...

インドの犯罪: その地理学的一考察

by user

on
Category: Documents
22

views

Report

Comments

Transcript

インドの犯罪: その地理学的一考察
Kobe University Repository : Kernel
Title
インドの犯罪:その地理学的一考察
Author(s)
二木, 敏篤
Citation
兵庫地理,26:32-40
Issue date
1981-03
Resource Type
Journal Article / 学術雑誌論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/90002318
Create Date: 2017-03-30
インドの犯罪
ーその地理学的一考察一
木敏篤
ト序
中・北部諸州が高率地域となっている。それは、
言
犯罪の分布には地域差があり、犯罪の種類によ
あらゆる犯罪にもほ Vあてはまる。その理由とし
っても異なると乙ろから、犯罪行為は地理学研究
て、歴史的に北インド平野が断続的 K北西部より
の対象として成立するものと思われる。しかし、
第 1図
イシド暴力犯罪(強盗罪、夜盗罪、誘拐罪、
殺人罪、謀殺罪)(1971)
わが国におけるこの面での研究は寡聞にして私は
知らないよ海外で、
の研究についても同様安あるが
よ
Harri
Eぷ)などがあり、Dut
t ほぶの研究
も注目される。 Nay
紅色インドにおける州レベル
の資料を駆使しての分析は地理学者九?のではな
皿 n
elの 1955-いが興味深い。そのとEかで、 Ru
5
7年の資料による 77ヶ国の犯罪研究を取りあげ
ている。それによると騒擾K関しては 14ヶ国の
第 3位一革命的騒動では 13ヶ国のうちアルゼ、
ン
チン、中固に続くこれも第 3位と発生率は高いが、
破壊行為は 9ヶ国中の号位で低いという。更に、
⋮
一
⋮
⋮
一
伊
⋮
⋮
⋮
⋮
⋮
⋮
ぬ
'
⋮
⋮'
うち、フランス、アルゼンチンに次いでインドは
口
巴
100..
050
回 050.0∞
図。∞ 050
図 ω 1∞
Feierabend とNesvoldによる 8 4ヶ国を対象と
した研究では家庭的暴力では韓国、アルゼンチン、
,
,
、
,.
ベネズエラ、南ア共和国、インドネシアに次いで
∞
8el
ow.
l
Above.
1
00
•
第 6位とこれも高い。しかし Gurr による人口比
による発生率( 1961--65年 ) では 114ヶ国中
35位となり、
窃盗罪) (1971)
しかし 1902--09年には減少する。
そ
県のデータを発表している。その報告に基づき
•
a
'
,
•
e.
P
,
.F.
E
犯罪多発地域の
D
ut
t ほかは中北部インドの暴
••
発生基盤について地理学的考察をすすめている o
第 1--3図はその成果の一部で、暴力犯罪のすべ
てについてパンジャブから西ベンガル州へと続く
- 32ー
μ
2・インドベ募要犯罪
1
1
)
インド内務省では 13の犯罪について全国 365
H
る
。
ι
するが、その実数、発生率ともに依然増加してい
一
⋮ぷ紘一⋮
71
.8 %増となっている。独立後については後述
⋮
。
⋮
⋮
⋮
⋮⋮
一
H
W⋮
⋮
⋮
⋮
⋮γ
⋮
⋮
以
1937年は 1902年比比して
日
⋮
⋮ 一
。・
⋮
⋮
⋮
⋮
⋮
⋮
倫
明 一⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ⋮
⋮
⋮
⋮
⋮
の後は急増する。
W盛
山
一
一
⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
'
⋮
⋮
一羽ぺ叶ブ
っている。 Bayley によると今世紀初頭からの不
法集会、騒擾などの発生傾向をみると前四半世紀
は漸増、
ィγ ドの財産犯罪(騒擾罪、 信託義務違反、
第 2図
10万人当たり 1件程度と低くな
回 1∞ω
囚 ω o∞
図。 00.0.50
園間1.
00
¥
/;
園 山 1 .
00
/ 国民問
200
1
80
1
1
6
0
1
40
13
0
⑥⑦③
Cr
i
m
e
spcr
1
0.
000popυIOlion
図。 0.020
白 020.0
図 的 130
函 130.185
.
第 5図
1
.8
5.6
イシドにおけるダコイト(強盗団)の発生(I9
7
1)
〔資料〕第 1
,
2,
3図は
1
200.
1
20 60
1
0
0
0 100 50
80080 40
A
.K
.Dutt,A
.
