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第36号 - FPU兵庫

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第36号 - FPU兵庫
FPU北近畿(兵庫・京都)
F P U 北近畿
(兵庫・京都)
機 関 紙
第 36 号
月刊 平和統一 NEWS
F P U 北 近 畿
〒650-0022 兵庫県神戸市中央区元町通 7-1-2
ネオアージュ神戸元町 1001 号
TEL.078-360-0757 FAX.078-367-4323
HP:http://fpuhg.main.jp/
E-mail:[email protected]
第36号
発 行 FPU 北近畿
発行人 趙 希 秀
2011 年 8 月 1 日
第27回韓国料理講習会が開催される。
第 27 回韓国料理講習会が、6 月 25 日(土)PM1:30 から、新長田ピフレ 3F において、開催されました。
今回は、韓国風冷しゃぶ、冷麺と韓国風サラダの 3 品でした。各テーブルに、韓国婦人が一人ずつ加わり、それ
ぞれ各テーブルでアドバイスをしながら作りました。特に、冷麺スープ(<육수>ユクス)のだしの取り方を、
詳しく教わりました。冷麺スープの材料として、牛肉・豚肉・鶏肉を使用し、弱火で少なくとも 2 時間は煮込む
ため、冷まして試食するには、時間的に無理があるので、作り方を指導し、出来上がったスープは、試食中に冷
ましてそれぞれ、自宅に持ち帰りました。試食用には、市販の韓国から取り寄せたスープを使いました。韓国風
冷しゃぶには、今が旬の取り立てのきゅうりをたくさん使い、冷しゃぶのたれには、網えびの塩辛を使うことが
特徴です。19 名の方々が参加しましたが、いつもながら、和気藹々と楽しく学ぶことが出来た料理講習会でし
た。
次回のテーマは、サムゲタン(参鶏湯)と野菜サラダにすることを紹介しました。終了時点で、次回の申し込
みが早くも 24 名になりました。
第 19 回祖国の平和統一を願う「賢仁会」が盛夏の中、開催される。
いつもの年より、ことのはか長かった梅雨の季節が明けて、やっと夏らしくなった、2011年7月24日(日)
の午後、JR 新長田駅近くの勤労市民センターにて、多くの会員の参加を得て、久しぶりに「賢仁会」が開催されまし
た。前回の開催は梅雨前の5月下旬でした。今回の開催は第1回目の「祖国の平和を考える」につづく第2弾として
の開会でした。
趙希秀 FPU 北近畿会長の紹介を受けて、同じ主題を基にした『平和と仏教』についてを、仏教徒の立場から一介
の雲水として行脚修行に精進している臨済宗僧侶の曺小煥老僧が「平和とは」
「仏教とは」を自らの体験を交えて熱烈
に語りました。
1945年8月から、3年後の1948年の8月ごろまでの、南北2つの政府が作られる経過は、アメリカとソ連
両国の利益を優先させ、たえず韓(朝鮮)民族の意向(望み)を無視しつづけた点が腹立たしくてなりません、と述
懐されたのが印象的でした。
特に在日である運命の定めの中にいて、民族の分裂と葛藤を、青年時代に、禅寺の中に居て哀しく思って過ごした
事、結局はもどかしく、祖国の平和的統一を待ち望んで80才近く迄、人生を経る事になったと話されました。その
老いた中で本名を名乗って、祖国(亡き父母の故郷)を訪ね、それらを精神的にも、回復しえた事が何よりの慰めで
あった・・・。それは韓(朝鮮)半島が「悲しみの大地」ではあったが、つかの間の平和的状態でもあったから、そ
の成り行きで半島を歩いて一周することができたとも語るのでした。
国際ハイウェイ(日韓トンネル)が存在していて、国際結婚(民族の融和としての)が早くから普遍的に広がって
いれば、過去、関東大震災時“88 年前の朝鮮人狩り”という不幸な出来事等や、筆舌に語り尽くせぬ差別を受ける
事はなかったものを・・・と話を締めくくられました。
第2部に移り、席を大きな輪にしつらえて、各自がおもいおもいの出来事や近況などを語り合って在日一世を中心
にした祖国の平和的統一を望む「賢仁会」を終えました。
第3部では、先月(6月上旬)の FPU 結成6周年記念コンサートでの慰労をねぎらう為の、懇親会を開きました。
年一度の大役をつつがなく終えた後の初めての集会でした。場所は、新長田駅前近くの韓国食堂「明洞」でした。
平和統一聯合
Federation
for
Peace
and
Unification
1
FPU北近畿(兵庫・京都)
月刊 平和統一 NEWS
第36号
主張
頭翼思想考⑥『人格神の域、心情の完成』
人格と言う言葉は、人間にとって、とても重要でありながら、
「その定義は?」と聞くと、結構曖昧なも
のである。
文字通り、人としての品格を言うものと理解すべきだろう。哲学者カントが説いたように、物件との違
いでもあり、また他の動物との違いと理解しても良いだろう。
人たる所以を何処におくか?! 頭翼思想は、第一原因である神の根本は心情であるとした。故に、人の
品格としての人格の所以も、その基本は心情であると考えるべきだろう。これについて、もう少し掘り下
げて、考えてみよう。
人格機能に、知情意がある。知の機能があるから考え、情の機能があるから感じ、意の機能があるから
行うのである。そして、その根本が心情である。
「心情は、愛して喜ぶ情的衝動ある」との定義から、心情
の目的は喜び即ち幸福にある。その手段・表現は、愛と言う行動だ。
精神病理学者フロイドは、性的情動リビドーを人の基本とした。だから彼の愛は、セックスと理解して
良いだろう。人を動物的レベルに下げて見ているのである。彼は理性の弱った精神病患者を中心的対象に
