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中 村 勉 氏 - NSRI 日建設計総合研究所

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中 村 勉 氏 - NSRI 日建設計総合研究所
第51回NSRI都市・環境フォーラム
(no.291)
『急ごう!原発を凌ぐゼロカーボン社会を』
中
村
勉
氏
建築家・工学院大学特別専任教授・
ものつくり大学名誉教授
日時
2012年3月21日(水)
場所
NSRIホール
目次
建築家のわれわれを取り巻く環境は 1990 年代から劇的に変わりはじめ、21 世紀に入っ
て近代文明の結果としての都市を考え直さなければならない状況となった。そして昨年
の 3.11 の大震災により、近代化の価値観が暗黙のうちに合意してきた社会システムが破
たんしたことにより、放射能被災地の見えない悲劇まで起こしてしまった。今まで人頼
みだった基幹エネルギーについても、私たち建築家、都市計画家一人一人が革命として
考えなくてはならなくなっている。こうして 2050 年に焦点をあてて今後の社会観を考え
てバックキャスティングをしてみると、新しい快適な社会像への道程も見えてくる。ま
だまだ急を要する課題が満載していて、一つ一つに解決の方法を考えていかねばならな
いが、問題提起をして皆さんと一緒に考えてみたい。
◆中村 勉(なかむら・
なかむら・べん)
べん)氏
建築家・工学院大学特別専任教授/ものつくり大学名誉教授
日本建築家協会 JIA 環境行動ラボ代表、東京建築士会副会長、2011 年 UIA 東京大会では 2050
EARTH CATALOGUE 展をプロデュースし、160 の 2050 年社会の断片を展示、16 のトーク
ショーを主催した。
■1969 年東京大学卒業、槇総合計画事務所 所員、AUR 建築・都市・研究コンサルタント
取締役副所長を経て 1988 年より中村勉総合計画事務所主宰、2003 年より 2007 までものつく
り大学教授、08 年より名誉教授。2009 年より工学院大学建築学部建築デザイン学科特別専任
教授
■環境省の環境研究総合推進費の支援により、日本建築学会で「低炭素社会の理想都市実現に
向けて」の研究を 3 年間行い、この背景を基に 3.11 大震災の福島復興計画を各分野に発信して
いる。南相馬市復興有識者会議委員、浪江町復興有識者会議委員。
■ 主な建築作品として「七沢希望の丘初等学校」で 2010 年度リーフ賞(先進欧州建築家
フォーラム)、アジア太平洋経済協力 APEC 公共建築賞、JIA 環境建築賞、
「大東文化大学板橋
キャンパス(環境キャンパス)」で 2007 年日本建築学会作品選奨など受賞多数。
■主な著書等として「木の魅力を拡げる」木活協 2011、「低炭素社会へ向けた 13 のガイドラ
イン」日本建築学会 2011、
「早わかり木の学校」文部科学省 2008 共著、
「Reality, Criticality and
Quality」建築ジャーナル社 2007、
「「スクールリボリューション」彰国社 2001 共著等がある。
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『急ごう!原発を凌ぐゼロカーボン社会を』
谷
大変長らくお待たせいたしました。ただいまから第51回NSRI都市・環境フォー
ラムを開催させていただきます。
ようやく春めいてまいりました。今日も皆様、お忙しいところをお越しくださいまして、
まことにありがとうございます。
本日のご案内役は、私、広報室の谷礼子でございます。どうぞよろしくお願い申し上げ
ます。
さて、本日は、ご案内のとおり、工学院大学教授でいらっしゃる中村勉先生にお越しい
ただきました。
本日は、
『急ごう!原発を凌ぐゼロカーボン社会を』と題してご講演をいただきます。先
生は、レジュメのとおり、工学院大学の先生でいらっしゃると同時に、ご自身でも設計事
務所を主宰していらっしゃいます。
地域特性を生かしながら、そして環境に配慮した建築、まちづくりに長年取り組まれて
いらっしゃいます。そして、この東日本大震災が起こる以前から、福島県の相双地区のま
ちづくりにもかかわっていらっしゃいます。そうした背景もあり、現在は復興構想をご提
案され、また、数々のご支援もしていらっしゃいます。
本日は、低炭素社会実現へ向けた貴重なお話を伺えるものと大変楽しみにしております。
それでは、早速、先生にご講演をいただきたいと存じます。どうぞ皆様、大きな拍手で
先生をお迎えください。(拍手)
よろしくお願いいたします。
中村
皆さん、こんにちは。今日はこういう場を与えていただいて大変光栄に思っており
ます。ありがとうございます。
今日は、今、谷さんからお話しいただいたように、特にこの3.11以降のものの考え
方をお話しするということですが、私は低炭素社会の都市をどうするかということを、
2008年から環境省の補助金を頂いて、東大と東工大、日大の3校と協力して議論を重
ねてきました。
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それが終わって、最後の発表会を3月23日にやろうとしていた時に、ちょうど大地震
が起こった状態でした。結果的にはそれを学会で報告をし、それもとに今レポートをつ
くって発表しているという段階であります。
そういう中で、今回地震が起こり、原発の悲惨な事故が起こりましたが、私たちはいろ
いろ議論してきた割には、結果的にエネルギーに関して考えることを少しおろそかにして
いました。実は私たちの仲間には、皆さんもご存じのエネルギーの専門家の飯田哲也さん
がいます。彼ともいろいろな議論をしてきましたが、国の政策あるいは大きなエネルギー
問題に関しては、ある程度彼に任せて、我々は生活者のつくるエネルギーのレベルにとど
まっていたという反省をしています。
3.11が起こった後、4月の初めまで、友人たちの消息が分からず、その後何とか無
事でいるということがわかってからは、その人たち、あるいは原発災害で放射線量が高い
ところから遠くへ逃げなければいけない人たち、それも、数年といわず、数十年逃げなけ
ればならないだろう人たちの気持ちを思い、何とかその人たちが元いた土地の価値をもう
一度見直すことができる、つまり、希望を失わないでいられる方法はないかといろいろ考
えました。今日はそういうことも少しお話をさせていただきたいと思います。
(図1)
幾つか考えるべき課題がありますが、まず最初に、復習の意味も込めて、皆さんご存じ
の2050年問題を見ていただきたいと思います。
私たちは21世紀が始まる頃、1999年のUIAの北京大会で、グローカルアーキテ
クチャーという考えを提案しました。その頃から2050年の問題を提案するようになり
ました。特に2050年問題は、低炭素社会というテーマと同時に、日本の場合には、人
口が縮減していくという問題、2050年には75%になるということをどう考えるのか
ということが大きなテーマであります。
これらについて、私は2007年から中央環境審議会の環境立国戦略部会の委員として
議論をしてきました。それまで国は様々な政策を国の目線で国民に訴えるということを
やってきたわけです。そういうやり方では国民のほうの実感として、あるいは自分から何
か行動に移そうということはなかなか出来ないということもわかってきました。
そこで、その戦略会議の中では、これからは国ではなく、都市が、町が、自分たちの町
の2050年を考える、あるいは低炭素社会をどうしたらいいのかということを考えなけ
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ればならない。今、日本の国民はCO2 を 8.5 トン/人年排出しているわけですが、それを
1人当たり 2 トン/人年以下にしなくてはならないという命題があるわけです。そういうこ
とをしっかりと考えるのは、都市でしかないのではないかということを提案しました。そ
の時は環境理想都市という提案でしたが、これがその後環境モデル都市となり、現在は環
境未来都市として幾つかの都市の環境政策に反映されてきております。
(図2)
簡単なおさらいですが、2100年頃に地球の生物が滅びていくというシナリオが幾つ
か描かれています。最初のシナリオは、2003年頃にイギリスの南極観測隊の科学者た
ちが発表したのですが、2100年頃にCO2 が800ppm ぐらいになると、二酸化炭素
は基本的に最後は海に溶けていった結果、海の pH がアルカリ性から酸性に変わってしま
う。そういう予測がされました。それによって、さまざまな生物が滅びていくということ
が1つのシナリオとして言われました。
第二のシナリオは、レスター・ブラウン氏が、2009年の正月にNHKのBS放送で
発表しましたが、大変ショッキングな内容でした。2020年までに80%の削減をしな
いと、ヒマラヤの氷河が溶解し、これによって、中国の揚子江や黄河、インドシナでは
チャオプラヤ川、インドではインダス川、ガンジス川、それらの大河が大洪水を起こし、
その後水不足から飢饉の状態になって、その周辺の人が飢餓の時代を迎える。これらに対
しては、日本がパールハーバーを攻撃した後に、アメリカのルーズベルトが戒厳令を発し
て、すべての産業活動をストップし、軍事産業に変えるべきだと言って変えた。その戒厳
令を今すぐに環境に対してやらなくてはならないというショッキングなレポートでした。
これも地球が滅びていく一つのシナリオであります。
(図3)
IPCCが2007年に第4次の評価報告書を出しました。皆さんご存じのように、こ
れまで7世紀からこの1300年間、ほとんど温度は変わっていなかったわけですが、そ
れが産業革命以降急激に上がり、現在既に0.7度上がって、それが1.1度まで何もし
ないでも上がるというメカニズムが始まってしまっている。そのまま何もしなければ6.
