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戯曲の翻訳
(73)
戯曲の翻訳
-ベケット『わたしじゃない』日本語上演台本をめぐって長 島 確
1
サミュエル・ベケットSamuelBecke仕 1906-1989)の戯曲を翻訳するとはどんなことだろう。二十世紀
の演劇に多大な影響を与えたこの作家の、とりわけ後期の戯曲作品を翻訳することには、さまざまな困難がつ
きまとう。それはたんに技術的な問題にとどまらず、戯曲における翻訳のあり方を、そしてこの特異な作家の
創作活動のあり方を、あらためて問い直さざるをえなくなることからくるものだ。
ここに-篇の戯曲がある。 1972年春、作家66歳の誕生日の前後に執筆された『わたしじゃない』 (同年初演)
∴ I
という作品である。短いもので、むろん演出しだいだが、標準的な上演時間はせいぜい15分ほどだろう。とは
いえこの15分間は怖ろしく密度の高いものであり、作品は、短いからといってけっして不完全な断片ではなく、
それだけで充分完結した、きわめて強烈な体験を、作る側にも観る側にもひとしくもたらすものである。
2001年秋から2002年春先にかけて、私はこの作品の日本語での上演に翻訳者として参加する機会を得て、翻
(2)
訳の始めから稽古を経て上演に至るまでの流れのなかで、さまざまなことを感じ、考えさせられた。公演が行
われた2002年3月からそろそろ一年が経とうとしているいま現在、翻訳にかんしてあれこれ感じた諸問題を、
じつはまだ何一つ消化しきれていないと言わざるをえないのだが、ともかくここで、その要点を大雑把にでも
書きとめておきたい。そこには、これまでに多くの翻訳者が実地で感じ、考え、苦労してきた(そしていまも
苦労している)、言わずもがなの事柄も含まれているにちがいないが、現にある問題の所在を少しでも明らか
にするために、あえて書き記しておく。報告というにも検証というにも不充分なものだが、ひとまず書くこと
によって、戯曲、とくに上演台本という特殊な翻訳にかかわる問題とともに、ベケットにおける翻訳の特異な
あり方、そして彼の戯曲の言葉が実際に俳優の身体にどのように関わるかといった、この作家の創作にまつわ
る複雑で厄介な問題の、せめて端緒だけでも掴めればよいと願っている。
2 作品
『わたしじゃない』は口だけの芝居である。このことがまず何よりもひとを驚かす。口だけ、とは文字通りの
意味であり、演じる俳優(女優)は体のそれ以外の部分をすべて覆い隠し、口だけをスポット・ライトで照ら
され、観客の目に曝す。厳密に言えば、舞台上にはもう一人(聴き手)と呼ばれる人物がおり、客席になかば
背を向け、終始無言のままく口)の言葉に聴き入っているのだが、暗闇のなか、舞台の上空に浮かぶこの(口)
(3)
が猛烈な勢いで喋り続けるさまは、一度観た者にとって、けっして忘れられないものとなるだろう。
視覚体験として強烈であることは間違いないが、 (口)の喋り続ける言葉もまた重要であり、台本はほとん
どすべて(口)のための膨大な台詞から成っている。以下に作品冒頭の日本語訳を引く。
ロ - 出た--・生まれ出た--生み落とされた・--ちっちゃな子--月足らず--・ぽつんと--何?--・女?--・ああ--ちっちゃな女の子・・-・生み落とされた・・-・月足らずで・--ぽつんとひとり
--この世に--この世--この墓穴--何て呼ぶ--何でもいい--親はいない---影もない-・・・父
親は逃げた--姿を消した-・-ズボンのボタンとめたとたん--母親も同じ--八カ月後--きっかり
に--だから愛されなかった--なくてよかった・・-・ふつうさんざんされるみたいに--家庭で・・-・口
も利けない子が--そう--愛されなかった--そんなふうにも--どんなふうにも‥--そのときもそ
れからも--ありふれた話--そのまま年とって・--まもなく六十--ある日彼女は---何?--七
-310-
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千?--イ可てざま! --まもなく七十--野原にいた--ある日彼女は野原にいた=-・なんとなく桜草
を探してた=-・冠が作りたかった=--何歩か歩いて立ち止まり・・-・宙を見つめ・-・・また何歩かほら--・
