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第77号 - FPU兵庫

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第77号 - FPU兵庫
FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
F P U 第 16 連合会
(兵庫・岡山・鳥取)
機 関 紙
第 77 号
月刊 平和統一 NEWS
F P U 第 16 連合会
〒650-0022 兵庫県神戸市中央区元町通 7-1-2
ネオアージュ神戸元町 1001 号
TEL.078-360-0757 FAX.078-367-4323
HP:http://fpuhg.main.jp/
E-mail:[email protected]
HU
UH
HU
UH
第77号
発行 FPU 第 16 連合会
発行人 文 聖 純
2015 年 1 月 1 日
FPU 兵庫と賢仁会の 2014 年度の合同忘年会が開催されました。
例年以上の厳しい寒波に見舞われつつある最中の 2014 年 12
月 23 日に、JR 神戸駅近くの「ミニ・カフェ」にて、FPU 兵庫
と賢仁会が合同で「皆様への感謝と 2015 年への希望を込めて‼」
をテーマとした恒例の忘年会が開催されました。
この 1 年(2014 年)も従来以上の多くの諸事業と課題を抱えつ
つも文聖純 FPU 第 16 連合会/兵庫会長代行を中心に諸氏がそれ
ぞれに有する力量を遺憾なく発揮、まとまりを見せ諸行事を実施、
無事に終えることが出来ました。
冒頭、文聖純会長代行が平和統一聯合の使命感に熱く期待を寄
せられ、2015 年を素晴らしい 1 年に作り出せるように諸氏と共
に頑張りたいと挨拶さ
れました。
この 12 月 23 日は、
1933 年(81 年前)に誕生した日本国天皇と同年・同月・同日生まれ
の曺小煥 FPU 兵庫副会長・賢仁会幹事(臨済宗京都東福寺派雲水)の
満81 歳の記念日とあって文聖純会長代行が諸氏の代表としてお祝
いをされ、副会長と共に韓国餅のカットとなりました。
曺小煥副会長は挨拶で、81 年前に母が関釜連絡船で日本に上陸後、
3日後に下関市近辺の石炭集積場の片隅で、侵略された側の民族の子
として誕生したことを明かされました。その胸中には如何にして恩讐
を愛し、超えてゆくかが渦巻き、埋もれていることが「言わず、語ら
ず」の中に推測することが出来ました。
FPU 兵庫は今後につづく苦難の道を「在日」の運命の一つとして、
文聖純会長代行を会員諸氏が力いっぱい支えて2015年の年明けと共に、希望を発進、強大な力として日本社
会の現状を学び、より一層の発展を目指していくことでしょう。
第2部として会員諸氏のそれぞれの芸披露大会となりました。各自ののど自慢も終え、全員が輪になって「ア
リラン」と「統一の歌」を唱和しました。
曺小煥副会長が「FPU 兵庫の発展、在日の和合、日韓友好」の億万歳三唱の音頭をとり、文聖純会長代行を
中心とした有意義な忘年会が閉会となりました。
第45 回韓国料理教室が開催されました。
2014年12月20日(土)第45回韓国料理教室が、JR
兵庫駅前の兵庫勤労市民センター料理教室において開催され
ました。長年、ピフレホールにおいて開催していましたが、
今後は開催場
所を兵庫勤労
市民センター
の料理教室に
変更して、毎回
開催すると発
表されました。
第45回は、ニ
ンニク炊き込
みご飯と、ニラ
のジョン、そし
て豚キムチの3種類の講習でした。今回も金美淑先生を中心に、
韓国料理を楽しく作ることが出来ました。長年参加されているメ
ンバーと、新しく参加された方々とが助け合いながら和やかに調
理が出来ました。そのあと早速、出来上がった料理を、美味しくいただきました。2015年最初は、3 月 21
日に兵庫勤労市民センターで開催することをお知らせし、終了しました。
平和統一聯合
Federation
for
Peace
and
Unification
1
FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
月刊 平和統一 NEWS
第77号
««««««««««『平和統一』メッセージ»»»»»»»»»»
国を愛せない者は 神の国も愛することが出来ない
釜山に辿り着いて
そういう様な環境で、色々な事をしながら、新しいこういう統一教会の運動を始めてきました。
いざという時には、労働服を着れば労働者だ。船場に行っては漁民だ。そういう訓練をちゃんとし
ているよ。普通の人間のする事でやれないような事は無い。
以前は追いに追われて、ひとりぼっちになって、山中で山の草を取って、或いは色々な果物を取
って食べながら生きる、そういう事までみな研究しておいたよ。だからひとりぼっちでどこへ行っ
ても、死ぬということはない。飢え死にするということはないね。どういう草を取ってどう食べる
か、みな研究した。
今、ひとりぼっちで釡山に来たんですけど、人がやる並ぐらいの立場で行くというなら、神は余
り芳ばしく思わないや。人の波の中でも、吹き出るようなそういう男にならなければならない。そ
れは先生の人生観だね。誰に対しても負けない。不動録を記録したね。
いかに苦労の怒涛の沼の中におりましても、その苦労にうち負けるような男になってはいけない。
それを喜びの一日と思いつつ、避難民の生活より感謝すべき、生命を掲げるような、そういう環境
である。何でもいい、耳パンでもかじれば安楽に眠られる。
それで家は無いんだからね。その時は2月であるから寒いね。夜の仕事をして夜中の 10 時から
12 時頃に帰って、寒いんだよね。寒いから、オーバーをずっとひざこぶの所にまでかけて潜り込
んで、えびみたいに丸くなって眠ったことが今でも印象的である。その時かぶったオーバーなんか、
みんな記念として残しておくようにと、食口に任したにも拘わらず、ボロみたいなオーバーだとい
って捨ててしまった。今それが残っていたら、日本にいる君達が見た場合には、見ただけで涙をポ
ロポロ流されるような、記念になるオーバーだった。そういうことをしながら、一歩一歩今日の世
界へ進んできた。
それで、この緊急の環境点において、その若い者がいつどうなるか分らない。その時に備え、原
理の原稿草案の骨子だけでも残しておかなければならない。いざという場合にはそれを後世に伝え
なければならないということで、今のこのような原理の骨子を残しておいた。
そこに神が愛されるそういう人達、神に召されて共に理想の世界に、神のみ旨の世界に導かれる
そういう選ばれた者があるに違いない。全国から集まって来たんだからね。
キリスト教を良く信じる者がみな釡山に来るようになったんだから、そういう環境でみ旨を知り
複雑な霊的体験をする人が集まりましたね。
それで、君達は分からないと思うけど、世の中で一番孤独な立場はどういう立場かと言うと、神
のみ旨を知って、国の運命を左右する責任者として国が滅んだそういうところから生き返る、そう
いう救いと言う道を求めるなら、その道を迎えるための手段を持つその心というものは、一瞬が千
年であるというんだ。
1975年5月12日
平和統一聯合
Federation
for
Peace
and
Unification
杉並にて
2
FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
月刊 平和統一 NEWS
第77号
潘基文 UN(国際連合)事務総長の送年辞
반기문 유엔사무총장의 송년사
建物は高くなったが、
人格はさらに小さくなったし、
高速道路は広くなったが、
家族はさらに小さくなった。
건물(建物)은 높아졌지만
인격(人格)은 더 작아졌고,
고속도로(高速道路)는 넓어졌지만
시야(視野)는 더 좁아졌다.