4度、800ppm まであがる。そういうことが2100年に起こる。これが1つのシナリ
オになっています。
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(図4)
次の世界温度地図はそのときに出されたものです。上の図は2000年から2010年
までの10年間の平均気温ですが、下の地図は2050年から10年間の平均気温です。
北極やヒマラヤの極地、そういうところが非常に高くなっていることがわかります。さら
に、IPCCの報告よりも、先ほどのレスター・ブラウンのように、氷河の減り方はさら
に加速していて、ヒマラヤが圧倒的に加速しているという報告をその後受けています。こ
れらに関して、日本の国立環境研究所その他は何のレポートも出しておりませんが、実際
に調査している研究者たちに聞きますと、彼らもある程度把握していて、これに対しては、
まだ自分たちの見解として何をどうすべきかということまでは言えない、ただし、そうい
うふうに速くなっていることは確かであるということを言っています。
(図5)
昨年起きましたタイの大洪水に対しても、1つはヒマラヤの氷河の話も一時期ありまし
たが、表向きはタイ東側のインド洋のダイポールモード現象という現象によって起こった
水害であると言われています。
(図6)
次の図は先ほどお話ししました pH が酸性化していくと、貝が溶けていくという状態を
示しています。これは2005年のニューヨークタイムズが掲載したものを、毎日新聞で
報告したものです。
(図7)
もう一方の問題は、人口の縮減の問題です。これが高齢化社会を生み、65歳以上の高
齢者が全体の40%になります。国を支えていく、ケアしていく労働人口が52%に減っ
ていくということですので、この52%が40%以上の高齢者を支えられるはずがありま
せん。そういうことがこれからの大きなテーマとなっています。
(図8)
人口は現在横ばいになってきていますが、世帯はまだ増えていて、それによって家庭・
業務部門のCO2 の排出量はまだ増え続けているという状態であります。
(図9)
そこで、私たちが幾つかの議論をした結果、11項目の論点を出しました。それぞれの
論点に対し各々研究をしていただきながら、全体を私が総括するという形でこれらをまと
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めていきました。これも少しずつお話をしたいと思います。
(図10)
第一の論点は、近代化の価値
観から低炭素社会型の価値観へ
の転換です。根本的な話ですが、
産業革命以来、近代化が進めら
れてきましたが、その時に、新
しい社会をつくり上げるための
価値観、美徳など、そうでなく
てはならないと言われている価
値観があります。ところが、そ
れがことごとく、今の公害とい
う問題から地球環境の問題を引き起こしているということは皆さんもご承知のとおりだと
思います。
これをどういう形で低炭素社会の価値観につなげていくのかということですが、人間を
回復する、人間を信頼する社会をもう一度つくり上げる、自然循環のエネルギーの社会に
変える、循環型の社会あるいは都市をつくり上げていく。そして、非常に根本的な話にな
りますが、縦割り社会の非常に大きなプロジェクトをなし遂げてきた専門性という力に対
して、環境問題を考える時は、いろいろな分野を水平に横串を刺したような考え方、水平
思考、総合性が必要なんだということが現在言われているわけです。
戦後の持ち家政策が破綻していき、これからはシェアリングの時代になるのではないか。
個人というものは、今の民主主義はある意味では構造的な欠陥だと言う人類学者もいます
が、そういうものから、これからどうやって分かち合いの社会をつくり上げていくのかと
いう問題が大きくなっています。
(図11)
最終的な結論をまず最初にお話ししますが、8つの基本理念を結論的に私たちは考えま
した。右の図にありますように、できるだけ小さな環境世界の中で「ジリツ」する。
「ジリ
ツ」には2つの意味があります。1つの「自律」は、その中でできるだけのことをしなが
ら、さらに足りないものをその他の地域との間でネットワークをつくりながら均衡を保っ
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ていこうとする考え方。もう1
つの「自立」は、完全に中で自
給自足をしていこうという考え
方。
横の水平方向が循環型社会を
つくるという流れ。山から海ま
での水系を軸とした生物の多様
性を保障し、あるいは人間の営
みによって起こる廃棄物その他
の循環型利用もあるわけです。
また、エネルギーの循環型利用もあります。
それと、縦方向のエネルギー、これは頭の上の太陽から宇宙、宇宙はマイナス270度
の世界ですが、それとの間の熱の交換、あるいは地中のマグマや地熱、表面に太陽の熱が
蓄熱されている地中熱という熱があります。これらをどう利用するのか。
それから、空気による冷気や風というものがあります。こういうものがエネルギーとし
て使われていく。それをできるだけ使うことによって、遠くのエネルギー利用を少なくで
きるのではないかということを私たちは議論しました。先ほどお話ししたように、私たち
は原子力のような遠くのエネルギーに替わるエネルギーをどうつくるのかという視点では
議論をしてこなかったという自己批判をしています。
それがAの項目ですが、BとCは、それぞれ建築に関する項目です。低炭素化の問題。
それにはパッシブ型の環境基本性能というものをしっかりと普及促進するZEB(ゼロ・
エネルギー・ビルディング)の促進が必要です。現在私はロードマップ委員会委員ですが、
皆さんご存じのように、今後環境性能が規制化されていくという方向にあります。
Cのストック型の社会を前提として改修の社会を構築するのは大変難しいことです。し
かし、これをやらないと2050年にすべての建築をゼロカーボンにするということはで
きません。そして、Dは、先ほどお話ししました価値観の転換。Eが、地域性や歴史性、
人間性を重要視したスローライフや農のある生活。豊かなエコライフ生活というものを考
えようということです。Fは、先ほどの垂直のエネルギーと都市の再生可能エネルギーで
つくるスマートグリッドの世界。Gは、今までの私たちの都市計画やゾーニングを今見直
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すべきだろうと言っていますが、これは宅地と農地、市街化調整区域と市街化区域、ある
いは都市計画区域と農村地域というミックスゾーニングの考えです。
最後の H は、コミュニティの問題です。多世帯型のコミュニティ。1つのコミュニティ
の中にさまざまな人たちが一緒に住み、分かち合い、与え合うという社会構造です。
こ
ういうことを基本理念として考えています。
(図12)
それらを13のガイドラインという形でまとめて、緑の冊子をつくりました。それにつ
いて今日は少しお話しさせていただきます。
最後の14は、3.11以降に、防災意識の高い、災害に強い地域まちづくりをつけ足
しております。
(図13)
全部はお示しできませんので、簡単にお話ししたいと思います。1つは、大野秀敏さん
に委託をして、長岡市で都市の構造についての議論をしました。今、国交省の基本的な戦
略としてはコンパクトシティということが言われています。それではどういうコンパクト
シティが環境にいいのかという議論です。
それらを3つのモデルに想定して、現在の状況から、これらのモデルにするまでの転換
のエネルギーをすべて計算してみました。左下にあるのが、その時に排出されるCO2 の
量です。それによりますと、単芯型の一番コンパクトな形にするのは非常にエネルギーが
要るということがわかってきました。それを運営の状態になった時の少ないCO2 がコン
パクトシティの成果だと言われるわけですが、その差を置きかえるのに約50年以上かか
るということになりました。つまり、LCCO2 の計算によってコンパクト化をよく考え
ていくのが非常に重要であるということなのです。
(図14)
その次に公共交通をどうやって増やすのかという課題です。今までの公共交通は駅から
放射状に出ていますが、駅は地域の交通には余り役に立っていません。バスをどうやって
循環させるのかというテーマが大きく、大野さんは 8 の字型のBRTを提案しています。
(図15)
それから、都市の中での個性のある風景の町をどう生かしていくのかという問題が大き
くなっています。
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(図16)
さらに、先ほど言いましたように、これから人口が縮減し、全体で75%になるとしま
すと、各都市の税収も75%になると想定されます。この縮減される税収から都市の経営
や運営をしていくことは、どういうお金の使い方をすべきかということを克明に私たちは
土浦市を対象として計算してみました。
この絵はDIDを示しています。DIDという、ヘクタール40人以上の人口稠密な地
区は、赤であらわしています。これを見ると、既に現在でも都市地域の中で半分以下に
なってしまっていますし、2050年になりますと、本当にごく限られたところしか40
人以上のところはありません。これが20人から10人になってきますと、今までの農村
地域の集落とほとんど同じようになってしまいます。そこでも、都市のインフラを今と同
じようにつくり、維持していく必要があるのかということが大きなテーマです。
それを私たちは、75%になるという計算をしました。そのほかにも、何が優先される
のか。高齢者に対する福祉の対策あるいは病院、インフラの中でも橋や下水などは、基本
的に、人口が少なくなるからといって予算を75%にしてもいいと言えません。そうなる
