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第2回企画展 南極、自然と人 (PDFファイル)

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第2回企画展 南極、自然と人 (PDFファイル)
立正大学博物館
第 2回 企画展
南 極 、 自然 こ人
一南極観測 の 記録 か ら一
会期 :平 成 16年4月 12日 (月)∼5月 H日 (火)
立 正 大 学 博 物 館
協 力 : 国 立 極 地 研 究 所 ・( 財) 日本 極 地 研 究 振 興 会
2004
ご あ い
さ つ
氷山とペ ンギ ンに象徴 され る南極、それは人類にとつて永遠
に魅 せ られ る トポスであろ う。その南極にスポ ッ トをあてて第
2回 の企画展 を開催す ることにな つた。
この企ては、本年 3月 まで、本学 の学長 の労を執 られた吉田
榮夫先生の 「
半世紀 にわたる南極観測 の思 い出」を、玄人脱帽
の写真 と南極大陸の資料を中心に構成 したもので ある。
とくに、国立極地研究所 の格別 のご協力を得て 「
南極 の石」
ほかが展 覧 された ことを、 ご参観 の皆 さん と共に喜びたい。
ご支援 を頂 い た国立極地研 究所 。(財)日 本極地研究振興会
のご厚志 に感謝 の意 を表 させて頂 きたい と思 う。
南極 の ロマ ンテス ト、吉田榮夫先 生に乾杯。
平成 16(2004)年
館長
表紙の写真 (アデ リーペ ンギン)は 吉口榮夫氏撮影
坂
4月 12日
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一
「南極 、 自然 と人 」
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南極事始 め
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日本 の 南 極 観 測 の 歩 み
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卜され ソ連 の砕水船オ ビ号の救援 を受 けた。
本観測 と呼ばれた第 2次 観測隊は1957年10月東京港を出航 して南極に赴 いたが、昭和基地の北北東
お よそ160キロの地点で ビセ ッ トされ、40日間にわたつて水 とともに漂流する事態に適遇 した。アメ リ
カの砕氷船パ ー トンアイ ラン ド号の牧援 を受けた ものの、第 2次 越冬隊を送 り込めず 15頭 の樺太大
宗谷'は 帰国せ ぎるを得なか つた。
を残 したまま、“
厳 しい昭和基地沖の水状 を克服するため、第 3次 観測か らは他国に類を見なかつたベ リコプターに
よるす べ ての物資の輸送 とい う作戦を導入 し 以後継続的 に越冬観測 を行えるようになつた。筆者 に
ラバー ス (踏査旅
とつては 第 4次 越冬での 自瀬氷河 の調査 この年発見 された内陸のや まと山lFkト
ー
行)な どが思 い出深いが 福島 紳隊員 とともに激 しいプ リザ ド中仕事で外出 し、彼 を見失 つて独
り生き残 ったのが痛切な記憶 として、今 も鮮や力│こ脳裏に残 つている。
南極国際協同観測は IGVを 超 えて続 けられ る ことにな り、我が国 も延長 してきたが、臨時的態勢、
基地は
“宗谷 "に よる支援 の限界な どのため観測を―■中断す るのやむなきに至 り、1962年2月 lll和
閉鎖 された。
2)“ ふ じ"の 時 代
将来の半18久的な観測 研究体制 の芽 が、国立科学博物館極地学課 (後に極地研究セ ンター さら
宗谷"の には 2倍 の大きさの砕氷船
に独立 して国立極地研究所 となる)と して作 られ るとともに、 “
・
ふ じ"が 建造 され、1966年1月 昭和基地は第 7次 観測隊によつて再開 された。第 9次 越冬隊は昭和
基地か ら南極点までの往復5,200キロの トラバースに成功、以後野外観淑│は広域概査か ら目的を明確に
したプ ロジェク ト調査の rf代を迎えた。第 8次 赳冬で第 9次 隊のためのルー ト開設に参カロした筆者が
始めた道標 のための旗年 を利用 した積雪量測定は、今 も各隊によつて引き継 がれてい る。
3)・ し らせ "の 時 代
老朽化 した “ふ じ"に 代 わって その 2倍 の大 きさの砕水船 “しらせ"が 1983年 11月就航 した。
砕氷能力、輸送量 行動範囲が格段 に大き くな り、新たな挑戦が可能 となつた。内陸の大山地セール