消費は多くなったが、
喜びはさらに減ったし、
家は広くなったが、
家族はさらに小さくなった。
소비(消費)는 많아졌지만
기쁨은 더 줄어들었고,
집은 커졌지만
가족(家族)은 더 적어졌다.
生活はもっと便利になったが、
時間はさらに足りなくなり、
持っている物は倍加されたが、
大切な価値はさらに減った。
생활(生活)은 편리(便利)해졌지만
시간(時間)은 더 부족(不足)하고,
가진것은 몇배가 되었지만
소중(所重)한 가치(價値)는 더 줄어들었다.
学力は高くなったが、
常識はさらに不足して、
知識は多くなったが、
判断力は足りない。
학력(學力)은 높아졌지만
상식(相識)은 더 부족(不足)하고,
지식(知識)은 많아졌지만
판단력(判斷力)은 더 모자란다.
専門家たちは増えたが、
問題はさらに多くなり、
薬は多くなったが、
健康はさらに悪くなった。
전문가(專門家)들은 늘어났지만
문제(問題)는 더 많아졌고,
약(藥)은 많아졌지만
건강(建康)은 더 나빠졌다.
돈을 버는 법(法)은 배웠지만
お金を儲ける方法は習ったが、
나누는 법(法)은 잊어버렸고,
分ける方法は忘れたし、
평균 수명(平均壽命)은 늘어났지만
平均寿命は増えたが、
時間の中に人生の意味を入れる方法は喪失した。 시간(時間)속에 삶의 의미(意味)를 넣는 법(法)은
상실했다.
月に行ってきたが、
道を渡って隣に会うことはさらに難しくなり、
宇宙に向かって進むが、
我々の中の世界は忘れられた。
달에 갔다 왔지만
길을 건너가 이웃을 만나기는 더 힘들어졌고,
우주(宇宙)를 향해 나아가지만
우리 안의 세계(世界)는 잃어버렸다.
空気清浄機は持っているが、
霊魂はさらに汚染されたし、
原子は分けることが出来るが、
偏見は壊せない。
공기(空氣) 정화기(淨化器)는 갖고 있지만
영혼(靈魂)은 더 오염(汚染)되었고,
원자(原子)는 쪼갤수 있지만
편견(偏見)을 부수지는 못한다.
自由は増えたが、
情熱はさらに減ったし、
世界平和をたくさん話すが、
心の平和はさらに減った。
자유(自由)는 더 늘었지만
열정(熱情)은 더 줄어들었고,
세계평화(世界平和)를 많이 이야기하지만
마음의 평화(平和)는 더 줄어들었다.
平和統一聯合
Federation
for
Peace
and
Unification
3
FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
月刊 平和統一 NEWS
第77号
錦山 文潤國先生の詩
화씨벽
和氏壁
以文會友擇郷隣
君子一生不往身
誰識荊山和氏壁
世皆肉眼久埋塵
이문회우택향린
군자일생불왕신
수식형산화씨벽
세개육안구매진
화씨의 옥돌
학문으로 벗과 어울리고 어진 이웃을 골라 살면서
군자의 한평생을 그릇되게 하지 안으리라
누가 형산의 화씨의 옥돌을 알이 주리오
세상 사람 보지 못히여 오래 흙에 묻혀 있노라
和氏の玉壁
文(学問)で似(もっ)て交わり 良き隣人を選べば
君子としての一生涯を誤ることはないであろう。
誰が荊山の和氏の玉壁を認識して呉れるだろうか
世間の人々に見る目が無くとも 永遠に塵として土に埋もれても善い。
(注)本紙の68号(2014年4月)の、『千字文』と韓国語〔12-1〕に掲載している
「南楚の地の荊山から玉壁・美玉を産出する」。69号に昔、楚の国に名を和と
言う男が居た。一つの原石を得て楚王に献上したが見分けられず左足を切られた。
結局その玉壁は 15 の城と交換したのである。
文(錦山)先生は「玉壁を懐(いだ)きて、楚に向かうこと莫(なか)れ」の故事に拠られたのである。
平和統一聯合
Federation
for
Peace and Unification
4
FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
黒玉帯と万波息笛1
月刊 平和統一 NEWS
第77号
文武王の海中陵
阪神支部支部長 尾道 宗継
新羅第31代神文王(在位681~692)は孝心きわめて厚かった。かつて父の文武王(在位661~68
1)は臨終に際し、死して海龍となり、倭兵の侵略から新羅を守ると遺言した。嗣子の神文王は父王の遺詔に従
い東海の大岩の上で葬礼を行った。そして、東の海辺に父王が建て始めたものの、完成を見なかった寺を受け継
いで建て、父王を記念して「感恩寺」と名づけた。そして、寺の金堂の石段の階下から東向きに穴を開け、龍と
なった父王が海から水路を通じて寺に出入りできるようにした。龍となった父王は、しばしば東海近くまで来て
は、虎視眈々と新羅を狙う倭国からの敵の接近を防いだ。鬱陵島{独島}近海にもともと十二の島があったが、
倭人の根拠地となるというので龍が打ち壊して崩してしまい、鬱陵島とその付属の小島だけを残しておいたという。
死後も新羅を忘れることなく、龍になって昼夜見守ってくれる父王の恩寵は、神文王には何よりも心強く思わ
れた。父王の苦労には、どのように感謝を表せばよいのかわからぬほど
であった。父王が懐かしく思い出された。
神文王は龍となった父に直接会って感謝し、また久しぶりに父との抱
擁を交わしたかった。父王を葬った大岩(世に大王岩という。現在慶尚
北道月城郡陽化面奉吉里の海上にある)を眼下に望める丘に台を設け、
祭物を供え、百日の間、誠意を込めて祈った。目の前には茫漠たる東海
が果てしなく開けていた。その彼方に倭国があった。神文王は昼夜祭壇
に灯をともし、父の化身である龍に会えるように祈った。祈祷を始めて
から幾日かが過ぎたある日、霧が立ち込める海面に水柱が噴き上がり、
大きな海龍が、丘の下に姿を現わした。神文王は驚き、かつ喜んだ。
「父上。このようなお姿でお目にかかれようとは……。私は胸が詰ま
る思いでございます。何と申し上げればこの感謝の念を伝えることができましょうか。父上」
王は何かが喉につかえたかのように、それ以上何もことばが出なかった。すでに人の姿を捨てた父王は無言の
まま丘の下からわが子を見つめていた。
「わが子よ。この社稷をしっかりと護持せよ。りっぱな王となって政
