猫亭﹄を今晩の宿
として、それぞれ部屋に戻っていった。
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魔獣ヒュドラ︵後書き︶
よろしければ感想、評価などあると嬉しいです。
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ゴブリン退治
翌朝、3人はギルドで2人の専属ギルド員と合流した。
挨拶もそこそこに、馬に跨り、大通りの石畳を東門に向かう。さす
がに朝が早い所為か、まだ人通りは疎らである。
先頭は黒毛のブライに跨るルシ、その後ろをシェラとキャミが栗
毛の馬に2人で跨り、さらに後ろに、専属ギルド員のジークとハス
ナーが、それぞれギルドの馬に乗っている。
一行は東門を出て北に曲がると、左手に王都の城壁を見ながら、
街道を一気に加速してエルフの森を目指した。
左前方遥か向こうには、ヨンサ山脈が見える、山頂付近は真っ白
に雪化粧し、冬の訪れを意識させた。右は平原だが、少し行けばパ
ナソニ砂漠に行き当たる。街道は馬車が横3列は並べるほどの道幅
があるが、たまに旅人らしい者が歩いているだけで、馬車は見かけ
ない。
半時ほど進むと、北と東に街道が分かれる分岐に差し掛かる、ヒ
ュドラの時は、ここから街道を逸れて森の中に入って行ったのだが、
今回の目的地である、ゴブリンの洞窟はさらに北にあるので、さら
に街道を北に進んだ位置から森に入った。
森に入ると急に気温が下がる、日が殆ど当たらない所為だ。薄暗
く静まり返る森の中を一行は、馬から降りて徒歩で進む。
聞こえてくる音は木々と草葉の擦れる音、たまに獣の咆哮。しか
し一行は高ランクの冒険者、怯えるものなど居ないし警戒も怠らな
い。
まぁこの辺に現れる魔獣なら、この5人の敵になるような存在は
居ないだろうが。
75
昼前に、くだんの洞窟に到着した5人、といってもまだ距離があ
り、どうにか洞窟入り口が目視出来る程度の場所である。
ルシ達が居る辺りは木々が立ち込め、この距離なら向こうから此
方が見えることはないだろう。逆に洞窟前は木々が切り倒されてい
るのか、辺り一面拓けていた。
キャミが早速、もてる補助魔法を自身とシェラにどんどんかける。
かけ終わると、ルシに目配せで︵いつでもいける︶と伝える。
それに答えるようにルシが頷き、左の腰の長剣を抜く。
﹁よし、いこう﹂
作戦開始。
作戦は昨日の会合で済ませてある。雑魚が相手なので作戦など必
要ないのだろうが、キャミがシェラに対し、使える補助魔法全てを
かける、そしてルシが敵を引き付け、キャミは端から攻撃魔法で殲
滅していく。シェラはキャミに襲い掛かる敵を排除。2人の連携の
見どころである。3人の実力を見ることが目的なので、専属の2人
は一切手をださない。
3人は洞窟に向かって素早く歩き出した。
専属2人は気配を殺し木陰に隠れながらルシ達3人との距離を一
定に保ち、ついて行く。
ルシは、わざと殺気を放ち、洞窟の入り口に向かい真っ直ぐ進ん
でいく。
シェラはルシから少し距離をとり、洞窟入り口左手の方に、気配
を殺し、体を低くしてじわじわ進む。キャミはシェラの少し後ろを
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行く。
まず洞窟前に居た見張りのゴブリンが、ルシに気付くと、すぐ仲
間に知らせた様である。中からゴブリン達がぞろぞろと出てきた。
まだシェラ達には気付いていないようだ。
洞窟に近づくと異臭が鼻を突く。
ルシは平気なようだが、キャミとシェラの顔が少し歪む。
ゴブリン達はルシを囲む様に左右に広がって行く。その手にはシ
ョートソードやこん棒が握られていた。
一匹のゴブリンがシェラ達に気がついた。あまりの臭さに、キャ
ミが反応してしまったのだ。予定では、気付かれる前にルシが突っ
込むはずだったが、思ったより早く気付かれたのは減点かもしれな
い。
しかし、慌てずキャミの詠唱が始まる。シェラも一気に殺気を開
放し、他のゴブリンの意識を自分に集める。すぐさま他のゴブリン
達がシェラに気付き、襲い掛かる。
同時にルシの殺気がさらに高まる。
一瞬全てのゴブリンがビクッ!っと反応した。
シュン!という風きり音と共に、ルシは一足飛びで、半円に広が
ったゴブリン達の右端に飛ぶ。そこで一気に剣を横に薙ぐ。
ザシュッ!肉を切り裂く音が聞こえた。そして右端から左に向か
い一匹づつ確実に、時には2匹同時に、かえす刀で次々と倒してい
く。すべて一撃で。その速さは、ゴブリン達に一切の攻撃を許さな
かった。
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専属ギルド員が見たその光景は、まるで銀色の閃光がスラスラと
文字でも書き、そのあとに血飛沫の噴水が光の文字を消す。言葉で
表せばそんなイメージだった。
一方シェラ達は、向かってきた2匹をシェラが倒し、呪文を完成
させたキャミの下位攻撃魔法、﹃風刃﹄で4,5匹を倒していた。
50匹ほど居たゴブリン達は、ものの数分で全滅していた。
専属ギルド員は、最初に動いたルシに眼を奪われ、まったくシェ
ラ達の攻撃は見ていなかったらしい。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
ギルド内の一室、つい昨日、ルシ達が呼ばれた部屋に、3人の男
がソファーに腰を降ろしている。扉に背を向けて座っているのがジ
ークとハスナー、テーブルを挟んでギルドの長アラン。テーブルに
は紅茶の入ったカップが3つ置かれている。
﹁それで、あの3人はどうだった?﹂
そう聞いたのは、もちろんアランである。
﹁はい、あのルシという男、スピードだけならランクAに勝るとも
劣らないかと﹂
﹁ほう、ジークの眼で見ても、そう思えるほどのスピードなのか﹂
﹁はい、私もランクBですが、次元の違いを感じました。しかし剣
技に関しては正直判りません。早すぎて眼で追えませんでした。し
かし40匹ほどのゴブリンを全て1撃で倒したことからも、まず間
違いないかと﹂
﹁そうか、ならランクBに昇格して問題なさそうだな﹂
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﹁はい、Aでも通用すると思います﹂
アランは腕組みをして考えている、その顔は眼を瞑り少し眉間に
皺を寄せていた。
眼を開くと紅茶を一口啜り、話を切り替えた。
﹁で、彼女達はどうだ?﹂
﹁申し訳ありません、ルシの動きに眼を取られ、気がついた時には
全滅してまして⋮⋮﹂
2人が同時に頭を下げた。
﹁それはまた、ずいぶん間抜けな話だな﹂
﹁﹁申し訳ありません﹂﹂
アランは少し呆れ顔である。
﹁しかし、魔法はたしたものですし、戦闘に至るまでの動きや、足
運び、殺気の消し方、2人の呼吸、等なかなかのものでした。ペア
とういう条件付きなら、Cランクで、なんとか通用するという感じ
でしょうか?﹂
﹁ふむ、そうか、ハスナーの意見はどうだ?﹂
﹁はい、私もあの2人はペアで力を発揮するタイプだと思います、
ペアならCでも問題ないかと﹂
﹁そうか、わかった、ご苦労。﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱ー︱︱︱
そして今また、ルシ達はギルドの一室に呼ばれていた。
ルシは相変わらず表情がない。キャミとシェラは落ち着かない様
子でソファーに座っている。
﹁ゴブリン討伐の件、ご苦労だったね。ジークとハスナーに聞きた
よ。それで君達のランクの件なんだがね﹂
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そういってアランは紅茶を啜る。3人の反応を見ているようであ
る。
﹁約束では、3人ともランクBに、ということだったんだが⋮⋮﹂
ここでアランがまた一拍置く。
﹁かまわない、実力に見合わないランクを貰っても、そいつが危険
になるだけだ﹂
アランが言い難そうにしていることを読み取ったルシがそう言っ
て先を促す。
﹁そ、そうか、でははっきり言おう。ルシ君はランクBで問題ない
と判断した、実際Aでも通用するという報告だった。しかし2人の
御嬢さんにBは厳しい。正直に言えば、ペアという条件付きで、な
んとかCで通用するくらいだと。で、結論として、ルシ君はランク
Bに、キャミ君とシェラ君はランクCと言うことになる。どうかな
?﹂
﹁オレはかまわない﹂
﹁うむ﹂
アランの目がルシからキャミ、シェラへと移された。
﹁あ、はい、私もそれで全然かまいません﹂
﹁わ、わたしも、それでお願いします﹂
﹁うむ、納得して貰えて助かった。では2つ目の条件に移るがいい
かな?﹂
﹁あぁ﹂
﹁﹁はい﹂﹂
﹁﹃古の大魔道師﹄の情報が欲しいと言うことだったが、それはエ
ンムギ様のことで良いのかな?﹂
ギルドの長アランは、なにやら薄笑いを浮かべて楽しそうに語ら
う。
﹁そのエンムギ様以外にも大魔道師がいるってことか?﹂
﹁うむ、居るといえば居るのかもしれないが、居ないかもしれない
な﹂
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ルシ達をからかう様な、それでいてどこか探るような視線で、笑
みを浮かべている。
ルシは今まで得た情報を纏めてみる。
︵今までの街や村では﹃古の大魔道師﹄の名を知る者は皆無だった。
ただ、永遠の命を持ち今も生存していると言う者も僅かに居た。だ
が実際に見たと言う者は居なかった。それがここに来て、いきなり
名前を聞いた。所在地まではっきり言っている。このエンムギ様と
やらは、聖戦で活躍したとされる大魔道師とは別人だと考えるべき
だ︶
﹁その辺を詳しく聞かせてもらおうか?﹂
ルシは少し眼を細める。
﹁うむ、﹃古の大魔道師﹄というのは、君達も知ってると思うが、
500年前の聖戦で5人勇者と共に、魔王を打ち滅ぼした英雄なの
だよ。それが今の世に生きていると思うかね?﹂
﹁人間以外の種族なら生存も有り得る。不死の種族の噂も聞いたこ
とがある﹂
﹁たしかにそうだ、だが﹃古の大魔道師﹄が人間以外の種族だと言
う噂も無ければ、古文書にもそういう事は一切書かれていない﹂
﹁だが不死という時点で人間以外の種族と考えるべきじゃないのか
?﹂
﹁うむ、まぁだから謎なのだがね。ただ、その魔術は恐ろしいほど
だったのだよ。魔法文明が栄えたあの時代ですら、魔法使いが使え
たのは中位魔法まで。しかし大魔道師は上位魔法はもちろん、魔術
書にその名と効果しか書かれていない禁呪魔法まで使いこなしたら
しいのだよ。﹂
どこか自慢げにアランは語った。
﹁なるほど、魔力により永遠の命を手に入れたかも知れない、とい
うことか﹂
81
﹁あくまでも推測の域は出ないがね﹂
﹁じゃあ、エンムギ様とやらはどうなのだ?﹂
﹁そうだねぇ一時期エンムギ様が﹃古の大魔道師﹄だという噂があ
った。本人は否定したがね﹂
﹁噂?﹂
﹁そう噂だ。今の世、数は少ないが魔法使いが存在する、キャミ君、
君のようにね。しかし、それらの魔法使いでも下位魔法しか使えな
い。だがエンムギ様は中位魔法まで使えるのだよ。その所為でそう
いう噂がながれた。というわけだ﹂
﹁それと⋮⋮これは言う必要はないかもだが。エンムギ様は中位魔
法を使える、中位魔法は今や古の魔法なのだよ。つまり、エンムギ
様は古の魔法が使える魔道師、そのことから古の魔道師、﹃古の大
魔道師﹄と発展して行き、そう言う2つ名が付いたわけだ﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
﹁おぃおぃ、そんなに呆れないでくれよ。わっはっはっはっ﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
﹁で、どうするエンムギ様に会ってみるかな?﹂
﹁あぁ、会ってみよう﹂
﹁ほうー、今の話を聞いても会ってみたいのかな?﹂
﹁あぁ、オレが会いたいのは﹃古の大魔道師﹄だが、それがどっち
の大魔道師を指すのかオレ自身わからない﹂
﹁そうか、今エンムギ様は﹁古代遺跡に居るんだろ﹂﹂
ルシがアランの言葉を引き継いだ。
﹁うむ、よく知っているな﹂
﹁古代遺跡と言うからには、そこに塔もあるんだろう? つまり5
00年前の大魔道師についても、そこに行けばなにか判るかもしれ
ない、もしくは居るかもしれない⋮⋮﹂
アランは自分が説明する前にルシに核心を突かれたことに少し驚
いた。
82
﹁まぁそういうことになるな、で行ってみるかな?﹂
﹁もちろんだ﹂
﹁﹁ええええええーー﹂﹂
ルシは躊躇わずあっさりと答えた。キャミとシェラは沈黙を守っ
ていたが、ここに来て奇声をあげた。ルシは横目で︵うるさいぞ!︶
という視線を送る。
﹁砂漠ってサンドワームが出るんだよ? 一匹じゃないよ? 群れ
で襲ってくるらしいよ? それ判ってて言ってる?﹂
﹁問題ない﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
ルシ以外の3人はその場で引っくり返りそうに仰け反っている。
﹁うむ、まぁその辺は大丈夫だろう﹂
﹁﹁どういうことですか?﹂﹂
キャミとシェラが、アランに答えを求めた。
﹁ギルドとして高ランクの冒険者を多数集め、毎月エンムギ様のキ
ャンプまで物資を届けているのだよ、それに君達も参加して貰おう
と思ってね﹂
﹁なるほど、それでオレ達の腕試しだったわけか⋮⋮﹂
﹁ええええーそうだったんですか?﹂
﹁うむ、よくわかったね﹂
﹁ギルドとしては、高ランクの冒険者を集めたい、が、高ランクは
そうそう居ない。しかしそれはあくまでも登録上での話だ。実際に
実力があっても、高難度の依頼を何回かこなさなければランクが上
がらないシステムになってる。高難度の依頼が少ない現状、高ラン
クの冒険者が少ないのだから少しでも見込みがありそうな冒険者を
見つけたら、適当にテストしてランクを上げてしまうということだ
ろう?﹂
﹁﹁なるほどー﹂﹂
キャミとシェラが関心している。
﹁君は頭の回転がはやいようだねぇ﹂
83
﹁あんな簡単な腕試しだからなぁ、なにかあると思うのが普通だろ
う﹂
﹁フフッまぁそれはギルドの運営の問題で君達とは関係ない話だ、
ちがうかね?﹂
﹁あぁその通りだ、でいつ出発だ﹂
﹁ほんとに君は話がはやいな、まぁ楽でいいが⋮⋮ 出発は3日後、
依頼書はこれだ﹂
そういって依頼内容が書かれた紙をテーブルに置いた。
依頼ランク C以上
依頼内容 パナソニ砂漠古代遺跡までの物資輸送
地域指定 ︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
人数制限 25名以上
期限 依頼受託より20日
ペナルティ ランク降格もしくはギルド証剥奪
成功報酬 ランクA金貨20枚、ランクB金貨10枚、ランク
C金貨5枚︵1人当り︶
依頼者 エンムギ
備考 特に無し
﹁本来はランクB以上の依頼なんだよ、しかし冒険者が集まらない
ので、Cまで下げたわけだ。くれぐれも気をつけてくれ﹂
﹁﹁はい﹂﹂
﹁よし、出発は3日後の夕刻だが、出発前の打ち合わせ等あるので、
午後にはギルドに集まってくれ﹂
﹁わかった﹂
﹁﹁はい、わかりました﹂﹂
ギルドを出た3人。ルシは宿屋に戻ると言うが、シェラとキャミ
84
の2人は買い物がしたいとルシとは反対方向に歩いていった。
ブラブラ買い食いなどして、商店を見て回る2人。
﹁しかし、ルシって変わったやつだよねぇ。あいつの笑った顔とか
見たことある?﹂
﹁んー⋮⋮そういえばないかも⋮⋮﹂
﹁だよねーあいつって表情ないよねー⋮⋮﹂
﹁でも⋮⋮﹂
﹁ん? なに?﹂
﹁な、なんでもない⋮⋮﹂
﹁ふーん﹂
ドン!
﹁キャッ!﹂
背後から走ってきた子供がキャミにぶつかり、キャミが小さな悲
鳴をあげ、よろけた。
﹁ごめんよー﹂
そう言って、その子供はそのまま走り去るが、突然シェラが走り
出す。
﹁まて、こらー!!!﹂
﹁え、えっ﹂
うろたえるキャミに向かって一言﹁そこで待ってて!﹂と言って、
走り去る子供を追う。
﹁ま、まってよぉ⋮⋮﹂
シェラはスピードには自信がある。ルシとは比べるべくも無いが、
それでもランクB相当のスピードはあるかもしれない。
キャミはあっと言う間にシェラを見失ってしまった。
﹁うぅどうしよう⋮⋮﹂
85
大通りの端で腰を降ろし困ること数分、シェラが戻ってきた。そ
の右手は、先ほどの子供︵まだ12歳くらいだろうか︶の首根っこ
をしっかり掴み、引きずるように歩いてくる。
﹁ただいまー﹂
﹁えっと、おかえり?﹂
﹁スリ小僧を捕まえてきたよー えっへん!﹂
そう言って小さな革袋を渡された。
﹁あ、これ私の財布⋮⋮﹂
﹁小僧言うな!﹂
﹁あぁ? うるさいよ糞ガキ! このまま警備隊に突き出してもい
いんだよ?﹂
﹁⋮⋮﹂
その子は警備隊と聞いて黙って俯いてしまう。
﹁キャミーこいつどうする? 警備隊に突き出そうと思ったんだけ
どね、一応取られたのはキャミだしー、キャミに聞いてからと思っ
て、連れてきたんだけどね﹂
﹁えっと、シェラのおかげで被害もないし、別にもういいよ?﹂
﹁まぁキャミならそう言うってわかってたんだけどね﹂
﹁だとよ、おら離せよ!﹂
パシッ!
キャミの言葉を聞いて安心したのか、強気になった子供の発言に、
シェラはオデコに平手一発。
﹁いってぇーー、あにすんだー!﹂
﹁お黙り!﹂
オデコを押さえて文句を言う子供に今度は恫喝、思わず体を丸め
て小さくなっている。
﹁シ、シェラー⋮⋮﹂
﹁いいか糞ガキ、キャミが言うから警備隊は勘弁してやるけどねぇ、
だからってこのまま帰れると思うんじゃないよ!﹂
86
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁とりあえず、ギルドカード出しな!﹂
﹁⋮⋮﹂
プィッと首を横に向けて、知らん顔をするスリの子供。
ガバッ!
キャミは首根っこを掴んでいる手を、ぐぃっ自分の眼前に引き寄
せて﹁⋮出しな﹂と、凄む。 その声は、静かだが、この世のあり
とあらゆる悪意が、詰め込まれたような声音だった。
﹁⋮⋮ど、どうする、つもりだよ?﹂
﹁いいから、出しな⋮⋮ ちゃんと後で返してやるよ﹂
観念したのか、その子供は素直に盗賊ギルドの登録カードをシェ
ラに手渡した。
﹁ちゃ、ちゃんと、返せよ⋮⋮﹂
﹁よしよし、なかなか素直じゃないの♪ フッフッフッ﹂
﹁﹁⋮﹂﹂
﹁いつも思うんだけどぉー、シェラのその笑い、邪悪すぎ!﹂
﹁ん? ありがと♪﹂
﹁褒めてないんだけど⋮⋮﹂
﹁ほー、大したもんじゃん! あれ? へぇーそうなんだ。なるほ
どぉ ふむふむ﹂などと、キャミの反応を、まるで無視して、ギル
ドカードの情報を見ている。
﹁もういいだろ、返せよ!﹂
シェラの手にあるそのカードを、奪おうと素早く手を伸ばすが、
シェラはスッとそれを躱してしまう。
﹁んーどうしよっかなぁー﹂
シェラはニコニコしながら、カードを手の上で弄ぶ。まるで意地
がわるい。
﹁はぁー、ちょっと待てよ、それなかったら、仕事出来ないんだぞ
!﹂
﹁はいはい、わかったよ。ほらっ﹂
87
そう言ってあっさりカードを返して、首根っこを掴んでいた手も
離した。
﹁ほら、もう行って良いよ﹂
﹁くそっ!覚えてろよー﹂
その子供は、決まり文句を発して、あっというまに雑踏に消えて
いった。
﹁すばやいこと♪﹂
盗賊ギルドは、暗殺ギルドと同じで裏社会に存在する。公には認
められていないが、裏では王家や貴族達にも利用される。いわゆる
国家にとっては必要悪であった。
街中の乞食やスリ、泥棒などを総括し、街から出れば山賊や野盗
とも密に繋がりを持つとされ、ありとあらゆる情報がここに有ると
言われる。しかし他のギルドと違い、そのルールは厳しく、仲間内
での裏切り、依頼の失敗は即﹃死﹄に繋がる。
このスリの少年のように、依頼とは関係なく盗みを働く場合は、
盗んだ金銭の何パーセントかを上納することになる。依頼でないス
リや盗みの場合は﹃死﹄というルールが適応されることは少ないが、
もしこれが依頼による盗みの場合、下手をすれば﹃死﹄のルールが
適応されることもある。
88
ゴブリン退治︵後書き︶
よろしければ感想、評価などあると嬉しいです。
89
盗賊クー︵前書き︶
第四章をダブって更新していました。
読んで下さってる方、申し訳ありません。
90
盗賊クー
ルシは宿屋に戻り、腰の剣をベッド脇に立てかけ、そのままベッ
ドに腰を降ろした。そして3日後の出発までの間、どうしようかと
思案していた。
︵そういや金が少ないな。もう一度ギルドにいって依頼でも見てみ
るか⋮⋮︶
と、金が無くなった原因の、ミスリルの剣を手に取り、鞘から抜
いてみた。
︵むぅ⋮⋮ぼろぼろ、だな⋮⋮︶
ゴブリンを40ほど切り殺したのである、いくらミスリル製でも、
その刃は血糊で汚れ、刃こぼれもあるだろう。
︵あの金髪に魔力付与をさせればよかったか⋮⋮ こりゃギルドの
前に鍛冶屋だな︶
ルシは思い立つと行動が早い、剣を腰に挿し、即刻鍛冶屋に向か
うことにした。
宿屋の1階﹃山猫亭﹄で、主人にドワーフの職人がやってる鍛冶
屋を教えてもらい、宿屋を出た。先日女将にある程度の店の情報は
聞いていたが、その時点でドワーフの鍛冶屋に用ができるとは考え
ていなかった。
ミスリルは特殊な金属の為、加工が難しい。ドワーフ族にのみ伝
承される技術が必要なのだ。
鍛冶屋は、ミスリルの剣を購入した武器屋のすぐ近くだった。
﹁この剣の修理を頼みたいのだが﹂
ルシは腰の剣を鞘から抜くと、その刃をドワーフの職人に見せた。
﹁なんじゃこりゃ!⋮⋮どれだけ手入れをしてないんじゃ!﹂
91
無愛想に黙って剣を受け取ると、ドワーフは刃を見るなり声を荒
げた。
﹁たのめるか?﹂
そんなドワーフの態度を、まったく意に介さず、ルシも無愛想に
言ってのける。
﹁うむ、明日の昼に取りに来い﹂
﹁わかった、じゃ頼む﹂
そう言って店をでた。ルシの無愛想度もドワーフに負けていなか
った。
店を出ると、横合いからいきなり小さな子供がぶつかって来た。
軽く体を開き、それを躱すが、その手はルシの腰にある革袋をつか
もうとしていた。すかさず、その手を捻り上げる。
﹁いたたたたたっ!痛いって!﹂
︵痛がるほど、力はいれてないだろ⋮⋮てか、細いな⋮︶
やけに細いと思い、よく顔を見る。その服装や、深めに被ったフ
ードから、一見少年だと思ったが、よく見れば少女だった。
仕方なく少し力を緩めてやった。しかし手は離さず。
﹁は、はなせよー﹂
﹁離せ? それがスリに失敗したやつのセリフか?﹂
﹁な、なんのことだよ⋮⋮﹂
少し殺気を込めて睨むと、心底恐怖を感じた様に、下を向いてガ
クガク震えだす。
︵やけに殺気に敏感だな⋮⋮余程怖い目にあってるのか?︶
よく見れば腕や脚に痣が見える。
ルシは﹁逃げるなよ﹂と言って手を離してやった。
その少女は、逃げなかった。まだ震えている。
﹁なぜ、こんなことしてる?﹂
殺気は完全に消して、優しく聞いてみたが、俯いたまま答えない。
﹁お前なら、オレから掏れるかどうか位、想像がつくだろう?﹂
92
ルシはその少女の身のこなしから、それくらい判断できる力量は
あると思った。
﹁お、お前が、無防備に腰に吊るしてるし、焦ってたから、つい⋮
⋮﹂
﹁⋮⋮なるほど、お前達の犯罪を助長してたわけか﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ほら、これを持っていけ﹂
そう言ってルシは自分の腰の袋は差し出した。
その少女は、少し驚いた表情を見せ、革の袋をジッーと見詰め、
そして、そぉーっと手を伸ばした。が、袋を取らずに手を引いた。
﹁オ、オレは、乞食じゃない﹂
そう小さく呟いた。その顔は歯を食い縛り、悔しさに歪み、涙を
浮かべていた。
﹁そうか、わるかったな﹂
自分の言動が、その少女を傷つけたと知り、素直に謝っていた。
少女は、すっと立ち上がり、一瞬ルシを睨んで、そのまま走って
逃げていった。ルシはそれを黙って見送ることしか出来なかった。
そしてそんな自分に少し驚いている。
︵オレは今あやまったのか? 今までこんなことあったか?⋮⋮︶
ギルドにやってきたルシは、受付係りにランクC以上の依頼がな
いか聞いてみたが、ソロで出来る様な依頼はなかった。すべて人数
指定がされている。前回のヒュドラの時の様に、依頼を受けずに倒
してくる事も可能だが、あまり推奨されることではないので、止め
ておく事にした。
仕方なく他の依頼から探そうと、壁に目を向けると、一際大きな
張り紙が目に入った。そこには、﹃ビズルトラ王国主催、武闘大会﹄
と書いてあった。その内容を見てみると。
大会日程、大会場所、年齢制限、ルール、注意事項、等など事細
93
かく書かれていた。その中でもルシが気になったのは、日程と賞金、
特に副賞である。開催日は今から一ヵ月後、優勝賞金は1000万
Gとなっている。そして副賞は、騎士叙勲と魔剣であった。それも、
ただの魔剣ではなく、500年前の聖戦で魔王が所持していた物ら
しいのだが、条件として、﹃所持出来る者﹄とある。理由は普通の
人間は魔剣に魔力を吸い取られ、倒れてしまうか下手をすれば死に
至るらしく、今まで所持できた者は居なかったらしい。
早速、受付に行き、大会参加の書類に必要事項を書き込むルシで
あった。
﹃山猫亭﹄に戻ると、またもシェラ達が飲んでいた。﹁こっち!こ
っち!﹂と手を振っている。チラッと目線を向けるが、女将に﹃食
事はあとで部屋に頼む﹂とだけ言って2階に向かった。
﹁ちょっとー! なに無視して行こうとしてるわけ!?﹂
そう言って、無理やり袖を引っ張られテーブルに連れて行かれた。
﹁なんか用か?﹂
﹁あんたねぇ!、﹃なにか用か﹄じゃないでしょ? こんな美人が
居るのに、無視して行くってどういうこと? 説明しないさいよ!﹂
︵こいつまた酔ってるのか⋮⋮︶
﹁別にそういうつもりは無いが⋮⋮﹂
﹁っとに無愛想なんだから! フン!﹂
﹁シ、シェラー⋮⋮﹂
シェラは拗ねたのか横を向いてしまった。
﹁あんたも大変だねぇ、あっはっはっ! で、エールでいいかい?﹂
﹁あ、あぁ、頼む﹂
女将は面白がっているが、ルシは仕方ないので、渋々座ることに
した。
94
﹁あ、それで今日は何処に行ってたんですか?﹂
珍しくキャミが話しかけてくる。シェラが不機嫌なので、気を使
ってるのだろう。
﹁ん? あぁ剣の修理とギルドにな﹂
﹁また、ギルドに行ったのですか?﹂
不思議そうな顔でキャミが聞いてきたが、シェラはまだ横を向い
たままだ。
﹁まぁ、ちょっと金が無くなってきたからな﹂
﹁そうなんですかぁ⋮⋮ なにか依頼うけたんですか?﹂
﹁ん? あぁ依頼な⋮⋮﹂
︵そういえば、依頼わすれてたな︶
﹁⋮⋮?﹂
﹁受け忘れた⋮⋮﹂
答えを待ってるようなので、仕方なく答えるルシ。
﹁あら⋮⋮﹂
﹁はぁ? やっぱりあんた馬鹿ねぇ きゃはっはっはっ!﹂
してやったりと、急に元気になるシェラだった。
﹁そ、そういえば、今日スリにあったんですよ﹂
またしても、話を変えようとするキャミ。
﹁そうそう! ばっかなガキでさぁ、とっ捕まえてカード確認して
やったよ!﹂
﹁それ不思議に思ってたんだけど、どうしてカードの確認したの?﹂
﹁ん? あぁ一応本人の自己申告だけど、身分証明書じゃん? な
ら知ってて損はないじゃん?﹂
意味が理解出来ないのか、キャミはまだ首を傾げている。
﹁えっとね、あいつらって結構情報もってたりするのよねぇ、それ
に持ってなくても、調べるのが得意なわけよ。 だから必要なとき
利用したいじゃん?﹂
キャミはその言葉を、まだ首を傾げたまま考えている。
95
﹁そのスリってどんな奴だ?﹂
珍しくルシから会話に入ってきたので、2人とも驚いてルシの顔
に視線を向けた。
﹁えっとねぇ、カード見たから知ってるんだけどぉ﹂と小声で説明
を始める。
﹁年齢は12、ハーフエルフの女で、って言っても肌から見てダー
クエルフが混じってるかもだね。深めにフード被ってて、最初は男
だと思ったんだけどね、だからおもっきり、ひっぱたいちゃったよ、
あっはっはっ﹂
最後には、いつも通りの声にもどっていた。
﹁そうか⋮⋮﹂
ルシの態度が妙だったのか、﹁それがどうかした?﹂と聞いてき
た。
﹁いや、そいつならオレも会ったかもしれない﹂
﹁えええっ? どういうこと?﹂と興味深々で聞き返して来た。
その時の状況を説明していると、会話を聞いていたのか、女将が
近くにきて、﹁それはちょっとやばいねぇ﹂と眉間に皺を寄せてい
る。
女将に言わせると、その子は多分、盗賊ギルドに所属していても、
その中の悪どい連中に利用されてるんじゃないかと言うことだった。
ほとんどの上前を撥ねられて、稼ぎが無い日は殴る蹴る。ルシが見
た痣はたぶんそれだと言う。
それを聞いたキャミなどは泣きそうな顔をして、﹁取られてあげ
れば良かった﹂等と呟いていた。
﹁それに立て続けの失敗ってなるとねぇ⋮⋮﹂
女将の話はまだ続きがあった⋮⋮
ルシ達3人は﹃飛竜亭﹄と言う酒場に向かっている。ルシは1人
96
で行こうとしたが、シェラとキャミの2人が、どうしてもついて行
くと聞かなかったからである。酒場に着いたルシは、おもむろに扉
を開けた。中に入ると眼つきの悪そうな連中が一斉にルシの方に視
線を向ける。最初に店に入ったルシを見て、店の外まで聞こえてい
た喧騒が一瞬静まり返ったが、続いて店に入ったシェラとキャミを
見て、なにやら奇声を上げ、さらに五月蝿くなったようだ。
店内を見回してから、カウンターに向かい、中の男に﹁クーとい
う娘は居るか?﹂と聞いた。男は、胡散臭そうな顔をして﹁あん?
クーだ? しらねーなぁ﹂と、さっさと仕事に戻ろうと後ろを向
いた。
﹁ちょっと! そん⋮⋮﹂
シェラが何か叫ぼうとしたが、途中で声は止まっている。ルシが、
いつのまにかショートソードを抜いて、その男の首筋に当てていた
のである。
酒場内の喧騒がまた止み、静寂が広がった。酒場に居る誰もが凍
りついたように動かない。いや、ルシが発する殺気に誰一人動けな
いのである。シェラとキャミでさえ。
﹁娘は何処だ? 2度は言わんぞ﹂
とても静かな声音だった。
﹁こ、ここには居ねぇ⋮⋮﹂
男は声がひっくりかえり、その体はガクガク震え、今にも膝から
崩れ落ちそうだった。
ルシは剣を持つ手に少し力を入れた。男の首から赤い筋がにじむ。
﹁2度は言わないと言ったな?﹂
﹁ま、待て、い、言うから、待ってくれ。ゲ、ゲイルの屋敷だ﹂
﹁それは何処だ?﹂
その男の案内で、ゲイルの屋敷に着いたルシ達は、制止する執事
97
やメイドを無視して屋敷内に入ると、﹁ゲイルはいるかぁー!﹂と
叫んだ。
今また、ルシ達は﹃山猫亭﹄でテーブルを囲んでいた。女将も一
緒にである。
﹁しっかしさぁ、﹃飛流亭﹄のルシ、まじびびったよねー﹂
﹁うんうん、怖くて怖くて心臓止まるかと思っちゃいました﹂
豪快にワインを煽りながら、けたたましく喋るシェラと、同意す
るキャミ。
﹁そうなのかい? あたしゃーあんた達が、心配で心配でどうしよ
うもなかったよ﹂
﹁実際、女将さんの危惧どおりだったしねぇ﹂
﹁ん? あぁ、奴隷商人に売られるかもって話かい?﹂
﹁うん、それで、あわてて奴隷商人のゲイルんとこ行ったんだしね
ぇ﹂
﹁﹃飛竜亭﹄もそうだけどさ、奴隷商人の屋敷でも、傭兵がびびっ
て凍りつくなんて前代未聞だよねぇ、情けなくて笑っちゃうよーあ
っはっはっ!﹂
﹁おまえだって、凍ってたくせに⋮⋮﹂ぼそっと呟くクー。
﹁う、うっさいよー! てかなんだその態度? 誰に助けられたと
思ってるんだ!﹂
﹁お前は関係ない!﹂
﹁くぅ、かっわいくねーガキ!﹂
﹁それより、どうやって、この子連れて帰れたんだい?﹂
﹁えっとですねぇ、その奴隷商人の、ゲイルさんって方のお屋敷に
着いた時、ちょうど、クーちゃんが売られたとこだったんですよ。
それで、ルシさんなんて言ったと思いますぅ?﹂
﹁なんて言ったんだい?﹂
98
﹁﹃お前が買った金額の10倍だすからオレに売れ!﹄ですよー。
もうビックリ仰天しちゃいましたよー﹂
﹁金も無いくせに、なにが10倍だよ! 馬鹿じゃん!﹂
﹁ええっ? 10倍って、お金はどうしたんだい?﹂
﹁えっとぉ、そ、それは私が立て替えました⋮⋮﹂
﹁嬢ちゃん、どんだけ金持ちなんだい⋮⋮﹂
﹁きゃはっはっはっ! 今思い出してもわらっちゃうわよ!﹂
﹁おまえ、五月蝿い! ご主人様を笑うな!﹂
﹁﹁﹁﹁な!?﹂﹂﹂﹂
ルシ、シェラ、キャミ、女将、4人が驚愕の表情でクーを見た。
﹁クーは、俯いてしまった﹂
﹁今なんて?﹂
﹁ル、ルシ様は私を買ったのだから、ご、ご主人様です⋮⋮﹂
これには流石のルシも無表情では居られなかったようだ。
﹁お、おい、オレはお前に﹃もう自由だから、盗賊もやめて好きに
しろ﹄って言ったはずだが?﹂
﹁はい、ですから、今日からご主人様の奴隷として生きます﹂
そう言って恭しく頭を下げるクーである。
﹁それに、私は﹃飛流亭﹄の地下倉庫に住んでたので、もう住むと
こもないですし⋮⋮﹂
﹁ちゃんと最後まで責任もちなさいよねーきゃはっはっはっ⋮⋮﹂
結局ルシは、クーの面倒を見ることになった。クーはあくまで奴
隷として仕えるつもりのようだが⋮⋮。
そして、クーの泊まる部屋が必要になり、さらにキャミにお金を
借りたルシであった⋮⋮ クーはルシと一緒の部屋でいいと言ったが、﹁これは命令だ﹂と
言って無理やり隣の部屋を取ることにしたのだった。しかし、﹃ご
99
主人様﹄という呼び方は、命令だから止めろといっても﹃断固拒否
します﹄と譲らない。なかなか頑固な一面を見せたクーであった。
100
盗賊クー︵後書き︶
感想、評価などあると励みになります。
どうかよろしくお願いします。
101
キャミと王女
ルシ達4人は、朝から大通り歩いている。
昨日から面倒を見ることになったクーの服やら身の回りの物を買
いに行くのだ。
今まで盗賊グループの下っ端としてスリをやらされて、その身な
りは男にしか見えないような小汚い服装。年齢に見合う女の子が持
つような物は何も持っていない。そのうえ奴隷商人に売り飛ばされ
たのだ。一から全て揃える必要がある。と言ったのはキャミだった。
まぁそう言われれば、年齢に見合う服くらい必要なのかも知れな
いが⋮⋮
そういう経緯なのだか、ルシは何を買えば良いのかも判らないの
で、キャミ達に任せることにして、ただ後ろから付いて歩いている
だけだ。
﹁じゃぁ、まず洋服から買いましょうか♪﹂
なにやら楽しそうにしているキャミだが、シェラは面白く無さそ
うだ。顔をあわせるたびにシェラとクーは喧嘩になる。それでいつ
も、シェラは言い負かされているからだろう。
洋服店に入って行く3人を、ルシは店の外で待っている。店の中
から、なにやら奇声が聞こえるが無視だ。
数10分待っただろうか、なにやら3人は大量に買い込んで店か
ら出てきた。まったく興味なさそうなルシだったが、その後、雑貨
屋、道具屋など散々付き合わされ、少々うんざりしているようだっ
た。
﹁てかさぁ、今日使ったお金、またキャミに借りるつもり?﹂
102
﹁ん? あぁそういやそうなるか⋮⋮﹂
ルシはお金のことなど、なにも考えていなかったようだ。
﹁あんたねぇ、どこまでキャミに甘えるのよ? だいたい買い物に
ついて来ても全然役にたたないんだし、そんなに暇なら依頼でもこ
なして、少しは金返しなさいよね!﹂
キャミは困った様子だが、当の本人、ルシはまったく意に介さな
い。
﹁そんなに言うなら、お前がお金稼いで来い。ご主人様に命令する
な﹂
とんでもないことを言い出すクーである。
﹁はぁ? だれの買い物してると思ってんのよー っとに可愛くな
いわねぇ!﹂
﹁ヒステリーな女だ⋮⋮﹂
﹁むぐぅ⋮⋮﹂
相変わらず喧嘩する2人に、冷や汗のキャミ、知らん顔のルシで
ある。
あらかた買い物も終わり宿屋﹃山猫亭﹄に戻ると、ルシを1階の
酒場で待たせて、3人は2階に上がっていった。ルシは女将が見当
たらないので給仕にエールを頼む。
﹁お待たせー。エールお持ちしました!﹂
猫獣人の給仕がエールを運んできた。見た目は頭に猫の耳がある
だけで、いたって普通の人間風。その見た目の年齢は15,6だろ
うか。普通といっても、かなり可愛い部類に入るだろう。赤い髪は
ウェーブが掛かったショートヘア。目は金で大きく、小さな口は笑
うと牙が少し見える。スタイルはスレンダーだが、メリハリのある
女性らしい体つきで、この猫娘目当ての客も多いかもしれない。し
かし本来は獣人である。うかつに手を出せば怪我ではすまないだろ
う。
103
﹁えっと、お客さんの馬、なんて名前?﹂
給仕がニコニコしながら聞いてきた。
﹁ブライだ﹂
﹁ブライかぁ。カッコいいなぁー、少し普通の馬より大きいよね?﹂
﹁あぁ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮えっと⋮⋮反応薄いなぁ。私嫌われてる?﹂
﹁いや、そういうことは無いが?﹂
﹁そう? ならいいんだけど⋮⋮ えっと私、たまにブライに話し
掛けるんだけど、なんか言葉が判るみたいで、もしかして普通の馬
じゃないの?﹂
﹁あぁ普通の馬じゃない。スレイプニルの血を引いている﹂
﹁スレイプニルってなに!?﹂
﹁んー簡単に言うと神々の馬だな﹂
﹁うわぁーそうなのかぁ、どうりで普通の馬と違うと思ったぁ。⋮
⋮今度乗っても良いかな?﹂
﹁あぁブライが乗せてくれるならな﹂
﹁やったー! サンキュー あ、私サラっていうんだ、よろしくね
♪﹂
そういって猫獣人のサラは、大喜びで仕事にもどっていった。
﹁あぁ言ったが、ブライが乗せるとは思えないがな﹂
とルシは呟いていた。
﹁あら、ルシさん今日は1人かい?﹂
どこからか帰ってきたのか、女将がルシを見つけて話掛けてきた。
﹁あぁ、3人なら上にいる﹂
﹁なんかしてるのかい?﹂
﹁さっきクーの買い物に行ったんで、今着替えてると思うが﹂
﹁そうなのかい、そりゃ楽しみだねぇ、あっはっはっ﹂
104
と、笑いながら去っていく。
その後20分程して、やっと2階から3人が降りてきた。
﹁⋮⋮﹂
﹁お待たせしましたぁ♪ どうですかルシさん?﹂
﹁驚いたでしょ? これが孫にも衣装って言うのよ! って、なに
固まってんのよ!﹂
﹁⋮⋮いや、お前クーなのか? まるで女の子じゃないか﹂
クーは頬を桜色に染めて俯いてしまった。
﹁ル、ルシさん! なんてこというんですか!?﹂
珍しくキャミが怒っている。シェラは笑っているが。
﹁いや、見違えた⋮⋮﹂
女将と店主、給仕のサラまで、クーに駆け寄ってきて、べた褒め
するから、余計クーの顔が真っ赤に染まっていった。
元を知ってるものは流石に驚愕ものだろう。たしかにまだ12歳
と子供で、体型的にも女性としてはまだまだなのだが、エルフの血
が入っている所為で、とにかく美形なのだ。銀に近いグレーの髪も
艶があり、左右に少し尖った耳が見えている。肌は少し濃い小麦色、
銀の瞳は切れ長で、少し吊り上り、細い鼻筋、小さな唇には紅を差
している。その上、着ているものは真っ赤なドレス。所々にレース
でバラの様な飾りが付いている。いったどこのパーティーに出席さ
せるつもりなんだ。という感じである。
さらに何度か2階に行き、降りてくる度に着替えている。酒場は
今や、クーのお披露目パーティーの様相で、すべての客から歓声を
受けるクーだった。クーも最初は照れて顔を真っ赤に染めていたが、
だんだん慣れてきて笑顔を見せるようになった。が、最後には⋮⋮
﹁私は、ルシさんに﹃奴隷﹄として買われ、幸せです﹂とわんわん
泣き出す始末である。
105
その言葉に酒場の客達が一瞬静まりかえったが。
﹁こんな可愛い娘を奴隷だとぉ!﹂
﹁どこのどいつだぁ! ぶっ殺してやる!﹂
などと客達が騒ぎ出し、一時酒場は騒然としたが、女将と店主が
なんとか事情を説明し、事なきを得た。シェラだけは大笑いであっ
たのだが。
結局、クーが落ち着かないと言うので、シェラ達の様な冒険者風
の格好に落ち着いた。しかし今までの様に男の子に見える様なこと
は無かった。
﹁そういやぁあんた、またキャミに借金増えたねぇ﹂
と嬉しそうに言うシェラ。
﹁まさか、お金借りるだけ借りて、念書も書かない気?﹂
﹁えっえええー、いいよー﹂
﹁そういうのはきちんとしないと駄目なの! それに担保くらい取
らないと﹂
﹁そ、そんなのいいってばぁ﹂
﹁うむ、たしかにそうだな﹂
ルシもそれに納得の表情を示す。シェラは冗談で言ったのだが、
納得されて困り顔だ。
﹁その担保なのだが、これを見てもらえるか?﹂
そう言って、ルシはペンダントを取り出し、キャミに見せた。
﹁﹁あっ﹂﹂
2人がそれを見て眼を見開き、﹁あんぐり﹂という擬音が聞こえ
てきそうな口を開けて、固まっている。その時間およそ10数秒。
﹁売りたくは無いんだが、かなりの価値があると思う、担保になら
ないか?﹂
106
﹁い、いえ、あのー、ルシさんは、こ、これを何処で手に入れたの
でしょうか?﹂
﹁ん? どうしてだ?﹂
﹁そのーここではちょっと⋮⋮﹂
︵⋮⋮やはり曰くありか、ならここじゃまずいな⋮⋮︶
﹁ん? あー⋮⋮じゃオレの部屋にいこうか?﹂
﹁えっ?﹂
﹁ちょっとー、あんたキャミを部屋に連れて行ってどうするつもり
!﹂
﹁おまえもだ﹂
﹁え?﹂
シェラは、この展開で、あらぬ勘違いをした自分を恥じた。
そう言ってクーを女将に預けて、3人はルシの部屋に行くことに
した。
クーが切なそうな顔を向けるが、仕方が無い。
ルシの部屋はベッドとテーブルと椅子が一つ、あとは小さな収納
スペースが備えてある程度。その椅子にルシが座り、2人をベッド
に座らせた。
﹁さっきの話しの続きだが﹂
ルシはそう言って、ペンダントをテーブルに置き、言葉を発した。
﹁これは、礼として受け取った物だが、なにか曰くがありそうだな
?﹂
﹁曰くと言うか、それは⋮⋮﹂
﹁それより!、それを何処で! 何時! 誰から貰ったのよ!﹂
言い難そうにしているキャミに代わりシェラ。その手は硬く握ら
れ震えていた。
107
︵こっちから先に言った方がよさそうだな︶
﹁オレは先日この王都に来たんだが、その道中で、山賊に襲われて
いる馬車を偶然助けた。その馬車に乗っていた貴族のお嬢さんに、
この王都まで護衛してくれって頼まれたわけだ、で、別れ際に、お
礼だと言って、これを渡された。それと素性は言えないと言ってい
たが、確か名前はキャノだったか? 私にはもう必要ない品だとも
言ってた﹂
キャミの体がガクガク震えている。その手はペンダントを握り締
め、眼には涙を浮かべている。
﹁さぁ、次はそっちだ、説明して貰おうか?﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
2人は何も言葉を発せないようだった。
﹁そうか⋮⋮、まぁ言いたくないなら言わなくてもいいさ。だが担
保にも使えそうにないな。ってことで、これはオレには無用の物だ、
お前らこれの持ち主を知っているようだし、返してくれるか?﹂
そう言ってペンダントを渡そうとしても、受け取らない。ただ震
えているだけだった。
﹁キャミ⋮⋮﹂
心配そうにシェラがキャミの肩を抱いている。
﹁私が言うね?﹂
シェラがそう言うと、キャミは小さく頷いた。
シェラが話した内容はこういうものだった。
﹁つまりこういうことか? あのペンダントの持ち主は、キャノ・
フォレスト・カノン。カノン王国の第1王女で、キャミの腹違いの
妹。で、キャミの本名はキャミ・フォレスト・カノン。本来なら第
1王女として生を受けたはずだが、母親がエルフだったため、公式
には発表されず、その存在すら、よほどの側近しか知りえなかった。
108
そんなキャミが城の外に出れるはずも無く、城内ですら王家専用区
域から出ることは許されなかった。シェラはキャミと歳も近いとい
うことでキャミの侍女になった。隙をみてシェラを連れ城を逃げ出
した。姉妹だった2人は同じペンダントを持っていた﹂
﹁はい⋮⋮﹂
﹁てことは、キャミもハーフエルフか? しかしその耳を見ると、
エルフとしての特性はほとんど出なかったってことだな?﹂
﹁はい﹂
﹁てか、キャノ姫様がこの国にいらしてるってことよね? なんで
?!﹂
シェラが今ごろ気がついたように、身を乗り出し迫るように聞い
てくる。
﹁さぁ、オレはしらん﹂
﹁知らないって、あんたねぇ⋮⋮ なんで聞いとかないのよ!﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁じゃぁそれって何時のこと? 何日前?﹂
﹁2日前だ﹂
﹁ええっ!﹂
﹁ど、どうして、キャノがこのビズルトラ国に⋮⋮﹂
−−−−−−−−−−−
シェラとキャミの2人は自分達の部屋に戻っていた。
﹁キャノが、あのペンダントを自ら手放すなんて信じられない﹂
﹁うん、じゃぁルシが嘘を言ってるってこと?﹂
﹁そうは思いたくないけど⋮⋮﹂
109
﹁たしかに、ルシは何考えてるか判らないし、無愛想だけどね、で
も人を騙したりする奴じゃないと思うよ?﹂
﹁それは判ってるよ。でも、なにかの事情で話せないとか?⋮⋮﹂
﹁事情って?﹂
﹁判らないけど⋮⋮﹂
﹁そっかぁ、じゃこの件に関しては、2人だけで動こう﹂
﹁えっ?﹂
﹁少しでもルシに疑問を抱いてるなら、あいつには相談できない、
そういうこと♪﹂
そういってウィンクするシェラだった。
﹁シェラ⋮⋮﹂
そして2人は、考えうる可能性をいくつか出してみた。あらゆる
可能性を吟味してみたが、結局2人の取れる行動は限られていた。
そして2人はルシに伝言を残し、ディアークを後にした。故郷カ
ノン王国を目指して。
110
キャミと王女︵後書き︶
感想、評価などあると励みになります。
どうかよろしくお願いします。
111
奴隷クーと盗賊
コンコン!
扉を叩く音がした。クーが自分の部屋で、買ってもらった服を、
あれこれ見ている時だった。﹁クーちょっといいか?﹂
︵ルシ様?︶
﹁あ、はい、少々お待ちを﹂
ばたばたっと駆け出し、ガチャ!っと扉を開ける。
﹁ど、どうぞ﹂と、頭を下げてルシを迎え入れる。
﹁あぁ、邪魔するぞ﹂と言って部屋に入るルシに、椅子を差し出す。
ルシが部屋を見渡すと、ベッドの上に沢山の服が広げられている。
クーは恥ずかしそうに下を向いて、もぞもぞしている。ルシはそん
なクーの頭をワシワシと撫でた。クーはずっと下を向いたままだが、
その顔はすごく嬉しそうだったことをルシは知らない。
ルシは椅子に腰を掛けると、徐に用件を話し出した。
﹁クー、ちょっと調べて欲しいことがあるんだが?﹂
﹁はい、なんでしょうか?﹂
クーは畏まって、真摯な眼差しをルシに向ける。
﹁んー硬いな。もう少し普通に出来ないか?﹂
﹁それは、ちょっと難しいです⋮⋮﹂
﹁そうか⋮⋮まぁいい。じゃぁ2日前から今日まで、王城から出て
きた者を調べて欲しいんだが出来るか?﹂
﹁えっ⋮と、全ての者を、ですか?﹂
少し困った様に、目線を下に向け、ちょっと難しいと言いたそう
にしている。
﹁いや、14,5の少女だ。金髪の貴族のお嬢様、但し変装してな
いとは言い切れない﹂
112
﹁わかりました。そこまで絞れているなら大丈夫だと思います﹂
﹁大丈夫か? 昔の仲間とか⋮⋮﹂
﹁はい、大丈夫です、お任せ下さい﹂
ルシは少し心配したが、クーはむしろ嬉しそうに眼をキラキラさ
せている。
﹁昔の仲間に会うのが嬉しいのか?﹂
︵まァ仲の良い奴もいたのかもな︶
﹁えっ? なぜですか?﹂
﹁いや、べつにいい、じゃ頼んだぞ﹂
︵ルシ様に誤解されちゃったよ⋮⋮︶
﹁あぁ、その前に、ドワーフがやってる鍛冶屋知ってるか?﹂
ルシは今思い出した。という感じで別の話に切り替えた。
﹁えっと、大通りを少し東に行ったとこにある、武器屋さんの近く
ですか?﹂
﹁あぁそこだ、そこで剣を貰ってきてくれないか? 修理に出して
るやつだ﹂
﹁はい、わかりました﹂
﹁うむ、じゃ剣を貰ってきたら、その後で王宮の件、頼むな﹂
﹁はい!﹂
ニコニコして返事するクーだった。
そこで出て行こうとするルシを﹁あのぉ⋮⋮﹂と引き止めた。
﹁ん? どうした?﹂
﹁いえ⋮その、ルシ様の言葉使いなのですが⋮⋮﹂
﹁ん? きつかったか?﹂
﹁いえ! 違います。もっと命令口調で良いと思います。私は奴隷
ですから⋮⋮﹂
ルシは、クーに近寄って、また頭をワシワシと撫でる。
﹁オレはお前を奴隷だとは思ってない。あんまり気を使うな、いい
な?﹂
113
そう言って部屋を出ていった。
クーは、戸惑った。
奴隷とは身分として最下級である。自分が売られて奴隷になった
時、悔しくて惨めで泣きそうになった。しかし、ルシに買われて、
﹃お前は自由だ﹄って言われて、﹃盗賊も止めて良い﹄と言われて、
嬉しくて、この人の奴隷なら、たとえ最下級の身分でも良いと、正
直に思った。
ずっとこの人の傍に居たい。だから奴隷で居たいと、心から思っ
た。奴隷としてルシ様に尽くせるなら幸せだと、心から思ったのだ。
なのに奴隷じゃないと言われたら、自分はどうしたらいいのか? 奴隷でなければ、ルシ様に恩返し出来ない。お傍に居られないと思
ったのだ。
しかし︵今は考えるときじゃない、早速お役に立たねば!︶と決
意して即、行動に移す。
クーは﹃山猫亭﹄を出ると、全速力で走りだした。
まずは鍛冶屋である。鍛冶屋につくと、すでに剣の修理は終わっ
ていた。その剣を貰い一旦宿屋に帰ったが、ルシは居なかった。仕
方が無いので酒場の女将に剣を預けて、次の目的地に向かって全力
で走る。
そしてやって来たのは、盗賊達の溜まり場﹃飛竜亭﹄だった。
クーは、その扉を見つめて少し佇む。
正直に言えば、クーは不安だった。ここには自分を折檻と称して、
虐待まがいの殴る蹴るの暴行を行ったグループのボスがいるのだ。
優しい仲間もいたが、それでも助けてはくれなかった。もう関係な
いと判っていても、やはり怖い。
114
だが、いつまでも怖がってはいられない。それにルシ様のお役に
立てることが嬉しい。もはや仲間ではないが、盗賊ギルドとしての
繋がりがある。たとえ盗賊行為は止めても、こういう情報収集には、
欠かせない繋がりなのだ。
クーは﹁よし!﹂と小さく呟くと、覚悟を決めて店の入っていっ
た。
店に入ると、やはりグループの元仲間達が居た。その中に、あの
ボスも。
クーは﹁ゴクッ﹂っと唾を飲み込むと、その仲間達が座るテーブ
ルに近寄っていった。
﹁よぉ! おめークーか? クーだよなぁ?﹂
﹁これが、あのクーかよ!?﹂
﹁ほぉ! 見違えたなぁ﹂
などと、元仲間達が、一斉に声を掛けてきた。その顔はニヤニヤ
笑っている。なにか企んでいるのかと、一瞬恐怖が襲ってきたが、
グッと堪えて、凛として話しかけた。
﹁あの、ちょっとお聞きしたいことがあるんですが⋮⋮﹂
声が震えないように必死である。その手は硬く握られていた。
﹁おぅ、そんなに硬くなんな! もうおめーは俺等の手下じゃねぇ
んだよ。もっと堂々としてりゃいい﹂
グループのボスだった。まさかそんな事を言われるとは思いもし
なかった。
﹁まぁ、今までは悪かったな。ちったぁオレも遣り過ぎたわ。まぁ
そのお返しって訳じゃねぇがよ。今後は何でも相談のるぜぇ、遠慮
はいらねぇ!﹂
﹁⋮⋮﹂
115
クーはボスのその言葉が信じられなかった。今まで散々、殴られ
蹴られ罵倒されてきたのだ。いくら今は関係ないと言っても、そう
急に変われるはずがない。︵なにか企んでるの?︶そういう思いで
いっぱいだった。
﹁まぁそう言われて、ほいほい信じてちゃ、俺達の家業はやってら
れねぇわなぁ﹂
﹁﹁そりゃそうだ﹂﹂
﹁﹁﹁わっはっはっ!﹂﹂﹂
一斉にその仲間達が笑い出した。
︵やはり、罠?︶
﹁まぁ正直に言うとよ。さっき、おめーを買った、あの怖えーにー
ちゃんが来たんだ﹂
﹁えっ?﹂
﹁ルシとか言ったか? おめーを買ったにーちゃんだ﹂
﹁ルシ様が? ここに?﹂
﹁おぅ、そのにーちゃんがよ、2度とおめーに手ぇ出すなって言い
に来たぜ。それと、もしおめーが来たら、手を貸せとも言われた。
さすがにあんなバケモンに睨まれたら、逆らえねぇぜ!﹂
﹁ほんとはよぉ、ここに来たことも、おめーには﹃言うな﹄って言
われてたんだがよ。言わねぇと、おめーも信じられねぇじゃねか、
なぁ? 喋ったことは、奴には内緒だぜ?﹂
クーは、訳がわからず頷いていた。
﹁よし! そうと決まりゃぁ、なんでも協力するぜぇ。なぁ、やろ
ーども!﹂
﹁﹁﹁﹁おぅよ!﹂﹂﹂
﹁まぁ、正直、あのにーちゃんが来なくてもよ、おめーの頼みなら、
みんな喜んで協力するってもんだぜ。﹂
116
﹁元仲間なんだ、なんも遠慮するこたぁねぇや﹂
﹁それによぉ、俺達ゃぁ、可愛い女にゃ弱ぇからなぁ!﹂
﹁おぃ、おめーそりゃあぶねぇセリフだぜぇ﹂
﹁そりゃそうだ!﹂
﹁﹁﹁わっはっはっ!﹂﹂﹂
ルシはクーを使わなくても、盗賊達を動かして裏の情報を手に入
れることなど、簡単だったのだ。ただ、クーを使うことで、クーを
この王都で生き易いようにしてくれたのだった。
しかし、ルシはちょうどその頃、シェラ達がこの王都を出たこと
を伝えられた。
﹃どうしても妹が気になるので、一度カノン王国に帰ります。黙っ
て行く事をお許し下さい。それとお金を預けておきますので、クー
ちゃん為に使ってあげて下さい﹄と。
そして、女将から金貨の入った革袋を受け取った。
︵またキャミに借りが増えたか⋮⋮︶ルシが思ったのはそれだけだ
った。
そして盗賊達は、城門の門番、城に出入りする業者など、八方尽
くして、情報を仕入れていった。
翌日、ルシはクーから情報を聞いた。
﹁3日前に城内に入った﹃条件に合う﹄人物は1人だけだそうです。
逆に城を出た人物は居なかった、とのことです﹂
﹁そうか、ご苦労だったな﹂
﹁いえ、一応もう少し探って貰ってます﹂
﹁うむ﹂
そして、さらに翌日、新たな情報がもたらされた。
117
﹁その城内に入った人ですが、どうやらカノン王国の第一王女で、
しかも人質として秘密裏に入国したらしいです﹂
﹁人質⋮⋮なら幽閉状態か⋮⋮﹂
ルシはそう言って、なにやら考えていた。クーにはなぜか、その
表情が悲しそうに見えた。
﹁⋮⋮ルシ様?﹂
﹁あぁ、﹃調査﹄はもう終わっていい、明日オレは砂漠に遠征する
んでな、それと、このことは他言しないように、念を押しておいて
くれ﹂
﹁わかりました﹂
︵あぁ。もう終わりなんですね⋮⋮︶
クーは、そう言って恭しく頭を下げた。
ルシは、また考え込むように、黙ってどこか遥か彼方を見るよう
な眼で一点を見つめている。
︵この情報はどうする? キャミ達を追ってカノン王国に行くか?
それとも⋮⋮︶
クーは﹁失礼します﹂と頭を下げて部屋をあとにした。
ルシは、用事が無い限り、クーを部屋に呼ぶことも、クーの部屋
に行くことも無い。だから話しをすることは、ほとんどなかった。
食事は女将が2人を同時に呼ぶので、1階で一緒に食べるが、そ
の時ですら、一切話しかけない。クーも遠慮して一切話さない。そ
んな2人を見て、女将が﹁このテーブルはお通夜だねぇ﹂と笑われ
ることがあったくらいだ。
そんな中で、王城の調査は、唯一ルシが話をしてくれることだっ
た。
118
クーは自室に戻ると、ルシの言った﹃砂漠遠征﹄のことについて
考えていた。
︵砂漠の遠征って何だろう、砂漠遠征って1日や2日で帰れないよ
ね? 何日くらい掛かるのかな? 私は連れて行って貰えるのかな
? 聞きたいけど、奴隷の身分で此方から話しかけるなど出来ない
し⋮⋮。こんなとき、キャミさんがいてくれたら⋮⋮。そういえば、
キャミさんと、あの女、ここ2,3日見ない。どうしたのかな?︶
クーは、急に一大決心をしたかのような表情で立ち上がると、部
屋を飛び出し、ルシを部屋の扉をノックした。
コンコン!
﹁あのぉ、クーです⋮⋮﹂
すぐに返事が返ってきた。
﹁開いてる、はいれ﹂
無愛想ではあるが、優しい声音であった。
扉を開けると、失礼します。と頭を下げてクーは部屋に入った。
﹁えっと⋮⋮﹂
クーは実に困ったように、もじもじしている。
﹁どうした?﹂
﹁その、砂漠に遠征と言うのは、どういうことでしょうか?﹂
﹁あぁ、言ってなかったか⋮⋮﹂
そう言ってルシは、じつはな、とさらに口を開く。
﹁ギルドの依頼で、砂漠中央のパナソニ・ロックまで行くことにな
ってる﹂
﹁えっ?⋮⋮﹂
﹁まぁ、20日ほどで帰るから、お前はこの宿屋で待っててくれ﹂
﹁嫌です!﹂
突然、声を張り上げて、怒鳴っていた。ルシもさすがに驚いてい
119
るようだ。ほんの少し眼を見開いてる。
﹁あ、あぅ⋮﹂
喘ぐような声をだし、いきなり土下座になった。
﹁も、申し訳ありません。申し訳ありません。申し訳ありません⋮
⋮﹂
頭を何ども床にぶつけて謝っている。
﹁クー!﹂
ルシも怒鳴るようにクーを呼んだ。すると﹁ビクッ!﹂と音が聞
こえる気がするほどクーが体を振るわせた。
﹁も、申し訳ありません﹂
さらに大きな声で、床に頭を擦り付けて謝るだけである。ルシは
クーの両の二の腕を掴むと、そのまま持ちあげた。自分の顔の真正
面にクーの顔が来るように。
﹁いいかげんにしろ。お前は奴隷じゃないんだ。なんど言えばわか
る?﹂
そう、諭すように優しく言葉を発する。
﹁で、でも⋮⋮﹂
﹁でもじゃない。いいか、2度と土下座なんかするな。オレに遠慮
もするな。わかったな﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁言うことが聞けないなら、もうお前をここに置くことは出来ない
が、それでもいいか?﹂
﹁それは、い、いやです⋮⋮﹂
﹁じゃ言うことを聞けるな?﹂
﹁はい⋮⋮﹂
﹁そうだ、オレが砂漠に行ってるあいだ、お前にこいつを預ける﹂
そう言ってルシは、懐から﹃尻尾﹄の様なものをとりだした。そ
して、その﹃尻尾﹄に向かって﹁獣化﹂と呟いた。すると、ポン!
と音がしたと思ったら、その﹃尻尾﹄が消え、純白の体毛を持つ小
さな子狼が現れた。
120
﹁ワゥ!﹂と一言吼えた、その声は、とても可愛かった。
その子狼の名前はリンと言うらしい。ルシは、リンに﹁クーを頼
むぞ﹂と言っていた。
︵この狼の子に、私を頼むの?︶
121
奴隷クーと盗賊︵後書き︶
読んでくださった方ありがとうございます。
感想、評価などしてもらえると、大変うれしいです。
よろしくお願いします
122
砂漠遠征
ルシは今、冒険者ギルドのメンバー26名とラクダ15頭で、パ
ナソニ・ロックに向かい、延々と続く熱砂の海を歩いている。季節
はもうすぐ冬だと言うのに、灼熱の太陽が砂を焼き、気温はそろそ
ろ40度を超えようとしていた。時折吹く風は砂塵を撒き散らし行
く手を阻んでいるようだった。
そんな不毛の大地を黙々と歩き続ける一行は、みな一枚物の布を
頭からすっぽり被ってる。それぞれの背に水袋や食料を担ぎ、15
数頭のラクダには、エンムギに届ける大量の食料などを積んでいた。
1列に連なるラクダを囲むように右前方に1班、左前方を2班が6
名ずつ、右後方を3班が、左後方を4班が6名ずつ、先頭をリーダ
ーのヴァルザード、後方をサブリーダー2人。声を発する者も無く
ただひたすら進んでいく。
﹁よし⋮⋮じゃぁ休むぞ﹂
グループのリーダー、ヴァルザードの言葉だ。天幕を張り日陰を
作り、みなその陰で休んでいた。砂漠の昼は猛暑だ。昼間は最高気
温50度を超える。暑い昼間は出来るだけ休憩し、夕方気温が下が
ってきてから動くのが普通である。そうすることで少しでも水を温
存できる。もし砂漠の真ん中で水が無くなれば、それは全滅に等し
い。
無駄な会話も無くただ日が傾くまでの休憩。天幕の下、日陰でも
汗が止まらない。
﹁よし、そろそろ出発しよう﹂
日もだいぶ傾いた頃だった。天幕を片付け、それぞれ荷物を背負
123
い、また歩き出す。夕方なのに、それでも暑い。誰一人会話をする
者はいない。少しでも体力を温存する為に、無駄な会話はしないの
だろう。時折吹く強風が砂塵を一瞬だけ砂嵐に変える。
完全に日が沈めば、あたりは星明りのみ、気温は氷点下、昼間と
うって変わって極寒である。それでも弱音を吐く物はいない。みな
一流の冒険者なのだ。
シェラとキャミがカノン王国に戻った為、2人減ることになった
が、それでも27名がこの依頼に参加している。ランクAがリーダ
ーのヴァルザード1人、ランクBがルシ他11名、ランクCが15
名だった。
砂漠の徒行2日目のことだった。全方の砂丘がキラりと光る。そ
れに気付いたのはルシとヴァルザードだけだった。
﹁来るぞ!﹂
そういったのはリーダーであるヴァルザードだった。ルシは剣の
柄に手を当てていただけ。そして突如砂煙をあげて、それが突進し
てきた。ヴァルザードの声に全ての者は反応している。重要なのは
ラクダを守ることだ。前方から来たそれに対し、1班と2班から3
名ずつが向かった。他の者は自分の守備位置を動かず、辺りを警戒
している。体長3メートルほどのそれは、大サソリだった。大サソ
リは、その巨大な爪で冒険者を襲い、8本の脚で素早く回転し強靭
な尾を振り回す。冒険者の動きはそれより早く、大サソリは瞬く間
に冒険者6人に切り刻まれていく。誰一人怪我することも無く、砂
漠に大サソリの死体が転がった。
そして一行は、また延々と続く熱砂の海を歩いていく。
その後何事もなく砂漠の徒行は進み6日目を迎えた朝のこと。ル
シがおもむろに右遠方も見つめ呟いた。
124
﹁砂嵐が来る、それもかなりでかい﹂
﹁﹁な!﹂﹂
﹁﹁本当か!﹂﹂
﹁砂嵐は南からだな? よし、北側の砂丘の向こうまで走るぞ!﹂
一行は急いで砂丘を越え、その斜面に防衛策を施していく。
﹁ラクダを全てロープで繋げ!﹂
﹁急いで天幕を張れ! 南側をしっかりと砂中に埋めるんだ!﹂
﹁張った天幕にラクダを入れろ!﹂
﹁1班2班は天幕を抑えるように伏せるんだ!﹂
﹁残りはしっかりラクダを抑えろ!﹂
﹁来るぞぉーー!﹂
ヒュゥゥ!