立ち止まってまた宙を--そうやって--漂って--するといきなり・・・-少しずつ--すっかり消えた
--すっかり朝の光が消えた‥・-四月の初め--・と彼女は気づいた、自分はヤー--何?--誰?--ちがう卜・・・-彼女!-- (間および動作1) -彼女は気づいた、自分は闇のなかにいる(4)
語られるのは、誰とも知れない一人の女の物語だ。生まれてすぐ親に見捨てられた彼女は、四月のある朝、
野原を歩いている最中に、突如闇の世界に落ち込む。おそらく死んだのだろう、しかしそんな自覚もないまま
気がつくと闇のなかにおり、だんだん感覚が戻ってくるにつれ、膨大な言葉が自分の口からものすごい速さで
溢れだしていることがわかってくる。あくまで「彼女」の話として語られるこうした奇妙な一連の物語は、そ
れを語る(口)自身の生前の出来事にちがいないのだが、舞台上の(口)はけっしてそのことを認めようとし
ない。 「彼女」の物語が自分と重なり合いそうになるたびに、 (口)は「ちがう!-・-彼女!」と激しく否定し、
一瞬の間のあと、また猛然と喋りだす。
引用の終わり近く、ト書きに「動作」とあるのは、 (聴き手)と呼ばれる人物にたいする指示である。 (聴き
辛)は「ただ腕を両側に上げて下ろすだけ」の動作を、 (口)の激しい抵抗のあとのわずかの間に、都合四度
くりかえす。(口)の話には、しきりに誰かが介入し、訂正を促しているけはいがあるが(引用2行目の
「何?--女?・-・・」等々)、もしかしたらその主は、終始黙したままのこの人物であるのかもしれない。いず
れにせよ、 (聴き手)というこの謎めいた人物については、 (審問官)等さまざまな解釈が考えられるが、ここ
では立ち入らずに、 (口)の台詞の問題にかぎって話を進める。
(口)のまくしたてる言葉の奔流は、 「何?--誰?---ちがう!--彼女!」のあとの沈黙が五回(うち四
度目まではく聴き手)の動作がある)、その他に二度の「叫び」のあと耳をすますわずかな間があるが、それ
以外は一切中断がなく、 「・--」で区切られたとぎれとぎれの言葉が休みなく喋り続けられる。引用部分は、
これで全体のおよそ八パーセント足らず。だから、これを演じる俳優は、この十二倍以上の分量の台詞を記憶
し、一挙に喋り通さなければならない。幾度かの(間)の指定があるとはいえ、当然入退場はなく、そのうえ
小さく絞った照明からずれないように顔を固定しなければならないので、大変な努力を求められる。これは俳
優にとって怖ろしい挑戦であるにちがいない。
3 底本
ところで、ベケットの作品の翻訳に際して、まず始めに直面する厄介な問題は、底本を定めることである。
これは他の作家でもとうぜん起こりうる、複数の刊本のあいだでの異文の校合作業のことではない。たしかに、
(5)
著者の没後十二年をすぎた2003年初めの現時点で、決定版と呼べる全集はまだ刊行されていないから、初版か
ら始まる複数の刊本を突き合わせ、比較検討することは必要だ。けれども、それ以前に、ベケットを翻訳する
場合の底本の確定における最大の問題は、作品が著者自身の手による二カ国語版で存在することである。
ベケットが1940年代に母国語である英語を棄て、フランス語で執筆を始めたことはよく知られている。 40年
代終わりに書かれ、 50年代初頭に立て続けに刊行された『モロイ』 (Molloy, 1951)にはじまる小説三部作や、
それらと同時期に書かれ、彼の名を一躍世に知らしめた『ゴドーを待ちながら』 (En attendant Godot, 1953年初
演)といった戯曲は、すべてフランス語によるものである。だが彼は、けっして英語を棄て去ったわけではな
い。その時期以降、再び英語でも筆をとり、フランス語で書いた作品を、自らの手で次々と翻訳し始める。そ
ればかりか、以降の作品は、フランス語か英語のどちらかで書き出され、完成すると、その同じ手で、ただち
にもう一方の言語に翻訳されるようになる。晩年までほぼ例外なく続けられたこの特異な執筆/翻訳のあり方、
言語を違えて(二度書く)という彼独特の二重の創作スタイルの奇妙さは、使用言語を切り替えたこと以上に、
いくらでも強調しておく必要がある。
著者自身による二カ国語版のテキストをどう扱うか。ベケットの作品の、英語とフランス語以外の言語への
-309-
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翻訳者がつねに問われるのはこのことだ。著者自身のものであれ、翻訳はあくまで翻訳として退け、最初に書