した臨床的研究から理論を確立したから、当然と言えば、当然かもしれない。気をつけるべきことは、精
神異常者が基本になっていることである。
頭翼思想の言う「愛」は、勿論、文鮮明師の座右の銘「為に生きる」ことである。故に人格者は、愛を
行う人、他の為に生きる人を言うのである。それ故に、イエス・キリストが人格神である唯一絶対萬能の
神ヤーヴェを、
「愛なる神」と称えたのも当然のことだろう。
人は、子女の時代、夫婦の時代、父母の時代、祖父母の時代と人生を生きる中、人格を成長・完成させ
て行く。人格は各時代の心情を満たしながら成長して行く。故に人格の完成は、祖父母の時代まで段階的
に満たし完成させる訳である。
人の肉体は、幼少期より成長し、青年期をピークに衰えていく。祖父母の時代は老人期に入るので、肉
体的には弱体化し赤ん坊に戻っていく現象が起きる。四つんば歩きの赤ん坊のように、老人は杖をつき三
本足で歩くようになったりする。体が思うように動かなくなり、言葉も虚ろうつろにままならなくなる。
老人化は、肉体的に 幼児化現象と言ってもおかしくない。
それは死ぬ準備に入っていく現象である。赤ん坊は誕生した当時は、ほとんどの肉体機能が未熟である。
死期が近づくと、 ほとんどの肉体機能が弱体化するのである。その反面、死期が近づく老人期に、人格は
成長し完成していくのである。
人は、肉体(肉身)と精神(霊人体)の二重構造を備えて地上に誕生する。「オギャー」と誕生する時、神の
息が入り、霊魂即ち霊人体が注入され、生まれる。
聖書では、人の創造は、土をこね神の息が入り、生きるものとなったとある。人は、死すると肉体は滅
び、地のチリと化し土に帰る。土から生まれたから土に帰るのである。ユダヤ教、キリスト教の土葬は、
復活の願い以前に、ここから来ていると考えられる。
しかし、残された神の息即ち霊魂(霊人体)は、神から来たので、神(第一原因)が存在する無形の世界即ち
霊界に帰るである。人格の器は、霊魂即ち霊人体である。霊人体は、死後の世界・霊界で暮らすようにな
っている。だから人は、人格を完成させて、死後の世界即ち霊界へ行く必要が出てくるのである。本来、
霊界は人格を完成させていく世界である。未熟な人格のまま霊界にいくと、苦しい生活が待っている。人
格の未熟な悪人が死んで行く霊界が地獄である。
地上で人格を成長させると、霊人体の成長がみられる。人は、死んで人格神の元に帰る。だから、人格
神と共に生きる為には、地上で生きている間に、人格を完成させなければいけない 。心情を完成させ、人
格を完成させる。そして霊人体を完成させる。霊界で、永遠に、平和に、幸せに暮らせるのである。 人格
神の世界、正に人格の世界が、天国である。
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2
FPU北近畿(兵庫・京都)
月刊 平和統一 NEWS
第36号
少年時代①
『新世界』
FPU 北近畿/兵庫会長
趙 希 秀
ふと、少年時代を思い浮かべる。少しずつ楽しい思
い出…、苦い思い出…、いろいろな思い出が蘇り消え
ていく…。何時しか少年時代の思い出は、記憶から消
え去り、
「砂漠化」への道を辿るのかもしれない。
記憶のあるうちに書き留めて置こうかと、パソコン
に向かう。何から書けば良いだろうかとあれこれ考え
ながら、気の向くままキーボードを打ち始める。先ず
は楽しい思い出からと思い、当時の家族団欒を思い浮
かべた…。
漫画「じゃりんこチエ」を見ると、その舞台は「ジ
ャンジャン横丁」である。大阪市の浪速区恵比須、通
天閣のある新世界に入る南側の入口横丁である。
新世界と通天閣そしてジャンジャン横丁は、昭和を
生きた大阪人にとって、ずいぶん馴染みの深い名前である。私もそんな大阪人の一人だ。新世界、通天閣、
ジャンジャン横丁は、私にとっても少年時代の一舞台であった…。
少年時代、月末になると、景気の良い時は、新世界の『づぼらや』に行き、家族で「てっちり」を食べ
るのが恒例であった。
ちなみに、
「てっちり」は、素人が下手に料理したら「毒に当たる」鉄砲ちり鍋、即ちフグのちり鍋を指
す言葉だ。毒に当たって死んでも良い程、フグはとてもうまい食べ物であると言う訳だ。一時、下関に上
がる「ふぐ」90%は、大阪で消費されたと言う。それ程、「てっちり」は、大阪人にとってとても食べた
い御馳走の一つである。
この新世界の『づぼらや』さんの並び筋に、おもちゃ屋があった。何時も店の軒先に吊るされていた玩
具の刀を、この前を通るたびにほしいと思い、親に買ってくれと幾度もダダをこねたことがあった。なか
なか買ってくれない。何時しか決意が募り、そんなある日、その店の前で、それも道のど真ん中で、大の
字になって「買ってくれ!」と叫んだことがあった。ほとほと親も買ってやろうと思ったそうだ。しかし、
結果は買ってくれなかった。
『づぼらや』で、てっちりを食べた後だから、財布が空っぽだった所為である。
その時のことを、大人になったずいぶん後になって、母親から知らされた。必死の決意も、親の財布に金
がある時にするものだと、苦笑いしたものだ。
月末の恒例の家族団欒のコースに、てっちりでお腹いっぱいになった後、スマート・ボールで遊び、腹
を空かした後に、「ジャンジャン横丁」で、串カツを食べることが多かった。
「ジャンジャン横丁」には、
飲み屋が多く、串カツ屋さんが何軒もあった。
当時の感覚は、大人はパチンコ、子供はスマート・ボールで遊ぶイメージだった。だから、パチンコ台
を倒して穴を大きくし、ボールは白く大きかった。穴に入れて、何か景品をもらったこともあった。
子供は遊ぶと、消化が早く、串カツも何のその、けっこう食べた記憶がある。50 代半ばの今でも「てっ
