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シャルル=ルイ・フィリップと世紀転換期のパリ

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シャルル=ルイ・フィリップと世紀転換期のパリ
シャルル=ルイ・フィリップと世紀転換期のパリ
中村能盛
(フ ラ ン ス 文 学 専 門 / 博 士 後 期 課 程 )
1. 世 紀 転 換 期 の パ リ ・ モ ン パ ル ナ ス と 『 ビ ュ ビ ュ ・ ド ・ モ ン パ ル ナ ス 』
短 編 及 び 中 編 小 説 の 名 手 で あ っ た シ ャ ル ル = ル イ ・ フ ィ リ ッ プ は 1901
年 に 『 ビ ュ ビ ュ ・ ド ・ モ ン パ ル ナ ス 』 を 上 梓 し た 。『 フ ラ ン ス 文 学 案 内 』
によればフィリップ自身の体験を題材とした小説である事を指摘してい
る 1。
最 初 に フ ィ リ ッ プ が 生 前 に 綴 っ た『 若 き 日 の 手 紙 』の 中 で 、
『 ビ ュ ビ ュ・
ド・モンパルナス』の下地となる手紙文が記載されている事に注目した
い。
[...] Je t’avais parlé d’une petite amie dont je fis la rencontre le
lendemain du 14 juillet. Je l’ai revue plusieurs fois depuis ; elle est très
belle, très douce et surtout très bonne. Je l’aime un peu paternellement
parce
qu’elle
est
malheureuse
et
fraternellement
parce
qu’elle
est
i g no ra n te e t s i mp le. Or, mo n a mi, d ep ui s q u i nz e j o ur s vo ic i q u ’el le e st
à l ’ h ô p i t a l , b i e n m a l a d e . Vo i l à h u i t j o u r s q u ’ e l l e n e m ’ a p a s é c r i t , e t j ’ a i
p e u r . J ’ a i p e u r q u ’ e l l e s o i t m o r t e o u m a l a d e à m o u r i r. C ’ e s t u n s e n t i m e n t
affreux. Elle m’a écrit de l’hôpital deux pauvres petites lettres tendres
et maladroites. Elle ne sait pas écrire ni mettre l’hortografe[sic] mais
elle sait dire de ces choses qui sont splen dides lorsque c’est un cœur
ignorant
qui
les
dit.
Et
ces
deux
lettres
ont
fait
de
mon
amiti é
d ’ a u p a r a v a n t u n s e n t i m e n t t r è s a i g u e t t r è s t e n d r e . J ’ a i b i e n p e u r. S i j e
n’avais pas de lettre d’elle demain, c’est qu’elle serait à l’agonie. Je ne
1
篠 沢 秀 夫 『 フ ラ ン ス 文 学 案 内 』、〔 朝 日 出 版 社 〕、 1 9 8 0 年 、 p . 2 3 7
33
sais
pas
si
d’hôpitaux
tu
comprends
m’émeuvent,
bien
mais
cette
cette
situation.
petite
que
To u s
les
j’estime
malades
me
trouble
affreusement. Elle était merveilleusement douce, et dans son âme de
petite Parisienne cette douceur était devenue une exquise politesse. Je
l’ai entendue demander pardon à une bonne de restaurant (qui était
demoiselle)
parce
Mademoiselle,
au
qu’elle
lieu
de
l’avait
l’appeler
appelée,
Madame.
sans
[...]
faire
Elle
attention,
était
très
intelligente et très délicate. La première fois que je lui montrai les
quatre platanes dont j’ai parlé dans l’Enclos, elle m’avait dit : Ça fera
de belles planches quand on les aura abattus, r éponse qui m’avait vexé.
Or, d ep ui s, e n d e u x o u tro i s sé a nc es j e l ui ai fai t co mp r e nd re l a b ea ut é
d’une chose et d’un paysage indépendamment de son utilité, si bien que
le soir quand j’allais la conduire chez elle, elle me disait de jolies
vérités belles sur la nuit, sur la Seine nocturne, sur les feux, sur le ciel,
sur l’air et sur la bonté. J’aurais voulu l’élever jusqu’ à moi, lui donner
une belle âme de peuple. Elle était fleuriste et très bonne ouvrière.