と、末端の下水あるいは道路舗装などの、幾つかのサービスに関しては、そこまでやらな
くてもいいんじゃないかということが言えると思います。
今ここでは2つの提案をしています。1つは50%だけに100%のお金を出してやり、
その他のところについては半分以下のお金しか出せないという政策、あるいは75%のエ
リアを100%やって、あとはゼロにするという政策。75%の使い方に関する議論がこ
れから必要になってきます。
(図17)
もう1つの問題は、宅地と農地の区分けが農水省と国交省という管理主体で分かれてい
るために、農地が幾ら休耕田になったとしても、都市から人が行って耕したりすることは
できないという状態の問題です。あるいは逆に、都市の中にいろいろな空き地があります。
その空き地をどうやって農業に使えるかということ課題ですが、現在は宅地並み課税とい
う税金を払わなくてはならないために、その空き地を農業には使えないことから、税金対
策として駐車場として貸している状態を示しています。これは土浦市の駅から500メー
トルの周辺ですが、半分近いところが駐車場という名前の空き地になっている。これは都
市の活性化にも何もつながらない、いわば骨粗鬆症化した都市と私たちは言っています。
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(図18)
それをどのように変えていくのかという提案としては、全体に人間的なスケールで暮ら
せる町とすることです。車を限定的に入れないような状態もつくり、自転車と人との町、
緑の多い町をつくっていく。それから、水と緑のある豊かな暮らしを復活する。土浦はも
ともと運河の町でしたので、水を復活する。これはソウルでも今やっています。そういう
まちづくりが必要なのではないかと考えています。これは空き地も利用して農と緑のある
住宅地を再生するという計画です。
(図19)
これは東工大の梅干野晃先生が研究したものですが、アスファルトの駐車場から緑のあ
る駐車場にすると、どれだけヒートアイランドポテンシャルが少なくなるかを計算してみ
ました。アスファルトの場合、芝生の場合、木をたくさん植えるという場合の 3 シナリオ
を比べると、25度ぐらいもポテンシャルが変わってくると示されています。これは単に
外のヒートアイランドが少なくなるという議論だけではなく、これによって隣にある建築
物の内部のエネルギーが少なくて済むことを示しています。
(図20)
次の図に書かれているヒートアイランドポテンシャルというのは、駐車場の隣の家のエ
ネルギーがどのくらい変わるのかということを計算をしたものです。
(図21)
建築的な話になりますが、ここでは古くなった建物をできるだけ壊さずにさまざまな使
い道を考えていくことで延命をしようということが大切だということを示しています。そ
して地域産の木材をできるだけ使おうということ。耐震改修を実施する時には、環境を配
慮した改修を行っていくということ。新築の建物に関しても、将来の用途変換、居住者の
ライフスタイルのステージに合わせた改変を可能にするよう考えていくべきだろうという
ことを提案しています。
(図22)
建築の省エネルギーのことに関して言いますと、今までの環境建築は、環境工学の人た
ちの力によってできてきました。そして経産省の指導のもとに、さまざまな企業、メー
カーが高効率の機材をつくることによってエネルギーを少なくする、省エネを図るという
のがほとんどでした。しかし、私たち建築家はなかなか環境まで考えられませんでした。
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環境建築なんてやっても、そんなのはデザインに余り関係ないよというのが普通の考えで
したが、私たちはそうでなく、計画論的なCO2 を削減する方法あるいは空間のデザイン
によってCO2 を削減する方法を考えるべきだということを主張しています。幾つかの空
間を外部と内部と両方に使い分ける。これは和光小学校でやっていますが、そういう考え
方もあります。あるいはみなと保健所のように、ソーラーチムニーによって、自然のドラ
フト力を利用してつくるなど、幾つかの方法を考え始めています。
(図23)
これらを『101のヒント』という本にしようと、現在書き始めているところです。
(図24)
だんだん建築の話を多くしていきますが、
「ゼロカーボン建築はどこまで可能か」という
論点です。次の図は国交省が出した戦後からの住宅生産のグラフです。戦後、地方から東
京に人々が集中してきましたが、その人たちはほとんど賃貸住宅でどこかに間借りすると
いう形でした。この人たちにマイホームを提供するということを大きな目標として、19
50年に住宅金融公庫、51年に公営住宅法、55年に日本住宅公団をつくって、年間約
40万戸ぐらいの住宅をつくり続けました。そして1973年頃に、数では住宅総数が世
帯総数を上回るという状態にまで回復しました。ただ、ここは皆さんもご存じのように、
ウサギ小屋と揶揄された状態なのです。その後、50平米以下の住宅では小さ過ぎるとい
うことで、居住水準を上げることになっていきました。
それからは、見ていただくとわかるように、100万戸以上の住宅が40年もつくり続
けられています。40年もこんなに多くの住宅がつくり続けられる国は世界中どこにもあ
りません。まだそれが続いていくというところに問題があるのですが、これが景気を下支
えしていることも確かですが、むなしいですね。実は必要だから作るのではなく、より良
いものに買い替えてもらおうという需要だというのです。空き家が多くなるのも当然です
ね。いずれにしろ、建築にしても住宅にしてもつくり続けるという問題を今我々は考えな
くてはならないわけです。
2005 年に JIA 環境行動ラボでは、環境建築、エコハウスがどのくらいつくられたのか
を調べてみました。1970年以降、2005年ぐらいまでの間の最初の頃はほとんどつ
くられておりません。それを実験の時代と言っていますが、私たちは、むしろ暗黒時代と
言ったほうがいいと思っています。1960年代まではたくさんの環境建築ができていま
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した。建築原論として、建築家が自然の力を利用した建築をつくるのは当たり前のことで
した。
(図25)
日建設計の林昌二さんのつくられたパレスサイドビルが1966年にできています。同
じ時期に日本設計の池田武邦さんが霞ヶ関ビルを学会とつくられましたが、これらは窓が
ほとんどあかないビルです。これを私たちは暗黒時代の始まりと言っています。そういう
状態のところで、建築的なデザインは非常に美しくなりましたが、実はすべてが人工的な
エネルギーでコントロールされる時代になってしまって、環境建築とはほど遠くなってい
きました。
右下の吉村順三先生のNCRビルは二重の窓によって、空気の出入りを別の熱と交換す
るということまで含めてコントロールしている。こういうことがその当時も行われていた
ということであります。
(図26)
それを第1世代としまして、第2世代に、バブルの少し前です。プレアが始まった頃、
新しいパッシブ型の環境建築が少しでき始めました。
第3世代の頃、1992年~99年、間には京都議定書も含まれますが、UIAのワー
キンググループとして、JIA が事務局となって未来の建築(AOF、Architecture of the
Future)WG を立ち上げました。そしてこれからの時代の建築はどうあるべきかという議
論を世界の建築家たちと盛んに行い、1999 年の UIA 北京大会で Glocal Architeture の宣
言をしました。この世代はUIAではサステナビリティーという理念がしっかりと定着し
た時期であります。
第4世代が2000年~2005年まで。ここで急激にエコハウスが増えています。こ
れは太陽光に関する補助金が非常に多くついた時期です。これはトッピング型といってい
る要素技術を屋根の上に載せる時代だったわけです。
2006年以降は、第5世代として総合化の時代です。建築をエネルギーフローで設計
しよう、総合評価をしよう。町へ出ていく面の戦略や量の戦略をたてる、そして改修の時
代です。また、ラベリングをしっかりとすることによって、みんなにわかりやすくする。
環境教育を関係者や子どもたちにしっかり普及させるなど、総合化の5項目を考える時代
です。
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(図27)
次の図はゼロカーボンの建築のつ
くり方を示しています。下の方から
見ますと、再生可能エネルギーを導
入しよう、高効率機器を入れましょ
う。このくらいは普通のエコハウス
と言っているものですが、その前に
パッシブ型の環境基本性能が9項目
あり、これが大切なのです。私たち
JIA環境行動ラボでは、2000
年代に入ってからずっと研究したこ
とです。この9項目をそれぞれしっかりつくり上げることによって、まず基本的なエネル
ギーの少ない建築をつくることができるのです。
それから、もう1つ上に行きますと、空間計画による削減手法が書かれています。同じ
建物でも中の空間を二重に使い分けることによって面積を少なくする。空調や照明をある
時間だけに限る。空間を外と中との中間領域をつくる。活動のアクティビティーのパター
ンを変えていくなど、いろいろな手法があります。
もう一つ前に行きますと、都市
空間の環境をよくすることが大量
の建築の CO2 削減につながるこ
とが、梅干野先生の研究等でわか
ってきました。
さらに川上側に行きますと、企
画、計画の段階ですが、ここで、
本当にこの建物をつくるべきなの
かどうかという議論をする必要が
あります。
(図28)