かれた言語の版をオリジナルと見なすのか、あるいは逆に、著者自身の手によるものである以上、たとえ言語
が異なるとはいえ、これを一種の改稿と考え、あとから出た版(翻訳)のほうを尊重するのか。それともどち
らも等価と見なし、さまざまな便宜や好みに応じて、任意に一方を選ぶのか。またはどちらをも相対化して突
き放し、必ずしもどちらか一方には片寄らない、つまり結果としてはどちらに拠るともいえない、合成版のよ
うなものをあらたな言語で作り出すのか。
そこまですることが、翻訳者としての領分を踏み越えた、ある種の越権行為だとすれば、ベケット自身がし
ていたことはいったい何なのか。ときに驚くほど原文を裏切ってみせる著者自身の翻訳は、翻訳としてどう評
価されるべきなのか。彼は二カ国語版両方の(著者)なのか、あるいは、先に書かれた版の著者であることと、
その翻訳者であることは、別のことなのか。ひとしく両方の(著者)だとしたら、それら二つの版は、同じ作
品なのか、別の作品なのか。いったいこの作家は数十年にわたって何をし続けたのだろう。
複数の言語にまたがって仕事をする作家はけっして珍しくはないし、自作の翻訳を手がける作家もいないわ
けではない。たとえばロシア語から出発し、英語やフランス語へと言語の境界を跨いでいったウラジミール・
ナボコフVladimirNavokov (1899-1977)がおり、近年ではミラン・クンデラMilanKundera (1929-)がチェコ
語での執筆から、他人が訳した自作のフランス語版への入念な推敵を経て、ついにはフランス語作家となり、
クンデラは最近ではさらに、意図的に外国語の翻訳版(当然他人の手によるものだが)を原作よりも先に刊行
させるというようなことをやっている。けれどもベケットには、彼らのような政治的事情その他、外的な要因
はほとんど感じられず、ただ本人が、いつのまにか身につけたスタイルをどこまでも貫き通したようにみえる。
いずれにせよ、事情はともかく、これほど徹底的に、執掬に、自らの手で二重の創作を続けた例は、ほかにな
いものだろう。
おそらく実状としては、ベケットが自らの手で翻訳を始めたのは、他人の翻訳が我慢ならなかったためであ
り、ここにも彼の頑固な完壁主義があらわれていると言える。ときに裁判沙汰にまでなった、戯曲の改変やト
書きの無視にたいする異常な怒りは有名だ。他人の勝手な判断・解釈が許せず、ひとたび世に放ったはずの作
品を、結局どこまでも自分でコントロールしたかったのにちがいない。
けれども、著者自身の翻訳を存在させることは、自作を管理しようとする本人の願望とは裏腹に、オリジナ
ルという観念を一挙に瓦解させてしまう。唯一の原典となるはずの作品が、著者自身の翻訳という分身によっ
て相対化され、作品は、翻訳不可能性を絶対的な権威とともに示すのではなく、むしろ翻訳可能性のほうへと
開かれていってしまう。作品はこうでしかありえない、というのではなく、別の言語でこうもなりえる、とい
う実例を、著者自身が作ってしまうわけだ。このとき、第三の言語への翻訳者は、原作の他にもうひとつ、こ
れ以上ない翻訳の手本を得ていることになる。
『わたしじゃない』は、まず英語で執筆され、ほぼ一年後にフランス語に訳されている。この間には米国での
世界初演(1972年11月)があり、続いてすぐに英国での初演(翌73年1月)があって、この英国初演は実質的
にベケット自身が演出したといってよい。名目上の演出家は別にいたのだが、ベケットは終始稽古に付き添い、
(6)
さまざまな指示を与えたようだ。したがって、その後になされた仏訳が、英語での上演経験を踏まえているこ
とは充分に考えられる。
実際に二カ国語版を比較検討してみると、内容的にはほとんどまったく違いがないものの、微細な修正が加
えられている。いまここでは一々詳しくは採りあげないが、大まかにいえば、違いは台詞の分割にある。先ほ
ど掲げた日本語の引用中(・--) (原文では(…))で示される台詞の区切りがさまざまな箇所で変更されてお
り、これはむろん英語とフランス語の構文の違いによる場合もあるだろうが、あとから作られたフランス語版
のほうが、言い直しや反復のパターンを丁寧に彫りだしている印象を受ける。意味内容の問題ではないこうし