ビュゥゥゥ!
風の唸る音が幾重にも遠巻きに聞こえてきた。
ビュゥゥゥゥゥゥ!
空気を切り裂くような風の音がすぐ其処まで迫っているのがわか
る。
ビュゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!
ビュゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!ビュゥゥゥ!
荒れ狂う風の音が今頭上から聞こえ、全てを巻き込もうとしてい
る。
ビュゥゥゥゥゥ!ビュゥゥゥゥゥゥゥ!
天幕をまくり上げ、人やラクダを連れ去ろうとする。あがなうも
のは引き千切ろうとする。
ビュゥゥゥ!ビュゥゥゥ!
延々と風と砂が荒れ狂い、風を切りる音が耳にこだまする。
何時間こうしているのか意識があやしい。
ビュゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!
125
荒れ狂う風の音が少し離れたのか、意識が遠のくようにも感じる。
ビュゥゥゥゥゥゥ!
風の音が遠くに聞こえる。意識が薄れたのかもしれない。
ビュゥゥゥ!
ずーと遠くで風の音が聞こえる。その音が小さくなり消えていっ
た。
数時間後、砂嵐は去ったが、冒険者達は消えていた。冒険者が張
った天幕も15頭のラクダも今や1頭も見えない。辺り一面、砂、
砂、砂、砂、無人の砂漠と化していた。その地形は砂嵐の通過前と
比べてかなり変わっていた。
そこに一陣の風が吹いた。その風で砂が動き、そこに布切れの様
なものがチラホラ見える。
バサッ!
その布切れがめくれ上がり、その下から冒険者達が現れた。その
布は天幕の一部だったのだ。そしてラクダの群れも姿を現す。
﹁ふぅー、みんな無事かぁ!﹂
﹁点呼とれー!﹂
﹁1班は無事だ!﹂
﹁2班もOKだ!﹂
﹁3班も無事だ!﹂
﹁4班も無事です!﹂
﹁ラクダは?﹂
﹁大丈夫ですー﹂
﹁よし⋮⋮全員無事のようだな﹂
﹁死んだと思ったぜ⋮⋮﹂
﹁しかし、ルシ。よくわかったな?﹂
126
﹁ん? まぁ砂漠は何度か旅してるからな﹂
﹁そうなのか。まぁお前のおかげで助かった﹂
そうして一行はまた、昼間の猛暑と夜中の酷寒に耐えながら徒行
を進める。徒行開始10日目の朝、夜明けとともに、前方にパナソ
ニ・ロックがその雄大な姿を現した。一番懸念していた、サンド・
ワームとは遭遇しないで済んだようだ。
﹁あれが一つの岩なのか⋮⋮﹂
﹁うむ、ちょっと信じがたいな﹂
パナソニ・ロック、それは大陸中央に位置するパナソニ砂漠の、
その中央にある巨大な一枚岩のことをいう。周囲10キロ以上ある
と言われるそれは、遥か昔から神々が住む聖地として崇められてい
る。
パナソニ・ロックに到着した一行に残されたのは、この一枚岩の
登頂である。といっても、別に難しいものではない、ある程度の道
は造られていて、その道に沿って杭が打たれロープが張ってある。
それに沿って登ればいいだけだった。まぁ5時間ほど掛かりはした
が⋮⋮
登頂した一行を待ち受けていたのは、パナソニ・ロックの上全面
を、ほぼ覆いつくすような古代遺跡だった。そう500年前の聖戦
で、古の大魔道師の秘術、隕石招来魔法を受け多くの魔人を道ずれ
に廃墟とかした街だった。そしてその中央に直径100メートルは
あろうかと言う壊れた塔があった。
一行がエンムギ達のテントに着いたのが10日目の夕刻のことだ
った。その夜は廃墟の中にあるオアシスで小さな宴が催された。
127
その頃、クーと小狼のリンは、エルフの森にいた。しかしそれを
ルシは知る由もなかった。
128
砂漠遠征︵後書き︶
感想。評価を頂けると嬉しいです
よろしくお願いします。
ルシ外伝も短編としてUPしています。
そちらもよろしくお願いします
129
クーとリン
﹁クーちゃ︱︱︱ん。 朝ごはん食べにおいで︱︱︱。﹂
﹁は︱︱い♪﹂﹁ワゥ!﹂
女将の声が階下から響き渡る。1階の食堂で女将が叫んでるので
ある。
ここ﹃山猫亭﹄の1階は、夜が酒場で朝昼は食堂になっている。
そして2階の宿屋に泊まる客の食事を、1日2回、朝と夜の分用意
している。ちなみにこの世界の人々の食事は朝夜の2回である。
﹁おはようございま︱︱︱す﹂
﹁クーちゃんおはよー。ご飯用意出来てるから、そのテーブルに座
っとくれ﹂と女将が窓際のテーブルを指差して言った。
﹁ワゥ!﹂
﹁あーこのワンちゃんがリンちゃんかい? ルシさんから聞いてる
よ。あんたの分もそこに置いてるから、しっかりお食べ。⋮⋮しっ
かしあんたの毛は綺麗だねぇ。なんか光ってないかい?﹂ そうい
って女将はリンの頭を撫でる。
﹁ウゥー! ワゥワゥワゥ!﹂
﹁ん? この子なんか怒ってるのかい?﹂
﹁あーリンはご飯を床に置いてるから怒ってるんだと思います⋮⋮
たぶん﹂
﹁ええっ! ほんとかい!? じゃテーブルに置いてみようか?﹂
女将は﹃ほんとかいな!﹄みたいな顔でテーブルの上にりんの食
器を置いた。するとリンは尻尾を扇風機の如くクルクル回して、ピ
ョン!と椅子に飛び乗った。前足をテーブルに乗せ﹃早くスープ入
れて!﹄と言ってるようであった。
﹁リンは神狼の子だから、プライド高いんです﹂
﹁へぇこの子が神狼!? まぁ確かに毛並みだけ見てたら神々しい
130
ねぇ。わっはっはっは!﹂
そんな女将を見て、クーは苦笑い、リンは少し拗ねたような表情
をしている。
﹁はぁ⋮⋮ ルシ様20日も帰ってこないんだよ、どうしよっかぁ
?﹂
ムグ!ムシャムシャ!ペチャ!ペチャ!ムグムグ!
リンの咀嚼する音が延々続く。クーの問いに答える気がないよだ。
﹁はぁ⋮⋮﹂
気を取り直して、クーも食事を始めた。
ここディアーク王都は城門から南門までのアークキング通りと、
西門から東門までのサンシャイン通りの2本の﹃大通り﹄がある。
その2本の大通りが交差する場所が中央広場だ。アークキング通り
を境に東地区と西地区に分かれている。その東地区側のサンシャイ
ン通りを、クーはリンを連れてブラブラ歩いていた。そこはいつも
通りの賑わいを見せている。荷馬車を引く者、買い物客風の中年の
女、若い娘達は、キャァキャァと若い客引き風の男をからかってい
る。クーは﹃平和だなぁ﹄と思った。
クーは今、東地区のサンシャイン通りを一本裏手に入ったシェー
ド通りに面する酒場の2階で暮らしているが、つい先日までは西地
区に住んでいた。西地区は貧民街と呼ばれ、貧しい者やスリ、泥棒
などを生業とする者が多く暮らしていた。大通りは然程でもないが、
一歩裏通りに入れば、路上の隅で寝ているのか、死んでいるのかす
ら判らない、ボロを纏った乞食や、昼間から酔っ払ってゲロを吐い
ている者、そこかしこから鼻を突く異様な匂い。まるで別世界のよ
うな光景が広がっている。クーも先日までは、そんな貧民街の裏通
りの住人だった。たまに東地区に出てくることもあるが、そんな時
は、スリを行う時くらいであった。
クーの父は人間だが母親はダークエルフの奴隷だった。その父親
はこの国の貴族だったらしいが名前は知らない、クーは5歳の時、
131
その父親に強姦されそうになった。それを母親が助け逃げ出したの
だ。その時母親は死んだ。いや殺された。その後クーは1人で貧民
街を彷徨っていた。その時に盗賊グループに拾われたのだ。そこで
スリや盗みを強要された。稼ぎの無い日は殴る蹴るの上食事抜き。
次第にスリなどの技術は身についていった。身に付かなければ売ら
れるか殺されるかだっただろう。もともとエルフは身が軽く動きが
素早い、その血を受け継いだのが幸いだったかもしれない。
今まではあまりの汚さ故か、悪戯されることは無かったが、クー
も10歳を超えた。次第に身体が女のそれになっていくだろう。そ
の上エルフという生き物は美しいのだ。色は少し濃いが、かえって
健康的に見えるだろう。最近では稼ぎの無い日などは﹁次に稼げな
かったら売り飛ばすぞ!﹂と言う罵声が頻繁になってきていた。そ
んな時にルシ達に出会ったのだ。そして奴隷商人の屋敷に連れて行
かれた。最初は2人を恨んだ。﹃あいつらから盗めてさえいれば売
られずに済んだのに﹄逆恨みとはいえ、そう思わずに居られなかっ
た。しかしクーはその2人、いや3人に助けられた。それがまだ数
日前のことだ。あの日を境にクーの生活は激変した。毎日暖かいス
ープとパン、肉などもお腹いっぱい食べられる。綺麗な服も沢山買
ってもらい、毎日部屋でコッソリ着替えて楽しんでいる。毎日お風
呂に入り自分が臭いと思うことなど無くなった。暖かいベッドで寝
ることがこんなに気持ちいいとは想像すら出来なかった。幸せにな
りたいと言う夢はあった。しかしこれほどの幸せを想像することが
出来なかった。自分が想像しうる以上の幸せをルシに与えられたの
だ。
もっともルシにはそんな気は全然なかった。ただ、囚われの身で
あるクーが自分の過去と重なって、助けただけである。まさか面倒
を見ることになるとは思っていなかった。それを強要したのがシェ
ラだった、それを助けたのがキャミだった。クーはこの2人にも感
謝している。だがどうしてもシェラに対してだけは素直になれなか
った。
132
そんなことを考えて、ニヤニヤあるいわ苦笑いを浮かべサンシャ
イン通りを歩いていたのだ。 ふとある看板の文句に目が留まった。
そこには﹃素材買取﹄と書いてあった。そして、これなら私にも出
来るかも? と思ったのである。ルシが砂漠に行って暇なのもある
が、ルシから貰ったお金を使わず、自分でお金を稼ぎたかったクー
は、すかさず店に入り、どんなものを買い取ってくれるのか聞いて
みた。それは多種多様に様々であったが、クーにも集められそうな
物もあった。店主に﹁その犬の毛皮なら高値で買い取るよ﹂と言わ
れたときのリンの怯えようは後々語り草になるが、今は別のことで
ある。
そしてクーは翌日朝早くからエルフの森に来ていた。クーはスリ
としては一流と言えるくらいの実力があった。その手の早さ、身軽
さは仲間内でも定評があったのだ。しかし、武器などは殆ど使った
ことが無い。そんなクーが狙う獲物は兎や狐だった。防具や武器の
素材になるものでは無いが、毛皮はなかなかの値段で買い取っても
らえそうなのだ。
エルフの森はあまり奥に行くと魔獣が出るので、街道から1時間
以内の場所をリンと狩りする毎日だった。一匹も獲れない日もあっ
た。それでも根気強く頑張っていた。
﹁ゥォン﹂と小さくリンが吼える。クーにしか聞こえない程度の声
だ。それが、獲物を見つけた時の合図だとクーも判っている。すぐ
身を低くし気配を出来るだけ殺す。そしてリンが見据える先をクー
も目を凝らして見つめる。立ち込める木々の先に居たのは狐だった。
2人︵1人と1匹︶は二手に別れ、狐を挟み込むように移動する。
そしてじわじわ近づく。
パチッ!
小枝の折れる音が森の静寂を破った。クーが小枝を踏んでしまっ
たのだ。狐がそれに気付き、素早く逃げる。﹁しまった!?﹂と思
133
うがすぐさま追いかける。距離がまだ遠い。しかも狐は素早かった。
クーは追いかけながらも諦めかけたが、リンは諦めなかった。木々
を躱し倒木を飛び越え茂みに突っ込みどんどん先を走る。とうとう
クーは見失ってしまった。リンの声を頼りに追いかけ、クーが追い
ついた時には、狐はリンの前足で押さえつけられて息絶えていた。
﹁リン、やったね!﹂ワゥ!とリンは自慢げにそれに応えていた。
狐の手足を縛りそれを背負う。狐を追って、かなり森の奥に入っ
てしまったことに気付いた。 辺りは先ほどとは違う陰湿な空気が
立ち込めていた。﹁やばいなぁ﹂と思うが後の祭りである そこで
視界の片隅に小さな石造りの祠のような物が映った。なんだろう?
と近づいて見ると入り口は鉄の扉で鍵が掛かっている。リンに目
をやると﹁クゥーン!﹂と小さく鳴いた。
クーは少し悩んだ。はやくここを立ち去らないと危険だが、この
祠も気になる。しかし今までずっと危険と隣り合わせの生き方をし
てきたクーは、危険には敏感であるが、危険の先には大きな収穫が
あることも知っている。危険に立ち向かう勇気も備わっていた。
クーは呪文を唱え、﹃開錠﹄と口にした。するとガチャ!っと鍵
が開いた。
扉は錆び付いていてなかなか開かなかった。引っ張る、蹴る、叩
く、押す。粘ること数分。
ギギギギィっと錆びた鉄が擦れる音と共に扉が開いた。中を見る
とすぐ下に降りる階段になっていた。その奥は真っ暗で何も見えな
い。魔法で灯りは作れるが、魔法石のついた杖などが無ければ、長
時間の点灯は無理だった。松明も無い。
﹁リンどうしよか?﹂﹁クゥーン﹂
﹁思い切って入ってみる?﹂﹁クゥーン﹂
﹁灯りも無いし明日にしよっか?﹂﹁ウォン!﹂
そうして2人は森をでた。
﹁森の奥はエルフか結界を張ってるって聞いてたけど、無事に帰れ
たね♪﹂
134
﹁明日こそあの祠の中を探検だよー♪﹂
と浮かれ気分のクーだった。しかしクーは知らなかった。リンが
森の結界より、さらに強力な結界で2人を包んでいたことを。もし
その結界がなければ今頃2人は永遠に森に閉じ込められていたかも
知れないと言うことを。
135
クーとリン︵後書き︶
読んでくださってる方ありがとうございます。
感想、評価を頂けると大変感激です。
どうかよろしくお願いします。
﹃ルシ外伝﹄と﹃そこはゲームのような世界だった﹄もよろしくで
す。
136
エルフの森の謎の祠
王都に帰った2人︵1人と1匹︶は武器屋に向かった。魔法﹃発
光﹄を使う為に魔法石の付いた武器を求めて。
﹁こんにちはー﹂
﹁へい、いらっしゃ⋮⋮い⋮⋮﹂
︵ケッ! ガキか!︶
﹁嬢ちゃん、なんかようか?﹂
いかにも、金持ってんのかぁ ガキのくせに⋮⋮みたいな視線に
むかついたクーだが、我慢した。その辺は慣れたものである。
﹁はい。魔法石の付いた武器って無いですか?﹂
﹁魔法石ぃ? なんに使うんでぇ?﹂
﹁えっとぉ、魔法の練習をするから、魔法石が入ってる武器買って
来いって頼まれたんです﹂
クーは本当の事は言いたくなかったので、誤魔化すことにした。
﹁頼まれたって、魔法使いの知り合いでもいるのか?﹂
店のオヤジは、訝しむ顔を向けた。今の世は魔法使いは少ないか
らだろう。
しつこいオヤジだなぁと思いつつ、誰にしようかと考えたが1人
しか浮かばず、その名を告げる。
﹁えっとぉ、⋮⋮ル、ルシ様です⋮⋮﹂
﹁ルシだぁ?⋮⋮ ってあの﹃神速のルシ﹄かぁ?﹂
﹁へ?﹂
クーは何を言われたのか判らず、思わず声が裏返ってしまった。
﹁だから、あの白か銀か判らん髪で、目が金と赤の変な男か?って
聞いてんだ﹂
﹁ルシ様のどこが変なんですか! 髪は綺麗だし、目だって素敵じ
ゃないですか!﹂
137
クーはルシを﹃変﹄と言われたのには我慢出来ず、身を乗り出し
て怒鳴り返していた。
この時点で、クーは猫を被るのを止めた。このオヤジが嫌いにな
ったのだ。
店のオヤジは、クーの勢いに負けて後退っていた。
しかしクーはそんなことお構い無しに﹃神速のルシ﹄って言うの
が気になり、怒鳴り返した勢いのまま、店のオヤジに﹁ところで、
神速って?﹂と問いただしていた。
どうやらそれは、ルシに付いた﹃2つ名﹄だった。店のオヤジが
言うには、ヒュドラを倒したことで有名になっているそうだ。本来
﹃2つ名﹄はランクAに上がるような偉業を達成した者にしか付か
ないのだが、ヒュドラを倒すこと事態、その偉業にも引けを取らな
い程のことなのだ。 それと、これは後から知ることになるのだが、
どうやらシェラが言いふらした所為だった。
﹁そおかぁ、嬢ちゃんは、ルシさんの知り合いかい?﹂
﹁それがなにか?﹂
猫を被るのを止めたクーの態度は天と地程の差があった。
横目で下から見上げるように睨みつけるその瞳には、汚物でも見
るような嫌悪感さえ滲ませていた。
さすがにこれには店のオヤジも顔を引きつらせ、態度を改めたよ
うだった。
﹁そ、そう怒るなって。な? ルシさんの知り合いなら、大マケに
しとくからよ。なんせルシさんは、うちの店でミスリルの剣を2本
も買ってくれたお得意様なんだし。な?﹂
結局、クーは魔法石を先端に埋め込んだ杖5万Gを、4万Gで買
った。
兎と狐狩りで稼いだお金では足りず、大赤字である。一瞬落ち込
んだクーだったが、﹁神速のルシ様﹂と嬉しそうに何度も呟きなが
ら﹃山猫亭﹄に帰っていった。
138
﹃山猫亭﹄に帰ったクーは、酒場の客に聞こえないように、こっそ
り女将に聞いてみた。
﹁ねぇおばちゃん、ちょっと聞きたいことあるんだけど、いい?﹂
﹁ん? 声をころしちゃって、いったいなんだい?﹂
女将も、クーが内緒の話をしたいんだろうと、同じように声のト
ーンを落としてくれた。
﹁あのね、エルフの森に石で出来た祠があるって知ってる?﹂
﹁祠? さぁ聞いたことないねぇ⋮⋮ちょっと待ってな、うちの亭
主にも聞いてみるよ﹂
女将はそう言ってカウンターの中にいる亭主に、耳打ちで聞いて
いる。そしてまたクーのもとに来てくれた。
﹁亭主も知らないってさ。てかあんた、森にいってるのかい?﹂
﹁えっ? う、うん、ちょっと兎を狩りに。えへへ﹂
クーは︵まずいこときいちゃったかな︶と思ったが、笑って誤魔
化した。
﹁わかってると思うけど、あまり森の奥に入っちゃ駄目だよ。あん
たにもしもの事があったら、あたしゃルシさんに合わせる顔がない
よぉ﹂
﹁うん。大丈夫。それにもしものときは、神狼のリンがいてるから。
えへへ﹂
そういって、リンの顔を見た。リンは鼻の上に皺を寄せて困った
ような表情をしている。
﹁ほんとだよ。クーちゃんが危ないことしたら、ちゃんと止めてお
くれよ﹂
と、女将もリンの顔を見た。さらに皺を寄せるリンだった。
ここの亭主は昔、冒険者だったとクーは聞いている。それもこの
王都で、冒険者ギルドの専属ギルド員だったらしい。その亭主が知
らないとなると、期待と不安がより大きくなる。
139
クーは2階の自分の部屋に帰ると、あの祠の中にあった階段のこ
とについて考えていた。
﹁あの祠って、どう見ても自然に出来た物じゃないし、あの階段だ
ってそう。じゃ誰かが造ったってことになるよね? なんのために
? ん∼⋮⋮⋮⋮﹂
﹁あっ、中に神殿があるとか? やっぱ迷宮の入り口なのかな⋮⋮
それとも誰かの家?⋮⋮﹂
﹁まさかね。でも、そうとう錆びてたし長いこと開けられて無いの
は確かだよね?⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ちょっと! リン! なんとか言ってよ!⋮⋮﹂
﹁⋮⋮クゥ∼ン⋮⋮﹂
リンは眠そうな顔で、クーを見た。そして一声鳴いて、後ろ向い
てしまった。
﹁⋮⋮﹂
そして次の日、また早朝からクーはリンと共にエルフの森、その
奥にひっそりたたずむ謎の祠に向かった。リンが今日はやけに愚図
ったが、﹁なら1人で行くわ!﹂とほんとに1人で行こうとするク
ーに、仕方なく着いて来たようだ。
祠に向かう途中で一匹の兎を見つけ、捕まえた。あくまで本来は
狩りが目的なのだから、そのへんはしっかりしたものだった。そし
て2人はさらに奥に進む。辺りはいつも通り木々が生い茂り、上空
からの日差しは枝葉に邪魔されてほとんど地上に届かない。いつの
間にか鳥の囀りも聞こえなくなり、辺りが陰湿な空気に変わってい
た。クーが何気なくリンを見た。その目つきが、いつもと違うこと
に気がついた。
﹁リン大丈夫?﹂ちょっと心配になったのか、リンに声を掛ける。
﹁ワゥ!﹂と小さく答えるリン。
どのくらい進んだだろうか、前方に祠が見えた。そしてゆっくり
140
近づいて行く。さすがに森をここまで入ってくると魔獣が心配だが、
気配の察知はクーよりもリンの方が早い。そのことを数日の狩りで
理解しているクーは、辺りの警戒は完全にリンに任せているようだ
った。
祠に到着して、昨日と違うところがないか確認したが、どうやら
昨日のままのようだ。魔獣が入り込まないようにと、一応扉は閉め
てある。昨日は錆び付いてなかなか開かなかった扉も今日はすんな
り開いてくれた。
﹁じゃ入るわよ? とその前に灯りだね﹂
そう言ってクーは﹃発光﹄の呪文を唱えた。ゆっくりと杖の先端
が黄白色の淡い光に包まれていく。クーは杖の先端を前に突き出し
て奥を照らし、ゆっくり扉の中に身体を忍ばせていった。リンもし
っかりクーの後について入る。
祠に入ると、すぐ階段が下に伸びている。杖を突き出して先を照
らすが、下まで明かりが届かないようだった。ゆっくりゆっくり慎
重に階段を下りるが、なかなか下まで行き着かない。
﹁結構深いよ。やっぱりここは迷宮の入り口なのかも⋮⋮﹂
﹁クゥーン﹂
クーも一応は盗賊ギルドに登録しているのだから、盗賊の端くれ
である。こういう所に罠が仕掛けられていることは承知している。
だが承知しているだけで、実際こういう迷宮などに入ったことはな
い。
﹁リン、罠があったら教えてよ﹂
クーもリンが罠を見つけられるとは思っていない。ただ不安だか
ら言っただけだった。
﹁ワン!﹂
しかし、リンはしっかりと返事をくれた。この吼え方は﹁任せて
!﹂と言ってる。クーにはそう思えた。
それでも一歩一歩慎重に階段を下りる。罠が無くても、足を滑ら
せる危険もある。それに相当古い階段なのだから、いつ崩れるか知
141
れた物ではない。
30段くらい下りただろうか、ようやく下が見えてきた。階下は
そのまま通路になって、真っ直ぐに伸びているようだ。そこから数
段下りてようやく階下に着いた。周りをよく照らして見ると、上下
左右すべて石で組まれた壁になっている。通路の広さは2人が並ん
で歩ける程度、高さもせいぜい2メートルくらいだった。しかし杖
の灯り以外まったくの闇だ。
﹁炭鉱とかじゃないね? やっぱり迷宮って感じだよ。エルフの森
の謎の迷宮⋮⋮﹂
クーはさらに期待と不安を膨らませたようだった。
階下に下り立った2人は、ゆっくりを奥に進みだした。2人とも
声を出さない。足音も殺している。ゆっくりとゆっくりと進む。ふ
とクーが足を止めた。
﹁なんか聞こえない?﹂
クーは小さな声で聞いた。耳を澄ませて、神経を耳に集中する。
ぴちゃん!⋮⋮ぴちゃん!⋮⋮ 天井から落ちる水滴音のようだ。
雨水でも染み出てきているのだろう。
クーはそっと胸を撫で下ろした。その手にはいつのまにか汗をか
いていた。
気を取り直し、2人は杖の灯りだけを頼りに、ゆっくり進む。微
かに見える前方が突き当たりになって左右に分かれているようだ。
突き当りまで進むと、クーはどっちに行こうか迷った。
﹁どっちが良いと思う?﹂
クーが試しに聞いて見ると、リンはすかさず右の通路に進んだ。
クーは頷いてリンの後を追った。クーはそのままリンを後ろを歩き、
杖をリンの頭上にかざした。そのまま何度か通路が分かれたが、リ
ンはなんの迷いもないように、右、左と曲がっていく。
唐突にリンの足が止まった。クーはリンにぶつかりそうになる。
﹁ちょっと!あぶ﹁ウゥゥゥ!﹂﹂
142
クーの苦情に被せるように、リンが唸りだした。その目は前を見
据えている。クーの背筋に冷たい物が走る。クーはそれでも、目を
凝らして前方を見た。微かになにか動いた。
﹁な、なに?﹂声が震えている。
リンが身を少し低くして一歩前に出た。その輝くような純白の身
体が淡い光に包まれていく。 そしてリンの身体が前方に飛んだ。
﹁ガゥゥゥ!﹂
リンの唸り声が聞こえる。
ガン! ギン! ブチィィィ!
闇の中で戦っているのか、音だけで見えない。
﹁ガブゥゥ!﹂
ベシッ!
なにかが壁にぶつかった音のようだ。
微かに白い発光体が縦横無尽に飛び交う。それと同時に赤い2つ
の閃光が追う。
﹁な、なに? リ︱︱︱ン!﹂
ガキィン! ヴチィ! ベチィ! ガヴゥゥ!
返事はない、ただ闇の中から争う音が聞こえるだけだ。
グギグギギギィィィ⋮⋮
ついに断末魔のような咆哮が聞こえた。
﹁ハゥハゥ!﹂
﹁ワン!﹂
その声が自分を呼んでると思ったクーはリンのもとに走った。
リンはハァハァと口で息をしていた。その足元には体長2メート
ル近いタランチュラが息絶えている。足は千切れ、目は潰れ、首は
有らぬ方に向いていた。
リンに駆け寄ったクーの顔は今にも泣き出しそうだった。
﹁怪我は!? 何処も怪我してない!? 大丈夫なの!?﹂
クーはその手に大クモの体液が粘りつくことなど構いもせず、リ
ンの体中を調べていく。
143
﹁ワン!﹂
その鳴き声を聞いて、クーはその場に跪いた。そしてリンに抱き
しめる。
﹁もう、びっくりするじゃない! 無茶しないでよ⋮⋮﹂
そう言うクーの語尾は震えていた。
﹁クゥーン!﹂
﹁帰ろうか⋮⋮﹂
そうして2人は来た道を戻り王都に帰っていった。
144
︻登場人物 他紹介︼︵前書き︶
登場人物が増えて来たので一旦整理のつもりでUPします。
145
︻登場人物 他紹介︼
キャノ・フォレスト・カノン
種族:人間???
年齢:14
職業:王女
異名:カノン王国史上もっとも可憐な王女
カノン王国、カノン王、第一王女
金髪碧眼、流れるような金髪は腰までとどき、肌は雪のように白
い。
病弱な白さではなく健康的な白さである。
すっきりとした鼻腔、丸く大きな瞳小さく薄紅をさした唇。
まだあどけなさが残る美少女
ルシ
種族:人間???
年齢:16くらい 職業:冒険者 ランクC↓B
身長は175センチメートル程。肌の色は少し白く中肉中背。
異名:神速のルシ
髪は白金、瞳は虹彩異色で赤と金。
その眼は鋭く人を寄せ付けない雰囲気をかもし出す
武器は長剣と短剣
シェラ
種族:人間???
年齢:16
職業:冒険者 ランクD↓C
146
異名:
栗色の髪に赤い瞳。少しウェーブの掛かった髪を肩より少し下ま
で垂らしている。
少しつり上がった瞳
美人なのだが、少し高慢な女というイメージ
武器は長剣
キャミ・フォレスト・カノン
種族:人間とエルフの混血
年齢:15
職業:冒険者 ランクD↓C
異名:
艶のある綺麗な金髪を短く揃えてカットしている
薄碧色の瞳 何処かしら高貴な感じ。
遠慮深く大人しい令嬢をイメージ
品のある美人
下位魔法を使える︵下位エンチャンター︶
武器はレイピア
クー
種族:人間とダークエルフの混血
年齢:12
職業:ルシの奴隷? 盗賊
異名:
体型は女性としてはまだまだ。
銀に近いグレーの髪は艶があり、左右に少し、尖った耳が見えて
いる。
肌は健康的な少し濃い小麦色、銀の瞳は切れ長で少し吊り上る、
細い鼻筋
下位魔法を使える
147
武器は魔宝石入りの杖
リン
種族:人間
年齢:9︵故
職業:
異名:
綺麗な髪は首筋辺りで結わえられ、肩から前に垂らす
外伝で登場
リン
種族:神獣
年齢:産まれたばかり?
職業:クーのお目付け?
異名:神狼
神狼フェンリルの子︵雌︶
体内にリンという9歳の少女の魂を持つ
毛色は輝く純白
尻尾化↑↓獣化
ブライアン
種族:神獣???
年齢:不明
職業:ルシの馬
異名:
普通の馬より少し大きく毛色は黒。
神々の馬スレイプニルの血を引く?
アラン=クロード
種族:人間???
148
年齢:不明
職業:冒険者ギルドの長
異名:
落ち着いた威厳のある風体で、頭は半分ほど白い
その眼は鋭い
ジーク
種族:人間???
年齢:20後半
職業:冒険者 ランクB︵ディアーク専属︶
異名:
短髪は黒く、肌も浅黒い。
体格もルシより一回りは大きく冒険者というより傭兵と言った感
じの男
ルシ達とゴブリン退治に同行
ハスナー
種族:人間???
年齢:不明
職業:冒険者 ランクC︵ディアーク専属︶
異名:
ルシ達とゴブリン退治に同行
ヴァルザード
種族:人間???
年齢:30くらい
職業:冒険者 ランクA
異名:見えざる剣のヴァル 疾風のヴァル
砂漠の徒行でリーダー役 長身痩躯。少し長めの金髪を耳に掛け、肌は白い。
149
冒険者と言うより貴族風
剣を使うが槍のが得意???
魔剣をルシに譲る。
サラ︵猫獣人︶
種族:猫獣人
年齢:15、6
職業:宿屋兼酒場﹃山猫亭﹄の給仕
異名:
見た目は頭に猫の耳があるだけで、いたって普通の人間風。
かなり可愛い部類に入る顔立ち。
赤い髪はウェーブが掛かったショートヘア。
目は金で大きく、小さな口は笑うと牙が少し見える。
スタイルはスレンダーだが、メリハリのある女性らしい体つき
酒場のアイドル?
ゲイル
種族:人間???
年齢:不明
職業:奴隷商人
異名:
ボルゾー
種族:人間???
年齢:キャノ王女から﹁おじいさん﹂と呼ばれる年齢
職業:カノン王国の御者
異名:
エンムギ
種族:人間???
150
年齢:
職業:数年前までは、お城の宮廷魔術師
異名:古の大魔道師
聖戦で活躍したとされる大魔道師とは別人? ルシに封印を施したローブを纏った謎の男?
中位魔法まで使える
名不明
種族:人間???
年齢:500年前から生きている???
職業:聖戦で活躍したとされる大魔道師
異名:古の大魔道師
ルシに封印を施したローブを纏った謎の男?
上位魔法、古代魔法、禁呪も使える
名不明
種族:人間???
年齢:7,8
職業:地図屋の店番
異名:
地図屋の娘
名不明
種族:人間???
年齢:
職業:武器屋の主人
異名:
ころころ態度が変わる
名不明
151
種族:人間???
年齢:
職業:宿屋兼酒場﹃山猫亭﹄の女将
いつも陽気
異名:
名不明
種族:人間???
年齢:
職業:宿屋兼酒場﹃山猫亭﹄の亭主
異名:
昔はディアーク王都で、冒険者ギルドの専属ギルド員だった
名不明
種族:人間???
年齢:20歳位
職業:冒険者ギルドの受付け嬢
異名:
なかなか上品な顔立ちの女性
名不明
種族:ドワーフ
年齢: 職業:鍛冶屋の職人
異名:
ルシのミスリルの剣を修理
名不明
種族:人間???
年齢: 152
職業:盗賊集団の頭
異名:
クーを拾い扱き使う。殴る蹴るの虐待も。
クーがルシのもとに行ってからは、クーを手伝う
︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱
﹃山猫亭﹄
宿屋兼酒場
ルシ、キャミ、シェラが利用
﹃飛竜亭﹄
酒場 盗賊集団の溜まり場
153
ルシvsヴァルザード︵前書き︶
修正作業と同時進行です。
更新がおくれないように努力いたします。
154
ルシvsヴァルザード
﹁ギルドの皆様方、遠路はるばるご苦労様でございます。エンム
ギは塔に篭っております故、ご挨拶はわたくしめが代わってさせて
頂きます。こんな場所ですので、大した御持て成しも出来ませぬが、
ごゆるりと御くつろぎ下さいませ﹂
そう言って初老の男は深々と頭を下げた。エンムギは姿を見せる
気が無いのだろうとルシは思った。︵ならこっちからいくまでか⋮
⋮︶
ギルドの面々は、それぞれ豪華とは言えない食事と酒で10日ぶ
りのゆったりした気分を味わっているようだった。明日からまた王
都に向かって砂漠の旅が待っている。
砂漠を徒行中は、頭から一枚布をすっぽり被り、顔もほとんど見
えない状態だったが、今は誰もそのような格好はしていない。さす
がにルシの見た目が奇妙な所為か、好奇の視線が自然と集まるよう
だ。ルシはそんなことは一向に気にする様子も無いのだが、それで
も声を掛けてくる者も少なくなかった。
﹁やってるか?﹂
そういって酒の入ったグラスを両手に男が近づいてきた。ルシも
見覚えのある男、専属ギルド員のジークだった。歳の頃は20代後
半。その短髪は黒く、肌も浅黒い。体格もルシより一回りは大きく
冒険者というより傭兵と言った感じの男である。
ルシはジークに一瞥をくれ、全く興味なさそうな顔で1センチ程
度顎を動かす。
﹁ふっ、相変わらず無愛想だな﹂
ジークはそういってルシの横に腰を降ろし、片方の手に持った酒
をルシに差し出した。
﹁そういや、あの綺麗なお嬢さん達は来なかったんだな? なんか
155
あったのか?﹂
﹁あぁ、大したことじゃない﹂
にべもなく答えるルシに気を悪くするでもなく、﹁ならいいんだ
がな﹂とジークもどうでも良いという感じで話を切った。そして何
かを思い出すように目を細め満天の星空を見上げた。
﹁なぁルシ君よ。君はあの時、まだまだ本気じゃ無かったと思うん
だが、どうだ?﹂
﹁さぁ どうだったかな﹂
﹁そうか⋮⋮、ならちょっと俺と仕合ってみないか?﹂
そう言うジークの顔は唇の端をが少し上がり薄笑いを浮かべてい
る。
﹁面白そうだねぇ。俺も混ぜてくれないかい?﹂
声の方を見ると、長身痩躯の男が近づいてくる。年齢は30くら
いであろうか? 少し長めの金褐色の髪を耳に掛け、肌はやや白い。
冒険者と言うより貴族のそれである。その男の名前はヴァルザード。
ギルドメンバーのリーダー役で、只1人ランクAの男である。ルシ
は徒行中とはずいぶん印象が違うなと思った。
﹁ヴァルザード殿もルシ君に興味があるのですか?﹂
ジークは少し驚いた様に、ヴァルザードを見て︵自分は引くしか
ないか︶と思った。
﹁まぁね。﹃神速のルシ﹄なんて2つ名が付いたんじゃ、興味も沸
くさ﹂
ルシは怪訝顔をした。
﹁そういえば、ヴァルザード殿の2つ名は﹃見えざる剣﹄でしたね。
あぁ﹃疾風﹄というのもありましたか⋮⋮﹂
﹁まったく、どこのどいつか知らないが、恥ずかしい2つ名を付け
てくれたもんだ、とは思うのだがね。で、どうだい?﹃神速のルシ﹄
君﹂
﹁まぁ別に構わないが、﹃神速のルシ﹄とはなんのことだ?﹂
156
そのルシの言葉に2人は固まった。いや、3人の会話に聞き耳を
立てていた他のギルド員達も固まっていた。自分の2つ名を知らな
い冒険者は、まぁ珍しい。
ルシはおもむろに立ち上がりジークに視線を向けたずねた。
﹁じゃまずはジークからでいいのか?﹂
ジークは少し驚いた表情でルシの顔をまじまじ見上げた。
﹁すごい余裕だな⋮⋮ じゃ俺から頼もうか。ヴァルザード殿もそ
れでよろしいですか?﹂
﹁うむ、俺に回ってくることを祈るよ﹂
ヴァルザードは屈託のない笑顔を向けた。
少し広い場所に移動する3人の後を、その場に居たギルド員全員
が付いて行った。
審判役のヴァルザードを挟み、数メートルの距離で対峙するルシ
とジーク。
辺りが静寂に包まれていく。
見守る全ての者は誰一人として声を発しない。
その静寂を破ってヴァルザードが開始の声を発した。
﹁はじめ!﹂
ジークがすーっと鞘から剣を抜き中段に構える。ルシは柄に手を
掛けただけである。
ジークがなんとも言えない表情ルシを見据える。
﹁剣を抜かぬのか? フッ⋮⋮まぁいい。すでに仕合は開始してい
る!﹂
静かな声音だったが、語尾が爆ぜる。
言下にジークは飛び出した。
数メートルあった互いの距離を一気に詰める。ルシは微動だにせ
ず剣も抜いていない。
ジークは距離を詰めるその一瞬で剣を上段に持ち上げていた。そ
157
してそれがルシを襲う。
﹁獲った!﹂そう叫んだのはジークだった。
ジークは確かに見た。その剣がルシを捉えたのを。しかし手応え
は無かった。
ジークの斬撃は残像を切っていた。ルシはその名が示すように神
速を持ってジークの背後に回ったのである。
いつの間にかルシの右手には剣が握られていた。ヴァルザード以
外、ルシが鞘から剣を抜くの見た者は居なかった。その剣はジーク
の背後から、その背に突きつけて止まっている。
ジークの背に冷たいものが走り鳥肌まで立っていた。﹁ま、まい
った⋮⋮﹂
あまりにもあっさりと終わった。誰もがそう思った。しかし誰一
人ジークが弱かったのだ、とは思わなかっただろう。
﹁いやぁ、大したものだねぇ。﹃神速﹄が伊達じゃないってことは
判ったよ﹂
そう言って冷笑を浮かべるのはヴァルザードだった。
﹁正直、君の実力はランクAだね。こんなこと言うと、ここに居る
全て者に悪いんだが⋮⋮﹂
淡々と言って頭を掻きながら、﹁それでもあえて言わせて貰うが﹂
と付け足した。
﹁ランクAとBというのは、一見ランクが一つ違うだけなのだがね、
その実力は雲泥の差があるのだよ。だから﹃神速﹄などと言われて
も所詮ランクBだと馬鹿にしていた。いやぁほんとにすまない﹂そ
う言って頭を下げさらに続けた。その顔はどこか嬉しそうだ。
﹁だが今は違うよ。君の力は判ったし、君をランクAの冒険者だと
認めた上で戦う。俺にはもう驕りという隙はないからね。覚悟して
くれたまえ﹂
そう優しく諭すように話すヴァルザードだったが、ルシは興味な
いといった顔をしている。
158
﹁どうでもいい﹂とそれだけ言い放った。
ヴァルザードは真顔で頷き、その瞳が暗い闇に包まれていく。そ
して二人は距離を置いて対峙した。
ルシとジークの時と違い、辺り一帯の空気がビリビリするのを、
皆感じていた。
仄かな松明と星明りだけの闇の中、二人の身体が薄っすらと光を
帯びているようだった。
﹁はじめぇぇ!﹂
今度はジークが開始の合図を発した。
2人とも剣はまだ抜いていない。柄に手を当ててすらいなかった。
突如、皆の目からヴァルザードの姿が消えた。
ガキィィィィン!
剣と剣がぶつかり激しく火花を散らす。
ヴァルザードの姿はルシの目の前にあった。そのヴァルザードの
横から凪ぐ居合いの様な斬撃をルシが受け止めていたのだ。
ヴァルザードの持つ剣は魔剣だった。薄い桃色の光を発する魔剣
はルシの持つミスリルの剣に刃こぼれを生じさせていた。
二人は同時にバックステップで距離を取った。
﹁この剣、高かったんだがな⋮⋮修理代出してくれるんだろうな⋮
⋮﹂とルシがぼやいた。
﹁君がここから生きて帰れたらね!﹂
言下にヴァルザードが、また間合いに飛び込む。斜め下からの斬
撃。しかし目に映るのは薄桃色の閃光だけ。さらにそこから無数の
斬撃がルシを襲う。幾重にも薄桃の筋がルシの身体を交差していく。
ルシは体捌きと足捌きでそれらを全て躱していく。
さらに斬撃の速度が増す。ルシの身体もぶれてその実態が希薄に
なる。それでもさらに剣速が増して行く。﹃見えざる剣﹄と言われ
る所以であった。その剣は、もはや音のみで誰にも見えていない。
ルシの身体を無数の薄桃糸が絡まるように見えるだけだった。
159
もはや通常の剣技では捉えられないと判断したヴァルザードは、
突如その攻撃を止めた。
﹁はあぁぁぁぁぁー﹂
気合とともに、空気を切り裂く鋭い剣突きを繰り出した。そして
さらにその攻撃のベクトルを急激に変化させたのだ。
﹁むぅ!﹂
身体の中心線を狙った、その剣突きを体捌きで躱したルシである
が、突如ルシが躱した方向に剣筋が変化したのだ。流石にルシもこ
れには剣で受けるしかなかった。
ルシの顔が歪む。ルシは自分の剣を心配したのだが、ヴァルザー
ドはルシに剣で受けさせたことに微かな笑みを浮かべた。
﹁フッ! どうした? 全て躱すのかと思ったのだがね?﹂
ルシは非難がましい顔をヴァルザードに向けた。
﹁はぁ!﹂
ルシは腕に力を込め、受けていた魔剣を弾き飛ばした。ヴァルザ
ードは一瞬よろめくが、そこにルシの横薙ぎの剣が唸りをあげて襲
いかかる。それを大きく体を反らせて躱し、そのままバック転を2
回3回と距離をとっていく。
しかしルシは逃がさない。猛然とダッシュし一気に距離を詰めた。
そこから首筋を狙うように斬撃を繰り出す。
それをかろうじて受け止めたヴァルザードの額に汗が流れた。
またルシの剣が刃こぼれを起こし、ルシの眉間に皺が寄る。その
目が一瞬、自分の剣を見た。その一瞬をヴァルザードは見逃さなか
った。
ドカァ!
ヴァルザードの蹴りがルシの股間を襲う。ルシをこれを左手で受
けるが、その予想もしなかった巨大なパワーに身体が浮いた。一瞬
ヴァルザードの目が光った。
受けた手で威力を殺したつもりだが、それでも数10センチは身
160
体が浮いてしまったルシを、ヴァルザードの横薙ぎの剣が、風を纏
い強襲した。ルシは体が浮いて足捌きは使えない。
ルシは剣で受けるが、足が地に付いていない状態では、そのま
ま吹き飛ばされた。数メートル飛んだであろうか。とっさに片手を
付いて、そのまま反転。
﹁うぉりゃぁぁぁ!﹂
そこにヴァルザードの剣突きが襲う。ルシはその剣突きを身体を
回して避ける。その回転にあわせた斬撃がヴァルザードの胴を凪ぐ。
ピシュー!
ルシの剣先がヴァルザードの胴を捉えていた。掠った程度だが鮮
血が舞う。
ヴァルザードは構わず無数の剣突きを繰り出してきた。またして
もルシは体捌きと足裁きで躱していく。そしてまた突如攻撃のベク
トルを変化させた。しかし今度はルシが大きくバック転を繰り返し
距離をとった。
﹁同じ攻撃は2度は通じないぞ﹂
溜め息混じり呟くルシ。
急速にヴァルザードの闘気が萎えていく。
﹁フッ! 楽しかったよ。 剣では俺の負けだ。 あっはっはっは
!﹂
ヴァルザードはそう言い、いかにも満足したように、その場に座
り込んでしまった。
﹁じゃぁ剣の修理はしてもらうぞ﹂
﹁おぃおぃ、まじで言ってるのかい?﹂
なんとも言えない表情でヴァルザードはルシを見た。
﹁とうぜんだ、俺は借金だらけで、金が無い﹂
﹁⋮⋮君は、ほんとに面白い男だねぇ⋮⋮ まぁ修理代を請求して
くれれば、払わんことも無いが、それより、俺のこの剣をやっても
いいが、どうだ?﹂
161
﹁なに? どういうことだ?﹂
ルシが疑心に満ちた表情でヴァルザードの顔を見た。
﹁言葉の通りだよ。この魔剣を君に譲ると言っている﹂
﹁ほんとうか?﹂
﹁もちろんだ! だが一つ条件がある。もう一度俺と勝負しろ!﹂
﹁なんどやっても同じだぞ?﹂
ルシは醒めた表情でそう言った。
﹁ただし、俺は槍を使う!﹂
ヴァルザードはどこか得意げな笑みを浮かべていた。
そしてルシはヴァルザードの魔剣を譲り受けた。
さらに後日談になるが、ルシは刃こぼれしたミスリルの修理代も
請求したのだった。
﹁あの、貧乏ヤロウ!﹂と苦笑いのヴァルザードだった⋮⋮。
162
ルシvsヴァルザード︵後書き︶
急にアクセスが伸び驚いております。
読んでくださってる方ありがとうございます。
出来ましたら評価・感想よろしくお願いします。
163
魔道師エンムギ︵前書き︶
今回は説明ばかりです。
すみません・・・
164
魔道師エンムギ
大陸中央にあるパナソニ砂漠。その砂漠の中央に巨大な一枚岩パ
ナソニ・ロックがある。その巨大な岩の上面に広がる古代遺跡。さ
らにその中央に立つ名も無き塔。
皆が宴に戻った頃、ルシは1人その塔に向かう。星明りしかない
闇の中、後方では微かに宴の喧騒が聞こえる。塔までは距離的も1
0分と掛からないだろう。
ルシがここに来た目的は﹃古の大魔道師﹄である。昔ルシがまだ
小さかった頃、大陸西端の小さな寒村で、そのローブを被った謎の
男は封印という名で全身に古代文字を刻んだ。その痛みの所為かわ
からないが、その時黒かった瞳は虹彩異色の金と赤に変わり、髪は
白金と化した。
別にその男に恨みがある訳ではない。必要があるからそうしただ
けなのだろう。だが自分の体に訳がわからない物があるのは気分が
良いものではない。生きる目的も行く宛ても無いルシが旅するにあ
たって無理やりこじつけた目的だったのかも知れない。
今、目の前に見える塔にエンムギが居る。﹃古の大魔道師﹄とい
う2つ名を持つエンムギがルシの探す人物かどうかは判らないが⋮⋮
塔は円柱形と言ってもその高さは階層でいえば5階位だろうか?
当初どの程度の高さだったのか定かでないが、今は半壊や全壊に
近い状態だった。上部は完全に破壊され辺り一面に落下、周囲の建
造物を崩壊し瓦礫の山と化したのであろう。
その瓦礫を避けながら塔の入り口らしき扉の前まで来た。煉瓦を
積み上げて造った様なその扉は両開きでその大きさは王城の城門位
165
はあるかもしれない。到底人間1人で開け閉め出来る代物ではない。
幸い扉は開いていた。人一人が通れる程度だが、その隙間から微
かに灯りが漏れている。ルシはその扉から中に入った。
そこは大きな広間のようで、直径1メートル近い柱が何本も立っ
ており、天井を支えていた。その中央に2階へと上がる階段がある。
その階段は人が5人位なら楽に並んで上れそうだ。その階段の両脇
には数段おきにガーゴイルの像が立っていた。
広間の左右両壁にもガーゴイルの像が並び、数箇所にランタンが
付けられている。その灯りの光量から察するに中に魔法石が仕込ん
であると推測できる。ここも外ほどではないが所々壊れた煉瓦が散
らばり、壁や天井、柱や階段、床や階段、いたる所に小さな亀裂が
目立つ。それが聖戦での古傷なのか、500年という歳月の所為な
のかは判らないが⋮⋮
前面の壁には階段を挟んで左右に2箇所ずつ扉があり、その一つ
が開いている。ここの扉は塔正面のそれとは違い、それほど大きな
物ではなく、人の手によって開け閉めされるのだろう。
ルシはなにも警戒する様子も無く、迷わずその扉を潜る。
そこは10メートル四方程度の部屋で中央にゴーレムと思われる
巨像が一体立っている。そのゴーレムの前にローブを着た1人の男
が佇んでいた。
ルシが部屋に入ると、その男は振り返り怪訝な表情を向けた。
﹁だれじゃ? どうやって此処に来た?﹂
﹁ギルドの依頼で来た。ルシと言う﹂
﹁ギルドの依頼じゃと? ⋮⋮おぉそう言えば頼んでおったのぉ。
で、わしになんか用か?﹂
その男はギルドと聞いて少し安心したのか、その表情を少し和ら
げた。
﹁エンムギと言うのはお前か?﹂
エンムギの眉間に少し皺が増えたが、その表情は少し笑っている
166
ように見える。
﹁うむ、わじじゃが。やけに態度がでかい奴じゃのぉ﹂
ルシは得心したような表情を浮かべた。エンムギが自分の探して
いる﹃古の大魔道師﹄ではないと悟ったようだった。
﹁そうか。ならここに﹃古の大魔道師﹄は居るのか?﹂
﹁不本意ながら、わしもそう呼ばれておるがのぉ﹂
﹁いや、お前じゃない。500年前の魔道師のことだ﹂
﹁いや、ここにはわししかおらん﹂
ルシはそれを聞いて、一瞬のことだが微かに諦めの様な表情を浮
かべた。
﹁⋮⋮そうか、邪魔したな﹂
そう言ってルシは部屋を出ようと振り返る。
﹁まぁ まて。﹃古の大魔道師﹄を探す奴なぞ初めてみたわ。事情
があるなら言うてみ﹂
エンムギは得意げな笑みを浮かべ、﹁ほれほれ﹂などと言い、手
招きまでしている。
ルシは一瞬悩んだが、たしかにエンムギは﹃古の大魔道師﹄に一
番近い存在なのだろう。話してみる価値はあるかも知れないと思い
話してみることにした。
そしておもむろに語りだした。幼き日の村で古代文字を彫られたこ
と。洞窟に幽閉されたこと。村長から聞いた話。それらを全て語り、
体に彫られた古代文字も直に見せた。
エンムギは興味深そうに聞きていたが、体中にある古代文字を見
たときは驚きの色を隠せなかったようだ。
そしてエンムギが言うには、この古代文字は、今は失われた文字
で読むことは勿論、書くことなど誰にも不可能だと。もし書ける者
がいるとしたら、500年前であっても、かの﹃古の大魔道師﹄と
言われた男だけだろうと。
﹁つまりじゃ、お主の言うことが事実なら、﹃古の大魔道師﹄は、
167
まだこの世に生きていると言う事かの⋮⋮﹂
﹁オレは嘘などつかん﹂
﹁わかっておる。その体の文字が事実だと語っておるわ﹂
エンムギは表情を強張らせながらも、どこか嬉しそうだった。
﹁しかし、それが封印だとして、なにを封印しているのか、わしに
もわからんわ﹂
﹁⋮⋮﹂
そしてエンムギは﹁すまんのぅ﹂と言って自身が今なにを調べて
いるのかを語りだした。
まず、このパナソニ砂漠が500年前は砂漠ではなく、広大な平
原だったこと。それが聖戦後急速に砂漠化したこと。通常砂漠化の
原因として土壌流出、塩性化、飛砂、森林伐採。他にも、過度な農
業活動で土壌が渇くなど色々あるのだが、このパナソニ砂漠に関し
ては、それらのどれにも当てはまらず、原因が全く不明だという。
だが、エンムギ自身は魔法によって砂漠化したのだと考えている
らしい。理由はあまりにも急速に砂漠化してしまったこと。それと、
つい最近までこの辺り一帯年中砂嵐で、人の介入を一切許さなかっ
たこと。つまり魔法により人為的に砂漠化させて人を寄せ付けない
ようにしたのでは無いかと言うことだった。あくまでこの塔を調べ
ることで、その考えに至ったらしいのだが。
今エンムギの目の前にあるゴーレムもそうだが、いたる所にある
ガーゴイルの像も魔法生命体で、上位以上の魔法で作動するという。
それ以外にもこの塔には様々な魔法の仕掛けがあるらしい。そして
つい最近までここには人が居た痕跡もあり、その人物が消えた為、
辺り一体の砂嵐も消えたのでは無いかと考えているらしい。つまり
この塔の魔法設備を使いこなせることが出来るなら魔法による砂漠
化も可能だったのだという。
しかし、では誰が此処に居たのか? 誰が此処の設備を使いこな
168
せるのか? そんな人間は居るはずがなかった。居るとすればそれ
は﹃古の大魔道師﹄しか考えられなかった。が、その生存をどうし
ても信じることが出来なかった。人間は500年も生きられない。
そんな魔法の存在は聞いたことも無い。では人間以外の種族か? 史実にはそんな記述は一切無い。では誰だ? そんな存在が他に居
るのか? わしの思い過ごしか? わしの妄想か? ﹁そういう思考の迷宮に入り込んでしまっていた。おまえの体の古
代文字を見るまではな⋮⋮﹂
169
魔道師エンムギ︵後書き︶
なんと日間ランキング30位です。
お読みくださった方。それから
評価、お気に入り登録して下さった方々のおかげです。
ほんとうにありがとうございます。
170
シェラの願い
ギルドの一行はディアーク王都に向け、パナソニ・ロックをあと
にした。
帰途は楽なものだった。帰り荷などは存在せず、荷物と言えば自
分達の食料と水位だ。それも日に日に減って荷が軽くなるわけであ
る。この調子なら帰りは早いなと誰もが思っただろう。実際砂嵐に
もあわず、懸念したサンドワームも出現しなかった。ルシはこれも
塔の魔法機能が作動しなかった所為かもしれないと思っていたが口
にはしなかった。
たまに出くわすのは大サソリかオオトカゲ。なんの問題もなく倒
していった。まぁ昼間の暑さと夜の寒さはどうしようもなかったの
だが⋮⋮
そんな感じで大した問題も無く9日で無事王都に辿り着いたので
あった。
一行はギルドで依頼の完了報告を行い、それぞれ成功報酬を受け
取り散会する。ルシも金貨10枚︵100万G︶を受け取り、ギル
ドをあとにしようとした。
﹁おぃおぃ、ルシ君、ちょっと待ちたまえよ﹂
そう溜め息混じりに言って引き止めたのはヴァルザードだった。
﹁ん?﹂
ルシは非難がましい顔で振り返る。
﹁君は魔剣を受け取りながら、再戦の話もせずに帰るつもりなのか
い?﹂
と、ぞんざいに肩をすくめるヴァルザード。
﹁あぁ、なら王国主催の武闘大会はどうだ?﹂
﹁なに? 君はあれにでるのかい?﹂
﹁あぁ、一応申し込みは済ませてある﹂
171
ルシがそう言うと、すぐさま受付で申し込みを済ませたヴァルザ
ードだった。
そしてルシは久方ぶりに﹃山猫亭﹄の扉を開けた。
﹁あら、おかえりー 早かったんだね﹂
そう声を掛けてきたのは女将である。
﹁あぁ、ただいま﹂
そういってカウンターの席に座りエールを頼む。
﹁クーちゃ︱︱︱ん! ちょっと下りて来ておくれ︱︱︱!!﹂
女将の声が店内に響き渡った。すぐ横にいたルシは非難がましい
顔を向ける。
﹁は︱︱︱い!﹂と言う声が階上から聞こえると、すぐクーは下り
てきた。
ルシに気付いたクーは満面の笑みを浮かべる。そして﹁ルシ様︱
︱︱!﹂と絶叫し一目散に駆け寄っていく。その両腕は左右に大き
く開きルシに飛びつこうとしていた。
だが、ルシの直前で立ち止まってしまった。
ルシは少し首を傾げる。
クーは姿勢を整え﹁お、おかえ、りなさい、ませ﹂と、表情を強
張らせ恭しく頭を下げる。
﹁⋮⋮﹂
﹁あらあら、この子はもう⋮⋮﹂
女将がなんともいえない表情を浮かべていた。そしてガタガタ震
えるクーの横に屈む。
﹁クーちゃん。あんたはもう奴隷じゃないんだから、ほら、我慢し
なくていいんだよ﹂
そう言って女将はその小さな背中を軽く押す。しかし一歩出ただ
けでクーは止まる。
その顔がゆっくり上を向き、遠慮勝ちにルシを見つめた。
ルシはそんなクーに、小さく頷いた。その表情は今まで見せたこ
172
とが無いほど穏やかだった。
﹁ル、シ、様。おか、え、り、なさい。ワァ︱︱ン﹂
クーは顔を皺くちゃにし、目には涙が溢れ、ルシの胸に飛び込ん
だ。
なんともいえない表情で、その頭を軽く撫で﹁ただいま﹂とルシ
が呟いた。
女将の目にもキラッと光るものがあった。
そのあと、クーは身振り手振りでルシの居なかった約20間の出
来事を聞かせたのだった。
ルシは、驚いたり呆れたり苦笑いになったり。今日ほど色々な表
情を出したことは無かっただろう。最後には﹁顔が疲れた﹂などと
訳がわからないことを言い出す始末である。
﹁あ、ルシさん。悪いんだけどねぇ、今日から2人部屋を使っとく
れ﹂
ルシは険しい顔をしたが、その横でクーが呆けた様な顔をしてい
る。
﹁どういうことだ?﹂
﹁いやね、もうじき武闘大会があるだろ? 部屋が足りなくなるん
だよ。それにあんたもその方が部屋代安く済むだろ?﹂
ルシは困惑し、クーは満面の笑みになっている。そんな対照的な
2人の顔を面白おかしく眺める女将であった。
それから数日後、武闘大会まであと2日と迫った日のことだった。
バタン!