一昨年、日本建築学会が17団体で地球温暖化対策ビジョンというものを出しました。
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この図がその時のカーボンニュートラル建築を説明する図です。左下の図がゼロカーボン
建築です。建築を省エネ化し、再生可能エネルギーを建築の周辺でつくり、ゼロカーボン
にする考えです。それを学会でさらに議論した結果、右下のように、クレジットを使って
でも認めるべきではないか。オフセットをした上で、そういうクレジットを使ってゼロ
カーボンにすることができるのだということで、これをカーボンニュートラル建築という
言い方にしています。
(図29)
エネルギーからコミュニティと循環型社会の問題に少し変わります。いろいろな循環型
の町をつくるということと同時に、山から湖までの自然の力をどうやって私たちの暮らし
に生かしていくか。いろいろなエネルギーと食と建材も含めて、さまざまな材料の循環が
行われるような町をつくろうということであります。
(図30)
私たちは、エコハウスというものを一昨年全国20カ所で環境省の事業として行いまし
た。そういう中でさまざまな農のある生活をつくりました。これは先ほど言いました分か
ち合いのコミュニティということです。コミュニティダイニングという言い方があります。
例えば東京ですと、三河島にあります小谷部育子先生たちがつくりましたかんかん森とい
う施設があります。そこではダイニングをみんなで共有し合って、当番を決めて料理をつ
くり、そこで高齢者たちが、寂しく1人孤独でなく、いつでも食事をすることができるよ
うな場所をつくっていこうという考え方が生まれてくるわけです。
(図31)
この図は40%の高齢者がどうやってケアされるのかということを考えるグラフです。
これは土浦市を例として考えたものですが、ゼロのところから下がケアされる人の数で、
上がケアする人たち、労働人口といっていいと思います。その人口が今は5万5000人
ぐらいいるわけです。それが下の赤いところをケアしていたわけですが、これからはそれ
が青いグラフのところまで下がってしまうわけですね。そうしますと、40%の高齢者を
ケアできなくなるということは目に見えてわかります。これをどうするか。まず、65歳
で定年でやめていくということをしないで、もっと多く働こうというのが1つの方向です。
それによってケアの時期、年金をもらう時期をもっと遅くしようという考え方。それから、
婦人の就業環境も改善することによって、もっと多くの女性が働ける環境をつくろう。こ
14
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こには書いてありませんが、移民をどう受け入れるのかという問題がもう1つ大きなテー
マとしてあります。
(図32)
この写真は私たちが東大の大学院の演習で行いましたコミュニティダイニングや多世帯
のシェアリングの演習であります。その中に、それぞれ空き地に木を植えたり、農業をし
て、いろんな生産もしながら、そこで自分たちでつくったものを食べていく、そういうダ
イニングの考え方を提案いています。
(図33)
日大の糸長浩司先生のところでは、主にコミュニティのあり方、環境政策を誰がつくり、
誰が市民に対してどういう言い方をするのかという議論をしてきました。これは福生市で
行いました福生エネルギー市民会議。環境市民といっている人たちをどうつくり上げて
いって、彼らが環境に関してどう議論を重ね、それをさらに政策として市の行政の政策に
つくり上げていくかということをモデル的に実験を重ねています。
(図34)
これも糸長先生のところで、農のある生活、エコビレッジということをずっと追求して
います。パーマーカルチャーという言葉も皆さんご存じかと思います。農業を通じてそれ
らを自分のライフスタイルの中に取り込みながら、自分の生産活動と生活との間をいいバ
ランスの中でつくり上げていこうという考え方であります。
(図35)
現在、環境省がロードマップ委員会をつくっております。私も一昨年から参加していま
す。この結果は皆さんもうわかっていらっしゃるかもしれませんが、さらに3.11以降、
エネルギーが少なくなっていったところで、どういうふうにしてそれまでの結論を修正す
るかという議論をし、この3月に一応の結論づけをしたところであります。
この中で私たちとして一番注目すべきことは、規制導入という部分です。この中に書い
ていますように、外皮性能を基準化するという問題です。平成11年基準相当、これは新
築住宅に関するものですが、新築時の段階的な義務化ということで、2020年までに段
階的に規制化していくということに現在なっています。これはそのQ値の段階、昨年の
ロードマップ委員会でやっていたものよりもさらに厳しい基準となっています。今さまざ
まなところで、第4地域、第5地域ですと、Q値が2.7ですが、それより下にするとい
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うことが規制として行われる。これに関しては、私たちJIAの環境行動ラボでは、別な
動きもしています。伝統木造住宅がQ値の2.7を守れない。もしこういうのが法律化さ
れていくと、そういう伝統木造をつくるなということかということになってきます。これ
に対して、伝統木造のほうからどこまで歩み寄れるのか、Q値をどこまで低くできる手法
があるかという議論をしています。それに加えて、外皮のQ値以外には指標はないのかと
いうことで、もう少し総合的な指標のつくり方を考えてもらいたい。例えばゾーンとして
それを評価するという方法も考えるなど、いろいろな提案をしているところです。
(図36)
先ほどは住宅でしたが、これは新築の建築物についての低炭素化のことです。ここでは
新築物件だけを挙げていますが、同じように改修に関するところも大きなテーマになりま
す。改修に関しては、国交省も腰が重いという状態にあります。インスペクションがしっ
かりできないということで、検証の方法を検討しています。改修で、断熱材を多少入れて
も全体のCO2 は下がらないということが課題となっていますが、私はすこし違う意見で
す。私は何とかして半分の部屋でも改修できるならば断熱改修を、徐々に、順番に、部屋
ごとにでも改修することが大切で、そういう場合でもインセンティブを与えてもらいたい
と主張をしています。
(図37)
この図は、世界的なエクセルギーの専門家である宿谷昌則先生の温度や湿度に関する快
適性に関する研究成果です。普通言われているような室温26度がいいということではな
く、例えば暖房に関して言えば、実験によると、空気の温度は18度でよく、それを取り
巻く周壁の平均温度が重要で、24度~25度ぐらいが一番活動的な場合には良いと言っ
ています。もちろん、これはその人によりますし、着ている洋服あるいは活動の種類に
よっても違いますので、それぞれの場所によって違ってくるということですが。
(図38)
夏はどうかということで、昨年やっと、実験の結果が出てきました。前提として湿度は
65%~50%ということで固定されています。南の地域ではこれがもっと上がってしま
うと、厳しいわけですね。湿度を固定した上で、温度は28度~30度ぐらいでもよろし
い。ただし、気流速といっていますが、空気の流れ、1秒間に20 センチ~50センチぐ
らいの流れがあると気持ちのいい空間になるという結果になっています。
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(図39)
理論的なことはそのくらい
で、建築の実例を見ていただ
きたいと思います。
これは私が1989年に2
度目に独立した後に、最初に
設計した浪合村の村づくりで
す。浪合村というのは飯田か
ら南に30キロぐらいで標高
1000メートルを超す山地
です。そこは860人の寒村
です。この村では、それまで
の約20年間、観光立村と称して、ゴルフ場をつくったり、スキー場をつくったりしてき
ました。ところが、その結果、村の人たちには何も生きがいとなるようなものが生まれな
かったということです。そこに焦点を当てた議論が1年半続けられました。その結果、
「村
全体が村民すべての浪合学校」という、どこにでもあるありきたりの自然も、そこに住ん
でいる人にとってはその人の生きざまを磨く学校なんだというキャッチコピー、コンセプ
トのもとに村づくりを始めました。
村の人たちがすべて主人公となる村づくり。そこに交流人口という概念を入れました。
観光とは交流ということで、村のおばさんたちを都会の人たちが訪ねてくる人がすごく重
要ということになり、トンキラ農園という施設をつくり、その後、浪合フォ―ラムという
施設づくりにまで発展しました。
100人の土間ホールを木造でつくりました。ここは1000メートルの高地というこ
とで、冬は零下10度以下になるところですので、ここの教育長に当初から、内地の建物
を標準にするな、北海道の建物を基準に考えてくれと言われていました。ここでは、木造
として、サッシもアルミは使わずに木製のサッシを開発し、ペアガラスや Low-Eガラス
を使いました。暖房も深夜電力を利用した顕熱型の床暖房ろしたり、さまざまなことを考
えました。これは私の環境建築を始めたきっかけになる大事な建物です。(図40)
その後に、今は豊田市になっていますが、旭中学校を設計しました。愛知県の岐阜側の
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村で、そこも寒いところで、同じように木造の学校をつくったわけです。これは準耐火構
造です。先ほどの浪合の時にはまだ準耐火構造というのがありませんでしたが、ここで準
耐火構造という構造の方式が法律化されて、それに基づいて設計しました。木造について