た微妙な再調整は、やはり先に英語で書かれ、あとから仏訳された『しあわせな日々』 {Happydays,初演1961
年、 Ohlesbeauxjours,初演1963年)などにも見られることであり、つまり、翻訳のほうがいっそう意識的で丁
寧な仕事であるのにたいし、先に書かれた版は、ある種の勢いや荒々しさを具えているとも言える。
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意味内容ではないこうした違いをどう判断するか。この作品にかんしては、私は結局フランス語版を基本と
し、随所で英語版に立ち戻るかたちで翻訳を進めた。最終的には日本語だけで成立させなければならないから、
ところどころで思い切った処理をしなければならず、結果として底本は、現実にはそのとおりのかたちでは存
在しない、二カ国語版の合成体のようなものになっている。このことの是非は、別の機会にでもあらためて充
分に問われなければならないが、重要なことは、違いを超えて二カ国語版でベケットが守り通しているポイン
トを押さえることであり、この作品の場合、具体的には一々の言葉の長さ、分量である。
4 長さ
西欧の言語から日本語への翻訳では、原文に比べ、訳文がどうしても長くなるとよくいわれるが、活字で読
むことを前提とした小説などならまだしも、戯曲の、とくに上演台本の翻訳においては、そしてとりわけベケ
ットの後期作品においては、このことは致命的であるように思われる。
長さとは何か。まず全体の上演に要する時間であり、ここで翻訳が負うべき責任はきわめて大きい。なぜな
らば、原語で一時間で上演できる作品が、日本語訳でどうしても一時間半かかるとしたら、これは観客の生理
まで計算に含めた上演作品としては、まったく別物となるからだ。もちろん、上演時間は演出しだいでさまざ
まに伸縮するが、一時間で終えられる戯曲をあえて一時間半かけて上演するのと、最短でも一時間半かかるの
とでは、演出プランがまったく異なるといわねばならない。言い換えるなら、このような場合、日本語訳を用
いる演出家は、演出プランにおけるなんらかの自由をあらかじめ奪われている。
だから戯曲の翻訳は、原作が含みもつ演出の幅までをも考慮に入れて、可能なかぎり原作と同じ長さを保つ
よう努めなければならない。むろん、だからといって一々の台詞を原文とぴったり同じ長さにしていくことは
不可能であり、ときには原作のたった一語の短い台詞を、ある程度の長さの文章にしてしまったほうが効果的
な場合もありうる。けれどもその判断は、翻訳者の独断で決めてよいものなのかどうか。長くすることを効果
的だと考える翻訳者は、どこかしら演出の領域を侵食しているのではないか。あるいは原語では短く言い捨て
ることのできる台詞をむやみに長くすることは、俳優の演技における自由を奪っているのではないか。
じっさい翻訳とはそれじたいひとつの演出であり、翻訳はそのことをどうあっても免れえない。だから、翻
訳台本を扱う演出家はすでに翻訳者によって演出済みの作品をさらに演出することになり、俳優はすでに翻訳
者によって演出の施された台詞を、さらに演出家の演出のもとで喋らなければならない。この演出の二重性は
戯曲の翻訳にどこまでもつきまとい、上演台本はこの二重性からけっして逃れることができない。だとすれば、
逆に翻訳者はそのことを自覚して引き受け、演出家や俳優とともに、この避けがたきを上演に向けて、力に転
化しなければならない。そうでなければ、原語から直接引き出されてくる新解釈・演出にはとうてい及ばない、
ますます身勝手で偏狭な翻案にならざるをない。この点で、長さの問題は、演出や演技の領域に向けて開くべ
き自由度の、ひとつの目安となる。
以上は一般論だが、ベケットの後期戯曲は、長さにかんしてさらに厳密な要求を含んでいる。まず俳優の生
理にたいする計算であり、また観客の生理にたいしても同様の配慮がある。 『わたしじゃない』でいえば、俳
優にとっては記憶できる台詞の分量の限界、そして一挙に喋り続けるための集中力を維持できる限界にかかわ
り、観客にとっても闇のなかにただ一点浮かぶ小さな口だけを見つめ、言葉の奔流を聴かされ続けることに耐
えられる限界にかかわってくる。
(7)
ベケットの想定した上演時間は18分。実際の米国初演・英国初演はそれぞれ俳優も演出家も違えども、とも