ちり」と「串カツ」は、私にとって御馳走だ。
少年時代の思い出、そこには自分を作った、数多くのエピソードが見え隠れする。
少年時代は、大人だったら罪になる悪さも、子供だからと言って、罰は受けても許される場合が多い。
だからそんな少年時代の中で、ウソをついたり悪戯をしたり悪さをしたりした時、その時けっこう苦い思
いをして、良い結果を生む場合がある。
私の場合、この時期のそんな経験に、とても痛い思いをして反省し、それがキッカケで、二度とやらな
くなったり、今では教訓となっているものも少なくない。中には、人生の至言と言うべき程の貴重な経験
もある。
だからか、少年時代の悪ガキが良い大人になっている姿を、時たま見かけたりする。
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3
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第36号
朱蒙(2)
阪神支部支部長
尾道宗継
城の北側の青河に河伯(ハベク)
「江の神」が住んでいた。彼には世
にも美しい3人娘がいた。長女は柳花(ユファ)、次女は萱花(フォン
ファ)、三女は葦花(ウイファ)
、といった。
三姉妹はいつものように青河に来て熊心淵のあたりで遊んでいた。
その美しさはたとえようもなく、身に帯びた佩玉の音はこの上なく清
雅であった。
日ごろ、ここへ狩りに来るたびに娘たちの戯れる姿を目にしていた
解慕漱は、いつしか姉妹に心をひかれていた。
「あれはどこの娘なのだ」と彼は隋臣に尋ねた。
「江中に住む河伯の娘たちにございます」と臣下は答えた。
「妃に迎え、後継ぎをもうけたいものだ」王は心境を素直に吐露した。
遊びに夢中になっていた三姉妹はふと顔を上げた瞬間、解慕漱が近くで自分たちを見つめていることに
気づき、慌てふためいて水の中に逃げ去った。王は困惑して、なすすべを知らなかった。王の心中を察し
た臣下が述べた。
「陛下、見た目も華やかな宮殿を建て、娘たちを迎えられてはいかがでしょうか」
「どういうことだ」
「美しい宮殿を建ててお待ちになれば、娘たちは宮殿の中に入るでしょう。入った後、門を閉じてしまえ
ば、陛下の思いどおりになるではござませんか」
王は妙案だと考えた。
「よかろう」王が手に持っていた鞭を一たび大きく振って、地上に大きな宮殿を描
くと、瞬く間にりっぱな宮殿が雲を衝いてそびえ立った。一室をとりわけ華々しく飾り立て、中に座席を
三人分設け、美しい酒瓶と素晴らしい御馳走を並べておいた。水の中からこの光景を見て驚いたものの、
好奇心を抑えきれなかった。姉妹は相談した末、宮殿に入ってみようと決心した。門が開いていたので、
こっそり中に入ってみたが、人の気配は見当たらなかった。
宮殿の中央の広い部屋に入ると、酒と果物などの山海の珍味が山のように盛られた膳が用意されていた。
娘たちには生まれて初めてのことだった、夢見ごこちであった。ちょうど席も三人分設けられていた。娘
たちは招待された客のように、席に着いて思う存分酒を飲み、ご馳走を食べて楽しい時間を過ごした。酒
もご馳走も、この世のものとは思われぬほど甘く香しかった。
時のたつのも忘れ、楽しい気分に酔っていた。やがて姉妹は酔ってしまった。酔いつぶれるのを待って、
宮殿の門を固く閉じようとした。姉妹はそれに気づくと、驚きのあまり泣き叫びながら立ち上がって逃げ
出した。
怖がりの妹二人は幸い抜け出したものの、おとなしく思慮深い長女柳花は少し遅れたため、とうとう王
に捕らわれた。
逃げ出した萱花と葦花は事情を父の河伯に訴えた。
「父上、早く手を打たなければ姉上がどうなるかわか
りませぬ」娘の話を聞いて河伯は怒り心頭に発し、急いで解慕漱に使者を遣わし、厳しく抗議し、責任を
追求させた。
「あなたはいったいどなたで、どうして他人の娘をかってに奪って返さないのですか。どうしてこのよ
うな無礼をなさるのですか」
河伯の抗議にも解慕漱はすこしも気後れせず、毅然とした態度でみずからの思いを伝えた。
「余は天帝の子だ。河伯殿の娘、柳花殿とは結婚したいと思っている。そなたは帰ってこの旨を伝えて
くれ」天帝の子ということばに内心驚いたものの、河伯の使者は平静さを崩さず、咎める口調で問いただ
した。
「天帝の御子ともあろうお方が、このような不実な行いをなさるとは、あんまりではないでしょうか、
あなた様がまことに天帝の御子ならば、正々堂々と結婚を申し込み、その後に仲人を遣わされるのが当然
でございましょう。かよわい女を力づくで奪うのでは無頼漢と異なりません。何という、無礼をなさるの
ですか」鋭い抗議に解慕漱も答えようがなく、頭を垂れるばかりであった。
王はやむを得ず、事実をありのままに打ち明け、謝るほかなかった。姉妹の美しさに目がくらみ、事理
もわきまえずに憑かれたように行ってしまったことだと言って丁重に謝り、許しを乞うた。そして正式に
河伯を訪ねたいと申し入れた。
王は河伯に会って事情を話し、柳花を妃に迎えようと思ったのである。こうなったからには、もはや柳
花を留めておくことはできなかったので、彼女を帰そうとした。しかし、すでに王と深い関係になってい
た柳花は王の許を離れようとはしなかった。
「私はもうあなたの妻でございます。あなたを残して一人で父の許に帰ることはできませぬ」柳花の決
心が固いことを知った王は困惑した。柳花はこのように勧めた。
「龍車を駆ければ、父の国へ行くのは容易なこと。一緒に父と会い、相談してみましょう」柳花の話を
聞いてみると、他に方法はないように思われた。解慕漱が空に向かって唱えると、瞬く間に天から五龍車
が降りてきた。
王と柳花は一緒に龍車に乗った。二人を乗せた龍車は風雲を駆け抜け、矢のように早く河伯の宮殿に着