G
.Noble,S.Singh:
Subculture o
f Violence i
n lndia T
he
6
0 30
National GeogrpkicalJournal of l
n
d
i
a,
25
,p
t
. 2,1979
40 20
一~久ノ誘釘
外敵の侵入を受けたこと。その立ち去った後々に
⑤
@
その地がインド政治の核心
ω①@③
も混乱が残った乙と、そして絶えず異文化衝突の
場となった。それ Iζ
195354 5
55
65
75
85
96
06
16
26
36
46
56
66
76
86
97
0
地域で屡々王朝交替と、それに伴う激動を直接う
ける土地であったことなどがあげられる。中・北
部インドの集落 l
とみられるカーストを基盤とする
村落共同体の紐帯のゆるみを lはじめとする社会構
造の不脅炉があげられている。
第 l表主要犯罪発生件数(下段)と主要経済指標の推
移(上段〉
(人口 l
∞万人あたり)
〔資料) B.R.Nayar:Violence and Crime i
n
l
n
dia(19
7
5
)
Nayar
は「家庭的
安全性JK欠くことを重くみている。その反面、
たり 54.8件)、
1960年代前半までは 3万 件 以
1970
南部諸州はー般に犯罪の少ない地域となっている。
内であったが、それ以後は急増しており、
その理由として南インド社会の根幹をなすドラヴ
年には 68,331件 ( 同 127.7件)と 53
年 の 3.3
ィダ文化に根ざす非暴力主義と仏教、ジャイナ教
倍となった。
の非暴力もあずかっている。それに歴史的に北イ
目すべきである。これは周年の中印国境紛争が戦
ンドに比して外敵の暴力的侵入の少なかった乙と
争に発展し国民の危機感が影響を与えたとも考え
1963年に一度低下しているのも注
を、村落における強固なカースト的紐帯があげら
られるが、その後は飛躍的に増加する。政治的に
れる。
は6
4年のネルー死去、経済的破錠が表面化したこ
1
4
)
独立後の犯罪の推移は J953年から 70
年に関し
と、それに 6
4年のビハール大水害、 6
5・6
6年のビ
てNayarの詳細な研究がある。そのなかの若干に
ハール、アッサム、ケララ、ラジャスタン、グジ
ついて第 1表に示す。その種類で、
かなり差異はあ
ャラートなどの自然災害による食糧危機があり、
っても、全般的に漸増傾向をとっている。年によ
ビ、ハール州の÷が飢餓宣言をだすという事態が生
る偏異も大きいカヘ
1960 ・ 63 ・65年での発生
率の低きといったように共通点も多い。
騒擾罪
じた。 6
6年
i
b
はルピー貨が 57.5%引下げられる。
ナクサルパリの活動も乙の頃から活挽イじする。そ
れに南部諸州の反ヒンディー運動激化、更に大学
1953年は 20,
529件 ( 100万人あ
- 33ー
INDIA
,
<
I IC) ω x ・問
トー~
.
、
・・
・・
句
4
人目別万人ゐた り発生件数
人口削万人あにり発生件数
回
.11
0件以上
関
凹 ト
50阿
国 一件
臼
l
・
、
.
J
2
7件 以 下
巴刊
O件 以 上
金 イ ン ド平均 6
9.
9件
第 4図
1
5
∞ 件 以上
堅
調 1500-1150件
凹 1150-80昨
目 恥 叫胃 J
OI
1
10-80件
、│
金インド平均 9
1
2
.1
件
インドの騒擾罪(1959-1968平均)
第 5図
インドの全財産犯罪(1959-1968年平均)
〔資料〕第 4 ・5図は B.R.Nayar:Violence and
C
r
ime in Indi8(
19
7
5
)
.尚 Punj8bと
紛争と続くのが 1960年代後半である o このよう
Havyanalま州分離前のデータ。
NDはデータなし。
に騒擾は社会・経済的不安、政治的混乱に起因す
るところが大きいが、都市化率に密に関係するふ
(criminal castes) と犯罪部族(criminal
それは農村民比して経済的に恵まれていること、
警察力の充実が犯罪防止に働くことが発生率を低
tribes )の存在である。両者は、犯罪が職業で
くさせるという。'ただ、都市化率の高い西ベンガ
あり、
ル州は政治的に不安定な地域で高くなっている。
犯罪者として出生あ包恐らくそれは世界でも稀
全般的に北東部諸州が高発生地域である。
なものと思われる。
財産犯罪
372
財産犯罪は 1953年の 439,
件 (1
0
0万人当たり 1173.5件)から 6
0年の
しかもカースト的に世襲する。その子供は
その起源は諸説あり正確なことは不明である。
一説川北部インドでの絶え努イスラム侵入で
379,
249件(同 883.0件)まで、第 1次 5ヶ年
破れたう
4
ジプート (Rajput) でその軍人あるい
計画に始まる経済の順調な発展もあって低下した。
は農民としての生活基盤を奪われた者のなかから
それ以降、経済情勢は次第に悪化するが、犯罪も