扉が壊れるかと思う程の、けたたましい音が酒場に響いた。その
開かれた扉から入ってきたのはシェラだった。
﹁ルシは居る!? ハァハァハァ﹂
激しく肩で息をしながらシェラは聞いた。
173
﹁あら、あんたどうしたんだい? ルシさんなら2階に居るけどね
ぇ?﹂
女将は驚きながらも、ただ事ではないと思い素直に教える。
それを聞いたシェラは﹁ありがと﹂とだけ残して2階に駆け上が
っていった。
﹁おねがい、助けて⋮⋮﹂
部屋に入るなり懇願するシェラだった。クーはただ呆然と眺めて
いる。
ルシが﹁まぁ座れ﹂と椅子を差し出した。シェラは小さく頷いて
それに座る。
﹁どういうことだ?﹂
﹁キャミが城に、私は、でも逃げてきたけど、それで捕まって、キ
ャノ姫様は会えないし、それでも食い下がったんだけど、捕まりそ
うになって、キャミが⋮⋮ お願い手を貸して!﹂
シェラの言いようは支離滅裂だった。そうとう慌てているようで
ある。
﹁落ち着いて話せ。最初からゆっくりな﹂
ルシは諭すように言い、クーにお茶を入れさせた。
﹁それを飲んで、それから話せ﹂
シェラはクーからお茶を受け取ると、ゴク!ゴク!っと喉で音を
立てながら飲む。そして胸をなでおろした。すこし落ち着いたよう
だった。
﹁ごめん、私どうしたらいいか判らなくて、それに相談出来る人も
居ないし、だから⋮⋮﹂
﹁あぁわかった、それでオレのとこにきたわけだな﹂
﹁うん⋮⋮。ごめん⋮⋮﹂
シェラはそう言うと俯いてしまった。肩がふるふる震えている。
いつもなら、文句の一つも言うクーだが、さすがに黙ったままだ
った。
174
﹁よし、じゃ此処を出て行ってからのことを順に話ししてみろ﹂
ルシはいつもの無愛想な顔だが、それでも声はかなり優しかった。
そしてシェラは俯いたまま、ゆっくり語りだした。
﹁私とキャミは、ルシが何か隠してると思ったの。キャノ王女があ
のペンダントを人に譲るとか考えられなかった。だからルシが王女
に貰ったと言うことが信じられなかった﹂
ここでシェラはゆっくりと上目遣いにとルシの顔を伺った。ルシ
はあえて何も言わず視線で先を促した。シェラは﹁ごめんね﹂と小
さく呟いて、また語り始めた。
﹁でも、そのペンダントをルシが持ってる事は事実なんだから、王
女になにかあったと思ったわけね? それでカノン王国に帰って確
かめようと思ったの。でも、その⋮⋮ルシに相談出来なくて、それ
で黙って出て行ったの⋮⋮﹂
また黙り込んでしまうシェラ。黙って出て行ったことで相談し難
いのだろう。
ルシは黙り込んでるシェラに見かねて、クーに視線を送る。クー
はルシの言いたいことが判ったようにコクっと頷いた。
﹁おまえ。⋮⋮らしくない。言いたいことあるならはっきり言え!﹂
クーのその言葉に少し驚いたような表情を見せたシェラは、すぐ
に微かな笑みを浮かべ﹁だよね、まさかあんたに助け舟出されると
はね⋮⋮うん! らしくない!﹂
と顔をあげ、ルシの顔を真正面から見据えた。その目にはもう迷い
は無かった。
﹁私達は、馬を飛ばして大急ぎでカノン王国に帰ったの。馬には可
哀想だったけどね。でも私はもちろん、キャミも王城には入れない
でしょ? だから王都でキャノ王女の噂を聞いて回ったのよ。だけ
どいくら聞いて回ってもキャノ王女を褒め称える話しか聞けなかっ
た。まぁそれは嬉しいことなんだけどさ。でも王都警備兵に捕まっ
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ちゃったのよ﹃王女様のことを、やたらと嗅ぎ回ってるのはお前達
か?﹄ってね。おかしいでしょ? そりゃ多少派手に聞きまわった
かも知れないけどさ、それくらいで捕まえるとか変よ。やっぱなに
かある! ⋮⋮でも結局なにも分からずじまいね。そのままキャミ
は王宮の王室専用区域行きよ。私はキャミを誑かしたとかで地下牢
行きになりかけたけど、なんとか逃げたわ。でももうキャミまで連
れ出すのは不可能だった。それでここに戻ってきたってわけ﹂
シェラは﹁以上よ﹂と言って話を終えた。
﹁で、オレにどうしてほしいんだ?﹂
﹁決まってるじゃない! キャミを助け出すから手を貸してって言
ってんの!﹂
シェラは怒気を孕んだ険しい表情でルシを睨みつけていた。
﹁わかった﹂
﹁えっ?⋮⋮ ほんとに?⋮⋮ あんた判って言ってる? 王宮に
忍び込んで仮にも王女を誘拐よ? 捕まれば死罪。仮に上手くいっ
ても間違いなく指名手配よ? お尋ね者なのよ?﹂
シェラは呆れた様に言いたい放題言ってのけた。
﹁問題ない﹂
﹁ルシ様が気にするわけない。おまえだって、わかってるはず﹂
ルシとクーは淡々と答えた。
﹁だったわね⋮⋮ 判ってるからここに来たのよ。フフッ﹂
シェラはぞんざいに肩をすくめ苦笑した。
﹁だが、その前にお前に言っておくことがある﹂
﹁な、なによ⋮⋮﹂
ルシの言い様にシェラは身構えてしまった。
﹁キャノ王女は今ここの王宮に居る。人質としてな﹂
﹁えっ? 人質? どういうこと?﹂
﹁まぁ、和平の為の政略結婚と考えるのが普通なんだろうが、なぜ
隠しているのかは判らない﹂ ルシは淡々と語るが、シェラは聞こ
176
えていないのか、目が虚ろで焦点があっていない。
﹁理由なんてどうでもいい。助けなきゃ! キャミなら絶対そう言
うわ!﹂
シェラは困惑しながらも、決意したように強い口調で言った。
﹁この件にはオレは手を貸せないぞ?﹂
そんなシェラとは裏腹にルシの表情は真顔で落ち着いた口調で述
べた。
﹁えっ? なんで?﹂
シェラはまたも困惑する。キャミの時との態度の変わり様に驚い
ているようだった。
﹁王女は自ら来たのだろう。逃げ出す意思が無い者を助ける必要が
あるのか?﹂
﹁なにわけ判んないこと言ってるの!? 自分から来るわけないで
しょ! 嫌々仕方なく来たのよ?﹂
シェラは今にも殴りかかりそうな勢いでルシに詰め寄った。
﹁なら聞くが、王女は助けを望んでるのか?﹂
﹁えっ?﹂
﹁王女が逃げれば和平は無くなる。そうなればカノン王国は滅ぶ。
それでも王女を逃がすのか? 王女がそれを望むなら助けてやる﹂
そう言われてシェラは言葉を無くし、怒りも消えてしまった。た
だ立ち尽くしている。
シェラには判っていた、あの王女は国の為に自ら望んで来たのだ
と。
﹁じゃ、どうすればいいの? このまま見てみぬ振りなの?﹂
﹁とにかく、キャミが先だな。キャミを助ければ詳しいことも判る
かも知れない。王女のことはそれからだ﹂
﹁そっか⋮⋮ それしかないよね⋮⋮﹂
﹁とにかく事を起こすにしても明日だ。今日は寝ろ﹂
そのあと、事情を知らないクーに一から説明する。
177
そして翌朝3人はカノン王国に向けて旅立った。
これも後日談だが、結局ルシは武闘大会は不戦敗扱いである。
結果、魔剣を持ち逃げされた形となったヴァルザードは﹁あの泥
棒ヤロウ! ぶっ殺す!﹂と言ってルシ達の後を追うのであった。
178
シェラの願い︵後書き︶
どうぞ、評価、感想よろしくお願いします。
179
秘密の一夜
王都ディアークの南門を出て真っ直ぐ南下する街道を、疾風の如
く駆ける2頭の馬があった。 大きな黒毛の馬と栗毛の馬である。
黒毛の背にはルシとクー、栗毛の背にはシェラが跨っている。
ルシはいつも通りの無表情であるが、クーとシェラは困惑に満ち
た険しい表情をしている。キャミを心配する気持ちと、尻の痛さで
そういう顔なのだ。
﹁キャミ大丈夫かなぁ!﹂
シェラは心配で堪らないのだろう。先ほどから何度も繰り返す言
葉だった。
﹁さっきから、同じ事を何度も、おまえ、うるさい!﹂
いい加減聞き飽きたのか、クーがシェラに食ってかかった。
﹁むぅ! だったら耳塞いでなさいよ!﹂
﹁しかし、さっきから10回以上言ってるぞ?﹂
そう言ったのはルシだった。
﹁だって何か喋ってないと、キャミのことが心配だし、それにお尻
の皮も心配だし⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
ルシは絶句してしまった。
﹁キャミさん、と、お尻の皮、一緒にするな!﹂
﹁むぅ! そういう意味じゃないわよ! でも痛いものは痛いのよ
!!﹂
﹁わたしだって、痛い、我慢しろ﹂
そう言ってクーは横目でシェラを一瞥し、それに、と言葉を繋い
だ。
﹁お前、尻でかいのに、痛いのか?﹂
180
しれっとそんなセリフを吐いてしまった。
﹁な! なんですってぇ! 私のお尻のどこがでかいって言うのよ
!!﹂
ほおを紅潮させて、激昂するシェラである。
﹁ふん! 尻も、胸も、態度も、でかすぎだ⋮⋮﹂
﹁ははーん、あんた悔しいんだぁ?﹂
シェラは得意げな表情に一変させ、そのクーを見る眼は冷笑して
いるようだった。
﹁そ、そんなこと、あるわけ、ない⋮⋮﹂
クーの声にいつもの覇気がなくなった。目も泳いでいる。そんな
クーを見て、チャンス!と思ったシェラは一気に畳み掛けようとす
る。
﹁可哀想にねぇ? そんな貧弱な身体じゃ、ルシも相手にしないわ
よねぇ﹂
﹁﹁なっ!﹂﹂
クーとルシ2人が同時に反応した。ルシは︵なぜそこでオレの名
がでるんだ︶と言う迷惑がましい表情だった。
クーは顔を真っ赤に染め﹁わたしは、べつに、ちがうし、そんな
⋮⋮﹂などと、しどろもどろになり、語尾が擦れている。珍しくク
ーが口で負けたようだった。
﹁いいかげんにしろ!﹂
そこでルシが2人をとめた。これ以上放置すると、自分に火の粉
が飛んでくると思ったのだ。﹁おーっほっほっほっ!﹂とシェラの
嘲笑が街道に響き渡っていた。
街道の空に夜の帳が下りてくる。ディーエス山脈を越える街道は
左右を森に囲まれていた。
冬が近いこの季節ゆえ、昼の時間は短い。あっと言う間に辺りは
闇に覆われるだろう。ルシとブライならたとえ暗闇の中でも平気で
走れるのだが、シェラには無理だった。
181
馬の速度を落とし、ゆっくり森の中の街道を進んでいく。適当な
野営場所を探しているのだ。
﹁よし、この辺りで野営しよう﹂
﹁ええっ? ここで寝るの?﹂
辺りを見渡し、ありえない!という表情で苦情をもらすシェラ。
﹁これ以上暗くなると走れないだろ?﹂
﹁そりゃそうだけどぉ、だからさっきの宿場町で宿を取ったらよか
ったんじゃん!﹂
﹁すこしでも早く着きたいんじゃないのか?﹂
﹁だからって、こんな⋮⋮﹂
シェラは自分が﹁急いで!﹂と頼んだのを思い出し、口を閉ざし
た。
野営の場所としたのは、街道沿いの少し整地された場所だった。
ルシの指示でクーが獣化したリンと共に薪を集めに行く。ルシは
自分達のテントを張る。
﹁私はなにをすればいい?﹂
シェラはなにをすれば良いのか判らず、ボーっと立ち尽くしてい
た。
﹁テントは?﹂
﹁そんなの持ってないわよ⋮⋮。野宿なんてしないし﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
クーとリンが薪拾いから戻り、火を熾すとスープを温め、食事に
なった。
3人とも無言だった。ルシはいつものことだが、いつも五月蝿い
シェラが口を開かないのだ。キャミのことが心配なのだろう。クー
も黙っている。
しかしそんな状態もルシの一言で終わりを告げた。
﹁じゃ、そろそろ寝るか?﹂
182
﹁はい﹂と立ち上がったクーが、テントが一つしか無いことに今更
気がついた。
﹁あれ? おまえ、テント、ないのか?﹂
そう言ってシェラを見た。
﹁ないわよ!﹂
シェラは、いかにも不機嫌そうに言ってのけた。
﹁あぁ、シェラもそのテントで寝たらいい﹂
ルシのその一言はクーを奈落の底に落としたのだった。
﹁えっ? あの⋮⋮﹂
そう呟いてクーはその場に座り込んだ。膝を抱えて顔を膝に埋め
た。
︵私1人だけ外⋮⋮︶
﹁クーなにしてる? 早くテントに入って寝ろ?﹂
﹁えっ?﹂
ルシがなにを言ってるのかクーにはわからなかった。
﹁あの⋮⋮ ではルシ様は、どうされるのですか?﹂
﹁オレは、外で寝るからいい﹂
﹁なら、私が外で寝ます! ルシ様はテントで⋮⋮ あ、あぅ⋮⋮﹂
ルシにテントを勧めると、ルシとシェラが一緒に寝る事になる⋮
⋮クーは困惑した。
そしてクーは目を吊り上げ下唇をかみ締め︵お前が外で寝ろ!︶
と言わんばかりにシェラを睨みつける。
﹁な、なによ⋮⋮﹂
クーの気迫にシェラは後退る。
﹁まぁ、もともとオレはテントで寝る気はなかった。だから気にす
るな﹂
﹁では、私も一緒に外で寝ます!﹂
﹁だめだ! 夜中にはもっと気温が下がる。中で毛布を被ってちゃ
んと寝るんだ﹂
ルシにしては少々厳しい口調だった。さすがにクーも逆らえない。
183
﹁は、はい⋮⋮﹂
﹁シェラもだ、いいな?﹂
﹁う、うん、わかった⋮⋮﹂
﹁じゃ明日も早くに出発するから、2人ともテントにはいれ﹂
﹁では、お先に失礼します。おやすみなさい⋮⋮﹂
﹁じゃおやすみ⋮⋮﹂
2人は渋々テントに入っていった。
﹁ごめんね⋮⋮﹂
そう呟いたのはシェラだった。
﹁⋮⋮﹂
クーは聞こえないのか返事をしない。
シェラは苦笑いを浮かべ目を閉じた。
ルシは、ほんとうにテントで寝る気は無かった。ずっと1人で旅
をしていたが、雨や雪が降らない限りテントを張ったことはない。
テントは雨風を防ぐのには効果があるのだが、視界も奪われる為、
逆に危険なのだ。まぁルシの場合、魔法で強力な結界を張ることが
可能なので、古龍クラスの魔獣でも襲ってこない限り安全なのだが
⋮⋮
ほんとうは狭い密閉空間があまり好きではなかった。閉所恐怖症
と言う訳ではない。たぶんルシには恐怖という感情は無くなってい
る。昔はあったが、今はもう⋮⋮ それでも好き嫌いはある。長い
間洞窟に閉じ込められていた為、それを思い出す。それが嫌だった
のだ。
辺りはすっかり暗くなった。星明りと焚き火の所為で完全な闇と
まではいかないが、それでも、視界は数メートルだろう。2人がテ
ントに入った後もずっと火の番をしている。別に寒い訳でもない。
火が好きなのだ。この暖かさが好きなのだ。火を見ているとなぜか
184
落ち着く。1人で旅しているときも、いつも眠くなるまで焚き火の
前で火が消えないようにしていた。
ルシはクーのことを考えた。
なぜかオレが保護者的な存在になってしまったが、クーの将来を
考えるなら、オレと一緒にいるべきじゃないはずだ。この先もオレ
は旅を続けるだろう。あの子を連れて行くべきじゃない。だが、あ
の子を置いていけばどうなる? 知れたことだ。信頼できる人間に
預けることが出来れば一番良いのだが⋮⋮。
﹁ルシ、まだおきてるの?﹂
そう言ってシェラがテントから顔を覗かせた。
﹁ん? あぁ、そろそろ寝るさ﹂
ルシはそう答えたのだが、シェラはテントから出てきてルシの横
に座った。
﹁ねぇ、クーをどうする気?﹂
シェラは儚げな表情で、おもむろに尋ねた。
﹁⋮⋮﹂
ルシは答えはしなかった。
﹁もしかして、誰かに預けたいとか思ってる?﹂
ルシは一瞬、視線だけを動かしシェラの横顔を見た。
﹁なぜだ?﹂
﹁なんとなくね、そう思っただけ﹂
シェラは全くルシを見ようとしなかった。ただ眼前に広がる闇を
見ていた。
﹁⋮⋮そう、だな﹂
ルシは少し考えてから、呟くように答えた。
﹁だめよ! ルシならその位解かるはずよね?﹂
﹁⋮⋮﹂
もちろんルシにも解かっている。それがどれ程困難なことか、ど
185
れほど危険なことか。
﹁クーはある意味、キャミと同じなの。私はキャミを城から連れ出
したわ。だから命に代えてもキャミを守る。だからあなたもクーを
守る義務がある。クーを裏の世界から連れ出したのはあなた。もう
クーは1人なのよ? あなた以外クーを守る人間はいないの﹂
ルシはその言葉の意味を噛み締めていた。
シェラは夜空を見あげ物思いに耽っているようだ。
﹁まぁ安心して♪ キャミを助け出したら、2人でクーのお姉さん
になってあげる。ルシだけにクーを任せたら心配だからね﹂
そう言ってシェラは、自分の腕をルシの腕に絡ませた。そして横
目でルシにウィンクなどしている。︵クーごめんね。あんたのルシ、
今だけ貸してね︶と心のなかで舌をだすシェラだった。
﹁なっ! おぃ⋮⋮﹂
ルシが腕を引き、離れようとする。しかしシェラは離さない。
﹁ちょっとだけ。お願い⋮⋮﹂
シェラの憂いを含んだ眼差しに見つめられて、ルシは抵抗出来な
くなった。
そのままどれ位の時が流れたのだろう。10分? いや1分位か
もしれない。
いきなりシェラは手を離し立ち上がった。
﹁ありがと、じゃ寝るね。おやすみ♪﹂
そう言ってテントに入って行く。その時にはいつもの明るいシェ
ラに戻っていた。
その時クーは夢の中だった。
ルシに抱きついて寝る夢を見ていた。もちろん抱きつかれている
のはリンである。
翌朝、食事を済ませてすぐ出発した。ブライは心配ないが、シェ
186
ラの乗る馬が壊れない程度に休憩を入れて、ひたすらカノン王国を
目指す。
たまにシェラとクーの喧嘩はあるものの、それ以外は何の問題も
なく旅は続く。あの晩以降はシェラとルシの間にも何もない。まぁ
あの晩も腕を組んだだけで何も無かったのだが。
クーもルシと同じテントで寝るという儚い夢は諦めたようだった。
そして7日目の夕刻にカノン王国の王都キャメロンに到着した。
187
秘密の一夜︵後書き︶
よろしければ、感想および評価、お願いいたします。
188
ヴァルザード来る
大陸中央にあるパナソニ砂漠の南の広大な平原、その広大な平原
の最西に位置するディーエス山脈の麓、そこに大陸一の豊かさを誇
る都があった。カノン王国の王都キャメロンである。
しかし豊かなのは民の暮らしであって、国力、特に軍事に関して
は実に頼りないものだった。
王都キャメロンの町並みは白を基調とした造りになっており、礼
拝堂や教会などの大きな建造物はもちろんのこと、王都に走る6本
の大通りはすべて白の石畳で舗装されている。さすがに民家や商店
などは木造や煉瓦であるが、それでも何処かの王都の貧民街の様な
地域は見当たらない。
王都キャメロンに到着した3人は、夕刻ということもあり宿を探
すことにした。ルシは3部屋借りようとしたが、クーが2部屋で良
いと駄々をこねる。呆れる2人だったが、シェラが1部屋で良いわ
と、さっさと4人用の部屋を借りてしまった。
﹁そのほうが話し易いし良いでしょ?﹂
お前達は良いかも知れないがオレが困るんだ。とは言わなかった。
宿を確保した3人と1匹は、まず食事を取る事にした。メニュー
を確認し、魚料理や肉料理、スープに惣菜、焼き立てのパン、7日
ぶりのまともな料理に舌鼓を打っている。しかしルシは食事よりエ
ールのが良いようだ。シェラなどはいつも通りワインを煽るのかと
思っていたが、どうやら心此処にあらずと言った感じで、食事もあ
まり進んでいない。
食事が済むとそれぞれ順番で湯浴みも済ませ、疲れを取る為にも
早めに休むことにした。
189
翌朝ルシが目を覚ますとリンはルシを一瞥したが、また直ぐ寝な
おす始末。2人はまだ眠っているようだった。シェラは昨夜ベッド
に入った後もなかなか寝付けなかったようだし、クーにしても慣れ
ない旅で疲れたのであろう。
ルシは︵もう少し寝かせてやるか︶と思い、クーの布団を掛け直
して、シェラの方目を向けると、ちょうどシェラが寝返りを打ち布
団を蹴飛ばす⋮⋮ 一瞬眼を見張ってしまったルシ。慌てて視線を
逸らし、部屋を出て行った。
︵クーならまだいいが、やはりシェラとは同室はまずいな︶と思う
ルシだった。
部屋にいると、目のやり場に困るので1階で2人が起きるのを待
つ事とにした。
店の女将に﹁朝食は後でいいからエールだけ頼む﹂と告げる。
そしてこれからのことを考えるとにした。
どうやってキャミを城から連れ出すか、出入り業者に成りすまし
て城に忍び込む、水掘りの水門から潜入、騒ぎを起こしてワザと捕
まる手もあるか、出来るだけ騒ぎを起こしたくは無いが。あれこれ
考えるが頭を捻ってしまう。やはりルシには強行手段しか思いつか
なかった。そんなことを考えていると、2人が階段を下りてきた。
2人とも着替えてはいるが、眠そうに目を擦ったりしている。
﹁ルシ様、おはようございます﹂
眠そうな目をしていても、深々と頭を下げて挨拶するクー。
﹁おはよう。ルシ﹂
目も合わせず、気だるげに言ってそのままドン! と大きな音を
たてて席に着くシェラ。
ちょうど2杯目のエールを持ってきた女将が、対照的な2人を目
を丸くして見つめる。
ルシは苦笑いで、女将に朝食をたのんだ。
190
3人と一匹が朝食を取っていると、バタン! という木を打ち据
えるような音を立てて扉が開かれた。一歩店内に入り、立ち止まる
と店内をキョロキョロ見回す不審な男。その不審な男がルシ達を見
つけると、ズカズカと歩み寄って来て、﹁君ねぇ! いったいどう
いうつもりなんだい! えぇ?﹂などと激昂している。
﹁ん? ヴァルザードか? どうしたんだ?﹂
自分に対して怒り心頭などとは思いもしないルシである。
﹁どうしたんだ?! って言ったのか君は?⋮⋮ ハァァァァァァ
!﹂
そういうとヴァルザードは大きく溜め息をつき、﹁女将、エール
だ! それとここに椅子を持ってきてくれ﹂といって同席してしま
った。
3人と1匹は呆気にとられた様子でただ呆然と眺めていた。
運ばれたエールを一気に飲み干すヴァルザードを見ながら、シェ
ラがルシに耳打ちをする。
︵ねぇ、いまヴァルザードって言った?︶
﹁あぁ、いったが?﹂
ルシがそう答えるとシェラは急に立ち上がり、ヴァルザードに向
き直った。
﹁あの、﹃見えざる剣のヴァルザード﹄さんでしょうか?﹂
いつものシェラとは思えないような畏まりようであった。
﹁うむ、いかにも俺はヴァルザードだが? 君は?﹂
﹁はい! 冒険者ランクCのシェラと申します。よ、よろしくお願
い致します﹂
などと大仰に一礼をする。
﹁なにをよろしくしたいんだ?﹂
そういうルシに、﹁ば、ばかぁ!﹂とルシの顔面に平手を飛ばす。
もちろんルシはあっさりと躱すのだが。
﹁あっはっはっは! 君は相変わらずだねぇ。⋮⋮ ところでこの
191
可愛いお嬢さん方は君のなんなんだね?﹂
ヴァルザードは、すっかり怒りを忘れてしまったようだ。
﹁べつになんでもない﹂
﹁君ねぇ⋮⋮⋮⋮⋮⋮ まぁいい、お嬢さん方に直接聞くさ﹂
とシェラに向き直り、﹁シェラ君だったね。ルシ君とはお友達な
のかね?﹂
﹁えっ! いえ、冒険者仲間です⋮⋮たぶん﹂
﹁うむ、じゃそちらの小さなお嬢さんは?﹂
そう言ってヴァルザードはクーを見た。
﹁わ、わた、わたしは、ど、ど﹁奴隷じゃない!﹂﹂
どもるクーの言葉に被せたのはルシだった。
﹁奴隷!? ルシ君! 君は、こんな可愛いお嬢さんに何をしてい
るんだね! なにを!﹂
またもや怒りだすヴァルザードである。
﹁だから、違うと言っている⋮⋮﹂
まだなにか言いたそうなヴァルザードを止めたのはシェラだった。
﹁えっと、それは誤解なんです。それより、ヴァルザードさんはル
シとどういう関係なんでしょうか?﹂
そこで思い出したように立ち上がったヴァルザードは、ルシの眼
前に腕を伸ばし指を突きつけた。
﹁ルシ君、君はなぜ俺から逃げたんだね? その魔剣の約束は果た
してもらわないと困るよ﹂
﹁あぁ、そこのことか﹂
気だるそうに答えるルシ。
﹁そこのことかって君ねぇ。わざわざ俺はそのために、こんなとこ
まで追ってきたんだよ!﹂
ヴァルザードは顔を紅潮させ、わなわな震えている。
しかしルシは何か気付いた面持ちで立ち上がった。
﹁ヴァルザード、そんなことより聞きたいことがある、ちょっと上
に来てくれ﹂
192
と、階段の方に歩きだす。
﹁そ、そんなことって! おぃいい加減にしないかね﹂
そういうヴァルザードを無視し﹁はやくこい﹂と言いながらルシ
は行ってしまう。
2階に上がると、ヴァルザードに﹁座ってくれ﹂と椅子を勧め、
自分も椅子に座る、シェラとクーはそれぞれベッドに腰掛け、リン
はベッドで丸まっている。
ヴァルザードは困惑しきった表情で椅子に座り腕組みなどしてい
る。そしてルシがおもむろにたずねた。
﹁ヴァルザードはランクAだったな? Aっていうのは一国の王に
も匹敵する名声だと聞いているが、実際はどうなんだ?﹂
﹁そりゃぁね、ランクAの冒険者は大陸全土の王より数が少ないか
らねぇ。名声だけなら王並みかな?﹂
﹁それで?﹂
︵そんなことはどうでもいい、早く結論を言え︶と言う風に先を促
すルシ。
﹁それでとは?﹂
ルシの質問の意図が解からないといった表情のヴァルザード。
少し拗ねているようにも見える。
﹁国王に謁見出来るほどなのか?﹂
﹁まぁ願い出れば、断る王はあまり居ないだろうねぇ﹂
唇の端を少し緩め、ちょっと自慢げに語るヴァルザード。
﹁じゃぁ、願い出てくれ、それで謁見には俺も連れて行け﹂
﹁はぁ? 君はいったい何を言い出すんだい? そんな簡単に出来
る事じゃないよ﹂
﹁今、出来ると言っただろう﹂
﹁むぅ⋮⋮ なにか事情がありそうだねぇ。話してくれないかい?﹂
呆れ顔だったヴァルザードの目が厳しいものに変わって行く。
193
﹁べつに話すことは無い。俺を連れて行ってくれればいいだけだ﹂
ヴァルザードの目が閉じられた。呆れて物が言えないのだろう。
こんな無茶な願いを言っておきながら、その理由も言わないのだ。
しかもルシは歳下、ランクにしても下なのだ、目上の相手にこれほ
ど失礼な態度はあったもんではない。
沈黙が一分近くあっただろうか、ヴァルザードが口を開いた。
﹁無理だね。理由も判らず、王の御前に連れて行くことなど出来な
いよ﹂
ヴァルザードの瞳は真剣そのものだった。強引に進めるのは無理
だと思ったルシ。しかし事情を話せないのも事実だった。
そこで今まで黙って聞いていたシェラが口を挟んだ。
﹁ルシ、どういうこと? なにがしたいの?﹂
﹁王に直接交渉するだけだ。断るなら無理やり連れて帰ってきても
いいしな﹂
﹁無茶よ! ルシまで捕まるわよ?﹂
﹁それでも構わない、というか好都合だな﹂
一人でなにやら納得しだしたルシである。
﹁シェラ君だったね。俺にも解かる様に話してもらえないかな﹂
ルシに聞いても無駄だと思ったヴァルザードがシェラに問いかけ
た。
シェラは困惑した表情を浮かべる。これは王家の存続に関わる問
題に成りかねないのだ。本来ならペンダントの事が無ければルシに
だって話さなかっただろう。いくらヴァルザードが尊敬する冒険者
であっても、言えるものではなかった。
そんな表情を見透かしてか、ヴァルザードがおもむろに背負った
槍を胸の前で構えた。
﹁余程人には言えない事情があるようだね。だが信用して欲しい。
この﹃疾風のヴァルザード﹄﹃魔槍グングニル﹄に誓う。一切の他
言はしないとね。
194
流石にこれにはシェラも驚いた。この世界において、自分の武器
に誓うとは﹃命に代えても﹄と同じ意味合いである。ここまでされ
れば話さない訳にはいかない。
﹁わかりました。お話します﹂
そういって恭しく頭を下げ、一切の事情を話し出す。
キャミと言う公式には知らされていない王女がいること。キャミ
が幽閉されていたこと。キャミと2人で逃げ出して冒険者をしてい
たこと。キャノ王女が人質としてビズルトラ王国に囚われているこ
と。キャミがまたカノン王国に捕まったこと。そして自分達がキャ
ミを連れ出そうとしていること。
黙って聞いていたヴァルザードの顔色が少し青くなったきがした。
﹁なるほどねぇ、事情はよく解かった。さっき誓ったように一切他
言はしない。しかし、だからといって、ルシ君を謁見の間に連れて
行くことは出来ない﹂
﹁そ、そんな⋮⋮﹂
﹁勘違いしないでくれたまえ? 勝算があればべつだよ?﹂
﹁えっ、どういうことですか?﹂
﹁シェラ君が言ったじゃないかね。ルシ君が捕まる、とね。それは
すなわち俺も捕まることになるのだよ。いくらなんでも捕まる為に
謁見は出来ないってことだよ。しかしながら、ルシ君に国王を説得
出来る材料があるなら別だってことだね﹂
﹁そうですか⋮⋮ ルシどうなの?﹂
まだ半信半疑といった感じのシェラ。
﹁なら問題ない﹂
﹁⋮⋮そうよね、あなたはいつでも、﹁問題ない﹂だったわね⋮⋮﹂
完全に諦め顔のシェラである。
﹁まぁいいだろう、君が問題ないと言うんなら、そうなのだろうさ。
それに乗りかかった船だしね、たとえ沈没しても、俺なら岸まで泳
ぎ着ける﹂
195
その晩の宿も4人用の部屋を借りた。
ヴァルザードは﹁俺もその部屋に泊めてくれないかね﹂と言って
いたのだが、シェラはもちろんクーにも反対され、リンには噛み付
かれん勢いで反対された。﹁なぜ俺だけ1人なのかね⋮⋮﹂と泣き
言のようなことを言い﹁この恨みはルシ君に晴らさせてもらうよ!
魔槍グングニルに誓ってね﹂などと軽々しく魔槍に誓う有様だっ
た。もちろんシェラは、ヴァルザードに対しての尊敬の度合いを一
気に下げたのは言うまでも無い。
そして4日後、ルシはヴァルザードと共に王城へ向かう。
ちなみに﹁今は時ではない﹂と勝負を先延ばしにしたのはヴァル
ザードであった。
196
ヴァルザード来る︵後書き︶
よろしければ、感想、評価お願いしたします。
197
カノン王の苦悩
カノン王国の王城、その謁見の間。
そこは縦長の広大な広間で、複雑な模様を施した白亜の円柱が数
十本立ち並び天井を支えている。天井には魔法石が仕込んであるの
か豪奢なシャンデリアが煌々と広間を照らしている。壁にも魔法石
を使ったと思われる燭台がならぶ。光量的には外の明るさにと比べ
ても遜色ないほどだ。広間の最奥には豪奢な玉座が数段高い位置に
置かれている。床は大理石が一面に敷き詰められ入り口から玉座ま
でを真っ青な絨毯が広間を二分するように中央に敷かれている。
その謁見の間をヴァルザードとルシは並んで進み、玉座の数メー
トル手前で片膝を付き頭を垂れる。此れは昨夜、謁見に連れて行く
条件として出された儀礼だった。
﹁はじめまして、カノン陛下。この度は貴重なお時間をいただき、
まずはありがとうございます。わたくしはヴァルザードという一介
の冒険者でございます。卑下な身分ゆえ礼儀がなってないかと存じ
ますが、どうぞご理解下さいますよう﹂
玉座に座するカノン王に向かい、ヴァルザードは頭を垂れたまま
恭しく口上を述べる。玉座の両隣には近衛騎士だろうか? 白銀の
甲冑に身を包んだ男が控えている。
﹁うむ、よくぞ参ってくれた。﹃見えざる剣﹄﹃疾風﹄の2つ名は
我が王国にも聞き及んでおる、そう固くならずに気楽にすればいい。
頭を上げてくれ﹂
カノン王はランクA冒険者の来訪に、さも喜んでいるようだった。
﹁はっ、ではお言葉に甘えまして﹂
そう言ってヴァルザードは頭をあげ視線を王の足元に据えた。
﹁してヴァルザード殿、今日はどのような件で参られたのかな﹂
198
﹁はっ、じつは内密に陛下にお話したいことが御座いまして⋮⋮﹂
ヴァルザードが慇懃な口調でそこまで言うと、ルシは黙って頭を
あげ、視線をカノン王に向けた。
﹁﹁無礼な!﹂﹂と言う声と共に剣の柄に手をかけた騎士達だっ
たが、﹁よいっ!﹂とカノン王の一言で騎士たちは姿勢を元に戻し
た。
ヴァルザードは一瞬肝を冷やしたという。
﹁オレはルシと言う。まずはこの書状を見てもらいたい﹂
そう言って手に持った書状を持ち上げた。
まったくもって礼儀も糞もない言い方である。
﹁﹁き、貴様ぁ!﹂﹂今度こそ剣を抜き放とうとする騎士達。
﹁よいと言っておる! いちいち反応するな!﹂
﹁は、ははっ!﹂と剣を納める騎士達。しかしその瞳には殺意が漲
り、射抜かんばかりにルシを睨みつけている。
﹃内密に﹄と言ったのが幸を相したのであろうか? カノン王の興
味を引いたようだった。でなければ普通なら斬られて当然であった。
ヴァルザードは騎士達に︵すまないね︶と心の中で謝りながら、
横目でルシを睨んでいた。
側近の手により、ルシの手からカノン王に書状が渡される。それ
を見たカノン王の顔色が見る見る朱に染まっていく。眉間に縦皺が
刻み込まれ、その目は吊り上がっていた。終いには立ち上がってプ
ルプル震えだす程だった。
﹁﹁へ、陛下?!﹂﹂とうろたえる側近達だが、ルシだけは、その
顔に薄っすらと笑みを浮かべている様に見えた。
﹁出来れば邪魔な奴は排除して欲しいんだが?﹂
その言葉に反応したのはカノン王だった。他の者はうろたえて、
ルシの声に気が付いていなかったのかもしれない。
王宮の一室に通されたルシとヴァルザードは、真っ赤なビロード
199
のソファーに座っていた。
そこにカノン王と騎士隊長らしき男、そしてキャミもが姿を現した。
その目は部屋に入ったときから驚愕の色を示しルシを見つめていた。
ヴァルザードは立ち上がり深々と一礼をする。
2人の前のテーブルを挟んだソファーにカノン王が座り、その横
にキャミが並んで座った。カノン王の後ろに騎士隊長らしき男が直
立不動の姿勢で立っている。
その男が王族直属の騎士隊長で上将軍のロドハイネックというこ
と、そしてキャミの事を知る数少ない人物で、王宮内で一番信頼の
置ける臣下だという。
カノン王の許しを得てヴァルザードは座るがルシは最初から座っ
たままだった。
ルシが持参した書状は王都キャメロンに着いてから4日間で作成
したものだった。
その内容は、キャノ王女との出会いと経緯。キャミとシェラ2人
との出会いと経緯。そしてキャミの危険性である。つまり今現在王
位継承権を持っている者で反国王派の者、または野心の強い者の名
を挙げ、もしその者がキャミの存在を知っているなら、その者の手
によって、近いうちに暗殺されるか、あるいは誘拐される可能性。
そして攫われれば傀儡の王として祭り上げられる可能性。そしてそ
の危険性を回避するには、人知れず出国することが一番であること
等を書き綴った。
もちろんカノン王が馬鹿でなければ、この書状に書いている事位
解かっているはずである。こんな解かりきった書状をわざわざ書い
たのは、カノン王が2人の王女を同じように愛しているのだとシェ
ラから聞かされたからであった。
ルシは当初、ほんとうに捕まるつもりでいたのだ。そして牢を破
りキャミを連れ出すつもりでいた。ルシ1人ならたとえどんな所か
200
らでも無事生還出来る自信がある。いや確信だ。問題はキャミまで
無傷で連れ帰れるかどうかだった。まぁそれも99%以上で問題無
いとは思っていた。
ただどうせなら、追っ手も無し。指名手配も無し。そういう状態
で出国出来るならその方が後々面倒が少ないと思ったわけである。
なら少し面倒でも書状でも書いて王を説得しようと考えたのだった。
なぜ4日間を要したのかは、この国の現状、反国王派、王位を狙
いそうな貴族等を調べさせる必要があったからだ。﹃名前も解から
ないが狙われている﹄では全く信憑性に欠けるということだ。
そしてそれらを調べたのはクーであった。この王都の盗賊ギルド
でそれらの情報を手に入れさせたのだ。もちろんリンがクーの護衛
をしていたのは言うまでも無い。
カノン王はソファーに座ると瞑目し、なにやら考えに耽っている。
ロドハイネック上将軍はルシを警戒するように見据えている。キャ
ミは訳がわからないと言った面持ちであるが、すでに下を向いてし
まっている。
おもむろに口を開いたのはルシだった。
﹁カノン王が馬鹿じゃなければ、キャミの危険性位解かってるとは
思うが?﹂
ロドハイネックの顔が一気に紅潮した。そして鬼か悪魔かという
形相でルシを睨みつける。だが口を開く様子は無いようだ。王に止
められているのだろう。
しかしキャミは驚愕の表情で口に手を当てたりしている。
カノン王は静かに目を開くとキャミを一瞥しルシに視線を向けた。
﹁もちろんだ。だが、この娘が出奔し今まで無事でいた事に心底驚
いておる。だからと言って、もう一度出奔して無事でいる保障など
何処にも無い。ならば手元に置き出来るだけ守るのが親であろう?
こいつが出奔して以来、わしがどれほど心配しておったか。お前
に解るまい?﹂
201
それを聞いてキャミが申し訳無さそうにしている。
﹁そうだな⋮⋮ オレにはわからない﹂
そう言って遠くを見つめるような視線のルシ。そしてカノン王に
視線をもどし、
﹁カノン王、あんたはキャミを絶対に守りきれるのか? キャノ王
女を守りきれなかったあんたが⋮⋮﹂
その言葉にカノン王の身体が一瞬震えた。そしてその両手が固く
握り締められていく。固く血が滲むほど固く。
﹁ルシさん、お父様を責めないで下さい。国王である以上仕方が無
いのです。国王にとって国民全てが自分の子供のようなものだので
す。それに⋮⋮ キャノはお父様に言われて行った訳ではないはず
です。私にはわかります。あの子は自分から行ったんです⋮⋮﹂
﹁判っている。だからあえて聞くんだ。キャノを守りきれなかった
のに、次はキャミを守れるのかとな﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁だがオレは違う。オレも守れなかった⋮⋮ だから、もう2度と
⋮⋮﹂
ルシの言葉が止まる。その瞳の闇に悲しみが浮かんでいる。
﹁オレならキャミを守れる。どんな事をしても守る⋮⋮﹂
カノン王はまた瞑目した。口を開く様子は無い。︵国王である限
り、国を守る義務がある、そのためにキャノを犠牲にした。次同じ
ようなことが起きたら、キャミを守れるのか? それ以外でも、こ
の陰謀渦巻く王宮でキャミを守れるのか? キャミの母親はその陰
謀で殺された。何度自分の愛する者を失えばいいのか⋮⋮︶
カノン王が目を開けキャミに視線を向ける。
﹁キャミよ、お前はどうしたいのだ?﹂
その声には王たる威厳は欠片も無かった。だた親が子を想う気持
ちのみ。
﹁わたくしは、ルシさんと、シェラと行きたい⋮⋮ そしてキャノ
202
を助け出したい﹂
キャミの膝にボロボロと涙が落ちていた。
﹁そうか⋮⋮ では行くが良い。しかしキャノを助ける事はこの国
を、滅ぼす⋮⋮﹂
カノン王の言葉は切実な問題だった。
﹁カノン王、国王とはなんなんだ? 国民の意見は聞かないのか?﹂
︵いきなり何を言い出すんだ?︶といった怪訝な顔でルシを見るカ
ノン王。 ﹁わしは国民の意見は大事にしているつもりだ!﹂
﹁そうか、なら国民が王女に﹃人質になって国を守ってくれ﹄と言
ったわけか﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
﹁わかった。それじゃキャミは連れて行く。邪魔をした﹂
そういってルシは、もう用は無いという風に立ち上がった。
ヴァルザードも一礼をして立ち上がる。
﹁キャミ行こう﹂
キャミはルシの言葉に頷き、父王が気になる様子だが、ゆっくり
立ち上がった。
そして﹁失礼します﹂とヴァルザードが部屋をでる。
キャミが後ろ髪を惹かれる思いで﹁それでは、お父様⋮⋮﹂と部
屋を出た。
最後にルシが部屋をでる寸前で振り返る。
﹁最後に一つ聞きたい。なぜキャノ王女のことを隠してる?﹂
﹁あの子はまだ14だ。わが国では法律で婚儀は15からと決まっ
ておる。正式な輿入れでもないのに、発表なぞできん﹂
﹁そうか、そんな国は滅べばいい﹂
﹁なっ!﹂
﹁14の娘一人に守って貰うような国は、滅べばいいと言ってる﹂
そういってルシは出て行ってしまった。
203
﹁陛下⋮⋮﹂
ロドハイネックがカノン王を気遣い、そう呟いていた。
﹁ロドよ、わしはどうすればいいのだ⋮⋮﹂
﹁陛下⋮⋮﹂
204
カノン王の苦悩︵後書き︶
お読みいただきありがとうございます。
感想、評価よろしくお願いします
205
ルシの変化
酒場ではキャミが戻ったことでシェラは大騒ぎである。キャミに
抱きつきワンワン泣きじゃくる始末。クーも最初は泣いていたが、
今は呆れ顔でシェラを見ている。しかしどこか嬉しそうな表情だ。
ルシは相変わらず、人事のようにエールを飲んでいた。ヴァルザー
ドはと言えば﹁今日ほど寿命が縮む思いをした日はないよ。疲れた
から俺は寝かせてもらう﹂と言ってさっさと2階に行ってしまった。
リンはキャミを初めて見るので、興味深そうにしているだけであっ
た。
その夜一つの事件が起きた。
﹁え? ルシさんと同じ部屋で寝るの?﹂
ちょっと驚きながらも、ほおを薄っすら朱に染めるキャミ。
﹁そうよ、どうせ旅にでたら野営で一緒に寝るわけじゃん? なら
宿屋でも同じ部屋で良いかなって。1室しか借りてないの♪﹂
﹁そ、そっかぁ って野営なんてして来たの?﹂
今度は心底驚いたようだった。
﹁うんうん、星が綺麗だしさ、焚き火の炎がゆらゆらしたりして、
素敵だったわよ♪﹂
天井を見上げ夢見る乙女のような表情で語るシェラ。
﹁そ、そうなの?⋮⋮ なんかシェラ、らしくない よ?﹂
﹁う、うっさいわね! まぁとにかくそういう訳だから、ね♪﹂
そして恥ずかしそうに部屋に入り、もじもじしているキャミに
﹁キャミは、このベッドを使ってくれ﹂とシェラの横のベッドを示
された。
﹁あ、はい。ありがとうございます﹂
﹁で、クーとリンは同じベッドな?﹂
206
そのルシの言葉でクーとリンは固まった。
﹁あの、ルシ様⋮⋮ リンは寝相が、悪いので、その⋮⋮﹂
﹁ウゥゥ! ウワン! ウゥゥ! ウワン!﹂
リンは、︵寝相が悪いのは、お前だ!︶ と言ってるようである。
クーがキッ!っとリンを睨むと、
﹁リン、あんた、毛皮着てる、床で寝て﹂
﹁ウゥゥ! ウワン!﹂
﹁いやだ、って、いうの?﹂
﹁ワン!﹂
﹁じゃ、尻尾に、なれば?﹂
﹁ウワン!﹂
終いには取っ組み合いの喧嘩になった⋮⋮
そしてルシに無理やり引き離される。
﹁あぁ。わかったわかった。 じゃリンはオレと一緒に寝るか?﹂
﹁ワァンワァン♪﹂
リンはルシのベッドに飛び乗って転げまわっている。
﹁すごく判り易い犬よね?﹂
﹁う、うん、ってか、あれ狼ね。一応、神狼なんだって﹂
﹁えぇぇぇ!﹂
シェラとキャミが歓心しているようだ。
しかし。
﹁ダメです! じゃ、私が、ルシ様と、寝ます﹂
そう言ってクーはリンをベッドから引きずり降ろそうと足を引っ
張っている。
﹁リン、だめ、そこわたし、おりろー!﹂
﹁こら、クー。お前がオレと寝るとか、ダメに決まってるだろ﹂
﹁なぜですか? わたしも、ルシ様と、寝たいです﹂
207
﹁むぅぅ、とにかくダメだ!﹂
﹁でも、ルシ様は﹃オレに遠慮するな﹄と、仰ってくださいました﹂
﹁いや、それはだな⋮⋮﹂
駄々をこねるクーに、困り果てるルシ。
﹁なんか、クーちゃん変わったね?﹂
﹁てか、ルシも変わったでしょ?﹂
﹁う、うん。だよね﹂
﹁あーもういい。ならオレが椅子で寝るから、お前達は好きにしろ﹂
ルシは椅子に座り腕組みをして、寝る体勢に入ってしまった。
﹁あぅ それは、困ります﹂
﹁クゥゥン﹂
見詰め合うクーとリン。お互い気まずい雰囲気である。
﹁わ、わかりました。リンと寝ます﹂
﹁ワ、ワン⋮⋮﹂
結局、クーとリンが同じベッドでなる事になった。
クーとリンが寝静まった後も3人は久々の再会に時間も忘れ話に
花を咲かせている。もっぱら口を開くのはシェラで、それに笑顔で
答えるのがキャミ。たまに突っ込みも入れている。もっともルシは
聞かれた事に答える程度だが、それでもたまに微かな笑みの様なも
のを浮かべる。一見誰が見ても判らない程度だが、シェラにはそれ
が判る様だった。もちろんルシ自身も自分が微かに笑みを浮かべて
ることに気付いている。気付いて驚くのだが。しかしなぜか心地よ
いと思っている。そしてこんな時がいつまでも続くことを願ってい
る自分に、また驚いていた。
ふと、クー達のベッドに目を向けると、お互い背中を向けて寝て
いたクーとリンだったが、いつの間にかクーがリンに抱きついてい
208
る。クーは余程良い夢なのか幸せそうな寝顔だった。対してリンは、
悪い夢でも見ているかの様な、渋い表情でクーの腕から逃れようと
もがいている。なんとかクーの手から逃れたリンは、クーの顔の上
に覆いかぶさった。幸せそうなクーの寝顔が一変して苦悶の表情に
変わる。逆に安らかな寝顔に変わったリンだったが、クーに力いっ
ぱい払い退けられ、ベッドから落とされてしまった。
キャン!
それを見ていた2人が思わす噴出す。
ルシの顔にも明らかな笑みが浮かんでいた。
209
ルシの変化︵後書き︶
お読みくださりありがとうございます。
出来ましたら感想。評価 よろしくお願いします。
210
再戦 ルシvsヴァルザード︵前書き︶
とうとうルシとヴァルザードの対決です
211
再戦 ルシvsヴァルザード
﹁やぁ、おはよう諸君。しかし君たち若いのに早起きだねぇ﹂
なぜかご機嫌な様子のヴァルザード。階上から下りて来るなり大
声で挨拶をしてくる。
﹁女将、ここに椅子を頼むよ。それとミルクを貰えるかな。うん新
鮮なやつをね﹂
﹁あ、おはようございます。昨日はご面倒おかけして申し訳ありま
せんでした﹂
キャミはそう言って深々とお辞儀をする。
﹁いやいや、気にしなくていいよ。俺は女性の味方だからね﹂
うんうんと自分で納得した様に頷いている。
﹁しかし、君は本当に美しいな、某国の史上もっとも可憐な王女に
うおぉっとと﹂
突然飛んできたシェラの平手を紙一重で躱すヴァルザード。
﹁ちょっと! なにを言い出すんですか?﹂
﹁君ぃ! いきなりなんだね? 俺だから紙一重で躱せたものの⋮
⋮﹂
﹁なにが某国の、ですかぁ、もろこの国の話でしょうがぁ!!﹂
﹁ん? そうだったかな?﹂
などと空々しい態度のヴァルザード。
﹁っとに、こんな言動の軽い人がランクAとかあり得ないわよ!﹂
﹁やけにご機嫌斜めだね? もしかしてあ﹁違うわよ!!﹂っとと
と﹂
また平手を繰り出そうと右手をあげるシェラだが、ヴァルザード
はすでにシェラの間合いから逃れていた。
﹁ルシ君、君は付き合う女性を選ぶべきだな、うん﹂
ヴァルザードは、あらためて席に着くと、また1人で納得してい
212
る。
﹁そんなことより、なにか用か?﹂
﹁なにか用か?って、そりゃ無いだろう君ぃ! 俺たちは仲間だろ
!﹂
﹁そうなのか?﹂
怪訝な顔で一同を見回すルシ。皆が首を傾げて﹁﹁﹁さぁ﹂﹂﹂
と一言
﹁き、君達ねぇ⋮⋮ ま、まぁいいよ。俺は今日は気分がいいから
ね。許すことにしよう﹂
シ︱︱︱ン
﹁君達! ここは﹁どうかしたんですか?﹂とか、聞くべきじゃな
いのかね?﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
﹁えっと、どうしたのですか?﹂
やや棒読み気味であるが、キャミが仕方なく聞いてあげることに
したようだ。
﹁うむ、では教えよう。今日こそルシ君と勝負だからだよ﹂
︵やっとここまで話を持ってこれたか⋮⋮︶とホッとするヴァルザ
ードだった。
﹁あぁ、じゃ今からやるか?﹂
真顔で答えるルシ。そのルシの反応に皆が唖然とする。
﹁やけにあっさり受けてくれたねぇ、どういう風の吹き回しかな?﹂
ヴァルザードもルシに合わせるように真剣な面持ちに変わる。
そして2人の間に緊張が走る。
﹁そろそろあんたに付き纏われるのが飽きただけだ﹂
﹁フッ! 君には﹃目上の者を敬う心﹄というものを教えるべきだ
な﹂
︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱
213
王都キャメロンを出て南東に数キロ、街道が緩やかな曲線を描き
地平線に消えていく。それ以外は見渡す限り草で覆われた大地であ
る。時折吹く風が草原に草の波をそよがせる。真っ青な空には白い
雲が浮かぶ以外は何も無い。たまに鷹だか鳶だかが悠然と風に流さ
れるかのように舞っている。兎などの小動物でも狙っているのかも
しれない。
いまそんな草原に2人の男が向き合っていた。
魔槍グングニルを手にする﹃疾風のヴァルザード﹄もう一方は、
魔剣を腰に挿したままの﹃神速のルシ﹄
2人を見つめるのはクー、キャミ、シェラと神狼であるリンの4
人。
草原に吹く風が彼女達の艶やかな灰銀と金と栗色の髪をなびかせ
た。そしてリンの純白の体毛をキラキラと光り輝かせる。その彼女
達の不安と期待に満ちた瞳がルシに注がれる。
ルシの実力は目で見て知っている。ランクAに引けを取らないだ
ろうと思っている。しかしヴァルザードの大陸中に響き渡るその﹃
疾風﹄という2つ名、無敗を誇り大陸一と言われるその槍術。もは
や伝説と化したヴァルザードにルシの神速が通用するのか。
ルシが腰の鞘から魔剣をゆっくりと抜剣する。その剣身は薄桃色
のオーラに包まれている。
ヴァルザードは魔槍グングニルを下段に構えている。その穂先︵
刃︶の部分はルーン文字が刻まれ蒼白いオーラを発している。
﹁やっとこの時が来たか。たしかに君の剣の腕はたいしたもんだよ。
しかし魔槍を手にした俺には勝てない。それどころか俺に攻撃する
ことも出来ないだろう﹂
不敵な笑みで宣言するヴァルザード。
﹁出来るか出来ないか試してみろ﹂
214
﹁いや、試すのは君なんだよ⋮⋮ ったく君って奴は。まぁ悪ふざ
けは終わりにしよう。そろそろいかせて貰うよ﹂
言葉が終わるや否や、ヴァルザードが闘気を一気に爆発させた。
ヴァルザードを中心に草原の草がすごい勢いで波紋となり広がって
いく。
それに同調したかのように、ルシの闘気も膨れ上がった。そして
ルシの周りにも同じように草の波紋が幾重にも広がっていく。
10数メートル離れているシェラ達4人︵3人と1匹︶にも、そ
の闘気の波が突風の如く襲い掛かり、その美しい髪を後ろになびか
せた。あまりの闘気に後退り目を伏せる。すぐさまリンが結界を張
りその見えない波動から彼女達を守る。リンを中心とした半径数メ
ートル内だけが無風状態のように静まり返った。その結界の外は幾
重にも襲い掛かる草の波が荒れ狂う様相を見せている。
クー以外は今初めて神狼リンの力の一端を知る事になった。
ヴァルザードはルシを中心に円を描くように草原のゆっくりと移
動する。突如3人の目に映るヴァルザードの身体が霞む、そして消
えた。
ヴァルザードは一気にルシの横方向に跳んでいたのだ。そしてそ
の手に握られた魔槍の突きをルシめがけて繰り出す。空気の渦が出
来上がりその中心を魔槍の穂先が走る。ルシは片足を一歩下げ少し
胸を逸らすように、その空気渦巻く槍の突きを躱している。しかし
突きは止まらず、無数の槍が襲うが如くルシの身体を貫いていく。
ルシは一歩二歩と後退しながらその足捌きと体捌きで躱していく。
まさに神速の異名通りであった。
しかしヴァルザードにしては、躱されて当然の如く﹁どうしたん
だい? 躱してばかりじゃ勝負にならないよ?﹂と、攻撃を止める
ことなく言い放つ。
無数の槍突きが雨の如く降り注ぐ中、顔面を襲った穂先に対して、
215
ルシの手が初めて動く。
ガキィン!
