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Vol.2 - 公益財団法人笹川記念保健協力財団

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Vol.2 - 公益財団法人笹川記念保健協力財団
Vol.2
2014 Feb
ホスピスドクター研修ネットワーク
News Letter
CONTENTS
■第9回情報交換会 開催報告
講演『ホームレスのホスピス』
山本 雅基
グループディスカッション
新世話人紹介
きぼうのいえ訪問レポート
■笹川記念保健協力財団からのお知らせ 他
「ホスピス緩和ケアドクター研修」の修了者のフォローアップを目的
としたネットワークです。2005年より年1回情報交換会を開催し、
2011年より修了者と指導医の情報交換及び相互支援を目的とした、
メーリングリストを開設しています。
HOSPICE DOCTOR NETWORK
ホスピスドクター研修ネットワークとは
2001年より、ホスピス緩和ケアに携わる医師の養成として開始した、
ホスピスドクター研修ネットワーク
第9回情報交換会 開催報告
プログラム
I
開催日 2013年11月16日(土)13:00∼17:00
場 所 日本財団ビル
【講演】
ホームレスのホスピス
∼「きぼうのいえ」における人の尊厳
山本 雅基
Yamamoto Masaki
NPO法人「きぼうのいえ」 理事長・施設長
下町のホスピス長屋
ホスピスドクターという専門家に向け
「えっ何?
『絶望のいえ』でないだけマシよ
ね」と言い返しています。
「ヒソプの水をもってわれを洗い清めた
まえ、雪よりも白くなるように…」聖書の
「詩篇」第51編の記述です。聖書を編纂
て、何が私からのメッセージになるかと思
入居者は2∼3ヶ月経ったころに変化
した著者の精神レベルにまで到達したB
いますが、ホームレス、路上生活者のホ
があります。フッと風向きが変わるような
さんには、大きな変化が起きていて、自
スピスという異色な「きぼうのいえ」のケ
瞬間があり、声をかけてきます。
分の「人生との和解」に向けて進んでいる
アと、こうした人々の人間の尊厳をどう守
「オレもいろんなことがあってよう」それ
り抜いて行こうとしているかの試みを包み
をじっくり聞いて、
「そんなことがあったん
60代後半のCさんは、体力の衰えから
隠さず提示して、皆さまのご意見を拝聴
だあ」と返すと「それからさ」と彼らの回顧
日雇い労働ができなくなり路上生活にな
録が始まるのです。これは、ナラティブセ
りました。空き缶を売った金で酒を買い、
ラピーです。日本語に翻訳するならば、
飲んでは騒ぐの繰り返し…。飲み友達の
したいと思っております。
「きぼうのいえ」は東京の通称山谷地
区、いわゆるドヤ街の中心にあり、社会
の底辺の方たちが多く住む所です。
学会の発表などで私たちが「きぼうの
いえ」に名づけている正式な呼称は、
「在
宅ホスピスケア対応型集合住宅」です。
みんながここに住民票を持てる場所で
のかなと思いました。
「物語の療法」と言えるもので、
「聞く人が
ホームレスと「じゃあ、また明日と言った
いるからこそ語られる物語がある」という
けど、翌朝起きてこないんだよな。結局
意味です。
その晩死んだんだよ…。それから浅草警
戦後シベリアで強制労働に従事してい
察の白い無機質な車が来て、昨日までの
たAさんは帰国後、腕を見込まれて東京
飲み仲間の死体を放り込むと何事もな
タワーの建設に従事していました。彼は
かったように虚しい一日が始まる日々」
外から見れば施設ですが、中は在宅で、 「きぼうのいえ」の施餓鬼供養のときに、
だったそうです。
「所詮俺たちの最期はあ
いい距離感を保ちながらワイワイ、ガヤ
戦死した戦友のために祈って欲しいと僧
んなものと思ってたんだ」と言いました。
ガ ヤ言 い な がら生 活しているというイ
侶に頼み、神妙な顔つきで参加していま
ところが、
「きぼうのいえ」に入った先輩
メージです。そしてスタッフやボランティ
した。
「きぼうのいえ」の入居者の多くは、
の元現場監督は、女の人に肩を貸しても
アと呼ばれる人たちがいて「クスリは飲ん
普通の人ではとても生き残れなかったで
らって買 い 物 に行く、散 歩 に行く、正 直