犯罪生活にはし 1るものがでる。彼らの多くがラー
増減を繰返しながら漸次上昇し、最高の 1967年
ジプート起源を主張し、身体的特徴にそれを示す
052件(同 1134.0件)の発生をみた。
には 568,
ものがあることなども乙のことを裏づけるもので
財産犯罪のうちで強盗もほ
ある。乙の他に原住民起源説、ジプシー起源など
V同様の傾向にある o
1953年に 13,
986件 (100万人当たり 37.4件)
2
4
)2
5
)
がある。
から 1970年には、特に乙の年は異常な多発年で
あったが、
26,
795件(同 50.1件)となってい
る。デリーが最高、ついでマディヤプラデシ、
ト
リプーラ、マハラシュトラ、ウッタルプラデシと
1
1世紀乙ろよりガンガ流域平野とその南部の山
地はダコイト (Dacoit
y) 活躍の舞台であった。
ダコイトとは少なくとも 5人以上の強盗団を呼ん
でいる。次第にその活動範囲は全インドに拡大す
中央部諸州が高い。この犯罪の発生には指定カー
る。彼らは単に悪虐非道の存在でなく、屡々、大
ストと指定部族の人口率と比例するー乙の関連性
衆にあって英雄視される雰囲気すら有した。 1
8・
については次にとりあげる。
1
9世紀にはタッグ (Thugs) '
e呼ばれる伺千人も
のよく組織化された追剥が活動する。
r
人類共通
3
. インドの犯罪カーストと犯罪部族
の敵タッグはヤムナJ11とインダス川聞のあらゆる
インドの犯罪研究で特筆すべきは犯罪カースト
道路に……おぞましい殺人のぞっとする光景をみ
- 34-
f
こ……彼らはソゴール(Saugor)からビールサ
(Bhilsa)とボーパル(Bhopal)を通ってインド
ール(Indore) へと通ずる道路で彼らは旅人を
財産の一つくらいにみなしてレジマーとして捕え
殺害する…」と恐れられたという。英領時代に英
国人行政官はこのような犯罪行為をなす部族を犯
罪部族として法的に取り締まる目的で 1871年
、
犯罪部族法 (Criminal Tribes Act)を制定し
た。彼らを厳しい警察の監視下におよその自由
な移動を制限する意図を有した。その後、数次に
わたってその内容は改訂された。
1921年センサ
スで犯罪部族の概念規定は明確にされたが、ある
部族が犯罪行為をなすと、それを含む社会全体が
犯罪部族と呼ばれるようになった。
1947年の独立と憲法制定で法の下にすべてが
平等の精神が貫かれると当然ながら 1952年 K犯
罪部族法は廃止され、彼らは前犯罪カースト
or denotified tribes) と呼ばれるようにな
第 6図前犯罪種族民の分布
〔出所):D.N.Majumdar
,Races andCul
如何
ofl
n
d
i
a,Bombay Asia Publishing
9
6
1, p
.
3
7
4
House,1
り、約 230万人が法的に自由になったといわれ
乙とわるまでもないカえ彼らのすべてが犯罪者で
る。と同時に、乙の年に常習者犯罪法 CHabit
u
a
l
はなく、その C く一部にすぎない。
(ex-crimina1 castes or denotified
c
a
st
e
s)、前犯罪部族(ex-criminal tribes
しかし、生まれながらの犯罪者だけにその手口
OffendersAct) が制定された。
1949年の全インド調査委員会 (all India
は巧妙、大胆かっ慎重で、行動の前 K綿密に情報
Inquiry committee) によると 198 部族'~l)約
を入手する。指導者は秀れた能力の持主が選ばれ
600万人が前犯罪カースト又は部族という。
るo 例えばカルワール(Ka
rwal)ではムキァ
1971年センサスにその名が記載されているもの
(Mukhya指導者の意)と呼ぶが、必ず中年のエ
に限って第 2表に示した。盗科は古いカえ
1941
ネルギ ッシュな女性が選ばれる。女系制で、その
地位は娘、あるいは義姪の最年長者がうけ継ぐ払
年センサスでの人口は、ウッタルプラデシ
3
1
)
宿泊地選定、移動計画に仲間の処罰権をもってい
5
0
1.668.845、ボンベイ 623.809、 マドラス
.
490、マイソール
〈現タミールナドウ) 595,
.
4
5
〈現カルナタカ) 210,
321、 マディヤプラデシ
.
.
.
3
2
)
4
0
URUAU 5 0 5
3 3n2
2
・
76.722、パンジャブ 16,
564、 オ リ ッ サ
762、アーンドラプラデシ 69,
601、ラジャ
74,
400、ビハール 13,
311、西ベンガル
スタン 65,
2.598、各州とぺプス (Pepsu)83,
953、サウ烹
3
4
)
シュトラ (S山 rashtra) 2.308となっている o
Ea
唱EA
(指定カ ースト) Aherias,Bagdis,Bagris,
Baheliyas,Banjaras,
Baoris,Basor,
!