を心がけよ」
このように将来を託すかのようであった。やがて霧は晴れ、父王の化
身である龍の姿も海の底に消えてしまった。
王は感激に満ちた父王との対面を忘れられず、踊らんばかりに喜んだ。
思わず王の口から調べが流れ、父との対面の喜びを歌った。
この歌を「利見台歌」という。その日の対面を記念して、神文王が父
王の海龍に会ったその丘は今でも「利見台」と呼ばれている。
神文王が感恩寺を建てた翌年五月一日、波珍飡{海防をつかさどる官}
の朴夙清が王に上奏した。
「東海に小山のようなものが浮かび、感恩寺に向かってまいります。
波のまにまに行きつ戻りつしております」
報告を受けた王はこれを怪しく思い、かつ心配でもあった。
{いかなことであろうか。これはいったい、よいことなのか、悪いことなのか}
王は日官の金春質に占って見きわめるよう命じた。金春質は王に上奏した。
「亡くなられた先王が現在龍となってこの国を守っておられます。また、金庾信{七世紀、新羅の武将。三国
統一戦に大功があった}はもと天上の人でございましたが、この世に降臨なさって、わが国の大臣をお勤めにな
られました。亡くなられたこのお二人の聖人が変わらぬ恩寵で、このたび、国を鎮護する珍しい宝物を下さろう
となさっておいでですので、陛下がじきじきに海辺に行幸なされましたら、必ずや、金銭では得られない貴重な
宝を授かられることでございましょう」
王は喜んだ。その月の七日に日を定めて、利見台に行幸した。すると、利見台から望む海には平素と異なり、
小山が浮かんでいた。王は人を遣わしてその山を調べさせた。使者が山に行って調べると、山容がまるで亀の頭
のようだった。また、山の上には一本の竹が生えていたが、昼は二つに分かれ、夜になると一つになるのであっ
た。山もまた、竹のように昼夜に開合した。使者は見たとおりを報じた。
その夜、王は利見台にほど近い感恩寺に泊まった。王は感恩寺で一晩中、突然現れた小山について熟考した。
しかし、判断は容易に下し難かった。
平和統一聯合
Federation
for
Peace
and
Unification
5
FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
月刊 平和統一 NEWS
雲水(くもみず)の行方や何処(いずく)なるらん
第77号
(外伝1)
~唐津・対馬日韓トンネル見聞随想記〔後編〕~
FPU 兵庫副会長
元臨済宗東福寺派 京都総本山東福寺 塔頭 即宗院
曺 小 煥
短歌一首
潮風に
雲行く果ては
ふるさとか
波の響きに
しばし涙ぐむ
対馬からの海を越えた山の向こうは古代の加耶連合国であった。その内の昌寧・密陽が私の父母の故郷なので
ある。右に進めば新羅千年の都、慶州がある。左に進めば日本に多大の文化を伝えた百済である。釜山から直に
北に進めば祖国を分断している38度線の境界に達する。高句麗の地である。韓国展望所に立てば在日であろう
と誰であろうと韓(朝鮮)半島の統一を望まない者は一人も居ないであろう。「日韓トンネル」が完成して、半島
を縦断するとなれば、すなわち、統一は成就するのである、と信じられずにはいられない。
和多都美神社では幾つかの驚きがあった。『わだ』の語源が海という韓国語であることはつとに知られてはい
るが、境内のあちら、こちらに三本足の鳥居が建てられていたのが高句麗と何らかのつながりがあるのではと思
われた。
多くのグループ(20人~40人)が何組も訪れていた。韓国語を話していたので私は「どちらから」と聞き、
「この和多都美神社はどの様な場所でしょうか」と韓国語で聞いてみると「百済の分村ですよ」と答えてくれた。
また別の観光グループの人達に同じ質問をすると、同じ答えが返ってきた。境内に100人近い人達が居たが、
私達16名を除いたら全部韓国人であった。一瞬、此の地が韓国人に乗っ取られたのかと錯覚をしたくらいであ
る。しかし、時間を置かずにそれが嬉しい感情に変わったのである。日本の至る所に韓国人が溢れるばかりに日
本にやって来たら良いのである。そして、韓国内にも逆に日本人が溢れるほど訪ねて行けばいいのである。
そのついでにと言ってはなんだが、国境も旅券も不必要としたらどうか。戦争が勃発するであろうか。戦争が
無く、平和であるなら日韓両国は軍事予算を海底トンネルに用いれば良いのではあるまいか。
銭湯めいた温泉にも私達は入ったが此処も韓国人だらけで身動きが取れないくらいであった。湯に浸かりなが
ら隣の人と私は話し合った。慶州市に住む人で、私がたどたどしく話しかけるのをとても褒めて呉れた。
慶州大学の先生で韓国へ来たら大学を訪ねて人相を言って11月2日に対馬の温泉で出会ったと言えば再開
が出来るからと早くも歓迎された。これも感無量に違いない。
1923年の関東大震災の10年後に日本に生まれた私は、蔑視と差別という歴史の荒波にもまれて、根深い
偏見の中、踏まれても転んでも立ち上がってきた。日本人よりも美しい、はっきりとした上手な日本語を使うこ
とを心掛けて生きてきた。
ウリマル(私達の言葉)と、ウリナラ(わが国)を結ぶのはウリキル(わが道)であり、在日の住む日本列島
と統一ウリナラを半島との大動脈とするのは「日韓トンネル」でなければならなかった。そのとき、在日の私の
人生における青春と望郷のトライアングルの旅は終わっているだろうか。
もう一つの日韓トンネルがあった。正式名を「日韓トンネル・対馬調査抗予定地」と呼ぶ。私は此処でも内山
所長にFPU兵庫月刊『平和統一NEWS』の特派員記者であることを告げ、多くを語っていただいた。「商業
的利益を目的とするものではないこと。地理的位置として良い。国家的プロジェクトと認識しなくてはならない」
等を聞いた。そして調査斜坑の部分的試掘個所を私はしかとこの目で見届けた。アジア地域の交流を促す夢の架
け橋であった。
対馬藩主の宗氏の菩提寺である万松院を訪れた。朝鮮—対馬—江戸という外交ラインの中で対馬藩の役割は大
変だったと思った。何しろ、『秀吉軍は朝鮮国で、7年間にわたって信じられないほど多数の人々を殺し〔多数