に16分ほどだったようだ。観客にとってはおそらくこのあたりが限界であり、個人差があるとはいえ、おおむ
ね20分を超えると耐えられなくなるにちがいない。飽きはじめるというよりは、強いられる緊張感が苦痛に変
わってくる。
一方、俳優にとっては、記憶力と集中力を維持できる限度を、この台本はいくぶん超えているらしい。これ
も個人差があるとはいえ、この超過はおそらくベケットの計算のうちだろう。たぶん記憶にかんしては、単純
に分量だけで考えれば、限界はまだまだ先にあるにちがいない。問題は集中力であり、相手役もおらず、した
-307-
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がって掛合もない状況で、しかも照明から外れることのないよう身体を拘束されて、一方的な長台詞を一挙に
喋りとおすことにはかならず限度がある。それを超えたときに、追いつめられた俳優の身に、にわかに何事か
が起こる。巧みにコントロールされた演技ではない、しかし素人の混乱とはまったく質の違う、劇的な何事か
が、稽古を重ねた果てに起こってくる。限界をわずかに超えた長さ、台詞の分量はそのためのものであって、
かりにその超過の度が過ぎれば、俳優は全体を組み立てるために別種の計算を働かせはじめてしまうにちがい
ない。
ベケットは、自らの二カ国語版で、細かな異同やずれはあるとはいえ、この(長さ)をおおむね揃えている。
しかし、第三者である翻訳者は、この適切な(長さ)をどのように割り出したらよいのだろう。ほんとうに身
を以て確かめることができるのは俳優だけだが、考えたすえ、私は最短時間を目安にすることにした。この作
品の英語版は、英国初演後に同じ女優によってTV化されており、おそらくこのTV版が、 『わたしじゃない』
(8)
の台本をスタートからゴールまで最も速く走り抜けた最短記録だろう。(口)を演じるビリー・ホワイトロー
は、終盤にほんのわずかなもつれがあるとはいえ、すべての台詞を12分足らずで言い切っている。実際の上演
時間がどうなるかはさておき、英語版で可能をこの短さ、この速さが、日本語訳でも可能でなければならない。
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そう努めながら翻訳したが、この目標はどの程度達成できていたのだろうか。
5 人称代名詞・語尾
全体の上演時間にかかわる(長さ)の問題は、一言一言の台詞を短くするという、ひたすらその工夫の積み
重ねによってしか解消できない。このとき日本語で鍵となるのは、人称代名詞と語尾の処理だろう。
主語を立てなければ構文が成立しない英語やフランス語に比べ、日本語は、私たちが身を以て知っていると
おり、主語を、とくにそれが代名詞である場合、かなり大胆に省くことができる。 「わたしは」 「あなたは」あ
るいは「彼は」 「彼女は」 「それは」などは、多くの場合、なしでも済ませることができる。とくに戯曲では、
上演の際、舞台上に具体的な指示対象が存在するわけだから、演じる側がきちんと了解してさえいれば、小説
以上に省略することができる。目的格の代名詞も同様で、舞台上の身体や物体と補いあって観客に意味が伝わ
ることを充分に計算し、なくて済むものは極力削る必要がある。あくまで上演台本として使えるものを目指す
ならば、活字の上での誤読を心配し保険をかけるよりも、 (なくても伝わる)ことのほうに賭けなければなら
ない。
ベケットは、中期までの鏡舌さとはうってかわって、晩年に向け、省略可能なものはすべて省略し、付け足
すことではなくむしろ(削る)ことで書こうとした作家である。晩年のあの異様な密度の文体はその果てにあ
らわれてきたものだ。だから、彼の作品の翻訳に際しては、むろん作家自身の仕事と同列には扱えないけれど、
日本語の特性に応じて、やはり極力削ることを心がけなければならないだろう。
ところで、 『わたしじゃない』では、この人称代名詞が、ひときわ重要な問題になってくる。題名が表すと
おり、 (口)は自分の語る話が自分のことではなく、あくまで他人のことだと主張する。語られているのは間
違いなく く口)自身のことなのだが、 (口)はそのことを認めず、 「彼女」のこととして押し通そうとする。一
人称で語ることを拒否し、三人称を頑なに守り通そうとするわけだ。げんに、一人称代名詞は表題にあるだけ
で、台詞のなかにはたったの一度も登場しない.