だのか」、
「ちゃんとご飯を食べているか」、
あろうという背景を持っています。
言って羨ましかったよ。死んだ時も、白木
「身体の調子は悪くないか」と言ってお節
「闇の世界で生きてきた人」もいます。
の柩に入れられて黒いピカピカの霊柩車
介を焼く。そんな「ホスピス長屋」とでも
Bさんは「きぼうのいえ」に来る前に、刑務
に収められて、賛美歌と長いクラクション
いう名前が下町のホスピスに相応しいか
所に通算20年以上服役し、出所して行き
と参列者の合掌で見送られてた。それを
なと考えています。
場がなくて「きぼうのいえ」に入ることに
見て「もしかしたら、俺たちもこういう死
なりました。初めは怖がっていたスタッフ
に方ができるかもしれない、と新しい希
「人生との和解」に導く
も話をするうちにお互い打ち解け、Bさん
望が湧いたんだ」と話してくれました。
「きぼうのいえ」に来る人は、ニヒリス
になりました。そんな彼がある年の七夕
ト、虚無主義者のような人、自己評価の低
の日に「短冊になんて書こうか?」と聞くと
い人、猜疑心の強い人が多いです。
「『きぼうのいえ』じゃねえ、ここは、
『失
望のいえ』だ」。スタッフも慣れていて、
2
そ れ を 文 面 通り受 け 止 めていませ ん。
は「きぼうのいえ」での生活を楽しむよう
新世界への航空管制官
「真っ黒だった人生を真っ白にしたい」と
2002年に「きぼうのいえ」を始めて、い
書いてください、というのです。私たちは
つも誰かがターミナルという状態にありま
Bさんの変わりように驚きました。
す。そして常に滑走路に出てきて、飛ん
今回で 9 回目を迎えた『ホスピスドクター研修ネットワーク情報交換会』は、講師に山本雅基先生を
迎え開催しました。北海道から沖縄まで、全国から 17 名のドクターが集合し、講演、グループディ
スカッションを通して意見交換や情報の共有をしました。
でいこうとする人たちがいます。
人に納得してもらいながら進めていきま
そして、無条件の愛というものは非常
私たちスタッフは、肉体の衣を脱いで
す。認知症の方には「退院後の時間を楽
に厳しく、非常なるストレスをもたらすこ
いく
「死」と呼ぶステージに向けて飛ぶ人
しく過ごせる場所があるけれど、そこに行
とも事実で、
「なぜ、こんな人を愛する必
たちの、航空管制官だと思っています。
くのはどうですか」というような表現で了
要があるのか」と思うときもよくあります。
そして、旅立つと「よくやったね、お疲れ
承を取りながら進めていきます。
さまでした」と言います。この厳しい人生
のレッスンをよく生き抜いたという尊敬の
意味を込めて、演劇でいうカーテンコー
ル、万雷の拍手で送り出していきます。
わたしたちの死生感は通常とは逆転して
2010年の松竹映画に『おとうと』という
山田洋次監督作品があります。映画の設
無条件の存在肯定
「きぼうのいえ」のもうひとつの特徴は
すべてにおいて楽観的ということです。
定のきっかけになった「きぼうのいえ」の
ドキュメンタリーの本、
『大いなる看取り』
に山田監督はこうコメントを寄せてくださ
いました。
うちでナースコールが鳴ると「さあ、行
「『きぼうのいえ』は普通の病院のように
あり」という有 名 な 一 句 が あります が、
け」とはなりません。みんなで一斉に揃っ
身体を救って『命』を救うのでなく、
『しっ
「死」は新しい命への誕生で、
「ジ・エンド」
て指さします。
「生きてるぞ!」なぜか?ナー
かりと死なせることによってその人を『救
スコールが押せているからです。そして、
う』という場所である。そして、それがこ
います。聖書に「私たちの国籍は天国に
あるいは「フィン」ではない。
「死者の存在
する世界」こそが本来ノーマルだというの
が私たちの信念です。
「きぼうのいえ」の目的は、社会的に行
き場を失くした人々の終末期における身
「転倒事故」という言い方はしません。
「あ
らまあ、こけちゃったのね」なんです。そ
こが強みなのです。
病院では、抱きしめる、ハグすることは
のような東京山谷のスラム街に実在する
ことに私は心底驚いた…」
私たちはこれからも、いろいろな困難
や試練を受けるかもしれません。しかし、
体ケアと精神的ケア、スピリチュアルケア、
しません。
「きぼうのいえ」では、大いにハ
山田洋次監督のこの深い言葉を記憶に留
