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みんながもっともっと自分らしく生きられる社会へむけて〜 九州大学男女

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みんながもっともっと自分らしく生きられる社会へむけて〜 九州大学男女
〜みんながもっともっと自分らしく生きられる社会へむけて〜
九州大学男女共同参画推進室
山㟁 玲子
准教授
今から 15 年ほど前、米国アラバマ大学でジェンダーの授業を学部生に教え
ていた時のこと。授業の終わりに女子学生が「この授業では“レズビアン”
とか“ゲイ”という言葉を聞いたり口に出したりする。だから先生を訴える」
と一言。事情を聞くと彼女は敬虔なキリスト教徒で彼女の教会の教えではこ
うした言葉に触れる事が禁止されているとのこと。そして今度は白人男子学
生。授業へのフィードバックエッセイに書かれていた彼のコメントは「先生
はレズビアンとかゲイと同じように地獄に堕ちる」であった。当時私はイン
ド人とタンザニア人のハーフである学生とお付き合いをしていた。しかし
「バイブルベルト」の威名を取り、奴隷制と家父長制の歴史を色濃く残した
アメリカ南部アラバマ州では人種の垣根を越えた結婚はその当時まだ州法で
禁止されていた。人種・ジェンダー・セクシュアリティが複雑に絡み合い、
まさに bell hooks が言う“white supremacist capitalist patriarchy”(中流階
級の白人男性主義)的価値観が、宗教の教えだけでなく、社会構造にくっき
りと反映されていた。社会の価値観として、差別があたかも「良し」とされ
ているかのような体験を幾度となくした。
その後住を構えた東南アジアの経済拠点、シンガポール。町中で恋人同士ら
しい女性たちが手をつないでいる光景は見かけるのだが、男性のそうした姿
は皆無に等しい。シンガポールは特にゲイに対する同性愛行為を“犯罪”と
見なして罰則している。単なる宗教な道徳的価値というだけでなく、他国に
よる侵略、独立の歴史からなる多民族国家シンガポールでは国家統一、グロ
ーバル社会で政治・経済的生き残りをかけた国家戦略とセクシュアリティが
密接に関わり、セクシュアリティが“政治のツール(道具)”として機能し
ているように見えた1。
その一方で、最近学生と一緒に読んだデンマーク2とオランダ3の例はセクシ
ャルマイノリティに関して全く異なった様相を見せる 。両国とも早くから同
性愛結婚が法律的に認められているが、デンマークでは、“クラシックより
ロック音楽が好き”“リンゴよりみかんが好き”といった事柄と同じように
セクシュアリティもまたその人の「taste」(好み)であるという認識が一般
概念化しているという。そのためセクシャルマイノリティというコンセプト
自体が“disappearance(消失)”しているという。つまりゲイやレズビアン
といったセクシャルマイノリティが“ヘテロセクシュアリティ”というカテ
ゴリーの「別・外・対」に存在するのではなく、社会のメンバー個々人が皆
1 For example, See Chan, Phil C. W. 2009. Shared values of Singapore: Sexual Minority Rights as Singaporean
Value. The International Journal of Human Rights, 13(2): 279-305.
2 The disappearance of the homosexuality. 2011. Introducing the New Sexuality Studies (2 nd ed). Edited by
Steven Seidman, Nancy Fischer and Chet Meeks. NY. Routledge.
3 Gay men and lesbians in the Netherlands. 2011. Introducing the New Sexuality Studies (2 nd ed). Edited by
Steven Seidman, Nancy Fischer and Chet Meeks. NY. Routledge.
それぞれ異なるセクシュアリティの taste を持っている、ということだ。そ
して“消失”とまでいかないが、オランダではゲイアイデンティティといっ
たセクシャルマイノリティとしてのアイデンティティがあるのではなく“my
homosexuality is just one part of my personality”(私がゲイであるという事は
私の性格の一部にすぎない)という考え方が主流だと言う。先日オランダ在
住の友人も「小学生で、両親はパパ2人とか3人とかいるよ、とか きちんと
両親の関係を理解して話せるよ」と話していた。
2年前に訪れたカナダの MacGill 大学。大学のあちこちで学生が作成してい
る新入生向けのガイド本が置いてあった。中を見てとても驚いたのを覚えて
いる。大学があるモントリオールという町について、MacGill 大学について、
授業履修についてといったといった通常の新入生向け大学案内に留まらず、
レストランガイド、ナイトライフ情報、町や大学でのフェスティバル、アル
バイト探し情報といった学生に喜ばれるような内容が盛りだくさん。そして
その中に、人気のピザ屋さんを紹介しているのと同じようなトーンで、
「Queer Student Life」(クィア学生生活) 「Safer Sex」(より安全なセック
ス)「Contraception」(避妊)などのセクシュアリティに関する情報が掲載
されていた。“セクシャルマイノリティー”だけでなく、“セクシュアリテ
ィ”自体についてあまり語られない社会に住んできた私にとって、こうした
テーマが何のタブー視もされず身近なトピックとして語られている社会があ
ることへの驚きだった。
ここ日本はどうであろうか? 先日学生とこの問題について議論をした。皆の
印象は“Silenced”(黙っている事を強いられる)であった。“Hate crime”な
どの明確な差別が日常行われている感はない、でもあたかもヘテロセクシャ
ル以外のセクシュアリティが社会に存在していないかのように多くの人が振
る舞っている、もしくはセクシュアルマイノリティーの存在自体があまり認
識されていのではないか。 そして Silenced を破った途端、何かしらの社会的
制裁やスティグマに遭遇するのではないか。じゃあ、黙っていれば hate
crime などの犠牲にならない社会と、何かしらの危険はあるけど声にして社
会的な認識、そして平等を勝ち得ていくのはどちらがいいのか。 難しい議論
が続いた。
一つだけ言える事はセクシュアルマイノリティの問題は当事者だけの問題で
はないという事だ。ジェンダーや人種問題といった様々な社会差別と深く関
係している。女性も長い間同じような体験をしてきたのではないか。社会の
中で誰がマイノリティにされてしまうのか。誰が誰に Silenced を強いている
のか。それはどうしてか。差別がどう社会制度に組み込まれているのか。そ
こから脱するにはどうすればいいのか。私の専門の社会学は「こうでなくて
もよい社会」を考察する事である。日本社会とセクシュアリティ。日本社会
と多様性。今日のセミナーは、今の状態でなくてもよい日本社会について考
えるキッカケを与えてくれるに違いない。
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