Fleuriste, c’est un métier idéal dans lequel on met beaucoup de go ût. En
peu de temps, je t’assur e que j’aurais développé ses sentiments jusqu’à
en faire des sentiments très nets, très purs et très d élicats. Je lui aurais
fait aimer la vie merveilleuse de ceux qui travaillent 2.
[ . . . ] 7 月 1 4 日 の 翌 日 、私 は 巡 り 合 っ た 恋 人 の 事 を あ な た に 話 し た 。
そ れ 以 後 、私 は 何 度 か 彼 女 と 再 会 し た 。彼 女 は 非 常 に 美 し く 、優 し く 、
と り わ け 性 格 が 良 い 。私 は 彼 女 が 不 幸 な の で 少 し 父 親 の 様 に 、そ し て
彼 女 が 無 知 で 単 純 な の で 少 し 兄 の 様 に 彼 女 を 愛 し て い る 。と こ ろ が 2
週 間 前 か ら 彼 女 は と て も 病 ん で 、病 院 に い る 。8 日 前 か ら 私 に 書 か な
か っ た の で 、私 は 恐 れ て い る 。彼 女 は 亡 く な っ た の か 、あ る い は 病 気
で 死 ぬ ほ ど な の か 、と い う 事 が と て も 心 配 だ 。そ れ は 恐 ろ し い 気 持 ち
2
C h a r l e s - L o u i s P h i l i p p e , L e t t r e s d e j e u n e s s e : à H e n r i Va n d e p u t t e , N o u v e l l e
re vu e fr an ça is e, 1911, pp. 94-96
34
だ。彼女は病院から 2 通の哀れな小さく、愛情のこもったぎこちな
い 手 紙 を 書 い た 。彼 女 は 綴 り を 記 載 す る 事 も 、書 く 事 も 出 来 な い 。け
れども彼女は、無知な気持ちを言う時に素晴らしく現実を言う事が
出来る。それからこの 2 通の手紙は、私の友情をとても鋭くそして
優 し い 愛 情 に さ せ て い た 。私 は と て も 恐 れ て い る 。も し 明 日 、彼 女 の
手紙が来ないならば彼女は死に瀕しているのではないか。私はあな
たがこの様な状況を良く理解出来るかどうかは分からない。病院に
いる全ての病人が私に感銘を与えているが、けれども私を尊敬して
いるこの子は私をひどく不安にさせている。彼女は素晴らしく優し
く愛しいパリ娘の心の中で、この優しさは洗練され上品になってい
た 。私 は 彼 女 が レ ス ト ラ ン の 女 中 に ( そ の 女 性 は 未 婚 だ っ た ) マ ダ ム と
呼ぶ代わりに注意せずマドモアゼルと呼んでいたものだったので、
謝 っ て い る の が 耳 に 入 っ た 。 [...] 彼 女 は 極 め て 賢 明 で 繊 細 だ っ た 。
私が「囲繞地」の為に描いた 4 本のプラタナスを初めて彼女に示し
た 時 に 、彼 女 は「 こ れ ら を 切 っ た と し た ら 、見 事 な 板 が 取 れ る で し ょ
う 」と 返 事 し て 、私 を 当 惑 さ せ た 。と こ ろ が そ れ 以 後 2 度 、3 度 、私
は有用性と無関係の出来事や風景の美しさを彼女に理解させる事が
出 来 た 。そ の 結 果 、あ る 夜 、彼 女 の 家 に 連 れ て い く 時 に 、夜 の セ ー ヌ
川 、ラ イ ト 、天 気 、空 気 、そ し て 善 意 に 関 し て 気 の 利 い た 素 晴 ら し い
真実を私に言っていた。私は彼女を自分の高さにまで上げ、彼女に
人々の美しい心を与えたいと思っていた。彼女は花売りでとても優
れ た 工 員 だ っ た 。花 売 り 、そ れ は 大 変 、趣 味 を 身 に 付 け る 理 想 的 な 職
業 で あ る 。少 し の 時 間 で 、私 は 彼 女 の 感 情 を 、と て も 清 潔 な 純 粋 で そ
して繊細な物に発展させる事が出来た事をあなたに断言する。働く
者の美しい生活を愛する事を彼女に教える事が出来たのではないか
[...]3。
フ ィ リ ッ プ は 世 紀 転 換 期 に『 若 き 日 の 手 紙 』の 文 中 に 登 場 す る「 女 性 」
3
筆者訳
35
との出会いと体験した出来事を参考にして、小説『ビュビュ・ド・モン
パルナス』を執筆する。劇中ではパリの場末で働く女性ベルトとベルト
の交際相手の男性ビュビュ、そしてベルトと出会った青年ピエールの 3
名を中心に据えて物語が進行する。
フ ィ リ ッ プ が 執 筆 し た 作 品 の 中 で も と り わ け 、『 ビ ュ ビ ュ ・ ド ・ モ ン パ
ルナス』には貨幣及びフランの金額を付加した説明や会話が数多く登場
する事に注目したい。
[...] Il peut entrer comme dessinateur à cent cinquante francs par mois
dans une compagnie de chemins de fer [...]4.