はこの二つでさまざまな制度的矛盾があることを感じました。それが一昨年、公共建築を
木造でつくるという法律に結実していくきっかけにもなっています。
小さな学校ですので、内部の室内
面積をできるだけ小さくして、半外
部の部分を大きくしました。玄関の
ピロティから内部に入る中庭が全体
の中心で、この空間も1つの外の部
屋だということにしました。床は木
でつくられていますので内履きで利
用できます。階段状の、全体として
は野外劇場のような空間になってい
ます。
(図41)
構造は、1 階はコンクリートとし、その上に木造の柱、斜材をつくるという混構造で進
めたものです。
(図42)
学校に関しては、その後もいろん
なところで木造の学校を提案してお
ります。2005年くらいに奈良県
の吉野に近いところに菟田野小学校
を設計しました。これも2階建てで
す。もちろん法規では学校は2階と
なっていますが、これがおかしい、
現代の技術では木造3階でもできる
はずだと主張しています。この学校
では2階床まで RC ですので、1階はどうしても RC の建物と同じになってしまいます。
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そのため、2階の柱が外部で1階までおりてくるような半外部空間のつくり方をしていま
す。
(図43)
この縦格子の扉は雨戸で、この内側の部分は基本的には外部であるという考えです。外
部であるが内部的な空間、これを内(うち)的な外(そと)空間といっていますが、これ
をたくさんつくろうという考えです。そこではもちろんエネルギーは使いません。エネル
ギーを使わなくても、実際には使いやすい快適な空間として設計できるということを証明
したかったところです。
(図44)
この町は丸太の産地でしたので、杉丸太を200本ぐらい使って、子どもたちのデンや
室内の空間を丸太でつくりました。この木造の学校のコストは大変少なくて、平米あたり
21万円となりました。木造の学校のコストについては、文科省と1998年ぐらいから
検討を始め、2000年頃にタウンミーティングの要望から、学校を木造でつくった場合
にすべて補助金を出してほしいうというお願いをして、それが実現しました。統計をとっ
てみますと、最大35万円ぐらいまでありましたが、全体として平均25万円ぐらいでで
きていることもわかってきました。
(図45)
同じ町で、もう1つのコンペがありまして、町営住宅を木造でつくるということでした。
この場合には3階建ての町営住宅が準耐火構造で実現しました。真ん中にあります大黒柱
は1階から3階まで貫いております。
(図46)
21世紀になって、2000年の初め頃に、秋田で中仙町というところのまちづくりを
することができました。ここは仙北平野という扇状地で、奥羽山脈からの水が伏流水と
なって表面は枯れています。そこで玉川用水が江戸時代から開発されたところです。そう
いう水の歴史と同時に、皆様ご存じの前九年の役など、さまざまな平安時代からの歴史が
あるところです。今でもこの地域の人々は、酒を飲めば平安時代のことを議論するような
不思議なところです。
そういうところで小さな考古館をつくろうという話がありました。私は、考古館をつ
くっても、一回行ったら10年行かないというものはつくらないほうがいいのではないか
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という議論をして、町を歩く博物館をつくろうということになり、町ぐるり博物館という
ことを行いました。これはその時の案内のサインです。この町の羽後長野という駅に行っ
て、駅から電話をすると、案内人が駆けつけてくれて、その人が町の中をこれに従って一
回り案内をしてくれることになっています。案内人養成講座を行い、私が校長となって、
二十数人の町の人たちに、
「この場所はこういう魅力があるんだ」ということを説明しまし
た。素晴らしい風景と、水がすごく身近な町です。この写真は昔の前九年の役があった城
跡です。
この町では江戸時代からの扇状地の用水開発に伴って、今は廃墟になった用水跡や、藤
原の鏡が出土しています。これが平泉の奥州藤原へ中央の文物が日本海側を通ったのか、
太平洋側を通ったのかという謎解きの議論になりましたが、その調査の中で基本的には日
本海側から雄物川や最上川を通って、奥羽山脈を越えて、奥州平泉まで行ったということ
が立証されてきております。
(図47)
この町で「町ぐるりマップ」をつくり、小さな水の公園を設計させていただきました。
この用水にはトゲウオも生息するようになりました。水の中をのぞく小屋をつくりました
が、これはラックジョイントという、その当時開発していた新しい木造ラーメン工法でつ
くったものです。町並みも黒塀の町並みを復活して、これも条例化して、1メートル2万
5000円の補助金がつくような制度をつくりました。
(図48)
次の事例は現代のものになります。
大東文化大学の板橋キャンパスの設
計を行いました。右側の講義棟が約
8000平米、中央の図書館棟がや
はり8000平米、奥の体育館が5
000平米です。ここでは、計画論
的な手法と、エネルギーフローによ
る環境建築を提案しました。例えば
講義棟のところは太陽光の発電パネ
ルが全面を覆っていて、環境建築らしく見えますが、ここのみそは8000平米の延べ床
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面積の約半分を半外部とした計画論的な手法です。半外部の空間というのはエネルギーを
使わなくてもよい空間です。ここでも学生たちが自分で勉強できる、あるいはいろんな議
論をして交流する場をつくることができます。そうしたことで、全体で2000キロワッ
トぐらいのエネルギーが必要だったものを、最終的には450キロワットまで縮小しまし
た。それに約250キロワットの自然エネルギーや地中熱などを導入することによって大
変少ないエネルギーで運営ができるという建築を創ったのです。
(図49)
大きな庇の中に半外部の空間をたくさんつくりました。この建物は中央棟で、図書館で
すから内部活動が主です。右の講義棟は、南側にある、屋根までシースルーの太陽光発電
で囲まれたスパイン空間という半外部の空間が特徴です。ここも外部の空気で、空調は全
くしていません。真冬でも気持ちのいい空間になっています。こういうラウンジなり自由
研究スペースなどで学生たちが勉強しています。ここはすべて半外部空間でエネルギーを
使わない空間になっています。こういうところをスパイン(背骨の空間)と位置づけて構
造化を図ったところが特徴です。
(図50)
次の建物は、ホットニュースといいますか、できたばかりの港区の保健所の建物です。
この建物も同じような考え方でつくられています。港区のものですから、先ほどの大学の
ようなラフな感じではなく、もっと重装備にはなっています。これは3つの保健所が1つ
に統合されるという区全体の保健行政のシナリオの中で生まれたものです。ここでも新し
い計画論的手法が出来ました。まず、約9000平米ぐらいの要求条件がありました。そ
のためにこの敷地では間に合わず、隣の敷地も買うか、隣のJTの敷地に移るかと、2年
間かかって、敷地を変えた計画案をつくりました。結果的にもとの敷地しか使えないとい
うことになりましたが、ここは7500平米しかつくれない場所なわけです。
この経験は環境建築にとって、非常に重要なことを示唆してくれているわけです。つま
り、9000平米必要だと言われて、9000平米をつくるという設計のやり方に対して、
ここでは9000平米は7500平米、約8割ぐらいに縮小することは可能なんだという
ことです。9000平米つくってくださいと言われても、いろいろ議論していけば
7000平米でもいいと言えるということです。そうしますと、そこで8割に落とせます
ので、全体でこの建物は44%のCO2 削減をしようとしましたが、それに8掛けすると、
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56%の削減ができるということです。そういう意味では、先ほど言いました計画論、デ
ザインの手法を、使う人たちと議論することによって縮小することができるということで
もあります。
(図51)
さらに、ここでは建物の中心に空気を自然の力で動かすソーラーチムニーという大きな
煙突のような筒があります。このソーラーチムニーによって、中のエネルギーフローがコ
ントロールされています。これがそのチムニーを見上げた写真です。
もともと港区は吹き抜けは御法度になっています。吹き抜けをつくると、一番下の1階
が寒い。今の港区役所がそうで、カウンターにいる女性がいつも寒いと言って、電気ス
トーブを中に仕込んでいるらしいです。このチムニーは吹き抜けとは言いませんで、エネ
ルギーをコントロールする筒なんだということになっています。光もコントロールします
ので、ジグザグの白いスタッコアンティコの壁が一番上からの光を反射させて、各階に光
を導き入れるということにもなりました。
(図52)
私たちの仲間に善養寺幸子さんという女性建築家がいます。彼女が自分の子どもを学校
に上げて、そこの学校の環境のひどさに、「とにかく学校の環境をよくしたい」と言って、
環境省の提案募集に応募して、それが最優秀になりました。私もそれを応援していて、全
国の座長をしています。今年でそれは終わりになりましたが、2001年頃から、全部で
20カ所、学校エコ改修事業という素晴らしい事業を行いました。
一番大事なのは、それぞれの建物をエコ化、CO2 を少なくする改修をしたというハー
ドな意味の改修と同時に、そのプロセスの中で、地域の専門家たちを50人ぐらい、ある
時は100人ぐらい集めて、環境教育を6回ぐらい行います。それにすべて皆勤した人だ