!
al
}
!i
a
s,B~r i
y
a
s,D~m , Haburas,
!
¥
:
al
l
a
el
i
aK
a
n
jar~-, Ka!wal,
Mal~ , Mi
M~~h.
ts','Moghi~:,' Na"t~"S "a~~ t
y
:
''S'a~tt;::
(指定種族)Bhils,Chencbus,Iru
l
a
s,
Lodhas
,
P
a
r
d
h
i,
S
u
g
a
l
i,Y
a
n
a
d
i
s,
Yerukula.
第 2衰 インドの主要前犯罪カ二ストと種族
〔資料)Ce
n
s
uso(J
l
I
d
i
s1
9
冗
・"
scheduledCastes
andSahed叫 e
dT
r
i
b
e
s
"
I
<
:
:
名のあがったものに
限った。
,
平均 3
5
.
8
)1
-
.
2 3 4 5 6 7 8 9 1
01
1 1
2
第 3表 タコイトの季節的分布(1956-60)
〔資料) A.K.D
utt:S
u
b
c
u
lt
u
r
eo
fV
i
o
l
e
n
c
ei
n
India(P.109)
- 35ー
る36)更に、彼らは組織を統制するためのパンチャ
カ 8、 トリプーラ 169、 ラジャスタン
ート (Panchayat))をもっている。
1.396,
026 )
その行動時期は明らかに季節による一定のリズ
森の住人、
ビールは"弓手"の意である。素朴
ムがある。モンスーン雨季 (6---9月)は活動停
だが激し易い性格をもっという。飲酒にふけり借
滞期である。作物は未だ生育期であり、土地は泥
金も多い。適当な仕事がなく唯一の生計手段とし
、
感
とき l
乙は洪水に見舞われ安全に逃走すべき基
て犯罪を犯す者が多いという 43)歴史的にはマラー
本的条件に欠くからである。 1
0月から 1
2月になる
タ族が中央インドを支配し始めたとき、彼らの多
と活動は活挽化する。気候がよく、作物の収穫期
くが討たれ斬首され、絶壁から投げ洛される。女
であり、祭礼に婚礼の季節だけに穫物にこと欠か
性は手起を切断され、子供は投石で殺された。こ
ず、夜の長さも行動を容易にする。 2---4月にな
の報復として残酷な犯罪をなすようになり、旅人
ると行事も少なく再び不活挽となる。 5月は酷暑
に追剥ぎを働き農家を襲い略奪する。捕えられる
ごが、来る雨季の生活困難な時期をひかえて稼
季T
と「それは私の責任ではな L、。神の命ぜられるま
とより
ぎ ど き と い ぞ こ の ほ か に 酒 造 期 比 は 飲 酒l
4
.
1
)
'
>
1
ζ 盗みを働いたのだ」とうそぶいたという。
生ずるトラブルが犯罪を培加させるプ)
Yerukula
(1971年センサス
アーンドラ
650)
プラデシ 162,
4. 主要犯罪力一ス卜と部族
アーンドラプラデシ州では常習者犯罪法で指定
カンジャール (Kanj
a
r)とカルワールカースト、
された 5
9部族のうちにエルクラと特に凶暴で有名
s)とエルクラ(Yeruku1a )部族
ビール(Bhil
なドンガ・エルクラ (Donga Yemku1a)などが
を例に若干の行動様式をとりあげる。
含まれている。前者は、アーンドラプラデシ州を
Kanjar
(1971年センサス、マディヤ
中心にカルナタカ、タミールナドウ州、I
K分布し、
プラデシ 4.588、ラジャスタン 15,
767
、ウッタ
コラパ (Koravas)又はコラチァ (Korachas )
ルプラデシ 44.176
、西ベンガル 1,219、デリー
ともいう。この部族については Simhadri によ
2,
115 )
るアーンドラプラデシ州グントクール (Guntur)
ダコイト、追剥ぎ、押し込み強盗、窃盗、牛盗
人などを得意とする。彼らは綿密な情報、多くは
女子が占師として村内を回って入手する、に基づ
き襲撃する。逃亡を容易にするため満月前の 2 ・
県ダルマプール (Dharmapur) 村における調査
報告があるア
乙エルクラが最初に居住したのは 1914
この村 l
年、乙れは 1
911年の犯罪部族法に基づくセツル
3B(C実行する。マディヤプラデシではデワス
メン卜建設によるもので、約 300名が救世軍の