金属がぶつかり合う激しい音が響いた。ルシの持つ魔剣が魔槍の
穂先を弾き飛ばす。そしてルシがヴァルザードの懐に飛び込もうと
するが、弾かれた魔槍がそのまま円を描くようにルシの足に斬りか
かる。ルシはそれをバックステップで躱す。そこにまた無数の槍突
きが空気の渦を捲きつけて襲い掛かる。後退一方で前に出ることが
出来ないルシ。
﹁君の神速はその程度なのかい? 期待はずれだったかな?﹂
いやらしく唇の端を吊上げ、挑発の言葉を投げかける。
﹁手緩い、やる気がでないな﹂
珍しくルシが嫌味とも挑発とも取れる言葉を吐いた。
見ている4人は呆気に取られているのか一切言葉を発しない。目
を見開き口まで少し開けている様は、せっかくの美少女が台無しか
もしれない。
﹁フッ 君も言うねぇ。では本物の﹃疾風﹄の槍術を見せてやろう
!﹂
言うや否やヴァルザードが攻撃を止め距離をとる。
ヴァルザードの闘気が殺気に変わっていく。ルシの鋭利な眼光が
さらに研ぎ澄まされる。
﹁いくぞぉ!﹂
直後にヴァルザードが猛然とダッシュ! 下段に構えた魔槍が斜
め上方向に斬り上がる。完全に捉えたと思えた一撃もルシは躱して
いる。残像を残しヴァルザードの眼前から消える。瞬時にヴァルザ
ードの懐に入ったルシだが魔槍の石突が足元からルシをを襲う。ル
シは身体を大きく逸らして躱すが、そのまま後ろに倒れそうになる。
しかし咄嗟に片手を地面に着けてそのまま側転とバック転で距離を
とった。
216
﹁ほぅ、例え一瞬でも俺の懐に入り込めたことは褒めてあげようじ
ゃないか﹂
ヴァルザードは嬉しそうに微笑み、さらに続けた。
﹁しかし、そこまでだね。そろそろ降参したらどうかな? 俺とし
ては彼女達を泣かせたくはないのだがね﹂
﹁いや、まだだ。まだ槍術を出し切っていないだろう? すべてを
見せろ﹂
﹁なっ!﹂
﹁懐に入ればもっと見れるのか? ならいくらでも入ってやるが?﹂
﹁むむぅぅ、入れるものなら入ってみろぉ!!!﹂
ヴァルザードの渾身の槍突きが風を纏い襲い掛かる。蒼白い光の
軌跡とともに。しかしルシは今までの神速をさらに超えた超神速で
もって、軽々躱し懐に入ってしまう。しかし魔槍は縦のベクトルを
横に変化させる。横薙ぎの様にルシの胴を魔槍の穂先が強襲。魔槍
の蒼白き閃光がルシの身体に2つに分かつ。しかしヴァルザードに
は手応えが感じられない。
一瞬バックステップして、直後懐に飛び込んでくるルシ。ヴァル
ザードの攻撃を全て躱しながら常にヴァルザードの懐に入り続ける。
神速を超えた超神速に流石のヴァルザードも目で追えなくなってき
た。ヴァルザードの顔に冷や汗が浮かぶ。
﹁もっと見せろ! それで終わりか!﹂
今度はルシである。攻撃を全て躱しながらヴァルザードを挑発す
る。いや挑発ではない。ただ純粋にヴァルザードの槍術が見たいだ
けだった。剣技に無いその動きを。
﹁ウォォォォォー!﹂
ヴァルザードが獣の咆哮が如く吼えた。
その咆哮に感化されたようにヴァルザードの腕が少し太くなる。
足も、首も。身体も微かに膨れたかもしれない。そしてその瞳が赤
く染まる。
217
﹁うぉりゃぁぁぁぁ!﹂
先ほどよりさらに速く力強い槍突きがルシの心の臓を襲う。しか
しルシはすでにヴァルザードの槍術の間合いを見切っている。
ルシはヴァルザードの間合いギリギリまでバックステップで躱し
た。それと同時にヴァルザードは魔槍を握る拳の力を緩め、手の中
を魔槍の柄を前方に滑らせる。つまり間合いがその分拡がったのだ。
槍の柄は剣のそれと違い遥かに長い。数十センチは間合いが拡がっ
た事になる。
それに気付いたルシはバックステップでは躱し切れないと判断し
サイドステップで横に飛ぶ。 しかし先ほどより速く力強くなった
分、間に合わない。脇腹を大きく抉られた。
ズバァー! 骨と肉を斬り裂く音に血飛沫が舞う。
そのままルシは横向きに倒れこむが2転3転してすぐさま起きあ
がる。が、そのまま片膝をついてしまう。
﹁ルシ様ーーーーー!﹂
﹁﹁キャァーーーー!﹂﹂
﹁ワウゥゥー!﹂
4人がルシに向かって走り出す。その表情には悲壮の色が現れて
いる。
﹁来るなぁぁぁぁ!﹂
ルシが吼えた。
4人はルシの数メートル手前でぴたっと止まってしまう。
﹁まだだ。まだ終わらせない。下がっててくれ﹂
﹁無茶です! もう止めて下さい﹂
﹁そうよ! 死ぬ気なの?﹂
﹁そうです。もう止めて下さい﹂
﹁クーーーン﹂
4人が必死で戦いを止めようと懇願している。当然だろう、ルシ
の傷は浅くない。数分もすれば致死量の血液が流れ出てしまうだろ
う。
218
﹁大丈夫だ。俺は死なない。守るべきものがある内は絶対に死なな
い﹂
そしてゆっくり立ち上がる。瞬間血がドバッと吹き出し、よろけ
る。
﹁下がっててくれ﹂
﹁無理です⋮⋮﹂
﹁無茶よ⋮⋮﹂
﹁死んでしまいます⋮⋮﹂
﹁ワウ!﹂
4人はそう言ってとルシに駆け寄ろうとする。
﹁はぁぁぁ!﹂
ルシは血が吹き出ようがお構いなしで、さらに気合を入れ闘気を
高めた。
その圧力で彼女ら4人は足を止められた、前に進めないのだ。
﹁止めてぇぇぇ!﹂
﹁ルシ様死んじゃいやですぅぅぅ!﹂
﹁ヴァルザード、時間がない。いくぞ!﹂
ルシは4人を無視して戦いを急かす。
﹁よし! 俺の全てを見せる。俺の槍術で殺られたことを冥界で自
慢しろぉ!﹂
言い終わらないうちから、ヴァルザードは魔槍を頭上に掲げグル
グルと廻しだした。
ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!と空気が切り裂かれる音が辺
りに響き渡る。ヴァルザードの頭上では穂先の蒼白き閃光が、あた
かも円盤の様な光の輪と化した。そしてその蒼白き光輪がゆらゆら
と揺れだし、次第に頭上で八の字を描き出す。ヴァルザードの足元
では、魔槍の回転が発する風圧で草葉が引き千切られヴァルザード
の身体を中心に草葉の渦となって宙に舞う。
﹁俺の槍術、受けてみろぉ!!﹂
219
そう叫びながらヴァルザードが草葉の渦と共にルシに突っ込む。
そして縦横無尽の無限とも思える穂先が閃光とともにルシを斬り刻
む。
そのヴァルザードの攻撃をルシも魔剣でもって受けにいく。ルシ
の眼前には薄桃色の壁が有るが如く全ての魔槍の穂先を弾いていく。
ビュー!と空気を切り裂く音とキィン!キィン!という魔槍と魔
剣のぶつかり合う音が延々と続くなか、次第にビシュ!ビシィ!っ
と言う肉を斬り裂く音が時折聞こえ鮮血が飛散る。
もちろんシェラ達には鮮血が飛散るのは見えても、どちらの血が
舞っているのかまでは見えていない。彼女達の顔の悲壮感がさらに
濃くなる。その手は固く握られガタガタ震えている。
見えていなくても、ルシ達の距離が槍の間合いであり、剣の届く
距離でないことは至極当然のことだった。
﹁終わりだぁぁぁぁ!﹂
﹁やめてぇぇぇぇぇぇ!﹂
﹁いやぁぁぁぁぁ!﹂
ヴァルザードは叫ぶと同時に今までで最強最速の一撃を繰り出し
た。空気の壁を突き破るその一撃は衝撃波を伴いルシに襲い掛かる。
ルシはそれに対し避けるでも受けるでもなく、力によって巻き上げ
た。
シュキィィィン! 魔剣と魔槍の交差する音。ヴァルザードの手
にあった魔槍がルシの巻き上げで空高く舞い上がる。
ルシは返す刀でヴァルザードの首筋に閃光を走らせる。その薄桃
色の閃光がヴァルザードの首筋で止まっている。
数秒後に魔槍が大地に突き刺さった。
﹁ルシ様ぁぁぁぁぁぁ!!!!!﹂
﹁ルシーー!﹂
﹁ルシさーーーん!﹂
﹁ワゥーーン!﹂
220
4人がルシの闘気が消えたとたん走り寄ってくる。
﹁どうやら負けを認めるのは俺の方だったね。よもや槍VS剣で負
けるとは俺も引退かな﹂
ヴァルザードのその言葉を聞いたルシは魔剣を鞘に収めた。そし
てゆっくりと傾いでいく。
リンの次に駆け寄ったシェラが倒れこむ寸前のルシを抱きかかえ
た。しかし傾いたルシの身体を支えきれず、そのまま自身もルシを
抱えたまま座り込んでしまった。
ルシは﹁すまん﹂と言って起き上がろうとするがシェラに﹁じっ
としてて﹂と押さえつけられてしまう。
﹁服が、汚れる﹂
﹁もう、遅いわよ! いいからじっとして!﹂
﹁むぅ﹂
﹁キャミ! 治癒魔法お願い!﹂
﹁は、はい!﹂
﹁わたしも、できる!﹂
シェラに抱えられたルシはキャミとクーの治癒魔法によって、ど
うにか傷が塞がり失血死は避けられそうだった。実際ルシは自身で
も治癒魔法で傷を完治できたのだが、あえて任せることにした。し
かし出血量が尋常でない今、そのままシェラの膝の上で意識を失っ
ていく。
﹁3人の美少女に手厚い看護とは、羨ましい限りだねぇ﹂
羨ましそうに呟いたヴァルザードは、4人から同時に﹁この最低
男、死ね!﹂みたいな目で睨まれて、後退りしてしまった。
この言葉でクーとキャミ、リンにまで軽蔑されるようになったの
は言うまでも無い。
221
ルシは、満足そうに微かな笑みを浮かべている。普通の目には判
らない程度だが、ヴァルザードにはそう思えた。
ヴァルザードにしてみれば、この顔を見ればそういうセリフが出
ても当然だと思うのだが⋮⋮ 勝負に負けて、美少女3人に軽蔑さ
れて、踏んだり蹴ったりとは正にこの事を言うのだろう。と自分の
運命を悲観せずにはいられなかったようだ。
222
再戦 ルシvsヴァルザード︵後書き︶
お読みになった感想、評価、よろしくお願い致します。
223
戦いの後︵前書き︶
今回は短いです。
待っていてくれた方、すみません><
224
戦いの後
ルシが目覚めたのは翌朝の事だった。
目を開けると天井の薄い板と太い梁が見える。
︵ここは? 宿屋か? オレはあのあと⋮⋮ 気を失ったのか⋮⋮︶
人の気配を感じふと横を見る。目の前に綺麗な栗色の髪、シェラ
のそれだとすぐわかった。一瞬ドキっとしたが、その横にこれまた
綺麗な金髪が目に入った。此方もキャミの髪だとすぐわかる。
それから首を捻り反対側を見ると、目の前数センチの位置にクー
の顔がある。此方は顔がはっきり見える体勢だった。どうやら3人
はそれぞれ丸椅子か何かに腰掛けベッドにもたれ掛るように眠って
いたのだ。
目の前にあるクーの顔は目の周りが真っ赤に腫れ上がり、その下
にあるシーツは涙で濡れている。泣いて、散々泣いて、泣き疲れて
眠って、それでもまだ涙を流している。
他の2人の顔はよく見えなかったが、自分のベッドで寝てないと
ころを見ると、たぶん似た様なものだろう。
ルシは少しはにかんだ様な表情でクーの頭をそっと撫で、微かな
声が口から零れる。
﹁心配、かけたな﹂
本人は心の中だけで言うつもりだったのだが⋮⋮。
そのとき自分の瞳の奥が少し熱くなるのを感じた。︵この感じ微
かに記憶にあるが⋮⋮︶
﹁んん∼﹂
頭を撫でられてか、ルシの声でなのか、クーが目を覚ましたよう
だ。
僅か数センチの距離にあるルシの瞳が開いてる事に驚き、バァッ
!っと飛び起きる様に立ち上がったクーは、まじまじとルシを見つ
225
める。
﹁ルシ様ぁ、ヒッィ! ヒッィ! ヒッィク! わぁぁぁぁん!﹂
ルシの首筋にしがみ付いてさらに大泣きしていた。
その泣き声でシェラとキャミが目を覚ますが、こちらは落ち着い
た様子である。
﹁あ、ルシ⋮⋮ よかった。もう大丈夫ね﹂
﹁ルシさん⋮⋮ ほんとうによかったです﹂
シェラとキャミが優しい笑みを浮かべてルシを見ている。
﹁あぁ、もともと大丈夫だったんだが、まぁ世話をかけたな﹂
そんな憎まれ口を叩き、ルシはしがみ付いているクーを剥がし起
き上がろうとする。
﹁なぁにが大丈夫だったよ、失血で気を失ったくせに!﹂
﹁そうです、傷は塞がりましたけど、ほんとに死ぬかと思いました﹂
文句を言いながらもルシの背に手を当てて起き上がるのを手伝う
2人。
起き上がったルシは目をしばたたき、頭を少し前後に揺らす。
﹁目眩ですか? 血が足りないんじゃないですか?﹂
﹁そりゃそうよね。あんだけ出血したんだし、何か食べないと血だ
って回復しないって﹂
﹁あぁ そういえば腹が減ったな﹂
クーはまだヒックヒックしている。
前を見ると、ベッドの足元でリンも心配そうな顔で此方を見てい
た。そんなリンに無理に笑顔を見せるルシであるが、横からシェラ
が﹁どうしたの? 顔引きつってるわよ?﹂
ひどい言われようである。
1階の食堂に下りてきたルシ達。
エールを注文しようとするルシはシェラに口を塞がれ、代わりに
ミルクを注文された。さらにシェラは朝からディナーかと言うよう
226
な大量の食事を注文していった。
渋い顔のルシだったが、諦めたようにミルクを飲み干した。
しかしシェラはしっかりワインを煽っている。
クーには﹁これも食べて下さい﹂﹁あれも食べて下さい﹂と次々
皿に料理を盛られる始末。
少々うんざりしているルシだったが、おもむろにキャミから2通
の親書を見せられた。
どうやら、ルシが寝ている昨日に王宮から届けられたものらしい。
1通はキャミ宛て、もう1通はルシ宛て、此方はまだ封が切られ
ていなかった。
キャミに宛てられた親書には﹁国が成った時、お前を正式に第一
王女として公表したい。その時にはどうか国に戻って来てほしい﹂
と一言書いてあった。
そしてもう1通ルシ宛ての親書には﹁キャミを頼む。そしてどう
かキャノを助けて欲しい﹂と書いてあった。
自分の娘くらい自分で助けろと思ったが、人質として娘を取られ
ていれば軍は動かせない。冒険者ギルドか盗賊ギルドを使うのが一
番である。そうなればルシ達が一番可能性があるのは当然だった。
ルシは自分宛ての親書を皆に見せた。
ルシ達はその日、ビズルトラ王国を目指し旅立った。もちろんキ
ャノ王女奪回の為に。
ヴァルザードはその朝食堂でルシ達が旅立った事を聞かされ、唖
然としていた。
﹁オレを置いていくなぁ!!!﹂と叫び宿をあとにした。
227
戦いの後︵後書き︶
読んでくださっている方いつもありがとうございます。
感想はいつでも受け付けています。
評価まだの方はよろしくおねがいします。
228
ヴァルザード フェンリルを語る
カノン王国の王都キャメロンを出たルシ達は、街道をゆっくり徒
歩で進んでいた。別に馬が無い訳ではない。本当は後1日宿で休み、
ルシの回復を待ってから出国しようと言うのがルシ以外の意見だっ
たのだが、ルシが急ぎたいと言うので出国したのだった。ルシが出
国を急いだ理由は雪である。数日前にディーエス山脈は初雪が降っ
ている。雪が積もる前に山を越えたかったのだ。ルシ達が進む道は
街道と言っても旧街道である、その道幅は狭く馬車1台通るのがや
っとの道だった。その上、急斜面に面した箇所が多い。雪が積もっ
てしまえば山越えの危険度が増すのだ。
ディーエス山脈の南を通る大きな街道もあるのだが、距離的に3
倍以上になるので此方の狭い旧街道を選んだのだった。
それでも馬で走るのは身体にかかる負荷が大きすぎる、と言う事
で徒歩になったのだ。ルシにしてみればもう9割がた回復している
のでなんの問題もなかったのだが⋮⋮
それと理由はもう一つあった。
数刻前の宿を出る際のことだった。
﹁ルシさん、ほんとうにヴァルザードさんに黙って行くのですか?﹂
昨日の件で印象を悪くしたヴァルザードだが、それでもキャミに
とっては、自分を王国から出国できるように助力してくれた人には
違いなかった。
﹁あぁ。言えば付いて来るだろうからな、巻き込む必要はないだろ
う﹂
ルシはヴァルザードが嫌いなわけではない。キャミの事は助けて
もらったわけだが、キャノ王女の件は関係ない。あの男に言えば﹁
手伝う﹂と言うだろうから、これ以上巻き添えにしたくないだけだ
229
った。
﹁でも、また追いかけて来るんじゃない?﹂
﹁まぁその時は⋮⋮手伝ってもらうさ⋮⋮﹂
﹁じゃぁやっぱりルシさんの身体の事もあるし、のんびり待ちなが
ら行きましょう﹂
﹁しかし、追いかけて来るとしても、旧街道を来るとは限らないぞ
?﹂
旧街道はビズルトラ国に向かうには行程的に早いのだが、冬場の
この季節は旅行者の割合は激減する。途中で雪に降られれば危険度
が飛躍的に増すからだ。
﹁まぁね。だから今日一日だけゆっくり行って、それで来なければ
諦めるで良いんじゃない?﹂﹁しかたないな⋮⋮﹂
本来なら無理やりでも急ぎたい所なのだが、自分の身体を心配し
ての言葉だと解かっているだけに、無下に出来ないルシであった。
そういう経緯で一行はのんびり徒歩での旅なのだ。
後方から馬蹄の音が微かに聞こえてきた。
︵やっと来たか︶
ルシは馬蹄の音を捉えたが他の3人はまだ聞こえていないようだ。
その数秒後﹁あっ﹂と言ってクーが振り返った。
﹁ん、どうかした?﹂とシェラとキャミも振り返る。
馬蹄の音がはっきり聞こえ出すと、皆がそれに気づく。
﹁あ、ヴァルザードさん、来た﹂
クーはどうやら他の2人より僅かに耳も目も良いのかもしれない。
﹁あ、ほんとだ﹂
﹁おーーーーい!﹂
此方に向かって走ってくる馬のその背でヴァルザードが叫んでい
る。
230
どうやらヴァルザードも旧街道を選んだようだ。これも運命なの
かもしれない。まぁ目的地が同じなら道を違えようが会う事には変
りないのかも知れないのだが。
﹁ふぅ やっと追いついたよ。って君達はなんで黙って行くんだい
?﹂
﹁えっと、ごめんなさい﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁黙って行ってもどうせ来るだろう?﹂
ルシがしれっと言ってしまう。
﹁そ、そういう問題なのかい?﹂
﹁ちがうのか?﹂
ヴァルザードは苦虫を噛み潰したような表情で、次のセリフを考
えている。
﹁もしだよ、オレが南の街道を行ったらどうする気だったんだい?﹂
﹁どうもしない﹂
ルシのこの発言に、一歩後退しつつ、なんとか立ち直るヴァルザ
ード。
﹁あーそうだろうとも、君はそう言うと思ったよ﹂
ここで完全に諦め顔になったヴァルザードは、降参というつもり
で両手を挙げていた。
﹁あの、私達の目的を知ってて同行下さるのですか?﹂
キャミは困惑気味に聞いてみた。
﹁もちろんだとも。ビズルトラ国王はカノン国王の様に話して判る
人物じゃないよ? となると力ずくだろ? この俺が居れば100
0人力だよ?﹂
﹁ビズルトラ軍は10万とも言われてる。5人が1005人増えた
ところで、意味ないだろ﹂
ルシの言いようはもっともである。
231
﹁むしろ秘密裏に動けなくなるだけよね﹂
﹁そんな、大勢で行ったら、警戒される﹂
﹁えと、できれば内密に行動したいので⋮⋮﹂
﹁あのねぇ、たとえばの話だよ。たとえばの。実際に1000人で
行くわけではないよ﹂
﹁からかっただけだ﹂
またもルシがしれっと言う。
﹁くぅぅ、君達ねぇ大人をからかうものではないよ!﹂
ヴァルザードは手の甲で目頭を押さえ泣く真似などをしている。
﹁でも、理由をお聞かせ下さい。妹を、いえ王女を助けてヴァルザ
ード様になんのメリットがあるのですか? むしろビズルトラに敵
対したことになり、今後不利益になるのでは?﹂
キャミの真剣な問いにヴァルザードは大仰に胸を張ってみせた。
﹁前にも言ったと思うがね。このヴァルザードは女性の味方なのだ
よ。それも﹃カノン王国史上もっとも可憐な王女﹄の為なら、全世
界を敵に回しても構わないというものだよ﹂
自分の発言に酔いしれるヴァルザードは誇らしげである。
﹁ようするに、女好きってことね?﹂
シェラがいともあっさり訳してしまった。
﹁これ以上時間を無駄にしたくない。いくぞ﹂
ルシは相手にするのも無駄だと言うように、さっさと歩き出した。
﹁﹁はい﹂﹂
﹁だよね﹂
﹁おい、待ちたまえ、俺も連れて行きたまえ!﹂
﹁連れて行かなくても、どうせ来るんでしょ?﹂
﹁もちろんだ。君達のような美少女のために戦うのが男と言うもの
だからねぇ﹂
﹁﹁﹁ロリコン﹂﹂﹂
﹁なっ! お、俺は、断じて、ロ、ロリコンなどではないよ!﹂
232
ヴァルザードは狼狽している。ロリコンだということを肯定して
しまったようだ。
3人はヴァルザードからそーっと離れていく。リンまでも⋮⋮
﹁君達ぃ、あらぬ誤解はやめたまえ!﹂
ヴァルザードは悲壮な表情になりつつ、必死の弁解をはじめよう
とする。
不憫に思ったのか、ここでルシが助け舟をだした。
﹁精々働いてもらうぞ?﹂
﹁お、おぅ。まかせたまえ!﹂
そっと胸を撫で下ろすヴァルザードだが、3人の汚物を見るよう
な視線はそのままだった。
その夜は街道沿いの寂れた宿場町で宿をとる事にした。この先は
ディーエス山脈を越えるまで宿はないので仕方なくである。
﹁ところで、そのリンと言う子狼? この前から気になっていたん
だが、まさか神狼かい?﹂
ささやかな夕食の最中にヴァルザードが、リンを見ながら聞いて
きた。
﹁あぁ、フェンリルの子だ﹂
﹁はやりそうなのか。その神々しい純白の体毛がフェンリルそっく
りだったからね。気になっていたのだよ﹂
懐かしそうにリンを見るヴァルザードだが、リンはその目に嫌悪
を感じルシの後ろに隠れてしまった。
﹁フェンリルに会った事があるのか?﹂
﹁あぁ、もう10年近く前になるかな﹂
ヴァルザードは回想するように語りだした。
﹁俺は冒険者として駆け出しの頃でね。見聞を広める為に大陸中を
旅して回っていたんだよ。それである小さな村に辿り着いた。そこ
はモリリス王国の領内だったんだが珍しく自治村でね、モリリス王
国としては何度も税を取り立てに傭兵や民兵を送り込んでいたのだ
233
が、すべて失敗に終わっていたらしいのだよ。俺がその村でお世話
になっている時もちょうどそんな時だった。ただ今までと違い税の
取立てとかいう生易しい物ではなかった。目障りな自治村を叩き潰
す為に軍が派遣されたのだよ﹂
そこでお茶を一口啜り皆の顔を見回した。ちゃんと聞いているか
心配だったのだろう。ルシ以外は皆真剣な面持ちだったので気をよ
くしたヴァルザードはさらに続けた。
﹁あれは不思議な光景だった。軍が村の入り口近くまで侵攻してき
た時も、村人は誰一人慌てなかった。別に逃げるわけでも戦おうと
するわけでもなかった。皆普通に眺めているだけだった。俺は皆が
死を覚悟しているのかとさえ思ったね。しかし突如森の中から数百
という狼の群れが現れて村を守るように包囲したのだよ。その後始
まった軍隊と狼の戦いは熾烈を極めたが数が違いすぎた。狼がどん
どん倒されていったよ。それなのに村人はそんな光景を黙って見て
いるだけで誰一人加勢しようとしない。俺は釈然としなかった。気
がついたら飛び出していた。多少腕には自信があったのだけどね、
十数人倒した辺りで意識を失っていたよ。﹂
ヴァルザードはまたお茶を啜り一同を見回す。﹁うむ﹂と頷いて
話を続けた。
﹁気がついたとき辺り一面の氷河地帯だった。そして目の前に巨大
な純白の狼がいた。その巨大な狼がフェンリルだったのだよ。どう
やら俺が気を失ったあと、フェンリルが現れ軍を一掃してしまった
らしい。俺は深手を負っていたはずなのになぜか傷は消えていた。
そしてフェンリルに礼を言われ一本の槍を譲られた。それがこの魔
槍グングニルなのだよ﹂
そう言ってヴァルザードは魔槍グングニルを持ち上げた。
﹁この魔槍はね。遥か昔神々の時代、異世界の神の持ち物だったら
しいのだけどね、その神をフェンリルが倒し手に入れたものらしい
んだ。まぁフェンリルに魔槍など必要がないから、置いておいただ
けで使った事などないらしいけどね﹂
234
そこではじめてルシが興味を持ったように聞いてきた。
﹁神の武器ってことか、どうりで俺の魔剣が刃こぼれするわけだ⋮
⋮﹂
﹁まぁ君に譲った魔剣は無銘の魔剣だしね、それほど優れた品じゃ
ないのだよ﹂
﹁異世界の神か⋮⋮﹂
﹁うむ、神は神でも主神だそうだよ。名をオーディンと言ったかな
⋮⋮﹂
235
ヴァルザード フェンリルを語る︵後書き︶
いつも読んでくれてる方ありがとうございます。
感想もらえたら嬉しいです。
評価まだのかたよろしくおねがいします。
お気に入り登録。大歓迎です。ぜひお願いします
236
王女奪回計画
カノン王国を出て10日。ルシ達はディアーク王都に戻ってきた。
雪が心配されたディーエス山脈だったが、多少降雪があった程度で
積雪にまでは至らずにすんだ。
とりあえず宿をとろうと﹃山猫亭﹄に向かうルシ達。
﹁ちょっとまって。別の宿にしましょ﹂
そう言ったのは珍しく真顔のシェラだった。
皆、怪訝な顔でシェラを見る中、ルシがシェラに聞いた。
﹁なぜだ?﹂
﹁私達はお尋ね者になるわよね?﹂
シェラが首をすこし傾いでいる。ルシは少し考えて
﹁そういうことか⋮⋮﹂
﹁うむ、そうだな﹂
ヴァルザードも理解したようだ。
つまりルシ達がお尋ね者になれば、親しくした者が取調べ等の被
害を受ける恐れがある。だから﹃山猫亭﹄に迷惑が掛からぬ様、別
の宿にしようということであった。
﹁では他の宿に泊まるのですか? それでは其方にも迷惑が掛かる
のではないのでしょうか?﹂﹁うん多少疑いの目が行くかもだけど
ね、そのぶん﹃山猫亭﹄にかかる疑いが薄れるのよ﹂
﹁うむ、疑いの目は分散されるほうが良いね﹂
そしてルシ達が訪れたのは﹃海猫亭﹄という酒場件宿屋。そこは
名前が示すとおり、海の幸をメインにした魚料理が豊富だった。そ
ういえば﹃山猫亭﹄は魚料理より肉や山菜料理の方に重きを置かれ
237
ていた気がする。
そんな魚料理に舌鼓を打ちながら旅の疲れを癒す。相変わらずル
シはエール、ヴァルザードはミルク、シェラはワインを主食の様に
煽って、魚料理をもっぱら口に運ぶのはキャミ、クー、リンであっ
た。
その夜の宿は、シェラ、キャミ、クー、リンで4人部屋に泊まり、
ルシとヴァルザードが2人部屋に泊まる事になった。クーとリンは
ルシと同じ部屋に泊まりたがったのだが、ヴァルザードも一緒だと
知ると﹁絶対嫌!﹂と強く主張し、仕方なくシェラ達と相部屋にな
った。
ヴァルザードの目に薄っすら涙が浮かんでいた事を誰も知らない。
ルシ達は食事を済ませると一端シェラ達の4人部屋に集まった。
そこでキャノ王女奪回の作戦を練るためである。
キャノ王女が逃げる事を拒否するかもしれないと言う当初の考え
は、カノン王の親書とキャミの説得で大丈夫だろうと結論になった。
あとはどうやって助け出すかに論点を絞った。
キャミは﹃出来るだけ話し合いで済ませられませんか?﹄と提案
したのだが、その案には誰も賛成しなかった。ビズルトラ王の愚王
ぶりは有名だからである。そんな王に話し合いが通ずるとは思えな
かった。クーは﹃城の中、特にキャノ王女様の幽閉場所を探る必要
があるんじゃないでしょうか﹄と提案したが、ルシが﹃他の者を巻
き込みたくない﹄と却下した。﹃では、私が城内に忍び込んで調べ
てみます﹄などと大胆なことを言ったが﹃駄目だ!﹄とルシに軽く
一蹴された。シェラはさらに大胆で﹃謁見を求めて、その場で大暴
れしてキャノ姫を拉致すればいいのよ﹄などと言ってのけた。挙句
の果てに﹃どうせ戦争になるんでしょ? なら今のうちに少しでも
兵を殺しておけば一石二鳥じゃない﹄などと皆を呆れさせた。だが
それではカノン王国がビズルトラ王国に宣戦布告をしたも同じ。対
238
外的にも問題があると却下された。
皆が意気消沈で思い悩んでいるところ、ヴァルザードの発言で思
いもよらぬ方向に向かった。
﹁どこの城にも、抜け道があるものだよ。それを知る者でも居れば
いいんだがね﹂
それがヴァルザードの発言だった。
ルシはヴァルザードの発言を聞いて思い出したようにクーに視線
を移した。
﹁クー 森の祠の内部を覚えているか?﹂
クーは一瞬キョトンとしたが、すぐ思い出したように
﹁はい、途中で引き返しましたけど、たぶん覚えていると思います﹂
その言葉を聞いたルシが一枚の大きな羊皮紙を取り出した。見る
とそれはエルフの森の地図である。
﹁ここに祠の位置と内部の道順を描けるか?﹂とクーに差し出した。
羊皮紙を受け取るとクーはリンを呼んで、なにやらゴソゴソ描き
始めた。
﹁祠の位置はこの辺だったよね?﹂﹁ワゥ﹂
﹁で、こっちが入り口﹂﹁バウ﹂
﹁真っ直ぐいって突き当たったでしょ?﹂﹁ワゥ﹂
﹁ここは十字だっけ?﹂﹁クーン﹂
﹁ここ右だよね?﹂﹁ワゥ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
などとリンと相談しながら羊皮紙に道順を描き込んでいった。
完全に会話しているような雰囲気に皆が驚いて眺めていた。
数分後、描きあがった羊皮紙は迷宮地図の様相を示していた。そ
れを見たルシは、
﹁間違いないな、王宮に向かっている﹂
﹁うむ、確かに。 しかしこの祠の位置だと森の結界内じゃないの
239
かい? 無事に戻れた事が信じられないのだが?﹂
﹁リンがより強力な結界でクーを守ってたんだろう﹂
﹁バウ!﹂リンが﹃そうだよ﹄と言わんばかりに吼える。
﹁えええ、そうだったの?﹂
驚いているクーの横で、リンは鼻をツンと上に向け、尻尾もピン
と上に伸ばし、なにやら自慢げに気取っているようだった。
﹁そういえば、ルシとヴァルザードさんの決闘の時もリンが結界張
ってくれてたわ﹂
﹁えぇ、あの結界がなければ、まともに戦いを見る事が出来なかっ
たと思います﹂
さらに自慢げに歩き回るリンである。
﹁まだ子犬程度の大きさなのに、神狼恐るべしだな﹂
﹁しかし問題が一つある﹂
そう言ったのもヴァルザードだった。
﹁なんだ?﹂
﹁この迷宮が抜け道だったとして、王宮の何処に通じているかだ。
王族専用の抜け道なら王族の私室か居間辺りだろうが、宝物庫に通
じてるかも知れないし、或いは庭の井戸等も考えられないことも無
い﹂
ヴァルザードの意見にルシ以外が納得したように表情を曇らせた。
﹁いや問題ないだろう⋮⋮、日中なら別だが潜入は深夜だ。それに
宝物庫ならついでに魔王の剣とやらも手に入れられるし、まぁ王族
の居間ならベストだしな﹂
ルシが﹃問題ない﹄というと、皆がそう思うようになって来てい
る。︵洗脳だわ︶とシェラは思った。
決行は今日の深夜12時。それまで一端寝る事にした。
240
王女奪回計画︵後書き︶
お読み下さった方ありがとうございます。
感想等ありましたらお願いします。
評価まだの方もよろしくお願いします。
241
森の祠再び
日付が変わりルシ達はエルフの森に向かうために宿屋をでた。王
都の大通りは昼間の喧騒とはうって変わって静寂に包まれている。
街頭にはランタンで多少の灯りは在るものの人通りは殆ど無い。そ
んな大通りを馬に跨りゆっくりと東門に向かう。
東門に到着したが流石に深夜であるため門は固く閉ざされていた。
案の定、詰め所から番兵が出てきた。
﹁こんな時間に何処にいく? 王都を出たいなら夜が明けてからに
しろ!﹂
番兵は訝しい表情で威圧的に言ってきた。逆らえば牢獄行きだぞ
!と言わんばかりだった。
﹁いやぁ、魔獣狩りに行くのでこの時間を選んだのだよ、すまない
が開けて貰えないかな?﹂ そう言ってヴァルザードがギルドカ
ードを提示した。それを見た番兵は、とっさに敬礼し、
﹁これは失礼しました﹂などと一礼し、そそくさと門を開けてくれ
た。あげくに
﹁お気をつけて﹂などと言っている始末。
門を潜るとルシが呟いた。
﹁ランクAってのは便利なもんだな﹂
﹁ん? なにを言っているんだい。ランクC以上ならこれ位は当た
り前に出来るはずだよ? まぁ一礼までして送り出してくれるかは
判らないがね、あっはっはっはっ﹂
﹁そうなのか⋮⋮﹂
ルシはランクCの時、国境の砦で番兵に散々詰問され、通るのに
苦労した事を思い出した。
︵そういえばあの時はギルドカードを見せることなど考えもしなか
ったな⋮⋮︶
242
街道に出ると流石に月明かりのみで、辺り一体が闇に包まれてい
る。
道幅が広く真っ直ぐの一本道の為なんとか馬でも走る事ができる
が、それでも﹃疾駆﹄と言うわけにはいかなかった。そんな静寂の
闇のなかに馬蹄だけが響き渡った。
半時ほど走ると鬱蒼と茂る森の木々が見てて来た。そのまま街道
沿いをゆっくり進み、木こり小屋を見つけると、そこに馬を預ける
ことにした。もっとも誰も居るはずも無く、勝手に繋いでおくだけ
だ。
﹁こんなとこに馬を置いていくの? 危険じゃない?﹂
﹁うむ、ここに放置したんじゃ、戻る頃には狼の餌になってるな﹂
シェラとヴァルザードの意見はもっともである。普通ならば⋮⋮
﹁いや、ブライも置いていくから大丈夫だろ﹂
ルシは何食わぬ顔で答えているが、皆が怪訝に首を傾げる。
﹁ブライって君の馬だったよね? 確かにその馬は大きいがそれで
も馬は馬だろう?﹂
﹁あぁ、ブライも神獣だ。 スレイプニルの血を引いている﹂
皆が絶句している。
一行はカンテラで足元を照らし森の中を進んでいく。クーは自身
の武器である杖に﹃発光﹄の魔法で灯りをともしている。
森の中は昼間でも暗いのだが、深夜となると月明かりなどほとん
ど届かない闇である。カンテラで照らしているものの、灯りが届く
のは精々足元までで、まさに一寸先は闇状態だった。
深夜ともなると魔獣の活動も活発になる。距離はあるものの頻繁
に咆哮が聞こえてくる。シェラとキャミも怖いのか手を繋いでいる
し、クーはしっかりルシの袖を掴んでいた。
243
そんな状態ではあるが、先頭からリン、続いてルシとクー、キャ
ミとシェラ、ヴァルザードの順で森をゆっくり進んでいった。
先頭のリンには恐怖がないようだ。その上、野生の感なのか一切
迷う様子も無い。
突如リンの足が止まる。一拍して魔獣らしき咆哮が直ぐ近くで聞
こえた。
﹁﹁﹁グルルルルゥゥ﹂﹂﹂
姿は全く見えないが、複数頭がいるようだ。
﹁ちょっ、なに?!﹂
﹁な、なんですか⋮⋮﹂
震える声でシェラとキャミが聞いてくる。お互いの手は固く握り
合っていた。
クーは声には出さないが、ルシの袖を掴むその手が震えている。
怖くて声が出ないのかも知れない。
ルシはシェラとキャミの質問には答えず、クーの頭を撫でた。
﹁ここで待ってろ﹂
優しく言って袖を掴む手をそっと離す。
﹁ヴァルザード、リン、皆を頼むぞ!﹂
言った瞬間には、ルシはその場から消えていた。
ザシュ!
ビシュー!
ズブッ!
何かを斬り裂く音、何か液体が飛散る音、何かを突き刺すような
音、それらが闇の中から聞こえてくる。それらの音がする方向で縦
横無尽に薄桃色の閃光が糸となって微かに見えている。
しかしそんな時間は一瞬だった。すぐ音が止んで薄桃色の閃光も
スゥーっと消えた。
244
﹁もういいぞ﹂
その声が聞こえて直ぐに、ルシの姿が目の前に現れた。今魔獣を
相手に戦ってきたとは思えない、いつも通りの無表情である。
すぐさまクーがルシにしがみ付いて、﹁大丈夫ですか? 怪我は
ないですか?﹂と身体をべたべた触っている。︵もし怪我してたら、
そんなに触ると痛いぞ?︶とルシは思うのだが口には出さなかった。
﹁あぁ大丈夫だ。かすり傷一つない﹂
そう言ってクーの頭を撫でるルシの顔は苦笑していた。
﹁な、なにが居たの?﹂
まだ少し声を震わせてシェラが聞いてきた。今やキャミと抱き合
ってる。
﹁あぁケルベロスだ﹂
絶句する3人。
﹁ケルベロス3頭を瞬殺するとは、さすがだねぇ﹂
感心したのはヴァルザードだった。
﹁3頭って、見えていたのですか?﹂
﹁もちろん!﹂
良い所を見せられなかったヴァルザードは、ここぞと胸を張った。
そして一行はまた森を歩き出す。相変わらずシェラとキャミは手
を繋いで震えているし、クーはルシの袖を掴んでいる。
一時間ほど進んだで辺りで、リンが小さく吼えた。前方を見ると
微かに視界が歪んで見える。 リンが結界があると知らせてくれた
のである。
﹁結界か。リン、頼めるか?﹂
ルシがそう言うと﹃まかせて♪﹄と言うように、可愛く吼えた。
ルシ以外には感知できないだろうが、6人を包むように結界が張
られる。
結界という言葉を聞いて皆が辺りを見回して首を傾げている。さ
245
すがにヴァルザードにも見えないようだ。
森の結界内を小一時間進むと石の祠が突如目の前に現れた。もっ
とも視界1メートルでは、なんでも突如現れた様に見えるのだが。
﹁これがお前たちが入った祠か﹂
﹁はい﹂﹁バウ﹂
クーとリンが同時に返事をする。
﹁鍵がかかってるな。それも魔法で掛けてある﹂
﹁あ、私が帰るとき鍵をかけました﹂
﹁そうか﹂といって、ルシはおもむろに﹃解除﹄の魔法で鍵を開け
た。
それを見ていた3人、シェラ、キャミ、ヴァルザードは絶句した。
﹁君は魔法も使えるのかね?﹂
ヴァルザードは驚愕の表情で聞いてきた。
﹁ん? あぁ言ってなかったか?﹂
﹁君はほんとうにとんでもない男だね! それだけ剣を使えてさら
に魔法までも⋮⋮﹂
驚愕を通り越して呆れ返った様子のヴァルザード。
﹁そ、そうよ、私達も知らなかったわよ! だいたい魔法使えるな
らヒュドラの時なんで使わなかったのよ!﹂
シェラは今まで隠されていた事に腹を立ててる様子だが、ルシに
は何故怒ってるのか解からなかった。
﹁付与魔法か? それは出来ない﹂
﹁え、そうなの? なんで?﹂
﹁さぁ⋮⋮﹂
実はルシにもなぜ出来ないのか解かっていなかったのだ。
﹁えっと、それは只単に得手不得手の問題だと思います﹂
そこでキャミが割って入るように説明をはじめる。
﹁どういうことよ?﹂
﹁たとえば、火属性魔法が得意な場合、水属性魔法が苦手になるよ
246
ね? ほかにも暗黒魔法が得意な人は神聖魔法が苦手だよね? そ
れと同じなの。とくに付与魔法は特殊だから苦手な人が多いみたい
よ。それと種族も関係するみたい﹂
﹁種族?﹂
﹁うん、エルフは精霊魔法が一番得意なの。魔族は暗黒魔法でしょ、
神族は神聖魔法、人間族は属性魔法よね? 龍人族は古代魔法かな
?、ドワーフは付与魔法とかね。まぁ絶対って訳じゃないから、私
も少しは付与魔法が使えるんだけどね﹂
﹁そう言えば、ギルドの長がエンチャンターは今の時代希少だって
言ってたわね﹂
少し納得した様なシェラだが、まだ首を傾いでいる。
﹁うん、まぁ今の時代じゃなくてもエンチャンターは希少だったと
思うよ。もともとドワーフ族が得意な魔法なんだけど、魔法を使え
るドワーフ自体が少ないからね﹂
﹁しかし、キャミ君はやけに魔法に詳しいんだな﹂
ヴァルザードは関心するように何度も頷いている。
﹁エルフって長寿だから知識は豊富なんです。私はまだ16ですけ
ど、私を生んだ母は800歳位だったらしいですし、それで色々教
えてもらいましたから⋮⋮﹂
少し照れたように頬を赤らめてキャミは俯いてしまった。自分が
柄にもなく饒舌だったことに恥じているのだった。
﹁てか、ルシよ! どこで魔法覚えたの? 誰に教わったのよ?﹂
シェラはまだお怒りモードのようだ。
﹁ここは、のんびり話しする場所じゃない。先を急ごう﹂
また自分に話しが回って聞いたので、無理やり話しを終わらせた
ルシである。
﹁﹁はい﹂﹂
﹁うむ、そうだな﹂
﹁リン、案内たのむ﹂
﹁ワン!﹂
247
そしてリンを先頭にルシ達は祠に入ることにした。
248
森の祠再び︵後書き︶
お読み下さった方ありがとうございます。
感想等ありましたらお願いします。
誤字脱字報告も頂けると助かります。
評価まだの方もよろしくお願いします。
249
ビズルトラの迷宮
祠は石で組まれ切妻造になっている。その全体を隙間が無いほど
蔦が覆い、所々欠けたり亀裂が入ったりしている事から相当の年代
物だと思われた。
前面の扉は鉄製の観音開きで上半分は鉄格子が組み込まれていた。
その扉の大きさは大人なら屈まないと入れない程度で、今はルシに
より鍵は外されているが、クーが訪れた時には施錠されて扉自体が
錆び付いて中々開かなかったと言っている。つまり長い間人が侵入
していないだろうと想像できる。もっともエルフの森の結界内であ
るこの場所に侵入できる者は滅多にいない。居るとすれば森の奥に
住むと言われるエルフ族に許可を得た者か、相当魔力の強い者とな
る。
しかし扉を開けると下り階段があるだけで、祠に在るはずの神像
などは見当たらない。盗まれたと考えるのもちょっと無理がある。
盗んだ者がわざわざ扉に鍵を掛けるとも思えないし、まして此処は
人が近づける場所ではないのだから。つまり最初から無かったと言
う事だ。
一見祠に見えるこれは、実際は地下迷宮もしくは地下通路の入り
口または出口と考えて間違いないだろう。
扉を潜ると石の床には枯葉が積もっており壁面にまで蔦が蔓延っ
ていた。数歩先は階段になり他にはなにもない。つまり祠自体は階
段を覆い隠す為だけの建物なのだろう。
階段を下りようとした時にヴァルザードが注意を促した。
﹁罠があるかも知れないからくれぐれも慎重に、それとむやみに壁
とか触らないようにね﹂
250
皆が一様に頷く。ゴクっと唾を飲み込む音が誰かから聞こえた。
階段は狭く人一人が通れる程度で頭が天井に擦れそうだった。
下へと進むにつれ、空気が変わっていくのが判る。じめっとした
肌に纏わり付くような嫌な空気である。
﹁すっごく気持ち悪いんだけど⋮⋮﹂
シェラだった。その声は普段の明るさは微塵も感じられない。半
分泣き声の様にも聞こえる。
﹁じきに慣れる﹂
思いやりの欠片も無いルシの言葉だが、普段通りなのでシェラも
気を悪くした様子はない。いや、それどころでは無いのかもしれな
いが。
しばらく下りていくと階下にたどり着いた。
澱んだ空気はさらに気味悪く、温度も2,3度下がったように感
じられる。灯りなども一切無く、まさに常闇である。
カンテラの灯りを照らし周りをよく確認すると、上下左右すべて
石で組まれている。強固な石なのだろうが所々欠けており、さらに
亀裂も目立ち水が染み出ているところもあった。
通路の広さは2人が並んで歩ける程度、高さもせいぜい2メート
ルくらい、前方に通路が続いてるようだが先は暗くて見えない。
全員が降り立ったことを確認し先に進む事にしたが、またクーが
ルシの袖を掴む。
そんなクーの様子を見てルシが尋ねた。
﹁怖いのか?﹂
クーは申し訳無さそうに頭を下げ、そのまま俯いてしまう。
﹁はい、すみません⋮⋮﹂
クーにとってはこの迷宮は2度目だ。しかも1度目はリンと2人
きり。森の中でも怖がっていたが、それは深夜だから仕方が無いの
251
かと思っていた。だが迷宮内は深夜でも昼間でも同じである。なに
が怖いのかまったく判らない。
﹁リンと2人で来たなら今更怖くないだろう?﹂
﹁えと⋮⋮ だ、駄目でしょうか?﹂
遠慮がちに上目遣いでルシを見あげるクー。もっとも暗くてはっ
きり見えるのかは疑問だが。
﹁いや、駄目とかじゃないが、歩きにくい﹂
﹁はぅ⋮⋮﹂
完全な涙声で呻き、その手を離してしまった。
すると今まで抱き合って怖がっていた2人が突如喚きだした。
﹁ルシさんは女の子の気持ちが解ってないんです!﹂
﹁そうよ、男ならケチケチするんじゃないわよ! ほら、あんたも
遠慮する必要ない!﹂
シェラはそう言ってクーの腕を掴み、ルシの袖を掴ませた。
﹁えっと、あの、いいのでしょうか⋮⋮?﹂
無理やり掴まされたクーが困惑して、その手を離そうかどうしよ
うかといった感じである。
ルシにとっても無理やり感が無きにしも非ずだが、早く先に進む
為にも素直に掴ませた方が良いと判断した。
﹁まぁよく解らんが、かまわない﹂
ルシの言葉を聞いて安心したのか、しっかり手に力が込められた。
﹁では、君たちは俺の腕を掴めばいいよ﹂
などとヴァルザードがシェラとキャミに腕を突き出した﹂
﹁え、遠慮します⋮⋮﹂
﹁遠慮するわ!﹂
﹁⋮⋮﹂
ヴァルザードは後ろを向き座り込んでなにやらイジイジ呟いてい
る。
やれやれといった表情で﹁いこう﹂と言って歩き出すルシ。
252
﹁﹁はい﹂﹂
﹁⋮⋮﹂
ヴァルザードも渋々付いて来る。
リンを先頭にカンテラの灯りのみで漆黒の闇の中を進んでいく。
聞こえてくるのは足音と遠くで水滴が落ちる音くらい。
その静寂を嫌ってか、唐突にシェラが聞いてきた。
﹁あ、あのさぁ。魔獣とかモンスターとか、い、いるのかな?﹂
その声はどもり、いつもの覇気がまったく感じられない。
﹁多少は居るんじゃないか?﹂
﹁ええええぇぇぇ? まさかドラゴンとか居ないよね?﹂
完全に声が震えている。本当に冒険者なのかと疑いたくなる。
﹁あのなぁ、こんな狭い通路にそんな大型の魔獣が居ると思うか?﹂
呆れ半分でルシが答えてやる。
﹁そ、そうよね。よかったぁー﹂
安心したのか安堵の声を漏らす。
﹁じゃぁ、どんな魔獣がいるのでしょうか?﹂
今度はキャミである。ルシに聞いたのだが、返事は後ろからだっ
た。
﹁それは、俺が答えてあげようじゃないか﹂
ヴァルザードである、自分の博識を示すかの如く尊大な声音だっ
た。
﹁まず、それは条件によって異なる。たとえば魔法で制約を掛けれ
ばあらゆる魔獣が居る可能性があるね。つまり侵入者対策の罠みた
いな物だね。そういう物が無ければ、自然に住み着く魔獣なのだが、
入ってきた場所以外に入り口が在るのか無いのか、在っても開いて
るのか閉まっているのか、全て閉まっているなら魔獣は入れないだ
ろうし、開いて居たら魔獣の巣窟かもだね﹂
﹁じゃぁ居るか居ないか全く分からないってことですか?﹂
﹁いや、今述べた条件だけならそうなるが、他にも考えられるよ。
253
たとえば死者などが放置されていれば、アンデッド化してる場合も
あるし、クモやネズミなどの小動物が、魔獣が発する臭気でモンス
ター化する場合もある﹂
﹁えと、それじゃ一体何が居てるのか分からないってことですよね
?﹂
﹁うむ、まぁそういうことになるね﹂
皆の視線が冷ややかにヴァルザードに向けられた。見えないがそ
の冷気はしっかりとヴァルザードに突き刺さっている。
﹁えっと⋮⋮﹂
キャミが苦笑している。
﹁答えに、なってない﹂﹁クゥン﹂
クーとリンの冷ややかな声だった。
﹁っとに役に立たないわね!﹂
さらに追い討ちを掛けるシェラ。ヴァルザードは瀕死状態に陥っ
た。
﹁まぁ魔力も感じないし、ほかに入り口があるとも思えない。居る
とすればアンデッドくらいだろう。クモのモンスターはリンが倒し
たらしいし、ほかに居たとしても餌の問題で淘汰されてるだろう﹂
﹁そ、そうですかぁ それを聞いて少し安心しました﹂
﹁さすがはルシ様ですぅ♪﹂
﹁っとに、説明が長いだけで役に立たない誰かとは大違いよね﹂
シェラの言葉がヴァルザードに止めを刺した。
ヴァルザード以外気を良くした一行は少し安心した様子で歩みを
進める。しばらく進むと通路は突き当たり、左右に分岐していた。
リンは警戒も迷いも無くに右に曲がったが、少し行ってその足が止
まる。そして威嚇の体勢をとった。
リンは頭を少し下げ上目遣いで前方を睨んでいる。その顔は眉間
から鼻筋に皺を寄せ、寄せた分口上部の皮膚が上に引っ張られ鋭い
牙が見え隠れする。
254
﹁ウゥゥゥゥ!﹂
﹁でたか。リン下がってろ﹂
ルシの指示でリンは威嚇を止め素直にさがった。
リンを下げるとルシが一歩前にでる。その手にはいつの間にか魔
剣が握られていた。
﹁ルシ君待ちたまえよ。たまには俺にも活躍させてくれ﹂
そう言ってヴァルザードが魔槍を手に前に出てくる。
ルシは横目でヴァルザードを見ると訝しげな表情をした。
﹁この狭い通路で槍は使えないだろう?﹂
ヴァルザードの魔槍の長さは2メートル近い。槍としてはそう長
いほうではないのだが、この狭い通路ではまともに振り回せるとは
思えない長さだ。
﹁関係ないよ。どうせ奴らは俺の懐に入る事は出来ないのだからね﹂
自信たっぷりのヴァルザードの言葉に、ルシは頷いて前を譲る。
﹁なら任せる﹂
ルシが下がるとヴァルザードは魔槍を構えジリジリ前に進んでい
く。じきにヴァルザードの姿は見えなくなった。蒼白く光るその魔
槍の穂先のみが薄っすらと闇に浮かんでいる。
﹁ゾンビにレイス、ん? おぉデュラハンまでいるぞ﹂
なにが嬉しいのかヴァルザードの嬉々とした声が響く。
﹁レ、レイスって幽霊だよね。ヒィィィィ!﹂
﹁キャ、キャァァァ!﹂
﹁ヒィ!﹂
シェラとキャミは抱き合って座り込んでしまう。クーも2人の悲
鳴を聞いてルシの腰にしがみついて来た﹂
3人とも涙など浮かべているのである。流石にルシは呆れ果てて
いる。
﹁ヴァルザード、解説はいいから早く済ませてくれ。こいつら五月
蝿くて適わん﹂
﹁オーケー。任せてくれたまえ。 ハッァ!﹂
255
シュン!
そのヴァルザードの掛け声と同時に蒼白き穂先が閃光となって闇
を突き抜ける。そこからヴァルザード得意の連付きが唸りを上げる。
闇の中をその閃光が無数に浮かび上がっていく。その数はどんどん
増える一方だった。
キィィィィィィィィィン!
突如金属がぶつかり合う音が、迷宮の壁にこだました。
﹁むぅ! まさか俺の突きを弾くとは!﹂
ヴァルザードの苦々しい声が聞こえた。
﹁大丈夫か?﹂
まるで棒読みのような声がルシの口からこぼれた。
﹁君ねぇ、まったく心配しているようには聞こえないよ?﹂
不平を洩らすヴァルザードがさらに続けた。
﹁まぁ デュラハン程度で心配されるのは心外だがねぇ。しかし生
前は余程名のある騎士だったのかな? まぁそれでも俺の敵ではな
いよ!﹂
語尾を凄まじく爆ぜると、さらに鋭い槍突きが闇を突き刺す。そ
してその閃光が十字を描くように闇に蒼白い糸を引く。
ガラガランガラン!
鉄の鎧が床に崩れ落ちる音が前方の闇で響き渡った。
﹁フッ! 終わったぐぅおおぉぉ﹂
突如ヴァルザードの身体が前方の闇の中から飛んできた。すかさ
ず受け止めたルシだが、その表情は珍しく厳しいものだった。
﹁な、なんなんだねこれは!﹂
吹き飛ばされてきたヴァルザードは困惑の表情を浮かべている。
﹁うむ、突然膨大な魔力が溢れだした﹂
後ろではリンが素早く結界を張って3人を守っている。
﹁こ、これほどの魔力は、かつて味わった事が無いよ﹂
然しものヴァルザードの声も僅かに震えている。
﹁ちょっとまずいかもな﹂
256
淡々とした口調ではあるが、ルシの口からこんな言葉が出ること
にヴァルザードも後ろの4人も吃驚の表情を示した。
257
不死の王
﹁むぅ、君の口からそんな言葉を聞くとはね﹂
﹁ルシ様⋮⋮﹂
﹁仕方が無い、ヴァルザードもリンの結界内に入っててくれ﹂
そう言ってルシが前に出ようとするが、ヴァルザードの左手がそ
れを制した。
﹁ここは俺がやると言ったはずだよ?﹂
ヴァルザードの表情はいつになく厳しいものだった。
﹁しかし、相手がなんなのか解かっているのか?﹂
﹁相手? そんなものは関係ないよ。相手を見て戦意を失うなど⋮
⋮﹂
ヴァルザードの口上は一瞬止まる、そして声音を大にして叫ぶ。
﹁この﹃疾風のヴァルザード﹄見くびってもらっては困る!﹂
ルシは一瞬目を見開いた。そしてその決意に身を引く事にした。
﹁そうか、だが気をつけろ﹂
ルシは敵を教えようと思ったが、あえて言うのをやめたのだ。ヴ
ァルザードならそう簡単に殺されはしないだろうと⋮⋮
ブシュゥゥゥゥゥ!
突如闇の中から不浄の臭気が溢れ出す。結界内に居なければ3人
は危なかったかもしれない。それ程の膨大な臭気だった。然しもの
ヴァルザードも一瞬たじろいだほどだ。
﹁我の居城に入り込んで何をゴチャゴチャ言うておる?﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
強烈な臭気とともに、人のものとは思えない、禍々しい声が聞こ
えてきた。
258
﹁なっ? 人語を話せるのか? こいつはなんなんだ? まさか魔
人か?﹂
ヴァルザードは驚愕している。
﹁魔人とは失礼にも程がある。我はれっきとした人間ぞ﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
﹁なに? ま、まさか⋮⋮﹂
ヴァルザードが一歩後退した。どうやら相手の正体に気が付いた
ようだ。
﹁人間が聞いて呆れるぞ。﹃不死の王﹄アン・リッチ﹂
そう言ったのはルシだった。その直後にそれは姿を現した。
暗緑色に濁ったオーラに包まれたその姿は、漆黒のローブを纏い
フードを頭から被っている。フードの中の顔は窺い知れないが、そ
の奥にある2つの深紅が鈍い光彩を発していた。
﹃不死の王﹄アンデッドの頂点に位置し、ヴァンパイアマスターと
比肩する存在である。その正体は無限の叡智と永遠の命を求めた高
位聖職者や高位魔道士のなれの果てで、その力はヴァンパイアマス
ターに限りなく近く、その不死性はヴァンパイアマスターを凌駕す
る。またその容姿はヴァンパイアマスターの美貌とは対極の位置に
あり醜怪極まりないとされ、そしてその身体から発する不浄の臭気
は、吸い込むだけで人間を死に至らしめると言われる。
﹁ほう。我名を知っているのか? だが、無断で我居城に入り込み、
我兵を浄化した罪、おのれ等の命で償ってもらうぞ﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
さらに臭気を噴出す音が響いた。
259
﹁むぅ、﹃不死の王﹄だと⋮⋮ 下手すると魔王や竜王より質が悪
いぞ!﹂
﹁えええっ! ど、どういうこと?﹂
ヴァルザードの言葉に反応したのはシェラだった。
﹁うむ、魔王や竜王は不死と言われるが、永遠の命があるだけで殺
されれば死ぬ。
しかし﹃不死の王﹄はその力は劣るものの真の不死。つまりどう
やっても殺す事が出来ない存在だと言われているんだよ﹂
﹁えええええぇぇぇ!﹂
もう殆ど涙声であった。
﹁ふん。言われているのではない。真の不死、まさに究極の存在な
のだ﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
﹁ほう。その究極の存在が何故こんなとこにいる? ここはビズル
トラ王国所有の迷宮だろ?﹂
﹁貴様ごときの知るところではないわ﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
﹁否定はしないんだな。つまり飼い慣らされたわけか⋮⋮﹂
﹁むぐぅぅ。 貴様我を愚弄する気かぁ!﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
﹁別に愚弄する気は無い。ただ﹃不死の王﹄ともあろう者が一国の
王に加担するのが腑に落ちないだけだ﹂
﹁ただ加担するのでは無い。砂漠の塔にある古代魔道書と交換だ。
あの忌々しい奴が居ない今が好機だからな﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
﹁忌々しい奴? ﹃古の大魔道士﹄か?﹂
﹁よく知っておるの。その通りじゃ。奴が戻る前になんとしても手
に入れたい。だからわざわざこんなとこまで出張ってやったのだ﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
260
﹁そんなに欲しけりゃ自分で行けばいいだろ? ⋮⋮あぁそうか不
死身でも太陽の光は苦手だったか﹂
﹁むぅ、貴様ぁ! お喋りは終わりじゃ! そろそろ死なせてくれ
るわ﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
﹁お前の不死性、どこまで本物か試してやるさ﹂
言下にルシが神速でアン・リッチの懐に飛び込むと横薙ぎの斬撃
を繰り出した。しかしローブが裂けただけで、ほとんど手ごたえが
無い。そのまま返す刀で袈裟斬りを放つも薄桃色の閃光が波打つだ
けで、やはり手応えをほとんど感じない。
通常の攻撃ではダメージを与えるのは難しいと判断したルシはす
ばやくバックステップで距離をとった。
﹁ルシ君! こいつは俺の獲物だと言ったはずだぁ!﹂
ルシが後退するのと同時にヴァルザードが前進。怒涛の槍突きが
アン・リッチを襲う。
アン・リッチの周りの臭気を斬り裂くように蒼白き閃光が漆黒の
ローブに無数の穴を穿つ。さらにそこから十字に斬り裂いていく。
しかしアン・リッチを傷つけるどころか、その漆黒のローブが見
る見る再生されていく。
と、アン・リッチのフードの奥にある深紅が一瞬鋭い光を放つ。
﹁ヴァルザード!﹂
ルシの鋭い声が通路に響く。
その一瞬後にアン・リッチのローブが左右に大きく膨らみ背後に
波を打つ。まるで前方から突風で煽られるているかのように。
そして開かれたローブの中から極端に痩せ細った腕が現れた。そ
の手は胸の前で合わされ何かを拝むかのように、アン・リッチが﹁
魔紅刃﹂と呟く。
すると、その合わさった手から三日月型をした紅き閃光の刃がヴ
ァルザードを強襲した。
ルシの声で槍突きを止めたヴァルザードは間一髪でその閃光の刃
261
を魔槍の柄で弾いた。しかし弾かれたその閃光は小さな無数の閃光
に分かれヴァルザードの身体を襲う。
シュババババー!
皮膚を切り裂く音が無数の通路に響いた。
アン・リッチの顔が微かに笑っている様に見える。実際には皮膚
はもちろん皮下組織まで爛れ落ちたその顔は、笑顔など判らないの
だが、その厚みのない口が微かに横に開かれたからそう見えただけ
だ。
ヴァルザードはガクッと膝を付きそうになるが、よろける程度で
なんとか堪えた。その全身には小さな傷が無数に血栓を噴出してい
る。
﹁ヴァルザード下がれ!﹂
ルシがヴァルザードの前に出ようとするが、またもその左手で遮
られた。しかしその左手は力なく小さく痙攣しているようだ。
﹁余計な手出しは無用だルシ君。たかが干物野郎、俺1人で十分だ
よ﹂
囁く様なその声には力が無い。その顔にも苦痛の色が浮かび額に
は冷や汗が滲んでいる。
﹁ヴァルザードさん、せめて怪我を治して⋮⋮﹂
﹁無茶よ、ヴァルザードさん死ぬ気?﹂
﹁ヴァルザードさん、死んだら駄目⋮⋮﹂
﹁ふふっ、黄色い声援は嬉しいねぇ。干物はすぐ片づけるから待っ
ててくれたまえ﹂
ヴァルザードの声に少し力が戻った。この男の原動力は女なのか
もしれないとルシは思う。
﹁なら骨は拾ってやる、好きに逝ってこい!﹂
﹁ルシさん!﹂
﹁ルシ! 無茶だ﹂
﹁ルシ様⋮⋮﹂
﹁いいねぇ今や彼女達は俺の味方だよ。フフフッ﹂
262
心配顔の彼女達も︵やっぱ馬鹿ね︶と半分呆れ顔になってきた。
そんなことは露知らず意気揚々とアン・リッチに向き直るヴァルザ
ード。
﹁さぁ、干物野郎。再戦と行こうじゃないかね﹂
﹁小僧が、血を噴出しながら言っても様になってないわ﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
アン・リッチがそう言うや否や、その深紅の瞳が光りを増し、ま
たもローブが大きく後ろに靡く。
﹁同じ手が何度も通じると思わないことだね!﹂
言下にヴァルザードが槍を風車の如く廻しだした。その穂先は壁
で止まるかと思いきや、壁を軽々と切り裂き、どんどん回転速度を
上げていく。もはやヴァルザードの眼前には蒼白き円盤の盾が出来
上がっている。
アン・リッチの手より放たれた紅き閃光の刃は蒼白き円盤によっ
て弾かれる。弾かれ小さくなった刃も円盤をすり抜けることが出来
ずに壁や床を切り裂き消えていく。
それを見たアン・リッチの瞳は炎が宿ったように揺らめきだし、
﹃魔紅刃﹄を連続して繰り出す。紅き閃光の刃は幾重にもヴァルザ
ードを襲うが、ただの一刃もヴァルザードには届かなかった。
﹁ぬぅぅ。小僧めぇ!!﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
﹁頑張ってくれたまえ。その魔力が尽きた時が﹃不死の王﹄お前の
最後なのだよ﹂
﹁なにをぬかすか小僧。我は究極の存在。死などとっくに超越しと
るわ。その我をどうやって殺すというのだ?﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
﹁我魔槍グングニルは神の武器だ。その神器に具わる浄化作用に耐
えたことがあるとでも言うのかな?﹂
﹁ぬぐぅぅぅ﹂
そして終にその時が来た。アン・リッチの紅き閃光の刃が止まっ
263
た。
魔力を使い切ったアン・リッチは肩で息をする様に身体を揺らし
ている。
﹁我魔槍の力思い知れぇぇ!﹂
グングニルの蒼白き穂先が更に強く輝き、一瞬通路が昼間の如く
照らされた。顔をしかめるアン・リッチに魔槍の閃光が吸い込まれ
る。
﹁うぉぉぉぉぉぉぉ。ぐわぁぁぁぁぁ。ぬぅぅぅぅぅぅ。﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
時が止まったようにヴァルザードとアン・リッチが微動だにせず
固まっている。
前後に足を大きく開き、魔槍を持つ右手を大きく前方に突き出す
ヴァルザード。
両腕を広げ、大きく口を開けたその顔は上を向き、胸に魔槍が突
き刺さるアン・リッチ。
先に動いたのはヴァルザードだった。
動いたと言うより、崩れ落ちたと言うべきか。魔力を持たないヴ
ァルザードが神器の浄化作用を使うにはその生命力を魔槍に送り込
む必要がある。
そして生命力を使い果たしたヴァルザードは崩れ落ちたのだ。
﹁ヴァルザード!﹂
皆がヴァルザードに駆け寄る。キャミとクーが必死で回復魔法を
施すも傷が塞がったのみで、ヴァルザードの意識がどんどん薄れて
いくようだ。
薄れ行く意識の中でヴァルザードがゆっくり片手を上げた。その
手を握る3人の少女。
﹁﹁﹁ヴァルザードさん﹂﹂﹂
264
﹁クゥゥン﹂
皆が呼びかける中、ヴァルザードは安らかな笑みを浮かべゆっく
り目を閉じた。
その笑みはこれ以上の幸福は無いと言わんばかりであった。
しかしヴァルザードを見下ろすルシの視線は冷ややかなものだっ
た。
﹁ヴァルザード。もうその辺でいいだろう﹂
﹁﹁﹁へっ﹂﹂﹂
呆気に取られたのは3人の少女だった。
﹁いやぁ、もう少しこの状況を満喫させてくれたまえよ、君ぃ﹂
目を開けたその顔は、ヘラヘラ嫌らしい笑みに変わっていた。
3人の鉄槌で三途の川を渡りかけたのは言うまでも無かった。
ブシュゥゥゥゥゥ!
突如としてアン・リッチが動いた。その両眼に宿る炎は烈火の如
く、震える体は足元から不浄の臭気を爆炎の如く撒き散らしている。
265
不死の王︵後書き︶
感想、評価よろしくおねがいします
266
不死の王 2
ブシュゥゥゥゥゥ!
間欠泉から熱湯か蒸気が噴出すような音が突如響き渡る。
アン・リッチの不浄の臭気が漆黒のローブの内より噴出したのだ。
﹁むぅ!﹂
﹁うおぉ!﹂
﹁﹁﹁きゃぁぁぁぁぁぁぁ!﹂﹂﹂
﹁キャイン!﹂
強烈な臭気で皆が吹き飛ばされた。
ルシ以外は受身も取れずゴロゴロと転がる。
すかさずルシが結界を張り事なきを得たが、皆の顔が苦痛に歪む。
それでもヴァルザードは槍を杖代わりに起き上がろうとする。
﹁くそ! か、身体が、うごかん⋮⋮﹂
しかし生命力を極限まで削られた身体では当分起き上がれないだ
ろう。
﹁駄目です!﹂
そんなヴァルザードをキャミが押さえつける。
リンに結界を頼み、ルシが立ち上がる。その表情はいつになく厳
しいものだった。
﹁あとはオレがなんとかする﹂
ルシは腰の魔剣を引き抜くと皆に背を向けた。
﹁むおぉぉぉぉ。いかに不死とて今のは堪えたぞ。貴様らもはや生
きてここから出れると思うでないぞ!﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
そんなアン・リッチを嘲笑うかのようにルシが言い放つ。
﹁やけに復活が早いじゃないか? そんな干物のような身体の何処
267
に魔力を維持できるんだ?﹂﹁ぬぅ、貴様の知った事ではないわぁ
!﹂
ブシュゥゥゥゥゥ!