ロンダーネ山麓近 くに “あすか観測拠点"を 設けての地学調査、昭和基地の南方1,000キロの海抜3810
mの地点 、年平均気温 -54℃ の極寒の地に “ドームふ じ観測拠 点"を 設けての水床深層堀肖1等々である。
4
日本 南 極 地 域 観 測 隊 以 外 の 観 測
の夏 シーズンか ら、 ロス海 ロス島のアメ リカ隊マ クマー
i)ア メリカの全米科学財団極地局は1963/64年
ド基地に 日本人チームを受け入れ、同チームによる南極最大 の露岩地 ドライパ レー地域 の地球化
学的調査を支援 してきた。 これは1970/71年シーズン以降ニュー ジーラン ド南極局に引き継 がれ
1986/87年まで続 け られた。 日本側経費の多 くを (財)日 本極地研究振興会が助成 した。 こうした
活rllが
契機 となつて 1976777年以降、国立極地研究所が中,いとな り、日米共同隕石探査、日米ニュー
ジー ラン ド共同のエ レパス火山観測な どが行われた。
●)交 換科学者制度 による観測な ど南極条約に基づ く交換科学者 として我が国は毎年原貝1的に 1名 の
研究者 を外国隊に派遣 し また、諸外国か ら研究者 を受け入れてきた。例 えば筆者は1977年11/12
月イギ リス隊プランスフィール ド号に乗船 し 南極半島地域 を訪れて貴重な経験 を得た。 これ と
は別 に外国留学や在外研究の間、それぞれ の国の観測隊に参力0して越冬 した人達 もいた。
5
結 び に代 え て
l G Y での南極観測 か ら間 もな く5 0 年となる。地球の歴史の上で また 現在 の地球システムに果たす
ヒを知 るための、
南極 の役ヨ1 の解明が続 く一方 地球のl f 来の鍵を握 る過去か ら未来にわたる環境変イ
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重要な地域 としての南極が最近特に注
自然の変化 を的確に捉 えることは難 しい。 このことを改めて想起 し、南極観測 を見守 りたい。
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鉱物
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粗粒玄武岩
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ビー コ ン層 群 中 に含 まれ る珪 化 木
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1 11:│
地図
◆南極の地図
地図、ことに基本的な地形図は、す べての観測の基礎 となるもので、地図作 りは国際的に重要な仕
事 とされ てい る。 日本は国土地理院 〈
南極観測が始ま つた時は地理調査所であ つた)が 担 当 して、正
式な地図 としては (仮製版 の図 もい くつかあるが)ま ず昭和基地 のある東オ ングル 島の 5千 分 の 1地
形図を作 り、次いで 2葉 の25万分 の 1地 形図 〈
他 の国で も25万分 の 1地 形図が主たるものであった)
を作製 し、次い て 2万 5千 分 の 1地 形図の作製整備 を図 つて きた。 このような南極 としては縮尺 の大
きい地形図は、他国では多 くはない。 面積 の広いセール ロンダーネ山地では、 5万 分 の 1地 形図が作
られた。
このよ うな基本的な地形図を基図 として、地質図や地形学図な どの主題図が作 られてきた。 このは
か 、重力分布図、海底地形図、雪氷学 フォ リオな ど種 々の主題図が作 られている。
「
南極大陸J l千 万分 の 1南 極全図第 16版 (2003年(財)日本極地研究振興会編刊行)
a聯
1、 r東オ ングル島」 5千 分 の 1地 形図
(地理調査所 (当時、現国土地理院)1957年6月
刊行)
3、 リュツオ ・ホルム湾25万分 の 1衛 星写
真図
←
―
― ―
― 一
グホ ブ詢
2万 5千 分 の 1地 形
( 平川一 巨ほか に よる。 国立極地研究所 1984
年T l 行〉
4 、 「リュツ オ ・ホルム湾」2 5 万分の 1 地
形図
―― ―― ―― ― ●
(1957年1∼ 2月 )の 結果 による、すべ ての観測 の基本
1、 第 1次 南極観測隊 (JARI-1)夏 隊の観測
的資料 としての最初の地形図。
2、 本図は南極 で最初 の地形学図である。
星写真を用 いて、国土地理院