いた。
次号につづく
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4
FPU北近畿(兵庫・京都)
月刊 平和統一 NEWS 第36号
播磨と渡来人(第21回)
姫路支部長
聖徳太子ゆかりの寺
英裕司
鶴林寺と斑鳩寺
梅原猛氏の『隠された十字架』
(1972年・新潮社)は、日本中に
大きな波紋を呼んだ。梅原氏は、聖徳太子がモデルとされる救世観音
像の頭部に太い釘が打ち込まれていることに注目し、この釘は「呪い
封じ」であると主張した。つまり、聖徳太子は怨みを残して亡くなっ
たために、祟る存在になってしまったというのだ。聖徳太子は聖者と
してのイメージが定着していただけに衝撃も大きかった。当然のごと
く、歴史学者からは激しい批判が浴びせられた。しかし、その後も聖
徳太子に関する衝撃的な説が次々と発表されていった。有名なものに
は「聖徳太子はいなかった」という説がある(※注)
。それから「聖徳
太子は渡来人である」という説もある。後者の説で代表的なものには
小林恵子氏の『聖徳太子の正体』がある。この中で小林氏は「聖徳太
子は騎馬遊牧民の王である」という説を唱えている。正直、信じ難い
内容である。ただ、聖徳太子は渡来人との交流が多かったことも事実であるため、このような説が主張さ
れても不思議ではない。聖徳太子と渡来人の関わりを示す寺は、日本全国に多く存在する。播磨にも聖徳
太子が創建したとされる二つの寺があるのだが、両者とも渡来
人とゆかりの深い寺なのだ。ひとつは、加古川市にある鶴林寺
で「西の法隆寺」と呼ばれている名刹である。寺伝によれば、
聖徳太子が仏教の師である恵便のために、秦河勝に命じて創ら
せたのが始まりとされている。恵便は、高句麗からの渡来僧で
あり、秦河勝も渡来系である。鶴林寺の創建には、渡来人が深
く関与しているのだ。もうひとつは、太子町にある斑鳩寺だ。
太子町という地名は、聖徳太子に由来する。斑鳩寺は、聖徳太
子が推古天皇より水田を賜った土地を「斑鳩荘」と名づけて、
そこに寺を創建したのが始まりとされる。斑鳩寺の場合は、創建された場所が重要なのだ。
『播磨国風土記』
によれば、太子町周辺は枚方里、大田里と呼ばれており、それぞ
れに渡来人が大阪、和歌山を経由して移住して来た土地とされて
いる。特にこの地域には、新羅系、百済系の渡来人のみならず、
高句麗系の渡来人も移住してきたとされている。播磨では珍しい
ことだ。実は、聖徳太子の仏教の師が高句麗出身あるだけでなく、
太子自身も高句麗系の仏教を信仰していたともいわれている。こ
の点と何か関係があるのだろうか。さらに、太子町周辺には韓半
島の影響を受けた古墳もあり、近くを流れる揖保川沿いには渡来
系の秦氏一族が多く居住していたとされている。つまり斑鳩寺は
渡来人居住地の真ん中に建てられたことになる。このように播磨にある太子ゆかりの寺は、渡来人と深く
結びついている。聖徳太子自身が渡来人であったかどうかは疑問だが、太子の周辺には渡来人の存在が見
え隠れする。太子の行くところに渡来人あり、渡来人あるところに太子ありとでもいえようか。鶴林寺と
斑鳩寺は播磨における太子信仰の中心地であった。それを最初に支えたのは多くの渡来人たちであったの
だろう。
(写真右上 聖徳太子 左上 鶴林寺 左下 斑鳩寺)
※注
「聖徳太子はいなかった」説は、多種多様である。しかし、聖徳太子が全くの架空の人物で存在
さえしないとするのは少数である。多くは、聖徳太子のモデルとなった人物の存在は認めている。後世の
人がモデルとなった人物の業績・名前を隠蔽するため、その人物に聖徳太子という名をつけたとする説が
多い。
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5
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물김치
『水キムチ』
在日平和統一婦人会兵庫支会
会長
朴 享 宣
蒸し暑く汗ばむ今の時期には、やはり冷たいものが欲しくなります。食欲のないとき、冷やしたそうめ
んを冷たい「水キムチ」の中に入れ、きゅうりの醤油漬けなどを添えて食べると、さっぱりと、ほっとひ
と息できます。最近の暑さには、西瓜や桃、梨などの果物に目がいきます。韓国では、참외(チャメ・ま
くわうり)
・수박(スバック・西瓜)などの果物を、よく冷やして食べます。
代表的な韓国の夏料理として、水冷麺、水餃子などがありますが、冷たい食べ物だけではなく、以熱治
熱(熱を以って熱を治める)といって、夏でも、熱い손칼국수(温手打ちきしめん)を、牛肉、鶏肉、い
りこ、アサリなどのいずれかでだしを作り、夏野菜(ズッキーニ・ジャガイモ・ねぎ)と味付け海苔など
を入れて食べます。また温かい삼계탕(サムゲタン・参鶏湯)もよく食べます。
水キムチは、白菜、大根、かぶら、열무(ヨルム・まびき大根葉)、まびき白菜(しろな)などを材料と
して使いますが、今回は、しろなを使った水キムチを紹介します。
(発酵食品としての水キムチには、酵素が多く含まれて少しの酸味と甘み、旨味がある食品です。
)
主材料:
しろな
3束
副材料:
米粉・大さじ3
水・1200cc
キウイ・1 個
りんご・1/2
調味料:
塩・大さじ5(塩漬け用)
塩・小さじ2(だし用)
生姜・10g にんにく・1片
唐辛子粉・大さじ1
下準備: ①
キムチ作りエキス・大さじ1
しろなは、きれいに洗い、塩をふりかけて 5~6 時間ねか
して、さっと水洗いし、水気を切るために、ざるに 1~2
時間入れておきます。水気が切れたら長さ7~8cm に切