の町や村〕を焼き払い、考えられる限り暴虐をつくし、人々や、牛その他の運べるものを全て持ち去ってしまった』
∴16世紀、オランダ人ヘンドリック・ハメル著「朝鮮幽囚記」より。
故に平和外交として大きな意味を持つ事が理解できる。思えば、「日韓トンネル」の完成を願う人々は全て現
代における「通信使」と言えよう。11月3日の朝、対馬厳原(いずはら)港をフェリーで北九州の福岡港に向か
った。私は壱岐に着くまでフェリーの船尾に約2時間、立ち尽くしていた。古代より朝鮮半島との交差ロードと
して重要な役割を果たしてきた国境の対馬を考えた。「日韓トンネル」が出来、日本列島が韓(朝鮮)半島を経由
して大陸と陸続きになり、「国際ハイウエイ」として北東アジア地域に張り巡らされるという交通手段について
考えた。私はこの「構想」が実るよう、この方針が日本政府と韓国政府の方針になる日が一日も早く訪れるよう
に願い、故郷を離れタヒャンサリ(他郷暮らし)をせざるを得ない「在日」のために望郷への哀しみを祈った。
フェリーは北九州の山々に近づいた。
「日韓トンネル」の旅は在日を81年間してきた私にとって異国暮らし(他
郷暮らし・タヒャンサリ)の延長にすぎなかった。観光どころではなかった。生きる限りは理不尽に祖国を侵略
され故郷を奪われた民族の側の子孫の一人であった。
侵略した側の名護屋城跡から、あるいは対馬から対岸の釜山の地を眺めても、その哀しみは倍増こそすれ、減
ることはなかった。
フェリーから降りる迄の間、私はこれらの旅の出来事を総括しなければならなかった。「日韓トンネル」の意
義が加わって来たのをひしひしと感じた。日本の歴史は少しずつ前に向かっていることが実感できた。自らの故
郷が無くなってしまったことへの痛みの深さは日本人には分からない独特のものがあるのだと、強く感じた。バ
スで一夜、フェリーで一夜、民宿で一夜の3泊4日の思い出となるべきこの旅で、美味しい筈の料理が何を食べ
ても美味しいと思ったことはなかった。対馬から釜山の山々を望見してより、この総括文を書き上げる今日まで、
手足を伸ばして一日たりともゆっくり眠ったことはなかった。「日韓トンネル」が完成して在日の3,4,5世
たちが、それを利用して父祖の国を行き来するようになれば、私の心の「わだかまり」と「恨(ハン)」は81
年間のタヒャンサリ(他郷暮らし)と、見事に相殺できよう。これが私の国家に対する大義(忠義)であり、「日韓
トンネル」に抱いた希望と夢であった。
大橋局長が瀬戸内海の夜景が、見える頃合いに名残を惜しまれつつ「日韓トンネルは日本と韓国の両国の政府
の合意を必要とします。日本は国家的プロジェクトとして位置づけ、その実現の為に取り組むべきです。」の言
葉を別れの挨拶とされた。諸氏と別れた後、私は須磨寺の深まるだけ深まった秋の夜更けの静かな池を、一周し
て電車に乗った。
(完)
平和統一聯合
Federation
for
Peace
and
Unification
6
FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
月刊 平和統一 NEWS 第77号
自己の揺るぎ無い、信念、哲学を確立し、騙されるな。
申 日 東(元章)教職歴22年 神戸市在住
現在の世の中はマスメディアの氾濫で何が「是」で、何が「非」か、判別がつかず、ややもすれば騙され
て「非」の片棒をかつがされます。その良い例えが民主主義の根源であるべき多数決です。自論の賛同者を
集めて決を取り、可決するやりかた(数の暴力)です。
世論調査と言って街に出て人々の話を沢山収録し、その中から自分に都合の良い部分だけを切り取って放
映し、あたかも多数の肯定的世論の如き錯覚に落としこむ・やりかたや・なにやら分けのわからないヨコモ
ジで国民を惑わし、大きな声で人々を騙します。積極的平和主義なら憲法 9 条を守り自衛隊を解散しイー
ジス艦・ジェット戦闘機など武装を解除し唯一被爆国の主張として、国連を通し世界中の原爆を無くす働き
をし、又紛争国の 互いに犠牲になっている国民を救う為の外交を転換すべきが本筋です。なのに何故かそ
の逆の道を進んでいます。
ややもすれば嘘を見破れず騙され
思わぬ道を進んで大きな間違いをす
るはめになります。騙されないため
には主体性を確立すべきです。主体
性を確立するためには、まず本(書物)
をたくさん読んで豊富な知識を持ち、
物事を正確に判断すべきです。確か
にスマホも便利ですが、頭脳には残
りません。良い書物を沢山読み明晰
な頭脳で善し悪しを判断すべきです。
書物にも色んな本があります。漫画
や娯楽雑誌は出来るだけ避け純文学
をはじめ古典的な本を選んで読むべ
きです。テレビや新聞も批判の目で
視るべきです。いまや社会は病んで
います。嘘と矛盾が氾濫しています。
鼻の前にぶらさげた人参をめがけ無我夢中に追いかけ走らされている馬のようです。その事について幾つか
並べてみましょう。少子高齢化社会では子供を沢山生み育てなくてはならないが、赤ちゃんを産むべき産科
医院は少ない。保育所の子供の声がうるさいから近所に住むのは嫌だ。また、赤ちゃんを生むべき若い女性
は仕事に追われている。子供が学校から帰っても、お帰りと迎えてくれる母はいません。なのに、女性の働
く職場を増やすと言う?
お母さんが働かなくても住める社会が良い、住みよい幸せな社会ではないでしょうか?
幸せには物的幸せと精神的幸せがあります。どちらが大切でしょうか?
先日アメリカの西太平洋で福島の原発の1号機から垂れ流された放射能のセシュームが検出されたと小
さく1度だけ報道されました。
これはとりもなおさず全太平洋が汚染されたということです。今の所、数値は低いそうですが塵も積もれ
ば…怖いことです。
しかし東電は再稼働を企てています。最終処分場もないのに…。
昨今世界中の資本主義は疲弊し終盤を迎えつつあります。日本、アメリカ、英国等皆同じです。身近な日
本で見てみると資本主義の根幹の金利はOです。国債は倒産寸前です。賃金は上昇に追いつけず実質賃金は
下がっています。貧富の差は益々大きくなっています。
マルクスが資本論で予言した道を進んでいるかにみえます。まさか戦争?どんな道を行くのでしょう?