看取り、そして葬送です。
グをします。ハグしたり、中には、お布団
めていただきたいと思います。
の中に入りこんで、一緒に寝ることもして
「きぼうのいえ」はその人に納得してい
りをするようになってきましたが、それま
います。もし、これを一般病棟でしたら、
ただき、
「しっかりと死んでもらう」。そし
では提携している医療機関に搬送して看
大変なことになります。
て、その人の命をしっかりと死なせること
最近では特別養護老人ホームでも看取
取るというパターンが多く、スタッフも「看
これは「存在そのものの肯定」と言える
で、その魂を救う。
「死」を忌まわしい、遠
取り」に一種の恐怖感を抱いていたようで
のではないかと思います。言ってしまえ
ざけるものとして見るのではなく、受け入
す。しかし「きぼうのいえ」では、最初か
ば、ほんの一行ですが、これを実行する
れることで、自身の永遠の命への回帰とし
ら「看取る」ことを謳っていましたから、私
となると相当難しい。
「あなたが金持ちだ
て位置づける。それこそが「きぼうのいえ」
たちはドクターや訪問看護ステーションと
から」
「なになにだから」という条件を付
の独特の役割であり、私たちが深い意味
「ナチュラルに」ということを合言葉として
さないということです。
「サッチ・アズ、に
で「命」を考えるためのレーゾン・デート
ケアしていきます。それは当然本人にも
もかかわらず」という無条件の愛を示せる
ル=存在理由となっていくのではないか
伝えてあり、
「きぼうのいえ」に来る前の病
か、実践できるかという試練を私たちは
と考えています。
状説明で、福祉事務所の担当者や「きぼ
いつも受けるわけです。存在そのものを
それを、皆さまのお心に、今日は刻ん
うのいえ」のソーシャルワーカーが同席の
愛する、限定なしの愛、アン・コンディショ
でいただいて、私のお話とさせていただ
上「痛くないように、苦しまないように、
ナル・ラブをできるのかと言われるわけ
きます。どうも、ありがとうございました。
時間を過ごしてもらいます」と話し、ご本
です。
3
プログラム
II
【グループディスカッション】
岡本拓也先生を座長として、2 つのグループがそれぞれの部屋に分かれて
活発に意見交換しました。
山本先生も各部屋を自由に動き、ディスカッションに参加しました。
グループ
座長 岡本 拓也先生
洞爺温泉病院
A
発表者
片山 英樹
山口宇部
医療センター
緩和ケア科
家の中で看取っていく場合、2、3 ヵ月
以前日本財団で、1日目に私が講演、2
間の時間についてお話がありましたが、そ
日目が有明がんセンターのドクターが麻薬
れだけの時間が大事になっている。しかし
について講演されましたが、ドクター方は
今の緩和ケア病棟は、在日数が短くなって
私たち「きぼうのいえ」では知りえない大
おり、難しい状況にあること、緩和ケア病
変なケアをされている、ということを議事
棟は医療の場であるため病院として医療の
録を通じて知り得ました。このようの経験
比重が多くなっています。
「きぼうのいえ」 から、今日はドクターの皆さんの前でお話
は医療以外の場で、緩和ケアは医療以外の
きぼうのいえのお話を伺い、緩和ケア病
ことも含めた全人的なケアを実践されてい
棟とは異なり、生活の場で時間を共有する
ます。また、患者を家族のひとりとして看
ことが非常に大事ではないかということが
取りがうまくできている、という意見交換
あげられました。
となりました。
させていただきました。
済生会にはホームレスの病棟があり、そ
ちらで経験した方から、患者を家族のひとり
として対応することの大事さについて話があ
今日はホスピスドクター研修ネットワー
りした。
「きぼうのいえ」のスタッフの満足
クなので、ドクターが多いですが多職種で
度からすると自分はそこまでは難しいと思い
ケアを行うことが緩和ケアでは重要です。
ました。患者さんとの距離感の保ち方が非常
多方面の方が参加されている会で講演をす
に難しいと感じました。よい距離感を保ちな
るのは必要です。僕らはドクター抜きで患
がらというお話でしたが、基本的にはスタッ
者さんへのケアを行うことも多いですが、
フがオンの状態をある程度保たれているの
スムースにいっています。ドクターが興味
で、仕事というよりは生活の場として継続さ