そうした状況において、英語やフランス語の原文のところどころに差し挟まれる三人称の代名詞は、語り手
((口))自身と、語られる内容との奇妙な乗離を示すのに、きわめて効果的に働いている。しかしながら日本
語では、人称代名詞を省いてしまうと、あたかも一人称の語りであるかのように響いてしまう。響くばかりで
はなく、実際に言葉は俳優自身に貼りつき、主語を欠いた台詞を、ともすると俳優自身が一人称として語って
しまう。原文との対応からすれば三人称代名詞「彼女」が省略されているにもかかわらず、あたかも省かれて
いるのは一人称代名詞「わたし」であるかのように。細かなことだが、例えば英語原文にある三人称所有格
(her) (フランス語原文の(son/sa/ses))は、一々「彼女の」と訳せば煩わしくなり、あるいは訳出するにし
ても、場合によって「自分の」としなければならない.原文ではたった-音節の小さな語がもつ距離感は、省
-306-
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かれ、あるいは「自分」という言葉に置き換わることによって、日本語の訳文からどんどん失われ、そのかわ
りにく私)との癒着が強まってくる。
可能なかぎり代名詞を省く工夫は、通常の翻訳ではこなれた訳文として歓迎されるはずだが、人称のずれが
鍵となるこの作品の翻訳においては重大な欠陥となるのではないか。私は最初そう危倶したが、結局は開き直
り、これを逆に利用できないかと考えた。つまり、 (わたしじゃない)と一人称を執掬に否定するこの作品の
場合、言葉がそれを語る主体に貼りついていってしまうことは、かえって望ましいのではないか、ということ
だ。ただし、かといってすべてが一人称に回収されてしまっては元も子もないので、その危険が高じるあたり
では必ず「彼女」という語が織り込まれるように、稽古のなかで俳優や演出家と相談しながら慎重に調整した。
その効果はどの程度あったのだろう。
もうひとつ、台詞を長くしてしまう要因として、語尾の問題にも触れておきたい。ここで言う語尾とは、
「だ」 「だわ」 「よね」など、一言の終わりで何らかのニュアンスを与えるために添えられるもののことだ。
こうした語尾は、意味やニュアンスを(ぼかすことも含めて)明確にするために用いられるが、上演台本の
翻訳の場合、充分に考えてみる必要がある。まず何よりも、語尾は性別の指標となっている。しかし、 『わた
しじゃない』の台詞はたしかに女の発する言葉だが、それをわざわざ女言葉で訳す必要があるのか。 「ね」 「だ
わ」 「よ」などの、いわゆる女言葉の語尾がほんとうに必要なのかどうか。これは長さの問題とは別に、演出
や演技の領域にもかかわる問題である。
『わたしじゃない』でく口)の発する言葉が女のものであるのは、く口)を演じるのが女優だからであって、
それ以外に理由はない。言い換えるなら、女の声によって発せられればそれだけで女の言葉になるのであり、
わざわざ台詞の文体を女言葉にする必要はないのではないか。ベケットの書く台詞は、けっして性別のはっき
りしたものではなく、それを女言葉で翻訳することは、原文にはない、そしてベケットがあれほど嫌った、
(色)をつけることだろう。
そもそも英語なりフランス語なりには、文法上の性はあるにせよ、あるいは特定の語菜・語法が女性的であ
るといったことはあるにせよ、日本語のいわゆる(女言葉)の語尾に正確に対応するものはない。さらにいえ
ば、上演台本の場合、こうした語尾を翻訳者が付け加えることは、演出の幅、演技の幅を狭めているのではな
いだろうか。声はそれじたいでさまざまなニュアンスを生みだしうるから、 「ね」 「だわ」 「よ」などのニュア
10
ンスを、それらの語尾がなくても、あるいはむしろないほうがよりいっそう表すことができるのではないか。
もちろん語尾をあえて付けたほうが、効果的な場合も多々あるが、それはもはや演出ないしは演技の領域にあ
ることで、翻訳者の独断で決めてよいことではないように思われる。
6 ベケットの戯曲を訳す
ある時期、ベケットの作品を身体や言語の否定といったキーワードで語る語り口が流行したけれど、彼の仕
事は、つねに身体に根ざし、具体的な計算に基づいていた。たしかに彼の戯曲は俳優にとって不親切な面があ
り、演技を封じ込めたり、意図的に台詞を憶えにくく、間違えやすくするなどして、身体にさまざまな負荷を