(Dewas) 県だけで財産犯罪 588件のうち 228
援助で定住した。この他にも 4戸のエルクラがそ
件 ( 1955年)がカジャールによるという
Karwal
(1971年センサス
4
0
)
の前から居住していた。彼らを犯罪から切り離す
ウッタル
プラデシ 46,767 )
ために救世軍は土地を与え生活の基盤を確立させ
る。教育を与えて犯罪予備軍を育成させぬために
ビハール州からウッタルプラデシ州 l
とかけて移
1916年に小学校を開設し半ば強制的に子弟を通
動生活をする。ムキ九もと、統制のとれた集団
学させた。今もこの居住区に人るには救世軍の許
である。牛車小馬で運搬し簡易天幕で宿営する。
可が必要で、ある。
宿泊地はタマリンドやマンゴの樹蔭で、誰の土地
夕、)レマプール村は 991世帯、
4,
874 人でヒ
であろうと勝手に選びそ乙の果物も自由にもぎと
ンドクーのカースト構成は 16、ほかにキリスト
るなど傍若無人に振舞う。乞食が本職だカ元屡々
教徒、イスラム教徒が居住する。キリスト教徒は
ダコイトに変ずる。 ヒーハール州政府は常時彼らを
マディガ (Madiga)、マラ(Mala)とエルクラが
監視し、移動には警官がつき従う。警察署管轄区
改宗したものである。エルクラは二つに分かれ、
域をこえると次の警察署に引き継いでいく 42)
先住 4丙は非犯罪部族で 1914年に来住した同村
Bhil
(1971年センサス、デリー
最大(全人口の 46.1%)のエルクラが犯罪部族
404、アーンドラプラデシ 560、グジャラー
トト 227、マハラシュトラ 37,
448、カルナタ
である。今は農業 2 4 1戸 が 336ha、 1戸当た
り 1.4haで、乙れはコマティ (Komati)、カマ
- 36-
京
部自主又はカースト
Brahrnin
Knmati
Red
d
is
Kanuna
教
ヒJ ドクー教
m
m
数人日
人 口 比 世 帯f
当たり耕出揃
7
15
12
68
296 1322
12
0.3
1.4
27.1
0.
3
20
0.4
熔
九u
'
I
'e
Kumrnari
Sal
i
Gowda
i
M!Ulgal
ChakaIi
Vadde
*Yerukula
本 Y
erukula
本 l 30
ya
本 Y
anadi
@Mala
s
Mal
a
s
Madiga
Madi
ga
Muslims
15
9
19
"
4
ヒンドクー教
2
57
85
21
15
7
25
キリスト教料 397
キリスト教
ヒンドク「教
キリスト教
イスラム教
2
4
0.5
0.
2
5
1.5
70
0.5
26
1.
7
82
0.7
34
0.5
26
2249 46.1
6
0.1
250
5.1
7.1
348
99
2.1
1.5
73
31 0.
6
2.3
114
6 (エーカー}
7.7
1.
3
6
3.5
2.7
1.
2
5
1.
7
3
1.17
0.
9
3
.4
7
Brahmins (祭 芭 )
1
.BrahminVarna
(
1
1
1,
VaisyaVarnu
1
2
1 Komati
(商業 ・金貸 し )
,
1
3
(
1
股
Re
業
d〕
d
i 1
4
l
(段
ka
業
EI
Z
)
E
t
al
5
1Te
(
l
段
ag
業
a)Na du
1
6
1Sa
l
i(
織工)
皿.
Sudr
aVarr込
1
7
1
f
i
(
凹
陶lmM
よ
1
1
8
(
1
酒
V造
ad
り
de 1
9
1
G
o
業
wd
)a
(
m
ii
i
1
1J
l) ( 段 )
U
印M
(
a
床
ng
屋
a)
lI U
(
l
ク
I
C
リ
h
ー
a
ニ
k
a
ン
l
グ
i屋)
I
V.Sc
hed
u
led'
1
'r
i
b
e
s
V.
Ex-Unt
o
uc
huble
s
Sc
he
d
u
ledCastes
日
(
目
氾Y
1
e
t
r
a
u』剖
、
.
か
l
a
ι
s
っく
りU
)
3
(
猟
Bo
師
ya
)
sl
l
副(
Y
漁
a
n
夫
a〉
da
s
MaI凶
U
S
l
(農業)
1
1
6
J
(
皮
M
a
革
d
i
工
Ea
)
s
1.
