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産業施設を活用して市民協働で、地域に根 ざした文化創造の場を標榜
導入・運営実態 導入・運営実態 入間市文化創造アトリエ(アミーゴ) 産業施設を活用して市民協働で、地域に根 ざした文化創造の場を標榜するNPO法人 特定非営利活動法人 入間市文化創造ネットワーク アミーゴとは、スペイン語で「ともだ ち」・「なかま」を意味する言葉/入間市 文化創造アトリエ(アミーゴ)の沿革 止、敷地と建 埼玉県の南西部に位置し、人口15万人余りの入 閉じた。残さ 間市は、埼玉県の特産品の一つ、狭山茶の約5割 れたのは堅牢 を生産している。とりわけ、同市は秩父の銘仙、 な骨組みの5 行田の足袋などと並んで綿織物で発展してきた歴 棟の建物であ 史と伝統のある街でもある。 る。 それら三市に埼玉県繊維工業試験場ができ、同 そこで、この業界の有志からこの建物を繊維工 時期にそれぞれの市へ無償譲渡された。ルーツを 業発展のために有効に利用すべきだと強い要望が 当時の試験場内部 のこぎり屋根の織物工場 寄せられ、市は「旧試験場利用検討会議」を設置し、 それぞれの建 市民による市民のための「音楽、演劇活動などの 物、秩父市は 文化活動の展開」と「地域産業(織物など)の振興」 郷 土 資 料 館、 を図る場とする基本理念を設定した。 行田市は公園 そのイメージは、この施設が繊維産業の語り部 に、そして入 であることを尊重し、可能な限り原形を残すこと 間市は文化創 を前提として、文化の創造と情報の発信基地、繊 造のための文 維産業の振興・発展を図る施設とした。 化 施 設 へ と、 ●「入間市文化創造アトリエ(アミーゴ)」の沿革 市民自治の実験場 改修計画策定過程で多くの市民の参画を得、こ 入間市文化創造アトリエ、愛称 「アミーゴ」は、 れらの市民のなかから企画・運営等に熱意・関心 一般的な公共の文化施設とは少々異なった文化施 を寄せた者をディレクターに選任し、文化創造委 設だ。 「文化芸術活動を行うための場、それらを 員会を設置した。 鑑賞するための場」といった捉え方ではなく、「文 平成10年、改修工事は老朽建物の改善や模様替 化芸術の活動を通し、個人の創造性・自己表現力 え、ホールの増築等の難しい工事であったが、関 を育み、そうした活動が人々の心のつながりやコ 係者の努力により2年掛けて再生された。 ミュニティの形成を進める」といった社会機関で 入間市は、平成12年12月、文化創造アトリエ ある。そうした意味からアミーゴは、ハードでは なくソフト (システム) 形成の場だともいえよう。 30 月刊 指定管理者制度 13.5月号 の長い歴史を たどってきた それぞれ行く道に分かれてデビューした。 館長 水村雅啓 氏 譲渡され84年 アミーゴの看板 条例を策定し、条文中に指定管理者制度の規定を 設け、市民自らが企画・運営に携われるよう、市 アミーゴの目指すものは、文化芸術事業を切り 大正5年、綿織物が一番盛んに行われていた仏 民有志グループを管理者に指定、平成13年2月 口に、市民一人ひとりが 「住んでよかった、住み 子のこの地 (当施設)に武蔵織物同業組合によって 1日に 「入間市文化創造アトリエ」をオープンさせ 続けたい」と実感できる 「私たちのまち」を創って 仏子模範工場が建設され、昭和14年9月にこの業 た。そして平成17年の地方自治法改正による指定 いくことである。こうした理念に基づき、市民協 者は敷地と事務所及びのこぎり屋根の織物工場を 管理者制度に移行するため、アミーゴで活動して 働の自主事業を前面に打ち出した新しい形の文化 建設して県に寄附をした。その後、昭和31年には いた81名の市民スタッフは平成19年2月にNPO 施設を創造している。 埼玉県繊維工業試験場に改称した。大正、昭和、 法人 入間市文化創造ネットワークを設立、平成 アミーゴの館長 (NPO法人 入間市文化創造ネッ 平成と3つの時代を経て、試験場は地元に密着し 20年4月から非公募で指定管理者に指定された。 トワーク代表理事)水村雅啓氏にその取組みにつ 技術、品物、人材を育成してきたが、平成10年3 さらに平成25年4月から5年間、継続指定で2期 いて、話を伺った。 月、県は出先機関の統合を行い、この試験場を廃 目がスタートした。 月刊 指定管理者制度 13.5月号 31 導 入 運 営 実 態 ・ ・ 導 入 運 営 実 態 物は市に無償