って適当な容器(タッパ・ガラス瓶など)に移します。
② 米粉大さじ 3 を、少量の水に溶かして、水 1200cc をいれ、火にかけ木製の
しゃもじで、S 字を描きながらかき混ぜ、粘りが出たら、火を消して冷まします。
③ りんご 1/2 とキウイ 1 個は、皮をむき、すりおろす。
④ おろししょうが 10g とおろしにんにく1片分、塩小さじ2、唐辛子粉大さじ1、キムチ
作りエキス大さじ 1、を用意しておく、
作り方:
ア、
下準備した②に③と④を入れてよく混ぜます。
イ、
ア、を下準備した①に大きい茶越しでこして、流します。
ウ、
常温で一晩寝かせて、熟成させたものを冷蔵庫に入れて冷やします。
エ、
取り出すときには、乾燥した箸かお玉を使う。
オ、
発酵食品として、一週間は保存できます。
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「紅茶エトセトラ」
―ハニ族のお茶―
FPU兵庫渉外部長
金 豊 鎬
茶樹王のあるツーツアイ村は、高床式の家が30~40件集まった少さな村だった。どの家も庭が広く、
家も大きくて豊かな感じがする。茶樹王の跡地を訪ねて行ったとき、そこは工事中で近づけないと言われ
た。そこでガイドの人が、村で力になってくれそうな思江さんを探し出し、頼んでくれたのだ。
思江さんは田畑をいくつも持っていて、その中には茶畑もある。少柄で浅黒く日に焼けていて、白い歯
が健康的だ。髪も黒々としていて、とても61歳には見えない。挨拶している横居間のある2階は薄暗い
が、天井や壁のすき間からもれる光が、何本もの光の線になって床を照らしていた。何のしきりもない大
きな部屋で、壁側にいくつも布団がしかれていて、家族各人のベッドになっている。部屋の真ん中に竹で
作った丸いテーブルがあり、周囲に高さ30センチほどの低い腰掛けが10個ほど置かれていた。ここが
食卓だ。
部屋の一番隅に竃があり、そこが台所だ、台所の床は、板と板の間が1~2センチ空いていて、その下
にはさっきの黒豚や鶏が待機している。野菜の切れ端や残飯が落ちてくるのを待っているのだ。
少さなベランダがあり、そこに水がひかれている。私たちは昼食をご馳走になることになり、奥さんと
娘さんがそこで仕度を始めたので、下の豚たちも一緒に移動している。黒江さんがガラスのコップにお茶
を入れてくれた。水色は黄緑色。一口飲んで見る。緑茶だ。ほのかに渋みがあるが、緑の香りが強く、ほ
んのりした甘みもある。
これは南糯山の茶畑でとれる茶で、ちょうど新茶の季
節なのだという。竹かごの中に、まだ新鮮な茶葉が半分
ほど入っているのを見せてもらった。芽は2センチほど
もあり、新葉も5~6センチと育ちがよい。樹齢200
~300年の、代々伝わっている古茶樹だという。
ハニ族に伝わるお茶の飲み方を教えてくれた。その一
つは竹筒茶である。生葉を火の上であぶり、黄色になっ
たら竹筒に入れる。そこに水を注いで、火の中に入れ、
沸かして飲む。他に、土鍋の中に生葉を入れ、炒ってか
ら飲む方法もある。一番簡単なのは、生葉をただ火であ
ぶり、すぐに熱湯をかけて飲む方法だ。しかし近頃は、
売るために
作る茶が多
いので、ちゃんとした釜炒り緑茶を作ってそれを飲んでいると
のことだった。
少数民族の人々は、かつてはより豊かな土地をめざして、住
居を転々と移していった。そこでは民族同士の戦いがあり、略
奪があり、和合があった。そして移動するときには、家畜や作
物などの財産と、今ま
での生活の知恵を一緒
に次の地へもたらし、
次の代、次の民族が受
け継いでいったのだ。
国境などなかった時代、少数民族とともに、茶の種や苗も、飲み方
や食べ方も、伝えられていったに違いない。樹齢1700年のカメ
リア・タリエンシスと、800年の茶樹王の双方にかかわるハニ族
のお茶を飲みながら、そのような時の流れを考えていた。
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在日の老雲水『祖国の平和統一を考える』を語る
元
臨済宗東福寺派京都総本山東福寺
塔頭
即宗院
曺 小 煥
この主題を語るとなると相当の韓(朝鮮)半島の歴史を前面に出さねばなりません。で・・・よもやま
話の調子で、私の持論を述べてみたいと思います。
私は国際結婚論者にして、日韓トンネル推進論者である事を先ずご理解しておいてください。賢仁会と
は在日同胞の有志と一般の方々が、韓半島の平和統一を願って多くを学ぶために集う会の事です。
人類は宇宙の創世期から混血を繰り返し、様々な混血文化を営んで発展してきました。祖先をさかのぼ
ると、人は皆兄弟です。それが共に生きるということです。一世の父にはとてもそういう思いは持てなか
っただろうが、そうでなければ兵庫県と岡山県の県境の小さな県立高校を出て、京都五山の一つである東
福禅寺に入門した私に何と云ったでしょうか。あれから30年がたって父は祖国を侵略した側のこの国で、
故郷の風景を再び見ることなく、一度もふるさとの土を踏むこともなく、骨になりました。私はハングル
を知らない(まったく・・・・ほとんどといってよい)韓国(朝鮮)人なのですが。父は私が禅宗の僧侶
になって、そのまま日本人に帰化するとでも思ったのかもしれません。ところが、だんだんと、自民族を
賛美しすぎては、何かにつけて「私は侵略された側の民族の一人として・・・」といった言葉を私は還暦
をすぎた時点でよく発言するようになりました。いつのまにか民族としてのあかし(※)注を言葉や国籍
に求めようとしたのでしょうか。歴史といえば66年前の1945年のことは、はっきりと記憶していま
す。小学校6年生の夏休みに、日本帝国は敗戦となり朝鮮部落の人々は解放がやってきたと連日、喜んで