[...] 彼 は 1 か 月 に 150 フ ラ ン で 、 製 図 家 と し て 鉄 道 会 社 に 入 社 す
る 事 が 出 来 た 5。
フ ィ リ ッ プ は 、事 実 を 題 材 と し て『 ビ ュ ビ ュ ・ ド ・ モ ン パ ル ナ ス 』の 各
場 面 を 描 写 し て い る の で あ れ ば 、 20 世 紀 元 年 に 出 版 さ れ た フ ラ ン ス 文 学
である本作品は、当時のパリの物価や人々の暮らしをセミ・ドキュメン
タリーで描いた作品と解釈する事が出来る。
2002 年 に フ ラ ン ス 国 内 で は 、 貨 幣 が ユ ー ロ へ と 完 全 に 切 り 替 わ り 、 フ
ラ ン は 使 用 さ れ な く な っ た が 、 1901 年 当 時 の フ ラ ン を 現 在 の 日 本 円 に 換
算するとおよそ幾らになるのだろうか。
本 論 で は 1901 年 の フ ラ ン ス ・ パ リ の 物 価 と 2010 年 代 の 日 本 の 物 価 を
対 比 さ せ る 事 で 、 100 年 以 上 が 経 過 し た フ ラ ン ス 文 学 を よ り 身 近 に 解 釈
する事を狙いとする。
2. ジ ェ ル ミ ナ ル ・ フ ラ ン の 誕 生
フ ラ ン ス の フ ラ ン は 1 3 6 0 年 に 国 王 ジ ャ ン Ⅱ 世 に よ り 誕 生 し た が 、ナ ポ
4
Charles-Louis Philippe, Bubu de Montparnasse, Grasset, 2005, p. 18
※本論では書名とページ番号のみを表記する。
5 筆 者 訳
36
レオンによるフランス革命後にフランは大きな転換期を迎える事になっ
た。
[...] 第 1 統 領 ナ ポ レ オ ン が ク ー デ タ の 準 備 に 協 力 し た パ リ の 銀 行
家 た ち の 後 援 を う け る の は 1 7 9 9 年 か ら だ が 、彼 は そ う す る こ と に よ
って第 1 共和政の財政的破綻に終止符をうつ貴重な支点を確保した。
アシニア紙幣の発行から土地債券へ、そして破産へとすすんだ過去
10 年 間 の 財 政 政 策 は す べ て 不 成 功 に お わ り 、 1797 年 - 1799 年 に は
戦争と外国人の陰謀によってその失敗が絶頂に達していた。そこで
ナポレオンは、国家財政の再編成を断行して減債基金を創設し、つ
いでペルゴーやマレなどの助力をえてフランス銀行を設立した。こ
の フ ラ ン ス 銀 行 に は 、1 8 0 3 年 か ら 要 求 に 応 じ て 金 貨 を 支 払 う 紙 幣 の
発 行 に か ん す る 独 占 権 を あ た え た 。 最 後 に 、 1803 年 春 (共 和 暦 11 年
芽 月 7 日 )「 ジ ェ ル ミ ナ ル ・ フ ラ ン 」 が 新 た に 鋳 造 さ れ 、 純 金 3 2 0 ミ
リグラムを含むこのフランが、フランス貨幣として第 1 次世界大戦
後 の イ ン フ レ ま で 安 定 し た 価 値 を 保 つ こ と に な る [...]6。
ナ ポ レ オ ン が 1 8 0 3 年 に 制 定 し た ジ ェ ル ミ ナ ル・フ ラ ン は 第 1 世 界 大 戦
に よ っ て 終 止 符 を 打 つ 迄 は 、 金 本 位 制 に よ っ て 110 年 近 く フ ラ ン ス 国 内
の物価が変動していなかったという事実が浮上する。
3. バ ル ザ ッ ク の 作 品 に お け る 金 銭 の 表 記
1803 年 か ら 1913 年 迄 の 時 代 に 多 数 の 作 品 を 発 表 し た 作 家 と い え ば ヴ
ィクトル・ユゴー、バルザック、モーパッサン等が挙げられよう。
バ ル ザ ッ ク が 執 筆 し 、 91 編 に よ り 構 成 さ れ た 『 人 間 喜 劇 』 は 、 19 世 紀
のフランスと登場人物の心理を緻密に描出した作品であった。