を持たれない部分のケアについても行って
れていることが分かりました。
います。
グループ
B
発表者
竹内 愛
日本赤十字
医療センター
緩和ケア科
日本全国いろいろな現場からの皆さんの
意見交換になりました。今日の山本先生のお
話は、緩和ケアを目指す誰もが原点とするよ
うな素晴らしい関わりで、率直に「羨ましい」
という意見が出ました。生活の場に根ざし、
人生をすべて包み込むように患者さんご本
人の納得できるような最期が得られるという
のは本当に素晴らしいことです。
私たちも緩和ケアへの様々な思いや夢を
持ってこの世界に入りました。それぞれ現場
で関わる中で、自分の希望と実際の業務内
容とが思うようにいっていなかったり、これで
いいのだろうかと、
ふと自分の原点はどこだっ
たかと立ち返ったりというような、それぞれ
の悩みを交換する場にもなりました。
その人の最期を納得していただく、という
4
山本先生から
のは難しいという意見もあり、在宅、そして
病院の中ではチーム、病棟、それからホス
ピス、それぞれの立ち位置でいろいろな悩
みが出ました。ただ言えるのは、最期を迎え
るその方のホームというのはどこでもいいの
ではないか。それが病院であっても、それか
ら「きぼうのいえ」のようなところであっても、
そしてご自宅であってもいいのではないか。
本当に「きぼうのいえ」のような状況は理想
形ですが、家族ケアのような問題を抱えつ
つも、私たちドクターも置かれた場で結構頑
張ってるのではないか、と自信を持つことも
大事だと思いました。
ドクターも他の職種の方も、求めることは
同じところに行きつくのではないか。そこで
どうしても障がいになるのは、今の日本のが
ん医療における制度ではないか、という問題
も提起されました。治療と生活の場、それ
ぞれの自然な移行というものが求められる中
で、スイッチする必要があったり、少し無理
のある制度、ここをどうにかできないかとい
う議論もありました。最終的には、全体とし
てまた明日からの診療の希望に繋がるような
情報交換の場となりました。
山本先生から
Continuing Care Retirement
Community(CCRC)とい取組みがアメリカ
で進んでいます。住居と医療と看護と介護を
全部セットでワンストップで供給し、自立した
生活から終末期まで、トランスファーショック
やリロケーションショックなどを受けないで同
じ場で終末までいられるというライフスタイル
です。ベビーブーマー世代の70万人以上が
享受しているという現実があり、それに近い
のが「きぼうのいえ」ではないか。ホームレス
の人のためのCCRCが存在しているのでは
ないかと思っています。
ホスピスドクター研修ネットワーク News Letter
∼参加者の方からの感想、コメントをご紹介します∼
プログラムの内容について
ホスピスの原点を考えさせられました。
生活から看取りまで素晴らしい話を聞かせていただきました。
とても意義のある内容でした。今後のケアにも十分いかせることがあり、
原点に振り返る機会となりました。
グループディスカッションについて
年一度の大切な場と考えています。
本音で話し合えて大変参考になりました。
山本先生に参加していただけたので、とても良い意見が聞けました。
グループディスカッションの時間をもう少し長くしていただきたいです。
★ニュースレターを読まれて、情報交換会への要望、ご意見、コメント等が
ございましたら、事務局までお知らせ下さい。お待ちしております。
メールアドレス [email protected]
みんなそろって
記念撮影
5
本研修ネットワーク立ち上げ当初より第8回情報交換会まで、世話人をお引き受けいただきました池永 昌之先生、
多大なるご尽力に心より感謝申し上げます。また第8回情報交換会から2年間、ML運営者兼司会をお引き受けいた
だきました安 恵美先生、岡本 拓也先生、親身になり運営に携わっていただき本当にありがとうございました。
石巻 静代先生には引き続き世話人をお引き受けいただいております。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
新 ML・司会者紹介
今後2年間開催の「ホスピスドクター情報交換会」の
企画、運営を担っていただく、2名の先生方を紹介します!