いまこそ真っ直ぐ社会を文節的に見るときです。現在の人々は騙され、気が付かず、楽をし、御馳走を食べ
利便だけを求め、3Kと言って汚い、きつい、危険を忌避する傾向があります。
労働やスポーツには多少の危険はつきものです。汚れは進んで綺麗にし、危険は身体の鍛錬と注意で避け、
マラソン選手のように苦しみを気力で乗り越え、野獣のごとき身体と頭脳で全てのことに真正面から当たっ
て行く勇気を持てば悪しきをくじき弱気を救う人となり、真の主体性を確立した人物になります。
高いプライドを持ったおおしき人物となり、難関をのりこえることが可能となり得ます。
平和統一聯合
Federation
for
Peace and Unification
7
FPU第16連合会 常任顧問 陸 泰 昊
2014年の辛い試練を乗り越えて希望の
2015年を迎える事になりました。
特に、今年は韓国と日本が国交を正常化して
50周年になります。
聖書によると、50数は奇跡を起こす数字で
for
あります。なので、今年は一体化と統一の奇跡
が浮き上がる天運が、満ち溢れると思います。
2015年の干支である羊が、目標を目指して
群れて行くように、韓国と日本の一体化、南北
統一の為に力を合わせながら、無心に前進する
FPUになって行きましょう。
神様の祝福によって全てが成就されますよ
うに祈願致します。
8
Peace and Unification
平和統一聯合
Federation
第77号
月刊 平和統一 NEWS
FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
Peace
for
FPU第16連合会・FPU兵庫
会長代行 文 聖 純 拝
今年、天歴3年を迎えることになりました。
月日が経つごとに、時代も変わっていくことが感じ取れ
ます。皆様のおかげで、無事に新しい年を迎える事が出
来ました。
FPU16連合会も早や、10周年を迎えようとして
います。昨年は、ピースバイクやスイス・DMZ平和公
園と第5UN事務局誘致運動のシンポジュームに参加
するなど、全てを成功裏に終える事が出来、皆様に感謝
申し上げます。
今年は未年でございます。
韓鶴子総裁は、未年であります。故趙希秀会長もまた
未年であります。
『説文解字』では「未」は「味」の意味とし、果実が
熟しきってない状態、すなわち果実に味が生じ始めた状
態と解釈しています。故に、文鮮明総裁の統一思想で平
和世界に一歩一歩近づいてきていると思います。
我々天一国の民として、一致団結をして共にこの果実
を実らせていきましょう‼
9
Unification
and
平和統一聯合
Federation
第77号
月刊 平和統一 NEWS
FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
2015年新年の挨拶
新しい年を迎えました。
祖国が1945年に「併合」という美名のもとで植民地
支配から解き放されてから70年を経ました。そして、南
北に分断しました。その祖国の統一の未だ成らざる現今、
とても「おめでとう」という表現は使う気になれません。
「今年も宜しく」は使います。
毎年、年の初めに一休さん 臨済宗大徳寺僧 の「正月や
冥土の旅への一里塚めでたくもあり、めでたくもなし」が
思い出されます。
平和とは、統一とは、他人と他国人を尊重し、友好親善
を深めることから生まれると思っています。
FPU兵庫副会長 曺 小 煥
一日が過ぎ、より楽しい一年が来て。
人に会った後、より暖かい心で考える。
良いことがあれば、より幸せな仕事を、作ることが
できる。美しい新年になることを願っています。
FPU兵庫 渉外部長 金 豊 鎬
明けましておめでとうございます。
(
)
2 01 5 未年 を 迎え た事 を 大変嬉 し く 思っ て いま
す。昨年9月から新しく平和統一聯合の婦人会長になっ
たばかりなのに、新年を迎える事になりました。
いつも愛を注いでくださる沢山の会員の皆様、今年も
どうぞよろしくお願い申し上げます。
羊の 群 れの よ う に 民 団 と 総 連 が 一 つ に な り 日 本 と 韓
国が一つになって、南北統一に向かって前進出来る一年
になりますよう願っています。特に同じ民族でありなが
ら別れている民団と総連が手と手を繋ぎ、お互いが許
し、愛し、一つになって前進すれば南北統一は必ず成し
遂げられると思います。
今年で平和統一連合は10周年になりました。子供で
言えば10才です。まだまだしっかり1人で立つ事は出
来ませんが、会員の皆様が見守ってくだされば少しずつ
成長して行くと思います。また、韓国料理教室も成長し、
今は幅広く活躍しております。これからも平和統一連合
と韓国料理教室をどうぞよろしくお願いします。
16地区韓国婦人会長 朴 文恵
(
)
新年おめでとうございます。
皆様にとって2015年が幸福と発展の年とならんこ
とをお祈り致します。その為には文鮮明総裁 韓鶴子総裁
が私たちに示して下さった真の愛の実践こそが重要であ
ることを再認識し新年を迎えたいと思います。今後ともF
PUの更なる前進のために多くの方に賛同していただけ
ますよう努力してまいります。
神戸支部 支部長
金 栄子
for
明けましておめでとうございます
どんなに恐ろしいことが起こっても、それは「黄金時代」
を迎える前に通過しなければならない過程だ、というのが
デイヴィド・ウィルコックの一貫した主張で、私はこれに
賭けているわけです。今年はそういう年になるかもしれま
せん。昨年7月17日に、マレーシア航空旅客機MH17
がウクライナ東部で撃墜されました。この犯人について、
どんなに証拠がなく、逆の証拠がどんなに出てきても、ロ
シアがやったことになっているのはご存知の通りです。私
はこの日付が2014・7・17、17便、ボーイング7
77だったことに何か意味があると考えています。7月1
7日は創世記では、ノアの箱舟がアララテ山に乗り上げた
日、つまり、今まで水しか見えなかった世界に陸が見え始
め、それが広がっていった日です。私はこれを世界が一変
するきっかけとなった出来事と考えています。
京都大学名誉教授・FPU京都会長 渡辺久義
10
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平和統一聯合
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第77号
月刊 平和統一 NEWS
FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
明けましておめでとうございます。
昨 年 は 、洪 水 、 寒 波に よ る 災 害 、 火 山 噴 火と 大 自 然 が 、 こ
わされ貴い生命の犠牲も多くありました。世界全体が変革の
時と思われます。
今 こ そ 、 私 た ち は 人 を 愛 し 、 万 物 を 愛 し 援 け 、 喜 び 援け ら
れる感謝の気持ちで進み、南北統一に向うように、個々の中
に出来てきました、38度線を越えて晴らすことが世界平和
への道では、ないでしょうか。
阪神支部 支部長 尾道宗継
新年あけまして、おめでとうございます。
「初めてなのに懐かしい」。
1988年、ソウルオリンピックの際に流れたCMの言葉で
す。
はじめて韓国を訪れた日本人の率直な思いを表現したもので
す。
まるで、故郷に帰って来たような懐かしさがこみ上げてくる。
これは日本人の先祖が、韓半島から海を渡ってやって来たか
らだと思われます。もちろん、日本人全員がそうだとは言え
ないでしょうが、先祖が暮らしていた国に帰って来たことに、
訳もなく懐かしさがこみ上げた日本人も多かったのも事実で
す。
昨今、韓国と日本の関係は冷え込んでいます。
し か し よ く 考え れ ば 、 古 代 に お い て は 韓 国 人と 日 本 人 は 同 じ
土地で暮らしていたのであり、ひとつの家族であったのです。
だから、ひとつになれると確信しています。
2015年は、その出発の年としたいものです。
本年もよろしくお願いします。
姫路支部 支部長 英裕司 横山百合子
for
新年あけましておめでとうごさいます。
昨年を振り返れば、一昨年に続いて、一年に8度韓
国を訪れました。8月には、文総裁ご聖和Ⅱ周年の式
典参加、1月には清州、忠南観光、10月には済州島
観光、6月、7月には長女のいる晋州滞在などありま
したが、韓国に行くといえば、大概、生前文総裁が開
かれた清平湖で有名な清平聖地を訪ねています。懐か
しい心の故郷であり祈り浄められた聖地へ、何度とな
く訪ねて、少しおっちょこちょいで何事にもすぐ熱く
なりやすい私も、健康、無事、息災に日々を過ごすこ
とが叶っています。
さて、迎えた2015年ですが、しっかりと地固めを
して精進していきたいと思いますので、皆様方のご指
導、ご鞭撻、今後もどうぞ宜しくお願い致します。皆
様のご健康、ご多幸を心よりお祈り申し上げます。
2 015年元旦
西宮市部 支部長 廣瀬純子
謹賀新年
今年こそ、南北統一の具体策が、実行されます様に!