2
2
1
.3
3
2
.1
7
M 5衰 Dharmapur村 の カ ー ストヒエラルキー
(Varnaとは種位、わが国 で 一般 に カ ー ス ト と は 乙 れ を 指 す 場 合 が 多
い。)
2.08
2.4
後の祭礼にも調査者を招待した。だが、当日 l
とな
991 4874 1
00.0
第 4褒 Dlarmap1r村のカ ース トと 部 族 (1
97
1
.1
2
)
@指 定 カ ー ス ト 寧 指定 書官族・ ・現在ヒノド?-教徒 と主 張
(Yer
u
l
w
l
a
s
.Yanadi
.Boyaは部族 だ が 今は カ ー ス ト と み位 され
ている。)
って急病のため断わられる。再び出会ったとき
「俺たちの仲間が、昨夜、 6頭の山羊を盗んで料
理した。お前さんが食べた料理もその肉できあ」
と聞かされ驚いている。またある老人の述べた犯
ス(
K組 unas) I
乙次ぐ耕地所有である。他に公務
行の方法は次の通りである。
員 197名、村氏近いインド葉煙草倉庫会社民
34 7名、農業労働者 250名
、 リキシャ夫 34
調査者
生活でしたかJ
名と皆が正常な職業に従事している。にもかかわ
らずエスクラの多くが今も犯罪を伝統的職業と感
「乙の村民移住してくる前はどのような
老人
「俺たちは路上強盗なんぞをやってまし
たJ
じ、実行するところに問題がある。そこに、単ζ
l
経済条件改善でその撲滅を図ることの困難さがわ
調査者
「なぜ. 乙乙に来たのですか」
かるのである。
老人
「警察によってここにつれて来られたの
できあ。俺たちの家はぶっ壊されっちまい
現在、エルクラは部族からカーストとみなされ
ました」
るようになっている。その理由は、同婚制(enヒンドクー教徒である
調査者
「どんな方法で盗みをするのですかJ
乙と、強固な紐帯で結ばれるといったカースト特
老人
「乙れと目をつけた村民行き、二日ほど
dogamy)、世襲的職業、
質のうち宗教を除きすべて保有するようになって
泊る o その間に村の家々の財産などのあら
きたためである。宗教だけは救世軍との関係でキ
ゆる情報を手に入れる。仲間で動き、盗み
リスト教に一応改宗しているが、独立後の政府に
に都合のいい場所をきがしたあと、
よるヒンドクー教徒優遇策のなかでヒンドクー教
決めた家に押し込むってわけ。頂けるもの
乙れと
徒としての同一性につとめている。カーストヒエ
は C っそり頂戴するって寸法でさあ。皆は
ラルキーでは指定部族に含められているが最下層
俺たちを恐がって手だしなんぞしませんや。
の指定カーストの上位に位置づけられている。
俺たちの祖先は悪漢だし、今も俺たちはそ
全村の 27 % (男 子 3or~ 女子 24 1}ら)がなん
れを受け継いできたというわけ…… J
らかの教育をうけているが、エルクラは 39.9%
うち男子では 42.5%、女子でも 37.3%が教育
彼らは殺人を犯さないことを誇りにする。その
ら(1971年全インド平均
をうけ、識字率も 409
行動は夜間、それも闇夜 K限られる。犯行場所は
34.5% )とかなり高く、大学卒も 60名にのぼ
鉄道その他を嚇して遠方に赴き決して居住地の
る。乙の面での救世軍による成果をみるのである。
近くを選ぱなし九普通 4名以上が一団を構成し、
調査者は犯罪部族民の家庭で食事を共にしなが
その各々に リーダー (Vothali)がいる。その資
ら彼らの生活を聞く方法をとっている。その一例
格は作戦行動の計画樹立のほか、略奪品の分配を
ζ
t盗みを数年前に止めたと語った男がいる。数日
する。決行前夜は皆に酒食を饗応する。ク'
ループ
- 37-
の者 K資金を前借しする必要もあり豊かさも資格
彼らの主要犯罪は第 8表に示す通りである。
の一つである。
5
.結
彼らの犯罪の一つにスリがある。基本的には個
栢
人犯罪であるが 2
---3名がサポートするのが普通
犯罪を減らし防止する対策は不十分とはいえ犯
である。乙れには高度の技術が必要なので幼少時
罪部族法制定以来実施されてきた。政府のほかに
代から従事しはじめる者も多~ '
0
慈善団体、例えば救世軍ほかのキリ号)ト教諸団体
やアーリアサマージ (AryaSamaj)にj
f
jジャ
カーストの規律はパンチャートにより維持され
る。構成員は各家庭の年長者で、土地性のトラ
ン奉仕者団(Harijan Sevak Sangh) などが
ブル、個人あるいは家庭聞の争詠略奪品分配に
活動している。その内容として部族民の定住化、
起因する争いなどを調停する o
模範村の設定、教育の普及、とくに犯罪家族の子
弟を寄宿舎に収容して親から切り離す、職業教育
過 去
現 在
Criminal
Noo-Crimi阻 I
Cr
i
m
i
o
a
l
Noo
-Cr皿 i
皿 l
Noo-Cri
m
i
n
a
l
Crimi
o
al
Cri
m
i
n
a
l
Noo-Crimioal
を充実させる。それに経済諸条件の改善、医療施
設などの環境整備、通信手段の改善、それに宣伝
も必要とされる o 一般に部族民の居住地は不便な
場所であり、同時に、
第 6褒
Dha
皿 apn村 Y
erukulasの犯罪状況
(1971.12)
こういった地域では警察署
は広大な管轄区域をかかえており、犯罪の防止と
発生時に敏速な対処ができず、現場検証も容易で
父母
組処尋
Cr皿 i
n
a
l
n
a
l
Non-Cr皿 i
子供
ない。そのうえ部族民の話す言葉が理解困難な乙
計
と、警察はいすふ冷淡で不協力がそれに拍車を
2
3
( 5.79%) 1
2
2
97(24.43'
7
'
0)
19(
4.