けがプロポーザルに参加することができて、そのうちから1人が選ばれるというプロセス。
実際にその人が選ばれた後、その設計の中で子どもたちと環境教育をやっていく。それが
親に伝わり、地域に環境の考え方が広まっていく手法です。私が事務局を行った長野県の
高森町では、たくさんの家に緑のカーテンができるようになりました。
(図53)
これはその事業で私が設計した太田市の中央小学校です。ここでは教室が季節によって
南側に行ったり、北側に移動したりするように、
「衣替えする教室」を考えました。副校長
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先生がこのネーミングをしてくれました。ここでは暖房、冷房機械は一切使っておりませ
ん。右上の窓の外にある太陽熱給湯装置から直接、床暖房のパイプにお湯を導入して床暖
房をするということをしています。実際にシミュレーションしてみると、年間に3日か4
日だけ寒い時がありますが、その他はほとんど大丈夫だということで踏み切ったわけです。
(図54)
住宅について少しお話ししたいと思います。先ほどの話もそうですが、蓄熱という手法
は、通産省系の機械ではありませんので、ほとんど一般に普及していませんが、実は大変
効果的なものです。それをいろいろ見ていただきたいと思います。
これは葉山の小さな家ですが、ダイレクトゲインで1階の土間コンクリートに太陽熱が
蓄熱されていきます。その蓄熱によって夜も暖かく暖房設備無しですんでいます。
(図55)
この家は横浜ですが、居間の中央に黒い蓄熱壁(トロンプウォール)があり、この壁の
中に太陽の熱が蓄えられていきます。これによって室内よりも常に2度~4度、この壁の
温度は暖かい状態で、この部屋が非常にまろやかに暖められているということです。
(図56)
これは私のマンションです。マンションの改修で、ちょうど東南向きの部屋でしたので、
その窓を木製のペアガラスサッシにして、床を全部蓄熱の石の床に変えました。これで朝
6時ぐらいから10時~11時まで太陽熱が床を温めてくれていて、ほとんど暖房をつけ
ることはありません。冬の間朝起きても大体20度を保っているという状態ですので、非
常に断熱の効果は高いと言えます。
(図57)
次の事例は、愛知県の長久手にあります、
「愛知たいようの杜」という特別養護老人ホー
ム、高齢者の施設です。そこでユニットケアを設計しました。
外山義先生という人がいらっしゃいました。彼はもともと厚労省の研究所の研究員でし
たが、1983年ぐらいから7年間スウェーデンの王立工科大学で博士論文を書いていま
した。そこでスウェーデンの高齢者福祉をしっかり学んできて、それを日本に何とか持ち
込もうとしました。
最初彼とは、日本に帰ってきたころにお会いしました。浪合村のむらづくりから一緒に
かかわってもらって、高齢者の施設を考えてきました。その後、彼は仙台の南の白石で「け
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やきハウス」という小さなユニットのグループホームをつくり、鷹巣でグループホームを
チェーンのようにつなげたユニットケアの施設をつくりました。それぞれ個人の尊厳を大
事にするということで個室の施設と、MROという函館のトラピスト会がつくり上げた運
営の方法を利用して、1つにしてユニットケアという考え方をつくり上げたわけです。
私もその後、高森で、まだユニットができる前でしたが、準ユニットケアとしてつくり
ました。それまでの特養の建物は、徘徊する人のためにグルグル中庭を回るような動線が
当たり前だったのですが、現在は1人1人非常に丁寧な個人のケアをするようになり、1
人1人の安定した状態が得られるようになっています。この施設は吉田一平さんという現
在長久手市長となった人と、雑木林郷というコンセプトで、雑木林の街の復元再生を現在
もやっています。宮脇昭さんたちと森を復元したり、いろいろな試みをしました。
本来は木造でつくりたかったのですが、特別養護老人ホームは木造の2階建ては設置基
準で作れません。これに対しては、規制緩和の提案が1年に2回さくら提案ともみじ提案
という機会があるのですが、私は、何回か規制緩和の提案を重ねた結果、現在検討中です
が、病院と同じように2階も可能になるという方向性が出されています。
簡単に言いますと、4つの問題があります。木造の上限が3000平米と決められてい
ること。学校は2階建て、特養は1階、幼稚園も1階となっています。これは数字がひと
り歩きしているだけで、何の緩和措置もありません。我々がつくるものは新しい木造です
から可能なんですが、そういうことも一切無視されています。これを何とかしたいと思っ
ています。法律では可能になりましたが、国交省はこの法律が手ごわくて、嫌がっていま
す。この間つくばで学校を燃やしました。あれはおかしい、すごく逆のPRをしているの
ではないか。やはり木造はやめたほうがいいと言わせたいための実験ではないかというこ
とを国交省の指導課の課長にお話ししています。もう1年で結論をだすから我慢してくれ
と言っていました。長谷見先生たちが今、避難の検証を考えるということをやっています。
このように木造都市をつくるという2050年の理想都市に対しては、大変壁が厚くて、
それを少しずつ乗り越えるということを現在している状態です。
(図58)
このユニットケア施設は鉄骨ですが木質空間のエコ建築として設計しました。パッシブ
型の環境基本性能を備え、地中熱ヒートポンプで再生可能エネルギーを利用し、地下ピッ
トを利用して、排気空気と新鮮空気と熱交換をしています。7つぐらいの手法を取り入れ
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た新しい環境建築をつくり、中はほとんど地場産材の三河の杉で木質空間としました。全
て無塗装で、できるだけ材料の厚さを厚くした板を使おうとしたものです。
(図59)
次に、七沢希望の丘初等学校の
ご説明をしたいと思います。これ
はリーフ賞というヨーロッパの先
進建築家に贈られる賞を一昨年い
ただいたものです。さらに昨年、
アルカシア賞を頂いています。な
ぜこういう小さな建築がそういう
賞をもらえたかと言いますと、
2050年の社会に対するサステ
イナブルな社会提案だからです。
理念としてできるだけ小さな環境世界というお話をしました。ここは小さな里山の丘の上
にありますので、これを1つの環境世界とみなせます。それから、東丹沢にある材料を使
うということ。ここにも杉がありましたが、切った杉は中でほとんど使っています。周辺
の丸太も使う。この地域の材料を使おうということです。
エネルギーも周辺の木チップをボイラーで燃やして暖房に利用します。空気も50メー
トル以上地中を通して地中の熱を利用して温められてきています。雨も土中に浸透させて
外には出しません。都市のインフラを利用しないという考え方です。トイレの水も浄化の
後もまた浸透させます。すべてこの敷地の中で自給自足をするという考え方です。
(図60)
そういう基本的な環境の考え方と同時にユニークな教育方針との協同という点が評価さ
れています。この学校の教育方針が、環境から学ぶ、自然から学ぶという考え方と同時に、
子ども同士がお互いに役割を持ってコミュニティをつくるという共同性、連帯性というも
のがこの学校の特色、教育方針です。それをこの空間としてあらわそうということで、全
体として1つの大きな家となり、その中にいろいろ小さなひだがたくさんある空間として
設計しました。自然というのはそういうものですから、それに近い建築をどうつくれるか
ということを模索する。木があると、木を避けて次へ曲がって、また木にぶつかると左に
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右に曲がって、4回建物の平面は左右に曲がっています。そうすることによって、空間に
うねりが生じたり、フラクタルな空間の表現ができてくることになると思います。
(図61)
全体に、グラウンドも、森をグラウンドとするということを主張しましたが、ゲームが
できるところだけはどうしても必要という文科省の指導で、小さなフットサルの500平
米のグラウンドはつくりました。その他の2000平米は全部森で、森の中を子どもは駆
け回るということになります。
(図62)
新鮮空気を 50m 地中を通し、地中熱を利用して空気の温度を3度から7~8度温めて内
部に導入しています。そして木チップボイラーで温めるという手法は先ほど話したとおり
です。電気を使わないで、自然の採光で授業をしています。3時から4時まではこの状態
で十分授業ができます。東側の教室は、下の杉の森からいいますと、約6メートルの高さ
にありますので、幹の中間のところが目の前にあるような、ある意味では光によっては非
常におごそかな雰囲気もつくり出せる空間です。一部は中央の台地にくっついていますが、
あとは空中に浮いているような建築が生まれたということです。
(図63)
もう1つは、、和光小学校という
世田谷の私立小学校です。世田谷
校舎は和光の発祥の地でもありま
す。ここの改築は、北校舎は残し、
南側の低学年棟と特別教室棟、幼
稚園、体育館を増築する計画です。
ここでも、先ほどのように、全
部の空間を室内化することはしな
いで、できるだけ外部をうまくつ
くろう。あわよくば真ん中にあり
ますグラウンドも室内だと思えるような空間づくりはないだろうかと考えたのです。さま
ざまな外部空間がありますが、本当の内部、内(うち)的な内(うち)から言いますと、
外(そと)的な内部空間、内(うち)的な外部空間、それから外(そと)的な外(そと)
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という、幾つかの中間的な空間が外と内とに存在します。この廊下の外側にはポリカーボ