いたものでした。3年後(1948年)に済州島(※)で38度線以南の、単独選挙に対する武装蜂起が
始まった事を風の噂で聞き、涙を流しました。島民への虐殺が行われたのです。その2年後(1950年
6月25日)韓国動乱(朝鮮戦争)が始まったことを知りました。同じ民族どうしが殺し合ったのです。
私は当時高校2年生でした。
現在、全世界で共産主義が終焉を告げたにもかかわらず、韓半島だけは、いまだに分断された国家とし
て残されています。戦争の代価はまさに莫大なものでした。米ソをはじめとした東西冷戦でした。南北の
指導者たちは、互いに決して和解することのできない敵対心を持つようになり、この戦争により、分断体
制はよりいっそう堅固なものになっていったのです。
やがて、21世紀となりました。祖国はいまだに分断されたままで統一は出来ていませんでした。19
52年、私は高校を出て京都で禅寺ぐらしを始めました。誰が言い出したのか「平和の世紀」なる表現が
流れ、港間にあふれました。まやかしの言葉でした。韓(朝鮮)半島内には、南北首脳会談などを通して
和解ムードが生じたかに見えました。それは〝美言〟※(注)らしく東西冷戦による南北分断と、朝鮮戦
争のつらい経験は、東北アジアの平和だけでなく世界平和のためにも、韓(朝鮮)半島が統一されなけれ
ばならないという認識を与えてくれるかに思えたのでした。ただ、それだけの事だったのです。
※ 注〝美言〟=美言は眞ならず、眞言は美ならず。<孟子>
※ 注、民族としてのあかし=2006年(72才)になって生まれてはじめて連絡船で海を越えて祖国の土を踏み
ました。そして3ヶ月間、歩いて半島南部を一周し、北朝鮮にも入国しました。
※ 注、済州島=2007年、春、済州島を10日間、歩いて野宿しながら一周しました。武装蜂起して殺害された
人々の慰霊追悼式(4・3事件60周年記念大会)に参加しました。あの時、同時南北統一選挙が行われていた
ら、その時点で統一国家が実現していたのです。当時、韓国軍と米軍は動くものは全て、幼い子供たちや犬まで
も撃ち殺したといいます。38度線を境に性格の異なる二つの政府が誕生し民族が分裂し南北に二分された状況
が、いつまでもつづくのでしょうか?この現実をもどかしく思うのは私一人のみではないはずです。平和統一を
確実に実現をなすために、ここに次の書を登場させたく思います。在日60万人の存在を無視する事が出来ない
からです。
その書物は、論文・随筆集 趙 希 秀(FPU北近畿会長)著(2010年5月出版)です。『在日の和合と
祖国回復そして、平和統一への道』のことです。
☆ 在日は「祖国平和統一」のために「祖国(故郷)」を回復する運動を展開せよとあり、言葉・文化・歴史を
知ることが「平和統一」のために「正しい知識」を持つことになると述べられています。まずは日本にある
38度線をなくすこと、とあるのは正しく至言でしょう。
(P13参照)
☆ 本書から東洋的教養は国家の基であると思える四書五経(※注)を学ぶつもりで読むことをお勧めいたしま
す。
☆ 平和統一の不可欠なのは「授受作用」
(仏教でいうところの利多の行※注)であることを知るべきです。
(P
20参照)
☆ 本会の創始者・文鮮明師が主唱する頭翼思想の根本こそ『真の愛』であり、『他の為に生きる』は平和思想
に他ならないのであります。(P50参照)
※ 注、利多の行=奈良時代の高僧、行基(668-749)と、その師である飛鳥時代の道昭禅師(629-70
0)の二人がおこなった(目指した)のは、社会福祉国家の建設であった。私は仏教徒の立場から、この二人の
お坊さんは現代の文鮮明総裁かと思うのです。私の、うがった考えで有りましょうか。師の道昭は国家から「禅
師」の位をさずかり、行基(当時の在日3世)は、国家・天皇から生きながらにして、
「大菩薩」の称号を授かっ
たのです。二人の僧が、今、生きて在さば、日韓海底トンネルの掘削に着手するに違い有りません。その結果、
民族の悲願である、分断している韓(朝鮮)半島南北の統一は平和的に早まるに相違ありません。
※ 注 四書五経=四書(論語・大学・中庸・孟子)五経(詩経・書経・易経・春秋・礼記)
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月刊 平和統一 NEWS
第36号
「自然災害に意味はあるか」
京都大学名誉教授・FPU京都会長 渡辺 久義
「自然災害に意味はあるか」というようなタイトルで最近インタビューを受けたので、前にこ
こに書かせていただいたことと重なるが、もう一度書かせてください。
私は今回のような大災害は「天の警告」と受け止めるべきだと言いました。単なる偶然ではな
いということです。そう考えるにはいくつか根拠があります。私の考えが正しいとすれば、大災
害はこれだけでは済まないはずです。
まず神の目からすれば、日本人ほど警告し甲斐のある民族(国民)はいないと思います。なぜ
か。それは日本人の不思議な二重性にあります。一方で、我々は日本的霊性と言われ、世界の人々
から称賛されるような高い宗教性をもっています。しかし他方では、西洋の唯物論思想を何の抵
抗もなく受け入れ、これを知性の証しであるかのように思っています。宗教者ですら共産主義を
受け入れ、いまだかつてダーウィン進化論批判の運動が起こったこともなく、わが国は世界に冠
たるダーウィン天国=無神論大国です。
問題は、そこに矛盾を感じないということです。自覚がない。無自覚の唯物論者ほど始末の悪
いものはありません。これは一面から見れば、何事も拒絶せず、やさしく受け入れる美徳のよう
ですが、他面から見れば、
「骨なし」ということです。何の哲学もプリンシプル(原理)も持たな