言下に漆黒のローブが大きく波打ち、胸の前で合わされた手より
紅き閃光の刃が放たれた。
ルシはそれに合わせる様に魔剣を振るう。アン・リッチの放った
魔紅刃は音も無く方向を変化させ石の壁に突き刺さる。
ルシは魔紅刃を弾くのではなく剣腹を用いてカットするように受
け流したのだった。
﹁馬鹿の一つ覚えのような魔法がオレに通用すると思ったのか?﹂
ルシは無表情のまま吐き捨てた。いかにも﹃下らん真似をするな﹄
とでも言うように。
そしてルシも魔法を唱える。
﹁魔光連弾﹂
ルシの眼前に小さな薄白色の球が無数に浮かび上がり、次々にア
ン・リッチに向かって飛んでいく。しかしアン・リッチの身体に吸
い込まれる様に消えていくだけで、ダメージは全く与えられていな
い様だった。
アン・リッチは口元を緩め薄笑いを浮かべている様である。
そして右手を差し出し、ルシのそれに対抗するように次の魔法を
唱える。
﹁爆炎熱弾﹂
差し出された右手より小さな火球が無数にルシに襲い掛かる。
その全てがルシにぶつかり爆発していく。
濛々と立ち込める煙でルシの身体が煙で見えなくなる。
そしてその煙が消えると、ルシの身体が薄紅色のオーラに包まれ
ていた。それはルシの持つ魔剣のオーラが霞む様な神々しく禍々し
いオーラだった。
﹁フゥゥーーーー!﹂
それを見たアン・リッチは吐息のようなものを洩らし、その鈍く
268
光る深紅の両眼を大きく見開くのみだった。
しかしルシも魔剣を下段に構えてはいるものの、そこから攻撃に
転じる様子は無い。
お互いの動きが無くなった今、静寂が辺りを支配する。
ルシは実際打つ手無しの状態だった。剣は通用しないうえに魔法
を行使するにしても場所が狭すぎた。せめてもう少し広ければ良い
のだが、これでは周りの石壁や天井に被害なく攻撃出来る魔法は少
ない。攻撃出来たとしても通用するとも思えない。下級の魔法で攻
撃したのは一応魔法の効果を試したに過ぎない。
しかしアン・リッチにしても同じだった。先ほどから魔紅刃の様
な下級魔法しか使わなかったのもその所為だろう。そして今ルシの
禍々しいオーラを見て下級魔法程度では全く通用しないと判り、次
の手段を考えてるのかも知れない。
数分の静寂があっただろうか? ルシの口元が綻び身も凍るよう
な冷笑を浮かべた。
﹁お前なら、ヘルの婆さんと仲良くなれそうだ﹂
そう呟くと古代語と思しき言葉がルシの口から紡がれていく。
アン・リッチは﹃こいつは何を訳のわからないことを言っている
のだ?﹄と思ったが、その古代語を耳にしたとたん驚愕の色を示し
た。すでにルシの言葉は忘れ去っている。
﹁な、なんじゃその呪文は? 古代語なのか⋮⋮なぜ貴様がそんな
ものを知っておるのじゃ?﹂ アン・リッチはどもりながら聞いて
くる。呪文への恐怖よりその探究心が勝ったのだろう。
短い呪文の言葉が終わると、さらに発動の言葉がルシの口から発
せられた。
﹁暗黒封縛結界﹂
とたんにアン・リッチの身体を暗黒の結界が包みこんだ。
﹁うぉぉ、なんじゃこれは! ぐぉお!﹂
269
アン・リッチの唸り声とともに稲光が暗黒結界にほとばしる。
﹁如何なる者も封じ込め、出ることを許さない古代語の結界だ﹂
ルシが淡々と呪文の説明をした。
﹁ぬぉぉ。じゃがこれほどの結界、そう長くは維持出来まい?﹂
アン・リッチの声に少しの戸惑いと不安が混じる。
﹁たしかにな。だから特別にもう一つ、取って置きの禁呪を呉れて
やろう﹂
そしてルシの口から別の古代語と思しき呪文が紡がれていく。
﹁なっ、なにをするつもりじゃ! 何をしようと我を倒す事は不可
能なのだぞ﹂
それは先程とは違い長い呪文だった。延々と紡がれる呪文は終わ
りが無いのかと思わせるほど長かった。そして終にその長い呪文の
詠唱が終わる。
﹁死ねないことを後悔するんだな﹂
冷ややかな声音でそう呟き魔法を発動させる。
﹁暗黒洞冥界地獄﹂
ルシの眼前に異常な磁場が形成されていく。そして小さな黒い穴
が稲光を伴い出現した。
その黒い穴がアン・リッチを閉じ込めた結界内に吸収されるよう
に入り込んでいく。
﹁ふぅぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!﹂
通路内にアン・リッチの雄たけびが響き渡る。その声が段々と擦
れる様に小さくなり、やがて消えていった。
﹁ヘルの婆さんに可愛がってもらえ﹂
最後にそう呟くルシであった。
皆が後ろで口を開き放心状態だった。
ルシが戻ってきても、少しの反応も見せない。
﹁おい?﹂
訝しむ表情でルシが声をかけた。
270
やっと気が付いたように皆の肩がビクッっと震える。最初に声を
発したのはシェラだった。
﹁なんだったの今の?﹂
続いてヴァルザード
﹁あれは魔法なのか? 古代語の様だったが、いったい何がどうな
ったんだ?﹂
ほかの者はジッとルシを見つめている。ルシは一同を見回し答え
た。
﹁あぁ、古代神との契約によって行使される魔法だ。簡単に言えば
奴は生きたまま冥界に行ったってことだ﹂
﹁むぅ、よく解らん。もう少し詳しく説明を頼むよ﹂
﹁ん⋮⋮ 一度しか言わんから、よく聞けよ﹂
困惑した表情を浮かべたルシだが、仕方が無いといった風に説明
を続けた。
﹁まずは強大な魔力と古代神の力によって閉鎖空間を作り出し、そ
こにアン・リッチを閉じ込めた。これは只の結界だが古代神の力が
作用しているから、奴が万が一にもオレ以上の魔力を保持していて
も脱出は不可能だ。結界に封じ込めたのは、次の呪文がやたらと長
く時間がかかるからだ。そして次の魔法も古代神によるものだが、
ニヴルヘイムへと繋がる亜空間を作り出した。それを結界内に放り
込むことで奴は生きたままニブルヘイム、つまり冥界に行ったわけ
だ﹂
一端此処まで説明すると、なぜかルシの表情が変化していった。
﹁で、その冥界を支配するのがヘルって婆さんで、こいつは性格が
とことん腐ってる。その上、生者を毛嫌いしてるからなぁ。アン・
リッチの奴は死ねない事を後悔する事になるだろうよ﹂
困惑の表情だったルシだが、後半の説明では身も凍るような冷笑
に変わっている。
その表情に皆は背筋に冷たいものを感じていた。
271
︵ルシ性格わるぅ⋮⋮︶
︵ルシさんって怖い人なのかも⋮⋮︶
︵なんとなく解ってはいたが、この男の性格もとことん酷いな⋮⋮︶
︵ルシ様⋮⋮ カッコいい♪︶
﹁えっと、その冥界? からこっちに戻ってくる事は無いの?﹂
﹁無理だな。あそこは閉鎖空間のうえ魔力も及ばない。オレでも自
力で脱出は不可能だろう﹂
﹁しかし、君は冥界とかを知っている口ぶりだな? その上古代語
だの、禁呪だの、それにあの膨大な魔力、いったい何故だ?﹂
ヴァルザードの言葉でルシが困惑の表情に変わって行った。
﹁⋮⋮わからない⋮⋮﹂
ルシ自身ほんとに何も解らなかった。そう呟くしかなかったのだ。
﹁わからないって何よ。答えになってないわよ?!﹂
シェラが食って掛かろうとするのをヴァルザードが制した。
﹁いや、この表情を見れば嘘は言ってないだろう。本当にルシ君自
身も解らないのかもしれないね、まだ何か秘密があるなら教えて欲
しいものだが⋮⋮﹂
ヴァルザードの真摯な態度にシェラも黙り込んだ。ルシは少し悩
んだようだが
﹁そうだな⋮⋮ 帰ったら全て話す﹂
ルシのその言葉に皆が小さく頷いた。
﹁クゥーン⋮⋮﹂
心配そうにルシを見つめるリンをの頭を撫でて、﹁いこう﹂と口
にした。
﹁うむ、こんな場所で話す事ではないだろうね、では先を急ごうで
はないか﹂
272
不死の王 2︵後書き︶
感想・評価お願いしたします
273
キャノ王女奪回
アン・リッチの脅威が去った一行は、リンを先頭に迷宮をさらに
奥へと進んでいく。
そこは迷宮と呼ぶに相応しく到る所で通路が分岐していた。しか
しリンは野性の本能なのか神獣としての特性なのか一切の迷い無く
目的地を目指していた。
数時間歩いただろうか? 通路前方が全面鉄格子で塞がれていた。
その鉄格子に嵌る扉も鉄格子で、その1メートルほど先に上りの階
段が微かに見える。
ルシが魔法で鍵を開け、鉄格子の扉を潜り階段を上っていく。カ
ツンカツン! と足音だけが通路にこだまする。
階段を上りきった先にはさらに鉄の扉があった。皆がそこで立ち
止まると辺りは静寂に包まれる。心臓の鼓動が聞こえそうな程の静
寂だった。
キャミは自分の胸に手を当てていた。緊張で心拍数が上がってい
るのを手で確認するように。︵ここが王宮内部なら、もうすぐキャ
ノに会える⋮⋮。早く会いたい⋮⋮︶
祈るような仕草のキャミ。その肩をシェラがそっと抱き寄せてい
る。
ルシが扉の前に立ち、その向こうに人の気配が無い事を確認した。
﹁開けるぞ﹂と視線で皆に合図を送る。皆がそれに視線で答える。
魔法で鍵を開け、そっと扉を開く。
274
ギギギギィィィーー
錆びた鉄が擦れる嫌な音が小さく響いた。
扉を潜るとそこには小さな部屋があった。もちろん灯りなどは無
く全てを見渡せたわけではない。足音を殺し部屋の中に入るとカン
テラの灯りで辺りを照らし出す。
そこは地下通路と同じく壁も床も石で組まれ、廃墟か牢獄を思わ
せる造りだった。
しかも家具などは一切無く対面の石壁に扉が一つあるだけだった。
しかしその扉は今潜った鉄の扉とは打って変わりオーク材か何か
で出来た重厚な物だった。そしてもちろん此方にも鍵が掛かってい
る。
﹁どうやらあの扉が王宮内部の一室に繋がっているのかな﹂
小さな声で囁いたのはヴァルザードだった。
﹁王族逃亡用の隠し部屋ってとこか⋮⋮﹂
﹁そうですね⋮⋮﹂
キャミは複雑な表情を浮かべていた。王族が国を捨て自分達だけ
逃亡するような抜け道を造っている事に憤りを感じているのだろう。
同じ王族の身として⋮⋮。
﹁じゃぁ、その扉の向こうに行って見ようじゃないかね﹂
皆が重々しく頷いた。
扉を開けるとそこは広大な広間の様相を呈していた。高い天井に
は灯りは消えているものの豪奢なシャンデリアが幾つもぶら下がり
大きな絵画など飾られている。その周りには動物か何かの彫像まで
ある。壁に備え付けられた燭台には灯りが燈したままになっていて。
様々な絵画が額に収まっている。床には真紅の毛足の長い絨毯が敷
き詰められ、部屋中央には複雑な模様を施した豪奢なテーブルとビ
275
ロード地のソファーが置いてある。その他にも様々な調度品やら豪
華な家具が並んでいた。
﹁しかし驚くほど派手な部屋だな。王族っていうのはこんな贅沢な
生物なのか?﹂
ルシ達は部屋の豪華さに驚愕の表情を表していた。
﹁わたしもビックリよ。カノン王宮にもこれほどの部屋なんてない
わよ﹂
王宮で育ったキャミやシェラまでもがその絢爛豪華さに目を奪わ
れている。
﹁ならばここは王族の居間で間違い無いかもしれないね﹂
﹁じゃキャノ王女を探さなくちゃ﹂
﹁うむ、そろそろ皆起き出すかもしれないし急いだほうが良いね﹂
﹁リン、もう一仕事頼む﹂
そう言ってルシは懐から例のペンダントを取り出しリンの鼻先に
持っていった。リンは鼻先をヒクヒク動かし匂いを嗅ぐと﹁解った﹂
と言わんばかりに小さく頷き、そのままトコトコ歩き出す。気配で
衛兵が居ない事を確認しながらリンは部屋をでて廊下を歩いていく。
そしてある一室の前で﹁ここだよ﹂と言わんばかりに小さく鳴いた。
とりあえずキャミとシェラが部屋に入り、一同は廊下で待つこと
にした。
﹁早くしてくれたまえよ。いつ衛兵が見回りに来るかも判らないか
らね﹂
﹁はい、わかりました﹂
﹁うん﹂
キャミ達が部屋に入ると天蓋付きのベッドで金髪の少女が眠って
いた。
︵間違いない、キャノだわ︶
276
﹁キャノ 起きて﹂
キャミはキャノ王女の耳元で囁いた。
キャノ王女は﹁ぅ∼ん﹂と可愛らしい声を出して片目を開ける。
キャミと目が合うとその大きな瞳をさらに見開き一瞬固まるが、す
ぐさま飛び起きた。
﹁ねっ、むぐぅうぅ﹂
驚愕の声を上げようとしたキャノ王女の口をキャミの右手が塞い
だ。
﹁大きな声を出さないで!﹂
左の人差し指を口元に当てて、小さな声で注意する。
口を押さえられたキャノ王女は、コクッコクッと何度も頷く。そ
れを確認したキャミがその手をそっと外す。
ふぅーっと小さな吐息をはいて、キャミ見あげるキャノ王女。
﹁姉様、どうしてここに?﹂
﹁話は後。ここから逃げるの、急いで準備して﹂
その言葉を聞いたキャノ王女は儚い表情を浮かべる。
﹁駄目よ。私が逃げれば⋮⋮﹂
キャノ王女は言葉途中で俯いてしまう。
﹁話しは後って言ったでしょ。責任は全部私が取る、貴女は何も心
配しないでいいの。だから早くして。皆が廊下で待ってるのよ。衛
兵が来たら大変な事になるの。お願い急いで!﹂
そう言って無理やりキャノ王女をベッドから引き摺り降ろす。
それでもキャノ王女は戸惑った様子で動こうとしない。
﹁で、でも⋮⋮﹂
﹁これはお父様の指示よ。大丈夫だから後の事は私に⋮⋮ いえ私
達に任せて﹂
﹁お父様の?⋮⋮﹂
﹁お願い! 早くして! 時間が無いの⋮⋮﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
キャミの必死の説得でようやく準備を始めたキャノ王女だった。
277
準備にはシェラが手伝う。流石は元メイド、手馴れたものであっ
た。
﹁着替えたら、必要最低限の物だけ持ってね﹂
﹁はい﹂
数分後にキャミとシェラがキャノ王女を連れて出てきた。
︵な、なんという美しさだ⋮⋮︶
ヴァルザードはいつもの軽口も忘れ、顎を落としていた。
クーとリンもその美しさに見とれている。
しかしキャノ王女の顔には不安と後ろめたさが滲み出ている。本
来の美しさはこんなものではないはずだった。
しかしルシを見つけるとその表情に驚愕の色まで加えられた。
﹁あっ。貴方はルシ様⋮⋮?﹂
﹁久しぶりだな。これはあんたに返す﹂
ルシはそう言うとペンダントをキャミ王女の手に握らせた。
﹁これは⋮⋮﹂
﹁さぁ話は後、急ぎましょ。ぐずぐずしてたら見つかっちゃうわ﹂
﹁う、うむ。そうだな⋮⋮ い、急ごう⋮⋮﹂
シェラに答えるヴァルザードだが、その視線はキャノ王女に釘付
けだった。
シェラは苛立たしげな表情でヴァルザードを見た。
一同はシェラからブチッっと言う音が聞こえた様な気がした。
﹁さっさと行くわよ! ロリコンランクA!!﹂
凄まじいハイキックがヴァルザードの横顔を捉えた⋮⋮
一行は来た道、つまり地下通路を戻る事にした。
帰りはモンスターも魔獣も出る心配がないと判断した結果だった。
まぁどうせブライと他の馬の事もある、余程の事が無いかぎりこれ
は決まっていた事なのだ。
278
さすがにキャノ王女にはきつい行程だった。
ヴァルザードは何度も﹁オレが負ぶろうではないか﹂などと言っ
ていたが、その都度皆の冷たい視線とシェラのハイキックが跳んで
いく。
もちろんキャノ王女も﹁いえ、大丈夫です﹂と断り続けるのだが。
しかしこんなやり取りでも、キャノ王女には救いだったかもしれ
ない。
カノン王の指示とはいえ、本当に逃げ出して良かったのか、それ
が頭から離れないのだ。一瞬でもそれを忘れさせてくれるヴァルザ
ードの軽薄な態度にも少し好感を寄せていた。
しかし後々ヴァルザードの本性を知る事になるのだが⋮⋮
地下迷宮、エルフの森と延々歩き続け、ようやくブライが待つ木
こり小屋に辿り着いたのは昼近かった。キャノ王女が一緒なので休
憩を取りながらの行程は思ったより時間が掛かった。
すでにキャノ王女が居なくなった事は知れ渡っているだろう。一
行はディアーク王都には寄らず、一気にカノン王国を目指すことに
なった。
︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱
﹁どういうことだ! 詳しく説明せい!﹂
怒気に満ちた声が広間にこだまする。
ここは、ビズルトラ王国主城。王族専用の食堂である。唾は飛ば
しながら怒鳴っているのはこの城の主ビズルトラ国王であった。
279
それは朝食時のこと。国王のほか、王妃、王子が席に着き、末席
にはカノン王国王女であるキャノ姫が座っているはずだったが、そ
の姫が居ないのである。侍女達に聞いても誰も知らないと言う。
﹁申し訳ございません。どこを探してもキャノ姫様のお姿がありま
せん﹂
深々と頭を垂れる侍女長。その身体は恐怖でガタガタと震えてい
た。
﹁どういうことか説明せよと言っておる!﹂
そこに近衛騎士隊長に連れられて一人の侍女が飛び込んで来た。
﹁も、申し上げます。キャノ姫様の身の回りの物が幾つか消えてお
ります。それとこんな物がキャノ姫様のお部屋に⋮⋮﹂
そう言って侍女は1枚の羊皮紙を差し出した。
そこには一言
﹁キャノ姫は返して貰う。欲しければ力尽くで取りに来い。
カノン王
代理﹂
﹁カノン王代理だと⋮⋮ おのれカノン王っ このわしをコケにし
おって!﹂
怒り狂ったビズルトラ王はテーブルの食器を床にぶちまけた。
﹁今すぐ出兵の準備をいたせっ カノン王国滅ぼしてくれるわ!﹂
ビズルドラ王の頬はリンゴより赤く染まり、プルプル震えていた。
﹁し、しかし陛下、それでは他の5大王国が⋮⋮﹂
恐る恐る口にしたのは、側近の文官であった。
﹁なぁに、先日あれも届いておる。いざとなればエプソニアを統一
してくれるわ!﹂
280
﹁しかし、それではあまりにも﹂
﹁えぇい! うるさいっ 此れは決定事項だ。今すぐ出兵の準備じ
ゃ!﹂
側近の言葉を遮り、﹁これは命令である﹂と付け加えた。
﹁はっ ははっ﹂
そこに居る全て者が諦めて低頭していた。
︵まさか、あんなものを御使いになるとは⋮⋮︶
281
キャノ王女奪回︵後書き︶
お読み下さった方ありがとうございます。
誤字脱字報告も頂けると助かります。
感想・評価まだの方もよろしくお願いします。
282
ビズルトラ王国にて
見渡す限りの草原の中を一筋の街道がゆるいカーブを描きながら
地平線に消えていく。
そんな街道を南に直走る一行があった。
3頭の馬に跨る6人の男女である。
黒毛馬のブライに跨るルシとクー。2頭の栗毛馬にはそれぞれ、
ヴァルザードとキャノ王女、シェラとキャミが跨っている。
ちなみにクーは横座り、リンは尻尾化してルシの胸の中である。
﹁すまんが、先に行っててくれ。オレはちょっとビズルトラ国の様
子を見てから行く﹂
そう言ったのはルシである。
﹁はい?﹂
﹁ちょっとっ、どういうことよ?﹂
﹁後で説明する。とにかく先を急いでくれ﹂
そう言うや否やルシは馬首を翻した。
﹁ちょっ、ちょっとー﹂
﹁おぃ、ルシ君⋮⋮﹂
﹁直ぐ戻るっ﹂
呆れる4人を置いてルシは遥か後方に走り去って行った。
﹁まぁルシ君のことだ、すぐ戻るだろう。俺達はこのままカノン王
国を目指そう﹂
﹁ええ、そうね⋮⋮﹂
﹁﹁はい﹂﹂
3人の女性陣は渋々と言った感じだが、ヴァルザードだけは顔が
にやけていた。
283
﹁ムフフッ﹂
﹁ちょっとっ! その嫌らしい笑いは何よ!﹂
﹁おっと、声に出てしまったか⋮⋮ いや聞かなかった事にしてく
れたまえ﹂
﹁あんた、もし王女様に変なことしたら只じゃすまないんだからね
っ!﹂
﹁し、失礼なこと言うもんじゃないよ﹂
ヴァルザードは非難がましい顔をしているが女性陣は呆れ返って
いる。
ルシが気にしたのはビズルトラ国の動向であった。
まさかとは思うが﹃馬鹿王﹄と異名を取るほどのビズルトラ王。
﹃不死の王﹄などと契約を交わす馬鹿ッぷりも見たばかりでもある。
王女を奪い返されてどんな行動に出るのかが少し心配になったのだ。
ディアーク王都に戻ったルシは少し焦る必要がでてきた。
思ったとおりだったのだ。いきなりの出兵騒ぎで街中が大騒ぎに
なっている。
﹁まさか、いきなり軍を動かすなんて⋮⋮﹂
そんな街の有様を見てクーが思わず呟いた。
﹁あぁ、﹃馬鹿王﹄の異名は伊達じゃないってことだな﹂
ルシもこの光景に自然と言葉が漏れてしまった。
﹁貴様っ 今なんと言った!﹂
いきなり後ろから怒鳴られ、振り返ると警備兵が5人。そのうち
の1人が此方に剣を突きつけている。
﹁ルシ様⋮⋮﹂
ルシを心配そうに見あげるクーの頭をそっと撫でて﹁心配するな﹂
と軽く笑みを見せる。クーはそれだけで安心したように笑顔になっ
た。
284
︵まぁ今更言い訳は無理か︶などと思いながらもルシはとぼけて見
た。
﹁ん? なにか聞こえたか?﹂
﹁貴様、とぼけるつもりかっ! 今、ば、ば、ばヵ⋮⋮﹂
﹁ん? なんだはっきり言って見ろ﹂
﹃馬鹿王﹄と言えずに悶えている警備兵を見て、つい顔がにやけ
てしまった。
﹁き、貴様、なにを笑っておるかっ! おい、こいつをしょっぴけ
! 不敬罪で地下牢にぶち込んでやる﹂
﹁﹁﹁﹁はっ!﹂﹂﹂﹂
隊長らしき男に怒鳴られ、他の4人の警備兵が剣を抜き近寄ろう
とする。 ルシもすかさず魔剣を鞘から抜き放ち、その剣先を警備
兵に突きつけた。
その薄桃色のオーラを纏った剣を見て警備兵が一瞬たじろいだ。
﹁おぉっ﹂という感嘆とも吃驚とも取れる声が響く。
﹁き、貴様っ、わ、我々らに逆らうというのかっ?﹂
警備兵達は完全に魔剣に萎縮していた。
ルシの目的はビズルトラ国の動向である。出兵が決まったならそ
の内容も少しは持って帰りたかった。傭兵に志願という形で入城も
考えたが、捕まる方が早いと判断した。
﹁この娘に手を出さないと言うなら黙って捕まってやってもいいが
?﹂
﹁えっ?﹂っと驚くクーをルシが目で﹁だまっていろ﹂と押さえる。
警備兵の隊長らしき男は少し考える様な素振りをみせ、
﹁よかろう。大人しくするというなら、その娘には手をださん﹂
﹁約束は守れよ﹂
ルシはそう言って魔剣を鞘に収めると、ブライから下りた。
285
クーに魔剣と尻尾化したリンを預け﹁山猫亭でまっててくれ﹂と
耳打ちした。
後ろ手に縛られるルシ。
クーは警備兵に連れて行かれるルシの後姿を、見えなくなるまで
眺めていた。
警備兵の手によって城門の詰め所まで連れて行かれたルシは、そ
こで番兵に引き渡された。
そこで待つこと十数分。
その間、詰め所内ではカノン王国への出兵に関する話題一辺倒だ
った。
ルシはそれらを聞き漏らすことなく聞き耳をたてていた。
城内から衛兵が現れると、今度は城内部へと連れて行かれる。城
内には出兵の要請で集まって来た傭兵や、それを御する騎士や衛兵
で溢れかえっていた。
︵この様子なら実際行軍が開始されるのは早くても2日くらいは掛
かるか︶
ルシは衛兵に連れられて城内西側の別塔へとやってきた。
別塔に入ると地下に続く階段があった。ルシはその階段を下りて
看守に引き渡された。
︵看守は2人だけか︶
衛兵が出て行くのを確認すると、後ろ手に縛られたロープを腕力
のみで引き千切る。
看守が驚いた表情を見せた時には、すでにルシの姿が眼前から消
えていた。
1人は首筋に手刀を入れ昏迷させた。
もう1人は後ろから口を押さえ、その腕をねじり上げていたのだ。
286
その間わずか1秒弱。
﹁大声出したら顎を握り潰す。いいな?﹂
そう言って口を押さえる手に少し力を込めた。
看守は痛み呻きながらもコクコクと頭を上下している。
手に込めた力を緩めルシは聞いた。
﹁この城に魔王の剣があると聞いた。どこにある?﹂
看守は知らないと言う様に頭を左右に何度も振って見せた。
その瞬間に看守の背中辺りからからボキッ!と言う音が聞こえた。
腕をねじ上げていた手が看守のそれをへし折ったのだ。
看守が悲鳴をあげかけたが、その口が強く塞がれた。
看守の眉間に冷や汗が流れ苦痛に顔を歪めている。
﹁もう一度だけ聞く。どこだ?﹂
その冷え切った声に感情などはない。看守には死の宣告にしか聞
こえなかっただろう。
﹁こ、この前の武闘大会で、しゅ、主塔の、1階に飾ったままだ﹂
看守は痛みに堪えながら必死に訴えた。
その刹那手刀が首筋に落とされた。
﹁なるほど、誰も所持出来ない魔剣故、盗まれる心配も少ない、な
ら隠すより誇示って訳か﹂
︵ならちょうどいい︶
ルシは2人の看守を尻目に︵当分起きそうも無いな︶と別塔を出
た。
︵これだけ傭兵がウロウロしてたら怪しまれる心配もないか︶
辺りを見渡し傭兵に紛れる様に主塔に向かった。城中央にそびえ
立つそれはすぐ見つかった。 流石に入り口には衛兵が立っている
が、今は門も開かれていた。中にも自由に入れるようだ。中は大広
間になっていて傭兵達でごった返している。
287
大広間の最奥に大きな大理石の台座があった。その上にその魔剣
は飾られていた。
台座も周りには衛兵10人程がグルリと囲んでは居るものの、そ
れ以上の警備はないようだ。 その上希望する者には触らせている
始末。
腕自慢の傭兵が数名順番待ちで並んでいるようであった。
しかし傭兵が手に触れた瞬間、魔剣が一瞬光りを放ち、触った者
は痺れた様に尻餅などついている。
その時、衛兵の叫ぶ声が広間に響いた。
﹁貴様は、さっきの不敬罪の男ではないか? こんな所で何をして
いるっ!﹂
それはルシを地下牢に連れて行った衛兵だった。
﹁チィッ!﹂っと舌打ちするとルシは魔剣に向かって走り出す。
﹁その者を取り押さえろッ!﹂
しかし傭兵達は他人事の様に見ているだけだった。傭兵と言う人
種は金が絡まないと動かない人種なのだ。まぁ面白半分で動く奴も
居るにはいるのだが。
逆に騎士や衛兵はその傭兵が邪魔で思うように動けない。ルシは
素早い動きで傭兵達の間をすり抜ける様に走り、あっと言う間に台
座に飛び乗っていた。
その台座の周りには次々と騎士や衛兵が集まりだす。その数数十
人になっている。
ルシはおもむろに魔剣の柄に手をかけた。
刹那、フゥォォォンという音とともに剣腹が煌々と輝いた。ルシ
は一瞬魔力を吸われるような感覚があったものの、それも刹那の事
で、今はなにも感じない。むしろ手に馴染む感じは今まで握った剣
の比ではなかった。
288
その真紅の輝き、真紅のオーラを纏った魔剣を頭上にかざし辺り
を見渡した。
﹁この魔剣はオレが貰う。そして⋮⋮ オレはこの戦、カノン王国
に付く。死にたい奴だけ向かって来い!﹂
そう言って軽く台座の後ろに飛び降りる。
そのまま頭上の魔剣を台座に向かって振り下ろした。
高さ1メートルはあった大理石の台座は真っ二つになっていた。
誰も目を見張るばかりで声を上げる者も居ない。
ルシはそのまま広間の入り口に向かって歩き出した。まるで無人
の境を行くが如く。
広間、つまり主塔を出るとルシは一気に城門に向かって走り出し
た。それを見ていた衛兵達は慌てたように叫びだす。
﹁その男を取り押さえろぉ!﹂
﹁逃がすなァッ!﹂
しかし時すでに遅くルシは城門を渡っている。
前方からルシを呼ぶ声が聞こえた。
﹁ルシ様ぁーーー!﹂
クーである。クーがブライに跨りルシが出てくるのを待っていた
のだ。
︵山猫亭で待ってろって言っただろ⋮⋮︶もちろん口には出してい
ない。
苦笑を浮かべブライに飛び乗るルシ。
﹁助かった、ありがとな﹂
そう言って頭を撫でる。
﹁ルシ様、ご無事で何よりです﹂
クーは嬉しそうにルシの胸に頬を埋めた。
289
﹁オレの心配はいつだって不要だ﹂
ルシは一気に馬首を翻し王都の南門を目指した。その速さは馬とは
思えないほどで追っ手の兵達はあっと言う間に見えなくなっていた。
290
宿場町にて
大草原を南北に貫く街道から、ふと視線を左に向ける。東方の地
平線には澄み切った紺青色の空が広がり、そこからグラデーション
の様に空の色が段々と赤みを帯びてゆく。視線が遥か西方の地平線
に辿り着くと綺麗な夕焼け空へと変わっていた。その地平線では今
にも夕陽がその姿を隠そうとしている。もうすぐ夜の帳がこの大平
原を覆い尽くす。そして満天の星空がこの地を支配するのだろう。
ビズルトラ王国から、魔王が所持していたとされる魔剣を手に入
れたルシは大急ぎで街道を南下していた。この戦の勝敗を決めるの
は﹁時﹂だと思っているのだ。
相手を倒す必要の無い戦ではあるが、負けることは許されない。
しかし10万の軍勢を持つビズルトラに対しカノン王国は精々2万
がいい所だった。
単純に数が物を言うのが戦である。いくら一騎当千の力を持つヴ
ァルザードや、そのヴァルザードにも勝るルシが加わったとしても、
苦しい戦になることは必然だった。
当初の予定にない魔剣強奪の所為で少し時間を食ってしまったが、
暗くなる前に街道沿いの宿場町に到着した。ようやくヴァルザード
達に追いつけたのだ。
そこでルシはビズルトラ国で知りえた現状を報告する。
直ちに出兵の準備に入った事。
早ければ2日後には行軍が開始されるだろうという事。
291
その数およそ3万。
地方領主の軍勢と合わせると5万から6万は下らないだろうとい
う事。
怒り狂ったビズルトラ王自身が親征軍を率いて来る事。
部隊を2つに割り、山脈越えと南の海岸沿いの両街道で挟撃に来
る事。
等など。
﹁まさかっ! 開戦通知も無しに攻めてくると言うのか?﹂
﹁そ、そんな⋮⋮﹂
ヴァルザードの驚きぶりは普段の口調を忘れさせるほどだった。
キャノ王女は卒倒しそうになったが左右に座るキャミとシェラが
支えることでなんとか持ち堪えていた。
﹁これは完全にオレの読み違いだ。すまない⋮⋮﹂
普段滅多に頭を下げる事など無いルシが素直に頭を下げた。ルシ
としては自分の考えが浅はかだったと後悔していた。
﹁いや、君の所為ではないよ。いずれこうなる事は解っていた。遅
いか早いかの違いだけだよ﹂
﹁違う。オレはビズルトラ王の馬鹿ぶりを甘く見ていた﹂
﹁どういうことだい?﹂
﹁この冬が来る今、攻めて来るとは思わなかった。攻めてくるなら
早くて来年の春だと思っていたんだ。それなら此方も準備が出来た
し、他国への援軍要請も可能だったかもしれない。しかも北の山脈
越えをするなど予想すら出来なかった﹂
﹁うむ、確かに冬の山脈越えは常軌を逸した行為だね。まさに蛮行
と言えるよ。だからその行為は逆にビズルトラ側を不利にするだけ
だと思うが?﹂
﹁そうだ、だから﹃馬鹿王﹄でもそんな真似はしないだろうと読ん
だ。しかし今年は冬の訪れが遅い。先日は雪が降る気配もあったが、
それも今は無い。それになぜか解らないが当分雪が降る気がしない﹂
292
﹁しかし、それは君の感だろ?﹂
﹁いや、降らないと断言できる﹂
﹁ん∼そうは言ってもね⋮⋮﹂
なぜそんなことを断言出来るんだと訝しむヴァルザード。
ルシとしても断言出来るわけでは無かった。最悪の事態を想定し
て話を進めたかったのだ。しかし、なぜかそんな気がしてならない
のも事実だった。これは命がけの戦いを前にした戦士の感だとしか
いいようがない。
﹁とにかくだ。この戦は国境を越えられたら100%勝ち目が無い﹂
皆が一様に不安の色を濃くしていった。
﹁では、わたくしがまたビズルトラ王国に⋮⋮﹂
﹁いや、それは無駄だ。もともとビズルトラ王はカノンを侵略する
気だった。お前の行為は数ヶ月、良くて数年侵略を遅らせるだけだ
な﹂
﹁では、お父様を説得して民衆の安全と権利を条件に降伏するとい
うのは?﹂
﹁なっ!、なんてことを⋮⋮﹂
﹁キャノ王女⋮⋮﹂
キャノの余りにも自虐的な発言に一同は唖然とする。
降伏とは王族が斬首となる可能性が極めて高い。そんな事をこの
王女は平然と言ってしまうのだ。
﹁駄目だ。万が一その約束を受けたとしても、あの﹃馬鹿王﹄は約
束を守る程お人好しじゃない﹂
﹁では、どうすれば⋮⋮﹂
﹁本当に民衆のことを想うなら、侵略されない国力を持つしかない﹂
ルシは一端間を置いてキャミを見た。そしてその視線を王女に戻
し、
﹁お前を城から連れ出す時、キャミはなんと言った?﹂
今までの口調と違い、ルシは優しく諭すように囁いた。
﹁えっ、それは⋮⋮﹂
293
﹁何も心配いらない、オレ達に任せろって言わなかったか?﹂
﹁はい、そう言いました﹂
これはキャミだった。
﹁なら任せとけばいい﹂
ほんの少し笑みを浮かべ﹁それに﹂と続けた。
﹁それはオレが言わせたセリフだ。必ずオレが何とかする﹂
そう言って立ち上がると王女姉妹の後ろに立った。その2人の肩
を抱き、
﹁カノン王国も含め、お前達は絶対に守る﹂
︵命に代えてもな︶
﹁は、はい、ありがとうございます﹂
キャノ王女の言葉は語尾が擦れてほとんど聞き取れなかった。
﹁そこでだ、ひとつ王女に頼みたい事がある﹂
﹁はい? なんでしょう﹂
﹁ちょっと強行になるが、オレと2人で先にカノン王国に戻って欲
しい﹂
その言い様に一同皆が理解出来ていない様子だった。
ルシが言うのはこういうことだった。
このままカノン王国を目指しても早くて7日か8日はかかる。そ
れから軍を編成、行軍していたのでは、国境に着く前にビズルトラ
軍に国境を越えられてしまう。もちろんカノン側の間諜もこの事実
を報告する為本国を目指しているだろが、それでも1日2日早いだ
けで結果は同じである。そこでルシがキャノ王女だけを連れて先に
カノンに戻りたいと言ってるのである。
﹁しかし、君がキャノ王女と戻ったところでその日数は縮まらない
だろう?﹂
﹁オレと王女だけなら2日で戻れる﹂
294
﹁なんだって? どうやって此処からキャメロンまで2日で戻ると
いうんだね?﹂
﹁ブライならそれが可能だ。速さだけなら普通の馬の倍だ。その上
1日2日なら一切止まらず走り続けられる。まぁ王女の身体を考え
てノンストップは無理だろうが﹂
﹁そういえば、あの馬は神獣だとか言ってたね⋮⋮﹂
ヴァルザードは呆れてものが言えないと言う様に両手を上げてい
た。
﹁しかし、それでも北の国境には間に合わないね﹂
﹁あぁ無理だ。だからカノン軍は南の国境を押さえる。あそこは海
と山脈に挟まれた街道だ、進軍は真っ直ぐ長くなるだけ。守りに徹
すれば十分戦えるはずだ﹂
﹁うむ、その理屈は解るが、北の街道はどうする気だ? 雪が降ら
ないと言ったのは君だよ?﹂
﹁まぁそれには考えがある。敵を欺くにはまず味方からと言うだろ
う? オレに任せてくれ﹂
﹁そうか、君がそう言うならなにか作戦があるのだろうね﹂
ヴァルザードは不承不承ながら納得したようだ。
﹁あのー ルシさん。話は解りました。でもキャノは迷宮を歩き詰
めで、馬に乗ってからも﹂
そこでキャノ王女がキャミの言葉を遮った。
﹁いえ、わたくしは大丈夫です。連れて行ってください﹂
気丈にもキャノ王女は凛とした声でそう口にした。そしてキャミ
に向かって小さく囁く。
﹁お姉様ありがとう。でも本当に大丈夫だから﹂
だが実際には、今こうして座っているだけでもキャノ王女には大
変な苦痛だった。その年齢と体力を考えれば当然のことだろう。ま
してや王族なのである。
ルシもその顔をみれば限界を超えているなと想像がついた。
295
﹁解った。出発は明日朝にしよう﹂
﹁でも、それでは⋮⋮﹂
﹁いや、倒れられても困るしな。その代わり今日はゆっくり休め、
明日は一切休みなしで走るからな﹂
﹁はい、わかりました﹂
こうしてシェラ、キャミ、キャノ王女がそれぞれベッドに入って
いった。
クーだけはルシから離れようとしなかったが、ルシの命令で渋々
ベッドに入ってくれた。
ルシとヴァルザードは今日程度の行動では疲れなど見せない。普
段から冒険に明け暮れているからだろう。無理に寝る必要もなく、
もう少し2人で飲む事にした。
女性陣が寝てしまったことはヴァルザードとしては不本意だろう
が、それ以外にも興味はあったようだ。
﹁ところでルシ君、魔王の剣と言うのを見せてもらえないかい?﹂
ルシは﹁あぁ﹂と言って鞘ごとヴァルザードに魔剣を差し出した。
しかし鞘の部分を持っただけでヴァルザードは痺れた様に魔剣を
落としてしまった。
﹁おい、人の剣を落とすな﹂
﹁いや、すまない﹂と言って拾おうとしたが、やはり落としてしま
った。
﹁⋮⋮﹂
﹁す、すまない。 しかしなんだねこれは、触る事も容易じゃない
よ? 確かに誰も持つ事が適わないという噂は知っていたが﹂
500年前の聖戦で魔王が所持していたとされる魔剣。
しかし触れるだけで魔力を吸い取られ、死ぬものまで居たと言わ
296
れている
それ故、今まで王宮に保管され誰にも所有される事が無かった。
盗んだルシ自身まだはっきり見ていなかった。
ルシは魔剣を拾い、そっと鞘から抜いて見た。
真紅のオーラが揺らめく炎の様に剣身に纏っている。
剣自体の長さはおよそ120、刃幅は10センチ弱、柄は25セ
ンチ程。剣身は厚く血抜きと思われる小さな溝が片面に2本づつ入
っている。その溝の間には古代語が長々と刻まれていた。刃と柄の
間の部分は十字鍔になっており魔法石と思しき真紅の石が埋め込ま
れていた。その直ぐ先、リカッソの部分に銘が打ってっあった。
レーヴァテイン
Lævateinn
エプソニア大陸がこの地に誕生する以前。つまり神話の時代。
火神ロキの手で鍛えられ、世界を焼き尽くしたとされる炎の魔剣
である。
297
ルシと王女、カノン王国へ︵前書き︶
カノン王国の主城名を間違えていましたので修正しました。8/1
4
298
ルシと王女、カノン王国へ
翌朝早くに一行は宿屋を出ることにした。
辺りはまだ薄暗く、空にはまだ星も少なからず浮かんでいる。冷
え込みもだいぶ厳しく外套を着ての出発となった。
皆がそれぞれ自分の馬に跨っていく。ルシが黒毛馬のブライに跳
び乗ると、キャノ王女を片手で馬の背に引きあげた。
﹁じゃオレ達は先に行くが、お前達も出来るだけ早く来てくれ﹂
ヴァルザードに馬上から引き上げて貰ったクーが驚いた様にルシ
を見た。
﹁えっ、出発くらい一緒でも⋮⋮﹂
クーは思わず口にしてしまったが、語尾が擦れて聞き取れなかっ
た。
クーにとってはルシと一緒に行けないことが耐え難い事だった。
それもルシ以外の男性と馬の相乗りなど考えただけでも嫌だった。
それでも事を性急に進めるには仕方の無い事だと必死の想いで自分
に言い聞かせていた。せめて付いて行ける所までは一緒に行きたか
ったのだ。
ルシはブライを操りクーの傍に移動した。懐から尻尾化している
リンを取り出しクーに渡す。
﹁一緒に出てもあっと言う間に離れるぞ? ブライの速さはお前も
知ってるだろ?﹂
優しく諭すつもりでそう口にする。
﹁は、はい。そうでした⋮⋮﹂
︵そんな事は解っています︶と心の中で囁く。
そのやり取りを聞いていたシェラが、ルシの傍まで来ると﹁ちょ
299
っとこっち来てっ﹂と馬から引き摺り下ろし宿屋の裏手まで引っ張
って行った。
﹁なんだ?﹂
﹁あんたねぇ、いい加減あの子の気持ち解ってあげなさいよっ!﹂
小声ながらも棘のある口調だった。
﹁一時でもあんたと離れる事がどれだけ辛いか、ほんとに解らない
わけ?﹂
ルシは黙り込んだ。クーがなぜ自分を慕うのか解らないのだ。
︵シェラやキャミが居るじゃないか︶と言いたかったが、別の言葉
を口にした。
﹁もうそろそろオレは必要ないだろう?﹂
その言葉を聞いたシェラの顔が見る見る紅潮していく。
そして口を開こうとしたシェラを手で制して言葉を続けた。
﹁この戦がどういうものか解ってるだろ? クーを頼む﹂
それだけ言うと、シェラに背を向けた。
シェラはその言葉の意味を理解出来なかった。理解していたが、
必死で否定していたのだ。
ルシは皆の元に戻ると、キャミに声をかけた。
﹁オレはキャメロンに付いたらすぐ戦場に行くと思う。オレが戻る
までクーの事頼めないか?﹂
キャミは一瞬キョトンとした表情を見せたが、すぐ笑顔を見せて
くれた。
﹁はい、もちろんです﹂
﹁そうか、なら安心して行ける。頼んだぞ﹂
そしてクーの方に振り返り、その頭をおもむろに撫でて︵元気で
な︶と心の中で呟いた。
﹁じゃ行ってくる。リンをよろしくな﹂
クーはまだ何か言いたそうだったが、ルシはさっさとブライに跨
300
り走り去ってしまった。
ブライは一瞬でトップスピードに達したかのように、風を切る音
だけ残し遥か前方に消えていった。
ブライのスピードはキャノ王女にとって想像を絶するものだった
かもしれない。
見渡す限りの草原なので、あまり実感し難かったかもしれないが、
それでも左右に広がる草原の草葉が見る見る後ろに消えていく。ル
シが前方に魔法で風のシールドを張っていなければ息すら出来なか
っただろう。
草原を貫く街道から左に逸れて山脈越えの街道に入った。
かつてキャノ王女を山賊から助けた場所はこの旧街道のもう少し
行った辺りだった。あの辺りで休憩にするかと思っていたが、王女
の顔を伺うと苦痛の表情が見え隠れしている。
子供だとはいえ女の子である、お尻が痛いとは言い難いのだろう。
鈍いルシでもその辺は理解していた。シェラに理解させられたと言
うべきだが。
﹁少し早いが休憩にしよう﹂
そう言って川原の砂地でブライから下りると、ドッカとその場で
寝ころがってしまった。
キャノ王女は戸惑って立ち尽くしている。寝ころぶどころか、地
べたにそのまま座る事など
したことが無いのだろう。そんなことは露知らずルシは怪訝な顔を
する。
﹁どうした、座って休んだらどうだ?﹂
しかしキャノ王女はモジモジするだけで座ろうとしない。
ルシは地べたが嫌なのか? と思い自分の外套を川原に敷いて、
そこに座るように勧めた。それでもキャノ王女は﹁えっと﹂とか﹁
301
そのぉ﹂とか言うだけで座ろうとしなかった。
さらに考えたルシの結論は﹁尻が痛い﹂だった。だがそれは流石
に言えず、
﹁あぁー、その、痛いのか?﹂
とだけ聞いてみた。
キャノ王女はすぐに意味を理解したのか、見る見るうちに白磁の
様な頬を、リンゴの如く真っ赤に変えていた。
ルシは自分の頭を大仰に掻き毟り困惑した。
﹁あぁ、とにかくそこに横になってみろ﹂
投げやりな言い方だった。
無理やり王女の手を引き座らせると﹁ほらっ﹂と背に手を添えて
寝転ばせてしまった。
﹁キャッ﹂
キャノ王女は成すすべも無く寝かされてしまった事に驚いて固ま
っている。
﹁空を見てみろ、気持ちいいだろ?﹂
ルシの言葉で改めて空を見てみた。
丸い視界の隅には森の木々が写る他は真っ青な空が広がっている。
何処までも高いその空には真白な雲が悠然と流れていく。
たまに吹くそよ風が王女の金髪を靡いてキラキラ煌かせた。
ルシはそんな王女の顔を、横にすわりじっと眺めていた。
お互い言葉も無いまま数分の時が流れた。
﹁なんという開放感なんでしょう⋮⋮﹂
﹁王宮の天井もシャンデリアや絵画で綺麗かもしれんが、たまには
こんなのも良いだろ?﹂
﹁はい、心が洗われる様です。城に帰ったらすぐさま天井を壊した
い気分ですわ♪﹂
﹁あっはっは。無茶苦茶なお姫様だな﹂
ルシが笑うと、王女も﹁ウフフッ﹂と小さく笑った。
302
﹁初めて見たな、お前のそんな顔︱︱﹂
﹁えっ﹂っと少し驚いたキャノ王女。
﹁そんな顔が出来るなら、ずっとそうしていろ。それがお前に一番
似合ってる﹂
また愁いを帯びた表情に戻る王女だったが
﹁はい、努力します﹂
力なくそう囁いた。
﹁そうだな⋮⋮﹂
︵努力じゃないんだがなぁ、まぁ今は仕方ないか︶と思うが口には
しなかった。
﹁でも、ルシ様もそんなお顔が出来るのですね﹂
少し悪戯っぽくそんな事を口にする王女。
︵そう言えばいつからこんな顔をするようになったのだろう。これ
もあの3人の所為か?︶
﹁まぁそうだな⋮⋮ 最近出来るようになった、気がする﹂
﹁そうだったのですか﹂
﹁可笑しい⋮⋮か?﹂
﹁いいえ、とても素敵です﹂
そう言って王女は少し頬を赤らめた。
ルシは何と答えて良いか判らず沈黙するが、王女は話しを変える
様に突然質問をしてきた。
﹁ルシ様は、手相詠みと言うのをご存知ですか?﹂
﹁てそうよみ? 星詠みなら知っているが?﹂
﹁同じようなものですわ。手の相を見てその人の未来を詠み取るの
です﹂
ルシは自分の手を見て﹁こんなもので未来をか?﹂などと呟いて
いる。
﹁手をお貸し願えますか?﹂
ルシは﹁あぁ﹂と言って王女に手を差し出した。
その手を両の手でそっと触れるように挟むと王女は目を閉じた。
303
数分待ったが、王女はずっと目を閉じている。しかも何故か頬も
耳までも薄っす紅を差したように赤かった。
ルシは少し心配になり、
﹁おい、大丈夫か?﹂などと口にした。
王女は、ぱっと目を開くとニコッと笑顔を見せる。そして、
﹁ウフフッ。冗談ですわ♪﹂
などと笑い出す。
ルシは怪訝な顔で首を傾げている。
王女は顔を見られるのが恥ずかしくなり
﹁そろそろ行きましょうか?﹂と起き上がるとルシに背を向けた。
ほんの10数分程の休憩だったが、キャノ王女はとても満足だっ
た。そしてルシに対して徒ならぬ想いを寄せている事に気付く。そ
れが何なのか14歳の少女には解らなかった。
ルシと王女はその後小さな休憩を数回取ったものの、予定通り2
日後にはカノン王国の主城ヴァイスレーヴェに到着した。
304
ルシと王女、カノン王国へ︵後書き︶
ありがとうございます。
よろしければ感想。評価。お気に入り等よろしくお願い致します。
305
劣国カノン
カノン王国の主城ヴァイスレーヴェ。
王都キャメロンの西に位置し別名、白亜の塔と呼ばれる。
そのヴァイスレーヴェにある謁見の間に、高位の武官や文官が序
列順に壁際に整列している。 中央に敷かれた青い絨毯の最奥、一
段高い位置にある豪奢な玉座。その前に跪く金髪碧眼の美少女と白
金髪虹彩異色の男。キャノ・フォレスト・カノン王女と冒険者ルシ
である。
玉座に座するのは、もちろんカノン国王その人である。
帰国の挨拶を済ませたキャノ王女。国王は笑みを浮かべるが、そ
の場に集まった武官、文官はそれぞれ複雑な表情を浮かべる者が多
かった。
そしてルシの発言で皆が凍りつく事になる。
﹁カノン王、急ぎ軍を編成して欲しい。ビズルトラ王は既にカノン
侵略の準備に入っている﹂
側近達はルシの無礼な振る舞い対し言葉を発しかけたが﹁カノン
侵略﹂と言う言葉を聞いて固まってしまった。
﹁馬鹿な、そんな報告は入っていない﹂
﹁開戦通知も無しに、そんなことがある筈はない﹂
口々にそんな事を言い謁見の間は一時騒然となった。
そんな謁見の間に凛とした声が響き渡る。
﹁皆さん聞いてください。ルシ様の仰る事は本当です。わたくしが
ビズルトラ国から逃げ出した事が原因なのです。ほんとうにごめん
306
なさい﹂
普段は大人しく大声を張り上げる事など無いキャノ王女は、深々
と頭を下げた。
一瞬は静まり返ったその場も、また彼方此方でざわめき出す。
黙って瞑想していたカノン王の眼が大きく見開かれた。
﹁お前たちは黙って人の話を聞けぬのかっ!﹂
そして一人一人の顔を睨みつけるように見渡す。流石に口を開く
者は誰もは居なくなった。
急遽軍義となった謁見の間で、ルシは現状を淡々と説明していっ
た。
2日前、ビズルトラでは出兵の準備が始まった。その数およそ3
万。準備が整い次第直ちに行軍が開始される。各地方の領主にもそ
の旨連絡が行き渡り、増軍はおよそ2万から3万。 合わせて5万から6万の大軍である。
それに対してカノン側は騎士、傭兵合わせても1万、地方領地の
兵を呼び集めても2万を越える事はないだろう。
敵本国から出陣する3万の内2万が親征軍としてビズルドラ王が
指揮を取りディーエス山脈南の海岸沿いの街道から進軍、残り1万
が上将軍指揮の元、山脈越えの街道を通り進軍してくる。
これだけ聞いただけで、文官の殆どは戦意を失っている。武官で
すら険しい表情をするだけで、発言する者は居なかった。
挙句の果てには王族と貴族の安全を条件に降伏しようと言う輩ま
で現れた。
さらに、それに賛同する意見がチラホラ聞こえる有様である。
その言葉に即座に反論したのは、もちろんキャノ王女だった。
307
﹁何を仰るのですかっ。 それでは民はどうなるのです? いざと言う時、民を守る為に貴族や王族が存在するのではないの
ですかっ!﹂
その美貌からは想像が付かない程の怒気をあらわにし、さらに何
か言おうとしたがカノン王がそれを制した。
﹁降伏などせん。 それに万が一降伏するとなれば、
民の安全が条件だ。その事を忘れるなっ!﹂
降伏案を唱えていた者は皆俯いてしまった。
しかし降伏案が収まり次に出たのは、籠城作戦だった。カノン王
国は軍事にそれほど力を入れていない為、国庫は潤っていた。ビズ
ルトラ軍の兵糧が尽きるまで城門を固く閉ざすべきだ。というもの
だった。
他には、籠城して隣国であるシャプニ王国に援軍を要請、援軍到
着次第打って出てはどうかというものだった。
またキャノ王女の怒りが爆発しそうだったが、今度はルシが制し
た。
﹁あんた達の考えはあくまで民を犠牲にするのか? 籠城なんかし
たら、王都は略奪され放題だぞっ。最後には焼き払われるのが落ち
だ。そんなことも解らないのか?﹂
もちろん皆そんなことは解っているだろう。ただ自分の身の安全
しか考えていないのだ。
ルシは、もううんざりだと言いたげにカノン王を見た。そして次
のように提案した。
308
城には兵を1000だけ残して、残りは全て海岸沿いの国境の砦
に向かう。
あくまで砦を守るだけで絶対に打って出ない。
こちら側からの攻撃はあくまで防壁の上からの射手隊のみ。
いくら大軍を誇るビズルトラ軍でも街道が狭い為、少数でしか攻
め込めず一気に蹴散らすと言う強攻策が取れない。砦が壊されるま
でに後退しながら第2の砦、第3の砦を築く。
これで此方は戦力が減る事が無く相手の戦力を徐々に減らせる。
この方法で出来るだけ時間が稼ぎ、各領地に散らばる兵の登城を
待ち更に守りを固めるというものだった。それで最低5日守り抜け
ば相手は必ず瓦解すると断言した。
北の山脈越えの街道から来る軍勢はどうするのか?
5日守っただけで、なぜ敵が瓦礫するのか?
この最大の問題に対しては、ヴァルザードが手を打ってるから心
配ないと告げた。
不平もあったが、そこは流石にランクAの冒険者である。﹃疾風
のヴァルザード﹄の名前は効果があった。
﹁あの方が動いてくれるなら、何か作戦なり援軍が期待出来る﹂
そういう声がチラホラ聞こえてきた。
この機運が高まった今が行動する時である。
﹁カノン王、直ちに軍を編成し迎え撃つ準備をして欲しい。それと
各領地に早馬を飛ばし兵を登城させてくれ﹂ 相変わらず一国の王に対する礼儀も糞も在った物ではないが、カ
ノン王は気にした様子も無くその案を採用とし軍義を終了した。
文官などはまだまだ不平が有りそうだったが、武官たちが少し乗
309
り気になった所で、上手く軍義を終了させられて、発言の機会を失
った。
軍義が終了すれば、もう行動あるのみである。今更不平など洩ら
せば、それこそ牢獄行きすらありえるのでもはや誰も何も言えない
状態だった。
王都では直ちに傭兵と志願兵を募ることになった。
中央広場にて傭兵と志願兵を募る告知板が立てられたのだ。
しかし敵国がビズルトラだと知ると傭兵ですら逃げ腰で志願兵な
ど期待できそうも無かった。
そこに近衛騎士に警護されるような形で一輌の純白の豪奢な馬車
が現れた。
白馬2頭が引くそれは、壁や扉といったものが無く、屋根の代わ
りに飾りの付いた小さなひさしが取り付けてある。人々の目に良く
見えるようにと通常のシート位置より高い位置に据えられた豪華な
赤いソファーにはキャノ王女が座っている。
久しく姿を見せていなかったキャノ王女の突然の市街訪問に広場
は騒然となった。
その上、キャノ王女のお言葉があると告げられると、あっと言う
間に広場は民で埋め尽くされてしまった。
広場に人が入りきらない程集まったところで、キャノ王女は馬車
上で立ち上がった。そしてまず最初に深々とお辞儀をして﹁皆さん
ごめんなさい﹂と謝罪した。
決して叫んでいる訳ではない。なのにその高音で美しいソプラノ
は何者にも侵されない強さで広場全域に響き渡る。まさに神がその
声に宿っているようだった。
しかし一国の王女が民衆に深々と頭を下げ謝罪など前代未聞のこ
310
とである。誰もが顎を落とし騒然としていた広場が静まり返ったほ
どだ。
﹁今日は皆さんに謝罪した上、厚かましくもお願いに参りました﹂
そこで言葉を一端止めると、皆の反応を窺うように辺りを見渡し
た。
誰もが王女の言葉を聞き逃すまいと真摯な眼差しを向けている。
﹁実は⋮⋮ わたくしはつい先日までビズルトラ王国におりました。
ビズルトラから和平の提案として、わたくしとあちらの王子様との
婚礼を打診されたのです。しかしわたくしはまだ14歳です。この
国の法でまだ婚礼は出来ません。ですから15になるまで養女とい
う形であちらの国で暮らす事になったのです﹂
民衆が、あちこちでざわめきだした。
﹁それってどういう意味だ?﹂﹁政略結婚か?﹂﹁いや、そんなも
んじゃない人質だ﹂﹁つまり人質として王女を寄越さないと侵略す
るぞってことか?﹂
そんな声が民衆の間で飛び交っているのだ。
王女はそんな民衆一人一人の声が聞こえてるかのごとく言葉を続
ける。
﹁皆さんが考えている通りです。断れば侵略ということです。でも
わたくしは帰ってきてしまいました。逃げ出してきたのです﹂
それまで凛としていた声が急に、か弱い少女のそれにもどってい
た。
今にも泣きそうに必死で唇を噛みしめて堪えている。
﹁じゃ、この戦は王女が逃げてきたからか?﹂﹁そういうことにな
るな⋮⋮﹂﹁王女の所為で俺達は家を失うかもしれないってことか
?﹂﹁じゃぁ王女が人質でいいのかよ?﹂﹁だれもそんなこと言っ
てねぇ!﹂﹁もともとはオレ達の為に王女は犠牲になってくれたん
311
じゃねぇか﹂﹁でも、この戦勝てるのか?﹂﹁んなこと関係ねえ﹂
﹁王女一人を犠牲にしてオレ達だけ助かるとかあって良いはずねぇ
だろう﹂﹁じゃ俺達はどうなるんだ?﹂
民衆の混乱は見る見るうちに広まっていった。
馬車を護衛する騎士に少しの怯えがみえはじめた。一触即発のこ
の状態でたかが10人前後の護衛である。民衆が暴れだしたら一溜
りも無いだろう。
しかし王女に怯えは無い。その声に怯えなど微塵も感じられなか
った。
﹁皆さん聞いてください。わたくし一人が犠牲になるだけで、皆さ
んが助かるならそれで構いません。それが王家に生まれた者の勤め
だと思っています。その気持ちは今でも変わりません﹂
皆がその言葉を聞き逃さなかった。
先程の混乱が嘘のようになくなっている。
全ての者が、その美しい王女を見つめていた。
﹁でも、わたくしを助けだしに来て下さった冒険者の方にお叱りを
受けました。お前の行為は侵略を遅らせるだけだと。そして本当に
民衆の為を想うなら侵略されない国力を持てと﹂
もう混乱するものはいない、全ての民衆が王女の言葉を待ってい
るのだ。
﹁皆さん、わたくしと一緒に戦って頂けませんか? 今はまだビズ
ルトラ国に勝つことは出来ないでしょう? でも追い返すだけなら
力を合わせれば可能だと思いませんか? わたくしは可能だと信じ
ます。わたくし一人では何も出来ません。でも皆さんのお力があれ
ば不可能は無いと信じたいのです。幸い優れた冒険者の方も味方に
なって下さいました。皆さんもご存知だと思いますが。﹃疾風のヴ
ァルザード﹄様です。他にも﹃神速のルシ﹄様と言う方もお仲間に
なって頂いてます。皆さんお願いします。この国をどこにも侵略さ
312
れない国にするためにお力をお貸し下さい。力をお貸し下さるだけ
で良いのです。命を懸けてくれとは申しません。それはわたくしの
仕事だと思っています。わたくしが命を懸けます。ですから皆さん
はお力をお貸し下さい﹂
民衆で埋め尽くされた広場、そのほぼ中央付近で馬車の上に立ち、
一人頭を垂れる王女。
絶対泣くものかと、唇を固く噛み必死で訴えかける王女。
今まで皆に笑顔を振りまき、優しいお声を掛け続けた王女。
カノン王国史上もっとも可憐な王女として民衆に愛された王女。
そんな王女を皆が見守る。
誰がこの王女を責めれるだろう?
誰がこの王女を犠牲にしようと考えるだろう?
民衆の為に一人命を懸けると言った王女を誰が見捨てられるだろ
う?
広場に王女を讃える歓喜の声が響き渡った。
強大なビズルトラの軍勢に対して誰もが怯えを消し去った。
今この国は一つに成ったのかもしれない。
その後、傭兵と志願兵が城内に溢れかえっていた。
剣を使えるものは剣を、弓を使えるものは弓を、武器を使えない
ものは砦作りを、それぞれ分担を決め編成は見る見るうちに進んで
いった。
そして一路、南の街道の砦を目指し行軍は開始された。
その頃ルシは一人北の街道目指していた。
313
戦 その1︵前書き︶
第一章。いよいよクライマックスです
314
戦 その1
2日前の軍義の後ことだった。
早速、徴兵の御布令が出される事になる。
しかしキャノ王女がとんでもない事を言い出した。
﹁志願兵を募りましょう﹂
キャノ王女がそう言った時、皆が唖然とした。
当然である。対ビズルドラ国となれば誰も志願する者など居ると
思わないだろう。
しかし実際には想像以上の志願兵が集まった。
老若男女に至るまで、その数は計り知れなかった。
選別するのに時間を要したのは痛かったが、それでも嬉しい誤算
だった。
ある程度武器等を使えそうな者、強行軍に耐えうる体力のある者、
そして年齢が幼すぎない者を対象に選別した結果、1万強という数
が残った。
これは相手に大きな影響を与えるだろう。予想した兵力の倍以上
が待ち受けていると知れば誰もが動揺して当然であった。
事実この情報はすぐさまビズルトラ側にも知らされ、指揮官クラ
スはもちろん兵隊達の動揺はかなりのものだった。
1万弱の兵力しかないと思っていたところが、実際は2万を越え
ているとなれば当然だろう。 そして有名な﹃疾風のヴァルザード﹄
がカノンに付く。
あげくに魔王の剣を所持できた﹃神速のルシ﹄までがカノンの味
315
方なのである。
﹁この戦ほんとに勝てるのか?﹂などの囁きも聞こえるほどだった。
もちろん、これは数日後のことになるのだが⋮⋮
実際には志願兵など戦力としてはそれほど期待出来るものでは無
いのかもしれないが、それでも臆する兵士より覚悟を持って挑む民
兵が勝つ例は、過去の歴史に幾つも存在した。
ルシがこの戦で心配だったのが兵達の士気であった。
そして戦において一番重要な要素も士気だと考えている。
今のカノン軍の士気は最高潮に達していると言っても過言ではな
い。これを何時まで維持出来るかも問題なのだが⋮⋮
徴兵と言う形をとらずに、志願兵と言う形にしたのも功を奏した
のかもしれない。
噂でキャノ王女の人気も知っていたし、その人柄も知った。だが
それでもビズルトラに対した時、これほど士気を上げられるとは思
っていなかったのだ。
キャノ王女の王たる器を垣間見る。そんな気がした。
﹃王の中の王﹄にもなり得るその器の大きさを。
︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱
軍義終了後、1日後の事だった。
ルシは一端、北の街道の国境に位置する砦まで行くと、カノン王
からの書簡を守備隊長に渡しその指示を伝えた。
その指示の内容は﹁一兵たりとも損なうことなく、ビズルトラ軍
を無抵抗で通過させよ﹂というものだった。
もちろん、砦の守備隊長は驚いていたが、実際500名程度しか
316
居ない守備隊で1万からのビズルトラ軍を防ごうというのは無駄死
に近かった。
その後の指示も伝えると、ルシはまたカノン国側に馬首を向け走
り去った。
南北に長く連なるディーエス山脈。
その南側は東西の幅も結構広いのだが、北側に行くほどその幅は
狭まり、最北の果てはパナソニ砂漠に面している。
故に山脈の東西を行き来するには、南の海岸線に沿った街道か、
北にある山脈越えの細く険しい街道を通るしかなかった。
その北の街道は、勾配のきつい斜面と深い渓谷に挟まれた、馬車
1輌がやっと通れるくらいの細い山道だった。そして街道に沿った
渓谷は登りきった辺りで滝になっており、その上は緩やかな流れに
変わっている。街道もその辺りだけは川原に沿う形になり、行軍時
の休息地点して打って付けであった。むしろ行軍のような大所帯で
は、ここしか考えられない。
ルシはそんな場所を見渡せる山肌に身を隠していた。
少ない軍勢で大軍を相手にする場合、相手を殲滅しての勝利など
ほぼありえない。
いかに相手の戦意を失わせ、退却に持ち込むかである。
ルシはその最も効果的な方法として、まず一つは﹁指揮官を倒す﹂
ことだと考えた。
特に傭兵の場合はそれで総崩れになる。指揮官が居なければ誰も
自分の戦果を報告してくれる者が居なくなる。つまり俸給に影響す
るのだ。
それでもまだ戦おうとする者は居るだろうが、指揮官なくしてま
ともな戦は成り立たない。
317
もう一つは﹁兵糧を無くす﹂である。
遠征軍の場合食料が無くなれば戦どころではない。補給物資を待
つと言う事もありうるが、今回はそれは無いと踏んでいる。戦の準
備期間が短かった事、勝ち戦でしかもあっと言う間に終わると見込
んでの出陣なのだから。
ルシが身を隠して数刻後に長い隊列を組んだビズルトラ軍が姿を
現した。
予想通り川原で野営の準備を始めるようだ。ここから先の険しい
街道を真夜中の行軍は自殺行為なのだから当然の結果と言える。
ルシは兵糧部隊の位置と指揮官のテントの位置を確認する。他に
も各地に散らばる部隊長クラスの所在も確認している。
野営の準備が終わり、それぞれが浮かれた雰囲気で食事をとって
いる。
勝ち戦と信じて行軍。
砦もすんなり通すカノン兵の体たらくぶり。
経過時刻を考えても、カノン側から進軍は考えられない。
ビズルトラ軍が浮かれるのも道理である。
もちろんカノン側の現状を知らせる早馬は到着していない。
辺り一面が闇に覆われた頃には、松明を片手に巡回する兵士は居
るものの、ほとんどの者が安心しきった様に寝入っていた。
そこに突如雷鳴が轟いた。
318
戦 その2
川にそって細長く広がった野営地の後方でそれは起こった。
辺り一面が昼間の様な光りに包まれると、眼前の山々が崩壊した
と思わせるような凄まじい轟音が鳴り響いたのだ。その後に続く複
数の爆発音で野営地は騒然とした。
突如上空から襲った幾つもの雷光は、野営地を狙ったかのように
テントや荷馬車を次々と直撃、炎上させていった。
この雷はルシの雷撃魔法だった。それも上級魔法に分類される超
強力なものだ。
今の時代にこんな高度な魔法を知る者は存在せず、誰もそれが魔
法による攻撃だとは理解していなかった。
寝起きで現状を理解できない者、火に包まれ水を求め逃げ惑う者、
皆を落ち着かせようと必死で叫ぶ者、どうして良いか解らずただ戸
惑う者、混乱した暴れ馬に蹴られる者。
ビズルトラ軍は収拾がつかないほどの混乱振りを見せた。
ルシが最初に狙ったのは兵糧を積んだ荷馬車群だった。
次に狙ったのが指揮官と思しき男が眠るテントである。
辺りの暗さと兵たちの混乱ぶりで指揮官の生死までは確認できな
かったのだが⋮⋮。
さらに上級の雷撃魔法を部隊長クラスが眠るテントに落としたか
ったが、流石に魔力の消費が激しくこれ以上は無理のようだった。
319
もし魔王クラスの魔人達なら一人でも1万の兵を殲滅出来たかも
しれないが⋮⋮
しかしそれでも上級の雷撃魔法である。たった2発とはいえ数百
人の兵士が死んだはずだ。
一万の内の数百では微々たるものだが、それでもまだ彼方此方で
雷の爆発による炎が猛威を奮い、死傷者を増やしている。
ここでルシが炎の魔剣レーヴァテインを鞘から抜いた。
魔剣の剣身を炎のようなオーラが纏わりつく。
ヴァルザードから譲り受けた魔剣のオーラとは根本的に違う禍々
しいオーラだった。
この混乱に乗じて奇襲を掛けるのは当然のことであった。
感情が欠片もない表情で野営地を眺めるその瞳が氷の様に研ぎ澄
まされていく。
﹁死にたくない者は、今すぐこの場を去れっ!﹂
そう叫ぶと大剣かと思しき魔剣を片手にルシが疾走した。
もしこの混乱の中でそれを見た者が居れば、揺らめく一筋の炎に
見えたかもしれない。
混乱する敵兵の中に飛び込むと手当たり次第に斬撃を繰り出して
いく。
いつ呼吸しているのかと思わせるほど、一瞬たりともその身体が
止まることは無い。
真紅の炎の揺らめきも、その速さにもはや閃光と化し、縦横無尽
に闇夜を斬り裂いていく。
驚いた事に魔剣に斬られた兵士はすべて炎に包まれていった。こ
320
れが炎の魔剣と言われる由縁なのかもしれない。
ビズルトラ軍はますます混乱の一途を辿る。
声が聞こえたから、夜襲だということだけは判断できただろう。
しかし敵兵の数を知ろうにも、姿さえ見えない。反撃を仕掛ける
ことすら出来ないでいた。
挙句の果てには、恐怖に駆られた兵士が闇雲に剣を振り回す始末
である。とうとう同士討ちまで始まってしまった。
しかし何時までも混乱が続くという訳でもなかった。
雷による炎上と魔剣で斬られた者達の燃え上がる炎で闇と言う状
態では無くなっている。
その上目が慣れてくれば少しの灯りでもある程度見えるものであ
る。
無尽蔵と思われるルシの体力にも陰りが見え始め、一切止まらず
斬り続けることが難しくなってきた。時折止まり呼吸を整える、そ
してまた疾駆する。
たまにテントの陰に隠れて一時の休憩を取る。と言っても数秒間
程度だが。
止まってしまえば敵の目にもはっきりそれが映った。黒っぽい衣
装と白金の髪が。
﹁敵は白髪の男だっ!﹂
白髪とは失礼な話であるが、暗がりでは仕方が無いのかもしれな
い。
﹁うろたえるなっ! 火を消せぇー﹂
﹁無闇に切り掛かるなぁ、体勢を整えろぉ!﹂
各地で指示を飛ばす者達が居るようだ。その者達が指揮官なのか
部隊長クラスなのかルシには判断が付かなかった。10人隊長程度
321
の者かもしれないし、戦慣れした傭兵かもしれない。それでも指示
をだす兵士を先に斬り殺して行った。
神速は鈍くなっているが、それでも常人が捉えられるスピードで
はない。ルシが疾駆した後には死体が山の様に転がっている。即死
でなくても、炎に包まれた身体ではすぐに息絶える事になった。
すでに魔剣で斬り殺した数は100をゆうに越えているだろう。
しかし幾ら斬り殺してもその数が減ってるようには思えなかった。
﹁一体なにがあったんだっ!?﹂
﹁敵襲だぁっ!﹂
﹁白髪の恐ろしく強い男だ﹂
﹁俺はしってるぞ、あいつは﹃神速のルシ﹄だっ!﹂
﹁なにっ! 魔王の剣を盗んだ奴かぁ﹂
︵くそぉ!どんどん集まって来やがる︶
ルシが思う通り、前方からどんどん兵が押し寄せてきている。
一万の軍勢を抱える野営地は遥か見えない前方まで続いているの
だから当然のことだった。
﹁敵の数は?﹂
﹁おそらく1人だぁ﹂
﹁たった一人になんて様だぁ!﹂
﹁敵はたった一人だぞぉ、囲めぇっ﹂
﹁弓隊は隊列を組めぇ!﹂
﹁槍隊、布陣せよ!﹂
さらに混乱も治まってきた。おそらくしっかりと指揮出来る者が
いるのだろう。
ルシもそれを感じ、指示する声が聞こえると、すかさずそこに跳
322
び魔剣を振るう。返す刀でその周りの者も斬り倒す。
同時にそろそろ引き時だと考えていた。
自分の体力にも限界がある、それに魔力の回復もしたかったのだ。
﹁敵の動きは早いぞっ! 無闇に切りかかるなぁ﹂
﹁弓隊構えー。奴の動きが止まったら合図を待たずに撃って構わん
!﹂
そんな指示が聞こえた後だった。ルシが止まった瞬間に弓隊の放
った矢が一斉にルシを襲う。 普段のルシなら全て叩き落すか、神
速で躱していただろう。または風魔法によるシールドで矢の向きを
変えることも可能だった。
﹁矢があたったー﹂
﹁怯んだぞー、今だー﹂
﹁逃がすなぁー 止めを刺せぇっ!﹂
全て叩き落したつもりだった。まさか自分に矢が当たるなど想像
もしていなかった。
だが確実に数本の矢が分の身体に突き刺さっている。
敵の目にもそれがはっきり見えたようだ。
もともと敵兵の返り血で元の色が判らないほど赤々と染められた
衣服が、鮮血によりさらに滲んでいくのが解る。
完全に引き時を誤ったのだ。今逃げれば焦りが生まれた敵兵の心
に余裕が生まれる。
︵今引く訳にはいかないが⋮⋮︶
ルシはとっさにテントの陰に身を隠した。
そこで突き刺さった矢の身体から出ている部分だけを折って捨て
る。
抜いてしまえば痛みもマシになるのだが、出血がさらに酷くなる。
323
ここで回復魔法を使う余裕がない今、この状態で戦うしかなかった。
刺さった矢の数は3本、左肩、左脇腹付近、右足太股。
足と腹部の傷はルシのスピードを極端に落とすことになる。
︵どうする?︶
ほんの刹那の自問自答。
ルシは敵兵の前に姿を現した。
﹁出てきたぞぉー 弓隊っ!﹂
苦痛を表情に一切出さず、残像を残し消える。弓隊から見て横に
跳んだのだった。
残像に次々矢が強襲する。
次の瞬間に弓隊の前に姿を現したルシは一人一人確実に致命傷を
与えていく。
しかし、その後ろに陣を敷いた槍隊が一瞬遅れるものの次々と槍
突きを繰り出してきた。
︵ぐぅっ!︶
神速を無くしたルシは、ここでも敵の攻撃を受けてしまう。
左頬と左腕から鮮血が飛散った。
突き出した槍に肉を突き刺す手ごたえを得た者が叫ぶ。
﹁殺ったぞぉー!﹂
﹁獲ったぞぉー﹂
もちろん致命傷ではないが、敵兵の嬉々たる声が響き渡る。
それでもルシは止まらない。そこに居た全ての弓隊を斬り終える
と、すかさず後方の槍隊を殲滅した。
さらにそれを指揮していた部隊長らしき男も斬り殺した。
火達磨となった死体の山が出来上がった。
弓で射ても、槍で突いても怯むことなく襲い掛かる男に恐怖する。
324
焦る心に恐怖と任務遂行が葛藤していた。
しかし恐怖がそれに打ち勝った瞬間だった。
血がどんどん流れ出す体は今にも倒れそうだった。
体中に激しい痛みが襲う。しかしその痛みで失神せずに済んでい
るのかもしれない。
﹁化け物だぁー﹂
﹁に、逃げろー﹂
とうとう逃げ出す兵が出てきた。恐怖の波はさらに拡がりを見せ
る。
戸惑い逃げ出す兵を纏める指揮官が居ないのだ。
ここまで来ると瓦解は早かった。
ルシに襲い掛かる兵より逃げ出す兵のが多くなってきた。
逃げる兵には目もくれず、まだ戦意を残す兵をどんどん倒してい
く。
薄れる意識の中、ただ目に映る動く物を追うように。
ビズルトラ軍にはルシが人間だと思う者は居なくなっていた。
死神が大鎌を振り回しているように見えたかもしれない。
辺り一体、動くものは無くなった。死体の山と、彼方此方で燃え
る人、馬、馬車。
その中心に禍々しく揺らめく真紅のオーラを纏った一人の死神が
立っているだけだった。
もちろん敵全てを倒したわけではない。1割程度倒したかどうか
くらいだろう。
少し離れた位置にはまだ数多くの敵兵がいるのは解っている。し
かしほんとにそろそろ限界だった。敵側も恐怖のあまり攻撃できな
くなっていた。
325
ルシはここで一端、その身を完全に隠すことにした。
ビズルトラ側の回復は望むところではないが、自分自身の回復が
どうしても必要になった。
夜明けにはまだ時間がかなりある。
休むなら夜中の方がいい。
︵少しやすもう⋮⋮︶
326
戦 その2︵後書き︶
いつもありがとうございます。
327
戦 その3
ディーエス山脈の最北に近い場所に弧を描きながら伸びる細い街
道。山脈の中でも最も標高が低い2000メートル級の山間に位置
するため最も高い位置で標高1500程度である。それでも冬とも
なれば辺り一面銀世界となり街道としての役割を果たさなくなる。
戦場と化した川原から山中に入ると針葉樹が群生する深い森と化
す。その森の奥深くにルシはひっそり身を潜めていた。傍らには愛
馬のブライが見守るように控えている。
身体を横たえたルシは、矢が刺さった箇所に手をそっと添えた。
その手が薄赤いオーラに包まれると矢が自然と抜け傷口が塞がって
いく。魔法により細胞の動きを活性化させ自己治癒能力を飛躍的に
向上させるのだ。
普段なら常に身体全身をオーラで包み自己治癒能力を向上させて
戦う事も可能なのだが、上位雷撃魔法での魔力消費が事の他大きす
ぎた為、出来る限り魔力を消費する行動は控えていたのだ。
しかし出血が酷い今は止血が最優先だった。傷を塞ぎ止血を完全
に終えると夜明けまで眠る事にした。
︵夜明けまではまだだいぶある、それだけ寝れば魔力もだいぶ回復
するか︶と考えていた。
その頃ビズルトラ軍はルシが消えてからも、半時ほどは誰も物音
一つ立てず、その場に固まっていた。その恐怖からか中々動き出せ
なかったのだ
しかしルシの存在が消えた事をようやく悟ったのか、一人が動き
出すと、目が覚めたように一人、また一人と動き出す者が増えてい
った。
328
﹁あいつはどこにいった?﹂
﹁死んだんじゃないのか?﹂
﹁いや、たしかに森に向かって行った﹂
﹁ゆっくり近づいてみよう⋮⋮﹂
﹁あ、あぁそうだな﹂
怯えながらも、恐る恐る殺戮のあった場所に近づいていく。
無数の焼け爛れた味方の死体があるだけで、ルシらしい死体は見
当たらない。
お互いに声を掛け合い仲間の生存を確認していく。そして現状の
把握に努めた。
総指揮を執る上将軍の生存は確認出来ず、遺体も見つからなかっ
た。更に各小隊の部隊長も半数が消息不明である。生存を確認出来
たのは最前線に近かった部隊の部隊長達だった。
そしてまだ燻っている火の消火を行い。灰と化したテントや荷馬
車の確認である。ここで初めて兵糧部隊が全滅している事に気がつ
いたのだった。
騎士がそれに気付き部隊長に報告すれば箝口令も敷けたのだろう
が、運悪くそれに気付いたのは傭兵達だった。半時を待たずしてそ
れは全軍に知れ渡る事となった。
治まりかけていた混乱がまた再び部隊を襲う。
﹁飯が無くてどうやって戦うんだっ!﹂
﹁指揮官はどこだぁ!﹂
﹁補給物資は何時届くんだっ!?﹂
彼方此方でこう言った声を張り上げる者が出てくる。もちろんそ
329
れは傭兵である。
しかし国に忠誠を誓う騎士達はまだなんとか自制心を保っていた。
﹁まだ暗くて全部確認出来ていない。騒ぐのは全て確認してからに
しろっ!﹂
﹁この暗さではどうせ身動きが取れん。とりあえず夜が明けるまで
待てっ!﹂
落ち着いた声だが、辺りに響く大きな声で傭兵達を抑えようとす
る。
渋々傭兵達も口を閉ざしていく。考えるまでも無くこの闇の中で
は逃げ出すことも容易ではない。少しだが灯りのある野営地を離れ
る事など出来ないのだ。
一方、一つの大きなテントに部隊長達が集まり今後の相談をして
いるようだ。
指揮官が居ない今、誰が指揮を取るのか。それが最初の議題だっ
た。
ここに残った部隊長は皆同じ将軍職にある。本来なら皆がこぞっ
て指揮官の代理を務めたかったであろう。勝ち戦ならそれが当然で
ある。
しかし兵糧部隊壊滅という現状では戦どころではない。そんな軍
の指揮官代理などになれば下手すれば全責任を負わされる事になる。
誰もなりたがるはずは無かった。
結局押し付けあうだけで指揮官代理は決まらなかったが、部隊長
が消息不明の部隊に関しては、その部隊の騎士を適当に選出して部
隊長代理として無理やり押し付けた形となった。
﹁どうしても決まらないのであれば、各部隊毎に部隊長の判断で行
動するというのはどうだ?﹂﹁そんなことをすれば、各個撃破され
330
かねんぞっ!﹂
﹁しかしこの街道は狭すぎる。
固まっていたところで味方が邪魔になって動けないではないか?