7
8%)
205(51.63'
7
'
0)
51
<1
2.
8
4'
7
'
0) 2
7
5
かけるようである
2
1
<5.
2
8'
7
'
0)
3
0
2<76.67'
7
'
0)
74(17
.
63%) 3
97
て予算が計上されている o
鱗 7表 面a皿 apur村 Yerukul
舗の世代による変化<1971.12)
司Ed14
府侃仇 N
、a
弘僅 6 か犯ホとの分はス接なに、し援う
7{ 第わのに一一二者や直乙者しとををる名盗す
.ながも 2 更ララに前盗たお罪資者動益あ唱強行
J% とで 2 をカカ族。窃つを犯投売活利にじ
帯 3 乙表 1 族ト-家る、い罪、を故のてとは窃を
れる70家イル罪き名と犯ず金品そし乙者接リ
2Mm い ・ る 罪 ワ ブ 犯 で 訂 リ の わ 資 盗 て 助 る 後 直 ス
2 ・て
1 帯し
は世少
の 5 減
る 7 が
す 2 族
事の家
従も罪
にな犯
罪係が
犯関る
・無あ
在には
現罪で
犯罪の種類
男
単独犯
女
BlueCol
l
a
rCriminal
s
窃
盗
ス
平
冒
助
1
04
15
ー
5
14
者
WhiteCol
la
rCr
i
m
i
r
凶I
s
w
数犯
出資者
盗品故禿者
T/1
T/G
T/P
T/E
I/G
I/E
G/E
P/E
T/I/E
T/G/P
T/l/G
T/I/G/E
ι
5ヶ年計画でもその対策とし
2
(
0
.
50'
7
'
0)
12
5
15
l
6
昨年(昭和 5
5年)夏の兵庫地理学協会のインド
巡検のことである。ブダガヤからパトナに向けて
の夜のパスの旅のことであった。灯火のない真暗
な闇夜のなかから時折ぬっと警官が現われては停
車を命じ、ときには車内を調べたりもした。その
ためもあって深夜に疲労困婚してようやくホテル
に辿り着く始末であった。後で厳重な警戒の理由
をきかきれて一同は驚いた。つまりその夜がダコ
イトの活動日で、そのための取り締りであったの
だ。あるいはカルワールの犯罪かと、以前に読ん
f
ご点の写真、頬に入墨をした精附女ボスの顔
が浮かび興味を抱いたのがこの研究の発端となっ
たわけである。
ただ、乙の一文によりインドが治安が悪く物騒
な国 T
ごと誤解されることを危倶している。という
のはわが国で出版される案内書などに犯罪の注意
がかなり誇張されているからである。私の僅かの
経験ではあるがとれまでインドを旅して盗難とか
筋 8. D
har
皿a
pur村 Yerukuculasの主要犯
罪 (1971.12 )
不安な事態にかつて遭遇したことがないことを終
I…出資者 G…盗品故売者
F…ス 1
) E
.
.
.
M助 者
〔資料第 4-8表 Y.C.s加由a
d
r
i :TheEx-
でやふ
T…窃盗
o
164 48
計
りに記しておきたし、。
CriminalTribesoflndia
- 38ー
〔注〕
1)
深井三郎;法地理学ぅ地理 4-5 (1959)
2)
Proceedings of the Association
P.D. Phillip:A Prologue t
o the Geoqrapby of Crime,
3
)
K.D.Harries:Geographyg of American Crime-1968,
The Journal of Geography Vol.70,
of American fieographers Vo1
.4 (1972)
N
o
.
4 (1971)
4
)
G.F. Pyle:The Spatial Dynamics of Crime,
The University of Chicago,Dept. of
5)
B.R
.Nayar:Violence and Crime in India(1975)
6)
R
.J
. Rammel :Demensions of ConflictBehavior Within and Beetween Nations,
Gener-
7)
l
.K
.Feierabend & R
.L
. Feierabend:Aggressive Behaviors Within Polities1948-1962,
A
8
)
T
.R
.Gurr(ed):Violence in American,
Historical and Comperative Perspectives(1969)
9)
The lndian Journal of Polit
D.N. Bayley:Violent Public Protest i
n lndia 1900-1960,
o
.