ネートでつくられた雨戸があり、全部あけると廊下があけ放たれて外部廊下という格好に
なります。閉めれば内部化することも可能です。こうしますと、内部の教室の子どもたち
の活動が外までにじみ出てくるということになります。
ここからさらに外側にあります屋外のグラウンドにいる子どもたちと廊下の子どもたち
とは、いろいろな交流、話しかけができますので、そういうことを目論んで、このグラウ
ンドを2階のレベルの廊下が一周しています。
内部空間は、これは幼稚園ですが、家具によって仕切られるということで、フレキシビ
リティーが高いものです。音楽室は幼稚園も小学校もみんなが使うものとして、ちょうど
敷地の角に建っていて象徴的な形をしています。円形ですが、音響は、安岡正人先生と議
論して、小さい部分でもすべて反射の方向を向くようなディテールでデザインしています。
低学年棟の教室は、廊下の次に教室がありますが、さらに奥にオープンスペースがありま
す。そこにはトイレもあり、和室もあり、いろいろな空間がつくられていて、そこで教室
の中とは違うさまざまな活動ができるようになっています。
(図64)
木造の病院を今北海道でやっています。先ほど言いましたように、病院ならば木造は2
階建てでもできるということで、ここでは木造でつくっています。さらに温泉の熱を利用
して、カスケードで温泉の60度の熱を5度まで絞り尽くすようにエネルギーとして使っ
ていこうということで、全体として60%以上のエネルギーを減らすことを考えています。
(図65)
長崎の諫早の森山というところ
で、もともと町役場をつくる計画
でしたが、結果的に諫早と合併し
たために、保健センターと公園を
設計しました。いろいろな行政の
矛盾がありますが、地場産材を使
いなさいということが木造の場合
は多いのです。ところが、長崎県
は林産県ではありません。長崎県
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で補助金をあげるから地場産材を使えと言われて、大村に杉林があるくらいで、それも3
寸5分の住宅用の4メートル物しかありませんでした。
(図66)
稲山正弘さんと考えて、開き直って3寸5分のもので12メートルの空間をつくること
にしました。まんじ固めという手法のひとつで、2まんじという方法を使って、木と木が
合わさって、力を伝え合っていって、全体としてトラスのように4本が3本になり2本に
なり、グルグル回転して12メートルを支えるというやり方をしています。こういうやり
方で新しい木造を考えることを私は第5世代と呼んでいます。製材のままを利用して、し
かも金物を使わないで木と木がめり込んで力を伝え合うという方法です。これにはまだ開
発されていないデザイン的な手法がたくさんあります。私は、ものつくり大学で学生たち
とそういう研究をしましたが、今、工学院に移っても、まだ毎年新しい手法を学生たちと
考えています。
(図67)
最後に、東日本大震災で私が今までやってきたことを少しお話しして終わりにしたいと
思います。
今まで話してきました低炭素社会をどうつくるのかという問題。それから、人のコミュ
ニティをどうやって存続させるのかということが今回の大震災の後、課題となりました。
先ほど紹介していただいたように、私は1990年代から相双地域の、特に双葉町、原町、
鹿島といった、地域の町の人たちと随分議論して、町の人たちの参加型でまちづくりを
やってきました。
この方法が、今変な方向に行っているので気がかりですが、そういうことをやってきた
ことで、こういう事故が起こってから、私はすぐに彼らと連絡をとろうとしました。しか
し、全然連絡がとれず、4月の初めになってやっと連絡がとれました。最初にお話しした
ように、私はこの人たちに何ができるのかと考えた時、これまでエネルギーについて私た
ちが考えていなかったことに愕然としたわけです。それをもう一度きちっと、エネルギー
の問題まで考えて、ここの人たちの土地にそれだけのエネルギーの可能性があることを証
明して、それによってこの人たちが住んでいなくても土地に価値があること、そして、社
会的には自然・再生可能エネルギーが原発に替わる可能性が十分にあることをしっかりと
伝えたいと思っています。
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まだ現在でも被害は進行形です。そして実際に FIT によりエネルギーを創ろうと多くの
ファンドが入りますと、さまざまな問題が発生する危険があるのです。コミュニティの間
でも水俣で起こったような悲劇が起こる危険性もまだこれからあるということで、それも
お話をしているところです。
近代文明から低炭素社会型への価値観へという話は最初にいたしました。地域の価値。
災害の記憶、コミュニティの力。所有権から利用権へという問題。循環型社会をどうつく
るのか。環境基本性能を持ったゼロカーボン環境建築を被災したところでも、仮設住宅で
もつくるべきだという話。エコライフスタイルをここで初めてつくれるかもしれない。原
子力をしのぐ再生可能エネルギーの社会をつくり上げたい。復興住宅団地、復興工業団地。
これは二地域居住ということで、特に浪江町で提案をしているものです。
(図68)
私は南相馬市と浪江町の復興会議の有識者委員になっております。最後の議論を来週や
る予定になっています。これは南相馬市に、先ほど言いました環境モデル都市の後の環境
未来都市に応募してほしいとお願いして、環境未来都市に立候補したときの資料です。最
終的にめでたく未来都市になりましたので、それをもとにしてさまざまな事業を進めてい
きたいと思っています。
これは、SPEEDIの記録です。浪江は2つの地区があり、その間に請戸川の谷が
あって、大柿ダムがあります。そのあたりが大変線量の多いところになっています。この
浪江の人たちは国から見捨てられたと感じているのはもっともなことで、彼らが逃げると
きに、20キロのところから外に逃げろと言われただけで、SPEEDIのことが知らさ
れてなかったために一番線量の高いところに逃げたわけです。しかも、浪江の町から津島
というところに行くまでに、普通だと30分ぐらいで行けるんですが、7時間もかかって、
渋滞のままノロノロ進みながら車で1晩かかって行っています。さらにそこから3カ所ぐ
らい移って、今は二本松まで行っています。その間にどれだけの線量を浴びたかというこ
とを考えますと、大変な人災だと彼ら自身も憤っています。私も本当にそう思います。そ
の間に一切情報は与えられてなかったために、彼らは20キロから外に逃げれば安全だと
いうことだけを信じて逃げたんです。ところが、今わかっているのは、浪江に国道と鉄道
の駅がありますが、海岸のところは今でも0.5マイクロシーベルト以下の地域で、そこ
に残っていれば彼らは助かっていたということもわかっているわけです。
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これから子どもたちの甲状腺がんとかいうことが出てきますが、そういうことに対して、
もっと深刻な形で国あるいは東電へ賠償請求するという事態が町村を挙げて出てくること
が予測されています。
(図69)
そういう中で私がつくりま
したのは、浜通りの復興計画
として、このぐらいのエネル
ギーがつくれるということを
提案しています。これだけで
約1600万キロワットの自
然・再生可能エネルギーのポ
テンシャルがあります。赤い
四角が1キロ四方で5万キロ
ワットの太陽光発電ができま
す。緑がバイオマスの栽培地。丸い花車が風力発電。水力発電も可能です。例えば浪江の
ようなところにはもういられないという人たちには、第二の故郷をつくるつもりで除染し
た後、自分たちの村を 2 地域居住という形でつくるということを提案しています。現在は
避難先という概念しかないのですが、避難先に20年も30年も住むということを考える
と、それはおかしい。そこはもう避難先ではなくて、2つ目の居住地ですね。2つの地域
とも自分の居住地という形で認めてもらわないといけない。そうすると、税金は二重に払
うのかとか、いろんな問題がありますが、それは国との間で議論しながら進めていくこと
が必要です。NPOや地域の若い人たちと「ふくしま会議」ということを提案して、これ
を今、議論している最中です。
(図70)
これは南相馬市で、私が未来都市として提案したときの復興提案です。先ほど低炭素型
の社会の都市をつくると言ったように、3つの地域の中心をつくって、それをBRTでつ
なぐとか、内陸との間に大きなインフラ道路をつくるなど、幾つかの提案を含んだ上で分
散型のエネルギーをつくるという提案をしています。
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(図71)
これが原町の中心市街地で
すが、駐車場という名の空き
地がたくさんあるのがわかり
ます。そういうところの空き
地を使って、浪江や小高、双
葉から来ている人たちに入っ
てもらって、原町の人となっ
て一緒にやろうという提案も
しています。
もう1つの提案です。ご存
じのように、福島県というの
は浜通りと中通りと会津という3つの地区に分かれているわけですが、それぞれ全部縦方
向の南北の軸の動線しかありませんでした。原発事故が起こると、この南北の動線は、浜
通りに対しては、南相馬の南から下は全く不通の状態になっていますし、南相馬の北から
新地のところが欠けていますので、ここから仙台のほうにも行けません。ここは福島から
東へ行く道しかないという状態です。ですから、南相馬の人たちにいわきのほうで何かを
しろというのは酷な状態だというのもわかります。南相馬の病院の人たちが行き場を求め