明 石 支 部 支 部 長 村山惠宥
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FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
新年おめでとうございます。
2014年も様々な出来事と共に過ぎて行きました
が、振り返ってみると、反省すべき事もあった一年で
した。2015年は南北統一へ向けての動きが具体的
に感じられる年となるような気がします。もっと活動
を推進出来るようにして行きたいと思います。今年も
よろしくお願い致します。
東神戸支部 支部長
李 光男
あけましておめでとうございます。
平和統一連合兵庫県連合会も早いもので結成10周年を
迎えようとしています。色々な方との出逢いがあり、そこ
には色々な人生があって言うに言えないご苦労、また未来
に対する希望があることを知りました。
今年もそういう皆様の少しでもお役に立てる活動をして
いきたいと思っております。また、今年は日韓国交正常化
50周年の年でもあります。日本に住んでいる者として南
北の平和統一、民団、朝鮮総連の和合と在日社会の発展の
ため精一杯の活動をしていきたいと思っております。
加 古 川 支 部 支 部 長 市橋正成
謹んで新春のお慶びを申し上げます
2015年、昨年と同様にFPU兵庫は平和統一聯合と共
に「和合と共生」、祖国に「平和統一」、北東アジアに「繁栄」、
世界に「平和」を! を訴えながら幅広い活動をしていきた
いと思います。
『月刊・平和統一NEWS』におきましても、皆様の温か
いご支援とご協力により、ダブルラッキーセブン号を発刊す
る事が出来ました。趙希秀会長と共に2008年9月に創刊
して以来6年3ヶ月、休刊することなく発行できていること
を感謝しています。本年も、趙会長の意志を継がれた文聖純
会長代行を中心として、曺小煥副会長に支えてもらいながら
発行してまいります。
本年度も、南北統一の為に、活動し、訴えていきたいと思
います。皆様のご支援、ご協力をお願い致します。
F P U 兵 庫 事 務 局 長 福田秀樹
for
明けましておめでとうございます。
耀かしい新年を迎え新たなる出発の年にしたいと思い
ます。
必ずやらなければならない民団と総連を両腕に抱き
共に愛し南北統一に向かって手を携えて進む私達にな
れるようになりたいと思います。
本年も宜しくお願い致します。
尼崎支部 支部長 隅 田 敏 生
皆様新年あけましておめでとうございます。
年末に神戸支部の支部長に就任いたしました。
5年ぶりの就任になりますが、2004年からの祖
国訪問ツアー、特に2005年の年末に行われた1万
名の在日同胞による祖国韓国における平和統一祈願
祭は特に感慨深いもので御座いました。
微々たるものだとは思いますが、平和統一聯合の活
動を通して北東アジアの平和に貢献できる事に感謝
の思いを禁じえません。不足の者では御座いますが、
これからもよろしくお願いいたします。
神戸支部 支部長 吉村仁六
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月刊 平和統一 NEWS
FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
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第77号
2015 年アメリカはロシアを攻撃する
京都大学名誉教授・FPU京都会長 渡辺 久義
この題は私がつけたものではない。Information Clearing Houseというサイトに見つけた、Evgeny
Fedorovという、まだ若いが明哲というべきロシア連邦代議員が、更に若い二人の記者を相手に世界情勢
分析をするビデオにつけられた題である。この2時間近い熱弁を、英語翻訳字幕を読みながらたどるのは大
変だが、これは見応えがあり推奨に値する。これによってかなりの知識が、特にロシア内部に事情について、
得られる。収録は2014年5月13日。この時点で、クリミア編入とウクライナ政府による東部地区爆撃は
行われているが、まだ問題のマレーシア航空機撃墜事件(7/17)は起こっていない。もちろん最近の、米
下院の狂気じみた、宣戦布告に等しい“侵略国”ロシア非難決議(12/6)もなされていない。この予言は
かなりの確度をもって当たると思われる。
このビデオで私が初めて知って驚いたのは、ロシア国内に相当数の、アメリカと通ずるスパイ集団が存在
するということ、それによってロシアのメディアでさえアメリカに影響されているらしいことである。(こ
れでプーチン大統領の先日の演説の意味が理解できる。)フェドロフは、国民投票を(クリミアのように)
ドネツク、ルガンスク地区でも行って、ロシア本国も同じ状況にあるという危機意識をロシア市民にもたせ
ることだ、そうしなければ国は守れない、一旦アメリカがロシアに入れば、彼らはロシア人殲滅を狙うはず
だと言う。
この戦いがよく言われる“ハルマゲドン”(神と悪魔の最後の代理戦争)であるとしたら、この分析は誇
張でないと思う。これはこれまでの彼ら(イスラエルも含めて)の、子供を含む民間人に対する残虐さと、
最近暴露された拷問の習慣をみればわかる。9・11事件直後に捕えられたイスラム教徒アブー・ズバイダ
ーは、普通の面談で、知っている軍事機密(?)を全部話したにもかかわらず、長く拘留されて83回も水
責めにされた。それ以上知っていることがないのが分かっていて、彼らはそういうことをするのだから、こ
れは拷問を楽しむためとしか考えられない(創造デザイン学会:12/17「拷問をめぐって対面する二人の
激突——元CIA高官の手記」)。
同じ人間なのに、そんなことをする者はまさかいないだろうと言う人があるかもしれない。しかしこの世
界制覇を狙う者たちは、サイコパス(またはソシオパス)と呼ばれる異常者であって、普通の人間ではない。
これは『ザ・シンクロニシティ・キー』にも詳しく分析されているが、Global Researchサイト論文の「悪
い奴らが勝ち続ける7つの理由」の第3の理由は、「スーパー・エリートも“我々と同じ”と考えること」
だと言っている。この連中は脳内に分泌されるドーパミンに異常があるという——「サイコパスたちは、欲