従 っ て 前 述 迄 の 考 察 か ら 『 人 間 喜 劇 』 の 頃 の 物 価 と 、『 ビ ュ ビ ュ ・ ド ・
ジ ョ ル ジ ュ ・ デ ュ ビ ィ 、 ロ ベ ー ル ・ マ ン ド ル ー 共 著 (訳 ・ 前 川 貞 次 郎 、 他 )
『 フ ラ ン ス 文 化 史 3 』、〔 人 文 書 院 〕、 1 9 7 0 年 、 p . 3 9
漢数字は算用数字に書き改めた。
6
37
モンパルナス』の頃の物価が金本位制によって対等であったと解釈する
事が出来る。
バルザックに関する先行研究を精査していく過程において、ロジェ・
ピエロは文学作品における物価や貨幣に関して次の様な見解を示してい
た。
[...] Les indices publiés par l’INSEE peuvent né anmoins avoir une
valeur indicative approchée : À la fin de 1992, 1 franc de 1840 valait
21,69 F [...]7.
[...] INSEE( 国 立 統 計 経 済 研 究 所 )に よ っ て 公 布 さ れ た 指 数 は そ れ
に も 関 わ ら ず 、 概 算 価 値 を 有 す る 事 が 可 能 で あ る 。 1992 年 の 終 わ り
に は 1840 年 の 1 フ ラ ン は 21.69 フ ラ ン の 価 値 が あ っ た [...]8。
1992 年 当 時 の 1 フ ラ ン は 日 本 円 に 置 き 換 え る と 幾 ら に な る の だ ろ う か 。
為 替 レ ー ト は 常 に 変 動 す る が 、 1992 年 12 月 31 日 の 毎 日 新 聞 に よ れ ば 前
日 の 12 月 30 日 の フ ラ ン は 23.11 円 で あ っ た 9。 1803 年 か ら 1 913 年 迄 の
1 フ ラ ン を 1992 年 の 日 本 円 に 換 算 す る と 、 21.69 フ ラ ン × 2 3.11 円 = 501
円 25 銭 で あ る が 、 1 円 以 下 を 切 り 捨 て る と 501 円 で あ る 。
本 論 の 執 筆 時 期 は 2 0 1 5 年 で あ る が 、筆 者 の 記 憶 の 限 り で は 嗜 好 品 で あ
る 煙 草 を 除 け ば 国 内 の 衣 食 住 に 関 す る 物 価 は 、 23 年 間 で 大 幅 な 変 動 が 生
じ て い な い 状 況 で あ る 。 従 っ て 本 論 で は 1992 年 の 物 価 と 2015 年 の 国 内
の物価は同等と解釈する。
4. 『 ビ ュ ビ ュ ・ ド ・ モ ン パ ル ナ ス 』 と フ ラ ン
当 時 の フ ラ ン ス の 貨 幣 を 確 か め て お き た い 。貨 幣 は フ ラ ン で あ っ た が 、
フ ラ ン 以 外 に 2 0 分 の 1 フ ラ ン に 相 当 す る ス ー 、そ し て 1 0 0 分 の 1 フ ラ ン
7
8
9
Roger Pierrot, Honoré de Balzac, Fayard,1994, p. 9
筆者訳
毎 日 新 聞 編 集 部 『 毎 日 新 聞 』、〔 毎 日 新 聞 社 〕、 1 9 9 2 年 1 2 月 3 1 日 、 9 面
38
に相当するサンチームが存在していた。
実 際 に『 ビ ュ ビ ュ ・ ド ・ モ ン パ ル ナ ス 』に 記 載 さ れ た 給 与 、家 賃 、食 費
等を現代の日本円に換算する。
4-1. 給 与
[...] Son seul refuge était son ami Louis Buisson auquel il s’allia d ès
l e p r e m i e r j o u r. L o u i s B u i s s o n a v a i t v i n g t - c i n q a n s e t t r a v a i l l a i t c o m m e