3、 ラン ドサ ッ ト1号 によ り1973年12月お よび1974年1月 撮影 された衛
岸線近 くの書氷地帯の様子が よく
によ り1984年作製刊行 された。疑似 カラーであるが、氷河や海
分かる。
る地域は、東経3゛か ら4ずの間
4、 国際地球観測年 (ICY)の 国際協力で、我が国が地図作製 を分担す
30′までの 「リェツオ ホル ム湾Jお よび
か ら40°
とされた とい う。 1963年国土地理院 は東経 37°
1962
プ リンス オラフ海岸Jの 2葉 の25万分の 1地 形図を、1957、1959、
4゛30′
か ら4げまでの 「
1961 1962年に実施 した天文測量 と二角
年 に撮影 した垂直お よび斜 め航空写真 と、1957、1960、
1961年2月 7日 それ まで全 く知 られていなかつ
測量の成果 を用いて作製、刊行 した。吉口榮夫は
ヘ コプターで飛んで 海岸線 をスケ ッチす
たプ リンス オラフ海岸 の上を110km余りにわた つて リ
57′
付近の露
29′
南緯67°
22′
付近 の露岩地、20日東経44°
南緯68°
るとともに、同月 10日東経42°13′
の地名命名原 案作製で、国土地理院
岩地 で天文測量に よる基準点を設置 した。 また、露岩や氷河
に協力 した ことが思 い起 こされる。
の
された多 くの 2万 5千 分 の 1
展示 した 「リュツオ ホル ム湾J26万 分 の 1地 形図は、そ 後作製
地形図を編集 して 1989年 刊行 された修正版 である。
南極 か らの便 リ
◆南極の郵便事情
昭和二地内郵便局日付印
③¨
昭和基地内には郵便局があ り、郵政事業庁長官か ら昭和基地内郵便局長 を任命 された隊員が、観測 の
合間に郵便 の仕事を行います。 また、市極観測船 ( しらせ) に も船内郵便局が設置 されてお り、昭和
基地郵使局 と共に 東京郵政局が郵政公報な どで、風景入通信付印、普通通信付印の押印サー ビス案
内を行 つています。
風景入通信付印
基地内局は郵政省か ら認可 された郵便局て 集
配 のほか、切手や官製はがきも販売 してお り 昭
和基地内 としらせ船 内の隊員は、 日本あての郵使
を出す ことができます。 その郵使 は、南極か らの
帰路 「しらせ Jに 託 され、船が帰着す る4月 下旬
頃に配達 され ます。 尚、同局留めて郵使物 を送れ
ば、次の隊が基地 に着 く12月には各隊員に届 くよ
うになつています。
●昭和基地郵使局 〈
郵便番号1000071)の 消印
(昭和54年 1月 1日 ll 第20次隊)(吉 口氏所蔵〕
しらせ船内割 更局 日付印
風景入通信付印
ηモ V ●Y A r O m = ヽ
普通通●付印
熙 =
●第2 然 観測の際 の砕 水船 ・しらせ ・ の出航か ら寄港
地を経て帰港までの各地 〈
東京港晴海ヽ頭 オー ス ト
ラリア フ リマン トル 昭和基地 モー ツシャス ポー
トル イ ス シンガポール) の 切手 と消F p を収集 した も
の 〔
吉口氏所蔵〕
0電 報 の 時 代 か ら衛 星 通 信 の時 代 ヘ
日本の第 1次 観測隊が昭和基地で越冬を開始 して以来21次隊まで、隊員が家族 と連絡 をとるには電
報が唯 ―の方 法で した。 ところが、電報文にはカタカナ と数字 しか使 えないため、思 っていることを
十分に相手に伝 えよ うとす る と大変長 くなって しまいます。 これ ではなかなか手紙 のかわ りにはな り
ません。電報を送るたびに、少ない文字数で、できるだけ多 くの月件を伝 えよ うと頭 をひねったこと
か ら 数 々の名文、奇文7.S生
まれ ま した。 この電報の時代を大きく変えたのが1981年に22次隊で もち
こまれ た衛星通信用の設備です。 これ は太平洋 大西洋 イン ド洋の赤道上空にある 3個 の静止衛星
を利用 し 地球上のほ とん どの地域か ら 24時 間いつて もとこへ でも電話やファクシ ミンができるよ
うに したシステ ムです。いまや南極か ら世界中へ気軽に電話が力■ナられ る時ヽをむかえたのです。
しか し 便利にな つてひんばんに電話をかけるよ うになると、当然その分だけrl金もかか り、隊員
にとつては新たな悩みの種が生まれた といえます。 らなみ に通話料金は国際電話の扱い とな り、1990
年 4月 現在 もつ とも安 い]キ
間帯で 1分 600円と このシステムが導入 された当初に比べ 3分 の 1に
まで安 くはな りま した。それ で も少 し長話 しをす るとす ぐに 1万 を超 えて しまいます。越冬中の電話