かけようとするが、それはたんなる悪意でも否定でもなく、いっさいの甘えや自己陶酔を排した果てに舞台上
で起こる何事かを目指していたためだと言える。
彼が自らの手で作り出した二カ国語版は、オリジナルという観念を崩壊させる、不可解な問いを差しだして
くる。しかしそれら二つの版を丹念に突き合わせてみると、意味や表現の微細な違いを超えて、この作家が何
を求めていたかが見えてくる。そこには身体へ向けて充分に考え抜かれ、おそろしく丁寧に仕上げられた仕事
がある。とはいえ、とりわけ『ゴド-を待ちながら』ばかりが採り上げられ、他の、とくに後期の作品が、読
まれこそすれきちんと上演される機会のほとんどない日本では、その仕事の射程はまだまったく確かめられて
いないと言ってよい。そのためには、翻訳から洗い直す必要がある。
翻訳には用途に応じた種類があって、なかでも戯曲の翻訳、それも上演台本としての翻訳は、きわめてやや
こしく厄介な仕事である。大雑把ながらすでに見てきたように、翻訳の仕事が文字だけでは完結せず、演出家
-305-
(79)
や俳優の仕事の領分と重なり合い、ともすれば打ち消し合ってしまうからだ。だからといって、演出や演技の
領域にまったくはみ出さない、原作と完全に同じ自由度をもつ翻訳は絶対に不可能である。
このことを肝に銘じたうえで、翻訳者にはどんな仕事ができるだろう。後期のベケットから拓けてくる場所
へ向けて、どのような仕事をしたらよいのだろう。さしあたり演出家や俳優とともに、手探りで、具体的な作
業を進めていくしかないが、その一方で、現場と机上との狭間にある(翻訳)の仕事を、しっかりと、正確に
書きとめられるような言葉や論理の必要をますます痛切に感じている。ベケットがし続けた仕事の特異さを書
き表せるのも、おそらくそうした言葉や論理であるはずだからだ。
注1) NotI, Faberand Faber, London, 1973.なおこの作品は、昨年亡くなられた高橋康也先生の翻訳によって初めて
日本に紹介された。以下に初出から順に掲げる。この紹介から受けた恩恵ははかりしれない。
・高橋康也訳「わたしじゃない」、 「海」、中央公論社、 1974年6月号。
・同、 『ベケット戯曲全集3』所収、白水社、 1986年。
・同、 『勝負の終わり/クラップの最後のテープ』 (ベスト・オブ・ベケット2)所収、白水社、 1991年。
(2)鈴木埋江子「ベケット・ライブvol.3 わたしじゃない」 (演出・阿部初美、 2002年3月20-24日、於アトリエM
ODE)。上演台本は、雑誌「るしおる」 46号(書韓山田、 2002年5月)に掲載された。本稿の執筆にかんして
は、女優と演出家との共同作業に多くを負っている。
(3)私のかかわった公演では、闇のなかに(口)だけが浮かび上がる視覚効果を優先したため、熟慮の末(聴き手)
はカットされた。周囲に完全な闇が得られたとき、目の錯覚で、 (口)が上下左右に浮遊して見えることが確認
された。この視覚効果については、ポーランドの演出家アント二・リベラも報告している。 Cf.Oppenheim,
Lois. Directing Beckett, University of Michigan Press, Ann Arbor, 1994, p.lll.また、客席数50余りと会場が小さか
ったことと、生の声の可能性を探ることに賭けたため、台本に指示のある隠しマイクは使用しなかった。この二
点を除いて、あとは台本に忠実に上演された。
(4)前掲「るしおる」 46号、 14-15頁。原文は註(9)を参照。
( 5 )現時点で全集と呼べるのは1986年に英国Faber and Faber社から刊行された一冊本The Complete Dramatic Worksで
あるが、これは作品によって些細な脱落があったり、先行する他の刊本での著者の改稿が反映されていなかった
りと、かならずLも信頼できる校訂版といえず、たんに著者生前に発表された全作品を網羅的に収録したにとど
まっている。なお、同社からは新版が2003年末に予定されている。
( 6 ) Cf. Whitelaw, Billie. Billie Whitelaw. ‥ I殉o He?, St. Martin's Press, New York, 1995, Chapter 4.