しいものを、結果を考えずにモノにしようとする冷血の犯罪者と考えられている。我々の研究から、ある超
反応性をもつドーパミンの報奨機構が、暴力犯罪、常習犯罪、また薬物乱用のような、サイコパス症状に関
連する最も問題となるほとんどの振舞いの、土台になっているらしいことがわかった。」
要するに、人を苦しめ、また人が苦しむのを見、人に恐怖や不安を与えることによって、気持ちがよくな
る人々がいるということである。今回のCIAの拷問について私は多くのコメントを読んだが、この点を指摘
したものには出会わなかった。デイヴィド・ウィルコックは、彼の知るインサイダーからの情報として、こ
ういうマイナス感情の累積によって、ある種の物質のようなものが世界に充満し、これを彼らは“loosh”
と呼んで活力源にしているのだという。彼らは戦争屋だから、儲けるために戦争するのだというだけでは、
十分な説明ではないようだ。サイコパスは我々の周囲にもいるから、観察することができる。我々(要する
にメディア)は彼らを、戦前の言葉でいう「お上(かみ)」として奉っていて、口出ししない、できないこと
にしている。一番よくわかるのは「ケムトレイル」である。説明はいらないだろう。
フェドロフは、彼らの精神構造と手の内を完全に理解している。彼らの本質はthugs(暴力団)であり、
すべての暴力団がそうであるように、自分に権力があるところを見せつけようとする。(彼らは今全米の警
察官をthugsとして武装させている。)彼は釣りの比喩を用いてこれを説明する。我々は針にエサをつけて
魚を騙し、釣り上げたときは「やったー」と言って喜ぶが、彼らは針にエサをつけて人間を騙し、釣り上げ
ては「やったー」と喜ぶ。彼らにとって彼ら以外の存在は人間以下である。人種差別も間引きも当然のこと
であり、それによって“新世界秩序”が可能になる。
しかし彼らは馬鹿ではないから、自分たちの時代が終わろうとしているのを知っている。もう残された時
間はない。だから、マレーシア航空機撃墜の工作がばれようと、何だろうと、強引にロシアに経済制裁を課
したように、彼らは追い詰められて、全面戦争をロシアに仕掛けるだろう。問題は、 メディアがいつまで
彼らの宣伝担当を引き受けるかである。
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高句麗周辺語と 日本Ⅱ
月刊 平和統一 NEWS
第77号
日本家系研究学会 与那嶺 正勝
世界には様々な言語がありますが、 言語と民族の移動とは深い関係があり、 互いに混血により
言語も混ざり合うことが多かったと考えられます。
支配者の言語が必ずしも支配地域の言語となったわけではありません。
新聞やラジオ、テレビなどのようなものが無い時代に言語が統一されることはまったくありません
でした。一部、官僚的な言語が使用されるにすぎなかったと考えられます。 まして学校などとい
う言語の専門的な機関は一部知識層に利用されるのみであり、一般化したのは最近150年間のこ
とです。
昔は、山一つ越えれば言葉が通じなかったことも多かったのです。
それでいながら、朝鮮半島と日本列島の言語的共通性は驚くものがあります。それには、 以下
のような民族の移動と混血の歴史がなければ成り立ちません。
朝鮮半島は統一新羅の時代を迎え、 倭は大和王権の支配する時代
を迎えたのは七世紀のことです。
当時の四つの地域の言語はすでに大きく異なっており通訳なくし
ては会話が成り立ちませんでした。
倭ではしばしば言語の混成が行われました。
半島語の穴(ホル)は倭語では(掘る)という動詞となり、二つが合
成して洞穴(ホラアナ)という語を作るというような現象が様々に起
こりました。
半島語の耳(クイ)は倭語では聞く (クイク)であり耳(ミミ)は
沖縄では(ミミグイ)となってミミとクイが合成しております。
倭語では天(アマ)であり海(アマ)で同じ音ですが、アは遠い所を
指すことばで、アッチのアと同じ意味です。近くはココとかコッチですね。
ですから天(アマ)も海(アマ)も同じアマで通用し、後に漢字を当てて天も海もアマと呼ぶよう
にしたのです。
ちなみに遠いところから来る水は雨(アメ)と言います。
水はミですがなぜメなのでしょう。高句麗では水を買という漢字を当ててメと読みました。倭で
も神々の名に◎◎比買(ヒメ)と買の字を当てます。買の字の上の部位は目です。動詞となり見る
(ミル)。目は水の出る所。鼻は半島語ではコといい、 日本では動詞となって香る(クヮヲル)
です。
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月刊 平和統一 NEWS
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船・エトセトラ
FPU兵庫渉外部長
金 豊 鎬
☆船に穴があいても簡単には沈まないのは何故。
船が衝突や座礁(海中の岩に乗り上げること)したとき、もっとも恐ろしいのは、船体に穴が開
けば、とうぜん船内に水が入ってくる。船内全体に水が浸入すれば、船は浮力を得られなくなり、
沈没する。
前述したように、船が浮いているのは、船の重さと浮力が釣り合っているからである。ところが、
浸水すると、船全体の重量が一気に増えてしまう。浮力が重量に耐えられなくなった時点で、船は
沈んでいくというわけである。
そうした事態を防ぐため、船にはさまざまな構造上の工夫が加えられている。まず、船内は、い
くつかの水のもれない(水密の)部屋に分割されている。水が隣の部屋へ流れ込まないように、区画
が区切られ、また壁も特殊加工されていて、浸水を最小限に食い止めるような工夫が施されている。
もっとも、そうした水密区画をたくさんつくれば安全性は向上するが、小部屋が多くなるため、
荷物の積み下ろしに手間がかかるし、壁が多くなるので、船全体の重量は増えてしまう。そこで、
水密区画をどのように配置するかが、造船設計者の腕のみせどころとなる。
又、座礁による浸水を防ぐため、一般に船底は二重底になっている。ちなみに、船底に原油を満
載するタンカーは原油で海水の浸水を防ぐことができるので、かつては船底を二重底にしていなか
った。その方が船全体の重量を小さくできるからである。だが、その後、原油の流出事故が相次い
だため、現在では、タンカーの多くも二重底の設計になっている。
☆船はどうやって作られるのか?
