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タイの象 バーミヤーン測量の思い出

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タイの象 バーミヤーン測量の思い出
シリーズ:アジアの動物のはなし (2)
タイの象
吉川敬子
タイは象の国である。13 世紀にスコー
きた。したがって、厳しい条件※ 2 に合格し
タイの都に王国が建国されて以来、タイの
た白象は、国王に献上され、国王は象に勲
人々は象を敬愛し、象とともに生きてきた。
章と美しい名前を授けられることになって
北タイには象を訓練する学校があり、材木
いる。その白象は国王の宮殿敷地内で大切
を運ぶ練習をする合間に、象が川に入って
に飼育される。タイの勲章が「白象勲章」
水浴びする光景が見られる。東北タイのス
と呼ばれる由縁もそこにある。
リン県では、
毎年 11 月に象祭りが開催され、
象はタイの格言にもたびたび登場する。
世界各国からの観光客でにぎわう。なかで
身近なものに「象の前足、象の後ろ足」と
も象のサッカーはとても愉快だ。
いうのがある。象の前足は夫を指し、後ろ
タイにおいて、象は動物の中の頂点に立
足は妻を指す。
「夫唱婦随」ということだ。
ち、別格あつかいである。数え方も一般の
「象は象牙ゆえに死す」
(多額の財産は狙わ
動物と同じではない※ 1。とりわけ三つの
れやすいという意味)とか、
「象は死して
頭を持つ象のイラストを街中でよく見かけ
象牙を残し、人は死して名を残す」と言う
るが、これは「エラワン」と称せられ、イ
格言もある。
ンド神話に基づくインドラ神の乗り物とし
東南アジア諸国の中で唯一、独立を保っ
て、タイ人社会では昔から崇めたてまつら
てきたタイの人々。彼らは象を愛し、大切
※ 1 一般の動物は「トゥア」
(∼羽、∼匹、∼頭)
、象だけは
「チュアック」
(∼頭)と数える。
※ 2 目、口蓋、爪、毛等、体の細部にわたり白さの規定がある。
れている。
に守り育てる。象はタイにとって国の守護
よしかわ けいこ
そして、特筆すべきことは、白象の取り
神的存在であり、かつ、平和の使者でもあ
扱い方である。白象には昔の偉大で英明な
るのだ。
る王たちの霊魂が宿っているとみなされて
スコータイにて
©Komrit Panturat(タイ)
上智大学外国語学部非常勤講師(タイ語担当)
。タイ国
民文学『王朝四代記』(全5巻)の翻訳により第 20 回
日本翻訳文化賞を受賞(1984 年)。
アジア太平洋現地発(アフガニスタン) バーミヤーン測量の思い出
牛川喜幸
左)ウナイ峠で。筆者(左)と運転手のザモン氏
(アフガニスタンの騎馬競技ブズカシの選手)
右)
撮影作業
1970 年 9 ∼ 10 月に京都大学中央アジ
ア学術調査隊の一員としてアフガニスタ
ンに入った。目的はカーブル近くのスカ
ンダル・テペの発掘とバーミヤーンの調
査。私の担当はバーミヤーン石窟群の正
確な実測図作成だった。
9/19 8 時、同僚と運転手の 3 人でカ
ーブル出発。南回り。峠に残雪。奇勝の風
景地を抜け、16 時半バーミヤーンホテル着。
カーブルからバーミヤーンへはシバル
峠越えの北回り (230km) とウナイ峠、ハ
ジカック峠越えの南回り (180km) がある。
峠はすべて標高 3000m 以上。どちらも未
舗装のガタガタ道だった。作業後の楽し
みにと大事に梱包したワインボトルの一
部が割れていたときの口惜しさ。食事は
バザールの食堂を利用。テーブルでなく
床に座って食べる。大きい荷物を持った
各国の若い旅行者でいつも賑わい、ある
種の治外法権的な自由な雰囲気があった。
翌日から作業開始。まず全域踏査。標高
およそ 2500m なので早足で歩くと息切れ
がする。2 つの大仏を含む遺跡の迫力に
圧倒される。
9/22 作業員二人採用。西大仏の正中
面決定。基準点設置して計測開始。
会話は辞書片手のダリ語。写真測量の
ため計 100 余点の基準点が必要。作業は
基準点設置、計測、乾板入替え、撮影の
繰り返し。測量の基準となる三角点・水
準点は軍事機密からか公開されていない
ため、2550m という州知事公舎の標高を
基に延々と測量を続けた。
うしかわ よしゆき
ACCU 文化遺産保護協力事務所長。農学博士。奈良
国立文化財研究所等を経て 2003 年4月から現職。
9/25 早朝痛みで目覚める。
スリッパに潜むサソリ発見。
ベッドで右脇下をやられた。金曜日は
休みで医者は見つからず、痛みは拡がっ
たが大事に至らずホッ。
10/2 鋸折れ、大工を雇う。杭が不足
するが材木なし。バザールの露店一部を難
交渉の末に買い取り、材料に充てる。
…調査日誌を開くと 30 数年前の苦労が
よみがえる。当時インド隊が東大仏の前
面に足場を組み修復中だった。1976 年 9
∼ 10 月に再度調査を行い、東西大仏各縮
尺 1/50 立面図、全崖面縮尺 1/200 立面図
と平面図を完成した。往時を想う時、今
日のバーミヤーンの状況はまさに深い悲
しみである。
ACCUニュース No.345 2004.9
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