それなら部隊毎に少し距離を置いた方が良く無いか?﹂
﹁うむ、で部隊毎に動くとして、貴公の部隊はこの後どうするつも
りだ?﹂
﹁⋮⋮やはりここは一端本国に戻ろうかと思う﹂
﹁しかし、それでは⋮⋮﹂
﹁うむ。お叱りで済まぬのは解っておる。しかし兵糧なくして戦は
出来ない。ちがうか?﹂
﹁た、たしかにそうだが⋮⋮﹂
﹁しかし、本国に戻るにも兵糧なくしてどうする?﹂
﹁いや、しかしだな⋮⋮﹂
﹁それに、あのルシという男が死んだとは思えん。正直2度と戦い
たくは無い﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
結局各部隊、部隊長の指示で動く事になった。しかも全軍撤退が
一致した。
そして東の空が明るみを帯びてきた。
改めて兵糧部隊が全滅していることが確認されると皆呆然として
いる。そこに各部隊長が撤退命令を下し、即座に撤退が開始された。
細長く伸びた隊列を組むビズルトラ軍は足取りも重く意気消沈し
た面持ちだった。それも当然のこと、今更王国に戻ったところで俸
給は望めない。まかり間違えば指揮官や部隊長を死なせ、おめおめ
帰ってきた罪にも問われかねない。
騎士のように忠誠心が無い傭兵はそこかしこで逃げだす者が現れ
た。しかし今更それを引き止める事もしなかった。
331
そんな退却を決めたビズルトラ軍の最前列を進む部隊の真ん中に
突如ルシは現れた。
傷は全快しているがまだ少し貧血気味である。貧血のため魔力も
殆ど回復出来ていなかった。 これは誤算と言えるが、敵が軍を返
していたのは大きな収穫と言えた。もう少し粘られるだろうと予想
していたのだ。指揮系統の乱れはルシの思惑以上の効果を上げたと
言える。
魔剣を片手に敵陣に突っ込むとルシ最大の持ち味である神速を大
いに発揮し手当たり次第に敵を斬り倒していく。
彼方此方でルシの残像が現れては消える。敵兵は何人ものルシが
存在しているかの錯覚を覚えた。
真夜中と違いはっきり見える視界のなかをルシは現れては残像だ
け残して消える。または残像も残さず消える。もはや自分達が束に
なっても適う相手ではないとはっきり理解したようだ。
もう誰もルシに向かっていく者は居なかった。ルシより前方に居
た兵達は一目散に国境の砦を目指して逃げ出す。後方に居た兵達は
逃げたくても、この現状を知らず退却してくる後方部隊が邪魔で思
うように逃げる事も出来ない。将棋倒しの様になり大混乱を起こし
ていた。
ルシは自分より前方にいた部隊が逃げ去り見えなくなると、後方
部隊を追撃する。そこはルシから逃げようとする兵と退却しようと
する兵が入り乱れた場所である。
いっぽう、ルシから逃げ国境の砦へと向かったビズルトラ軍は、
待ち構えていたカノン軍から雨の様な矢を浴びせられていた。砦の
門を少しだけ開けてビズルトラ軍が密集するのを待ち構えていたの
332
だ。もちろんこの時の為に昨日から全ての兵で矢を大量に作ってい
たのだ。
昨日ルシが訪れた時の指示はこういうものだった。
砦の門を全開にしビズルトラ軍を素直に通す事。これは砦や門を
壊されない為だった。
次にビズルトラ軍が去ったあと、出来るだけ大量の矢を作ること。
ビズルトラ軍は1万という大軍だが、500前後の兵に別れて戻
ってくるので、その時に門を少しだけ開き密集したところに大量の
矢を浴びせる。それでも逃げ切った兵は無視して、殺した兵をすぐ
さま隠せ。というものだった。
砦を守る守備隊長はカノン王の書状もあるので、仕方なくルシの
指示に従って行動していたのだが、本当に数百の兵が逃げてきた。
どうやったのかは全然知りえないことだが、実際にビズルトラ軍が
逃げてきたのだ。渋々仕事をこなしていた守備隊達も、此処に来て
真剣な表情に変わっていた。一兵たりとも逃がすまいと大量の矢を
降らせていた。
こうしてほとんど反撃も無く、逃げてきた半数強のビズルトラ軍
を矢で射止めると、数刻後にまた数百の別のビズルトラ兵が逃げて
くる。ルシの言ったとおり一定間隔の時を置いて次々と敵が逃げて
くる。大量に作った矢が無くなるまでそれは続けられた。
北の街道を抜けようとしたビズルトラ軍はその半分以上を失うこ
とになった。もちろん生き残った傭兵達はビズルトラには戻らず、
どこかに消えてしまっている。実際ビズルトラに戻った兵は1割ほ
どだったという。
333
その頃王女が率いるカノン軍約2万の軍勢はようやく南の街道に
ある国境に到着していた。
334
戦 その4
カノン軍がディーエス山脈南の国境に位置する砦に到着した時、
ビズルトラ軍は砦まで1日程度の距離にいた。強行軍のおかげで予
定より早い到着と言えた。
強行軍を心配する王女だったが、その心配が無用だったかのよう
に、兵達はまだ余裕の表情を浮かべている。
それもひとえに士気の高さと、その士気を維持する王女の同行だ
っただろう。
それは出陣直前のことだった。
国王ならまだしも、王女が戦に同行すると言い出した時には、誰
もが驚愕した。
反対する声はもちろんだが﹁王女様お止め下さい﹂と泣き叫ぶ民
衆まで居たほどだ。
しかしキャノ王女は断固として反対意見を受け入れなかった。
﹁お願いしたわたくしが、どうして安全な城で待っていられるので
すか?
戦場は一箇所ではないのです。ですから陛下は城を動く訳にはま
いりません。
いざと言うとき、戦を止める者が必要なのです。
陛下が動けない以上、それはわたくしの勤めです﹂
それはつまり、自分の首をもって戦を終わらせると言う事だった。
そうすることで兵や民を守るという事なのだ。
この王女の言葉を聞いた者達は、はじめて知る事になった。
335
広場の演説で、王女が﹁わたくしが命を懸けます﹂と言ったその
意味を⋮⋮
もちろんその言葉を疑った者など誰一人として居なかった。
しかし、それをこんな形で示されるとは思わなかったのだ。
普段、優しく控えめな口調の王女とは思えないほど、しっかりし
た物言いだった。
結局、王女の決意の固さを知って、それ以上反対出来る者は居な
かった。
ビズルトラ軍との衝突まで1日の猶予があるので、先に第2の砦
を造ることになった。
多くの女性も志願兵として集まったので、その者達を中心に野戦
食の準備も行われる。
その中にはキャノ王女も入っていた。
いっぽう、ヴァルザード達は山脈に沿って南北に伸びる、もはや
廃道と化しつつある古道を南下していた。
山脈と森に挟まれたその古道は、馬車も通れない細い道である。
昔はこの道沿いに村があったのだが、それも今は廃村と化し住む者
は居ない。よってこの道も廃道と化しているのである。
そんな古道を選んだのは、南の街道に向かったであろうカノン軍
と合流するためである。
ルシと王女が予定通り事を運んでいれば、今頃カノン軍は進軍を
開始している。ならばキャメロン王都に寄る理由は無い。
ほぼ昼夜走りづめで、馬はもちろんヴァルザード以外の女性陣は
悲鳴をあげていた。馬には可哀想だが王国の一大事とあっては致し
336
方ないのだろう。
廃村と化した村で短い一夜を過ごした一行は次の日の夜にようや
くカノン軍に追いついた。
それはちょうどカノン軍が野営の準備が終わろうと言う時、王女
が給仕をしている、まさにそんな時だった。
﹁どうやら間に合ったみたいね﹂
キャミが安堵の表情を浮かべ王女の手を握る。
少し驚いた表情の王女だが、すぐ笑顔に変わった。
﹁お姉様、ありがとう、皆さんもほんとうにご苦労様です﹂
ヴァルザード一行に王女自ら深々と頭を下げた。
もちろんヴァルザード達は恐縮しそれ以上に深々と頭を下げるの
だった。
皆が数日振りの再会を喜び合う中、クーだけが辺りをキョロキョ
ロと見回している。
﹁どうしたの? クー﹂
いち早くクーの素振りに気がついたシェラがクーに問う。
﹁ルシ様が居ない⋮⋮﹂
﹁そう言えば、居ないわね?﹂
クーの言葉で初めて思い出したようにルシを探す。
﹁ルシ様は北の街道に向かわれました⋮⋮でも、皆さんと合流して
るのだと思ってましたが?﹂ すこし困惑の表情に変わり、遠慮が
ちに述べる王女。
﹁そうなのですか? 私達は山脈沿いの古道を通りましたゆえ、行
き違ったのかも知れません﹂ さらに困惑する王女。それを心配す
るようにキャミが口を開いた。
﹁キャノ? どうしたの? なにかあったの?﹂
﹁いえ、あの、ルシ様が北の街道はヴァルザード様がと⋮⋮﹂
意を得ない言い様にヴァルザードが顔をしかめ遠慮がちに王女に
337
問う。
﹁私が北の街道とは、どういう意味なのでしょうか?﹂
﹁はい、北の街道はヴァルザード様に名案があるので兵を回さなく
ても良いと、ルシ様が申されまして⋮⋮﹂
﹁なっ!﹂
﹁まさか⋮⋮﹂
皆が驚愕した。
︵ルシ君、死ぬ気なのか︶
この時ヴァルザードは気がついた、ルシが1人で北に向かった事
を。しかしそれを此処で言えば、この娘達の動揺は計り知れないも
のになる。
特にこの娘は一人ででもルシを追うだろう。とクーにさりげなく
視線を向けた。
その小さな身体は小刻みに震え、目の焦点が合っていない。さら
に蒼白な顔色をしていた。
しかし、それはクーだけではなかった。シェラやキャミも同様だ
った。此方の驚愕ぶりで王女にまでそれが解ってしまったようだ。
﹁あ、あぁ、そこのとならルシ君と2人で手は打ってありますよ。
今頃ルシ君も此方に向かってるはずですのでご心配なく﹂
ヴァルザードは咄嗟に嘘をついた。そして王女に﹁北の街道は防
いだ﹂と皆に伝えてくださいと付け加える。さらに目で﹁大丈夫、
ルシ君を信じましょう﹂と訴えた。
王女は小さくしかし力強く頷き、指揮官達にそのことを伝えに言
った。
指揮官達からそれを聞かされた兵士達は大いに喜び、さらに闘士
を膨らませることになった。
キャミやシェラも、ヴァルザードと王女のやり取りを見て、今に
もルシの元に向かおうとした自分を抑えることができた。
しかしクーだけはちがった。咄嗟にヴァルザードが腕を掴まなけれ
ば、馬に飛び乗って駆け出していただろう。
338
﹁離せっ!﹂
クーの涙を湛えた瞳がヴァルザードを睨みつける。
﹁落ち着け。今君が行ってどうなる? どっちにしろ間に合わない﹂
しっかりクーの両肩を掴み、さらに視線をクーと同じ位置まで落
として訴える。
﹁そんなこと、関係ない、私はいくっ!﹂
﹁俺も君と同じ気持ちだ。シェラ君もキャミ君もだ。だが俺達はこ
こを死守しなくちゃいけないんだよ。それがルシ君の指示だ。君は
ルシ君の言う事が聞けないのかい?﹂
クーにとってルシの命令は絶対だった。いや、ルシの役に立てる
ことが生きがいだった。
﹁でも、ルシ様が⋮⋮﹂
﹁俺はルシ君を信じるてるよ。キャミ君やシェラ君も信じてるから
此処を動かないんだ。なのに君はルシ君を信じられないのかい?﹂
クーがキャミとシェラに視線を向けると2人は﹁私は信じてるわ﹂
と頷いた。
数十秒の間がクーの身体から徐々に力を抜いていった。
﹁解った﹂
項垂れるクーの頭を撫でようと、ヴァルザードがそっと手を持っ
ていく。
パシィッ!
渾身の力でもって、それは打ち払われた。
﹁いたっ! い、痛いじゃないか君ぃ﹂
叩かれた手を摩りながら涙声のヴァルザードをクーが睨みつける。
﹁私に触れて、良いのは、ルシ様だけだ﹂
そう言ってさらに、掴まれていた肩を、埃りを払うように叩いて
いる。
︵ルシ君、もし君が無事に生きて戻ったら、俺が殺してあげるよ︶
半泣き状態で、そう誓うヴァルザードだった。
そんなヴァルザードを6つの冷たい視線が見つめていた。
339
カノン軍の兵士達は暖かい食事とキャノ王女の笑顔で、ここが戦
場だということを忘れる程楽しい一時を過ごしている。
キャノ王女もこの3人と同じようにルシを心配しているのである。
しかしそれを一切面に出さずに兵士達をねぎらう様にヴァルザード
は驚嘆の声をあげそうになった。
︵これがまだ14歳の少女なのか⋮⋮︶と。
そして食事を取ることにしたヴァルザード達。
疲れ果てた身体を癒すように暖かなスープを味わっている。
ヴァルザードとしては、あとはぐっすり眠れさえすれば大丈夫だ
と思うものの、この娘達がルシのことを気にし寝付けないのではと
心配したが、疲れきった身体が脳に思考を許さなかったのか、横に
なるとすぐに眠りについてしまったようだ。
そんな3人に安心したヴァルザードも寝る事にした。
いっぽう、南の街道を進むビズルトラ親征軍は、間諜の報告でカ
ノン軍が2万強で迎え撃つ体勢をとったとを知った時は、驚愕や困
惑といった表情で軍全体に大きな衝撃が走ったものだが、途中で地
方の兵と合流し5万の大軍と化したときには﹁カノン軍など、しょ
せんは寄せ集めの雑兵にすぎぬ!﹂と一気に士気を持ち直して行軍
を進めていた。
340
戦 その5
翌朝夜明け前からヴァルザード一行は王女達が集まる一際大きな
テントに呼ばれていた。
﹁ヴァルザード様にお願いがございます﹂
第一声はキャノ王女だった。
﹁はっ、なんでございましょう?﹂
﹁カノン軍の総指揮を執って頂きたいのです﹂
﹁なっ⋮⋮﹂
王女の為なら死ねますよ。などと考えていたヴァルザードも流石
に絶句した。
﹁そ、そんな大任を私に、でございますか⋮⋮﹂
﹁はい、ヴァルザード様が適任かと思いますので﹂
﹁しかし、こちらに歴戦の上将軍がいらっしゃるではありませんか
?﹂
﹁えぇ、そうなんですけれど⋮⋮﹂
困惑の色を見せ始めたキャノ王女。それに気付いた上将軍であり
近衛騎士隊長のロドハイネックが小声で﹁よろしいですか?﹂と王
女に伺いを立ててから口を開いた。
﹁実に申し上げ難い事ですが、私を始め此処に居る上将軍はほとん
ど実戦を知りません。長年の平和のためなのですが戦の経験がない
のです。砦や国境付近の小さないざこざ、盗賊、山賊、魔獣の類は
守備隊や警備隊で事足りますし、それできついようなら冒険者ギル
ドに依頼します。ですのではっきり申しまして、これほどの戦の指
揮を執れる者がおりません﹂
申し上げ難いと言いながらも、淡々と述べるロドハイネック。
341
﹁なるほど、そういった事情がおありでしたか﹂
頷きながらも︵王宮での件で嫌われたかな?︶などと考え、しか
し︵騎士と言うのはやはり固いな︶とも考えていた。
﹁そういう事ですので是非ヴァルザード様に総指揮をとって頂きた
いのです﹂
改めて懇願するような瞳で見つめる王女。
﹁解りました。では不肖ヴァルザード、王女様の為この命捧げまし
ょう﹂
渋るヴァルザードだったが、王女の申し出に大仰しく頭を垂れて
いる。
﹁いえ、お命は大事にして下さい⋮⋮﹂
そこで上将軍の一人がおもむろに口を開いた。
﹁して、ヴァルザード殿、敵の進軍を5日凌げばビズルトラ軍は瓦
解すると言う事だそうですが、それは如何なる理由なのですかな?﹂
﹁は? それはどういうことでしょう?﹂
ヴァルザードには寝耳に水である。
﹁ヴァルザード殿の策略で5日凌げば瓦解すると⋮⋮ルシ殿が仰っ
てたのですが?﹂
︵またあいつは俺をはめたのかっ!︶と思いつつ口には出せず誤魔
化す事にした。
﹁ま、まぁその件については、このヴァルザードにお任せください﹂
顔を引きつらせながら、溜め息混じりに返答する。
﹁いや、しかし﹂
﹁失礼します!﹂
と、そこに入り口から大きな声が掛かった。
皆一斉に入り口に視線を送り、ロドハイネックの﹁入れ﹂と言う
言葉で騎士が入室してきた。
﹁報告します。ここより西20キロの地点にてビズルトラ軍が陣を
342
構えている模様。確認した時点ではまだ動きはなかったとのことで
す﹂
騎士の報告に対しテント内に緊張が走る。しかしそれはほんの一
瞬のことだった。
﹁ご苦労。また何か解かったら頼む﹂
そう答えたのはロドハイネックである。
報告に来た騎士は恭しく頭を垂れて退出した。
﹁いよいよ来たか﹂
﹁では、時間もありません。現状の作戦をお聞かせ願いたい﹂
ヴァルザードは上将軍の質問をうやむやにしようと話を切り替え
た。質問した上将軍も時間が惜しいと思ったのかそれ以上の追求は
しなかった。
そしてロドハイネックより現状の作戦の説明を聞かされた。
﹁なるほど、あくまで守り主体で砦を造りながら後退と言う訳か。
たしかに岸壁と崖に挟まれたこの地形なら可能なのか⋮⋮ しかし
石や煉瓦などはどのくらいあるのです?﹂
眉間に皺を寄せ厳しい表情でヴァルザードが質問する。
﹁はい。今も王都から運んでいるのですが、第2砦を造るのにも予
想以上に必要でしたので、第3砦を造る頃には使い切ってしまいそ
うです﹂
﹁そうですか﹂
それだけ答えると考え込む様に瞑想する。可能かもしれないが、
かなり難しいと思ったのだ。︵砦を放棄するタイミングもそうだが、
果たして砦が壊される前に次の砦を造り終えるのか? 第2砦はま
だ完成していない様だが見るからに脆い。壊すより造る方が遥かに
時間が掛かる。いかに長時間砦を守りぬけるかが勝負だな。ただ矢
の雨を降らせるだけでは⋮⋮︶
343
数分瞑想しおもむろに目を開けると、ヴァルザードは作戦の変更
を指示していった。
まず第3砦を構築を中止。その代わり出来るだけ第2砦を強固な
ものにする。
防壁の上から矢を降らせるだけでは長時間砦を維持するのは厳し
いと、それ以外の対応を指示していった。
王女や上将軍達は驚愕の表情を示す部分もあったが、味方兵の死
傷を出来るだけ少なくする為ですと、強引に押し切った。
その作戦を上将軍達が自分の部隊の小隊長に伝えると、まずは部
隊の再編成である。
砦の防壁から弓で攻撃する射弓部隊。
砦の防壁から投石器で攻撃する投石部隊。
その射弓隊、投石隊を守る為の風魔法部隊。
その射弓隊、投石隊に矢や石を運ぶ供給部隊。
砦の門の内側に鶴翼の陣を敷く槍部隊。
怪我人を治療する治癒魔法部隊。
さらに、砦内で死んだ敵兵を片づける部隊、崖から石を調達する
部隊、敵が放った矢を集める部隊、門を開閉する部隊、第2砦を強
固する部隊など、実に細かく編成を行った。
もちろん間諜部隊は既に動いている。
そして新たに間諜からの報告が来た。
﹁ビズルトラ軍第一陣が今からおよそ2時間前に進軍を開始した模
様。その数約5000、それを10の隊に分け、破城槌や雲梯も数
基確認されました﹂
﹁よし、編成が済んだ部隊から直ちに防御体勢を整えよっ!﹂
﹁はっ!﹂
︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱
344
﹁敵部隊を視認しましたっ!﹂
物見塔からの声である。
その数分後には防壁上からでも視認出来る位置まで敵が進軍して
来た。
各部隊が所定の位置に着いている中、ヴァルザードだけは門の上
で敵の動きを見ていた。その横にはシェラが待機している。
キャミは治癒魔法部隊に、クーは風魔法部隊にそれぞれ入ってい
る。リンは既に獣化しているものの、クーの足元を離れない。
リンはある意味クーよりもルシに忠実だった。たとえ尻尾化して
いても周りの状況は全て把握している。人の声も聞こえればその動
きも解る。そして人の心も。
だからルシが一人で北の街道に向かったことも知っていたし、そ
の覚悟も知っていた。それでも黙ってルシと別れたのだ。それはま
さに身が引き裂かれる想いだった。
しかしルシの言葉が﹁4人を守ってくれ。だがお前も絶対死ぬな
よ﹂だったので、今この地にいるのだ。今はルシのことを忘れ4人
を命に変えても守るつもりでいる。そしてこの戦いが終わり、万が
一ルシが死んでいたら自分も死ぬつもりだった。
﹁じゃシェラ君、あとは頼む。君の冒険者としての感を信頼してい
るよ﹂
シェラの返事を聞く前に、ヴァルザードは防壁の上から内側に飛
び降りた。
シェラの任務はヴァルザードに敵の動きを伝え、門の開閉の指示
だった。
ヴァルザードは総指揮をする立場にありながら槍部隊に入るよう
345
なのだ。
これは王女をはじめ上将軍達からも異を唱えられた。
王女は、ヴァルザードが危険すぎるど苦言し、上将軍達は総指揮
をする立場で、全体を見通せない場所に居るのはおかしいと言うも
のだった。
346
戦 その6︵前書き︶
良いのか悪いのか、今回は少し長くなりました。
347
戦 その6
ビズルトラ軍は最前列に破城槌を押し出してきた。
破城槌は車輪の付いた台に巨大な丸太を固定し、さらに矢から守
るように屋根が取り付けてある。丸太の先端には金属で補強もされ
ている。
屋根に守られた兵達数十人が人力によって台を走らせ、その台に
固定された丸太の先端を扉にぶつけて破壊するという代物である。
﹁突っ込めぇーー!﹂
﹁うおぉぉぉ!﹂
突如雄たけびとともにビズルトラ軍の破城槌が土煙を上げて走り
出した。
破城槌の目指す先は砦の扉である。
その後方から歩兵部隊の盾に守られ弓隊が後に続く。
シェラの視線は破城槌を捉えている。破城槌の速度と扉までの距
離を見定めているのだ。
﹁破城槌に続いて、歩兵弓部隊も来たわ!﹂
了解! というようにヴァルザードが手をあげる。
ヴァルザードも一応は扉内側の小窓から外を見ている。それでも
防壁上から見ているシェラの目が必要だった。地上からでは後方ま
では見渡せないからだ。
﹁﹁射てー!﹂﹂
カノン軍からも、一拍を置いて斉射の命令が下った。
待っていたかの様に射弓部隊と投石部隊から敵歩兵部隊、弓部隊
348
へと一斉に矢と石が飛んでいく。
投石器から放たれる石は直径10から20センチの大きさがある。
そんな石が直撃した盾は一発で木っ端微塵となり、それを持つ歩兵
まで致命傷に近い傷を負う。
さらに矢に対しても、数本は耐える様だが、それ以上だと盾が壊
れ盾を失った歩兵、それに守られた弓隊はことごとく倒れていく。
ビズルトラ軍はあくまで先陣の歩兵達は使い捨てにしか思ってい
ない様である。
それを聞いた王女は、﹁出来るだけ投降を進めてください﹂とヴ
ァルザードに頼んでいた。
王女の優しさを知るヴァルザードは、この王女ならそう言うだろ
うなと苦笑しつつも了解の意を示す。
もちろん了解した以上、時折で良いからと、投降を進める檄を飛
ばす指示を出している。
そんな矢の雨降る中、それでも進み出た弓隊からカノン軍防壁上
に矢が放たれる。しかしそれもカノン軍の魔法部隊による風魔法で
ことごとく方向を変えられる始末である。
さらに破城槌が扉にぶつかろうとする時、シェラの右手が上がり
それと同時に凛とした声が響き渡った。
﹁今よ。扉開けてっ!﹂
扉開閉部隊もその声を待っていたかの様に、一気に扉を開ける。
﹁おぉぉぉ!﹂と言う掛け声で扉がギギギギィときしむ音を出して
開かれる。
数十人に押されて進む破城槌が急に止まれる訳も無く、そのまま
砦内に吸い込まれる。
﹁閉めてぇー﹂
すかさず扉は閉められた。
349
後続部隊は扉前に取り残され、成すすべも無く矢の雨に襲われる。
しかしビズルトラ軍からは、扉をこじ開けた様に見えていた。
物見やぐらに登り戦状況を知らせる兵から﹁扉が開きました!﹂
との声を聞くと指揮官など大いに喜び
﹁おおぉぉぉ! 突っ込めぇっ﹂などと歓声が上げている。
いくら堅固な扉であっても、巨大な破城槌で何度もぶち当たられ
れば破壊は免れない。それならばいっそのこと扉を開けてしまえと
いうことだ。その一瞬に入り込める敵兵の数など、たかが知れてい
る。
飛び込んできた破城槌を、待っていたのは鶴翼の陣を敷く槍部隊
だった。
抵抗する者はその場で槍の餌食になり、素直に投降した者は後ろ
手に縛られ捕虜となる。あっと言う間の出来事だった。
鶴翼の陣。
敵に対して両翼を前方に張り出し、﹁V﹂の形を取る陣形である。
通常は相手より兵数で劣っているときには使われないのだが、直
進してくる敵軍を翼包囲することで大きな成果を上げ、さらに自軍
の被害を抑えることが可能な防御に適した陣形である。
カノン軍は兵数において大きく劣っているものの、扉の開け閉め
で敵を分断、少数のみを相手にしその不利を打ち消している。さら
に扉という狭い範囲を通ることで敵兵は一直線に成らざるを得ず﹁
V﹂の型を狭めて対応し敵の動きを封じ一気に殲滅しているのであ
る。
飛び込んできた破城槌をどけ、捕虜及び死体を片づけると、ヴァ
ルザードは射弓及び投石部隊の攻撃の手を少し弱める様に指示をだ
350
す。
攻撃が弱まったことを知らされると、ビズルドラ軍の指揮官はこ
こぞとばかりに一気に兵を送り出す。歩兵、弓隊のみだったが雄た
けびを上げながら防壁を目指して駆けて行く。
その一団が防壁に近づいた時、シェラの右手がまた上がり扉が開
かれた。その開かれた扉目指して兵達が雪崩れ込んで来る。
100ほどの兵が砦の内に入った時点でシェラが扉を閉めるよう
に指示をだす。実際に数を数えている訳ではなく勘である。
ヴァルザードはシェラの力量を把握していた。砂漠遠征では同行
する予定だったのでギルド内での評価も長より聞いていた。実際に
同行はしなかったのだが、それでも数日共に旅することで、見えて
くる部分が沢山あった。例えば身のこなし、敏捷性、動体視力の素
晴らしさ等だ。もとよりヴァルザード程の達人になると相手の力量
はある程度見ただけで解るものである。
最初は剣撃部隊に入れる事も考えていたが、それより自分が実戦
部隊︵槍部隊︶に入り、指示役を彼女に回す方が得策だと考えたの
だ。それに彼女以外に任せられる者も居なかった。
扉が閉められた時点で突入できた兵はもはや籠の鳥と化した。降
参か死である。
突入当初は勢いもあり向かってくるものの、扉が閉まり味方がど
んどん倒されていくと歯向かう者も減りほぼ半数は降参していった。
戦い方、諦めの速さ、どうみても只の民兵のようだった。
扉の外にはまだ多数の兵がごった返している。雲梯を使い防壁を
登ろうとする者、斧や槍で扉を壊そうとする者、防壁の上に矢を射
る者。
だがそこには投降を進める声と矢が降り注ぐ。
防壁の上まで登りきれた者は居らず、それらの兵や扉を壊そうと
351
する兵は即座に狙われる対象になっている。
そしてまた扉が開けば100程度が雪崩れ込み、閉められる。そ
れの繰り返しだった。
さらに捕虜となった兵が砦内に増えたのは言うまでもない。
そんな応酬が何度か続く中、砦を奪取できない事に苛立ちを覚え
るビズルトラ軍だった。
﹁まだ砦を奪えんのかぁっ!﹂
﹁はっ! 味方の兵が相当数は侵入してると思われますが、なにぶ
ん民兵ばかりです。カノン軍も雑兵が多いとはいえ正規の騎士や傭
兵も砦内には沢山おりますゆえ、多少の時間がかかるものかと⋮⋮﹂
﹁では、此方も騎士隊を送り込めぇ!﹂
﹁は、ははっ!﹂
最初の破城槌で扉をこじ開けたと勘違いしたのがビズルトラ軍の
失態であった。その後の扉の開け閉めですら、砦内では戦闘が続い
ておりカノン兵が閉めればビズルトラ兵が開ける、その繰り返しだ
と勘違いしたのだ。
扉が開くたびに兵が雪崩れ込む、すぐ閉められるものの、また直
ぐ開く。砦を奪うのも時間の問題だと高をくくっていたのである。
ましてや突入した兵が半数近く死に残りが捕虜になってるなど知
る由も無かった。
そしてその日の戦は日暮れとともに終結し、ビズルトラの第一軍
は壊滅に近い状態だった。
それに引き換えカノン軍はほぼ無傷と言っていい。敵の矢で即死
したものを除けば魔法部隊による治癒魔法でほぼ傷は完治している。
さすがに疲れまでは回復出来ないが、炊き出し部隊が野戦食とは思
えない豪華な料理を作っている。それらを食したっぷり睡眠をとれ
352
ば明日も問題なく戦いに参戦できるだろう。
砦内では王女立会いの元、捕虜の尋問が始まった。
王女の命令で一切の拷問は無く、答えたく無ければ答えなくて良
いという形で行われた。
最初こそ口を閉ざし喋る兵は居なかったが、王女に真摯に見つめ
られ、優しく問いかけられると次第に口を開く兵が増えてきた。
これを傍で眺めていたヴァルザードや上将軍達は﹁甘すぎる﹂と
思ったものの、次第にその考えを改めていくしかなかった。
この王女が後にカノン国王になればカノン王国は安泰だろうと考
えていた。
最後に王女は捕虜達の前に立つと優しい笑みを浮かべた。
﹁この戦が終われば必ずお国へお返し致します。ですので今しばら
く我慢して下さい﹂
そう言って捕虜に小さく低頭したのだ。
さらに捕虜にまでカノン軍が食べる物と同じ食事を提供するよう
に指示していった。
これにはさすがに味方も捕虜も度肝を抜かれたものだが、誰も口
を挟む者は居なかった。
涙を浮かべる捕虜達は口々に感謝の意を表していた。
尋問︵ただの質問だったが︶が進むに連れて多くのことを口にす
る捕虜だったが、あまり得られる情報は無かった。
戦状況から予想していた通り、第一軍はほぼ民兵の集まりで捨て
駒だったこと、次に進軍予定の第2軍からが騎士傭兵及び魔法部隊
も加わる正規軍であること、民兵はもちろんだが、騎士や傭兵です
ら、この戦を好ましく思っていない者が多いことなど。
それらは間諜からの報告でほぼ解っていたことだった。
353
その夜、いや明け方に近かったか。ビズルトラ軍は夜襲を仕掛け
た。
このままおめおめと引き下がったのでは、厳しい処罰が待ってい
るだけだと思ったのかもしれない。雲が夜空に覆い月明かり、星明
りなど一切を隠してしまったからかもしれない。
音を殺し雲梯を担いだ兵達が防壁に近寄ってくる。さらに歩兵も
歩み寄る。
しかしヴァルザードが指揮する以上警戒を怠るわけがなかった。
夜の闇が危険なことは冒険者にとっては当然のことである。
雲梯を防壁に掛けた瞬間、防壁に灯りがともり雲梯が蹴り倒され
た。
防壁の上には昼間と同じ数の射弓部隊、投石部隊がずらりと並ん
でいる。
﹁死にたく無ければ投降しろっ! カノン国キャノ王女の優しさは
お前達の国でも聞き及んでいるだろう? 決して無慈悲な扱いはし
ない﹂
動揺するビズルトラ兵だった。
そして王女が防壁の上に立つと灯りがその姿を照らす。
闇夜に浮かぶ王女の姿は、灯りに照らされたことでさらに神秘性
を増したようだった。
風にそよぐ髪は神々しく煌き、透き通る肌まで光って見え、優し
い香りまで運んでくるようだった。ビズルトラ軍にはまるで天女か
女神そのももに見えただろう。
実際に天女や女神にも例えられる程の美貌なのだから当然なのだ
が、それでもビズルトラ側からすれば噂だけで実際に目にした者は
少ない。
354
﹁お願いします。これ以上無益な戦いはしたくはありません。帰る
ことが適わないのであれば、どうか投降して下さい﹂
その声は、今までに聞いたどんな音よりも優しく慈悲深いものだ
った。心に染み渡るその声に感動しない者は居ない。
その場にいた全てのビズルトラ兵は王女に跪き投降を願い出た。
残ったのは後方で待機していた指揮官と取り巻きの騎士達だけだ
った。
そして翌日は昨日の晴天が嘘のような曇天模様に見舞われた。
砦の西にはビズルトラの第2軍と思しき軍勢が陣を敷いている。
この新たな軍勢は第1軍とは違い重装備の騎士が目立つようだ。
見るからに正規軍が出てきた感じである。
もしこのまま雨か雪にでもなれば、大地は泥濘み重い破城槌を動
かす事は難しく、さらに重装備の騎士達も足を取られて思うように
動けないだろう。
まさに天がカノン軍に味方をしているようだった。
まさに重装備で隊列を組むなど、愚かしい行為だった。
しかしまだ雨も雪も降っておらず、大地も乾いている。そして号
令と共にビズルトラ軍が攻めてきた。
昨日の失敗に懲りたのか、今回は破城槌を数基並べ扉でなく防壁
を壊そうと突進してきた。
ヴァルザードもこれは予想の内だった。敵がこういう攻めをして
きた時の為に油を温存しておいたのだ。
ヴァルザードの指示の元、射弓隊は火矢を射た。布などに予め油
を湿らせそれを鏃に巻きつけて射るのである。
敵もそれを予想してたのか破城槌の屋根には水が掛けてあるよう
だが、幾千と降り注ぐ火矢には、まさに焼け石に水の如く、破城槌
355
は防壁に辿りつく頃には燃え上がっていた。
しかし燃え上がる破城槌からもくもくと黒煙が上がり防壁上の射
弓部隊や投石部隊の視界を奪い、弓を射る手がほとんど止まってい
る。
これをビズルトラ軍は好機と見た。一斉に扉を破壊しようと兵が
押し寄せたのだ、しかし結果は昨日と同じである。シェラの合図で
扉が開かれ雪崩れ込む、そして扉が閉まる。中の兵は鶴翼に敷いた
陣に良い様にあしらわれ、捕虜になるか死ぬだけだった。
実際に昨日の戦に参加した者が居れば同じ結果には成らなかった
のかもだが、新たに進軍してきた兵達はそんなことは知る由も無く
素直に扉内に雪崩れ込んだ結果だった。
そんな戦闘が続くなか空が次第に暗くなり雪に変わっていた。そ
れに伴い大地も次第に泥濘んでいく。重装備の騎士には弓が効き難
いが、泥濘んだ大地に足を取られる指揮たちは投石部隊の格好の餌
食と化した。
昼を回る頃には積雪でまともに動けないと判断したのか、ビズル
トラ軍は攻撃を止めた。全ての兵が陣に戻り寒さに震えているよう
だった。
そして今日の戦いもカノン軍の勝利といえる状況で終わる事がで
きた。昨日ほどの大差では無いにしろカノン軍の死者は殆ど居ない。
見張りを数名残し、今日も野戦食とは思えない料理に皆が舌鼓を
打っている。特に雪で気温もぐんと下がり、暖かいスープや煮料理
は大評判だった。
そして信じられない事だが捕虜の顔にも笑みが浮かんでいる。ど
356
うやら兵としてビズルトラ軍にいるより捕虜として此方に居る方が
待遇が上だと言うのだ。さらに王女は味方兵にはもちろんの事だが、
捕虜にまで﹁大丈夫ですか? 寒くはないですか? お食事は足り
てますか?﹂と声を掛けているのだ。
さすがに敵味方両方から呆れられるが、王女は気にした様子も無
く自分の食事も忘れ巡回しているのである。
そしてヴァルザード達も疲れを癒すように火を囲い食事を摂って
いた。
﹁皆、平気か?﹂
ヴァルザードが一同に声を掛ける。ヴァルザードはまだ余裕があ
るようだったが、女性陣はそうでもなかった。顔色を見るだけで一
目瞭然といった風である。
シェラは防壁の上で交代がいないままずっと任務を遂行している
のだ。その上敵から常に狙われ、なんど敵の矢を受けたかわからな
い。キャミが魔法部隊から抜けてシェラ専属の治療役を務めて無け
れば今頃死んでいただろう。それ故キャミも魔力消費が激しく憔悴
しきっている。
そしてそれはクーも同じだった。途中から魔法部隊を抜けシェラ
の防御専門に回り敵が射ってくる矢を風魔法で逸らしていた。その
小さな身体では魔力を使い果たしているだろう。
リンは3人を襲う敵の投石攻撃をその身で受けて防いでいた。純
白の毛並みは汚れその輝きを失っている。さらにリン自身の血で所
々赤く染まっていた。
もちろんシェラが交代出来ない以上この3人もずっと交代なしで
戦っていたのである。
そんな4人は声も無く頷くだけだった。
ヴァルザードはシェラにその役目を与えたことに後悔していた。
357
自分以外ではシェラしか任せられる者が居なかったのだが、今更言
ってもシェラの気性ではその任を譲らないだろう。後でルシに数発
殴られるだろうなと覚悟をしていた。
とにかく今晩はぐっすり眠らせ、もし夜襲が来ても、自分ひとり
で対処するつもりだった。
そして夜襲も無く夜は過ぎていった。
朝には雪も止み青空が広がっていたが、辺り一面銀世界だった。
ヴァルザードはこの状況が自分にとって有利だと思っていた。
昨日は第2砦が完成していた。それも第1砦より強固な物が出来
上がっている。それに引き換え第1砦はだいぶ傷んでおり扉は既に
半壊に近い状態である。
そろそろ次の段階だと思ったのだ。
そして第1砦の門は開かれた。
防壁の上の射弓部隊、投石射部隊はそのままである。扉内側の鶴
翼の陣も同じである。唯一変わったのはヴァルザードの守備する立
ち位置であった。
昨日までは扉の小窓から外を覗き、扉を開き敵を誘い込んだ時に
臨機応変に攻撃するのみで、鶴翼の陣に加わって居た訳ではなかっ
た。
しかし今は違う、扉は開かれたままなので窓を覗く必要は無い。
鶴翼の陣の両翼の真ん中より少し前方、つまり門の少し外側と言
った場所に立っているのだ。 まさにその位置は全ての敵を1人で
相手することになる場所だった。
もともとヴァルザードはルシのように神速で動くタイプでは無い。
じっと構え、その神速の槍捌きで戦うタイプなのだ。
この積雪で敵の動きも鈍くなる。自分はもともと動くタイプでは
358
無いから持ってこいの状況と言えた。
そしてこれならシェラ達の負担もだいぶ減るだろうとも考えてい
た。すべて自分に攻撃が集中するのだから。
いっぽう、ビズルトラ軍は、このあまりにも無防備な守りに、罠
でもあるのかと攻め倦んでいた。ヴァルザードにしてもあえて挑発
はしない。時間が過ぎる事は望ましいことなのだ。
しかしそれは何時までも続かなかった。業を煮やした様に、敵指
揮官の声がこだまする。
﹁ええぃ、どんな罠があろうと構わん。歩兵つっこめぇっ!﹂
﹁うぉぉぉ!﹂と言う掛け声で歩兵が一斉に走り出した。その手に
は槍が握られている。前方に突き出した穂先でヴァルザードを突き
殺そうと考えているのだろう。
しかし門近くまで来るとその足が止まった。
ヴァルザードの持つグングニルの蒼白い魔法のオーラに恐れをな
したのか、ヴァルザード自身から湧き出るような、闘気のオーラに
戦慄を覚えたのか。
とにかく誰もが動きを止めヴァルザードを凝視していた。その目
には畏怖の念が見え隠れしている。
後方から﹁突っ込めぇ!﹂と叫び声が聞こえるが、誰も耳に入っ
ていないようだった。
﹁投降しろっ! そうすれば決してお前達を傷つけはしない﹂
後ろの声は聞こえなくてもヴァルザードの言葉は聞こえたようだ
った。皆が困惑の表情を示し、﹁おい、どうする?﹂などと囁き合
っている。
﹁武器を捨てて入って来い。命の保障はしてやる﹂
﹁俺は死にたくないっ!﹂
359
﹁投降するっ﹂
﹁俺もだぁ﹂
そう言う声が彼方此方で聞こえだすと、武器を捨て両手を上げて
砦内に駆け込む兵士で溢れかえった。
歩兵のほとんどが居なくなると、後ろに控えていたのは騎馬隊と
弓隊だった。
さらにその後ろに居る指揮官が苦虫をかみ殺したような顔でヴァ
ルザードを睨んでいる。
﹁おのれぇ! 雑兵の分際で、あとで皆殺しにてやっぞぉー。 え
えぃ、弓隊、そいつを射殺せぇぇ!﹂
その合図で弓隊が一斉にヴァルザードに向けて矢を放った。数百
と言う矢がヴァルザードめがけて飛んでいく。
ヴァルザードの顔が冷笑に変わる。そして槍を風車の如く回し出
した。
槍が見えない速度で回ると、蒼白い円盤がヴァルザード前方に出
現する。
弓隊から射られた矢は、その蒼白い円盤に吸い込まれると四方八
方へと弾き飛ばされていき、その殆どが折れ曲がるか真っ二つにな
っていた。
弓の斉射が終わると、無傷のヴァルザードが仁王立ちしている。
そのヴァルザードを見て震え上がらないものは居なかった。皆そ
の場で後退りしている。
﹁なにを恐れているっ! 相手はたかが1人だぁ、騎馬隊突っ込め
ぇ!﹂
騎馬隊がその速さを生かし、突っ込んでくるが、馬の速さに突き
の速さを上乗せしても、ヴァルザードの突きには適わない。すべて
馬から突き落とされて行く。馬だけがそのままヴァルザードの横を
360
抜けて砦内にと入っていった。
馬から落とされた兵達は死んでは居なかった。ヴァルザードが致
命傷を避けて突いたのだ。
﹁お前達、次は命がないと思え。 死にたく無ければ武器を捨てて
投降しろ﹂
しかし騎士である、傭兵や民兵とは違い降伏は良しとしないので
あろう。誰も武器を捨てることなく、立ち上がってきた。
そして次々とヴァルザードに突っ込みことごとくグングニルの餌
食となっていった。
しかし、そんな戦いが何時までも出来るわけではなかった。
ヴァルザードの表情に曇りが生じている。槍捌きにも精彩を欠い
ている。その身体には小さいけれど多くの傷が目立ってきた。ヴァ
ルザード自身もそろそろ限界だと思い始めていたその時。
﹁閉めてぇっ!﹂
凛とした声が響き渡る。シェラの声で扉開閉部隊が渾身の力で扉
を閉めた。その一瞬前にヴァルザードはバックステップで砦内に戻
っていたが、その顔に苦笑が浮かんでいる。
︵最高のタイミングだったよ︶
この作戦を話した時に、皆から無茶だと止められていた。
﹁そろそろ門の耐久が限界に来ている。最後に一度、門を開け放ち
出来るだけ敵を倒し、閉めた時点で第1砦を放棄しようと思う﹂
皆が首を傾げる。ヴァルザードの言い分をあまり理解できていな
いのだ。
﹁つまり、今までの様な開け閉めでは、もう扉が持たない。あと1
度か2度で破壊されると思う。だから1度の開門を出来る限り長く
して、その間に多くの敵を討つ﹂
361
﹁なるほど、ヴァルザード殿の言い分は解りました。しかし長時間
の開門は味方兵をも減らす事になりませぬか?﹂
﹁今までの鶴翼の陣ならそうなるだろう。だから少し変化をもたせ
る﹂
﹁変化とは、どのような?﹂
﹁俺が門の前に立ち、1人で敵を迎えうちます。後ろに逃れた兵を
鶴翼が殲滅する。そういう方法です﹂
﹁なにを馬鹿な⋮⋮﹂
﹁そんなことをしたらヴァルザード様が危険すぎます﹂
﹁ヴァルザードさん、死ぬ⋮⋮﹂
﹁いくらなんでもそれは無茶だ﹂
﹁いえ、仮にもこのヴァルザード、槍を握ればこの大陸で右に出る
ものは居ないと自負しております。数時間なら持ちこたえて見せま
しょう。その間に撤退の準備を進めて欲しいのです﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
皆が押し黙り、苦渋の表情を浮かべる。
﹁その数時間ってどのくらい?﹂
口を挟んだのはシェラだった。身分を考えると自分はこんな席に
いるのはおかしいと思っている。だから発言は控えていた。しかし
聞かずにはいられなかったのだ。
しかし誰も咎めるものなど居ない。シェラが自分達以上に戦に貢
献している事を判っているのだ。
﹁んーそれは難しいが、俺の体力が限界に達した時かな? 俺も死
にたくはないからね、その辺は自分で判断して合図を送るよ﹂
﹁解ったわ、ただし、私の目から見て限界だと思ったら直ぐ門を閉
めるわよ?﹂
﹁⋮⋮あぁ、了解した﹂
ヴァルザードは一瞬考えたが、シェラなら読み違える事は無いだ
ろうと納得した。
そうしてこの作戦が実行されることになった。
362
そしてシェラは最高のタイミングで扉を閉めたのだ。あまりにも
良すぎたタイミングにヴァルザードも苦笑を浮かべてしまったのだ。
扉が閉まると、一斉に撤退が始まった。
もちろんただ逃げる訳ではない。
敵から奪った破城槌等を、扉を塞ぐように配置し火を付けていっ
たのだ。
これで門が壊せても、直ぐには進入は出来ないだろう。
﹁皆、第2砦内側に急げっ!﹂
第1砦は火に包まれ、カノン軍は全て第2砦内側に避難していた。
363
戦 その6︵後書き︶
戦まだ終われませんでした。
長くなりすぎた感もありますが⋮⋮
364
戦 その7︵前書き︶
今回も少し長くなりましたが、第1章完結です。
365
戦 その7
今は第1砦と呼んでいるが、もともとこの街道にカノン側の砦は
1つしかない。よって第1砦などと言う名称もない。この戦いで新
たな砦を建設した為に第1、第2と区別しているに過ぎない。
そしてもともとあった砦がカノン側の放った火により炎上してい
るのだ。
砦の外壁は焼煉瓦と石を組み上げたもので外敵からの火責めで燃
える事はないのだが、砦の内部はそれだけではない。各部屋や通路
は木の柱や梁で補強されているし、机やベッド、家具その他燃える
ものはふんだんに置いてある。それらに油を撒いて火を点けたのだ。
ビズルトラ軍は黒煙が上がる砦の前で、指を咥えただ自然鎮火を
待っていた。
早々に火を消しカノン軍を追いたいところだが水の調達が出来な
いのだ。岸壁の下は海なのだが、そこから水を汲み上げることも出
来ず近くに川も無い。雨を期待するくらいしかなかった。
ようやく火の勢いも治まりかけた時には、空に月が登り星もチラ
ホラ輝き出していた。
第2砦の防壁上でただ1人ビズルトラ軍の動向を窺っていたヴァ
ルザードの口からは安堵の溜め息とともに独り言が零れていた。
﹁今日は此処までだな﹂
それが聞こえたのか背後から答える者がいた。
﹁これで3日守りきったことになりますね﹂
振り返るとそこにはキャノ王女が1人立っていた。美しく背筋を
伸ばした立姿、月の光りに照らされた豪奢な金髪の煌き、透き通る
ような肌は薄っすらオーラを発してるかの様にさえ感じさせる。だ
366
が闘気や魔力の波動は感じない。おそらく王者のみが放つ威光、王
威と言うものだろうか⋮⋮しかしそれが目に見えるなど聞いたこと
が無い。この王女は﹃王の中の王﹄たる存在なのかも知れないな。
などと考えていた。
﹁どうかなさいましたか?﹂
呆けた様な表情のヴァルザードに訝しく思ったのか首を傾げてる。
ヴァルザードはその言葉で我に返り、微かな笑みを浮かべる。
﹁い、いや、そうですね⋮⋮。あと2日でルシ君の言っていた5日
です。どうにか持ち堪えれそうです﹂
﹁はい、これも全てヴァルザード様のおかげです﹂
そう言って小さく頭をさげ、笑顔を向ける。
﹁いえ、これほどの士気を保たれた王女のお力と、それに答えよう
とする国民全ての団結力によるものです。私はただ背中を少し押し
たに過ぎませんよ﹂
﹁わたくしなど、なにもお役に立てなくて⋮⋮﹂
ほんとうに申し訳なさそうに、その表情は暗い影を落としてしま
った。
そんな表情の王女をみて、なんとか話題を変えようとする。
﹁そんなことはありませんが、それよりこんな場所にお一人で来ら
れるなんて、護衛の者はどうしたのですか?﹂
少し困ったような素振りを見せる王女。
﹁四六時中護衛の方が居るわけではないので⋮⋮﹂
︵なるほど、こっそり抜け出してきたわけか︶
﹁そうですか、しかし夜風はお体に障ります。お部屋に戻られた方
がよろしいかと?﹂
﹁はい、ですが1つお聞きしてよろしいでしょうか?﹂
﹁えぇ、構いませんよ。どういったことでしょう?﹂
王女の顔から笑みは消えている。その瞳は真っ直ぐ射抜くように
ヴァルザードを見ていた。
﹁⋮⋮ルシ様のことです﹂
367
それだけ言うと王女は俯いてしまった。その肩は微かに震えてい
る。
ヴァルザードは王女を安心させる言葉を探してみた。しかしこの
王女に誤魔化しなど通用しないだろうと、その考えを打ち消し本当
の事を言う事にした。
﹁わたしにも何とも言えません。しかしあの男が5日と言ったから
には、きっと何かあるはずです。それを信じているから、今こうし
て此処を死守している訳です﹂
﹁そ、そうですよね﹂
﹁上将軍達が噂をしているのは私も知っています。しかし王女まで
不安な表情を見せれば彼等の噂を助長することになります。王女の
姉君であるキャミ殿も、その仲間達も信じて待っているはずです。
王女も信じてあげて下さい﹂
﹁いえ、もちろん信じています。ただ⋮⋮心配で⋮⋮﹂
﹁ルシ君は幸せ者ですよ。王女や姉君達のような美しい女性に心配
されて。大丈夫です。必ず無事に戻ってきます。安心して後2日待
ちましょう﹂
ヴァルザードとしては、そう言うしかなかった。
﹁はい⋮⋮﹂
﹁さ、ここは冷えます。お部屋にお戻りください﹂
﹁はい、ではそうさせて頂きます。ヴァルザード様も絶対に⋮⋮無
理は為さらないで下さいね﹂﹁ありがとうございます﹂
王女は憂いを帯びながらも笑みを浮かべ﹁では﹂と言ってその場
を立ち去った。
︵しかしルシ君、君はなにをしている? ほんとうに1人で1万の
軍勢を相手にしてるんじゃないだろうね? 守りならともかく攻め
でそれは無謀すぎる行為だよ。それに万が一、北を撃退出来たとし
て、こっちはどうする気なんだ? 1人で背後から攻め上がる気な
のか?︶
368
4日目の朝を迎えた。
カノン軍は更に強固に造られた第2砦に陣を敷いている。
しかし、扉を開けて少数を引き込むという手は通用しないだろう。
開いた扉が閉まらないように工夫することも考えられる。もしくは
完全に扉の破壊だけを目的とするかもしれない。
さらに言えばこの砦を突破されたら、後は王都まで隔てる物は何
も無い。
なんとしても此処で食い止めなくては行けない。しかしヴァルザ
ードとしては、ビズルトラ軍の背後から来ると思われるルシの為に
も、守りだけではなく少しでもビズルトラ兵を減らしたかった。
ヴァルザードは防壁の上に立ちビズルトラ軍を見ていた。
横にはシェラをはじめキャミ、クー、リンも同じものを見ている
のだろう。
その左右には、昨日までと同じように射弓部隊、投石部隊がずら
りと並ぶ。
いっぽうのビズルトラ軍は、全身を覆う白銀のプレートアーマー
を着込んだ騎士達を中心に
左右に型の違うプレートアーマーを着込んだ一団も見える。
﹁どうやら親政軍のおでましかな?﹂
﹁じゃぁ、あそこにビズルトラ国王もいるの?﹂
﹁多分いるだろうねぇ﹂
﹁じゃ、あそこまで行って王を倒したら、この戦も終わるんじゃ?﹂
目をキラキラさせてそう言ったのはクーだった。
それを聞いていた全ての者が絶句している。
369
﹁君は無茶を言うねぇ⋮⋮。仮にだよ、王が一歩も動かず、その場
から逃げないと言うなら、ルシ君なら可能かもしれない。でもそこ
までだよ、生きて帰ってくることは出来ないだろうね﹂
﹁そ、そうか⋮⋮﹂
皆の表情が一気に沈んでいく。
ルシの名を出した事がまずかったとヴァルザードは思った。が、
それどころではなくなった。 いよいよビズルトラ軍が動き出した
のだ。
﹁来た⋮⋮﹂
﹁あぁ、じゃぁくれぐれも気をつけてくれたまえよ﹂
そう言うとヴァルザードは前方に飛び降りた。
すかさず2人の騎士がシェラ達の前に立った。その手には大型の
盾が握られている。
ヴァルザードがシェラ達の為に新たに手配した者達だった。
ビズルトラ軍の騎士達は、その強固なプレートアーマーと鋼鉄の
盾で安心しているのか、昨日のヴァルザードを見ていないのか、悠
然と闊歩してくる。
ガシャガシャ! と鎧の結合部がぶつかり合う音が辺り一体に響
き渡る。
ヴァルザードが口元を歪め苦笑する。
︵そんな鎧や盾、この魔槍グングニルの前では紙くず同然なのだよ
⋮⋮︶
そう思ったのも束の間、すぐ表情に陰りが生まれる。
︵しかし⋮⋮︶
何を思ったのか、それ以上は考えるのをやめたようだ。
騎士隊が迫ったところで、ヴァルザードが一応の口上を述べる。
﹁あー、無理だとは思うが、投降しないかね?﹂
﹁問答無用に願う。負け戦でもあるまいに、投降などありえんっ!﹂
370
﹁なるほどね。じゃ死んでも恨むなよ﹂
﹁ええぃ、かかれぇー﹂
﹁﹁うおぉぉぉ!﹂﹂
一斉に騎士団が槍を突き出し、一心不乱に突っ込んで来る。
敵が間合いに入った瞬間、ヴァルザードの目が一瞬確かに光った。
と同時に蒼白い閃光が横一直線に走る。ヴァルザードが見えない速
度で魔槍を横薙にしたのだ。
ヴァルザードに迫っていた前方の騎士5人の鎧が同時に縦割れを
起こし、そこから噴水の如く血が噴出している。もちろん手に持つ
盾も真っ二つに割れていた。
その一瞬で辺りは凍り付いてしまった。
金属のぶつかり合う音も消え、声を上げるものさえ居ない。ほん
の数秒のことだが、完全の静寂に包まれた。
今はまだ射弓部隊も、投石部隊も攻撃を始めていない。これも作
戦の内だった。
プレートアーマーや盾など、ヴァルザードには紙くず同然なのだ
が、射弓部隊には大きな障害になる。ヴァルザードの槍には、そん
な装備は﹁重く動きにくいだけで無駄だ﹂と悟り、取り払ってくれ
る事を願っていた。だからあえて攻撃させなかったのだ。
しかし、やはりそれは甘かった。
﹁臆するなぁ!、敵は1人、騎士団の名誉に掛けて突き崩せぇ!﹂
後方で1人馬上の騎士が叫んでいる。
﹁﹁おぉぉぉ!﹂﹂
騎士達は死を恐れぬ軍団の如き、死んだ仲間を踏み越えて次から
次へとヴァルザードに襲い掛かる。
ヴァルザードはその殆どの攻撃を受けることなく、一薙ぎするご
371
とに数人単位で倒していく。
カノン軍からは防壁上の投石器から無数の石を飛ばしている。さ
すがに石が直撃した鎧は、大きくひしゃげ、中の騎士は無事では済
まないようだった。
射弓部隊は、敵が鎧と盾が取り払われないと解った時点で後方へ
下がり、代わりに出てきたのが革袋の様なものを持った部隊だった。
彼らはその革袋を敵の騎士隊めがけて投げつけている。その袋の中
身はどうやら油のようで、一通り投げ終わると、火矢を装備した射
弓部隊と入れ替わり、次々と火矢が射られていく。
たちまち騎士達は燃え上がり、その熱さで踊り狂っているように
見えた。
止む終えず鎧を脱ぎ捨てる騎士達。もちろん盾にも火が付いて捨
てる者も居る。
そうなれば、火矢は必要なく、普通の矢が雨の如く降り注ぐ。
ヴァルザードは数時間そうやって敵を退け、疲れると一端、砦内
に消える。閉められた扉は敵兵によって攻撃を受ける訳だが、ヴァ
ルザードが休憩しているときは、矢の狙いは扉に群がる騎士に集中
される。
砦は扉外側を狙い易いように﹁V﹂型を更に横に広げた形で造ら
せていたのだ。
そんな攻防を続ける中、ヴァルザードは休憩するたびに傷の回復
をしてもらうのだが、最初は﹁美女の治癒魔法は気持ちがいいねぇ﹂
などと軽口を叩いていたものの、回数を増すにつれ傷を負う量も増
え、軽口も叩けないようになって来た。
さすがに心配になるのだが、ヴァルザード以外にこんな真似を出
来る者が居るはずも無く、当の本人がまだ大丈夫だと言い張りやめ
ようとしない。
372
︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱
いっぽう、ルシは北の街道でビズルトラ軍を退けると、そのまま
国境を越えビズルトラ領に入り、南北に走る街道を南下した。その
ままディーエス山脈南側の街道を目指したのだ。
10数時間走ると30分程睡眠を取り、また10数時間走る。そ
の繰り返しで、約3日後にビズルトラ軍の殿軍に追いついた。
殿軍まで後数百メートルという位置に来ると、黒馬ブライから飛
び降りそのたてがみを擦る。
﹁ご苦労だったな。さすがに疲れたろう﹂
ブライは何も答えないが嬉しそうだった。
﹁お前ならオレの気配は判るな? もし消えたら国に帰れ﹂
ブライは何も答えない、しかしあきらかにその瞳は憂いを帯びて
いた。
﹁じゃ、とりあえず何処かに隠れててくれ﹂
ルシはブライに背を向けると、そのままビズルトラ軍の方に歩い
て行く。
風が後方から吹いている。
ルシはいい風だと思ったのか冷笑を浮かべている。
数歩進んだところで、おもむろに魔剣を鞘から抜いた。
いつものことだが、禍々しい真紅のオーラが揺らめいている。
その禍々しいオーラを見つめルシは呟く。
﹁今日は何人殺すのかな⋮⋮ なるほど魔王の剣だ﹂
そして身体を少し捻るように魔剣を大きく右に構えた。
373
ルシの瞳が暗い闇の底に沈んでいく。
すると魔剣が普段の禍々しさより、さらに激しく、まるで燃え上
がる地獄の業火のようなオーラに包まれた。
そこから魔剣を大きく振りぬいた。
ビュンッ!
風を切る音とともに、炎の波が殿軍めざして空を切る。
その炎の波は遠ざかるほど幅が拡がり、殿軍の最後部に居た兵士
を薙ぎ倒す様に斬り裂き炎に包んでいった。
まるで﹁世界をまるごと焼き尽くした﹂という異世界の神話の様
に。
ルシは先の戦いで、この魔剣のこういう使い道を理解していた。
肌で感じていたと言った方が良いかも知れないが。
しかし魔力を使い果たす寸前だった身体でそれを使うのを躊躇っ
たのだ。
戦いが終わり休憩した後、一度試して見たが魔力消費はあるもの
の、上位魔法を使うより遥かに少ない消費だった。
ルシは﹃炎の斬撃﹄を繰り出したあと、一直線に殿軍めがけて走
り出した。
﹃炎の斬撃﹄に襲われた殿軍は、突如燃え上がったとしか思えなか
ったのか、ルシの接近に全く気が付く様子が無い。
慌てふためき、統制を乱しきった部隊は脆かった。
ルシは一気にそのその中核に入り込み、手当たり次第に斬撃を繰
り出していく。
もちろん﹃炎の斬撃﹄ではなく普通の斬撃を。
しかしルシは一撃で殺すつもりは無かった。
﹃炎の魔剣﹄と称されるこの剣に斬られた者は、死のうが死ぬまい
が炎に撒かれるのだ。
374
殺してしまえばその場で倒れるだけだが、致命傷を与えなければ
炎に撒かれた兵士が群がる他の兵士に抱きつくなどして被害が拡が
る可能性があるからだ。
残酷な話だが、これは戦なのだ。
それに敵は数においで数倍を誇っている。敵に情けを掛けている
余裕などなかった。
時には一振りで数人を斬り炎に撒いていく。
魔剣を一振りする毎に、前へ前へと跳ぶように進んでいく。
ルシの目的は殿軍などではない。その前に居るであろう兵糧部隊
だった。
北の街道での戦いもそうだったが、兵糧を失った時の兵の動揺は
計り知れないものがある。
もちろん、今回の目的も兵糧部隊と最高指揮官。つまりビズルト
ラ王であった。
まだ体力の衰えを見せないルシは、ほとんど敵の目に触れること
なく進撃している。
赤くたゆたう魔剣の軌跡がまるで象形文字を刻むように、群がる
兵士の中を進んでいく。
ルシが走り去った後には炎に撒かれた人の群れが出来上がる。
ルシの姿を見たものは1割も居なかっただろう。
ルシの進撃は止まらなかった。いや、止まる事が出来無いのかも
知れない。
ここは北の街道の様に森に隠れるという事が出来ない。崖と岸壁
に挟まれた街道は身を隠す場所がないのだ。
一端止まってしまえば、敵に攻撃の猶予を与える事になる。さら
375
に陣形を敷かれるかもしれない。
止む事の無い進撃で、とうとう殿軍の先頭を越えた。前方の一団
までは100メートル近くあるだろうか?