d e s s i n a t e u r d a n s l e b u r e a u d e P i e r r e H a r d y. [ . . . ] I l p e n s a i t : « J e g a g n e
cent quatre-vingts francs par mois. Je suis comme un homme du peuple
et je travaille pour gagner le pain que je mange. »
10
[...] 彼 の 唯 一 の 隠 れ 家 は 友 人 の ル イ ・ ビ ュ イ ソ ン で あ っ て 、 彼 は
初 日 か ら 相 容 れ て い た 。ル イ ・ ビ ュ イ ソ ン は 25 歳 で ピ エ ー ル ・ ア ル
デ ィ の 事 務 所 で 製 図 家 と し て 働 い て い た 。 [...] 彼 は 「 私 は ひ と 月 に
180 フ ラ ン を 稼 い で い る 。 私 は 庶 民 階 級 の 人 間 で あ り 、 食 べ る パ ン
を 稼 ぐ 為 に 働 い て い る 。」 と 考 え て い た
11
。
製 図 家 で あ る ビ ュ イ ソ ン の 月 給 は 180 フ ラ ン で あ る 。 現 在 の 日 本 円 に
換 算 す る と 1 8 0 フ ラ ン × 5 0 1 円 = 9 万 1 8 0 円 と な る 。他 の 登 場 人 物 の 給 与
についても換算する。
[...] Marthe savait que l’on ne court aucun danger en acceptant
l’invitation d’un jeune homme bien élevé. On s’assit, on causa. Il était
ébéniste et pouvait faire des journ ées de sept francs à huit francs.
Marthe était blanchisseuse et travaillait dans l’atelier où Blanche faisait
son apprentissage [...]12.
10
11
12
Bubu de Montparnasse, p. 20
筆者訳
Bubu de Montparnasse, p. 32
39
[...] マ ル ト は 育 ち が 良 く 若 い 男 性 の 招 待 を 受 け 入 れ て も 、 全 く 危 険
を冒さないという事を知っていた。人々は腰かけて、話し合った。彼
は 家 具 職 人 で 、1 日 に 7 フ ラ ン か ら 8 フ ラ ン を 儲 け る 事 が 出 来 て い た 。
マルトは洗濯屋で、工場にはブランシュが見習いとなって勤めていた
[...]13。
劇中に登場する家具職人の男性は 1 日につき約 7 フランから 8 フラン
を 稼 い で い る 。 間 を と っ て 7,5 フ ラ ン と 解 釈 す る と 7,5 フ ラ ン ×501 円 =
3,757.5 円 と な り 、 1 円 以 下 を 切 り 上 げ る と 1 日 に つ き 3,758 円 と な る 。
当時の若者の月給と日給が判明した上で、家賃の値段を解明する。
4-2. 家 賃
[...] Il habitait, dans un hôtel meublé de la rue de l’Arbre-Sec, une
chambre au cinquième étage. [...] Ici l’on vit, à raison de vingt-cinq
francs par mois, une vie sans dignit é. Les matelas du lit sont sales, les
rideaux de la fenêtre sont gris comme un jour de vie pauvre [...]14.