( 7 ) Brater, Enoch. Beyond Minimalism; Beckett's late style in the theater, Oxford University Press, New York and Oxford,
1987,p.31.
Cf. Harmon, Maurice, ed. No Author Better Served; the correspondence of Samuel Beckett and Alan Schneider,
Harvard University Press, Cambridge and Iヵndon, 1998, p. 312, note 3.
(8)英国BBC、 1976年収録、 77年放送。この貴重な映像のビデオを同量美奈子氏に貸していただいた。
(9)女優と演出家は稽古のなかでさまざまな速度を試し、その結果、最終的な上演時間はおよそ17-18分だった。声
量を押さえ、一々の言葉を立てずにただまくしたてれば、 15分は確実に切ると思われる。ちなみに英語TV版で
は、先に日本語で引用した冒頭部分「彼女! 」までで52秒である。以下に同箇所の英語版とフランス語版を掲げ
amm
MOUTH:... out... into this world... this world... tiny little thing... before its time... in a godfor-... what?... girl?... yes...
tiny little girl... into this... out into this... before her time... godforsaken hole called... called... no matter... parents
unknown... unheard of... he having vanished... thin air... no sooner buttoned up his breeches... she similarly... eight
monms later… almost to仇e tick… so no love… spared that… no love such as normally vented on仙e… speechless
infant... in the home... no... nor indeed for that matter any of any kind... no love of any kind... at any subsequent
stage... so typical affair... nothing of any note till coming up to sixty when-... what?... seventy?... good God!... coming
up to seventy... wandering in a五eld... looking aimlessly for cowslips… to make a bell... a few steps then stop… stare
into space... then on... a few more... stop and stare again... so on... drifting around... when suddenly... gradually... all
went out... all that early April morning light... and she found herself in the -... what?… who?... no!... she!...秒ause and
movement l]... found herself in the dark...
Not I, in The Complete Dramatic Works, Faber and Faber, London, 1986, pp. 376-7.
BOUCHE. - monde... mis au monde... ce monde... petit bout de rien... avant l'heure... loin de -... quoir... femelle?...
oui... petit bout de femelle… au monde... avant l'heure.H loin de tout... au troudit… dit... n'importe... pとre mらre
fantomes...
jour
pour
pas
trace...
jour...
done
lui
point
file…
ni
vu
d'amour...
ni
au
connu...
moins
pas
9a...
plus
tel
tot
qu'il
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boutonnee
s'abat
la
braguette...
d'habitude...
au
elle
foyer
pareil...
huit
conjugal…
sur
mois
apres.‥
"enfant
sans
(80)
defense... non… point d'amour.‥ ni celui-la ni un autre... aucune sorte… ni alors ni apr占s... histoire banale done...
jusque sur le tard… bientot soixante... un jour qu'elle -... quoi?... soixante-dix?… mらre de DieuL. bientot soixantedix... dans une prairie... un jour qu'elle trainait dans une prairie… cherchant vaguement des coucous... pour en faire
une couronne... quelques pas puis halte... les yeux dans le vide... puis allez encore quelques… halte et le vide a
nouveau... ainsi de suite... a la derive... quand soudain… peu a peu... tout s'eteint… toute cette lumi占re matinale...
debut avril... et la voilえdans le -... quoi?... qui?… non!… elle!...秒ause et premiergeste)... la voila dans le... le noir…
Pas moi, in Oh les beauxjours suivi de Pas moi, Les Editions de Minuit, Paris, 1975, p. 82.
(10)例えば、註(4)および(9)の引用箇所末尾にもある「間および動作」直前の台詞は、高橋訳では「え?-だれですって?---ちがうわ!--彼女よ!」となっている(前掲『勝負の終わり/クラップの最後のテープ』
134頁)。これらの語尾はニュアンスの制限であると同時に、発語の勢いを削ぐものだろう。
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