船の強度を上げるため、設計の参考にされたのは、魚の骨格である。船底には、「キール」と呼
ばれる魚の背骨のようなものが、船首から船尾に向かって延び、その背骨から左右対称にフレーム
が取り付けられている。フレームは、いってみれば、魚のあばら骨にあたる。つまり、船は、魚と
同じように、背骨とあばら骨によって水圧に負けない強度を得る仕組みになっている。
ただ、船を建造するとき、まず骨格をつくってから外殻を構築していくかというと、そうではな
い。現代の造船では、船体をいくつかのブロックにわけ、工場でブロックごとに製作して、それら
を建造ドックに運び込み、組み立てるという工法がとられている。
ブロックは、大型船になると、一辺が 10 メートル以上もあって、数は合わせて数百個にもなる。
まずは工場で、外板に縦、橫方向の大小の骨格材が溶接され、強度のアップが図られる。こうして、
基礎工程がすむと、それぞれの部材が組み立てられ、巨大なブロックができあがっていく。さらに、
それらのブロックを組み合わせ、船長室、客室、レストラン、厨房などに仕上げていく。
工場での作業を終えると、ブロックは建造ドック内へ運び込まれる。
まず、船の中央部のブロックが置かれ、起工式がおこなわれる。このとき、航海の安全を祈り、
コインを埋め込むのが習わしとなっている。そして、中央部のブロックを中心に、ほかのブロック
を山形に溶接していくことで、船の形へと組み立てられていく。
ブロックがすべて組み立てられると、進水式がおこなわれ、船は初めて海に浮かぶ。そして、試
験運転がおこなわれ、すべての試験をクリアすると、最終段階の内装仕上げとなる。というわけで、
進水式がおこなわれても、船が完成したとはいえない。あくまで試運転の段階であり、それを無事
に終えた後、内装工事を終えて、初めて船の完成となる。
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月刊 平和統一 NEWS
活動内容
12 月 05 日 常任理事会 開催
12 月 05 日 定例役員会 開催
12 月 12 日 韓国語教室 開催
12 月 22 日 韓国料理教室 開催
12 月 23 日 FPU 兵庫忘年会 開催
12 月 26 日 韓国語教室 開催
12 月 30 日 編集会議 開催
『千字文』と韓国語〔16-2〕
曺 小 煥
菜 重 芥 薑
나물채
무거을중
겨자개
새양강
さい
くさびら
ちょう
かい
からし
きょう
おもい
第77号
行事案内
1 月10日 常任理事会
1 月10日 定例役員会
1 月09日 韓国語教室
1 月 23 日 韓国語教室
はじかみ
나물은, 겨자와 생강이, 중하니라
この句の意味は〔16-1〕で述べたように、野菜の
料理では、芥(からしな)と薑(はじかみ)とを何よ
りも貴重なものとすべきである、ということであっ
た。なお、くさびら・からしな・はじかみ等の呼び名
は、和語であり、大体、平安時代中期頃から用いられ
た言語である。春の七草、秋の七草と同様である。七
草とは、後世にはせり・ナズナ(ハクサイ)・ゴギョウ・
ハコベ・ホトケノザ・スズナ(ダイコン)・スズシロ(カ
ブラ)の 7 種に定まったのである。
∴『千字文』よもやま話48
2015年の年頭にあたって、主題である『千字文』
と韓国語(朝鮮語も意味する)について、最も基本的な
ことについて総括してみました。
イル、イー、サム、サー・・・・韓国語の1,2,
3,4です。ワン、ツー、スリー、フォーは知ってい
ても、隣の韓(朝鮮)半島の言語をなぜ知らないのでし
ょうか。これは祖国語を理解しない在日にも当てはま
る表現です。最低限の言葉でさえも知らないのは、そ
の国の歴史や文化、そして真の風俗、習慣を全く理解
していないことに通じます。故に近いのに遠い国なの
です。他の外国とは意味合いが違います。学ぶことに
よって古代より日本列島が韓(朝鮮)半島と如何に深い
関わりを持って来たかがわかります。
韓(朝鮮)語の魅力は文法が全く同じであるという事
です。何はともあれ、いろは(이로하)47文字と、
アカサタ(아가사다)の全行を遮二無二、いち早く知
ることです。
〈この項つづく〉
編集後記
■〘ヘイトスピーチに抗議する〙
最近(2014年12月7日)いやなものを見た。
京都駅前でバスを待っていた。しばらくする
と「国籍による差別は当たり前」と書かれた
プラカードを持ち「朝鮮人を絶滅せよ!」な
どのヘイトスピーチ(差別扇動)を連呼する
集団に出合った。『それはちゃうやろ』と怒
りがこみ上げた。まったく渡し(救い)がたい
奴らだ。本当にあった話というものは、時と
して小説以上に悲しいものだ。哀しい物語で
あればなおさらの事である。そして、やがて
は私だけの心の中に埋もれて、消えていく。
在日の一人として日本の中に埋もれたくは
ない。
最近、対馬の最北端に立った時の思い出を
書いてきた。
「反日」、
「嫌韓」、ふたつの国の
国民感情は好ましくない。在日として育った
文化が違えばまったく考えが通じないこと
もある。対馬から釜山港の北側に位置する
山々は慶尚南道の父母の故郷である。究極の
コミュニケーションは、やはり面と向き合う
ことなのだ。草の根のところでの交流が数多
く起こってほしいと願わずにはいられない。
この文に気付かれたら是非とも、対馬の最北
端にある韓国展望所より韓国の南端の連山
を眺めていただきたい。海の道には朝鮮通信
使等の素晴らしい友好の歴史があったこと
を忘れないでほしい。
(曺)
■FPU 兵庫は第 10 期です。
『月刊・平和統
一 NEWS』はまだ 7 年、南北統一成る!と
いう NEWS を掲載できるまでは、継続して
いこうと新たる決意で 2015 年も努力して
参ります。
(樹)
投稿記事募集
機関紙
月刊『平和統一 NEWS』
<編集委員会>
委 員 長
文 聖 純
副委員長
曺 小 煥
編集局長
福田秀樹
編集委員
朴 文 恵
編集委員
金 豊 鎬
交流の広場への投稿記事を募集し
ています。
FAX.078-367-4323
E-mail:[email protected]
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