代だけで100万円 も支払 う隊員がでたほ どです。
(国立極地研究所編 『南極科学館 ―南極 を見る 知る 驚 く』古今書院 1990年 12月より転載)
歴代 の 日本南極地域観 測隊 の 隊長 と副 隊長
1次
(561
6300)
710‐ 5304)
2次
o次
4カ
5友
6次
i田
■
学 =貪 R
面 促
晏 =食 R
西 燎
永田 i
村山 雅美
な 1
永口 武
村 山 雅実
村山 雅姜
鳥居 鍍 th
6103)
立 見 辰撻
亀居 螢 ●
601
6203)
村山
雅美
守 日 膚太郎
村 山 雅姜
(611
6204)
吉 :│
芹摯
原 口 事憤
なし
6704)
村 山 雅事
武藤 晃
予 薩
鳥居 鉄●
楠
自民 姜■
`591
7茨
(65,
3次
(661
9カ
`671
10友
麟 各 は■
副 曖=
は■
曖 茨
宏
早
村山 雅美
■ 野 喜二薔
村 山
(631
7003
楠
村誠
望
補
自男
松口 達郎
-6903)
宏
雅 事
宏
1次
(091
7,04
松日 薇郎
‖ 口
2次
(701
7204)
Jヽ口 言
村晟 望
o次
(71
r,り 、
7303)
着野
川 ロ
貞勇
,`0ユ )
楠
平 運
蔵 里
平澤 咸男
(701
7504)
村 山 雅美
村誠
望
村麟 望
76Ю3)
星合 = 景
★吉 日 螢 夫
星合 孝男
7次
7703)
言野 糾夫
平澤 虚 男
,野
8次
7800)
綺
国分 征
縮
大 歯
T■
平澤 威 雪
山崎
猶 美
山崎 道 夫
‖ロ
貞男
`ヵ
5茨
6次
1741
0,ヤ
20茨
731
21 次
26次
2,次
,R茨
宏
,o no)
平澤
☆吉 口 榮 夫
3103)
末峙
咸 男
甲子 郎
★言 日 螢 美
31
,4カ
25次
宏
8003)
22次
20次
書二衝
`,,■
(301
`8ol
福西 浩
‖口
百早
ユ=
宏
貞男
‖ロ
`吉
口 なキ
前 晋爾
星合
前 晋爾
大 山
前 晋詈
平澤 咸 男
内藤 靖 青
T・
澤 咸勇
福西 浩
福西 浩
内藤 靖 彦
内 藤
工 査
■山 ■郭
大山
■ 邦
興 亜
3303)
星合
0000ヽ
3503)
341
(351
1 ヽ口 =
‖ロ
孝易
百旱
■吉 日 曼 夫
,郭
=易
8803)
旱合
29茨
(871
8903)
違 邊 奥亜
チ苺 I 雄
渡J
30攻
(83
9003)
汀 日
IT内
百瞑
江尻 全確
佐野 雅壼
内藤 靖 彦
藤 丼 理行
藤■
理 行
=鮮
雅申
福肺
■9
嗜ニ
佐藤
軍雄
=男
0構
31次
(891
-0(00)
内藤
32次
(90
‐9203)
国介 征
“
R3カ
`91
9303)
福 ,■
9403)
佐 藤 互撻
虚歯
9503)
渡邊 興王
構 山 宏 太郎
9703)
藤 ♯ 理行
神日 啓史
菫 +理
84茨
`92
35次
(93
06次
(94
37次
(95
L日
産
男
●
召 ロ
蔵奎
構 山 宏太 郎
召 田 成美
行
3R茨
`96
9803)
山内 恭
山岸 久雄
山肉 慕
■o 47
rO,
oo noう
贅 谷 和雄
=睦
渋谷 和雄
和行
●田 宏
■ ―
営団 宏
40攻
(93
0000)
白石
41次
(99
0(00)
鮎 11
腸
掟j研
42次
(00
0203)
去 言
世 ―
加 藤 好=
太 吉
40カ
(01
0303)
西日 文芝
神 山 孝吉
神 山 =吉
44次
(02
0403)
鮎川 勝
小島 ヽ ぼ
小G秀
45次
(03
ね R
山 岸 久雄
山岸 久壼
啓 申
X l i 「榮 夫氏 は k の 隊長 m 隊 長 ( ★日1 ) 以外 に
参力│して,ヽる
太郎
波 邊 研太 郎
=―
疲
観 測隊員 と して第 2 4 8 次
に
記念請議会
期 日 ,5月8日 (土)
会場 ,立正大学熊谷校舎 l号館 H02教 室
時間 :13:00∼15:00
演題
「
南極 に魅せ られ て半世 紀」
吉田 榮夫 (前立正大学学長 ・国立極地研究所名誉教授)
立正大学博物館 第 2回 企画展
「
南極 、 自然 と人 一南極観測の記録から一」
会期 平成 16年4月 12(月)∼ 5月 11日 (火)
平成 16(2004)年4月 12日 発行
立正大学博物館
編集 発行
〒36011194
埼玉県熊谷市万吉 1700
TEL:048-536-6150 FAX:048-536-6170
E‐mall:museumOns acjp
( 東プリ)
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