1
5
9
Geography(1974),Reseach Paper N
D
l(963) Pl-50
a
l Systems YearbookV
Cross-National Study,Journal of Conflict ResolutionX (l966)P.249-71
P
. 544-605
四
ical ScienceX
X
N(1963) P.309-25
1
0
) Ministry of Home Affairs:C rime i
n India(971)
1
1
) 謀殺罪 (Murder殺 意 あ り ),殺人罪 (Homicidc殺意なき), 強 盗 罪 (Dacoity,5人以上の集団),
強 盗 罪 (Robbery,4人 以 下 ),夜盗罪 (Burglary),誘拐罪 CKidnapping),窃盗罪 (Theft),
),信託義務違反 (Criminal Breach of Trust), 強 姦 罪 (Rape), 詐 欺 罪 (Ch騒 擾 罪 CRiot
eating),貨幣偽造罪 (Counterfcitin
g) その他の全犯罪
1
2
)
A.K
. Dutt,A.G.Noble,S
. Singh:Subculture of Violence in lndia,The National Geographical Journal of India(1979) Vol. XXV-2
1
3) 前掲(注 5 )P
.133
注 12) P
. 107
14)
1
1
(
1
5
)
1
1
(注
5)
16) 酉ベンガ、ル州ダージリン地方ナクサルパリで貧農集団による地主の土地占拠運動 l
乙始まる,それが農民によ
る武装斗争に発展し,毛沢東思想の旗の下に各地で革命運動を推進する。労働運動との連携なく,内部の激
しい派閥抗争もあり,やがて反共暴力集団へと転落し勢力を失った。
17) 非ヒンディー語諸州,とくに南インドで
1965年初め,英語の地位が公用語からはずされた時,特にタミール
人を中JI)K反ヒンディー語運動が表面化した。デモ・ストライキに住民騒動が続発した。政府は英語を再び
公用語とする法的保障で沈静化した。
18) 前掲(注 5)P
. 117
19)
20)
庁 ( 注 5 )P
. 119
11
(
注 5 )P
. 125-126
21)
D.N.Majumdar:Races and Cultures of India(973) P. 353-354
22)
S.A.Ali:Tribal Demography i
n Madhya Pradesh(1973) P
. 117
23)
R.B.Singh:Rejput Clan Settlementsi
n Varanasi District(1975)P.51-56
24) 前掲(注2
1)P
. 353-354
25)
S.Fuchs:The Aboriginal Tribes of India(1973)P
. 124
26) 前掲(注 21)P
.353
27)
Thugsとはヒンディー語“ Thug-lana"
28) デリーボンベイ幹線道路,殊にアグラからインドールに通ずるチャンパル河谷には 1
5集団,約 500名のダコイ
トが活躍するという。
29) 前掲(注 12) P
. 111
30)
Y.S. Sinhadri:TheEx-CriminalTribes of India(l979),
P
.8
- 39-
31)
1960年 5月,マハラシュトラ・グジャラート両州に分割された。
32)
1966年 1
1月
,
パンジャブ州から分割してハリアナ州が誕生した。ここには両州が含められている。
33) 旧藩王国,今はパンジャブ州民包含されている。
34) 西部,カチュワアル半島にあり,
1948年,グジャラート州民包含された。
35) 前 掲 ( 注30)P‘ 8
36)
V
.Raghavi
ah:Nomads(1968)P
. 229-230
37) 五人委員会の意,長老会議とい、われ,村落生活全般の運営を共同で,民主的に事を決する働きをする。
38) 前 掲 ( 注 12) P.109
39)
か ( 注21) P
.135
40)
か ( 注22) P
.120
注 36) P.230
41)
/1
42)
か ( 注 36) P.230
43)
か ( 注 22) P
. 122
(
44) K.P.Bahandur:Caste,
Tribes & Culture of lndia Vol
.2(
1977)P
.1
4
45) 前掲(注30)
46) 犯罪部族法時代,行動が制限,監視され,遠方へでかけることが困難で,比較的隠密行動のとれる近くを犯
行の場に選んだ。
前 掲 ( 注30) P
. 117-118
47) アーリアサマージとはダヤーナンダ(1824-83)により創始されたヒンドウー運動,偶像崇拝,カースト
制度を排斥した。婦人の地位向上,教育と社会事業で多大の成果をめげてきた。
48) ハリジャン奉仕者団,マハ卜マ・ガンジーの影響下に 1932年比組織化されたもので,不可触民の教育的・経済
的・社会的向上を図ることが目的である。カースト廃絶といった社会改革とは無関係でゐった。
49) 前 掲 ( 注21) P
.354
50)
〆
'
/
(注 21) P
. 366
51)
/1
(
注 36)
- 40-
Fly UP