ルシは殿軍とその前の一団の中間地点に止まると、後方に向き直
り大きく一振り﹃炎の斬撃﹄を浴びせた。
街道を横切るように燃え上がるそれは、炎の壁となってルシへの
追撃を困難にさせる。
混乱しきった殿軍にルシを追撃する余裕があったかは定かでは無
いのだが。
追撃がこない事を確認したルシは、すかさず前に向いた。
前方の一団は殿軍の狂乱状態に気が付いた様で、数人の兵が駆け
寄ってきていた。
しかし、今の光景を見て立ち止まっている。その両目は見開かれ、
わなわなと恐怖に彩られていった。
ルシは魔剣を大きく横に構えた。それを見た兵士達は一斉に背を
見せ逃げ帰っていく。
﹁悪いな⋮⋮﹂
そう一言呟いて、魔剣を大きく振り切った。
﹃炎の斬撃﹄は容赦なくその数人を斬り裂いて、更に前方の一団ま
でその威力は衰えることなく襲い掛かった。
そこに炎の壁が出来上がる。数十人はその場で倒れたが、それ以
外でも炎に撒かれ逃げ惑う兵士が多数確認できた。
ここに来てルシの顔色が少しずつ失われていった。
一瞬だが立ち眩みも起こしていた。
3日間殆ど休みなしで走ってきた所為か、先の戦いでの後遺症か、
あるいは魔剣のためか。
376
とにかく普段より体力の消耗が激しいようだ。
しかしのんびり休むわけにはいかなかった。意識を集中し走り出
す。
ルシは炎の壁を躊躇うことなく突っ切ると、前進しながら斬撃を
繰り出していく。
その速度は衰えたものの、的確に急所を外し殺さずにである。
そして大きな荷馬車が目に映った。それが相当数、前方遥か先ま
で並んでいる。まさに目的の兵糧部隊だった。
ルシは荷馬車に繋がれた馬を見ると、ほんの一瞬躊躇ってしまっ
た。
一瞬と言うには長すぎた時間だったかもしれない。しかし戦いの
最中に躊躇うなどまったくルシらしくない行動だった。
その躊躇った一瞬に、ズブッ!っという音が背後から聞こえた。
たたらを踏むように数歩前進するルシの身体に激痛が走る。
その痛みの元は背中に在り、ルシの背中に一本の槍が突き刺さっ
ていたのだ。
しかしルシはすぐさま、その場を跳び退いた。
その後に次々と槍が、その地に突き刺さっていく。
ルシは痛みをこらえて槍の柄をへし折ると、振り向きざまに﹃炎
の斬撃﹄を繰り出す。
新たに槍を投げようとしていた兵達はたちまち斬り裂かれ炎の塊
と化した。
次に荷馬車を見たときには躊躇いはなかった。
斬撃を浴びた荷馬車は一瞬で燃え上がり炎を塊と化す。そこに繋
がれた馬は声高く嘶き、突然走り出した。 377
ルシは兵士を無視し、荷馬車ばかりに斬撃を浴びせていく。
街道は炎と化した荷馬車が狂ったように走り、戦々兢々とする兵
士を薙ぎ倒し、いたる所に炎を撒き散らしていく。
街道は辺り一面が地獄絵図と化していった。
一見致命傷とも思える傷を負いながらも、攻撃の手を緩めること
なく突き進んでいく。しかしその足取りは遅く神速は見る影も無い。
1人斬る毎にその動きは落ちているように見えた。
敵の攻撃を躱す動きも鈍く、躱せているのが奇跡の様にも思える
ほどだ。
兵糧部隊の先頭を抜けた時には、とうとう片膝をついてしまった。
しかし、跪いた状態で背後に﹃炎の斬撃﹄を繰り出し、炎を避け
ながら追撃してきた兵を一気に蹴散らした。
背後では炎を壁で追撃は来ないものの、生存兵はまだまだ沢山居
るだろう。混迷を極めた様な状態では追撃の心配は無いかもしれな
いが、たった一人の槍が致命傷にもなりかねない。
ぐずぐずしていたら、何時槍が飛んでこないとも限らないのだ。
更に前からは敵兵が次々と走ってくる。背後から敵兵に襲われた
と思ってるのだろう。
しかしルシは今や意識も朦朧とし立ってるのもやっとの状態だっ
た。
顔には脂汗が滲み、見る影も無いほど精彩を欠いている。さらに
肩で息をし膝は笑っている。 身体を見れば至る所に傷があり、さ
らに血が噴出している。
﹁此処までか⋮⋮﹂
そう呟きながらも、前方に向けて﹃炎の斬撃﹄を繰り出す。
威力はだいぶ小さくはなってるものの、駆け寄る兵を斬り倒すに
は十分過ぎる威力だった。
378
さらに炎の壁により、当分は敵の襲撃は来ないかもしれない。
だがそんな時間で回復するものではない、逆に失血により気を失
う危険性もある。
どうやら傷を治癒する力もないようなのだ。
一瞬諦めかけたその時、背後から馬の嘶きが聞こえた。それも聞
き覚えのある声だった。
﹁ブライ?﹂
まさかと思い振り返ると、炎の壁を飛び越える黒毛の馬が目に飛
び込んできた。
太陽を背に黒光りするその体躯は、しなやかだが力強く神獣の風
格がにじみ出ていた。
黒馬ブライはルシの傍らまで来ると﹁背に乗れ﹂と言わんばかり
に四肢を曲げ跪いている。
﹁おまえ、助けに来てくれたのか⋮⋮﹂
しかしブライは何も答えず﹁早く乗れ﹂と急かすように首を振っ
ている。
そんなブライにルシは笑みを浮かべながらも背を向けた。
﹁すまん、オレは逃げるわけにはいかない。お前は国に帰れ﹂
そう言って魔剣を杖代わりに歩き出した。
するとブライは立ち上がり、ルシのベルトを咥えると自分の背に
放り投げてしまった。
ルシは落ちそうになりながらも、なんとかブライの首にしがみ付
く。
ブライはルシが掴まってる事を確認するとそのまま歩き出した。
その時、ルシの頭の中に声のようなものが聞こえてきた。
︵死ぬ時は一緒だ︶はっきり聞き取れなかったが、そう聞こえた様
な気がしたのだ。
379
﹁ブライ、今のはお前の声か?﹂
しかしブライは何も答えなかった。
﹁そうか⋮⋮ 相棒、目指すはビズルトラ国王だけだ。たのむぞ﹂
ルシがそう呟くと、ヒヒィィン! と一声上げブライが走り出す。
その速度はすぐさまりトップスピードとなり眼前の炎の壁を軽々飛
び越えていた。
群がるビズルトラ兵はブライとルシに驚きながらも、一斉に群が
ってこようとした。
しかしブライはそんな兵を見向きもしないですり抜ける様に走り
去る。
人垣ですり抜ける隙間もないときは敵の頭を踏み台にし更なる人
垣を飛び越える。
横隊列などで槍を突きつけられれば、垂直と思しき崖を重力を無
視するように走り抜ける。
ルシは空でも飛べるんじゃないかと思ったほどだった。
そして眼前に統一された鎧に身を包んだ騎士達が眼に映る。
その鎧は見事な白銀のプレートアーマーであった。
見るからに他とは違うその一団こそ親政軍だと判断しビズルトラ
王の姿を探すが、それはすぐに見つかった。
豪奢な屋根のない馬車に乗る、戦場に似合わしくない格好の男が
見に映ったのだ。
ルシはあれがビズルトラ王だと確信し、咄嗟に﹃炎の斬撃﹄を放
とうかとしたが、確実に殺す為には直に斬った方が良いと判断し、
ブライに﹁あいつだ、頼む﹂そう呟いた。
ブライは﹁わかった﹂と言う感じで首を縦に動かすと、一直線に
王が乗る馬車をめざした。
ビズルトラ兵達は口々に﹁その馬を止めろぉっ!﹂﹁陛下に近づ
けるなっ!﹂﹁陛下をお守りしろぉ!﹂などと叫び、群がる蟻の如
380
く入り乱れている。
そんな群がる兵を踏みつけて、ブライはどんどんビズルトラ王の
馬車に接近していく。
白銀の鎧を纏った騎士の槍が雨の如くブライとルシを襲う。
ルシはもともとだが、ブライも今は傷だらけであった。槍や剣で
傷つけられた箇所は数え切れず、幾筋も血が流れている。矢も何本
かは刺さったままになっている。
それでも脚と止めることなく速度さえ緩めずひたすら王を目指す。
ルシの視線はビズルトラ国王の顔をはっきりと捉えた。その顔は
恐怖に歪み今にも泣きそうな表情を浮かべている。これが一国の王
かと唾を吐きたくなる思いである。
そしてブライが王が乗る馬車のすぐ真横を飛び越える。
ほんの一瞬だが、ルシの間合いにビズルトラ国王が入ったその時。
﹁ビズルトラ王、冥界に落ちろぉ!﹂
真紅の炎がビズルトラ国王の首を薙いだ。
血飛沫とともにビズルトラ国王の恐怖に歪んだ顔が宙を舞う。
ビズルトラ兵達の動きがスローモーションの様に宙に舞う王の首
を眺めている。
ルシは気を失ったのかブライの首にもたれ掛る様な体勢で動かな
い。
ブライも着地と同時にふらつき、今にも倒れそうになりながら走
るとも歩くとも言えない速度で進んでいる。しかし目が見えていな
いのか意識が無いのか、向かう先にあるのは岸壁だった。
ブライはよろける様に岸壁から海へと真っ逆さまに消えていった。
︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱
381
ヴァルザードは限界と思いつつ最後の力を振り絞り敵の猛攻に耐
えていた。
しかし前方から﹁敵襲だぁ!﹂と言った声が聞こえると、ビズル
トラ軍が慌てたように引き返していく。
ほっとした思いと裏腹に嫌な予感が脳裏に走る。
何事かと前方を見るが、ヴァルザードの位置からでは何も見えな
い。
﹁シェラ君、ビズルトラ陣営になにかあったのか? そこからなに
か見えないか?﹂
防壁上のシェラに大声で聞いてみた。
﹁わからない。此処からじゃ何も見えない。ただ火が上がってると
思う。かすかに黒煙が見えるわ﹂
火と聞いてヴァルザードが直ぐに思い浮かべたのは﹃炎の魔剣﹄
だった。
﹁一日早いが、これがルシ君の言っていた﹁敵の瓦解﹂に間違いな
い﹂
ヴァルザードはそう叫ぶと、直ぐに馬を用意させ、一目散に敵陣
営を目指した。
シェラ達もすぐさま馬を頼み、ヴァルザードの後を追う。
しかしリンとクーだけは先に走っていた。
リンは既に敵陣の中に消えているが、クーは前方をよろよろと走
っている。
ヴァルザードにリンに追いつくと馬上に引き上げた。
﹁ありがとう﹂
珍しく素直に頭を下げるクーに、ヴァルザードは苦笑を浮かべる
だけだった。
しかし、その顔もすぐさま真剣な面持ちに変わり前方を凝視する。
382
クーは真剣と言うよりは悲痛な面持ちだった。
警戒しながらも敵陣に近寄ると、ビズルトラ軍は戦闘どころでは
なく大混乱だった。
﹁陛下が討たれたぁ!﹂
﹁兵糧が全て燃やされてるぞぉ!﹂
﹁撤退命令はまだかぁー﹂
﹁陛下が討たれて撤退命令も糞もあるかぁーオレは逃げるぞー﹂
﹁そうだぁー、撤退だぁ﹂
全軍が逃げるように、街道を西に走り出していく。
ヴァルザード達もルシを探しながら、ビズルトラ軍の逃げる方へ
向かおうとした時、
﹁ワゥン!﹂
リンの泣き声が聞こえた。
気が付いた時にはクーが馬から飛び降りて走っている。
皆がリンのいる場所まで行くと、そこにはルシの魔剣レーヴァテ
インがその輝きを失い、力尽きたように落ちていた。
それを拾おうとするクーをヴァルザードが止める。
﹁よせっ! その魔剣に触れるな﹂
普段のヴァルザードからは想像も付かないきつい口調にクーも驚
き、その手を止めた。
﹁それは人が触れるものではないのだよ。とりあえずロープで縛り
引っ張っていくしかないね﹂
その後カノン軍も加わりルシの捜索が行われたが、何一つ手がか
りは掴めなかった。
救いは﹃遺体が見つからない﹄という事になるのだが、万が一死
んでいるなら遺体が見つからないのは逆に不幸なことでもある。
383
︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱
ビズルトラ軍の侵略を退き、落ち着きを取り戻したカノン王国。
その主城ヴァイスレーヴェ。
今此処にキャミ、シェラはもちろん、クーとヴァルザードの部屋
も用意されていた。
キャミは王族専用区域内の一室を私室として与えられ、自由に外
に出ることも許されている。 シェラとクーは上将軍達と同等の部
屋を与えられ貴賓扱いになっている。
もちろんリンはクーと同じ部屋である。その純白の輝く体毛は貴
族女性に大いに人気を呼び、追い回される日々が続いていた。
ヴァルザードもシェラ達と同等の部屋だが、その扱いは上将軍で
ある。正式に着任した訳ではないが、すでに国王からの着任要請は
済んでいる。あとはヴァルザードの返答次第だった。
数日前、国主催の宴が催されることが決まり、それに伴い国王か
ら重大な発表があると告知されていた。
今日はその宴の日である。城門は広く一般に開かれ、多くの国民
が城の前庭に集まっていた。もちろん前庭だけでは入りきれないの
で、王都の大通りから中央広場まで多くの国民で溢れかえっている。
そして前庭から大通り、広場に至るまで、酒樽やテーブルが彼方
此方に置かれ城から振舞われる豪華な料理が並べられている。
これは国民に対する国王からの感謝の一環としてなのだが、それ
以外にも減税などが告知されていた。
384
そして国王からの国民に発表された内容はキャミのことであった。
キャミがハーフエルフで第一王女であると告げられたのだ。
国民の驚きは大変なものであったが、キャミがその姿を現すと、
その驚きは更なる歓喜へと変わって行った。
それもそのはず、キャミがビズルトラ軍の侵略に対する防衛線で
は最前線で戦っていたことを誰もが知っていたし、キャミに命を救
われた数多くの兵士は彼女を女神と呼んだ程だった。その上キャノ
に引けを取らない美しさも兼ね備えている。喜ばない者がいるはず
もなかった。
頭を下げ謝る国王に対し、国民の反応は狂喜乱舞の喝采だった。
﹁キャミ王女万歳!﹂
﹁可憐な王女姉妹に乾杯だぁ!﹂
﹁麗しき王女姉妹に栄光あれー!﹂
嵐のような喝采と万雷の拍手が2人の王女に贈られたのだった。
城に入れなかった大通りや広場の人々にも、すぐさま伝えられる
と王都中にその歓喜が拡がって行った。
宴も進み酔いが回ると防衛戦での話しで持ちきりになっていた。
そして酒によった国民達によってヴァルザードは﹃カノン国の英雄﹄
と祭り上げられ、さらには誰が名付けたのか﹃防衛戦の戦四美神﹄
としてキャノ、キャミ、シェラ、クーが演台に上げられ大いに酒の
肴にされたのである。
この時ばかりは、さすがにクー達にも僅かながら笑顔が見られた
のだが。ヴァルザードだけは、それが作り笑いであることを見抜い
ていた。
そして宴の席でルシの名前が挙がることは一度もなかった。
385
386
戦 その7︵後書き︶
今までお読み下さった方、感想を下さった方、お気に入りして下さ
ったい方、評価くださった方、本当にありがとうございました。
第1章はこれで終了です。
ここで一端、完結とさせて頂きますが、もちろん第2章は書くつも
りです。
その時はまたよろしくお願いします。
387
密談︵前書き︶
お待たせしました。
第二章ということで連載を再開いたします
よろしくお願いいたします
388
密談
深い森の中に幾つもの尖塔を持つ漆黒の城がそびえ立っている。
その中でも一番高い尖塔の最上階の一室。
全てが黒曜石で造られているかの様な黒一色の室内。
家具などは見当たらず長方形の重厚なテーブルと椅子があるのみ。
上座に豪奢な椅子が1脚、残りの4脚は対面するように並んでい
る。
その部屋に3人の男女が集まっていた。
上座から見て右側の椅子に座る男、名をイムペラートと言う。
歳は25歳くらいだろうか? 肩まで伸ばした金髪、整った顔立
ち、一見美男子にも見えるが、その銀色の瞳が開かれると凍てつく
表情へと変わる。それほど力強い瞳を持つ男だった。
その隣の男はドゥカゥス。
歳は30前くらい、短く上方に尖った髪は深紅。彫りのある顔は
凛々しく、その顔に相まって体躯はイムペラートより一回りは大き
く筋肉質で一見格闘士を思わせるほどだった。
最後の一人、イムペラートの対面に座る少女、名をレギーナと言
う。
艶やかな銀髪を肩辺りで揃え、すこし尖った赤眼は少々きつい印
象を与える。しかし綺麗な目鼻たち、白磁のような肌はどこかの姫
君かと思わせるほどだ。その顔だけを見れば15、6にしか見えな
い美少女なのだが、メリハリのある身体つきは、実に色っぽい。
そして上座の一際豪奢な椅子。たぶんこの城の主が座る椅子なの
389
だろう。が今はその主の姿はこの部屋に無い。
静まり返る黒曜石の室内は重い空気が満ち足りている。
口を開くものは誰も居ず、一様に押し黙る面々。
イムペラートは瞑目しているようだが、ドゥカゥスは真剣な面持
ちでレギーナを睨んでいる。 いっぽうのレギーナは素知らぬ顔で
窓の外を眺めていた。
沈黙の中、痺れを切らしたように口を開いたのはドゥカゥスとい
う男だった。
﹁で、あのお方は?﹂
追求するような口調で、その視線はレギーナに向けられている。
レギーナは視線を一瞬ドゥカゥスに向けるが、すぐ窓の外に戻し
た。
﹁ほぼ間違いあるまい﹂
どこか寂しそうに答えるレギーナ。その美しい顔からは想像も付
かないほど低く重々しい声色だった。
﹁ほぼ? ほぼとはどういうことだ?﹂
曖昧な物言いが気に食わなかったのか、鋭い視線でレギーナを睨
むドゥカゥス。その声にも怒気が含まれている。
しかしレギーナはビクつく様子も無く、投げやりな視線で平然と
言い放つ。
﹁私も確認した訳では無いからな⋮⋮﹂
一瞬室内に緊張が走った。
文句があるなら、自分で確認しろと言わんばかりのレギーナの視
線にドゥカゥスが殺気を放ったのだ。レギーナもそれに対し凄まじ
い殺気を返す。
もし室温計というのがあったら一瞬で2,3度は下がったかもし
れない。
390
今にも殺し合いが始まるかと言う雰囲気を鎮めたのはイムペラー
トだった。
﹁2人とも抑えろ⋮⋮ レギーナが言うのだ、間違いあるまい﹂
﹁うむ⋮⋮﹂
﹁ふん⋮⋮﹂
イムペラートの一言で2人は渋々だが殺気を抑えている。気の短
そうな2人を一言で抑えてしまったこのイムペラートという男は一
目置かれる存在なのかもしれない。そしてレギーナという美少女も
かなり信用されているようだ。
﹁しかしそうなると我らの中から⋮⋮﹂
言いかけたドゥカゥスを制したのはイムペラートだった。
﹁オレは降ろさせてもらう。もともとあのお方に頼まれたからここ
にいるだけ。あのお方が帰らぬならここに居る理由はない﹂
﹁じゃぁ、私も降ろさせてもらうよ。あのお方が居ないなら、私だ
ってこんな城に居る意味ないからね﹂
2人が同時に降りると宣言し困惑気味にたずねるドゥカゥス。
﹁なに、ではお前達はどうするというのだ?﹂
﹁オレは、そうだな⋮⋮ どこかの山奥で隠居生活でも送るかな﹂
イムペラートの言に呆れるドゥカゥス。しかし同時にドゥカゥス
は思った。
︵この浮世離れした男ならそれも当然か⋮⋮︶と。
しかしレギーナはイムペラートの言には無関心で、自分の今後を
思案しているようだった。
﹁私は⋮⋮ あの方を探しにいく⋮⋮﹂
戸惑いながらレギーナが答えた。
﹁なっ! お前が今消えたと言ったんだぞ?﹂
﹁消えたなんて言ってないっ! 感じなくなっただけだ﹂
﹁同じことだろう? お前が感じないものを誰が感じられる?﹂
困惑しながらもレギーナの言い様に納得出来ないドゥカゥス。
391
今度はイムペラートもドゥカゥスに同意しているようだ。
﹁うむ、ドゥカゥスの言い様に一理ある。レギーナよ、どういうこ
とだ?﹂
﹁私の探知能力だって完璧じゃないよ⋮⋮﹂
レギーナは半分泣き声になっている。
﹁しかし、お前が感じない程なら、たとえ存在していてももはや⋮
⋮﹂
﹁それでもいい。私はあの方と一緒にいたいのだっ! たとえどの
様な存在になろうとも、私があの方をお守りする﹂
黒曜石の一室に残ったのはドゥカゥスただ一人だった。慈しむ様
に豪奢な椅子に手を添え、そしてゆっくりと腰を掛け1人ほくそえ
んでいる。
﹁新たな参謀を招集せねばな。そしてあの女⋮⋮ふっふっふっ﹂
不気味な笑い声が室内に響き渡る。
ひとしきり椅子のすわり心地を堪能し終えると、ドゥカゥスは窓
の傍から外に目を向けた。
窓から見える景色は渦巻く黒煙の空と、その黒煙を吹き上げてい
る火山。
眼下に広がるのは広大な森林と深緑の湖面のみ。
此処は魔界の王城レクステンブルムの一室。
そして今、新たな﹃魔王﹄が誕生したのだった。
392
失ったもの
エプソニア大陸の西に強大な軍事力を誇る大国があった。
500年前の聖戦で5人の勇者達が王位を継いだ5大大国の1つ
ビズルトラ王国である。その王国の北に位置する王都ディアークは、
広大な草原と連なる山脈、大陸一の砂漠と樹海と言われるほどの森、
それら4つに囲まれ高い防壁と大きな堀を持つ堅牢な城塞都市であ
った。
そんな城塞都市の大通りを1組の若い男女が歩いていた。
15歳くらいに見える少女は名をアオローラという。潤いのある
瑠璃色の髪は地に擦るかと思うほど程長く、瞳は金色、肌は透き通
るほど白い。
一見水着かと思う様な胸しか隠していない上着と、下着が見えそ
うな短いスカートは極めて露出度が高く、顔の美しさも然ることな
がら、その露出度の高さゆえ街行く男の視線を独り占めにしていた。
さらに言えばまだ季節は冬、女の格好は常識を逸脱する物だった。
そして少女の後ろを歩く男、いや少年と呼ぶ方がいいかも知れな
い。
艶やかな銀髪に漆黒の眼、全身を黒い外套に包み、その体躯は伺
い知れない。
アオローラはたまにすれ違う男達の視線を気にする様子も無く、
キョロキョロと街並みを見渡していた。その首が左右に振れるたび
に瑠璃色の髪がフワリと揺れ微かにハイビスカスの香りが漂う。そ
んな彼女の口から漏れる言葉は見かけとは違い、やけに艶のある大
393
人びたものだった。
﹁なんか人の数が少ないわねぇ?﹂
アオローラがそう思うのは無理も無かった。普段なら人で溢れか
えっている大通りが今や時折荷馬車が慌しく行き交うのみで歩行者
は数えるほどしか居なかった。
アオローラの言葉に、少年は怒っているのか聞こえていないのか、
答える様子はない。しかしアオローラは後ろを歩く少年を一瞥した
だけで更に言葉を続けた。
﹁大陸一の強国だって言うから期待してたのに、大きいだけで寂れ
た街って感じだわね?﹂
それでも少年は表情1つ変えずただ真っ直ぐ歩を進める。
アオローラの顔に苦笑が浮かんだが、それもほんの一瞬のことで
すぐ笑顔に戻り、また街並みをキョロキョロ見渡している。ふと視
線を前に戻すと少年はいつの間にか数歩先を行っていた。
﹁ちょっと待ちなさいよ 歩くのまだ慣れてないんだから⋮⋮﹂
そう言って小走りで少年に駆け寄るとその腕にしがみ付いてしま
った。
少年の腕には豊かな胸が押し付けられている。少年は視線をその
胸に移し一瞬困惑の表情を浮かべたかと思うと、なにかを彷彿する
ような表情を見せた。
視線に気が付いたアオローラは、少し頬を赤らめるが、悪戯心を
刺激されたように呟いた。
﹁ふふっ 胸が気になるのかしら⋮⋮ 宿屋にでもいく?﹂
大胆なことを言う割には心臓の鼓動はそうとう早くなっているよ
うで、少年にもその鼓動が伝わっている。
しかし少年はその腕を振り解くと﹁興味ない﹂と一言発し、先々
行ってしまった。
﹁もう⋮⋮﹂
ここビズルトラ王国の王都ディアークは、ほんの数ヶ月前までは
394
人通りも多く賑やかな街だった。だがカノン王国侵略に失敗。さら
に国王や多くの指揮官を失うという大敗を喫し、それ以降、王都は
様変わりしてしまったのだ。
多くの兵も失ったビズルトラ王国は、国民の反感もかえりみず強
制徴募を行い、さらなる増税で国民の不満は爆発した。
地方の街や村では暴動や反乱が相次ぐが、領主にそれを鎮圧する
兵力は無く、援軍を要請された本国側にもそれを送る余裕は無かっ
た。それもそのはずここ王都ディアークでも同じように反乱や暴動
が相次いでいたからだ。
今は国王が強制徴募と増税を取りやめると発表したので、その混
乱は治まったものの国を捨て国外へ逃亡する民衆が後を絶たない状
況だった。
しばらく歩くとアオローラは荷馬車になにやら家財道具などを積
み込んでいる1人の男に声を掛けてみた。もちろんその腕は少年を
しっかり捕まえている。
﹁あのー、ちょっといいかしら?﹂
男は振り返るとアオローラを見て絶句している。そして脚の先か
ら頭の天辺までを舐めるように視線を送ると、胸の谷間を凝視して
固まってしまった。アオローラの後ろで在らぬ方向を向いている少
年のことは眼に映っていないようだ。
間近で胸を凝視されるのは流石に恥ずかしいのか、アオローラは
胸を手で隠してしまった。
その頬も少し赤みを帯びている。
﹁そんなに見ないで貰えるかしら?⋮⋮﹂
﹁おっと、すまねぇーいやーあまりにもすごいんで、つい⋮⋮なっ
はっはっっ!﹂
男は後頭部を掻きながら照れくさそうに笑い出した。
﹁で、オレになんか用かい?﹂
﹁えぇ、この街はいつもこんなに人が少ないのかしら?﹂
395
アオローラの質問に男は少し首を傾げる。
﹁ねぇちゃんは、異国の人みたいだが、なんもしらねぇのかい?﹂
アオローラは﹁ねぇちゃん﹂と言われ一瞬その瞳が冷気を帯びた
ものの、すぐ笑顔にもどす。﹁えぇ、つい先ほどこの街に着いたば
かりなの﹂
﹁そうかい、ならねぇちゃん達も早くこの国から出た方がいいぞ﹂
そう言って男は事の成り行きを説明しはじめた。
ビズルトラ前国王はカノン王国侵略と同時に大陸全土にも﹃宣戦
布告﹄を行っていたらしいのだ。噂によると前国王は﹃不死の王﹄
リッチーと密約を交わし、その力をもって大陸を支配しようと考え
ていた。新国王もそれを利用しようと地下迷宮を探したが﹃不死の
王﹄の姿はどこにも無い。慌てた新国王は強制徴募と増税によって
国力を回復しようとしたが国民の反発に合い更に国力を低下させて
しまった。今まではビズルトラ王国の軍事力を恐れ、手をこまねい
ていた近隣諸国も、今や時勢と逆に進軍を宣言した。
つまり早く逃げないと戦火に巻き込まれると言う話だった。
﹁﹃馬鹿王﹄って噂は聞いたことあるけど、まさか﹃不死の王﹄と
はね⋮⋮﹂
話を聞いたアオローラも流石に驚きの色を隠せなかったようだ。
﹃不死の王﹄。
その力も然ることながら、恐ろしいのはその配下たる﹃不死の軍
団﹄である。彼らは普通の武器では倒す事が出来ず、さらに彼らに
殺された者はアンデッド化する。つまり戦を重ねれば兵がどんどん
増えるのだ。大陸を支配したころには大陸全土が﹃不死の兵﹄で溢
れ返ることになるだろう。
﹁あぁ、悪い事は言わねぇ、早くこの街から出た方がいい﹂
396
男はそう言うと、また慌てたように家財道具を荷馬車に積み込み
始めた。
アオローラは男に礼を言い、その場をあとにした。
アオローラと少年は再び大通りを歩き出すが、どこに行くという
目的が在る訳ではない。そもそもこの王都に来たのも旅の途中で偶
然立ち寄ったに過ぎない。
旅を始めたのは今から2ヶ月ほど前。そして少年とアオローラが
出会ったのがその1ヶ月ほど前である。死に掛けていた少年を偶然
アオローラが見つけ、自分が住む神殿に連れ帰った。少年は一命は
取りとめたものの記憶を失っており、その記憶を取り戻すために旅
に出ることにした。アオローラは神殿の主たる海竜王の命で少年に
ついて行く事になったのだ。
﹁海竜王様は﹁旅をすれば記憶に触れるモノにも出会えよう、さす
れば失われた記憶を取り戻せるやもしれん﹂なんて言ってたけど⋮
⋮ なにか思い出せそう?﹂
大仰に両手を広げたアオローラ。海竜王に成り切った口振りで問
いかけるが少年の視線は大通りから裏通りに向かう一本の路地に向
けられていた。
アオローラが可愛く首を傾げるものの少年は足早に路地へと向か
う。
ズンズンと進んでいく少年を、﹁待ちなさいよー﹂と潤んだ瞳で
追いすがるアオローラ。
少年が脚を止めたのは一軒の酒場だった。
屋号は﹃山猫亭﹄。
少年が扉を開けるとカランというドアベルの音が鳴るものの、そ
397
こは閑散として客はおろか店番すら見当たらない。
少年とアオローラが店に入って行くと奥から女性の声が聞こえて
きた。
﹁誰だい? もう店じまいだよ﹂
言い終わると同時に奥の扉から割腹の良い中年女性が顔を覗かせ
た。
その女性はアオローラの衣装を見て一瞬ギョッとするものの、視
線を少年に向けると、ズカズカと歩み寄りその顔をまじまじと眺め
だした。少年は首を傾げ少し訝しむ表情を向ける。
﹁あんた、名前なんてんだい?﹂
少年は答えず、じっとその女性を見ている。しかしアオローラが
逆に質問をした。
﹁こんにちは。私はアオローラと言います。おばさんはこの店の方
かしら?﹂
﹁あ、あぁ。あたしゃこの店の女将でアンナって言うんだけどね、
で後ろに居るのが亭主でこの店の主のマイラスだよ。ってあんた何
鼻の下伸ばしてんだいっ!﹂
女将と名乗った女の後ろには、いつの間にかこれまた恰幅のいい
中年男が立っていた。
アオローラに視線を釘付けにされていた店主が、女将に怒鳴られ
苦笑いを浮かべている。
もちろんアオローラは慣れているのか気にも留めない。
﹁そう。はじめまして﹂
笑顔で軽く頭を下げると、﹁じつは﹂と続けた。
﹁この子記憶がないのよ。おばさん達、何か知ってるのかしら?﹂
少年が吸い寄せられるように店に入った事、この女性の態度、そ
れらを見たアオローラはこの少年の記憶に触れるモノが此処にある
と思った。
﹁いや、あたしの知ってる子、って言っても店の客なんだけどね、
この子にそっくりなのさ。髪と眼の色は違うけど、それにこの子の
398
方が幼く見えるねぇ、もしかして兄弟かなにかかねぇ﹂
少年は後退るが、その女性はさらに観察するように眺めている。
﹁しっかし、ルシさんにそっくりだねぇ﹂
﹁おばさん、詳しく話してもらえるかしら? たぶんこの子がおば
さんの言う﹁ルシさん﹂に間違いないわ﹂
399
出国
王都ディアークから延々と南北に伸びる街道を南下する馬車があ
る。最近は毎日の様に多くの馬車が南下しているのだ。そしてその
殆どがカノン王国を目指していた。
もともとカノン王国が豊かで暮らし易い街だということは誰でも
知っていることだった。国王の悪い噂も聞いたことが無い。王女に
至っては悪い噂どころか褒め称える噂しか耳に入ってこない。その
うえつい最近カノンの捕虜になった者達が皆声をそろえてカノンに
亡命すると言うのだ。﹁それなら俺達も﹂となるのが心情だろう。
そんな事情で今カノンを目指す民衆が毎日の様に街道を南下して
いるのである。
ビズルトラ王国としては、いきなりこれほどの国民が国を捨てる
となれば、国の存続に関わる問題である。ましてや騎士や兵士まで
もが含まれている。一時は王都の街門を閉ざし出国を拒否したもの
の、無理やりにでも出国しようとする国民を抑える力はすでに残っ
ていなかった。
﹃山猫亭﹄の荷馬車もそんな出国組の1輌だった。御者台に座るの
は店主と女将。後ろの荷台には家具や日用品その他もろもろ。そし
て荷台最後尾の開いたスペースにアオローラとルシ、猫獣人のサラ
が座っている。
女将の話しによれば、ルシの冒険者仲間はカノン王国出身の少女
が2人、ビズルトラ王国出身の少女が1人居たと言う。しかし3人
400
とも既にビズルトラには居ないらしい。そこで﹁もしカノン王国に
行くなら一緒にどうだい?﹂と声を掛けてくれたのである。
ルシの横に座るサラは山猫亭の給仕をしていた娘で、もちろんこ
の夫婦の子供ではない。亭主が昔冒険者だった頃、まだ小さかった
サラをどこかで拾ってきたらしい。それ以来実の娘の様に可愛がっ
ているのだと言う。もちろんサラ自身もこの夫婦を実の親のように
慕っている。夫婦はサラに酒場の手伝いなどさせたくなかった様だ
が、サラは根っからの明るい性格ゆえ、喜んで手伝っているのだそ
うだ。
﹁ねぇ、ルシさん。ブライ君はどうしたの?﹂
聞いてきたのはサラである。赤いショートヘアに金色の瞳、アオ
ローラ程ではないが幼い顔に似合わない女性らしい身体つきをして
いる。
﹁ブライ?﹂
ルシは顔をしかめ、サラに視線を送る。
﹁あぁ、やっぱりブライ君のことも覚えてないんだね⋮⋮ ルシさ
んが連れてた大きな黒い馬だよ? ほら、神様の馬だって言ってた
でしょ?﹂
﹁わるいが、わからない﹂
ルシはそう言うと思考に入ってしまう。ルシの代わりに答えたの
はアオローラだ。ルシとともにブライを助けたのもアオローラなの
だ。
﹁その子なら天界に行ったわよ。ちょっと傷が酷すぎたからね。で
も一応神族だから死ぬ事はないの。たとえその身が朽ちても、時と
共に復活するわ﹂
なぜそんな事を知っているのか? 天界にはどうやって行くのか
? サラはそんなことは考えもしなかった。
﹁うわぁ、神族ってすごいんだねぇ。それに引き換え獣人族なんて
401
見世物か奴隷だもんね⋮⋮﹂ 感動しながらも最後には落ち込んだ
様子のサラ。両耳をペタンと倒しているところが実に哀愁を誘う。
﹁獣人族に限った事じゃないわよ。エルフもそうだし、私の種族も
似たようなものよ﹂
そう言って自分の肩に掛った髪をフワリと掻き揚げるアオローラ。
その瑠璃色の髪が揺れると微かなハイビスカスの香りが漂った。
﹁貴女も人族じゃないの? もしかしてこの香り⋮⋮﹂
﹁そうよ。私は海人族。人間達には人魚って呼ばれているわ﹂
2人の会話が進むと間に挟まれたルシは思考どころではなくなっ
た。そのうえ道が悪くなったのか、馬車が揺れるからと2人が腕に
しがみ付いている。美女2人に豊かな胸を押し付けられ困り果てる
ルシは我慢できなくなったようだ。
﹁おい、暑苦しいからしがみ付くな﹂
赤面しながらも苦情を口にする。しかし2人には言い訳にしか聞
こえなかったようだ。
﹁この冬の季節に暑苦しいですって⋮⋮ 確かに顔が赤いわね。う
ふふっ﹂
﹁あ、ルシさん照れてるー。結構可愛いとこあるんだ﹂
2人は面白がって、さらに胸を押し付けてくる。ルシは墓穴を掘
ったことに今更気がつくが後の祭りである。
﹁勝手に言ってろ。オレは寝る﹂
ルシは捨て台詞の様に呟くと目を瞑り寝たふりをした。
馬車の旅はさらに続く。
この季節は山脈越えの街道は封鎖されているので山脈南の海沿い
の街道を通る事になる。
数ヶ月前、ビズルトラ軍に対しカノン軍が防衛戦を行った場所で
ある。さらにルシが死闘を繰り広げた場所でもあった。
戦で亡くなった兵の遺体などは片づけられているものの、炭化し
402
た馬車の残骸など、戦の痕跡はまだ少し残っている。街道の黒く焼
け焦げた跡もあちこちに残り、激しい戦があったことを容易に想像
させた。
サラはもちろん、女将や店主までそんな光景に顔をしかめていた。
しかしアオローラだけはやけに嬉しそうだった。
街道を東に進む彼らにとって右手には広大な海が広がっている。
とはいっても高さ数メートルという岸壁なので直接海水を手にする
ことは出来ない。しかし吹き寄せる潮風は身体全体に海を感じさせ
てくれた。もともと海の中で暮らしていたアオローラはこの数ヶ月、
海とは無縁の生活を送っていた。どうやら久しぶりの海に興奮して
いるようだった。
しかしこの惨状の張本人であるルシは、やはり何も覚えていない
様で、はしゃぐアオローラに迷惑そうな視線を送っていた。
そんな一行もカノン王国の王都キャメロンには後数日で到着する
ことになる。
* * *
漆黒の闇の底にある洞窟の様な場所を、少女は開いた両手を前に
伸ばし、手探りの要領で一歩また一歩とゆっくりと歩いている。ご
つごつとした岩肌は少女の歩みの邪魔をする。そんな闇を手探りで
進むうちに一筋の小さな光があることに気付く。すがる様な想いで
その光の源に近づこうとする少女。しかしその光は動いているのか
一向に近づけない。﹁待って⋮⋮﹂と叫べどその光源は少女から逃
げるかの様に遠ざかっていく。何度も転び、手や膝は擦り切れ血が
滲んでいる。両の目は涙を湛え、艶のあった銀灰色の髪は今は見る
影もないほどボサボサで色褪せている。いつしか光源は闇に飲み込
まれ洞窟は真の闇と化していた。それでも少女はひたすら同じ言葉
を繰り返し、ふらふらと彷徨い続けているのだ。
403
﹁⋮⋮さま。⋮⋮さま。﹂と呟きながら。
カノン王国の王城ヴァイスレーヴェ。白い獅子と呼ばれる白亜の
城である。
ビズルトラとの戦いが終わり、ルシと言う保護者を失ったクーは
キャノ、キャミ両王女の計らいにより、その王城の一室で暮らして
いる。
ヴァルザードは正式に上将軍の要請を受け今や全ての騎士を纏め
る騎士団長である。シェラは新たに編成された両王女専属の戦乙女
騎士隊、その隊長の任に就き将軍扱いである。
しかしクーは年齢が若すぎる為、騎士隊に入ることは適わなかっ
た。王女専属のメイドにと言う声もあったのだが、さすがにこれは
両王女が認めなかった。メイドは騎士などより遥かに身分が低いか
らである。結局は王女達の遊び相手という立場に修まっているもの
の、実際には何もすることがなく、実にあやふやな立場なのだ。
両王女の親友であり、国を守った英雄の一人に数えられていても、
そんなあやふやな立場で何ヶ月も王城内に住まわすのは些か問題が
ある。しかしそれを苦言する者は誰一人として居なかった。
今や反国王勢力など存在せず、王国は完全にひとつに纏まってい
ると言っても過言ではない。野心を持つ者は居るかも知れないが、
それを実行しようとする者は居ない。それほど今の王家、とくに両
王女の存在は王国にとって無くては成らない存在になっている。
クーの存在は、そんな王女達が重臣達に申し出た唯一の小さな我
侭なのだ。誰も苦言するはずもなかった。
両王女やシェラにとっては、クーは妹の様な存在である。ルシに
頼まれたと言う事もあるだろうが、もし頼まれていなくても3人は
クーを見放すつもりなどない。ルシが帰るまで何年でも面倒を見る
404
つもりだった。たとえ戻らなくとも⋮⋮
しかし問題があった。若すぎるゆえ仕事に就けず、というよりは
誰もクーに仕事をさせようなどと考えない。王女達の親友であり妹
の様な存在なのだから。
それゆえにクーは毎日なにもする事がない。
王国は纏まったとは言え、毎日の様にやって来る難民で小さな問
題は山済みである。王女達は国政や引見で毎日忙しくクーの相手ば
かりしていられない。それはヴァルザードやシェラにも言える事だ
った。
そんなクーも王女達の邪魔にならない様にと、出来るだけ一人で
過ごしている。だが、一人になると考える事はいつもルシの事だっ
た。
そして毎夜見る夢も同じである。真の闇の中でただ一つの光。ル
シを探し彷徨う夢⋮⋮
しかし今日は少し違っていた。いつもはクーから逃げる様に遠ざ
かっていた光が今日の夢では逆に近づいて来たのだ。そしてあと一
歩で光に手が届くというその時に目が覚めてしまった。
いや、目覚めたというよりは目覚めさせられたと言った方が良い
かもしれない。
リンにベッドから引き摺り落とされていたのだ。
一瞬リンに対し怒鳴りそうになったクーだが、リンの顔を見て思
い留まった。その表情はふざけているのではなく、真剣な面持ちで
訴え掛けている事が解ったからだ。
一人と一匹は部屋を飛び出していた。クーは着替えることも忘れ
夜着のままである。
メイドや女官の制止の声も聞こえていない。馬屋で馬に飛び乗る
と一気に城外へと向かう。
405
城門では制止する番兵に怯み、捕まりそうになるが、手綱さばき
で何とかこれを躱す。
次の街門では馬の速度を最大まで引き上げ、番兵を飛び越えてし
まった。
番兵の見つめる先で、疾駆する馬と風になびく灰銀色の髪、純白
の小さな体躯が、街道の地平線に消えていった。
406
再会
﹃山猫亭﹄の荷馬車は国境を越えカノン国の領土に入っていた。も
ちろん国境の砦は難民を受け入れる為、常時開け放たれている。よ
ほど怪しい者でなければ素通り状態と言って良いだろう。
国境を越えしばらく進むと、左手の切り立った崖もいつしか平原
に変わっていた。右手の海岸線からも段々と遠ざかり次第に海は見
えなくなる。アオローラは寂しそうな表情を見せるが、こればかり
は仕方がない。
さらに一日ほど東に進むと南北に走る街道にぶち当たった。その
街道を北上、厳密に言えば北北西に一日ほど進めばカノン王国王都
キャメロンに到着する。反対に南下すればモリリス王国領へと続く
ことになる。もちろん一行は北へと進路を変える。
馬車が平原の街道を北北西に進んでいると、前方から一頭の馬が
疾駆してくるのが見えた。その横に小さな白い体躯も見える。
荷馬車を操るマイラスが、最初に気が付いたようだ。
﹁おい、アンナ、あれ⋮⋮﹂
マイラスが、疾駆してくる馬にゆびを指す。
指された先に目を向けたアンナは一瞬驚くものの、バシバシと亭
主のマイラスを叩きだした。
﹁ちょっと、あんた馬車を停めてっ!﹂
﹁おぃ、いてーよ。叩かなくたって停めるわい﹂
﹁ごちゃごちゃ言ってないで、さっさとお停めっ!﹂
馬車が停止すると、慌てて飛び降りるアンナ。街道の真ん中に両
手を広げて疾駆してくる馬の往く手を塞いだ。
407
驚愕の表情で手綱を引き馬を止めたクー。しかし止められたから
驚いているのではない。懐かしい顔ぶれに驚いているのだ。
﹁お、おばちゃん⋮⋮ おじちゃんも?﹂
不思議そうにアンナとマイラスに視線を交互させるクー。
﹁クーちゃんっ! それにリンちゃんも。元気にしてたかい?﹂
声を掛けながらも手を差し伸べ、馬の背からクーが降ろしてやる。
そしてしっかりと抱きしめている。その目には暖かいものが浮かん
でいた。
﹁いやー懐かしいねぇ。でもそんな格好で何処行くんだい?﹂
夜着のままのクーを不審に思ったアンナだが、マイラスがその質
問を制した。
﹁んなこと後でいいだろ。それより、おーい後ろの3人ちょっと来
てくれぇ∼﹂
マイラスの呼ぶ声で後ろからルシ達3人が姿を現した。
ルシを見つけたクーは、代わり果てたルシの姿に驚愕の表情を示
す。
しかし直ぐにその表情は崩れ去る。
大きく見開いた瞳からは溢れる様に涙が零れ、その小さな身体は
小刻みに震えている。
口から零れる声には嗚咽が混じり聞き取る事が出来ない。
一歩、また一歩、よろよろとルシに歩み寄っていく。
ルシはクーとリンを見たとたん頭の中に激しい衝撃が走った。
と同時に次から次へと走馬灯のように記憶の映像が頭の中を駆け
巡っていく。
リンとの出会い。クーとの出会い。様々な思い出がよみがえる。
ルシが記憶を取り戻した瞬間だった。
﹁クー⋮⋮ リン⋮⋮﹂
408
ルシの口から小さく声が漏れた。
﹁ルシ様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!﹂
クーとリンが駆け出しルシの胸に飛び込んだ。
その柔らかな身体をルシが優しく包み込む。
キャメロン王都に辿りついた一行を待ち受けていたのは数名の女
性騎士だった。
白銀の鎧の胸には白い獅子が、それ以外の箇所に真紅の小さな薔
薇も描かれている。鎧と言ってもプレートアーマーの様な重装備で
はなく女性でも身軽に動ける様、軽量化の細工が随所に施されてい
る様だ。
そんな美麗な鎧を纏うのは、女性のみ10数名で編成された﹃戦
乙女騎士隊﹄である。
どうやらシェラの命令によりクーの捜索に当たっていたようだ。
﹁じゃ、おばちゃん、あとで必ず行くね﹂
﹁あいよ、まってるよ。じゃぁねー﹂
アンナ、マイラス、サラの3人は、そのまま難民居住区域へと行
く事になった。
ルシとアオローラとクーの3人は戦乙女騎士隊に連れられて城に
向かう。
その道中、クーは戦乙女騎士隊の副隊長にお叱りを受けているよ
うだ。
城に戻ると、騎士隊より報告を受けたシェラが一番に駆けつけた。
﹁クーっ! 一体何処行ってたの? それも夜着のままって、何考
えてるのさ!﹂
心配が安堵となり、さらには怒りに変わっているようだ。
409
﹁ルシ様の、お迎えに、決まってる﹂
クーも少しは反省しているようで、ぼそぼそと呟いている。
﹁ルシィー? 何処にルシがい⋮⋮る⋮⋮のよ⋮⋮﹂
クーが夜着のまま飛び出したと聞いて、もしやとは思っていたが、
一見してルシらしい男は見当らなかった。もちろん黒い髪の男と、
瑠璃色の長い髪の露出狂女が居る事は、視界の端に捉えてはいたが、
その髪の違いで顔など確認していなかったのだ。
しかしクーの言葉で改めて顔を見た。髪の色、瞳の色が変わり、
幾分幼く見えなくも無いが確かにルシだった。幼く見えるのは髪と
瞳の所為だろう。
﹁あんた、ルシなの⋮⋮?﹂
怒りの表情が驚愕へと変わり、さらには目に涙を湛え今にも泣き
出しそうな表情に変わる。
﹁あぁ、心配かけたな⋮⋮﹂
小さく呟かれたその声は、まぎれもないルシの声だった。普通の
人には解らないだろうが、一瞬見せた照れくさそうな表情。そして
すぐ無表情へと戻る。そんな小さな表情の変化は、間違いなくルシ
の癖だった。
﹁ルシぃぃぃぃ!﹂
思わず、シェラはルシの胸に飛び込んでいた。
その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃである。
﹁ルシ⋮⋮あん⋮⋮った⋮⋮今⋮⋮まで何処で⋮⋮なに⋮⋮っん⋮
⋮ってたの⋮⋮⋮⋮﹂
その先は嗚咽に変わりほとんど聞き取れなかった。
ルシはシェラを抱きとめると、そっとその栗色の頭を撫で、
﹁すまん⋮⋮⋮⋮﹂と一言だけ呟く。
シェラは人前だという事を忘れワンワン泣き叫んでいる。
普段の強気なシェラしか知らない騎士隊の面々は呆然と眺めてい
た。
410
クーは一瞬、抱きつくシェラを引き剥がそうと思ったが、こんな
弱々しいシェラを見て、さすがに思い留まったようだ。
そんな場面に現れたのはヴァルザードに連れられた両王女だった。
黒髪の男に抱きつき、泣き喚くシェラ。その声は嗚咽で聞き取れ
ない。
そんなシェラを見て両王女達が咄嗟に思ったことはクーの安否で
あった。もしやと思い一瞬にしてその表情は青ざめていた。しかし
声を掛けようと思うと同時に夜着のクーが視界に映る。
なにがなんだか判らず、おろおろするヴァルザードと両王女。
﹁クー、これはどうしたんだい? シェラ君はいったいなにを泣い
ているんだね?﹂
﹁ルシ様が、帰って来たから⋮⋮﹂
嬉しそうに呟き返すクー。その言葉に3人は改めて黒髪の男をじ
っくり観察する。
黒髪黒眼だが、確かにルシだった。
﹁ルシ君なのか⋮⋮?﹂
﹁ルシ様なのですか⋮⋮?﹂
﹁ルシさん⋮⋮?﹂
3人が同時に呟いていた。
ルシも3人に気付き、また一瞬照れくさそうにすると﹁あぁ、た
だいま⋮⋮﹂と呟いた。
その後の両王女の行動はシェラの時と同じである。
2人とも同時にルシの胸に飛び込んでいた。
さすがにルシも3人に抱きつかれて、困り果てているようだ。そ
れに感化されたのか、またクーまで抱きついて泣き出す始末。
城内中庭では4人の美少女達の泣き声が当分静まる事はなかった。
後にこの事は﹃4人の戦乙女号泣事件﹄と名付けられ、在らぬ噂
が飛び交う事となるが、真相は闇の中へと消えていった。
411
宴
ルシが戻った夜、ヴァイスレーヴェ城内では、極々小規模ながら
も宴が催された。出席者の人数も極力抑えられている。カノン王を
はじめ、王妃、キャミ、キャノ両王女、騎士団長のヴァルザード、
近衛騎士隊長のロドハイネック、戦乙女騎士隊長のシェラとその部
下10数名、クーとリン、アオローラ、猫獣人のサラ、そしてルシ
であった。
それ以外にも高位の文官や武官が数名だが見受けられる。
キャミ、キャノ両王女は、もっと大規模な宴を提案したのだが、
さすがにそれは難しいと言う事だった。理由は簡単で、そんな大規
模な宴を開く口実が無いのだ。
本来ならルシはカノン王国の英雄とも救世主とも言える立場なの
だが、ルシの働きはごく一部の者しか知らず、今回の入城も両王女
の知己という理由でしかなかった。そしてなによりルシ自身が宴の
出席を拒否したからだ。両王女は国王や重臣を説得するより、ルシ
を説得するのに苦労する羽目になった。ルシ説得には両王女の他、
シェラとクーも加わり、小規模ならという条件で渋々了承を得たの
だ。
サラの出席は、クーの申し出によるものだった。クー自身はサラ
のみならず、女将のアンナと亭主のマイラスも呼びたかったのだが
﹁あたしらがお城のパーティーなんぞに出られるもんかい﹂と言っ
て断固拒否されたのだ。しかしサラだけは﹁私は行きたいっ!﹂と
大喜びで出席を決めたのだ。
いざ宴が始まると、ルシを取り囲む様にシェラをはじめとする戦
412
乙女騎士隊の面々が集まっている。クーとリンはそんな騎士達に弾
き出され、ルシに近づく事も出来ないでいた。
ヴァルザードは目を輝かせアオローラをダンスに誘い、一曲踊り
終わると次にはサラを誘っている。2人では飽き足りないのか、つ
いには職権を乱用し戦乙女騎士隊のメンバーを次から次へとダンス
に誘っている始末。それを見ていたシェラが一言。
﹁ヴァルザード団長って、胸の大きい順にダンス誘ってない?﹂
﹁﹁⋮⋮⋮⋮﹂﹂
ルシはなんとか戦乙女騎士達の輪から抜け出すと、城の裏庭に逃
げる様に足を運んだ。もちろんクーとリンも着いて来ている。
その庭は小さいながらも辺り一面に芝生を敷き詰め、彩り豊かな
花壇が置かれている。庭の奥には小さな池も造られ、その池の周り
に桜の木が数本植えられている。外灯などの明かりは見受けられな
いものの、城の小窓から漏れる明かりが十二分に辺りを照らしてい
た。
﹁ふぅ、ここならのんびりやれるな﹂
呟いた言葉は独り言ではなく、クーとリンに対するものだった。
﹁はい﹂
﹁ワン﹂
2人は嬉しそうに答える。
遠くから宴の喧騒が微かに聞こえてくるものの、ここはもともと
静かな場所で、たまに吹く風が枝を揺らし草葉が擦れる音が聞こえ
る程度だ。しかしその夜風が素肌に冷たく感じていた。
﹁しかし、ちょっと寒いか?﹂
ルシは全然平気なのだが、季節はまだ冬である、クーのことを心
配したのだった。
﹁いえ、平気です。でもルシ様が寒いなら私の体温で暖めます﹂
そう言って嬉しそうに笑ってルシにしがみ付いている。
ルシは苦笑をするものの悪い気分ではないようだ。
413
﹁とは言っても、食い物と酒は欲しいな。ちょっと待ってろ、すぐ
取ってくる﹂
そう言って宴の会場に戻ろうとしたルシをクーが引き止めた。
﹁待ってください。そういう事は私の方が得意だと思います﹂
自信ありげに断言するクーである。しかしその心の内は、ルシが
また騎士達に捕まるのでは?と心配していたのだ。ルシにもそれが
分かったので素直に頼む事にしたようだ。
﹁あぁ、そうか? じゃ頼む。酒はわすれるなよ﹂
そう言ったルシの顔は微笑を湛えている。クーはそんなルシの顔
を見るのが大好きだった。
﹁はい♪﹂と喜び勇んで宴の会場に走って言った
しばらくすると、持ちきれんばかりの料理と酒を持って帰って来
る。そしてまた走っていく。 それを幾度か繰り返すと、裏庭の芝
生の上には料理と酒が食べ切れないほど並べられた。
3人はそれらの料理を囲み、自分達だけの宴を再開した。
本当に心の休まる一時である。ルシはそう実感していた。
記憶を失い彷徨ったあげくに、とうとう辿りついた自分の故郷の
様に思える。それがこの2人だった。もちろんシェラ達もである。
しかしその反面自分が此処に居てはいけないと思うのだった。
︵俺は人を殺しすぎた。戦争とは言え逃げる兵達を後ろから何百何
千と⋮⋮ビズルトラからの難民の中には俺を覚えてる奴も居るだろ
う。俺が此処に居れば王家に迷惑がかかる︶
ルシは出来るだけ早くここを離れるつもりでいた。
この国の現状を見る限り、もう安心だと思っている。万が一王女
を狙う者が居たとしても、ヴァルザードやシェラの騎士隊がいる。
クーのことは100%安心と言うわけでもないが、それでもシェラ
や王女が傍に居れば大丈夫だろう。もう自分が守るべき者は居ない。
そう思っていた。︵俺が出て行くと言ったら、シェラ達は止めはす
るだろうが納得もしてくれると思う。しかしこの2人はどうだろう
?︶
414
﹁クー、リン。此処の居心地はどうだ?﹂
﹁はい、皆とっても親切だし、お姫様になったような気分です﹂
﹁ワン﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
目をキラキラ輝かせて答える2人の顔はとても嬉しそうだった。
︵やはりこの2人にも俺は必要ないな。此処に残して出て行こう︶
クー達の嬉しそうな顔を見て、ほんとうにルシは嬉しかった。し
かし何故かルシの表情がほんの一瞬だが曇っていた。
その事をこの2人が見逃すはずは無かった。
﹁あ、の⋮⋮ ルシ様、どうかしたのですか?﹂
﹁ク∼ン﹂
﹁いや、どうもしない。お前達が幸せならそれでいいんだ。さぁ食
べよう﹂
今は考えないで置こうと、ルシは料理に手を伸ばす。もちろん2
人に心配させないように微笑を湛えたままである。
クーとリンは少し気になりはするが、それ以上に聞きたいことが
山ほどあった。
今まで何処に居て何をしていたのか、髪と瞳は何故変化したのか、
アオローラとはどういう関係なのか、なぜ今になって戻ってきたの
か、しかし怖くて聞けなかったのだ。
一夜明けて翌日の事、朝からルシはヴァルザードに呼び出されて
いた。
そこはヴァルザードの私室。大した調度品は無く、酒瓶を入れた
飾り棚とベッドと応接セットのみ。その応接セットには王女2人が
腰掛けている。その他にはシェラ、クー、リンという仲間達も揃い、
そしてアオローラも呼ばれていた。
﹁あー人数が多すぎて皆が座れないようだね。ちょっと椅子を運ば
せるから待っててくれたまえ﹂
メイドを呼び、ヴァルザードが指示をだす。そのメイドを見るシ
415
ェラの視線は冷たかった。
メイドが一礼して部屋を出ると、シェラは聞こえよがしに呟いた。
﹁胸が大きな娘だったわね⋮⋮﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
﹁き、君は何を言っているのかね。は、はっはっ⋮⋮﹂
ヴァルザードの顔は引き攣り、冷たい視線を浴びることになった。
椅子が用意され全員が座ると、メイド達は退室させられた。もち
ろんシェラの視線が怖かったからでは無く、あくまで内輪だけで話
したかったからである。しかしシェラの視線だけは未だに冷たいま
まである。
シェラの視線を気にしつつ、ヴァルザードは気を取り直し話を切
り出した。
﹁えーまずは、両王女様に一言お断りさせて頂きます。この場では
カノン王国での立場はお忘れ頂いて、あくまで﹃仲間﹄での会話、
という事で話しをしたいと思いますが、よろしいでしょうか?﹂
﹁﹁はい、もちろんですわ﹂﹂
両王女がすかさず答える。
﹁今更何言ってるの? いつも私達だけの時は無礼講で話ししてる
じゃない?﹂
シェラが冷たい視線のまま、両王女の後を引き継いだ。
﹁まぁそうなのだがね。一応アオローラ殿も居るから、断りを入れ
ただけだよ﹂
﹁ふ∼ん、で、いったい何を話したいの?﹂
棘のある切り出しをしたのはシェラである。
シェラはヴァルザードにある不信を抱いていたのだ。
シェラの知る限りヴァルザードはルシが帰って来て以来一言もル
シとは口をきいていない。
それが何故なのかは分からないし、ただの偶然かもしれない。け
れどもシェラにはヴァルザードがなにか企んでいるとしか思えなか
416
った。それがこの呼び出しだと思ったのだ。
ヴァルザードは此処に集まる全ての者と異なる考えを持っていた。
今からそれをどう伝えるか悩んでいたのだった。それをシェラが感
じ取っていることはヴァルザードも気が付いていた。
﹁もちろん、ルシ君のことだよ﹂
417
ルシの過去
﹁本題に入る前に、確認しておきたい事がある﹂
真剣な面持ちで口を開くヴァルザード。
一同は黙ってヴァルザードの言葉を待つ。
﹁俺達が以前、ビズルトラの地下迷宮で君の過去を尋ねたんだが、
覚えているかね?﹂
ヴァルザードの問いに、ルシは一瞬考えるように怪訝な表情を見
せるが、すぐに思い出したようだ。
﹁あぁ、覚えている﹂
﹁うむ、では話して貰えるだろうか?﹂
﹁そういう約束だったな⋮⋮ わかった﹂
ルシは思い出すように目を瞑るとおもむろに語り出した。
モリリス王国の北にあるカイロと言う村で生まれた事から始まり、
悪魔と罵られた事や、母親に殺されかけた事、﹃古の大魔道士﹄と
の出会いの事、洞窟に幽閉されていた事、いつのまにか魔法が使え
るようになった事、13歳の頃村を出て﹃古の大魔道士﹄を探す旅
を始めた事、そしてリンとの出会い、キャノ王女との出会いまでを
事細かく数時間程かけて話した。
一同は一言も発することなく、黙って聞き入っていた。
しかし彼女らは皆一様に、悲壮、驚愕、苦悩、困惑など、様々に
表情を変化させていた。
﹁なるほど、それでパナソニ砂漠の遠征隊に入ったわけか。で﹃古
の大魔道士﹄とは逢えたのかい? たしかビズルトラの宮廷魔術師
だったエンムギは﹃古の大魔道士﹄という2つ名を持っていたはず
だね?﹂
418
﹁あぁ、あのエンムギには逢えたが、俺の探している大魔道士とは
別人だった﹂
﹁では、まだその封印の文字と言うのが何なのか分かっていないと
いうことか﹂
﹁いや、もう殆ど分かっている﹂
﹁そ、そうなのかい? どうして分かったんだい?﹂
ルシは一瞬考える素振りを見せると、その視線をアオローラに向
けた。﹃お前の事を話して良いか?﹄と言う意味を込めて。
アオローラはその意を受け止めると、小さく頷いた。そしてルシ
は話を続ける。
﹁俺はあの戦い⋮⋮ カノンの攻防戦のことだが、なんとかビズル
トラ王を討つ事が出来た。しかしそこまでだった。そのままブライ
の背で倒れてしまった。ブライも致命傷と言える傷を幾つも受けて
いたはずだ。そしてブライと共に海に落ちたんだが、そこでアオロ
ーラに助けられた。皆には言ってなかったがアオローラは海人族、
つまり人魚だ⋮⋮﹂
皆の視線が一斉にアオローラに向けられる。その表情は困惑とも
怪訝ともとれるものだった。 この世界でも海人族は珍しく伝説と
までは言わないが、希少な種族だった。しかしアオローラは軽く微
笑むと肩にかかった瑠璃色の髪を掻きあげる。わざとその香をそよ
がす様に。
ハイビスカスの香りが微かに拡がると皆が得心したような表情に
変わった。
そしてアオローラが後を引き継ぐ様に口を開いた。
﹁私が彼を見つけたときは、すでに絶望的だったわ。もちろん海の
中だから息もしていないんだけどね。でも私は一応、酸素結界を作
りその中に彼と彼の馬、ブライを入れたの。そして私の住む海底神
殿に連れて行ったわ﹂
アオローラはここで一端言葉を切ると、なにか質問はあるかしら
? という意を込めて一同を順に見渡す。
419
そして質問がないと判断すると軽く頷いて話を続けた。
﹁でも、本来ならそんなことはしないわ。人間が死のうが死ぬまい
あるじ
が私達には関係ないことですからね。私が助けた理由は彼の馬ブラ
イが神獣だったからよ。で、彼等を海底神殿の主、海竜王様の元に
連れて行ったの。私ではどう判断したら良いか分からなかったから
⋮⋮﹂
そしてまた一同を見渡す。
しかし今度はヴァルザードに質問があったようだ。
﹁あー海竜王様と言うのはどういう存在なのかね?﹂
アオローラは頷いてそれに答えた。
﹁海竜王様は海を統べる存在ね。別の言い方をすれば竜族のそれも
古龍に位置する存在よ﹂
﹁そ、そうなのか⋮⋮ うむ、ありがとう。では続きを頼むよ﹂
笑顔で頷くとアオローラは続きを語り出した。
﹁海竜王様が仰るには、彼は人間でありながら、その身に魔王の魂
を宿しているという事だったわ。500年前の、人間が言う﹃聖戦﹄
で死んだとされる魔王の魂⋮⋮﹂
一同が皆一斉に驚愕の表情へと変わる。そしてその視線がルシに
注がれる。ルシが普通の人間じゃない事は皆が薄々は感じていたの
だが、まさか魔王などとは思いもよらなかったようだ。
﹁ち、ちょっと待ってくれたまえ。なぜ死んだ魔王の魂が今の世に、
それもルシ君に宿ると言うのだね?﹂
﹁いい質問ね﹂
そう言ってアオローラは微笑を湛える。
﹁私はさっき何と言ったかしら?﹂
軽く首を傾げヴァルザードに笑顔を向ける。
ヴァルザードはアオローラの言葉を思い出すように視線を落とし
ブツブツ呟いている。
王女をはじめ集まった他の者達も、ルシが魔王だという事に驚い
て一瞬思考が止まっていたようだが、ヴァルザードの質問で目が覚
420
めたようだ。そしてヴァルザードと同じ様にその疑問が脳裏を巡る。
その間数十秒、はたとヴァルザードが視線を上げた。
﹁ふふ、気が付いたようね﹂
アオローラは何か嬉しそうに微笑んでいる。
﹁そうよ、﹁死んだとされる﹂って言ったの。つまりそれは人間が
勝手に思っていただけで魔王は死んではいないの﹂
一同が意味が分からないという表情をしている。
﹁簡単に説明するわね。魔人族の中でも、魔王と魔王に近い力を持
つ者は他の魔人とは違う存在って言えばいいのかな。つまり上位の
神族と同等な存在なの。だからその身が滅んでも魂までは死なない、
時がたてばその身と共に復活するわ﹂
﹁君は何故そんな事を知っているのかね?﹂
﹁ん∼そうねぇ。時が知識を付けたと言えばいいのかしら?﹂
﹁意味が分からないよ。もう少し詳しく頼む﹂
﹁貴方って野暮なのね⋮⋮ まぁいいわ。私はこれでも1300年
の時を生きてるわ⋮⋮﹂
﹁なっ!﹂
﹁まぁ年齢の事は忘れて頂戴、話を戻すわよ﹂
﹁あ、あぁ、了解した⋮⋮﹂
﹁えっと、どこまで話ししたかしら⋮⋮ そう、魔王が復活するっ
てことだったわね。でね、その復活に必要な時間が500年なの。
つまりそろそろ復活するはずだったわけね。だけどそれを阻止した
のが﹃古の大魔道士﹄と言われる存在なの。﹃古の大魔道士﹄は復
活寸前の魔王の魂を、まだ赤子だった彼の身体に宿したの。でもそ
のまま成長すればその身体が完全に魔王に支配され、魔王として復
活するわ。だからある程度成長した彼に封印を施した。魔王の力を
できる限り抑える様にね。そうすることで魔王の力は弱まり完全に
人間と同化するはずだった⋮⋮ ここまでは良いかしら?﹂
一同は半信半疑というように弱々しく小さく頷いた。
﹁でも、私が助けた時にはすでに彼は死にかけてたわ。もしあのま
421
ま彼が死ねば魔王の魂はその身から開放されて普通に復活出来たで
しょうね⋮⋮﹂
そこまで言ったアオローラの目は憂いを帯び、何故か悲しそうな
表情を見せた。
﹁ん? なにか残念そうな物言いだね?﹂
﹁ん∼、そう言うつもりは無いのだけれど⋮⋮ 本当はね、彼はあ
の時死んでいたの。でも封印された状態、つまり殆ど力を使えない
状態で彼の身体を死から守っていたのよ。そのまま死なせれば自分
は魔王として復活出来たのにね⋮⋮ そして自ら同化を選んだ。人
間になる事を選んだのよ﹂
﹁な、なぜだね⋮⋮﹂
﹁さぁ⋮⋮ 魔王の魂はもう存在しないから、真相を聞くことも出
来ないわね﹂
そう言ってアオローラはクーをはじめリン、両王女、シェラと順
に視線を移した。
﹁たぶん貴女達ね⋮⋮﹂
アオローラは一人納得したように頷いている。
クー達は﹁?﹂っと首を傾げる。
﹁うん、ここからは私の想像だけど魔王の魂は貴女達を感じていた
はずよ。彼が死んだら貴女達が悲しむでしょ?﹂
﹁まさか、魔人の王にそんな感情があるというのかね?﹂
﹁貴方達人間は勘違いしている様だけど、魔人達は人間が思ってる
ような存在じゃないわよ? 私に言わせれば人間ほど姑息で卑劣で
冷酷な種族は居ないと思うわよ。まぁ人間全てがそうだと思っては
いないけどね。貴方達の様な人間もいるんだしね﹂
﹁しかし⋮⋮﹂
﹁まぁ信じられないかもしれないけど、一つだけ教えてあげる。貴
方達の﹃聖戦伝説﹄?あれはほとんど出鱈目よ。魔族がこの大陸に
攻め込んだんじゃないわ。人間達が魔界を侵略しようとしたの。エ
ルフやドワーフが裏切ったなんてことも嘘よ。人間が彼らの王を人
422
質にして従わせていたの、それを魔族が助け出した。だからそのお
礼に魔族に手を貸した。まぁそれ以外にも色々あるのだけれど、切
が無いから止めておくわ﹂
﹁まさか、そんな⋮⋮﹂
423
ルシの過去︵後書き︶
長くなりそうなので、ここで一端きります。
424
★現時点での設定資料︵簡易マップあり︶★
<i30610|3927>
エプソニア5大王国
カノン王国 王都キャメロン ヴァイスレーヴェ城︵白
い獅子︶
ビズルトラ王国 王都ディアーク フリーレンベルク城
トエック王国
モリリス王国
シャプニ王国
主な登場人物
ルシ
種族:人間???