より深く緩和ケアを学ぶために
静岡県立静岡がんセンター 緩和医療科
相河 明規
卒業してから10年お世話になった病院の外科で、多くのがん診療を経験する中、
緩和ケアの必要性を痛感しました。今でも
(そしてこれからも)憧れであり目標の お
師匠様 である山崎章郎先生に出会うことができ、私は2008年度、聖ヨハネホス
ピスで勉強させて頂きました。その後は、より深く
(そしてハードに?)がん緩和ケ
アを学ぶため、東京に建ててしまった家のローンを残しつつ静岡県立静岡がんセ
ンター緩和医療科に飛び込みました。早いものでそれから丸5年経ちましたが、
日々
発展するがん医療の最前線の傍ら、緩和ケア病棟・緩和ケアチーム・緩和ケア外
来の3つのフィールドで、患者さんとご家族(時にはスタッフ)を大切な仲間と共
にサポートしています。最近は、すっかりセンター内でも認知して頂けるようにな
り、がん終末期のみならず、様々な治療科の医師・スタッフとコミュニケーション
を密にして、診断から治療の過程においても緩和ケアの力が発揮できることに手
応えとやり甲斐を感じてきています。 緩和ケアはがん、そして医療にも限らずもっと広く深いものであることはご承知
の通りですが、私はあえて、がん医療の真っ直中で苦しみ・揺れ動いて途方に暮
れている人たちの傍で寄り添って見守っていける緩和ケアの医師でありたい(なり
たい)と思っています。しかし簡単に言ってしまいましたが、この「寄り添う」
「見守
る」というのが またこれが難しく喘ぐ日々が続いております。
(家族のためとログ
ハウスを建ててしまい二重ローンにも喘いでおります・・・) そんな私ですが、皆々様、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
ス
リークリスマ
患者さんとメ
職場の仲間た
ち
ごあいさつ
山形県立中央病院 緩和医療科
神谷 浩平
皆さんこんにちは。
思いがけず、ML管理者の役目を仰せつかりました山形県立中央病院の
神谷です。今は、緩和ケアチームと緩和ケア病棟の両方に参与しています。
ふりかえると、18年前に青森の高校を卒業し山形で大学に通いはじめま
したが、全然講義には出ず、本を読んだり音楽を楽しんだり、山を歩いたり、
他学部の友人と遊んでばかりの日々でした。今思えば、それも現在につな
がる大切な時間であったように感じています。
そんな私でしたが、日本海沿いの小都市で医師になったある日、偶然目
間たち
緩和ケアの仲
病院と地域の
にしたのが第1回ホスピスドクター養成研修の募集ポスターでした。それを
見て、かつて読んだ山崎章郎先生の著書も思い出され、いつか自分もホス
ピスケアに携わってみたいと思ったのでした。医局の隅に貼ってあったそのポスターは、今も大切に持っています。
その7年後につくば市で開かれたEPEC-O(Education in Palliative and End-of-Life Care for Oncology)への参加を契機に、筑波メディカ
ルセンター病院での緩和ケア専門研修を受けることにしました。今につながる貴重な研修に助成頂いた財団に改めて感謝申し上げます。
今は地元で緩和ケアの臨床や研修医への教育などに従事しています。一緒に働いているスタッフと、苦楽を共にして少しずつ前に進ん
でいこうとしているところです。
今取り組んでいるのは、外来や地域連携への関わりでしょうか。場所や病期を問わず、患者さん本位のホスピスケアに立ち返り、さら
に新しい時代にも即していくために、できることを考えて行きたいと思っています。
これから2年間、素晴らしい知識と経験をもつ皆様のネットワーク交流ができますよう、楽しい運営を目指したいと思いますので、よろ
しくお願いいたします。 6
ホスピスドクター研修ネットワーク News Letter
きぼうのいえ
訪問レポート
山本雅基先生の講演に先立ち、東京・山谷地区にあ
る『きぼうのいえ』を訪問しました。社会の最底辺で
暮らす人々が尊厳ある最期を迎えるというその場所
は、どんなところなのでしょうか。
特定非営利活動法人(NPO)『きぼうのいえ』は、路上生活者のホス
ピスとして 2002 年に開設されました。
21 室の個室のほか、食堂、浴室、談話室、そして屋上には礼拝堂を
設えた地上4階の建物です。
施設長の山本先生は、かつて修道院の院長から贈られた三つの言葉、
①死なない命 ②過ぎ去らない幸せ ③滅びない愛
を座右の銘として、二十数名のボランティアやスタッフの方々と一緒
に、家族のように入居者の方に接しています。