いのが平均的日本人です。神とはこの厳格なプリンシプルのことで、その神から見れば、こんな
歯痒くてしようのない国民はいないのではないでしょう。だから警告を発したくなる。
地震や津波によって我々が苦しめられるのは、それだけ我々に期待がかけられているからだと
解釈すべきです。この苦しみを通じて覚醒せよ、唯物論信仰というまどろみから覚めよ、という
ことでしょう。神にはそれ以外に気づかせる手段がないと考えるべきでしょう。
「神が何の罪もない者にこんな惨いことをなさるはずはないのだから、神は存在しないか、存
在するなら憎むべき神だ」という考えが、我々の無神論文化の根底にあります。無神論とは本音
では「憎神論」というべきもので、この事実が最近はっきり見えてきました。これは自己中心的
な浅はかな考え方です。
「神はやさしく誰をも包み込んでくれる母のような救いの神であるべきだ」という日本人によ
くある神観も、浅はかで勝手な甘ったれた神観です。「君は神に神のあり方を教えてやるつもり
か?」と私は聞きたい。その自己中心の傲慢な態度は、ダーウィン進化論者のような唯物論科学
者が、自然界にそのあり方を教えてやろうとする傲慢な態度に通ずるものです。
実は、ダーウィンが進化論と無神論に傾いていったときにも、それがありました。自然観察の
好きだった彼は、あるとき生きたイモムシにある昆虫が卵を産みつけ、その卵は生きたままのイ
モムシを食べながら成長することを発見しました。
「こんな惨いことを神がなさるはずがない」と
彼は考えて進化論に傾いていったと言われます。
もう一つ、この時期に集中して世界の各地で天災が起こることの意味を、今、歴史が無神論か
ら有神論パラダイムへと大きく転換しつつあることに求めることができると私は思います。自然
災害は純粋に物理現象で、そこに意味や目的などありえないと頑固に言い張る人には、私は次の
ことを知っているかとお訊ねしたい。
この宇宙自然界は、ビッグバンの初めから、宇宙進化の過程を通じて、われわれ人間を頭にお
き、人間と人間のための環境(地球環境)を創り出すべく、あらゆる数値、あらゆる条件が恐ろ
しいほど厳密にファイン・チューニング(微調整)されていて、偶然と言えるようなものの入り
込む余地はほとんどない、ということです。つまり完全に人間を目指した目的論でなければ、こ
の宇宙自然界は理解できないということです。こうしたことが科学的に明らかにされた今、自然
災害だけは例外で、意味もなく偶然の出来事だと考えられるでしょうか、と私はお訊ねしたいの
です。
私はこれを特に科学者を自称する方々にお訊ねしたい。あなた方はこれを知らなかったのです
か? それとも、知っていたが目的論とかインテリジェント・デザインとかいうことになるとヤ
バいので、私のような素人にそこはまかせて黙っておられるのですか? 別に責めるのではない
が、このような観点を無視し続けるならば、その分だけ日本の学界も一般大衆の意識も、世界に
遅れるのは間違いないと思います。
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『正統 韓国語』
趙 希 秀
はじめに
1.韓国語の基本原則
① 標準語について
現代ソウルに住んでいる中流階級(教養のある)の人たちが使用している言葉。
② つづり方
띄어쓰기(ティオスギ:分かち書き)をする。つまり、単語ごとに離して書く。但
し助詞は、体言(主に名詞)に付けて書くことを原則とする。
英語表記と似ている。
(日本の 1,2 年生用の国語の教科書のように表記しているので参考のこと)
③ 発音
1) 上記②の띄어쓰기を原則に一単語ごとに区切って読む。
2) 頭音の法則:1 字目は清音だけで濁音はこない。2 字目以降は濁ってくる但し、
받침(パッチム:日本語の促音‘っ’音)の後の発音は、된소리(トェンソリ:硬音)
化して、濁らないものも多い。
2.한글(ハングル:韓国の固有文字)について
① 한글とは?
1) 製作:世宗(セジョン:中世朝鮮王朝第四代王)大王を中心に集賢殿の学者によっ
て作られた。(※정인지,신숙주,성삼문,최항 等)
2) 完成:1443 年
3) 領布:1446 年~「訓民正音(훈민정음:フンミンチョンウム)」という名前で発表。
4) 한글:1913 年 3 月24~周時經によって使われ始めたとされる。
5) 意味:‘한 나라 글(偉大な国の文字)’
한~ハン・偉大な、나라~ナラ・国、글~クル・文
② 한글文字の特性
1) 音素文字:子音・母音それぞれに文字がある。
2) 音節文字:子音・母音が一つになって音節を持つ文字。
3) 한
글:音素文字として、子音・母音それぞれに文字を持ちつつ、
使用時は音節文字として、組み立てて使う。
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第36号
3.学習のポイント
韓国語と日本語は、
“兄弟語”といえるほど、多くの類似点をもっています。それぞれの
基本となる特徴をつかみ、その共通点を押さえることが、韓国語を早く覚えるコツです。
どの言語にも、共通して言えることは、発音、単語力、文章力が基本なので、韓国語も
やはりこの三点が基本となり読解、作文、会話の力がついてきます。
①
発
音: 幼児たちは聞いて発音を覚えていきます。大人になると日本人は
日本語の耳になります。日本語にない発音を聞いても、聞き分けるこ
とが難しくなっています。
だから、大人は音の慣れも必要ですが、先ずは発音の方法を、即ち発声
の方法(音の出し方)を覚えることが重要になります。
正しい出し方による発音練習の反復と同時に美しく正しい発音をより多
く聞いて下さい。