[...] 彼 は ア ル ブ ル ・ セ ッ ク 通 り の 家 具 付 き ホ テ ル の 6 階 に 住 ん で
い た 。 [...] こ こ で は 、 1 か 月 に 25 フ ラ ン の 割 合 で 品 位 の な い 暮 ら し
で 生 活 し て い る 。ベ ッ ド の マ ッ ト レ ス は 汚 れ 、窓 の カ ー テ ン は 貧 し い
生 活 の 1 日 の 様 に 灰 色 で あ る [...]15。
古 び た ホ テ ル を 住 居 と し て い る 描 写 で あ り 、家 賃 が 2 5 フ ラ ン と 記 載 さ
れ て い る が 、 換 算 す る と 25 フ ラ ン ×501 円 = 1 万 2,525 円 で あ る 。 当 時
の 単 身 者 向 け の 安 価 な 物 件 の 家 賃 は 、前 述 し た 家 具 職 人 の 日 給 の 約 3 . 3 倍
に相当する。現代の日本に置き換えると非正規労働者が 8 時間勤務を行
った場合の 3 日半の日給が都市部における最安値のアパートの家賃と同
13
14
15
筆者訳
Bubu de Montparnasse, p. 19
筆者訳
40
等と解釈する事が出来る。次に食費について解明する。
4-3. 食 費
[...] Ils dînaient ensemble dans un restaurant à vingt-cinq sous [...]16.
[...] 彼 は レ ス ト ラ ン に お い て
25 ス ー で 、 共 に 夕 食 を 取 っ て い た
[...]17。
レ ス ト ラ ン で の 夕 食 が 25 ス ー と 記 載 さ れ て い る が 、 20 ス ー が 1 フ ラ
ン に 相 当 す る の で 501 円 で あ る 。 残 り の 5 ス ー 分 は 1 フ ラ ン の 4 分 の 1
で あ る の で 、5 0 1 円 ÷ 4 = 1 2 5 . 2 5 円 と な る が 、1 円 以 下 を 切 り 捨 て る と 1 2 5
円 で あ る 。 従 っ て 夕 食 代 は 626 円 と 換 算 出 来 る 。
前 述 し た よ う に 家 具 職 人 の 日 給 が 3,758 円 で あ る の で 、 レ ス ト ラ ン で
の夕食の代金はおよそ日給の 6 分の 1 の金額である。従って 1 時間半分
の時給と換算すれば現代の価値観と同等であると解釈出来るだろう。
『ビュビュ・ド・モンパルナス』に登場するフランの数値は、貧しい
暮らしを強いられた登場人物に則している為、現代の日本円に換算して
も、低い数値とならざるを得ない。
しかしながら給与を登場人物の 1 ヵ月分の所持金と捉えた上で、家賃
や食費の値段を勘定すると現代の物価と同等になる事が判明した。
5. 貨 幣 経 済 の 視 点 か ら 分 析 す る フ ラ ン ス 文 学 研 究 の 展 望
筆 者 の 記 憶 の 限 り で は 、 1803 年 か ら 第 1 次 世 界 大 戦 が 始 ま る 1913 年
迄のフランス文学作品を貨幣経済の観点から分析された先行研究は、国
内には存在しない。
本 論 で は 、シ ャ ル ル = ル イ・フ ィ リ ッ プ の 1 作 品 を 分 析 対 象 と し た が 、
1913 年 迄 の 111 年 間 に は 膨 大 な フ ラ ン ス 文 学 作 品 が 存 在 す る 。 貨 幣 経 済
の視点から当時のフランス文学作品を分析した場合、現代の生活空間と
16
17
Bubu de Montparnasse, p. 98
筆者訳
41
1803 年 か ら 1913 年 迄 の フ ラ ン ス 文 学 作 品 で 描 出 さ れ た 空 間 は 別 世 界 で
はなく、同一の世界として認識出来るのではないだろうか。
42
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