昼食を運んでいたスタッフの一人の男性が、「ここに来るとみんな元
気になっちゃうんですよ」と笑っていたのが印象的でした。
遺影
に並ぶ
礼拝堂
明るい陽射しが入る居室
屋上礼拝堂で山本先生のお話を聴きました。
食堂では昼食の準備中。この日のメニューはきつねそば
訪問を終えて
洞爺温泉病院 岡本 拓也
緩和ケアは、ホスピスを直系の母とする。ホスピスは、死を
看取る人間の営みだ。
死 dying は、人間の自然な人生の一部であり、死を、医療
という狭い枠組みの中に閉じ込めることは、不自然なことだ。
その当たり前の事実を、改めて思った。医療の枠組みの中に
あって、医療を乗り越えていきたいと思う。
ケアタウン小平クリニック 石巻 静代
礼拝堂には「きぼうのいえ」で旅立たれた方々の写真が飾ら
れていました。
笑顔で写るお一人おひとりが、ここではその方の全てをあり
のままに受け入れられ、愛情を注がれ、人生を最期まで生きた
と語りかけて下さっているようでした。
左から 相河先生、安先生、山本先生、岡本先生、石巻先生
花の谷クリニック 安 恵美
場所は山谷、身寄りがなく、経済的に厳しく、がんの終末期
であったり、何かケアを必要とする病にある方が住むいえ。
人一倍感受性の繊細な方々であるとの思いに至り、自らの心
のありようをさぐられる思いがしました。
★「きぼうのいえ」では皆様のご支援をお待ちしております。
電話:03-3875-7523 Fax:03-3875-7525
E-Mail:[email protected]
ホームページ:http://www.kibounoie.info/
7
ホスピス緩和ケアを担う医師たち
公益財団法人 笹川記念保健協力財団
理事長
喜多 悦子
日本財団が 1998 年に開始したホスピス緩和ケア専門ナース育成支援を嚆矢として、同財団とともに弊笹川記念保健
協力財団は、2001 年度に開始した「ホスピス緩和ケアドクター研修」を支援してまいりました。その修了者のフォローアッ
プを目的として生まれたネットワークは 2005 年度から始まり、研修終了後の皆様が年 1 回一堂に会する情報交換会の
開催、メーリングリストの開設、そして二ュースレターの発行と発展してまいりました。
2013( 平成 25) 年度 4 月に着任した新米理事長の喜多は、まず、活発なメーリングによる文献の紹介とそれに続く意
見交換、臨場感あふれる実践の場での悩み、活動ぶりのやりとりに、今は大昔になった臨床小児科医時代を思い出すと
ともに、これらの doctor mailer 諸氏が駆使されている高度先進技術、そのための弛みないご研鑽ぶり、そして時にメー
ルの端々から感じられる生と死をめぐる葛藤、医の理念に圧倒される折々でありました。
そして、2013 年度の情報交換会である 11 月 16 日、まだ見ぬ諸先生のリアルにお目にかかる機会が参りました。ワ
タクシが高齢故でなく、皆さま、まぶしいほどの若さ、そして日頃の真摯なご貢献故に磨きぬかれた美しくたくましい
ご様子に、さらにさらに圧倒されました。
医という業(なりわい)は、個々の人間が、苦老病死と遭遇した時、如何にそれらと対決し、受け入れるかの過程を
支援することかと愚考しておりますが、いずれにせよ、万物の長であるヒトと申せども、一個の生物である人間は所詮
死を免れることは不可能です。科学の進歩により、早すぎる死(premature death)は防がれ、社会の発展とともに世
界的にも寿命は伸びました。しかし、そうであるが故に、死に到る過程がどうであるかは、比類なく重要かつ深刻な時
代に到っています。
ホスピス緩和ケアという、医の真髄にかかわる分野を担う医師たちの闊達しかし真摯な会話を心地よく聴きながら、
うっとりとすごした一夕、「先生方 ! どうぞ、ご自愛の上のご貢献をお願いします」と切に願いました。
笹川記念保健協力財団からのお知らせ
「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業を開始します。
詳しくはホームページをご覧下さい。 http://www.smhf.or.jp
発行 笹川記念保健協力財団
〒107-0052 東京都港区赤坂1-2-2 日本財団ビル5階
笹川記念保健協力財団 事業部
TEL 03-6229-5390 FAX 03-6229-5395
http://www.smhf.or.jp
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