年齢:16歳くらい 職業:冒険者 ランクC↓B
異名:神速のルシ
身長は175センチメートル程。肌の色は少し白く中肉中背。
髪は銀↓白金↓黒、瞳は黒↓虹彩異色で赤と金↓黒。
その眼は鋭く人を寄せ付けない雰囲気をかもし出す
武器は長剣と短剣
キャノ・フォレスト・カノン
425
種族:人間???
年齢:14歳
職業:カノン王国第二王女
異名:カノン王国史上もっとも可憐な王女
金髪碧眼、流れるような金髪は腰までとどき、肌は雪のように白
い。
病弱な白さではなく健康的な白さである。
すっきりとした鼻腔、丸く大きな瞳小さく薄紅をさした唇。
まだあどけなさが残る美少女
シェラ
種族:人間???
年齢:16歳
職業:冒険者 ランクC カノン王国、戦乙女騎士隊長
異名:︱︱︱︱︱︱
栗色の髪に赤い瞳。少しウェーブの掛かった髪を肩より少し下ま
で垂らしている。
少しつり上がった瞳
美人なのだが、少し高慢な女というイメージ
武器は長剣
キャミ・フォレスト・カノン
種族:人間とエルフの混血
年齢:15歳
職業:冒険者 ランクC カノン王国第一王女
異名:︱︱︱︱︱︱
艶のある綺麗な金髪を短く揃えてカットしている
薄碧色の瞳 妹に勝るとも劣らぬ美形。
下位魔法を使える︵下位エンチャンター︶
426
武器はレイピア
クー
種族:人間とダークエルフの混血
年齢:12歳
職業:︱︱︱︱︱︱
異名:︱︱︱︱︱︱
体型は女性としてはまだまだ。
艶のある灰銀色の髪、左右に少し、尖った耳が見える。
肌は健康的な少し濃い小麦色、銀の瞳は切れ長で少し吊り上る、
細い鼻筋
下位魔法を使える
武器は魔宝石入りの杖
リン
種族:神獣
年齢:産まれたばかり?
職業:クーのお目付け?
異名:神狼
神狼フェンリルの子︵雌︶
体内にリンという9歳の少女の魂を持つ
毛色は輝く純白
尻尾化↑↓獣化
アオローラ
種族:海人族︵人魚︶
年齢:1300歳︵見た目は15歳くらい︶
職業:︱︱︱︱︱︱
異名:︱︱︱︱︱︱
潤いのある瑠璃色の髪は地に擦るかと思うほど程長い。
427
瞳は金色、肌は透き通るほど白い。
水着かと思う様な胸しか隠していない上着と、下着が見えそうな
短いスカートを履く
ブライ
種族:神獣
年齢:不明
職業:ルシの馬
異名:︱︱︱︱︱︱
普通の馬より少し大きく毛色は黒。
神々の馬スレイプニルの血を引く?
瀕死の重傷を負い天界に行く
ヴァルザード
種族:人間???︵狼獣人︶
年齢:30歳くらい
職業:冒険者 ランクA カノン王国、騎士団長
異名:見えざる剣のヴァル 疾風のヴァル
長身痩躯。少し長めの金髪を耳に掛け、肌は白い。
冒険者と言うより貴族風
剣も使うが槍のが得意
魔剣をルシに譲る。
武器は魔槍グングニル
サラ︵猫獣人︶
種族:猫獣人
年齢:15、6歳
職業:︱︱︱︱︱︱
異名:︱︱︱︱︱︱
見た目は頭に猫の耳があるだけで、いたって普通の人間風。
428
かなり可愛い部類に入る顔立ち。
赤い髪はウェーブが掛かったショートヘア。
目は金で大きく、小さな口は笑うと牙が少し見える。
スタイルはスレンダーだが、メリハリのある女性らしい体つき
カノンに亡命
エンムギ
種族:人間???
年齢:︱︱︱︱︱︱
職業:数年前までは、お城に宮廷魔術師
異名:古の大魔道師
聖戦で活躍したとされる大魔道師とは別人 中位魔法まで使える
名不明
種族:人間???
年齢:500年前から生きている???
職業:聖戦で活躍したとされる大魔道師
異名:古の大魔道師
ルシに封印を施したローブを纏った謎の男?
上位魔法、古代魔法、禁呪も使える
アンナ
種族:人間???
年齢:︱︱︱︱︱︱
職業:︱︱︱︱︱︱
異名:︱︱︱︱︱︱
いつも陽気 恰幅
カノンに亡命
429
マイラス
種族:人間???
年齢:︱︱︱︱︱︱
職業:︱︱︱︱︱︱
異名:︱︱︱︱︱︱
恰幅のいい中年。昔はディアーク王都で、冒険者ギルドの専属ギ
ルド員だった
カノンに亡命
︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱◇︱
魔界の住人
レギーナ
種族:魔人???
年齢:︱︱︱︱︱︱
職業:︱︱︱︱︱︱
異名:︱︱︱︱︱︱
ドゥカゥス
種族:魔人???
年齢:︱︱︱︱︱︱
職業:︱︱︱︱︱︱
異名:︱︱︱︱︱︱
イムペラート
種族:魔人???
年齢:︱︱︱︱︱︱
職業:︱︱︱︱︱︱
異名:︱︱︱︱︱︱
430
そのた
魔界の王城 レクステンブルム
随時、変更追加があるかも知れません。
431
ルシの過去 その2
ヴァルザードにはそれ以外の言葉が見つからなかった。
王女達は絶句し完全に言葉を失っている。
聖戦。それはエプソニア大陸に住む人々皆が知っていることだ。
子供の頃から伝説として代々語り継がれているものだが、それはこ
の大陸、人間達の史実なのだ。
そして人間は﹃正義﹄だった。魔族は完全な﹃悪﹄、それ以外は
﹃中立﹄という扱いだった。 だがアオローラの話が事実なら人間
が﹃悪﹄になってしまう。人間にとってそれはあってはならないこ
とだった。
﹁ふぅ、ちょっとお喋りがすぎた様ね⋮⋮ わたしとしたことが熱
くなりすぎたようだわ﹂
そう言って立ち上がるアオローラ。いかにも、もう話す事はない
わ。という素振りで部屋を出て行こうと扉の取ってに手を掛けた。
しかしクーの言葉がアオローラの足を止めた。
﹁あ、あの、る、ルシ様は⋮⋮﹂
そこまで言って俯いてしまう。
﹁ん? なにかしら。﹃彼の事﹄、なら何でも教えるけど⋮⋮﹂
それ以外の事は聞かないで頂戴。といった感じである。
もちろんクーにはルシ以外のことなどどうでも良かった。クーに
とっては伝説などどうでもいいことなのだ。正義だの悪だのどうで
もいい。ルシが全てなのだ。
クーは頭を上げると、意を決したように大きな声で言い放った。
﹁ルシ様とアオローラさんは、どういう関係なのですかっ!?﹂
部屋にいる全ての者が、耳を塞ごうかと思うほどの大声だった。
432
それまで固まっていた王女達も皆一斉にクーに視線を向ける。クー
は顔をリンゴのように真っ赤に染め俯いてしまう。
アオローラも目を見開き驚きの表情を見せたが、それも一瞬の事
で、吹き出してしまった。
﹁ぷっ、ぷっぷっぷっ、あっはっはっはっー⋮⋮⋮⋮ ﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁っと、ごめんなさい⋮⋮ えっと悪気はないのよ。ちょっと、予
想外の質問だったから、驚いちゃって、ぷっぷっぷっ⋮⋮﹂
扉の前で身体を大きく揺らしながらも、必死で笑いを堪えようと
するアオローラ。
それに引きかえクーは頬を染めながらも下唇を噛み締め必死で羞
恥を堪えようとしている。
なんとか笑いが治まったアオローラは、申し訳無さそうにクーに
向かって両手を合わせた。
﹁ほんとにごめんなさいね。全て話すから許して貰えないかしら?
貴女にとっても悪い話じゃないと思うわよ?﹂
その言葉を聞いて少しは安心したのか、クーは小さく頷く。
﹁よかったわ。じゃちょっと話が戻るけど、説明させてもらうわね﹂
そう言ってソファーに戻ると、ゆっくりと語り出した。
﹁貴女達は知らなかったでしょうけど、彼は記憶を失っていたの。
怪我の後遺症だと思うのだけれどね。彼の髪と瞳の色が変わってい
るでしょ?﹂
﹁肌の色も変わっていますっ!﹂
叫ぶように言葉を遮ったのはクーだった。
﹁あ、そうだったかしら? ごめんなさい肌の色までは覚えて無か
ったわ⋮⋮﹂
﹁い、いえ。いいです⋮⋮﹂
この時改めてアオローラは思った。
︵この娘はほんとうに彼が好きなんだわ⋮⋮ 何一つ洩らすことな
433
く全て知りたいってことなのね。分かったわ、出来るだけ細かく教
えるわね︶と。
そして改めてアオローラは語りだした。
髪、瞳、肌の色が変わったのは魔王の魂が消え、本来の彼の色に
戻ったんだと。体中に刻まれた古代文字の封印は海竜王様のお力で
消し去ったこと。魔王の魂と同化したとはいえ、その殆どの力を失
っていた為、以前のような力はもう失われていること。ついでと言
っては失礼なのだが、ブライのことも教えた。そして記憶を取り戻
すために旅に出たこと。その旅には海竜王様の命でアオローラが同
行することになったこと。旅の間での会話や行動も覚えている限り
全て教えた。と言ってもルシは終始無口だったのだが⋮⋮ だが胸
を押し付けてからかった事だけは隠しておいた。そしてクーに出会
った瞬間に記憶を取り戻したこと。そこまでをじっくりと語って聞
かせたのだ。もちろん男女の関係なんか全く無かったわよ。と付け
加えていた。
﹁これが私の知る全てのことよ。納得して貰えたかしら?﹂
﹁あの⋮⋮ なんで海竜王⋮⋮様? が一緒に旅をするように命令
したの?﹂
﹁あー、ごめんなさい。それは私も聞かされていないのよ。それに
私たち海人族は海竜王様の命令は絶対に逆らえないから⋮⋮ あ、
だからって嫌々一緒に旅した訳じゃないのよ。それとこれは私の憶
測だけど、この世界がまだ﹃彼﹄を必要としてるんじゃないかな⋮
⋮﹂
一同は言葉が見つからないと言った感じで、部屋は沈黙に包まれ
る。
アオローラは、当然かな? と思いつつ苦笑を浮かべていた。
﹁さて、疲れちゃったし戻っていいかしら?﹂
﹁あ、あぁ、ありがとう。また何かあったら話を聞かせてもらうか
434
もだが、とりあえずはそうだね。戻ってもらって構わないよ﹂
ヴァルザードがそう言い、軽く頭を下げた。つられるように他の
面々も一礼している。
それを確認するとアオローラは﹁じゃぁね﹂とウィンクをして部
屋をあとにした。
﹁まだ本題が残っているのだが、ちょっと一息入れようか?﹂
ヴァルザードは皆の返事を待たずにメイドを呼ぶと新しい紅茶を
用意させた。
一同はその紅茶を飲みながらも、思い思いの考えにふけっている
ようだ。そしてヴァルザードも︵あぁ、俺はまたこの美少女達に嫌
われる事になるんだろうなぁ⋮⋮︶などと憂鬱な気分に襲われてい
た。
﹁さて、本題に入りたいが、そろそろいいかな?﹂
そう言って一同を順に見渡す。皆、軽く頷くだけで返事は無い。
﹁まず、ルシ君に聞きたいんだが、今後どうするつもりなんだい?﹂
﹁どうするとは?﹂
﹁うむ、この国に残るのか、また旅を続けるのか、旅に出るなら何
時出立するのか。そして旅に出るなら、またここに戻るつもりがあ
るのか。だね﹂
一同の顔色が変わっているのが目に見えて分かった。とくにシェ
ラなど激昂しそうな雰囲気を漂わせている。
ヴァルザードはちょっと性急すぎたかと後悔もするが、それも致
し方ないかと諦める。
ルシの答えは決まっていた。もとより一つの場所で定住するつも
りなどは無かったし、明日にでも出立したいと考えていた。しかし
それを皆に話す切っ掛けが無かった。特にクーに。
今がそのチャンスだとは思うものの、クーにだけは黙って行く方
が良いと考えていたのだ。
435
﹁旅にでるつもりはあるが、それ以外はまだ未定だ﹂
﹁そうか、それを聞いて少しは安心したよ。しかし旅に出るなら、
出来るだけ早く出立して欲しいんだがね?﹂
﹁﹁なっ!﹂﹂
バンッ!
シェラが机を力いっぱい叩いて立ち上がった。
﹁それ、どういうことよっ! 何時までいたってルシの勝手でしょ
ー﹂
爆発したのはシェラだった。しかし皆一様に厳しい視線をヴァル
ザードに向けている。
﹁ヴァルザード様。それはどういうことでしょうか?﹂
キャノ王女までもが、厳しい口調で問いただす。
さすがにヴァルザードも顔が青ざめている。シェラは慣れたもの
だが、キャノ王女がこれほど激しく怒りの感情を露にしたのを見た
事が無い。思わずどもってしまった。
﹁い、いや、その⋮⋮﹂
ルシはヴァルザードが言いたい事を全て理解した。と同時に、自
ら言うべきだったと後悔もした。ヴァルザードはこの国に必要な人
間なのだ。こんなことで不信感を持たれるのは避けるべきだった。
ルシはすっと立ち上がった。
﹁今日⋮⋮ 今すぐに出て行く。そして2度とこの国に戻る事はな
い⋮⋮﹂
﹁﹁﹁なっ!﹂﹂﹂
﹁ルシ様ぁ!﹂
そのまま出て行こうとするルシを皆が引き止める。クーは抱きつ
き、両王女やシェラはそれぞれルシの腕や服を掴んでいる。
﹁ヴァルザードォォォォッ! なんとか言いなさいよっ!﹂
シェラの怒りも最高潮に達している、いくら無礼講だからと言っ
て呼び捨てなど初めてのことだった。しかし誰もそんなことは気に
もとめない。
436
﹁いや、すまない。ルシ君、とりあえず座ってくれ。君はいつも性
急すぎるよ﹂
﹁俺は、敵兵といえど、殺しすぎた⋮⋮ それにビズルトラの民が
大半カノンに流れている﹂
﹁わかってるわよそんなこと。だからって、だからって⋮⋮﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
皆が分かっていたことだった。分かっていても考えようとしなか
ったのだ。考えたくなかったのだ。あえて言わなければそのまま時
が解決してくれると淡い期待を持っていたのだ。
ヴァルザードが立ち上がり深々と頭をさげる。
﹁すまない⋮⋮ せめて、もう少し待つべきだったようだね。この
件は改めて皆で話し合うということで、どうだろう?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁そうね⋮⋮﹂
﹁﹁はい⋮⋮﹂﹂
﹁わかった﹂
437
旅立ち
ヴァルザードの部屋を出て右に行くと上りの階段があり上の階へ
と続く。上の階は王家専用区域となり両王女達の私室がある。逆に
左に行けばシェラやクーに与えられた私室があり、その先に下りの
階段がある。もちろん他にも幾つかの部屋はある。そして下の階に
ルシとアオローラが与えられている賓客用の部屋があった。
一同は無言のままヴァルザードの部屋をあとにすると、それぞれ
が各自、自分の部屋に向かった。しかしクーとリンだけは自室に入
らずルシの後を付いて来ている。
ルシはクーとリンの部屋の場所を知っている。昨夜、寝る前に無
理やり部屋に連れて行かれ、﹁今日はここで一緒に寝てください﹂
と散々駄々をこねられたからだ。
ルシが自分の部屋の前で立ち止まると、クーとリンもその後ろで
立ち止まっている。
﹁どうした、なにか用か?﹂
出来る限り平穏を装った声で聞いてみた。
﹁⋮⋮﹂
しかしクーは俯いたまま、ただジッとたたずんでいる。
やはりそうか。と一瞬だけ苦笑を浮かべ、仕方がないか、と声を
かけた。
﹁俺は部屋に戻るんだが、⋮⋮入るか⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮﹂
無言で小さく頷くだけだった。
扉を開けるとクーとリンを先に部屋に入れ、後から自分が入り扉
を閉めた。
立ち尽くす2人をソファーに座らせると自分もその前に座り、静
438
かな声音で話しかけた。
﹁さっきも言ったが、俺は旅に出る。お前たちは此処で﹁嫌ですっ
!﹂﹂
ルシが言い終わる前にクーの悲鳴のような叫び声が、それを打ち
消した。
見るとクーは俯いたままその小さな肩を小刻みに震わせている。
ルシは少し落ち着いてからの方が良いかと、メイドを呼び紅茶を
頼む。
メイドにも先ほどのクーの叫びが聞こえたのだろう。気取られな
い様にはしているが表情の所々に訝しむ様子が見受けられた。
ルシは何も無かったように平然としているが、クーはずっと俯い
たままだ。
︵あらぬ噂が広がる前に早く出た方が良いな︶と改めて思うのだっ
た。
﹁それを飲んで少し落ち着け﹂
クーが紅茶に口を付けるのを確認しながら、さてどうやって話を
切り出すかなと思案しているとクーの方から言葉を投げられた。
﹁ルシ様が何を言っても無駄です。⋮⋮もし、ルシ様が私を置いて
逃げても、どこまでもルシ様を捜して旅をします﹂
﹁⋮⋮迷惑だ。⋮⋮と言ってもか?﹂
その一言はクーにとって衝撃が大きすぎた。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮わ、わかりまし
た﹂
震える声で呟くクーは、そのまま立ち上がるとルシの顔を見る事
無く部屋を出て行った。
リンは困惑の表情でクーの後を追うか悩んでいるようで、その視
線が扉とルシに交互に向けられる。
ルシはそんなリンに﹁お前はどうする?﹂と声に出して問いかけ
た。
439
リンは悩んだ。ルシに付いて行きたいのだ。この数ヶ月の間リン
もクーに負けないくらい辛かったのだ。もし自分がルシと行けばク
ーが1人になる。この娘は元来自分の事より人の事ばかり心配する。
クーの辛さを知るリンはクーを置いて自分だけルシと一緒に行くな
ど許せなかった。﹁ク∼ン﹂
リンはその目を潤ませ、哀愁を帯びた声で呟くように鳴くと、部
屋を出て行った。
︵これでいいんだ。ここに居ればあの娘達は幸せに暮らせるはずな
んだ⋮⋮︶
ルシは早速出立の準備を始めた。といっても着替えが入った袋と
外套だけで1分と掛らなかった。荷物を持ち部屋を出ると、一つ忘
れていた事を思い出しヴァルザードの部屋を訪ねることにした。
ヴァルザードは少し驚いた表情を見せたが、すぐ部屋に入るよう
進めてくれた。
﹁いやー、ちょうど君の部屋に行こうと思ってたところなのだよ。
よくきてくれたねぇ。いやしかし奇遇だねぇ⋮⋮はっ、ははっ、は
はっ。⋮⋮﹂
無理に笑おうとしているのが見え見えだった。そんなヴァルザー
ドにルシは首を傾いでいる。﹁顔が引き攣っているぞ⋮⋮?﹂
﹁な、何を言ってるんだね⋮⋮ そ、そんな事は無いよ。うん。⋮
⋮で、なにか用かね?﹂
ルシはなにをどもっているんだ? と思いながらも本題を切り出
した。
﹁あぁ、俺の魔剣のことだ﹂
﹁なっ!? ま、魔剣?﹂
更に驚くヴァルザード。声が完全に裏返っている。
﹁あぁ、レーヴァテインのことだ。俺はあの時どこかで落とした様
なんだが、知らないかと思ってな﹂
﹁はぁぁぁぁぁ﹂
440
肩の力の抜き、思い切り項垂れるヴァルザード。
﹁なんなんだね、君はぁ、まさかそんな事で俺の部屋に来たのかい
⋮⋮?﹂
どうやらヴァルザードはルシが怒って殴りにでも来たと思ってい
たようだ。﹃早く出て行け﹄的な発言をしたのだから当然かも知れ
ないが、とんだ勘違いなのである。むしろルシはヴァルザードに言
わせてしまった事を悔いていた。ヴァルザードに謝らなければとさ
え思っていた。
互いに赤面し、謝り合うという奇妙なやり取りを済ませたあと、
2人は宝物庫に向かった。
しかしルシはレーヴァテインを手にすることが出来なかった。
他の者と同じ様に触れただけで力を吸い取られ数センチ持ち上げ
る事さえ適わなかった。
﹁なるほど、魔王の力があったから﹃持てた﹄という事か⋮⋮﹂
﹁⋮⋮のようだな⋮⋮﹂
﹁持てないとなると、どうする? ⋮⋮馬車で運ぶか?﹂
﹁まさか。ここに置いて行くさ﹂
﹁そ、そうか﹂
﹁じゃぁ、俺はそろそろ行くことにする﹂
﹁うむ、本当に済まないね⋮⋮﹂
﹁いや、記憶を失ってなければ戻って来なかった。戻ってしまった
事が間違いだったんだ﹂
﹁しかし、本当に彼女達に黙って行くつもりかい?﹂
﹁あぁ、あんたに迷惑をかける事になるだろうがな⋮⋮﹂
﹁そんなことは気にしなくていいよ。だが⋮⋮﹂
﹁ふっ。切が無い。ここらで話は終わろう﹂
﹁⋮⋮わかった。では、せめて城門まで送らせてくれたまえ﹂
﹁すきにすればいいさ﹂
2人は宝物庫を出ると、そのまま城門に向かった。
441
その数分間を2人は一言の言葉も交わさなかった。
城門に着くと門番が敬礼をしている。それに﹁ご苦労﹂と礼を返
すヴァルザード。
上将軍であり騎士団長のヴァルザードが平服の男と並んで歩いて
る事に少し訝しむ表情の門番を軽くあしらい門の外まで出ると、思
い出したように声をかけた。
﹁そうだ、馬は要らないのかい?﹂
﹁あぁ、急ぐ旅でもないし、行く宛もない旅だしな﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
﹁じゃぁ、あいつらのこと頼む⋮⋮﹂
﹁うむ、安心して任せてくれたまえ﹂
最後にルシはヴァイスレーヴェ城に視線を移した。
儚げな表情を見せたが、それもほんの刹那の事で、すぐに表情を
引き締めると背を向けてしまった。そしてその足は南の街門へと向
かうのだった。
その背を見つめヴァルザードは心の中で誓っていた。
︵彼女達の事は命に代えてもこのヴァルザードが守って見せる︶と。
そしてヴァルザードはその背中が夕闇に消えるまで城門に立ち尽
くしていた。
442
嘘
ルシは夕闇に陰り始めたキャメロン王都を南の街門に向かってい
た。民衆で賑わう王都の大通りを、頭からフードをすっぽり被り顔
を隠すように俯き加減で歩いている。
ふと気が付くと少女達のことを考えていた。眉間に皺を寄せ、俺
はいつからこんなに女々しくなったんだ、と心の中で呟き、頭を軽
く左右に振ると、別の思考を働かせようとする。⋮⋮そして旅の向
かう先を決めていなかった事を思い出し、どこに行こうかと思案す
ることにした。色々考えたあげく、まだ行った事が無い大陸最大の
ネーベル湖に向かってみようと考えた。向かう先が決まると次に考
える事が無くなり、また小女達の顔が脳裏に浮かんだ。クーの照れ
顔、シェラの怒った顔、キャミ、キャノの笑顔、リンの憂い顔、次
々と浮かんでくる。ルシは彼女達のことを頭の中から追い払うよう
に大きく頭を左右に振る。そして、はたとアオローラの事を思い出
した。すっかりアオローラの存在を忘れていたのだ。﹁しまった﹂
とは思うものの今更引き返す事も出来ず、まぁヴァルザードなら責
任、いや喜んで海まで送ってくれるだろうと、納得する事にした。
街門に到着したルシは番兵にネーベル湖へ向かう道を尋ねていた。
それも街道ではなく、古道や廃道と言った人の行き来が少ない道を。
ルシは、もう人と関わり合うのはごめんだと思っていた。出会い
があれば必ず別れがやって来る。別れる辛さを身に染みて思い知っ
たのだ。
ルシが番兵に説明されているとき、馬蹄の音と共に白銀の美麗な
鎧を身に纏った騎士が数人やって来た。それはシェラが隊長を務め
る戦乙女騎士隊の女性達だった。
443
シェラ本人は居ないようだが、皆知った顔だった。咄嗟に背を向
け顔を見られないようにするが、彼女達はすぐにルシだと気が付い
たようだ。
1人の騎士が馬を降り、ルシに歩み寄る。
﹁探しましたよ、ルシ殿⋮⋮﹂
言い終わると他の騎士に目配せで合図を送っている。送られた騎
士はすぐさま踵を返し城の方へと走り去った。
ルシは、ばれているなら仕方がないと、その騎士に向き直った。
﹁隊長より、ルシ殿を見つけたら﹃その場で待ってもらえ﹄と言わ
れております。どうかこの場でお待ち願えないでしょうか?﹂
女性騎士の言い様は丁寧であるが、﹃力尽くでも待ってもらう﹄
という意思がはっきり見て取れる。ルシがその気になれば彼女達な
ど物の数秒で地に平伏すだろう⋮⋮たとえ魔王の力を殆ど失った今
でさえ。しかしルシにそんな事が出来るはずもない。
﹁⋮⋮⋮⋮わかった﹂
結局了承するしかなかった。
ルシの言葉を聞き騎士の表情が安堵に変わる。声音も随分優しく
なっていた。
﹁ありがとうございます⋮⋮では此処は人目に付きますので少し外
に行きましょうか?﹂
そう述べると、街門を出て番兵から数十メートル離れた位置でシ
ェラを待つことにした。
程なくして大通りを馬で駆るには早すぎる速度でシェラがやって
きた。その背にはクーも乗っている。
栗色の髪を振り乱し、その目は吊り上り、頬を真っ赤に染め唇を
固く噛み締めている。
その表情はまさに悪鬼の如く。である
ルシとしては黙って出て来たのだから怒っているだろうと想像は
444
していた。しかしその怒り方が尋常ではなかった。
シェラは馬を飛び降りるなりルシの眼前に走り寄ると、前触れも
なくいきなりその細腕を大きく振り切った。
バチィンッ!と言う、冷たく乾いた音が辺りに響き渡る。
その手はルシの顔面を捉えていた。強烈な平手がルシの顔面を襲
ったのだ。
もちろんルシの目には、その手の動きは完全に見えていた。
自分の頬に当たるその瞬間でさえはっきりと。
避ける事など造作も無い事だった。
しかしあえて避けなかったのだ。
何故? と問われてもたぶんルシには答えられないだろう。
ルシは叩かれても無表情で立ち尽くすだけだった。
なんの反応も見せない。
叩いたシェラの目に涙が溢れている。そして止め処なく涙が流れ
出した。
﹁ルシ。あんたクーになんて言ったの?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁男なら自分の言動に責任持ちなさいよっ! ⋮⋮⋮⋮なんでクー
を置いて出て行こうとするの? なんでクーがあんたを追いかけな
いの? あんたがクーに余計な事言ったんでしょ!?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮クーは此処に残るのが幸せなんだ﹂
﹁はぁ? 誰がそんなこと決めたの? どうしてそういう可笑しな
発想がでてくるわけ?﹂
﹁⋮⋮クーを見てそう思った。⋮⋮いや、確信した⋮⋮﹂
﹁なにを見てそう思ったの? まさかクーが嬉しそうに笑ってたか
らとか、楽しそうだったとか言うんじゃないでしょうね?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁あんたって⋮⋮ どこまで鈍いよっ! ⋮⋮私はね、ここ数ヶ月
クーが心から笑ってる所を一度だって見たことがないわよ。いつも
445
しょぼくれて、話しかけても愛想笑いを浮かべるだけ。喧嘩を吹っ
かけても一度も乗ってこない。⋮⋮⋮⋮まだあるわよ。これはメイ
ドの娘に聞いたんだけどね、毎朝枕がビッショリ濡れてるんだって。
どういう事か分かるわよね? ⋮⋮あんたが帰ってこないから毎晩
泣いてるのよ。⋮⋮それがどう? 昨日からのクーはまるで別人見
たいに笑うじゃない? なんで? あんたが此処に居るからでしょ
っ! なんでそれが分からないのよ。なんで分かってあげないのよ
⋮⋮﹂
﹁シェラ⋮⋮ もう、いい⋮⋮ あり、が、とう⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
そこにヴァルザードと戦乙女騎士達に連れられて、2人の王女が
やって来た。
憂いの表情を見せるルシ。
涙で顔をぐちゃぐちゃにしているシェラ。
俯きただひたすら耐えている様なクー。
王女達には、なにがあったのか、大体の予想が付いたのだろう。
キャミがルシの前に立ち、改めて確認するように問いかけた。
﹁ルシさんがご自分で決めたのなら、もう止めても無駄なのでしょ
うね⋮⋮﹂
その声は儚く切ないものだった。
ルシは返事をしない。しかしそれが肯定であることは誰の眼にも
明らかだった。
﹁分かりました。⋮⋮でも、クーちゃんは連れて行って下さいね。
私が約束したのは、ルシさんが戻るまででしたよね? これ以上理
由もなくクーちゃんを預かる事は出来ませんので⋮⋮﹂
キャミは気持ちを噛み殺すように淡々と述べて﹁では﹂と頭を下
げる。
そしてクーに向き直る。
﹁クーちゃん。餞別として馬を一頭あげるわね。悪いけど貴女の荷
446
物は勝手に持ってきたわ。それも持って行ってね﹂
キャミは無表情にそれだけ言うと皆の後ろに隠れるように引き下
がる。
それを待っていたかのようにヴァルザードが公言した。
﹁さ、王女様引き上げましょう。皆も速やかに城に戻りたまえ﹂
皆がばらばらと引き上げる中、シェラが小さな声でクーに話しか
けた。
﹁あんたのことをこれほど羨ましく思ったことはないわよ。多分キ
ャミもキャノ王女も私と同じ気持ちよ⋮⋮﹂
辺りに静寂が訪れた。
一陣の風が草原の草葉を波打たせている。
それに同調するように、クーの灰銀の髪がなびく。
リンの純白の体毛が煌く。
そしてルシの漆黒の髪が揺れる。
草原に残ったのは3人だけだった。
クーはどうして良いのか分からないのだろう。城を追い出され、
ルシには迷惑だと言われ、いく宛もなく立ち尽くすしかなかった。
もちろんキャミが本気じゃない事は分かっている。追い出せばル
シが連れて行くと考えてそうしてくれたのだと。しかしルシに迷惑
だと言われた事実は消えないのだ。
﹁悲しい嘘だったな⋮⋮﹂ 呟いたのはルシだった。
クーは小さく頷く。
ルシはクーを抱き上げ馬の背に乗せると、自分も馬に跨った。
驚くクーに、笑顔を向け囁いた。
﹁迷惑なんて思っていないさ⋮⋮﹂
﹁る、ルシ様も、悲しい嘘だったのですか?﹂
447
﹁⋮⋮さぁな⋮⋮ 早く宿を見つけないと野宿になる。いこう!﹂
こうして3人の新たな旅がはじまった。
ルシ達はまだ知らないが、馬の鞍に吊るされた革の袋にはクーの
所持品以外に、一通の手紙と大量の金貨、キャノのペンダントが入
れられていた。
その内容は
﹃時間がないので手短に書きます。このお金はお貸しするだけです。
必ず返しに来て下さいね﹄ そして幾つもの丸いシミが手紙を濡ら
していたのだった。 いっぽう、城内ではアオローラが1人喚き散らしていた⋮⋮
448
戦乱へ
ディーエス山脈の南にあるビズルトラ領とカノン領を結ぶ街道。
そこは以前ビズルトラ国がカノン侵略で国王を失った辺りである。
だからといって国王の墓碑があるわけでもなく、これといった名所
になっているわけでもない。今はたまにビズルトラを捨てカノンに
亡命する人々が通る程度で、切り立った崖と波高な岸壁に挟まれた
だけの街道の一箇所に過ぎない。
そんな場所に1人の女性、いや少女だろうか? が何時間も立ち
尽くしている。
岸壁ギリギリの波打ち際に立つその美少女は、下から吹き上げる
潮風でスカートが煽られる事など欠片も気にしていないようだ。
その美少女、顔だけ見れば15,6。しかしその9頭身の身体は
すでに少女のそれではなく、艶やかな銀髪と真紅の瞳、揺らめくス
カートから覗く妖艶な脚のラインが特に印象的である。
何時間も瞑想するかの如く立ち尽くしていた美少女がなにやら呟
いた。
﹁⋮⋮やはり、もう何も感じられない﹂
凛としているが、どこか儚げで哀愁を帯びた声だ。
﹁しかし︱︱確かにここにあの方の魔力の痕跡はあるのだ﹂
数秒の時を挟んで言葉はさらに続いた。
﹁⋮⋮だが、ここを最後にその痕跡は消えている︱︱なぜだ⋮⋮﹂
誰かに問いかけているのだろうか? しかし少女の他には誰も見
当たらない。
ルシ達が旅立った翌日のこと。
449
カノン王国の主城ヴァイスレーヴェ。その一室で緊急の軍事会議
が行われていた。
各地に散らばる斥候の内、ビズルトラ南方にある小国群の動向を
探っていた者たちからの報告が緊急性を要したからだった。
悲しみに涙する暇も与えられない。それが一国の王女たる宿命な
のかもしれない⋮⋮
しかしそれが彼女達には良かったのかも知れない。一時でも悲し
みを忘れられるのなら。
﹁うむ、5カ国が合同でビズルトラを攻めると言う事か。それは確
かなのか?﹂
真剣な面持ちで述べているのはヴァルザードである。
﹁はっ! それぞれの小国を探っていた者たちは皆一様の報告書を
持って帰っております。まず間違いないかと⋮⋮﹂
報告をしたのは室内の扉付近に立つ一介の騎士のようだ。
ビズルトラ南方の小国群。
広大な領地を持つビズルトラ国の南には小さな5つの国が存在し
ている。国と呼ぶには小さすぎるその国々は5つが合併したところ
でビズルトラの半分にも満たないだろう。そんな国々が今まで存在
していたのは、その小ささ故と小国同士の結束力の高さ、ならびに
ビズルトラ国の北にそびえるノルフォルテ山脈を越えた地域の小国
群の存在も大きかったかもしれない。あくまで憶測であるのだが。
その報告でカノン王国は一時騒然となった。この500年の間、
小国から5大大国に進軍するなどという事は一度も無かった事だ。
もちろん5大大国側から小国への進軍も暗黙の了解のうちにほとん
ど行われなかった。エプソニア大陸はそれほど安定期だったと言え
るかもしれない。
450
しかし近年、ビズルトラ国のみがその暗黙の了解を犯しつつあっ
たのだ。大陸最大と云われる軍事力を誇った所為かもしれないが、
その王の資質が一番の要因であると言うのがもっぱらの噂である。
それが今、反対の立場となりビズルトラが小国に攻め込まれると
云う、前代未聞の出来事が起こりつつあった。いや、起こっている
と言った方が良いかもしれない。
そしてそれを迎えうつだけの力が今のビズルトラには無かった。
だが問題はビズルトラ国だけに留まる事ではない。ビズルトラ南
の小国群が動き出したという事は北の小国群も動き出すと考えるの
が当然であった。小国は自国の小ささ故その繋がりは強かった。そ
の南北の小国が1つに纏まり広大なビズルトラ領を一手に収めれば
ビズルトラに勝るとも劣らない一大大国が生まれることになる。
他の4大大国の動静如何によって大陸全土を巻き込む戦乱の時代
へと突入しかねないのだ。
軍事会議が行われる一室では、皆一様に厳しい面持ちで思案して
いるようである。
静まり返る中、カノン国王が自ら言を発した。
﹁皆に問いたい。我カノン王国はどのような体制で臨めばよいだろ
うか?﹂
皆が自然と俯き加減になっていく。国王の問いに答えられない自
身を恥じているのかもしれない。しかし堂々と手を挙げ発言を求め
た者がいた。
﹁うむ、ヴァルザード殿、なにか良い案はあるかな﹂
﹁はっ、愚策かも知れませぬが、ここは砦の強化のみを行い、他国
の動静を見るだけに留めるべきかと思います。もちろん他の3大王
国とは直ちに連絡を取り合う必要はございますが﹂
451
室内がざわめきだす。特に武官達には気に食わないようだ。
上将軍の1人フォルティスという男が挙手もせず立ち上がると、
突然罵声を浴びせてきた。
﹁ヴァルザード殿ともあろうお方が何を申される! たかが小国群
などに恐れをなしては、我国はとんだ笑いものになるわぁっ!﹂
それに賛同するように多くの武官から﹁そうだそうだ﹂と言う声
があがる。
しかし文官達はヴァルザードの意見に概ね賛成の様である。
その理由は違うものかもしれないが⋮⋮
1人の文官がおもむろに挙手し発言を始めると、室内は更なる意
見が飛び交うようになる。
﹁我カノン王国は今、多くの難民を抱え財政難にございます。とて
も遠征など出来る状態ではありません。今は情勢を見るのが一番か
と思われます﹂
﹁馬鹿なっ! そんな事をしていればビズルトラ以上の脅威を作る
ことになるのだぞ! ここは此方から攻めべきだ!﹂
﹁簡単に攻めると申されるが、軍事費もまま成らない今、どうやっ
て遠征するのです?﹂
武官達の意見はこうだった。
ビズルトラに進軍する小国は城の守りが手薄になる。そこを攻め
て城を奪えば財政も潤う。さらに余力があればビズルトラに向かう
軍勢の背後を突き、ビズルトラ軍との挟撃で一気に攻め滅ぼすと言
うものだった。
黙って聞いていた両王女だったが、とつぜん2人同時に立ち上が
った。我慢の限界だったのかもしれない。しかしそれを制したのは
カノン国王であった。
両王女を制したカノン国王はおもむろに立ち上がると。テーブル
452
に両の手を力いっぱい叩き付けた。
騒然としていた室内は一気に沈黙へと変わる。
皆が静まり返った中、国王が静かに、しかし力強い言葉で口を開
いた。
﹁このワシに居留守を狙うこそ泥の様な真似をしろと申すのか? この歴史あるカノン王国にそんな汚点を刻めと申すのか?﹂
武官達は項垂れてしまった。
﹁どうなんだ、フォルティス。なんとか申してみよっ!﹂
﹁はっ⋮⋮ 失言でした。返す言葉もありません﹂
更なる怒りをぶちまけようとする国王を、こんどはキャノ王女が
制した。
そっとカノン国王の手を握り﹁それぐらいでお許しを﹂と、小さ
く囁いたのだ。
カノン国王は薄っすら涙を浮かべるキャノの顔を見て怒りがすぅ
ーと治まったようだ。そのまま席に座ると、代わりにキャノ王女が
立ち上がる。
キャノ王女は武官達を見渡しゆっくりと優しい声音で語りかけた。
﹁フォルティス様。そして他の武官の方々も聞いてください﹂
室内にいる全ての視線がキャノ王女に注がれる。
﹁フォルティス様達の危惧するところは分かります。確かにカノン
王国は﹃弱国﹄などと非難されるかもしれません。わたくしも自国
が馬鹿にされるのは嫌ですわ。︱︱ですが、﹃卑怯な国﹄と罵られ
るよりはマシではないですか? それにたとえ小国が纏まり大国に
なったとしても、わたくしたち他の4大大国が纏まれば脅威でもな
んでもないはずです。あらたな5大大国の一角になって頂いてもい
いと思います。今、むやみにカノン国が介入すれば戦乱を招く事に
なり兼ねません。わたくしの考えは間違っていますでしょうか?﹂
皆が納得したわけではない。正直甘すぎると思っている。4大大
453
国が纏まることなど不可能なのだ。新たな5大大国の一角にするな
ど、他の大国が許すはずが無い。もし小国が纏まりビズルトラ以上
の国力を持てば、まず最初にカノン王国が潰される。そして他の3
国は黙って見ているだろう。カノンを潰す際に衰退すればそこで潰
せばいいと考えるかもしれない。
とにかく一番危ないのはカノン王国なのだ。それが大半の考えで
あった。
だが、この王女なら⋮⋮ そう考えてしまう。
カノン王国を1人で纏め上げ、強力な戦士を招きビズルトラを撃
退にまで追い込んだキャノ王女ならと。そしてあの時誓ったではな
いか。
この王女の為に死のうと⋮⋮
454
アオローラ追い掛ける︵前書き︶
すみません、アオローラの事を忘れていました⋮⋮
455
アオローラ追い掛ける
話は少し遡り、軍義がはじまる前日。
ルシに置いて行かれたアオローラは、すぐにルシの後を追う旅に
出ることにした。
皆が、色々心配してくれる中、ヴァルザードだけは視線をちらち
ら胸に移しながら、引き止める様なセリフを吐いていた。
それに気付いたシェラが、戦乙女騎士隊の面子が居るにも関わら
ず、無礼講を通り越した毒舌を浴びせた。
﹁こらぁ、そこの変態おやじっ! いやらしい目で見てないで、さ
っさと仕事にもどれっ!﹂
騎士隊の面々は驚愕の表情でシェラを見ている。
当然のことである。上官に対する暴言、通常なら懲罰房行き、下
手すれば監獄行きの上死罪もありうることだった。まぁこの2人に
限ってそれは有り得ないことだが、騎士達はそんなことを知る由も
無い。
しかしヴァルザードも仲間内だけなら、その言にも我慢するのだ
が、皆の前で言われたのでは面子があったものではない。更には士
気にも影響しかねないのも事実である。
﹁シェラ君、騎士団長の私に向かって、その様な暴言が許されると
思っているのかね?﹂
いつもに増して厳しい口調だった。
しかしシェラも負けていない。目を吊上げ悪鬼の如く吼えた。
﹁はぁ? 変態に変態って言って何が悪いのよ。だいたいねぇ、い
つもいつも、職権を笠に着て私の隊員にちょっかい出してるわよね
ぇ⋮⋮。言っとくけど彼女たちは私の部下よ。いくら騎士団長だか
らと言っても、彼女たちに限って言えば命令権限は私の方が上なの
456
よ? 私が﹁団長と会話するな、3メートル以内に近寄るな、目を
見るな、同じ空気を吸うな﹂そう命令したら、どうなると思ってる
の? えぇっ!﹂
終始、吼えるような物言いだったが、最後の﹁えぇっ!﹂だけは
更に強烈な迫力があった。
ヴァルザードは忘れていた。今日のシェラはいつものシェラと違
う。ルシと再会を果たすも、たった1日で別れたのだ。その心の内
は想像を絶するだろう。
さらに言えばシェラはやると言ったらやるのだ⋮⋮
﹁君子危うきに近寄らず。だね⋮⋮ はっ、ははっははっ﹂
言下にルシの神速を思わせる速度で、ヴァルザードはその場から
消えていた。
アオローラはそんな光景を見て、ルシという少年はつくづく罪作
りな男だと思うのだった。
そして私の旅を心配する暇があるなら自分の心配をしなさい。と
言いたくなった。
﹁えっと、それじゃそろそろ出発するけど、なにか伝言とか有るか
しら? 一言で済まないなら手紙を預かってもいいわよ?﹂
3人は躊躇うような仕草を見せた。
3人が3人とも伝えたい事は山ほどあるだろう。本当は3人とも
付いて行きたかったのだから、それでも自分の置かれた立場がそれ
を許さなかった。まだ10代の女の子にその決断は非常に辛いもの
だったはずだ。躊躇っている彼女達にアオローラは優しく諭す。
﹁私の出発が遅れるとか気にしてるのかしら? そんなことは全然
気にしなくていいのよ。なんなら数日ここでお世話になってもいい
んだしね。だから私に遠慮してるなら、やめて頂戴。そんなことよ
り、⋮⋮思いの丈を伝えないと、ね?﹂
457
軽くウィンクしてにっこり微笑むアオローラ。
その想いが伝わったのか、3人は、﹁では1時間だけお待ち願い
ますか?﹂と言って、自室にペンと執りに向かった。
しかし1時間後には辺りはすっかり夜の帳が降りきっていた。
﹁さすがにこれだけ暗いと街道を行くのは辛いわね⋮⋮ 今日は泊
めて貰えるかしら?﹂
苦笑いが4人の顔に浮かんでいる。
結局翌朝早くに、アオローラは城を出ることになった。
辺りはまだ薄暗いものの、馬で走れない暗さではない。
馬はなかなかに夜目が効く動物なのだ。さらにアオローラは海の
中で暮らしている、人間より夜目はよく効くのだ。
シェラと戦乙女騎士隊に守られ、両王女が街門まで見送りに出向
いてくれた。
アオローラは3人と﹁必ずまた合いましょうね﹂と固く握手を交
わす。
目に薄っすら涙を浮かべる3人に手を振り、アオローラは街門を
南に馬を走らせ、地平線へと消えていった。
もちろん行き先は分かっていない。しかし街門の門番が言うには
街道を南に向かったということだ。
ルシ達が出たのは夕刻、たぶん一番近くの宿場で宿を取っている
だろう。
アオローラはそう考え、一番近くの宿場でルシの情報を得ること
にした。
2時間ほど走ると宿場が見つかった。数軒の宿屋と茶屋がある程
度の小さな宿場だった。
まだ王都から近い事もあり。客足が少ない場所なのかもしれない。
458
適当に宿屋の門を潜り、ルシ達の情報を聞いて回ることにした。
さすがに、ルシ達は目立ちすぎていた。当然かもしれない、15,
6の少年と12の少女。純白の子狼の組み合わせである。簡単に情
報を得ることが出来た。
聞いた情報によると、つい半時ほど前に街道を南に向かったとい
う事だ。その先ははっきりとは決めていなかったらしいが、ネーベ
ル湖の事を聞いていたので、そちらに向かったかも知れないと言う。
そう言えば、門番もネーベル湖への古道か廃道を聞かれたとか言
っていたが、街道を通っていることからネーベル湖は候補から消し
ていたのだが、向かった可能性が出てきた。
一応ネーベル湖への道を宿屋で確認し、出発する事にした。 急げばモリリスとビズルトラに分かれる丁字路までに追いつくか
も知れない⋮⋮
⋮⋮⋮⋮アオローラが宿場を出て半時、ルシ達をあっさり見つけ
ることが出来た。
後ろから見る彼らの姿は、ルシは普通に歩いているものの、クー
とリンは飛び跳ねるように歩き、まるでハイキングかピクニックに
でも行くの? と聞きたくなるはしゃぎようだった。
どうやら、今日はのんびり歩き旅という感じだろうか⋮⋮⋮⋮
459
キャノ王女が大使
毛足の長い真っ青な絨毯が敷き詰められた広壮で豪奢な一室。カ
ノン国国王の私室である。
その室内にある真っ赤なビロード地のソファーには、その国王と
王妃が座り、豪奢なテーブルを挟んで麗しき両王女が座していた。
口を開いたのはカノン国第二王女であるキャノ王女だった。
﹁お父様、どうかモリリス王国への大使の任、わたくしも同行させ
て下さい﹂
凛とした声には、はっきりとした決意が込められている。
王妃は両目を見開き、その手で口を押さえ驚きを隠せないようだ。
しかしカノン王は微動だにせずジッと遠くを見る目をしていた。そ
して落ち着いた口調で思いを伝える様に言葉を綴る。
﹁お前達どちらかがそう言うであろうと思っていた。⋮⋮いや、2
人共が言い出すのではないかと心配していたくらいだ。︱︱︱︱さ
すがに2人同時に行かせる訳にはいかぬがな⋮⋮ しかしキャミよ、
お前はそれで良いのか?﹂
﹁⋮⋮はい、わたくしは第一王女です。キャノの代わりが出来ると
は思いませんが、国の為、国民の為に⋮⋮働きたいと思います﹂
﹁お姉様⋮⋮﹂
﹁キャミ⋮⋮﹂
﹁うむ、よくぞ申した。⋮⋮ならばキャノよ、大使の任、お前に任
せる。気をつけて行くのだぞ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
カノン王はゆっくり立ち上がると、窓際まで歩み寄った。そして
外の景色、王都を見下ろしながら語りだす。
460
﹁この国はお前達2人を必要としておる。どちらかが欠けても駄目
だ。もはやわしに出来ることは殆ど無い。⋮⋮わかるな?﹂
﹁﹁そんなことは⋮⋮﹂﹂
﹁フッ﹂とカノン王の口から小さな笑みがこぼれ、さらに言葉を繋
げる。
﹁気を使う必要は無い。︱︱だが⋮⋮わしはまだ国王の座から降り
るつもりは無い。お前達はあくまでわしの片腕となれ。良いな?﹂
﹁﹁はい!﹂﹂
力強い返事だった。
その後少し親子らしい会話があったものの、すぐに両王女は部屋
を出て行った。
この両王女には、まだゆったりした時間を過ごす事は許されてい
ないのだ。
部屋に残ったのは国王と王妃の2人だけである。
王妃が窓際に立つカノン国王に歩み寄り、そっとその腕にしがみ
付く様に身体を寄せる。
﹁陛下、あの様な言い方をされては誤解されてしまいます﹂
﹁なにをだ?﹂
﹁⋮⋮わかっていてそう言う事を言うのですね⋮⋮﹂
王妃は拗ねたような口調でカノン王を横目で睨んでいる。
﹁フッ、お前には適わぬな⋮⋮ だが、嘘は言っておらぬ。まだわ
しにしか出来ぬ仕事がある。いや、あの2人には絶対にさせられぬ
仕事だ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮はい。ですが、その時はわたくしもご一緒します﹂
﹁⋮⋮駄目だと言っても聞かぬのであろうな⋮⋮﹂
﹁当然ですわ﹂
﹁お前にはあの2人を見守ってやって欲しいのだがな⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
国王と王妃は寄り添ったまま、少しだけ無言の時を過ごした。
461
時を同じくして、ここはキャノ王女の私室である。
﹁お姉様、ほんとにごめんなさい⋮⋮﹂
部屋に戻ったキャノは、突然キャミに向かって大きく頭を下げた。
その勢いで煌く黄金の髪がふわりと背中から前に流れ落ちた。
そんなキャノにキャミは笑顔で優しく言葉を返す。
﹁どうして? キャノが正使を務めることは当然だと思うわよ?﹂
﹁ですが⋮⋮ やはりお姉様の気持ちを考えるとわたくしは⋮⋮﹂
﹁私は嬉しいのよ。貴女が自分自身の為に行動することが嬉しいの﹂
﹁⋮⋮?﹂
可愛く首を傾げるキャノは、その大きな瞳でキャミを見つめる。
﹁ふふっ。誤魔化しても駄目よ。キャノはルシさんの事が好きなん
でしょ?﹂
とたんに頬を真っ赤に染めるキャノ、慌てて俯き否定の言葉を口
にする。
﹁そ、そんなことありませんわ。た、たしかに、す、素敵な方だと
は思いますが⋮⋮﹂
そんな否定の言葉は聞こえていないかの様にキャミは言葉を続け
た。
﹁キャノは今まで人の事ばかり、国民の為、わたしの為、お父様の
為、いつも自分を犠牲にして来たわ⋮⋮﹂
﹁そんなこと⋮⋮﹂
﹁いいから聞いて。お父様はああ仰ったけど、本当にこの国に必要
なのはキャノあなたよ。わたしは駄目⋮⋮ 国に残りお父様を助け
るのも、正使としてモリリス王国に行くのも、どちらもキャノが適
任なの。でも、両方は出来ない、だからどちらかを選ぶしかないわ
ね? キャノが正使を選んだのは何故?﹂
﹁それは⋮⋮﹂
答えあぐむキャノの代わりにキャミが自ら答えを口にする。
462
﹁ルシさんに会えるかもしれない、からでしょ?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
キャノは否定をしない。肯定と取れる沈黙である。
キャミは更に言葉を続けた。
﹁今までのキャノなら、迷わず私に譲ったわよね? でも、ほんの
一瞬でしょうけど、ルシさんに会いたい気持ちが勝った。だからつ
い、﹁行きたい﹂って言っちゃった。違う?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ほんとは、もっと堂々と言って欲しいの。﹁わたくしに行かせて
下さい。ルシ様に会いたいんです﹂って胸を張って言って欲しいの。
たまには我侭言って欲しい。わたしはあなたの姉なのよ? 妹が姉
に甘えるのは当然のことでしょ?﹂
﹁お姉様⋮⋮﹂
キャノはキャミの胸に飛び込んでいた。声は殺しているが、その
瞳から涙が幾筋も頬を伝い絨毯を濡らしていた。
国王の私室と同じ様に、こちらでも、短い時を2人が抱き合って
いた。
キャノ王女のモリリス訪問が決まると、護衛の任に付く者を選ぶ
必要があった。
シェラ達戦乙女騎士隊が同行すると申し出たものの、﹁君達だけ
では不安が大きすぎるね、それなら俺1人のほうがまだマシだよ﹂
そう言ってヴァルザードが自ら志願したのだった。
シェラは悔しそうな表情をしていたが、言い返す言葉が無かった
ようだ。たしかに騎士隊全員よりヴァルザード1人の方が遥かに強
いのだ。
しかし、言い返すことが出来ない代わりに、しっかり嫌味の言葉
を吐いていた。
463
﹁へぇ、ヴァルザード団長は胸の大きな女性が好みだと思ってまし
たわ。まさか、まだお若いキャノ王女の護衛を申し出るなんて、女
性なら誰でも良いんですね﹂
体面があり言葉使いは丁寧だが、内容が危なすぎる発言である。
ヴァルザードに対してもそうだが、キャノ王女に対しても不敬と
取られても仕方の無い言い様なのだ。しかしキャノ王女は苦笑をす
るだけである。
他の者たちもシェラのこう言う言動に最近は馴らされ、呆れ顔で
ある。
ヴァルザードは前回の敗北があるので、負けじと言い返している。
﹁失礼なことは言わない事だね。俺にだって好みはある。誰でもで
は無くて、美女なら誰でもだよ。その辺をちゃんと理解してくれた
まえ﹂
シェラの表情が、してやったり、と言った冷笑に変わっていく。
ヴァルザードは完全に墓穴を掘ったことに気が付いた。しかし時
すでに遅し。
いまや皆が軽蔑の眼差しをヴァルザードに向けていた。
キャノ王女がヴァルザード他数名の騎士と共に旅立ったのは翌日
の事だった。
464
ネーベル湖
アオローラと合流したルシ達は、モリリスとビズルトラに分かれ
る丁字路を南下しモリリス方面へと向かった。更にそこから数日進
むと国境がある。その国境に沿うようにして北東に向かう細い村道
があった。宿場で聞いた話によれば、こ村道がネーベル湖繋がると
いう。
ルシ達一行は、その情報に従いネーベル湖を目指した。
ルシ達は知らぬことだが、この数時間後にキャノ王女一行がここ
を通ることになる。そしてモリリス方面に向かうのだった。
ルシ達は数日後に小さな村に辿りついた。村人の話によれば、こ
こから湖までは直ぐだと言う。しかし辺りは薄暗く、すぐにも夜に
なる頃合だったため、村で一泊する事にした。
村の村長に宿は無いかと尋ねたが、あいにく小さな村で宿は無い
という。しかし村長の好意で、その夜は、村長宅に泊めてもらうこ
とができた。
そして村長からネーベル湖に伝わる伝説を聞かされた。
その昔ネーベル湖には巨大な水竜が住んでいたと言う。
その水竜は、湖の生物、周辺の森の生物を餌とし、時には近隣の
村を襲ったという。そして村人を食べ尽くすと湖の湖底深くで眠り
に付き、数十年後にまた目覚めると、同じことを繰り返す。そんな
歴史が遥か数千年前より続いていると言う。
しかし数百年前に現れた勇者により水竜は倒され、その勇者が持
つ蒼白く輝く剣で湖底深くに封じられたのだと言う。
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ルシは伝説を信じたわけではない。だいたい村人を食べ尽くした
のなら、誰がその伝説を後世に伝えたのだ? という疑問が浮かぶ。
だが、蒼白き剣には少なからず興味が沸いた。
村長宅で用意された食事を済ますと、3人と1匹には納屋の様な
部屋が与えられた。
村長は﹁汚いところで申し訳ないが﹂と頭を下げていたが、小さ
な村である。村長といえどそれほど大きな家に暮らしている訳では
ない。一部屋を与えられただけでもありがたかった。
﹁アオローラはさっきの話、どう思う?﹂
ルシは布団で横になるアオローラに声をかけた。
布団は一組しか無いというので、アオローラとクーが布団で寝て
いる。
ルシは壁にもたれ座って寝ることにした。
そのルシの膝にリンがちゃっかり丸まっている。
クーがリンを恨めしそうに見ていたが、ルシは気付かぬ振りをし
た。アオローラはそんなクーをみて笑いを噛み殺している。
﹁そうねぇ、わたしも直接見た事はないんだけど、確かにこの湖に
水竜が住んでるって聞いたことがあるわ。でも水竜が人間に倒され
たなんてことは信じがたいわね。仮にも古龍だし⋮⋮﹂
﹁そうか、まぁ水竜には興味は無いが、勇者の剣とやらに興味があ
るんだがな﹂
﹁確かに、水竜を封じるほどの剣なら相当名のある魔剣でしょうか
らね﹂
そこでクーが嬉しそうに声があげた。
﹁じゃ、明日は湖の調査をしましょう﹂
﹁いいわね、わたしも明日は久しぶりに泳ぎたかったのよ﹂
﹁わたしも泳ぎたいっ!﹂
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クーの声が一際大きくなった。
﹁じゃ皆で泳ぎましょ。わたしが酸素結界を張れば湖底までだって
いけるわよ?﹂
はしゃぐ2人にルシが水を差した。
﹁おい、まだ水が冷たいから無理だろう?﹂
﹁あっ⋮⋮⋮⋮﹂
クーが口を開いたまま固まった。しだいにその表情が暗くなる。
﹁ふふっ。大丈夫よ。私の魔法で水温を調節すれば例え氷の海でも
泳げるわよ?﹂
2人はまたキャッキャッと騒ぎ出す。
ルシは、そんなに泳ぎたいのか、と苦笑を浮かべた。
しかしリンだけは幸せそうに眠っている。
翌朝、まもなく日の出か、という時間にクーが皆を起こしていっ
た。
ルシが﹁まだ早いから、もう少し寝ろ﹂と言ったが、
﹁時間が勿体無いです。早く調査に行きましょう﹂などと言ってい
る。
村長は、朝食を食べて行く様にと進めてくれたが、クーとアオロ
ーラは早く行きたくてしょうがない様だ。そんな2人を見て村長は、
﹁それでは少しだけ待ってくだされと﹂と言って、にぎり飯を用意
してくれた。
ルシ達はそれを受け取り湖に向かうことにした。
その折に、ルシは村長に金貨1枚をお礼にと渡している。
村長は﹁そんな大金を貰うわけには⋮⋮﹂と付き返してきたが、
まだ数日世話になりたいと言って無理やり受け取らせた。
お金の価値を今一分かっていないルシである。
村のすぐ横には小さな川が流れている。この川は湖に通じてると
教えられた。
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川には小さな船が数隻浮かんでおり、その船で湖に出て漁ををし
ているのだろう。
村長はその川沿いを進めば湖までは半時もかからないと言ってい
た。
事実川沿いに進んだルシ達は半時足らずで湖に辿りついた。
湖に着くと、ルシ以外が目を輝かせて喜んでいるようだ。
もう調査の事などまったく頭にないだろう⋮⋮
ルシは苦笑を浮かべる。
そして4人は早速泳ぐことにした。
だが水着が無い。
適当に布を破り胸と腰に巻きつけるクー。ルシは上着だけを脱ぐ
ことにした。
アオローラの胸にはいつもの布切れだけで、その白い足を人魚の
それに変えてしまった。
﹁っふふ、これが本来のわたしの姿。どうかしら?﹂
クーはアオローラに目を奪われている。
﹁人魚を見るのは初めてかしら?﹂
﹁はい⋮⋮﹂
普段でも十分美しすぎるアオローラだが、その姿はさらに神々し
さを醸し出している。
そして湖に入る4人。
しかし、水に入ると布は透けている。
ルシは目のやり場に困り、出来るだけ2人の身体に視線を向けな
いよう努力していた。
ある程度泳ぎを堪能すると、いよいよ湖底を調査しようという事
になった。しかし、とにかく広い湖である。たとえアオローラの泳
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ぎでも端から端までは数日かかるという。人間の足では10日間泳
ぎ続けても辿りつけない距離があるようだ。
調査はアオローラ一人に任せる事になった。
ルシは心配したが、﹁水の中なら誰にも負けないわよ﹂というア
オローラの言葉に押し切られたのだ。
﹁じゃちょっと行って来るわね。暇だったら適当に森でも散策して
てね♪﹂
アオローラはそう言い残し、嬉しそうに湖面にその身を翻せた。
静かな湖面に大きな水しぶきを上げ、アオローラは水中へと消え
ていく。
あとに大きな波紋が幾重にも拡がっていた。
湖岸に残された3人は、ただ波打つ湖面を眺めていた。
﹁どうしましょうか? 森に行きますか?﹂
そう言ったのはクーである。
﹁んー、アオローラはああ言ったが、やはり少し心配だしな、ここ
で待つことにしよう﹂
﹁はい﹂
そして3人は湖岸に腰を降ろした。
ルシが空を見上げ一言呟いた。
﹁もう直ぐ春が来るな﹂
﹁はい﹂
﹁⋮⋮﹂
数時間後、太陽が真上に昇った頃にアオローラが湖面に顔を覗か
せた。
陽光に濡れた髪がキラキラと輝いている。
﹁ただいま♪﹂
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﹁あぁ、おかえり﹂
﹁おかえりなさい﹂
﹁ワン﹂
湖岸に上がるとアオローラはその下半身を人間の足へと変える。
﹁どうだった? なにか見つかったか?﹂
﹁そうね、分かったことと言えば、水深がかなりあり、水中生物が
豊富であること。水棲の魔獣やモンスターは一度も見なかったわ。
それから、この付近では水竜の気配を無い感じられなかったことく
らいかしら。でもとにかく広いわ。水深もかなりあるし。さすがに
一日二日で全部を見るのは無理ね﹂
﹁そうだろうな、まぁ急ぐ旅でもないし、のんびりするさ﹂
﹁えぇ、午後からはもう少し範囲を広げてみるわ﹂
﹁あぁ、すまんな﹂
﹁っふふ、貸しにしておくわね♪﹂
﹁⋮⋮﹂
そして村長に貰ったにぎり飯を食べ、少し休憩した後、アオロー
ラはまた湖に潜った。
しかし、その日は特に得る事が無かった。
続きは明日にしようと、村に戻る事にした。
ルシ達はこの村に数日滞在することになる。
その頃、キャノ王女一行はモリリス王国に到着していた。
ビズルトラ王国は南北の小国軍に囲まれ籠城を余儀なくされてい
た。
エプソニア大陸は刻一刻と戦乱に向かっている。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n9047u/
ルシ伝
2016年7月17日08時43分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
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