て、結果的にいわきまで約7~8時間かけてコの字型を描いて行ったという事態も起こっ
たわけです。
今度は東西のルートをもっとしっかりしよう。30キロか40キロのところを、今まで
1時間半もかかって、山を越えて行っている状態です。これを30分で行ける高規格の道
路に変えようという提案と、丸を書いたところが5キロ四方ですが、そこに先ほど言いま
した二地域居住のもう1つの拠点をつくる。このあたりは今はあまり人が住んでないとこ
ろですが、そこにもう1つの地域をつくるという提案をして、ここでちゃんとした生活を
しながら町の復興のために通うということを考えようとお話ししています。
(図72)
先ほど見ていただいたラックジョイントの木造ラーメン構造や、桐のパネル、木製のペ
アガラスの窓など、私がこの20年間に開発してきた環境材料がたくさんあります。それ
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らを駆使してできるだけ安い住宅を提供できないかということでみんなに協力してもらい
ながら、太陽光発電もつけた状態で83平米ぐらいの「システムエコ住宅」を考えました。
これはラックジョイントですから、自由に取り外しができて、さまざまなパターンが可能
です。
(図73)
今、83.6平米の住宅が1300万円ぐらいでできる提案をしています。高性能な環
境の住宅をつくって、それを集合化させて真ん中にコミュニティダイニングやお風呂や図
書室を持ったような農地のある「分かち合い団地」をつくるという提案もしています。現
在、南相馬でモデルハウスの準備をしています。800坪ぐらいの土地を用意してくれま
したので、そこで団地をつくる計画をしています。
(図74)
これは全体が循環型の社会をどうやってつくれるか。ごみがエネルギーとして変えられ
るのかということを議論してきたものです。一番下に書いてありますように、オーストリ
アのいろいろな知恵が私たちに非常に強い力になってくれていますので、今オーストリア
政府とやっています。
(図75)
これはその中で、現在はただごみを集めて燃やしているだけですが、それを発電所とし
て使おうというものです。そこでの発電能力がどのくらいあるか。全部で7万3000キ
ロワットぐらいの発電の可能性があるという提案もしています。
(図76)
左側がウイーンのシュピッテラウというところのごみ処理の発電所です。これはフンデ
ルトヴアッサーという、少し奇怪なデザインをすると言われている建築家の作品です。彼
は環境共生型、自然共生型の建築をつくっている人です。
右側にありますのは、私たちがNPOで、佐久でつくっている24時間の連続炭化装置。
これは有機物であれば何でもいいのですが、それを炭化させる装置です。これにもウイー
ンの発電機をつけようということを考えています。このように木質のバイオマスからどの
くらいエネルギーをつくれるかということを計算しました。
(図77)
もう1つは、水力発電です。都留市の「元気くん」と言っている30キロワットのドイ
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ツの発電機です。こういうことを今まで私たちも考えてきましたが、これはおもちゃみた
いなものです。2000キロワットから5000キロワットぐらいが常につくられるよう
な発電機が欲しいと私は思って、日本のメーカーで探しました。ところが、日本のメー
カーはどこもつくっていません。日本は2万キロワット以上の発電機しかつくらなくなっ
てしまっているんです。これは日本全体が原子力ムラになってしまっていることを示して
います。そういうものではなく、もっと中ぐらいの発電機を利用して分散型のシステムを
創る必要があります。
(図78)
上の写真はアメリカのハドソン川で1897年にできて、120年も使っている水力発
電所です。これはたかだか4メートルの低落差のところで発電しています。それを10台
並べてつくっています。これが現在でも現役で動いています。
(図79)
今ここに農業用水のダムがたくさんあります。ここはもともと報徳仕法という二宮尊徳
のため池型農業生産を伝統的にやっていたところです。そのダムがどのくらいの落差が
あって、どのくらいの水量があり、どのくらい発電能力があるのか、専門家と計算しまし
た。エネルギーとしてはすごく使えるものなので、これをいろんなところで提案をしてい
るわけです。特に真ん中にあります浪江の請戸川にある大柿ダムは一番大きな発電が可能
で、2000キロワットぐらいの発電できます。風力も、山の上には風況が非常に適して
いる賦存量の高いところが多い。あとは海洋エネルギーです。広い大陸棚では大きな風力
発電の可能性があります。これらを使って洋上発電と風力発電をやることを提案していま
す。
(図80)
それから、太陽光の発電です。これは私が4月2日に描いた絵です。海があって、松林
があって、ちょっとした集落があって、畑があって、国道があって、JRがあるという構
造に浜通りはなっています。ここに畑が1キロ四方ぐらいありますので、この100ヘク
タールがどのくらいのエネルギーとして使えるのか。しかも、この畑は今は放射線で汚染
されていて使えないかもしれないけれども、20年、30年たってもう一回畑に戻せる状
態にするということを考えて、この発電も、ハイポール型といって、少し高い3メートル
以上のところで発電しようということを計画しています。さらに現在、もっと高いところ
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で発電する方法も提案をしている最中です。
(図81)
洋上発電については、東大の K 先生や I 先生と協力して、今ここでどのくらいの可能性
があるか。ここでは洋上風力を50キロの地域につくることと、そこまでの間で、右のよ
うな波力発電をつくるということが計画されています。その手前のところで小さな波力発
電ができないのかということで、後でちょっとお見せしますが、鎮魂の古墳という提案を
しています。
オーストリアのNPOが寄附をしてくれるということで、国際再生可能エネルギーセン
ターを南相馬につくろうという動きも出てきております。
(図82)
これが鎮魂の古墳群です。最終的
にどういう風景を私たち建築家は被
災地に提案するべきかが課題ですね。
私は鎮魂の古墳をつくることがこの
地域には一番ふさわしいと思いまし
た。この地域はもともと3世紀頃の
古墳がたくさんあるところで、住む
場所に適していたところです。横穴
古墳もあり、山になった古墳も鹿島
あたりにたくさんあります。そういう古墳のある地域に、現代の古墳をつくる。ごみのが
れきを埋めて、あわよくば放射性物質も埋めて、その上に古墳をつくり、その古墳の上に
神社をつくり、上まで行って、海に流されてまだ浮いている人たちの霊を慰めるというこ
とを考えています。
今、長野県の戸隠村の人たちとオオヤマザクラを浜通りに植えようという運動もしてい
ますので、こういう山の頂上に植えることもしたいなと思っています。
手前の離岸堤の外側には、もう1つの小さな波力発電として、船の櫂(かい)を利用し
て、波が来るたびに発電がされるようなものも提案しようとしています。
こういうふうにして新しい自然エネルギー、風力や太陽光を含めた再生可能エネルギー
をふんだんに持って、しかも、山があって、その山が最終的には津波も防ぐことができる。
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といっても、高い山が連続しているだけではないので、人々はその山を迂回しながら海ま
で出ることができる。そういう古墳を今提案しようとしています。
(図83)
最後におさらいですが、一番最初に8つの基本理念というのがありました。山から海ま
での水系を軸としてLCCO2 の小さなコンパクト都市をつくり、循環型社会を構築して
いこうということ。新築の建築、ストック社会の改修を通じてゼロカーボン建築に変えて
いこうということ。近代化社会の価値観から低炭素社会の価値観へ早く我々人間の意識が
変わらなくてはいけないということ。地域性、歴史性、人間性というものを重要視して、
スローライフで農のある豊かなエコライフスタイルをつくること。身近にある垂直のエネ
ルギーや都市の再生可能エネルギーでつくるスマートグリッドを構築すること。ミックス
ゾーニングといいますが、宅地と農地との境をなくそうとか、市街化調整区域、都市計画
区域といった区域のゾーニングをやめていくこと。それから、多世帯のコミュニティで分
かち合いの社会をつくり上げること。この8つの理念を非常に重要なこととして、今、建
築学会でも、私たちは地球環境委員会で昨日もその議論をしていました。またアクション
プラン委員会というのを東北大の吉野博先生たちとつくっていますが、そこでこの8つの
理念を頭に置いて、今レポートを書いているといます。そこでもこの基本理念が全体の基
本的な考え方となってきました。
私の今日の話はここで終わりにしたいと思います。ご
清聴ありがとうございました。(拍手)
谷
中村先生、どうもありがとうございました。
今日は、いろいろな事例を見せていただいて、建物も町も本当に美しいと思いました。
浪江の町、南相馬の町も、いつか、今日見せていただいた事例のような町に生まれ変わる
ことを祈りながら拝聴いたしました。どうもありがとうございました。
それでは、先生にもう一度拍手をお送りください。(拍手)
以上をもちまして本日のフォーラムを終了させていただきます。きょうはどうもありが
とうございました。(了)
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中
村
勉
氏
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