② 単語力: 韓国語の 70%以上が漢字語で、韓国の漢字の読みは一字一音です。日
本人にとって韓国の漢字音を覚えることが、韓国語の単語力をつける近道
とも言えます。
但し、日本の漢字語は、日本だけのものが少なくありません。どこまで
も韓国の漢字語を覚える努力をしてください。そして、文章を通して単語
の一つ一つのニュアンスをとらえる努力もしていくことが必要でしょう。
③ 文章力: 上記①②の発音・単語力が文章力の基本なのでこれらを土台として、
文章を読む努力が必要です。初期段階は翻訳を重点に行い、意味を理
解した文章を音読し、ノートに書き込んでいくことを反復してください。
音読することは会話力を、ノートに書き込んでいくことは作文力を身に付
ける方法です。単語力が増え、文章力がつけば、韓国語の国語辞典を使っ
て多読してください。
言語学習は本を読むことがとても重要です。良い本をたくさん読むこが
必要です。しかし、会話力を上げるには、同時に正しく美しい言葉をたく
さん聞き使用していくことが重要です。
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第36号
活動内容
7月07日
常任理事会 開催
7月24日
賢仁会 開催
7月24日
懇親会 開催
行事案内
8月 09 日 常任理事会
8月 09 日 定例役員会
蒸し暑いですね
『무더워요』
ムドウォヨ
編集後記
趙希秀
❑21 世紀の偉大な宗教家であられ、平和運
動の世界的な大家であられる文鮮明師は、
여러분 안녕하십니까?(ヨロブン アンニョンハシムニ FPU の創始者でもあられる。
カ)皆さんお元気ですか?또 만났네요.(トマンナンネ
師の平和理念、頭翼思想を読者に学んでい
ヨ) 又、会いましたね。
ただこうと、小論文「頭翼思想考」シリーズ
今日は蒸し暑いこの時期の言葉『무더워요(ムドウォヨ) を、現在、本誌社説で掲載中である。
蒸し暑いですね』について学びましょう。
31 号社説・頭翼思想考①『平和理念、頭
무더워요の原形(辞書形)は、무덥다(ムドプタ:蒸し暑 翼思想』
、32 号社説・頭翼思想考②『授受法
い) です。덥다(トプタ:暑い)に무(ム)がついた言葉で と四位基台』、33 号社説・頭翼思想考③『為
すです。言葉には音感と言うものがあり、世界の言語に に生きる』
、34 号社説・頭翼思想考④『ペア
類似した単語があったりします。
ー・システム(Pear system)』=二性性相=、
暑い덥다は暑いでも、蒸し暑いので「ムッ!」した感覚 35 号社説・頭翼思想考⑤『第一原因たる神
が類似しているのか、韓国語も무(ム)덥다(トプタ:暑い) の心情と愛』である。
と言います。
そして今月 36 号社説で頭翼思想考⑥『人
そして原形語尾-다が、해요体(丁寧な会話体)の終結語 格神の域、心情の完成』を掲載した。来月
尾(文を終える語尾)-ㅓ요 に活用(語尾変化)した形で 37 号社説・頭翼思想考⑦『第一原因、唯一・
す。つまり、무덥(語幹)-+-다(原形語尾)が、活用すると、 絶対・萬能の人格神』を、続けて掲載する予
무덥-+-어요になります。ところがㅂ받침(ピウプパッチ 定である。
ム)不規則活用(ㅂ받침が母音の前で不規則に変化する活
少しでも容易くその理解を助けることを
用形)を起こし、무덥-+-어요が、ㅂ받침が母音어の前で 意図としているが、その内容の評価はいか程
우に変化して、무더우-+-어요が短縮して、무더워요なっ か、今は読者の声のみが頼りである。
たのです。
<希>
ㅂ받침不規則活用した例をいくつか挙げて見ましょ ❑歩いて旅をしていると、(野宿をしながら
う。
空を見上げて)あらためて、かけがえのない
춥다(チュプタ:寒い) ⇒ 추워요(チュウォヨ:寒いです) 地球の存在を考えないわけにはいきません。
맵다(メプタ:<味の>辛い) ⇒ 매워요(メウォヨ:辛い
ちょうど良い太陽の光を受けて、花が咲き鳥
です)
が歌い、私が楽しかった事などを思い出しな
뜨겁다(ツゴプタ:熱い) ⇒
뜨거워요(ツゴウォヨ:熱いです) がら、海辺や山の麓を祖国統一を心に描きな
がら、祈りながら歩いています。
무겁다(ムゴプタ:重い) ⇒
故郷喪失者の在日の老書生にも歴史は確
무거워요(ムゴウォヨ:重いです)
実に進んでいます。
<曺>
가볍다(カビョプタ:軽い) ⇒
가벼워요(カビョウォヨ:軽いです) ❑創刊号から今回の 36 号で,ちょうど 3 年
즐겁다(チュルゴプタ楽しい) ⇒
が経ちました。
즐거워요(ウォヨ:楽しいです)
編集に携わっていると、1ヶ月が本当に早
はい、今日はここまで。
く感じられます。連載されている執筆者は、
又、逢いましょう! 또 만납시다!(ト マンナプシダ). 苦しみの連続でしょう。書き出しから最後の
さよなら。안녕히 계세요(アンニョンヒ ケセヨ).
オチまで構成を考え、必死で文章を練りなが
バイバイ! 안녕(アンニョン)! (^.^)/~~~
ら、書き進みます。本当にご苦労様です。
そんなご苦労を考えると、一人でも多くの
人に読んでもらわなければと思います。一段
機関紙 月刊『平和統一 NEWS』
と弾みをつけて、一人でも多くの人に知って
<編集委員会>
もらわなければと思っています。 <樹>
委 員 長
趙 希 秀
副委員長
編集局長
編集委員
編集委員
編集委員
曺 小 煥
福田秀樹
朴 享 宣
金 豊 鎬
高木 実
投稿記事募集
交流の広場への投稿記事を募集しています。
FAX.078-367-4323
E-mail:[email protected]
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